Title 仮面のプシコマキア : モリエール「気で病む男」と懐疑主 義思想 Author(s) 矢橋, 透 Citation [岐阜大学教養部研究報告] no.[32] p.[129]-[139] Issue Date 1995-09 Rights Version 岐阜大学教養部フランス語研究室 (The Faculty of General Education, Gifu University) URL http://repository.lib.gifu-u.ac.jp/handle/123456789/3940 ※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。 岐阜大学教養部研究報告第32号 ( 1995) 129 仮面 のプ シ コ マ キア モ リ エ ール 『気で病む男』 と懐疑主義思想 矢 橋 透 フ ラ ンス語研究室 (1995年 6 月30日受理) Psychomachia des M asques - L e M (血 de imagin,al re de M o116re et le scepticisme - T 6 rou Y A BA S自 私はこれまで, モ リエ ール作品の大 きな流れを, そ こ に頻出する 「仮面」 ( 「外観」) のテー マの変奏 とい う観点から跡づけよ う と し て きた (1)。 こ う した 「表層」 の 「実体」 からの分離 を前提とする不安なテーマ ー一 一それはモ リエールのみに見 られるのではな く , 他の多 く の同 時代 の作家た ち に も見出だ さ れる, こ の時代の特権的なテ ーマ の一つ なのだが (2) ¬ は, 十 六世紀か ら十七世紀にかけて西欧を襲づた一大知的危機に関係 している と考 え られる。 そ う し た危機 と は, 中世のス コ ラ 的な知の根幹 を な し ていた ア リ ス ト テ レス = ト マ ス主義的な直 観的 ・ 日常的世界観の崩壊 とい う 現象(3)であ り, それによっ て人間が感覚に よっ て捉え る世 界は, 演劇 と同様の仮象世界, シ ミ ュ ラ ーク ルの世界_と化 して し まう 6 「視覚の不確実 さ 」 の意識が常に人に付 き纏い, ラ デ ィ カ ルな懐疑主義が横行する こ と と な る。 演劇はよっ て, こ の時代の知の全体的なモ デルと な っ て いた と考 え られ, 十六世紀後半か ら十七世紀前半に かけての, これまで主にバロ ッ ク と称 さ れて きた演劇は, そ う七 た世界の仮象性を知的前衛 と し て率先 して飽 く こ と な く 描 きだ して いたわけだが(4), そ う した傾向が, モ リ エ ールを初 め と する いわゆる古典主義期の作家た ち に も形 を変え こ そすれ現われ続 けて い るのであ る。 し た がっ て, 「仮面」 や 「外観」 のテ ーマ か らモ リ エ ール作品を捉 え る こ と は, こ の時代の 知の枠組み と い う マ ク ロ的な コ ン テ キス ト の中にそれを組み込んで ゆ く こ と に もつ なが るで あろ う ○ ■ 私 は既 に, モ リ エ ール作品における 「仮面」 と 「外観」 に関す るテーマ を四つのタ イ プに 分類 していた (5)。 初期の ( 英雄) 喜劇 「ナヴァ ールの ド ン ・ ガルシ ー また は嫉妬深い王子 Dom G(lrcie deN auarre ou le Pr伍cej alouχ) ( 1661)バ こ典 型 的 に 現 わ れ て い る 「偽 り の 外 観 fausseapparence」 のテ ーマ において は, 事物 ( ない し は現象) が偶然的な視覚の ト リ ッ 130 矢 橋 透 ▽ ク によっ て人を欺 く のに対 して, 「タ ルチ ュ フ また はぺてん師 LeTartu∬eoμI lmposteur」 ( 1664) で は, 人を欺 く ものが事物から意識的な 「仮面」 の人間へ と変わっ て い る ( 両者 に は, 欺かれる人間の 「視覚の不確実さ」 の意識が共通 している) 。 「 ド ン ・ ジュ ア ンまたは石 の饗宴 刀om ゐ 。 oa XeR s£加 & 7」1erre」 ( 1665) , 「人間嫌 い LeMisaM hrope」 ( 1666) を通 じて , 作者はこ う し た 「仮面」 の人間を批判的に扱 っ てお り, そ れが二つ 目のテ ーマで ある 「反仮面 anti-masque」 を構成す る。 しか し, そ う し た批判的態度 は次第 に変化 し, 『ア ンフ ィ ト リ オ ン ル即 /沿ry- 』 ( 1668) や 「ジ ョ ルジ ュ ・ ダ ンダ ン また は し て や ら れた 亭主 George Dartdin, ou leM ari, co可on,dt↓ 」 ( 1668) で は, 「仮面」 と 「外観」 に翻弄 さ れ る人間の様を突放 して客観的に描 く よ う にな り ( 「勝 ち誇る仮面 masquetriomphant」 の テ ーマ ) , そ れ が 後 期 の 「守銭 奴 L Au(1re) ( 1668) や 「 町人貴 族 £e 3凹rgeois ge几tUhomme」 ( 1670) になる と, 逆に肯定的な登場人物たちが 「仮面」 を用い る こ と で不 当な境遇か ら脱する様が描かれる よう になる ( 「善いぺてん師几(仮面) bonimposteur ( masque)」 のテーマ ) (6)。 今回扱 う こ と になる, モ リ エ ールの最後の作 品で あ る 「気で病 む男 LeMdadei,magi一 肥 面 」 ( 1673) も, 肯定的な人物たちが 「仮面」 を活用 してお り, 一応 「善いぺてん師」 の テーマ系 に属す る と考え られるが, そ こで は 「反仮面」 のテ ーマ系に現われていた よ う な悪 辣な 「仮面」 も登場 してお り, あたか も作者がその白鳥の歌で総決算を図っ ている よ う な印 象がある 。 まず梗概 を記 してお こ う ー パ リ に住むブルジ ョ ワのアルカ ンは, 自分が病気だ と思い込んでお り, かか りつけの医者のピュ ルゴ ン氏の言 う な りで薬漬けになっ てい る。 彼 は自分の延命のために, 娘のア ンジ ェ リ ッ ク を 一 彼女にはク レア ン ト と い う 恋人がある に もかかわ らず 一 医者のデ イ ア フ ォ ワリ ュ ス父子の も と に嫁がせ よ う と考えて いる。 一方ア ルカ ンの後妻のベ リ ーヌ は, 先妻の娘たち ( ア ンジェ リ ッ ク と幼いルイ ソ ン) を修道院にや る こ と で遺産を独占するべく 画策 している。 そ う した不正に対 して, 女中の ト ワネ ッ ト とア ルカ ンの兄弟のベ ラ ル ドは協力 して, 若者たち の幸せ を守ろ う とする。 彼 らはアルカ ンに死 んだふ り を させる こ とで, ペ リ ーヌ と ア ンジェ リ ッ ク の真実を彼に示す。 後妻の喜び と娘の 悲 しみを 目のあた り に した アルカ ンは, つい に 目が覚め, 前者 を家から追い出 し, 後者のク レア ン ト と の結婚を許す ー ただ しク レア ン トが医者になる とい う 条件で ( ペ ラ ル ドに責め られ処方 を守 らなかっ たアルカ ンは, ピュ ルゴ ン氏に見離 さ れて し まっ て いた のだ ) 。 しか しベ ラ ル ド は, 儀式を執 り行 う こ とで アルカ ン 自身を医者にす る こ と を提案す る。 こ う して 劇は, バ レーを含み華やかな, 滑稽 な偽 りの医学学位授与式に よっ て幕 を閉じる こ と になる。 まず, 「悪い仮面」 の側か ら見て ゆ く こ と に し よ う 。 それは当然, 後妻 のベ リ ー ヌ と い う こ と にな る。 彼女は, 裏で はアルカ ンの一 日で も早い死 を望み, 彼の娘た ちか ら遺産を奪 う ために奔走 しているが, アルカ ンの前で は夫 を溺愛す る貞淑な妻 を演 じている。 そ う した彼 女の姿が最 も端的に現われているのが 1幕 6場か ら7場 にかけてで, そ こ で彼女 は, 彼女 に 有利 な遺言書 を作ろ う と い う アルカ ンに対 して, 表面的には大袈裟に彼の死 について語るの を嫌が り なが ら , 実際には自ら公証人を呼 んで お り , 嫌がる言葉の一つ先で ア ルカ ンの隠 し 金の正確 な金額 を聞 き出すので ある。 彼女はま さ に も う 一人のタルチュ フであ り, 後者がテー 仮面のプシ コマ キア ーモ リ エ ール 「気で病む男」 と懐疑主義思想- 131 ブ ルの下に隠れたオルゴ ン と い う 「善い仮面」 の側の演劇的な反撃にまんま と引っ掛かっ た の と 同様, アルカ ンの死の演技 に惑わさ れて化けの皮 を剥が さ れ る こ と にな る。 そ う した彼女 と コ ンビを組んでいるのが, 公証人のボ ンヌ フ ォ ワ氏である ( 彼はその逆説 的な名前のアナロジーか ら して, タ ルチ ュ フ の友人 とおぼ し き執達吏ロ ワイ ヤル氏 を想起 さ せる) 。 彼は, 妻への遺産相続 を禁 じる慣習法の裏をか く 様々な方法 ( 第三者への形式的な 贈与 による 「信託処分 fid61commis」 (7) 等々) を アルカ ンに示す 。 こ う した 「良心の迂回路 d6tours de la conscience」 は , ク ト ン も 指 摘 す る よ う に (8) , 明 ら か に タ ル チ ュ フ が エ ル ミ ー ルに不倫の正 当化 のた め に示 し た , 二「我 々の良心の絆 を緩 め る 6tendreles liens denotre conscience」, イ エズス会士 を 中心 と して ま と め られて い た決疑 論 的な倫理神学 を法律 的な 領域 に置 き換えた ものなのであ る (9)。 彼 も また明 らかに, 社会の表裏を 「仮面」 によっ て生 きぬこ う とす る 「ぺて ん師」 の群れの一員なのだ。 それに対 して, 「善いぺてん師 (仮面) 」 の側のメ ンバーはと い えば, まず女中の ト ワネ ッ トが挙げ られる。 彼女は, モ リ エ ールが創 り だ し た生 き生 き と し た女中た ち の中で も最 も活 力のある存在であ り, 演劇的な 「仮面」 の化身と で も呼びたい ほ どである。 i 幕 2 場で 最初 に登場す る際, 来る のが遅い と い きな り アルカ ンに どな りつ け ら れた彼女は, す か さ ず 「頭 をぶつ けたふ り を し て faisant semblant des6trecogn6 1at6te」, 悪態 を つ き か えす 。 ア ルカ ンが怒る と, 今度は泣 き真似で攻撃 をそ らす。 2幕 2場で ア ルカ ンに もっ と小 さ な声で 話せ と叱 られる と , 「話すふ り を し て Ellefait semblant deparler」 声 は出 さ ず, アル カ ン が聞 き返す と大声で答える。 こ う した フ ァ ルス的な所作のレベ ルだけで な く , つ彼女の行動全 体が演劇的仮面的な色彩に色濃 く 染 まっ ている。 1幕8場で ア ンジ ェ リ ッ クか らベ リ ーヌ たち の陰謀に対する助力を乞われた彼女は, 以下のよ う に, 彼女 ら に従 う よ う に見せかけて, そ の腹の内を探ろ う と言 う 一 犬 [ …] maispourvousservir avecplusdeffet, jeveuχchanger debatterie, col£urirlez61e quej ai pour vous, etμ 17㎡red 6ntrer danslessentimentsdevotrep6reet devotrebellem 6re. (10) [ ‥‥‥] で も貴方様に もっ と効果的にお仕えす るために, 私 は方策を替 えて , 貴方様 に 対す る誠心を覆い隠 して, お父様 とお義母様のお考え に同感 し ている よう に装いま し ょ う。 こ卜 う した 「装 う feindre」 や 「ふ り をす る (外見をつ く る) fairesemblant」 と いっ た表現 は, 「守銭奴」 における 「善いぺて ん師」 の代表で あっ た ヴァ レ ールも使 っ て お り (11), 彼 ら が一連の人物系のう ち に構想 さ れている こ とが確かめられる。 そ して, こ う した演劇的仮面 的な行動様式の頂点が, 言 う まで もな く 劇 を急速に終息へ と向かわせる二つの決定的な行動 一 自らの医者への変装 と アルカ ンに死 を演 じ さ せ る こ と ー で ある。 かか り つ けの医者 に 見離 さ れパニ ッ ク に陥っ たアルカ ンを安心 させるために, ト ワネ ッ ト は 「放浪の名医」 に早 変わ り し, 以前の医者の診断 を こ と ご と く 覆 し て アルガ ンのい わば悪魔払い をす る。 そ して 更に, 前述のよう にアルカ ンに 「死んだふ り をす る contrefairelemort」 こ と を求めて / ペ リ ーヌ と ア ンジェ リ ッ ク の真の姿を彼 に見せるのである。 132 / 矢 橋 透 以上述べて きた ト ワネ ッ ト を典型 と して, この作品における肯定的な登場人物は, みな多 かれ少なかれ, こ う した演劇的仮面的な行為 によっ て特徴づけ られているので ある。 そ う し た傾向は, な ん と幼いルイ ソ ンにまで及んで い る。 2幕 8場で, アルカ ンにア ン ジ ェ リ ッ ク の部屋 に ク レア ン ト が行 っ て いなかっ たか と 問い詰め られた彼女は, 父親が鞭 を持出す と, その場 に倒れて 「死 んだふ り をす る E11econtrefait lamorte.」。 そ の後 も と も と 死 を極端 に恐れてい る アルカ ンがそれを見てパニ ッ ク に陥る有名な場面が展開するのだが, こ のよう に子供た ちが親の権力 に対 し て 「演戯」 に よ っ て対抗す るのが, モ リ エ ールの 「善いぺてん 師」 のテ ーマ系の作品の特徴 なのである。 また, その少 し前で, アルカ ンがルイ ソ ンを 「小 さ な仮面 petitemasque」 と呼んで い る こ と は, 我々のテ ーマか らす る と やはり注 目される。 ク ト ンはフ ュ ルチエ ールの辞書 を引 きなが ら, 「仮面 masque」 が こ の当時女性 の醜 さ や老 いに対す る侮蔑の意味を持 っ ていた こ と を示 し てい るが(12), 私が過去の論文で 明 らかに して きたモ リ エ ール作品中で こ の言葉が一貫 して持っ てい る重要な意味を考えれば, また こ の場 でルイ ソ ンが行なっ ている行為 一 嘘, 演戯 - の質を考えれば, 「仮面」 が こ こ で も文字 どお りの演劇的意味で使われている こ と は明 らかだろ う 。 犬 幼いルイ ソ ンで さ え, 自らの才覚で演劇的な 「仮面」 によっ て親の横暴から身を守っ てい る とすれば, ク レア ン ト と ア ンジェ リ ッ ク のカ ッ プルがそ う するのはむ しろ当然 と言えよう 。 ク レア ン ト はアルカ ンに気づかれない よ う , ア ンジェ リ ッ ク の音楽教師の代理 と い う 「外観 の も と に sous1 apparence」 彼女 に接 近す る 。 し か し ア ル カ ン が二 人 き り で 部屋 に行 く の を許 さ ず, また折悪 し く 恋敵のデイ ア フ ォ ワ リ ュ ス父子がやっ て来たので , ク レア ン ト は彼 ら を前に, 気晴 ら し用 に 「小オペ ラ」 を ア ンジ ェ リ ッ ク と と も に歌お う と 申し 出て, その中 の羊飼いの恋にか こ つ けて 自らの想い を彼女 に伝 え よ う とす る。 ア ンジ ェ リ ッ ク は最初は戸 惑 う が, ク レア ン ト の意図に気づいて彼 に答える。 こ こ で は 「仮面」 は, 実際の演劇ジ ャ ン ルで あ る オペ ラ と重 ね合 わ さ れて い る わ け だ 。 ド ゥ フ ォ ー も , 「気 で 病 む男 」 と い う 劇が 「笑い と演劇の讃歌」 で あ り, 医学 に対 し て演劇 こ そが人間を真 に癒す こ と が で き る こ と を 主張 してお り, その ( 肯定的) 登場人物たちがこの場のク レア ン ト と ア ンジェ リ ッ ク を初め と して√( ジ ャ ンルと しての) 演劇を戦略 と して使っ ている こ と を明らかに し て い る (13)。 実 際彼 も指摘す る よ う に, その他, ト ワネ ッ ト と と も に若者たちの幸せ を支え よ う とするベ ラ ル ド も, アルカ ンの憂欝 を晴 らすために と彼 に 「ムーア人に扮 し たジ プ シ ー こた ち の」 歌 と踊 りのいわば大道芸を見せ ( それが第二の幕間劇 と なる ) , 更には, 一種の 「仮面劇」 と も見 倣 さ れう る最後の偽 りの医者の学位授与式 ( 第三の幕間劇) をプロデュ ースす る。 この 「気 で病む男」 と い う 劇 には, その上, 序幕で はルイ十四世の戦功を讃える田園劇が, 第一の幕 間劇で は ト ワネ ッ ト に恋す る老人が登場す る コ メ ディ ア ・ デラ ルテ風の寸劇が挿入 さ れてい て, 演劇 ジ ャ ンルのオ ンパ レー ドの観 を呈 し てお り , ま さ に ド ゥ フ ォ ーの言う 「演劇の讃歌」 の言葉 もむべなるかな と思わせるのである。 彼 は,・ 我 々が見て きた よ う な 日常的策略的な 「仮面」 の使用 と い う よ り は, こ う した ジ ャ ンル と しての演劇の癒 し と し て の使用 に光 を当 て て い る のだが, 当然二つ の視点は重 な り あ っ て く る ので あ る。 これまで は, ペ リ ーヌ た ち と , ト ワネ ッ ト とベ ラ ル ドに先導 さ れた若者た ち と い う 善悪の 仮面のプ シコマキア ーモ リ エ ール 『気で病む男』 と懐疑主義思想- 133 「仮面」 た ち が, 主人公のアルカ ンを 自らの陣営 に取 り込 も う と争 う とい う , 「気で病む男」 とい う 劇のプ シコマ キア的な基本構造を見て きた。 それで は, 中心にいる アルカ ンはどのよ う に描かれて いるだろ う か ? 自分の関心事 - こ の場合は病気 と延命策 一 以外のこ と には 全 く 無関心 に なっ て し まっ た, こ の典型的にモ リ エ ール的な登場人物が, こ こ で は何度 と な く 「視覚の不確実 さ」 のイ メ ージの も と に描かれてい る こ と に注 目し よ う 。 呆れ果てたベ ラ ル ドが言 う よ う に一 一 Il faut vous avouer quevous 6tes un hom me d unegrandepr6vention, et que りoas りoyez Zes 池 oses αuec d a Γα71gesjyaxx. こ れだけは言つておかなければな らないけれ ど, 貴方はと て も先入観に捉われたお人で, 物事 をお か しな 目で ご覧になる。 医者 に変装 し た ト ワネ ッ ト の問診に答えて, 彼は自ら視覚の異常 を告 白す る。 11 me sem ble parfois que j ai un voile devant les yeuχ. 時に私は, 目の前 にヴェ ールがかかっ て いる よ う な気がす るんです。 ト ワネ ッ ト は アルカ ンに, 右 目が左 目を邪魔 しているので, 右 目はつぷ したほう が善い と診 断を下す。 そ の方がまだ し も, ものがよ く 見え る だろ う と い う のだ。 N e voyez-vous pas qu il incommede l autre, et lui d6robe sa nourriture? Croyez-moi, faites-vous-1e crever au plus t6t, vous verre2 plus clair de 1 (eil gauche. 貴方は, 一 方が他方 を邪魔 していて, 養分 を奪 っ て いる と はお思い にな ら ないか ? なあ, で きるだ け早 く それをつぶ してお し まい な さ い, 左 目だけで も っ と はっ き り と ご覧になれ る だろ う 。 これ らの部分 は, も ち ろ んお どけた表現で はあるが, その執拗 さ か ら して, 「 タ ルチ ュ フ 」 にお けるオル ゴ ン とペ ルネル夫人の会話 同様 (14), 作者の人間の 「視覚の不確実さ」 に対する, 懐疑主義的な 強い こ だわ り を う かがわせ る ものだ ろ う 。 こ う したアルカ ンの 「視覚の不確実 さ」 ゆえに, 「仮面」 がその効果 を最大限 に発揮す る ので あ る。 以上, 二種 類の 「仮面」 たち と , 「視覚の不確実」 なアルカ ンの関係 を見て きたわけだが, 「気で病む男 」 とい う 劇 には, 今一つアルカ ンに関わっ てい る大 きな勢力 と し て 医者た ち が 存在する。 こ の作品に登場する医学関係者たち ( デイアフ オワリ ュス父子, ピュ ルゴ ン氏, 薬剤 師のフ ル ラ ン氏) はみな, 血液循環等 この時代の新 しい科学上の発見には目も く れず, 134 卜 矢 橋 透 古代以来の体液説 を盲 目的に信 じ き っ た頑迷な人物 と して描かれて い る のだが, アルカ ン と の異様 に長い対話の中で, 医学 自体の虚妄性 を完膚な き まで に批判す る, ペ ラ ル ドの次のよ う な言葉 に注 目し よう ー Bien loin dela [ m6decine] tenir v6ritable, jela trouve, entrenous, unedes plusgrandes folies qui soit parmi leshommes, et a regarder leschosesen philosophe, jenevoispoint de plus plaisante 瓜 o肌 erie, [ … ] それ [ 医学] を本物 と思 う どこ ろ か, こ こ だけの話ですが, 私はそれを人類最大の気違い 沙汰の二つ だ と思い ます よ。 そ し て , 事 を達観 して眺める な ら, こ れほど面白い仮面劇 も ない, 几[ ‥。 … ・] 卜 上 こ こ で は, 医学 自体 も また 「仮面」 の イ メ ージで捉 え られてい る のだ。 そ して, そ う した イ メ ージが, ベ ラ ル ドがプ ロデュ ースす る第三の幕間劇へ と つ ながっ て ゆ く こ と は明 らかだろ う 。 そ こ で は, 医学学位授与式が カ ー ニ ヴ ァ ルの余興の 「仮面劇」 と して演 じ られパロディ ー 化さ れる ( しか し驚 く べ きこ と に, こ こで展開さ れる滑稽な儀式はモ リエ ールの全 く の創作 と いう わけで はな く , 同時代のモ ンペ リ エ大学医学部の学位授与式の様を描いたジ ョ ン ・ ロ ッ ク の 「 日記」 を信 じれば, 両者はほぼ同 じ構成 を してお り, しかもモ ンベ リエではなんと リ ュ リーの音楽が使われていた と い う ! ) (15)。 このよ う にモ リエ ールは 「気で病む男」 において は, ア ルカ ンを取 り巻 く 三つの勢力 を , いずれ も演劇的な 「仮面」 のイ メ ージによっ て描 き だ し て い る と言え る。 彼は, 自分 を取 り巻 く 世界の至る所 に 「仮面」 の作用 を見出だ してゆ く 。 ま さ に, ( バロ ッ ク的な) 世界認識の鍵 と しての 「演劇」 と 「仮面」。 しか し , なぜ医学が こ のよ う に, 「仮面」 のイ メ ージの も と に, まやか し と し て描かれな ければな ら ないのか ? も ち ろ んそれは, 当時の医学がそれ自体前述のよ う に, 実験科学 と な る以前の思弁的な状態に留 まっ て いた と い う こ とがある。 だが, そのこ と と と もに, モ リエー ル自身に, 人間の認識 と学問に対す る 根強い懐疑主義が存在する こ と を見逃 して はな ら ない だろ う 。 なぜ人間が他の人間を癒す こ と を望 まないのか と い う アルカ ンの問いに対 し て, ベ ラ ル ド は以下のよ う に答えて い る ー Par la raison, mon fr&re, que les ressorts de notre machine sont des myst6res, jusques ici, oil les homm es n,euoi,en,t goutte, et que Zα7xα旨 reyxoas α肌 is αびー ぬ乙 ノαM 面 syaxχ面 s び成Zes £rop &ρ㎡spoxzr jy cotxxxd £re 9£zeZ9びe池 ose. それはお兄 さ ん, 我々と い う 機械のか ら く り は, こ れまで の と こ ろ 人間がなに も窺 う こ と ので き ない神秘であ り, 自然は我々の目の前に, 何事かを知るには余 り にも厚い幕 を垂れ ている か らですよ。 こ こ に も また, 人間の 「視覚の不確実 さ」 の意識が 一 今回は一般化 さ れた形で ー はっ き り と現われている。 アダンは, この箇所 に見 られる 「これまで 」usquesici」 と い う 表現 を 仮面のプ シ コマ キア ーモ リ エ ール 「気で病む男」 と懐疑主義思想- 135 重要視 して, モ リ エ ールが今後の近代科学の発展に希望 を注いでいた と結論づけているが(16), ガラ ポ ン も反論する よ う に(17), そのよ う な慣用的な表現にそれほどの重要性 を認める こ と に は問題があろ う 。 また逆に, ガラ ポ ンはそ う したモ リ エ ールの医学への否定的見解 を彼 自身 の個人的な経験 (言 う まで もな く , 医者の治療の効果 も な く 肺の病が悪化 し た彼 は, こ の 「気で病む男」 の四回目の上演中に血を吐いて倒れ, その日のう ち に死んで し ま う のであ り, こ う した病 と死に関す る遺作 と作者の劇的な死 との余 り に見事な符合が, こ の作品の解釈に 大 きな影響 を与えて きた) に結びつけているが√もち ろ んそ う した個人的な遺恨の響 きの存 在 を否定す る こ と はで きないにせ よ, そ のこ とが, こ う した懐疑主義, 「人間の視覚 と 認識 の不確実さ」 の意識が, モ リ エ ールの執筆活動の初期か らほと んど一貫 して, また医学だけ で な く=様々な領域において見 られる こ と (18) を, 忘れさせて はな ら な い だ ろ う 。 こ う し た こ の時代の知を色濃 く 染めていた懐疑主義の影 こ そが, 前述のよ う にモ リエ ール作品に遍在す る T仮面」 のテ ーマ のま さ に背景を な し てい る ので あ る (19)。 こ う し たモ リ エ ールと こ の時代の懐疑主義の関係 を, 更に具体的に眺めてみ よ う 。 ダ ン ド レーは, アルカ ンの 「症例」 を同時代の様々な知の領域 と の関係の中に探 っ た大著の中で, モ ンテ ーニ ュ を初め とす る懐疑主義者の人間の認識 に対す る思考 と の関係を も扱っ ている (゛))。 彼に よれば, 懐疑主義的思想 において は, 「想像力 imagination」 こ そが, 人 間の認識 の誤 謬, 「視覚の不確実 さ」 を作 りだす元凶なのであ る。 た と えばモ ンテ ーニ ュ にお い て は, 人 が見た と称す る奇跡の大半は, 「想像力の力」 が作 り だ した ものと い う こ と にな る。 11 est vraisemblable queleprincipal cr6dit des miracles, des visions, des enchantements et de ces effets extraordinaires, vienne de Xα p ㎡ ssα7xce & principalement contre les ames du vulgaire, plus molles. 1 1771αg 加 α£foπ agissant 0 n leur a si fort saisi la cr6- ance qu Us pen,se飢 uoir ce qu Us n,e uoieM pas. (21) 奇跡や幻視や魔法 と いっ た異常な効果 を見た と信 じ るのは主に, 特に大衆のよ り脆弱な精 神に働 きかける想像力の力に由来する と思われる。 彼 らの心はそれ ら を信 じ る よ う に余 り に強 く 捉 われて い る ので, 見ていない も の を見た と思 っ て し ま う 。 「想像力」 に よっ て 「見て いない ものを見た と 思っ て し ま う 」 のは, な に も こ こ で言われて いる素朴 な信心家だ けで はな く , 嫉妬 に よ る先入観のために常 に恋人の傍 に恋敵の影 を見て し ま う ド ン ・ ガルシー王子 も また, そ う で あ ろ う 。 モ ンテ ーニ ュ は更 に, こ う した 「想像力」 の作用 を, 医者 と患者の関係 に も見出だ し て い る。 Pourquoi pratiqueilt les m6decins avant main la cr6ance de leur patient avec tant de fausses pronlesse de sa gu6rison, si ce n・ est 吋 ・ que 1 effet de 1 im(lgirtation, suppnsse l impos治 re de Xaxr αpoz&M e. 11s savent qu un des mai tres de ce m6tier leur a laiss6 par 6crit, qu il s est trouv6 des hommes & qui la seule uue de l(l m6decine fd sait rop&ration. 136 矢 橋 透 なぜ医者 た ち はあ らか じめ, あれほど治癒の偽 りの約束で患者の信頼 を作 り上げてお く の か, も しそれが, 想像力の効果が彼 らの煎 じ薬のぺてん を補 う ためでない と した ら ? 彼 ら は, こ の職業の巨匠の一人が, 薬 を見ただ けで処置が行なわれて し ま っ た人たち もいる こ と を, 彼 ら に書 き残 して い る こ と を知っ てい るのだ。 まず, 医者の処方 (投薬) が 「ぺてん」 と形容 さ れている こ と に注 目し よ う¥ ( 「ぺて ん」 と い う 語はモ リエ ール作品中で は, ほぼ 「仮面」 と 同義で使われている) 。 また, 想像力によっ て 「医者 を見ただけで治療が行なわれて し ま う 」 な らば, I. 医者に変装 した人物が登場するだ けで 同 じ効果が期待 さ れるで はないか ー それこ そが, 「 ド ン ・ ジ ュ ア ン」 や 「いやい やな が ら医者 に さ れ」 のス ガナ レルが, また 「気で病む男」 の ト ワネ ッ ト と最後の 「仮面劇」 が 行なっ てい る こ と だろ う 。I r気で病む男 LeM(山ldeim(昭流(面e) と い う 劇 は, こ う し た懐 疑主義的な 「想像力」 の作用の戯れの劇 と見倣す こ とがで きる。 ペ ラ ル ドが以下のよ う に言 及 している よ う なそれのー [ ・・. ] et, detout temps, il sest gliss6 paimi leshommes& &ellesim昭 加d iox xs, et que nous venons a croire, parce qu elles nous flattent et qu il serait a souhaiter qu elles fusssent v6ritables. [ ‥‥ ‥・] いつで も人間にはあの見事な想像力が滑 り込んで きて し ま う , そ し て我 々はそ いつ を信 じて し ま う , と い う の も,犬それが我々の気 を引 き, それが本当で あ る こ とが望 ま しい か ら な んだ。 以上見て きた よ う に, 「気で病む男」 は, 「人間の視覚 と認識の不確実 さ」 と い う 懐疑主義 的な思想 を背景 と した, 三種類の 「仮面」 の葛藤 を扱 っ て いた。 シ ミ ュ ラ ーク ルが跳梁 し, 「想像力」 が支配す る, この近代の産みの苦 しみの不安な世界 において は, 演劇的な 丁仮面」 こ そが人間の行動の鍵 と な る。 それは確かに, 悪辣 な人間に使われる こ とで脅威にもなるが, 同時に人が 自ら 身を守 る武器 と も な るので ある。 それこ そが, 演劇が知 に一般的な認識モデ ルを提供 し て いた こ の時代の意識的な演劇人 と し てのモ リ エ ールが, その作品で展開 して き た 「演劇的知」 であっ た。 こ の最後の作品で, 彼はそ う した展開を総合 している よ う に思わ れる。 こ れ まで のモ リ エ ール研究は主に, 十九世紀的な リ ア リ ズ ム概念 に よっ て, 作者が当 時の風俗や事件 と い っ た現実 を透明に作品に反映 さ せて い る と し た り, 現代心理学の知見に よ っ て, 登場人物の深層的な心理 を探 っ た り して きた。 しか し, ある時代 に特有の知の枠組 み と い う フ ーコ ー以降の文化史の展開に慣れた我々は一方で, ( ド ゥ フ ォ ーやダ ン ド レ ーの よ う に) こ こで もモ リエ ールの時代に特有な読解格子を探っ てゆかねばな らないだろ う 。 そ の一つが, こ こ で我々が見て きた 「仮面」 の概念で あ り, それは, 我々がかつて汀偽信者」, 「堕落貴族」, 「医者」 と いっ た個々の 「風俗」 あるいは 「心理」 と して見 て きた も のの背後 に, 共通 し て存在す る ものなのであ る。 モ リ エ ールは, 私か こ の論文の冒頭で示 した四つの 「仮面」 ( と 「外観」) のテ ーマ系の中 仮面のプシ コマ キア ーモ リ エ ール 「気で病む男」 と懐疑主義思想- 137 の 「反仮面」 の作品において は, 「真」 と 「偽」, 「素顔」 と 「仮面」 を峻別 し, 「タ ルチュ フ」 において は, それ ら を絶対 に過つ こ と な く 見分ける リ ヴ ァ イ アサ ン的な 「国王」 の 「正 しい 自」 を導入する こ とで , 「仮面」 を全否定 していたが, それは恐 ら く , 懐疑主義 を廃 し, 確 実性 を人間の営為の基礎 に置こ う とす る デカ ル ト の哲学の影響下に行なわれていた (22)。 それ に対 して, その後の 「勝ち誇る仮面」 か ら 「善いぺてん師 (仮面) 」 のテ ーマ系の作品にお いて は, 「仮面」 を人間の属性 と し て 認 め, 逆 にそ れ を利用す る こ と で 「仮面」 に よ っ て 「仮面」 の裏をか く こ とが描かれる よ う になる。 そのこ と は, こ れまで の分析 で も 明 ら かな よ う に, モ リ エ ールが今一度, 「偽 りの外観」 のテ ーマ系で立っ ていた懐疑主義的世界観 に 回帰 した こ と を示 し七いる ( それは同時にー 「仮面」 とい う 一 本来的に演劇的な態度へ の回帰で もあっ たわけだが) 。・ しか しだか ら といっ て, そ こでモ リエ ールが人間の行動 をす べて虚 しい ものとする ピュ ロ ン主義的な絶対的懐疑主義に陥っ た と い う こ と で はもち ろ んな く , 「人間の視覚 と認識の根本的な不確実 さ」 を認めなが ら も, それを逆 手 に と り状況 に適 応 し た行動によっ て利益 と知を求めてい こ う とす る実践的で柔軟な態度が見られるのである。 そ う したモ リエ ールの立場は, ポプキ ンが示 した, デカ ル ト的な確実性の原理を認めないが, 実験や観察 と いっ た仮設的で経験主義的な営為によっ て実用的な知識は得 られる とする, ガッ サ ンディ やメ ルセ ンヌ らの 「構成的また は緩和的懐疑主義」 (23) の立場 を思わせる。 モ リ エ ー ルの 「仮面」 は, このよ う に決 して演劇 とい う 閉 じ られた領域だけで通用す る通俗的な ト ポ ス な ので はな く , こ の時代の本質的な思想史的な コ ンテ キス ト に向けて開かれた概念なので ある。 ■ ■■ ■ ■ 注 (1) 拙論, 「仮面の劇 - モ リエール 「人間嫌い」 について」, 『筑波大学フ ラ ンス語 フ ラ ンス文学論 集』 3, 1986, pp. 1- 14。 「二つの仮面 - モ リ エ ール 『 ド ン ・ ジュ ア ン』 につ い て」, 「岐阜大学 教養部研究報告」 23, 1987, pp. 229- 236. 「『タ ルチ ュ フ』 一 視覚の劇」, 「フ ラ ンス 文化の こ こ ろ ー その言語 と文学」 (共著) , 駿河台出版社, 1993, pp. 1- 12。 「視覚の眩惑者お よび/ あ るい は統御者 と しての王 - モ リエ ール 『ア ンフ ィ ト リ オ ン』 再考」, 『岐阜大学教養部研究報告』 28, 1992, pp. 309- 317. 「 〈善いぺてん師〉 ? - モ リエ ール 『守銭奴』 にお け る 〈演劇的知〉 」 , 『筑波大学フ ラ ンス語フ ラ ンス文学論集』 9, 1994, pp. 194- 210。 (2) Cf. Didier Souiller, £「a a Mralare&aro卯 ea £『 叩 e, PUF, 1988, `pp. 160-183. Gis61e M athieu-Castellani, £ ros k ro卯 e, N izet, 1986, pp. 23-27. (3) (4) Cf. 佐々木力, 『近代学問理念の誕生』, 岩波書店, 1992, p. 11- 12。 Cf. Jean Rousset, £αZi尚 rd rMredd a即 h ro卯 een Fr皿 ce- a rc∂eO epa皿 , Jos6 Corti, 1983. (5) Cf. 前掲拙論, 「 〈善いぺてん師〉 - モ リエ ール 『守銭奴』 における 〈演劇的知〉 」, pp. 194- 195。 (6) こ う した四つのテーマ系の分類はい 族」 と 同じ年に初演さ れた 『気前のよい恋人たち £esAmaMsm昭 ,l伍 卯 es』 では, 「反仮面」 矢 138 橋 透 のテ ーマ系 に現われる よ う な悪辣な 「仮面」 の人物である アナクサルクが登場す る (彼は占星術師 と い う こ と になっ ているが, 「機械仕掛けの神」 を操 り演劇人的な要素 を合わせ持 っ て い る , 興味 深い登場人物だ) 。 また, 『町人貴族』 で大活躍する 「善いぺてん師」 のコ ヴィ エ ルと 同様の 「変装」 や 「仮装行列 mascarade」 の手法は, 実はモ リエ ールの処女作である 『粗忽者 L咄tourdi 』 の マ ス カ リ ーユ が既 に使 っ て いた ものなので あ る。 (7) 十 Cf. M oS reCElxび rescompZ& es, II , Gallimard, Biblioth6quedela P161ade, 1971, p. 1508 (annot6 par GeorgesCouton) 。 。 (8) lbid. , p. 1507. (9) Cf. 前掲拙論, 「『タ ルチ ュ フ』 一 視覚の劇」, pp. 5- 6. (10) 以下, モ リエ ールの本文の引用はすべて, 前掲のプ レイ ヤー ド版による。 強調は筆者。 (11) Cf. 前掲拙論, 「 〈善いぺてん師〉 - モ リエール 『守銭奴』 における 〈演劇的知〉 」, p. 198. また, 同様の表現は, コ ルネイユ作品中で も, 登場人物の行動の 「演戯性」 を示す重要な意味を持つ ている と考え られる。 Cf. 拙論, 「劇場都市 と仮面た ち ー コ ルネイユの初期喜劇 におけるパ リ」, 『岐阜大学教養部研究報告』 31, 1995, p. 170. (12) 〉 Couton, 叩 。誼 。, p. 1514. (13) 犬 G6rardDefauχ, M o揃 reoMlesma αmo印 加 ses血 comi卯 e- dd αcomM iemord e皿 £riom pんe de ZαL /oZfe, F rench F orum , 1980, p. 296レ E ncore & voir R obert M cBride, 《 L a m usique chez M o116re: source dram atique ou sim ple agr6m ent? 》 , L itt&ratures d αss1qlxes, 21, 1994, pp. 75-77. (14) ( 15) Cf. 前掲拙論, 「『タ ルチ ュ フ』 一一視覚の劇」, pp. 4- 5。 Cf. Marc Minkowski, 〈 Le Malade imaginaire, contexte et interpr6tation 〉, Com m entaire du disque Cyla印 eM ier-M oZf& e, £ eM ㎡ αdd m αg 決 α函 ? ( M usifrance, 1990) , p. 32. 周 知 の よ う に , 『気 で 病 む男 』 の 音 楽 は マ ル ク = ア ン ト ワ ー ヌ ・ シ ャ ルパ ン チ 耳 が 担 当 し て お り, モ リ エ ールと リ ュ リ ーは, 後者に よる 「王立音楽ア カ デ ミ ー」 の設立 と音楽の独 占以来決別 して い た。 ( 16) AntoineAdam, Histoiredela Utt6ra叫refr(1几Q(11seau χVllesi&cle, 3, de1 Duca, 1974, p. 399. ( 17) 卜 RobertGarapon, £ eder㎡er M 6X泌re, Soc16t6 d 6dtiond enseignementsup6rieur, 1977, ppj 85-191. ( 18) ( 19) Cf. 前掲拙論, 「『タ ルチ ュ フ』 一 視覚の劇」。 十 厳密 に言えば, 医者の 「仮面」 には, ベ ラ ル ド も言 う よ う に二つの種類がある 。 ゞ つ は, 「気で 病む男」 に登場す る デ ィ ア フ オワ リ ュ ス父子や ピュ ルゴ ン氏のよ う に, 医学 を信 じ きっ ている 人た ちで, その場合 こ こ で見た よ う に, 「仮面」 のイ メ ージは, 曖昧な医学 とい う 学問 自体 のみ ににか かっ て い る と言 え る 。 そ れに対 し て, 『恋医者 L A mox xr mM ec決』 ( 1665) に登場 す る フ ィ ル ラ ン氏は, 医学の虚妄性 を 自ら認めてお り, その上で , 患者 をいかに欺 く かを考えている 。 その場合 は, 「仮面」 のイ メ ージは医者個人に もかかっ て いるので あ り, よ り悪辣で ぺ て ん師的 な色合が濃 く な っ てい る。 (20) 卜 Patrick Dandrey, Le 《cas》 Argan- M oZi&ree£ Zαm㎡αぷeimαg決心re, Klincksieck, 1993, pp. 260-292. 仮面のプシコマ キア ーモ リ エ ール 「気で病む男」 と懐疑主義思想- (21) 139 モ ンテーニュの引用は, ダン ド レ, の前掲書による (p. 273- 274) 。 と もに, 「エセー」 第 1巻第 21章 「想像力について」 か らの引用。 (22) Cf. 前掲拙論, 「『タ ルチュ フ』 一 視覚の劇」, pp. 8- 9。 (23) リチ ャー ド ・ H ・ ポプキン, 『懐疑 一 近世哲学の源流』 ( 野田又夫, 岩坪紹夫訳 ) , 紀伊國屋書 店, 1981, 第 7章。
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