レオ・シュトラウスのNatural Right and Historyの邦訳の

レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
レオ・シュトラウスの
Natural Right and History の邦訳の
タイトルについての覚え書き
飯 島 昇 藏
(早稲田大学政治経済学術院教授)
The first purpose of this Treatise is to explain
the meanings of certain terms occurring in books
of prophecy. Some of these terms are equivocal;
hence the ignorant attribute to them only one
or some of the meanings in which the term in
question is used. Others are derivative terms;
hence they attribute to them only the original
meaning from which the other meaning is derived.
Others are amphibolous terms, so that at times
they are believed to be univocal and at other
times equivocal1.1)
. . . terminology is of paramount importance. Every
term designating an important subject implies a
whole philosophy. . . . This naturally brings us to
the question of translations . There is no higher
praise for a translation of a philosophic book
than that it is of utmost literalness, that it is in
ultimitate literalitatis , . . .2) (Italics are original)
131
1.Natural Right and History の 3 つの邦訳のタイトル
をめぐって――『自然法と歴史』、『自然権と歴史』、
および『自然的正と歴史』
シュトラウスは 1953 年に Natural Right and History をシカゴ大学出版
部から公刊した。爾来,本書はベストセラーではないにしても、60 年以
上の長きにわたってロングセラーであり続けている。それでは本書は世界
中で何部ほど販売されてきたのか。残念ながら、シカゴ大学のシュトラウ
ス・センター所長のタルコフ教授が同出版社に発行部数を問い合わせても
答えてもらえないそうである。
わが国において Natural Right and History は、たとえば、『政治理論の
パラダイム転換 ―― 世界観と政治 ――』
(1985 年)の中で、20 世紀後半に
おける政治哲学の復権に寄与した哲学者の 1 人の重要な書物の 1 冊として、
藤原保信によって『自然法と歴史』あるいは『自然権と歴史』として言及
されていた 3)。(この書物における Natural Right and History の邦訳のタ
イトルに関する藤原の不決断・未決着の問題性ないし重要性についてはの
ちに少しく触れる。)1988 年に Natural Right and History の邦訳が塚崎智・
石崎嘉彦訳『自然権と歴史』(昭和堂)として出版されたのちには、その
邦訳のタイトルは次第に定着しつつあるようにみえた。そして 2013 年暮
れには石崎嘉彦によって若干の改訳が施されて文庫本『自然権と歴史』
(ち
くま学芸文庫)が公刊されるにおよび、この邦訳のタイトルは不動の位置
を占めたかに思われた。
Natural Right and History の邦訳のタイトルをめぐる問題は、しかし
ながら、文庫本『自然権と歴史』公刊によっても決着をみなかった。と
いうのも雑誌『政治哲学』第 16 号(2014 年 2 月)に掲載された西永亮の
論文は、Natural Right and History 全体を『自然的正と歴史』という第 3
の邦訳のタイトルのもとに扱い、本書についての先学の 2 つの邦訳のタイ
トルに挑戦しただけでなく、本書におけるシュトラウスによるマックス・
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レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
ウェーバー論に関する藤原保信の解釈(および彼のシュトラウス解釈に無
批判に追従しているように思われるわが国のウェーバー学者たちのシュト
ラウス解釈)に真っ向から異議を唱えたからである 4)。
しかしながら、他方において、Natural Right and History の公刊当時
のアメリカ本国における読者たちの本書の受容の仕方に着目した中金聡
は、ベルトラン・ド・ジュヴネルの邦訳『純粋政治理論』(風行社、2014
年 4 月)に付した「解説」の中で、次のような注目すべき発言を記すこと
によって、Natural Right and History の真の意図が(古典的)自然権の
復権ではなく、「古典的自然法」 の復権にあったかもしれないという藤原
の懐疑的洞察をわれわれは真剣に再び考慮すべきであると示唆しているよ
うに思われる。
ジュヴネルは伝統的な「政治哲学」の立場を代表する現代の作品例とし
て、レオ・シュトラウス『政治哲学とは何であるか?』のタイトル論文
を挙げている。かつて『主権論』のホッブズを論じた章でオークショッ
トとともに好意的に取り上げられたシュトラウスは、ジュヴネルにとっ
てその後もつねに意識される存在であったと推測される。シュトラウス
政治哲学論の解釈の妥当性については異論もあるだろう。しかし、
『自
然権と歴史』
(一九五三年)がもっぱら古典的自然法思想の単純な復権
の試みと受け止められていた当時としては、これが意外に正鵠を射たシ
ュトラウス理解になっていることに注目したい。実際にも、科学的政治
学陣営によってはいまなお黙殺されている『純粋政治理論』に敏感に反
応してきたのはシュトラウシアンたちなのである 5)。(強調は引用者の
もの)
さらに、太田義器は 2014 年 2 月に刊行された論文「プーフェンドルフ
の自然法について」の冒頭において、『プラトン的政治哲学の諸研究』
Studies in Platonic Political Philosophy に再録された、シュトラウスの論
133
文「自然法について」に注目している 6)。われわれの当面の問題との関連
において最も重要な点は、1968 年に最初に刊行された “On Natural Law”
という論文の中でシュトラウスが、「ホッブズによって創始されたような
近代的自然法(Modern natural law as originated by Hobbes)」は、伝統
的自然法がそうしたようには人間の自然的諸目的の階層的秩序から出発せ
ずに、より高次の諸目的よりも効果的であると考えることのできた諸目的
の中でも最低の目的(自己保存)から出発したと述べ、さらに、ロックの
教説は「近代的自然法の頂点 the peak of modern natural law」として記
述されるかもしれない、と述べていた事実であろう。すなわち、ホッブズ
もロックも、自然法のコンテクトの中で、より厳密には、伝統的自然法
思想とは区別対照される近代的自然法思想というコンテクストの中で語
られていた事実である。さらに非常に興味深いことは、シュトラウスが
「自然法について」の自らの論文に付した文献は 9 件あるが、その最後に
Natural Right and History(University of Chicago Press, 1953)を挙げて
いたことである 7)。
こうしてわれわれは Natural Right and History の本当の意図はどこに
あったのか不思議に思わざるをえないのである。(古典的)自然権の復権
か?古典的自然法の復権か?それとも自然的正の復権か?本書の注意深い
読解の結果は本書の邦訳のタイトルにも反映されるのが自然的である。
もちろん、『自然権と歴史』の共訳者たちもこの問題の重大性を十分に
認識していた。塚崎智は 1988 年の「訳者あとがき」に次のように記して
いる。
翻訳中もっとも気がかりだったのは、そして今でも懸念しているのは、
本書のキー・ワード Natural Right の訳語のことである。近代のホッブ
ズ以後の Natural Right を「自然権」と訳すことにためらいはなかった
が、古代・中世の Natural Right に「自然権」の訳語を当てることには
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レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
問題が感じられ、むしろ「自然法」(Natural Law)と訳した方が適切
ではないかと思われることが多かったからである。しかしながら、古代・
中世を論じた第 IV 章〔中略〕において「自然法」(Natural Law)の語
が別個に用いられているので、Natural Right に「自然法」の訳語を当
てることは避けなければならなかった。〔中略〕我々はそこで「自然権」
という訳語のほかに「自然的正」という訳語を採用することにした。か
つて高田三郎先生が御高訳『ニコマコス倫理学』の訳注に、
「自然本性的な正」(ト・フュシコン・ディカイオン)なるものはラ
テ ン 語 で は、justum naturale な い し は jus naturale と さ れ た。jus
naturale は「自然法」とも邦訳されるが、それはむしろ、「人間本然
の権利」という意味を有している。(中略)
と記されていたのに示唆を得てのことである 8)。
もう 1 人の共訳者石崎嘉彦も 1988 年の「訳者あとがき」において、
Natural Right and History の現代的意義に若干触れつつ、次のように書
いていた。
現代の社会科学はこうして「最も重要な点に関しては完全な無知に身を
委ねるほかはない」のであるが、このような社会科学に依拠するかぎり、
「我々は自らの選択の究極の原理に関しては、……いかなる知識ももち
えない」と言うのである。このような現状は乗り越えられなければなら
ない。シュトラウスはこの乗り越えを、ソクラテス、プラトン、アリス
トテレスの古典的自然権理論に立ち返ることによって成し遂げようとす
る。つまり、十八世紀後半に危機的状況に陥り、十九、二十世紀にはも
はや顧みられなくなった自然権思想を、古典古代の豊穣な自然権・自然
的正の理論に照らして再考し、その復権をはかることによって成し遂げ
ようとするのである 9)。
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こうして『自然権と歴史』の共訳者にとっての重大な問題は、とりわけ
第 IV 章の邦訳にあたって、訳語「自然権」と「自然的正」の使い分けを
どこまで的確になしえているか 10)に収斂しているように思われる。すな
わち、Natural Right and History 全体の邦訳のタイトルとしての『自然
権と歴史』の地位は揺るぎないものであり、『自然法と歴史』というタイ
トルあるいは『自然的正と歴史』というタイトルがその地位を脅かす可能
性はまったくなかったのである。
他方において、翻訳者たちとは別に、Natural Right and History を『自
然権と歴史』として言及し議論してきた、わが国の一般の読者や研究者・
専門家や出版関係者は、その邦訳のタイトルの正当性ないし妥当性をどこ
に求めてきたのであろうか。その妥当性の根拠としては、やはりシュト
ラウスのドイツ語版からの英訳版 The Political Philosophy of Hobbes. Its
Basis and Its Genesis(University of Chicago Press, 1952)の存在とその
影響が圧倒的に大きいであろう。ドイツ語の原典からの邦訳『ホッブズの
政治学』(みすず書房)が出版されたのは 1990 年であったが、そこには英
訳版に付された PREFACE も同時に訳出されていた。そこではホッブズ
政治哲学の近代性が正しく理解されるためには、もしも自然法理論が、理
性主義の時代に特有の特徴であるどころか、中世および古代の伝統にあっ
てはほとんど当然の事柄であるとするならば、われわれは、なにゆえに
17 世紀と 18 世紀が優れて自然法理論の時代であるという名声を獲得した
のかと問わざるをえないと宣言された。具体的には、近代的自然法の見方
と伝統的自然法の見方の間には原理上の差異が存在していないかという、
もっと精確な問いを立てなければならないとされた。そして、シュトラウ
スは、そのような差異を、ホッブズは、偉大な伝統がそうしたようには、
自然「法」から、すなわち客観的な秩序から出発せずに、自然「権」か
ら、すなわちいかなる先行する法、秩序、あるいは義務に依存していない
どころか、それ自身がすべての法、秩序、あるいは義務の起源である、絶
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レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
対的に正当化される主観的要求から出発している事実に突き止めたのであ
る 11)。
要約しよう。このセクションにおいては、Natural Right and History
の邦訳のタイトルとして 3 つのライバル候補がなおも存在していることを
確認した。藤原保信は『自然法と歴史』と『自然権と歴史』の 2 つのタイ
トルの間で動揺していたが、塚崎智と石崎嘉彦は『自然権と歴史』を採用
しつづけた。しかるに、それから 4 半世紀近くも経過して、西永亮はこれ
ら 2 つの邦訳のタイトルに対抗して、『自然的正と歴史』という第 3 のタ
イトルを正しいとするのである。ちなみに、筆者はここでシュトラウスが
「自然法について」という論文の中でホッブズとロックとを伝統的自然法
論者とは区別されうる近代的自然法論者として論じていたこと、およびホ
ッブズ政治哲学についての主著の中で、シュトラウスがホッブズの「自然
権」natural right 理論の画期的意義を伝統的自然法思想との原理的断絶に
みていたことを確認した。次のセクションにおいては、西永がなにゆえに
本書 Natural Right and History の邦訳のタイトルとしては『自然的正と
歴史』が最善であり、正しいとみなしたのかの理由を簡単に検討してみよ
う。
2.Natural Right and History の PREFACE TO THE
7th IMPRESSION(1971)の重要性
さて、西永は論文「レオ・シュトラウスの M・ウェーバー論における
『神学-政治問題』――『自然的正と歴史』Natural Right and History 第
II 章の再検討 ――」の第 1 節において、シュトラウスがウェーバー論にお
いて何を問題にしたのかを改めて問い直し、それが一般に理解されてい
るような「価値相対主義」批判の問題ではなく、むしろ「神学-政治問
題」に開かれていたことを確認している。西永にそのような研究の大胆な
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方向づけを与えるうえで重要な導きになったシュトラウス自身の文章とし
て、彼は Strauss, “Replies to Schaar and Wolin: II,” in American Political
Science Review , 1963, pp.152-153 と、Natural Right and History に付さ
れた PREFACE TO THE 7th IMPRESSION(1971)の 2 つを挙げている。
前者はウェーバーの科学者としての「神学-政治問題」への開かれた精神
open-mindedness のシュトラウスによる承認にかかわり、後者はまさに
Natural Right and History の natural right を「自然権」や「自然法」と
邦訳することを西永に疑問視させ、「自然的正」という代替案を提示せし
めるに誘った最も重要な文章の 1 つである。
まことに残念なことではあるが、Natural Right and History の全訳を
謳う邦訳書が、旧訳本も文庫本もいずれも、この PREFACE の邦訳を含
んでいない(否、「訳者あとがき」においても「解説」においてもその存
在についてさえ言及していない)。そこで以下に西永と飯島とによる拙訳
を掲げて、本稿の諸問題を考える1つの手がかりにしたい。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------第7刷への序文(1971 年)
*
ほとんど言うまでもないことであるが、もしも私が本書を再び書くなら
ば、私はそれを異なったように書くであろう。しかし私は様ざまな方面か
ら、この書物は書かれたままでも有用であったし、そして有用であり続け
る、と請け合われてきた。
私がこの書物を書いた時以降、私は、私が信じるに、
「自然的正しさ〔自
然的正〕と歴史 natural right and history」についての私の理解を深めて
きた。このことは、第1に、「近代的自然的正しさ〔近代的自然権〕」に
当てはまる。私の見解はヴィーコの『新しい科学 第 2 巻』La scienza
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レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
nuova seconda についての研究によって確証されたが、それ〔ヴィーコの
書物〕は自然的正しさ natural right の再考察に捧げられており、「歴史的
意識」を当然のことと受けとっている人びとによっては適正に接近され理
解されてはいない。私はヴィーコについては何も書いてこなかったので、
私は興味関心のある読者には、私がその間にホッブズとロックについて私
の論文「ホッブズの政治哲学の基礎について」と「ロックの自然法の教説」
の中で書いたものにのみ参照させることができる;両論文とも『政治哲学
とは何であるか ?』
(The Free Press of Glencoe, 1959)
に再公刊されている。
私は私がホッブズの論拠の神経 the nerve of Hobbes’ argument(p.176n)
について書いたものにとくに参照させる。
この 10 年間に、私は「古典的自然的正しさ classic natural right」の
研究に、そしてとくに「ソクラテス」に集中してきた。私はこの主題を、
1964 年以降に公刊されたいくつかの書物の中で、そしてほとんど公刊の
準備が整っている『クセノフォンのソクラテス』Xenophon’s Socrates と
いうタイトルが付された書物の中で取り扱ってきた。
私が学んできたなにごとも、「自然的正しさ」、わけてもその古典的形態
におけるそれを実証主義的〔訳者註= politivist を positivist と読む〕であ
れ歴史主義的 historicist であれ、支配的な相対主義 relativism よりも好ま
しいものとする私の傾向を動揺させることはなかった。1 つの共通の誤解
を避けるためには、私は、ある 1 つの高次の法 a higher law への訴えか
けは、もしもその法が「自然」とは区別される「われわれの」伝統という
用語において理解されるならば、たとえ意図においてはそうではないとし
ても、性格においては歴史主義的であるという発言を付け加えるべきであ
る。もしも訴えかけが神法 the divine law へなされるならば、事情は明瞭
に異なる;それでもなお、神法は自然法 the natural law ではない、いわ
んや自然的正しさ〔自然的正〕natural right ではない。
L. S.
1970 年 9 月
139
メリーランド州、アナポリス、セント・ジョンズ・カレッジ
12)
(飯島昇藏・西永亮訳)
PREFACE TO THE 7th IMPRESSION(1971)の重要性については、
筆者自身がすでに『政治哲学』第 12 号(2012 年 2 月)において、What
Is Political Philosophy? and Other Studies の第 VII 章「ホッブズの政治
哲学の基礎について」の拙訳に付した「訳者解説」の中で触れていた。
PREFACE の重要性に関して、後述するように西永論文が PREFACE の
最後の第 4 パラグラフを強調しているのとは異なり、筆者はそこではもっ
ぱら PREFACE の第 2 パラグラフの重要性に、すなわち modern natural
right(ヴィーコとホッブズとロックのそれ)についてのシュトラウスの
理解の深まりに読者の注意を促した。そして『政治哲学とは何であるか ?
とその他の諸研究』(早稲田大学出版部、2014 年)に付した拙稿の中でも、
筆者はその点を繰り返した 13)。
こ れ に 対 し て、 前 に 触 れ た 論 文 の 中 で 西 永 は 目 下 議 論 さ れ て い る
PREFACE の最後の第 4 パラグラフ全体を引用した直後に、次のように
述べている。少し長いが非常に重要であるので、そのまま引用する。
ここにおいてシュトラウスは、確かに「相対主義」よりも「自然的正」
を優先する性向が自分にあることを認めているが、しかしその直後に、
それをめぐって一般に「誤解」があると指摘している。それは「法」に
かかわる。歴史主義的な相対主義を克服するには、ある特定の伝統的な
法から区別される「神法」への訴えがなされる必要があると主張されて
いる。そして、次が決定的なのだが、神法は「自然法」から区別されて
いる。それでは、そのようなものとしての神法が事態を変えるとはどう
いうことか?それは神法それ自体というよりは、そのライヴァルが何で
あるかにかかわるであろう。最終的にシュトラウスは神法を「自然的正」
から区別する。このことによって彼は、自然的正の問題は神法――自然
140
レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
法ではなく――との対決のなかで考えられるべきであると示唆している
ように思われる。少なくとも、その問題の意味は、相対主義を超えて、
自然[ピュシス]と法[ノモス]の対立との関連においてでなければ理
解されえないであろう 14)。
このように PREFACE に導かれつつ、西永は次にその論文の第 2 節では、
藤原保信のシュトラウス解釈を「ウェーバー批判との関連において」検
討する。その際に彼は 1985 年に公刊された藤原の『西洋政治理論史』の
第 11 章「ウェーバー」と、『政治理論のパラダイム転換』第 I 部「政治哲
学の復権(1)――レオ・シュトラウスの場合」で展開されている藤原に
よるシュトラウスのウェーバー理解を丹念に読解していく。まず、前者に
おいてウェーバーの学問論における「価値自由」を価値相対主義として批
判し、そのような理解および批判がシュトラウスに依拠することを藤原が
明言しており、Natural Right and History の第 II 章がそのような解釈の
典拠として参照されていることを西永は確認する。次に後者では、シュト
ラウスの意図する政治哲学を「自然法」と関連づけ、Natural Right and
History のタイトルの邦訳に反映させていることを西永は確認する。そし
て、さらに、「政治哲学の没落」の重要な要因として、とりわけウェーバ
ーによる学問の「倫理的中立性」への要求が Natural Right and History
の第 II 章で説かれていることを藤原が指摘していることを確認したのち
に、西永は、そのような倫理的中立性への要求の「真の理由」を、シュト
ラウスは諸価値の対立・衝突を「科学」・「哲学」=「人間の理性」は解決
できないというウェーバーの「信念」に見出した、と藤原が理解していた
ことを確認する。しかし、藤原のこのようなシュトラウス理解はどこまで
正確であったのかと、西永は問う。なかんずく、シュトラウスがウェーバ
ーの思想の中に認識した「根本的な問い」とは、はたして藤原が主張する
ように、「人間理性による諸価値間のコンフリクトの解決不可能性」であ
ったのか?
141
西永論文の第 3 節は、シュトラウスによれば、ウェーバーの中心的テー
ゼ、本当の争点 the real issue、根本的な問い the fundamental question は、
理性と啓示の対立であったことを説得的に証明している。繰り返して言え
ば、シュトラウスが理解したウェーバーにとっての根本的問いとは、諸価
値間の衝突の人間理性による解決不可能性の問題ではなく、理性と啓示と
の、哲学という自由な知的探究の生と神法に服従する生との調停不可能な
対立(「神がみの闘争」ではなく、神がみと人間理性との闘争)なのである。
それでは西永自身が Natural Right and History の邦訳のタイトルとし
て『自然的正と歴史』を最善であり、正しいと解釈する理由は何であろう
か?彼はそれをはっきり明言しているわけではない。ここでは彼の論文
の 2 箇所だけを参照しておこう。第 1 番目に注目したい点は、まさにウェ
ーバー的な根本的問いである「理性と啓示の対立」すなわち「哲学的生と
宗教的生との対立」において、哲学が啓示の可能性を承認せざるをえない
という事実から、哲学は「唯一必要なこと one thing needful」ではない
かもしれないことを、シュトラウスとともに確認した西永は、まさにここ
でシュトラウスが「正 right」の問題を挿入していることを指摘する。そ
して西永はシュトラウスから次の文章を引用する。「啓示が可能であるこ
4
4
4
4
とを認めることは、哲学的生が必ずしも明らかには正しい生そのもの the
right life というわけではないことを認めることを意味する。哲学、すな
わち人間としての人間にとって利用可能な明らかな知識の探求に捧げられ
た生は、それ自体、明らかではない、恣意的な、あるいは盲目の決断に依
拠するであろう」。そしてここから一気に西永は、彼の論文のタイトル(レ
オ・シュトラウスの M・ウェーバー論における「神学-政治問題」)へ上
昇するのである。
シュトラウスにとって自然的正 natural right とは、哲学(知を愛する
こと)―― 人間が自然的力によって、神的啓示によって支援されない自
律的な理性によって、真理を探求する生き方が正しい生であるかどうか
142
レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
という問いそのものである。そして彼はウェーバーの思想のなかに、正
しい生き方をめぐる理性と啓示との、自由な哲学的生と啓示された神法
への服従的――そしてこの意味において神学-政治的――生との架橋不
可能な対立の問題を見出したのである 15)。
第 2 番目の参照箇所は西永論文の第 4 節の末尾である。そこにおいて、
西永は英語版『スピノザの宗教批判』に付されたシュトラウスの精神的
自伝でもある PREFACE を参照しつつ、近代における哲学と啓示の対決
の遂行された水準を問いつつ(すなわち、理性による宗教批判は本当に
ラディカルであったのかと問いつつ)、それが知的誠実性や意志の行為か
らのものであるかぎり、それは「キリスト教神学によって解釈されるもの
としての聖書信仰の世俗化されたヴァージョン」であるとするシュトラウ
スの見解を確認する。そしてさらに、シュトラウスに依拠しつつ、哲学と
神学との間の「世俗的」闘争は、したがって、知的なものではなく道徳的
なものでしかなかったのだから、「理性の自己破壊は、前近代的合理主義
から区別されるものとしての近代的合理主義の不可避的所産ではないか」
というシュトラウスの疑いを紹介したあとで、西永は Natural Right and
History における第 II 章から第 III 章への移行・展開の必然性の問題へ上
昇して、次のように美しく述べている。
〔理性の自己破壊が、前近代的合理主義から区別されるものとしての近
代的合理主義の不可避的所産=筆者による補い〕だとするならば、哲学
と啓示の、自然的正と神法の対決は継続されるべきものとして、より正
確に言えば反復されるべきものとして放置されている。いや、シュトラ
ウスはそれを彼が理解するものとしての真の審級に差し戻す。『自然的
正と歴史』が第 II 章で終わらないのはそのためである。哲学の可能性を、
そしてそれによって自然的正という問いの可能性を開くために、近代以
前の思想へと、哲学のイデアへと、回帰することによって。表面に戻る
143
ことはそこに留まることを意味しない。洞窟に戻ることが太陽を見ない
ことを意味しないように 16)。
このセクションにおいては、Natural Right and History の邦訳のタイ
トルとして『自然的正と歴史』を最善であり、正しいとする西永論文を
検討した。その過程で PREFACE TO THE 7th IMPRESSION(1971)の
重要性を再確認した。われわれはまた、西永論文が、シュトラウスによ
るウェーバー解釈についての(藤原保信によって代表されるような)理
解に大きな修正を迫ることを指摘しただけでなく、さらにまたその論文
が、Natural Right and History が第 II 章(ウェーバー論)では終わらず
に、第 III 章 The Origin of the Idea of Natural Right「自然的正のイデア
の起原」へと書き継がれなければならい著述の論理の必然性 logographic
necessity を説明する 1 つの試みであることも指摘した。
3.精神の開放性 open-mindedness とシュトラウスの
「歴史」への回帰
シュトラウスのウェーバー解釈に関する「師」の理解への追随から「弟
子」を覚醒させ、さらには彼をして『自然権と歴史』というタイトルの定
着化に抗して『自然的正と歴史』という代替的タイトルを提案させるきっ
かけとなったシュトラウス自身のいま 1 つ重要な文書は、シュトラウス
の ”An Epilogue” が所収されている H・J・ストーリング編『政治の科学
的研究についての諸エッセイ』Essays on the Scientific Study of Politics
(1962 年)に対するジョン・H・シャールとシェルドン・S・ウォーリン
の批評へのシュトラウスのリプライであった。そこから西永は次の 1 箇所
を引用している。マックス・ウェーバーは、「〈啓示〉Revelation の可能性
を真摯に受けとった;ここから、彼の諸著述は、科学 science それ自体を
扱う諸著述でさえ、そしてとくにそれらこそ、顧慮されるべき深さと主張
144
レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
a depth and a claim を所有している。それを、私が信じるに、私は適正
に承認していた;私はあえてこう言う。この特殊な開かれた精神性 openmindedness が、究極的に、なぜ彼が新しい政治科学者ではなかったかの
理由であった、と(『自然的正と歴史』、73 - 76 を参照せよ)」17)。
ここでは西永が注目した「開かれた精神性 open-mindedness」の問題に
簡単に触れたい。まず、シュトラウスはウェーバーの開かれた精神一般に
ついて言及しているのではなく、「この特殊な開かれた精神性」に言及し
ているのである。その含意の 1 つは、ウェーバーはその他の重要な問いに
は必ずしも十分には精神を開いていなかった可能性もあるかもしれないと
いうことであろう 18)。次に、シュトラウスは、いくつかの点で、トゥキ
ュディデスと何人かの思想家、なかんずく、ソクラテス(あるいはマキ
ァヴェッリ)とを比較している 19)。たとえば、『都市と人間』(The City
and Man )の第Ⅲ章の中で、戦闘終結後の戦場における味方の戦死者の亡
骸の収集という「人間味あるしきたり」へのトゥキュディデスの興味関
心は、A・W・ゴム(Gomme)のような近代の「科学的歴史家」にとっ
ては「奇妙な関心」でしかないかもしれないが、「〈正しさ〉Right と〈強
制〉Compulsion という根本的争点に対する」哲学的歴史家 philosophic
historian トゥキュディデスの興味の必然的帰結である、とシュトラウス
は指摘して、
「われわれはここでも再びトゥキュディデスが『科学的歴史家』
よりも開かれた精神の持ち主である、あるいは『科学的歴史家』よりも当
然視することが少ないことを見る」と結論づけている 20)。ただし、この直
前でシュトラウスが、「メロス島へのアテナイの使節たちの――あるいは
ソクラテスの――観点からすれば、死骸の運命はまったくどうでもよい事
柄であろう」21)と述べている事実も忘れるべきではない。
もしも重要な争点に関して当然視することが少ないことが「開かれた精
神」の不可欠の要素の 1 つであるとするならば、シュトラウスの主著の邦
訳のタイトルに関する藤原の未決着の態度や、マイモニデスの主著の英訳
のタイトルに関するシュトラウスの未決着の態度は、両者ともにまさに「あ
145
る特殊な開かれた精神性」という観点から評価されるべきではないだろう
か。藤原の場合には、right を「法」と訳出するのはきわめて問題がある
ことは十分承知していたが、それでもなお Natural Right and History を
読めば読むほど、少なくとも right を「権利」として訳出するのを当然視
することはできなかったのであり、本書を自然権思想の復権を望む書物と
して世の中に紹介する場合の危険よりも、あえて「自然法」を前面に出す
ほうが本書の意図を世の中により正しく伝えると解釈したのではないの
か。『自然法と歴史』という邦訳のタイトルが本書の内容を完全に正しく
伝えるものではないとしても、『自然権と歴史』という邦訳のタイトルよ
りも正しいように藤原には思われたのではないのか、否、もっと正確に述
べれば、より間違いが少ないのである、と。
シュトラウスの場合には、同時代人の書物を英語訳するのではないから
著者本人に著作の意図を確認する方法はなかった。マイモニデスの主著は
はるか遠い昔にすでに著述され、いくつかの言語に翻訳された書物である。
原典とそれらの翻訳資料は古びて保存状態がきわめて劣悪である。しかし
それにもかかわらず、未来に、原典に関して新しい発見があるかもしれな
い可能性は絶無ではないであろう。筆者は本誌の前号で次のように書い
た。「生前のシュトラウスは、マイモニデスの主著がシカゴ大学出版(1963
年)からシュローモ・ピネスによって翻訳されて、Moses Maimonides,
The Guide of the Perplexed として刊行された折に、4 半世紀に及ぶその
著書についての彼自身の研究成果である、“How to Begin to Study The
Guide of the Perplexed ” というタイトルの序論的論文をその翻訳の前に付
した。しかし、シュトラウス自身が 1 巻に纏めて刊行した『迫害と著述
の技法』の第 3 章のタイトルは “The Literary Character of the Guide for
the Perplexed ” であった」22)。
管見のかぎり、シュトラウスが『迫害と著述の技法』の第 3 章で用い
たタイトルを公式に撤回ないし修正したという事実を知らない。それに
もかかわらず、ユダヤ学の、なかんずくモーゼス・マイモニデス研究者
146
レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
の第 1 人者ケネス・ハート・グリーン(Kenneth Hart Green)がシュ
トラウスによるマイモニデス関連の講演や論文を編集した Leo Strauss
on Maimonides: The Complete Writings (University of Chicago Press,
2013) に、 問 題 と な っ て い る シ ュ ト ラ ウ ス の 論 文 を “The Literary
Character of The Guide of the Perplexed ” というタイトルに変更して収
録したことは、編者としての越権行為ではないかというのが、筆者の評価
であったし、そして今でもその評価は変わっていない。
われわれすべては、シュトラウスが晩年、マイモニデスの主著の英語
のタイトルとしては(The)Guide for the Perplexed よりも The Guide of
the Perplexed を好んでいたことを知っている。それにもかかわらず、否、
そうであるからこそ、シュトラウスが自分自身の手で前者の英語のタイト
ルは不適切であると公的に修正していないかぎり、それはそのまま保存さ
れるべきなのである。シュトラウスの煮え切らない態度はむしろ、この争
点をめぐる 1 人の学者としての open-mindedness の 1 つの証しであった
とも解釈しうるであろう。
もしかすると様ざまな種類の「開かれた精神」はそれぞれすべてのひと
に同じ程度に開かれているわけではないかもしれない。しかし、精神の
眼ではなく、肉眼をもってさえいれば、そしてそれを見開きさえすれば
見えてくるシュトラウスのメッセージが Natural Right and History への
PREFACE にはさらにいくつか含まれている。たとえば、シュトラウス
が本書を公刊後にその理解を深めたのは、“natural right” についてだけで
はなかった。彼は “natural right and history” についての彼の理解を深め
てきたと信じていると主張していた。これはいったい何を意味するのか?
とくに、この場合の “history”(の理解)とは何を意味するのか? 1953 年
に本書を出版する前にも、シュトラウスはすでにたとえば、後に『政治
哲学とは何であるか?とその他の諸研究』(1959 年)にも再収録される秀
逸な論文 “Political Philosophy and History” を 1949 年には公刊していた
ではないか?すなわち、本書を出版する時点で、シュトラウスは natural
147
right と history および両者の関係についてすでに一定の深い理解をもっ
ていたはずである。1971 年の PREFACE によれば、natural right に関し
ては、近代的形態のそれはヴィーコ、ホッブズ、およびロックを中心に、
そして過去 10 年間にわたり古典的形態の natural right については「ソ
クラテス」、なかんずくクセノフォンの著述を通してシュトラウスは研究
してきた。それでは、history に関してはどうであろうか?それらの過去
の思想家たちの natural right についての教えを研究することが、同時に
history そのものを研究することを意味するのであろうか?多くの疑問が
残るだけだが、ここでは、それにもかかわらず、確実であると思える 2 点
だけを書きとめておこう。
第 1 に、筆者が繰り返し指摘しているように、シュトラウスの書物は『A
と B』という 2 項対立的なタイトルをもつものが多い。これには、ある研
究対象 X、たとえば「平和」の自然本性 nature の正しい理解は、その反
対のもの、この例では「戦争」の自然本性の正しい理解なしには獲得され
えないというシュトラウスの理解が対応している。「病気と健康」、「男と
女」、
「文明と野蛮」、
「運動と静止」、
「生と死」、
「悲劇と喜劇」
、
「信仰と不信仰」、
「正義と不正義」……。しかしそうであるならば、今日、natural right を
正しく理解するためには、それが、シュトラウス自身も承認しているよう
に、2 つの学派の諸原理によって反対・拒絶されているからには、2 項対
立的タイトルで十分なのであろうか。「実証主義は必然的に歴史主義へと
変容する」23)。言い換えれば、Natural Right and History のタイトルの中
の history は、ある意味では、natural right に対立するもの、反対するもの、
それを隠すもの、すなわち、歴史主義を象徴するものではないのか。歴史
主義の欠陥、すなわち、歴史主義による「歴史」の理解の不十全さ、不十
分さを明らかにするためにも、natural right についての自らの理解を深め
る途上においてシュトラウスは同時に「歴史」へ、歴史研究へ再び帰って
いかねばならなかったということを言おうとしているのではないか。
第 2 番目に確実に指摘できる点は、現在われわれが使っている政治哲学
148
レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
の用語の多くが継承され、受け継がれた inherited もの、すなわち、その
オリジナルな意味の歴史的「変容」transformation の所産であるというシ
ュトラウスの理解である。ディヴィッド・ヒュームの認識論を手がかりに、
シュトラウスは、これを「犬」についてのわれわれの idea がいつの時代
においても first-hand impression の所産であるのに対して、たとえば、近
代的「国家」state の idea は、古代の city(ポリス)の idea の存在とその
正しい理解を前提しないでは十全でありえないと指摘している 24)。「政治
哲学史の学徒とは区別される」現代の政治哲学の学徒は、健全な時代であ
るならば不必要であったであろう、「歴史」研究に、「諸イデアの歴史」研
究に真剣に従事しなければならない。こうして、政治哲学の歴史の研究は
哲学的意味を帯びることになる。シュトラウスはここでも歴史へ回帰して
いく必要があるのである。
The problem of natural right is today a matter of recollection rather
than of actual knowledge. We are therefore in need of historical
studies in order to familiarize ourselves with the whole complexity of
the issue. We have for some time to become students of what is called
the “history of ideas.”25)
4.natural right のライヴァルとしての the divine law
について
西永論文が、シュトラウスが格闘した natural right の問題は、そのラ
イヴァルである the divine law との対決の中でしか正しく理解されえない
と指摘していたことは既述のとおりである。ここでは、シュトラウスの政
治哲学の歴史研究の 1 つの成果、すなわち、「自然法について」という論
文を瞥見することによって、西永の解釈がそれなりの妥当性をもつことを
示したい。
149
シュトラウスは、10のパラグラフから成るその論文を、多くの世紀に
わたって支配的な西洋政治思想の基礎であった自然法は、ローマ・カソリ
ック教徒たち以外のすべての学徒によって今日拒絶されており、その拒絶
の 2 つの根拠は実証主義の諸原理と歴史主義の諸原理(とそれらの混合)
とである、という彼のあまりにも常套的表現をもって開始している。した
がって、自然法は今日第 1 次的には歴史的主題以上のものではない。第 2
パラグラフの次の箇所はわれわれの目的にとって引用する価値がある。
By natural law is meant a law which determines what is right and
wrong and which has power or is valid by nature, inherently, hence
everywhere and always. Natural law is a “higher law” but not every
higher law is not natural. The famous verses in Sophocles’ Antigone
(449-460)in which the heroine appeals from the man-made law to a
higher law do not necessarily point to a natural law; they may point to
a law established by the gods or what one may call in later parlance a
positive divine law. The notion of natural law presupposes the notion
of nature, and the notion of nature is not coeval with human thought;
. . . Nature was discovered by the Greeks as in contradistinction to
art(the knowledge guiding the making of artifacts)and, above all, to
nomos (law, custom, convention, agreement, authoritative opinion).
In the light of the original meaning of “nature,” the notion of “natural
law”(nomos tēs physeōs )is a contradiction in terms rather than a
matter of course. The primary question concerns less natural law
than natural right, i.e., what is by nature right or just: is all right
conventional(of human origin)or is there some right which is natural
(physei dikaion )? . . .The precise issue concerned . . . the status of
that right which is universally recognized: is that right merely the
condition of the living together of a particular society, i.e . of a society
150
レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
constituted by covenant or agreement, with that right deriving its
validity from the preceding covenant, or is there a justice among
men as men which does not derive from any human arrangement? In
other words, is justice based only on calculation of the advantage of
living together, or is it choiceworthy for its own sake and therefore “by
nature”? 26)(下線は筆者のもの)
さて、ソクラテス以前には「普遍的に承認される正しさの地位」をめぐ
る争点に関して 2 つの可能な答えがあったが、それを知るためのわれわれ
の情報は断片的であるか、それとも後代の報告によるしかないとシュトラ
ウスは述べるだけで第 2 パラグラフを閉じている。そして、第 3 パラグラ
フと第 4 パラグラフにおいてはシュトラウスがそれぞれもっぱら natural
right についてのプラトンとアリストテレスの教えを議論している点と、そ
こで議論されている natural right の内実は正しい生き方、正義をめぐる議
論である点を確認しておこう。そして、第 5 パラグラフの冒頭でシュトラ
ウスは次のように述べる。「自然法はストア主義において初めて 1 つの哲
学的テーマとなる。それはそこにおいて第 1 次的には道徳哲学ないし政治
哲学のテーマではなく自然学 physics(宇宙の科学)のテーマとなる」27)。
繰り返しておこう。道徳哲学あるいは政治哲学としての natural right、
少なくともその古典的形態におけるそれは、正しい生き方そのもの the
right way of life が、conventional なものであるのか、それとも普遍的に
承認される正しい生き方、すなわち、「ここ」と「いま」を超える、自然
的な正しさをめぐる問いであった。それは(時間的にも、重要性において
も、そして尊厳においても)第 1 次的には「自然的」権利の問題ではなく、
「自然的」正しさをめぐる問いであった。
それでは「正しい生き方そのもの」をめぐる哲学(者)と divine law
との対決はどうであろうか。われわれはソフォクレスの『アンティゴネー』
(449-460)へのシュトラウスの言及の文脈において、a law established by
151
the gods と a positive divine law という表現が使われている点に当然注目
すべきである 28)。人間は正しい生き方に、(1)ピュシス(nature= 自然)
によって導かれるべきか、(2)ノモス(convention)、すなわち人間たち
の間の合意によって導かれるべきか、それとも(3)神(がみ)によって
導かれるべきか?
哲学が対決しなければならない神法の問題を考える場合に、われわれは
ソクラテスの最期によって、すなわち、彼がアテナイの神がみを信ぜず、
新しい神を導き入れ、そして若者たちを堕落させたという罪でアテナイの
市民たちによって死罪となった事実によってあまりにも圧倒されないよう
に注意すべきであろう。というのも、いかなる神が存在するかがまず大問
題であるからである。この関連においては古代ギリシアにあって、神がみ
の統治する範囲を基準にするならば、少なくとも 4 種類の神がみが存在し
たと信じられていた事実を忘れるべきではないであろう。すなわち、(1)
家いえの神がみ、(2)それぞれのポリスの神がみ、(3)ギリシアの神がみ
(オリュンポスの神がみ)、そして(4)全人類に共通の神がみ(太陽、月、
山、海、大地その他の神がみ)の 4 種類である。哲学者の観点からすれば、
言い換えれば、natural right の観点からすれば、これらの神がみの法は、
正しい人間の生き方を支持するか、否か、それとも人間的事柄には無関心
であるかが最大の争点である。しかし、そもそも the divine law とは何で
あるのか?哲学者の理解する divine law と、一般に受け入れられている
divine law とは同一であるのか、それとも差異があるのか?もし両者が異
なるとするならば、2 つの divine law はわれわれの正しい生き方に、正義
に、それぞれどのような意義をもつのか? 2 つの divine law は相互にど
のような関係があるのか?
これらはあまりにも複雑で大きな問題群であるので、ここでは『都市と
人間』において『ペロポンネソス人たちとアテナイ人たちの戦争』を解釈
しつつ、シュトラウスが、「運動と静止との相互作用〔相互の戯れ〕」とし
ての「神法」というトゥキュディデス自身の理解を示している点と、その
152
レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
ように理解された「厳格な意味における神法」と、「通常の理解における
神法」とがどのように関係するのかという問いの光のもとにトゥキュディ
デスの作品を研究しなければならないと主張している点だけに読者の注意
を喚起しておこう。
If motion and rest are the most ancient things, they will transcend
or comprise the gods . . . . His archeology leaves one wondering
whether the gods could have been anything for him but immensely
magnified barbarians of the remote past. If this should prove to be
correct, the divine law to which he refers so powerfully cannot be a
law laid down by any god; its origin and hence its essence becomes
altogether obscure. If however the divine law properly understood is
the interplay of motion and rest, one must study his work in the light
of the question of how that divine law is related to the divine law in
the ordinary understanding . 29)(イタリックスは引用者のもの)
シュトラウスの政治哲学について論じるすべてのひとが、彼にとって「神
学-政治的問題」が生涯にわたって唯一の問題 the problem であり続けた
ことを知っている。しかし、(様ざまな)神法との、あるいは神的なもの
the divine との対質なくして、哲学者にとってその問題はアクチュアルな
ものとは成りえないことを知っているひとはどれだけいるのだろうか?い
わゆる「ユダヤ人問題」はたしかに「神学-政治的問題」を現代世界にお
いて最も鋭く象徴するものであり続けているが、「神学-政治的問題」は
シュトラウスにとってもすべての思考するひとにとっても「ユダヤ人問題」
には収斂されないはずである。『都市と人間』を閉じるにあたって、シュ
トラウスが「哲学的歴史家」トゥキュディデスの章を次の文章で閉じてい
るのは、彼の「ある特殊な開かれた精神性」を示すものであろう。
153
For what is “first for us” is not the philosophic understanding of the
city but that understanding which is inherent in the city as such,
in the pre-philosophic city, according to which the city sees itself as
subject and subservient to the divine in the ordinary understanding
of the divine or looks up to it. Only by beginning at this point will
we be open to the full impact of the all-important question which is
coeval with philosophy although the philosophers do not frequently
(下線は引用者のもの)
pronounce it---the question quid sit deus. 30)
5.聴衆の多様性、読者の多層性、そして用語の多義
性(あるいは訳者の責任)
シュトラウスの Natural Right and History はもともとシカゴ大学にお
ける一連の講演がその原型であった。すなわち、彼は一群の聴衆に向かっ
て語りかけた、つまり口述したのである。いつ、どこで、誰に、何につい
て、なぜ、そしていかなる仕方で語り手が口述するのかは重大な問題であ
る。シュトラウスが語りかけた聴衆の量と質はどうであったろうか?(彼
の講演が共産圏の大学でなされることは論外であった。)ドイツ観念論の
圧倒的影響のもとに「歴史的意識」に慣れ親しんだドイツの思想界に向か
ってではなく、natural right の思想がなおも生き続けているように思われ
るアメリカの大学でこのテーマについて講演できたのは、ある意味で、彼
にとって幸運であったかもしれない。しかし、彼はそれらの聴衆が多様で
あること、すなわち、アメリカの一般民衆はともかくとして、社会科学者
の中にはすでに第 2 次世界大戦の戦敗国の学問的精神的影響下にある人び
とが多く存在していることも知っていた。合衆国の独立宣言の諸命題を自
明である self-evident とはみなさない知的に洗練された聴衆もいたのであ
る 31)。
さて、真理の伝達の仕方おける口述(講演や講義も口述の 1 形態である)
154
レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
と著述とにはそれぞれのメリットとデメリットがある 32)。ここでは真理の
探究とその伝達における著述の口述に対する優位性についてのみ考え、そ
れらを指摘しておく。講演は通常 1 回限りであり、真理はそれがなされた
場所に居合わせることのできた幸運な人びとにしか届かない。しかも、多
くの場合に、講演者の語る言葉を理解できる人びとにしか届かない。真理
は口から耳を介して伝達される。他方において、著述された講演は、まず
そのような時間的制限を超えて、いわば未来の読者と(同一の)読者の未
来とに開かれており、それがさらに翻訳される(少なくとも人間的に可能
かぎり精確に翻訳される)ならば、言語と空間との壁を超えてグローバル
に読みつがれる可能性にも開かれている。真理は手から目を介して伝達さ
れる。
口述に対する著述の相対的優位性は、しかしながら、読者は同じ書物を
何度も繰り返し読むことができる、そしてこのゆえに何度も熟慮・反省す
ることができるという点に存するであろう。すなわち、注意深い読者の理
解力は進歩する可能性に開かれている。その含意の 1 つは、著者にとって
理想的な第 1 次的な読者、名宛人とは、彼女の著書を何度も開く時間をも
つ若い人びとであるという点である――ソクラテスの理想的な話し相手が
老人ケパロスではなく、グラウコンやアデイマントスのような若者であっ
たように(死を間近に控え死後の世界に心を奪われる老人には宗教教育が
必要であろうが、liberal education が意味をもつのは若者に対してだけで
あろう)。
著者にとっての一縷の希望である、若い読者の読解能力(学習)におけ
る進歩・前進、すなわち、眼差しの上昇に関連して、ここでも『都市と人
間』に触れたい。シュトラウスは『ペロポンネソス人たちとアテナイ人た
ちの戦争』の著者にとっての第 1 次的名宛人たちとは「未来の何世代もの
ニキアスたち」であると解釈しているが、しかし、彼らの中に「ニキアス」
を超えて、その眼差しをもっと高く掲げる者がでてくることをトゥキュデ
ィデスとともに期待している。
155
ニキアスの独自の意義は、彼は大胆さの都市にあって節度の優れた代表
者であるという事実に存する。自らの軍事的名声と縁起 omens とに関
心をもつ敬虔な紳士の将軍としてニキアスはまた、その作品がなかんず
く戦争と縁起を取り扱っているトゥキュディデスによって第 1 次的に名
宛されている読者たちの種類 class を代表している(中略);その作品
が最も善く理解されるのは、ひとがそれを未来の何世代ものニキアスた
ちに、彼らの都市の潜在的大黒柱たちに第 1 次的に名宛されているもの
として読む場合である、彼らはもちろん、あのように数多くの戦闘なら
びに縁起のゆえにあのように偉大であった最大の戦争についての説明に
魅了されるであろう。それらの第 1 次的な名宛人たちの中には、ニキア
スを超えて彼らの視界を上げることすなわち上昇することを学ぶことの
できる者がいるであろう。その上昇は第 1 に、ニキアス以外の男たちに
ついての、すなわち、テミストクレス、ペリクレス、ブラシダス、ペイ
シストラトス、アルケラオス、ヘルモクラテス、およびアンティフォン
についてのトゥキュディデスの明示的な賞賛によって導かれるであろう
(中略)。しかしそれはさらにまた最終的には、デモステネスとディオド
トスについての、沈黙のうちにのみ伝達されるトゥキュディデスによる
賞賛によって導かれるであろう 33)。
このようにして、真理の伝達、普遍的なものの伝達は、著者の側からの、
あるいは読者の側からの一方的な努力、営為としてではなく、著者と読者
との協働的営みとして遂行されるコミュニケーションなのである。すなわ
ち、著者による教えること teaching と読者による学ぶこと learning は、
「一
定の種類の文字を媒介とする教育 literate education of a certain kind」と
して遂行される liberal education、つまり「文字における in letters ある
いは文字を介した through letters ある種の教育」なのである 34)。「知恵の
何たるかを読むことによって学べ」という大カトーの格言は今に真理であ
156
レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
る。
しかし、人間は必ずしも同国人、同郷人の思想によってのみ教育されて
きたわけではない。留学をしなくても、外国語が読めなくても、翻訳され
た書物を読むことによってわれわれは多くの海外の知識を獲得することが
できる。こうして翻訳者の役割、責任の重要性が強調されることになる。
翻訳をめぐっては、意訳が良いか、直訳(逐語訳)が良いか、などいろい
ろ問題がある。しかし、哲学書に求められる唯一の美徳は真理の探求とい
う目的に資するための正確な訳である。一度翻訳された書物が、再度同一
の訳者によって改訳されたり、あるいは、別の訳者によって新訳されて出
版されている事実は、訳者の側における訳出された書物についての理解の
進歩の可能性を証明するものであろう。ここで「可能性」と断ったのは、
より後に現れた新しい翻訳が前に現れた古い翻訳よりも優れている、すな
わち、より正確であると保証はないという点に注意を促すためである 35)。
改訳あるいは新訳には訳者の翻訳力の高まりが反映されているだけでな
く、取り上げられた著者についての各国における研究ないし理解の深まり
と広がりが反映されていることも期待される。わが国における 2010 年代
のシュトラウス研究の水準が 1980 年代のそれよりも進歩していることは、
シュトラウスの翻訳書や彼についての研究書が刊行されるようになっただ
けでなく、西永論文の出現 1 つをとっても明らかである。
Natural Right and History をめぐるシュトラウス自身の著述の技法に
関して一言述べるならば、PREFACE TO THE 7th IMPRESSION におい
て modern natural right について彼の理解が深まったことを知ってもら
うために読者に参照を促している論文の 1 つは、彼の「ロックの自然法の
教説」であった。その論文においてシュトラウスは、ロックが「道徳法」
としての「自然法」と「物理的法則」としての「自然法則」とがともに英語
で同一の natural law という用語で表現されるという曖昧な点を巧みに利
用して、自己の思想を滑り込ませていったことを見事に論証している 36)。
Natural Right and History そ れ 自 体 に お い て シ ュ ト ラ ウ ス は natural
157
right という英語が、
「自然権」
(自然的権利)と「自然的正しさ」
(自然的正)
との 2 つの異なった idea(イデア)を表現しているという曖昧な点を巧
みに利用して、natural right(の歴史)について自己の精確な理解を忍び
込ませることを試み、そしてそれにかなりの程度成功したと言えるであろ
う。ここに natural right についての精確な理解とは、シュトラウス自身
の独断と偏見に基づく知見ではなくして、政治哲学の歴史についての彼の
長期にわたる粘り強い集中的な研究の成果であった。哲学者の観点からす
れば、natural right の始原的意味は、the right way of life は哲学的生で
あるのかという問いであったという哲学史的(再)発見であった。“Natural
right” is an ambiguous term.
最後に、Natural Right and History をめぐるシュトラウス自身の読解
の技法に関して一言述べるならば、注意すべきは、本稿の第 1 セクション
で検討したシュトラウスの「自然法について」論文も示しているように、
シュトラウスがホッブズの政治哲学の「新しさ」を発見しえたのは、まさに、
自然法という伝統的教えの中に、自然法の歴史の中に、それをおいて考察
したからであるという事実である。このことの含意の 1 つは、ホッブズの
使用する natural right という用語はたしかに「自然的権利」=「自然権」
を意味するものであり、そしてそれは近代政治哲学の出発点の 1 つではあ
りえても、what is by nature right = natural right の諸イデアをめぐる思
索の伝統ないし歴史の出発点ではないということである。近代人には近代
のほんとうの新しさが理解できないのである。
(政治)哲学の歴史の叙述にかぎらず、およそあらゆる歴史叙述におい
て最も困難で重要な問題は、
「いかなる観点」
・
「誰の観点」から対象を眺め、
評価し、そして記述するのかという問題である。周知のように、シュトラ
ウスはマキァヴェッリの哲学の新しさを理解するためには、マキァヴェッ
リをマキァヴェッリの後から(すなわち、近代や現代の観点から)見るの
ではなく、マキァヴェッリの前から(すなわち、古代や中世の観点から)
見なければならないと主張していたのである 37)。もしもシュトラウスの
158
レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
Natural Right and History が natural right の諸イデアの歴史 “History of
Ideas of Natural Right” としても読解可能であるとするならば、その場合
には、本書の第 III 章(と第 IV 章と)をホッブズ的近代的 natural right
の理解を出発点にして、すなわち natural right= 自然権であると想定して、
読み始めることは厳に慎むべきであろう。当然視することを少なくして、
すなわち、精神を開いて、第 III 章を読み始めるならば、その章の表題の
中の “natural right” も、その章の第 1 センテンスの “natural right” も、
「自
然的正しさ(自然的正)」として読解することが可能である、否、そのよ
うに読解することが必要であり、望ましくさえあることもみえてくるので
はないであろうか。というのも、その第 1 センテンスは、To understand
the problem of natural right, one must start, not from the “scientific”
understanding of political things but from their “natural” understanding.
. . , という文章で開始しているからである。natural right の問題への(近
代的)「科学的」政治哲学の唱導者ホッブズ的アプローチは峻拒されねば
ならない。
これらのシュトラウスの著述の技法と読解の技法とを総合して勘案す
るならば、シュトラウスにおいて、modern natural right の伝統は、一方
において、伝統的 natural law の近代的「変容」として解釈することが可
能であり、その伝統はまた、他方において、より根本的には、(classic)
natural right の近代的「変容」としても解釈することが可能である、否、
そのように解釈する必要があるのである。
6.結論
本稿においては、シュトラウスの Natural Right and History の邦訳の
タイトルとして 3 つのライヴァル候補が存在することを確認すると同時
に、それぞれの邦訳のタイトルを正当化する根拠を検討した。もちろん、
翻訳のタイトルは原著のタイトルの直訳でなければならないという鉄則は
159
ないが、本書の場合、natural right という用語は本書の内容を示す鍵とな
る用語であるだけでなく、おそらくシュトラウス政治哲学の全体、否、彼
の哲学そのものといってもよいほどの重要性を有する用語である。したが
って、本書の邦訳のタイトルは natural right によってシュトラウスが何
を根本的問題として議論しているかを最低限示すものである必要がある。
本稿における考察によって筆者は、『自然法と歴史』、『自然権と歴史』、お
よび『自然的正(自然的正しさ)と歴史』の中では、最後に登場した邦訳
のタイトルへの選好を表明した。
注
1)Moses Maimonides, The Guide of the Perplexed, trans. Shilomo Pines
(University of Chicago Press, 1963)
, vol. 1, p.5.
2)Leo Strauss, “How to Study Medieval Philosophy” in Leo Strauss on
Maimonides: The Complete Writings . Edited with an Introduction by Kenneth
Hart Green(University of Chicago Press, 2013)
, p.109.
3)藤原保信『政治理論のパラダイム転換――世界観と政治――』(岩波書店、1985
年)、8 頁と 18 頁を参照せよ。なお、Natural Right and History の部分訳が谷
川昌幸訳「自然法と歴史(一)」『同志社法学』(1976 年)142 号、「自然法と歴
史(二)」(1976 年)143 号として発表されていたことを藤原はもちろん知って
いた。
4)西永亮「レオ・シュトラウスの M・ウェーバー論における『神学-政治問題』
――『自然的正と歴史』Natural Right and History 第 II 章の再検討――」『政
治哲学』第 16 号(2014 年、2 月)、18-36 頁。なお、この論文は、前年の 2013
年 9 月 14 日(土)北海道大学で開催された「第 23 回政治哲学研究会」におけ
る西永の同一のタイトルでの報告を敷衍したものである。Natural Right and
History を『自然的正と歴史』としてわが国において一貫して紹介し続けている
のは中金聡である。たとえば、M・オークショット『リヴァイアサン序説』(法
政大学出版局、2007 年)の訳者である中金聡の「解説 ホッブズとオークシ
ョット」(232-233 頁など)や、中金聡「快楽主義と政治 ―― レオ・シュトラウ
スのエピクロス主義解釈について――」『政治哲学』第 9 号(政治哲学研究会、
160
レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
2010 年)、63-64 頁、77-79 頁、78 頁の注 26、および 90-91 頁などを参照せよ。
さらに、拙稿「グローバリゼーションは哲学の『普遍化』に寄与しうるか?―
―レオ・シュトラウスを導きにして――」『アルケー』第 22 号(関西哲学会、
2014 年)も Natural Right and History を『自然的正と歴史』として言及してい
る。ただし、中金も飯島もその時点では、その邦訳のタイトルが『自然権と歴史』
や『自然法と歴史』よりも優れている、あるいはより正確であることを説明な
いし証明しようと試みてはいない。対照的に、西永論文の独自性と重要性とは
まさにそれを試みている点であり、しかも本書全体の検討からではなく、その
第Ⅱ章の精緻な分析のみからそうしている点である。
5)中金聡「[解説]ベルトラン・ド・ジュヴネルの政治哲学」、中金聡・関口佐紀訳、
ベルトラン・ド・ジュヴネル『純粋政治理論』(風行社、2014 年)、319 頁。
6)太田義器「プーフェンドルフの自然法について」、飯島昇藏・中金聡・太田義器
編著『「政治哲学」のために』(行路社、2014 年)、239 頁。
7)Leo Strauss, “On Natural Law,” in his Studies in Platonic Political Philosophy
(University of Chicago Press, 1983)
, pp.137-146(reprinted from International
Encyclopedia of the Social Sciences , D. L. Sills ed., Crowell Collier and
Macmillan, 1968, vol. 2, pp.80-90)
.
8)塚崎智「訳者あとがき」、レオ・シュトラウス『自然権と歴史』(昭和堂、1988 年)
404-405 頁;『自然権と歴史』(ちくま学芸文庫、2013 年)、486-487 頁。
9)石崎嘉彦「訳者あとがき」(昭和堂、1988 年)403 頁;(ちくま学芸文庫、2013
年)、484-485 頁。
10)塚崎智「訳者あとがき」、(昭和堂、1988 年)405 頁;(ちくま学芸文庫、2013
年)、487 頁。
11)添谷育志・谷喬夫・飯島昇藏訳、レオ・シュトラウス『ホッブズの政治学』(み
すず書房、1990 年)、ii 頁。
12)Leo Strauss, “PREFACE TO THE 7th IMPRESSION(1971)
” to his Natural
Right and History(University of Chicago Press)
, p. vii. “politivist”を“positivist”
と読むという判断は、シカゴ大学のネイサン・タルコフ教授に従ったものであ
る。この誤植 misprint に関するタルコフと飯島の e-mail の情報交換(2014 年
5 月初旬)は西永によっても確認された。また拙訳にあたっては厚見恵一郎早
稲田大学教授から貴重な示唆をいただけたことに感謝する。
13)拙稿「訳者解説:『古代人たちと近代人たちの論争』の緊急性の再発見とその
161
論争の公平な遂行とのために―― One cannot ignore Strauss with impunity―
―」『政治哲学』第 12 号(政治哲学研究会、2012 年、2 月 29 日)、24-27 頁、
および拙稿「『政治哲学とは何であるか?とその他の研究』の完全邦訳の意義」、
飯島ほか訳『政治哲学とは何であるか?とその他の研究』(早稲田大学出版部、
2014 年)、とくに 350-359 頁を参照せよ。なお、Natural Right and History に
ついての藤原の解釈のみならず、シュトラウス政治哲学全体についての藤原の
解釈の問題性を示唆すべく、拙稿「シュトラウス―― 著者の責任と読者の責任
と――」岩波講座『政治哲学』4(岩波書店、2014 年)の「参考文献」に、“PREFACE
TO THE 7th IMPRESSION(1971)” と、藤原保信「レオ・シュトラウスのこと」、
『学問へのひとつの道 ―― 働くことと学ぶこと』(私家版、1995 年)を挙げて
おいた。
14)西永、前掲論文、21 頁。
15)西永、前掲論文、30 頁。ここで西永が「神学-政治的」生を啓示に導かれた信
仰者の生、神学の領域にのみ妥当するかのような表現をしている点には筆者は
同意しえない。この点は、西永だけでなくわれわれすべてが、スピノザの主著
の 1 つのタイトルにヒントえてシュトラウスによって命名された「神学-政治
的」問題の内容を正しく理解しているかに関連する重要な点である。シュトラ
ウスにおける「神学-政治的問題」についての最も簡潔な説明として、ネイサン・
タルコフとトマス・パングルの共著論文「レオ・シュトラウスと政治哲学の歴
史」から以下を引用しておこう。「プラトンがソクラテスのデルフォイの神託
との邂逅についての彼の説明によってきわめて生き生きと示しているように、
そしてマイモニデスが『迷える者の導き』という彼の主著のまさにタイトルに
よって暗示しているように、われわれの迷いは宗教的諸権威にわれわれが単に
頭を垂れることによっては解決されえない。というのもそれらの権威の諸宣言
や諸命令さえ―― それらが託宣によって伝達されようと、聖書によって伝達さ
れようと、あるいは詩人の韻文によって伝達されようと――、いくぶん謎めい
ているからである。すなわち、それらは人間の解釈を要求する。そして公式の
解釈者たちは意見を同じくしない。最も悪いことには、多くの相互に排他的な
あるいは少なくも敵対的な神がみあるいは神がみと称されるものと神的法典と
が存在する。異なる神的権威の間の軋轢は単に「神学的」論争であるだけでは
ない。つまり、それらは同時に競争する道徳的政治的体系ないしレジームの間
の軋轢であり、それぞれの正義と正しい生き方についての観念は互いに衝突す
162
レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
るのである。さまざまな神がみと、神がみと称されるものとは、正義と正しい
生き方のさまざまな解釈を保証する者となり支持する者となる。「神学的問い」
(神がみは存在するのか、いかなる神がみが存在するのか)はそれゆえ、スピ
ノザが強調したように、より適切には「神学的-政治的」問いと名づけられる。
すなわち、神学的問いは、正義の問いの一部である、あるいはいずれにして
もその問いと絡み合っている」。拙訳『思想』(岩波書店、2013 年)、no. 1070、
43-44 頁。Nathan Tarcov and Thomas L. Pangle, “Epilogue: Leo Strauss and
the History of Political Philosophy,” in Leo Strauss and Joseph Cropsey, eds.,
History of Political Philosophy , 3rd edition(University of Chicago Press, 1987)
,
p.921.
16)西永、前掲論文、pp.33-34. 強調は筆者のもの。
17)西永、前掲論文、p.20.
18)実際、西永論文の第 5 節「ウェーバーと『政治哲学』―― いかにコンフリクト
を扱うべきか」は、一方におけるウェーバーの神学 ― 政治問題への(理論的)
open-mindedness と、他方における、現実の政治問題に対して sensible な判断
の持ち主であったウェーバーの社会科学者としての社会的諸問題に対する実践
的解決における extremism(節度のなさ)の緊張関係を示唆している。
19)たとえば、西永亮「レオ・シュトラウスにとっての『クルト・リーツラー』と
いう問題 ―― 哲学と人間的なもの」、第 4 節「リーツラーとトゥキュディデス、
そしてソクラテス」、『「政治哲学」のために』、340-342 頁を参照せよ。シュト
ラウスによる、トゥキュディデスとマキァヴェッリとの対比に関しては、た
とえば、Leo Strauss, Thoughts on Machiavelli(University of Chicago Press,
1958)
, p.292[飯島昇藏・厚見恵一郎・村田玲訳『哲学者マキァヴェッリについて』
(勁草書房、2011 年)、335 頁]を参照せよ。
20)Leo Strauss, The City and Man (University of Chicago Press, 1964)
, p.208,
note 70. 強調は引用者のもの。本書の邦訳が法政大学出版局より刊行の予定で
ある。
21)Ibid .
22)拙稿「哲学において師は弟子をどの程度までコントロールできるか ――レオ・
シュトラウスの場合 ――」『武蔵野大学政治経済研究所年報』第 8 号〈2014〉、
137 頁。
23)Leo Strauss, “What Is Political Philosophy?” in his What Is Political
163
Philosophy? and Other Studies (University of Chicago Press, 1959)
, p.25(以
下においては WIPP? と略記する)
. 石崎嘉彦・近藤和貴訳「政治哲学とは何で
あるか?」、飯島昇藏ほか訳『政治哲学とは何であるか?とその他の諸研究』
(早
稲田大学出版部、2014 年)、17 頁。
24)Leo Strauss, “Political Philosophy and History,” in WIPP? , pp. 74-75. 石崎嘉彦
訳「政治哲学と歴史」、
『政治哲学とは何であるか?とその他の諸研究』、70-72 頁。
25)Leo Strauss, Natural Right and History (University of Chicago Press, 1953)
,
p.7.
26)Leo Strauss, “On Natural Law,” pp.137-138.
27)Ibid ., p. 140.
28) シ ュ ト ラ ウ ス は、natural law は the eternal law と “the divine law, i.e . the
positive law contained in the Bible” とから明晰に区別される、と述べている
(ibid ., p.142)
29)Leo Strauss, The City and Man , pp.160-161.
30)Ibid ., p.241.
31)M・エリアーデはシカゴ大学時代のシュトラウスの同僚であるが、彼にとって
良き読者の 1 人であったであろう。
「マックス・ヴェーバーにとっては大切な《客
観主義》に対してレオ・シュトラウスによってなされた反駁を思い出す。シュ
トラウスは学者たちに、強制収容所の正確で厳密な社会学的分析はこの社会現
象の深い意味を表現しているのかと問うた。レオ・シュトラウスは強制収容所
の正しい提示はそれらへの判断も含意していることを示した」。M・エリアー
デ著、石井忠厚訳『エリアーデ日記―― 旅と思索と人――』(未来社、1986 年)、
209 頁。これは 1963 年 11 月 5 日の日記である。
32)拙稿「シュトラウス―― 著者の責任と読者の責任と――」、239-241 頁を参照せ
よ。
33)Leo Strauss, The City and Man , p.202, note. 68
34)Cf. Leo Strauss, “What Is Liberal Education?” in his Liberalism Ancient and
Modern(Basic Books, 1968)
, p. 4.
35)古典学の泰斗、故ディヴィッド・グリーンはトゥキュディデスの英語訳として
は、The Peloponnesian War, Thucydides, The Complete Hobbes Translation ,
With notes and a new Introduction by David Grene(University of Chicago
Press, 1989)を、それが “the greatest translation of Thucydides in English”
164
レオ・シュトラウスのNatural Right and History の邦訳のタイトルについての覚え書き
であるがゆえに強く推奨している。そしてホッブズによる翻訳と、その翻訳に
付された彼の序論と献辞のエッセイとは、ホッブズ自身を研究するうえで興味
深い貢献をなすであろうと指摘している。ホッブズがトゥキュディデスの翻訳
書を出版したのは 1628 年であり、彼が 40 歳の時であった。
36)Cf. Michael Zuckert, “Strauss on Locke and the Law of Nature,” in Rafael
Major ed., Leo Strauss’s Defense of the Philosophic Life: Reading What Is
Political Philosophy?(University of Chicago Press, 2013)
, pp.153-172.
37)
「マキァヴェッリを正当に扱うことは、ひとにつぎのことを要請する。すなわち、
古くなり、われわれ自身のものとなり、そしてそれゆえにほとんど善いものと
なっているマキァヴェッリを、今日から振り返ることではなく、むしろ新しく
そして馴染みのないまったく予期せざるマキァヴェッリを、前近代の観点から
見はるかすことである」。Leo Strauss, Thoughts on Machiavelli , p.12. 邦訳、5
頁。
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