名古屋自由学院創立50周年記念国際シンポジウム 名古屋芸術大学音楽学部 学術交流協定締結校によるシンポジウム 21世紀における音楽の展望 st Perspectives of Music in the Century: 21 Music Schools between Tradition and Renovation in the Globalization of the World シンポジウムの概要 中河 豊(シンポジウム・コディネーター) 本シンポジウムのテーマは、21世紀における音楽を展望するという大きなものでした。このテーマを 設定したのは、まず日本のコンテクストにおいて音楽を含む文化の構造が変化しつつあると認識したから です。日本の音楽大学はヨーロッパのクラシック音楽を核として教育カリキュラムが構想されてきました。 ヨーロッパのクラシック音楽が音楽文化を代表する「高級文化」であると前提されていたわけです。しか し、現在は世界のグローバル化とともにクラシック音楽の危機がかたられており、この文化構造が変化し つつあるように思われます。この問題意識は、中河による問題提起の文書において表明されました。そこ では、以下の4点を問題点として指摘しました。 1 文化が「高級」と「低級」へと区分される文化構造はもはや支配的ではない。 2 地域の文化と音楽はクラシック音楽と並んで重要である。 3 音楽の絶対的な無機能の理想は、音楽の機能を用いようという人々の挑戦を受けている。したがって、 音楽を全体として考察する必要がある。 4 テクノロジー的発展は多くの人々が参加できる新たな文化を形成するために役立つ。 1は、ヨーロッパのクラシック音楽が「高級文化」として位置づけられ、それ以外の文化が「低級文化」 とされた構造が変化していることを日本における状況として指摘しています。 2は、グローバル化の中で地域文化の問題が重要な焦点となっていることを述べています。 3は、ヨーロッパのクラシック音楽とともに発展した美学が芸術としての音楽を音楽の機能から切り離 した点をふまえ、音楽を機能も含めた全体として把握する必要を主張しています。 4は、テクノロジーを肯定的に評価する視点を明らかにしています。 この指摘は日本の状況から出発したものでありましたが、報告者の所属する文化状況とそれに対する立 場に応じて異なる反応を引き出すことになりました。たとえば、ウエートリー氏は、中河の指摘した傾向 がオーストラリアにおいても現実であると認め、これを議論の枠組みとして報告を行いました。 ベルギーのクラーンス氏は、中河の問題提起を状況の客観的分析として受けとめ、ベルギーにおける文 化状況を分析しました。その結果、グローバル化の中で東ヨーロッパおよびアジアの文化の影響がある事 実、また音楽の様々なジャンルを超えたクロスオーバーなプロジェクトあるいは他の文化領域とのコラボ レーションが現在の潮流となっている事実を指摘しています。 同様に、アメリカのマロイ氏は、作曲家たちが境界線を消し去って、エリート文化をポピュラー文化と 結合し、非西洋の伝統を西洋の伝統と、音楽を他のメディアと結合する傾向を指摘します。 クラシック音楽に関しては、クラーンス氏の分析によっても「芸術音楽」としての「クラシック音楽は もはや支配的ではありません」との確認がなされ、マロイ氏によっても非商業音楽に対する聴衆の少なさ が指摘されています。また、後に述べるオーフェンバウアー氏もオーストリアにおける音楽の発売に占め る芸術音楽の割合は5パーセントであると紹介しています。 ところで、中河の文書はクラシック音楽に対する否定的な立場を表明している訳ではなく、むしろ文化 の構造が変化している事態への指摘であり、客観性を意図したものでした。しかし、ある報告者たちは、 中河の文書の中にクラシック音楽への否定的な評価あるいはその将来への悲観的見通しを読み込む傾向が ありました。中河の問題提起の中にクラシック音楽に対する否定的な含意を読み取り、これに独自の仕方 で応えようとしたのがフランスのウラドコフスキー氏とオーストリアのオーフェンバウアー氏です。 ウラドコフスキー氏は、音楽文化の伝統あるいは遺産について語りました。氏は音楽の精神的次元ある いは歌心の次元を指摘することによって、革新は一時的な熱狂(fad)に陥ることなく伝統の枠内で行われる 必要があるとします。氏は「芸術テクニックの精神化」を支える内面性を強調しています。 これは中河の文書にクラシック音楽への否定的評価を読み込み、これに反論するものでした。氏は事前 に2種類の報告を準備していました。シンポジウムでは用いられなかった報告では明確に「音楽あるいは 芸術は外部あるいは経済的コンテクストで判断または分析されてはいけない」とあります(参考資料参照) 。 これは音楽の商業的利用に関する中河の指摘に対する芸術の立場に立った反論となっています。 オーフェンバウアー氏は、 「芸術の終焉」というヘーゲルの見解に触れながら、芸術家としての作曲家の 消滅という問題提起を行いました。氏は中河の文書から芸術音楽の将来への悲観的見通しを読み取り、こ れを芸術家としての「作曲家の消滅」という自分自身の論理的枠組みの中に組み込みました。 クラシック音楽あるいは芸術としての音楽(これはシンポジウムではほとんど同義として用いられま した)の問題と同時に、大きな論点はデジタル技術の問題でした。一方ではオーフェンバウアー氏とマロ イ氏に見られるように芸術創造にこの技術(特に記譜システム)を応用することの限界あるいは問題が指 摘されるとともに、他方ではウエートリー氏のように、大学経営の観点からここにむしろ将来の可能性を 見る立場も表明されました。 シンポジウム当日には内容をふまえて以下の順序で報告が行われました。 1 ミカエル:ウラドコフスキー教授 2 アラン・クラーンス教授 3 クリス・マロイ教授 4 クリスティアン・オーフェンバウアー教授 5 グレッグ・ウエートリー教授 まず、ウラドコフスキー氏の問題提起により、伝統と革新をシンポジウムの主題として確認しました。 次に、クラーンス氏の報告によりベルギーにおける音楽状況を明らかとし、これを問題状況に関する共通 認識としました。さらに、この状況に対する作曲家の答えとしてマロイ氏の報告が行われ、問題解決への ひとつの方向性が提示されました。その後に、オーフェンバウアー氏の芸術としての音楽に対する否定的 な見方の問題提起が行われました。最後に、ウエートリー氏のマネージメント科学の立場からグローバル 化への処方箋が提供されました。 時間制約の問題からシンポジウムでは十分な討論の時間が確保できなかったため、 「芸術としての音楽は 生き残れるか」を焦点として簡単な意見交換を行いました。これについては、ただオーフェンバウアー氏 のみが否定的見解を表明しました。彼は芸術の終焉という歴史的哲学的な立場から芸術としての音楽の将 来について今後を見守りたいと発言しました。これとは対照的にウラドコフスキー氏は「人間の本質的な 創造性」を根拠にして芸術としての音楽への希望を表明しました。クラーンス氏とマロイ氏は「伝統」を 尊重する革新、あるいは「高級文化」の成果を引き継ぐ革新によって生き延びると発言しました。最後に、 ウエートリー氏はマルチサイトを介した高品質な教育プログラムの提供によって芸術としての音楽が生き 延びるとの展望を述べました。 この中で明らかとなった問題点は、 「芸術としての音楽」との概念です。シンポジウムの事前の打ち合わ せにおいてクラーンス氏がこの概念の定義に関する問題の指摘を行いましたが、結果的にはそれぞれの理 解に委ねられました。したがって、 「芸術としての音楽は生き残れるか」の論点に関しても、報告者の理解 が異なっている余地があります。 シンポジウムで提起された問題点あるいは主題は今後検討されるべきものです。今回のシンポジウムは 問題の深化というよりも、問題の提起という性格を持つものでした。いずれにしても、中河による文書を きっかけとして5名の教授の報告が組織され、それぞれの見解が提示されたことは大きな成果であったと いえます。シンポジウムは、ウラドコフスキー氏がシンポジウムでは紹介しなかった報告から中河が以下 の文を報告者全員の共通認識として確認して終了しました。 コンサート音楽の極限の力は、単なる美にあるのではありません。むしろそれは、真理、すなわち生へ の理想的な態度、人間生活における闘争、状況、感情、英雄主義、愛といった事柄の理想化、これとの対 話の中にあるのです。 21世紀における音楽の展望 世界のグローバル化における伝統と革新の間にある音楽学校 中河 豊 このシンポジウムのテーマは、 「21世紀における音楽の展望:世界のグローバル化における伝統と革新 の間にある音楽学校」とされています。ところで、音楽の未来はその音楽が存在しているコンテクストに 依存して様々な形で発展すること、グローバル化がこうした発展の方向性を決定する枠組みであること、 これがここで前提されています。ここではグローバル化は自由市場経済の世界的規模での拡大としてでは なく、文化的交流とコミュニケーションとしてとらえておきます。また、デジタルテクノロジーが以前に は少数の人間にのみ可能であった音楽的経験を多くの人々に与えることができるかぎりで、これに注目し たいと思います。我々はこのテクノロジーを文化的観点から考察する必要があります。 このように、本シンポジウムでは様々なコンテクストから考察する音楽の展望について意見交換したい と思います。 私は、文化構造の歴史的変化が日本では起こりつつあると考えます。グローバル化の中で日本人の文化 的好みは多様化してきています。日本では音楽教育における音楽の標準はヨーロッパのクラシック音楽で した。これは「高級な文化」を代表するものと考えられてきました。しかし、日本の伝統音楽は日本人の 新たな世代を惹きつけています。そして、グローバル化の帰結として音楽の他の形式が日本人に紹介され、 中国、韓国、モンゴルといったアジアの国の音楽が人気を集めています。 人々はもはや「高級な文化」すなわちヨーロッパのクラシック音楽と「低級な文化」すなわち日本ある いはアジアの地域的な文化とを区別しなくなっています。地域的な文化としての音楽形式は我々の生活に 根付いています。日本がヨーロッパへの開国と同時に行われた政治的変革あるいは革命以来、日本人はヨ ーロッパ文化、特にドイツ文化を模倣してきました。この現象は音楽の領域で特に明らかです。我々の音 楽教育ではヨーロッパ音楽の様式を導入しました。そして、もっとも高級な形式の音楽として賛美された のがドイツのクラシック音楽でした。そこで、J. S. バッハ、W. A. モーツァルト、L. v. ベートーヴェ ンなどの作曲家が音楽の領域で絶対的権威、聖人とされました。 しかし、この状況は変化しつつあります。2004年に『反音楽史』 (石井宏)という書物が刊行されま した。この書物の刊行は、文化の歴史における新たな局面を象徴しています。著者によれば、ドイツの哲 学的伝統に属し、クラシック音楽に理論的基礎を提供した美学はもはや通用しなくなっています。この哲 学的伝統は「作曲家を中心とする美学」を前提としており、この中では音楽の核心とその美的価値、属性 はただ作曲家の側からのみ由来するとされ、演奏者は作曲家の意図に忠実に演奏するだけの存在とされま す。しかし、現実の音楽は作曲家の作品だけではなく、演奏家と聴衆から成立しています。現実の音楽は この3者が出会うところにあり、ここで美あるいは満足の感情が生み出されるのです。20世紀における ジャズ音楽は、クラシック音楽とは異なる作曲家と演奏者との関係を示す一つの例です。 音楽の美は、我々の「生活世界」に根ざす感覚と感情と見なされなければならないのです。 ドイツの哲学史において発展した美学では、芸術と音楽が哲学者の関心の対象となりました。美学は芸 術と音楽を文化の無機能な形式にしようとしました。美学が発展した合理主義時代には、客観的思考に対 する主観的な対抗物が必要であると感じられました。美学において感情と感覚は理性と同じ価値を持つと 見なされたのです。 美学は音楽あるいは芸術を自立的な領域とし、これの機能あるいは有用性を排除してきました。しかし、 今日音楽の機能を用いる試みがあります。ここでは、私は音楽の二つの機能領域、音楽の商業的利用と音 楽療法のみを議論したいと思います。 ポピュラー音楽は、市場メカニズムを通じて利益を得ることを目的とする限りで、多くある商業的利用 のための音楽のひとつとして特に重要なものです。それは、純粋な形式の音楽、すなわちその美的価値が 自律的で経済的価値から独立した音楽とはみなされません。また、我々は映画音楽、広告音楽、バックグ ラウンド音楽などを音楽の別の商業的利用として語ることができます。 しかし、ポピュラー音楽に商業的利用とラベル貼るだけではすますことができません。むしろ、これを 多くの人々に影響を与える重要な音楽現象として承認する必要があります。人々のアイデンティティのコ アは音楽的経験を基礎としてつくられるからです。音楽を通じて我々のアイデンティティを創造するこの 機能は注目に値するものです。 ここでふれたい第2の音楽の機能は、音楽療法です。音楽療法では、音楽の療法的機能が用いられます。 療法的目的に達するために、音楽療法士はクライアントと音楽をつくります。音楽は、障害を持った人々 に社会参加を促し、自分の持つ問題から解放する媒体です。音楽療法士が作曲家中心の美学においてほと んど失われてしまった即興技法を用いることも注目に値します。音楽療法士は、クライアントともに即興 を通じて創造した音楽をクライアントの内面的世界あるいはコンディションの表現または投影として解釈 します。音楽の療法的機能を用いることによって、クライアントは外部の要因によって強制されることな く、一種の自由へと導かれます。 しかし、歴史的にいえば、商業的機能がとくに20世紀に開発されたものであるにしても、諸機能は音 楽に統合されていました。美学の始まり以来、感情への音楽の効果が考察されたにしても、音楽の機能は 主要なテーマではありませんでした。芸術と音楽の美的側面は自律的であり、商業的機能と療法的機能は 美的価値の体現としての音楽には関係のないものでした。 (今は政治的利用については語りません。 )私は、 音楽を言葉の十全な意味において理解すべきであると思います。すなわち、音楽は、特別の機能あるいは 無機能へと限定されない全体として理解されるべきです。 最後に、テクノロジーの発達についても議論すべきであると考えます。20世紀における様々な音楽的 イヴェントは、テクノロジー的発展の考察抜きに考えられることはできません。グローバル化のもとでデ ジタルテクノロジーは多くの可能性を生み出すことができます。上で指摘しましたように、重要な可能性 の一つは以前には少数の人々にしかアクセスできなかった世界を多くの人々に開示することです。たとえ ば、デジタルテクノロジーを用いて我々は創造のプロセスに参加できます。我々は聴取を通じて音楽を受 動的に楽しむ聴衆であるだけではなく、創造に参加できるのです。 以上をまとめます。 1 文化が「高級」と「低級」へと区分される文化構造はもはや支配的ではない。 2 地域の文化と音楽はクラシック音楽と並んで重要である。 3 音楽の絶対的な無機能の理想は、音楽の機能を用いようという人々の挑戦を受けている。したがって、 音楽を全体として考察する必要がある。 4 テクノロジー的発展は多くの人々が参加できる新たな文化を形成するために役立つ。 . これらの論点は、日本という状況から私が重要と考えることです。音楽あるいは文化一般は、様々な国 の歴史的な発展における多くの要素によって決まります。したがって、本シンポジウムでは、それぞれの コンテクストからの展望について意見交換することが大変有意義であると考えます。 付け加えますと、私が書いたことに対応する音楽学部の改革について紹介します。改革における基本原 則は、音楽が我々の生活に根ざすべきであるというものです。たとえば、本学ウインドオーケストラは、 様々なコミュニティと接してコミュニティに音楽文化を創造しようとの目的から、日本およびヨーロッパ の作曲家の作品を演奏しています。この基本原則は、 「コミュニティとともに」と表現できるでしょう。 来年度、私たちは演奏学科と音楽文化創造学科という二つの学科へと学部を組織します。前者では学生 たちは音楽の伝統的理解とアプローチを学びます。後者では生活に根ざした文化を完全な意味における音 楽、すなわち様々な形式と機能における音楽を通じて創造します。最後に、もう一つの実例を紹介しまし よう。私たちには学生たちがデジタルテクノロジーを用いて音楽作りを行うサウンドメディアコースがあ ります。昨年このコースのコンサートでは聴衆が音楽作りのプロセスに参加しました。コンサートホール は作曲家、演奏家、聴衆が音楽をともにつくる理想的なコンテクストとなりました。これはデジタルテク ノロジーがもたらすことのできる一つの可能性を示しています。 21世紀における音楽の展望 ミカエル・ウラドコフスキー 訳:中河 豊 名古屋芸術大学に丁重なご招待を感謝いたします。そして、この50周年の機会に栄えある未来を心か ら願っていることを表明したいと思います。 私は、パリ・エコール・ノルマル音楽院の名前において大島俊三学長と中河豊音楽学部長に感謝いたし ます。パリ・エコール・ノルマル音楽院は、名古屋のすばらしい大学の記念セレモニーに招待してくださ いましたことをありがたく思っております。 これは今日ともに集うという名誉というだけではなく、私たちの異なる見方を表明し、様々な経験を共 有するよいチャンスです。これは実際に幸運なことです。というのも、私たちは歌心の次元を表現する可 能性を人類に与えるという道をたどっており、私たちすべてはこの道を比較する必要を感じているからで す。 美の感覚は、すべての偉大な文明の基礎であり続けてきました。私たちすべてが知っていることですが、 芸術学校の役割は学生たちが文明の中における芸術家としての役割を自覚し、これを引き受けるように援 助することです。私たちが役目として伝達するのは、瞬間的な気まぐれではなく、人間精神の表現であり、 メディアの世界であり、あるいはコンテストにおける活躍であるわけです。これが私達の使命です。 私たちの使命は知識の共同の基礎を伝達することですが、これはどのように定式化されるのでしょうか。 そして、現在私たちはこの責任をどのようにして引き受けるのでしょうか。 私たちには二つの課題があります。第一のものは、何世紀にもわたって人類が逆説的に必要としてきた ことを理解することです。第二のものは、今日必要とされていることを理解することです。この課題を定 義するために、ひとつの実例が役に立つかもしれません。グレゴリアン・チャントはヨーロッパ音楽にと って活力を与える源泉であり続けました。これを考えてください。 すべての作曲家が知っていることですが、必要性が彼らのインスピレーションの源であり、作曲家の作 品の生命力であり、したがって統一性と結合をめざす演奏家の課題であるのです。すべての優れた芸術学 校・大学は、この必要性が自分の使命であることを知っています。 ピアニスト、A.コルトーによって20世紀初頭に創設されたパリ・エコール・ノルマルは、その最初か ら革新の事業でした。コルトーはフランスに以下の三つの革新をもたらす学校を生み出す必要を理解しま した。 1 全体的教育:学生は自分たちが研究している作品をそのすべての側面、統合、表現から理解するとと もに、自分たちの創造の文化的コンテクストを理解する。 2 あらゆる国から来る学生たちがその音楽的レベルを別として制約なしに集まることのできる学習場所 3 年齢制限なしに最高のレベルにまで導く音楽教育 エコール・ノルマルの教員は、教員を養成するために訓練の規範を教えます。この点においてエコール・ ノルマルの主要な役割は、伝統を伝達することであり、学生たちがその芸術の深い根源を自覚できるよう に助けることであり、各芸術作品の文化的環境を理解するように指導することです。これは、自分たちの 文化的環境のより深い理解へと導くことです。これは関心を引き起こし、好奇心を刺激します。これそれ 自体が革新なのです。私たちは、学生が音楽作品の核心を発見し、芸術的テクニックを精神化するように 指導します。これは、書いたり、演奏したり、あるいは歌ったりという機械的な行為を変容させます。書 かれたあるいは演奏されたそれぞれの音符は、芸術的信頼性をともなった完全に自覚的な表現となるので す。 エコール・ノルマルのもうひとつの課題は、伝統の流れとの結合を断つことなしに、変容と発展にたい してオープンであることです。今日私たちが直面している問いのひとつは、若い世代が現代クラシック音 楽を受容することです。私たちは、教育方法を過去の作品だけにもとづいてつくることはできません。ま た、そうした反復的な教育方法では、全く異なる文化とコンテクストに根ざす作品への関心を若者に目覚 めさせることはできません。そこで、謙虚であり、有能であり、自分の時代と場所の音楽に感受性のある 演奏家、これを私たちはどのようにして育成できるのでしょうか。 これに関して緊急に解答が必要な問いを付け加えたいと思います。それは、記述された伝統の中にある きわめて複雑な言語にどのように接近するかです。あらゆる国の作曲家は、新たに蘇生する音楽が再誕生 しうるるつぼ(melting pot )です。私たちは、作曲家にもっと注意を払う必要があります。 今日の作曲家が、自分自身の精神的な遺産の深みにおいて自分の言葉を見いだすという条件において、 若い世代を熱狂させる言語を発見すること、これが本質的なことです。 本日のシンポジウムは、互いの見方と経験を共有する機会として特に重要です。これは文化の未来であ り、自分の時代と場所の音楽に若い人々を覚醒させることであり、彼らの芸術的好奇心であり、明確に定 められた境界線への彼らの強い要求です。 広範な革新の試みが必要です。しかし、最新の一時的熱気へ向かうことによって短期の満足に到達する ために、私たちの現在の価値を単に近隣地域の価値でとってかえることではならないです。本当の革新は、 他のシステムをコピーすることではありません。全世界の学生たちは、私たちの学校あるいは大学に手が かりを求めています。革新が行われなければならないのは、この伝統的構造の枠内のことです。私たちは 早くて簡単な結果というものを取り除いて、音楽活動の中心に作曲を位置づける必要があります。作曲家 は器楽演奏者にその演奏をゆだね、音楽的創造におけるパートナーの役割を与えます。 私たちは、復活させ育成すべき世界の音楽的遺産に責任を負っています。このためには、学生たちの要 求を刺激しなければなりません。しかし、これは一時的な熱狂の方向においてではなく、厳格な訓練を楽 しんで受け入れることから最も大きな自由が由来することを示すことによって行われるのです。私たちの 音楽的遺産を再び生き返らせることは、あらゆる時期の作曲家を用いることであり、これらの作品、そし て可能であれば、その作曲家あるいはその弟子にアプローチするプログラムを開発することです。これは 簡単に実行できるでしょう。 最後に、声楽あるいは器楽の即興演奏の重要性を喚起しておきます。多くの人々は、ありうる否定的な 結果のゆえにこれについて語れないと感じています。しかし、即興演奏は様々な影響を調和させ、自然な 傾向でこれらの均衡をとります。教育的アプローチの可能性は、どんなに多くなることでしょう。文化あ るいはすべての音楽的パラメーター間の対話の欠如の結果として標準化というものが通常生じます。しか し、これほど有害なものはありません。学生たちを真正なものへと導きましょう。自分自身の歌心という 再生の水に浴し、知識すなわち音楽作品が憩う宝石箱の価値を発見するように、学生たちを勇気づけまし ょう。 現在の音楽環境の紹介 アラン・クラーンス 訳:中河 豊 音楽院の歴史 アントワープ王立音楽院は、 「フランダース音楽の父」である1898年に作曲家ペーター・ベノア(Peter Benoit, 1834-1901) によって創設されました。これは当時フランス語圏ベルギーのほとんどの地域におけ る最初のフランダース的な音楽院でした。ほかの音楽院(ブリュッセル・ヘント、リージュ)は主にパリに 倣っていました。 ベノアは、母語と民族讃歌という二つの柱の上に基礎をおく教育システムを開発しました。このように して、ベノアは固有のフランダース音楽を創造しようとしたのです。この音楽は、近隣の諸国の音楽とは 異なるものとなるはずでした。ベノア以後には、以下のような重要な作曲家が音楽院の指導者となってい ます:ヤン・ブロックス(Jan Bl ockx),エミール・ヴァンバッハ(Emile Wambach),ローデ ヴェイク・モ ルテルマンス(Lodewijk Mortelmans), フロール・アルパーツ(Flor Alpaerts), イェフ・ヴァン ・ホ ーフ(Jef Van Hoof), ローデヴェイク・デ・ヴォホト(Lodewijk De Vocht) 、フロール・ペーテース(Flor Peters) 。今日も、 とりわけ以下の優れた作曲家たちが音楽院と提携しています: アラン・クラーンス (Alain Craens) 、ヴィム・ヘンドリクス(Wim Henderickx) 、ルック・ヴァン・ホーヴェ(Luc Van Hove) 。 ここ100年間の間に器楽演奏家、声楽家、作曲家、指導者、音楽教師といった専門的音楽家たちがこ こで訓練を受けました。1995年には音楽院は演劇芸術、音楽、舞踊部門の一部としてアントワープ・ カレッジ(Hogeschool Antwerpen )に統合されました。 フランダースにおける音楽的風景は何か、社会的インパクトは何か フランダースでは、音楽の世界は例えばクラシック音楽、民俗音楽、ポップ音楽、ジャズといった様々 なジャンルに分かれています。それぞれのジャンルはその様式を持っています。たとえば、クラシック音 楽はバロック、ロマン派、印象派などに分類されます。 ここ数十年、東ヨーロッパ、アジアなどの他の文化からの影響がこれらのジャンルに影響を与えていま す。これは、音楽の世界にグローバル化が見られることです。 他の文化からの影響と並んで、今日クロスオーバーなプロジェクトが流行となっています(これをトレ ンドと言っていいでしょう) 。 「フュージョン」と呼ばれるこの新しいスタイルは、クラシック音楽とポッ プ音楽、クラシック音楽とジャズ、クラシック音楽とポップスとジャズの混交です。 音楽と他の芸術分野とのコラボレーション、すなわち、音楽とダンス、演劇、ヴィデオのコラボレーシ ョンが強力に推進され支援されています。これらの芸術形式は多くの人々(多くの聴衆?)か、あるいは むしろ限られた公衆に訴えかけます。特殊な実例は、 「ダンス音楽の夜(The Ni ght of the Proms) 」です。 これは、あらゆる社会階層の若い人々も年配の人々も含め、幅広い聴衆を獲得します。 フランダースにおける音楽状況は、多くの社会的トレンドのように、素早く変化します。したがって、 様々な様式のクラシック音楽はただ人口のわずかな部分によって愛好され聴取されるジャンルになってい ます。同国人の作曲家にはメディアでは余りにもわずかな機会しか与えられません。コンテンポラリー作 品の CD 録音はわずかであり、サポートされることはまれです。しかし、作曲家と音楽アンサンブルは、行 政当局によって定められた条件に合致するならば、フランダースのコミュニティからの援助を受け取りま す。 したがって、フランダースでは日本と同じように、 「芸術音楽」と呼ばれるクラシック音楽はもはや支 配的ではありません。 音楽が社会の内部で機能を持つことは事実であり、フランダースにおいても同様です。音楽は、多くの 国と同様に、以下の機能を有します:バックグラウンド・ミュージック、サウンドトラック、コマーシャ ル、ポップ音楽など。これらの機能は、メディアからの大きな関心を期待することができ、多くの人々に 到達し影響を与えています。 中河氏は音楽療法についても言及しています。フランダースではこれに対する関心はわずかしかありま せん。これのための訓練を提供している音楽院はただひとつだけです。これに関する情報を見いだすこと は困難です。 音楽は我々の社会の内部における様々な動向に従います。この事実は、テクノロジーが現在演じており、 将来にも演じる役割によってわかります。発展は公汎であるとともに急速です。音楽の中における応用の 実例は、創造プロセスにおいてコンピューターとメディア装置をアクースティックな楽器と統合すること であり、あるいはコンピューターを用いるスコアの記譜システムです。 テクノロジー応用の様々な形式は、様々な音楽院における訓練において促進されています。もちろん、 これはこの領域における国際化とグローバル化に導くことになります。 こうした反省から、私は以下の結論を導きだします。 1 様々なジャンルと様式の境界線は、マルチカルチャー的でクロスオーバー的なプロジェクトのために 大部分消え去っています。 2 多くの人々は、ある音楽家たちとは異なり、 (機能も含めて:中河)音楽を全体として見ると同時に(全 体として:中河)感じてもいます。 3 テクノロジーは、重要であるとともに急速に発展します。クラシック音楽のようないくつかのジャン ルでは、このような方法で人々を獲得することは困難です。 使命(教育思想) アントワープ王立音楽院は、熱心で才能ある人々を教育して創造的な専門的音楽家を養成することを目 指しています。こうした音楽家は、当該の社会的・文化的かつ芸術的な枠組みの中で自分の位置を見いだ すことができます。 幅広さを重視する学士レベルにおいては、専門家による個別教授が中心的な位置を占めています。 アントワープ音楽院は、修士レベルの学生には、基礎的なカリキュラムとは別に幅広いプロジェクトを 提供することによって、それぞれの専門性に応じて対応したいと考えています。 そのすべての側面をふくむアンサンブル、内外の様々な学校、専門的組織とのコラボレーションが重視 されます。このようにして、若い音楽家たちは様々な芸術的様式と訓練に接し、とりわけ歴史的とともに 現代の演奏の分野の経験をすることができるのです。 この使命を実現するために、アントワープ音楽院には、熱心で、才能に恵まれ、教育的に技量のある教 員が存在しています。 教育 アントワープ音楽院は、トップレベルの音楽家を生み出す芸術教育を提供します。その学生は、様々な 音楽的訓練に対する準備ができています。オーケストラ、コーラスあるいはオペラ、室内楽アンサンブル への参加など、徹底的なソリスト教育は多くのアンサンブル活動によって補われています。さらに、音楽 院は学生たちの個人的活動を奨励しています。これによって、学生たちは競争的な芸術界において自分自 身を保つことができる独立した創造的人間になるのです。 現代および歴史的な解釈実践は、しだいに一般的な教育プログラムに統合されてきています。コンサー ト、ワークショップ、マスタークラス、著名な専門的アンサンブルとの協力による制作への参加は、該当 の国際的枠組みを確実なものにします。 音楽院への入学を許可されるためには、徹底的な準備教育が不可欠です。 これは入学試験期間中に試されます。 教育のタイプ A. 全般的プログラム 全般的プログラムは二つのサイクルに分割されます。学士教育 (第1サイクル)は、学生への広範なサポ ートを伴う3学年を含みます。修士教育 (第2サイクル) は、より個人的な活動を求め、2学年を含み、 学生の人格を発達させることをめざしています。研究はフルタイムであり、30週以上に及びます。教育 時数は、選択と学年に応じて8週から18週の間で様々です。レッスンを受けテストを受験するためには、 オランダ語の修得が基本的に重要です。 外国人の学生は、それ以前の研究に応じて、学士教育1学年からか、修士教育の1学年からスタートし ます。 選択 楽器/声楽 音楽理論/和声 ジャズとポピュラー音楽 B 学士以後(POSTGRADUATE) 特徴 大変に才能のある音楽家のための卒業後のコースは、フルタイムの1学年あるいはパートタイムの2学 年からなり、一般教育プログラムと組み合わされています。この研究は、大学院のディプロマによって裏 打ちされています。大学院コースは専門的なソリスト、オペラ歌手、作曲家、ピアノ伴奏者、オーケスト ラ音楽家を育成することを目指します。 研究カリキュラム オペラ オペラ 室内楽 声楽あるいは選択科目 コンサート/楽器ソロ 楽器 室内楽 オーケストラあるいは伴奏あるいは選択科目 コンサート/声楽ソロ 声楽 室内楽 オペラあるいは選択科目 作曲 作曲 器楽編成法 選択科目 伴奏/室内楽 室内楽 伴奏法 ピアノ オーケストラ オーケストラ/アンサンブル/プロジェクト 楽器 教育 教育の範囲は、ヨーロッパ単位互換システム(the Eu ropean Credit Transfer System) :1学年に60 ポイントに基づいています。これは最小1500時間、最大1800時間の教育と他の研究活動に等しい ものです。互換システムのポイントは他のヨーロッパの大学と高等教育機関の間の移動を可能とします。 音楽教育プログラム 入学要件 A. 一般的プログラム 学士 後期中等教育の卒業証明書あるいはこれに同等のもの(入学試験登録の期間に提出) 。 もしも証明書の言 語がオランダ語、英語、フランス語、ドイツ語でないなら、宣誓を伴う訳が必要です。 本国の高等教育への入学を許可する証明書(オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語あるいは宣誓を伴 う訳) (入学試験登録の期間に提出) 。これは時には中等教育の卒業証明書に述べられています。そうでな いなら、その証明書を発行した学校に依頼しなければなりません。 芸術的入学試験を合格すること これらの試験プログラムは、求めに応じて提供されます オランダ語の能力 修士 第1サイクルの修了証明書あるいはこれと同等の者 器楽、声楽、作曲、指揮の芸術的入学試験に合格すること(入学試験プログラムの内容は受験生のレベル をあらわす必要があります) 。 :オランダ語の能力 B 学士以後のコース(POSTGRADUATE COURSE:) 特徴 第1サイクルの修了証明書あるいはフランダース高等教育の卒業証明書またはこれと同等のもの 器楽、声楽、作曲の芸術的入学試験を合格すること(入学試験プログラムの内容は受験生のレベルをあら わす必要があります) 。 証明書がベルギーの基準と合致しない場合には、二つの選択肢があります。 1)学生は非正規の学生(FREE STUDENT)として とどまり、該当の学費を支払う 2)学生はコースに入学しない 例外的な場合には、入学要件に合致しない学生も非正規の学生として完全なあるいは部分的な教育プル グラムを受講することが許可されます。彼らは公式の卒業証明書を取得できません。さらに、非正規学生 が正規の学生として再入学するときには、出席していたレッスンを継続しなければなりません。これは免 除されません。非正規学生としての登録は学生ビザを請求するときに、問題を引き起こすかもしれません。 非正規学生 器楽/声楽/作曲の芸術的入学試験に合格すること(入学試験プログラムの内容は受験生のレベルをあら わす必要があります) 学校のタイプ 舞台芸術、音楽、舞踊部門はアントワープ・カレッジ(Hogeschool Antwerpen)の 一部です。この高等教 育のための複数の領域からなる学校は7つの部門からできています。これらの部門は様々な訓練を提供し ます。その中でもう一つの芸術教育はヴィジュアル・アートです。ここでは特にファッション部門が世界 的に有名です。アントワープ・カレッジも連合体の一部です。この連合体は、その方針には関係なく、多 くの大学とカレッジを含みます。 アントワープ・カレッジの舞台芸術、音楽、舞踊部門は、三つのよく知られた芸術院、フランダース王 立音楽院、ヘルマン・テアリンク研究所、ダンスのための高等研究所を含みます。著名な芸術家たちがこ れらの学校のメンバーとなっており、未来の舞台芸術家のために高水準の教育を提供してます。 年ごとの学生数と入学数 Number of students and student enrollment of each year departement D muziek K1 K2 M1 M2 M3 totaal 2008-2009 68,0 54,4 57,7 49,0 46,6 276 2007-2008 68,0 54,4 57,7 49,0 46,9 276 2006-2007 68,0 54,4 57,7 49,4 45,5 275 2005-2006 68,0 54,4 58,1 47,9 42,4 271 2004-2005 68,0 54,8 56,4 44,6 55,6 279 2003-2004 68,5 53,0 52,5 58,5 54,0 286,5 2002-2003 61,0 55,0 72,0 54,0 55,5 297,5 2001-2002 73,0 66,0 54,0 67,5 48,5 309,0 2000-2001 71,0 60,0 79,5 49,5 54,0 314,0 1999-2000 69,5 83,0 59,0 44,0 55,5 311,0 1998-1999 85,5 66,5 52,5 52,0 46,0 302,5 1997-1998 73,5 65,0 44,5 44,5 47,0 274,5 1996-1997 71,0 46,5 47,5 58,5 39,0 262,5 1995-1996 56,0 40,0 56,0 33,0 29,5 214,5 (訳注:K1, K2, K3 は学部レベル、M2, M3 は修士レベルである。在学生の数は1年間に半期しか受講しな い学生は0.5 人として数えられている。また、将来の数は見込みである。 ) 入学者数を確保する方法 様々なチャンネルを通じて、教育の内容が宣伝され公にされています。 1 印刷物や音楽学校およびアントワープ音楽院で働く教員を介して音楽アカデミーと中等芸術学校に対 して情報が提供されます。 2 音楽院によって組織され学生と教員によって行われるプロジェクトとコンサートが様々な媒体を通じ てアナウンスされます。 3 毎年コンサートとレッスンをともなう公開日があり、関心のある学生は教師と出会ったり、音楽院の 施設を知ることができます。 4 音楽院はあらゆる種類の情報が得られるウエッブサイトを持っています。 5 国際的な契約と協力の合意によって学生と教員の交換を行っています。これは今後されに発展させら れるでしょう。 社会的環境とその影響 アントワープ音楽院はデ・シンヘル国際芸術センターとキャンパスを共有しています。これによって学 生たちには最前の芸術的条件が確保されています。マスタークラスとコンサートの領域における内容、様々 なコンサートホールの使用に関して協力が行われています。今年は音楽院のオーケストラのプロジェクト があり、デ・シンヘルの「ベートーヴェン・ハプニング」に他の有名なアンサンブルやオーケストラとと もに参加します。 機器の補充 音楽院は大量の楽器を所有しています。これらの楽器のうちでコントラバスーン、ピッコロといった楽 器は学生に貸し出されます。ほとんどの場合、これは高価な楽器に関わります。いくつかのスポンサー企 業によって構成されている音楽院の基金は、楽器の維持と入れ替えの資金を提供します。同じことはコン ピューター、オーディオ装置などにも当てはまります。 経営システム 音楽院の予算は封書財務管理(envelope financing)を手段と して政府によってつくられます。 この封書は政府とカレッジによって検討されます。高等教育に関わる法令は芸術教育の幅広さを考慮に入 れるために書かれていません。これは音楽院が教育に(あまりに)わずかなリソースを提供しなければな らないことを意味します。 同時に、教員の雇用期間は長期の政策を可能とするために十分にフレキシブルではありません。 私たちは以下のような教員スタッフをつくろうとしています。 1 (実際的および理論的な)様々な領域で雇用できる正規スタッフ 2 客員講師(たとえば、オーケストラにおけるフルタイムの教員)を用いるフレキシブルなスタッフ 教育スタッフの質 募集のために、証明書、音楽会における重要性と経験など、様々な基準があります。非正規の訓練は構 造的には開発されていません。教員は自分の音楽的キャリアに対する責任があります。 音楽院は、雇用の時期と条件、適切な給与と昇進によってスタッフに安定性を提供します。不十分な財務 と昇進への限られた可能性は、教育スタッフの停滞へと導きます。近い将来この分野における改善がなさ れるでしょう。 外部からのアセスメントに対する政策 法令とカレッジによって音楽院は「コーリティ・コントロール」に服しています。 カレッジおよび様々な部門によって指名されたコーディネーターは、五年間にわたってこれを行っていま す。彼らの評価は外部の委員会によって判断されます。この委員会はそのレポートの中で改善のための提 言を行ってきました。音楽院は日々進歩を観察しています。 理想的な経営システムと未来に向けての方向 音楽院にとっては最悪の切迫した事柄は、財務が生徒数と関連していることです。経済的リソースの提 供はこれに依存しています。しかし、音楽院にとっては、入学試験でテストされる志願者の芸術的な質が より重要です。この両要素を調和させることはいつも簡単であるわけではありません。 境界線と難解性1 クリス・マロイ 訳:中河 豊 21世紀の音楽の展望:世界のグローバル化の中で伝統と革新の間にある音楽学校 今日は、私たちは音楽、そして音楽教育の未来について討論します。私たちが過去の潮流の方向に基づ いて未来の筋道を描くことができると言うとすれば、これは単純なことになりましょう。しかし、歴史的 な事柄の中に何らかの洞察が得られるかもしれません。この精神において、私はここで時間のほとんどを 未来よりも過去を見つめることに費やしたいと思います。私は作曲家です。そして、私の見解は作曲、作 曲教育、作曲部門の運営についての私のアプローチを伝える考えに焦点をしぼることにします。 19世紀に ― 時間における相対的に短い瞬間に ― 西洋の芸術音楽への人気は劇的に高まりまし た。この時代における多くの意味ある出来事と同じように、これはおそらくベートーヴェンとともに始ま りました。1900年までリストは人気のある英雄として回想されていました。そして、イタリア人たち はヴェルディの名前を盛り返しました。今日、大衆の崇拝に政府と大学の支援が取って代わってきたこと から、非商業音楽家たちは聴衆の少なさにかなり不安を感じています。この不安に応じて、幅を広げる方 法として、作曲家たちは境界線を消し去っています。エリート文化はポピュラー文化と結合され、非西洋 の伝統は西洋の伝統と、音楽は他のメディアと結合されています。これらのアプローチのどれによって制 作された音楽にも価値がありえます。また、これらのどれによっても制作されず、伝統的な境界線の内部 にあり続ける音楽にも価値がありえます。 これらの境界線を乗り越えようという私たちの傾向が新しい考えであると主張してはなりません。先例 は長い年月を経ているのです。私たちは、生活にマルチメディアを持たすことをペーリ、カッチオーニ、 そしてモンテヴェルディに感謝することができます。より抽象的な意味において過去のもっとも有能な作 曲家たちは、― バッハあるいはベートーヴェンを考えてください ― 脳の境界線を乗り越えて、論理 的であるとともに表現的でもある音楽を創造しました。それから、ハーモニーとラインの区別があります。 一方がシェーンベルクによって、他方がジョスカンによって好まれたと実際に言うことができるのでしょ うか。ヒンデミット、プロコフィエフ、ストラヴィンスキーは、その最も優れた作品において勇敢にも時 間を旅し、遙か過去から財宝を掘り出しました。すべてのうちでもっとも目立つ境界線 ― 民族あるい は大陸の境界線 ― は、武満以前にバルトーク、彼ら以前にプッチーニ、さらに彼以前に多くの人々に よって横断されました。 最後のカテゴリー ― 他の民族と大陸の音楽の要素を統合する ― は、今日作曲家の特別な関心と なっています。音楽はより難解となり、聴衆が少なくなるにつれて、作曲家は新鮮な考えを求めてほかを 見つめてきました。とりわけ、アメリカ生まれのスティーヴ・レイチ、そして、アメリカで訓練されたタ ン・ドゥンは、非伝統的なポピュラー音楽と非西洋的伝統に門戸を開きました。 難解性(esotericism)は、偉大な音楽の創造を可能とするかもしれません。しかし、15世紀の出来事 1 訳注:ここで「難解性」と訳したのはesotericism であり、辞書的には「秘教主義」となるでしょうが、 ここではある特定の領域の内部において外部からは理解しがたい立場を意味します。そこで「難解性」と しておきました。 は、21世紀と同じように、それが維持できないかもしれないことを示唆しています。当時西洋の作曲家 は、今と同じように、自分とは異なる伝統の中にインスピレーションを求め、難解性に向かう潮流を打ち 破りました。私たちのように、彼らはより以前の世紀から動かされてきた運動を受け継ぎました。これは ポリフォニーにおけるラインの独立性の少しずつの増加でありましたが、後期のアルス・スブティリオー ル(Ars Subtilior)の 作曲家たちのもっとも極端な作品において絶頂に達します。これは彼らの時代のミ ルトン・バビットとも言えるものでした。彼らの音楽は、ラインが突然一本になるとき、終止に至るまで 同時に演奏される異なる作品のように響きます。それ偉大な音楽ではありましたが、難解なものでした。 英国独自の3和音様式(English triadicism )は、西洋大陸では異国趣味の選択肢でした。 とりわけ、デュファイ、バンショア、ジョスカン、オケゲム、ピエール・ドゥ・ラ・リュといった作曲 家たちは、伝統を別の文化の様式と統合することによって、難解な伝統から出発する教訓的なモデルを提 供します。たいていの場合、彼らはイギリス様式を文字通りには模倣しませんでした。キリストの名前を おかないならば、交互に入れ替わる厳密に独立した対位法と、同じリズムの三和音とを併置することはあ りませんでした。彼らは、概してこの二つの様式が同時に鳴り響くことを許容しませんでした。彼らは、 対位法の伝統を維持し、これを3和音和声への新しい関心と完全に統合しました。これに関して、あるリ スナーは、15世紀と16世紀初頭の作曲家たちが西洋の歴史においてもっとも力強い音楽を与えたとい うかもしれません。 ここでは併置(juxtaposition)と総合(synthesis)の区別をする必要があります。私たちの時代のあ る作曲家たちは他の様式あるいはメディアの要素を単に併置する ― たとえば、シンフォニー・オーケ ストラに付随するサンプリングされたヒップ・ホップのループ ― によって、境界線を越えます。本当 の総合はより思索を要求するのであり、それはより賞賛をせざるを得ない作品を生み出します。私自身の 作品は、本当の総合の説得力ある実例ではないかもしれませんが、私は少なくとも総合についての正確な 説明を与えることができます。 私の最初の先生は19世紀について多くを教えてくれることができるはずでした。彼はその多くを想起 するのに十分なほどの年齢でした。しかし、そうではなくて、彼は私にジャズの演奏の仕方を教えてくれ ました。私の初期の訓練は、コード・チェンジに関する即興を含んでいました。この伝統では、演奏者に リード・シート、すなわち”D7”とか”F+9”といったコード記号をともなう旋律が与えられます。コードは 拡大することができます。流れに応じて、D7 は D9 になるかもしれません。あるコードは他のコードの代わ りをします。たとえば、D7 があるとき、A フラット 7 を演奏することは普通のことです。リード・シート は即興への複雑で柔軟な枠組みを提供します。 今日、私の進行中の作品は、ピアノとエレクトロニクスのためのものであり、11月4日にデンヴァー 大学で初演されます。私は、秩序づけられずに緩やかに連結されたヘクサコード(hexachords) 、三,四, 五個の全音のサブセット、そして、九個の全音のスーパーセットを用いて作曲しています。これらのすべ ては音程のヴェクトルによって関係づけられています。これらのセットが提供するメニューの内部で、私 は即興します。私は考えを書き付け、それを仕上げ、作品は完全に記譜されます。しかし、音楽は本質的 に即興的でありつづけます。ジャズ演奏は全く同じように感じられます。もしも私の音楽におけるブルー・ ノート、ハイ・ハット、または九度の和音を聴こうとするなら、失望することになるでしょう。しかし、 私の音楽があいまいな仕方でジャズを反映していると指摘するリスナーがいます。これこそ私が試みてい るもの、単に併置することではなく、真実の総合なのです。 エリート大学 ― この場合にはエールあるいはプリンストン ― によって促進された探求なしには、 私は自分の音楽を書く道具を持たないでしょう。このときには、生産的であるエリート的態度と有害であ る態度とを区別すべきです。作曲を教えている私たち全員は、作曲家ではないけれども MIDI 装置、記譜ソ フトウエアを求め、したがって専門的に作曲する資格があると感じている学生のことをよくわかっていま す。記譜ソフトウエアではリズム的な複雑さ、一つの譜表における複数のライン、半音階の音の考え抜い た書き方が首尾一貫しなくなるので、これらの事柄は捨てられてしまいます。長いパッセージのコピー、 ペースト、移調は、ポイントとクリックという簡単な事柄であり、したがってよく行われます。 スキルなしに作曲される音楽が増殖した結果、いくつかの音楽院と大学では志願者に少なくとも手で書 かれた作品を一つ求めるようになっています。私たちがこれを行うのは、本当のスキルと才能を示す学生 を支援するという責任感からです。これ以外の学生たちは自分たちの楽しみのために音楽作りの新しいテ クノロジーを自由に用いてもよいのです。権威ある学校から得られる学位は、熟達した作曲家をスキルの ない多くの学生から区別し続けるでしょう。作曲家であることと社会経済的状態とは相関しないのですか ら、私たちはこの線引きを罪悪感なしに行うことができます。 (しかし、現在合衆国がこの相関を強めてい ることを認めなければなりません。これは、政府が18歳およびそれ以下の若者への公的教育予算を削減 していることの結果です。 ) まとめれば、私の教育と作曲部門の運営においては、西洋音楽に異なる要素を持ち込もうとしている学 生たちに二つのことを推薦しています。第一に、不可欠なものとして、彼らはその音楽の素材をマスター しなければなりません。第二に、私は以下のことを提案します。すなわち、異なる要素が結合されている 音楽が、単なる併置に対置された、15世紀のモデルにおける真実の総合であるならば、より説得的とな るのです。 私は、このことに関する警告とともに、若い作曲家たちに別の事柄を推薦して、終わりたいと思います。 ポストモダニズムの最も重要な功績は、架空の物語(metanarrative)に対する疑いを新たにしたことです。 私がここで考えているのは、マルクスやヴェーバーなどの過去の偉大な思想家が求めたような、歴史的発 展が体系的であり不可避的であるとする考えです。今日、私たちは複雑性を受け入れており、架空の物語 といった思考法に対しては寛容ではなくなってきています。より非エリートの聴衆を得ること、あるいは 自分の文化ではなく他の文化にインスピレーションを見いだすこと、これをポストモダンの思考が求める と主張するならば、これは私たちが拒否する類の処方です。私たちは、西洋と非西洋、エリートと大衆、 音楽と他のメディア、伝統と革新のどちらかを選択する必要はありません。音楽づくりに対するこれらの アプローチに関して、さらに言うべきことはあります。さて、名古屋芸術大学では、演奏の伝統的な部門 と文化創造の最先端部門とが共存しています。私たちが必要としているのは、この種の包括性です。私は それを賞賛したいと思います。 ポストモダン(近代以後)における古典的著作家、作曲家の消滅は何を意味するか クリスティアン・オーフェンバウアー 日本語訳(ドイツ語版より) :中河 豊 「芸術に関して決定的なことが起こった」 、これは Th. W. アドルノが断片にとどまった『美学理論』の 冒頭において20世紀60年代の終わりに書いた言葉です。これによれば、芸術においてもはや自明なも のは何もありません。アドルノによれば、 「その存在権がもはやない」のです。芸術作品それ自体がきわめ て特有な仕方で危機に至ったことは明白です。そして、観察者としての私たちにとっては、至る所で快活 に過剰に至るまで芸術が生産されている事情がこの危機をさらに明らかにするでしょう。 私は以下の現象を念頭に置いています。あるものが外見上繁栄するときに、これはもちろん同時に没落でも あるかもしれないのです。そこで、私にとっては現代音楽フェスティバルの設立は現代音楽がうまく行かない ことのメルクマールなのです。ここで否定的弁証法的媒介について語ることができるでしょう。以下において もこれについてはしばしば話題となります。 ポストモダンの概念が何を示していようと、私たちはポストモダンに到達しているように思われます。 これは現実的には、以前とは異なることを意味しています。芸術は今や変化した前兆を伴って終結しつつ あります。しかし、この考えを検討する前に、 「古典的著作家の消滅」で私が何を意図しているかを明らか にしておきましょう。 20世紀の80年代および90年代の文学研究では「著作家の消滅」について語られました。これは「人 格としての著者がその作品の背後に後退すること」と一般的に要約できます。 あるいは少なくともそうあってほしいとの願望です。これに関しては繰り返し個別の文学作品において新し い表現が求められました。たとえばハイナー・ミュラーの「ハムレットマシーン(Hamletmaschine)」の4幕で はほとんど論理的に「著作家の写真を引き裂くこと」が行われます。 作品の背後に後退すること、私たちは作曲において同様のことを知っています。偶然を作曲のカテゴリ ーとして美的出来事の中に許容するというジョン・ケージの考えは、原理的にジョン・ケージという個人 を作品の背後に後退させるのです。彼の作品は、誰もが作曲家でありうるという立場を示しています。こ れは、どんな人間も芸術家になることを望んだヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys)の 意味においてです。 彼は。ケージの作曲によって構造的に記述される状況の中では、ただ偶然が音楽的作品へと翻訳されるだ けなのです。こうした前提のもとでは、作曲するとは一般的な情報を音楽特有の情報へと移し替える特種 な方法なのです。この問題が作曲技法的に解決されて初めて — これはかならずしも簡単ではありませ ん — たとえば時刻表や星座が音楽作品になることができます。結局このことは、作曲家がもはや自分 を直接的にではなく、ただたどたどしく自分を表現するということなのです。作曲家自身はもはや議論の 対象ではありません。ある個人の内面の表現という考えは、芸術的な作業コンセプトしてはこのようにし て片付けられてしまいます。しかし、ケージは明らかに表現芸術の形式を目指しませんでした。彼の作品 のねらいは全くその反対です。それらは表現主義的な姿勢を根本的に退けています。この場合に興味深い 意味構造が観察されます。あるものを断固として求めないということが、この拒否を表現する、あるいは 表現すべき現象をこの現象がそれから逃れたい現象と結合するのです。ホルクハイマーとアドルノであれ ば、この関連を否定的弁証法的媒介と記述するでしょう。 矛盾が次のように形成されるところでは、この媒介関係が見いだされます。すなわち、ここでは、明らかに その性質において模範となるような反対世界が生じるのです。調性と無調性との関係は、これによってかなり 厳密に記述することができます。1910年後頃のウィーン楽派の無調性音楽では、調性関係において禁止さ れ望まれないあらゆることが作曲技法的に提供され許容されます。無調性は、調性の反対世界的概念として理 解することができます。無調性がこのように分節化されることによって、それは同時に調性における多くの要 素を保存し — しかしまさに否定的・弁証法的に媒介するのです。 この特殊な種類の弁証法は、私の考えでは、ケージの作品をいくつかのレベルで貫いています。表現に 関してケージは、その師アルノルト・シェーンベルクに矛盾しています。シェーンベルクは、確かにその 作品においてウィーン表現主義者の終結点でした。ケージがその音楽において表現性のすべての要素を一 般的に捨てることができたのかは、もちろんより正確に研究されるべきでしょう。この関連においては、 より広い視角を保持するべきです。ケージによるロマン主義的な作品概念の拒否、 「反作品」の断固とした 仕上げは、 — 常にこれが細部でもそうであるにしても — 芸術作品の古典的観念に本質的に負って います。というのも、ケージの反作品は「作品」概念の裏面を誇示しているのです。それは、もちろんこ れを印象深く心をとらえる仕方で行うのです。私にとっては、これがこの作品を愛する本質的な根拠です。 しかし、これは著作家の消滅についての私の考えとは何も共通性がありません。私はむしろ以下の単純 なことを理解しているのです。すなわち、消滅とはここではもはや現れない、もはや出現しないことです。 この消滅の条件は、私たちがすでに強烈に内面化しているが故に、私たちには直接意識されません。すな わち、それらは自明のこととなっているのです。以下の実例は、私たちがどのようなグローバルな方向転 換の中にあるかを説明するでしょう。 音楽史的なコンテクストでは若きベートーヴェンの精神的助言者として権威であったクリスティアン・ ゴットロープ・ネーフェは、18世紀末に今日であればコンサート批評と名付けられるものを書いていま す。彼によって批評された催しはあるボンのサロンで行われました。というのも、今日一般的な市民的コ ンサートホールは当時は存在しなかったからです。コンサートは半公共的な空間において行われましたし、 その上演に関するコンセプトは当時の諸関係にとってはきわめて危険なものでした。ここで問題はなのは、 亡くなっている作曲家の作品を上演することです。ネーフェは、誰によって誰が上演されたかを詳細に報 告しています。しかし驚くべきことに彼は「どのように」についてはほとんど沈黙しています。いずれに しても、彼はその報告を以下のコメント ― これが私にとって大切なのですが ― で終えています。 すなわち、すべての企画はきわめて興味深いものであるが、しかし、彼の意見ではこれは将来には行うこ とができなくなるというのです。この実例が言わんとすることは明らかです。すなわち、今日ヨーロッパ であろうとその他の地域であろうと、私たちはネーフェがなお実験であると見なすことができた状況にま さにあるわけです。というのも、ボンのコンサートのコンセプトは十分に貫徹しているからです。 ポイントに戻りましょう。ヴィーンフィルハルモニカーがアントン・ブルックナー、ヨハンネス・ブラ ームス、フーゴー・ヴォルフ、グスタフ・マーラーを自明のように初演した時代はとっくに過ぎ去りまし た。1945年に以後のこのオーケストラのコンサート・プログラムを紐解いてみると、初演が例外であ ることがわかります。これは、私が今日に至るまでこのオーケストラの常連とならない理由です。 ウィーンフィルハルモニカーのプログラムの構成が私にとってはほとんど魅力がないにしても、それは経営 手法上意味があるのです。W.A.モーツァルトあるいは L. v. ベートーヴェンの作品でできたコンサート・プロ グラムは2回のリハーサルで快適に仕上げることができます。責任ある初演のためには、作曲の困難さのレベ ルにあわせて、2倍から3倍のリハーサルの時間を見積もる必要があります。 この状況を過大評価しないためには、これが社会の中で「音楽」として現れるものの相対的にわずかな 部分であることを忘れてはなりません。発売全体にしめる娯楽音楽(ポピュラー音楽)といわゆるまじめ な音楽(したがって芸術音楽、いわゆるクラシック音楽を含めて)との割合は、オーストリアではおよそ 95パーセント対5パーセントです(現代のまじめな音楽の割合はこの計算ではおよそ0.4パーセント と見積もられます) 。 アメリカ合衆国と比較すれば、これはなお驚くほど高いのです。アメリカの作曲家にとっては、アメリカで まじめな音楽の演奏企業において自分の作品で登場したいときに、幾分より困難であるわけです。たとえば、 ジョン・ケージとモートン・フェルドマン — 私は彼らを音楽における、および音楽に関する思索に優れた 人々であるとみなしています — はそのキャリアを合衆国ではなく、ヨーロッパの狭間の地でつくりました。 この調査の割合からは、さまざまな結果が生じます。それは一般的な経営にまで影響します。たとえば、 各学年の冒頭では、私のゼミに初めて参加する学生たちに、私が関心を持つのは「音楽自体(Musik als solche) 」にではなくて「芸術音楽(Kunstmusik) 」だけであることを理解させなければなりません。した がって、 「音楽研究」はより正確には「芸術音楽研究」とされなければならないでしょう。というのも、研 究対象は全発売数の5パーセントというすでに言及した数字に該当するからです。このゆえに、私たちは ヨーロッパの音楽理論の研究において音楽のきわめて小さな部分領域を探求するのです。私たちの研究対 象は絶対的にエリート的であることが示されているのです。 今からの考察において著作家の消滅についてより正確に述べることができるために、これのための歴史 的条件についてなお簡単に述べなければなりません。このためには私は互いに密接に関連する二つの手段 を用いたいと思います。それはフランス革命について語ること、さらにG. W. F. ヘーゲルの「芸術の終焉」 の命題について語ることです。 これは次の理由から適切であると思われます。社会と文化の現代的状況においてフランス革命の衰退し た成果が問題であるというのが私のテーゼだからです。市民がヨーロッパにおいて蜂起したのは、自分か 抑圧されていることを認識したからです。この認識から政治的な行動のための結論が引き出されました。 フランス革命の市民は ― 少なくとも最初は ― 声高に蜂起しました。たとえば付随した行動の流れ の中で国王は斬首され、社会の全構造がまさに一夜にして変化させられました。いずれにしても、フラン ス革命はまれに見る社会的実験でした。しかし、19世紀の経過の中で野蛮なジャコバン派は、再び勇敢 な君主主義者に戻ってしまいました。 「市民」は、最初は激しい興奮の後ゆっくりと ― 息をのむほどの ゆっくりした動きで ― またウイングチェアに座ってしまったのでした。これは芸術には大変都合のよ いことでした。私はこれを皮肉で言っているのではありません。というのも、政治的に平穏な時期には芸 術は「芸術」として、たとえばその技術的な能力においても、持続的に発展することができたからです。 ウイーンでは、社会的・特有的な要素から、これは特に音楽に妥当します。すなわち、市民階級は自分を代 表する目的のための音楽を見いだしました。そこで、ウイーン音楽協会 — その「黄金のホール」はウイー ン・フィルハルモニカーの新年コンサートの放送からおそらく知られているでしょう — は、ウイーンの市 民階級が創設されたことなのです。オーストリアの貴族が市民による挑発を和らげながら行動をともにしたこ と — これはウイーン音楽協会のロビーに今日も掲げられている設立趣旨において明らかとなります — このことは、オーストリアの特殊性です。歴史記述において、これは啓蒙絶対主義と呼ばれます。 社会的・政治的に平穏である状況において芸術がよく発展すること、これはヘーゲルが『美学』 (183 5年)の第1巻において書いていることです。私にとっては、最初は反映と発展と見えるものは、芸術の 終焉を認識するための本質的メルクマールとなります。 ヘーゲルの考え方は ― 哲学的な思考形式とみなすと ― フランス革命からモダン(近代)に至る 芸術の発展線を組織し、今日に至るまでこれを言説として保持しています。つまり、芸術の終焉とは、芸 術と芸術が具体化される社会的に組織されたシステムの全く特有の創設神話になってしまいました。ヘー ゲルの診断以来、芸術はその本質において終わること、ある終焉に至ることに関わっています。 彼以後の哲学者たちはこの表象を何らかの形において反映しています。同意するのであれ、拒否するのであ れです。この両者は同じことなのです。 — 議論のこの箇所においてもアドルノとホルクハイマーの否定的・ 弁証法的媒介の考えを取り上げることは容易です。 しかし、ヘーゲルの思考形式がこれほど重要になった理由は何なのでしょうか。なぜ、それは哲学的な 議論から排除されなかったのでしょうか。さらに、それは著作家の消滅にどの程度まで共に責任を負って いるかが問われます。 私は、テーマに別の側面から近づき、このことによって議論可能な答を見いだしたく思います。このた めには、ヘーゲルの考えを最初に相対的なものとして理解する必要があります。というのも、芸術が終焉 を迎えたと言われるとき、それはその哲学的反省においてであるのか、あるいはたとえば芸術が壮大な全 芸術作品において融合するという政治的プログラムにおいてであるのか、あるいは ― 市民的な音楽企 業がそのレパートリーで演じているように ― 過去への感傷的な回顧において想起しているのか、芸術 が日常生活、全体主義国家またはインターネットで解体し消滅しているのか、こうしたことは全体として みるとよりわずかな意味しかないからです。私には、ヘーゲルの考えはどちらかといえば芸術を取り巻く 環境を記述しているように思われます。というのも、近年、芸術はその終焉を抜きにはもはや考えられな いと思われるからです。 ヘーゲル以後、芸術の終焉をその概念において厳密化する試みはいくつかありました。 このうち3つの実例を挙げましょう。マルティン・ハイデガーは芸術の終焉を「芸術の克服」として考えまし た。テオドール・アドルノはこれを「芸術の死滅」として記述しています。そして、ジャンニ・ヴァッティー モは芸術の終焉にかえて「芸術の没落」について首尾一貫して語っています。これらの試みはすべて、終焉の 質を概念的に把握する役割を持っています。私はこれらの概念に関わる仕事を重要であると考えていますが、 これらはここでは — テーマを前にして — 主要事であるとは思えません。 終焉の取り扱いによって開始される理論的哲学的試みは、病人の健康回復を祈るようにはいきません。 主要な事柄は、誓いの要素でしょう。すなわち、終焉がついに始まることが ― ひとはこれを好んで意 識したくないでしょう ― 内心で誓われているのです。というのも、誓いは願望でもあるからです。願 望が隠されているときでもそうなのです。しかし、終焉は実際には始まりません。というのも、芸術は制 作会社において生きた反論としてヘーゲルの考えを反駁しているからです。 「芸術の終焉」の考えからは、 「終焉なき芸術生産」が生じました。これは以下のようにより先鋭に捉えることができるでしょう。終焉 の哲学的問題がその歴史的な次元でより切迫したものになればなるほど、芸術生産は増加した生産能力に よってより決定的にこれに応えるのです。まさに至る所で書かれ、描かれ、作曲され、演出されているの です。しかし、ひとは何らかの仕方でヘーゲルに同意するにちがいありません。大部分は、もはや喜ぶこ とのできない芸術が問題なのです。というのも、ひとは終焉に対して実証主義的に対抗することはできな いからです。今日の偉大な芸術は、むしろ終焉を意識しなければならないでしょうし、この終焉を何らか の仕方で内面化しなければならないでしょう。これが成功しなければ、芸術はその本質的な視野を見失い ます。それは純粋な営利へと凝固してしまうのです。根本的に言えば、交渉のこの点において、芸術は芸 術を楽しみ始めるのです。これは損失なしには行われません。この芸術には真理がまったく欠けているの です。 ヘーゲルは、その時代に宗教的芸術現象に即して同様の停滞を確認しました。彼は美学の中で以下のように 書いています。ギリシャの神像をきわめて優れているとみなし、父なる神、キリスト、マリアがきわめて厳か で完成されたものとして表現されていると見るにしても、それは何の役にも立たない。我々はもはや膝まづく ことはしない。 このジレンマの構造に気がつかなかったこと、これを芸術における終焉を現代に至るまで引き延ばした モダン(近代)のせいとして非難することはできません。どういのも、モダンは常に自分の困難を意識し ており、とりわけその先鋭化を意識していたからです。この困難には、ある種の中間領域にある生命、終 焉における生命が属します。ポストモダン(近代以後)はこれをモダンから継承します。私の推測では、 これを否定するポストモダンのどんな変種も、社会的・文化的な概念としてははじめから失敗することが わかっています。今日の芸術生産においては終焉というテーマに取り組むことは不可能であるように思え ます。そして、私の理解する — 著作家の消滅は、経済的に組織されているがゆえに、ヘーゲルの診断 から引き出される後の結論であるのかもしれません。 このことすべては、生きている作曲家にとって何を意味するのでしょうか。ところで、作曲家たちは、 映画製作者と演劇関係者と同様に、厳しい財政状況の中にあります。この状況のために、作曲家たちは、 最も小さな惑わしにも感じやすくなっています。これらは、そうでなければシステム全体にのみ関わるよ うなものなのです。オーケストラ作品の初演のための練習を始める事ができる前に、作曲家たちは — あ るいはその出版社は — すでに高額の資金を(オーケストラの様々なパートの)演奏データ制作に用い ます。その後初めて音楽作品はその演奏を通じて感覚的に現れることができます。この構造は、ますます 少なくなっている投資を前提としています。 そこで、ヨーロッパでは、音楽出版社は作曲家に演奏のデータを準備するように義務づける契約を提供する ようになりました。このような出版は、出版社にとって文字通り何のコストもかかりません。さらに、演奏の 利益も作曲家は出版社と分けなければなりません。この経済的状況において、作曲家たちはもはやオーケスト ラのためには書かないと決めています。彼らは少ないあるいは最小のキャストのために音楽を作曲しています。 あるいは、彼らは出版社の協力を完全にあきらめています。 もちろん、作曲家から財政的基盤を奪いさる第2の原因があります。それは、すでに触れたましたが、 死んだ作曲家の作品を演奏する事に市民が慣れたことです。財政的発展性が音楽企業によって教養ある市 民的規範を典型的に育成するために用いられました。これらのリソースのどれだけが同時代の演奏のため に残っているかを熟考する事は無駄なのです。 オーストリアでは数年前に、著作権のない作品の演奏のために主催者がわずかな収益報酬を収めるかについ ての議論がありました。計画されていたのは、生きているオーストリアの作曲家とその芸術活動のためにこの 方法を提供することでした。経営者とコンサート主催者の激しい抵抗の後に、この考えは失敗に終わりました。 いまや、音楽の領域における芸術生産のあり方にあらゆる点において影響を与えている転回点について 述べなければなりません。というのも、 ― 今日ではおそらくただ部分的にのみ傾向的に知覚されてい るが、しかし将来には確かに明らかとなる ― 作曲家の消滅が社会的な空白を生み出すからです。この 空白は、音楽生活内部の意味媒体にその後も再び影響を与えることになります。表現の主役は、ほぼここ 百年ほど明らかにもはや作曲家ではありません。今日この役割を占め始めているのは、解釈者、すなわち 楽器演奏者、歌手、とりわけ指揮者です。 これは、今日の音楽企業における作法のいくつかの側面においてきわめて明瞭に認識することができます。 ここで言いたいことを知るためには、コンサートのポスターを見るだけでよいのです。指揮者の名前は、作曲 家が死んでいようが生きていようが関わりなしに、確実に作曲家の名前よりもはるかに大きく印刷されていま す。 あるいは、オペラ初演の指揮者が作曲家よりもおよそ3分の1多く収入があるのは確実です。これは以下の ように理解されなければなりません。作曲家の側には一年に及ぶ仕事があります。これに対して、指揮者は3 週間から4週間の練習を行う必要があるだけであり、さらに — 初演の場合には — せいぜい4回から5 回の上演を行わなければならないだけです。 あるいは、たとえばヘルベルト・カラヤンのような人 — オーストリアでは1919年に貴族は廃止され ました — が繰り返し彼の音楽について語ったとき、私は常にそれを個人的な苦痛として感じてきました。 彼は作曲したことはなく、彼の音楽とはただ指揮者としての彼のレパートリーを意味することができたのみで した。 あるいは、指揮者は生きている作曲家にオーケストラ作品の一部の楽器法の変更を進めることを何とも思い ません。それはよく響かない、それは普通のオーケストラを用いては信頼できるように表現できないというの です。 — このときにはそれ自体作曲的問題の新たな定式化が重要である事は、当然指揮者は全く気がつき ません。 あるいは、 ・・・ 私は、帝国は最後には反撃するべきだと思います。これに関して私は以下のような序章を与えます。私は、解釈 者(演奏家:訳者)が芸術家ではないと主張します。彼らは本来の意味における創造家ではありません。彼らは(そ の能力ゆえに評価され尊敬される)楽器演奏家、歌手、指揮者以上でもないし、これ以下でもありません。 (彼ら は、彼らが用いる事のできる能力を理由として愛されるときがあるのです。 ) — しかし、私の側からのこの種 の異議については、別の機会にいつかより詳しく取り上げるべきでしょう。 作曲家の消滅を促進する二つの特別の仕上げついて最後にふれたいと思います。一つはメディアによっ て組織されたもの、もう一つは作曲家によって自ら選択されたものです。 メディアによるものは素早く描くことができます。100年ほど前に人はウィーンを散歩したとしまし ょう。そして、散歩の時に路地の開いた窓から弦楽カルテットが演奏しているのを聴くとしましょう。こ のときには、現実に弦楽カルテットをたとえば練習のときに聴いていると確信できるでしょう。今日同じ ことが起こるとすれば、聴いている人間は誰かが録音媒体をかけていると確信するでしょう。音楽的再生 記述の発明によって、作曲家の機能は ― そしてとりわけ社会における行動範囲は ― 変化してきま した。以下のように考えればいいと思います。器楽作曲家であることができるためには、特別の知識を用 いるのがよいとされていました。一般的に制作について何かを知っていなければなりませんし、楽器をそ の製造法か知っていなければなりません。また、共演において個々の楽器が互いにどのように反応しあう かについて知っている必要があります。さらに、これらの古くから知られた楽器が一つの作品において新 しい関連を生み出すようにとの要求があります。全体はきわめて複雑な一つの領域であり、私は自分の学 生時代には作曲研究は通常16学期続いたことを想い出します。この中では、研究している人間は、音楽 が演じられる社会学的モデルについても教えられました。彼らは、生産技術に関して、テクスト、読解、 反省 ― 作曲家、解釈者、聴衆の三者の関係 ― においても訓練を受けることができましたし、その 必要がありました。また、この領域で経験を積み、これから結論を引き出さなければなりませんでした。 しかし、まさにこのモデルが大きく変化しました。今日若者は音楽を自分たちのノートブックで組み立て、 ただちにそのCDを焼きます。長年にわたる研究はおろか、特別の知識は必ずしも必要ではありません。 サンプラーとサウンドステーションは、アクセスの可能性を促進します。新たなテクノロジーが音楽生産 に決定的に介入していることは明らかです。しかし、テクノロジーは生産の過程に介入するだけではあり ません。それはむしろこの過程を根本的に作り替えるように思われます。というのも、これらのテクノロ ジーは、今日作曲が行われる枠組みを指示するからです。 作曲の時間に直ちに次のことが見受けられます。ほとんどすべての私の学生は、自分の作品を印刷物の品質 で提出します。彼らは、作品をコンピューターで記譜プログラムを用いて書いたのです。もちろん、作品から は若い作曲家たちが記譜についてほとんど考えなかったことがすぐにわかります。つまり、彼らは作曲がおの ずからもたらす記譜形式を選んだのではなく、記譜プログラム ― このプログラムがこの記譜形式を用いさ せることによって ― 彼らに許した記譜形式を選択したのです。楽譜を書くプログラムは学生たちの考えを 裁くのです。このときに、テクノロジーの使用が作曲に関する教育の中で重要な反省を阻止したのです。メデ ィアを肯定的に用いることはそれほど簡単ではありません。W. ベンヤミンは、すでに20世紀の20年代に 次のことを指摘しました。すなわち、メディアは ― それを用いて生み出される生産物の中に ― 反作用 するのです。つまり、メディアは、生産物の中に自分自身の「刻印」を与えるのです。 私は個人的に以前から手書きを愛好しています。しかし、それだけではありません。私にとって録音媒体はたいしたも のではありません。私はスコアを読むこと、とりわけそれのライヴの演奏をはるかに愛好します。 技術的な提供によって ― この提供が見かけのものではないかが熟考されるべきでしょう ― とり わけこの提供が制作技術的に実現する可動性によって、ボイスの仮定(誰もが芸術家であり得る)は実現 されてしまうかもしれません。というのも、それを望む誰もが新たなテクノロジーによって作曲制作にア クセスするからです。私は、作曲家が ― おそらくその特殊な教育によって ― 以前に有しいていた ような特殊な地位をもはや見ることはありません。私たちの考察のこの場所で、作曲家はいわば潜在的な 作曲家の塊の中に融合することによって、消滅するのです。 作曲家の自己選択による消滅に関する問いは、はるかに微妙です。これは、私の講演の中で、私の意見 では真理内容にかける芸術形式が問題となったときに、すでにふれていました。私は、ヨーロッパのドイ ツ語圏に見受けられる特殊なポストモダンの作曲です。この音楽においては比較的古い制作コンセプト このことでもって、例えば主声部と副声部の構造、主題的動機的作曲、何らかの — 後期ロマン派の伝統 にある — 楽器の配置が考えられています。それどころか、再び調性的に作曲されていることです。 が再び見受けられます。このコンセプトは、明らかに原理的な、いわばアイデンティティを生み出す音楽 的な認識的特徴をもっています。この種の音楽は、20世紀の歴史的アヴァンギャルドが試みたようなど んな制作態度をもはっきりと拒絶します。音列主義の思考秩序もこの音楽を通り抜けることはなかったし、 非形式的なものが準備する経験もこの音楽によって反省されることはありませんでした。というのも、こ の音楽ははっきりとプレモダン(前近代)の考えに結びついているからです。このようなことを推し進め る音楽家たちは、私の考えでは、新しいものを作り出す可能性を無視することによって、消滅に至ります。 なお未知の音楽の現象形式を作曲的に探り出すチャンスは無駄となりました。というのも、この音楽は ― あきらかに十分な意図でもって ― 乗り越えられた美学的な立場に関与するからです。内容からすれば、 それはそれ自体において反復するものです。アドルノであれば、この音楽についてその真理内容がたいし たことはないと言うでしょう。なぜ作曲家がこうしたことを行うかについては、私は言えませんし、まし て理解などできません。おそらく、それはアウトサイダーによって好まれたいという要求と関連するので しょうか。しかし、芸術の反対物は善意ではあるのです。 芸術は、その社会的重要性を全く失いたくないなら、 ― 先だって従順に ― 消費可能になっては いけません。芸術は自分自身の社会的な真理である葛藤を探す責務をもっています。 もしも私が正しく考察しているのであれば、このような時代に自己を作曲家として定義することは大変 に興味深いことです。この主張が作曲家であろうという誰にとってもうまくいくことを願いたいと思いま す。 (本報告はシンポジウムで用いられたものよりも詳しくなっている。報告者の希望に頼子の長いヴァージ ョンを記録として収録した。 ) 21世紀における音楽の展望 世界のグローバル化の中で伝統と革新の間にある音楽学校 あるいは グローバルな音楽教育における新しく革新的な方向性を進む グレッグ・ウエートリー ピーター・カルヴォ 編集・訳:中河 豊 この文書は中河教授が提起した四つの論点への応答です。これらの論点は、現在の全世界の教育機関が 緊急な事柄として相対し取り扱う必要があるものです。 問題であるこれらの論点と関心についての私たちの読み方は、以下のようにまとめることができます。 クラシック音楽と非クラシック音楽という芸術形式への区分の消滅 多様な供給への必要が増大 音楽の機能の承認 テクノロジーを用いたアクセス オーストラリアのコンテクストにおいて オーストラリアのコンテクストにおいてはクラシックモデル(古典モデル)とコンテンポラリーモデル (現代モデル)との区分はある期間消滅しつつあります。私たちの現在のコンテクストでは、それぞれの 率は60パーセントがコンテンポラリーであり、15パーセントがクラシックです。この比率は、196 8年に私たちの学校が創設された最初から存在しています。プログラムが570人のフルタイム学生に対 応するために拡充されても、この不均衡な割合のモデルは継続していますし、今後もある期間継続するで しょう。 ここで示唆されているのは、ある特殊なヨーロッパ的なジャンルの支配が色あせ、商業音楽に見られる 「機能的な」音楽によって取って代わられています。エレベーター音楽、映画およびテレビ音楽、音楽劇、 ジャズ、ポピュラー音楽。トレンドは主に商業界によってきまります。学生たちは、自分の関心だけでは なく、将来の雇用の困難な現実をも反映する研究プログラムを選択しています。 統計はクラシック環境における聴衆の減少とオールタナティヴの領域における増加を示しています。私 たちは、これが世界的現象であるとの疑いを持っています。 グローバル化もこの終焉において役割を果たしています。マルチカルチャー的な影響とワールド・ミュ ージックは、巨大なマーケットシェアをとらえました。オーストラリアのようなコミュニティは、多様な 文化の音楽をますます愛好するようになっています。幅広いテクノロジーを用いることによって、私たち も増加し続けるグローバルな音楽経験に参加することができます。これは多様な範囲の地域の音楽を直接 に私たちの意識にもたらします。私たちは、ワールド・ミュージシャンであり、 ― 多くの場合に、私 たち自身の靴を脱ぐ必要なしに ― ワールド・トラベラーであるのです。 シンポジウムでの討論への私たちのアプローチと寄与は、以下の論点をめぐっています。 様々な必要と急迫への対応 アクセスの拡大 私たちは、現在のコンテクストとシドニーにおいて企画された事業の内部で、キーとなる論点を順番に 論じます。 様々な必要、関心、急迫に対応する オーストラリア音楽院は私立の組織です。収入は主に学生の授業料に由来します。学校は政府からの資 金は受け取っていません。すなわち、オーストラリア音楽院は市場に先導されます。私たちは、生き残り に必要な事柄として、市場(学生)の必要と要求について明確な印象と理解をもっています。 これらの必要は、幅広く経済、美学、コミュニティに関連して表現されます。オーストラリア音楽院は、 生き残り活気を保ち続けるために、単にこれらの必要に多くの方法で応じるだけではなく、前向きとなり、 方向性と関心における変化を先取りする必要があります。 オーストラリア音楽院は、幅広い音楽(およびマネージメント)の選択肢を提供します。これは主に学 生の関心と必要に応じるものです。以下の表(表1)は、音楽学士レベルで登録された現在の学生の関心 対象の概観を与えます。これはより大規模な学士レベルのプログラムの中での関心を表現しています。 専門領域 (ジャンル) 2004年の学生選択(パーセント) クラシック 13% コンテンポラリー 57% 音楽劇 5% オーディオ・テクノロジー 21% 芸術マネージメント 4% 表1は学士レベルの学生の要求を示す(2004年6月) 。 学士以後(post graduate) は芸術マネージメント領域での明らかな増加に関して同様である。 表2は学士以後の現在の輪郭と学生の関心と専門の概観を提供する。 専門領域 (G enre) 学生の選択(パーセント) 学生の選択(パーセント)2 2004年第1学期 004年第2学期 作曲 9% 9% クラシック 44% 26% 音楽劇 6% 3% コンテンポラリー - 3% テクノロジー - 3% 芸術マネージメント 41% 56% 表2は学士以後の学生の要求をパーセントで示す(2004年6月および10月) 。 高級文化と低級文化を分類するという現実的な概念はもはや支配的ではありません。私たちは、選択さ れるときにはジャンルをクロスするものも含めて、学生たちに幅広い選択肢を提供しています。学士以後 のクラシックの学生は、彼らの通常の領域外で、マネージメントあるいは映画音楽領域のコースをしばし ば選択します。ある学生たちは文化分類の全く外で論じたりするのです。 2004年10月にオーストリア音楽院にはほぼ550名のフルタイムの学生がいます。このために国 内で最大の音楽学校の一つとなります。学生の全体または集合は(4歳からの)若い音楽家プログラム、 ハイスクール(11歳と12歳) 、証明書2(VET)から博士コース(高等教育)を含んでいます。このシス テムでは、様々な内容、行われているアクセスへの機会と退去への機会、これらが接合されています。 2004年から2010年までの戦略的な目標2では、2010年までに1000のフルタイム学生が予 定されています。成長が予測されている領域(前向きである)には、現代マネージメント、オーディオ・ テクノロジー、映画音楽とテレビ音楽、芸術マネージメントがあります。 私たちは需要(ここでは学校が正規雇用のスタッフの関心と専門性に基づいて研究対象を決定します) から供給(ここでは私たちは学生の必要に対応し、スタッフの専門性を必要とされるものへと調整します) への移行期3にあります。この移行は、多面的なサイトと提供の多面的な方法を必要とします。 2 Whateley, G. and Calvo, P. (2004) A Strategy for Growth and Development During 2004 – 2008 @ The New Australian Institute of Music (Consolidated). The Australian Institute of Management Sciences. Sydney. 3 Whateley, G. and Mienczakowski,J. (2002) Creating a Sustainable Future for the New Conservatorium of Music in the New Economy. Australian Journal of Music Education, 9 (1): 50-54. アクセスの拡大 学校の戦略的目標は、製品(products)の多様性、提供方法の多様性、供給サイトの多様性に焦点をあて ることです。この焦点(あるいは製品)は、学生さらに提携しているヴェンチャーパートナーの要求によ ってかなり決まります。 製品の多様性 既存の公式の資格を用いることによって、オーストラリア音楽院は、学生の関心と必要によって決定さ れるものとして、一連の内容(メジャー)を提供します。現在私たちが提供しているものには、現代音楽、 オーディオ・テクノロジー、クラシック、芸術マネージメント音楽劇と作曲があります。資格の枠組みは、 修了証明から博士レベルまで授与可能です。学生は、学士レベルの関心のある領域でメジャーを達成しま す。もちろん、学士以後のレベルでは専攻することもできます。博士のプログラムは研究に基礎をおく主 導性であり、これは関心領域または研究対象における高度な研究を行う機会を学生に提供することになり ます。 提供方法の多様性 1968年以来オーストリア音楽院はシドニーにあるサイトにおいて対面(F2F)方式で供給してき ている。1995年からは学士以後の選択肢が対面式供給を用いて提供されている。セントラル・クイー ンズランド音楽院によるヴァーチャル・コンセルヴァトリウムと呼ばれる最近(2002年ごろ)のプロ ジェクト(クイーンズランド州ワイド・プロジェクト)4はオーストラリア音楽院によるヴァーチャル音楽 学校とヴァーチャル・マネージメント科学学校の発足を支援しています5。この二つのプロジェクトは成長 と多様性を確保しなければなりません。これらは、学士レベルと学士以後のレベルの内容提供の一部とし て、対面方式、CDロム、オンラインを組み合わせる機会を学生に提供しています。これは大変意義のあ る方法でアクセスの問題を取り扱っています。学生たちは、自分の現在の活動範囲を超えるときには、も はやシドニーのクラスに出席する必要がありません。オーストラリア全体の(あるいはこれを超える)学 生が自分にふさわしい方法で勉強することができるのです。私たちはここで要求(demand)から提供(supply) へと動いています。クイーンズランドにおけるより小さなプロジェクトの予備的試み6では、有益な洞察を 与え、教授と学習のこうしたモデルへの必要を強めることとなりました。 学生たちは、CDロムとオンラインサポートをふくめ、シドニーにおける対面式オプションに組み込む テクノロジーを求めています。この要求も明らかです。学士レベルと学士以後のレベルのマネージメント 4 Whateley, G. and Bofinger, I. (2003) 'The Virtual Conservatorium' - A New Flexible Model for Conservatoria. Proceedings of the 4th Asia-Pacific Symposium on Music Education Research pp 401-406, July, Hong Kong. ISBN 962-949-134-6 5 Whateley, G., Calvo, P., Bofinger, I. (2004) On the Importance of Being Flexible. Sounds Australian - Journal of the Australian Music Centre. Number 64: 38-39 ISSN 1030-4908 6 Whateley, G. and Bofinger, I. (2003) Designing the Teaching and Learning Environment for The Virtual Conservatorium at Central Queensland Conservatorium of Music in Knight, B.A. and Harrison, A. (Eds) Research Perspectives on Education for the Future (pp 97- 112). Flaxton: Post Pressed. ISBN 1 876682604 プログラムの学生たちにとっても、ワイヤレスの環境は必須の要素です。電子的なスーパーヴィジョンも 現在の学士以後の実践にとって必要なことがらです。ある点において、現在利用可能なテクノロジーは、 現在の学生のための新たな需要と要求を生み出しています。 供給場所の多様性 新オーストラリア音楽院の戦略的目的の重要な要素は、多面的なサイトの開発です。2年以下の期間に ビジネスのこの側面は拡大し、すでに明確な姿と成長力を示しています。表3は2002年から2004 年の様々なサイトの発展の概観です。 表3 2002 2003 2004 シドニー シドニー シドニー シンガポール シンガポール 上海 ブリスベン マニラ サイバースペース 表3 地域ごとの営業 私たちは2008年末までに20のサイトをカバーする営業を期待しています。2002年にはオース トラリア音楽院はセントラル・シドニーで対面方式でのみ製品を供給しました。2004年現在、様々な 方法を組み合わせて6つの場所で製品を供給しています。ほぼ480名のフルタイム学生がシドニーのサ イトにアクセスし、70人の学生がそれ以外の5つのサイトでプログラムにアクセスしています。私たち は、― 学校に登録する1000名のフルタイム学生という戦略的計画のもと ― これから4年以内に 様々な新しいサイトで顕著な成長を期待しています。シドニーのサイトにおけるほぼ600名の学生とそ れ意外で400人の学生です。 数字を別にして、これは、過去に私たちと学ぼうと考えなかったかもしれない学生たちに機会のネット ワークを開発したことなのです。さらに、私たちは、開発されつつある供給方法を用いて、幅広い提供物 にアクセスするための機会を多くの人々に与えることができます。もし次の10年間を示す言葉があると すれば、それは「アクセス」となるでしょう。私たちは最優先の事柄としてこの問題点と取り組んでいま す。 ここで提案された成長と多様性能登って本質的なことは、製品と方法の品質です。品質の保証7は消費者 の事柄であると同様に学校の事柄となりました。私たちが必要としている品質保証の仕組みは、品質要求 7 Whateley, G. and Bofinger, I. (2002) Creating and Maintaining an Environment of Innovation and On Going Change and Development within the Modern Conservatorium in B.A. Knight (Ed) Reconceptualising Learning in the Knowledge Society (pp 119-134). Flaxton: Post Pressed. ISBN 1 876682 45 0 と今私たちが受け取っている学生からのフィードバックに注意深く適合させる必要があります。 結論 私たちが組織として取り組む必要がある鍵となる二つの領域は、学生の必要と要求の変化に対応するこ と、さらにアクセスのより幅広いあり方と方法を提供することです。これらは、過去10年間私たちの思 想と行動の中にありつづけた事柄です。 先取り的であること(これはスタッフィング・モデルと学校経営の問題に反映されます)によって、私 たちは私たちの製品とプルグラムへの高水準の関心を維持できることを願っています。逆に、幅広い現代 の供給メカニズムを用いることによって、多様な場所にいる学生に多様な場所で私たちとともに学ぶこと を支援したいと考えています。 私たちの見方では、次の10年間の挑戦は、私たちの歴史と遺産を承認するとともに、関心とアクセス が高まるような方法で自分たちを再開発すること、これが私たちの次の10年の挑戦です。未来は過去を 操ることができると言っていいでしょう。 著者について グレッグ・ウエートリーは現在オーストラリア音楽院のジェネラル・マネージャーであり、オーストラ リア・マネージメント科学研究所とカルヴォ研究所(リサーチ)の創設教授である。 ウエートリー博士の専門性は、柔軟な供給、他地域的マネージメントと供給、ヴァーチャル・エデュケ ーションの企画と供給にある。2002年にヴァーチャル音楽院の創設した一人でなる。彼は2004年 に自分が創設したヴァーチャル音楽学校とヴァーチャル・マネージメント科学研究所のマネージャーであ る。 彼はその専門領域において多くの論文を執筆している。 グレッグ・ウエートリーは名古屋のシンポジウムでオーストラリア音楽院を代表している。 ピーター・カルヴォは、オーストラリア音楽院、オーストラリア・マネージメント科学研究所、カルヴ ォ研究所の創設者であり、現在のディレクターである。これらの学校は私立であり、政府による資金なし に運営されている。 カルヴォ博士は1968年にオーストラリア音楽院を創設し、それ以来幅広い企画とプログラムを開発 してきた。これは長い年月にわたって大いに承認されてきており、2003年には連邦議会において教育 大臣により「優れたセンター」として認められた。 彼はその専門領域において長年にわたり多くの著書と論文を著している。 (本報告はより長文であった原文を著者からの了解により中河が編集したものである。 ) 参考資料 ミカエル・ウラドコフスキー 訳:中河 豊 中河氏による思索を挑発する論文は、グローバルな文化における音楽と音楽家の現在の立場について多 くの討論の問題点を提起しているだけではありません。それはまた、この進歩の可能でありえる方向性と 結果について先取りするように私たちを刺激するものです。 私は音楽あるいは芸術は外部あるいは経済的コンテクストで判断または分析されてはいけないと示唆し たいと思います。驚異的な芸術的達成が可能となったのは、印刷、鉛筆、安価な紙、磁石のコンパス、機 械式の時計といった様々な革新と発見のおかげであり、これはルネサンスを見るだけでわかることです。 これらの事柄は長い中世に幕を引き、ヨーロッパの世界観を劇的に変容させました。 ヨーロッパまたは日本における「高級」文化と「低級」文化の支配に関しては、ドイツというモデルと なる国においてさえこの支配を統計的に決定することは不可能です。高級文化がもはや私たちの社会にお いて支配的ではないと中河氏は主張します。私はこれが正しいと思いますけれども、この主張は適切なも のであると示されるべきです。高級文化はエリートの専門家階級をともなう貴族制と上層ブルジョアジー の自己投影でした。人間への超越的責任さらに知と真理への貢献の理想が高級文化の背景となっていまし た。したがって、高級文化とコンサート音楽が機能をもたないと主張することはできません。コンサート 音楽の極限の力は、単なる美にあるのではありません。むしろそれは、真理、すなわち生への理想的な態 度、人間生活における闘争、状況、感情、英雄主義、愛といった事柄の理想化、これとの対話の中にある のです。ところで、これらすべては不必要であるように思われます。というのも、例えば、私たちはもは や貴族的な理想を求めてはいないからです。むしろ、人は麻薬を吸引し、子供をばか騒ぎにやり、福祉で 生きながらこの支援を提供する国家をいつもののしる、こういったことの権利を主張するのです。こうし た圧力のもとに高級文化の放棄を勧めることはできません。高級文化と低級文化との均衡は、様々な仮定 に基づいて変化させる必要があるでしょう。さらに、日本の社会においても高級文化と低級文化との同様 な境界線がグレイゾーンとともに存在したと私は考えています。 グローバル化が文化についての私たちの知覚を変化させていることは明らかです。どの文化が支配的で あるかの知覚は、適切なものになったり、時代遅れのものになったりするかもしれません。私は個人的に は、どんな文化の偉大な達成も等しく最大の尊敬、賞賛、そして研究に値すると信じています。事実、私 はいわゆる「作曲家中心の美学」が問題だとは思いません。芸術の偉大な作品の研究はきわめて重要なも のです。確かに、一般的な原理、形式的図式、芸術的技法の知識、歴史的かつ文化的基準は、私たちを芸 術作品に接近させますが芸術の核心に触れることはありません。この核心とは、全体としての作品、その 特有の構造と表現を感じ取る生得の感覚のことです。ここにある目的は、直感と思想のそれぞれが可能な リソースを用いながら、この両者の間に連続的な対話があることでしょう。このことによって、単なる「様 式」の実例として作品や演奏を理解することや知覚することではなく、作品の可能な「真理」へと至るこ とができるのです。 作曲家、聴衆、演奏家との相互行為についての実例は、未決着の論点であり、確かに取り扱う必要のあ るものです。個人的には、私が体験した最も深い芸術的瞬間はイベントのような「出来事」にはありませ んでした。むしろ、これは、作曲家、聴衆、演奏家との間の信じがたい絆を伝える演奏者によって生み出 される偉大な知覚の瞬間にありました。 音楽の商業的使用については、これが現実的あるいは潜在的になんらかの仕方で音楽の価値を強める、 あるいはこれを減じるとは思いません。再びルネサンスに言及すれば、芸術家の商業的能力は重要な性質 だと考えられており、これが生み出す競争の精神は芸術家と見る目のある買い手のみならず将来の世代に とっても高度に有益なものでした。これについては、ミケランジェロとレオナルドのカスティーナとアン グヒアリの競作に関する競争を考えればよいと思います。 確かに、グローバル化のコンテクストの中で独自の文化的アイデンティティを生み出すことは、音楽の 創造と研究においてきわめて重要な要素でありますし、そうであり続けるでしょう。しかし、わたしは、 再びイデオロギー的に定式化され押し付けられたプログラムに反対したいと思います。芸術の研究は、音 楽の商業的、政治的、医学的、または社会学的利用が完全に正統的なものであるとしても、これとは別の ものです。最後に、すべての情報は不完全なのですから、どんな「正しい」答えもありません。しかし、 卓越性は目的であり、目的であり続けます。私は、東京大学のイシカワ・カオル教授の言葉を21世紀に おけるすべての芸術学校のモットーとして提案したいと思います。すなわち、それは「慈しみなしにはど んな質もない」というものです。
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