-・首長幸三 妻完河苦司・ ゴードン会議 (2005 年)に参加して 工藤 崇 早 稲 田 大 学 大 学 院 電 気 情 報生命 専 攻 薬 理 学研 究 室 2 0 0 5年 7月 31日から 8月 5日ま で 、 ゴー ドン 会誌 義な意見交換をしたりすること ができた 。 今回得ら がアメリカ合衆│ 主│ 、 ロ ー ド ア イ ラ ン ド 州 、 ニ ュー れた貴重な意見をもとに、さら に研究を発展させて ポ ート の S al v eRegi na 大 学 で 開 催 された。 ニ ュー い くつも りである 。 で き れ ば ゴード ン会 議の 内容を ポート はボス トンからパスで約 11 1 剖I U南へ下 った 、 ここでが{ 介したいのだが、 海に I~Tj まれた 地域で、リゾ ー ト 地 である 。 いため に会誌の 記録は 禁 止 されている 。 よってそれ また、テ ニス の U. S. オ ー プ ン 発 祥 の 地 で も あ る 。 さらにリ ゾート地とし、うこともあ って 、 豪 邸がたくさんあ る、 I~I 由な意見交換を 妨げ な 以 外の ことについて 書く 。 アメリカではいろいろ戸惑うこ とが多かった 。 私 は 、 会場ーのシングルの部屋 を予約していたのだが、 大 変美 しい 地域である 。 この 会議 は、 1 9 31 年にアメリカのゴードン陪k tの 会場で似然会った 知 り合 いの日本人制究者に部屋 番 H 手びか けによってボルチモアではじま った,歴史的 号を │ 却 し 、てみると 、なぜか私と音1 ) 屋 番 号 が一緒 だ っ に古く 1 : 界的にも椛成のある会議 で、 2年に I回開 た。 会場の宿 泊施設が足りなくなり、部屋 が変更に 催されている 。 そしてこの会議は、 川 究者聞の 交流 な ったということだった 。何 人かの研 究者は会場近 と自民l な議論の場を提供 する こ とを 1的 としてい る。 くのホテルに泊まったそうである 。 私の泊まったと 会議の初日は 1 9時 3 0分 か ら 口 頭 発表 が始ま った。 ころは大学の寮だったのだが、 寮の入り口のカ ード 在、は前日にボストンで一 泊 していたのであまり疲れ キーのみ波されて 、部屋 の鍵は 1 ! ! f ,かったので少 し不 ていなか ったのだが、 当 日アメ リカに来た人にと っ 安だった 。 トイレは 2つの部屋に lつ しかなく、両 てはかなりつらか っただろう 。 2R1 = 1 からは 9時か 方の部屋につながっている 。 だから、 │ 燐の部屋から ら始まり 、 休憩を は さんで 21 時3 0分過ぎまで会議が 外 国 の 研 究 者 が 「トイ レを貸 してくれ」とい って 、 続く 。 そ して、会識が終了 した 後 は 、毎 日 ほ ほ 全員 出てきたときにはび、っ くり した 。 一般 的 には、 性別 、 がアル コー ルを飲みながら 研 究者間の交流をはかる 年齢、人種などを考慮 して部屋を割り当てているよ ことになる 。 参 加 者 は 原則 的 に会場 で あ る 大学に i l ' l うであ る。 まることになっているので 、帰 る 手 段 や 時 間を 気に 1 2時 3 0分 か ら 41 1 寺までは自1' 1 : 1 時間なので、ニュー する必要は無い 。 当 ! こ │にアメ リカに来た 円本人間究 ポー トの矧 光 を 行 った。 ノ1スで仁' l心 地 まで行ったの 者は、時 差 ボケの上に ア ル コー ルが入る ので、=t!_~・ し だが、 パスの 小銭 を 持 っ て い な か っ た の で 、 パ ス の Mか ら晩まで1人l容の濃い 運転手に「何でソト銭 を 用 意 して お か な い ん だ リ と 会議に参加 することができた こ とに大変感謝してい 怒られてしま った。 アメ リカではおつりが出 ない よ る。 うに料 金 を払わな ければい け ないら しい。 まず テニ そうだ った。 ほ ほ 1: i 並 !r : 1 J、 会議の 2日目から 51 1 I~I にかけては l 6 時か ら 1 8 11寺 スの U . S. オープン発祥の 地 にあるテ ニ ス の 殿 堂 開物 まで の : r i j、ポス タ一発 表 が7 0件 程度行われた 。 この 館にいった 。 権かに テニ ス コート はあ ったのだが、 時1 1 ¥ ] は ビ ー ルやワインを飲みなが ら、ポ スタ ー につ 特に変わ ったテ ニ ス コート ではなか った。博 物 館 の いて議論する 。 私は 「サミユエル ・アダムス 」 とい 中 に入るには 8 ドル必 要 だ っ た の で、 入るのをやめ う地 ビー ル を毎 日飲んでいた 。 とてもおいしか った。 ておいた 。 その後、港 に行っ たの だ が、ヨ ッ トがた 私は 「コー ル酸含有食 の マウス日 │ 臓に対する影響 j くさん泊めであり、とてもきれ いな光景 だ った。 ま というタイ トルで、ポスタ ー発 表をれってき た。 ポ た 、 この地域はロブスタ ーが 名 物 な の で、至る所に スターを lh~ る;場所は特に指定され て おらず、 自 分の ロブスターの看板があったのが 印 象 的 だ った。 帰り 好 きなと ころ に貼 る こ とがで きた 。 ポスタ ー につい は 歩 い て 帰 っ たのだが、き れ い な豪 邸 が とても多 て、多くの l i J f究 者から様々な質問を受けたり、有也、 かった。 私は 普段とても狭し、家に住んでいるので、 I . l fI ¥ I J ' . 1 ' 物小 VoI .II .No. ; i( 2005) 戸 hd 臼 つ とてもうらやましかった 。 ニュ ーポート は避暑地 な 食べるときにはナプキンと殻を砕く道具の ようなも ので、普段はもっと大きな家に住んでいるのだろう 。 のが出てきたのだが、使い方がよくわからなかった 。 また、通りを走っている車も大型車ばかりだ、った 。 適当に殻を砕いて食べていたのだが、アメ リカに留 アメ リカの食事 についても 書い ておきたい。一般 学経験のある日本人研究者によると 一応食べ方があ 的にアメ リカの食事は日本人の口に合わないといわ るらしい 。最後の夕食に大変おいしいものを食べる れているが、確かにその通りだと思った 。 ゴー ドン veRegi na大学 ことができて、とてもよか った。 Sal 会議開催中は会場の大学のカフェテ リアで朝食、昼 は海に囲まれた大学である 。 よって 、海に潜ってロ 食、夕食をバイキング形式で食べるのだが、途中か ブスタ ーを捕まえ ようと思 っていたのだが、ロ ブス ら飽きてしまった 。 フル ー ツなどの{ 池康的なものが ターは比較的深いところに生息しているので 、実現 ある 一方、大きな肉など太りそうなものもたくさん することができなかった 。 I I Tへ出て中華料理を食べた あった 。途中、 昼休みに I 寺間生物学の最先端を学ぶこ この会議を通じて、 H のだが、メ ニューが英語と中国語で書かれていたの とができた 。 また、外国の研究者と交流をはかるこ で、よくわからなかった 。何 とか注文したのだが、 ともできた 。 さらに最新のデー タ発表がたくさんあ 現物を見るまで安心 できなかった 。 出てきた中華料 り、とても 刺激を受けた 。次にゴード ン会議が行わ 1本の l 床とはだいぶ 理は確かに中華料理なのだが、1: れるときにもぜひ参加 したい。 異なっていた 。 この会議の最後の夕食にはロブス ターが出てきた 。夜、はカニでさえあまり食べたこと が無かったのでとてもうれしか った。 ロブスタ ーを 会議の参加者 口フス ターと 筆者 ポ ス タ 一 発 表 会場 時間生物学 Vo1 . l 1 .No. 2 (2005 ) 4 円 ph U
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