Printing Education 育 教 刷 印 新時代への提言 13 東日本大震災と drupa 2012 からのメッセージ(第14報) 国際印刷大学校 木下 堯博 国際印刷大学校では「drupa 2012と印刷学術・文化視 新しい機材の発表があった。特に,Landa社のインクジェ 察」を計画し,5月5日に成田よりドイツ入りした。Drupa ットは話題となった。EU経済が低迷し,ドイツの最大の 展は1951年から始まり,本年で第15回目の開催。著者は 出版社{Welt Bild} (Augsburg)が売却先を探している 1982年から今回のdrupa 2012まで7回目の参加となった。 などで,今回は展示面積が16万平方メートルと減少した 近年,スマートモバイルなどの発展により印刷メディア が,約2000社の出展のうち(33%)は元気のあるドイツ企 も変化をせまられ,昨年10月,東京大学でOECD加盟国の 業の出展で,自動化,デジタル印刷のワークフローや営業 デジタルの読解力の調査報告がされた。韓国はいずれの分 を含めたビジネスモデルが大半を占めていた。日本からは 野も1位となったが,2014年からのデジタル教科書の全 42社(海外からの出展は除く)の出展があった。しかし, 面導入も世界的に注目されている。カラー印刷画像の特徴 世界の動向は環境を包括したSmart Solution drupaとし は感動を与える側面もあり,パッケージではマーケットを て視察する印刷人も少なくないと思われる。印刷の本質か 左右するデザイン力が生命線である。世界の印刷出荷額は らみると,世界のBOP(Base of economic Pyramid)人 50兆円程度で,新興国の伸びが著しい。印刷関連機材を含 口40億人に対する印刷文化の啓蒙や生活向上に向けた印 めると70兆円(?)推定。しかし,デジタルの進展で,ハ 刷の役割も今後,各地で展開されることを期待している。 ードの印刷は減少し,ソフト化での情報伝達は一層拡大す 今回はグーテンベルグ博物館,ライプチッヒ博物館が出 る中,drupa 2012の課題は印刷画像制作から印刷のスマ 展し,KIPES 2011でも「直指」が紹介され,いずれも若者 ート化にある。 をひきつけていた。また,ドイツでの印刷メディア系の教 従って,今回はdrupa 2008に引き続きInkJet drupaと 育研究機関が6号館で五つの大学が共同で出展していて, なり,数多くのメーカーがインキジェットやトナー方式の 多くの卒業生との交流があった。 (写真)Predrupa 2012と して, 「drupa 2008 から 2012へ,─印刷文化を中心として ─」をすでに3月に発表,さらに中小企業庁から「日本の未 来」応援会議〜小さな企業が日本を変える〜の委嘱を4月 に受けた。これらの活動とdrupa視察などから東日本大震 災で被害を受けた印刷及び関連企業の皆様へ役立つよう計 画中で,詳細はHP又はFace Bookを参照して下さい。な お,宮城県印刷工業組合から「3. 11東日本大震災の記録」 及び宍戸清孝写真集「震災1年の記録」を御恵送頂き感謝 申し上げます。 (Dusseldorfにて,2012年5月7日) 写真 Five Print Media Universities( Hall 06 ; A 7 - 01 ) 84 印刷情報・2012・6 Printing Education 育 教 刷 印 育 印刷教 新時代への提言 新時代への提言 アントワープで考えたこと 芝木儀夫(精華女子短期大学教授) 数年前,スイスのバーゼルからライン川沿いを北上し, 16世紀,ラテン文化圏とゲルマン文化圏,あるいはカト ライン左岸にあるフランスのストラスブール,ドイツのマ リック圏とプロテスタント圏の境界線上に個性的な出版都 インツを訪ねたことがある。さらに,ゴシック様式の大聖 市が見られるという。バーゼル,ストラスブール,そして 堂で有名なケルンからベルギーの首都ブリュッセルを経て アントワープなどである。多くの言語と宗教が行き交い, アントワープまで足を伸ばした。旅の最終目的地は, 「プ 自由闊達な出版活動が展開できたといわれる⑵。 ランタン=モレトゥス博物館」である。 ベルギーという国家が成立するのは1830年になってか クリストフ・プランタン(1520頃−1589年)は,フラン らである。その成り立ちを背景とした地域対立は,21世紀 スのトゥール付近に生まれパリを経て1550年アントワー の今日でも続いているそうだ。南部にはフランス語,北部 プの市民として登録されている。製本業で身を起こし,印 にはオランダ語,東部にはドイツ語を用いる人々が住む。 刷・出版事業を成功させた。最盛期には16台以上の印刷機 そして,首都のブリュッセルには,EUやNATOなど国際 を持ち,80人の従業員を雇っていたといわれる。可読性の 機関の本部が置かれている。文化の分水嶺に立つのは不思 高い活字や挿絵の工夫,質の高い製本など技術の向上にも 議な気分であり,おもしろいことでもある。 努めたが,ネットワークを駆使した販路の確保や時代の状 (参考文献) 況を鋭く見抜くビジネス感覚が彼の名を後世に残す結果と ⑴芝木儀夫「アントワープのプランタン〜16世紀のネーデ なった。プランタンが出版した代表作は,スペイン王家の ルランドと印刷工房の歴史〜」精華女子短期大学研究紀 支援を得た『多言語対訳聖書』 (1568−1573年)といわれ 要33・34号47−54頁 平成20年 るが,そこに至る彼の半生は実に劇的である⑴。 ⑵宮下志朗『マインツからアントワープへ』 「印刷革命が始 現在のベルギーを含むベネルクス3国付近は,当時低地 まった:グーテンベルクからプランタンへ」プランタン 地方(ネーデルラント)とよばれスペイン・ハプスブルク = モ レ ト ゥ ス 博 物 館 展 図 録 印 刷 博 物 館2005年 家が支配していた。16世紀はルターやカルヴァンらによ 22−33頁 る宗教改革の時代であり,それは活版印刷の普及とともに ヨーロッパ中に広まった。ローマカトリックを背景とする ハプスブルク帝国と,宗教改革を支持する勢力とが対立し ていた。ローマカトリック側はイエズス会などを通じて反 宗教改革を展開し,事態は混沌としていく。どちらの勢力 にとっても,印刷・出版は欠かせないプロパガンダであっ た。そんな時代を,プランタンは巧みに生き抜きその後 300年に及ぶ印刷・出版兼書店事業の基礎を築いた。 写真 世界遺産のプランタン博物館 印刷情報・2012・6 85
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