J apanese tex t 2011年 秋/冬号 日本語編 ごちそう t デビッド・ブーレイ(ブーレイ) NY シェフ、東北へ── 被災地・釜石に現れた世界一のレストラン 撮影=佐藤竜一郎、瀧上憲二 文=編集部 p.083 岩手県釜石市は、人口 4 万人弱、製鉄と漁業の町だ。3.11、 東日本を襲った津波はこの町に、死者・行方不明者数 1,180 フランスのポール・ボキューズ、ジョエル・ロブションに師事した後、NY で独立。6 月に和食の店 brushstroke もオープンしたばかり。 クレイグ・コウケツ(フォース・ウォール・レストラン・グループ) Park Avenue のエグゼクティブシェフとして注目され、現在 6 店舗を展開 する Fourth Wall Restaurants Group のパートナー。 人、家屋倒壊数 3,723 戸という被害をもたらした。愛する人 や家を一瞬で失った人々の悲しみの集積は簡単に文字にはで ビル・テレパン(テレパン) きない。東北沿岸の多くの町と同様、悲しい出来事がここで ダニエルの元で働いた後、アッパーウェストの住宅街に自らの店をオープ も起きたのだ。 ン。Zagat でベスト・ニューカマーに選ばれた。 震災から約 3 か月経った 7 月 3 日の日曜日。ニューヨーク のスターシェフたち 9 人が釜石を訪れた。被災者をとってお きの料理で元気づけるために。 (p.082-083) ダニエル・ブールー(ダニエル) おいしいものが人を幸せにする p.087 「ニューヨークでチャリティをしてきましたが、集まったお金 ミシュラン三ツ星に輝くDaniel ほか 7 つの店を経営。米国料理人協会の がどこに行くのかわからないし、被災した人々の顔が見えな 選ぶ「2011 年最優秀シェフ」 。今回のプロジェクトのリーダー。 い。そんな時この話が持ち上がった。私は食べ物や美味し オノ・タダシ(祭り) 1980 年、日本からカリフォルニアに渡り、シェフ修業。La Caravella の主 任シェフを勤めた後、モダン日本料理の店 Matsuri をオープン。 いお料理は人を幸せにする力があると信じているのです」と、 シェフグループのリーダー、ダニエル・ブールー。 「レストラン」の場所は市内の陸上競技場。幅 50 メートル にわたりテントが張られ、ケースに小皿の料理を取っていく フランソア・パイヤール(フランソア・パイヤール・ベーカリー) カフェテリアスタイルだ。各シェフが一皿ずつ担当し、すべ ダニエルのオープンからパティシェとして活躍。1997 年に自らのショップ て取れば 9 種類のフルコース。馴染みのある味付け、年配 Payard を NY にオープン。東京にも出店している。 パトリス・マルティノー(ピーター) ザ・ペニンシュラ東京のレストラン、ピーターの料理長。ダニエルに 6 年間いたこともあり、今回は日本で会場や調理設備などの準備を進めた。 の人たちを考慮した食感など、食べる側へのさまざまな配慮 がなされた。 デビッド・ブーレイは、黒豚を酒と醤油で煮込み、味の決 め手は黒トリュフ。「Wakiya の脇屋友詞さんのアイディアを もらいました」 フロイド・カルドス(ノースエンド・グリル) 味噌や酒粕を使ったのはビル・テレパン。「和食を料理す インド・ボンベイ出身。NY のモダン・インド料理の店 Tabla で主任シェ るのは初めて。でも和食は好きなので、味付けは馴染みの フを務め、現在は有名店 North End Grill の主任シェフ。 マイケル・ロマーノ(ユニオン・スクエア・ホスピタリティ・グループ) あるものです」 「日本のカレーを試食して、スパイスのレシピを一から作り Union Square Cafe のパートナーかつシェフ。NY で高評価を受ける 13 の ました」と、チキンカレーを作ったフロイド・カルドス。 レストランの経営に関わる。全米規模の数々の賞を受賞。 冷製スパゲッティにカラスミを使ったマイケル・ロマーノは Copyright - Sekai Bunka Publishing Inc. All rights reserved. Reproduction in whole or in part without permission is prohibited. Autumn / Winter 2011 Vol. 28[ ごちそう ] 1 「日本人の友人にアイディアをもらいました。ニューヨークで 話の発端は、5 月の中旬、旧知の間柄である、新日本製 試作して美味しくできたので喜んでもらえるはず」 。 鉄の執行役員の藤原真一氏と、エックスコール・エナジー・ スイーツ担当のフランソア・パイヤールは「卵やバターな アンド・リソーセズの CEO、アーニー・スレイジャー氏のダ どフランス料理で使うものは使わずに豆腐が中心です」 。 ニエルでのディナーの席だった。新日鉄の工場がある釜石 最終的な来場者はおそらく2000 人以上。用意した料理は 市を支援したいというのがアーニーさんの思いだったが、 約 1100 人分で、日本側スタッフは料理が足りないと冷や汗 シェフ・ダニエルも話に加わって今回のプランが持ち上がる。 をかいたが、シェフたちに動じた様子はない。量を調整し、 数日後、ダニエルは、食のイベントなどのコーディネーター あるいはメニューを修正し、列に並んだ最後の一人まで食 であるコムカルチャーの瀧上妙子さんにイベントのヘッド 事を提供し、レストランと変わらない誠意と笑顔をもって釜 コーディネーターを依頼。瀧上さんが快諾し、実行が決まっ 石の人々に接した。日本語で「お待たせしました。おいしい たのだ。エックスコールが全費用をもつことが決まった。 ですよ」と一人一人に皿を手渡す。 イベント 1 か月前にダニエルから声がかかったパトリス・ 「これだけの人たちに料理を通して自分が何かをしてあげら マルティノーは日本在住のシェフとして受入態勢を整える役 れるというのはとても幸せなこと。シェフであること自体幸せ だ。「こんな大変なことになるとは思いませんでした。シェ です」とクレイグ・コウケツ。 フたちが来日する際の細かい準備や手配、会場探しや下見 そのシェフたちの思いを釜石の人々も笑顔と感謝で受け止 で釜石にも通いつめて、この 2 週間は 1 日 24 時間フルに めた。初めて食べる料理を手にした人々は「おいしい!」と 働いていたような感じです」 誰もが嬉しそうだ。思いもしなかったピクニック。平和な空 1000 人分の 9 種類の料理を厨房もない場所で料理する 気が満ちる。美味しい料理は本当に人に笑顔をもたらすの のだ。食材は? 料理の準備はどこで? だ。 シェフたちは東北の食材にこだわった。原発事故に伴う 「今日、地球上で一番素晴らしいレストランはここです!(The 風評被害の渦中にある東北の生産者たちを、安全が証明さ best restaurant on earth today is here!) 」 れている食材を自ら使うことで応援したい思いがあったから このダニエルの言葉を皆が幸せな気分で聞いていた。 だ。 食材調達を担当したシェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ ホテルの料飲部長・宮崎 敦さんがいう。 (p.087) 「最初ダニエルは東北、特に釜石の食材を使いたいと言っ ノンアルコールのワインも会場で提供された。 てきましたが、釜石では無理。東北全体で見ても漁業のダ メージが大きく水産物は不可能。野菜も流通がまだ混乱し ていて、とにかく量が揃わない。それになにしろメニューが 届いてからイベント当日まで1か月しかなかった」 p.088 宮崎さんは奔走し、ビーフは東北の複数の県から、ウニ 「被災者のかたがたにほっとしていただきたい。ニューヨー やホタテは生だけでなく冷凍ものも含めるなどし、安全が厳 クだけでなく世界中の人たちが頑張ってほしいと思っている 格にチェックされているもので、可能なかぎり食材と量を東 ことも伝えたい」と話すレストラン「祭り」のシェフ、 タダシ・ 北から集めた。岩手・宮城の鶏もも肉、岩手のお米・ひと オノは東京出身。イベントへの参加は願ってもないことだっ めぼれ、青森のにんにく、りんご……。 た。 イベント前の二日間、料理の準備に厨房を提供したのは Autumn / Winter 2011 Vol. 28[ ごちそう ] 2 シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテル。量が量だ けに厨房の尋常でない慌ただしさも予想されたが、準備初 日の午後 3 時頃に行ってみると既に厨房はゆったりとした雰 囲気。シェフたちをアシストしたのは、ザ・ペニンシュラ東京、 シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテル、帝国ホテル の本職シェフたち。彼らも NY シェフと同じ思いでこのプロジェ クトに参加していた。 「私たちは、きょうのイベントが失われた命や財産の代わり にはならないことを知っています。しかし、このイベントを 通して、釜石の皆様に一つのメッセージをお送りできたと信 じています。世界中の人々が皆様のことを忘れずにいること、 皆様のことを今も心配していること、そして、今まで通りの 日が取り戻せるまで世界は休まないだろうということを」 イベント終了後、アーニー・スレイジャーさんが家庭画報 国際版に寄せてくれたこのコメントの内容は、充分に釜石 の人々に伝わったと思える。 (p.088) 会場から離れた避難所からも、お年寄りでも来られるように 10 ルートの バスが用意された。準備段階から加わった新日鉄、日鐵商事の社員に 加え、大阪市立大学の学生ボランティアたちがサポートに加わり、早朝 から慌ただしく準備を進めた。イベント終了後、シェフたちを乗せたバ スは、沿岸の津波の被災地を訪れた。いまだ惨禍の後も生々しい現場 を厳粛な面持ちで見つめる。 Autumn / Winter 2011 Vol. 28[ ごちそう ] 3
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