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脚注
序章
1.中国では数字の 8 は繁栄の象徴である。中国当局はできるだけ 8 が重なる日時、つまり 2008 年
8 月 8 日、8 時 8 分 8 秒に五輪を開幕することにこだわった。
2. China Global Investment Tracker: 2012, ヘリテージ財団。2005 年から 2012 年 6 月までに中
国企業が締結した 1 億ドルを超える各種投資や契約に関する数字である。以下のウェブサイトで情
報
が
入
手
可
能
で
あ
る
。
http://www.heritage.org/research/reports/2012/01/china-global-investment-tracker-2012.
3. 国際エネルギー機関によれば、中国は 2030 年までに石油供給量の 79 パーセントを輸入すると
みられ、1 日換算で約 1500 万バレルとなる。
4. 出 典 : 中 華 人 民 共 和 国 国 家 統 計 局 。 以 下 の ウ ェ ブ サ イ ト で 入 手 可 能 :
http://www.uschina.org/statistics/tradetable.html.
5.建物や道路が短期間で崩壊する傾向があるため、「メイド・イン・チャイナ」のインフラの品質
は現地住民が共通して懸念を抱いている。著者らは最も端的な例をアンゴラの首都ルアンダで目撃
した。中国が建設し、国内最大級の 250 床を誇るルアンダ総合病院を訪れたところ、入口で軍隊
に止められた。ずさんな建築で崩壊の恐れがあるとして、開院して間もなく避難を余儀なくされた
この基幹病院は荒れ果てた外観で、本館には亀裂が見えた。4 年間閉鎖した後に中国とアンゴラは
改修計画を策定し、2014 年に病院を再開する方向で同意した。
第 1 章 「世界に挑む移民
世界に挑む移民農民工
移民農民工」
農民工
1. 農民工は 2 億~3 億人からなる労働者階級で、過去 30 年間いわゆる「世界の工場」を動かして
きた。中国の戸籍制度は労働者がチャンスを求めて生まれた地を離れることに罰則を課しており、
子孫の健康保険や教育の権利を剥奪するか、こうしたサービスの利用を制限していた。
その結果、長年出稼ぎ労働者の子供たちは親が他省へ移住すると学校に通えなかった。産業の中心
部では移民労働者の子供のための学校が導入され、状況はいくぶん改善されているが教育の質は劣
る。事実上中国の法制度は権利や特権の異なる二つの市民階級を作り出した。中国の経済の奇跡を
真に支えた人々を罰する一種のアパルトヘイトであり、こうした状況に反対する声は最近中国本土
でも高まっている。
2. 世界銀行のウェブサイトより。最終アクセス日 2011 年 2 月 7 日。
3. 中国の研究者によれば、毛沢東時代から受け継いだ国営企業の民営化あるいは解体が 1980 年代
末に始まった。国が統制する経済から混合経済への移行が引き起こした失業水準の正確な数字の算
出は困難である。最も信頼できる数字によると、1998 年から 2001 年の間に推定で 700 万人から
900 万人が失業したとされるが、期間を広げれば 4000 万人に膨れ上がる。繊維、軍事、採鉱の部
門での企業閉鎖の結果、失業者総数の約 4 分の 1 が、北東部の 3 つの省(遼寧省、吉林省、黒竜
江省)で起きている。出典:China Economic Weekly, 27 October 2008. Zhang Jun Cai 中国经济
周刊》张俊才, 中国労働統計年鑑 2005。
4. ‘An introduction to the policy and situation of overseas labour co‑operation in China’,
Australian International Trade Association, 24 April 2008。 ‘Hired on Sufferance: China’s
Migrant Workers in Singapore’, Aris Chan, チャイナ・レイバー・ブレティン、February 2011
より引用。北京のラテンアメリカの元大使によれば、移民問題は「中国政府の最優先課題の一つで、
中国人大使は顔を合わせると必ず中国人の移住を規制する政策に反対を表明する」とのことである。
5. その一例がエクアドルで、2008 年 6 月、ラファエル・コレア大統領は中国人観光客のビザ要件
の撤廃を表明したが、わずか 6 カ月ほどでこの方針を撤回せざるを得なかった。エル・コメルシオ
紙によれば、1 年間の間に「10638 人の中国人が入国したが、わずか 3941 人しか出国しなかった」
ためだという。こうした不法移民の大多数がアメリカやカナダへ再移住し、他の者はグアヤキルへ
と移動した可能性が高い。グアヤキルの主要市場を訪れれば、国内にどれだけ多くの中国人移民が
いるか、彼らがいかに事業を立ち上げる能力があるかがわかる。
6. 公式な統計によると、190 カ国の 77 万 8000 人の中国人労働者が 2009 年だけでも 40 憶ドル相
当を中国に送金している。
7.
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プ
ト
の
新
聞
の
英
語
版
ウ
ェ
ブ
サ
イ
ト
:
http://www.almasryalyoum.com/en/news/chinese-prostitution-ring-busted-maadi.
8. http://www.dooland.com/magazine/article_93455.html および
http://news.xkb.com.cn/guoji/ 2010/0923/92395.html.
9. ‘Mainland women opt to stay in Congo vice trap’, South China Morning Post, 1 January
2011.
10. ウラジオストク大学のミハイル・テルスキーはこの問題についてさらに詳しく説明してくれた。
「国内に入る禁制品が膨大な量になるため、ロシア政府はこの 2 年間中国からの輸入を厳しく取り
締まったのです。結果、取引量は 3 分の 1 以下に減少しました」
11. ロシア連邦産業貿易省沿海地方代表オレグ・リパエフによると、ロシア極東には現在中国企業
が 2 万社あり、その大半が中国製品の輸入会社である。その結果、中国の産業はその地域の GDP
の約 20 パーセントとなっている。
「ここでは農業製品の 50 パーセント以上が中国製品です」とリ
パエフは説明した。中国がロシアへの農産物の輸出をやめれば物価は上昇すると思うかと尋ねると、
価格は 3 倍になるでしょうと答えた。「黒竜江省の平均月収は 60 から 100 ドル、沿海地方の平均
月収は約 600 ドルです。これでどうやって競争できますか?・・・10 年前、中国からの輸入とい
えば主に食品と消費財でしたが、現在は電気機器、機械、自動車、トラックといったハイテク製品
の輸出が増加しています。こうした部門で[産業活動という点で]同じ位置に立つロシア産業にとっ
てこれが問題となりつつあります。中国企業が我々の産業を完全に決定しているのです。将来につ
いてもリパエフは楽観的ではない。「あと数年はロシアやロシア地域にとって、特に住民にとって
は中国との貿易は有益でしょう。ですが 10 年 15 年後にはロシア経済にとって脅威となります。5
~6 年もすれば雇用問題は現在よりもはるかに悪化しているでしょう」
アフリカ、ラテンアメリカ、中央アジアと同様に、中国は「天然資源を引き換えに中国のインフ
ラや製品を」という経済政策を提案したが、ロシアは拒否した。「中国は [国営企業の]の資金を
持ち込む必要がある場合、[資源開発の]政府間契約、そして政府による強力な保証がなければなら
ないと言っています」しかしアフリカ諸国とは違い、ロシアは石油と引き換えの中国製の道路やダ
ムには興味がないとリパエフは語る。「ロシアには必要ありません。我々には資金があり、自分の
手でインフラを構築できるのですから。」リパエフによれば、その代わりにロシア側は同国法下の
合弁企業の設立を提案したが、中国はその計画に興味を示さなかったという。
12. ‘Chinese Migrants: Their Views on the Work, Education, and Living Conditions in Russia’,
A. G. Larin, 2007, http://www.springerlink.com/content/l57064789p2vl734/.
13. 中国から移民や製品がロシアに流入しているが、サハリンで存在感のない中国は投資の面では
主要な役割を果たしていない。サハリンは巨大な石油埋蔵量を抱え、外国からの投資の大部分を受
けている太平洋側の島である。木材など他の産業については、中国企業はロシア企業に投資せずに
原料を直接購入する傾向がある。
14. ロシアの中国系移民の数について信頼できる公式な数字はない。専門家や役人は合法的にある
いは不法に同国に住んでいる中国人は 30~400 万人と推定している。ロシア極東だけでも推定 10
万人の中国の貿易業者や一時労働者がいるとされる。1990 年代には入国管理を全く行わないこと
も多かったが、現在ロシアは中国からの移民を厳しく取り締まり、中国の労働ビザの数を毎年 3000
件に制限している。当時ロシアは積極的に中国の移民の流れを奨励しており、1992 年から 1994
年の間はビザ要件が免除されていた。その目的は中国人の貿易業者を呼び込み、ソ連崩壊がもたら
した深刻な供給不足を充当することであった。結果として何千人という中国人が中国北部の工業地
域を襲った深刻な不況から逃れ、国境地帯からしばしば不法にロシア国内に流れ込んだのである。
出典:The Encyclopedia of the Chinese Overseas, ed. Lynn Pan (Harvard University Press,
1999), pp. 328–31; China Inside Out: Contemporary Chinese Nationalism and
Transnationalism, eds. P. Nyíri and Joana Breidenbach (Central European University Press,
2005), pp. 144–6;およびウラジオストク、ハバロフスク、モスクワの専門家や役人とのインタビュ
ーによる。
15. The Encyclopedia of the Chinese Overseas, op. cit., pp. 328–31.
16. 中国統計年鑑 2009。
17. 中国の移民問題を 20 年間研究してきたハンガリーの研究者パル・ニーリは、世界中のこうし
た進取の気性に富む移民の拡大を、「多機能なビジネスネットワークと結びつき、高い流動性と資
本、商品、情報が密集した流れを持ち、現地社会の中で取るに足らない社会地位を保持している世
界的な『アントレプレナリアート』の台頭」であると定義している。出典:‘Chinese Entrepreneurs
in Poor Countries: A Transnational “Middleman Minority” and its Futures’、香港で発表された
論文、アムステルダム自由大学のパル・ニーリの許可を得て複製した。
18. 漢民族は中国で最も影響力のある民族集団である。
19. 国際移住機構によれば、これは世界の移民人口の約 18.3 パーセントに相当する。出典: ‘2007
年:全球政治与安全报告’ [‘Report on international policy and security 2007’], CASS, multiple
authors, 2007.
20. Zheng He: China and the Oceans in the Early Ming Dynasty, 1405–1433, Edward L. Dreyer
(Longman, 2007).
21. The Encyclopedia of the Chinese Overseas, op cit., pp. 48–50.
22. ‘2007 年:全球政治与安全报告’ [‘Report on international policy and security 2007’], op. cit.
23. The Encyclopedia of the Chinese Overseas, op. cit., pp. 64–5.
24. 世界銀行によればベネズエラの人口は現在 2800 万人で、およそ 18 万人の中国人が住んでい
ると推定される。
25. 华工出囯史料汇编/陈翰笙主编 [History of Overseas Chinese Indentured Labour], ed. Chen
Hansheng, 1985.
26. 1949 年に共産党が政権につくと、移民を禁じ処罰する帝国時代の伝統に戻った。しかし、冷
戦のただ中に、中国政府はイデオロギー上の理由から第三諸国に人材や資源を迅速に輸出してもい
る。1960 年代初頭、毛沢東は何万人もの中国人を医師、農業技師、肉体労働者としてこうした国
に派遣したが、中華人民共和国の体制を正当化すると同時に、世界中に赤い革命を広める狙いもあ
った。当時アフリカでは中国人労働者の存在が馴染みのある光景になりつつあった。中国人はタン
ザニアとザンビアをつなぐタンザン鉄道(タザラ鉄道)を建設し、2 万 5000 人の中国人労働者が
支援して建設された。また、米や砂糖の農園での生産性向上も支援した。
27. 公式なデータによれば少なくとも 75 万人の中国人が豊かな暮らしを求めてアフリカに移住し
ているが、エジプトのシャンタ・シーニーと同じく信頼できる人口調査はなく、実際の数字はもっ
と多いと思われる。
28. New Asian Emperors, George Haley, Usha Haley and Chin Tiong Tan (John Wiley & Sons,
2009), p. 15.
29. Charm Offensive: How China’s Soft Power is Transforming the World, Joshua Kurlantzick
(Yale University Press, 2007), p. 75.
30. 当時アルゼンチンの Casrech の事務局長であったミゲル・アンヘル・カルベテがこの表現を
使った。Casrech は 7000 店舗のスーパーマーケットの所有者を代表し、強力なロビー団体となっ
ており、その活動については第 2 章で詳述する。
31.「大中華地区」
(グレート・チャイナ)は海外の中国人社会の商業的、文化的、言語学的な相互
関係を指す用語である。
32. ‘Chinese Entrepreneurs in Poor Countries: A Transnational “Middleman Minority” and its
Futures’, op. cit.
33. 19 世紀末、2~3 万人の中国人移民が南アフリカに押し寄せたのが最初で、現在その直系の子
孫が 6000~1 万人住んでいるとされる。第二の波は 1980 年代で、台湾と南アフリカの人種差別主
義政府の関係が良好だったために台湾から移住してくるようになり、およそ 2 万人の中国人が移住
し、現在も 6000 人が暮らしている。第三の波は 1990 年代から現在まで続く最大の波で、中国本
土から移民が押し寄せている。南アフリカに現在暮らす中国国籍の住民は約 40 万人と推定されて
いる。
34. ハリー・スンは 18 世紀にイギリス東インド株式会社がアヘン貿易を始め、それが中国の経済
と社会に与えた悲惨な結果について言及している。1834 年まで貿易を独占していた強大な東イン
ド株式会社は、植民地下のインドで生産したアヘンを中国に輸出し、貿易収支を合わせようとした。
中華帝国は大帝帝国にお茶や陶器、絹など、大帝帝国から輸入する製品よりもはるかに価値の高い
製品を輸出していたからである
中国にアヘンがもたらされると、中国国民の間で中毒と衰退が広まった。同時に英中の二国間貿
易が始まると清帝国の銀の収入が減少し、清は慌てて介入して大麻の輸入や貿易を禁止した。度重
なる交渉が失敗に終わった末に第一次アヘン戦争(1839–42)が勃発し、1849 年から 1949 年まで中
国では「屈辱の百年」と呼ばれる時代が始まったのである。この時期の特徴は、様々な要素がから
み全般的に混乱した状態だったことである。西洋や日本軍の侵略、戦後の列強による不平等条約締
結、帝国の崩壊、共産党と国民党の血なまぐさい内戦などが起こった。毛沢東は何十年もの屈辱か
ら尊厳を取り戻した人物と考えられており、ハリー・スンのように 1949 年の共産党の勝利とその
後の毛沢東の独裁政権を祝う中国人が多いのはそのためである。出典:China: A New History,
John King Fairbank and Merle Goldman (Harvard University Press, 2006), pp. 180–206.
35. The Three Faces of Chinese Power: Might, Money and Minds, David Lampton (University
of California Press, 2008), p. 85.
36. Overseas Chinese in Southeast Asia and China’s Foreign Policy: An Interpretative Essay,
Leo Suryadinata, Institute of Southeast Asian Studies, Singapore, 1978, p. 27.
37.例えば、経済開放政策が始まって最初に中国に投資したのが、中国人実業家のシエ・イィチュ
ウ(謝易初)が所有する外資系企業チャルーン・ポーカパンである。長年食品および農業部門で操
業した同社は中国最大の外資系投資会社とされた。出典:Charm Offensive: How China’s Soft
Power is Transforming the World, op. cit., p. 76
38. Mobility and Cultural Authority in Contemporary China, Pál Nyíri (University of
Washington Press, 2010), p. 99.
39. ナショナリズムは「愛国教育運動において政府によって効率的に用いられてきた。民主主義の
否定と国民の独裁主義の受容を促すためで、こうした思想が国家の発展に不可欠だと示している。」
Nationalism has been used ‘efficiently by the regime in its Patriotic Education Campaign to
promote the rejection of liberal democracy and the acceptance of an authoritarian system
among the population, presenting these ideas as indispensable for the country’s development’.
China después de Tian’anmen. Nacionalismo y cambio politico [China after Tiananmen:
Nationalism and Political Change], Mario Esteban Rodríguez (Ediciones Bellaterra, 2007), p.
165.
40. ‘China’s cosmopolitan nationalists: “heroes” and “traitors” of the 2008 Olympics’, Pál Nyíri,
Zhang Juand and Merridien Varral, The China Journal, 63, January 2010.
第 2 章 「新たなシルクロード」
「新たなシルクロード
1. The Pattern of the Chinese Past, Mark Elvin (Stanford University Press, 1973), p. 218.
2. 新疆ウイグル自治区はフン族、ウズベク族、チベット族、アラブ族、モンゴル族、満州族など、
幾度となく外国の侵略者の手に落ちた歴史を持つ。短命に終わった東トルキスタン共和国樹立以前
の 1940 年代、ロシアとイギリスがこの地域をめぐり衝突した。1949 年、毛沢東は新疆ウイグル
自治区を完全に併合し、中華人民共和国の一部となった。
3. かつてシルクロードの中心地であり、現在は新疆ウイグル自治区第二の重要都市カシュガルは、
ホルゴスと同じ経済特別区に指定されている。1970 年代末、中国の経済改革開放を導いた立役者
の鄧小平は、経済特別区の創設を推進して外国投資を誘致し、経済開放を統括した。この「資本主
義の実験室」は例外的に国内法の適用外とされ、土地を安く提供し、優遇税率を設定し、さらに規
律のとれた安い労働市場と緩やかな環境基準も提供した。最初の 4 つの特別区(深圳、汕頭、珠海、
厦門)が成功を収めると、中国全土の他都市にも広げてきた。
4. 深圳は 1970 年末には人口がわずか 30 万人で中国の基準では小都市であったが、今では香港を
除けば 2010 年の一人あたり GDP が 1 万 4600 ドルと、国内最大である。都市部の一人あたり GDP
の全国平均は 2504 ドルにすぎない。深圳は広東、北京、杭州、上海と並んで高級品の消費が最も
高いが、豊かな一方で犯罪率も最高である。出典:‘China by numbers 2011’, China Economic
Review; ‘中国十大最奢侈城市:上海第一北京第二(图’, China Daily, 29 January 2010.
5. 何世紀もの間シルクロードは商人が西安から中央アジアを横断してコンスタンティノープルに
いたるルートであったが、15 世紀に航路が発達するとシルクロードの衰退は必至であった。
6. ロシア、ベラルーシ、カザフスタンは合同で関税同盟を創設し、2010 年に定率の共同関税の導
入で合意した。3 国間で取引する主要製品の関税を標準化するのが狙いである。関税導入には困難
が多かったが、最も興味深いのは中国との競争に対抗するために同盟を結んだ点である。しかし今
のところこの試みは成功していない。
7. 現在中国には中央アジアと結ぶ 2 本の巨大パイプラインがある。一つはカザフスタンまで伸び
る 3000 キロメートルの石油パイプラインで、年間 3000 万トンの原油輸送力がある。もう一つは
ガスのパイプラインで、ウズベキスタン、カザフスタン、中国の中部および西部を通りトルクメニ
スタン北部まで 7000 キロメートルにわたって伸びている。「経済的恩恵があろうとなかろうと、
石油やガスのパイプラインは中国が中央アジアで存在感を発揮する理由として役立つ。所有権を有
していれば中国は同地域の権益を擁護する正当な理由を持つことになる」と、アルマティでのイン
タビューでカザフスタンの在北京初代大使[1992-1995]のムラット・アウエゾフは語った。出典:‘El
ascenso de China en Asia Central: ¿un nuevo hegemón regional en gestación?’ [ ‘The rise of
China in Central Asia: A new regional hegemony in the making?’], Nicolás de Pedro, UNISCI
magazine, October–November 2010; China as a Neighbor: Central Asian Perspectives および
Strategies, eds. Marlène Laruelle and Sébastien Peyrouse, Central Asia-Caucasus Institute &
Silk Road Studies Program, Washington, 2009.
8. 1970 年代末の経済開放政策以降、中国は新しいインフラ建設にひたすらお金をつぎ込んできた。
その目的で 1990 年から 2008 年の間に 32 兆 7000 憶元も費やしており、1 ユーロ=10 元換算で 3
兆 2000 憶ユーロというとてつもない額である。出典:‘基础产业和基础设施建设取得辉煌成就’、
政府公文書は下記サイトで入手可能。http://www.gov.cn/test/2009‑
09/15/content_1417907_2.htm.
9. 一例が 7 世紀に始まった中国の大運河である。土木建築の傑作である全長 1700 キロメートル
の運河は、杭州と北京を世界最大級の人口河川で結ぶ。運河は昔から北部の省を荒らしてきた干ば
つを軽減し、黄河の広がりをコントロールする狙いがあったが、国内貿易を促進し、中国の領土を
小さくまとめるのに役立てる目的もあった。
10.帝国時代の中国では、貿易を卑しい行為とみなして制限すべきとする支配層もいたため、中国
の商人がマラッカなどへ移住して自由な枠組みで売買を行うことがあった。明王朝が 15 世紀初頭
に鄭和が始めた海外遠征に終止符を打ったのは外国との貿易(交流)の制限が最大の理由であると
みる専門家もいる。
結びつける目的でのインフラ利用についての詳細は、‘China’s roads to influence’, Jonathan
Holslag, Asian Survey, 50 (4), 2010 を参照。
11. 研究者でもありジャーナリストでもあるマーティン・ジャックスは、When China Rules the
World (Allen Lane, 20o9), p. 70.においてこうした出来事を見事に描き出している。乾隆帝の記述
は同書より引用。
12. その計画は新疆ウイグル自治区の開発を目指す中華人民共和国の歴史で最初の会議の結果で
ある。出典:http://www.china.org.cn/china/2010-05/30/content_20147084.htm, 最終アクセス日
2011 年 3 月 22 日。
13.中国鉄道部の技師であり顧問も務めるワン・メンシュウの言葉によれば、中国政府は「高速鉄
道外交」に取りかかり、中国国内はもちろん海外にも高速鉄道を伸張する計画である。ワンによれ
ば、政府は中国高速鉄道技術を用いて中国と台湾、韓国、ロシア、中央アジア、東南アジアを結ぶ
計画である。こうした事業の費用は何百憶ドルに達するとされるが、国営企業 2 社、中国中鉄股份
有限公司(REC)と中国鉄道建築総公司(CRCC) が手がける予定である。この事業は「天然資源利用
と中国製品の新たな市場」と引き換えに政府が資金調達を行うだろうとワンは語った。「中国国営
企業は現地の中国大使館の支援を受けて契約の交渉ができ、その後国務院の承認を待ちます。外国
政府は新しいインフラの費用を払わなければなりませんが、お金ではなく天然資源で返済しようと
するでしょう」と、北京でインタビューしたときに著者らに語った。中国と中央アジアのつながり
は、中国製品をヨーロッパへ運ぶ玄関口として役立つ。しかし 2011 年に鉄道産業の拡大に絡んで
一連のスキャンダルが起こり、この理論には疑問が投げかけられている。鉄道部長のリウ・ジジュ
ン(劉志軍)は解任され、腐敗の容疑で党籍を剥奪された。
14. 新疆ウイグル自治区には、公式に認められた 55 民族のうち 47 の少数民族が暮らしており、
ウイグル民族、漢民族、カザフ族、回族(ドンガン族)が四大民族である。ウイグル民族はその地
域における社会的、人口学的にみて優位であったが、政府の経済・移住開発政策によってその地位
が低下した。1964 年、ウイグル民族は人口の 54.9 パーセント、漢民族はわずか 31.9 パーセント
であったが、2010 年の国勢調査では漢民族が 40.1 パーセントに達した。新疆ウイグル自治区の「流
動人口」や、他地域に住居登録しながらも実際は新疆ウイグル自治区に住む住民など未確認の住民
を含めれば、さらにこの数字は上がる。漢民族は新疆ウイグル自治区の省都ウルムチなど省の都市
部において多数派を形成する傾向が強い。ウルムチは省の富と権力の相当な部分を握っている。出
典:Xinjiang Statistics Annual 2010(第三篇人口与就业_3_3 新疆人口普查基本情况)、および 1964
年、1990 年、2000 年の中国の人口調査に基づき著者が解説した。
15. When China Rules the World, op. cit., pp. 237–40.
16. チベットや新疆ウイグル自治区にも鉄道が敷設されたことで「漢民族化」現象は実証された。
2007 年に着手されたチベット鉄道は、平均標高 4000 キロメートルの崑崙(クンルン)山脈の全
長に沿って 1142 キロメートルにも及ぶ。政府はこの非常に複雑な土木建設事業に 33 憶ユーロを
支出したと推定されるが、チベット民族支援団体によればこれは過去 50 年間にチベットの保健衛
生や教育に費やした額の 3 倍以上にのぼるという。そのため、NGO 団体はこの鉄道の主要な目的
が実際はチベット人の人口割合を減らし、天然資源を運び出すことだと主張している。
17. 中央アジアの専門家セバスチャン・ペイローズは次のように語った。「中央アジア諸国では対
中国貿易に関するデータは過小に公表されるため、税関の統計は不正確です。『心理的な影響』を
抑え、中国が同地域を「侵略」しているという議論を抑え込むためです。その一方で、相当な量の
製品が違法に国内に流入しています。」著者らがアルマティでインタビューした何人かの専門家は、
公式な二国間貿易額と不明な貿易額の差はおよそ 50 憶ドルに上ると推定している。
18.カザフスタン専門家アディル・カウケノフとのインタビュー、およびセバスチャン・ペイロー
ズとニコラス・デ・ペドロの電子メールのやりとりによる。
19. カザフスタンの人口はかろうじて 1560 万人を数える程度で、国の経済という点で対中国貿易
が重要であることがわかる。
20. 推計によれば、中国は隣国カザフスタンに 2010 年だけでも少なくとも 130 憶ドルを融資して
おり、カザフスタンが債務を土地で支払うようになるのは時間の問題だと警告する同国のオブザー
バーもいる。「我々は領土を手放し始めています。我が国には多くの領土があり、中国と国境を接
しています。数千ヘクタールの領土をあちこちで与えているので地図が書き変えられる可能性があ
ります。」2011 年 5 月 28 日にアルマティで抗議活動が起こった際、野党指導者はカザフスタンが
対中債務の全額返済が不可能な状況に言及してそう述べた。出典:各種報道、および‘Kazakh
opposition calls for halt to China expansion’ロイター通信、28 May, 2011.
21. 6100 万人の潜在的市場を誇る中央アジア 5 カ国と中国の貿易額は、2010 年に 220 憶ドルまで
増大した。中国は同地域のビジネスで支配的な地位を占めており、カザフスタンとキルギスタンに
とっては最重要貿易相手国(単一ブロックとしての EU を除外すれば)、タジキスタン、ウズベキ
スタン、トルクメニスタンにとっては第二位の貿易相手国である。出典:EU のデータに基づき、
著者らが解説した。http://ec.europa.eu/trade。
22. アディル・カウケノフによれば、中国は最近 3 件の買収を行ったおかげで、同国の天然資源資
産(天然ガスと石油)の 28 パーセントを支配している。まず、2005 年に中国国営企業の中国石油
天然気集団(CNPC)が同国に約 47 億ドルの資産を持つカナダ企業ペトロカザフスタンを買収し
た。次に 2006 年、中国国営の複合企業の中国中信集団(CITIC)が別のカナダ企業ネーションズ・
エナジー(NE)社を 20 憶ドルで買収した。さらに、中国石油天然気集団と現地企業カズムナイ
ガスがマンギスタウムナイガス社を 33 億ドルで共同買収した。「中国人がペトロカザフスタンと
マンギスタウムナイガス社を買収するには賄賂が重要な要素でした」と匿名希望のカザフスタン専
門家は述べた。総資源量の情報については、BP 発行の「世界エネルギー統計 2012」
、および国際
エネルギー機関発行の「世界エネルギーアウトルック 2011」を参照のこと。
23. 北京で上海協力機構(SCO)のホン・ジォゥイン(宏九印)事務局次長とのインタビューによ
る。
24. カザフ国立大学のマラ・グバイドゥーリナ教授によれば、中国とカザフスタンの外交関係が
始まった当初、独立したばかりのカザフスタンは二国間議定書とは別の文書にも署名すべきだと中
国は主張していた。議定書はカザフスタンに対して「一つの中国原則」を遵守すること、さらに国
境の「分離派の運動」を認めないことも求めていたという。「それがウイグル民族に向けられたも
のだとは明記してありませんでしたが、彼らに向けられていたのは明らかでした。それが 1990 年
代のことで、中国とカザフスタンは、ウイグル民族が独自の国造りを要求する危険性を認識してい
ませんでした」とグバイドゥーリナは説明した。著者らが意見を求めた他の専門家も、「ウイグル
民族は今や独立の時期を逸した」という考えで一致している。
25. ウイグル民族の離散は国をまたいで 80 カ国に広がり、カザフスタンは中国国外で最大集団と
なる 23 万人のウイグル人を受け入れた。ニコラス・デ・ペドロ、アレクサンダー・クーリー、セ
バスチャン・ペイローズら専門家は、中国とカザフスタンの政治・経済関係の強化がカザフスタン
のウイグル人社会の市民の自由を低下させたという意見で一致している。この意見は、匿名希望の
在アスタナのウイグル人地方議員の体験によって確認された。この問題に対する政策の一例が、エ
ルシデン・イスライルに対する処遇である。彼はカザフスタンに住むウイグル人で、2011 年 5 月
に中国に強制送還された。上海協力機構がウイグル人社会に与える影響を詳述したものとして、
‘Counter-terrorism and Human Rights: The Impact of the Shanghai Co ‑ operation
Organization: A Human Rights in China White Paper’, HRIC, 2011 を参照。
26. 出典: 国際通貨基金(IMF)。
27. 出版時現在、国連はイランの核開発の継続を抑止するために 2006 年、2007 年、2008 年、2010
年の 4 回の経済制裁に同意した。加えて、アメリカ、EU、日本、オーストラリアなど各国が課し
た一方的な制裁もあり、1979 年のイラン・イスラム共和国建国時まで遡る。制裁はイランの核お
よび武器産業、金融、海運会社、保険会社を対象にし、革命の守護者に関わりのある企業や個人も
ターゲットにしていた。核開発の目的は厳密にエネルギー生産に限られており、純粋に平和的であ
るとイラン政府は主張しているが、国連視察団が指摘する矛盾について説明を拒んでいる。
28.イランの主要銀行は軒並み国連の「ブラックリスト」に名を連ねているが、対イラン金融制裁
を強めた要因は、2007 年に国際金融組織である金融活動作業部会(FATF)が出した声明であった。
同声明はイランがマネー・ロンダリングとテロ対策に関する法律を支持していないと警告している。
「この声明の影響は甚大でした。西側銀行は全てイランとの取引を中止し、金融面で多大な悪影響
を及ぼしたのです」と、ある経済学者は語った。
29. イラン当局者が提供したデータによれば、中国とイランの二国間貿易は 2011 年に 450 憶ドル
を上回り、中国はすでにイランの主要貿易相手国となっている。これに加え、イランとアラブ首長
国連邦との 2010 年の貿易額約 60 憶ドルも中国で生まれていると、テヘランでインタビューした
イラン・中国共同商工会議所会頭のアサドラ・アスガロラディは語った。
世界銀行が発表した世界各国との取引における事業環境の適切性を測る「ビジネス環境の現状」
調査で、イランは 183 ヶ国註 144 位であった。
30. 出典:イラン商工鉱業会議所の副会頭メフディ・ ファヘリとのインタビューによる。
31. 国連の安全保障理事国である中国は、安保理決議の拒否権を有している。イランの例では、中
国は拒否権を行使して第 4 次制裁の範囲や効果を先延ばしにして制限をかけた。実際、国連安保理
決議 1929 は制裁案が最初に提案されてから中国との集中協議が続き、6 ヶ月近く経過してようや
く承認されたのである。この中国の戦術(ロシアも使う手である)が、核開発を進める貴重な数年
をイランに与える結果となったとアメリカの専門家はみている。
32.アスガロラディは 2011 年初めに北京での記者会見で、二国間貿易が 2015 年には 500 憶ドルに
達するとの見込みを明らかにした。
33. ‘Millionaire mullahs’, Paul Klebnikov, フォーブズ誌、July 2003.この記事によれば、当時ア
サドラ・アスガロラディは 4 憶ドル相当の富を蓄えていたとされる。
34. 2011 年 5 月、北朝鮮の武器活動を監視している国連の専門家パネルの報告書は、北朝鮮がイ
ランと弾道ミサイル技術を交換していたと指摘した。これは安保理制裁に違反するものであった。
同報告によれば、違法な貿易が「第三国」を介して行われており、外交官がそれは中国だと明かし
たという。
35. ジョージア工科大学サム・ナン国際関係スクールの教授でありイラン専門家であるジョン・ガ
ーバーが 2011 年 4 月にアメリカ議会で行った証言による。
36. 2011 年 6 月に行ったジョン・ガーバーへのインタビューによる。
37. 実際は中国がそれとなくイランを擁護し、さらに 2010 年第一四半期に中国の 6 番目の石油供
給国であったイランからの原油輸入を戦略的に重要視していることから、他の外国企業が制裁を恐
れて事業撤退に追い込まれた後も、中国石油企業はイランのエネルギー部門で投資を継続できてい
る。そのため中国はイラン経済の最重要部門で極めて重要な逃げ道となっている。この問題につい
ては第 4 章で詳しく述べる。
38. ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によれば、2005~2009 年にイランはパキスタンに次い
で第二位の中国の武器購入国となった。
39. 軍用の濃縮ウランだけでなく、軍事目的の核開発は輸送媒体の弾道ミサイルも必要とする。イ
ランは試作品を作り、早ければ 2014 年までに稼働する可能性がある。しかし 2010 年 6 月の軍事
演習の際、イランは核弾頭搭載可能なミサイルの発射実験を行ったとイギリスは主張している。
1990 年代以降、中国やロシア、北朝鮮などはイラン政権に開発に必要な産業インフラ、チーム、
助言、ノウハウを提供している。出典:バーレーンの国際戦略問題研究所の国際安全保障の専門家
マイケル・エルマンをはじめ、専門家とのインタビューによる。
40. さらに中国は、欧米がイランに課した一方的制裁を支持しないという決定に明らかに戻った。
「軍事貿易の拡大、中国を介した金融、その他の貿易など、中国は UNSCR[国連安保理決議]が対
象としない分野を見つけ出すのが得意です。他の国は国連安保理決議よりも強く出ましたが、中国
はそうしていません」そうやって中国は制裁の及ばない分野に参入して恩恵を受けており、
「[イラ
ンとの]貿易や金融関係を拡大しているのです」と、ストックホルム国際平和研究所の軍縮と核不
拡散の専門家アーロン・ダンは述べた。
41. 2011 年 5 月 17 日、中国は国連の報告書の発表を阻止し、その翌日そうした貿易への関与は一
切ないと否定した。一語一句、その報告書は警告している。「禁止されている弾道ミサイル関連製
品が、高麗航空とイラン航空の定期便で近隣の第三国を介して積み替えられ、北朝鮮人民共和国[北
朝鮮]とイラン・イスラム共和国との間を移送された疑いが持たれています。」
この外交官は、
「中国やロシアなどの国がイラン・北朝鮮貿易に大きく貢献しており」、その報告
はそうした事実の十分な証拠を示していると語った。
42. 香港は国連制裁に同意してから丸 9 カ月経って新たな法案を可決した。その法案が香港企業の
名前で登録されているイランの海運会社の解体には効果がない可能性があると香港の報道機関は
懸念を示した。出典:‘Uncertain future in Hong Kong for Iranian shipping line’, South China
Morning Post, Irene Jay Liu, 30 March 2011.
また香港の報道機関は、規制が以前ほど厳格でなくなってきていると述べ、徹底的な輸出規制の
際の香港当局の無関心な姿勢についても報道した。香港の中国返還を控えた 1997 年、香港行政会
議はイランへの核および軍事技術の供給を疑われた企業 4 社を閉鎖した。国営の中国北方工業公司
(Norinco)グループも含まれていたが、社名を変更してすぐに復活した。中国に返還されて 15
年、香港の地方政府は同じ理由でそれ以上の企業に対して行動を起こしておらず、立ち回り方が大
きく変化したように思われる。
43. 南華早報は、香港を介してイランへ向かうアメリカの技術貿易について“The Hong Kong
connection”(Irene Jay Liu, 27 February 2011)の中で述べている。
44. しかしストックホルム国際平和研究所のアーロン・ダンは、制裁の適用の難しさを過小評価す
べきでないと著者らに語った。「貿易量が少なく、執行機関が入手できる情報の性質は非常に限ら
れており・・・国境地帯で問題となる積送品を見つけ出すのは極めて難しいのです。情報も行動を
起こす機会も限られています。」この意味で「制裁実施や輸出規制に関して言えば、香港とシンガ
ポールはこの地域で最も進歩している国です」と、彼は指摘している。また軍事・民生の両方に利
用可能なアメリカの高度先端技術は中国だけでなく他の国でも始まり、経由されてイランへ流れて
いると警告している。
45. ジョージア工科大学サム・ナン国際関係スクールのジョン・ガーバー教授によれば、2002~
2009 年に中国企業 47 社がアメリカから合計 74 回の制裁を受けたという。
46. 温州は中国で最も裕福で進取の気性に富む都市の一つとなり、その民間部門の活力はよく知ら
れるところである。2009 年後半に起こった住宅価格の暴落に乗じて、温州から多くの起業家が新
しいチャンスを求めてドバイを訪れている。同国に住んでいるとされる 15 万人の中国人のうち約
2 万人が温州出身である。出典:‘Chinese hunt for bargains in Dubai’, ファイナンシャル・タイ
ムズ、18 January 2010.
47. 中国製品を専門に扱う市場が少なくともラオス(San Jiang Shopping Mall)、ベトナム、サウ
ジアラビア(China Mart and Jeddah Chinese Commodity Centre)、インド(Chinese Commodity
Centre in Delhi)にあることがわかった。イラク、ロシア、ヨルダンはすでにこうした事業を計画
中である。メキシコは近い将来カンクンにドラゴンマートを模した市場をオープンさせる計画で、
広さ 84 万平方メートルで、ドバイの 5 倍の規模となる見込みである。タイはバンコクで 2012 年
にチャイナ・シティ・コンプレックスを開業する予定で、売り場面積は 50~70 万平方メートルの
予定である。
ドバイ首長国の国営企業ナキールが所有するドラゴンマートとは違い、こうした市場は大抵中国
人起業家が支配する。第 1 章でみたリウ・ダーシャンのように、土地を購入し、市場を建設し、同
国人に店のスペースを賃貸しするのである。こうして商品を安く迅速に生産する能力を通じて、さ
らに地域の拠点や市場を用いて外国市場を征服していく。こうした拠点や市場が中国から直接製品
を送るのが物流面で困難な、あるいは高くつく辺鄙な場所にも商品を流通させるのに役立つ。ニコ
ラス・デ・ペドロが語った一例がキルギスタンであり、同国では中国からの輸入製品の 75 パーセ
ントが(ウズベキスタン、トルクメニスタン、アフガニスタンに)再輸出されているとされる。再
輸出はキルギスタンで二番目に重要な経済活動である。
中国市場についての出典:著者らの独自調査、および‘Dragon Mart de Cancún estará operando
en el 2012’ [‘Cancun’s Dragon Mart to open in 2012’], Jesús Vázquez, El Economista (Mexico),
22 March 2011; on Kyrgyzstan: ‘El ascenso de China en Asia Central: ¿un nuevo hegemon
regional en gestación?’, op. cit。
48. The New Silk Road: How a Rising Arab World is Turning Away from the West and Re‑
discovering China, Ben Simpfendorfer (Palgrave Macmillan, 2009), p. 156.
49. 1961 年設立の中国遠洋運輸集団(COSCO)は世界第二位の海運会社である。800 隻の船舶を
所有し、世界中の 1600 の港で活動している。中国で最良で最も効率的な国営企業とされる同社は、
世界中に中国製品を届ける上で欠かせない役割を果たしている。中国多国籍企業の専門家であり中
国政府の顧問でもあるカン・ロンピンによれば、同社の進出により「中国製品が世界の隅々まで届
けられるようになり、石油ルートなどの戦略的な情報や輸送の道筋を確保した」とのことである。
同社はインタビューを拒否したため、カン教授とのインタビューを出典とした。
50. 1963 年、フランスの支配から独立を勝ち取ったアルジェリアは、中国政府による包括的支援
策の一環として中国人医師団を受け入れた最初の国となった。以降、医師団派遣は中国外交の特徴
となり、医師、看護師などの医療従事者を世界中、とりわけアフリカ大陸に 2 万人以上派遣してい
る。過去 46 年間で中国人医師は約 2 億 4000 万人の患者を治療したと推計されている。出典:
Chinese Medical Cooperation in Africa, Li Anshan (Nordic Africa Institute, 2011)
51. 1991 年 9 月 23 日から 26 日にかけて、ザイール兵士の集団が反乱を起こしキンシャサや他都
市の店や工場、家屋を略奪し始めた。何ヶ月にもおよぶ給与未払いに抗議し、道行く先で手当たり
次第に略奪し、工場や店を破壊した。すぐに市民も略奪に加わり、少なくとも 117 人が死亡し、
海外移住者が所有する企業が最大の被害を受けた。
52. ジャン・チイ(張琪)は ジャン・チエン(張骞、1853–1926)の子孫である。中国人官吏で、
繊維産業で有名な江蘇省の起業家でもあった。張琪は科挙制で最高得点を獲得したが、これは清王
朝末期において大きな影響と地位をもたらす業績であった。そればかりでなく、張は南通に 20 を
超える会社を設立した。大半が繊維部門か教育部門で、最も有名なものが「大生(ダァ・シェン)」
であるが、この会社は後に毛沢東の共産党政府に接収された。出典:Encyclopedia of Contemporary
Chinese Culture, Edward L. Davis (Routledge, 2005), p. 569; 张謇——中国早期现代化的先驱,
虞和平, 吉林文史出版社 2004.
53. 2007 年に新華社通信が発表した数字であり、「長期間にわたり」大陸で生活し働く中国人の数
を本当に反映している可能性は低い。実際はそれより相当多いと思われる。
54. ‘China in Africa: after the gun and the Bible . . . a West African perspective’, Adama Gaye,
in China Returns to Africa: A Rising Power and a Continent Embrace, eds. Chris Alden, Daniel
Large and Ricardo Soares de Oliveira (Hurst, 2008), p. 130.
55. ‘Mixed fates of a popular minority: Chinese migrants in Cape Verde’, Jorgen Carling and
Heidi Ostbo Haugen, in China Returns to Africa: A Rising Power and a Continent Embrace,
eds. Chris Alden, Daniel Large and Ricardo Soares de Oliveira (Hurst, 2008), p. 320.
56. 2010 年、中国はドイツを抜き世界最大の輸出国となった。中国の世界貿易機関加盟は同国の
対外貿易の拡大において画期的な出来事であった。カン・ロンピン教授の言葉によれば、「世界貿
易機関加盟で我々中国がどの国よりも多くを得たのは疑いがない。中国企業が製造部門などで獲得
した輸出や市場シェアに関するデータを考慮に入れれば、これはとりわけ当てはまる。」しかしそ
れにもかかわらず、中国政府はその保護主義的な手法や 2001 年にサービス業など一部の経済の部
門を開放するという公約を守らなかったとして批判されている。詳細については以下の文献を参照
のこと。Chinese Trade Policy after (Almost) Ten Years in the WTO: A Post-crisis Stocktake,
Sally Razeen (European Centre for International Political Economy, 2011).
57. G7 は世界最大の先進工業国経済の代表と考えられているが、カナダを除くどの国も(フラン
ス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、アメリカ)天然資源の生産や輸出をその経済政策にして
いないのがその証拠だ。
58. When China Rules the World, op. cit., pp. 73–4.
59. ‘The Impact of China on Sub-Saharan Africa’, Raphael Kaplinsky, Dorothy McCormick and
Mike Morris, Institute of Development Studies, November 2007 お よ び ‘The growing
relationship between China and sub-Saharan Africa: macroeconomic, trade, investment, and
aid links’, Ali Zafar, World Bank Research Observer, 22 (1), Spring 2007,の両報告にこの問題の
詳細な情報がある。
60. China and Latin America: Economic Relations in the Twenty-First Century, Rhys Jenkins
and Enrique Dussel (Deutschen Institut für Entwicklungspolitik, 2009), p. 48、および ‘China’s
Global Expansion and Latin America’, Rhys Jenkins, Latin American Studies, 42, 2010, p. 820.
61. 産業の大部分が集中する中国東部の所得は急激に増加しており、より大きな労働集約型の産業
で、ベトナムやカンボジアといった国と比較して中国は最終的に競争力を失うだろうと数名の専門
家は一致した意見を述べた。スペインの経済学者でありアナリストであるインターチャイナ・コン
サルティングのエドゥアルド・モーシロは、中国の生産コストは今後 10 年間で 300~400 パーセ
ント上昇し、さらに中国元は 40 パーセント近く切り上げられるだろうと予測する。しかし中国中
西部では東部のような経済の奇跡がまだ起きておらず、短中期的には中西部の安い余剰労働力を使
っていくつかの産業を維持できるだろう。
62. 2009 年 1~11 月に、中国企業は合計 10 万 2000 台の自動車をアフリカに販売し、総額で 17
億 4000 万ドルを売り上げた。このときアフリカ大陸は中国車の最大の市場へと変貌したのである。
出 典 : Africa Magazine, 25 March 2011. 以 下 の サ イ ト を 参 照 。
http://www.focac.org/eng/zfgx/jmhz/t813155.htm.
63. 2011 年 4 月、コンゴ・ブラザビルと中国の両政府はアフリカ航空会社ヌーベル・エア・コン
ゴ が 中 国 の MA 60 旅 客 機 の 獲 得 を 宣 言 す る 覚 書 に 署 名 し た 。 出 典 :
http://fr.allafrica.com/stories/201104060804.html。中国は Comac C919 を製造して、ヨーロッパ
のエアバスとボーイングの 2 社に支配されている航空産業の旅客機部門に参入しようとしている。
同機は 190 人以上の収容能力がある旅客機で、2014 年に市場に出回る予定である。
64. 2011 年華為技術の収益は 320 憶ドルであった。同社はアフリカ大陸の 50 カ国で操業しており、
2009 年の収益の約 20 パーセントがアフリカ大陸での売上による。出典:華為技術の年次報告書
2011 お よ び 中 国 報 道 機 関 が 発 表 し た 情 報 に 基 づ き 著 者 ら が 独 自 に 算 出 し た 。
(http://gb.cri.cn/27824/2010/10/11/1545s3016588.html).
65. ブエノスアイレスでのインタビューの際、カルベテは収益を示す包括的な数字を一切教えてく
れなかったが、各店舗---1 年 365 日 24 時間開いている---が 1 日に 1 万 5000 ペソ(2550 ユーロ相
当)を売り上げると教えてくれた。
第 3 章 「新しい西部での中国の鉱山」
1. 少なくとも 2011 年の「民主化への移行」以前は、ミャンマーや中国との国境一帯では常に監視
され、密告者に取り囲まれている感覚があった。「誰でも政府のスパイの可能性があるから誰も信
用できません」と、ラングーンのホテルのカフェであるミャンマーの活動家が教えてくれた。病的
に思われたが、彼は正しかった。2007 年の「サフラン革命」後に起こった報復でもわかるように
ミャンマーで一線を越えると支払う代償は大きい。2011 年までは外国人にとっては即時国外退去
を、ミャンマー国民にとっては刑務所行きを意味したのだ。ミャンマーと雲南省でインタビューし
た人の身の安全を守るために文中では仮名とした。
2. 2010 年 10 月以降、正式名称はミャンマー連邦共和国である。軍事政権は同時に国旗と国歌も
変更した。歴史的に使われていたビルマの呼び名は 1989 年にはすでにミャンマーに変更されてい
る。野党の多くや数ヶ国が政権の正当性を否定するためにビルマの呼称を用い続けている。
3. ‘A Choice for China’, グローバル・ウィットネス、 October 2005.
4. 2006 年、ミャンマー軍事政権は前代未聞の決定を下して首都をネピドーに移した。当時の首都
ラングーンから 320 キロ北にある人口 10 万人の同市は変化を繰り返す行政都市であった。遷都の
決定は政権の権力強化の狙いがあったと推測されている。各国大使館の多くはラングーンに残って
いる。
5. ‘A Disharmonious Trade’, グローバル・ウィットネス, October 2009.
6. 独立直後から全国に散らばる相当数の少数民族が自治権の拡大を求めて武装蜂起した。1962 年
に軍事政権が権力の座につくと対立は激化し、暗黙の内戦となった。続く数十年間、激しさは異な
るが内戦は続き、何万人、何十万人という死者を出し、200 万人が強制移住させられた。現在も抵
抗を続けるゲリラ集団もあるが、1994 年以降、少なくとも 16 の民族集団が休戦に同意し、戦闘を
停止している。カチン民族は政治的対話がなされるとの願いから 1994 年に休戦協定を受け入れた
が叶わず、2011 年 6 月に休戦を破棄して戦闘が再開した。
7. 2011 年 6 月、中国が融資して建設したカチン州の水力発電ダムのそばで、ミャンマー軍とカチ
ン独立軍(KIA)との間で戦闘が再開された。戦闘は 17 年間の休戦協定に終止符を打ち、推定 7
万 5000 人のカチン住民が立ち退きさせられ、NGO によれば人権侵害を受けているとのことであ
る。カチン独立軍の最後通告にもかかわらず、1994 年の休戦協定を破ったのは実はミャンマー政
府の方だと NGO 団体は主張している。ミャンマー軍は 1994 年の休戦協定でカチン独立軍の領土
とされた地域に進攻したと言う。その一方でカチン民族は独自政党の結成が許されておらず、独立
軍の部隊は国境警備隊となるよう促されていた。カチンの情報筋によると、証拠はないものの、中
国が紛争中にミャンマー軍の中国領土内への立ち入りを許可したとされる。現在 1~3 万人の実行
部隊を擁するミャンマー独立軍は、休戦に合意していない国内唯一かつ最大の民族集団である。
8. ‘Chinese takeaway kitchen’, エコノミスト、 9 June 2011. カチン民族は中国とミャンマーの
国境の両側に何世紀も暮らしてきた。大半のカチン族の家族には中国に親戚がおり、両方の地域社
会が何世代にもわたり通婚してきた。メディアの報道では、2011 年 6 月以降対立が激化し、中国
人が多数ミャンマー北部から中国へ逃れたとされる。
9. 巨大な埋蔵量を誇るミャンマーを除けば、本翡翠の産地はロシアと中央アジアくらいであるが
埋蔵量は少ない。中国の新疆ウイグル自治区も白翡翠の産地であるが、貴重とはいえ本翡翠ほど品
質は高くない。
10.
詳
細
に
つ
い
て
は
以
下
の
サ
イ
ト
参
照
の
こ
と
。
http://www.kachinnews.com/news/769-russian-firm-after-uranium-not-gold-inkachin-state.html.私的な情報筋によれば、目的は定かでないがミャンマー政権は核開発を計画し
ているという。
11. 公式な数字は皆無ながら、各情報筋へのインタビューによりパカンで操業している鉱山企業は
70 社から数百社で推移しているとみられる。ミャンマー政府は軍の地方組織を通じて採掘権の持
ち分を保有している。政府は採掘企業と手を組み、採掘企業が投資と資源開発を担当している。直
接的であれ間接的であれ、こうした企業の大多数が中国企業である。
12. CIA 発行の「ザ・ワールド・ファクトブック 2010」によれば、2010 年のミャンマーの一人あ
たり GDP は 1400 ドルである。
13. 北京五輪を前に 2008 年に発表した「ブラッド・ジェイド」で、NGO 団体「NGO 8-8-08 フォ
ー・ビルマ」(NGO 8‑8‑08 for Burma)はパカン鉱山での中国の役割を非難した。
14. がれきは川に流れこみ、自然な川筋を遮り、水の流れを妨げている。そのため雨季には洪水が
頻発し、木や竹でできたもろい家々を押し流してしまう。2010 年 11 月には人工山で地滑りが起こ
り、50 人のイェマセが土砂の下敷きになって死亡した。現地の情報によると、パカンには唯一の
有料の公立病院と、一握りの個人病院があるだけである。
15. 2011 年 6 月にカチンで戦闘が再開して以降、人数は不明だが中国人が中国との国境地帯に逃
れてきた。小競り合いがパカンにまで及ぶことがあったとはいえ、戦闘がパカンの中国人のビジネ
スに何らかの影響を与えたかどうかは定かではない。カチン独立機構(KIO)は、ミャンマー政権
がパカンの翡翠採掘企業に生産停止を命じて同機構の主要な収入源である税金を断とうと企んで
いると非難している。
16. 翡翠産業に携わる労働者の間ではアヘンが蔓延している。この問題に詳しい筋によると、翡翠
の貿易業者が商談の際に、刻んだバナナの葉と一緒に茹でたアヘン(Kha Pong)を差し出す行為
はごく当たり前に行われているという。
17. 「あまりに過酷な労働なのでヘロインやメタンフェタミンの刺激が必要なのだと仲間の神父が
教えてくれました。この仕事に就くまでは普通だったのに中毒になって辞めていった鉱夫を知って
います」と別の神父が言う。中国の鉱山ではこうした麻薬の摂取は「よくある行為」だと NGO の
ボランティアは指摘している。
18. 2003 年設立のカチン・ニューズグループはカチン州の非公式な通信社である。タイのチェン
マイに拠点を置き、カチン情勢に最も通じた情報源とされている。
19. 警察が企業からお金を受け取っているため、中国企業がパカンの麻薬の流通を独占しているの
はお墨付きであると報告書は主張している。確たる証拠はないものの、現地で封建領主のごとくふ
るまうミャンマー軍事勢力と中国企業の同盟は麻薬の世界まで広がっているというのがカチン住
民の一般認識である。著者らが話を聞いたカチン独立機構の情報筋によれば、麻薬を使用しても罪
に問われない環境は、ミャンマー政権が「反政府活動を無力化する」ために始めた「カチン民族の
新世代に対する静かな戦い」の一環であり、ミャンマーからの独立を目指すカチン州の野心に終止
符を打とうとしている。
20. ミャンマーのナショナル・エイズ・プログラムが発行した「ナショナル・ストラテジック・プ
ラン・オン・HIV」(2009 年)によれば、2009 年に 257 万 2641 本の注射針と注射器が流通して
いた。
21. 2001 年 3 月のオークションで、ミャンマーは 1 万 6939 の翡翠のロット、206 の貴石、255 の
真珠から 28 億ドルを売り上げた。貴石はミャンマー軍事政権の主要な資金源であるが、同政権は
予算のわずか 1.31 パーセントを保健医療、4.57 パーセントを教育に充てているに過ぎない。
22. 研究者ウィンストン・セット・アウンに計算によれば、2006 年の対中貿易はミャンマーの貿
易総額の 7 パーセントで、不法取引も含めると 25 パーセントになるという。
23. 未加工の翡翠は北京語では「賭石」、文字通り「危険な石、賭けの石」の意味である。特に高
額の投資が必要な場合に、複数のバイヤーが共同資金にお金を出し合ってリスクを最小限に抑える
ことも多い。
24. 両国の関係が緊密とはいえ、相互不信を隠すには至っていない。ウィキリークスが公開した外
交公電により、中国がミャンマーの不安定な国内情勢に懸念を示すだけでなく、ミャンマー側も中
国の行き過ぎた経済影響力に不安を抱いていることが浮き彫りとなった。時を同じくしてインドと
ミャンマーの経済的、軍事的関係が拡大した。2011 年の終わりにミャンマー政権は一種の民主主
義的な開放政策へと移行した。ミャンマーが過度の中国依存から脱却しようする表れと見る専門家
もいる。それを受けてアメリカはミャンマーとの外交関係を全面的に回復した。
25. 元大将であり現職大統領のテイン・セインが行った「民主化への移行」により、1989 年から
15 年間自由を奪われていたノーベル平和賞受賞者アウン・サン・スーチーの自宅軟禁が解かれた。
改革で国内の検閲が緩和され、反体制派数百人が釈放され、さらに政治改革が推進されている。改
革は本物であり後戻りしないとアナリストの多くは考えているが、改革は都市部だけで農村部に影
響を与えていないと言う NGO もある。軍部に支配されているが、ミャンマーの新政権は形式上は
文民政府である。
26. 2008 年、アース・ライツ・インターナショナルによれば、合計 69 社の中国国営企業がミャン
マーの鉱山、水力発電、石油・ガス関連の少なくとも 90 の事業に投資をしていると報じられた。
2010~2011 年の税年度における対ミャンマー投資は 135 憶ドルに達し、中国はタイを抜いて最大
の対外投資国となった。
さらに 2009 年には中国石油天然気集団 (CNPC)が 30 年間の排他的権利を獲得し、ベンガル湾
海域にある東南アジア最大の天然ガスの開発に乗り出した。それまでインド・韓国合弁企業が天然
ガス鉱床の開発権を有していた。「シュウェ・ガス」開発事業の枠組みの中で、中国石油天然気集
団は 2013 年までに 2800 キロメートルのガスパイプライン建設を完成させるとしている。パイプ
ラインは沖合の鉱床からミャンマーを横断して中国南西部の南寧まで伸びる予定である。また同社
はミャンマーの西海岸から昆明まで中東の原油を運ぶ 1100 キロメートルのパイプラインを建設し、
マラッカ海峡などアメリカが支配する海上ルートを避ける狙いがある。両パイプラインに要する投
資総額は推定 25 憶ドルから 34 憶 5000 万ドルとされる。この事業の実現のために大水深港が建設
中で、Kyauk Phyu 島の経済特別区の根幹をなしている。経済特別区には石油ターミナル、空港、
中国と結ぶ鉄道網がある。ミャンマー政権は中国へのガスの売り上げだけでも今後 30 年間、毎年
10 億ドル近くを受け取ることになる。
27.
「雨の多い四川の南」にあることから唐の憲宗帝が現在の雲南省につけた名前である。
28. 1992 年 11 月、首鋼集団は 1 億 2000 万ドルでエンプレッサ・ミネラ・デ・イエロ・デ・ペル
ーの株式を 100 パーセント取得し、首鋼イエロ・ペルーを設立した。鉱山は当初アメリカのマル
コナ・マイニング・カンパニーが所有していたが、1975 年に収用されてペルーの国有企業となり、
1992 年に民営化された。鉱床には 16 憶 6200 万トンの鉱物が眠ると推定され、投資には鉱山から
18 キロ先の私有の深水港も含まれる。
29. 首鋼イエロ・ペルーの鉱山労働組合によると、2011 年は世界的な経済危機により需要が低下
したにもかかわらず 950 万トンの鉄を生産し、収入は 30 億 6500 万ヌエボ・ソル(11 憶 7000 万
ドル相当)であった。
30. 現地情報筋によれば、2010 年 11 月、首鋼集団は 1 日にわずか 2 時間半しか飲み水を供給せ
ず、停電も極めて頻繁であったという。
31.数週間前にファックスで問い合わせたところ電話で回答があった。北京の首鋼集団の PR 部門
のウー・チュウジャンは、「弊社は海外事業に関するインタビューには応じかねます」と答えた。
32. La economia china y las industrias extractivas: desafios para el Peru [The Chinese
Economy and the Extractive Industries: Challenges for Peru], Cynthia A. Sanborn and Victor
Torres (Universidad del Pacifico, Centro de Investigacion, 2009).
33. 2010 年 8 月 14 日付けのニューヨーク・タイムズ紙で「ペルーの中国の採鉱事業をめぐる緊張」
の記事が掲載されると、首鋼集団は問題の従業員二人に公式に文書を送付した。労働組合は会社の
対応は脅迫行為であり、正式解雇する構えだとみている。より詳しくは、シモン・ロメロのウェブ
サイトを参照のこと。
34. 40 歳以上の正社員の基本日給は最も高い場合で 71.6 ヌエボ・ソル(25.8 ドル)で、祝日、夜
勤、露天掘り作業についてはボーナスがつき、牛乳、通勤、軽食などの手当も支払われる。労働組
合によれば、合計すると一時雇用労働者の 30 パーセント以上高くなるという。
35.塵肺症は、石炭、シリカ、鉄、カルシウムなどの鉱物から出る塵埃が呼吸系に侵入して起こる
慢性疾患である。
36. 華中師範大学の中国農村問題研究センターが 2012 年 8 月に発表した調査によると、中国の農
村部と都市部の富の格差は危機的水準に達しているという。昨年は貧富格差を表す指標であるジニ
係数が農村部では 0.3949 となり、国連が警戒水準と規定する 0.4 に近づいている。出典:‘Widening
wealth gap in rural China nears warning level’, 新華社通信、 22 August 2012.
37. http://www.agubernamental.org/web/informativo.php?id=12425.
38. ‘La economía china y las industrias extractivas: desafíos para el Perú’, op. cit.
39. In ‘La economía china y las industrias extractivas: desafíos para el Perú’, op. cit., 2007 年、
中国第 6 位の鉄鋼メーカーである首鋼集団は、国内の製鉄会社に供給するために 2000 万トンの鉄
鉱石を輸入しなければならなかったとビクトル・トレスは指摘している。
40.首鋼集団社長は 10 億ドルを投資して 1000 万トンに増産するとともに、2009 年に同社がペル
ーの経済発展に貢献したと述べ、3 億 3300 万ドルの納税額、3 憶 4000 万ドルの現地調達費、相当
数の地元の雇用創出を挙げた。一方で会社の収入は 2011 年だけでも 11 憶 7000 万ドルを上回った。
詳 し く は 以 下 の ウ ェ ブ サ イ ト 参 照 。 http://www.andina.com.pe/Espanol/Noticia.aspx?Id=
yS/WcpdTulE=.
41.領土紛争、地域の石油資源の所有をめぐる意見の相違、地政学的な違いなどからコンゴとアン
ゴラの関係は近年かなり悪化してきている。結果的にコンゴとアンゴラは定期的に何 10 万人もの
隣国住民を国外退去させ、時には殺害、拷問、虐待している。例えば 2010 年夏にはアンゴラから
コンゴに強制送還された 650 人以上の女性と少女がレイプされる事件が起きたとユニセフは報告
し
て
い
る
。
出
典
:
http://www.un.org/apps/news/story.asp?NewsID=37785&Cr=sexual+violence&CR1=.
42. コンゴはベルギーの支配によりアフリカ中で最もひどい植民地政策に苦しみ、1960 年に独立
を宣言した。続く数十年は残虐な独裁政権が続き、1996 年から 2003 年に二つの戦争が起こり、
400 万人近い死者を出し、国土は廃墟と化した。アメリカ国務省によれば、コンゴの 2011 年の一
人あたり GDP はわずか 210 ドルであった。2011 年にトランスペアレンシー・インターナショナ
ルが発表した腐敗認識指数でコンゴは 183 カ国中 168 位であった。
43. 契約が定める採掘権には銅の確定鉱量 681 万 3370 トンとコバルトの確定鉱量 42 万 6619 ト
ンが含まれる。しかし付属書 A には、推定鉱量が銅は 1061 万 6070 トン、コバルトは 62 万 6619
トンに達すると明記されている。
44. コンゴ政府と中国国営企業の中国中鉄股份有限公司および中国水利水電建設集団公司が結ん
だ契約には、華剛鉱業---コンゴ国営鉱山会社ジェカミンと中国企業のコンソーシアムからなる合弁
会社---の設立に関する規定がある。当初の契約では総額 90 億ドルの投資を見込み、60 億ドルがイ
ンフラ建設に、残り 30 憶ドルが鉱山開発に必要な建築物にあてられる予定であった。こうした鉱
山では電気や道路など基本的サービスがなく鉱物の採掘は複雑で高価である。しかし世界銀行や国
際通貨基金が介入した数ヶ月後、投資は 62 憶ドル強に減額され、鉱山投資とインフラに等分され
た。
介入した理由は情報源によって異なるが、国際機関はこの契約がすでに貧困にあえぐコンゴを崩
壊させる恐れがあり正当な介入だったと主張している。コンゴは鉱物の採掘が中国輸出入銀行に返
済すべき融資額を下回った場合に国債保証を与えていたからである。西側企業はコンゴ政府が採掘
権の一部を中国とコンゴの合弁企業に譲渡してしまうのを恐れていたため、実際は西側の権益を守
るために画策したとする情報筋もある。一方で従来の債権国はコンゴが中国の債務返済を優先させ、
他の債務は再び支払われずに終わるのではないかと危ぶんでいた。この点についてコンゴは中国と
の契約に署名しながら、一方で債務救済の交渉も行っていたことを指摘しておくべきであろう。最
終的には 2010 年 7 月に債務救済が実現し、コンゴは従来の債権国に対する 123 憶ドルの債務免除
を宣言したのである。
45.契約の第 14 条 2 項 3 号(1)は「コンゴ民主共和国は国外居住の従業員のビザや労働許可証取
得の円滑化に取り組む」と規定している。中国企業は中国人の方が現地の人々よりも勤勉で規律が
あり、また自国語でコミュニケーションがとれることを理由に、自国の労働者を大量に派遣して世
界各地のインフラ事業にあたらせるケースが多い。しかし現地住民の雇用創出の本当の恩恵が少な
くなってしまうため、多方面から批判を浴びている。
46. 当初の契約の付属書には鉄道 1015 キロメートル、道路 3656 キロ、ダム 2 基と大学2校、住
宅 5000 戸、150 床規模の病院 31 棟、保健所 145 か所の建設、さらに鉄道 2198 キロメートル、
道路 3652 キロメートル、空港 2 港の修復作業についても書かれている。その支払い費用として契
約では総額 60 憶ドルの投資を見込んでいたが、国際通貨基金と世界銀行の介入を受け当初の半分
に減額され、インフラ計画は相当縮小された。
47. 好例が中国の大手電気通信会社 ZTE の子会社、ZTE アグリビジネスである。同社はコンゴ北
西部のムバンダカに 6 憶ドルを投資して 10 万ヘクタールのヤシ油のプランテーションで食用油と
バイオ燃料を生産する計画であったが中止した。同社社長のワン・クーウェンはその理由として危
険な輸送インフラを挙げた。「とりわけ厄介なのが物流問題です。何事もなくてもコンゴ川に沿っ
てキンシャサまで 2 週間はかかります。問題が起これば一体いつ着くのか見当もつきません」と語
った。ムバンダカとキンシャサは 600 キロメートルほど離れており、川が国土の大半で唯一の輸
送手段なのである。
48. この契約書の特殊な用語の使用例はともかく、中国は「ウィンウィン政策」という表現をしば
しば用いて、かつて西側列強の植民地支配を受けた途上国で主導権を取っている。これは西側の戦
略から距離を置き、ひいては反植民地主義者の言い方を用いてアフリカ、ラテンアメリカとのつな
がりを生みだそうとしている。そうやって西側諸国の領域を奪い取っているのだ。
49. 華剛鉱業は契約による合同企業で、60 億ドルの投資と鉱山操業を担当している。中国水利水
電建設集団公司や中国中鉄股份有限公司が率いる国営企業 5 社が株式の 68 パーセントを保有し、
少数株主のコンゴ国営企業ジェカミンが 32 パーセントの株式を保有するコンソーシアムである。
50.この推計は「中国とコンゴ:助けとなる友」から取っている。NGO 団体グローバル・ウィット
ネスの 2011 年度報告書を元にしている。
51. 第 14 条 2 項 1 号~第 14 条 3 項。
52. 以下の報告でこの控えめな見積もりがされている。Stefaan Marysse and Sara Geenen in
their report ‘Win-win or unequal exchange? The case of the Sino-Congolese Cooperation
Agreement’, Journal of Modern African Studies, 47 (3), 2009, pp. 371–96.
53. 「中国政府による協力事業[契約]の承認から12ヶ月の間に、同事業の特異性によりコンゴ
民主共和国は必要とされる財政面、関税面、そして為替面の方法を保証する法律を議会が採択する
ことを約束する。コンゴ議会が同意した期間内に上記の法を採択しない場合、中国企業グループは
現契約を継続または解除する決定権を持つものとする。」著書による元のフランス語及び中国語か
らの翻訳。
54. 第 13 条 3 項 4 号には「もし鉱業合弁会社 [華剛鉱業]が鉱業・インフラ事業に関する投資およ
び利率を設立後 25 年以内に返済しなかった場合、コンゴ民主共和国は残高を他の形態で返済する
ものとする」とある。フランス語および中国語の原文より著者らが翻訳した。
55. コンゴ代表団は北京で 2 カ月間交渉にあたった。確認はとれなかったが、噂では契約書の署名
に先立ち北京で代表団の「買い漁り」が行われたという。これは契約を円滑に進めるために中国側
が費用を負担したものと見られる。2011 年 12 月、ジョゼフ・カビラ大統領は、選挙違反の疑いで
物議を醸した大統領選で当選を果たした。
56. 出典:2011 年 11 月 10 日にジャーナリスト、ビクトワール・エヨビが行ったオケンダへのイ
ンタビューおよび吴泽献(ウー・ザーシエン)中国大使へのインタビューによる。Entreprendre
誌に発表された。
57. 富利鉱業有限公司が所有する鉱山施設のコンゴのカタンガ州のリカシへ赴いた。万宝鉱産有限
公司が所有し、万宝鉱産は中国北方工業公司の企業集団の一部である。中国北方工業公司は中国で
最も重要な軍需会社であり、ミサイル技術をイランに提供したとしてかつてアメリカから制裁を受
けた過去を持つ。中央アフリカのいわゆる「コッパーベルト」には世界の銅埋蔵量の 10 パーセン
ト、世界のコバルト埋蔵量の 34 パーセントが含まれている。
58. ‘Win-win or unequal exchange? The case of the Sino-Congolese Cooperation Agreement’, op.
cit., p. 390.
第 4 章 「『黒い金』をめぐる中国の攻勢」
1. 著者デボラ・ブローティガムによれば、リー・ルオグゥ(李若谷)は 2007 年 4 月にワシント
ンで開催された戦略国際問題研究所(CSIS)のラウンド・テーブルでの話し合いの場に参加した
際にこの発言をした。この表現は、紀元 1 世紀に書かれた中国歴史書の古典「漢書」の中で、学者
である班固(バン・グー)が用いた表現である。「あまりにきれいな水には魚が棲めないし、他人
を咎めだてする者は仲間が寄りつかなくなる」というのが完全な表現である。
2. 本章で触れた人名、地名、職業、肉体的特徴など、特定される恐れがある記述は変更し、匿名
性を確保した。2012 年にフリーダムハウスが発表する「世界で最も抑圧的な社会のランキング」
は世界各国の市民社会や政治の自由度を測った調査であるが、抑圧の横行するトルクメニスタンは
ミャンマー、スーダン、北朝鮮と最下位を争っている。
3. この数字は、トルクメニスタンに数年の滞在経験がある西側外交官および西側の移住者の二人
が教えてくれた。
4. アシガバートに住む外交官は、トルクメニスタン国立大学で学ぶには、研究分野にもよるが 2
万~8 万ドルの費用がかかると語る。芸術・人文科学の学位は安いが、それはこれらの科目の卒業
生の就職先の給料がよくないからである。最も高額なのは工学の学位で、特に石油・ガス産業の給
料がよい。卒業生が手っ取り早くたくさん稼げるためだ。仕事に就くには必ず事前に何らかの手数
料が必要となる。売春なら地元警察に賄賂を、50 度の灼熱の下で働く道路清掃員の仕事なら手数
料 200 ドルといった具合である。
5. ‘Les Rapports secrets du Département d’État Américain. Le meilleur de WikiLeaks’ (‘The
secret relations of the US State Department: the best of WikiLeaks’), Le Monde Hors-Série,
March 2011, pp. 71–4.
6. 中国共産党上層部は外国への公式訪問を主導している。しばしば中国政府役人も参加する訪問
は厳密には国家機関を代表し、一つの政党を示していないという事実にもかかわらずである。つま
り中国の政治においては、国家機関が唯一の政党である共産党に対して従属的な役割を果たしてい
る。
7. BP が発行する世界のエネルギー埋蔵量に関する 2012 年度の年次報告は、トルクメニスタンの
確認埋蔵量は 25 兆立方メートルに迫ると示唆している。BP 世界エネルギー統計 2012、 June
2012; ‘Turkmenistan foreign policy’, Richard Pomfret, China and Eurasia Forum
Quarterly, 6 (4), 2008, pp. 19–34.
8. サパルムラト・ニヤゾフは 1991 年の独立から 2006 年に突然死するまで(糖尿病が原因とされ
る)国を主導してきた初代大統領である。その後に元保健省であり、グルバングルイ・ベルドイム
ハメドフが続いた。歯科医として働いた後に大臣となった人物である。この二人は外見が非常に似
ているために一連の疑惑を生み、ベルドイムハメドフは実はニヤゾフの隠し子なのではないかとも
言われている。
アシガバートに暮らす海外移住者はこの国の日常生活で起こるありとあらゆる信じがたい話を
教えてくれる。ある人は現実離れした大統領の他州訪問の様子を語ってくれた。「私はアシガバー
トの東にできた新しい町の開市式に招かれたのですが、ベルドイムハメドフ大統領も出席予定でし
た。到着した私はまばゆい白大理石の町を見て度肝を抜かれました。病院は最新機器を揃え、保育
園の子供は英語を話していたのです。何千人もの人が街に繰り出し、踊りや歌で大統領の訪問を祝
いました。大統領は世界の先進国でもおかしくないような町中の施設を訪問しました。翌日、交通
事情のため私は同じ町に戻りました。すると通りに人気がなく、店も公的な建物もすべて閉まって
いました。何が何だかわかりませんでしたが、現地住民の一人が教えてくれました。前日の出来事
は全て大がかりな芝居だったのだと。アシガバートから子供達を連れてきて、この見世物のために
何カ月も訓練させたのです。病院の機器もすべてアシガバートから持ち込まれたものでした。政府
が画策した大がかりな作り話に過ぎなかったのです。彼が語ってくれたところによると、大統領の
海外訪問にも虚構が入り混じっている。国営テレビは国連での演説の映像を編集し(交代制のため
容易に行える)、トルクメニスタンの国家元首がいつも他国から熱狂的な喝采を浴びているように
見せているのだ。「世界中の大統領が皆我々の国家元首を招いて演説をしてもらい、拍手が鳴り止
まないというのは本当ですか?テレビではその様子を目にするのですが」とトルクメニスタンの友
人が私の情報筋に尋ねたのである。
9. トルクメニスタンで報道ビザを取得するのは実質不可能である。観光ビザを得るのも同様に骨
が折れ費用もかさむ。そして何より旅行者は詳細な旅行ルートを事前に提出しなければならないの
だ。さらに滞在中は現地ガイドに頼らなければならない。余計な疑惑を招くのを避けるために我々
はトルクメナバートへの旅について指定されたガイドに話さなかったため、彼はトルクメナバート
行きは厳密には「違法」だったと電話越しに脅すように言った。
10. 著者らはインターネットのチャットルームを通じてレイ・リィ(偽名)と知り合い、北京から
連絡を取った。サイバー空間で何ヶ月か話した後に、トルクメニスタンの僻地で著者らと会うこと
に同意してくれた。
11.中国石油天然気集団はトルクメニスタンの沖合のガス鉱脈を開発する唯一の外国企業である。
同国の他の外国企業はカスピ海沖合で炭化水素の鉱脈を開発しているだけにすぎない。
12.「世界エネルギーアウトルック 2011」、 (OECD/国際エネルギー機関, 2011).
13. 中国石油天然気集団が発表した数字によれば、2009 年 12 月にガスパイプラインが初めて開通
してから 2012 年 6 月までの間に中国はトルクメニスタンから 300 憶立方メートルのガスを輸入し
ている。2012 年 6 月に結んだ二国間協定に基づき、2015 年には年間 650 憶立方メートルに達す
る見込みであるが、、専門家はトルクメニスタンを信頼できないビジネスパートナーと考え、はた
して同国が約束しているガス供給量を本当に供給できるのか疑う情報筋もある。
国際エネルギー機関は、2015 年までに中国のガス需要が年間 1650 憶立方メートルになると推
定している。一方、BP 世界エネルギー統計 2012 によると、中国は 2011 年に 1307 憶立方メート
ルのガスを消費し、1025 憶立方メートルのガスを生産したとのことである。出典: ‘PetroChina
pipeline turns on gas supply’, 中華日報, 5 June 2012; ‘China turns to Turkmenistan for gas
amid Gazprom pipe talks’, ブルームバーグ, 4 March 2011; 世界エネルギーアウトルック 2011,
op. cit.;世界エネルギー統計, op. cit.
14.協定に関してほとんど情報を入手できなかったが、公表資料によれば国家開発銀行は南ヨロテ
ンやオスマンを含むガス鉱脈の開発を開始するためにトルクメンガスに 2009 年に 40 憶ドルを融
資した。2011 年、国家開発銀行は猶予期間 3 年と返済期間 10 年の条件で 41 憶ドルの追加融資を
供与した。融資は同国のハイドロカーボンで保証され、ガスの供給によって返済される予定である。
出典:‘China boosts gas imports from Turkmenistan’, Vladimir Socor,アジア・タイムズ, 2 July
2009; ‘China lends $4.1 billion to gas-rich Turkmenistan’, ロイター通信, 27 April 2011.
15. 現在中国には国家開発銀行、中国輸出入銀行、中国農業銀行の 3 つの政策銀行がある。インフ
ラ開発(国家開発銀行)、貿易促進(中国輸出入銀行)および農業支援(中国農業銀行)を促進す
るために設立された。3 行のうち、中国輸出入銀行が最も政治色が強く、「譲許的融資」や「輸出
業者優先バイヤーズ・クレジット」を提供する唯一の機関である。この二つは市場利率よりもかな
り低率で提供され、返済条件も極めて有利であり、発展途上国に対して援助と投資を与えるのに役
立っている。融資は中国の輸出を促進し、外交を後押しするのに役立っている。国務院直轄の同行
は、信用供与の詳細や融資対象を年次報告などで公開しない不可解な機関である。2010 年によう
やく実現した中国輸出入銀行のインタビューで(序章 p13 参照)[訳者注:序章のインタビュー部
分を削除すればここも削除する]、経済研究部副部長イェン・チィファーは「中国が毎年何件の譲
許的融資を行っているかはわかりません」と述べた。
その一方で、1994 年に設立された国家開発銀行も国営で国務院の管理下にある。国内では政府主
導のインフラ事業を支援し、海外の海外合弁事業では中国国営企業に従う。国家開発銀行は世界的
に存在感を示しており、中国の「走出去」投資政策下で中国の銀行で最大の国際金融を行っている。
国家開発銀行は商業重視の手法を採っているようで、世界的な銀行コングロマリットへと変貌する
戦略にも見える。しかし、事業の本質や所有の構造を考えれば、政府が支援を止める可能性は低い。
16. ブルッキングス研究所の専門家エリカ・ダウンズは、中国国営石油企業と国家開発銀行は過去
数年間に政府から一定の独立を勝ち得たようだと述べている。もちろんこれは党国家の支配に究極
的に従わなくてよいという意味ではない(党国家は国営企業社長の任命権を有する)。にもかかわ
らずダウンズは「中国株式会社」は「一枚岩」のトップダウン方式で決定を行う事業体ではないと
言う。アナリストのジュリー・ジアンとジョナサン・シントンも国際エネルギー機関向けの最近の
報告で同様の意見を述べている。この点について、中国の国営企業や銀行が国益と自分たちが実行
している事業の利益性との間でバランスを取ろうとする一方で、国家あるいは金融制度の特徴を同
国の世界進出と切り離して考えられないと指摘しておくべきであろう。国営企業の技術が西側企業
より「数十年」遅れている状況を考えれば特に当てはまると様々な専門家は言う。研究者リカルド・
ソアレス・デ・オリベイラの言葉によれば、
「大半の分野で未だに西側企業の後塵を拝しながらも、
中国の NOC[中国国有石油企業]は中国政府を後ろ盾に交渉に臨んでいる」のである。
おそらく最良の例がロシア企業ロスネフチとトランスネフチと、中国開発銀行と中国石油天然気
集団の間で交わされた協定であろう。同協定に基づき、中国開発銀行はロシア企業に年率 5.69 パ
ーセント(当時の経済状況からすれば非常に有利な利率であった)で 250 憶ドルの融資を約束し
た。その見返りにロシア企業は中国石油天然気集団に対して一日あたり石油 30 万バレルを市価で
供給すると約束した。15 年間の交渉の末、ロシアは当初シベリアの油脈と日本を結ぶだけの目的
であった東シベリア・太平洋(ESPO)石油パイプラインの当初の計画を変更し、中国支部を建設す
ることで最終的に合意した。
出典:Inside China, Inc.: China Development Bank’s Cross-Border Energy Deals, Erica
Downs (Brookings Institute, 2011); Overseas Investments by Chinese National Oil Companies:
Assessing the Drivers and Impacts, Julie Jiang and Jonathan Sinton (国際エネルギー機関,
February 2011). ソアレス・デ・オリベイラの言葉は以下より引用した。‘Making sense of Chinese
oil investment in Africa’, in China Returns to Africa: A Rising Power and a Continent Embrace,
eds. Chris Alden, Daniel Large and Ricardo Soares de Oliveira, (Hurst, 2008), p. 98.
17. 2011 年末の中国の外貨準備高は総額 3.2 兆ドルで、国内の対外直接投資、中国の貿易黒字、観
光、そしていわゆる貨幣の「不胎化」(中国は固定為替レートの維持のためドルで購入している)
の主に 4 つの柱からなる。中国国家外為管理局(SAFE)は各種投資を用いてファンドを管理して
おり、リスク、戦略的要件、利益性に基づいて決定を下す。2008 年の金融危機以前は中国は自国
通貨の相当部分をアメリカ国債に投資していたが、リスク認識と資産が購買力を失う危険性がある
ことから、金融危機以降投資を多様化させるようになった。中国企業が海外で行う事業の資金調達
に外貨準備高の一部を用いるのは、この戦略とぴったり一致する。このように中国の外貨準備高も
企業の国際化や、中国の外国市場の征服に決定的な貢献をしている。
18. 知識のなさが滲み出ているが、「魂の書」はまぎれもなくニヤゾフが「神が彼の心に与えたイ
ンスピレーションの助けを借りて」著したものだ。2 巻からなるこの著作は大統領と人類のまさに
最初とを結ぶ家系図を概説し、公の場や家庭での振舞いについても指南している。トルクメニスタ
ンの学校や大学で読むことが義務付けられており、公務員の職を得るにも、運転免許の申請にさえ
もルーフナーマの知識が必須である。ルーフナーマの外国語訳は 40 言語を超える。トルコ人実業
家アフメット・チャルックの音頭に従い、起業家がフランス語、英語、中国語その他への翻訳を取
り次いでいる。アルト・ハロネンのドキュメンタリー映画“Shadow of the Holy Book”を観れば詳
しい情報が得られる。
19. この関係の証拠をドキュメンタリー番組「エディション・スペシャル」に見ることができる。
これはマルタン・ブイグが所有する民間テレビ局 TF1 が制作し、1996 年 9 月の独裁者の訪仏を祝
ったものだ。ジャーナリストのジャン・クロード・ナルシが監督したこの番組に、ニヤゾフ、マル
タン・ブイグ、TF1、フランスガス公社、フランス電力会社(EDF)の社長が揃って参加している。
この 40 分番組の間中、フランス人実業家達はトルクメンバシに称賛を送り、決して彼に腐敗や人
権や市民の自由などの話題について反論したり、質問を投げかけたりはしなかった。この番組はト
ルクメニスタンでは放映されたがフランスでは一度も放映されていない。以下のウェブサイトで視
聴可能である。http://www.dailymotion.com/video/xi0uw_tf1- bouygues‑et‑le‑turkmenistan、最
終アクセス日 2012 年 8 月 22 日。
腐敗のためにトルクメニスタンのビジネスの費用は上昇している。詳細な情報は以下参照。
‘Les Rapports secrets du Département d’État Américain: Le meilleur de WikiLeaks’, op. cit.
20. 唯一の例外がトルクメニスタンと隣国イランを結ぶパイプラインである。世界銀行によれば、
今後数年間トルクメニスタン政府は年間 200 憶立方メートルのガスをイランに輸送する計画であ
る。
21. Inside China, Inc.: China Development Bank’s Cross-Border Energy Deals, op. cit.
22. 2005 年に締結された平和協定枠組みの中で、スーダン南部で 2011 年 1 月から 2 月にかけて国
民投票が行われた。住民の 99 パーセントが独立と新国家南スーダンの創設に賛成票を投じた。2011
年 7 月 9 日に施行されたが、国境では緊張が続き、戦争が再び同地域を脅かしている。
23. 2010 年 7 月、著者らがハルツームを訪れた際、中国石油天然気集団の現地事務所はホテル・
スーダンを拠点にしていた。5 階建ての 260 部屋ある建物で、会社の主だった従業員は寝泊まりし
て仕事をしていた。著者らのアシスタントは中国人だからとホテルの広々とした部屋に一晩泊まら
せてもらい、毎日 15 人の中国人シェフが作る四川をはじめとする 30 品の中国料理を楽しんだ。
ホテル・スーダンだけでなく、ハルツームの主要道路にある大統領宮殿と石油省の中間に位置する
中国石油天然気集団は進出に伴いさらに二つの建物を獲得していた。さらに同社はスーダンのスタ
ッフのニーズを満たすために新たな高層ビルに最後の仕上げをしていた。
24. 150 憶ドルを上回るとも言われる巨大投資のおかげで、中国はスーダンの石油部門で唯一では
ないが重要なプレイヤーである。中国石油天然気集団は大ナイル石油会社(GNPOC)の 40 パーセン
トの株式を所有している。このコンソーシアムは同国内の数ヶ所の油田開発を担当しており、南部
から紅海沿岸のポート・スーダンまで原油を運ぶ 1500 キロの石油パイプラインの建設を手がけて
いる。中国石油天然気集団はスーダン第 2 位のペトロダール・オペレーティング・カンパニーの
41 パーセントの株式も所有しており、中国の中国石油化工(中国国家が主要株主である企業)が
さらに 6 パーセントを所有している。マレーシア国営企業ペトロナスとインドの国営企業インド石
油ガス公社(ONGC)もスーダンの石油部門でコンソーシアムの株式を所有しているが、中国ほどの
存在感はない。出典: ‘From non-interference to constructive engagement?’, Daniel Large, in
China Returns to Africa: A Rising Power and a Continent Embrace, eds. Chris Alden, Daniel
Large and Ricardo Soares de Oliveira, (Hurst, 2008), pp. 280–84.
25. その後 2011 年までスーダンは中国の主要石油供給国の立場を維持していた。10 年経った今も
スーダンは中国にとって重要な石油供給国であり、2010 年には中国の石油総輸入量の 5.3 パーセ
ントを占めていた。スーダン国内の石油生産の制限、原油の低品質、中国の需要拡大もあったがこ
れだけの量を提供してきた。中国はといえばスーダンの石油の最大購入国であり、2010 年には原
油 1259 万トン(同年の総生産高の 50 パーセント前後)を購入している。現在の石油生産量は一
日あたり 50~75 万バレルを推移しているとスーダンの専門家は語った。出典: Chinese customs
office, http://www.customs.gov.cn/publish/portal0/tab7841/module24699/info292637.htm.
26. スーダンの経済成長率は 2006 年と 2007 年が 10 パーセント、2008 年の金融危機以降は 5 パ
ーセント前後であった。
27. 西スーダンのダルフール紛争は 2003 年に勃発した。アラブ系民族(ハルツームのアラブ政権
が資金と武器を提供している)と、アラブ系政治エリートの人種的抑圧を糾弾する黒人住民との間
で起こった。アラブ民族と地域の黒人住民の人種対立により 30 万人が死亡し、250 万人が故郷を
追われた。この出来事をアメリカは「虐殺」と呼び、2009 年から 2010 年にかけて国連の国際刑
事裁判所(ICC)はダルフールにおける戦争犯罪および人道に対する 5 つの罪でアル・バシル大統
領を国際指名手配した。中国は国連安全保障理事会で何度か棄権し、アル・バシル政権への国際社
会の圧力緩和に努め、スーダン大統領の逮捕に対して公式に反対表明もしている。アル・バシル大
統領は 2011 年 6 月に中国を訪問した際、盛大な式典で胡錦濤国家主席に迎えられ、人権団体や国
連職員の怒りを買った。
28. ‘China’s growing role in African peace and security’, SAFERWORLD, January 2011, pp.
49–53.
29. 中国は 2010 年 10 月に情報が報道機関に漏れるのを止めようとしたが失敗した。‘China tries
to block Darfur weapons report’, Ewan MacAskill, ガーディアン, 21 October 2010.
30. BP 世界エネルギー統計, op. cit.
31. 西側石油企業の戦略はイランに残り「以前の契約を完了する」ことであるが、誰も新規事業に
取りかかろうとしない。「事態が改善する可能性もあるため、戦略的手段としてイランに滞在して
いるのです」と石油部門の情報筋は語った。
32. アメリカ国務省はアメリカの制裁を受けて、イランの石油部門で中止された投資総額は 500~
600 憶ドルとみている。‘Iran’s Chinese Energy Partners’, Mark Dubovitz and Laura Grossman,
Foundation for Defense of Democracies, September 2010, p. 3.
33.著者らが専門家に尋ねたところ、中国の石油技術は初歩的で、さらに弱いのが液化天然ガス
(LNG)の生産技術であるという。これは天然ガスを液体ガスにする工程で、そうすれば天然ガ
スパイプラインがなくても貨物タンカー船で長距離輸送できるようになる。イラン政府は今すぐに
でも沖合のサウス・パースガス田を開発する必要性に迫られている。イランは隣国カタールと天然
ガスを「共有」しているが、現在カタールが大規模な天然ガス開発を行っているためである。中国
が西側ライバル企業に追いつくためには「数年から長ければ数十年」かかると専門家はみているが、
2009 年に中国石油天然気集団はフランス企業トタルからサウス・パースガス田第 11 区を引き受け
た。トタルは当初資源開発の契約を獲得していたが撤退したため、アメリカからの圧力を受けて撤
退に追い込まれたと主張する者もいる。
34. 国際社会から孤立しているため、イランが公表する対外投資額は実際よりも誇張される傾向に
ある。例えばイランの報道機関は、中国企業が 2005 年以降に署名したエネルギー契約の価値は
1200 憶ドルになると推定している。しかし専門家はこの数字を否定しており、エネルギー部門へ
の中国の本当の投資額は、イラン石油省のホセイン・Noqrehkar・シラジ副大臣が発表した 400
憶ドルに近くまで下がる可能性がある。中国側はといえば、お馴染みの透明性の欠如がここでもみ
られる。著者らは中国石油企業 3 社(中国石油天然気集団、中国石油化工、中国海洋石油総公司)
に連絡を取ったところ、一社としてインタビューを受け入れず、イランにおける業務に関する情報
を一切提供しなかった。出典: ‘China invests $40 billion in Iran’s energy sector’, Tehran Times,
1 August 2010.
35. ‘The Impact of Iran Sanctions Six Months In’, Trevor Houser, Rhodium Group, 27 June
2012.
36. 現在イランは一日 400 万バレルの石油を生産しているが、2015 年までに 1200 憶ドルの投資
を行わなければ 270 万バレルにまで落ち込むと推定されている。‘Iran’s Chinese Energy Partners’,
op. cit., p. 6.
37. 中国も賛成票を投じた国連安保理決議 1929 の序文は「イランのエネルギー部門の歳入と、拡
散の恐れがある同国の核開発活動の資金調達にはつながりがある可能性がある」と認めている。
38. ‘US embassy cables: China and US compare notes on ho 世界貿易機関 handle Iran’, ガーデ
ィアン、29 November 2010.
39. ‘Iran’s Chinese Energy Partners’, op. cit., p.3.
40. ウィキリークスによれば、「銀行家に対してどうやって強気に出られますか?」とアメリカ国
務長官ヒラリー・クリントンは当時のオーストラリア首相ケビン・ラッドに尋ねたと言われる。こ
こでクリントンは、推定総額 1 兆 1000 憶ドルのアメリカ国債を保有し、最大の対外債権国となっ
た中国がホワイトハウスに与える影響について言及している。にもかかわらず 2012 年 1 月、アメ
リカ政府は中国の国営石油化学企業の珠海振戎公司がイランへの精製石油の最大供給者であると
して制裁を課した。中国企業大手に比べれば小規模とはいえ、中国政府はこの制裁に強く反発した。
出典:‘WikiLeaks: Hillary Clinton’s question: how can we stand up to Beijing?’, Ewen MacAskill,
Guardian, 4 December 2010; ‘China seen as risk as holdings surpass $1 trillion’, ロイター通信,
1 March 2011.
41. 2012 年、コンサルティング企業のマーサー社によれば、ルアンダは東京に次いで世界で 2 番
目に物価の高い都市となった。ルアンダに住む国際団体の海外移住者の従業員は、会社予算で毎月
1 万ドルの住宅補助が支給されるが、
「温水と 24 時間電気が使える国際水準を満たすアパートを借
りるにはそれでも最低 1 万 5000 ドル支払う必要があります」と語った。著者らがルアンダを訪れ
た際も、一泊 300 ドル未満ではホテルのダブルルームを探せなかった。原因はルアンダの石油産
業の開発(有害な影響も含む)がもたらした好況、限られたサービスの提供、現地製造業の欠如で、
27 年におよぶ戦争の遺産である。アンゴラは何から何まで輸入に頼らなければならないのだ。
42. アンゴラは 2011 年に 1 日あたり 170 万バレルを生産しており、それを上回るのはナイジェリ
アだけである。BP 世界エネルギー統計, June 2012.アンゴラの石油収入の情報は以下の記事から
得た。‘The new imperialism: China in Angola’, by Rafael Marques de Morais, World Affairs
Journal, March/April 2011.
43. アンゴラのドス・サントス大統領は 30 年以上政権の座についている。2010 年に行われた直近
の選挙では得票率 82 パーセントで圧勝した。
44.アンゴラやアフリカ各国で用いている中国のモデルは日本を真似たものである。1970 年代から
1980 年代の日本は中国の石油と引き換えに数多くの事業を行っていた。
45. アフリカにおける中国の役割について著した“The Dragon’s Gift”の中で、デボラ・ブローティ
ガムは 2003 年にドイツが対アンゴラ債権を一方的に放棄し、アンゴラへの圧力を弱めた最初の国
となったと述べている。The Dragon’s Gift: The Real History of China in Africa (Oxford
University Press, 2009), p. 275.
46. ‘Thirst for African Oil: Asian National Oil Companies in Nigeria and Angola’, Alex Vines,
Lillian Wong, Markus Weimer and Indira Campos, Chatham House Report, August 2009.
47. シェルはインド国営企業のインド石油ガス公社を選出し、同社による 50 パーセントの株式の
引き受けを予定していたにもかかわらず、アンゴラの国営石油企業ソナンゴルはそのブロックを中
国 石 油 化 工 に 与 え る た め に 拒 否 権 を 行 使 し た 。 ‘China in Angola: an emerging energy
partnership’, Paul Hare, China Brief, 6, May 2007.
48. 「アンゴラで中国石油企業の戦術が成功したのは、ビジネスと外交が連動していたことが主な
要因である」と両国の二国間関係について書かれた最も優れた報告の一つは述べている。出典:
‘Thirst for African Oil’, op. cit. 数字についてはジャン・ボールン在中国大使から得た。出典:
‘China lends Angola $15 bn but creates few jobs’, Agence France-Presse, 9 March 2011.
49. 公式に発表された数字に基づき、中国国際基金はアンゴラに総額で 29~90 憶ドルの石油返済
の信用供与を行った。‘Thirst for African Oil’, op. cit.
50. このコングロマリットや子会社の構成を示した詳細な図表については‘Thirst for African Oil’,
op. cit., p. 86 参照のこと。
51. チャイナ・ソナンゴル・インターナショナル・ホールディングスおよびソナンゴル・シノペッ
ク・インターナショナル(中国国営企業中国石油化工の子会社が部分所有している企業である)は、
アンゴラ政府が 2011 年 6 月以降国際入札にかけた 29 ある石油ブロックのうち 8 つの株式を所有
している。出典:www.sonangol.co.ao.
52. アフリカ専門家はギニアがラテンアメリカとヨーロッパをつなぐ「麻薬州」だとみている。ま
さにそのギニアで中国国際基金とチャイナ・ソナンゴル・インターナショナル・ホールディングス
は共同でムーサ・ダディ・カマラ大尉率いる軍事政権と、鉱物資源と引き換えにインフラ建設を行
う 70 憶ドル相当の契約に署名した。2009 年 9 月 28 日に締結されたが、カマラの軍が 150 人以上
の市民を殺害して数十人の女性を暴行し、コナクリのメインスタジアムで抗議活動を抑圧したわず
か数日後のことであった。ジンバブエでは 2009 年 11 月に二社が共同でロバート・ムガベ政権と
協定を結び、80 憶円のインフラ支援と引き換えにプラチナと金の鉱山と石油資源の開発を行うこ
とになった。いずれも中国国営企業の中国南車股份有限公司(CSR)が資材を供給して協定に参加し
ている。出典: ‘CIF, Beijing’s stalking horse’, Africa-Asia Confidential, 3 (7), May 2010.
53. 「中国政府は[中国国際基金が行っている]事業とは何ら関係はなく、同社の詳細についても知
りません」と、2011 年 10 月 19 日に中国外交部報道官のマー・ジャオシー(馬朝旭)は述べた。
北京でのインタビューで、アフリカ問題特別代表のリウ・ゴエイジン(劉貴今)は著者らに次のよ
うにはっきりと言った。「中国国際基金は間違いなく香港拠点の民間企業です。私は政府が何かし
らの関係を持てるとは思いませんし、政府が同社に政府の利益を代表するよう頼むとも思えません。
そのような理解やつながりはありません・・・中国国際基金について否定的なコメントや報告が相
次いで寄せられており、私や[政府内の]同僚にとって頭の痛い問題です。・・・なぜ中国国際基金
がアンゴラやギニアでこれほどまでに影響力を持つようになったのか、事態の把握に努めています。
おそらく中国国際基金は民間企業であり、現地政府と契約を勝ちとるためならどんな手段も使える
からでしょう。ですが中国本土に拠点を置く[国営石油]企業は政府の規制を受けており、勝手な振
る舞いは許されません・・・二国間関係に与える影響を考慮しなければならないのです。」出典:‘CIF,
Beijing’s stalking horse’, op. cit.
54. アルジェリア生まれのピエール・ファルコンは影響力のある仲介者で、各種企業を通じて武器
契約の交渉を後押ししていた過去がある。1990 年代にアンゴラで違法な武器売却に関わったとし
て懲役 6 年の判決を受け、フランソワ・ミッテラン元大統領の息子と共に、現在フランス刑務所で
服役中である。彼は自分のコンサルタント企業ピアソン・アジアを通じ、中国国際基金とチャイナ・
ソナンゴル・インターナショナル・ホールディングスとつながっている。
55. ‘Data reveal huge sums spirited out of Angola’, ロイター通信, 4 April 2011.
56. 「28/F 14 Dong Chang’an, Beijing」は中国の公安部および対外諜報機関の本部住所である。
出典:‘The 88 Queensway Group: A Case Study in Chinese Investors’ Operations in Angola and
Beyond’, Lee Levkovitz et al., U.S.–China Economic & Security Review Commission, 10 July
2009.
57. ソナンゴル会長マヌエル・ヴィセンテが中国国際基金につながりのある企業の取締役を務めて
いる事実もさることながら、アンゴラの大統領の息子ジョセ・フィロメノ・
「ズヌ」
・ドス・サント
スはアンゴラのチャイナ・ソナンゴル・インターナショナル・ホールディングス代表を務めている。
58. ‘CIF, Beijing’s stalking horse’, op. cit.
59. ベネズエラは世界最大の原油埋蔵量を誇り、特に南東部のオリノコベルト地域に多い。BP 世
界エネルギー統計、op. cit.
60. El Poder y el Delirio [Power and Delirium], Enrique Krauze (Tusquets, 2008).
61. Ibid., p. 278.
62. ベネズエラでは珍しくないが、こうした融資条件はいささか不透明である。著者らは契約の一
部の入手に成功し、国家開発銀行の 200 憶ドルの融資のうち半分がドルで、残る半分が元で供与
されたのを確認できた。10 年以上かけて石油で返済される予定で、
「石油に関してベネズエラが初
めて長期的な確約をしたようだ」と専門家は述べた。
中国とベネズエラの専門家のベアトリス・デ・マホは、中国は中国製品購入を融資の条件として
いる。融資総額の半分を元で提供したことからもわかるが、その使途は中国製品やサービスに限ら
れる。残る 100 憶ドルについて、
「40 パーセントが中国・ベネズエラの共同事業に充てられますが、
中国は残りの 60 パーセントを支配するでしょう」とデ・マホは語った。中国政府がその使途を決
定するのだ。
武器取引に関しては、近年ベネズエラは数十憶ドル規模の軍拡競争に乗り出しており、中国はロ
シアの貴重な支援を受けて 18 機の K-8 戦闘機をベネズエラに売却した。
63. ベネズエラの石油埋蔵量は世界最大で、専門家は「無限」にあると推定している。将来代替エ
ネルギーが開発されて優位となり、世界が主要エネルギー源としての石油使用をやめてもまだベネ
ズエラのオリノコベルト地帯には原油埋蔵量があるとされるためだ。ベネズエラで自動車のガソリ
ンタンクを一年間給油するのと、ヨーロッパで一回給油するのとは同じ値段である。
64. ベネズエラ原油の対米輸出は近年大きく落ち込んでいる。アメリカ政府は今もベネズエラ原油
の 45 パーセント、1 日換算で 100 万バレルを購入しているとされるが、過去には 150 万バレルで
あった。
ベネズエラ政府は市場を多様化させてアメリカ依存を減らしたいとしているが、チャベス大統領
に近い元側近は、「高級市場を持つアメリカ市場を手放し、石油を割引価格で丸ごと他国[中国]に
投げ売りするのは犯罪行為だろう」と語った。この議論の背後には原油輸送費用がある。通常供給
国が支払うこの輸送費は、中国(所要日数 45 日間)よりアメリカ(5 日間)の方がはるかに安上
がりなのだ。西側への依存を減らすためにチャベス政権が他に選んだ国はベラルーシ、イラン、ロ
シアである。
65. 2010 年 1 月の投資に加え、中国はベネズエラで別の石油供給契約も結んでいる。これらはオ
リノコベルトの石油埋蔵量の確認、残留物の購入、小規模投資やチャベス政権以前に行われた投資
に関わる契約である。
66. 原油生産は近年激減している。ベネズエラはチャベス政権以前には一日あたり 360 万[訳者
注:原文は 3.6 バレルですが、誤植と思われます]バレルを生産していたが、公式発表では現在 310
万バレルまで落ち込んでいる。しかし国際エネルギー機関などの情報筋によれば本当の生産高はさ
らに低い 270 万バレル程度ではないかと言われている。生産量の減少は、石油に大きく依存する
ベネズエラ経済に深刻な影響を与えている。生産性の高い石油部門は、300 万ヘクタールの土地の
収用や 400 社を超える企業の接収など、チャベス派による政策のために大きな打撃を受けた。
‘Venezuela, a good deal from China?’, ファイナンシャル・タイムズ、16 March 2011.
67. 中国は現在中東から原油供給の約半分を輸入している。中国政府はエネルギー部門の多様化に
懸命に取り組み、不安定な中東情勢のあおりを受けて中国のエネルギー安全保障が損なわれないよ
うに地球の隅々まで出かけているのだ。
二流の技術ながら中国はベネズエラのオリノコベルトに劇的に進出した。中国石油天然気集団は
フニン 4 ブロックでペトロレオス(PDVSA)の共同出資者であり、160 憶ドルを投資して一日あ
たり 40 万バレルを採掘している。一方中国石油化工はフニン 1 と 8 の両ブロックにおけるペトロ
レオスの共同出資者であり、日産 20 万バレルを目指している。西側企業がチャベス政権下の不安
定な法制度を理由に同国への投資を渋った結果、ベネズエラにある中国とロシアの石油企業が進出
した。これは国有化が相次いだ 2007 年以降特に顕著である。このときエクソン・モービルやコノ
コフィリップスなどのアメリカ企業が撤退を決めた。他国の入札への関心が低いため、ベネズエラ
政府はロシアと中国に石油部門の新規投資を頼みとしているとペトロレオスの元会長二人は本書
のためのインタビューで語った。
68. 2011 年、ペトロレオスは 1240 憶ドル以上の収入を生んだ一方、2010 年の投資総額は 110 憶
ドルを超えた。
69. オリマルジョンとは、ベネズエラの石油埋蔵量の大半を占める低品質の超重質原油と水を混ぜ
るために用いられる技術で、それにより貨物船での輸送が可能となる。超重質原油は発電目的で使
用され、石炭と同じ価格で販売される。精製して高品質な製品にするには費用がかかりすぎるため
である。
70. エンリケ・クラウゼは「1999~2007 年にチャベスが世界中でばらまいた贈り物は 330 憶ドル
に達する」と推定している。El Poder y el Delirio, op. cit., p. 294.
71.出典: ‘Cuba y China consolidan su alianza estratégica’ [‘Cuba and China consolidate their
strategic alliance’], Mauricio Vicent, El País, 8 June 2011.
72. 2011 年 7 月、ウゴ・チャベスは癌と診断されたと発表し、同国の政治の将来は明らかに不確
定な状態となった。2012 年 1 月、スペイン紙 ABC は匿名諜報筋が入手したカルテを引用し、癌
がすでに転移しており余命はわずか 9 カ月であると報じた。[訳者注:死んでしまいましたが、追
記が必要でしょうか。]
第 5 章 「中国世界の基礎」
1.大統領の右腕、オサマ・アブドゥラが率いる DIU はスーダンでは極めて強力な組織である。巨
額の予算を扱い、インフラ事業を管理し、独自の安全部隊を擁している。その部隊はダム建設に講
義する被害住民の大虐殺を行ったとして非難されている。最近電力・ダム省に昇格し、アルバシル
大統領の直轄下で活動を続けている。出典: ‘Black Gold for Blue Gold? Sudan’s Oil, Ethiopia’s
Water and Regional Integration’, Harry Verhoeven, Chatham House Report, June 2011;
‘Climate change, conflict and development in Sudan: neo-Malthusian global narratives and
local power struggles’, Harry Verhoeven, Development and Change, 42 (3), 2011.
2. 著者らは当初メロウェ・ダムの主要施工業者である中国水利水電建設集団公司にダム施設訪問
の許可を申し入れた。しかし同社社長のペンが我々の中国人ガイドに言った言葉から、著者らを助
ける気持ちがどれほどあるか明白だった。「外国人は嫌いだ。アメリカ人やイギリス人は中国の悪
口ばかり言う。あなたが外国人と一緒だったのが残念だよ。一人で来ていれば必ずメロウェに連れ
て行ったのに」と、ハルツームのオフィスで著者の目の前で言った。彼の許可が得られず、著者ら
は DIU に許可申請をした。
3. アナリストのハリー・バーホーベンは、スーダン政府は二つの目的でダム開発と農業再生に取
り組んでいると言う。一つは産業プロジェクトを支えるために首都とスーダン北部に電力を供給す
ることである。もう一つはスーダンに「世界的食糧危機の議論」に関与できるような農業灌漑を促
進することで、政府は新しいチャンスと、農業投資に関心のあるイスラム国のアグロ・マネーが得
られる。このモデルで本当に得をするのはスーダンのイスラム人エリートであろう。
4. 2004~2007 年にダム被害住民と安全部隊が衝突し、数は不明だが死傷者が出たばかりでなく、
頻繁な対立、投獄、抑圧的な措置も見られたと現地活動家は語った。2006 年、アムリ村は何の前
触れもなく洪水に見舞われ、
「人々はネズミのように家から飛び出さなければならないほどだった」
と現地の指導者は言う。2009 年にも暴力が発生したとも噂されている。
5. 2007 年の“Lethal Partnership: China Investment Destroying African Communities: The
Case of the Merowe Dam, Sudan”という発表で、活動家のアリ・アスクーリは被害を受けた地
域社会の貧困率は 10 パーセントから 60 パーセントに増加したと語った。ダム建設の開始から 4
年経過し、2 年後に完成予定だったときのことだ。ハルツームでインタビューしたとき、住む場所
を失った多くの若者は都市部、特に首都に移住しており、生き延びるために物乞いまでしなければ
ならなかったと彼は話してくれた。
6. スーダンの他の情報筋によれば、被害を受けた住民は実際は 7 万~7 万 4000 人と推定される。
2010 年の夏、600 世帯が移住を拒否していた。
7. メロウェ・ダム建設には透明性が欠如しており、著書は事業の詳細を知ることはできなかった。
しかし、中国が資金調達と建設の両方で決定的な役割を果たしているのは周知の事実で、同地滞在
中にアワドは「中国人は立ち退き住民向けの新たなインフラや村づくり、新しい病院事業に携わっ
ています」と語った。
8.中国企業は海外の建設事業を行う際に自社の労働者を使う。彼らは極端に長時間働き、建設現場
からめったに離れないため、中国人は囚人をただ働きさせているという俗説が生まれたほどである。
証拠もなく一部の批評家が公然と非難したが、著者らは現地調査する中でそれを裏付ける証拠は見
つからなかった。
9. 新しい 9 基のダムの中で最も重要で、中国人が建設を手伝っているのはナイル川で 3 番目に大
きい滝に位置するカジュバル・ダムである。中国輸出入銀行は資金の 75 パーセントを拠出し、中
国水利水電建設集団公司は工費 8 億ドルの建設事業を行っている。さらにもう一つ、賛否の分かれ
る青ナイル川のロゼイレス・ダム事業も中国企業が主要施工業者となる予定である。
10. 当初、ダムの正式な事業予算は 18 億ドルで、その内 5 億 1900 万ドルを中国輸出入銀行が資
金提供した。しかしダム事業の公式ウェブサイトには、中国が実際のダム建設費 23 億 8100 万ド
ルのうち 6 億 800 万ドルを拠出したと明記されている。同サイトではスーダン政府が別に 5 億 5000
万ドルを資金調達し、ペルシャ湾のアラブ諸国の資金で総工費の残りを賄ったと書かれている。だ
が 2010 年 12 月、スーダンの財務相はメロウェ・ダムの総工費は 35 億ドルに達したと発表した。
ハルツームの情報筋によれば実際の額は推定で 50 億ドル以上だという。様々な数字が飛び交い、
透明性もない中では、中国が実際に公式発表額より多く拠出したかどうかを知るのは困難である。
11. http://www.internationalrivers.org/campaigns/sinohydro-corporation.
12. ファイナンシャル・タイムズ紙の報告によれば、2009 年と 2010 年に中国の開発銀行 2 行が
少なくとも 1100 億ドルの融資を行ったが、2008 年半ばから 2010 年半ばの間に世界銀行が供与し
た額は 1000 億ドルであった。出典: ‘China’s lending hits new heights’, Geoff Dyer and Jamil
Anderlini, ファイナンシャル・タイムズ、17 January 2011.
13. 三峡ダムが発電量、洪水制御、川の航行可能性の点でよい影響を与えたのは否定できない。し
かし、この事業は環境に与える影響、文化遺産の破壊、大きな傷跡を残した 170 万人の強制移住
のために激しい批判を浴びた。中国の科学者が 2010 年に発表した報告によれば、600 平方キロメ
ートルの貯水池に水を貯める作業が始まった 2003 年以降、ダム周辺地域の地震発生数が増加した。
2008 年 5 月に四川地域に壊滅的な被害を与え、9 万人近い死者を出した四川大地震の影響と関連
づける情報筋もある。出典: ‘China’s admission spotlights Three Gorges woes’, Dan Martin, フ
ランス通信社、 29 June 2011.
14. 2010 年 5 月、アリ・アスクーリと「憲法と人権のための欧州センター(ECCHR)」は、ドイツ
のラーメイヤ・インターナショナル社幹部を相手取り、フランクフルトの裁判所に訴訟を起こした。
フランス企業のアルストムやスイス企業の ABB と同様、同社はメロウェ・ダム事業に携わってい
た。現在係争中(2012 年末に証人聴取の開始予定)の訴訟は、メロウェ・ダム周辺の村で起こっ
た洪水にラーメイヤ・インターナショナルが関与していたとして争われている。数千世帯が家を失
い、数万頭の牛が死に追いやられた。同社は腐敗のため世界銀行の契約を 2006 年から 7 年間除外
されている。
15. スーダンの情報筋によれば、中国企業が享受している不透明さや監視の不在のおかげで、中国
企業はメロウェ・ダムの背後にあるとされる腐敗の網の目の中で理想の仲間となっている。アリ・
アスクーリは、「このダムで肝心なのは、腐敗を可能にした点です」と主張している。また、環境
問題専門家のアシム・アル・モグラビは次のように述べた。
「なぜダムが建設されたと思いますか?
答えは単純明快です。腐敗のためです。中国人は腐敗しており、我々スーダン人も腐敗しています。
中国人が建設の契約を取ったのを責めることはできませんが、腐敗については中国人に責任を負わ
せることができます。」事業総工費の点で透明性がなく、18 億ドルの予算が最終的に推定 50 億ド
ルまで膨らんだとされることから、同事業が実際はマネー・ロンダリングのネットワークの隠れみ
のだとする仮説をはっきりと裏付けた。アル・バシル大統領は海外の隠し銀行口座に 90 憶ドルを
預金していると言われており、ウィキリークスが公表したアメリカの外交公電は、国際刑事裁判所
のルイ・モレノ・オカンポ検事官が握っているとされる同大統領の腐敗の証拠について言及してい
る。出典: ‘WikiLeaks: Sudanese president “stashed $9bn in UK banks” ’, Afua Hirsch, ガーディ
アン, 17 December 2010.
16. 2011 年の全ダム事業の中で最も目を引くのがエチオピアのギべ第 3 ダムである。中国工商銀
行(ICBC)は 5 憶ドルの資金提供に同意し、建設機材を提供した。ダム建設は 50 万人の住民に影響
を及ぼすだけでなく、ユネスコ世界遺産に認定された地域にも影響を与えることになる。インター
ナショナル・リバーズによれば、世界銀行、アフリカ開発銀行、欧州投資銀行はそろって世界各地
で建設中のダムの中でも「最も破壊的」な同事業への参加を拒否している。
17. 出典: ‘李福胜: 海外投资要关切当地抱怨’ [‘Li Fusheng: Overseas investment should care
about the local complaint’], Global Times, 11 January 2011 [in Mandarin].
18. エクアドルでインタビューを行い、16 億 8200 万ドルの融資は返済期間 15 年間、据置期間 5
年半、利率 6.9 パーセントだと判明した。これはダム予算の 85 パーセントに相当し、エクアドル
政府が残り 15 パーセントを拠出するよう中国側は求めている。以前に二国間で同意した 10 憶ド
ルの融資のおかげで、エクアドル政府は必要な 3 憶ドルを拠出できた。つまり、中国が実質ダムの
100 パーセントを資金調達したということである。
19. エクアドルのホルヘ・グラス戦略部門調整大臣は、現在 15 の事業が計画中であり、中国が企
業と資金を携えて参加する予定だと発表した。2010 年 9 月に中国葛洲坝集団が率いるコンソーシ
アムが 6 憶 7200 万ドルで同国鉱山の採鉱契約を結んだが、中国輸出入銀行が資金の一部を拠出す
る予定である。一方、外務省アジア・アフリカ・大洋州次官ラファエロ・キンテロは著者らに語っ
た。「我が国は産業の多様化のためにインフラを必要としており、水力発電所、石油化学コンビナ
ート、港湾の近代化への中国の投資に関心があります。」エクアドルと中国は過去最大のインフラ
事業となる精製施設の一部の資金調達について協議中とされる。パシフィック・リファイナリーと
呼ばれるこの施設の建設には 125 憶ドルの投資が必要である。
20. 「中国のとてつもない投資能力こそ我が国が必要としているものだ。過度に依存させない、条
件の多すぎない投資が必要なのだ。我が国への投資が国際通貨基金や世界銀行の支持に頼らないよ
うにしている。こうした銀行は過去数十年間、我が国の発展を制限してきたのだ」と、コレア政権
下高官リカルド・パティーニョはインタビューで語った。
従来の金融機関からの支援拒否と中国依存という二つの要因が合わされば、エクアドルは国際的
に孤立しかねない。
「 [エクアドル自体に]公的資金がないことを考えれば、中国のインフラ融資は
重要な役割を果たしているが、言い換えれば他に可能な資金調達手段がないということだ」と、ビ
ジネス・モニター・インターナショナル社発行の 2010 年第 4 四半期エクアドルのインフラ産業レ
ポートは述べている。
21. 同レポート, op. cit.
22. エクアドルの鉱山部門は極めて大きな可能性を秘めているが、適切な法的枠組みの認可待ちで
「凍結」している。だが 2011 年、中国企業の中国鉄道建築総公司と銅陵有色金属集団の二社が運
営するカナダ拠点の企業エクアコリエンテは銅山開発事業に 28 憶ドルの投資を行う計画を発表し
た。この投資には水力発電所、橋、道路、港湾の建設も含まれる。出典: ‘DJ Ecuacorriente plans
to invest $2.8 b in Ecuador up to 2016’, ダウ・ジョーンズ、 29 March 2011.
さらに中国開発銀行が 20 億ドルの融資を行い、中国の対エクアドル融資総額は約 70 憶ドルに
達する。出典: ‘China, Ecuador sign $2 billion loan deal’, ウォールストリート・ジャーナル、 28
June 2011.
23. 「走出去戦略」は、中国政府が自国企業に外国市場への進出を奨励した正式な命令である。
24. 「中国的対外援助」, 中国国務院新聞弁公室、April 2011. この報告書で言及されている 2025
事業は、海外援助の 8 つの分類の一つである「完成事業」という見出しに含まれる。「完成事業」
とは「被援助国で建設される生産的な事業または民間の事業であり、中国が資金面で支援してい
る・・・中国側は調査から設計・建設まで、事業全体または一部の責任を負い、機材や建設資材の
全てまたは一部を提供し、技師や技術者を派遣して事業の建設、設置、試作を組織、指導する。事
業が完了すると中国は被援助国に引き渡す。」報告書によれば、この分類の事業は中国の対外援助
総額の 40 パーセントを占める。同報告で言及されている事業の中で最も目を引くのが、85 のスポ
ーツ複合施設、201 の輸送インフラ事業、236 の科学・教育・保健施設の建設である。
中国政府は対外援助に 3 種類の財政的資源を用いている。一つめは補助金で、主に人道援助や病
院、学校、低価格住宅、水道事業に充てられる。二つめは開発途上国向けの無利子融資で、通常は
使用期間 5 年、据置期間 5 年、返済期間 10 年である。最後が譲許的借款で、中国輸出入銀行が低
利で支払期間 15~20 年で貸し付ける。中国は 2009 年までにこの譲許的借款を 76 カ国 325 事業
に行ったとされる。
25. 中国がアフリカに建設したスタジアムの総数は情報筋によって異なる。フランス通信社の
2010 年の情報によれば、52 のスタジアムが中国の資金で建設されたというが、その推計の根拠は
中国の報道機関からの情報である。著者らはザンビアのンドラ、アンゴラのルアンダ、モザンビー
ク の マ プ ト で ス タ ジ ア ム 建 設 事 業 を 見 る こ と が で き た 。 出 典 :
http://www.elmercurio.com.ec/240591-china-levanta-las-infraestructuras-deportiva ‑ de ‑
africa.html, accessed 27 May 2010.
26.コスタリカにある安徽省外経建設の子会社の名前はチナフェック・セントラル・アメリカであ
る。
27. 安徽省外経建設が手がけるマプトのナショナルスタジアムで、著者らはこうした態度がまた別
の形で表れているのを見た。研究者のヨルゲン・カーリングとヘイディ・オストボ・ハウゲンは、
カーボべルデで中国建設企業が関与している同様の問題について以下で述べている。‘Mixed fates
of a popular minority: Chinese migrants in Cape Verde’, in China Returns to Africa: A Rising
Power and a Continent Embrace, eds. Chris Alden, Daniel Large and Ricardo Soares de
Oliveira (Hurst, 2008), p. 327.
28.
出
典
:
http://www.diariolasamericas.com/noticia/102566/0/0/empresa-china-abandona-proyecto-inmo
biliario-privado-tras. このニュースは EFE 通信の記事に基づいている。
29. 2011 年、アルゼンチンは世界銀行のビジネスのしやすさを測る指数で 183 カ国中 113 位であ
った。出典:世界銀行、ビジネス環境の現状(http://www.doingbusiness.org/)。
30. ほぼインドと同じ国土を持ちながらかろうじて人口 4000 万人のアルゼンチンは、アメリカ、
ブラジルに次いで世界第三位の大豆生産国である。またアルゼンチンは大豆油や大豆粉の世界最大
の輸出国でもある。大豆粉は豚、鶏その他の動物の飼料に必須の原料である。
著者らはダリオ・ヘヌアとギジェルモ・ビジャグラに話を聞いた。二人は農業投資専門のコンサ
ルティング会社であるオープン・アグロのディレクターで、アルゼンチンは中国のブレッドバスケ
ットとなる可能性をはっきり持っていると述べた。というのも、アルゼンチンは現在「生産可能な
土地の 73 パーセントしか開発していない」ためだ。
「土地があればアルゼンチンは 3 憶 5000 万~
4 憶人を養うのに十分な食糧を生産でき、その数が増えることもあり得る」オープン・アグロによ
れば、アルゼンチンは年間大豆 5000 万トン、とうもろこし 3000 万トン、小麦 1000 万トンを生
産しており、さらにヒマワリ、菜種その他の穀物を生産している。現在アルゼンチンは総生産高の
90 パーセントを輸出している。
31. 国連食糧農業機関が算出した食糧価格指数は 2011 年 2 月に 238 ポイントに達し、測定開始以
来最高値を記録した。著者らは 2012 年 8 月現在本章を更新しているが、国際物価は現在も最高記
録に迫っている。2011 年のアラブ世界の暴動は食糧価格の上昇を受けて中産階級の間に不満が高
まったことが一因であると国際的なオブザーバーやアナリストは示唆している。出典:‘How much
is enough?’, エコノミスト、24 February 2011; ‘Drought forces reductions in U.S. crop forecasts’,
ニューヨーク・タイムズ、10 August 2012.
32. これによれば、食糧生産物はアルゼンチンの対中輸出の 70 パーセントを占め、大豆や大豆派
生物が最も重要な生産物である。大豆が低品質だとして 2010 年に中国がアルゼンチンからの輸入
を禁止して以降、両国間の争いがこの状況に影響を与えた。しかし、これはアルゼンチンが世界貿
易機関で中国に対して行った数多くの反ダンピング措置に対する中国側の報復であった。結果的に
アルゼンチンの大豆や派生生産物の輸出は激減した。2009 年にアルゼンチンは中国に大豆油 190
万トンを輸出していたが(総輸入量の 77 パーセントにあたる)、2010 年にはいきなり 22 万 4000
トンまで激減した。アルゼンチンは輸出の落ち込みをインドへの輸出拡大で埋め合わせしたが、イ
ンドは中国より低価格しかつけなかった。財政収入の 30 パーセントを占め、「アルゼンチン財政
の奇跡」と知られる大豆の輸出減が同国に与えた影響は極めて大きな意味を持っていた。
33. 現在中国の食糧自給率は 95 パーセントである。食糧安全保障のためには最低 1 憶 2000 万ヘ
クタールが「レッドライン」、つまり中国国民を養うために最低限必要な耕作地の面積だと専門家
は考えている。しかしジェン教授などはすでにこのレッドラインを割り込んだのではないかと疑っ
ている。農村では年々都市化が急激に進んでいるが、地方政府は政府に正確な耕作地面積を伝えて
いないためだ。腐敗や、地方政府で経済成長の優先順位が高いため、この問題に極めて大きな影響
を及ぼしている。
34. 中国の国家統計局は 2012 年 1 月、都市人口が初めて農村人口を上回ったと発表した。都市部
と農村部では相当な所得格差があるため、農村労働者の都市部への大移動は現在も起こっており、
都市化は今後も続く。最近の研究では現在 2 億 5000 万人以上の農村労働者が都市部に暮らしてい
ると示唆している。ジェン教授によれば、都市労働者は平均で農村労働者の 3.3 倍の給料を稼ぐ。
中国政府が国営企業を通じて実施している食糧価格統制が原因の一つである。食糧部門の初期段階
をほぼ独占して管理しており、米、小麦、大豆、豚肉その他の安定供給を確保している。「国営企
業は価格の低い時期に農村部労働者から生産物を購入し、保管しておきます。そして価格が上昇す
ると十分な量を市場に投入し、再び価格を下げるのです」と、華中農業大学のジョウ・ダーイ教授
は北京でのインタビューで語った。
このように政府は中国の食糧部門を襲っているインフレと戦っているが、政府当局の存続を脅か
しかねない抗議活動に発展する可能性がある。2010 年と 2011 年にアラブ世界で起こった暴動や
過去の中国の社会的緊張を見ればわかるように、これはまさに真の危機である。農村労働者の所得
は減少しているため、中国政府は食糧価格を統制するために彼らに大きな打撃を与えているとジェ
ンは語る。「政府は都市住民の需要を優先すると決めたのです。農村労働者を犠牲にしてでも、彼
らは低価格を望むのです。」
35. Il Nuovo Colonialism: Caccia Alle Terre Coltivabili [The New Colonialism: A Hunt for
Arable Land], Franca Roiatti (Egea, 2010), p. 11.
36. アース・ポリシー研究所の設立者でもあり所長でもあるエコロジストのレスター・ブラウンは、
中国の 13 憶人の国民が今日食べていけるのは、地下水などの真水を過剰に利用しているからだと
推測している。さらに、地球温暖化で地球の温度が 1 度上昇すると世界の穀物収穫量は 10 パーセ
ント減少すると予測する。出典:‘The new geopolitics of food’, Lester Brown, フォーリン・ポリ
シー、May–June 2011.
37. 中国はブラジル北東部の土地を購入しただけでなく、現在ラテンアメリカの食品連鎖に一定の
支配力を得ようと取り組んでいる。そのため、現地政府の耕作可能な土地の取得制限に対応する形
で中国企業はアルゼンチンのリオネグロ州などに投資を行っている。投資により食糧供給網、特に
大豆の生産を促進するためのインフラを向上させることができるのである。
中国国営企業はブラジルの 6 つの州(バイア、ゴイアス、サンタカタリーナ、リオグランデドス
ル、トカンティンス、マトグロッソ)と協議中であるとされる。変動の激しい不安定な市場を避け
るために、生産者から大豆を直接購入して確保しようとしているのだ。中国国営企業の三河汇福粮
油集団が過去最大の投資を行っている。同社は年間 600 万トンの大豆の供給確保と引き換えに、
今後 10 年間で 76 億ドルを投資してゴイアス州の農業や物流を後押しすると報じられている。出
典: ‘Chineses investem nasoja brasileira’ [‘Chinese invest in Brazilian soya’], Folha de São
Paulo, 3 April 2011.
38. ゴールデン・トライアングル経済特別区には 30 憶元、3 憶ユーロ相当の投資を要した。3000
ヘクタールの区域にホテルやカジノが建設され、顧客を誘致するためメコン川に突堤も造られた。
第二工期ではゴルフコースやプール、ショッピングセンターやカラオケ、マッサージ店などの娯楽
施設を建設予定である。99 年間の年限で租借され、全工期の投資総額は 2020 年までに 22 億 5000
万ドルに上ると予測されるが、これはラオス政府の国家予算の 2 倍に相当する額である。黄金の三
角地帯に近いこの経済特別区は、麻薬密売人のマネー・ロンダリングの中心地となる恐れがあると
国連は懸念を表明している。出典:‘High stakes as Laos turns to casinos’, 南華早報, 23 January
2011。
第 6 章 「『世界の工場』の新たな犠牲者」
1. 企業の正式名称は「安徽省外経建設集団」で、1992 年に設立され、世界各地でインフラ建設を
手がけている。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、カリブ海、そして南太平洋の 14 カ国に事務所が
ある。詳細については以下ウェブサイトを参照。http://www.afecc.com/.
2. 他の中国企業との入札で、国営企業である安徽省外経建設はマプトのナショナルスタジアムの
建設の契約を勝ち取った。初期費用は当初 4 憶元(4200 万ユーロ)で、2008 年 11 月に建設作業
が始まり、2 年後に完成した。著者らが 2010 年 8 月に現場を訪れた際、同社は首都の空港など、
モザンビーク国内の他の事業にも携わっていた。著者らの情報筋によれば、中国はモザンビークの
アグリビジネス、木材、鉱業、石油部門が持つ巨大な可能性をにらんでスタジアムを贈ったのだと
指摘している。
3. ジアン・ニンによれば、スタジアムの現場で中国人従業員が 260 人働いており、安徽省外経建
設に雇用されているモザンビーク人労働者の数は 2 年の建設期間に必要に応じて 150~250 人で変
動していた。モザンビークの労働法第 31 条は 100 人以上の従業員を抱える企業の外国人労働者の
定数は最大 5 パーセントと定めているが、その作業が「公共目的」とされれば適用外となるため、
組織的にうまく逃れている。
2010 年 8 月、著者らはモザンビークで社会学者ジョアン・フェイジョーに会った。彼はモザン
ビークの労働状況に関する比較研究を終えたばかりで、「中国人労働者の割合が 30 パーセントを
下回る企業を見たことがない」と語った。
4.フェイジョーによれば、
「ポルトガル、イタリア、南アフリカの企業なら最低で 6000 メティカル、
130 ユーロ相当を支払う。」
5. これはモザンビークの労働組合が示した数字で、5 人家族を一月養うのに必要な費用を計算し
たものである。交通費、石炭、水、米、調理油、トマトなどの野菜は含まれるが、生存には必須で
ない肉、魚、衣類、医療、教育などは含まれない。
6.中国人雇用主や役人への数々のインタビューからわかったのは、現地労働者よりも中国人労働者
が有利となるよう給料が差別されているのは、母国を離れ、環境が変わり、家族と数年間離れて暮
らす個人的な費用に対する補償であり、中国企業の目からすれば正当化されるようである。また彼
らが口を揃える、中国人労働者の方が勤勉で優秀で仕事も早く、現地人よりも規律があり、したが
って生産的が高いという意見も給料格差の一因である。実際そうである例も少なくないが、こうし
た論理が人種差別的な含みのある主張で用いられる場合が多いことを、著者らは情報筋とインタビ
ューで確認した。
7. 2010 年 10 月 26 日、安徽省外経建設本社代表との電話での会話による。
8. 2011 年 1 月、安徽省外経建設は“中国アフリカ友好賞:在アフリカ中国企業トップ 10”を授賞し
た。この賞は中国外交部、中国アフリカ人民友好協会などの団体から与えられる。
9. モザンビーク滞在中、著者らは他の中国企業の建設現場で働く現地労働者から不満の声を聞い
た。例えば国営の河南国際合作集団有限公司はモザンビーク南部のシャイシャイとチスブカを結ぶ
95 キロメートルの道路を建設していた現場では、数人の労働者が賃金が低いこと(1 時間当たり
25 セント)、契約や保険がないこと、従業員の交通費支給を会社が拒んでいること、上司がひどい
扱いをすること、十分な設備がないことなどを訴えた。著者らが会社に問い合わせたところ、現場
では何も問題はないと否定した。
10. João Feijó, ‘Relações sino-moçambicanas em context organizacional: uma análise de
empresas em Maputo’ [‘Sino-Mozambican relations in the context of organizations: an analysis
of companies in Maputo’], in A construção Social do Outro: perspectivas cruzadas sobre
estrangeiros e moçambicanos [The Social Construction of the Other: Mixed Perspectives on
Foreigners and Mozambicans], ed. Carlos Serra (Imprensa Universitária, Maputo, 2010), pp.
245–316.この調査で、マプトの中国企業 8 社の中国人とモザンビーク人の労働者に 34 のインタビ
ューを行っている。
11. 「コッパーベルト」はザンビアで鉱山のある州の正式名称で、世界最大級の銅とコバルトの埋
蔵量を誇る地域である。
12. 1970 年に始まり 5 年後に完成したタンザン鉄道(タンザニア・ ザンビア鉄道)は、2 万 5000
人の中国人労働者と 5 万人のタンザニアおよびザンビアの労働者が携わった巨大な努力の結晶で
あった。鉄道路線に沿った 300 の橋、23 のトンネル、147 の駅の建設も含まれていた。全盛期の
タンザン鉄道は外国で展開した中国最大の協力事業とみなされ、中国やアフリカ諸国は今でもこの
プロジェクトを中国とアフリカの友好関係と「ウィンウィン協力」の象徴と考えている。
13. チャンビシの経済特別区は、中国がアフリカ各国政府と合意してアフリカ大陸に計画してい
る 7 つの経済特別区の一つである。中国が 1979 年以降国内に設けた経済特区を念頭に建設され、
魅惑的な財政条件と魅力的な地価を売りに海外投資を呼び込む狙いがある。しかし現在までのとこ
ろこれといった成果を上げておらず、全くの失敗といってよい。著書“African Shenzhen”の中でデ
ボラ・ブローティガムとタン・シャオヤンは、現在機能している唯一の経済特区はザンビアとエジ
プトの特区であり、モーリシャス、エチオピア、アルジェリア、ナイジェリア(二つの特区が建設
された)の特区は何年間も建設中であるか、完全に中止されたと指摘している。本書の調査中に著
者らは、中国の存在感がごく控えめなエジプトのスエズ経済特区と、ルサカに支部を建設予定のチ
ャンビシの特区を訪れた。「ザンビア・レビュー2010」誌によれば、2014 年までにこの特区に 9
憶ドルが投資され、50~60 社の企業に 6000 人のザンビア人が働く予定である。著者らがインタ
ビューしたところ現在 7 社が入っているのみで、警察官や警備員は監視カメラだらけの現場への著
者らの立ち入りを拒んだ。経済特区を推進する中国有色鉱業集団公司の広報担当者はインタビュー
に応じなかった。
14. 死者を出した 2005 年 4 月 20 日の爆発は、労働者の経験不足が原因とされている。大半が一
時契約の労働者で訓練も経験もなかった上に、十分な装備もなく、最低限の安全策にすら注意が払
われていなかった。死亡したのは 18 歳から 23 歳の労働者で、毎月 15~25 ドルを稼いでいたと報
告書は述べている。遺族は補償金 1 万ドルを受け取った。Zambian Mining Labour: Modernity,
Casualization and Other Forms of Precariousness, Grace-Edward Galabuzi (Ryerson
University, 2005).
15. 4 人の労働者は他の外国企業の条件は「はるかにまし」と断言したが、チャンビシにある外国
企業の大多数は中国企業であるため、こうした企業に勤める機会は少ない。アフリカン・レイバー・
リサーチ・インスティチュートが 2009 年に発表した「アフリカにおける中国投資」という研究で、
ザンビアの中国鉱山企業は競合企業より給料が約 30 パーセント低いと報告された。著者らが北京
の中国十五冶金建設集団有限公司に問い合わせたところ、同社代表はザンビアの労働状況に関して
論争はないと否定した。
16. NUMAW によれば、唯一の例外は中国有色鉱業集団公司が運営するルアンシャ鉱山で、キトウ
ェとンドラの間に位置するこの鉱山の労働環境は「標準的」である。これは同社が鉱山に投資した
際、前の所有企業の労働条件を維持する義務があったためである。雇用面で言えば、中国が資金提
供したコッパーベルト全体の鉱山の中で、ルアンシャ鉱山は最善の労働環境を提供している唯一の
鉱山であると NUMAW は述べている。
17. 2010 年 10 月 15 日、中国企業が運営するコルム炭鉱で働く 800 人の鉱夫のうち数百人が鉱山
施設の危険な労働環境に反対する抗議活動に参加した。二人の監督者が発砲し、鉱夫 11 人が負傷
したこの事件は目撃者の不在を理由に訴えが却下されたが、状況を考えればいささか驚きである。
現地および外国報道機関は、政治的圧力と、麻薬取引の疑いで中国で起訴された二人のザンビア人
女性が釈放されたことが、却下の本当の理由ではないかとの憶測がある。
18. 世界的な金融危機の最中の 2009 年、中国はザンビアの鉱業部門に 4 憶ドルの投資を行った。
工商部副部長のリー・ジンザオによれば、中国の対ザンビア累積投資額は 2012 年前半には 56 憶
ドルに達し、二国間貿易も 2011 年には 34 憶ドルに上った。
19. アフリカ大陸で最も中国に対して批判的なザンビアのマイケル・サタは、大統領選出後初めて
中国大使と公式に会談した際、中国企業は今でも同国で歓迎されるがザンビアの法を遵守しなけれ
ばならないと主張した。就任して数ヶ月が経ち、サタ大統領は批判の論調を和らげたようで、2012
年 3 月に二国間協定に署名した。同協定で中国はさらに無償資金供与、技術協力、投資を約束して
いる。
20. 中国が運営するペルーとミャンマーの鉱山でも同様に見られる現地労働者の不安定な労働状
況については第 3 章参照のこと。
21. 2011 年 11 月に発表されたヒューマン・ライツ・ウォッチの報告書 “You’ll Be Fired If You
Refuse: Labor Abuses in Zambia’s Chinese State-owned Copper Mines”は、中国が運営するザン
ビアの鉱山における、健康被害や安全管理も含めた恒常的な虐待について詳細に述べている。同報
告書は著者らがザンビアの現地調査で目撃した状況と一致している。
22. Chinese Investments in Africa: A Labour Perspective, op. cit.
23. 2020 年までにアメリカを追い抜きたい中国は、世界第二位の経済ながら今も地方政府を通じ
て第三世界の最低賃金を設定している。2013 年現在、都市部では 1400 元(160 ユーロ)
、農村部
では 900 元(100 ユーロ)前後である。改革開放政策を始めて以降、中国政府は「世界の工場」が
成功し長続きするには低コストこそ最も重要であると認識しており、労働者階級の労働環境の改善
に消極的であった。例えば最低賃金に関する中央政府規則は 2003 年まで公布されなかった。だが
巨大な不平等が生じたために、2009 年から 2010 年にかけて中国政府は長期的には持続不可能な
このモデルを変える決意をしたようである。少なくとも社会不安が発生しやすい東部の都市部にお
ける不平等の解消を目指して政府は雇用法制を厳格化し、誓約遵守を強化し、最低賃金を大幅に引
き上げた。2012 年、およそ 15 の省で最低賃金が引き上げられ、最も顕著だったのが毎月 1500 元
の深圳と、1450 元の上海であった。当局は賃金引き上げの手段として共産党労働組合と雇用主の
間で団体賃金交渉をさせる試みも行っている。中国政府はこうした策が中産階級の誕生の一助とな
り、消費型経済モデルへと移行することを望んでいる。
24.著者らが要請し、費用を出して 4 人の労働者に一部始終を話してもらうことにした。彼らは 2010
年 5 月に列車で北京に到着した。契約、給与明細、将来の支払い予定を示す表、飛行機の切符、ビ
ザなど、出来事を裏付ける各種書類を持参してくれた。著者らは間に入って、来る訴訟に向けて法
的代理人に依頼できるよう取り計らった。
25. 彼らが持参した書類を見ると、移民労働者の給料支払い制度が非常に複雑であることがよくわ
かる。給料は様々な分割払いで受取人(従業員とその家族の二者)に支払われるが、複雑に入り組
んだ制度では労働者がお金を使いきって家族への仕送りをやめてしまわないように、また契約終了
を待たずに会社との誓約を破棄できないようになっている。この制度は厳密には合法とはいえ、実
際は労働者の辞める権利を否定している。中国に限った話ではないが、今日中国人のような契約の
厳格な適用は他に例を見ない。さらに徹底した会社では、労働者が給料をあきらめて仕事を辞めな
いようにパスポートを取り上げて実質会社の人質にしてしまうのである。出典:‘Hired on
Sufferance: China’s Migrant Workers in Singapore’, Aris Chan, チャイナ・レイバー・ブレティ
ン、 February 2011、および中国人弁護士・移民労働問題専門家のジャン・ジィチャンとのイン
タビューによる。
26. 著者らが電話で連絡を取ったところ、レイ・ヨウビンは告発を全て否定し、納得のいく説明を
しようともせずに突然電話を切った。
27. 少なくとも 12 人以上の労働者が不安定な労働環境や、今も暴力や脅しで労働者を抑え込もう
とする奥龍有限公司の上司による虐待の結果、仕事を辞めていった。兎年の旧正月を迎える直前の
2011 年 2 月、雇用主が作業員宿舎の労働環境に不満を訴えた労働者を殴ったのである。効果のな
いガボンの法制度や中途半端な中国の法制度---会社に労働者の給料の支払いを命じたのみで他の
補償は一切なかった本件の判決でも明らかだ---のせいで、奥龍有限公司は今もアフリカで自社の法
を押し付けているの。野蛮な労働環境は、中国交通建設(CCCC)に雇われたガボン人労働者にも
被害を与えている。2012 年 4 月、彼らは支払給与からの不正な控除を非難してストライキをちら
つかせた。出典:‘Les employés de Construction Companyltd menacent de rentrer en grève’,
Gaboneco, 14 April 2012.
28. 公式な数字はなく、アンゴラの中国人労働者数は推定 7~30 万人とされる。
29. 出典: ‘Hired on Sufferance: China’s Migrant Workers in Singapore’, op. cit.、および香港で
のチャイナ・レイバー・ブレティンとのインタビューによる。
30. 著者らはメイリエン・エージェンシーが使用している契約書の雛形を入手した。契約書には食
堂での食事の費用は雇用主と従業員で半分ずつ負担すること、労働関連のミスや資材に損害を与え
た場合に雇用主が労働者の給料から差し引く権利を有することなどを明記した条項があった。契約
書には一定の行動や労働関連の役割に従わなかった場合も見越して 5000~1 万元の罰金を課すこ
とも明記されている。さらに、契約書は従業員が「問題を起こす、あるいはストライキに参加」し
た場合や、「上司に従わず・・・十分な仕事を行わずに会社に損害を与えた」場合などに雇用主が
契約を終了できる権限も与えている。中国語の契約書原本より翻訳。
31. 香港を拠点とするこの優れた NGO 団体は、数年間中国で労働関連の虐待を追跡して糾弾した。
詳しくは以下ウェブサイトを参照。http://www.china-labour.org.hk/en/.
32. 毛沢東主義の崩壊以降、中国政府の合言葉は「経済開放と政治的安定」であった。したがって
失業は政府が固執する問題の一つであり、失業率を下げ、国家権力としての中国共産党の支配を危
険にさらしかねない社会不安を避けるためならどんな努力も厭わないだろう。2008 年に金融危機
に立ち向かうために実施された 5860 億ドルの財政刺激策など、中国政府は是が非でも雇用を促進
する姿勢を見せており、さらに地方政府代表も地方レベルで政策を行う自由裁量権を与えられてい
る。その一例が山東省青州市で、労働輸出産業の中心地である同市は「外貨を獲得」し失業と戦う
ために移住を奨励している。中国専門家が行った調査から同地域の逼迫した状況がうかがえる。70
万人の農村労働者が広さにしてわずか 6 万 2800 ヘクタールの耕作地を共有せざるを得ない状況だ
ったのだ。この問題に立ち向かうために地方政府は労働輸出機関を立ち上げ、5 万人以上を他省や
ロシア、日本、韓国などの外国に派遣している。
33. メイリエン・エージェンシーのレイ・リンは、労働者の過剰問題は三峡ダムの影響が一因だと
言う。三峡ダムのために今までに 150 万人の労働者が移住させられた。ダムは家だけでなく伝統
的な生業まで失った立ち退き住民を大勢生み出した。地方政府は立ち退きにより生じた貧困のため
に緊張が高まらないよう様々な取り組みを行ってきた。例えば 1999 年から 2009 年の間に、地方
政府は最低 100 人の労働者を海外へ派遣できる企業に対して財政上の控除を行ったり信用を得や
すくしたりするなど外国への労働輸出を奨励した。出典:‘重庆市鼓励扩大对外劳务合作规模若干
优惠政策(试行)’ [‘The preferential policy on encouraging labour co‑operation in Chongqing’],
provided
by
the
government
of
Chongqing
in
1999,
and
available
at
http://www.pccqpc.com.cn/office/law.nsf/7dec3d01d2b5eb6448256aef00066148/2b3a1f0376ad7e
3b48256862002bba1f?OpenDocument&Click=.
34.仲介機関は業務の対価として労働者に請求する手数料は契約書の合意総額の 12.5 パーセントを
上回ってはならないと法は明記している。だがチャイナ・レイバー・ブレティンによれば、実際に
は仲介機関がそれ以上を請求するのはよくあると言う。
第 7 章 「中国の奇跡が地球を破壊する」
1. Logging in the Wild East: China and the Forest Crisis in the Russian Far East, Charlie
Pye-Smith (Forest Trends, 2006).
2. 1998 年 9 月、中国政府はほぼ中国全土で伐採を禁止する厳格な計画を発表した。同年中国中部
で洪水が多発し、住民 3600 人の命が奪われ 300 憶ドル相当の経済損失を被ったのを受けての措置
であった。専門家は、長江付近に集中していた洪水の原因は過剰伐採と、腐敗のために川岸に建設
されたダムの品質が低かったためだとした。‘Forests, floods, and the environmental state in
China’, Graeme Lang, Organization and Environment, June 2002.
3. ‘The Russian–Chinese Timber Trade: Export, Supply Chains, Consumption, and Illegal
Logging’, WWF Forest Programme, 2007.
4.シベリアの希少種のように伐採が選択的に行われていれば、沿海地方の森林の平均生産高は 1 ヘ
クタールあたり 1~1.5 立方メートルである。したがって 1000 万立方メートルは 800~1000 万ヘ
クタールの森林面積に相当するとアナトリー・レベデフは語った。
5. 「全体として中国輸入業者は木材貿易を支配し価格を決定しており、ロシアの木材輸出業者
が・・・エンドユーザーと直接取引するのは非常に難しい。ロシアの輸出業者が中国北東部の木材
市場に参入する余地はない。目下のところ、ロシアの輸出業者は中国の貿易企業なしには中国に木
材を供給できない。」‘The Russian–Chinese Timber Trade’, op. cit., p. 13.
6. 2010 年 4 月に著者らが同地域を訪れた際の価格である。
7. Russian Logs in China: the Softwood Commodity Chain and Economic Development in
China, Song Weiming et al. (Forest Trends, 2007).
8. Logging in the Wild East, op. cit. and ‘The Russian–Chinese Timber Trade’, op. cit.
9.中国に輸出されるロシア木材の 95 パーセントが、生産加工が一切なされていない木幹であると
推定される。Logging in the Wild East, op. cit., p.2.
10. 「違法に調達された木材産物を市場で販売することを禁じる法律が中国にはありません。アメ
リカやヨーロッパのような適正評価制度も、ヨーロッパや日本のような公共調達制度もないのです。
中国が[政策を持たないのは]多くの複雑な理由があり、法の構造や歴史、・・・中国の他国の国
家主権に対する強い態度表明と関係があるようです。ですが、中国は供給網や環境問題で大きな前
進をみせていると思います」と、電子メールのインタビューで NGO 団体「フォレスト・トレンド」
のカースティン・キャンバーは語った。
11. Russian Logs in China, op. cit.
12. インタビューで中国家具協会のジュー・チャンリン会長は、中国国内に 5 万社以上あり、500
万人に雇用を与えていると推計している。
13. モザンビークの木材を中国に輸出する企業の 40~60 パーセントが中国国営企業である。
Tristezas Tropicais: More Sad Stories from the Forests of Zambézia, Catherine Mackenzie and
Daniel Ribeiro (Maputo, 2009), p. 34.一方ロシアでは大半が民間企業である。
14. アナ・アロンソによれば、モザンビークの伐採には二通りの方法がある。モザンビーク人だけ
が保有可能な一年更新のライセンスを取得する方法と、森林伐採権を取得する方法である。こうし
た伐採権は誰にでも開かれているが、法的に取得するには 100 万ドル以上の投資と複雑なお役所
仕事で数年間のやりとりが必要である。
中国企業はソファラ州、ザンベジア州、ナンプラ州の森林伐採権を所有しているわけではないが、
地元住民を使って単純なライセンスを取得し、同地域の伐採に間接的に参加していると言う。「こ
れは悪質な制度です。中国企業はモザンビーク住民を借金漬けにして企業の言い値で伐採木材を企
業に直接販売させているのです」とアロンソは語った。林業部門でよく使われるトリックの一つに、
木材の品質と量を記録する方法がある。この方法を使えばライセンス保持者は合法的な伐採の年間
の制限(約 8000 ドルの費用で最高級木材 500 トン)を超える伐採が可能となり、融資を返済でき
るのである。
この問題について専門家のキャサリン・マッケンジーは、「大半の小規模事業主は、アジアの木
材バイヤーの信用を獲得してようやく参入できるのです。」Mozambique: Chinese Takeaway!
Catherine Mackenzie (FONGZA, 2006), p. 13.
15. 公式統計はないものの、ジェンの語った年間輸出量 7500 トンに、同地域で操業している中国
企業数の 50 を掛ければ算出できる。ソファラ州だけでも未加工木材の年間輸出量は 37 万 5000 ト
ンを超える。
16. ‘Mozambique: resistance forms to illegal logging’, 国連統合地域情報ネットワーク(UN
Integrated Regional Information Networks), 20 April 2007.
17. 「1997 年から 2007 年の間に[中国の]主に合板と家具の木製品輸出量は 510 万立方メート
ルから 8 倍以上の 4850 万立方メートルに激増した。Recent Developments in Forest Products
Trade Between Russia and China: Potential Production, Processing, Consumption and Trade
Scenarios, Steve Northway et al. (Forest Trends, 2009), p. 2.
18. 中国は 2011 年に前年比 23 パーセント増の 4230 万立方メートルの木材を輸入した。同年ロシ
アは中国への木材の最大供給国であり、その供給量は 33.2 パーセントを占めた。中国の主要経済
政策の立案を行う中国国家発展改革委員会(NDRC)は、中国では 2015 年までに 1 憶 4000 万~1
憶 5000 万立方メートルの木材が不足すると推定している。出典:‘The Forest Industry Snapshot’,
MFLNRO, British Columbia, February 2012; Recent Developments In Forest Products Trade
Between Russia and China, op. cit., p. 2.
19. 「世界森林白書 2011 年報告」、国連食糧農業機関(FAO).
20. 2009 年に比べて 34.4 パーセント増であった。出典:2010 年全国林 产品进出口额 962.7 亿
美 元 增
37.1
per
cent,
以 下 の ウ ェ ブ サ イ ト で 閲 覧 可 能 。
http://www.wood168.net/woodnews/20625.html.
21. Sharing the Blame: Global Consumption and China’s Role in Ancient Forest Destruction
(Greenpeace, 2006), p. 42.
22. ‘Investigation into the Global Trade in Malagasy Precious Woods: Rosewood, Ebony and
Pallisander’, グローバル・ウィットネスおよび Environmental Investigation Agency (US),
October 2010, p. 11.
23. 2010 年春、中国南部は過去 60 年間で最悪の干ばつに見舞われ、5000 万人が被害を受けた。
出典:‘China says drought now affecting 50 million people’, Ben Blanchard, ロイター通信、19
March 2010.
24. 中国はすでにメコン川に漫湾、大朝山、景洪、小湾の 4 つのダムを建設した。高さ 292 メー
トルの小湾ダムは世界で最も高いダムで、
(川の水位を調節するのに十分な)1 万 5000 立方メート
ルの貯水能力を誇る。こうした水力発電事業のために合計 7 万人の住民が立ち退きを余儀なくされ、
中国側の残りのダムが完成すれば今後 10 年間で 13 万人まで増加するとグリーン・ウォーターシ
ェッドのイー・シャオガンは言う。匿名希望の情報筋によれば、ダム被害住民に支払われた補償金
(既定の率を下回る補償、飲み水のない地震の多い危険地域への移住など)をめぐり、かなりの暴
動が起きている。しかし被害住民は「当局の密告者が紛れている可能性があるために報道機関に話
すのを恐れている」とのことだった。
「国境なき記者団(RSF)」が作成した、世界各国の報道の自
由度で中国は 178 カ国中 171 位であった。出典:‘Mekong Tipping Point: Hydropower Dams,
Human Security and Regional Stability’, Richard Cronin and Timothy Hamlin, The Henry L.
Stimson Center, 2010, p. 29.
25. イー・シャオガンによれば、メコン川の中国側のダムの発電量の大半は広東、タイ、ラオスに
販売されるという。
26. ‘Dams in China Turn the Mekong into a River of Discord’, Michael Richardson, Yale Center
for the Study of Globalization, 2009.
27. 推計によれば、メコン川の自然のサイクルが消滅した影響を最も大きく受けたのがカンボジア
のトンレサップ湖とベトナムのメコンデルタである。トンレサップ湖はカンボジアの 1500 万人の
住民が摂取する蛋白質の 70 パーセントを供給しているが、汚染と過剰な漁獲によりその生態系は
すでに危機にさらされており、今以上に多くの種が絶滅すると活動家や専門家は懸念している。ベ
トナムではダムが水位低下の原因であると非難されている。メコンデルタは米の生産量が多くベト
ナムの食糧の安全保障において不可欠であるが、水位が低下したために海がメコンデルタの真水流
域を侵食している。出典:Freshwater Under Threat, South East Asia, 国連環境計画(UNEP),
2009; ‘China hydropower dams in Mekong River give shocks to 60 million’, Lee Yoolim,
Bloomberg Markets Magazine、26 October 2010.
28. 2012 年の執筆時点で、中国はメコン川主流にダムを建設した唯一の国である。他の国は 1970
年代以降、川の水力発電建設について研究を行っており、近年その数はさらに増えている。最も先
進的な事業がラオス北部で計画されているサイニャブリ・ダムで、1260 メガワットの発電量を予
定している。ラオス、ベトナム、カンボジアでメコン川沿いにさらに 11 基のダム建設についても
現在調査中である。実行可能性報告によればこうした事業が与える影響は壊滅的であり、専門家は
メコン川の新たなダム建設に 10 年間のモラトリアム期間を設けるよう求めている。
中国は下流に予定されているダム建設でも重要な役割を果たしている。中国のダムの建設はこれ
ほどまでに重要な河川での事業開発のタブーを破った。その一方で、メコン川およびその支流の下
流域で水力発電事業が認可されれば事業の約 40 パーセントを中国企業が手がけるとされるため、
中国政府は重要な投資家なのである。出典:‘Strategic Environmental Assessment of Hydropower
on the Mekong Mainstream, Final Report’, 国際環境管理センター(International Centre for
Environmental Management )、 October 2010; ‘Cascade Effect’, Philip Hirsch, Australian
Mekong
Resource
Centre:
http://www.chinadialogue.net/article/show/single/en/4093-Cascade-effect.
29. 中国はヒマラヤ山脈を源流とする 8 つの河川で少なくとも 20 基のダムを建設し、さらに 40
基の建設を計画している。出典: ‘Water wars? Thirsty, energy-short China stirs fear’, Denis
Gray, Associated Press, 16 April 2011.
30. A Sino-Indian River War: How Serious is the Threat? Jonathan Holslag, (BICCS, 2008).
31. 中国はイリ川支流に 15 の貯水池を造り、イルティシュ川に幅 22 メートル全長 300 キロメー
トルの水路を建設し、新疆ウイグル自治区のカラマイの石油産業に水を供給している。出典:‘The
upstream superpower: China’s international rivers’, E. James Nickum, in Management of
Transboundary Rivers and Lakes, eds. Olli Varis, Cecilia Tortajada and Asit K. Biswas
(Springer, 2008), p. 239.
32. 中国国外に源流がある水資源は全体の 1 パーセントに満たない。
Less than 1 per cent of China’s total water resources originate outside the country’s borders.
Ibid., p. 230.
33. Ibid.
34. 同協定は 1997 年に賛成 103 票、棄権 27 票、反対 3 票で可決され、水をめぐって起こりうる
紛争解決の土台を築こうとしている。中国が署名を拒み、同協定に反対し続ける理由をハー・ダー
ミンは次のように説明した。「下流地域を優先させるこの協定は不公平だ。環境を守るためにさら
に上流での水力発電事業に制限を課すとしているが、そのために『上流国』の開発を制限している。」
‘The upstream superpower: China’s international rivers’, op. cit., p. 231 も参照のこと。
35. 中国で環境への配慮が改善していると指摘しておかなければ不公平であろう。もっぱら 30 年
間に及ぶ野蛮な開発がもたらした悲劇的で持続不可能な環境問題の現状を変える必要に迫られた
結果である。
36. 中国の工業化は中国共産党が政権の座に就いた 1949 年に始まり、1978 年の経済改革で弾みが
ついたが、これが環境に深刻な影響を与えた。西側の産業が移転した結果、中国の「世界の工場」
化が重要な役割を果たしたが、過去 60 年以上も当局が環境保護に一切関心を払わなかった影響を
過小評価すべきでない。
結果として世界で最も汚染された 30 都市のうち 20 都市が中国にあり、何千、何万ものいわゆ
る「癌の村」を生み出した。湖や川に工業廃棄物が垂れ流され、村の住民の病気の発生率が激増し
たのだ。さらに推計では中国の河川や湖の 26 パーセントは人間に使用するには不適切で、残る 62
パーセントもかろうじて飲用に耐える程度である。5 億 6000 万人の都市住民のうち、EU 基準で
定める安全な空気を吸っているのはわずか 1 パーセントに過ぎない。
2007 年に発表された報告書によると---衝撃的な数字を少なく書き換えるよう要求した中国当局
の検閲を受けていると噂されているが---、世界銀行は毎年 76 万人の中国人が汚染のために死亡し
ていると推定している。出典:Cost of Pollution in China: Economic Estimates of Physical
Damages (世界銀行, 2007); ‘Transboundary water pollution management: lessons learned from
river basin management in China, Europe and the Netherlands’, Xia Yu, Utrecht Law Review,
7 (1), January 2011.
37.環境基準について大きな批判を浴びながらも首鋼イエロ・ペルーはペルーのマルコナ鉱山で操
業している。環境を最も汚染する中国企業としてどう受け止められているかについては第 3 章で述
べた。
38. 2011 年 5 月、福建省の裁判所は大手金鉱山企業である紫金鉱業集団に対し 46 憶 2000 万ドル
の罰金を言い渡した。これは同社が有毒物質を投棄して何千万匹もの魚を汚染し、住民 6 万人の水
の供給を断ったことに対する罰金である。
39. オルドスは 30 憶ドルの投資を発表した後にモンドルキリ州東部の鉱区のボーキサイト採掘権
を引き継いだ。投資には 2 つの(炭素エネルギー)発電所建設と、論議を醸したプノンペンのボエ
ン・カック湖の事業運営が含まれている。川沿いのおよそ 3000 世帯がなけなしの補償金と引き換
えに立ち退きを余儀なくされた。地元の政治エリートの支持を受けた同社が、儲かる高級住宅を建
設できるようにするためである。出典:匿名希望の情報筋へのインタビュー、および‘Thousands
displaced as Chinese investment moves into Cambodia’, Prak Chan Thul, 南華早報、7 April
2011.
第8章 「中国が支配する平和な時代(パクス・シニカ)」
1. 中国人民共和国の建国から 1 年後の 1950 年秋、毛沢東は数千人の兵士を送り込みチベットを
制圧した。侵略者に対する抵抗は 1959 年に頂点に達し、ラサでの暴動が残虐に鎮圧されたのを受
けてダライラマはインドに亡命を求め、その地にとどまり今日に至る。亡命以降、ダラムサラはチ
ベット亡命政府の本部となっている。
2. チベット亡命政府によれば、およそ 10 万人がインドで暮らしており、そのうち 1 万 2000 人が
ダラムサラに住んでいる。ネパールには少なくとも 2 万人が移住し、チベット外で二番目に大きな
チベット人社会を抱えている。
3. ウィキリークスが公表したニューデリーのアメリカ大使館の公電によると、合計 8 万 7096 人
の亡命チベット人が 1980 年から 2009 年の間にダラムサラのレセプションセンターに登録されて
いる。長年亡命チベット人の流入数は約 3000 人で、そのうち 600 人ほどが子供である。中国の支
配下で教育を受けさせないために両親が子供を亡命させている。こうした親にとって子供をチベッ
トの外に送り出すのは、生涯の貯えに相当する 1000 ドルを投資するということだ。ヒマラヤ越え
を助けるネパール人ガイドに支払うためである。こうした子供の多くは両親と再び会うことはない。
4. 北京五輪開催数ヶ月前の 2008 年 3 月 14 日、ラサで中国の支配と信仰の自由がないことに対し
て僧侶主導の抗議活動が起きた。その後数日間で抗議活動は他地域やチベット中の僧院にも広がり、
大勢のチベット人が暴動に加わり、漢民族や中国系企業への攻撃もあった。中国警察と軍の対応は
非情で、暴動を弾圧し、その後も抑圧を続けた。西側報道機関は事件の報道を許可されず、したが
って当局が発表した内容はチベット情報筋から聞いたものとは大きく異なっていた。チベット情報
筋によれば少なくとも 220 人のチベット人が死亡したほか、7000 人が逮捕されたという。一方、
中国政府はチベットの暴動によりわずかに 19 人が死亡し、その全員が中国人であったと世界に向
けて発表した。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、2008 年から 2010 年の間にチベットに駐留す
る中国の安全部隊が行った虐待について、2010 年刊行の‘I Saw It With My Own Eyes’という報告
書で記録している。
5. インドに生まれハーバード大学で法律を学んだロブサン・センゲは、在外チベット人の 55 パー
セントを得票して 2011 年 4 月にチベット首相に選出された。チベットの精神的指導者で在り続け
るダライラマ法王が以前行っていた政治的役割を担うことになる。
6. 中印関係研究の第一人者であり、中国シンクタンクの中国改革開放フォーラム副主任も務める
マー・ジャーリィ(馬加力)は、ダライラマが逝去すればチベット独立運動が急進化「してもおか
しくない」と述べ、次のように指摘した。「亡命チベット人が中国に対して政治活動を行うのを認
めないよう中国はインドに要請するでしょう。チベットが中国政府にとって最もデリケートな問題
だからです。」中国は現在のネパールのような協力をインドに望んでいるのかと問うと、彼は「も
ちろんそうです。ネパールのようにしてほしいのです。」そのために民主主義国のインドで対立が
生じる可能性がある。チベット人はインドの世論、メディア、政治階級に人気があるのだ。もしイ
ンド政府が中国の要求を聞き入れざるを得なくなれば、中国とインドの間に緊張が生じるかもしれ
ない。
7. 中国のチベット問題と印パ対立は直接関係があると言及している。パキスタンは昔から中国の
同盟国である。中国とチベットが和解すれば---あるいは逆にチベットの緊張が高まれば---パキスタ
ンとインドにも同様の影響が及ぶかもしれない。
8.毛沢東主義時代の首相周恩来は 1956 年にデリーを訪問した際、ダライラマに亡命許可を与えた
らどうなるかについてネルー首相に警告した。1959 年、国境画定をめぐり両国の意見が衝突して
いたが、それには紛争地域のアクサイチンを通って新疆ウイグル自治区とチベットを結ぶ中国の戦
略的道路の建設も含まれていた。その最中にネルー首相はダライラマに亡命を許可し、ダラムサラ
にチベット亡命政府の本部を置くことを許可したのである。中国政府からすれば、ネルーは一線を
越えたのである。
9. チベット民族の亡命後、CIA は数百人のチベット人のゲリラ作戦を支援し資金を提供してきた。
彼らはチベット内の中国の力を弱めるためにネパールとインドのキャンプで訓練を受けた。アメリ
カの秘密ゲリラ軍の支援は、米中の国交が樹立した 1970 年代まで続いた。出典:La Actualidad de
China [China Today], Rafael Poch‑de‑Feliu (Critica, 2009), pp. 538 ff.
10. 「中国の指導者はインドの取り組みを『チベットを奪取』し、チベットを『緩衝地帯』に変え、
1949 年以前の状態にチベットを戻し、『中国の主権を崩壊』させ、『中国中央政府の司法権を捨て
去る』企てだとみなしたが、それが正確だったとは限らない。むしろ、中国人が抱いていた核とな
る信念は間違っていた。この信念が 1962 年の中国の戦争の決断を支えたが、実際は不正確であっ
た。1962 年に中国を強力に戦争に向かわせたのは、中国側の深く致命的な誤解だったのである。」
‘China’s decision for war with India in 1962’, John W. Garver, in New Directions in the Study of
Chinese Foreign Policy, eds. Robert S. Ross and Alastair Iain Johnston (Stanford University
Press, 2006).
11. ネルー首相は中国がインド軍の国境侵入に対応せず、大規模な攻撃も行わないだろうという甘
い見通しを持っていた。反撃を予想していなかったところを現実に攻撃されたインドは十分な態勢
が整っておらず、中国の進軍を食い止められなかった。
12. 1965 年の第二次印パ戦争では中国がパキスタンを支援し、1971 年に印ソ平和友好条約に署名
した結果、戦後も関係は悪化の一途をたどった。この署名によりインドはソ連の影響下に置かれ、
1980 年代まで国境の衝突が長く続いた。
13. インドと中国の協力関係は貿易問題にとどまらない。G20 であれ、気候変動問題であれ、いわ
ゆる「南南協力」であれ、多国間の問題について二国で合意する傾向にある。しかし他の問題につ
いては、両国がわだかまりを捨てて取り組むには至っていない。水資源の共有問題、世界貿易機関
でインドが中国に対して度々行う反ダンピング措置、インドの貿易赤字、インドの国連安保理入り
の希望に対する中国の不熱心さ、紛争国境地域のビザを発給する挑発的な政策などである。インド
はとりわけビザの問題を侮辱的だと考えている。
14. インドは中国に対し、北部の国境に接するスイスほどの広さのラダック地方を主張してきた。
東部については中国がその 3 倍の土地をインドに対して主張しており、チベット仏教にとって大き
な意味を持つアルナーチャル・プラデシュ州の大半も含まれている。中国は、1914 年にイギリス
植民地政府と事実上の独立チベットの指導者が確立したインドとチベットの国境線、いわゆる「マ
クマホン・ライン」を認めていない。この国境紛争はインドとパキスタンがジャム・カシミール地
方をめぐって対立しているのと重なる。同地方に関しては、中国はパキスタンを公然と支持してい
る。
15. インドでチベットの大義が広く支持されている一方で、同地域に対するインドの政策に疑問を
投げかけるコメンテーターも後を絶たない。その一人がマニパル大学教授で、国内で非常に影響力
の強いマドハブ・ダス・ナラパットである。彼は中国の対インド政策を公然と批判しながらも、
「イ
ンドはダライラマとチベット民族を支持することで地政学の面で極めて高い代償を払ってきた」と
著者らに語った。
16. インドは 6 師団に加えて国境警備隊も配備し、さらに山岳部隊を 2 師団形成してアルナーチャ
ル・プラデシュ州を強化しているようである。一方の中国はチベットに 50 万人の兵士を配備し、
チベットに建設したインフラのおかげで軍隊の移動が容易となり、1 ヶ月以内に 12 師団を機動す
る能力を備えていると推定されている。このインフラには世界の屋根を横断してラサにつながる鉄
道や、5 つの空港、4 万 1000 キロメートルに及ぶ道路網がある。‘Consolidating Control: Chinese
Infrastructure Development in Tibet’, Monika Chansoria, CLAWS, Spring 2011.
17.華為技術のニューデリー本部役員へのインタビューや、バンガロールの研究開発センター訪問
を計画していた。デリーでのインタビューはキャンセルされたが、バンガロールの予定は中止にな
らなかった。バンガロールでインタビューした同社幹部は全員インド人で、中国人幹部には一人も
インタビューできずに終わった。
18. 同年 、 華 為 技術は こ の 部 門 で エリ クソ ン に 次 い で 世界 第二 位 の 企 業 と なっ た。 出 典 :
http://www.chinadaily.com.cn/bizchina/2011-02/01/content_11953774.htm.
同社の情報筋によれば、売上高の 10 パーセントが研究開発センターに再投資されているという。
研究開発センターには 5 万 1000 人の従業員(全従業員の 46 パーセント)がおり、10 年の経験を
持つ「電話会社」の専門職は華為技術インド支社では年収 4 万ドルを稼ぐが、欧米企業の同職と比
べて 3 分の 1 から 4 分の 1 の額である。
19. 理論上この禁止令は海外製機器を供給する全企業に及ぶが、政府の措置は明らかに中国企業に
向けたものであった。華為技術の情報筋が著者らに語ったところによれば、2010 年 8 月にその通
達は「緩和」されたが、それは同社が技術の DNA とも言うべきソースコードを公開し、透明性の
確保に同意したためであった。華為技術のライバル企業は同様の措置を取ることを拒否したため、
インド政府の安全保障措置の効果が制限されたと同じ情報筋は説明した。
2011 年 4 月、インドの諜報機関である研究・分析局(RAW)は華為技術が中国軍と関連がある
として、インド政府に対し同社との取引に慎重さを求めた。華為技術と公安機関のつながりが取り
沙汰されている点も、2012 年 3 月にオーストラリア政府が同国のブロードバンドネットワーク向
上を目指す 380 憶ドル相当の入札契約から華為技術を排除した理由であろう。
20. 株主の構成について、華為技術は「100 パーセント従業員が所有しており、2 パーセント以上
の株式を保有している者はいない」とだけ言った。2010 年に年次報告が発表されるまで、実質上
誰がこの会社の幹部なのか一切知られていなかった。レン・ジェンフェイは報道機関のインタビュ
ーに応じず、同社は透明性の義務が課される株式上場も計画していない。
21. 2010 年 8 月のニューヨーク・タイムズ紙によれば、中国政府は新疆ウイグル自治区とインド
洋を結ぶ陸路を確保する狙いで、パキスタンが実効支配するカシミール地方の戦略的なギルギッ
ト・バルティスタン州に 7000~1 万 1000 人の兵士を派遣した。インド側はこの地域をインド領と
主張している。
22. 2010 年 7 月に署名した二国間協定に従い、中国は 24 憶ドルを投じて民間使用の原子炉をさら
に 2 基パキスタンに建設する予定である。中国は以前にも同じ原子炉施設で原子炉を 2 基建設し
ている。同協定は原子力供給国グループの指令に違反している。これは核兵器不拡散条約の未締結
国との核取引を禁止するもので、パキスタンもこれに該当する。中国は核の取引は南アジアの安定
に貢献するとして自らの関与を正当化したが、米印原子力協定が同地域に核の不均衡をもたらした
とするパキスタンの主張をそのまま繰り返している。
著者らがインドでインタビューした何人かの専門家は、中国から供給された軍事・民生の両方に
利用可能な核技術をパキスタンが「不適切に使用」しているのではないかと懸念を示している。疑
う理由はパキスタンが核の脅威を維持して地域の均衡を達成したがってからであるが、中国がパキ
スタンの核開発計画に歴史的役割を果たしていたからでもある。核取引の策略が暴露され、中国が
1980 年代とその後もパキスタンに貴重な支援を与えていた事実が明らかとなった。これは有名な
パキスタン人科学者アブドゥル・カディール・カーンが陰で糸を引いていたもので、同氏はパキス
タンの軍事核開発と中国のつながりを詳細に語った。中国の支援はパキスタンが手っ取り早く原子
爆弾を手に入れるのに重要な役割を果たした。中国はこの核拡散の関与を認めていない。「アメリ
カ人は中国の核拡散を見て見ぬふりをしている」とパキスタンの元インド外交官は語った。
23. 「千刀万剐」は元の時代の著作に初めて登場した表現であるが、文字通り「1 万の短剣で 1 万
の傷をつける」という意味である。インドでこの表現は、同国を弱めるための中国の戦略を指して
用いられている。
24. 別の二人の専門家が著者らに語ったところによれば、なぜ中国がパキスタンに影響力を行使し
てテロ行為を終わらせようとしないのか、中国人研究者はその理由を答えられない。「中国はテロ
との戦いに協力はしていますが、それは自国領土の保全や自国民に脅威がある場合に限られます。
パキスタンのテロは多面性を持っています。自分たちに影響がなければ、中国は気にも留めません」
とある専門家は語った。
25. 中国はグワダルをエネルギーの中心地へと変える計画で、そのためにパキスタンを通って新疆
ウイグル自治区まで石油パイプラインを建設する必要がある。これを使ってアフリカから中東まで
石油を送油するのだ。2011 年春に中国はグワダル港を管理する予定であると発表したが、中国が
さらにパキスタンに中国海軍基地の駐留を要請したことについて中国政府は否定している
26. ‘China and India: A Rivalry Takes Shape – Analysis’, Harsh V. Pant, Foreign Policy
Research Institute, June 2011.
27. ロシアから購入した空母アドミラル・ゴルシコフは 2013 年に就役予定である。国産の空母が
2015 年に完成するとの予測もある。出典:China and India: A Rivalry Takes Shape – Analysis’,
Harsh V. Pant, op. cit.;パントはロンドンのキングズ・カレッジのアジア太平洋安全保障および防
衛問題の専門家である。
28. 中国、台湾、ベトナムは揃って南沙諸島の主権を主張し、マレーシア、ブルネイ、フィリピン
は同諸島の一部を主張している。2002 年に関係諸国は南シナ海行動宣言に署名した。問題解決で
前進を見たわけではないが、関係諸国に一定の指針を遵守させて同地域の軍事的緊張の高まりを避
ける狙いで承認された。この宣言は、主権を主張する国が住民が住んでいなかった島を占有するこ
とを禁じており、それ以降中国、ベトナム、マレーシアは、着陸場、宿舎、監視塔、漁師の村人
200~300 人を連れて行くのに必要なインフラを建設し、以前に占有していた島々での存在感を強
化している。国際裁判所で紛争が解決されそうにない状況下では領土の「実効支配」が重要な要因
となるため、実効支配を示す法的な狙いがある。
29. ベトナム戦争終結直前にベトナム政府が弱くなったのにつけ込み、中国は 1974 年に西沙諸島
を占有した。ソ連とベトナムの緊密な関係を考えれば、その目的は将来ソ連の海軍基地が置かれる
可能性があると中国が恐れた諸島を乗っ取ることであった。西沙諸島は海南島から危険すぎるほど
近かったのである。ベトナムの領有権の主張について、中国の外交官の現在の姿勢には妥協の余地
がない。「これで話は終わり、その問題については話さない、というのが中国の立場だ。結論の出
た、もう終わった問題だ」と東南アジア研究所のイアン・ストーリーは言う。
30. 南シナ海で最後に大きな軍事的対立が起きたのは 1988 年である。中国人民解放軍の海軍と衝
突し、ベトナム人水兵 70 名が死亡した。以降、少数の漁師の死者が出ているが、主に事故による
ものである。
31. 中国の 2012 年の軍事予算は公式に前年比 11.2 パーセント増の 6703 億元(1060 憶ドル)に
達した。アメリカの軍事支出 6140 憶ドルには遠く及ばないとはいえ、専門家は中国の軍事計画を
取り巻く不透明性を批判して、実際の支出額は公式の数字をはるかに上回り、おそらく 2~3 倍だ
ろうと述べた。中国政府は戦闘機、空母の開発や近代化にかかる支出を総額に含めていないとされ
る。1994 年の中国の軍事予算は 60 億ドル強に過ぎなかった。
32. 過去に中国は台湾の領海沿い---時には領海内---で弾道ミサイルの発射実験を行い、例えば独立
宣言など、中国がレッドラインと見なす一線を越えないよう台湾指導者に警告してきた。その証拠
に、1995 年と 1996 年に台湾の領海内の商業航路の重要地点に数発の中国ミサイルが発射された。
アメリカはこれに反応し、当時のビル・クリントン大統領はベトナム戦争終結後最大規模となる軍
事配備を命じた。アメリカ政府は「台湾関係法」を用いて [訳者注:原文の Taiwan Reaction Act
は Taiwan Relations Act 台湾関係法の間違い?] 台湾防衛を保証し、将来の攻撃に備えた。アメ
リカが台湾の主要武器供給国であるのはそうした理由からである。出典:‘New China missile unit
near Taiwan: spy chief ’, フランス通信社, 26 May 2011.
33. 中華民国(台湾の正式名称)を中華人民共和国から独立した主権国家と認めているのは現在
23 カ国に過ぎず、過半数(12 カ国)が中央アメリカ、南アメリカ、カリブ海の諸国である。全て
の世界大国を含め、他の国は「一つの中国」に賛成して現状維持を支持している。つまり台湾をチ
ベットと同様、中華人民共和国の一部とみなしているのである。
34. 両岸経済協力枠組協定に署名したにもかかわらず、台湾が国際社会で「国」として参加できな
いよう中国は台湾を排除し、諸国に圧力をかけ続けている。そのため台湾は EU な日本など、利益
を持つ国や地域と交渉を開始できず、商業協定にも署名できずにいる。台湾の期待と裏腹に、両岸
経済協力枠組協定のために台湾は一層経済的に孤立してしまった。同協定反対派は、中国は台湾に
中国政府を経由して世界各国と関係を結ぶよう強制し、地域の経済統合を進めて台湾を取り残そう
としていると主張している。出典:‘Taiwan risks trade isolation, group warns’, ウォールストリ
ート・ジャーナル、25 May 2011.
35. 2009 年 5 月にアメリカ国務省副長官ジェイムズ・スタインバーグとの会話の中で、リーは中
国はあせって台湾を中国に統合しようとしておらず、香港返還と同じ経済戦略を踏襲していると語
った。つまり投資、資産買収、長期的な政治目標にかなう経済影響力の拡大である。‘Senior
Singapore leader says China’s leader has patience for Taiwan: WikiLeaks’, Want China Times,
8 December 2010.
36. 陳水扁総統の元同僚タオ・リウは「陳が総統に就任すると、日本、アメリカ、EU からすさま
じい圧力を受けるようになりました。選挙に勝利したからといって独立は宣言できない、現状を変
えることはできないと。」
37. 台湾のテレビ局 TVBS が行った世論調査が 2008 年 11 月 12 日に放映された。それによると回
答者の 15 パーセントが陳総統は政治的な理由で逮捕されたと考えていた。
38. 訳注:本文中に脚注 38 がありませんが、おそらく脚注 39 の前文と思われます。包括的支援
策をめぐり最も論議を巻き起こしたのが、中国のコスタリカ国債の購入である。中国は初めて国交
を樹立した際にコスタリカ国債の獲得を発表したが、その詳細は公表されなかった。アリアスがイ
ンタビューの中で「馬鹿野郎」と呼んだラ・ナシオン紙は法的手段に訴え、この取引条件を公表さ
せた。利率 2 パーセント、返済期間 12 年であった。中国が利率の公表を望まなかったのは「全て
の国にその利率で融資していないため」だと言い、アリアスは透明性の欠如を正当化した。
匿名希望のコスタリカの当局筋によれば、秘密にされていたのは実は別の問題と関係していると
いう。国債購入とは中国国家が外貨準備高を用いて獲得する行為であり、したがって国家外国為替
管理局(SAFE)を通じて行われる必要があった。ところが実際は香港に登記している博安投資会
社が行っていたのである。アリアス前政権の誰かが 2 パーセントの利率を着服するのに同社は役立
ち、このお金が中国の国庫に入ることはないだろうと同じ情報筋が話してくれた。
39. ‘China refused Panama offer to drop Taiwan: WikiLeaks’, フランス通信社、14 May 2011.
[訳者注:本文にある脚注 40 がありません]
エピローグ
1. NGO 団体「ベネズエラ暴力監視団」
(OVV)によれば、1999 年から 2011 年のチャベス大統領の
任期期間中に、15 万 5577 件の殺人事件が発生している。就任以降、殺人事件数はほぼ 4 倍に膨
れ上がり、この傾向は収まる気配がない。2011 年はベネズエラの歴史で最も暴力的な年であった。
いわゆる「免責の侵害」もその状況の劇的な本質を明らかにした。殺人事件全体のうち 91 パーセ
ントが未だに処罰されていない。出典:OVV のディレクターを務める社会学者ロベルト・ブリセ
ーニョ・レオンとのインタビューによる。
2. The Rise and Fall of the Great Powers, Paul Kennedy (Vintage, 1989).
(邦訳:「大国の興亡―1500 年から 2000 年までの経済の変遷と軍事闘争」ポール・ケネディ著、
草思社、1993 年)
3.典型例が自動車部門である。アメリカ、ドイツ、日本のような自動車部門の世界大国へと変貌さ
せるべく政府が戦略的に宣言し、そのために中国政府は中国市場で操業している海外ブランド企業
に中国の製造業者とのパートナーシップを義務付けた。最終的に中国が目的を達成できるような技
術移転を強制するのが目的であった。30 年経った今、中国はその成果を得ている。上海はニュー・
デトロイトとなり、中国ブランドは中期的に世界企業を目指しているのだ。
4. 実際の輸出製品量(それに対して課税される)をめぐる疑惑のため、あるいはアフリカの政府
が提供する免税期間のおかげで、中国企業は極めて低い税金しか払っていないと批判されている。
5. チンは 2011 年に国務院が発表した「中国の対外援助」報告書の数字を挙げ、アフリカにおける
中国の存在感とやり方を擁護した。中国アフリカの協力モデルとして、彼は具体的にザンビアの例
を挙げ、同国に 60 億ドルの投資を行い 6000 人の雇用を創出したと説明した。その 6000 人が直面
している不安定な労働環境(第 6 章参照)を著者らのように直接見る機会のない人々にとっては、
確かに印象的な数字である。
6. その悪影響の重要性をよく示す好例がナイジェリアである。開発のみを追い求めて公正さや腐
敗をないがしろにしたため、ナイジェリアは非常に暴力的な環境に陥った。グローバル・ファイナ
ンシャル・フローズが発表した報告書“Illicit Financial Flows from Developing Countries:
2000–2009”は、ナイジェリアでは 2000 年から 2008 年の間に腐敗により総額 1300 憶ドルが失わ
れたと報告している。これは年間平均にして 150 億ドル、同国の GDP の 4~9 パーセントに相当
する。
7. “China’s Policy and its Effects in Africa”, 2008 年 3 月 28 日に欧州議会で発表された。
8. ‘China blocks Nam on Internet’, Jo‑Maré Duddy, The Namibian, 30 July 2009.
9. 様々な国家部門が報道機関(新聞、ラジオ、テレビ)およびインターネットコンテンツ(ブロ
グ、ニュースサイト、チャットルーム)の規制を担当している。中央宣伝部は文化や報道に関する
内容を統制し、中国共産党やその利益が明記する公式見解と一致させる最高機関である。しかし国
務院新聞弁公室や地方政府もニュース内容を監視している。
評判の高いニュースサイトである中国数字時代によれば、メディアやウェブサイトは中国人ジャ
ーナリストの間では「真理省からの指示」(ジョージ・オーウェルの小説「1984 年」に出てくる)
として知られるものを定期的に受け取る。権威主義的な言葉で書かれ、編集部担当者に送付される
この命令を用いて中国当局は何を公表し、何を秘密にするべきかのルールを決めるのだ。こうした
指示を数ヶ月分析して、西側で共通して信じられているのとは反対に、この偏執的なまでのメディ
ア統制があらゆる話題、形式に及び、人権や外交とは関係のない話題にまで適用されることがわか
った。例えば政府役人が絡んだ腐敗の事件は報道されず、中国軍の昇給や当局に対する暴力的な事
件や遺伝子研究事業なども同様である。
情報統制はコンテンツの禁止や排除だけにとどまらない。香港大学でチャイナ・メディア・プロ
ジェクト)に取り組むアナリストのダヴィッド・バンドゥルスキーなどの専門家は、政府は 3 万人
のサイバー警察官を自由に使って、昼夜問わずインターネットを徹底的に調べてウェブページやコ
メントその他のウェブコンテンツを遮断していると指摘している。それでも飽き足らず、政府はお
よそ 28 万人のコメンテーターを抱えている。彼らはチャットルームやオンラインフォーラムその
他のネット上で議論を交わすサイトに投稿し、自発的な発言に見せかけるために雇われている。バ
ンドルスキーが「赤シャツ」や「50 セントの共産主義者」と呼ぶコメンテーターの多くは学生で、
議論の場で支配的な方向に影響を与えるのに役立つ発言を一回する度に半元(5 ユーロセント)を
稼ぐ。こうして当局から見て有利な方向へと誘導するのである。この方法は共産党の見解を拡散し、
望ましくない世論を中和させる狙いがあると専門家は述べている。出典:‘China’s guerrilla war for
the web’, David Bandurski, Far Eastern Economic Review, July 2008.
10. 中国の進出により、こうした機関は新しい中国の論理や基準に順応あるいは移行しつつある。
2010 年にアメリカの輸出入銀行は、ゼネラル・エレクトリック社がパキスタンで機関車 150 両の
供給契約を得られるように、中国の輸出入銀行の融資条件に合わせるという前例のない決定を下し
た。日本も世界の舞台で中国と競争していくために、金融面の要求を柔軟にしている。出典:
‘Western nations match China’s game’, John Pomfret, ワシントンポスト、12 January 2011.
11. When China Rules the World, Martin Jacques (Allen Lane, 2009).
12. The China Fantasy: How Our Leaders Explain Away Chinese Repression, James Mann
(Viking Penguin, 2007).
13. 2012 年 3 月、中国は失踪を「合法化」する法律を承認した。つまり、警察が当時反体制派や
弁護士に対して行っていた、合法的とは言い難い拘束を合法化したのである。これにより、以前の
法律では少なくとも名目上は与えられていた保証の多くが消え、警察に並外れた権力が新たに与え
られた。被疑者を非公開の場所で最長 6 カ月間拘禁できるようになったのもその一例である。中国
共産党内ではこの法律について 1 年間議論して合意に達した。それに対し 2007 年に承認された中
国の物権法は、共産党の保守派の激しい抵抗により 15 年を要した。
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