アジア太平洋レビュー 2010 在日外国人のエスニック・ビジネス ──国籍別比較の試み── 樋口直人(徳島大学) として新たな意味を付与されていく(1)。エス キーワード:移民、自営業、移民企業、人的資本、 ニック・ビジネスはどのように発生し、どの程 社会関係資本 度の階層移動を可能にするのか。集団ごとにエ スニック・ビジネス従事比率が異なるのはなぜ か。こうした問いが、エスニック・ビジネス研 1. エスニック・ビジネス研究の興隆 究の通奏低音となっている。 古くは『ヴェニスの商人』のシャイロック、 第 2 の背景として、エスニック・ビジネスは 世界各地の華僑や印僑など、エスニック・マイ 経済活動でありながら、個々の企業家が埋め込 ノリティが営むビジネスは歴史的にも空間的に まれた社会関係の影響を強く受けている状況へ もごく普通にみられる。しかし、世界的にみて の注目がある。エスニック・ビジネスは経済と エスニック・ビジネスの研究が本格的に始まっ 社会の境界にある活動であり、主流社会とは異 たのは、1970 年代と比較的遅い。そして後発 なるエスニック経済や移民ネットワークを有し の領域であるにもかかわらず、1990 年代に入 ているがゆえに、優位性を発揮するとされてき ると移民研究の主要領域の 1 つとしての地位を た。こうした点をめぐる実証的な論争は、経済 確立する。このようなエスニック・ビジネス研 社会学一般の水準をも高めてきたといってよい 究興隆の背景、及び研究の戦略的意義は、大き 。 (2) く 2 つに分けられる。 本稿では、こうした 2 つの研究潮流を下敷き 第 1 の、そしてもっとも大きな背景として、 にしたうえで、日本のエスニック・ビジネスの エスニック・ビジネスの現実が「エスニシティ 分析枠組みの提示、それにもとづく現状の解釈、 と階層」研究の見直しを促したことが挙げられ および集団間比較を試みる。ただし、日本で展 る。1960 年代まで支配的だった同化論的前提 開するエスニック・ビジネスに関する研究は、 を裏切るエスニック・リバイバルが発生したこ それ自体が始まったばかりの領域で、全体を概 とは、エスニシティ研究そのものを進めた最大 観するのも本稿が本邦初の試みとなる。入手し の要因であった。そうしたなかでエスニック・ うる二次資料は断片的なもので、少数の事例の ビジネスの見直しも進み、近代化に伴い消えゆ 記述的な報告がほとんどである。そのため、ビ くものとみなされてきた零細自営業は、エスニ ジネスの実態を詳述するよりは、分析枠組みの ック・マイノリティが上昇移動するための経路 提示とそれにもとづく現況の評価が主になるこ (1) 自営業に対しては、 「排除された者の避難所」と「上昇の経路」という相反する評価がある(I. Light and E. Roach,“SelfEmployment,”R. Waldinger and M. Bozorgmehr eds., Ethnic Los Angeles, Russel Sage Foundation, 1996)。こ のうちどちらが妥当するかは時期や集団によって異なるが、全体としては自営業を上昇経路とみなす文献が多い(A. Portes and M. Zhou,“Self-Employment and the Earnings of Immigrants,”American Sociological Review, Vol.61, 1996. Z. Valdez,“Latino/a Entrepreneurship in the United States,”C. Menjivar et al. ed. Latinas/os in the United States, Springer, 2008)。 (2) A. Portes ed., The Economic Sociology of Immigration, Russell Sage Foundation, 1995. —2— 在日外国人のエスニック ・ ビジネス―国籍別比較の試み― 表 1 在日外国人の従業上の地位 国籍 年 韓国・朝鮮 中国 フィリピン ブラジル ペルー タイ インドネシア ベトナム バングラデシュ パキスタン インド 全体 1995 2000 1995 2000 1995 2000 1995 2000 1995 2000 1995 2000 1995 2000 1995 2000 1995 2000 1995 2000 1995 2000 1995 2000 就業者数 266,623 256,127 77,623 121,751 29,820 42,492 106,364 129,093 19,279 20,264 10,566 9,666 3,909 10,245 3,323 6,501 3,450 3,390 3,829 3,298 2,561 3,185 603,559 684,916 雇用者 人数 155,081 157,310 64,634 105,850 27,675 39,282 105,250 126,857 19,049 19,840 9,831 8,565 3,823 10,114 3,021 6,061 3,327 3,184 3,378 2,408 2,067 2,583 463,778 550,203 % 58.2 61.4 83.3 86.9 92.8 92.4 99.0 98.3 98.8 97.9 93.0 88.6 97.8 98.7 90.9 93.2 96.4 93.9 88.2 73.0 80.7 81.1 76.8 80.3 役員・業主 人数 % 87,696 32.9 80,346 31.4 10,255 13.2 12,864 10.6 919 3.1 1,563 3.7 945 0.9 1,840 1.4 199 1.0 384 1.9 409 3.9 591 6.1 68 1.7 95 0.9 266 8.0 385 5.9 121 3.5 192 5.7 443 11.6 856 26.0 459 17.9 554 17.4 110,539 18.3 109,433 16.0 家族従業者 人数 % 23,766 8.9 18,420 7.2 2,724 3.5 3,025 2.5 1,222 4.1 1,643 3.9 169 0.2 394 0.3 30 0.2 40 0.2 325 3.1 508 5.3 17 0.4 36 0.4 35 1.1 55 0.8 2 0.1 14 0.4 8 0.2 34 1.0 35 1.4 48 1.5 29,140 4.8 25,203 3.7 出典:『国勢調査報告 外国人特別集計結果』1999 年、『平成 12 年国勢調査報告 第 8 巻 外国人に関する特別集計結果』 2004 年(05 年国勢調査結果は国籍が 11 区分しかないうえ、役員・家族従業者を算定できないため入れていない) 際しては、一定の説明が必要となる。国勢調査 とをお断りしておく。 の外国人特別集計には従業上の地位として 6 カ 2. 在日外国人による エスニック・ビジネスをめぐる問い テゴリーがあり、エスニック・ビジネスと関連 (1)日本のエスニック・ビジネスの現況 人のある業主」に該当する者は、全員がエスニ するのは「役員」 「雇人のある業主」 「雇人のな い業主」 「家族従業者」である。このうち「雇 ック・ビジネスに従事しているといえるだろう。 エスニック・ビジネス研究の本場は米国だが、 一方で、 「役員」は日本企業に勤務する役員を、 日本は知られざるエスニック・ビジネス大国で 「雇人のない業主」は内職従事者を、 「家族従業 あり続けてきた。本稿では、「ある社会のエス ニック・マイノリティが営むビジネス」をエス 者」は日本人配偶者の自営業を手伝う者を含む。 ニック・ビジネスと定義するが、オールドタイ その意味で、4 つのカテゴリーに属する者のす マーたる在日コリアンや老華僑の多くはビジネ べてがエスニック・ビジネス従事者であるとは スに従事してきたからである。 いえない。が、以下ではエスニック・ビジネス 従事者というときには近似的にこの 4 つのカテ では、他の国籍集団も含めた実態はどのよう ゴリーに属する者を指すこととする。 になっているのか。この点に関してもっとも包 括的なデータとなるのは国勢調査の結果だが、 そのうえで表 1 の国勢調査結果を みる と、 2006 年まで国籍別外国人人口の首位を占めて それをエスニック・ビジネスとの関連でみるに —3— アジア太平洋レビュー 2010 表 2 在日外国人によるエスニック・ビジネスの類型 ビジネスの顧客 同胞 それ以外 非エスニック財 提供する財・サービスの種類 エスニック財 <エスニック市場のコア> エスニック食品・ビデオ販売(全国籍) レストラン(多くの国籍) エスニック食品製造(多くの国籍) メディア(多くの国籍) 電話カード販売(ブラジル等) ブティック(ブラジル等) <エスニック・ニッチ> エスニック・レストラン(韓国・朝鮮、中国、タイ、イ ンド、パキスタン、ベトナム) マッサージ(タイ) キムチ製造(韓国・朝鮮) 気功、鍼灸(中国) <言語的障壁にもとづく市場> 旅行社(多くの国籍) インターネットカフェ(中国) パソコン店(ブラジル) 美容院(韓国、ブラジル) 不動産仲介(ブラジル) 自動車販売(ブラジル) 広告代理店(ブラジル) <移民企業ニッチ> パチンコ(韓国・朝鮮) サンダル・靴製造(韓国・朝鮮) 金属リサイクル(韓国・朝鮮) システム開発(中国) 繊維卸売(インド) 中古車輸出(パキスタン、バングラデシュ、スリランカ) 中古電化品輸出(ベトナム) 電気工事(南米) 出典:I. Kim,“The Koreans: Small Business in an Urban Frontier,”N. Foner ed., New Immigrants in New York, Columbia University Press, 1987, p.228 をもとに一部改変し、日本の文脈に合わせて作成。 いた韓国・朝鮮籍の 40%以上(1995 年時点) の在留資格でなければビジネスを続けるのは難 が、役員・業主か家族従業者であった。これは しい。それゆえ、別表 2 にあたる者の比率が高 日本人の 2 倍以上の比率にのぼるが、他の国籍 いほうが起業家になりうる層も増加するが、ビ についてはどうか(3)。表 1 で取り上げたのは、 ジネス従事比率はそれとは異なる要因――ビジ 2000 年国勢調査での回答者数上位 11 カ国(英 ネスの進出しうる市場――によって決まると思 米豪国籍を除く)の従業上の地位である。エス われる。 ニック・ビジネス従事者の比率は、韓国・朝鮮 そこで、提供する財・サービスと顧客により 籍が 4 割にのぼる一方、それに次いで 4 分の 1 エスニック・ビジネスを分類した表 2 をみても が自営業のパキスタン、1 割を超えるインド・ らいたい。一般に、エスニック・ビジネスは同 中国、10%前後のタイ、フィリピン、ベトナム、 胞向けの商売から始まるが、そのなかでも同胞 バングラデシュ、1 ~ 2%のペルー、ブラジル、 が固有に必要な財・サービスを提供するものと、 インドネシアまで、相当の違いがある。こうし 言語上の障壁により同胞が比較優位にあるもの た差は何に起因しどのような状況を表すのか。 がある。前者としては、食品販売・レストラン 次に、自営業従事比率の絶対値だけでなく、5 などはどの集団にもみられるビジネスであり、 年の間に比率が変化した国籍とそうでない国籍 集住地ならばこうしたビジネスの集積をみるこ がある。3 ポイント以上減少したのは韓国・朝 とができるだろう。後者については、自らの第 鮮と中国で、増加したのはタイ、パキスタンで 一言語で意思疎通ができて契約できるのであれ あった。 ば、原理上はどんなビジネスでも含まれるが、 このようなビジネス従事比率の相違や変化 現実には表 2 にあるようなものが発達すること は、何に起因するのか。まず、在留資格との関 が多い。いずれにせよ、こうした同胞を対象と 連で別表 2 の資格(4) 以外の者は、投資・経営 した商売はビジネスが発展する礎を築く上で重 (3) この比率にはジェンダーによる差もあるが、本稿の課題ではないので割愛した。韓国・朝鮮や中国、ベトナム国籍では男性の ほうが、フィリピン、タイ、インド国籍では女性のほうが、エスニック・ビジネス従事比率が高い。 (4) 身分または地位にもとづく在留資格=特別永住者、永住者、日本人の配偶者等、永住者の配偶者、定住者。 —4— 在日外国人のエスニック ・ ビジネス―国籍別比較の試み― 要である。だが、この市場は同胞の人口×同胞 通常ホスト社会の一般的な労働市場とは区別さ により提供される財を購入する額で規模が頭打 れる。エスニック・ビジネスに関する初期の研究 ちになり は、このような独自の労働市場に関して、ホス 、一部の者にしか企業家になる道 (5) ト社会からの排除という観点から言及してきた。 は開かれない。 すなわち、表 2 の右側の 2 つの象限に進出し、 今日の研究のさきがけともいえる Light の論考は 一般市場でのビジネスを確立した集団だけが、 この代表例であり、「北部の黒人は非ヨーロッパ 高いエスニック・ビジネス従事率を示す企業家 人であることが外見からわかり、労働市場で差 移民となる。そのうち、各移民集団固有の財 ・ 別にあいやすいことから、小商いを開業するオ サービスを提供する場合をエスニック・ニッチ リエンタルな客観的動機があった」とみなされ と呼んでおくと、主には日本人相手のレストラ る(6)。そうしてできたエスニック・ビジネスは、 ンが該当する。レストランは同胞向きのものも 排除された人々にとって上昇移動の経路となっ 存在するが、市場規模を広げるには日本人を顧 てきたのである(7)。 客とせねばならない。それに成功したのは表 2 ここでエスニック・ビジネスをめぐる研究の2 に挙げたものくらいで、コリアンの焼肉ほどの つの中心的な問いが持ち上がる。第1に、一般 成功を収めているものはない。 的な労働市場からの排除がビジネス開始の動機 エスニック・ニッチは、他集団に対して一定 だとしても、同じ立場にある者が皆同じように の参入障壁を持つことから、当該集団にとって ビジネスを始めるわけではなく、排除は十分条件 は有利にビジネスを営むことができる。しかし、 たりえない。同じように排除されている移民集 エスニック・ニッチのみに特化して企業家移民 団のうち、なぜある集団(キューバ系や韓国系) たるだけのエスニック・ビジネス従事比率を保 は自営業を指向し、別の集団(メキシコ系や西イ てる集団は、世界的にみても存在しないだろう。 ンド諸島系)は指向しないのか。誰がどのように 原理的にどの集団でも参入できるが、現実には すればビジネスを始められるのか、ビジネス従 特定の集団が集中するビジネスたる移民企業ニ 事者が多い集団はどのような条件を備えている ッチへの進出が必要となる。在日コリアンは、 のか。こうした問いに対して、「儒教倫理」のよ パチンコ、サンダル・靴製造に代表される軽工 うな文化的要因による説明も試みられたが、今 業、金属リサイクルなど、移民企業ニッチを多 ではこうした議論をする者はほぼ皆無といって く築けたがゆえに 4 割というエスニック・ビジ よい。代わって説明要因として用いられるのは、 ネス従事率を確保できたのである。 学歴やビジネス経験といった人的資本、および 人間関係を源泉とする社会関係資本である。 以下では、エスニック・ビジネス従事比率と 各集団が営むビジネスの業種に着目し、それを 高い人的資本はビジネス設立にあたって有利 人的資本、社会関係資本、機会構造という 3 つ に作用するが、人的資本の高さは同時に一般労 の変数を用いて説明していく。だが、具体的な 働市場へのアクセスの機会を増やすことになる。 検討に入る前に次項では理論枠組みを提示する Portes and Rumbaut は、労働移民、専門職移民、 こととしたい。 企業家移民、難民・亡命者という類型を用いてい るが、専門職と企業家の相違は移民の人的資本 (2)エスニック・ビジネスの設立をめぐる が一般労働市場で評価されるか否かで決まる(8)。 主体側の要件 エスニック・ビジネスが作り出す労働市場は、 学歴が高い在米韓国系移民の場合、英語能力が低 く学歴がホワイトカラーの職に結びつかないた (5) M. D. R. Evans,“Immigrant Entrepreneurship,”American Sociological Review, Vol.54, 1989. (6) I. Light, Ethnic Enterprise in America, University of California Press, 1972, p.10. (7) Ibid, p.4. (8) A. Portes and R. G. Rumbaut, Immigrant America, 2nd ed., University of California Press, 1996, pp.14-25. —5— アジア太平洋レビュー 2010 め、エスニック・ビジネスに集中することとなる 集団間比較に際して社会関係資本を説明変数 (9) 。インド系やフィリピン系の場合、英語ができ とする場合、単に企業家が用いた社会関係資本 る医療従事者に対する需要が米国で存在するた の多寡を問うたのではトートロジーになりかね め、医療専門職として移民する者が多い(10)。 ない。すなわち、ある集団が社会関係資本を豊 富に蓄積していたから自営業に進出できたのだ、 とはいえ、医療専門職の労働市場で移民の人的 資本(この場合には専門職としての能力)が正 という事後的な説明ではこの概念を用いる意味 当に評価されなければ、それは自営業を指向す がないだろう。その点で、エスニック・エンクレ る要素となるだろう。その意味で、移民が自ら イブ論の持つ含意は社会関係資本概念を用いた の人的資本に対して正当な評価を労働市場で得 説明に有益である。エンクレイブ概念自体には曖 ていると感じるかどうかによって、自営業指向 昧さが付きまとうが(12)、広義に解釈すればエス は決定される。したがって、人的資本とエスニッ ニックな社会関係の集積がエンクレイブであり、 ク・ビジネスの関係について、以下のように説 逆にエンクレイブを通じて社会関係資本が蓄積 明変数 1 の定式化が可能となる。 されることとなる(13)。ただし、日本のように外 説明変数1:言語や学歴、スキルといった面 国人人口比率が低い国では、同胞同士の関係だ で高い人的資本を持ち、なおかつそれに見合っ けで説明するのは難しいと思われる。すなわち、 た評価が一般労働市場でなされない集団ほど、 マジョリティたる日本人との関係も含めて、社 自営業を志向するようになる。 会関係資本の集積と自営業を関連付ける必要が 社会関係資本は、比較的最近概念化された用語 あるだろう。そこで、説明変数 2 を以下のよう であるが、類似した発想はエスニック・ビジネ ス研究の当初から用いられてきた に定式化できる。 (11) 説明変数2:同胞や日本人との接点となる制度 。経済的に 不利な立場にあるエスニック・マイノリティが、 に組み込まれる程度が高い集団ほど、社会関係 独力でビジネスを始めるのは難しい。そのため、 資本が蓄積されて起業が容易になる。 金融講のようなインフォーマルな資金調達の手 分け」による独立、同胞の情報網といった集団内 (3)機会構造 前項でみたのは個々の企業家にとって統制可 部の連帯の強さが、ビジネス進出の程度を規定す 能な変数だが、それを超えた規定要因として機会 る。これらはすべて個別具体的な社会関係に支え 構造という概念が用いられてきた(14)。このうち、 られるがゆえに、社会関係資本としみなしうる。 同胞市場向けのビジネスは、同胞の数だけでなく 段、エスニック・ビジネスの従業員から「のれん (9) I. Light and E. Bonacich, Immigrant Entrepreneurs, University of California Press, 1988. P. G. Min, Ethnic Business Enterprise, Center for Migration Studies, 1988. (10)Portes and Rumbaut, op.cit. (11)社会関係資本概念については、J. S. Coleman, J. S.“Social Capital in the Creation of Human Capital,”American Journal of Sociology, Vol.95, 1988 を参照。エスニック・ビジネス研究ではエスニック資源という用語で、ほぼ同様の機能 が分析されている(K.-C. Kim and W. M. Hurh,“Ethnic Resources Utilization of Korean Immigrant Entrepreneurs in the Chicago Minority Area,”International Migration Review, Vol.19, 1985. I. Light, "Immigrant and Ethnic Enterprise in North America,”Ethnic and Racial Studies, Vol.7, 1984. J. K. Yoon, Korean Immigrant Entrepreneurs, Garland, 1998)。 (12)V. Nee, J. M. Sanders and S. Sernau,“Job Transition in an Immigrant Metropolis,”American Sociological Review, Vol.59, 1994. (13)A. Portes and R. L. Bach, Latin Journey, University of California Press, 1985. M. Zhou, Chinatown, Temple University Press, 1992. その一方で、互酬的な関係は個人の上昇移動を制約する側面もあるが(Portes, 1995 op.cit. Zhou, op.cit. A. Portes and J. Sensenbrenner,“Embeddedness and Immigration,”American Journal of Sociology, Vol.98, 1993)、エスニック・ビジネス従事比率の説明に際しては考慮しなくてもよいだろう。 (14)R. Waldinger, Through the Eye of the Needle, New York University Press, 1986. R. Waldinger et al., Ethnic Entrepreneurs, Sage, 1990. —6— 在日外国人のエスニック ・ ビジネス―国籍別比較の試み― 嗜好や購買力によって規模が変化するとはいえ、 説明変数3:移民に対して開かれた機会構造と 常に一定数の企業家に対して機会を提供する。同 は、一般市場においてエスニック財・サービス 胞が固有に消費する消費財をもっとも容易に提 に対する需要が発生するか、うま味の少ない業 供できるのは、同じ国の出身者であり、そうした 種に隙間が生じるかのいずれかである。 (15) 「保護市場」 次節では、これら 3 つの変数により国籍別エ はエスニック・ビジネス発展の基 スニック・ビジネスのバリエーションとエスニッ 礎といえよう。 ク・ビジネス従事比率を説明していきたい。 だが、機会構造が重要になるのは次の段階にお いてである。エスニック・ニッチを形成するに は、特定のエスニック財・サービスが一般市場 3.日本のエスニック・ビジネスを めぐる国籍間比較 で受け入れられねばならない。これは、財・サー ビスの性質によってアプリオリに決まるわけで 行すると考えたほうがよい。つまり、日本で売 (1)国籍別業種の分布 国籍により異なるのはエスニック・ビジネス従 れそうな財・サービスを広げるべく「仕掛ける」 事比率だけでなく、従事する業種にも一定の相 ようなことは、エスニック・ビジネスの零細性 違がある。表 3 をみると、全体を通じてもっとも はなく、あくまで一般市場の開放という条件が先 (16) に鑑みれば非現実的である 比率が高い業種は卸売・小売・飲食店であるが、 。たとえば、エス ニック料理の供給があるから需要が生まれるの 国籍ごとにかなりの相違がある。これは他の業 ではなく、先行する需要に対応することで初め 種についても同様で、以下では表 3 の数値の差 て供給が伸びるという想定が現実的だろう。 にも言及しつつ、類似するものを適宜まとめて 各国籍集団の特質を描いていこう。 移民企業ニッチへの進出についても同様のこ とがいえる。原理的には、一般市場のあらゆるビ (2)在日コリアン ジネスが移民企業ニッチになりうるが、実際に う。まず、スケール ・ メリットが働き初期費用 ――移民企業ニッチ進出の条件 オールドタイマーたる在日コリアンは、企業家 が高い業種に参入するのは困難で、規模に関係 移民としての特質を現在に至るまで備えている。 なく参入可能でその費用も低い業種でなければ、 被雇用者以外が 38.6%(2000 年)を占めており、 は 2 つの条件を充足することが必要になるだろ (17) エスニック・ビジネスは参入できない 。さら さらに第一次産業従事者がほとんどいないこと に、米国の縫製産業や個人営業の食料品店のよ を勘案すれば、エスニック・ビジネス従事比率 うな後継者難にあえぐ産業に対して、長時間労 の高さは際立っている(18)。が、在日コリアンに 働や家族や同胞など安い労働力によって比較優 関する研究には分野的な偏りが大きく、経済活 位を保てれば、ニッチ形成の条件は整うだろう。 動に研究上の光が当てられることはほとんどな こうした前提にもとづき、機会構造に関わる説 かった(19)。2000 年以前に出された数少ない研究 明変数を以下のように定式化できる。 では、これまで日本の労働市場からの排除がも (15)H. Aldrich et al.,“Ethnic Residential Concentration and the Protected Market Hypothesis,”Social Forces, Vol.63, 1985. (16)日清食品やモランボンなどは、独創的な商品開発により能動的に市場を開拓したものと評価できる(河明生『マイノリティの 起業家精神』ITA、2003)。しかし、これはエスニック大企業を生み出すことはあっても、ニッチ形成には結びつかないだろう。 (17)Waldinger et al. op.cit., pp.25-26. (18)とはいえ、被雇用者の比率は 58.2%(1995 年)から 61.4%(2000 年)と 3.2 ポイント増加した。これは、ニューカマー 韓国人の比重が増加したこと、および在日コリアンの自営離れが生じつつあることの表れと考えられる。ここでは、企業家移 民たるオールドタイマーのコリアンに限定して分析する。ニューカマー韓国人のビジネスは、在日コリアンと異なり一般市場へ の進出を果たしているわけではない(林永彦『韓国人企業家』長崎出版、2004)。 (19)朴一「在日コリアンの経済事情」藤原書店編集部編『歴史のなかの「在日」』藤原書店、2005。 —7— アジア太平洋レビュー 2010 表 3 国籍 ・ 産業別エスニック・ビジネス従事者 建設業 (%) 製造業 (%) 0.3 11.5 15.6 9.9 4.5 1.2 1.9 3.0 4.5 6.8 7.8 3.5 11.5 15.9 11.5 10.7 2.0 9.2 2.8 35.2 31.6 34.4 インド インドネシア 韓国・朝鮮 タイ 中国 パキスタン バングラデシュ フィリピン ベトナム ブラジル ペルー 卸売・小売 業,飲食店 (%) 72.3 32.1 37.5 51.8 49.6 89.9 64.6 6.8 39.1 24.6 26.7 サービス業 (%) 16.3 30.5 19.6 11.6 23.0 4.2 13.1 4.5 12.7 25.4 22.6 その他(%) 7.6 14.5 11.4 15.2 12.2 2.7 11.2 2.7 8.4 11.6 8.5 総数(人) 602 131 98,766 1,099 15,889 890 206 3,206 440 2,234 424 出典:『平成 12 年国勢調査報告 第 8 巻 外国人に関する特別集計結果』2004 年 たらす帰結として、在日コリアンのエスニック・ (20) ジネスは一般市場向けであるがゆえに高い自営 。こうした見方か 進出が可能となっているが、その背景を 3 つの らすれば、成功した企業家移民として在日コリ 説明変数によりどのように分析できるだろうか。 ビジネスが説明されている (21) 。しかし、前 まず人的資本をみると、日本語能力や学歴と 節でみたように差別だけでは自営業への進出の いった面では日本国籍との差はほとんどないと 説明としては不十分である。なぜビジネスを始 考えられる。また、彼ら彼女らは学歴に関係な める必要があったのかだけでなく、なぜどのよ く自営業に従事する傾向がみられる(25)。これは、 うにして多くの人々が自営業者として独立する 差別により就職できない現実を示すものと考え 条件を充足できたのかが問われねばならない(22)。 られるが、高い人的資本が一般市場で評価され 在日コリアンの従事する三大業種は、パチン ないがゆえに自営業を志向する、という前節の アンを表象するのは無理がある 図式に適合する。 コ、焼肉、金属リサイクルといわれてきた。この 領域の先駆的な研究でも、地域差はあるがパチ 社会関係資本についていえば、民族団体や商 ンコや焼肉も含めた「広義の水商売」と第二次 工会だけでなく民族金融機関まで設立されてい 産業への従事比率が高いことが示されている(23)。 ることから、同胞同士の社会関係資本は十分に ただし、製造業の比重は低下しているという研究 蓄積されている。零細企業ほど民族金融機関に もあり(24)、表 3 の製造業と建設業の従事比率は 依存する度合いが高く(26)、一般金融機関から排 ほぼ等しい。いずれにせよ、在日コリアンのビ 除された者でも社会関係資本を活用できる。求 (20) 戦後の民族金融機関というエスニックな連帯を体現する制度の研究でも、その設立はもっぱら日本社会の差別という文脈で 論じられている(呉圭祥『在日朝鮮人企業活動形成史』雄山閣、1993)。 (21)もちろん、前述のロッテなど成功した起業家も多数存在しており、彼らが成功した要因についてはすでに研究がなされている(河 明生、前掲書)。在日企業のトランスナショナルな展開についても、内容的には評価できないものの、まとまった成果が出さ れるようになった(永野慎一郎編『韓国の経済発展と在日韓国企業人の役割』岩波書店、2010)。 (22) そうしたさなかで、過去 10 年の間にエスニックな連帯やネットワークという観点から、在日コリアンのビジネスを見直す試み がある(韓載香『在日企業の産業経済史』名古屋大学出版会、2010。橋本みゆき「民族金融機関の設立と変動における在 日韓国・朝鮮人の『エスニックな結束』」 『解放社会学研究』15 号、2001。河明生、前掲書。山本俊一郎「神戸ケミカルシ ューズ産地におけるエスニシティの態様」 『季刊地理学』54 巻 1 号、2002)。 (23)徐龍達・全在紋「在日韓国・朝鮮人の商工業の実態」徐龍達編『韓国・朝鮮人の現状と将来』社会評論社、1987。 (24)韓、前掲書。 (25)金明秀・稲月正「在日韓国人の社会移動」高坂健次編『階層社会から新しい市民社会へ』東京大学出版会、2000。 (26)韓、前掲書第 7 章。 —8— 在日外国人のエスニック ・ ビジネス―国籍別比較の試み― 職に際しても、同胞内での社会関係に依存する 以前には厳しい就職差別があったことも、エスニッ 度合いは高く(27)、個人レベルでも社会関係資本 ク・ビジネス従事比率を高める要因だった(31)。結 が活用されていることを示唆している。 果的に、老華僑は「最も競争の少ない職業を選択 せざるを得」なかったといいうる(32)。 機会構造としては、戦後の闇市に始まって後 発ながら最大の産業へと成長したパチンコに至 人数が圧倒的に多い新華僑のビジネスに関す るまで、在日コリアンは一貫して低ステータス る研究は少数で、店舗訪問記のようなものがほと 産業に進出してきた。焼肉レストランも、当初 んどである(33)。また、留学・就学生とその後の は日本で食材とされてこなかった内臓の廃物利 姿である新中間層から日本人の配偶者、中国帰 用から始まっており、いずれにせようま味の少 国者、研修・技能実習生に至るまで在日中国人は ない業種を見出して、それを機会として活用し 幅広く、他の国籍より異質性が高い。ビジネス たと考えられる。 に関する先行研究は新中間層のそれに限られて おり、それによると中国人集住地区でのレンタ (3)中国人――三把刀から新中間層による ルビデオ、食品販売、美容院、旅行者、飲食店 一般市場への進出へ 縫製、理髪、料理という「三把刀」(28)での自営 などからビジネスは始まった(34)。この段階では、 業層という華僑のイメージからすると、1995 年で 他集団と共通するビジネスしかなく特筆すべき 16.7% という中国人の自営部門従事比率は決して高 点もなかった。 エスニック・ビジネス従事比率も高くはないし、 いとはいえない。しかし、新華僑が急増した 2000 ところが、「ハイテク産業は日本華僑華人企業 年の従事比率は 13.1% へ低下している。新華僑の の先頭を走っており、日本華僑華人に日本での新 自営業者が少ないだけで、老華僑の自営部門従事 しい道を切り開いている」(35)とすら評価される、 比率は依然として高い可能性がある (29) 。老華僑の これまでとは質的に異なるニッチが形成されて エスニック・ビジネスについては、戦前の状況に いる。ある調査によれば、ソフトウェア企業を 関してはまとまった研究がある(30)。それによると、 経営している新華僑のほとんどは、日本の大学・ 日本と中国大陸の貿易は江戸時代から華商がリー 大学院に留学して就職し、エンジニアを経て独 ドしてきたが、戦前に流入した華僑には労働者層 立している(36)。 もかなり含まれていた。それが、戦後の混乱期に 人的資本でみたときの中国人の特徴は、留学 多くが自営業層として台頭したため、老華僑のほ 生や就学生として来日し、日本でホワイトカラー とんどはエスニック・ビジネス従事者だったと思 の職を得た者の比率が高いことである。これは、 われる。コリアンと同様に、特に日中国交正常化 日本社会で認められる人的資本(学歴、日本語 (27)金・稲月、前掲論文。ただし、この論文のサンプルとなっているのは民族団体に一定程度組み込まれた者が多いため、解釈 には留保を要する。 (28)いずれも刃物を使う職業であることからつけられた名称。 (29)戦後の華僑の就業構造の変化に関する簡単な分析では、サラリーマン化が進んでいるとしているが(中華会館編『落地生根』 研文出版、2000)、老華僑のなかでの比率がどう変化したのかは明らかでない。 (30)内田直作『日本華僑社会の研究』同文館、1949。内田直作・塩脇幸四郎編『留日華僑経済分析』河出書房、1950。 (31)安部康久「長崎における在日中国人の就業状況の変化と居住地移動」 『人文地理』49 巻 4 号、1997。 (32)山下清海「横浜中華街在留中国人の生活様式」 『人文地理』31 巻 4 号、1979。 (33)白岩砂紀「エスニック・ビジネスの生成に関する事例的研究」奥田道大編『都市エスニシティの社会学』ミネルヴァ書房、 1997。田嶋淳子『世界都市・東京のアジア系移住者』学文社、1998。藤井晃子「エスニック・ビジネスを通してみるアジア 系外国人の実態」 『お茶の水地理』37 号、1996。 (34)伊藤泰郎「関東圏における新華僑のエスニック・ビジネス」 『日本都市社会学会年報』13 号、1995。 (35)朱慧玲(高橋庸子訳) 『日本華僑華人社会の変遷』日本僑報社、2003、141 頁。 (36)小林倫子「ソフトウェア産業における中国人移民企業家の事業形態と人的ネットワーク」東京大学総合文化研究科修士論文、 2002。 —9— アジア太平洋レビュー 2010 能力)が際だって高いことを意味している。だ によるビジネス一般の市場を広げたことは間違 が、日本で就職したとしても日本人と比較して いない。日中貿易の規模に鑑みれば、本来はもっ 「ガラスの天井」があり、出世には限界があると と自営業に進出する機会があってもおかしくな いう感覚を持ちやすい(37)。前節で述べたように、 いが、人的資本や社会関係資本の蓄積不足が自営 人的資本が評価されないことがビジネスを指向 への道を妨げる要因になっていると考えられる。 する1つの背景となる。とはいえ、在日中国人 全体のうちこうしたエリートは一部でしかなく、 (4)ブラジル・ペルー人 のそれに比べてかなり低いと思われる(38)。した ――同胞市場内部での競合 研修生の多いインドネシア籍を除けば、ブラ がって、人的資本は一定層を企業家移民にする ジル国籍のエスニック・ビジネス従事比率は 1.0% 可能性を持つが、中国人という国籍集団として (1995 年)から 1.7%(2000 年)へ、同時期にペ 企業家移民の地位を確立するのは容易ではない。 ルー国籍は 1.2% から 2.1% へと最低水準での微 一方で、在日中国人の多様性は社会関係資本の 増に留まる(41)。2000 年代にビジネスの質的発展 蓄積を阻害する要因となるだろう。老華僑には が生じたとはいえ(42)、情勢が大きく変化したと 地域ごとの民族団体とその傘下団体、同郷会に加 は考えにくい。ブラジル人のビジネスが始まった たとえば中国帰国者・二世の学歴は、日本全体 えて神戸には民族金融機関まで存在した (39) 。新 のは入管法改定前の 1980 年代で、それが急激に 華僑の場合、1999 年に中華総商会が設立された 増加したのは 90 年代後半になってからのことで が (40) 、これは新中間層の組織に限定されている。 ある(43)。とはいえ、南米からのデカセギはすで 起業に役立つ社会関係資本は、未だ蓄積途上にあ に 20 年以上の歴史を持ち、家族・親族単位での るというべきだろう。また、家族・親族単位での 移住がもっとも容易に認められる集団でもある。 連鎖移民は、中国帰国者以外には広がりにくい。 そうした条件に恵まれたブラジル・ペルー人 フィリピン人にとってのカトリック教会のよう が、ごく少数のビジネスしか創出しないのはなぜ な、宗教・文化的な組織で統合されているわけで か。ブラジル人のビジネスは、集住都市での可視 もない。福建省や上海など出身地が集中すること 性が高いこともあり、本格的な調査がなされてい による地縁、日本の学校生活を通した個人的ネッ る(44)。これらの知見からみた答えは簡単で、表 トワークが、社会関係資本の中心になるだろう。 2 でいう同胞市場内部でビジネスがほぼ完結して 機会構造としては、そもそも日本で広範に受け いるからである。一部都市への集住、家族滞在と 入れられている中華料理は、今に至るまで起業 いう同胞市場ビジネス発生の好条件を利用して、 を後押ししてきた。また、日中の経済関係の緊 ブラジル・ペルー人を相手にした食品店、食品加 密化がソフトウェア企業家の、ひいては中国人 工、レストラン、電話代理店、美容院、ブティッ (37)坪谷美欧子「職場から地域へ」宮島喬編『外国人市民と政治参加』有信堂、2000。 (38)鍛治致「中国帰国生徒と高校進学」蘭信三編『中国帰国者の生活世界』行路社、2000。 (39)中華会館、前掲書、230 頁。同書では、頼母子講が一定の役割を果たしたことにも言及しており、1980 年代の横浜にも頼 母子講が存在したという報告もある(陳天璽『華人ディアスポラ』明石書店、2002、283-5 頁)。 (40)廖赤陽「在日中国人の社会組織とそのネットワーク」游仲勲先生古希記念論文集編集委員会編『日本における華僑華人研究』 風響社、2003、290-1 頁。 (41)両者は、日系人という資格での入国や労働市場への包摂様式が類似しているため、1 つのグループとして扱う。 (42)アンジェロ・イシ「ブラジル系エスニック・ビジネスの展開と変容」小内透編『在日ブラジル人の労働と生活』御茶の水書房、 2009。 (43)アンジェロ・イシ「『出稼ぎビジネス』の発生と生活環境の変化」渡辺雅子編『共同研究日系ブラジル人 [ 論文編 ]』明石書店、 1995。樋口直人・高橋幸恵「在日ブラジル出身者のエスニック・ビジネス」 『イベロアメリカ研究』20 巻 1 号、1998。 (44)片岡博美「浜松市におけるエスニック・ビジネスの成立・展開と地域社会」 『経済地理学年報』50 巻 1 号、2004。片岡博美「エ スニック・ビジネスを拠点としたエスニックな連帯の形成」 『地理学評論』78 巻 6 号、2005。梶田孝道・丹野清人・樋口直人 『顔 の見えない定住化』名古屋大学出版会、2005、第 8 章。 — 10 — 在日外国人のエスニック ・ ビジネス―国籍別比較の試み― ク、不動産仲介、広告代理店、パソコン販売・教 会関係資本は、来日から時間を重ねても蓄積さ 室、託児所・学校、メディア、ディスコ、旅行代 れていかない。その結果、日本人の助力を得た 理店までビジネスが展開されてきた。当初は、故 少数の者が自営を含む職業移動を成し遂げるが、 郷の食品を食べたい、新聞を読みたいという欲求 そうでない者は非正規雇用の状態で留まり続け を自ら持っていたデカセギ労働者が、それをチャ る傾向が強い(48)。その意味で、弱い紐帯の強み ンスとみて企業家に転じていった。その後ビジネ が発揮されないことが、南米系の社会関係資本 スの業種は増加し、必要なもののほとんどはエス にとっての弱点だといえる。 ニック・ビジネスを通じて入手できるようになっ たという。 最後に、機会構造という点では他の集団よりも 閉鎖されていたといえる。南米料理に対する需 こうして、ブラジル人の役員・業主の絶対数 要は、アジア諸国のそれに比較して低調であり、 は韓国・朝鮮、中国に次いで第 3 位になったが、 レストランも同胞相手にならざるをえない。デ 比率は最低ランクに位置する。しかも、南米の カセギ労働者を吸収する工場も、後述のベトナ 日系移民は中間マイノリティとして知られ(45)、 ム人が従事するような零細規模のものではなく、 エスニック・ビジネス従事比率が高い集団であっ しかもほとんどが間接雇用なので自営のノウハ たにもかかわらず、日本では非正規雇用の労働 ウも学べない。それゆえ、デカセギ労働者にとっ 者が圧倒的に多い。こうした現実の背景として、 て職場経験から開かれた機会は、自ら人材派遣業 南米系移民は一時滞在のデカセギ志向が強いか を設立するか、横浜市鶴見区を中心に広がる電気 らという見方は成り立つ。ただし、日本で永住資 工事業を始めるかしかなかった。電気工事業界で 格を持つ者は全体の 3 分の 1 に達しており、短 は、若い二世が電気工事士の資格を取得して独 期滞在説では説明できない。 立する機会が開かれている(49)。だが、そうした 人的資本に関していえば、一世や二世の一部は 自営への道が局地的な現象でしかないがゆえに、 来日前から日本語の素地があり、現実にも日本 南米系のエスニック・ビジネス従事比率は低い 語ができる者が企業家になることが多い。だが、 ままに留まっているものと考えられる。 本稿で取上げた他の集団と比較して、日本語の も低いと思われる。学歴としても、南米の日系 (5)フィリピン人・タイ人――見えない実像 フィリピン・タイ国籍は、日本人の配偶者であ 人は学歴が高いとされているが、日本にいる者 る女性の比率が多い点で共通しており、ビジネス の学歴が高いとはいえない(46)。企業家になった を営む構造も類似しているため、まとめて論じる 日常会話を不自由なくできる者の比率はもっと 者は労働者よりも学歴が高いとされるだけに (47) 、 日本語能力に加えて学歴の低さが企業家への道 こととする。両者のエスニック・ビジネス従事比 率は、フィリピン人で 7.2%(1995 年)から 7.6% (2000 年)と横ばい、同時期にタイ人は 7.0% か を妨げているともいえる。 社会関係資本は、家族での就労が可能であり、 ら 11.4% と増加しており、決して低くはない。そ 家族滞在も一定程度いる点では他の集団よりも の背景の 1 つには、日本人夫の仕事を手伝う「家 有利に蓄積されている。だが、人口が多い割には 族従業者」の比率が他の国籍に比して高いこと エスニックな組織が発達しておらず、社会関係 がある。ただしそれを差し引いても、2000 年現 資本の蓄積には不利に作用する。さらに、起業 在での役員・業主の比率もそれぞれ 3.7% と 6.1% に際して効果的な役割を発揮する日本人との社 であるため、ある程度は一般市場にも進出して (45)前山隆『エスニシティと日系ブラジル人』御茶の水書房、1996。 (46)梶田他前掲書、第 10 章。 (47)N. Higuchi,“Migrant Networks across Borders,”Journal of Identity and Migration Studies, Vol.4, 2010. (48)稲葉奈々子・樋口直人『日系人労働者は非正規就労からいかにして脱出できるのか』全労済協会委託研究報告書、2010。 (49)樋口直人・稲葉奈々子「移民自営業者によるニッチ形成と産業構造」 『村田学術振興財団 2010 年報告書』村田学術振興財 団、2010。 — 11 — アジア太平洋レビュー 2010 表 4 フィリピン・タイ人の自営業セクターにおける分布 雇人のある 業主 N % 役 員 N 農林水産業 タイ フィリピン 建設業 製造業 卸売・小売業,飲食店 サービス業 その他 計 農林水産業 建設業 製造業 卸売・小売業,飲食店 サービス業 その他 計 % 雇人のない 業主 N % 家族従業者 N % 計 N % 1 0.1 0 0.0 8 0.7 101 9.2 110 10.0 18 19 53 22 12 125 0 45 58 129 93 34 359 1.6 1.7 4.8 2.0 1.1 11.4 0.0 1.4 1.8 4.0 2.9 1.1 11.2 4 1 175 13 8 201 0 20 8 340 44 16 428 0.4 0.1 15.9 1.2 0.7 18.3 0.0 0.6 0.2 10.6 1.4 0.5 13.3 16 72 108 45 16 265 22 39 259 198 222 35 776 1.5 6.6 9.8 4.1 1.5 24.1 0.7 1.2 8.1 6.2 6.9 1.1 24.2 71 34 233 48 21 508 338 202 136 708 223 36 1,643 6.5 3.1 21.2 4.4 1.9 46.2 10.5 6.3 4.2 22.1 7.0 1.1 51.2 109 126 569 128 57 1,099 360 306 461 1,375 582 121 3,206 9.9 11.5 51.8 11.6 5.2 100.0 11.2 9.5 14.4 42.9 18.2 3.8 100.0 出典:『平成 12 年国勢調査報告 第 8 巻 外国人に関する特別集計結果』2004 年 注 :百分率は、自営部門に従事する人数全体を分母としている。網掛けは業主で 5% 以上のもの、下線は家族従業者で 5% に達 するものを表す。 と考えるべきだろう。 いると考えたほうがよい。 両者は国籍別人口でみても 4 位と 7 位に位置し フィリピン人とタイ人は、英語に堪能な一部の ているが、その自営活動に関する文献はほとんど フィリピン人を除けば、人的資本にはそれほど ない。フィリピン人が同胞相手に営む雑貨店やレ 恵まれていない。家庭内で日本語を話す関係上、 ストランについて、少数の事例紹介がなされてい 日本語の会話はかなりできたとしても、読み書 るのみである(50)。質的情報が不足しているため、 きについては地域の日本語教室で学ぶ程度に留 表 4 ではフィリピン・タイ人の自営部門に関し まる。英語教室を開く、レストランで料理の技能 て国勢調査結果を細かく提示した。このうち約 9 を発揮する、少数だがタイ式マッサージを学んで 割が女性であり、日本人の配偶者等(ないし永 身を立てる程度しか、人的資本を生かす道はない 住者)の在留資格がほとんどと思われる。家族 と思われる。だが、それでは比較的高いエスニッ 従業者をみると、双方ともかなり類似した分布 ク・ビジネス従事比率を説明できない。 を示す。もっとも多いのが卸売・小売・飲食で 2 社会関係資本についていえば、資金調達や手続 割強、それに次いで「農村花嫁」が従事すると思 きといった面で日本人の夫が一定の役割を果た われる農業が双方とも約 10%、建設業もそれぞ していると考えられる。日本人の配偶者につい れ 6% 程度である。業主になると、卸売・小売・ ては、夫に従属する側面に焦点が当てられがち 飲食がもっとも多く、タイ人の 4 分の 1、フィリ で、それ自体は誤りとはいえないが、夫が社会 ピン人の 16% を占める。それに次ぐのが個人事 関係資本たりうる側面もあるだろう。また、フィ 業主での製造業だが、このほとんどは内職を指 リピン人の場合にはカトリック教会を通じたつ していると思われるため、収入はきわめて低い ながりを持つことができるが、タイ人の場合に (50)高畑幸「在日フィリピン人の職業経歴」 『人文論叢』27 巻、1998。小林孝広「東京郊外の在日フィリピン・サリサリストア」 『ア ジア遊学』117 号、2008。そもそも、タイ人に関しては研究自体がきわめて少ない。 (51)在日本インド商業会議所に対する聞き取り、2000 年 8 月 25 日。 (52)南埜猛・澤宗則「在日インド人社会の変遷」 『兵庫地理』50 号、2005。 (53)南埜・澤、前掲論文。澤宗則・南埜猛「グローバルシティ・東京におけるインド人集住地の形成」庄司博史編『移民とともに 変わる地域と国家』国立民族学博物館、2009。 — 12 — 在日外国人のエスニック ・ ビジネス―国籍別比較の試み― そうした同胞と会う制度的な基盤は存在しない。 ければ、日本の教育を受ける必要はない。ただ そうした点で、社会関係資本はフィリピン人の し、これは日本企業に就職するに際しては不利に 方が蓄積の度合いがやや高いと考えられる。 なるため、自営業層たるべく運命づけられてい にもかかわらずタイ人のエスニック・ビジネス るともいえる。ニューカマーも大卒の専門職層 従事比率が高いのは、機会構造の相違によるだ が多く、英語力も相俟って日本語面でのハンディ ろう。フィリピン人向けの商店やレストランは、 キャップは問題にならないだろう。 一定数は存在するものの人口比からするとほと 社会関係資本についても、老印僑はインド商工 んど存在しないに等しい。タイ人の場合、タイ 会議所、インド人社会協会、インド ・ クラブの 料理が日本で広く受け入れられていることから、 他にそれぞれの宗教施設を通じて強固なコミュ 一般市場向けのタイレストランを開業する者も ニティを形成している。宗教集団と職業上のニッ 一定数いると思われる。卸売・小売・飲食の業 チが重複しており、経済関係と社会関係は不可分 主になるタイ人の比率がフィリピン人より 10 ポ である。このような強い紐帯の強みを生かしてい イント高いのは、レストラン経営への道が開か るのが、老印僑の特徴といえるだろう。それに対 れていることによるのではないか。 して、近年増加している専門職層のインド人は、 多くが一定期間日本で就労して帰国するため、社 (6)インド人――安定した企業家移民 インド国籍のエスニック・ビジネス従事比率 会関係資本を蓄積するのは難しいと思われる。 機会構造は、老印僑については戦前から培われ は、19.3%(1995 年 )、18.9%(2000 年 ) と 横 ば たニッチが存在するため、継承者にはすでに開 いで、絶対数は微増といったところである。95 かれている。ただし老印僑のビジネスは、自営 年時点でのエスニック・ビジネス従事比率は、韓 業層の広がりという点では単純再生産に留まっ 国・朝鮮籍に次いでいる。そもそも、インド人は ている。新たに拡大した機会としてはインドレ 商業移民として戦前から日本に居住し、在日本 ストランが挙げられるが、卸売・小売と飲食店 インド商業会議所ができたのも戦前の 1937 年で が同一カテゴリーに含まれるため、その広がり ある (51) 。1980 年代半ばまでインド人の 4 割は貿 易港である神戸に集住していた (52) 。「老印僑」と いう言葉があるとすれば、そのほとんどは自営 の度合いは定かでない。現時点では、人的資本 と社会関係資本の蓄積が高いエスニック・ビジ ネス従事比率の背景にあるとみるべきだろう。 業に従事していたと思われる。 易関係がまず挙げられる。神戸では、ヒンドゥー (7)ベトナム人――資本の不足と充実した機会 ベトナム国籍のエスニック・ビジネス従事比率 教徒が繊維・電化製品を、シク教徒が雑貨・自 は 9.1%(1995 年 ) か ら 6.8%(2000 年 ) へ と 下 動車部品を、ジャイナ教徒が真珠を、戦後の東京 がっているが、絶対数は増加している。回答者 ではジャイナ教徒がダイヤモンドを扱う商人と 数が 3,323 人から 6,501 人へと増加したため、新 インド人のビジネスとしては、古くからある貿 なってきた (53) 。それ以外にはインドレストラン 規流入者が比率を下げたものと考えられる。ど への進出もあり、卸売・小売・飲食従事比率が ちらの値をとるにせよ、同胞市場相手の商売で 72.3% と高いのも、これらに集中しているがゆえ 達成できる比率ではなく、ほとんどが一般市場 のことと思われる。 向けのビジネスに進出したと考えられる。 人的資本に関していえば、インド人は表 1 に挙 ベトナム人のビジネスとしては、中古品輸出 げたなかでもっとも高学歴の集団といっても間 業・回収業とベトナムレストランが代表的なも 違いではない。老印僑はインターナショナルス のといわれている(54)。当初は廃品回収業から始 クールに通い、海外に留学する。貿易に必要な まったベトナム人ビジネスは、ベトナム政府の のは英語であるため、日本語の会話に不自由しな 一時帰国許可政策によりそれを輸出する中古品 (54)平澤文美「ベトナム系住民の料理店」 『Migrant's ネット』99 号、2007。 — 13 — アジア太平洋レビュー 2010 貿易へと発展した(55)。実際に業者が増加したの 対する需要も十分あると思われる。さらに製造 は 1980 年代末であり、輸出業者のみならず運送・ 業が多いのは、中小工場で働くうちに独立や継 廃品回収業者もともに増加したという。その後、 承の機会を得たことによるだろう。後継者難で 1990 年代半ばには下降期を迎えるが、特に阪神 悩む中小企業で働くがゆえの機会であり、ベト 間に住むベトナム人の間で中古品回収業が盛ん ナム人より規模の大きい工場で社外工として働 であり、神戸在住ベトナム人の半数近くが関連業 くブラジル・ペルー人にとって、人材派遣業以 務に携わっていると推定する研究もある (56) 。ベ 外に独立のチャンスはない(60)。 トナム人が営むベトナムレストランは、全国で (57) 40 件程度という推計があり 、ベトナムブーム このように考えてみると、ベトナム人にとっ て自営業に従事する機会は比較的開かれており、 人的資本や社会関係資本の蓄積が不十分なこと の割には多いとはいえない。 だが、こうした先行研究で報告されるのとは異 がエスニック・ビジネス従事比率を押し下げて なる側面を表 3 は示している。ベトナム人が従事 いると思われる。外部から何らかの支援があれ する業種では、製造業が 35.2% と全集団で一番 ば自営への進出の余地はあるわけで、そうした 高い。もっとも、フィリピン・タイ人と同様に 観点から経営ノウハウや情報ネットワークの欠 内職と思われる女性がそのうち 3 分の 1 を占めて 如を挙げる研究は的外れではない(61)。 いるから(58)、製造業での自営業者といえるのは 2 割強となる。だとしても、他の集団より製造業 (8)パキスタン・バングラデシュ人 こうした結果を生み出すに際して、人的資本に ――ニューカマー最大の企業家移民 パキスタン国籍のエスニック・ビジネス従事比 ついていえば学歴・日本語能力ともベトナム人は 率 は 11.8%(1995 年 ) か ら 27.0%(2000 年 ) へ 高い部類に入らない。日本で教育を受けた世代で と急増し、バングラデシュ国籍のそれも同時期に も学業不振がいわれているし、成人して来日し 3.6% から 6.1% へと伸びている。両者の差が何に た世代はさらにハンディキャップを抱えている。 起因するのかはわからないが、パキスタン人は 社会関係資本としては、カトリックや難民支援の ニューカマーでもっとも成功した企業家移民と 団体が一定の組織化をしているが、それほど強 なった。その二大産業となっているのは、ハラー いものとはいえないだろう。難民という性質上、 ル食品店と中古自動車輸出である(62)。 への集中が目立つといってよいだろう (59) 。 親族ネットワークも強固とはいえないだろう。 ハラール食品店は、イスラームの方式に則って その一方で、機会構造にはめぐまれていたとい 屠畜された肉(ハラール肉)に対する需要に応じ える。上述のようにベトナム政府の政策変更に て発展し、現在では国産のハラール肉製造も行わ より、 (関税が課されるといった問題は生じたが) れている。これは、パキスタン、バングラデシュ、 中古品貿易が可能になるという機会に恵まれた。 イラン人を中心とした業者の乱立を生み、1990 焼肉・中華・インド料理には及ばないとしても、 年代後半には百数十店舗が存在した。これらの国 タイ料理の後にブームが生じたベトナム料理に の非正規滞在者のほとんどが帰国した現在、市 (55)戸田圭子『日本のベトナム人コミュニティ』暁印書館、2001、78 頁。川上郁雄『越境する家族』明石書店、2001、207 頁。 (56)戸田、前掲書、78 頁。 (57)平澤、前掲論文。 (58)2000 年国勢調査でいうならば、役員・業主の男女合計が 148 人で、そのうち女性で雇人のない業主が 51 人だった。 (59)製造業比率が 30% 台であるブラジル・ペルー人のものは、実態が派遣業で製造業とはいえない。 (60)ただし、中小企業で働くベトナム人のほうが、正社員だったとしても年収ベースでブラジル・ペルー人を下回っていた可能 性もある。それを甘受して独立したのであれば、ベトナム人にとっての中小企業はエンクレイブ論のいう研修システムを提 供したともいえるだろう(T. Bailey and R. Waldinger,“Primary, Secondary and Enclave Labor Markets,”American Sociological Review, Vol.56, 1991)。 (61)青木章之介「エスニック・ビジネスとベトナム難民」 『日本労働研究機構研究紀要』17 号、2000。 (62)以下の記述は、樋口直人・稲葉奈々子・丹野清人・福田友子・岡井宏文『国境を越える』青弓社、2007 にもとづく。 — 14 — 在日外国人のエスニック ・ ビジネス―国籍別比較の試み― 場規模は縮小したものの、ムスリムとしてハラー 人という社会関係資本を活用できたからである。 ル肉が必要であるという底堅い需要に支えられ その意味で、彼らは社会関係資本を効果的に活用 ている。だが、人口規模による限界があり、一般 することで、わずかな機会に機敏に反応したこ 市場への進出も一部レストランに限られている。 とが、ニッチ形成を可能にしたといえるだろう。 それに対して中古車輸出は、パキスタン人を ニューカマーで最も成功した企業家移民たらし めるくらいの移民企業ニッチに成長した(63)。パ キスタン人やバングラデシュ人は、当初日本か 4.エスニック・ビジネス進出の阻害要因 ――結語に代えて ら出身国へ中古車や機械類を輸出するビジネス 日本でエスニック・ビジネスというと、単にエ を行っていた。現在でも機械類の輸出は続いてい スニックタウンに彩を与える存在として矮小化 るが、中古車に関してはダイナミックに様相が される傾向が強い。既存のエスニック・ビジネス 変化した。両国での中古車関税引き上げにより、 研究も、個別事例の報告がほとんどであり、なお 出身国への輸出ができなくなった結果、ドバイ かつ蓄積が絶対的に少ない発展途上の分野であ を中心とする世界的な中古車市場への進出で生 る。それに対して本稿では、エスニック・ビジネ き残りを果たしている(64)。 スが移民の経済的適応に際して持つ役割を積極 人的資本という点でいえば、パキスタン・バ 的に評価すべきである、という問題意識から出発 ングラデシュ人の学歴は比較的高いといわれて した。確かにエスニック・ビジネスは、その零 いるが、日本語の読み書きができる者は少ない。 細性や苦汗工場としての性格が指摘されてきた。 社会関係資本としても、ほとんどが男性単身の それでも、移民一世や二世にとって経済的なニッ 移民ということもあり、日本国内での同胞との チたる役割を果たしてきたのは間違いない。 オールドタイマーたる在日コリアン、老華僑、 社会関係資本が十分とはいえない。しかし、自 営業者になる者のほとんどは日本人女性と結婚 老印僑の歴史をみるにあたって、彼ら彼女らの多 しており、日本語での事務的手続きは配偶者に くが自営業者だったことは無視できない。それは 頼ることができる点で、社会関係資本には恵ま 排除の裏返しだとしても、移民=貧困層という れた部類に属する。 欧米でのお決まりの図式がオールドタイマーに 機会構造という点でいえば、中古車の内外価格 関して該当しないのは、自営業により雇用と一 差は確かに大きな要因だった。こうした機会が存 定の収入が確保されてきたからである。それを 在しなかった場合、工場勤務が多いパキスタン・ 踏まえつつ、三世・四世がエスニック・ビジネ バングラデシュ人はベトナム人と同様に、製造 ス以外に社会移動する度合いをみることで、日 業で独立することでしか一般市場には進出しえ 本の職業生活が持つエスニックな排他性を明ら なかっただろう。あるいは、ハラール食品産業か かにできるだろう。 らインドレストランを開業する可能性もあった。 一方でニューカマーの場合には、国籍によっ また、バングラデシュとパキスタンへの輸出が困 て自営業への進出度合いが著しく異なっている。 難になった段階で、中古車ビジネスは頓挫しても 同胞市場のパイを奪い合う小さなビジネスから、 おかしくはなかった。それをドバイ経由で世界市 内職で糊口をしのぐ生活、独自のニッチを築いて 場に販売するまで拡張できたのは、彼らの才覚に トランスナショナルなビジネスを展開するダイ 加えてパキスタン・バングラデシュ側の親族・友 ナミズムまで、状況はさまざまである。これは、 (63)ただし、リーマン・ショック後の不況と円高、ロシアでの中古車輸出規制により、この業界の売り上げは激減しているといわ れている。以下の記述は、それ以前の状況の分析であることをお断りしておく。 (64)類似した例として、カツラを韓国から米国に輸入するビジネスが韓国系移民のニッチになったものがある(Chin, K.-S. et al., “Immigrant Small Business and International Economic Linkage,”International Migration Review Vol.30, 1996)。 こうした業態は、トランスナショナルな企業家として注目されているが、その本場たる米国でも 1 割程度が該当するにとどまる (A. Portes et al.,“Transnational Entrepreneurs,”American Sociological Review, Vol.67, 2002)。 — 15 — アジア太平洋レビュー 2010 日本のみならずほとんどの移民受入国で生じて 業の存在は、移民にとって自営参入の契機にな いる事態であり、「○○という集団はなぜどのよ るが、そうした事態は米国と同様にエスニック・ うにして自営業に進出する/しないのか」が日本 ビジネスの拡大に結びつきうるのか。機会構造 でも問われる時代が到来したともいえるだろう。 の開放を生かす形で人的資本や社会関係資本を 本稿で行ったのは、日本の状況に即してそうし 蓄積していく試みがあれば、異なる状況が生み 出される可能性はあるだろう。 た問いに答えることであった。すなわち、人的 資本・社会関係資本・機会構造という 3 つの変 数により、在日外国人の主要な国籍ごとの状況 と相違を暫定的に説明してきた。紙幅の関係上、 各集団の比較を改めて行う余裕はないが、全体と して人的資本と社会関係資本が十分蓄積されて いるとはいえない。その結果、移民企業ニッチに 進出している例は少ないが、有望な移民企業ニッ チの開拓度合いがエスニック・ビジネス従事比 率を決定していることは明らかになった。 移民企業ニッチへの進出が進みにくい背景と して、日本のエスニック・ビジネスには順列モデ ルが適合しないという機会構造の問題は大きな 要因となっているだろう。順列モデルとは、米国 のユダヤ・イタリア系移民が経営していた縫製 工場や青果店が、後継者がいなくなったため中 国・韓国系移民に引き継がれるような事態を指 す。マイノリティから別のマイノリティへとい う順列が成り立ちにくいのは、在日コリアンが 自営業にはつけたが、今に至るまでそこに集中 し続けざるをえない現実によるのかもしれない。 これは、皮革加工のような被差別部落と結びつ いた産業についても同様である。ベトナム人は、 神戸市の長田区ではケミカルシューズ産業で働 き、姫路市では皮革産業で働いてきた。阪神大 震災が大きな変化をもたらしたとはいえ、ベト ナム人がこれらの産業を引き継ぐような事態は 限定的にしか生じなかったと思われる。そう考 えると、仕事を引き継ぐ位置にいるマイノリティ の社会的上昇手段が日本で閉鎖されているため、 移民の自営業参入が進まないとも考えられる。 だが、日本全体で機会構造をみれば、移民が 自営業に参入するのは構造的には容易になりつ つある。1990 年代以降、自営業への新規参入は 減少しており、自営部門自体の雇用吸収力が低 下しつつある(65)。このように後継者がいない産 (65)野村正實『雇用不安』岩波書店、1997。 — 16 —
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