供述心理学から探る「自白」の問題点

供述心理学から探る「自白」の問題点
佐山大生
目次
1、はじめに
2、虚偽の自白
3、警察・検察側から
(1)取調べの目的
(2)否認の原因
(3)自供までの期間
(4)自供に至る心理過程
4、無実の被疑者側から
(1)3つの虚偽自白論と第4の虚偽自白論
(2)真犯人はどのようにして自白するのか
(3)無実の者から虚偽自白を引き出す危険性
(4)自白の過程
(5)自白への展開過程
ア、逮捕され勾留されて、取り調べられること
イ、否認力動を低減させる要因
(ア)取調べの場および取調官への反発の緩和
(イ)やってない犯行を認めることの非現実感
(ウ)自己の真実を守りたいという衝動の希薄化
ウ、自白力動を高める要因
(ア)取調べの苦しさの回避
(イ)否認から予測される不利の回避、自白から予期される利益の追求
(6)自白の内容展開過程
5、まとめ
1、はじめに
刑事事件における永遠のテーマとも言える、冤罪については古くから様々な人たちによ
り数々の研究がなされてきている。冤罪を生み出す要因として、代用監獄や別件逮捕など
が挙げられてきた。そして、冤罪とは密接不可分の関係にあると言えるのは、虚偽の自白
であろう。
3- 2 1
やってもいない者が、どうして「やりました」と供述してしまうのだろうか。近年、心
理学から冤罪にアプローチしようという動きがある。本稿では、そうした動向にならいつ
つ、自白過程における主観面、つまり心の変化にスポットをあてて論じていきたい。取り
調べる側、つまり警察官・検察官側から、そして、被疑者側の二方向から見ていくことに
よって、両者の心理がどのように絡み合って、自白へとつながっていくのかを検討してみ
る。
2、虚偽の自白
憲法38条2項には、
「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは
拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。」と定めてある。これを受け、
刑事訴訟法において、
「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後
の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができな
い。
」
(刑訴法319条1項)、「自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪と
されない。
」
(同条2項)などといったように、証拠としての自白については一定の制限が
加えられている。
しかし、今もなお起こり続けている冤罪事件の最大の要因となっているのは、その自白
なのである。捜査段階で自白に追い込まれ、公判段階に入ってから否認に転じたものの、
それが裁判所には認められず、有罪判決が下されるというパターンは、これまでのほとん
どの冤罪事件に見受けられる1 。
3、警察・検察側から
まず、はっきりと言えることは、警察・検察もはじめから虚偽の自白を導き出し、無実
の者を犯罪者に仕立て上げようとしているわけではないということである。犯人の逮捕、
事件の早期解決を考えるあまり、冤罪を生み出してしまい、そのことに気付かないのであ
る。そこには日本の警察・検察の驚異的に高い検挙率・有罪率も影響していると言えよう2 。
これが彼らに見えない圧力をかけ、知らずのうちにプレッシャーとなっているのではない
だろうか。
では、警察・検察は取調べをどのように見ているのか。ここでは主に、渡辺昭一氏らが行
浜田寿美男 『自白の研究』
(三一書房、19 9 2 ) 1 9 頁以下。
渡部保夫『刑事裁判ものがたり』(潮出版社、19 8 7 )4 2 頁によると、法廷で被告人が否認
した事件について、その主張通りに無罪が認められるものは、わが国では、わずか 0.2 パー
セントである。ちなみに、イギリスでは 15 パーセント、アメリカ連邦裁判所では 25 パー
セントが認められている。
1
2
3- 2 2
った自供後の被疑者への面接調査の結果を中心に論じたい3 。
(1)取調べの目的
当時、科学警察研究所心理第二研究所室長であった渡辺昭一氏は、その著作の中で、次
のように述べる。
「取調べの目的は、被疑者に不当な圧力や不自由を与えることなく、正確で関連性が
あり、かつ完全な情報を効率よく収集することである。それはまた刑事訴訟法等に基
づき、合法的に入手されたものでなければならない。しかし、被疑者には、取調べで
話すことが自己の不利益に通じることに対する恐れが常にある。被疑者の話すことは
警察のためにはなっても、自己には不利益となる材料を提供するだけという意識があ
る。このような被疑者に対して、取調べを円滑に進め、事件に関連した正確で完全な
情報を入手することは容易ではなかろう4 。」
このことより、取調べする側は、不当な圧力や不自由を与えずに行うことが目的とは言
うものの、そこにはある程度の働きかけが必要であると考えているととれる。
(2)否認の原因
アンケート結果によると、本当のことを話すのに最も障害となったのは、法的制裁への
恐れであったり、家族などに対する不安、心配といったように、自供に伴う不利益な結果
を回避したいという欲求に基づくものであった。つまり、否認というものは基本的には回
避行動や防衛とみることができるというのである5 。
これらから、捜査官は真犯人でも取調べ当初はまず否認するものだという経験則を脳裡
に刻んでいるのである6 。このことは警察官向けに書かれた心理学教科書からも明らかであ
る。
「
(逮捕と)同時に、拘留による自由の拘束すなわち、食事や睡眠の自由な選択が奪わ
れるし、その他の欲求の阻止に直面しなければならなくなる。少なくとも、妻子との
生活を自分の意思によらず、一時的に中断しなければならない。また、いままでに得
た社会的地位とか信用を失う危険にさらされる。このような状態に追い込まれると、
ヒトは自らを守ろうとする(自己防衛)。したがって犯人あるいは被疑者は、一応犯行
を否認するのはむしろ当然のことである7 。」
黙秘または否認の後に自供が得られた殺人事件(強盗殺人、強盗致死を含む)と侵入窃盗
事件で、平成7年6月から11月末日までの間に、警察の留置場に収容されていた被疑者
および未決の被告人のうち、取調べを担当した捜査官の面接が可能な者を調査対象とした。
その結果、実際に対象となったのは、殺人事件 2 2 人、侵入窃盗事件 6 3 人である。
4 渡辺昭一「取調べと自供の心理(2 )
」警察学論集 5 2 巻 9 号 2 0 9 頁( 1 9 9 9 )
。
5 渡辺・前掲
注( 4) 2 0 4 頁以下。
6 浜田・前掲
注( 1) 2 1 6 頁。
7 佐伯茂雄『警察官のための心理学教室』
(日世社、1 9 8 0 ) 1 0 8 頁。
3
3- 2 3
多くの捜査官は、否認というものを以上のようにとらえている。割合から言えば、ごく
わずかではあるが、その中に含まれる、真に無実の者にとってみれば、これほど恐ろしい
ことはないだろう。
(3)自供までの期間
警察の取調べで否認する被疑者の割合や、自供までにかかる期間を示す資料は、わが国
において見あたらない。そこで、少し古い資料ではあるが、渡辺氏が調査した資料を紹介
するとしよう8 。
殺人および強盗殺人事件の被疑者の
66. 0 %が、最初に取調べを受けた日に全面自供して
いる。取調べ開始 2 日目から 1 0 日までの間に全面自供した被疑者は
に
11
日以上の取調べ期間を要した被疑者は
22. 1 %、全面自供まで
6.2 %、起訴までに全面自供が得られなかった
被疑者は 5.7 %であった。そして、注目すべきは送致時までに全面自供しなかった被疑者に
ついて、否認の態様別に全面自供までの期間を示したものである。送致時に被疑事実につ
いて全部否認した被疑者は、その後の自供率が最も低く、次いで犯意を否認した被疑者の
自供率が低いという結果が出ている9 。
捜査官はこの結果を元に、もしくはこれを経験的に学び、
「やってない」と、全部否認し
た被疑者はなかなか自供しないものだと考え、無実の罪の者に対してまで自供を引き出そ
うとして、厳しい取調べを行ってしまう危険性が考えられる。
(4)自供に至る心理過程
今まで述べてきたデータなどから、被疑者が自供するのは、自供に伴う不利益な結果を
甘受するほうが、否認を続けることによる恐怖や不安の持続よりも望ましいと認識したと
きであると考えられる。つまり、逆に、否認することによる恐怖や不安のほうが、自供に
伴う不利益な結果よりも望ましいと認識している限り、被疑者は否認を続けるであろう 10 。
そして、渡辺氏は次のように述べる。
「被疑者に認識されている不利益な結果と恐怖や不安は、取調べ官とのかかわりにお
いて、被疑者の内面でさまざまな影響を受けて増大したり軽減したりするものと考え
られる。取調べの目標は、このような被疑者の内面に働きかけて、自供に伴う不利益
な結果についての被疑者の認識や否認中の被疑者の恐怖や不安を操作することにある
昭和 5 9 年中に検挙し、取調べを行い、立件送致した殺人および強盗殺人事件(未遂を含
む)の被疑者 11 8 4 人を調査対象としている。
9 渡辺昭一「取調べと自供の心理(1 )
」警察学論集 5 2 巻 8 号 1 4 9 頁以下( 1 9 9 9 )。これら
の結果は、近年における被疑者の権利意識の高まりや弁護人の活動の活発化などの影響に
より、最近ではこの調査を実施した時点よりも否認する被疑者の数が増えている可能性も
あろう。
10 渡辺昭一「取調べと自供の心理(4・完)
」警察学論集 52 巻 1 1 号 1 8 9 頁以下( 1 9 9 9 )。
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と言えよう11 。
」
渡辺氏は、このことは、被疑者に対して何らかの心理的圧迫、強制、その他の不当な手
段加えることを意味するものではないとしているが、代用監獄に置かれているだけでも、
強力な心理的圧迫はある12 。また、捜査官が、自白を引き出すことに夢中になるあまり、無
意識のうちに、真犯人ではない被疑者、つまり無実の者から自白を導き出してしまう恐れ
は往々にしてありうるのではなかろうか。
4、無実の被疑者側から
実際に犯行を行ってない者が、自白してしまうのはなぜなのか。その心理過程は大変興
味深い。そこには、いったいどんな要素が働いているのだろうか。ここでは、浜田寿美男
氏の著書、
『自白の研究』に基づいて展開していく。まず、虚偽自白が生まれる理由につい
ての、いくつかの説を紹介しよう。次いで、真犯人が自供する心理的要素を述べ、無実の
者が自白する場合と比べてみる。それを前提として、虚偽自白がなされていく心理過程を
追ってみたいと思う。
(1)3つの虚偽自白論と第4の虚偽自白論
虚偽自白が生まれる理由について、これまで一般的に言われてきたのは拷問説や精神力
脆弱説である。拷問説は字のごとく、肉体的な拷問を典型とする強圧的状況により引き出
されるとするものである。精神力脆弱説は被疑者の個人的特性、つまり知能が低かったり、
精神力があまりにも弱かったりして、虚偽の自白が誘い出されてしまうと考える。一方、
最近、弁護側から主張されることのある拘禁心理説だが、これは長期勾留の中での取調べ
による心理的ストレスで異常な精神状態に陥り、判断力は低下し、被暗示性も高まり、そ
の結果として、自白が生まれるととらえる13 。
しかし、これらの説は被疑者の主体性をほとんど無視している。そこで登場するのが第
四の虚偽自白論である14 。これは虚偽自白には取調べ官と被疑者それぞれが主体的に参与し、
相互作用が生まれて虚偽の自白へとつながるとする。ここでの「主体的」とは「任意」と
いう意味ではない。法の上で「任意」とは認めがたい状況におかれていても、「主体的」選
択の余地はあるだろうということである。虚偽の自白を行う者たちは、いきなり逮捕され
て、自分の日常的な行動さえ意のままにならず、身に覚えのない罪を問われるという、被
疑者の日常生活からすると、異常な事態に身を置く。そこで、それに耐え、真実を貫こう
渡辺・前掲 注( 10 ) 1 9 1 頁。
代用監獄廃止接見交通権確立委員会『警察留置所での拘禁 日本の代用監獄制度 19 8 9
年 2 月パーカー・ジョデル報告書』
(悠久書房、19 8 9 )など、様々な文献で指摘されている。
13 庭山正一郎「自白と長期裁判」自由と正義 3 2 巻 5 号 4 4 頁以下( 1 9 8 1 )
。
14 浜田氏は従来からの3つの虚偽自白論の問題点をあげた上で、あらたな説として、
「第四
11
12
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とするのも、方や、虚偽の自白によりその場を逃れようとするのも、主体、つまり被疑者
の正常な「主体的」選択なのである15 。
(2)真犯人はどのようにして自白するのか
真犯人が取調べを受けた際、その心理はどのように動くのか。個人差があるが、ある共
通の心的力動が働くと考えられる。1つは否認へと向かう力動で、もう1つは自白へと向
かう力動である。前者には取調べへの反発、刑罰を避けようとする否認力動、羞恥や地位
喪失を恐れ、避けようとする否認力動などがある。後者としては、自白衝動とうそへの不
安、自己の弁解の論理的一貫性が破綻することによる自白力動、取調べの苦しさを回避し
ようとしての自白などがあげられる。そして、なんらかのかたちで、否認力動が弱まる、
もしくは自白力動が強まるかして、自白へとつながるのである16 。
(3)無実の者から虚偽自白を引き出す危険性
しかし、さきほどあげた力動の要素は、真犯人のみでなく無実の人間が被疑者として取
り調べられ、自白を求められている際も、多大に影響してくる。自白から得る利益、取調
べの圧力から逃れようとする心理、弁明不能感などにより、自白力動が強められ、無実の
被疑者も自白に追い込まれてしまうのである17 。
(4)自白の過程
自白の過程には2つの段階がある。それまでは「やっていない」と否認していた段階か
ら「やった」と認める段階への転回過程と、その後、
「どのようにやったか」を具体的に語
っていく自白の内容転回過程である。
真犯人の場合、両者を区別する必要はないかもしれない。しかし、無実の者が嘘の自白
をする場合、両者には大きな隔たりがある。無実の人間であっても、
「自分がやった」と言
わせることまでは比較的簡単に見える18 。それが、
「どうやったか」まで自白させてしまう
という過程において、いかなる力が作用しているのだろうか。以下、それぞれの過程をみ
ていく。
(5)自白への転回過程
ア、逮捕され勾留されて、取調べられること
逮捕・勾留とは、本来、逃亡や証拠隠滅を防ぐための身柄拘束にすぎない。しかし、
の虚偽自白論」を紹介している。
15 浜田・前掲
注( 1) 3 1 頁以下。
16 浜田・前掲
注( 1) 2 8 0 頁以下。
17 浜田・前掲
注( 1) 2 9 2 頁以下。
18 浜田・前掲
注( 1) 4 3 頁以下。
3- 2 6
この過程において、被疑者の心理にはさまざまな問題が生ずる。このような環境下に
おいて、被疑者がいかなる心理的問題を抱えるのか、情報的環境の側面と、人間的環
境の側面から探る。
まずは情報的環境からみてみる。日常生活においてあふれている情報だが、それが
逮捕・勾留などによる環境の激変にあったとき、われわれにどんな影響を及ぼすのだろ
うか。
われわれが前提として知っておかないといけないことは、それまでの生活の流れか
ら遮断され、非日常的な取調べの場で、見ず知らずの取調べ官とのやりとりが繰り返
され、しかもいつ終わるのかさえ、検討もつかないという事態が、被疑者にとってど
ういうものであるかという点である。
人が物事を表現するというのは、ほとんどが他者に向けてのものである。人は他者
と対立し、一人孤立するのを恐れ、他者の判断や意見に影響を受け、それに同調する
というのは、さまざまな実験でも明らかになっていることである19 。
次いで、人間的環境からの隔絶、つまり、人間的対等性の範囲を踏み越えて、支配
−被支配関係が生み出されたときに生じる問題をみてみよう。
被疑者は取調べ官から取調べられる際、様々な生理的苦痛を受ける20 。しかも、その
屈辱に有効な反撃もできないのだ。このような生活全般にわたる支配と侮辱のなかで、
被疑者は取調官へ屈従し、やがて迎合へという心理状況になっていくのは、簡単に読
み取れる。また、周囲の状況が正常なときの「私はやってない」という正常な判断も、
人間的な状況を奪われ、異常な非人間的状況におかれたときには、必ずしも正常なも
のとは言えないのである21 。
イ、否認力動を低減させる要因
否認力動はいかにして減退していくのか、いくつかの契機と考えられるものをあげ、
以下、検討する。
(ア)取調べの場および取調官への反発の緩和
虚偽の自白は取調官の強引な取調べに押し切られて生まれるものではあるが、その
背後には、被疑者・取調官の奇妙な人間関係、信頼関係があるのである。取調べとは、
自白を聴取する者と自白を行う者とが同じ土俵の上に立ってはじめて成り立つという、
19
同調性についての代表的な古典的実験として、ソロモン・アッシュの実験があげられる。
S . E . A s c h , E ff e ct s of g r o u p p r e s s u r e u p o n t h e m o d ifi c a tio n a n d d i st o rti o n of j n d g e m e n t s .
I n E . E . M a c c o by , J. M . N e w c o m b a n d E . L . H a r tl e y E d . , R e a d i n g s i n S o ci al P s y c h o l og y .
( 19 5 8 )
20 東京三弁護士会合同代用監獄調査委員会編『ぬれぎぬ』
(青峰社、 19 8 4 ) 1 2 9 頁以下。
ここで、調査委員会は 3 0 人の冤罪者を対象として、取調べ時にどんな生理的苦痛を味わっ
たか、聞いている。
「大声を出された」
、「休ませてくれなかった」、
「暴力された」
、
「食事を
とらせなかった」など、様々な回答があった。
21 浜田・前掲
注( 1) 3 3 9 頁以下。
3- 2 7
コミュニケーションであって、その結果たる自白は、そのコミュニケーションから生
まれたものといえる。
また、このような「被疑者の反発を和らげる人間関係」を作って、相手を取調べの
土俵の上にのせる方法とは逆で、強引に被疑者の反抗をねじふせ、否も応もなく相手
の土俵に乗る以外にないという心境に陥らせる方法もある。つまり、すがる相手が取
調官だけという孤立無援の取調べの場では、いくら「自分はやってない」と言い募っ
ても、そのまま聞き取ってはもらえない。そこで、相手の視点からみても無実としか
考えられない証拠を突きつけようと、被疑者は取調官の視点に立たざるをえなくなる。
そのようにして取調官の視点と同一化し、その論理において自分の無実が証明できな
いことに気付くのである22 。
(イ)やってない犯行を認めることの非現実感
否認力動に大きな影響を及ぼすと考えられる、自白から予期される結果を防ごうと
いう力はどうなるのであろうか。つまり、自白してしまえば、その結果として、法的
に刑罰が科せられたり、社会的地位を失うなどの社会的制裁があったりするだろうと
予想される。とすると、無実のものならばなおさら、何としても避けようという否認
力動が強く働くはずであると、一般では考えられる。しかし、この点についてもいく
つか検討しなければならない。
自白すれば刑罰を科せられることを知っていながら、あえて嘘の自白をするはずが
ないと一般には思われている。しかし、実際の冤罪事件に照らし合わせた際、これが
とんだ錯覚であることがわかる。取調べの圧力による「現在」の苦痛に対して、ずっ
と先、
「将来」に予想される刑罰に対しては現実感を持てない。裁判になれば、実証で
きるとして、
「現在」の苦痛から逃れてしまおうというのは自然なことなのである。現
に、草加事件で、被疑者として取調べを受けた少年のうちの一人も、逮捕・勾留には期
間の制限があることを知らず、
「いつまでも嘘をついていれば、ずっと留置場から出ら
れないぞ。
」と脅す刑事の言葉を信じざるを得ず、苦痛から逃れようと、否認しつづけ
るのをあきらめたと言っている23 。
社会的制裁についても同様である。他者からどう思われているかという不安から、
無実を証明しようと思うのは当然である。しかし、現実に犯罪を行った者が周囲から
の社会的制裁を恐れる気持ちと、無実の者のそれを比べれば、後者においてその現実
味が薄いというのは、法的刑罰の場合と変わりない。また逮捕によって外界の情報を
遮断され、情報コントロールを受けることになれば、否認力動を弱めることにつなが
るであろう24 。
(ウ)自己の真実を守りたいという衝動の希薄化
22
23
24
浜田・前掲 注( 1) 3 8 0 頁以下。
清水洋「草加事件少年審判の附添人活動」法学セミナー54 7 号
浜田・前掲 注( 1) 4 0 8 頁以下。
3- 2 8
30
頁以下( 2 0 0 0 )。
最後に残るのが、
「自分はやっていない」という真実の衝動である。しかし、これも
被疑者を真犯人と思い込んでいる取調官の前ではほぼ無力である。被疑者がいくら無
実を弁明したとしても取り合ってもらえず、無力感を味わうこととなる。さらに、ア
リバイの空白、記憶の混乱により、弁明さえできなくなる。また、実際には行ってい
なくとも、客観的に事件に責任があると追及されたとき、そのことがひどくこたえ、
否認しようとの抵抗力を奪われることがある。こうして、この否認力動も力を失って
いく25 。
ウ、自白力動を高める要因
前述のように、否認力動が低減されたからといって、それが直ちに、自白へとつな
がるわけではない。やはり、そこには自白力動を高める要因として、いくつかの契機
が存在しているのである。以下、その契機についてみてみる。
(ア)取調べの苦しさの回避
被疑者=有罪という方向へ向かうベクトルが大きい取調べの場において、否認を守
りつづけること自体がいかに大変なことであるか想像できよう。ましてや、そこに代
用監獄26 という制度も手伝って、自己の生活すら自分で決定できず、終わりの見えない
苦しさにあるとき、ここから逃れようとして、自白力動を高める要因となるのである27 。
(イ)否認から予期される不利の回避、自白から予期される利益の追求
取調べにおいて、被疑者=犯人と決めつけ、自白をとろうとする熱意に駆られた取
調官は、否認者に厳しく、また冷たく当たり、自白者にはやさしく、またあたたかく
する。そのような「アメとムチ」は、取調官の主観においてはきわめて自然なことで
あるが、無実の被疑者の心的力動には大きな影響を及ぼしている。また、将来の予期
についても、予期された恐怖を回避し、示唆された希望にすがるため、自白へ傾く力
が強まる。しかし、その将来の予期についての認知は被疑者と取調官でかなりすれち
がう。白紙で考えれば、無実の被疑者は否認する限り有利に、自白する限り不利にな
るはずなのだが、被疑者=犯人と決めつけた取調べの場では、その有利・不利が逆転
し、取調官もそのような説得をする。全く逆の立場にもかかわらず、圧倒的な力関係
の差により、無実の被疑者も、取調官の認識に支配されていく。さらに、取調官が、
自分にかけられた嫌疑を家族や身近な人にまで及ぼそうとするのを恐れるなどといっ
たこともあり、着実に自白へとつながっていくのである28 。
(6)自白の内容展開過程
否認していた無実の被疑者が、自白するとき、その背後には強い力が働いている。つま
25
26
27
28
浜田・前掲 注( 1) 4 3 0 頁以下。
代用監獄については本書・板垣論文を参照。
浜田・前掲 注( 1) 4 5 4 頁以下。
浜田・前掲 注( 1) 4 7 1 頁以下。
3- 2 9
り、その自白は強いられたものである。しかし、単に強制的に言わされただけのものでは
ない。もし仮にそうであったなら、自白内容を自分から展開していくなどということはあ
りえないはずである。あくまで、被疑者が主体性を持ち、犯人となることを選んだのであ
る。彼らは自らを陥れる嘘を自分で考え、しかもそれがばれないように苦労しなければな
らないのである。私たちの日常からすると、到底考えも及ばない、このようなことが、取
調べと言う非日常の中では可能になるのである。
真犯人が嘘をつくのであれば、それは説明すべき事実を承知し、それを犯罪にかかわら
ぬ形で説明しようというものである。ところが、無実の人はその、説明すべき現実そのも
のを知らないのである。しかし、被疑者は「私がやりました」と言った以上、なんとかし
て犯人として自白せざるをえない。そこで、彼らは取調べ官とのやり取りの中からヒント
を見つけ出し、そこから犯行の筋書きをあれこれと想像していくのである29 。
とは言うものの、嘘という虚構が現実を説明するものとして提示される以上、現実と矛
盾を来すようなものであってはならない。そして、それを現実と照合したとき、そのほと
んどは見破られてしまうのである。それなのに、なぜ冤罪事件の虚偽自白の嘘はばれない
のだろうか。
そこには無実の者の虚偽自白における嘘の特異性がある。通常、私たちがイメージする
「嘘」の場合、たとえば、真犯人が自分の犯行を否認するなどがあるが、疑惑をかける側
とかけられる側とで対立的な緊張関係が作られている。つまり、疑惑をかける側、嘘をつ
かれる側は、嘘について絶えず目を光らせているのである。しかし、今取り上げている「嘘」
の場合をみてみよう。取調官は、その職業意識から、逮捕までした被疑者は犯人でなくて
はならないし、犯人として自白してもらわないと職務をまっとうできないかのごとく考え
やすい。そのため、先に述べたような関係は成立せず、見抜けるはずの嘘も見抜けないの
である30 。
5、まとめ
以上のように、虚偽の自白が生み出される過程をみてきた。これまで何度も述べてきた
が、虚偽の自白は単に、取調べる側の強制のみによるものではないのである。そこには、
被疑者の主体性も存在し、生み出されているということを我々は認識しなければならない。
そして、そこには取調べの場という、非日常的環境が大きく関係しているのである。両者
の間に生じる奇妙な関係から、虚偽の自白が生まれ、冤罪事件へとつながっていくのであ
る。
冤罪というのは、警察・検察が日々扱っている事件の中ではごくわずかである。だからと
29
30
東京三弁護士会合同代用監獄調査委員会編・前掲 注(18 ) 1 2 5 頁以下。
浜田・前掲 注( 1) 5 0 6 頁以下。
3- 3 0
言って、全ての事件を「被疑者=真犯人」という目で見ることは絶対に許されない。しか
し、無実の者から自白をとるという現実からして、警察・検察がそのような目を持っている
ということは否定できない。犯行と被疑者とをつなぐ線がまだ曖昧で、嫌疑を裏付ける証
拠がきわめて希薄であるのに、状況的な雰囲気のみで犯人とみなして、別件逮捕などによ
り、強引に行う取調べなどは、まさにその典型とも言えるだろう。
「被疑者≠真犯人」とい
う事件の数が少ないからといっても、取調べを行う者は常に自らを疑う目を持つ必要があ
ろう。
そして、なにより、両者のこのような心理を作り出す、現在の取調べにおける諸制度を、
まさに今、見直していくべきなのである。
虚偽の自白が取調官と被疑者の人間関係の中で形成されるということは、これまでに述
べてきた通りである。そこで、その、自白を生み出す人間的関係を取り除くシステム、具
体的に言うと、被疑者が身柄拘束されてすぐの段階からの弁護人活動が必要であると思う。
現在では、当番弁護士制度31 が確立されてきているが、これを全国的に、刑事裁判における
「常識」として、定着させるべきであろう。ただし、代用監獄という制度が用い続けられ
ている現状では、被疑者をいつでも自分の手元に置いておける捜査側と、小さな個である
弁護人とでは、その力に大きな差があり、代用監獄についても、新たな見直しが必要であ
ろう。
また、虚偽自白が生まれる過程を明確にする意味でも、さらに、取調官に更なる意識を
持たせる意味でも、取調べ過程の可視化は重要である。具体的には、テープへの録音など
である。これらの方法はすでに諸外国で実践されている32 。しかし、これらの国々とわが国
を比較した場合、取調べ時間がかなり違うのも、問題になろう。よって、いかにして取調
べにかける時間を短くしていくかということについても検討していくべきである。
本書・南川論文を参照。
ジョン・ボールドウィン(四宮啓・訳)「警察取調べの録音と警察署における弁護人の役
割」自由と正義 48 号 1 4 頁以下( 1 9 9 7 )。
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