●チェコガラス 津倉家の洋間が増築された ●津倉勘六 「河け塚 江戸屋勘六」「遠州長 のは昭和 10 年(1935)。当時、世界の最高水準 上郡掛塚港 津倉勘六」「遠陽掛塚港 津倉勘 と言われ、「ボヘミアガラス」とも呼ばれたチ 六」。津倉家歴代当主は「津倉勘六」を名乗り ョコスロバキア製の板ガラスが嵌め込まれて ました。 います。 ●伊豆石 伊豆石が掛塚に多く見られるのは、 ●菊と蟹 菊は「華」 、蟹は「甲羅」ですから、 江戸に木材を運んだ帰り船のバランスを保つ 合せて「華甲」。華甲の「華」を分解すると、6 ためのバラストとして伊豆の下田付近で積み つの「十」と 1 つの「一」になり、合計すれば 込まれたため。津倉家の石蔵は、木造 2 階建て 数えで 61 歳を表す「61」になり、 「華甲」は還 で外側に伊豆石を張ってあります。 暦を祝う図柄です。 ●茶室 ●面取り障子 北西角に建てられた茶室は四畳半。天 格子の手前側が面取りされて 井板は、木目に味わいがある杉の板目。天井板 いる障子戸を「面取り障子」と呼びます。縦と を抑える桟木は、細い丸太に山桜の樹皮を巻 横の桟を通しで作らず、1 ブロックごとに組子 き、枝のように見せてあります。 で作られた障子です。 ●○に吉 ●平井顕斎 平井顕斎(1802~56)は、渡辺崋 江戸屋を示す屋号紋は「○に吉」。 貴船神社の文書の中には、袖ヶ浦丸、盛慶丸、 山の門弟で「崋山十哲」と呼ばれる画家の 1 寿丸、津吉丸、宝生丸などの船名が津倉勘六の 人。現在の牧之原市に生まれた地元の画家で 船として登場しています。 す。 ●網代天井 茶室の天井には、一部に杉のヘギ ●山水画 板を編んだ網代を使っています。矢羽根模様が 生ではなく、自らの人生観を山や川の風景に託 趣を感じさせます。 して表現することが多いようです。 大自然の風景を描いた絵ですが、写 ●掛け落とし 床の間や書院窓の正面上の小 ●縦格子 角材を縦方向に並べた南面の格子 壁の下端にある横木のこと。茶室では木肌が美 窓は、外からの視界を遮りながら光をたっぷり しい山桜の枝をそのまま使っています。 と採り入れることができます。この縦格子窓の 商家が軒を連ねていた町並も、掛塚が「小江戸」 と呼ばれた理由の 1 つと思われます。 ●津倉貞三 洋間のピアノの上には、「町長津 ●塵落とし 障子の桟を斜め下向きに組んだ 倉貞三氏」と書かれた肖像写真が。「自昭和十 ものを「塵落とし」と呼びます。こうすれば、 三年十一月八日 至昭和十六年九月十八日」と 埃が溜まらないだろうという粋な仕掛けです。 ありましたので、磐田郡掛塚町の時代です。 ●山住杉 山住神社が鎮座する山では、延享元 ●紅白椿 寒い冬にも艶やかな葉と鮮やかな 年(1744)までの 48 年間に 36 万本もの、スギ 花をつける椿は、古来、生命力の象徴や魔除け やヒノキ大造林が進められ、明治、大正期の東 として庭木として植えられることが多かった 京市場での「山住杉」のブランドは名声を得て 木。紅白 2 本を並べて植えることにより、さら いました。 に縁起の良さを願って植えられたものと思わ れます。 ●大理石 レトロな蛇口が取り付けられた洗 ●ステンドグラス 津倉家のステンドグラス 面台は、大理石で作られています。ハイカラな は、改修時に取り付けられたものと思われま 舶来趣味は、当時の最先端の調度だったので す。和風の座敷に、洋風のステンドグラスは似 す。 合いませんが、文明開化の象徴として和洋折衷 の花が咲きました。 ●両替商 廻船問屋の津倉家は、両替商も営ん ●伊豆石の燈籠 伊豆石には安山岩系(硬質) でいました。両替商とは、金・銀の貨幣交換を と凝灰岩系(軟質)とがあり、燈籠には凝灰岩 する商売ですが、現在の銀行の前身でもありま 系の軟らかい石が使われていますので、風化は した。 かなり進んでいます。 ●ナギの木 ナギの木は、漢字では「梛」 「椥」 ●福田半香 福田半香(1804~64)は渡辺崋山 「竹柏」などと書かれますが、「ナギ」の音が の門弟で「崋山十哲」と呼ばれる画家。半香は 「凪」と同じことから、廻船問屋では海が凪ぐ 現在の磐田市見付出身、遠州画壇の重鎮の 1 ことを願って植えられました。津倉家の庭に 人でした。 は、2 本のナギの木が植えられています。 ●座敷庭 南向きの家では、座敷は西側に造り ●ガス 横浜や銀座の夜を照らしたガス灯を ます。その座敷から見えるように庭を配置した 点す燃料となるガスを、津倉家ではどうやって のが津倉家の座敷庭です。 発生させていたのでしょう?石炭、あるいは重 油を加熱する装置し生したガスを、配管を通し て各部屋に供給していたようです。 ●大黒柱 家の中心に建てられた通し柱の太 ●大黒天 大黒柱の節穴を逆手に取り、その穴 さは 1 尺 5 分(約 32 センチ)、ケヤキの大黒柱。 に象牙の大黒天像を納め、商売繁盛の縁起を担 多くの人の手で磨かれたものと思われ、黒光り ぎました。2 階に上り、この大黒天像を眺める しています。 のは、限られた人だけ。それでも、評判になっ ていたとは思います。 ●和釘 西洋式の鉄の丸釘は、明治初期には普 ●庭木の松 冬でも青々とした葉を付ける松 及し始めたとのことですが、明治 22 年築と言 は長寿の不老象徴。縁起の良さから、庭木とし われる津倉家には和釘が使われています。 て植えられることが多い木です。 ●井戸 ●曽布川藤次郎 天竜川の流れに沿って南北に広がる 地元、掛塚十郎島で生まれた 掛塚の町では、井戸を掘れば美味しい伏流水を 宮大工の曽布川藤次郎は、水窪の山住神社や春 飲むことができました。津倉家の井戸の底から 野の王子製紙気田工場などを建築しました。そ は、今でもきれいな水が湧いているようです。 の藤次郎が建てた民家が津倉家。地元大工が腕 を振るった祭り屋台とともに、掛塚が誇る建築 遺産が津倉家住宅です。 ●月に兎 茶室の丸窓には、ウサギを透明に残 ●鬼瓦の家紋 鬼瓦には、その名の通り鬼の顔 した磨りガラスが嵌め込まれています。丸窓の のほか、火災除けの「水」の字や家紋などを彫 ウサギは、まさに「月に兎」の意匠。秋に招か 刻したものがありますが、津倉家の「桔梗紋」 れた客人の話題になったことでしょう。 の入った鬼瓦は、もちろん特別注文したもので す。 ●模倣暖炉 ハイカラ趣味の洋間が造られた のは昭和 10 年(1935)。暖炉のようなものを造 ったのですが、あくまでも形だけ。流行の先端 として部屋を飾りました。 ●中村不折 中村不折は、夏目漱石作『吾輩は ●ガス灯 我が国に西洋式ガス灯の照明器具 猫である』の挿絵を描いたことでも知られる画 が導入されたのは明治以降。津倉家の階段上に 家であり、書家でもある人。「無我愛」とは、 は、ガス灯が点されていたと思われる真鍮製の 我欲のない真の愛情の意味です。 器具が残り、おそらくここにガラスの火屋(ほ や)が付けられていたのだと思います。 ●銅版画 明治期には、伝統の木版画に代わる 新しい印刷方法として、風景や建物を銅版画で 印刷することが流行りました。再現精度はかな り高く、当時の津倉家の外観を知ることができ ます。 ●欅(けやき)板 ケヤキは木目が出やすい樹 ●提灯箱 家紋入りの提灯箱の中には、やはり 種。1 枚 1 枚趣が違う美しい木目を楽しむのが、 家紋入りの提灯が折り畳まれて収納されてい ケヤキ廊下の贅沢です。 たはず。蝋燭の火に浮かぶ家紋が、夜目にも津 倉家の者であることをはっきりと示しました。 ●組子欄間 伝統的な組子欄間は、建具職人の ●津倉家住宅 廻船問屋を営んでいた津倉家 丁寧な手仕事により作られています。津倉家座 の住宅は、平成 26 年(2014)11 月、所有者の 敷の組子の模様は胡麻柄(ごまがら)。縁起の 津倉幹雄氏から磐田市へと寄付されました。繁 良い図柄です。 栄した掛塚湊の歴史を今に伝える貴重な建物 は、住民の誇りとして後世に伝えていかなくて はなりません。 ●龍泉寺 津倉家の菩提寺は、臨済宗方広寺派 の龍泉寺(りょうせんじ) 。墓石には、家紋の 「桔梗紋」が刻まれています。 ●シノワズリ 当時のヨーロッパで流行った 中国趣向を「シノワズリ」と呼びます。津倉家 の洋間は「シノワズリ」をコンセプトとしたと のことですから、調度には中国製の陶磁器が多 く飾られていたようです。 ●ガラス障子 外気に触れる外障子には、障子 紙ではなく磨りガラスが嵌められています。磨 りガラスを通して見る陽射しは柔らかく、景色 にも一味違う趣を感じます。 ●楢(なら)板 硬くて木目が美しい楢材は高 価な板ですが、薄く加工するのが大変難しく、 廊下や広縁に敷くのは最高の贅沢だったので す。
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