非侵襲的脳波導出技法(ABR・AEP)による魚類の周波数

日本大学学術研究助成金【一般研究(個人)】
非侵襲的脳波導出技法(ABR・AEP)による魚類の周波数弁別能力解明
海洋生物資源科学科
准教授
小島
魚が水中音に対して鋭い感受性を示すことは,古くから知られていたが,こうした
特性を利用して海産哺乳動物の鳴音や魚類の摂餌音を用いて魚を驚愕あるいは誘引す
る刺激源として広く魚群行動制御に応用できないか,についても検討がなされ続けて
きた。水中では光や電気は音に比べて伝搬減衰が大きいことから,減衰が少なく,遠
隔まで到達が可能な物理刺激としての水中音は有効な媒体として考えられる。その一
方で,水中音を刺激として利用するには,感知する側の魚の感受特性についても明ら
かにしなければならない。前述の魚の音に対する感受特性は,周波数別の聴覚閾値測
定(オーディオグラムとも称される)を始めとして,様々な聴覚特性について測定が
行われてきている。ヒトの場合,聴力測定は上述のオーディオグラム測定が主に行わ
れるが,音が聴こえた場合に返答することが出来るため,測定は容易である。一方,
返答をしない動物,特に魚類の聴覚能力測定には様々な工夫がなされてきた。当初は,
音を感知した場合に餌を特定の場所で与えてこれを学習させて条件付けし,放音時に
特定の場所に集魚する行動反応から感知の有無を判定する手法が主として用いられて
いた。その後魚類心電図の導出が可能になり,放音時に電気刺激を魚体に付加するこ
とにより,聴音時の心拍間隔が平常時よりもその間隔が長くなることを利用した,心
拍間隔を指標とする手法が広く行われた。近年では,従来ヒト乳児の聴覚応答を測定
するために用いられていた,聴性脳幹反応(ABR:Auditory Brainstem Response)が魚
類に適用されるようになった。本手法は,頭皮に電極を載せるのみの非侵襲的手法で
あることが特徴であり,条件付けが不要なため,餌付けによる行動習性の学習に数ヶ
月を要したこともあるこれまでの測定に比べ,所要時間が短縮されたばかりでなく,
開頭などの外科的な侵襲に耐えられなかった小型魚やその他の酸素欠乏に弱い魚にも
適用が可能となるなど,近年の魚類聴覚研究においては,汎用的な手法となりつつあ
る。一方ヒトには,ある周波数の純音を聴く基本的な能力があるばかりでなく,他人
の音声の音色が違うことや,音楽を聴いたり,複雑に周波数成分が混ざった合成音を
認識することができる。こうした能力には合成音を弁別する能力,すなわち音に含ま
れる周波数成分を聴き分ける能力が必要であるとされているが,動物にもこのような
能力が備わっていることが,Fay(1992)のキンギョを用いて行った研究で明らかにされ
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隆人
ている。
本研究は,わが国の主要な養殖対象魚であり,これまで未解明な部分の多かったブ
リ(Seriola quinqueradiata)およびマダイ(Pagrus major)の基本的な聴覚能力として
のオーディオグラムの ABR 技法による測定,および同技法により導出される脳波の解
析による,周波数弁別能力推定を試みることを目的とした。
実験装置および方法
1.
聴覚閾値の測定
供試魚にはブリ稚魚 14 尾(平均尾叉長 21.2 cm, 体重 118 g)およびマダイ稚魚 18
尾(16.0 cm, 95 g) を用いた。筋弛緩剤(Gallamine triethiodide, WAKO)0.05 % 溶液を
0.05 ml 腹腔内に注入して不動化後,プラスチック製のタブ内(25 * 37* 13 cm)で供試
魚を固定した。直径 1 mm の銀線を,電気的ノイズ混入を防ぐためにポリエチレンチューブで
被覆し,その先端部のみを剥がしたものを電極とし,関極を両眼中央部付近,不関極
をその約 5 mm 前方の頭皮上に載せた。電極接地部には湿らせたキムワイプの小片(1 *
1 cm)を置いた。頭皮から導出される微小な電位は生体電気アンプ(MEG1200,日本光
電)で増幅し,A/D 変換データ収集装置(NR500,Keyence)でパソコンへと伝送した。一
方,供試魚に与える放音は,音圧と周波数をファンクションシンセサイザ(1915, NF
回路設計)およびオーディオアンプで調整し,供試魚の上方約 60 cm に設置したスピー
カより行った。ABR は,頭皮上からの間接的な導出法であるため,ノイズの混入が多
い。したがって,可能な限り短い音波を数多く放音して,その際導出された電位を平
滑化する必要がある。そこで,本研究における放音は 10 cycle の波形を計 800 回繰り
返し,導出電位を同時に記録してパソコンで加算平均処理を行った。測定周波数範囲
は 100 Hz~2000 Hz とし,各周波数における放音は 120 dB から 4 dB ずつ音圧を減
じていき,ABR 波形に感知が見られなくなる音圧まで放音を続けた。閾値は,聴こえ
る限界の音圧と定義し,測定を行った。
2.
周波数弁別能力の測定
魚類の内耳小嚢や中枢,あるいは頭皮から導出される ABR などの聴性電位には放音
波の 2 倍周波数成分が含まれることが知られている。前述したように,Fay(1992)は
合成音による条件付けを行って弁別能力の測定を行ったが,ここでは ABR 波形に含ま
れる放音波の 2 倍周波数成分を指標として,魚が異なる周波数を別個に認識している
か否かを判断した。供試魚にはマダイ稚魚 5 尾(尾叉長 16 cm,体重 86 g)を用いた。
実験装置および供試魚頭皮からの ABR の導出過程は「1.聴覚閾値測定」と同様である。
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実験 1.では純音(単一周波数音)を用いたが,ここでは 160 Hz~720 Hz の範囲の 2
周波数を合成した波形を作成して放音を 300 回繰り返して行い,導出された電位を加
算平均した ABR 波形をさらに FFT(高速フーリエ変換)によって周波数分析した。
結果
1.ABR によって測定したブリおよびマダイの聴覚閾値
聴覚閾値の測定結果から得られたオーディオグラムは,ブリは 200 Hz,マダイでは
300 Hz における閾値が最も低い,すなわち感受性が最も高い周波数であることを示し
た。両魚種とも鰾と内耳とを機構的に連結するウエーバー小骨を持たない非骨鰾類で
あるため,骨鰾類のキンギョやコイなどより聴覚能力に劣る魚種であるとされるが,
ブリのオーディオグラムにおける閾値の低い範囲がマダイよりやや狭いことから,同
じ非骨鰾類でもその周波数特性が異なることが予想される。
2.
マダイの周波数弁別能力
合成音に含まれる低周波数側成分の認識は,音圧が高音圧になるほど,あるいは 2
成分の周波数差が大きくなるほど強くなっているのに対して,高周波数成分は,音圧
の高低,あるいは 2 成分の周波数差に関わらず認識が低周波成分に比べて劣っている
ことを示している。すなわちマダイは,和音(=合成音)を聴く際に低周波数成分の
影響を強く受けているものと考えられる。このような特性が,マダイの聴覚能力が 200
Hz において最も優れるという事実に影響されたものであるのか,ヒトの蝸牛管のよう
な周波数弁別機構を内耳に持たない魚類の特徴であるのか,は未だ不明である。
本研究では,ブリおよびマダイの聴覚能力を測定する実験を行った。その結果,ブ
リとマダイからは概ね類似したオーディオグラムが得られたが,ブリが感知に優れる
周波数帯域はマダイよりもさらに狭いことが明らかとなった。ただし,高感知域以外
の周波数でも聴こえない訳ではなく,音圧を大きくすることで感知は可能である。音
響刺激を用いて生簀内のブリの行動および生理をコントロールする際の音種を選定す
るに当たって,有効な周波数帯域が限られる可能性を示唆している。さらにマダイの
周波数弁別能力に関する実験結果より,2 周波数が合成されると低周波数側の音を主
に聴いていることが示されたが,マダイとほぼ類似したオーディオグラムが得られた
ブリにおいても同様の特性を示すことが予想される。したがって,例えば,海産哺乳
動物などの鳴音を模した人工的に合成した音を威嚇音として利用する時には,合成音
に含まれる低周波数成分によって,本来は威嚇効果を持つかもしれない高周波数成分
の音が覆い隠される効果をもたらすことも考えられる。さらに側線による水粒子変位
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に対する感受性も影響すると考えられる。ABR 技法による水粒子変位の感受性測定は,
軟骨魚類を用いて端緒についたばかりであり,今後硬骨魚類の側線感覚が ABR によっ
て測定可能か,についても明らかにされるべきであろう。本研究は魚がどのような音
を感知可能か,という問題に焦点を当てたが,どのような音に対して快あるいは不快
感を示すのかについても併せて調べることで,養殖魚の生理状態に及ぼす効果のある
音を選定することが可能となるであろう。
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