はじめに - 出版文化国際交流会

はじめに
社団法人出版文化国際交流会はアジア文化交流出版会として 1953 年 10 月 29 日に発足いた
しました。その背景には、アジアの国々が日本の出版物の入手を希望していたこと、また日本が
近隣諸国と真の理解を得るため、出版文化の交流を必要としていたことが挙げられます。当初は
その名称と目的通り、中国、台湾、東南アジアとの交流が行われました。
しかし、
発足 3 年後の 1956 年 5 月 30 日、
急速な国際交流の気運に対応するため発展的に解散、
三笠宮崇仁親王殿下を名誉会長に迎え、出版文化国際交流会を設立いたしました。その後は、ア
ジア地域に限定せず、世界各国での日本図書展の開催や国際ブックフェアへの参加を行ってきま
した。
1987 年には、それまでの活動が実を結び、外務省、国際交流基金、本会による「国際ブックフェ
ア参加プロジェクト」に対する国家助成が、国際交流基金の助成事業の一環として予算化されま
した。現在の「東京国際ブックフェア」も当時はまだ国内に限定された「東京ブックフェア」で
あった中、他国の国際ブックフェアを正しく把握し、日本のブックフェアの国際化を図ることは
出版界の課題でした。その一助となればという想いから、出張者の報告書を収めた『世界の国際
ブックフェア 現場からの報告 No.1』は発行されました。
今号より年度ごとの収録とし、今回の No.17 には、2008 年度派遣専門家の報告書を掲載いた
しました。2008 年度は、ブエノスアイレス、ボゴタ、ブダペスト、プラハ、テヘラン、ソウル、
ワルシャワ、東京、サンパウロ、フランクフルト、ベオグラード、モスクワ、ビリニュス ( 会期順 )
の計 13 件の国際ブックフェアに参加いたしました。
本誌では、このうち派遣専門家が視察したプラハ、ソウル、ワルシャワ、サンパウロ、フラン
クフルト、モスクワに加え、東京、ビリニュスの国際ブックフェアの模様をお伝えいたします。
ちなみに、ボゴタ、サンパウロ、ベオグラードでは日本がゲスト国として招かれました。
今や「国際ブックフェア参加プロジェクト」開始時と隔世の感があり、グローバリゼーション
という言葉も聞かれなくなったほど、世界は密接になりました。金融危機の余波しかりですが、
このような波乱の時代にあってこそ、
更なる相互理解が必要とされているのではないでしょうか。
本会発足当初、
「他国との真の理解を得るには文化交流が重要であり、それには出版文化の交
流が最も適切である」と言われました。本誌にて、各国での出版を通した文化交流の模様をお届
けできれば幸いです。
2009 年 4 月
社団法人 出版文化国際交流会
会長 江 草 忠 敬
はじめに 目次
1. 第 14 回ブックワールド・プラハ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5
平井 公子 [ ㈱武蔵野美術大学出版局 編集主幹代理 ]
2. 第 14 回ソウル国際ブックフェア・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18
梶原 千歳 [( 社 ) 出版文化国際交流会 事務局 ]
3. 第 53 回ワルシャワ国際ブックフェア・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25
落合 祥堯 [ 大阪大学出版会 編集部 ]
4. 第 15 回東京国際ブックフェア・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 36
梶原 千歳 [( 社 ) 出版文化国際交流会 事務局 ]
5. 特別寄稿 「第 15 回東京国際ブックフェア」に参加して・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 42
ガビヤ・ズカウスキエネ [ 駐日リトアニア共和国大使館 文化担当官 ]
6. 第 20 回サンパウロ国際ブックフェア・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 44
栗田 明子 [ ㈱日本著作権輸出センター 取締役会長 ]
7. 第 60 回フランクフルト・ブックフェア・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 55
梶原 千歳 [( 社 ) 出版文化国際交流会 事務局 ]
8. 第 10 回ノン / フィクション国際ブックフェア・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 63
三吉 勇己 [ ㈱トーハン 海外事業部 ]
9. 第 10 回ビリニュス国際ブックフェア・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 72
江草 忠敬 [( 社 ) 出版文化国際交流会 会長、㈱有斐閣 会長 ]
目次
第 14 回ブックワールド・プラハ
名 称
Book World Prague
14th International Book Fair and Literary Festival
会 期
2008 年 4 月 24 日 ( 木 ) ~ 27 日 ( 日 )
入場時間
9:30 ~ 19:30( 最終日は 9:30 ~ 16:00)
会 場
Palace of Industry, Prague Exhibition Grounds( 工業宮殿 )
展示面積
3,260㎡
主 催
Association of Czech Booksellers and Publishers
運 営
Svet knihy, s.o.r.[Book World], SCKN company
テ ー マ
Love and Passion in Literature( 文学における愛と情熱 )
Lifestyle and the Book
Egypt - 50 years of Czech Egyptology
Literature in Spanish from the countries of Latin America
出 展 数
385(206 ブース )
参 加 国
36 カ国 / 地域
アイスランド、アイルランド、アルゼンチン、イギリス、イスラエル、
インド、ウエールズ、エジプト、エストニア、オーストリア、カタ
ロニア、ギリシア、コスタリカ、スイス、スペイン、スロバキア、
スロベニア、台湾、チリ、ドイツ、トルコ、バスク、ハンガリー、
フランス、ペルー、ベルギー ( フランダース、ブリュッセル、ワロン )、
ポーランド、ポルトガル、マルタ、メキシコ、ラトビア、リトアニア、
ルーマニア、ロシア、日本 ( アルゼンチン、インドは初参加国 )
ゲスト国
スペイン
入 場 者
34,500 人 (professional visitors: 810)
昨年は 30,000 人
入 場 料
24 日 ( 木 ): 120 コロナ
25 日 ( 金 )、26 日 ( 土 ): 100 コロナ
27 日 ( 日 ): 50 コロナ
6 ~ 18 歳・学生・シニア : 50 コロナ
( 両親の付き添いがある 15 歳以下の子どもは無料 )
(1 コロナ=約 7 円 )
報告 : 平井 公子 [ ㈱武蔵野美術大学出版局 編集主幹代理 ]
チェコ 2 回目の参加となる日本
ブックワールド・プラハに、国際交流基金と出版文化国際交流会 (PACE) の共催による日本ブー
スが参加するのは 2 回目である。昨年、初参加のおりには法政大学出版局の古川真氏が派遣専
門家として活躍され、その様子は氏による緻密な報告書からご存知の方も多いだろう。
2 回目を迎える今年、小さな美術大学出版局の編集者である私が派遣されることになったが、
東京ブックフェアしか体験したことのない者がお役にたてるものか、はなはだ不安な気持を抱い
てプラハに向かうことになった。よほど頼りない顔をしていたのか、PACE 石川専務理事に「あ
なたの仕事は、無事に行って無事に帰ってくることですよ」とにこやかに諭されての出発となっ
た。
アール・ヌーボー様式の会場
会場は昨年とおなじく「工業宮殿 ( イン
ダストリアル・パレス )」と呼ばれる 1891
年に建てられた鉄骨とステンドグラスの美
しい万博パヴィリオン。美大で建築史をか
じった者ならば、この建物の外観と内観を
すぐにイメージできるほど有名な建築で、
終日ここにいられるとは、学生時代には想
像すらできなかった幸福である。
プラハを訪れるのは私にとっては 2 度目。
「アール・ヌーボー期の建築をみたいならば、
パリよりもプラハに行かなければ」という
( 会場となった工業宮殿 )
建築史の先生のひとことで、1989 年 10 月末、ウィーン、ブダペスト、プラハへの旅に出た。
初めてのプラハは、息をひそめるかのように静かな、美しい街であった。私が滞在した 10 日
後には、この街で 10 万人規模のデモがはじまり、チェコは社会主義から資本主義へと大きな転
換をはかったのであるから、
まさに革命前夜。初冬のプラハは寒く、灯りが少なくたいへん暗かっ
た。午後 3 時をすぎると商店は電気をつける前に店を閉めてしまうようで、暗くなって心細くなっ
てくると書店の灯りが頼もしく見える。なにしろ気楽に入れる唯一の場所が本屋さん。チェコ語
は読めないのに、どうしても気になる犬の絵本を買うと、珍しく丁寧にプレゼント用に包んでく
れたのも思い出のひとつだ(数年後、
『ダーシェンカ』というタイトルで翻訳が出た。そこで初
めてチャペック作であることを知った)
。
石川専務理事のおすすめもあり、今回の出発直前に国立国会図書館国際子ども図書館「チェコ
への扉 子どもの本の世界」展 ( 上野 ) に出かけ、19 年前のプラハの書店の雰囲気をはからずも
思い出した。また、この展覧会で Albatoros( アルバトロス ) という出版社名を覚え、ぜひブック
ワールドで探してみようとメモをとった。
チェコ
変わらないのは本屋だけ?
ウィーンを経由してプラハに到着したのは 4 月 22 日 ( 火曜日 ) 夜 9 時。夜分にもかかわらず
在チェコ日本大使館の眞下真由美さんが空港に迎えに来てくださった。
翌 23 日の午後 2 時までが自由になる時間である。朝になると飛び出すようにトラム ( 路面電
車 ) でまずはカレル橋へ。春のよく晴れた空はどこまでも青い。中世への入口のように暗く、寒々
としていたカレル橋はどこへいったのだろう。
広場にはカフェが色とりどりのパラソルをならべ、
ここはまるで知らない国のようだ。たしか、このあたりに本屋さんが……少しも変わらないたた
ずまいの、この書店のなんと煤けて見えることか。あんなに安堵感をもたらした書店が、いまや
街の明るさを苦々しくみつめているようで、なんとなく可笑しい。
それにしても観光客の姿が多い。ガイドブックや地図を手に、物珍しげに見回す人々に埋没す
るようにプラハを歩くとは!と思いながら、数年前に開館したキュビスム博物館へ。キュビスム
建築がいくつも見られるのもプラハの楽しみであるが、最近ではこうした建物を修復し、記念館
や美術館にしているようだ。ここは 1912 年、ヨセフ・ゴチャールの設計。1 階のミュージアム
ショップをのぞくのも楽しい。小さな家具やグッズとともに並べている本は数こそ多くないが、
私にはおもしろい本ばかり。つい数冊を購入。簡素なデザインの大きな紙袋にポンと本を入れて
くれた。なんというサービスの良さだろうと、ここでまた驚いてしまったのだが、大きな紙袋が
貴重品だった時代はとっくに終わっている ( しかし通貨は、EU に加盟後の現在も依然として「コ
ロナ」である )。
さらに足をのばして、チェコ建築協会直営の書店 Fraktaly へ。このあたりの情報は、『プラハ
アート案内』( エスクァィア マガジン ジャパン 2006 年 ) によるものだ。半地下のこの書店は薄
暗くて見づらいなぁと思いながらも、しばらくすると居心地がよくなってしまい、イスに座りこ
んで読めもしないチェコ語のページを繰る。すっかり自分の任務を忘れていた!午後 2 時には
搬入が始まることに気づき、あわててホテルにいったん戻った。
18 平方メートルの日本ブース
宿泊先のホテルからブックワールド会場へは歩いて 15 分、トラムならば 2 駅という近さであ
る。
何も並べられていないブースはひろく感じたのだが、在チェコ日本大使館のドライバー、現地
スタッフの男性
3 人が日本から送られた 19 箱を運び入れると、狭い「国土」をたちまち実感する。カレル大
学の学生 4 人、眞下さんと私、総勢 9 人で本を並べてゆく。展示する書籍総数は 391 冊、以下
のような構成である。
・英文版図書
237 冊
( 文学 19、日本語教材 32、人文 43、産業 1、芸術 37、伝統 72、写真 17、児童 15)
・日本語版辞典類
8冊
・日本語版児童書
17 冊
チェコ ・コミック
54 冊
・Japanese Book News No.53-54 掲載図書
32 冊
・日本語版写真集
43 冊
昨年の経験のある人たちが中心となり、
人気のありそうな本は手に取りやすく見や
すい位置に、そうでないものは下の方に、
と作業は手際よくすすめられた。最後に、
日本から持参した兜のタピスリーを中央に
かざり、予定よりはやく 4 時半に準備完了。
日本ブースは間口が約 6 メートル、奥行
き ( 側面 ) が約 3 メートルという細長いか
たちをしている。展示はいわゆる面陳(め
んちん)と呼ばれる形式、A4 サイズが 4 冊
並べられる棚が 3 段ある ( この棚はあと 10
( 開会日前日、スタンド設営を終えて )
センチずつ下げて、4 段にしたほうが良いのではないかと思った )。いちばん下は幅の狭い台に
なっているので、ここには本棚のように背を見せて並べることもできる。ブース内部の様子をご
紹介しておきたい。
ブースにむかって左手側のいちばん手前は絵本を中心に子ども用の本、左手中央の壁面は和食
関係、左手側 3 番目は風景写真集、左奥の左は庭園と茶室関係、左奥の右は、武道と書道と浮世絵、
そのとなりの小さな黒いボックスには百科事典など。このボックス脇の更衣室を隔てて、右奥の
壁面には工芸や家具、渋い内容ながら人気のありそうなものを並べた。
こんどは右手側から、いちばん手前の上段はチェコ語訳された小説類と英語版の日本紹介 ( 観
光案内 )、インテリア写真集。右手中央はマンガ・コーナー、右手側 3 番目は日本語学習関係。
床の上に段ボール箱を置いて、白い布をかけて陳列台のようにして小型の本を置いているのは、
昨年、考え出された方策という。
つまり、約 1 メートル幅のパネル 9 枚で構成されている。391 冊をこのスペースに並べるの
は困難であり、選書は多くの方のご苦労のうえでなされたと思うのだが、スペースと書籍数のバ
ランスは今後の大きな課題であるように感じた。来月 (5 月 ) には、この書籍がワルシャワへと
巡回するとのこと、規模の違いがわからないが、ワルシャワでの印象をぜひお聞きしたいと思う。
伝説のビアホール「黄金の虎」
会場準備が早めにすみ、大使館にもどるという眞下さんについてゆき、甲斐哲朗公使、藤岡康
恵さんにご挨拶をする。さて、早めの夕食をということで、藤岡さん、眞下さんに通称〈くまの
店〉に案内していただく。
プラハ出張が決まったとたん、わが同僚が「これを読んでいかねば!」と貸してくれたのが千
チェコ
野栄一『ビールと古本のプラハ』( 白水社 1997 年 )。共産主義時代にチェコに学んだ言語学者
の千野先生によれば、プラハでいちばん美味しいビールが飲めるのは U zlateho tygra( 黄金の虎 )
という旧市街のフス通りにある店だという。この店はただのビアホールではなく、あらゆること
が不自由な時代にあっても、つねに自由な討論が交わされていた聖域と呼ぶべき場所であり、と
ても一見の客が入れるような店ではない……憧れの店です……と話すと、藤岡さんが「行ってみ
ましょう。あそこのビールは、ほんとうに美味しい! 8 時だから座れるかもしれないし」。眞下
さんも「女性が 2、3 人ならば、きっと誰かが詰めて座らせてくれますよ。千野先生のときとは
時代が違いますから!」
。
その店の中をちょっとのぞいて見るだけでもいいと思って行ってみると、眞下さんのいうとお
り、入口にちかい席のおじさまがたがベンチ席をぐっと詰めてくれた。運ばれてきたビールがい
かに美味しいかを語るのは愚鈍だろうが、こんなに馨しいビールは初めてだ。感激のあまり無口
になってしまう。
席を詰めてくれた人は私たちが日本人だと知ると、日本の歌をぜひ教えてくれと懇願する。
「カエルの歌」をお礼がわりに伝授すると、ラブ・ソングでなければダメだという。藤岡さんが
「嫁にこないか」を唄うと、そっくりの音程で即座にマスターしてしまった。チェコの離婚率は
70%、再婚率もたかいというので、もしかしたらお役にたつ日がくるのかもしれない。
各国ブースをみて歩く
すっかりプラハを堪能した翌 24 日 ( 木曜日 )、ブックワールドは晴天のもとに幕をあけた。9
時半に開場、10 時のセレモニーをへた会場の様子は、専門家が多いと聞いていたが、むしろ年
配のお客様の姿ばかりが目立つ。
現地でアンケートによる声を持ち帰るのは重要な「任務」である。昨年、古川さんはアンケー
トを記入した人に福引きをひいてもらい、はずれの人には飴を、あたりの人には法政大学のグッ
ズを用意したところ、
たいへんな人気で 200 枚以上のアンケートを集める結果となった。今年も、
昨年の福引きを利用し、はずれの人にはペロペロ・キャンデーにおりがみのカブトをつけたもの、
あたりには大学出版部協会 45 周年記念のボールペンやシャープペン、ムサビ(武蔵野美術大学)
のスケッチブックを用意したのだが、あのおばあちゃま、さっきも来た人ではないかしらん、あ、
また来てる!というわけで、まずはじっくりと本を見てくれた方に個別にアンケートをお願いす
る方式にあらためることにした ( その結果、今年のアンケート総数は 136 枚 )。
今年も会場は大きく 3 つに分かれており、ミドル・ホールは各国のブースが並ぶ国際展示場
とでもいうべき会場、その両翼の会場にチェコの書店が軒をならべている。それぞれの会場に
theatre と呼ばれる催事場があり、
50 分単位でぎっしりとプログラムが組まれている。
『源氏物語』
のチェコ語全訳という偉業をされたカレル・フィアラ教授の講演は 27 日 ( 日曜日 ) に行われた。
ここでいくつか目立つブースをご案内したい。まずはミドル・ホールの玄関口に位置するゲス
ト国であるスペイン。日本の約 5 倍のスペースは、マスタード系の黄色を主としながら赤でア
クセントをきかせ、アテンダントの制服を黒で統一してシックな印象にまとめているが、展示の
チェコ 数々は今回のテーマ「愛と情熱」とすぐに
は結びつかない。もちろん、チェコ語訳ス
ペイン文学作品の数々はこのテーマにぴた
りと添っているようだった。
スペインにつぐゆったりとしたスロバキ
ア。木目調の書架や家具類は、まるで小さ
な図書館のようで居心地がよさそうだ。ス
ロバキアからは「今年の 11 月のブラチス
ラバ図書展に、ぜひ日本ブースを出してく
ださい」との要請があった。今年の出展は
決定済みなので、いまからでは難しいと思
( テーマ国、スペインのブース )
うが、次年度以降の検討とさせてくださいとご返事した。
じつにうまいなぁ、
と感じさせるのはフランス系。スペインの 3 分 2 程度の正方形の敷地スペー
スに黒い絨毯を敷き詰め、壁面はまぶしいようなピンク。意外なことにこの派手なピンクは、本
を展示してもうるさくない。大人の雰囲気を漂わせるピンクづかいは流石、床に大きなテントウ
ムシや人形のクッションを置いた壁面には子ども用の絵本を配するなど、演出もうまい。
日本とほぼ同面積ながら、正方形のポルトガルは、なかなか凝ったつくり。スペースの雰囲気
優先らしく、展示している本の数は少ないが、小ささを生かしたデザイン・コンセプトはお見事。
床に段ボール箱を置いてクロスをかけ、少しでも多くの本を見せようと努力するわがブースとは
正反対である。
日本ブースは小さいほうではあるが、台
湾やイスラエル、アルゼンチン ( 初参加国 )
よりは大きく、最も小さなハンガリーの倍
近くもある。なによりも、ミドル・ホール
の真ん中の角地にあり、左翼会場への出入
口のわきという立地条件は最高だ。小さい
がゆえに、いつも人でいっぱいの賑やかな
ブースに見える。人が少なくなってきたなぁ
というところで、おりがみを始めるとどん
どん人が集まって……おりがみ効果は抜群
である。
( 盛況の日本ブース、写真は 3 日目の様子 )
日本ブースのすぐ裏手には、
「Exhibition of Czech Erotic Prints」というチェコのエロティック
な挿絵の系譜を歴史パネルで説明しながら、書籍展示をしているコーナーがあり、ここを見にき
た人がついでに寄ってくれるということもあったようだ。この展示をみて妙に感心してしまった
のは「1948 年から 89 年にかけては、この手の本は出版されなかった」とあっさりと説明され
ていたことで、禁じられた時代こそ何かあったはずなどと思うのは平和な日本人だけだろうか。
10 チェコ
チェコの芸術系大学出版部
チェコの大学出版部はカレル大学に代表され、古川さんが昨年のレポートで詳しく報告してい
る。ブックワールド右翼会場では、カレル大学出版部ブースと少し離れて、小さな大学出版部が
集合して出展しているブースがあり、芸術系大学出版部である「AMU Press」にようやく出会う。
眞下さんに通訳をお願いしながら、代表の Marie Kratochvilova 教授にお話をうかがうことが
できた。 「AMU」は Academy of Performing Arts in Prague の略称で、音楽、ダンス、ドラマ、
映画、テレビ、マルチメディアを専門とする大学である。日本でいうと、音大 + 美大 + 演劇科
というイメージにちかいだろうか。
AMU Press は 15 年前に創立、現在 230 冊を市販している。スタッフは Kratochvilova 教授の
ほかに、広報、テクニック、印刷担当の 4 人。編集はすべて外部スタッフに任せており、年間
15 冊程度を刊行しているそうだ。音楽論や演劇史など、カタログや展示をみるかぎりでは文字
中心が多く、舞台美術関係の本でも図版は小さく控えめである。つくりの凝った写真集もなく、
実質的な教科書を中心としているようだった。最小発行部数は 300 部とのこと。
芸術系大学出版部としては、Vysoka skola umelecko-prumyslova v Praze(プラハ工芸大学)
という美大が母体となる「VSUP」があるのだが、今回のブックワールドには参加していないと
のこと。日本にいるときにもっと下調べをしてから来るべきであったと大いに反省した。しかし、
たいへん幸運なことに 25 日 ( 金曜日 ) に甲斐公使邸にお招きいただいた際に、プラハ工芸大学
副学長 Filip Suchomel 教授にお目にかかることができた。
お会いするなり Suchomel 教授「先週、ムサビに行ったんですよ。小松誠先生に会うためです。
ムサビとうちの大学で交換留学ができるといいと思いましてね」。すべらかな日本語に驚いてい
ると、Suchomel 先生は陶芸がご専門で、日本の陶磁器調査研究のために佐賀にながくおられた
ことがあるとのこと。
「VSUP」では専属編集者 4 人をかかえ、通信教育課程 ( 実技ではなく美術史 ) の教科書作成も
行っているという。弊社にとても近い組織であり、プラハにいる間に「VSUP」の編集者に会え
なかったのは残念だったが、交換留学が実現すれば「VSUP」とわが「MAUP (Musa-shino Art
University Press)」との距離も縮まり、あらたな展開を期待できるのではないかと思う。
チェコと絵本と子どもたち
日本ブースにおける記念すべき最初の質問は老婦人による「人形についての本はないのかし
ら?たとえばこけしは?」
。残念ながら人形に関する本は今回なかった。チェコは人形劇が盛ん
な国で、専用の国立劇場があるお国柄。来年は、こけしはもちろん、文楽関係の本も展示できま
すように。質問に応対してくれるカレル大学の学生アテンダントおふたりの通訳ぶりは見事なば
かりか、爽やかな笑顔には会期中ずっと助けられた。
午後になって、慣れてきたアテンダントさんに日本ブースを任せてチェコの本屋が軒をならべ
る左翼会場をぶらぶらしていると、
家庭で楽しめる紙人形とマリオネット劇場を売る店があった。
前回も、今回も、マリオネットを見る時間がないのが残念だが、こんど来るときのお楽しみにし
チェコ 11
よう。
では、上野の展覧会で興味をもったアル
バトロスはどのようなブースを出している
だろう。ガイドブックをみると、左翼会場
の奥まったところに、ずいぶんと広いスペー
スを占めているようだ。現場を見てみると、
書籍売り場の裏手にキッズ・コーナーとい
うべき場を設けて、子どもたちが自由に絵
を描いてそれを展示している。
「お母さんは
むこうで本を見てくるから、その間、ここ
で絵を描いていてね」と言い聞かされてい
る子もいる。アルバトロスは絵本だけの出
( アルバトロスのキッズ・コーナー )
版社ではないようだが、なんともわくわくする楽しい空間をここにつくりだしている。こうした
エネルギーは、この会場にとどまらず、おそらく本作りにそのまま反映されているのだろう。
おや、こんな乗り物を会場に持ち込んでいる子どもがいる。大人と一緒になって本をのぞいて
いる後ろ姿はご愛敬、東京ブックフェアでこんなほほえましい光景は見ることができない。
3 日目の土曜日になるといっそう子ども
の姿が目立ってくる。日本から持ってきた
古新聞でカブトを作って、通りがかりの子
どもたちにつぎつぎとかぶせて記念撮影。
ベビーのパパは会場のカフェの経営者だっ
たようで、このあとすぐに「さっきはあり
がとう!」と言って、ライムやフレッシュ・
バジルがたっぷり入ったモヒートを 5 杯も
配達してくれた。アテンダントの学生と「日
本の古新聞は役にたつ!」と称えながら遠
慮なくご馳走になった。
( 新聞カブトでポーズ )
この雰囲気からお察しいただけるように、ブックワールド・プラハは企業が妍を競うビジネ
スの場というよりも、地元の人たちが毎年の開催を楽しみにしているイヴェントとしての性格
が強い。赤ちゃんを抱っこして、あるいは乳母車をひいて日本ブースに立ち寄り、熱心に本を
みてくれた若いお母さんの姿は、東京ブックフェアでは想像ができない。帰国してから Final
Press Release を見ると、
入場者 34,500 に対して「professional visitors 810」と発表されていた。
98%が一般来場者ということだ。
そして日本ブース最年少の読者の姿。こんな小さな読者のために幼児用の小さなイスを 1、2
脚おくだけで、
「日本ブースは小さなお子さんを歓迎します」というサインになる。来年から可
愛らしい日本製の幼児イスをブースに置いてみませんか?
12 チェコ
人気のトップは「スシ」「おりがみ」
2 日目の朝、日本ブースの本を丁寧に見ていた男性が、チョコレート色の文字が印刷されたハ
ガキを鞄からとりだして、本のタイトルなどをせっせと記入している。この用紙は会場のビジネ
スセンターに備え付けてあり、必要事項を記入して持って行くと翻訳相談などにのってくれるの
だという。日本ブースにも備え付けておいたほうがいいよ、とのアドヴァイスがあり、さっそく
準備したのだが、この用紙に目をつけたのは私の知る限りでは高校生の双子姉妹のみ。この愛ら
しい姉妹は TSUKEMONO (Shufunotomo) に目を輝かせ、自分たちで梅干しをぜひ作りたいのだ
と言って、一生懸命に作り方を暗記していた。
日本のイメージが「ゲイシャ、フジヤマ、テンプラ」であったのはひと昔も前のこと、いま ( の
プラハ ) では「スシ、おりがみ、マンガ」となるようだ。
「スシ」は料理を作るための本というよりは、グラフィカルで、見て楽しめる、かなり豪華な
写真集タイプが人気で、買いたいという人だけではなく、出版したいという要望があったほどだ。
日本人の私が見るとかえって凝りすぎという印象の Complete Book of Sushi (Tuttle) に人気が集
まっていた。
もう 1 冊、買いたいという希望が集中したのが Japanese Foods that Heal (Tuttle)。レシピ集
というよりは、具体的な食品をあげて、日本の食文化に言及するタイプで、ある程度、日本食を
知っている健康志向の人たちの興味をそそったようだ。
そしておりがみ人気は聞きしにまさる状
況である。ブックワールド 2 日目の金曜日、
在チェコ日本大使館に 28 年間おつとめさ
れたコトラジョーヴァーさんによるおりが
みワークショップは、子どもからお年寄り
まで大人気。もちろんワークショップの後
は「おりがみの本はどこで買えますか?」
という質問が殺到する。できるだけ平易な
子ども向け「初心者用」と、もっと難易度
の高いものに挑戦したい「上級者用」の両
タイプをおりがみとセットで買えるように
( コトラさんのおりがみ )
してあげると喜ばれるにちがいない。チェコの本屋さんで、この期間だけでもいいから、おりが
みの本を扱ってくれないものだろうか。
昨年、メガブックスという大型書店の仕入れ担当者が日本の書籍に興味をもってくれたものの、
今年も販売にはいたらなかった。数ある日本の展示書籍から、何を仕入れるべきなのかが分から
ないのも原因ではないだろうか。そこで、いつも会場を元気に飛び回り、会うたびに「何でも相
談してね」と言ってくださる主催者のおひとりであるカリノヴァーさん (Ms. Dana Kalinova) に、
日本ブースで展示する本を数冊で良いから売ってもらう方法が何かないだろうかと相談してみ
た。
彼女は「うちの受付で扱ってもいいけれど、フランクフルトのシマダに頼めば仕入れてくれて、
チェコ 13
ここですぐ買えるように出店してくれると思う。それがいいんじゃないかしら?」とのこと。う
まくいくかどうかわからないが、来年は早めにカリノヴァーさんに相談し、具体的な推薦図書を
数冊あげておくことで販路がひらけるのではないだろうか。
日本で暮らす者はいとも簡単に「アマゾンで買えばいい」と思うが、チェコの一般家庭でネッ
トショッピングはまだ普及しておらず、手数料が加算されてかなり高い買い物になってしまうと
いう現状がある。
プラハの直前にブダペストのブックフェアを視察した八ッ橋愛子さん ( 国際交流基金 ) によれ
ば、ブダペストでは Central European University(CEU) の書店をはじめ、いくつかのブースで日
本関係の書籍が販売されていたとのこと。事前に日本ブースや大使館、国際交流基金ブダペスト
事務所と協議があったわけではなく、独自に仕入れられたものらしく、日本ブースでの展示図書
と同じものもあれば、そうでないものもあり、主に講談社インターナショナルの本が十数種並ん
でいたそうだ。
「日本の本が買いたかった」と残念がる来場者に気づいた CEU が、日本ブースに
CEU のチラシを置かせて欲しいと言ってこられたそうで、プラハでもこうしたことが実現でき
ればどんなに喜ばれるだろう!ブダペストではブックフェア期間中だけでなく、普段からこうし
た日本関係の本が書店で購入できること、また、CEU が私立大学で比較的資金が潤沢であるこ
とが予想でき、国際的な教育に力を入れていることも大きいようだ、と八ッ橋さんからうかがっ
た。
スシを超えて
9 枚の壁面展示パネルで来場者の期待すべてに応えることはとうていできない相談であるが、
アートやデザイン系の書籍が少ないように感じた。たとえばグラフィックデザイン、ファッショ
ン、現代美術を紹介する書籍の見あたらないのは寂しいことだなぁ、と ( 職業柄 ) 思っていると、
カレル大学の図書館司書という人から、日本で刊行される全書籍のデータを Web 上で定期的に
手に入れる方法はないかと聞かれた。
PACE で発行されている「Books from Japan」などの資料をさしあげたが、大学出版部協会で
つくっている英語ヴァージョンの図書案内はどのように利用されているのだろう。世界各地の日
本語専攻のある大きな大学に定期的に発信するようなサービスをしてもいいかもしれない。
この司書の方が「うちの図書館でぜひ買います」とメモをしていたのは A History of Japanese
Religion (Kosei)。後日、
プラハ国際図書館司書の方もこれを「購入したい」と言っておられた。「ス
シ、おりがみ」にとどまらない読者がいるのは頼もしいことで、そういう人の要望にも応える展
示は実に難しいことをあらためて感じた。
アンケートの詳細についてはこの報告書の末尾に添付するが、回答者のうち図書館関係者は
10%に満たない ( 研究者にいたっては 0.6% )。しかし、思想・宗教に関心がある人は 30 人 (22% )
におよび、この割合は「歴史」と同列である。
アンケートの項目に「購入したいと思った本はどれですか ?」という設問を増やしてはどうだ
ろう。関心ある分野に「芸術」
「文化」をあげた人がそれぞれ 59%に上っているが、もっと細分
14 チェコ
化して「造園」
「盆栽」
「建築」
「インテリア」
「浮世絵」
「グラフィックデザイン」
「プロダクト(イ
ンダストリアル)デザイン」
「ファッション」
「着物」
「写真」
「映画」
「伝統行事」
「伝統工芸」
「武
道」
「茶室・茶道」
「華道 ( 生け花 )」
「書道」
「おりがみ」
「和食」
「観光」など列記したほうが、チェ
コの人々のリクエストにより応えやすくなるように思った。
アンケート総数 136 に書かれた感想のほとんどは「購入したかった」「もっと広いと良かった
ですね」という好意的な回答である。わけても若い人たちには熱烈な日本ファンがいるのを感じ
る。しかし 50 代の、いわゆる目利き世代からは「全体の印象が薄い」「専門性の高い本は!?」
という意見が出ており、
スシとおりがみ人気に頼っていられないことを忘れてはならないだろう。
マンガ人気に応えるには?
展示準備をしているときに、アテンダントのトマーシュ君がやや難しい顔で「今年はマンガが
少ないですね。こういう『おたんこナース』みたいな日本語の多いものではなく、この『ゲド戦
記』のように、文字は少なくてもストーリーの展開が楽しめるようなマンガが望ましいと思いま
す」と言っていた。
日本アニメに触発されて、日本語の勉強をはじめる若者「アニメ世代」が、チェコではどうや
ら想像以上に多いようだ。トマーシュ君は昨年の日本語弁論大会の優勝者、大学に入ってから 3
年間で謙譲語まで使いこなす秀才である。
「召し上がれ」とお菓子をすすめると「平井さん、命
令形はよくないですよ」と注意してくれる彼に、日本語を勉強するきっかけを聞いてみると、そ
れまでの自信に満ちた表情をがらりと変えて恥ずかしそうに「『クレヨンしんちゃん』のアニメ」
と 21 歳らしい顔をのぞかせた。
会場でマンガを熱心に立ち読みしているのは 10 代後半の世代ばかりだ。そして彼らは一様に、
無条件に「日本が大好き!」と言ってくれる貴重な日本ファンである。
テレビアニメ以外でマンガ(書籍)を初めて会場で手にする若者には、トマーシュ君の意見の
ように文字が少なく絵で楽しめるマンガを置きたいし、一方、アンケートにはっきりと「ジブリ
以外の、
まだ海外での紹介がされていないような作品を展示して欲しい」とする立派な「おたく」
の声もあった。両方に応えるのは難題ではあるが、この両者の要望をかなえるのは、どの分野の
本を選ぶかを考えるよりもはるかにたやすく、しかも若者へのアピールがより効果的といえるの
ではないだろうか ( アンケートによると、マンガに興味があるのは 10%にすぎないが )。
最新情報を伝えるために雑誌を!
3 日目、とびきりオシャレな刺繍をほどこしたショート・ブーツをはいた 20 代女性が熱心に
建築関係の写真集を見ている。スカートはバルーン型、全体に地味な色を上手に着こなしている。
チェコの人かしら。トマーシュ君に「チェコ語であの女の子に、ステキなブーツですね、どこで
買ったのって聞いてくれない?」とお願いする。
「え、そんなこと知らない人に聞きませんよ」と抵抗するトマーシュ君。「あら、東京ではいき
チェコ 15
なり聞くわよ」
「ここはプラハです。平井さんが自分で聞いてください」「いいえ、チェコ語で話
しかけたいの。さ、はやく聞いて!これは命令形よ!」。
しぶしぶとトマーシュ君がたずねると、ににこにこしながらその女の子は「このブーツは 7 年
前にプラハで手に入れたもので、でも一般には売っていなくて、じつは私はスタイリストなんで
す」と教えてくれた。
ははぁ、以後、ちょっとオシャレで、熱心に建築やインテリアの写真集を見ている人に「失礼
ですが、どんなお仕事ですか?」と聞くと、たいてい雑誌の編集者(記者)であった。アンケー
トに「出版関係」と書く彼らは、ネタあつめに各ブースを見て回っているようだ。
それならば、日本から最新の雑誌があれば喜ばれるはずだ。壁面パネルのひとつを雑誌専用に
して 10 冊の雑誌をならべるとしたら何がいいだろう。
・総合婦人雑誌
『婦人画報』または『ミセス』『家庭画報』など、『和楽』
・建築系
『新建築』
『住宅建築』
・アート系
『美術手帖』
『芸術新潮』『デザインの現場』『high fashion』
・料理など
『きょうの料理』
『dancyu』や『東京人』
思いつくだけでも簡単に 10 冊を越えてしまうが、雑誌を持って行けるならば、最新号の月刊誌、
発行月をそろえる (4 月号ならば全部 4 月号にそろえる ) ことによって、その時の日本があぶり
出されて面白いだろう。他国ブースでも類例はないので、画期的ではないだろうか。
プラスαのチラシづくり
スペイン・ブースの制服を着た女性が英語で「こんにちは。私の弟が日本語を勉強しているの
だけれど、なにか日本語で読めるパンフレットをもらえませんか?」とやってきた。はいはい、
と答えてさがしたのだが、パンフレットはいずれも英語で日本の出版社情報を記載したものばか
り。
「パンフレットはないんだけど、これは日本の新聞で、ここが文化面、こっちがスポーツ、こ
れは広告面。読むとけっこう面白いと思うんだけど」とカブト用の古新聞をあげると「弟はまだ
日本の本物の新聞をみたことがないからきっと喜ぶわ!」と帰っていった。そのあと私がスペイ
ン・ブースを通りかかると「さっき弟に新聞をくれた人ですね!」といって、スペインのブック
ワールド宣伝用 T シャツをプレゼントしてくれた ( 古新聞はほんとうに役にたつ )。
偶然通りかかった人もいるが、このブースを訪れる多くの人は日本あるいは日本語に興味のあ
る人たちである。そういう人たちに、
コピー印刷でいいから日本語 ( ルビつき ) で書かれた「ブッ
クワールド速報」のようなものが配布できるといいのではないかと思った。内容は展示する本の
紹介をからめて、料理レシピや、歴史あるいは観光案内なども良いだろう。
在チェコ日本大使館では、毎年、日本文化を紹介するパンフレットを作成しているそうで、今
年は会席料理の特集であった。カラーで作成されたパンフレットは、会席料理の説明と、いくつ
かのレシピがチェコ語で紹介されており、もちろん人気が高く、あっという間になくなってしま
う。チェコ語版は日本大使館におまかせして、ブックワールドならではの日本ブース・チラシを
16 チェコ
作りたくなってしまった。
プラハでの 7 日間
ブックワールドでの 4 日間、準備などを含めて 1 週間をプラハで過ごした。在チェコ日本大
使館の眞下さんはもちろんのこと、
藤岡さん、
佐藤知咲さん、そしてご自宅にお招きくださり、フィ
アラ先生やプラハ工芸大学 Suchomel 先生をご紹介くださった甲斐公使ご夫妻に、あらためて御
礼を申し上げます。
また、日本ブースを明るくもりたててくれたばかりか、やっかいな私の頼み事をいつも笑顔で
引き受けてくれたカレル大学のトマーシュ・バルタル君、ハナ・ドゥシャーコバーさん、リンダ・
ホレイショフスカーさん、ヴェロニカ・ベダーニョヴァーさん。「おりがみの先生」コトラジョ
ヴァーさんにはチェコの生活習慣についてうかがうこともできました。日本ブースの連日の盛況
は皆さんのご尽力のおかげです。
こうした方々との出会い、あらたな経験を授けてくださった出版文化国際交流会石川晴彦専務
理事、さまざまな準備をしてくださった横手多仁男事務局長、国際交流基金の諸永京子さん、免
田征子さん、高畑律子さん、八ッ橋愛子さん、そして大学出版部協会山口雅己理事長に心からの
感謝をささげます。どうもありがとうございました。
チェコ 17
第 14 回ソウル国際ブックフェア
名 称
14th Seoul International Book Fair
会 期
2008 年 5 月 14 日 ( 水 ) ~ 18 日 ( 日 )
入場時間
10:00 ~ 19:00
会 場
COEX( 韓国総合展示場 )
展示面積
14,733㎡
主 催
ソウル国際ブックフェア実行委員会、大韓出版文化協会
出 展 数
韓国 : 347 社、419 ブース
外国 : 157 社、54 ブース (25 カ国 / 地域 )
中国 : 107 社、83 ブース
International Book Arts Fair: 44 社、73 ブース (10 カ国 / 地域 )
その他 : 19 社、116 ブース
合計 : 674 社 (28 カ国 / 地域 )、745 ブース
参 加 国
28 カ国 / 地域
アメリカ、イギリス、イスラエル、インド、インドネシア、韓国、
サウジアラビア、シンガポール、スペイン、タイ、中国、ドイツ、
トルコ、ノルウェー、パキスタン、フィリピン、ブラジル、フランス、
ブルネイ、ベトナム、ベルギー、香港、マレーシア、ラオス、日本
など ( ブース出展がないライツ・センター登録のみの国も含む )
テーマ国
中国
入 場 者
205,423 人
入 場 料
無料 ( 会場入り口にて登録が必要 )
報告 : 梶原 千歳 [( 社 ) 出版文化国際交流会 事務局 ]
はじめに
例年 6 月に開催されるソウル国際ブックフェアだが、今年は IPA( 国際出版連合 ) 大会が 5 月
12 日~ 15 日に行われ、ブックフェアもこれに合わせて 5 月 14 日~ 18 日の会期となった。こ
のため、日本からは実務担当者ばかりでなく、出版界のトップが大勢現地へ赴いた。来年は日本
がブックフェアのテーマ国に決定しているため、その下見を兼ねる出張者も多かったのではない
か。本会からは、石川晴彦専務理事、落合博康事務局次長と私の 3 名で参加した。
成田空港からソウル仁川空港へは 2 時間少々のフライト。そこから KAL リムジンバスに乗ると、
市内へは 1 時間で到着する。あまりの近さに海外という実感もない。飛行機は、成田-仁川の他、
18 韓国
羽田-金浦もあり、市内に近い金浦空港には地下鉄が乗り入れている。ソウル中心部を十字に走
るメイン通りの道幅は広く、高層ビルが林立する。ビルは巨大だが、超高層ではないためか、ソ
ウルの空は東京のそれよりも広く感じられる。ただ晴れの日も少し霞んで見えるのは、中国から
運ばれる黄砂のためだろう。
再開発が急ピッチで進められるソウルでは、街中のいたる所で更地や工事現場に出くわす。以
前は、屋台や食堂が軒を連ねていたそうだ。このような路地裏が最新の高層ビルに姿を変える。
オフィス街はビル一色、食事の不便さや下町の風情を惜しむ声も。しかし、取り壊しを待つ営業
停止のホテルなどが目につき、まだまだ開発は続く。
開会式
例年通り、ブックフェアの開幕は会場入
口正面にて関係者が一列に並び、韓国語と
英語で列席者が紹介され、スピーチはなし
という開会式で始まった。時間は午前 10
時開場後の 11 時。36 名の出席があり、中
央 3 名は文化体育観光部 ( 日本の文部科学
省に相当 ) キム・ジャンシル第一次官、IPA
アナ・カバネーリャス会長、大韓出版文化
協会ペク・ソッキ会長であった。11 時 15
分には、テーマ国である中国パビリオンへ
関係者一同が移動。もちろん多数のメディ
( ブース紹介、メディアに囲まれて )
アも。パビリオン内に設置されたミニ講演スペースで、何やらスピーチがなされているが、通訳
なしの中国語のみ。その後、
会場視察となり、
日本ブース ( 本会と国際交流基金の共催 ) へはキム・
ジャンシル第一次官が立ち寄られた。限られた時間の中、石川専務理事が、日本の出展経緯を説
明。93 年と 94 年、海外招待国の一カ国として出展した日本は、翌年ソウル・ブックフェアか
らソウル国際ブックフェアと改められてからも毎年参加している。ブースでは、日韓相互理解の
ため日本で出版された韓国関連書、韓国で出版された日本関連書を合わせて展示しているとの説
明には大変感心されていた。
ブックフェア概要
ソウルには東西を横断する漢江という川が流れている。中心部はその北に位置し、川を渡った
南側にはブックフェア会場の COEX やロッテワールドがある。COEX と略称される Convention
and Exhibition Center( 韓国総合展示場 ) の地下にはモールが広がり、レストランやショップ、映
画館や水族館を併設する一大複合施設である。
ブックフェア会場は、太平洋館とその半分以下ほどであるインド洋館の 2 つに連なっている。
韓国 19
同時期に開催された IPA 大会 ( テーマ : 共通の未来における多様性 ) は同施設の別館で行われて
いた。インド洋館は児童書をメインにし、明るく色とりどりのブースが目立つ。太平洋館には、
一般書の出版社の出展を始め、中国パビリオン、ブックアート・フェア、デジタル出版フェア、
韓国出版社の共同ブース、ライツ・センター、海外エリアがある。日本はこの海外エリアに出展
しており、タイ、マレーシア、ラオスなど他のアジア諸国は共同でブースを構えていた。目を引
いたのは、太平洋館の一角にキリスト教の出版社が 9 社集っていたこと。国内にはプロテスタ
ントの信者が 20%あり、それにカトリックの 7.4%を加えると、仏教の 25%を凌ぐ。街中にも
多くの教会があった。
ソウル国際ブックフェアでは、版権売買も行われているが、読書推進を目的とする一般向けフェ
アとしての特徴が強い。学校は課外活動の一環に据え、土曜日にはたくさんの中高生が訪れた。
宿題として感想文の提出があるそうだ。どの社も割引販売を行っており、特に児童書のインド洋
館で盛んだ。社によって 10 ~ 75%オフを実施。2,000 ウォン (200 円 ) 均一や 3,000 ウォン (300
円 ) 均一、平台にある本やぬり絵、ポスター等どれでも 5 点で 10,000 ウォン (1,000 円 ) という
のもある。児童書の定価は 8,500 ウォン (850 円 ) 前後が多い。太平洋館に出展する『ローマ人
の物語』( 塩野七生著 ) の翻訳出版で有名なハンギル社は、新刊は 10%オフ、それ以外は 30%
オフだった。ちなみに、新刊とは出版されて 18 カ月以内とのこと。他社も見てみると、おおよ
そ単行本の価格は 1 万ウォン前後。中には 3 万、4 万ウォンもある。日本ブースのアテンダン
トの大学生にいくらまでの本なら買うかと聞いてみたところ、1.5 ~ 2 万ウォン程度と言う。で
もお金がないのでまずは図書館で借りる、もしくは書店で欲しい本を見つけたらその場では買わ
ずに、10 ~ 30%オフで購入できるネット書店で注文するとのこと。なかなか堅実だ。
会期中のイベント数は 62、
主にサイン会や作家による講演会であった。また、読書推進セミナー
も開かれた。太平洋館には、幸福な朝の読書 ( 非営利法人 ) と本を読む社会づくり国民運動 ( 市
民団体 ) という 2 つの読書推進機構が出展し、日頃の活動を紹介。前者は、2005 年に創設され、
全国に朝の 10 分間読書を広める。日本と同じように韓国でも「朝読」が根付いているようだ。
他の機構では、韓国文学翻訳院のブースが目立ち、各国語に翻訳された韓国文学が並ぶ。翻訳出
版助成や作家・翻訳家のための研修プログラムを行っており、国際交流基金のような役割だ。
韓国の出版
大韓出版文化協会によると、2007 年の発行点数は 53,225 点、前年を 7,704 点上回った。う
ち、12,231 点は海外図書の翻訳であり、全体の 23%を占める。日本の翻訳が最多数の 4,555 点、
これに次ぐのはアメリカの 3,782 点だ。
近年は、
セルフヘルプと呼ばれる自助本や経済、ビジネス、金融投資、語学などに人気がある。
『出
版ニュース』1 月下旬号に掲載された舘野晳氏の海外出版レポートによると、この背景には、非
正規雇用により低賃金で働き、生活や人生設計に不安を抱える 20 代の若者の増加や、財政面で
老後に不安を覚える 30 ~ 40 代が実用書を競って買い求めていることにあるという。これ以外に、
特に若い女性を対象とする書籍が増えている。また、日本のフィクションのベストセラーはすで
20 韓国
に確立された市場となった。年間ベストセラーランキングでは、トップ 30 の 16 を翻訳書が占め、
3 年連続して翻訳書が過半数を占める結果となっている。しかし、長らく伸び悩んでいた韓国文
学も、昨年は新人作家が台頭し、映画やテレビドラマシリーズが拍車を掛けた歴史小説ブームが
起こった。
パジュ出版都市
20 年の歳月が費やされ、昨年第 1 段階
の建設が完成したパジュ出版都市。ソウル
市内から車で約 1 時間、田んぼや山が見え
てくると、突然その景色のなかに現代的な
建築物が現れる。100 あまりの出版社、印
刷・製本・デザイン会社、流通センターが
集中する文化共同体だ。現在の総面積は約
87.5 万㎡、自由路という漢江に沿う道路に
4,500m にわたって面している。敷地内に
はホテルや住宅も有し、1991 年には 16 万
だった人口が 2007 年には 30 万を超えた。
( パジュ出版都市、写真はほんの一部 )
このブック・シティを案内して下さったのは、日韓の出版事情に大変詳しいムン・ヨンジュ氏と
初期からプロジェクトに携わり大韓出版文化協会の事務局長も務められたイ・ドゥヨン氏 (Meta
Books 現社長 )。出版都市文化財団の事務局やイベントホール、食堂、レストラン、ギャラリー
が入っているメインの建物の玄関には、全長 5m ほどある出版都市の模型が置かれているが、ム
ン氏によると、これはまだ第 1 段階分に過ぎないとのこと。第 2 段階では映画関連、第 3 段階
では放送・通信関連都市の建設を構想しており、将来的には総合メディアシティとなる。公式発
表ではないが、この一大プロジェクトにパジュが選ばれた一因には、南北統一の際には中心地に
当たることが挙げられる。
案内して下さった両氏の取り計らいにより、出版都市文化財団のイ・キウン理事長にお会いする
ことができた。同理事長は、ヨルファダン社という美術系の出版社社長も務められており、パジュ
にある同社を訪問した。パジュの建物はどれも現代的、新進気鋭の各国デザイナーによるが、理事
長の出版社も例外に漏れず斬新だ。1 階はショーウィンドー、2 階は編集などの事務室、3 階は社
長室兼住まいになっている。大きな窓からパジュ出版都市が見渡せるリビングにて、お話を伺った。
1988 年にたった 7 人で始まったこのプロジェクトは、まず政府を説得することから始まったとい
う。先人から受け継いだ義理の精神を重んじ、
共有できるものは共有し、
お互いに助け合うという
「共
同性の実践」が理念にあった。パジュでは国際フォーラムなども開かれており、韓国出版の拠点と
してばかりでなく、アジア出版文化センターとしての機能が目指される。全くのゼロから始まった
一大計画。理事長は、21 世紀を迎える前夜をここで過ごし、窓越しに暗くまだ閑散とした都市を
眺めながら、未来のために何が残せるか自問したと言う。歴史は記録という言葉が印象的だった。
韓国 21
キム・ヨン社訪問
本会評議員の舘野晳氏に 3 月に行われた本会の懇親会にて、キム・ヨン社のカン・オクスン
Director をご紹介して頂いた。多分野にわたる出版を手掛け、韓国でも有名な出版社だ。ブック
フェアにも目を引く大きなブースを構えており、人気のマンガ「食客」シリーズを中央に展示し
てあった。韓国料理を題材にした韓流「美味んぼ」だ。すでに日本の大手出版社から引き合いが
あり、日本国内の店頭に見かける日も近いかもしれない。
ブックフェアが終了した翌日、会社訪問をさせて頂いた。市内北部の静かな住宅地に位置する
キム・ヨン社は、注意していないと通り過ぎてしまうような、一見すると大きな家だ。通りに面
しているが、入口は坂を上った 2 階。グリーンを基調にした室内やロビー横に設けられたウッ
ドテラスなど、会社という印象を受けない。社長は女性、創立は 19 年前だ。韓国出版界では女
性が 8 割を占めるそうだが、この社も多くが女性。パジュ出版都市にも社を持ち、そこは児童
書専門となっている。年間発行点数は 300 点。社内を案内して下さったのは、日本語が堪能な
ムン・ジョンシク氏。本社 1 階は総務、2 階はロビーやミーティングに使用され、3 階は編集室
やデザイン室などの事務所、4 階には社長室と小さな野外シアターがある。その上には、見晴ら
しの良い平屋の伝統家屋があり、会議や作家のための執筆部屋として使われている。ムン氏の担
当は、文学の編集。最近の傾向を伺うと、日本文学ブームはすでに時を経て定着し、今は中国や
スペインが人気なのだそう。中国はオリンピックを控え注目が増しているのかと思いきや、韓国
人は新しもの好きという解釈の方が的を射ているそうだ。
テーマ国
今年初めて設けられたテーマ国には中国が選ばれた。主催は国有企業の中国図書輸出入 ( 集団 )
総公司と中国出版集団公司。会場入口を入ってすぐの正面に、白を基調とした 600㎡のパビリ
オンが設置された。パビリオン内には、円形のインフォメーション・カウンター、その裏には大
スクリーンが設置されたミニ講演会場、そして隣にセミナー・ルームと中国文化や歴史をテーマ
ごとにパネルと書籍で紹介する展示スペースがある。これが総面積の約 3 分の 1 を占め、残り
は 23 の出版グループより 88 社が出展する
共同展示スペースとなっている。総出展数
は 15,000 点。ほとんどの書籍は中国語だが、
その中には、韓国語に加え、英語や日本語
で帯が付けられたものもあり、来場者への
配慮がなされている。共同スペースでは、
販売する社もあれば非売のところも。水曜
日から 5 日間の日程で行われたブックフェ
アだが、販売は後半となる金曜日から始め
るという社もあった。ちなみに価格を聞い
てみると、35 元 (1 元を 15 円と換算する
22 韓国
( 中国パビリオンのインフォメーション )
と 525 円 ) の技術系の本は 6,000 ウォン (600 円 ) で販売され、また、別の社の 20 元 (300 円 )
の歴史本は、20,000 ウォン (2,000 円 ) ということだった。後者は特に販売価格を決めておらず、
その場で考えて答えたという感じを受けた。このように、販売については様々な対応だ。
中国パビリオンでは 28 のイベントがあり、中国語の授業、出版記念会やサイン会、中・韓の
作家の討論会が開かれた。中国からは、
ベストセラー作家のトップスリーのうち 2 名が来場した。
また 4 つの講演会が市内で催された。ブックフェアでは、パビリオンの他、インド洋館に 150
㎡の中国画・書道展が特設され、土日には展示作品の販売が行われた。
話に聞いて納得したのだが、中国パビリオン、よくよく見るとイメージカラーの赤を全く使っ
ていない。中国の国旗は赤、韓国は白。パビリオンは白一色。壁面に施された巨大なオリンピッ
クのロゴマークは、上から 1 枚白紙が貼られたかのような薄い色である。聖火リレーで過熱し
た反中感情を刺激しないためかとも思われたが、パビリオン設計はずっと以前だったはず。どち
らにしろ、韓国への同調が読み取られる。
四川省で大地震が起こったのは、5 月 12 日。ブックフェア開催の前々日であった。日に日に
大惨事の全容が明らかになっていく。中国パビリオンでは、特別な反応はなかった。しかし、こ
ういう時こそフェア主催者が率先して救援金を集うべきではないかという意見を聞き、国際ブッ
クフェアという場を別の視点で見るきっかけとなった。
日本ブース
国際交流基金と本会の共催により設置された 36㎡ (3 × 12) のブースには、今年も1万年堂出
版と教保文庫が参加した。単独ブース出展は、日本書籍出版協会、トーハン、文藝春秋、ポプラ社。
日本書籍出版協会は、来年の日本年に備え、初参加となった。本会ブースには、新しく「ポラナ
ビ」
、
「女性の本」
「大人の本」コーナーを設置。「ポラナビ」とは、国際交流基金ソウル日本文化
センターにより今年創設された「今後一層の活躍が期待される韓国の若手・中堅の著者・翻訳者
を顕彰する制度」で、同基金のシンボルマークである紫の蝶を意味する。対象となるのは、韓国
で出版された日本関連図書と日本の図書の韓国語訳書。第 1 回目の募集分野は「エッセイ、伝記、
評論」であった。受賞したのは、
『イメージ
の帝国 : 日本列島の上のアニメーション』
(キ
ム・ジュニャン著、図書出版ハンナレ刊 )。
「ポラナビ」展示コーナーでは、受賞作に
加え、候補作 10 点も展示された。この他、
計 501 点を展示。詳細は次の通り。人文・
社会 107 点、大人の本 69 点、文芸 60 点、
伝統・文化 58 点、女性の本 51 点、韓国関
連 46 点、絵本 42 点、日本語 25 点、デザ
イン 17 点、漫画 11 点、音楽 8 点、映画 7
点。女性の来場者や子供連れが多いことを
( 左手前は教保文庫スペース )
韓国 23
考慮し、絵本や新設コーナーがメインとなる展示となった。
以前から現地の大手書店である教保文庫の協力により、ブースでの販売を行っている。しかし、
これまで展示図書に関しては販売を行っていなかった。来場者からの購入希望は絶えず、これに
応えるため、今回初めて展示図書の販売を試みた。教保文庫に販売を任せ、売れた図書はフェア
終了後に補充してもらうという形を取った。したがって、展示後の図書は欠けることなく、これ
まで通り、しかるべき現地の機関に寄贈される。ブースでは、全品 2 割引で販売。販売図書の 9
割が日本書籍、1 割が韓国書籍という結果になり、予想以上の日本書人気であった。ちなみに、
売上は昨年の 3 倍を記録した。
日本ブースへの来場者、今年は客層が様変わりした。これまでは、日本語教育を受けた流暢な
日本語を話す年配の方が多かったが、今年は、若者がほとんどであった。中高生が多数来場する
土曜日には、日本ブースも彼らで一杯。オープンと同時に、ブースへ駆けてくる姿には、アテン
ダント一同驚いた。ブースで回収したアンケートでは、10 代と 20 代の回答者が半数を占めた。
アンケート結果 ( 計 132 名 ) によると、特に興味のある分野には、旅行、料理、日本語、ライフ
スタイル、実用書、絵本、文学、イラスト、雑誌が挙げられた。また展示点数の満足度に関しては、
十分という回答が僅差で不十分を上回った。開会前日のブース設営時には、点数が多過ぎて棚に
飾りきれず、
段ボールを台代わりにびっしりと展示した。それでもまだ足りないという声を聞き、
いかに韓国で日本書が普及しているかを目の当たりにした。市内にある教保文庫の書店には、日
本書コーナーがあり、ベストセラーの文芸書やリアルタイムの雑誌、「店のイチオシ」文庫など、
豊富な図書が揃っている。担当者は、更に売場を拡大したいと言う。ちなみに、平台に大きくス
ペースが割かれていたのは、
日本の大手書店の品揃えを凌ぐ手芸関係の本やムック。編み物やソー
イングなど、
センスのいいデザインと日本語が読めなくても理解できる図説が好評なのだそうだ。
ブックフェアで図書のボリューム、分野の多様性が求められることにも納得だ。
来年のソウル国際ブックフェア、テーマ国にはすでに日本が決定している。今回の会期中、日
本書籍出版協会の樋口清一氏と本会の石川専務理事と共に国際交流基金ソウル日本文化センター
を訪ね、十河俊輔日本語日本研究部長、キム・ヨンシン同研究部学術交流チーム長、チョン・ジュ
リ文化情報交流部文化情報室主任司書と「日本年」に関する意見交換の時間を持つことができた。
日本文化や日本書籍がすでに浸透している韓国、目の肥えた来場者にどうアピールできるのか。
本会の出展、協力のより良い形を考えていきたい。来年は、5 月 13 日 ( 水 ) ~ 17 日 ( 日 ) の開
催が予定されている。
24 韓国
第 53 回ワルシャワ国際ブックフェア
名 称
53rd Warsaw International Book Fair
会 期
2008 年 5 月 15 日 ( 木 ) ~ 18 日 ( 日 )
会 場
Palace of Culture and Science( 文化科学宮殿 )
展示面積
3,300㎡
主 催
ARS POLONA S.A.
出 展 数
600 社以上 ( 約 240 ブース )
参 加 国
30 カ国 / 地域
参 加 国
アメリカ、イギリス、インド、ウクライナ、チェコ、台湾、ドイツ、
フランス、ルーマニア、ロシア、日本など
ゲスト国
イスラエル
入 場 者
約 45,000 人
報告 : 落合 祥堯 [ 大阪大学出版会 編集部 ]
5 月 13 日 ( 火 ) ワルシャワ到着
ドイツのフランクフルト空港から 1 時間
半の飛行、ポーランドはどこまでも平野が
広がっていた。左前方にワルシャワの町が
見え、開会 2 日前の夕方、ワルシャワ・オ
ケンチェ国際空港着 ( 時差 8 時間 )、日本大
使館の田島晃さんが迎えにきてくれていた。
車で 20 分、会場になる文化科学宮殿を下
見する。スターリン時代にソ連がワルシャ
ワ市民への贈り物として建てた巨大建築物
で、37 階 建 て、 総 部 屋 数 3,200 と い う。
( 会場の文化科学宮殿 )
市内のどこからでも目につき、威風堂々と聳え立っている。回廊式に連なる展示室は、天井が高
く広い。この両側にブースが並ぶのだ。いまは閑散として薄暗い。
ホテル (Hotel Campanile) に荷物を置いたあと、近くのレストランで田島さんの説明を聞き、
明日からの仕事の打ち合わせを行う。
ワルシャワ・ブックフェアに日本が国際交流基金 (The Japan Foundation) と出版文化国際交流
会 (PACE) の共催を得て参加するのは 4 年ぶりだという。実は去年も参加したのだが、それは大
使館が独自に、ポーランドで出版されている日本関連書籍を出版社の好意で貸してもらって出展
ポーランド 25
したブースで、出品点数は 100 冊ほどだった。今年は両団体の協力で、日本から 400 冊の本と
たくさんの資料を送ってもらい、人 ( つまり私 ) も呼んだ。去年の手ごたえをみて本格的に参加
することにしたという。日本・ポーランドのさまざまな分野の交流に日本大使館は熱心で、今度
のブックフェアはその一環として位置づけされているとのことである。
400 冊の本は日本で集めたものだが、日本から直接送られたのではなく、4 月にチェコで開か
れた 14 回プラハ国際図書展に展示された本がこちらに送られてきた。会期が終わったあと、何
冊かは日本大使館の広報文化センターで利用し、残りはしかるべきところに寄贈される。
雑談のなかで田島さんは、去年 2007 年に両国の国交回復 50 周年を祝い、ポーランド国民の
対日感情は大変良好であると言われた。大国に翻弄された歴史をもつポーランド人は、極東の小
国日本が日露戦争でロシアに勝ち、近代化を成し遂げたことで日本びいきが多いらしい。また、
ロシアの帝政時代に独立運動でシベリアに送られてそこに住みついたポーランド人政治犯の子弟
を、1920 年代初頭に日本赤十字が援助救済したことは今でも市民から感謝されており、そのお
返しに、阪神・淡路大震災の被災児童約 60 人をポーランドに招いて歓待したという ( 私はこの
事実を知らなかった )。 打ち合わせがすんだあと田島さんは、
「お疲れのところすみませんがもう一カ所付き合ってく
ださい」と言って、すぐ近くにある日本・ポーランド情報工科大学に案内してくれた。この大学
は日本の技術協力で建てられ、優秀な情報専門家が巣立っているという。日本の援助が実をあげ
ているのはうれしいことだ。
お別れしたのは 9 時近く、そろそろ夜が迫っていた ( これが白夜なのだ )。ホテルはワルシャ
ワ中央駅のひとつ西側の駅 (Warzawa Dchota) のすぐそばにあるのだが、この時間でまばらな人
通りは日本では考えられないことだ。
5 月 14 日 ( 水 ) ブースを作る。開会式出席
会場までゆっくり歩いて 20 分。トラムやバスを利用することもできる。文化宮殿とワルシャ
ワ中央駅は広場をはさんで隣接しているが、宮殿近辺は公園の緑に囲まれ、市民の憩いの場所に
なっている。
正面玄関や 1 階受け付けはフェアを知らせる大きな看板や案内板の設置中で、各ブースもたく
さんの男女が棚を作ったり本を運んだりしている。まだ人影の見えないブースもある。会場は 1
階と 4 階を占め、日本ブースは 4 階のセクター D・406 番、18㎡の広さ。午後 1 時に大使館の
浅野優さんはじめポーランド人職員とアテンダントが、本の入ったダンボールや備品を持って集
合。ここで 10 枚の出席者パスがそれぞれに配られる。各階に詰めている警備員がパスの提示を
求めるのだ。
いよいよ設営である。指揮は浅野さんと先輩職員のヤチェクさんがとる。去年の経験があるか
ら段取りが早い。正面に富士山や京都のポスターを配置し、写真集や美術書、伝統文化 ( 着物、
仏像、料理、生け花、武道など )、コミック類は目立つ場所に置く。あまり厳格に分野別に並べ
ることはない。コの字の壁面に仮設の本棚が設置され、真ん中の棚の正面と裏面にも本が置かれ、
26 ポーランド
来訪者は一巡できる。PACE と Japan Foundation、日本大使館の文字も目につき、見栄えのする
会場になった。
本は日本から送られた分と大使館が運んだのを合わせると 400 冊を越え、英文図書と日本語
図書は半々くらいだろうか。冊数で一番多いジャンルはコミック、伝統文化と写真集である。日
本語教材や広辞苑、ブリタニカもある。山本義隆氏の『一六世紀文化革命』上下が入っていた。
こ れ と 別 に、 折 り 紙 セ ッ ト や 各 種 カ タ ロ グ (Practical Guide to Publishing in Japan 2008、
Japanese Book News No.52, 54、An Introduction to Publishing in Japan、講談社インターナショ
ナル、タトル出版のリストなど ) が相当な分量で、ダンボールで十数個になる。
正面にテレビが据え付けられ、ビジット・ジャパン・キャンペーン広報用に作成された「Yokoso!
Japan」のビデオが、音量をしぼって放映されることになる。全国の風光明媚な観光地、四季の
祭りや日本料理、大都市の光景などを紹介し、日本という国の魅力を十分に PR した、工夫を凝
らした構成である ( このテレビは、翌日訪れた大使のサジェッションで、もっと大型のテレビと
入れ替わる )。
準備はおよそ 3 時間で終えた。ほかのブースでは、これから夜にかけて設営、というところも
あるようだ。私たちはこれで解散し、夜 7 時から 6 階のコンサートホールで開かれる開会式を
待つことにした。
開会式は正装の男女約 200 人が集まり、主催者 ARS POLONA S. A.(Foreign Trade Enterprise
とあるから書籍の輸出入販売会社なのだろう ) の社長、クゾフスキさんが開会のあいさつ、続い
て今年のゲスト国イスラエルの大使、ポーランド文化省次官、ポーランド出版協会会長のあいさ
つがあった。私には誰ひとりわからないが、この会場にはきっと、ポーランドと周辺の国々の名
だたる詩人や作家、絵本画家、有力な出版関係者が集まっているのだろう。ちなみに去年のゲス
ト国はウクライナであり、イスラエルは今年、建国 60 周年だそうである。
そのあと、ポップな感じのイスラエル民族舞踊のアトラクションがあり、レセプションになっ
た。これはイスラエル料理だろうと、一緒に参加した田島さんと浅野さんは言う。この豪華な宴
会はどこが負担しているのかなどわからないままに、珍しい料理とお酒を味わった。
ホテルまで送ってもらい、長い一日が終わった。夜もふけ、窓から見える人影もまばらである。
北の異国へ来た思いが強まる。
5 月 15 日 ( 木 ) 大使館公邸に出向く
朝 10 時からフェアが開かれた。今日は出版関係者を対象とし、一般市民の参加は明日からな
のだが、ブースを訪ねてくるお客は一般の方も多い。次々に人がやってくる。通りかかったから
ついでに覗くというよりも、
「日本」を訪ねてくる人のほうがだんぜん多かったと思う。以下、
4 日間の日本ブースでの出来事と感想。
・日本への関心が高いこと
予想していた以上に訪問客が多いのに本当に驚いた。一人もお客がいない時間はあまりなかっ
たのではないだろうか。どれくらいの人が訪れたか、見当がつかない。
ポーランド 27
・さまざまな動機と目的
印象的なシーンを見た。老夫婦が懐かし
そうに写真集を眺めていた。これまで日本
に 5 回行ったと言う。機会があればまた行
きたいと言う。日本と深い関係を持ってき
た方なのだろう。また、若い男女が高橋陽
一の「キャプテン翼」を飽きずに見ていた
こと。彼らはこのマンガから人生の意味を
吸収しているのかもしれない。
・ビジネスの話
( 写真集に見入る来場者 )
初日だからか、仕事にまつわる話もあった。日本の本を買いたいという相談には、講談社イン
ターナショナルのパンフや備え付けの資料類を渡した。本の輸入業者 (ARS POLONA S. A. もその
ひとつだろう ) に注文する方法もある。パリでは「ブックオフ」が日本の本をいい値段で売って
いたが、ワルシャワにこういう店はあるのだろうか。
困ったのは、自分の本 ( 分厚い化学書や写真集 ) を日本で翻訳して本にしてくれないか、とい
う相談だった。私はフランス語や英語の本の翻訳権を日本のエージェントを通して得た経験はあ
るが、これはその逆のケースである。ポーランドにも翻訳権契約のエージェントはあるだろう。
だが、日本のふさわしい出版社を探して合意を得るのは非常に難しい。こういう質問には的確な
答えは出せない。
日本大使から昼食会に招待されているので、昼過ぎにブースを抜け出し、大使館の車でワジェ
ンキ公園近くの公邸に出向く。途中、運転手のマチェイさんと英語で話した。彼は私が空港に
着いたときも出発するときも送り迎えしてくれ、展示の設営でもよく体を動かして働いていた。
30 台半ば、結婚している。ポーランドの男性は家庭を大事にし、仕事が終わるとまっすぐ家に
帰るという。1989 年の民主化のときの高揚はよく覚えているという。ワルシャワ女性は美しい
ので男性は幸せだと私が言うと苦笑いしていた。 大使は田邊隆一さん (61 歳 )、着任して 1 年 6 カ月だそうだが、ポーランド各地の日本企業の
工場や大学、文化行事を精力的に回ってこの国の理解に努め、また日本の技術協力や文化交流に
熱心である。
余暇には音楽や読書を楽しみ、
数カ国語を学び、マスコミのインタビューに応じ、ポー
ランド語でスピーチするなど、たいへんな文化人とお見受けした。今回のブックフェアには、田
邊大使のご尽力が大きかったのだ。本の話やポーランドの魅力など話題になり、おいしい日本料
理をご馳走になった。
再び文化宮殿に戻り、夜 7 時まで勤め、帰途、近くの empik 書店に立ち寄った。この書店は
地下 1 階から 3 階まであり、床面積はそんなに広くないが、全体にゆったりしていて開放され
た気分になる。1 階は CD や雑誌、
地図類、
2 階が人文書コーナーである。新書や文庫の棚がなかっ
たようなのだが、私の記憶違いだろうか。
ここで村上春樹の大きな棚を見つけた。ほとんどの彼の小説は訳されていて、ハードカバーと
ソフトカバーの 2 種類が並んでいる。日本以上の人気ではなかろうか。定価はレート換算では
28 ポーランド
日本と同じくらいなのだが、食料などほか
の物価は日本より安いところから考えると、
翻訳の本は相対的に高いと思う。ポーラン
ドの人口は 400 万人弱だから、初版部数も
少ないからなのか。座って読める椅子が置
かれ、店内にコーヒーショップがあり、児
童書コーナーには簡単な遊具が据えられて
いて、日本の書店に入ったときのあの本の
威圧感がない。現代史に関する本が比較的
多いと思った ( 後日出かけた traffic club 書
(empik 書店 )
店でも同じような印象を受けた )。
5 月 16 日 ( 金 ) 大使を迎えてリボン・カット
今日から一般の訪問客が訪れる。実質的な初日だ。
日本ブースでは朝 10 時半から、田邊大使が出席してオープニングのリボン・カットの式典が
行われた。大使と、
開会式であいさつしたクゾフスキ氏と私の 3 人が立ち会うことになっている。
アテンダントの人たちが、会場を歩く参会者に、式典に集まるように呼びかけている。
大使のあいさつはポーランド語で読み上
げられた。ついでグゾフスキ氏のあいさつ
が あ り、 ポ ー ラ ン ド 国 旗 を 表 す 赤 と 白 の
縦縞のリボンが鋏でカットされた ( 私はこ
んな晴れがましい場面は初めてで、なんと
も面はゆかった )。このイベントは、ブッ
クフェア事務局発行の翌日の 「Informator
TARGOWY」 2 号に、写真入りで大きく報
道された。
このとき、ワルシャワ大学日本学科で教
えているフシチャ先生が立ち寄ってくれた。
( 右からクゾフスキ氏、田邊大使、筆者 )
先生は日本へ何度も行ったことがあり、きれいな日本語で話される。PACE の横手さんから紹介
してもらい、ワルシャワについてから挨拶の電話をしておいたのだ。先生は私のスピーチも聞き
に来てくださった。フシチャ先生については後ほど記す。
この日も昨日にましてたくさんの訪問者があった。今日はブースに出入りする大使館職員とア
テンダントの諸君について記したい。ブースには館員 1 名とアテンダント 2 名、それに私の 4
人が常時詰めて対応の体制をとることになっている。3 日間一緒にいると、それぞれの意向や持
ち味が少しずつわかってくる。
到着のその日にいろいろと説明していただいた田島晃さんは二等書記官かつ広報文化センター
ポーランド 29
所長、私は田島さんに一番お世話になった。浅野優さんは専門調査員という肩書きで、中東欧の
国際政治を研究している。奥さんはポーランド女性で、かわいい男の子と奥さんのお母さんと一
緒にブースを訪れた。
ヤチェクさんは何年か大使館に勤める若手のリーダー格、冷静で一番日本語が上手だ。あと、
センターに勤務するハンナさん、田原聡子さん、運転手のマチェイさん。
アルバイトのアテンダント 4 人は全員がワルシャワ大学日本学科の学生か卒業生だ。日本学科
は近年競争率が非常に高く、去年は 25 倍だったという。日本語が上手で仕事熱心の優秀な若者
たちだ。私は英語力ももどかしく、
訪問客の対応は大部分彼らがしてくれた。この 10 人がローテー
ションを組んだ。
アテンダントのバシアさんは女子学生で、日本に留学の経験がある。何を勉強しているのか聞
いたら、北村透谷だと言い、町田市の自由民権資料館にも行ったことがあるという。こういう学
生がいてくれてうれしくなった。彼女とは合間をぬって、明治の思想家・小説家のことをいろい
ろ話した。マチェクさん ( 彼も日本に行ったことがある ) は織田信長を中心とする戦国期の日本
歴史を論文に書き、ボベルさんは日本のマンガやアニメを研究している。講演の資料用に日本か
ら持ってきた『アエラ』の「手塚治虫文化賞特集」を彼に上げることができてよかった。女子学
生のアニアさんは 2 年生で、まだ日本語がたどたどしい。
このような実力のある親日家の若者が次々に生まれているのだ。文化の伝播力や、教育の偉大
な力について考えずにいられない。
今日は終わってから文化宮殿前のマーケットを覗く。パンや肉製品が盛りだくさんに売られて
いて、中身が実質的で安い。70 年代にポーランドを訪れた友人が、「ポーランドはドル買いが横
行して暗くて物不足でサービスが悪くて・・・」と欠点を並べていたが、そのころと比べて経済
と暮らしは確実によくなっているのだ。民主化後の市場経済への復帰と 2004 年の EU 加盟が今
日の繁栄をもたらしたのだろうか。
明日は私のスピーチがある日。大使館の方々もこのイベントを重視していることが伝わってく
る。私は日本を発つ前にペイパーを用意していたのだが、この 3 日間の見聞を話のなかに織り
込もうと思いつき、夜遅くまでかけて書き直した。
5 月 17 日(土) 折り紙ワークショップと私のスピーチ
ウイークエンドの今日と明日は、子連れの家族や先生に引率された生徒たちや、若い男女で終
日賑わった
(入場料は、
大人 5 ズロチ、
子供 2 ズロチ、回数券 9 ズロチである (1 ズロチは約 40 円 ))。
朝 10 時半から折り紙の実演が始まる。講師はポーランド折り紙協会の青年、ピョートル・ク
リホフスキさん。ブースの前にテーブルと数脚の椅子を置き、目の前で作品が作られる。次々に
折られる鶴をはじめ何十もの精巧な作品を見ると、日本の発想や技能の独創性に改めてうたれる。
異国の人をひきつけるに十分だ。たちまちテーブルに人だかりができ、講師をまねて折り始める。
このワークショップは休憩をはさんで 3 時まで続いた。
午後 2 時から 1 階のゲーテホールで私の講演が始まる。開催を知らせるチラシが先ほどから
30 ポーランド
参観者に配られている。通訳は岡崎アンナ
さんという若い女性が引き受けてくれる。
彼女のお父さんは日本学科の岡崎恒夫先生、
お母さんはポーランド女性で、完全なバイ
リンガルだ。事前に簡単な打ち合わせをし
たが、逐語訳をするので文章を短く切って
ほしい、というのが唯一の注文だった。
出席者は約 30 人、田邊大使夫妻、ワル
シャワ大学で日本文学を教えているメラノ
ヴィッチ先生 ( 元日本学科長 )、フシチャ先
( 折り紙ワークショップ )
生、岡崎先生、日本大使館公使参事官の白石和子さん、日・ポの関係者や学生たち、参観者らし
き人も見える。業界関係者はいなかったと思える。
司会は田島晃さんがポーランド語で行った。田邊大使のポーランド語の挨拶はつぎのとおり。
「本日は、図書見本市に日本より来訪された大阪大学出版会・落合祥堯氏による講演会にご参
加いただき、心よりお礼申し上げます。落合氏は長年日本の出版社で勤務をされており、日本の
出版事情をポーランドの皆様に知っていただけることと思います。
昨年は日本・ポーランド国交回復 50 周年を盛大に祝いました。そして明年は、1919 年の日・
ポ国交樹立から数えて 90 周年を迎えます。この 90 年間は、日・ポ両国民の間の善意と友好の
歴史であったといえます。また近年、日・ポ関係は経済分野でもますます緊密化しております。
とくに日系企業のポーランド進出は著しく、現在、ポーランドには日系企業約 200 社(うち 60
社は製造工場)が展開しております。ポーランドは欧州の製造拠点になりつつあるといえましょ
う。日本とポーランドの関係が更に緊密化してゆくと確信しております。
昨年も参加しましたが、今回の図書見本市では、当館、国際交流基金、出版文化国際交流会共
催で日本ブースを出展しております。同ブースでは折り紙、書道のワークショップを開催いたし
ます。また本年は、日本文学の最高傑作であり、世界最古の長編小説とされている『源氏物語』
千年紀です。源氏物語を含めた日本ブースの各種展示とワークショップを通じて、ポーランドの
皆様にとって日本がより身近になることを願っております。ポーランドで出版されている日本関
係の図書がふえつつあることをうれしく思います。これら日本関連書籍リストもございますので、
ご覧になっていただきたいと思います。
最後に、本年の図書見本市の成功と、日本とポーランドの一層の友好関係の発展を期待しまし
て私の挨拶とさせていただきます。
」
私の話のほとんどは、用意したペイパーを読み上げるだけだった。アンナさんは、私が区切る
と間髪を入れず通訳してくれた。これまで何度も重要な会議に立ち会った、経験を積んだ通訳者
なのだ。定められた 1 時間のうち、
30 分は私の話、20 分はアンナさん、10 分は挨拶と質問といっ
たところ。
質問は 3 つあったが、そのうちのひとつ、
「あなたはどれだけポーランド文学を知っているか」
という意表をついた質問には当惑し赤面した。じつは『クオ・ヴァディス』くらいしか知らず、
ポーランド 31
現代文学はほとんど読んでないのだ ( 私は日本で工藤幸雄訳の短編を一冊読んだのだが、作者名
を思い出せなかった )。
簡単に私のペイパーの要約を記します。
「若いころ、アンジェイ・ワイダ監督の映画『地下水道』『灰とダイヤモンド』『大理石の男』
を見て深い印象をもちました。
「連帯」の運動もありました。ポーランドが百年に及ぶ外国支配
や戦争の惨禍から立ち直って今日の繁栄を築いたことに感動します。
私は前に勤めた京都の人文書院で、ポーランドに関する本を 2 冊出しました。キュリー夫人と
娘イレーヌの往復書簡集と、
『ヨーロッパ統合のゆくえ』です。京都はクラクフと同じ、古い伝
統のある町です。EU は人類が目ざすべきお手本になるのではないかと私は思っています。
日本では娯楽が溢れ、ビデオやパソコン、ケータイが出回り、本を読む時間が減って、読書離
れが進んでいます。IT の機能は驚異的かつ便利そのものですが、あくまで事実の情報を教えて
くれる道具です。その情報が人間にとって何を意味するかは自分で考えねばなりません。そして
読書ほど私たちに考える力を与えてくれるものはありません。
私たち出版人は、よい本を作るために努力し、「本を読む喜び」を若者に伝えていくことが使
命だと思っています。
私はこの 3 日間日本ブースに詰めていて、たくさんのポーランド市民が日本に関心を持ってい
ること、日本の伝統文化や文学、マンガやアニメがたくさんこの国に紹介されていることを知り
ました ( 手塚治虫と宮崎駿の活躍に触れる )。しかし日本ではポーランドについてこれほどの関
心の高さはないと言わざるをえません。
このギャップは、長い間ポーランドの情報が私たちに入っ
てこなかったことが原因ではないかと思われます。
今後、この国の魅力がもっと日本に知られるようになれば、たくさんの観光客やビジネスマン、
研究者が訪れ、この国を紹介する本も日本で増えていくことでしょう。私たち出版人も、出版文
化を通じて両国の交流に貢献したいと願います。
」
スピーチのあと、2,3 の人が、
「よかった、勉強になった」と言ってくれた。「日本の出版事情」
についてはあまり触れられなかったが、
国際交流基金と出版文化国際交流会が発行した「Practical
Guide to Publishing in Japan 2008」を配布してもらい、それを読んでくれるようにお願いした。
もうひとつ特筆したいことがある。このブックフェアに間に合わせるべく,大使館の皆さんが
苦労して作った冊子 (「Biuletyn Informacyjny」) が会場で配られたのだ。この冊子には、2000
年から 2008 年の 8 年間にポーランドで出版された日本関係の書物のリスト 167 冊がポーラン
ド語で記載されている。
その内訳を記すと、
文学 35、
日本語関係 18、
日本論・日本文化全般 98、武道 16 となっており ( コ
ミックは除いたようだ )、原著者名 ( 日本の著者とポーランドの著者 )、翻訳者名、出版社名、刊
行年と刊行都市、定価が記されている。作家ではやはり村上春樹が筆頭で、三島由紀夫、大江健
三郎、島田雅彦の名前も見える。
私の発言はこの冊子の記述がひとつの根拠になっているのだが、ポーランドにおける日本への
関心の高さや、日本語の翻訳者、日本研究者の層の厚さが理解できる。日本で同様の調査はある
のだろうか。日本大使館には引き続き、続編として、戦前からの日本関係の書物のリスト作成を
32 ポーランド
お願いしたい。ポーランド研究者への貴重な資料になるだろう。
「大役」を果たした開放感も手伝い、夕方、文化宮殿 30 階にある展望台に上った (20 ズロチ )。
吹きさらしの回廊になっていて、ワルシャワの町が三百六十度見渡せる。ヴィスワ川が大きく蛇
行し、復興なった旧市街が見える。薄日が射し、微風が顔に当たって気持ちいい。これがポーラ
ンドなのだ。破壊されたワルシャワは過去のものだ。
実はこの日の昼前、私は一人の中年の男
性と囲碁をプレイした。前日ふらっとブー
スを訪れ、碁石と碁盤を持ってくるのでぜ
ひ一局やろうと言う。彼はワルシャワの囲
碁協会の会員で、実力は 8 級だという。多
少の躊躇はあったがこれも交流の一環だと
思い、今日ブースに来てもらったのだ。私
は 3 級くらいなので 4 目置いてもらって
打ったが、無理をしたので白の大石が死ん
でしまい完敗だった。彼は私のスピーチを
聞きにきてくれた。
( 囲碁で一局、ブースでの一コマ )
5 月 18 日(日) 最終日、書道のワークショップ
フェア最終の日、日本ブースでは書道の
実演が催された。講師はこの国に暮らす中
安善実さんで、書道センター「むらさき」
を主催している。和服姿がよく似合う。ブー
スの前に敷物を敷き机が置かれ、善実さん
は正座して端整な字を半紙に根気よく書き
続け、希望者にプレゼントした。たちまち
人だかりの行列ができる。
折り紙と同様、書道も外国人を引きつけ
る。紙、筆、墨、そして書体。書道は東ア
( 書道のワークショップ )
ジアのすぐれたアートだ。
こういうイベントのもつ力は大きい。このとき日本ブースはクライマッ
クスに達したようだ。
これまでフェア全体の模様には触れなかったが、最後にまとめておきたい。私は、4 日間ブー
スに詰めて対応することが自分の務めだと思い ( 事実そうなのだが )、なるべく留まっていたの
だが、ときどき抜け出してほかのブースを見て回った。PUF( フランス大学出版 ) はフロアの片
側全体を占めるような大きな規模で、力の入れ方が違っていた。日本ブースの目の前の MUZA
社は文学系の出版社なのだろうか、村上春樹の大きなパネルを掲げていた。クロアチアのブース
はついに開かれなかった。ほとんどのブースが本を販売しているようだ。グッズやアクセサリー
ポーランド 33
を売っている場所もあった。児童書や写真
集は概して堅牢で美しい。ポーランドのデ
ザインや印刷・製本の技術水準は高いと思っ
た。会場は複雑に入り組んでいて、出口が
なかなか見つからず、迷路を歩いているよ
うな気分にとらわれた。最後まで会場の全
体像がつかめなかった。
先 に ふ れ た 「Informator TARGOWY」 は
4 日間毎日発行されていて、事務局体制は
しっかりしている。この速報は A4 判 8 ペー
(MUZA 社、右上に "Murakami" のパネル )
ジのポーランド語だが、最後の 1 ページは英語で要約が書かれている。この速報と、帰国後メー
ルで問い合わせた最終結果を読むと、会期中に数百人の有名な作家が出席し ( アンジェイ・ワイ
ダも出席したらしい )、数十のパネルディスカッションや会議が開かれ、各種の賞の授賞式が行
われ、数十万冊が並べられたとある。私もサイン会の光景を何カ所も見かけた。とくに興味深く
実際的価値をもつのは「本とインターネットの共生」という標語で、これを掲げたイベントがい
くつも開かれたらしい。この国でも IT 化がすごい勢いで進んでいるのだろう。
本の売買も活発だった。民間の書店や出版社は、高い経費を払って参加したからには ( 参加費、
運送費、交通費、宿泊費・・・)、それに見合うだけの収入が期待されるのだろう (25%割引もあっ
たらしい )。去年の売上高は過去最高で、25 億ズロチ ( 約 1 千億円 ) とのこと。
最終日の会場は 5 時で終わり、すぐ後片付けになった。書籍はダンボール 17,8 個に納められ、
一旦日本大使館に運ばれる。5 日間の行事が終わり、宴のあとの虚脱感が残る。大使館に帰るみ
んなと握手してお別れした。
400 冊の日本を紹介する書籍、各種のパンフレット、親切な対応、リボン・カットの儀式、ビ
デオの放映、ふたつのワークショップ、私の講演・・・さまざまな工夫がこらされ、訪れた人た
ちも満足したに違いない。日本大使館の取り組みは相当のものだった。その場で訳してもらった
アンケートの書き込みでも、来場者の満足しているさまがうかがわれた ( アンケートは 66 枚が
集まった。書いてくれたお礼にボールペンやファイルを進呈した )。
日本ブースについての感想を言えば、今回の展示会の主たる目的は、日本の図書の紹介を通し
て、ポーランドの人びとに日本を理解し関心を持ってもらうこと、そして両国の友好を深めるこ
とにある。その目的はかなりの程度かなえられたのではないだろうか。展示の本を販売しないの
はやむをえないことだと思う。欲を言えば、もっと人文系の本を並べてほしかった。
5 月 19 日 ( 月 ) フシチャ先生と
私はワルシャワにくる前、PACE の石川晴彦さんと横手多仁男さんに、会期が終わったあと 2
日間この地に止まりたいとお願いしていた。会期中はほとんどどこも見ていなかったので、ゆっ
くりワルシャワの町を歩きたかった。以下、フシチャ先生とのいきさつについて記します。
34 ポーランド
19 日 ( 月 ) 朝、フシチャ先生がホテルに迎えにきてくれ、バスでまっすぐワルシャワ大学に
向かい、構内を案内していただいた。大学は旧市街のはずれ、コペルニクス像と並び、聖十字架
教会の向かいにある。このへん一帯は、ドイツ軍の占領下、ワルシャワ市民の一斉蜂起のさいの
猛攻撃で完全に破壊された。戦後、古い写真をもとに、ひび割れひとつまで昔のままに再建され
たことはワルシャワ市民の誇りだ。
先生の専門は東アジアとバルト諸国の言語学で、ポーランド語―日本語の辞書を編纂中とい
う。日本学科の教室や先生の研究室を見せていただき、大学図書館を見て回った。最近建てられ
た、3 階建ての採光のよい大きな部屋で、開架式になっている。私たちは学生が勉強しているわ
きを通って各階を歩いた。ポーランド語のほかにドイツ語、ロシア語、英語、チェコ語、バルト
3 国の言語など、多種の蔵書が備わっているという。屋上には草花が植えられ、散歩道がつくら
れている。ヴィスワ川がすぐ近くを流れている。
聖アンナ教会ではパイプオルガンによる教会音楽のライブを聴くことができた。キュリー夫人
博物館は改築中で閉館、蜂起記念碑からサスキ公園に回った。旧市街の道路は舗装中だった。歩
きながら、戦争中から戦後にいたるポーランドの複雑な歴史をお聞きした。1970 年前後に、日
本学科で工藤幸雄先生に習ったのはしあわせでした、と言われたのが印象に残る。工藤さんは今
も日本でご健在だそうだ。
昼過ぎ、フシチャ先生とお別れした。私は最高の案内人に恵まれたことになる。
最後になりましたが、私を推薦してくださった大学出版部協会 (AJUP) の山口雅己理事長と国
際部会の皆様にお礼申し上げます。
ポーランド 35
第 15 回東京国際ブックフェア
名 称
第 15 回東京国際ブックフェア
会 期
2008 年 7 月 10 日 ( 木 ) ~ 13 日 ( 日 )
入場時間
10:00 ~ 18:00
会 場
東京ビッグサイト
展示面積
20,000㎡
主 催
東京国際ブックフェア実行委員会、リードエグジビションジャパン
出 展 数
770 社
参 加 国
30 カ国 / 地域
アメリカ、イギリス、イタリア、イラン、インド、エジプト、オー
ストラリア、カナダ、韓国、スイス、スウェーデン、スペイン、ス
リランカ、タイ、台湾、中国、チェコ、デンマーク、トルコ、ノルウェー、
バングラディシュ、フィリピン、フィンランド、ブラジル、フランス、
ベトナム、ベルギー、香港、ロシア、日本
入 場 者
61,384 人
内訳 7 月 10 日 ( 木 ) 15,343 人
7 月 11 日 ( 金 ) 13,354 人
7 月 12 日 ( 土 ) 19,275 人
7 月 13 日 ( 日 ) 13,412 人
入 場 料
1,200 円 ( 招待券があれば無料。誰でも簡単に入手可 )
報告 : 梶原 千歳 [( 社 ) 出版文化国際交流会 事務局 ]
開会式
第 15 回東京国際ブックフェアが、日本最大のコンベンションセンターである東京ビッグサイ
トの西 1・2 ホールを使用し、
2008 年 7 月 10 日 ( 木 ) ~ 13 日 ( 日 ) の日程にて開催された。フェ
ア直前まで雨の多い日が続いていたが、会期中は 4 日間を通し晴天、一歩館外へ出ると焼ける
ような暑さであった。
主催は、リードエグジビションジャパンと東京国際ブックフェア実行委員会。実行委員会は、
日本書籍出版協会、日本雑誌協会、日本出版取次協会、日本書店商業組合連合会、読書推進運動
協議会、日本洋書協会、そして本会の 7 団体にて構成される。初日の 7 月 10 日 ( 木 ) には、秋
篠宮殿下と紀子妃殿下ご臨席のもと、主催・後援団体や書店の代表者、各国大使など総勢 42 名
が参列し、開会を宣するテープカットが行われた。その後、午前 10 時に開場となった。
36 日本
ブックフェアの概要
初日から一般も来場することができるが、
原則として木金は書店、図書館、教育機関
の関係者を対象にした書籍の受注や出版社
間の版権売買など、商談日に当てられ、土
日が一般公開日となっている。読者謝恩価
格本販売や洋書バーゲンは、4 日間を通し
て行われた。洋書バーゲンコーナーには、1
万点 5 万冊の陳列。出展社数は、昨年より
21 社増えた 770 社であった。特に、児童
書や人文系の出版社が増加し、人文系にお
いては計 130 社の出展となった。出展社は
( 開会式、大勢の出展者やメディアが参加 )
分野別に配置され、6 つの専門フェアと 4 つの特設コーナーが設けられた。専門フェアは、人文・
社会科学書、自然科学書、児童書、学習書・教育 IT ソリューション、デジタル・パブリッシング、
編集制作プロダクション。特設コーナーは、語学教育、デジタル・コンテンツ、出版流通ソリュー
ション、アートブックスクエア。
学習書・教育 IT ソリューションフェアには、例えば、学校向け成績表作成ソフトウェアの開
発会社が出展する。最少面積でのブース出展が多く、各社メモ帳やうちわなどグッズ配布に余念
がなく、自社のブースに来場者を取り込もうと鎬を削る。確かに、こういった類の商品は、説明
を受けないと良さが分からない。書籍のように表紙に惹かれて手に取るということもない。編集
制作プロダクションフェアには、小ブースがずらりと並ぶ。編集作業を外部委託する出版社が増
え、各プロダクションも自社の技術やサービスを強くアピールする。同じく、印刷業界大手の大
日本印刷や共同印刷が大きくブースを構えるデジタル・パブリッシングフェアでも、大小ブース
ともに熱心な客引きだ。編集ソフトウェアや電子書籍など、マン・ツー・マンで解説を受けなが
ら、実際に試用することができる。コンテンツのデジタル化やデジタル配信が進み、日々技術が
進歩する電子出版市場は、5 年連続の倍増を遂げている。フランクフルト・ブックフェアの Vice
President であるトーマス・ミンクス氏は、
東京国際ブックフェアのために初来日。今
回の目的を伺うと、まさにこの急成長する
日本の電子出版調査だと言う。
木金は、ブックフェア会場全体に来場者
が見られたが、土日はやはり一般来場者が
多いため、人文・社会科学書フェアや児童
書フェア、入口付近に配置された大手出版
社ブースに来場者が集中する。学習研究社
では、理科の実験に大人も子供も釘付け。
隣の講談社ブースでは、毎年恒例の読み聞
( 連日人気の児童書フェア )
日本 37
かせが行われていた。
場内を歩いていた土曜日、混雑の中ふと「出版社ごとになっているから、どこに欲しいものが
あるのか分からない」という来場者の言葉を耳にした。専門フェアや特設コーナーが設けられて
はいるものの、出展は出版社ごとなので、必ずしも分野別とは言えない。東京国際ブックフェア
を超大型書店と捉えると、フェアの見方に困ってしまうかもしれない。フェアには、多様な書籍
や商品が一堂に会する。お目当てのものを 2 割引や 5 割引で購入できる楽しみもあるが、各社
の傾向を比較するのも面白い。
フェア期間中は、ビッグサイト内の会議棟にて、計 36 の講演会やセミナーが開かれた。基調
講演は、
脳科学者の茂木健一郎氏。
講座では、
流通や編集、著作権や電子出版に関する実務的なテー
マが揃った。また今年は、出版梓会が創立 60 周年を記念し、12 日 ( 土 ) に記念講演会を開いた。
本会ブース
昨年と同様、海外ブースが多数出展するエリアにブースを設置。駐日リトアニア共和国大使館
の協力のもと、リトアニアの出版文化を紹介した。例年、ブースでは本会の活動広報やこれまで
に参加した海外の国際ブックフェアでの展示書籍の紹介を行ってきたが、今年は 1 カ国にフォー
カスし、その国を本会ブースで大々的に取り上げることに決めた。
本会では、海外の国際ブックフェアに日本ブースを出展し、日本の出版文化を広報している。
そこで、東京国際ブックフェアでは相互交流を目的に、反対に私たちが普段あまり触れる機会の
ない国を来場者に紹介するという企画が出された。
リトアニアのビリニュス国際ブックフェアへは、2005 年から 2007 年の 3 年間継続して参加
し、強い交流関係が築かれた。当時現地の日本大使館に勤務されていたガビヤ・ズカウスキエネ
さん ( ビリニュス国際ブックフェアでも大変お世話になった ) が今年、駐日リトアニア共和国大
使館に新しく設けられた文化担当官に就任され、今回の企画を二つ返事で引き受けて下さった。
幅 5m 奥行き 2m のブースでは、右半分に写真集などを中心にブックフェアのためにリトアニ
アから送られた書籍 80 点の展示とカタログの配置を行い、左半分ではプロジェクターを使って
リトアニアを映像で紹介、その隣に、来年 2 月に開催されるビリニュス国際ブックフェアのポ
スターを掲げた。カウンターでは、CD の視聴や書籍、雑貨の販売、パンフレットの配布を行った。
配布物については、リトアニア関係に加え、本会から毎年好評な “Practical Guide to Publishing
in Japan 2008” や『世界の国際ブックフェア : 現場からの報告』(No.16) 等を用意した。販売は、
ヤングトゥリー・プレスの岸本礼子さんが担当して下さった。ヤングトゥリー・プレスでは、個
人的視点を集めたドキュメンタリー・スタイルの雑誌、"Young Tree Press" を年 2 回発行してい
る。2006 年秋号では、New Life と題しリトアニアで出会った魔女と著者との交流を写真と文章
で語る。
販売したのは、クラッシックの CD、リトアニアのアーティストによるイラストが入ったバッ
ジやポストカード、エコバッグなど。どれも本国でしか手に入らないものばかりで、可愛いいイ
ラストが大人気。
中には完売した物もあった。
来場者の中には、このコーナーに惹かれて足を止め、
38 日本
その後じっくりと展示書籍を見る方も多い。
グッズ以外にも、日本で出版されたジョナ
ス・メカス ( 著名な映画監督であり作家 ) に
関する書籍や翻訳出版された絵本が 5 点ほ
ど販売された。
リトアニア共和国は、ヨーロッパ北東部、
バルト海に面し、ラトビア、エストニアと
ともに、バルト三国と総称される。人口は
360 万人、言語はリトアニア語。首都ビリ
ニュスは、バロック様式の美しい街で、旧
市街はユネスコの世界遺産に登録されてい ( カウンターにずらりと並ぶパンフレットやグッズ )
る。1990 年にソ連から悲願の独立を果たし、2004 年には EU に加盟、2009 年はリトアニアの
名が書物に記されてから 1000 年目を迎える。この記念すべき 2009 年、ビリニュスは欧州 (EU)
文化首都に指定された。
「カルチャー・ライブ」という、文化は生き物、常に変化し形を変える
というコンセプトのもと、
本国では様々なプログラムが繰り広げられる。ブースでは、パンフレッ
トやしおり、ボールペンや鉛筆など、鮮やかな黄緑色が目を引く広報グッズが配られた。
日本人にとってまだまだ馴染みの薄いリトアニア、さてどれほどの来場者があるだろうと思っ
ていたが ( ガビヤさんは前夜、不安で眠られなかったらしい )、初日から大盛況であった。特に
3 日目の土曜日は、通路まで人が溢れるほどの混み具合。アテンドに当たって下さったのは、ガ
ビヤさんや岸本さんをはじめ、驚くほど日本語が堪能で言葉遣いが美しい留学生のシモナ・ソブ
タイテさんとアンドリュス・ゲレザウスカスさん。また、リトアニアの絵本や児童文学を精力的
に翻訳し日本に紹介する翻訳家の秋田深雪さんも協力して下さった。ブースには、様々な質問が
飛び交う。リトアニアは何語?場所はどこ?日本でリトアニア語を勉強できるところは?子ども
から年配の方まで、興味津々だ。ちなみに、現在のところリトアニア語を教える学校はないが、
ガビヤさんは知り合いのリトアニア語研究者に何か情報がないか聞いてみるとのこと。一つ一つ
の質問に丁寧な受け答えがなされる。それをきっかけに、会話が弾むことも多々。リトアニア
をもっと知ってほしいというアテンダント
の真摯な姿勢に学ぶところが多かった。出
版社からは、絵本や写真集の版権について
問い合わせがあった。デザインや紙質など、
出版物の質は高い。絵本に関しては、イラ
ストレーター、著者ともにリトアニア人か
と確認されることもあり、リトアニアにこ
だわる編集者が見られた。版権に関する詳
細は、リトアニア出版協会を案内するなど
して対応。用意されていた出版社リストや
展示図書リスト、作家紹介のプリントや絵
( ブースではアテンドに大忙し )
日本 39
本のレジュメが大いに役立つ。
このように、4 日間の会期を通し、ブースには大きな反響が寄せられた。多くの来場者にリト
アニアを紹介でき、また本会の活動の広報やビリニュス国際ブックフェアを通して深まったリト
アニアとの関係を広く紹介できたのではないか。東京国際ブックフェアへの共同出展をきっかけ
に、さらに交流の幅を広げていきたい。来年 2 月 12 日~ 15 日には、在リトアニア日本国大使
館と共催し、第 10 回ビリニュス国際ブックフェアへ再び参加する。
海外ブース
海外からは 30 カ国の参加があり、児童書フェアへの出展が目立つ。その他の海外出展社も児
童書フェア周辺に配置され、西 2 ホールにまとまった海外ブースを見ることができる。今年は、
政府援助を受けたドイツやフランスの大型ブース出展が見られなかったが、その不在を感じさせ
ない海外ブースの活気であった。
これには、
中小出版社の出展増加が挙げられる。ベルギーなどは、
児童書フェア内に 3 ブース (4 社 ) を構える。また、ベルギーの人気絵本作家で日本でも多数翻
訳されているヒド・ファン・ヘネヒテン氏のサイン会がフレーベル館ブースにて行われた。海外
出展社の多くがブース内に商談席を設けているが、初日から 2 日間はどこも満席。テーブルでは、
日本の出版社と時には通訳を介し、版権売買の交渉が行われていた。
共同出展による大きなブースを構えていたのは、スペインと韓国。スペインは、貿易庁と大使
館経済商務部主催のもと、数十社に及ぶ出版社が出展。公用語であるスペイン語以外にも、カタ
ルーニャ語やガリシア語など地方公用語での出版物が見られた。ソウル・プリンティング・セン
ターと名付けられたブースには、韓国の印刷会社が 6 社集う。今回で 2 回目の出展。来年の出
展意向を尋ねると、
「日本も韓国も印刷業界は不況。ミーティングは持ったが、商談成立とまで
はいかず、来年の参加は見合わせるかも」と率直な意見を聞かせてくれた。ちなみに、昨年の出
展社数は 13 社であった。
小ブースながら、積極的な呼び込みを行っていたのが、パピルス紙でできたしおりや絵を販売
するエジプトブース。父と娘 2 人での来日。父親は長年ブックフェアに出展しているが、娘さ
んたちは今回が初来日だそうだ。
本会ブースの横に位置するのは、ロシア。ロシア連邦に属するサハ共和国 ( 人口約 22 万人 ) に
居住するヤクーツクという民族の民話を紹介する専門出版社だ。サハ共和国、一体どこにあるの
か皆目見当がつかない。調べてみるとロシア東部、首都は永久凍土の上に建てられた都市として
は最大だという。こういったはるか遠い ( と思われる ) 国々の方が東京国際ブックフェアに参加
して下さるとは、感慨もひとしおであった。
造本装幀コンクール
日本書籍出版協会と日本印刷産業連合会の共催にて開催される第 42 回造本装幀コンクール審
査会が去る 4 月 25 日行われ、
応募作品 378 点 (127 社 ) から 33 点が入賞した。上位 3 賞は、
『野
40 日本
田 弘 志 HIROSHI NODA: MASTERWORKS』
( 光村図書出版 )、
『イラストレーテッド 名
作椅子大全』( 新潮社 )、
『有斐閣判例六法
Professional 平成 20 年版』( 有斐閣 )。本会
からは、出版文化国際交流会賞を『世界遺
産巡礼の道をゆく カミーノ・デ・サンティ
アゴ』( 玉川大学出版部 ) に授与した。7 月
10 日 ( 木 )、東京国際ブックフェアにてそ
の受賞式が行われ、フェア期間中は全応募
作品が展示された。
入賞作品は、10 月に開催されるフランク
( 本会賞を石川専務理事より授与 )
フルト・ブックフェアのブック・アート・インターナショナルでの展示後、3 月にはライプチッヒ・
ブックフェアの「世界で最も美しい本展」に出品され、世界各国から応募された作品の中から最
も美しい本が選考される。2007 年は『ケッセルスクライマーの 2 キロ』( ピエ・ブックス ) が
銀賞を授賞、
2008 年は
『江戸鳥類大図鑑』
( 平凡社 ) が再び銀賞を獲得と、日本作品が大健闘であっ
た。造本装幀コンクール主催者によると、
コンクール開催趣旨の一つには、作り手が「より美しく、
より良い本づくり」を目指す意欲をかきたてる目的が挙げられる。技術革新とあいまって進歩が
著しいブックデザイン、今回出品される「より美しく、より良い本」への期待はさらに高まる。
次回の第 16 回東京国際ブックフェアは、2009 年 7 月 9 日 ( 木 ) ~ 12 日 ( 日 ) の開催。「よ
り充実した、より良い出展」を目指したい。
日本 41
特別寄稿
「第 15 回東京国際ブックフェア」に参加して
ガビヤ・ズカウスキエネ [ 駐日リトアニア共和国大使館 文化担当官 ]
2008 年 7 月 10 日から 13 日まで東京ビッグサイトで開催された「第 15 回東京国際ブックフェ
ア」に駐日リトアニア共和国大使館として初めて参加しました。( 社 ) 出版文化国際交流会(以下、
PACE と略)が 2005 年に「ビリニュス国際ブックフェア」に参加したことが交流の切っ掛けと
なり、今回、PACE との共同ブース出展が実現したのです。
日本ではまだ馴染みのないリトアニアをできるだけ幅広く紹介するという趣旨で、リトアニア
の風土、歴史、文化、伝統、民族芸術、現代美術、写真集、絵本など、テーマごとに集めた図書
80 冊を展示しました。
同時に、
「ビリニュス国際ブックフェア 2009」
の開催案内をはじめ、リトアニア出版協会の活動、
分野別の図書目録、リトアニア文学を世界に普及する「Books from Lithuania」(公社)発行の
文学書や作家を紹介する資料、
「Lithuanian Institute」
(公社)提供の初級リトアニア語パンフレッ
ト、
民族衣装などのリーフレット、
漫画、
「ビリニュス - 欧州文化首都 2009」のイベント案内など、
さまざまな資料を配布しました。
「リトアニア音楽広報・出版センター」が発売しているクラシックや現代リトアニア音楽のCD、
リトアニアの代表的なイラストレーター Sigute Ach による絵葉書などのグッズ(「Nieko rimto」
出版社発売)については、日本の出版社「Young Tree Press」に販売を委託しました。
ブースで、白い壁にリトアニアの風景や民俗音楽祭を紹介するビデオを上映したり、リトアニ
アの民俗音楽や現代音楽を流したことも効果的でした。
7 月 10 日の開会式にはダイニュス・カマイティス駐日リトアニア共和国大使が参加各国を代
表する貴賓と共にテープカットに参列し、その後ブースを視察。すばらしい展示だと満足されて
いました。
会期中は、PACE の方々をはじめ、大使館文化担当の私ガビヤ・ズカウスキエネ、Young Tree
Press の岸本礼子(編集者)さんと森本さん、
ボランティアとしてリトアニアの留学生アンドリュ
ス・ゲレザウスカスさん、シモナ・ソブタイテさん、若手リトアニア語翻訳者である秋田深雪さ
んも加わって来場者への対応に当たりました。
会期 4 日間で 1,000 人近くの来場者が私たちのブースを訪れたのではないでしょうか。出版
社、翻訳者、書店経営者、図書館員、博物館員などの関係者も多く訪れ、絵本や写真集の翻訳出
版、リトアニア図書の販売、イラスト原画の展示などに関心を示していました。子どもから年
配の方まで来場者があり、絵本や写真集に最も高い関心が見られました。じっくりと時間をか
けて展示図書すべてを閲覧する方や、友人を連れて数回にわたり訪れる熱心な方もいました。
いろいろな質問を受けましたが、最も多かった質問は、
(1) リトアニア語に関して。どのような言語なのか、ロシア語と異なるのか、日本ではどこで勉
42 日本
強できるのか、教科書や辞書はどこで手に
入るのか。
(2) 絵本に関して。日本語に翻訳されている
のか、どこで入手できるのか。
(3) リトアニアに関して。地理的な位置、気
候、観光シーズン、お勧めの観光地、日本
からの便利な渡航ルート、杉原 ( 千畝 ) 記念
館。
私どもリトアニア大使館に対する期待の
声も聞かれました。もっと幅広くリトアニ
アの文化や芸術を紹介してほしい。文化紹
( 右はブースにて接客する筆者 )
介イベント、講演会、文学作品の朗読会、リトアニア語の講座などを大使館で定期的に主催して
ほしい、など。
外国の出展社とも交流があり、チェコや韓国の出版社、フィリピン出版協会からは、
「ビリニュ
ス国際ブックフェア 2009」への参加条件を尋ねられました。
今回の東京国際ブックフェアへの参加効果は計り知れません。PACE と共同ブース出展したこ
とで、リトアニアの知名度は随分上がりました。リトアニアの出版文化やリトアニアという国全
般を紹介することができたと同時に、
来年リトアニアで開催される最大の文化イベント「ビリニュ
ス国際ブックフェア 2009」
、そして「ビリニュス - 欧州文化首都 2009」を広報する場ともなり
ました。また、リトアニア図書の翻訳出版や販売など、ビジネス・コンタクトが生まれました。
一般来場者や出展社から来年もリトアニアに参加してほしいという声が聞こえ、次回はリトア
ニア出版協会が独自に出展できるよう、できる限り努力していきたいと思います。
日本 43
第 20 回サンパウロ国際ブックフェア
名 称
20th Bienal do Livro de Sao Paulo 2008
テ ー マ
読書推進
会 期
2008 年 8 月 14 日 ( 木 ) ~ 24 日 ( 日 )
入場時間
10:00 ~ 22:00
会 場
Parque de Exposicoes Anhembi
( アニェンビー会場、サンパウロ市内中心部から北西約 30 キロ)
展示面積
約 70,000㎡
主 催
The CBL = Camara Brasilieira do Livro (Brasilian Book Chamber = ブ
ラジル図書評議会 ) ※ 1946 年に設立された出版社、書店、取次店、
直販業者によって構成される団体。「本を友達へのプレゼントに」を
モットーに、読書推進を図り、出版物の送料を安くしたり、印刷用
紙の輸入税の軽減、著作権条約に加盟、著作権法の整備など具体的
に文化活動を行っている。
後 援
Ministerio da Cultura( 文化省 )
Agencia de Turismo: MUSTTOUR( 旅行代理店 )
Francal Feiras 40 anos( 展示会協会 40 周年 )
Anhembl( 観光局 )
Prefeitura da cidade de Sao Paulo( サンパウロ市 )
スポンサー
HSBC(Hongkong Shanghai Banking Corporation)
Submarino( インターネット販売の書店 )
VISA, TAM( 航空会社 ), Volkswagen ( 自動車会社 )
出 展 数
350 社
出 点 数
210,000 冊
参 加 国
イタリア、スペイン、ドイツ、ブラジル、ポルトガル、日本など
イベント
1.ブラジルの代表的作家、マシャード・デ・アシースの死後 100
周年記念
2.ブラジルへの日本移民 100 周年記念
3.第7回イベロ・アメリカ出版社会議 ( スペイン )
入 場 者
約 728,000 人 ( 州市立学校からの生徒 40,000 人を含む )
入 場 料
一般 : 10 レアル、学生 : 5 レアル、12 歳以下と 65 歳以上は無料
報告 : 栗田 明子 [ ㈱日本著作権輸出センター 取締役会長 ]
44 ブラジル
第 20 回サンパウロ・ビエンナーレ・ブッ
クフェアは、8 月 14 日から 24 日まで 11
日間に亘って行われた。会場はかなり広い
国際会議場で、大きなパビリオンの天井は
高く、廊下の幅は広く、今まで参加したど
の国際図書展よりも広々としているのが第
一印象である。
丸い塔のある入り口に大きく斜めに “20th
Bienal do Livro” が遠くからも目立つ。若者
たちがその周囲に開場前から大勢たむろし
ていた。
( アニェンビー会場、市内からは 30 キロ )
開会式
8 月 13 日の初日 11 時に予定されていた。遅れることが当たり前と聞かされていたが、会場
内のアイデア・サロンには 11 時前から人が集まり始め、100 名ばかりで満席になっていた。何
名かはしびれをきらして退場していたが、係りが何度も配る水のコップを片手に辛抱強く待ち続
け、
1 時間後にやっとはじまる気配となった。10 ~ 12 歳の少女 20 名が舞台の向かって右でコー
ラスを始める。直立不動ではなく身体を左右にゆらせてリズム感豊かに歌うのがいかにもサンバ
の国、ブラジルらしい。ブラジルの代表的な数曲の唱歌の後、国歌となった。これは直立不動と
なり、来場者すべても起立しての斉唱である。
図書展主催者、ブラジル図書協議会ロゼリー・ボスキーニ (Rosely Boschini) 女史の開会挨拶
で始まり、次いでブラジル文化大臣ジュカ・フェレイラ (Juca Ferreira) 氏のスピーチがあった。
その概要は「今年はブラジルの代表的作家、マシャード・デ・アシス (Machad de Assis) の死後
100 周年記念の年である。読書推進を目指して、国、州、市が協力している。国際図書ビエンナー
レの教育的な役割を重視し、業界内の交流
のみにとどまらず、市民の読書への関心を
高め、興味を深める行事である。読書推進
をするためには、図書の価格の低下が重要
であり、それには出版社の協力も必要であ
る」と強調した。
サ ン パ ウ ロ 市 長 ジ ル ベ ル ト・ カ サ ビ
(Gilberto Kassab) 氏 は、 そ の ス ピ ー チ で、
ビエンナーレの教育的な役目を強調し、
「市
立学校の生徒にバス、おやつなどを提供し、
本がもらえる整理券を配する。その券によっ
て子どもたちが家庭で蔵書を持つ楽しみを
( 開会式、舞台右にはコーラスの少女たちが )
ブラジル 45
知ってもらいたい。18 日月曜から 24 日の日曜の期間に州、市立学校から4万人の生徒がビエ
ンナーレを訪問する予定である。今回アニェンビー会場では約 350 の出版社が参加し、4,000
件の出版記念行事が実施され、80 万人の来場者を期待している」と語った。
以上の他の出席者は、スペイン文化大臣、セザール・アントニオ・モリーナ・サンチェス (Cesar
Antonio Molina Sanchez) 氏、サンパウロ州知事ジョゼ・ゼッハ (Jose Serra) 氏、日本の国際交
流基金サンパウロ所長西田和正氏。
開会式が終わると、賑やかな太鼓の音が聞こえ、開会式会場に隣接した広場ではお祭りムード
で子供も参加して腰からぶら下げた太鼓を敲き、男女がサンバを踊り始めていた。まさしくブラ
ジルを実感する幕開けであった。
会場
入口は入場券を機械に触れて 1 名ずつ、10 名くらいが一度に入れる改札口のようになってい
る。天井は高く、廊下が広い。しかし、スタンド番号がないのには少し戸惑った。縦は1から7
までのアベニューとなっており、横は A から O までの番号が上に掲げてあるので、それを頼りに、
たとえば L, M のアベニュー 3 を探すという具合で、上を見たり会場案内を確かめるために下を
向いたりしながら、スタンドを訪ねなくてはならない。会場内にいくつかの小会場が配置されて
いて、講演会、シンポジウムのような行事が常に行われていた。
入口側の端は青、黄、赤の三角帽子のようなものが目立つ。スポンサーの1社である HSBC 銀
行の ATM であった。反対側の端一列は屋台形式のレストランが一列に並び、サンドイッチや焼
きそば、飲み物などを売っていて常に満員で賑わっていた。
入口から、
すぐ左が「国際通り」と位置づけているようで、第 1 アベニューの 2 番目の広いブー
スが日本、次が日本と同じく今年の招待国であるスペインである。スペインは国旗の色、クリー
ム色とオレンジ色を大胆にあしらって遠くからでも目立つ。本も人も、隣の日本ブースより多かっ
た。ドイツは日本と同じ列だが、一番果ての第7アベニューにスタンドを出していたが、ポルト
ガルのスタンドは見られなかった。
全部で約 350 社が出展して、リストにもそのようになっているが、共同スタンドの参加社が
多い。1 枚の会場案内にぎっしり社名があるものの、虫眼鏡が必要な小さい文字なのでそれも困っ
たことのひとつであった。
南米の諸国がすべて参加するラテン・アメリカ・ブックフェアを想像していたが、同じ言語を
使用するポルトガルからの参加もなく、隣国アルゼンチンからの参加もないのは意外であった。
同じ国内でも、
リオデジャネイロの出版社も不参加である。ポルトガルも今年の招待国なのだが、
その名前は入り口に近い食品を売る小さな屋台で見たのみである。インターナショナルというよ
り、ローカルなブックフェアの感を持ってしまった。
日本語が目立つスタンドは「生長の家」が 100㎡ほどのスタンドで谷口雅春教祖の著書や関係
図書以外に、お守りなどの小物をも売っていた。また、Editora JBC では、日本語の学習書、日
本に関する実用書、
「漫画大百科」など情報誌のほか、SAMURAI、NINJA といったローマ字の多
46 ブラジル
い題名の漫画のシリーズなどを多く陳列していた。2、3名の若者がスタンドに居たが、日本語
はもちろん、英語も通じなかったので、出版方針や発行部数など、詳しい情報を聞き出すことが
できなかった。
会場入口で本をデザインした丸いブローチを手渡された。「図書局の復活を!」というキャン
ペーンとのこと。もっと、図書を身近に、という今年のテーマに沿ったものであろう。
日本ブース
昨年までは 40㎡だったものが、
今年は「日
本年」とあり、主催者側の配慮で 126㎡、
Fondacao Japao, Sao Paulo( 国際交流基金、
サ ン パ ウ ロ ) と PACE( 出 版 文 化 国 際 交 流
会 ) の看板だけは別々で、共通の斜めの平
棚に展示図書が並べられ、後述する Alianca
Cultural Brasil-Japao ( 日伯文化連盟 ) が片
隅を、竹内書店がもう一方の片隅のスペー
スで、それぞれ展示、図書注文の受付をし
ていた。真ん中のガラス張りの部屋は折り
紙などのワークショップ用である。領事館
( 日本ブース、写真はほんの一角 )
から借用したという 2 つのガラスケースが
受付カウンターの両側にあり、日本人形、
盆栽、季節の飾り物などが上品に配置され
ていた。
初日と 2 日目は週日のせいか訪問客は少
なめであったが、後日国際交流基金サンパ
ウロ事務所から送付された写真を見ると熱
心に展示本を見る多くの訪問者たちの様子
が写っていて安堵した。特に、週末の訪問
者が多かったようだ。
以前に筆者が派遣されたグアダラハラ ( メ
( 大人気のワークショップ )
キシコ )、ニューデリー ( インド )、テッサロニキ(ギリシャ)で常に味わっていた苛立ちを感じ
なくて済んだのは、サンパウロでは読者が購入したい本を入手する方法として、すでに業者が注
文を受け付ける体制が整っていたことだ。昨年までの高木書店に代わり、今回は竹内書店が日本
ブースのコーナーで注文を受け付けていた。いつも何名かの人たちが欲しい本の注文を行ってい
た。最終日までに、約 300 冊注文があったとのことである。今まで派遣された 3 都市でのブッ
クフェアではスペースが足りなくて、床に積み上げるなどの処置をしていたが、今回は、出展本
が不足という印象を持つほどのスペースが提供されていた。
ブラジル 47
ワークショップには、常に子供たちを交
えた人々が参加して折り紙の折り方などに
熱心に挑戦していた。展示本を立ち読みし
ている人、椅子に座り込んで読みふける人、
本を繰っては連れの人と言葉を交わしたり、
アテンダントに質問したり、おそらく毎年
日本のブースに立ち寄る人たちであろう。
スペースにゆとりがあるので、ゆっくりと
時間を過ごしている人たちが多かった。
日伯文化連盟は 1978 年に、それより以
前 1956 年設立の「日本文化普及会」と「ブ
( ソファ席で団らん、奥に見えるのはスペイン )
日語普及会」とが合併して再発足、その名の通り、ブラジルと日本を結ぶ文化団体で、主として
日本語教育学校の役目を果たしている。日本語教科書の他、ポ和・和ポ辞典、漢字字典のほか、
折り紙など実用書も出版している。竹内書店と反対側のコーナーで辞典、字典のプロモーション、
展示、販売を行い、熱心な来訪者の質問に応じていた。あらかじめ予定されていたので、図書展
開会の前日、同事務所を訪問、ジョルジュ・デ・アラウジョ・シントラ・カマルゴ文化局長(長
い名前なので「釜五郎」でよいとのこと)
、
アントニオ・カルロス・M・フェルナンデス総務局長、コー
ディネーターの鍋田・ジャケリーネ・麻美さんの説明を受けた。各室 10 名以内といういくつか
の日本語教育の教室があり、日本語の普及にはたいへん力を注いでいる。ブラジル日本語教師国
際シンポジウムを国際交流基金の後援で開催したり、「日本語能力試験」を実施するなどの活躍
もしている。図書室も完備されていて、閲覧はもちろんのこと、児童書、実用書、文芸書、一般
書の貸し出しも行っている。常駐の日・伯の方たちが両国の文化交流に多大な貢献をしているこ
とが理解できた。
講演 サンパウロ・ビエンナーレ・ブックフェア 2 日目の 17 時からと予告され、プログラムにも印
刷されていたが、予定通りに運ばず、行事が押せ押せになっていたと見え、開会式と同じアイデ
アセンターでは、定時までに前の行事が終わっておらず、参加者一同、外のコーヒーショップで
待つことになる。結局 1 時間遅れで 18 時から始まった。特に場内アナウンスなどもなく、聴衆
は約 40 名と小規模の催しとなった。
「ブラジルに於ける日本文学の潮流」と、かなり絞った特殊なテーマであったことも小規模に
なったひとつの理由であろう。そのテーマの部分は、ブラジル側の参加者にお任せすることにし、
栗田は「心の交流をめざして―ブラジル・日本・私」と題して、同時通訳をお願いし、基調講演
を行った。
「ボア、タールジ!」とブラジル語での挨拶にはじまり、以下要約:
「ブラジル移民 100 年」の記念すべき年に訪伯して講演する光栄を得たので、日本の出版物を
海外出版社に橋渡しをしてきた者としてお話したい。今の職業を創業するきっかけのひとつがブ
48 ブラジル
ラジルと関係があることをまずご披露したい。1971 年ニューヨークからの帰途、パリで、ブラ
ジルからというチャーミングな若い女性とバスで隣り合わせになり、ベルサイユを訪れた。その
ときの話題がオーストリア生まれ、ブラジルで自らの命を絶った伝記作家、シュテファン・ツバ
イクである。
「マリー・アントアネット」
、
「メリー・スチュワート」、「ジョセフ・フーシェ」な
どを媒介に 2 人の話題は尽きず、地球の裏側に住む者同士が異国で出会い、同じ本や作家のこ
とを通じて話しが弾み、こころを通わせることができた。そのときの強い印象が、この仕事をラ
イフワークにするきっかけにもなった。
ブラジルで生活している日系人が 150 万、日本で生活しているブラジル人が 30 万、と数は平
等ではないものの人的交流がこれほど行われている例はほかに類をみないのではないか。しかし、
心の交流は残念ながら、十分ではない。BRICS の中でも、ブラジルは民主主義が定着して、資源
はあらゆる分野で充足しており、農業国から工業国に転換して日本に航空機を輸出するくらいの
実力を備えているにも拘わらず、心の交流は不十分に思える。たとえば、どのような作家や出版
物があるのか、といった情報がない。ブラジルの作家で知られているのは『アルケミスト』ほか
の著者、パウロ・コエーリョのみである。日本からは何名かの作家の作品が紹介されているが、
その数も十分ではない。
「本は沈黙の外交官」 という先達の名言がある。更なる 100 年後には、お互いの国の作家や作
品のことをもっと知り合っているように努力されねばならないし、そのようになることを心から
願っている。オブリガーダ(ありがとう)
」
パネル・ディスカッション
国際交流基金サンパウロ事務所の役員、ジョー・高橋氏がコーディネーターとなり、出席者は、
栗田のほか翻訳者の後藤田怜子(Leiko Gotoda)さん、アンジェル・ボジャセン氏(エスタサオン・
リベルダーヂ出版社社長)
、カシアーノ・エリック・マシャード氏(コサク・ナイーフ出版社役員)
である。
後藤田怜子さんは谷崎潤一郎の姪ということもあり、『細雪』、『瘋癲老人日記』など谷崎作品
を 5 点訳しておられる。そのほか、三島、大江作品を各 1 点と村上春樹の 2 点、一番の大仕事
は吉川英治著『宮本武蔵』の日本語からの翻訳である。『ムサシ』として 2 冊にまとめられたが、
著者のご遺族と相談の上、15 巻から縮めて、それでも 1,800 頁になった。これを手がけたきっ
かけは、16 歳から 12 歳までの 3 人の息子たちに日本の倫理観、審美眼、そして祖先伝来の意
志の力、完璧さ、それに到達するための厳しい教育など「侍の世界」を知らしめたかったからで
ある。しかし、翻訳原稿を持ち込んだ数々の出版社からは断られ続けていた。最後に、エスタシ
オン・リベルダーヂ出版社が、破産する覚悟で、と引き受けてくれた。
『ムサシ』を出版した、エスタサオン・リベルダーヂのボジャセン氏は、桐野夏生の『OUT』
や村上春樹作品なども出版しているが、
『ムサシ』はベストセラーというよりロングセラーで
1999 年の初版以来 10 万部売れている。1,800 頁の作品がこれだけ売れているのは稀有なこと
である。
(講談社インターナショナルが抄訳で英語版を出版したと聞いているが、哲学的な箇所
ブラジル 49
は省略されてチャンバラの部分を重点的に訳出したと聞いている。)ブラジルでは、日本の伝統
的な作品の方が、現代作家の作品よりも歓迎されている。この翻訳費の一部は、国際交流基金の
援助を受けることができた。今後も、できるだけ多くの伝統的な日本文学を中心に出版していき
たい。
『オシリス、石の神』が同社で出版されている吉増剛造氏がブラジルにこられた時は「自
然の大切さ」を強調された。日本人と自然との結びつきは、詩歌によって 100 年以上も読み継
がれていることは驚異である。しかも、日本文化の中に潜んでいるユーモアにも感心した。岡倉
天心の『茶の湯』も原語から翻訳、出版された。
高橋氏は『ムサシ』の成功によって、ほかの出版社の編集者も啓発されて、何点かの日本文学
が紹介された。
『ムサシ』の前と後では日本文学への関心の度合いが変わったと強調された。
五味太郎作『みんながおしえてくれました』を出版したマシャード氏は、見本を会場に持参、
グラフィックな美しさがあり、
白
(余白)
を巧みに利用しているデザインが印象的であると述べた。
また、
「サンパウロに生まれた子供たちは日本文化に触れる機会が多くある。自分は「ウルトラ
セブン」をテレビで見、おすしなどの食物、折り紙、カラオケ、柔道、合気道、指圧、サンパツ
(なぜか?)
、黒澤明の映画などの日本文化に接してきた。ブラジル文学にも、東京を舞台にした
作品がある。今後も日本の伝統文化を反映した児童書、文芸書を手がけていきたい。今までは文
芸書や科学書、学術書などを中心に出版していたが、デザインのしっかりした児童書を増やして
いきたい」と望んでいる。
ブラジルで出版されたときは、日本の作家に訪問していただきたいが、両村上氏、桐野氏は一
度もブラジルまで足を伸ばしていただいていない。
会場からは、現代の作品だけではなく、古典や、中世、近代の作品についての情報もほしい。
との声があった。現代については、国際交流基金が発行している Japanese Book News が役立つ
と思う。著作権の切れた作品についてはエージェントとして扱えないので、基金で判らない場合
は、ほかの文化団体を通じて情報を入手していただきたい。とお願いした。
アメリカや EU 諸国では、著作権は「死後 70 年」保護されるが、日本では?との質問があった。
日本でも早晩死後 70 年になるかもしれないが、
賛否両論があり、いずれ意見が固まるとは思うが、
現在では死後 50 年保護される、
と回答した。
尚、パネル・ディスカッションに参加し
なかった出版社からも、日本の作家の作品
は、三島由紀夫、川端康成、遠藤周作各3
点、村上春樹、村上龍、湯本香樹実の各 2
点、安部公房、五木寛之、井上靖、井伏鱒二、
大江健三郎、神沢利子、高橋源一郎、俵万智、
吉村昭、よしもと・ばなな、の作品各1点
が出されている。
ブラジルの詩人、脚本家、ジャーナリス
トでもあった文芸作家で今年死後 100 年の
マシャード・デ・アシスの作品は、彩流社
50 ブラジル
( 場内の様子、天井は高く広々としている )
から『ドン・カズムーロ』が、
大学書林から『パラグアイ戦争』の題名で短編集が出版されている。
今回のパネル・ディスカッションが、今後の日伯両国の出版交流を更に促進するための第一歩
と捉えたい。
企業の文化活動
フォルクスワーゲン、HSBC(Hong Kong Shanghai Banking Corporation)など、図書展の会
場では企業名が目立つ。特にフォルクスワーゲンは銀色の円筒形の上にずらりと本を並べて、遠
くからでも目立つスタンドの中にはカラフルな車があり、そこから子供たちに読み聞かせをして
いた。その円筒を劇場に見立てて舞台は車、大勢の子供達で、円形劇場は満員で、熱心に話を聴
いていた。アイデアセンターもフォルクスワーゲンの名前を冠していたので、同社が提供した会
場であろう。11 時から毎日最低 5 件の行事が催されていた。
1. イタウ銀行:国内 2 番目の大銀行で、図書展開会の前々日文化センター数名の役員に迎え
られた。すでに、筆者の講演原稿に目を通していたようで、彼らが一番聞きたかったことは、
どのようにしてブラジルの作家を積極的に日本で出版してもらえるだろうか?ということで
ある。海外におけるブラジル文学の普及度の調査を研究者や翻訳者を通じて行っているとい
う。筆者が 30 年前に悩んだことであるが、当時は日本から出版に関しての情報が皆無であっ
た。Japan Book News をまず発行したのだが、本業である著作権の輸出の時間との調整と経
済的な理由で行き詰まり、結局国際交流基金の Japanese Book News にコンセプトが引き継
がれて、季刊で発行されている。経験からすると、細いパイプでもきちんとした人脈をつな
いで行くのが大切ではなかろうか。国際図書展などで、ここと思える出版社、エージェント
とを見つけて、情報交換をすることがよいと思う。ブラジルにどのような作家がいるのかを
われわれは知らない。マシャード・デ・アシスのことも今回はじめて知った。
その他にもクラリッセ・リスペクトール (Clarice Lispector)、ギマラエス・ローザ (Guimaraes
Rosa)、 カルロス・ドゥルモン・デ・アンドラーデ(Carlos Drummond de Andrade) などがいる
ことを知らされるが、どのような作品を出版しているのかの知識がまったくない。英文での情報
発信が大切、と進言した。
イタウ銀行の文化担当役員の中に、リオ・デ・ジャネイロの出版社、マルコ・ゼロの社長・編
集長だったパウロ・ヴィセーリ氏がおられ、30 年前にフランクフルトでお目にかかって以来の
再会をお互い喜んだことであった。北杜夫著『楡家の人びと』を出版、2,000 部くらい売れたと
のこと。しかし、同社は他社に吸収されてしまった。その新出版社のスタンドに立ち寄ったが、
文芸書はなく、大衆向けの出版物が目立った。
同銀行で出版された図版本をおみやげに頂戴したが、現代に活躍するブラジルの画家、彫刻家、
建築家の作品を紹介するもので、欧米の作品とは一味違った中々魅力的な作品が多かった。B4
版の 250 頁に及ぶその上製本は立派なもので、企業活動の一環として出版され、海外からの来
客に贈呈していると聞いた。また、イタウ銀行文化センターでは、美術、ダンスなどについての
ブラジル 51
インターネット百科事典を立ち上げており、このサイトはユネスコの世界無形文化財に指定され
たとのことである。
2. セスキ (SESC):ブラジル商業連盟社会サービスという団体で、一般企業は利益の何パーセン
トかを文化活動に寄付することが義務付けられており、それによって、舞台芸術などが経済的な
不安なく活動できるようになっていると説明を受けた。サンパウロに到着した夜は、国際交流基
金の招聘で訪問した日本の創作舞踊団「加藤みや子ダンススペース」の公演に招待された。公演
会場はセスキの6階建ての建物の中にあるピニェイロス劇場である。レストランも、なぜか歯医
者もあり、一般人に開放されている。柳田邦男の『遠野物語』にブラジルの民話を取り混ぜた作
品がブラジルのダンサー約 10 名をオーディションで選び、コラボレーションを行ったとか。質
の高い創作舞踊で、日・伯混合の「笑う土」と題した面白い舞台であった。
3. 2. に対して、工業関係の企業による団体、SESI もあり、SESC 同様な文化活動以外にホテルマ
ンの養成、語学教育などを含む活動を積極的に行っているとのことであった。
このように、銀行を含む企業の文化活動には目を見張るものがあり、羨ましくさえあった。個々
に、舞台芸術やスポーツなどにスポンサーがつく日本でも見習ってほしいというのが、率直な感
想である。日本の企業も、個々に一過性の援助をするのではなく、組織化されて長続きするよう
な形になることが望ましいと思う。景気のよしあしに左右されないで文化活動が行われることが
メセナの精神ではなかろうか。
書店
街角のあちこちに小規模の書店を散見したが、市の一番大きな書店、Livraria Cultura( 文化書
店 ) に、国際交流基金の岡野さんに案内していただいた。なんとおおらかな、というのが第一印
象である。螺旋になって 4 階ぐらいまで吹き抜けになった周囲に分野別に本が並べてあり、哲学、
心理学などと名札が出ている。あちこちに置いてある椅子には、買う前の本を吟味したり、座っ
て読みふける人たちがいる。1 階の中心は広場のようになっていて座ると形が変わる大きなカウ
チが 10 ぐらいあり、恋人たちが寝転がって本を読んだり、何名もが同じ椅子に座って読んでい
たり、本を自由に読んでいる。奥の喫茶室ではテーブルで話す人、本を読む人、人を待つ人、な
どいろいろで、その辺に積んである本の1冊を取ってきては読み、待ち人が来ればひょいと戻し
て出てゆく。2 階の児童書売り場は大きな恐竜の骨の模型があり、その中は子供の遊び場である。
本を読む子、
遊びまわる子などいろいろである。一般書、専門書の部門でも万引きのことなどまっ
たく無頓着のようだ。これがニューヨークなら持ち物の中身を点検されること間違いなしなのだ
が。責任者に会うことができず、流通のことなど質問できなかったが、ポルトガル語が読めなく
ても、この書店では時間がゆったりと流れ、何度でも来たい場所であった。同書店の支店が他に
2箇所あるとのことだったが、そこには立ち寄ることができなかった。
52 ブラジル
図書館
サンパウロ市立文化センターにも立ち寄った。地下を上手に利用している広い敷地の文化施設
で、夜の演奏会のリハーサルなのか、ピアノを弾いている人がいる。その会場を見ながら進むと、
図書館の入り口で、そこで鍵をもらい、自分の荷物やコートをロッカーに入れて、図書室に向か
う。ゆるやかなスロープを下りると分野別の書棚が吹き抜けの下に広がる螺旋状のスロープの周
囲にあり、自然の採光が取り入れられているので、地下室の暗いイメージはない。子供に本を読
み聞かせる場所には小さな色とりどりの椅子がたくさん並べてある。読者は必要な本を自由に取
り出して、机に持参して静かに読むようになっており、貸し出し可能の受け付けもあった。帰途
は緩やかなスロープを登って荷物を取り出したら、入り口とは別に出口があり、鍵は箱に入れれ
ばよい。閉ざされて湿った雰囲気ではなく、明るく開放的な図書館であった。
国際交流基金でも、日伯文化連盟でも図書室を見学した。かなり古い今では日本で入手できな
いような全集などがそろっていた。新刊は注文してから 3 ヶ月くらいかかるらしいが、日本で
探し出せないような貴重な本が埋もれているかもしれないと思えた。日本語、英語、ポルトガル
語の図書、
雑誌、
視聴覚資料を所蔵している。
日伯文化連盟では一般人も自由に出入りができるが、
基金のほうは大きな市内のビルの2階にあるため、セキュリティーが厳しく、気軽には入れない
のが利用者にとっては不便である。しかし、身分証明書、住所証明、写真を提出して登録、利用
者カードを取得しておけば、閲覧も 2 週間の貸し出しサービスも受けることができる。
雑感
ブラジルは BRICS の中でも最も安定した発展を続けているようだ。多人種、他民族国家であ
りながら、部族間の争いもなく、民主主義が浸透している。特定の資源に頼らず、ほとんどすべ
ての資源を保有す世界最大の資源国である。中でも、砂糖黍からエタノールの開発がなされてエ
ネルギーの供給をはじめ、あらゆる農産物に恵まれている。さらに民間企業の力が強く、工業国
としての発展が目覚しい。
(日本航空がブラジルのエンブラエル社で生産された燃費効率のよい
ジェット機を購入し、2010 年度末までに 10 機を導入することが先ごろのメディアでも報道さ
れた。
)
しかし、ブラジルのアキレス腱ともいうべきは、犯罪の多さであろう。外務省からの通達でも
銃による被害には十分気をつけるように実例が並べてあり、ひったくり、強盗なども頻繁に起こっ
ていると注意を促していた。すれ違うパトカーの窓から 10 センチばかりの銃口が突き出ている
のには寒気がした。治安が悪く、犯罪が多いのも貧富の差が原因かも知れない。貧困層のスラム
街は空港から街中に入る途中にそれとすぐわかり、多く見られたし、それは高い文盲率となり、
教育面でも大きな問題になっていると思われる。本の定価を下げるように、と大臣や市長が述べ
ることで解決することではないように思える。出版社も、低い定価に設定した図書が多く売れる
ことが望ましいわけだが、平均初版部数が一般書で 3,000 部、文芸書で平均 2,000 部と少ない。
パネル・ディスカッションに参加した出版人の 1 人に定価の設定方法を聞いてみた。特に書面
での約束はないが、結局、出版社、書店間での紳士協定で定価設定をして、返本も受付け、委託
ブラジル 53
販売のような形態の取引になっている。それでも、大出版社と違って小出版社の販売力は広い国
土では運賃もかかりなかなか難しい。マークアップ(製作コスト+印税の倍率)は約6~7倍。
頁数で計算することもあり、例えば、230 頁の本は頁あたり 17 センタボで定価 39.10 レアル ( 約
23 ドル )、厚めの本で 350 頁の場合は頁あたり 13 センタボで 45.50 レアル (27.30 ドル ) を目
安にしているとのことであった。日本の 23 倍もある国土に本を平等の価格で行きわたらせるこ
との困難は容易に察しがつく。( 上記換算レートは 08 年 8 月時点 )
ブラジルで長年生活していた知人、友人が犯罪に気をつけろと忠告する。欧米のどの国を訪問
するよりも緊張した。しかし、国際交流基金の配慮で空港までの送り迎えがあり、防弾装置のあ
る公用車を国際交流基金サンパウロ所長の西田氏のご好意で乗せていただいたり、同基金の岡野
道子さんがほとんど付きっ切りで案内や通訳をして下さったために、滞在中怖い思いをしなくて
も済んだことは誠に幸いであった。英語が意外に通じないこともよく分かった。
しかし、移民資料館でさまざまな 100 年の日系人の苦労を知るにつけ、すでに6世にまでなっ
ている合計 150 万人の日系人とブラジルの人たちには、もっともっと過去から現在に至る日本
のことを知ってほしいと思う。後藤田怜子さんの、息子たちに日本の精神を教えたいという翻訳
の動機には感銘を受けた。ブラジルに永住すると決めた日本人にとって、日本はいつまでも変わ
らぬ、礼節を重んじる美しい故郷なのだ。その文化を出版を通じて更に知らしめ、理解し合う、
子孫たちにつなげていくことの大切さを思う。
いつもながらきめ細かな対応をして下さった(社)出版文化国際交流会の横手多仁男氏、国際
交流基金の高畑律子さん、同サンパウロ事務所長西田和正氏、担当の田村大吾氏、岡野道子さん、
中田グレースさんほか、ご協力くださった皆さん、初めてのブラジル訪問の貴重な機会を与えて
下さった関係者の皆さんに心から御礼申し上げます。
54 ブラジル
第 60 回フランクフルト ・ ブックフェア
名 称
60th Frankfurt Book Fair
テ ー マ
トルコ
会 期
2008 年 10 月 15 日 ( 水 ) ~ 19 日 ( 日 )
入場時間
9:00 ~ 18:30( 最終日のみ 17:30 まで )
会 場
Messegelände Frankfurt am Main( フランクフルト国際見本市会場 )
展示面積
171,790㎡
主 催
Ausstellungs- und Messe GmbH des Börsenvereins des Deutschen Buchhandels( ドイツ出版社 ・ 書籍販売店協会 )
出 展 数
7,373 社 ( ドイツ : 3,337 社、海外 : 4,036 社 )
ナショナル
78 ブース
出 展 数
402,284 点 ( 新刊 : 123,496 点、既刊 : 278,788 点 )
参 加 国
100 カ国 / 地域
入 場 者
299,112 人
内訳 : 15 日 ( 水 ) 46,108 人
16 日 ( 木 ) 58,772 人
17 日 ( 金 ) 53,146 人
18 日 ( 土 ) 78,218 人
19 日 ( 日 ) 62,868 人
報告 : 梶原 千歳 [( 社 ) 出版文化国際交流会 事務局 ]
ブックフェア概況
今年で 60 回目を迎えたフランクフルト・ブックフェアは、昨年の入場者数を 5.58%上回る盛
況ぶりであった。18 日 ( 土 ) は過去最高となる 78,218 人を記録した。同日午後 7 時には、場内
のコングレス・センターにてフランクフルト・ブックフェアの 60 周年記念を祝う式典が開かれた。
平日の 3 日間はビジネス・デイに指定され、土日は一般に開放されている。金曜日には学生
や一般と思われる来場者も見られたが、やはり平日と土日の雰囲気の違いは歴然としている。初
日からの 3 日間はどこのブースも商談に忙しい。それに引き替え、土日はどの出展社もややほっ
とした面持ちで一般来場者を迎える。中には、早々と撤退する社もあれば、がやがやと混雑する
中ミーティングを続行するところも。
出展総数は 7,373 社、昨年の 7,448 社を僅かに下回った。最も出展が多かったのはご当地ド
イツの 3,337 社、これにイギリス 834 社とアメリカ 662 社の英語圏が次ぐ。そして、ぐんと差
ドイツ 55
が開き、イタリア 257 社、スペイン 253 社の出展であった。
前半 2 日間は曇りや雨と冷え込んだが、後半はお天気にも恵まれトルコが特設テントを設置し
た中央広場にもようやく活気が見られた。
テーマ国
毎年違った国や地域がテーマに選ばれ、趣向を凝らした催し物が会場を彩り、来場者を楽しま
せる。今年のテーマ国はトルコ、
「色彩豊かなトルコ」をスローガンに会場内外でコンサート、
ダンス、舞台、展覧会、ワークショップなど、50 のイベントを繰り広げる。これに加え 200 も
の朗読会が行われ、そこではトルコ文学の全体像を映し出そうと、350 名の作家や翻訳家が紹
介される。
TURKIYE( トルコ ) の文字をカラフルにデザインしたロゴが会場や街中の至るところに見られ
る。ブックフェア会場の中央広場にはその巨大ロゴや物産展、またイスタンブールが 2010 年
の欧州文化首都に指定されたことを受け、“ISTANBUL2010” と掲げた特設テントを設置してい
る。メイン会場となるフォーラム館 2 階ではトルコ人作家がパネル写真とともに紹介され、そ
の横では「トルコ文学とユーモア」、「著作権問題」、「トルコのカオス、世界のカオス」などの
講演会が開かれる。5 号館 2 階のトルコ会場(約 100 社)を中心に 3 号館のコミック・センター
や児童コーナーに計 165 社が出展した。総展示面積は 4,000㎡。
10 月 12 日(火)の前夜祭には、トルコ
のギュル大統領、ギュナイ文化観光大臣、
ノーベル賞作家オルハン・パムク氏が出席、
講演。ギュル大統領が国内にて出版の自由
が確立されたことを強調、EU 加盟への大き
な前進であると述べたのに対し、オルハン・
パムク氏は今なお作家や書物への罰則が存
在し、現に多くの作家やジャーナリストが
裁判にかけられていると反論。しかし、パ
ムク氏はそれと同時に 20 年前とは比べも
のにならないほどトルコの知名度は上がっ ( フォーラム館、カラフルなパネルを使って作家紹介 )
た、世界の文化的中心地になり得たと自国
を称賛した。トルコの出版社数は 1,724 社、書店は 6,000 店、市場規模は 8.1 億ドル。
さて、2009 年のテーマ国は中国、2010 年はアルゼンチン、2011 年にはアイスランドが決定
している。来年に控える中国は今年、6 号館 1 階の日本会場横を中心に 184 社が出展。聞くと
ころでは、
来年は 2 倍の出展が予定されており、
そのために今年は人員・経費ともに節約したとか。
フェア最終日の 19 日 ( 日)には、ユルゲン・ボース総裁と中国を代表して作家 Zhang Jei 氏が
記者会見を行った。
56 ドイツ
本会組織による日本の出展
アジアやスカンジナビア諸国が出展する 6 号館 1 階に日本会場を組織。出展したのは、岩波
書店、オーム社、学習研究社、講談社、講談社 BOX、小学館、大日本印刷、日本著作権輸出セ
ンター、日本文学出版交流センター、リード・エグジビション・ジャパン。本会ブースは例年入
口を入って右側に設置されていたが、今年は中国に場所を譲り、入口正面へ移動。結果的に更に
目立つ立地となり、また日本ブースは通り一本に全て並ぶこととなった。
マンガに特化した講談社 BOX は初の参加。大日本印刷はブース面積を拡大、日本文学出版交
流センターはこれまで独自に参加していたが、今年は本会を通じて出展した。
日本通りを彩ったのは、生け花。初の試みとして、いけばなインターナショナル協力のもと、
各ブースのテーブルやカウンターに生け花を飾った。赤色を基調にした大小の生け花のおかげ
で、日本会場に統一感が生まれた。いけば
なインターナショナルは、フランクフルト
支部をはじめ世界各国に拠点を持ち活発に
活動されている。今回もパリでの地区大会
が目前に迫っていたにも拘らず、日程を調
整し、快くご協力して下さった。会期中に
は会長 (2007-2008) の川井満理慧氏がス
ケジュールを縫ってパリから視察にお寄り
下さった。
3 号館のコミック・センターには角川書
店と白泉社が出展し、週末は入場者で溢れ
( 日本会場、日本ブースがずらりと並ぶ )
んばかりの人気であった。
日本インフォメーション・センター
本会と国際交流基金の共催により日本インフォメーション・センターを設置。出版関係者には
『Practical Guide to Publishing in Japan』
、
『Books from Japan』( ともに本会と国際交流基金の共
同出版 ) や出版社一覧を提供し、日本の出版に関する概要やデータ、コンタクト先などを案内し
た。
例年では版権の販売に関する問い合わせが殺到していたが、今年は初めの 2 日間に多くの版権
購入希望が寄せられた。分野は文芸やアート、
児童書などが主。出展社を紹介すると同時に、ブー
ス出展がない社の書籍に関しては、コンタクト先やエージェントを紹介するなどして対応した。
また翻訳助成についての照会も多くみられ、国際交流基金をはじめとするプログラムを案内。
今年の特徴には、旧ユーゴ圏からの出版関係者が多く訪れたことが挙げられる。照会内容は版
権の売買についてであった。この他、土地柄やはりヨーロッパ諸国が多かったが、インドや中国
も見られた。台湾、シンガポール、韓国など、他のアジア諸国からの問い合わせが比較的少なかっ
たのは、すでに日本の取引先があるからだろう。
ドイツ 57
土日はインフォメーション・センター隣に設置した本会共同ブースへの反響が高かった。出展
図書への購入希望が多く、OCS( 海外新聞普及 ) など注文可能な店舗の住所を伝えるなどして対
応した。特に問い合わせが多かったのは日本語教材、マンガ、折り紙、生け花など。他のフェア
でもみられたが、マンガ好きが高じて日本語に興味を持ち、大学で専攻という学生にも出会い、
あらためてマンガの波及力を感じた。折り紙は難易度の高い立体的なものが受け、生け花は実際
生けられた花を見て興味を持つ人が多かった。
インフォメーション・センターは今年も日本の起点となり、出版の足がかりとして、また交流
の場として、必要な役割を果たせたのではないか。
PACE 共同ブース
出版梓会、自然科学書協会、大学出版部協会、日本児童図書出版協会が本会で設置する共同
ブースに出展した。日本児童図書出版協会は 2006 年からの参加、他 3 団体は 2001 年からご協
力を得ている。1 社につき 1 ~ 2 点の条件のもと、各会員社に出展案内を行った。出展書籍は 2
年続けて展示する。展示後、学術書が多く出品される 3 団体分に関しては、サンクトペテルブ
ルグのロシア科学アカデミー図書館「三笠宮文庫」への寄贈が決まっている。今回の展示総数は
476 点 (244 社 )、団体・年ごとの点数は下記の通り。( ) 内は社数。
2007 年 2008 年
出版梓会
72(36)
87(42)
自然科学書協会
46(24)
59(30)
大学出版部協会
58(31)
57(31)
日本児童図書出版協会 47(24)
50(26)
合計
223(115) 253(129)
新刊を中心に学術書から児童書まで、多分野に亘る書籍をじっくり閲覧できるのは、この共同
ブースの他にはないのではないか。インフォメーション・センターには様々な書籍に関する照会
が寄せられ、共同ブースの展示図書を案内
することもしばしばあった。照会について
は、出版社の直接の担当者名や E-mail アド
レスを併せてお伝えし、対応した。100 部
用意していた 4 団体の出展リストは 5 日間
で全て配布された。
この他、本会共同ブースにはフランクフ
ルト・ブックフェア初参加となるベネッセ・
コーポレーションがコーナー出展を行った。
また、鹿嶋国際著作権事務所や文藝春秋に
もスペースを提供。3 つ用意されたテーブ
58 ドイツ
(PACE 共同ブース、中央には艶やかな生け花が )
ルは常時満席であった。
その他の日本の出展
全体での日本からの出展は計 43 社。これには、共同ブース出展社、オンライン出展社、エージェ
ント・センターに登録する社を含む。主な出展となるのは前述した 6 号館 1 階。この他、学術
書やアート関連などが集う 4 号館や 3 号館 1 階のコミック・センター、英語圏の 8 号館などに
日本の出展社がみられた。4 号館には、学術分野として医学書院、紀伊國屋書店、南江堂、西村
書店、培風館、丸善、Medical Sciences International が出展、また日本紙パルプ商事と日本製紙
が共同ブースを設けた。8 号館には講談社 Europe、国連大学出版部、凸版印刷が出展した。ち
なみに 8 号館の 3 社と日本紙パルプ商事、日本製紙は日本の出展社としては数えられていない。
在フランクフルト日本総領事館への表敬訪問
10 月 13 日 ( 月 ) 午前、9 月末にブックフェア会場前のメッセ・タワーに移転したばかりの在
フランクフルト日本総領事館を表敬訪問。花田総領事が出迎えて下さった。直前に起こった金融
危機やブックフェアでも顕著な中国の台頭に話が及ぶ中、花田総領事は経済と文化、相互的な重
要性に触れられた。ブックフェアに関しては、何かできることがあればと協力を申し出て下さっ
た。また、10 月 15 日 ( 水 ) には公邸での昼食会にお招き下さり、本会の佐藤政次副会長、石川
晴彦専務理事、そして日本文学出版交流センターの佐原亜子事務局長・理事が出席した。
ドイツ社団法人日本語普及センターへの訪問
10 月 13 日 ( 月 ) 午後、ドイツ社団法人日本語普及センターを訪問。石登紀子理事長にお会い
した。同センターでは日本語教育を行う傍ら、現地に在住する日本人のためにドイツ語講座を設
けている。長年培ってこられた広いネット
ワークをお持ちで、本会への惜しみない協
力を約束して下さった。また本会からは毎
年、日本語を学ぶ生徒さんや在留邦人のた
め、ブックフェア終了後、図書寄贈を行っ
ている。ちなみに、今年はこの他、国際交
流基金ケルン日本文化会館の推薦によりベ
ルリン自由大学へ寄贈した。
PACE 共同ブースとインフォメーション・
カウンターの裏手 ( といっても、中国ブー
スと向かい合った通路だが ) の壁面は、当
( ドイツ人による習字、あまりの上手さに感服! )
初真白であった。せっかくパネルにして 9
ドイツ 59
枚ものスペースがあるのだからと、総領事館と日本語普及センターにご連絡し、展示物をお借り
した。総領事館からは「YOKOSO! JAPAN」のポスター、日本語普及センターからは訪問時にセ
ンターで目に留まったドイツ人生徒さんたちの習字をお借りした。どれも歩行者の目を引く。習
字と共に用意した日本語普及センターのパンフレットは瞬く間になくなった。
ブックフェアという場は、待っているだけであちらからどんどんお客様がいらっしゃる。日本
好きの常連さんばかりでなく、不特定多数であるから、特に日本に関心を寄せていないという人
を新規に開拓することができる。とても効率がよく、効果的な場だ。今年は、多くの団体との協
力により、魅力的なブースが出来上がった。
ブック・アート・インターナショナル
10 月 17 日 ( 金 ) 午 前、 ブ ッ ク・ ア ー
ト・インターナショナルは各国の関係者を
招待し、レセプションを開いた。4 号館 2
階に広く割かれたスペースには、ドイツの
Stiftung Buchkunst( ブ ッ ク・ ア ー ト 財 団 )
主催のもと、世界各国から集められた造本
装幀に優れた本が数百点展示されている。
日本からは、第 42 回造本装幀コンクール
に入賞した 33 点とそこに含まれるシリー
ズものの参考として 5 点、計 38 点を日本
書籍出版協会と共同で出品した。展示書籍 (4 号館 2 階のブック・アート・インターナショナル展 )
は、来年 3 月にライプチヒで催される「世界で最も美しい本」国際コンクールに送られる。
FBF ボース総裁との会見
10 月 17 日 ( 金 ) 午後、フランクフルト・ブックフェアのユルゲン・ボース総裁、本会の窓口
となっているアフリカ・アラブ・アジア担当のレイ・レン氏と会見の場を持った。本会側の出席
者は、佐藤副会長、石川専務理事、本会が運営するフランクフルト・ブックフェア世話人会座長・
新藤雅章氏 ( 小学館 )、オーム社国際室課長・佐藤素美氏、日本書籍出版協会事務局長・樋口清
一氏、筆者の 6 名。ボース総裁は先の金融危機に触れると、ブックフェアへの影響はほとんど
ない、契約件数は昨年を上回るペースで伸びていると述べた。
話は出版の世界的トレンドである電子書籍に移り ( フランクフルト・ブックフェアでは展示物
の 30%がデジタル商品、書籍は全体の 42% )、日本での携帯電話のコンテンツ配信について尋
ねられた。ヨーロッパでは 3G(3rd Generation. デジタル携帯電話。高速データ通信やマルチメディ
アを利用した各種サービスが使用可能 ) の携帯電話が日本ほど普及していないことから、これか
60 ドイツ
らの成長が期待される市場である。またこれに伴い、デジタル・ライツの取引が急成長している。
日本はビジネス・モデルに据えられており、ボース総裁は来春 2 年振りに日本を訪れ、市場調査
を行う予定だ。
会見での実務面に関する話し合いでは、拡大する中国に押される懸念があることを踏まえ、今
年と同じロケーションでの日本会場配置を強く要請した。
ハッピー・アワー
10 月 17 日 ( 金 ) 午後 5 時、
毎年恒例となっ
たハッピー・アワーを本会ブースにて開催。
今年も 200 名近い出版関係者にドイツの生
ビールやサンドイッチ、日本のお菓子など
が振る舞われた。懇親の場としてパーティー
を主催してきたが、今年は特にこの場での
出会いを通して来年に向けての企画が持ち
上がった。参加者からも、思いも寄らない
方に再会できたと喜びの声が届き、主催者
として冥利に尽きる。
(200 名近い出版関係者が出席 )
視察コース
本会企画協力、JTB 旅行企画実施により、イタリア 4 都市視察コース (10 日間、15 名 ) とサ
ンクトペテルブルグ視察コース (7 日間、7 名 ) を編成した。両コースとも出発は 17 日 ( 金 )、
メインとなるブックフェアを 18 日 ( 土 ) に視察後、それぞれの視察先へ向かった。
長年、視察旅行を企画しているが、イタリア視察には根強い人気があり定番のコースとなって
いる。今年はそれに加え、サンクトペテルブルグ視察を新たに企画。発端となったのは、サンク
トペテルブルグ・ロシア科学アカデミー図書館「三笠宮文庫」への図書寄贈である。昨年 12 月
には、石川専務理事が贈呈式に出席、
「三笠宮文庫」を視察した。また、現地での熱心な日本語
教育に感銘を受け、図書寄贈の意義や必要性を再確認した。サンクトペテルブルグとの交流は以
前に増して深まり、今年のツアー企画においては、この美しく文化的な都市にぜひ足を運んで頂
きたいという思いが募った。
JTB との幾度にも亘る打ち合わせや現地との交渉を経て、
「 三笠宮文庫」及び「有栖川文庫」
( 本会の名誉会長である三笠宮殿下が文庫を設立されるきっかけとなった )、そして壮大なエ
ルミタージュ美術館をじっくりと視察できるコースを企画、実施に至った。
20 日 ( 月 ) 午前中に行われたサンクトペテルブルグ国立大学「有栖川文庫」視察では、同
大学の日本語学科長ヴィクトル・ルィビン先生が、急遽日本語クラスの授業参観を取り計らっ
て下った。
ドイツ 61
同日夜には、在サンクトペテルブルグ日本総領事館の城所卓雄総領事と金津直人副領事がツ
アー参加者全員を公邸での夕食会にお招き下さった。またお二人は文庫視察にも同行された。思
いもかけないお取り計らいやお招きもあり、今回初となったサンクトペテルブルグ視察コースは
成功裏に終わった。
来年度の案内
第 61 回フランクフルト・ブックフェアは 2009 年 10 月 14 日 ( 水 ) ~ 18 日 ( 日 ) の開催。テー
マ国は中国。毎年、期間中はホテル代が高騰、ほぼ満室という状況だ。出展社の中には、チェッ
クアウト時に来年分を予約するところもあり、フェアの終わりは始まりでもある。来年のブース
申込もすでに受け付けられており、フランクフルト・ブックフェア事務局への申込締切は 1 月
31 日 ( 土 )。より多くの出展社を募り、日本のプレゼンスを高めていきたい。
62 ドイツ
第 10 回ノン / フィクション国際ブックフェア
名 称
10th International Book Fair for High-Quality Fiction and
NON/fiction
会 期
2008 年 11 月 26 日 ( 水 ) ~ 30 日 ( 日 )
入場時間
11:00 ~ 19:00
会 場
Central House of Artists( 中央芸術家会館 )
展示面積
6,000㎡
主 催
EXPO-PARK Exhibition Projects Ltd.
テーマ国
フィンランド
出 展 社
250 社 ( うち国内 215 社、海外 35 社 )
参 加 国
21 カ国
アイスランド、イギリス、イスラエル、イタリア、ウクライナ、エ
ストニア、カナダ、スウェーデン、スペイン、チェコ、デンマーク、
ドイツ、ノルウェー、フィンランド、フランス、ベルギー、ポーランド、
ラトビア、リトアニア、ロシア、日本
入 場 者
27,290 人 ( 昨年比 2.6%増、昨年は 26,590 人 )
報告 : 三吉 勇己 [ ㈱トーハン 海外事業部 ]
ブックフェア概要
地下鉄環状線を ParkKultury 駅で降りて
徒歩 10 分、モスクワ川を越えたところに
ある中央芸術家会館で今年もブックフェア
は開催された。トレチャコフ美術館の新館
と一体になった巨大な建物は彫刻公園内に
位置しており、施設内も洗練された雰囲気
である。初日と 2 日目は雪が降ったため、
慣れない私には歩くのも困難であったが、
会期後半には全て溶けてしまい、市内から
のアクセスも良いことから多くの人が訪れ
た。土日には開場後 1 ~ 2 時間経っても
( モスクワ川沿いに位置する中央芸術家会館 )
200 ~ 300 人が入り口に列を作っていた。
会場の広さは床面積で東京国際ブックフェアの約 3 分の1、フランクフルト・ブックフェアの
ロシア 63
約 30 分の 1 とこじんまりしているが、
「中央芸術家会館」で開催されるだけあってフランクフ
ルト・ブックフェア等と比較すると落ち着いた雰囲気である。建物の 1 階はエントランス、クロー
ク、カフェ等になっており、ブックフェアは 2 階と 3 階を使用して開催された。
今年のテーマ国であるフィンランドは、主に自国のコミックスと絵本をメインに PR しており、
2 階に設けられた特別スペースではムーミンを初めとするフィンランド産のコミックスを多数掲
示して来場者にアピールしていた。フィンランド以外にもフランスやポーランド、スウェーデン
等がナショナルブースを設けていたが、日本ブースのように自由に本を閲覧できるようにはなっ
ておらず、PR 資料やカタログ等を配布するだけに終始していた。
会期中最も盛り上がったのは 4 日目にゴルバチョフ元大統領が会場を訪れ自伝の PR イベント
を行った時で、このときばかりはブースアテンダントのロシア人学生も「すみませんがブースお
願いします!」との言葉を残し、カメラを片手に走り去っていった。
企業ブースの中で比較的目立ったブースは EKSMO 社と AZBUKA 社で、EKSMO 社は著者自身
による PR イベントを多数行い、AZBUKA 社は 100㎡近くある売り場一面に自社作品を並べ積極
的に販売を行っていた。なおどの出版社ブースでも通常の小売価格の半値近くで本を販売してい
るため、会場を訪れる人のほとんどは本の購入を目的としているとのことだった。
JAPAN ブース
国際交流基金と出版文化国際交流会の共催という形で設けられた JAPAN ブースには合計 401
冊を展示した。図書の内容と冊数は以下の通り。和文辞書(3 冊)、和文児童書(32 冊)、コミッ
ク(31 冊)
、和文写真集&一般書(63 冊)
、実用書&雑誌類(24 冊)、英文版図書(248 冊)。
ブースの設営にあたっては、昨年のレポー
トで「あまり人気がないようだ」と報告さ
れていた日本のポップカルチャーを積極的
に PR するため、マンガやアニメのポスター
を壁面に掲示したり、ファッション雑誌等
を目立つ場所に置いたりして若者にもア
ピールする展示にした。また折り紙の実演
を積極的に行い、老若男女の幅広い世代が
足をとめてもらえるよう努力した。モスク
ワでは日本大使館によって「日本の秋」と
いう日本の文化や伝統、食品等を宣伝する
( ポップカルチャーを積極的に PR)
キャンペーンが現在開催されているそうで(今回のブースもそのプログラムのうちの一つである
とのこと)
、その効果もあってか JAPAN ブースは絶え間なく多くの人でにぎわいを見せていた。
ブースを訪れた人の 7 割は女性で、特に料理本の人気が高かった。高齢の方に人気があるのは
やはり「折り紙」
。男性は年代を問わず空手など武道関連の書籍を手にとる傾向が高かった。事
前の狙い通り、男女問わず若者の多くが、マンガやアニメの関連書に高い興味を示してくれたが、
64 ロシア
展示した本の中で最も手にとった人が多かったのは、意外にもゴシックロリータ系のファッショ
ン雑誌であった。訪れた人の中には、これらのファッション雑誌が展示されているのを見ると、
驚きの表情を浮かべて友達を携帯電話で呼び出すなど、熱狂的な反応を見せる人が少なくなかっ
た。これは後に分かったことであるが、ロシアでは日本のゴシックロリータ系のファッションの
人気が非常に高いにもかかわらず、情報はインターネットを介して入手するしか方法がなく、日
本のオリジナル本については、ごく一部の書店でガラスのショーケースにいれて閲覧できない状
態で販売され、かつ日本円に換算して 7,000 円近くの高額で販売されているためであった。
多くの人が訪れ、かつ来場者アンケートでも高い満足度を得られた JAPAN ブースであるが、
その理由としては他のブースが書籍の販売を主な目的としており、展示されている本を時間をか
けて閲覧することができないのに対し、JAPAN ブースでは美麗な写真集からコミックスに至る
まで全ての本を自由にゆっくりと閲覧できる点があげられるだろう。反面、展示されている本を
一切販売できないため、購入を目的にして
いる来場者から「素晴らしい本を置いてい
るのに販売しないのは理解できない」とお
叱りを受けることもしばしばであった。ロ
シア滞在中には複数の書店関係者とコンタ
クトをとり「オリジナル本を日本からロシ
アに輸出する」ための販路の開拓を図った
が、そのうちいくつか好反応を得ることが
できたので、何とか取引開始にこぎつけ、
次回のノン / フィクション・ブックフェア
に派遣される方が、オリジナル本を購入で
( 料理、折り紙、武道、マンガやアニメが大人気 )
きるモスクワの書店を案内できるようにし
ておきたい。
ロシア出版事情
ロシアで刊行された書籍のタイトル数および発行部数の累計は以下の通りとなっており、5 年
前と比較するとタイトル数は増加しているものの発行部数は若干減少している。〈データ出典 :
「Knizhnoe obozrenie Pro」誌 (The Book review professional issue / 週刊の書評誌のプロフェッ
ショナル版 )2008 年第 10 号。資料はナウカ・ジャパン提供〉
年
タイトル数
発行部数
2004 年
89,066 点
685,881,300 部
2005 年
95,498 点
669,401,800 部
2006 年
102,268 点
633,524,100 部
2007 年
108,791 点
665,682,700 部
ロシア 65
ロシアの出版業界の中心は首都モスクワで、全体の 80%がモスクワで出版され、残りの大半
がサンクトペテルブルクで出版されるとのこと。(また英語で刊行される書籍も 8,000 点程度あ
る。
)なお書店の数は約 3,000 店で、そのうち 40%~ 50%は大きな書店チェーンに属している
とのこと。なおコミックス(マンガ含む)に特化したコミックショップはロシア全体でも 20 店
強のみで、それらの大多数はモスクワ、サンクトペテルブルク、エカテリンブルク、ノヴォシビ
ルスクなどの大都市に存在している。
出版タイトル数に基づいた出版社のランキングトップ 10 は以下の通りである。AST、EKSMO
社が 2 大出版社であり、2 社のランキングの位置は度々入れ替わるとのこと。以下 10 社のうち
ブックフェアに出展していたのは EKSMO 社と AZBUKA 社のみである。〈データ出典 : 同上〉
英文社名 ( 出版分野 )
タイトル数
発行部数
AST( 総合 )
7,681 点
55,125,100 部
EKSMO( 総合 )
6,553 点
70,712,800 部
Drofa( 教科書・総合 )
1,414 点
27,157,400 部
Egmond Rossiia Ltd.( 児童書 )
1,084 点
17,421,300 部
Prosveshenie( 教科書専門 )
1,068 点
45,136,600 部
Feniks( 教科書・総合 )
932 点
4,071,300 部
OLMA Media Grupp( 総合 )
922 点
9,451,700 部
Its Akademiia( 教科書 )
906 点
2,492,600 部
Ripol klassika( 総合 )
766 点
8,646,900 部
Azbuka klassika( 総合 )
646 点
5,248,000 部
ロシア語版マンガを刊行する出版社
1998 年に『羊をめぐる冒険』のロシア語版が刊行されてから、村上春樹はロシアで最も成功
した日本の作家となり、現在ではロシアのどの書店に行っても村上春樹の作品を購入することが
できる。吉本ばななや村上龍などの作家も人気があり、村上龍作品についてはいわゆる「ビジュ
アル系」のコスプレをした人物の写真をカバーに使用するなど、若い世代にもアピールしようと
する工夫が見られる。
1990 年代後半からはマンガに先行してアニメの人気がヨーロッパからの影響をうける形で
徐々に高まりをみせ、
(正規にライセンスされた)マンガの翻訳版に関しては、Sakura Press 社
が 2005 年に『らんま 1/2』を初のロシア語版マンガとして刊行開始し、2006 年には Comics
Factory 社が
『ペットショップオブホラーズ』
を、
そして 2008 年 10 月には EKSMO 社が『デスノー
ト』の刊行を開始している。コミックスを刊行する出版社は上記 3 社以外にも 2 社あるが、現
時点では 2 社とも韓国、台湾の作家によるマンガ作品の翻訳版のみ刊行している。
出版業界トップである EKSMO 社の参入により、マンガ市場はまさに拡大していく兆しを見せ
ており、まさに夜明け前といえる。ブックフェア期間中には Sakura Press 社、Comics Factory 社、
EKSMO 社とコンタクトをとり、現状についてヒアリングを行った。
66 ロシア
Sakura Press Publishing, Ltd.( モスクワ )
2002 年に会社を設立後、3 年がかりで『らんま 1/2』のロシア語版権を獲得し 2005 年より
刊行を開始している。現在『らんま 1/2』
『ふしぎ遊戯』(小学館)、
『ガンスリンガーガール』(ア
スキーメディアワークス)
、
『藍より青し』
(白泉社)の 4 シリーズを刊行しており、『バトル・
ロワイアル』
(秋田書店)
、
『クロノクルセイド』(角川書店)の 2 シリーズについても近く刊行
開始予定である。2009 年には年間 20 点程度を刊行予定とのことで、現在の平均売上部数は 7,000
部~ 10,000 部とのこと。
フルタイムの社員は 6 人で、翻訳は全てフリーランスの翻訳者に任せている。翻訳のクオリ
ティを保つため、同じシリーズには同じ翻訳者に翻訳させるとのこと。同社が刊行するマンガで
はオノマトペ(擬声語)をロシア語版に翻訳しなおしている。他国の翻訳版のマンガでは擬声語
を日本語のオリジナルそのままにし、欄外に現地語での解説をつける例もあるが、「読者にとっ
ては欄外の解説を見るだけでも負担になってしまうため、すべてのオノマトペをロシア語に翻訳
しなおしているのがこだわり」とのこと。またカバーには作品ごとに「+14」「+16」「+18」等
の推奨年齢表記が見られるが、読者の年齢を制限するという目的だけでなく、「マンガ=小さい
子供が読むもの」というロシア人の認識を変える目的もある、とのこと。 同社は出版業界大手
の AST グループと印刷および流通に関して提携を結んでいる。
Comics Factory( エカテリンブルク )
モスクワから南東に 1,600km 離れたエカテリンブルクにある出版社で、Urals University
Press(ウラル大学出版局)を母体としている。2006 年に設立され、同年『ペットショップオ
ブホラーズ』
(宙出版)の刊行を開始した。2008 年の刊行点数は 40 点あまりで、そのうち日本
のマンガは 13 点で、それ以外は韓国、台湾、アメリカ、ドイツの作家が描くマンガ作品の翻訳
版である。日本のマンガのラインナップは
『ペットショップオブホラーズ』
(宙出版)、
『プラスチッ
クリトル』
(学研)
、
『少女椿』
(青林堂)などで、競合他社とは異なるコアな読者をターゲットと
したマンガを選択している。ベストセラー作品は韓国人作家による作品で、日本のマンガの中で
のベストセラーは『ペットショップオブホラーズ』で、平均販売部数は 20,000 部ほどであると
のこと。2009 年には年間 60 点程度を刊行予定である。同社も出版業界大手の AST グループと
流通に関して提携を結んでいる。
EKSMO Publishing( モスクワ )
1991 年に会社設立後、AST グループと常にトップ争いをくりひろげている総合出版社。同社
提供の資料によれば 2007 年の刊行点数は約 12,000 点で、合計印刷部数は 9,300 万部近くにの
ぼり、ロシアの出版市場の 15%近くを占めているそう。なお村上春樹作品を全点刊行している
出版社でもある。
同社は 2007 年にまずアメリカ人作家によるマンガ作品 ( ロシアでの通称「アメリマンガ
=AMERIMANGA」) の翻訳版を 6 シリーズ刊行して編集経験をつみ、2008 年後半よりロシア語
版『デスノート』
『NARUTO』
『BLEACH』
(集英社)の刊行を開始した。2009 年は本格的にマン
ロシア 67
ガ出版に乗り出し、年間 100 点以上を刊行予定とのこと。なおマンガの編集作業等はモスクワ
ではなくサンクトペテルブルクにある関連会社が全て行っている。AST グループ同様、傘下に書
店チェーンを所有しているため、自社書店においては効果的に販促をかけていきたいとのこと。
ロシア語版マンガの販売状況
モスクワおよびサンクトペテルブルク滞
在中、いくつかの書店を訪れて翻訳版マン
ガの販売 / 流通状況を調査した。事前に現
地出版社より、
「ロシアでは再販制度がなく
書店の力が強いため、出版社が小売価格を
決定することができず、同じ本であっても
書店によって価格が異なる」と聞いていた
が、その事実を確かめることが主な目的で
ある。後述の通り、結果的には書店により
かなり価格にばらつきがあり、さらに同じ
シリーズであっても巻によっても異なるこ
(M. C. Entertainment が運営するアニメショップ )
とが多いことも分かった。なお「輸送コストの上乗せ分により、首都モスクワよりもサンクトペ
テルブルクの方が小売価格は高いのではないか」という事前の予想も外れてしまった。(なお一
般的に小売価格は卸売り価格の 2 ~ 3 倍程度であるとのこと。)
※以下 : ルーブルの参考レート / 1 ルーブル≒ 4 円
ドム・クニーギ ( 一般書店 / モスクワ : ノヴィ・アルバート通り )
モスクワ最大の書店ということで期待していたが、1 階の児童書コーナーの目立たない場所に
あるコミックス棚には、
EKSMO 社のアメリマンガ
(6 シリーズ 70 冊 / 値段 139 ルーブル)とスター
ウォーズのコミックスが数冊並べて置いてあるのみで、日本のマンガの翻訳版は 1 冊もなかった。
一方で、
2 階の「世界の文学」コーナーには村上春樹作品(15 作品 120 冊 / 値段『海辺のカフカ』
328 ルーブル)
、
村上龍作品(3 作品 40 冊)
、
よしもとばなな作品(2 作品 /10 冊 / 値段『みずうみ』
231 ルーブル)等が、もっとも大きな通路に面する目立つ棚に面陳されていた。
ビブリオ・グローブス ( 一般書店 / モスクワ : ミャスニーツカヤ通り )
こちらもドム・クニーギと並ぶモスクワでも最大級の書店であるが、現地出版社より「モスク
ワで最初にマンガ専門の棚をつくった書店」と聞いていた通り、日本のマンガやアメリマンガ、
韓国人作家のマンガ等を合わせる 400 冊以上が専用の棚にて販売されていた。またドム・クニー
ギと異なり、児童書コーナーではなくティーン向けノベルのコーナーの近くに棚が設置されてい
る。
(値段『藍より青し』144 ルーブル、
『らんま 1/2』133 ルーブル、
『デスノート』138 ルーブル、
『ペットショップオブホラーズ』163 ルーブル)
68 ロシア
M.C.Entertainment( アニメショップ / モスクワ )
こちらは「モスクワの秋葉原」とガイドブックに書かれることも多い「GABRSHKA(ガブルー
シカ)
」
(モスクワ市内 : 地下鉄 BAGRATIONOVSKAYA 駅下車)という大電気街の中に存在する、
アニメ DVD やグッズ、マンガを扱うお店である。現地のマンガファンの中では最も有名なお店
でロシア語版のアニメ DVD を販売する M.C.Entertainment 社がショップを運営している。10 畳
程度のお店を囲む形でショーケースが並んでおり、DVD やアニメグッズ、ごくわずかではある
が日本語のオリジナル本も置いている。
文豪カフェ ( 書店併設カフェ / モスクワ )
国際交流基金の坂上さんのご厚意により、モスクワ市内にある通称「文豪カフェ」(モスクワ
市内に 3 ~ 4 店舗あるとのこと)に連れて行っていただいた。こちらは書店が併設された地下
にあるカフェで、防空壕のような雰囲気の照明が暗い書店には、いわゆるサブカル系の本が多く
販売されている。翻訳版のマンガは Comics Factory 社のものが 2 ~ 3 点のみ販売されている。
著者がサイン会を行ったり、出版社が新刊の発表イベントに使用したりすることもあるそうで、
客層は若い女性が多かった。
(値段『ペットショップオブホラーズ』185 ルーブル)
アニメポイント ( コミックショップ / サンクトペテルブルク )
「サンクトペテルブルク最大のコミックショップ」と聞いて訪れてみたが、アングラな雰囲気
が漂う地下にある 6 畳ほどの店内には、コスプレグッズや翻訳版のマンガ、見るからに海賊版
のグッズやアニメ DVD がところ狭しと並んでいた。連れていってもらった現地出版社の担当者
に「さらに小さいコミックショップが 2 ~ 3 店舗あるが、行ってみる?」と問われたが、丁重
にお断りした。
Novi Knizny( 一般書店 / サンクトペテルブルク )
サンクトペテルブルクにある、ロシア初の 24 時間営業の一般書店。「外国文化」セクション
の村上春樹コーナーの隣にマンガ専用の棚があり、320 冊程度のコミックスがおかれているが、
その 7 割はアメリマンガや韓国、台湾の作家によるマンガの翻訳版である。なお、現地出版社
の担当者によれば、もともと「児童向け絵本コーナー」に置かれていたが、出版社の「教育」に
より徐々に現在の位置に移動したとのこと。
(値段『らんま 1/2』128 ルーブル、『デスノート』
143 ルーブル)
違法サイトの問題
正規にライセンスされたロシア語版のマンガの刊行が既に開始されている市場であるが、現地
マンガファンによって翻訳&スキャンされたものがインターネット上にあふれている。日本ブー
スに訪れたマンガのファンに最も有名な Web サイトについてヒアリングしたところ、「http://
www.animanga.ru」というサイトを教えてもらったため、ブースアテンダントに同行をお願い
ロシア 69
して会場内にあるネットカフェにて実態を調査した。
同サイトは現地の違法アップロードサイト 300 以上を集約したポータルサイトで、一日
20,000 ビュー以上に上るとのこと。リンクされている違法ファイルは数多く、ブックフェア会
場で確認した際には 2,000 シリーズ以上が当サイトから簡単にアクセスすることが可能な状況
であった。なお「製作の進行状況」のリストや人気ランキングも用意され堂々と違法行為が行わ
れている。
こうした問題に対し、現地出版社のある担当者は「ロシア語版のライセンス獲得をアナウンス
すれば、該当作品の違法アップロード活動は ” 鈍く ” なるものの、なくなることはない」と語っ
てくれた。また同時に「こうしたファン活動が現段階ではマンガ市場の裾野を広げてくれている
ことは否定できず、なかなか強い態度にはでられない」とも語っていた。なお 11 月末時点での
作品人気ランキングは以下の通り。
Rank
作品名
1
NARUTO
2
愛をうたうより俺におぼれろ
3
ヴァンパイア騎士
4
ONE PIECE
5
花ざかりの君たちへ
6
うさぎと狼の紳士協定
7
BLEACH
8
Queen’s Knight
9
ビネツショウジョ
10
桜蘭高校ホスト部
上記ランキングに少女マンガや BL 作品が多く含まれている点、および現地で得た感触をもと
に判断すると、ロシアのマンガ市場には男性読者よりも女性読者のほうが多く、またゴシック系
の作品を好む点を加えると、ドイツのマンガ市場に似通っていると強く感じた。
な お ロ シ ア で の イ ン タ ー ネ ッ ト の 利 用 状 況 は FMO ( 英 語 名 : THE PUBLIC OPINION
FOUNDATION/ 世論基金 ) という団体が定期的な調査をおこなっており、2008 年夏時点でのロ
シア全土での利用率(※)は 30%程度とのこと。ただし、モスクワのみであれば 58%、サンク
トペテルブルクが含まれる北西部は 38%と、都市部とそれ以外の地域によってかなり異なって
いる。
(※ネットを利用する場所を問わず、純粋に「利用しているか否か」についての調査結果。
「日常的に自宅でインターネット利用する」のは、利用者の 60%。自宅以外の利用場所では職場、
友人の家、学校、インターネットカフェ等が続く。)
アニメ DVD の海賊版については、前述の「GABRSHKA(ガブルーシカ)」に巨大な海賊版マー
ケットが存在している。DVD や CD を販売する小さな店が 100 店舗以上集まる建物があり、そ
の中にアニメ DVD の海賊版を専門的に販売する店が 5 ~ 6 店舗存在する。店舗に近づくと取り
扱っている DVD のカタログを見せてくれるのだが、リスト上にはアニメ DVD が 1,200 点、音
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楽 DVD(X Japan, ラルクアンシエル、浜崎あゆみ、YUI など ) が 30 点近く掲載されており、ど
の店舗も 200 ルーブル程度で販売していた。
なお、ブックフェア初日の記者会見において、主催者から「デジタルコンテンツ」がロシアで
も徐々に普及し始め市場も拡大しつつあるとの話もあったが、現地読者からは「確かにハード面
でいえばデジタルデバイスは普及し始めているが、インターネットを探れば違法にアップロード
されたデータがどこかに存在するため、お金を払ってまでソフトを購入する人はなかなか増えな
いのではないか」という意見も聞かれた。
マンガに関して言えば現時点ではネット上の海賊版が市場の裾野を広げる役目を果たしている
ようだが、このまま放置すれば市場の成長を阻害する要因になることは間違いないだろう。
おわりに
今回派遣の機会を頂いたブックフェアでは、ロシアのマンガ人気の高まりを肌で感じることが
でき、大変有意義なものになった。また JAPAN ブースの出展によって日本文化を PR すること
が非常に意義のあることであると強く感じた。ロシアの高等教育課程において、日本語教育を選
択できる学校が増えてきている(2007 年は 15 校→ 2008 年は約 30 校)とのことなので、マ
ンガ人気をひとつのきっかけとして、より幅広いジャンルの出版物にも興味が広がっていくこと
を期待したい。最後に現地では国際交流基金モスクワ事務所の坂上さんに大変お世話になりまし
た。この場をお借りしてお礼申し上げます。
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第 10 回ビリニュス国際ブックフェア
名 称
Vilnius Book Fair
会 期
2009 年 2 月 12 日 ( 木 ) ~ 15 日 ( 日 )
入場時間
12, 14 日は 10:00 ~ 19:00、13 日は 21:00 まで、15 日は 17:00 まで
テ ー マ
12 日 「1010 年の日」( 千年紀と開催 10 回目を記念する意 )
13 日 「長い金曜日」
「臨時会議の日」
14 日 15 日 「家族の日」
会 場
LITEXPO (Lithuanian Exhibition Centre)
面 積
9,200㎡ ( 展示 : 6,490㎡、イベント : 2,710㎡ )
Hall 3 ~ 5 の 3 つのホールを使用
主 催
LITEXPO、リトアニア出版協会
協 賛
リトアニア文化省
出 展 数
240 社 ( うち外国 88 社 )
参 加 国
12 カ国
イタリア、ウクライナ、エストニア、オーストリア、スロバキア、
ドイツ、ベラルーシ、ポーランド、ラトビア、リトアニア、ルクセ
ンブルグ、日本
ゲ ス ト
外国 32 人、国内 90 人の作家と詩人
イベント
200( 子供向け : 56、アート展 : 12、来場者参加型 : 36)
入 場 者
55,000 人 ( 老若男女を問わず幅広い )
入 場 料
一般 : 10 Litas( 約 350 円 )、学生・年金受給者 : 7 Litas
初日のみ 7 歳以下の先生に引率された児童たちは無料
リトアニアと外国の作家との会談の多くがこの日に開催される
報告 : 江草 忠敬 [( 社 ) 出版文化国際交流会 会長、㈱有斐閣 会長 )
参加に至る経緯
( 社 ) 出版文化国際交流会 (PACE) では 2005 年にビリニュス国際ブックフェアに初参加してい
ます。以降、2006 年、2007 年と 3 回連続して参加し、2008 年は不参加、2009 年も当初は参
加を予定しておりませんでした。ところが 2008 年 7 月、在リトアニア日本大使館の綱島広報
文化担当官から直接本会にご連絡があり、
リトアニアに日本から専任大使が新たに着任すること、
また 2009 年の EU 文化首都にビリニュスが選ばれたこともあり、日本大使館としてはぜひビリ
72 リトアニア
ニュス国際ブックフェアに参加したいとの協力要請がありました。国際交流基金との共同参加プ
ロジェクトは既に年間の参加計画が決定していましたので、現地主催者からも日本の参加を求め
る強い要請を受け、本会と在リトアニア日本大使館との共催の形での参加を決定し準備を進めて
いたところ、幸いなことにその後、国際交流基金からも予算措置が追認され、結果的に 3 者に
よる参加となりました。
今回は専門家派遣も予定されていませんでしたが、日本大使館の熱意と、なによりも多くの版
元さんから多数のご出展をいただいたこともあり、PACE の会長として現地を視察し、少しでも
開催状況の一端なりをお伝えしたいとの思いで、急遽現地への出張をスケジュールに組み込み、
折り紙を持参し、英語の好きな家内も同行することにしました。
ヘルシンキを経て 2 月 10 日の夕刻、リトアニアに入国。その晩、日本大使館の綱島広報文化
担当官と打合せ、翌日の会場設営に臨みました。
会場設営と開会式
今回の日本ブースは 20㎡でしたが、5㎡分は主催者のご好意で無料となりました。展示した
のは約 600 冊。日本の出版社から出展いただいた日本文化紹介のビジュアルな図書をメインに、
昨年のフランクフルト ・ ブックフェアから転送したマンガやコミックと、さらに日本大使館が所
蔵するリトアニア語による日本作家の翻訳本も加えました。
書棚は4段のところと3段のところがあり、傾斜棚で面展示するブースですが、一番上の棚は
かなり高い位置にセットされていて平均的な日本人では手が届きにくいのですが、リトアニアの
方はかなり背が高いので苦にならないようです。上の方の棚に単行本類、下にマンガを置いて、
床面には空のダンボールに白い布でカバーを掛け、子供さんたちが取りやすいように絵本やコミッ
クなどを置き、ブース右側の一角にはテーブルを置き、折り紙などのイベントコーナーとしました。
壁には日本風景のポスターを貼り、プロジェクターを使って日本の祭りや伝統行事、相撲など
の映像を流すことに。
現地アテンダントの方たちの手際がいいので2時間ほどですべての本の展示を終了しました。
前 回 参 加 し た 2007 年 に 撮 影 し た 日 本
ブースの写真を貼り、浅草で購入した羽子
板としめ飾りをレイアウトすると日本らし
いブースに仕上がりました。
翌 13 日午前 10 時、
5 号館 2 階の会議ホー
ルで行われた開会式に、昨年 9 月に着任さ
れた明石美代子大使、綱島広報文化担当官
と共に出席しました。大統領は国賓の出迎
えで式典には間に合いませんでしたが、首
相と文化大臣、各国の大使も参列されてい
ました。
( 最後に 10 本目のテープが切り落とされる )
リトアニア 73
オープニング ・ セレモニーは仰々しくなくて、アットホームな感じです。
文化大臣は挨拶の中で、
「出版物が非常に大切であることは言うまでもありません。と同時に
リトアニア語を大切にして、定着させなければならない。グローバルな世界ではいろいろな外国
語が必要であることは当然ですが、基本は母国語であって、その意味でも出版物の果たす役割は
大きい」という主旨のことを強調されました。
テープカットは日本だったらずらりと勢ぞろいして仰々しくするところですが、こちらは1本
のポールに 10 本のテープを張って、上から順番に一人ひとりがテープカットするという粋な演
出でした。テープが 10 本なのはビリニュス国際ブックフェアが 10 周年を迎えたことを記念し
たものです。
コンパクトながら心のこもったセレモニーでした。時間的には 20 分ぐらいでしたでしょうか。
ブックフェアの概況
ビリニュス国際ブックフェアは LITEXPO 会場で開かれるさまざまな展覧会の中でも最も人気
のあるイベントの一つで、冬の寒い時期にもかかわらず、多くの市民が押しかけます。
今年のフェアの特色のひとつは、リトアニアの隣国にスポットを当てていることです。初日が
「ベラルーシ」
、2 日目が「ポーランド」
、3 日目が「ウクライナ」となっていて、関連した文化
イベントやコンサートが行われました。
今年の参加国はイタリア、ウクライナ、エストニア、オーストリア、スロバキア、ドイツ、ベラルー
シ、ポーランド、ラトビア、リトアニア、ルクセンブルグ、日本の 12 カ国。アジアからの参加
は日本だけです。参加 240 社 ( 初参加は 40 社 ) のうち 88 社が外国からの参加。日本をはじめ
8 カ国がナショナル ・ ブースでの出展で、イタリアは初参加。最も大きいスタンドはドイツで、
フランクフルト ・ ブックフェアによる参加です。
大使館や出版協会などのブースを除いて、ほとんどのブースが 20%から 50%のディスカウン
ト販売をしていて、この機会にまとめ買いをする来場者の熱気で連日大賑わいでした。リトアニ
アでも人気の高い村上春樹の翻訳本を出版している Baltos lankos 社をはじめ、Alma littera 社、
リトアニア作家協会出版部などリトアニア
を代表する多くの出版社がこのブックフェ
アの会期に合わせて新刊書を発行するそう
です。
日本コミックのリトアニア語版や日本ア
ニメ DVD をリトアニア、ラトビア、エスト
ニア、ロシア語版で販売しているブースが
あったり、フランクフルト・ブックフェア
のブースでは右開きのドイツ語版コミック
が展示されていて、これは明らかにマンガ
やコミックに代表される日本のポップカル
74 リトアニア
( 見よう見まねで糸綴じ製本をする子どもたち )
チャーの影響ではないかと興味深く感じました。
メイン会場は Hall-3 と Hall-5 ですが、
Hall-4 は子どもたちのための専用ホールになっています。
「You Can Create a Book」という創造スタジオ、アートの展示、児童書の販売コーナー、イベント・
ステージなどがあります。例えば、絵本を買って、その中身を読んで、そのイメージを表紙に自
分たちで描いて、糸綴じで製本して自分だけの絵本を作る。それをちょっとだけ大人が手伝って
作り上げていく参加型のイベントがあったりします。子どもたちが自然に本に親しむように、未
来の読者を育てる努力と創意工夫がいたるところで見られました。
特に初日は、学校の先生に引率された 7 歳以下の児童たちは入場無料になっていて、学校単位
でスクールバスで来場する児童たちの制服姿が目立ちました。
今回のもう一つの売りとして、リトアニア国営ラジオとテレビ (LRT) による実況生中継が行わ
れ、会場風景や作家の講演などの文化イベントが放映され、会場内でもモニターで見ることがで
きました。
日本のブース
初 日 に は ア ン ド リ ュ ス・ ク ビ リ ュ ス
(Andrius Kubilius) 首相がラサ夫人と共に日
本のブースを訪れてくださり、私共夫婦が
ブースを紹介する場面がテレビで放映され
る栄誉に恵まれました。ラサ夫人はバイオ
リニストで、日本にも演奏旅行に来られた
ことがあり、日本はとてもいい国だという
印象を強く持たれていて、ぜひまた行きた
いと語っておられました。
展示図書のほとんどが日本語版ではあり
ましたが、ビジュアルなものが中心でした
(2 年ぶりに参加が実現した日本のブース )
ので、日本語というハンディはほとんどなかったと思います。日本の風景や伝統芸能、庭園、生
け花、武道、折り紙、絵本などはもちろん、ご夫人方には料理本のエリアが人気でしたし、マン
ガは引っ張りだこで、リトアニアの方たちの日本に対する関心の深さをひしひしと感じました。
例えば、日本的なちょっとした小物、独楽とか伝統工芸品などが意外にみなさんの興味を引くよ
うで、いろいろな質問を受けました。
日本大使館が来場者に対して行ったアンケートでは、
「非常に満足」
「また読みたい、見たい」
「ぜ
ひ購入したい」という声が圧倒的に多かったと報告されています。これを見ても、日本の出版物
を通して多くの来場者が日本の文化に接し、幅広い人たちに受入れられたことを実感します。
本の展示だけでなく折り紙教室も大好評で、すぐに人だかりが出来て、「折り鶴教室」には何
度もアンコールの声が掛かりました。日本大使館の発案で行った「折り紙コンクール」は、展示
本の中に折り紙の本がたくさん含まれていたこともあり、多くの来場者が自分で本を見ながら作
リトアニア 75
品を作り、その場でコンテストに参加しま
した。コンテストには 42 名の応募があり、
来場者 306 人の投票で優秀賞が選ばれまし
た。
できるだけ来場者との交流を図るために、
リトアニア人の苗字と名前を毛筆を使って
漢字の当て字で書いてあげたところ大人気
で、我もわれもとたちまち行列が出来てし
まいました。
会期中は、ビリニュス大学で日本語を教
えていて、日本大使館の現地スタッフでも
( 折り紙教室にはいつも人だかりができている )
あるガビヤ ・ トラスカイテさんが中心となり、その教え子の学生さんたちが 7 人ほど交代でア
テンドしてくれました。日本のハッピ姿でいきいきと、来場者からのいろんな質問に対応してい
ただきました。日本ブースの活況の理由の一つは、アテンドの方たちのすばらしい対応にあった
と思います。また日本大使館の綱島さんと椎葉さんにもお忙しい中、いろいろとお手伝いをいた
だきました。
なお今回、ビリニュス・ブックフェアへの出展を呼びかけたところ、予想以上に多くの出版社
からご協力をいただきました。各社から出展いただいた展示図書 ( 全 395 点、979 冊 ) はビリニュ
ス国際ブックフェアの終了後、
日本大使館の主催による「日本図書巡回展」に流用させていただき、
リトアニア各地の図書館等で文化イベントの開催と併せて展示されることになっています。また
辞典類 (187 冊 ) と日本語教材 (109 冊 ) については、日本大使館の強い希望もあって、日本語の
普及に役立てるべく、現地の日本語を勉強されている方たちにプレゼントすることになっていま
す。
リトアニアの現状について
政権交代が昨秋おこなわれた後、2004 年 EU 加盟後における通貨ユーロ導入対策の関係もあ
るようで、その影響から消費税が一挙に跳ね上がり、出版物の価格も高騰してしまい非常に厳し
い状況にあるとの話を、日本大使館の晩餐会に招かれた折、リトアニア出版協会執行責任者アイ
ダさんやブックフェア責任者ギンタウテさんから伺いました。国の予算面でもしかりで、リトア
ニア語の振興政策をやろうにも不景気を反映して教科書が有給になってしまった。なおかつ量的
には2人に1冊分の予算しかなく、小・中校の義務教育の現場でさえ、残りの1冊分は父兄が自
前で購入して全員に行き渡るようにしているという話でした。
国の政策として、出版によるリトアニアの文化の継承と、リトアニア語という母国語を大切に
して正しく普及させることの重要性を強調しながらも、現実はなかなか厳しいようです。
しかしアダムクス現大統領は、出版に関しては格別の思い入れを持っていることで知られてい
ます。ブックフェアの開会式には間に合いませんでしたが、初日当日の午後になって遅ればせな
76 リトアニア
がら、公式行事としてではなく、本当にプライベートで会場にお見えになりました。
大統領は第二次大戦中にアメリカに移住した後、アメリカの行政府内で活躍、謂わばソ連との
折衝窓口となった方で、その立場を利用してソ連時代にもリトアニアへは頻繁に里帰りをされて
いました。その都度、当時は輸入禁止となっていたさまざまな出版物を持ち込んで、アメリカや
さまざまな国の本を「密輸」し、母国リトアニアにその本を届けました。当時のリトアニアの学
者たちは、外の空気にまったく触れることが出来ませんでした。現大統領は外交特権を利用して
外国の本をどんどん持ち込み、それがリトアニアの学者たちにとっては非常に貴重な財産となり
ました。外の空気を出版物を通して知ることが出来、世界情勢についての情報提供や、独立後の
体制についての情報交換もしていたとのことです。
こうした経歴を持つ現大統領なので、出版物に対してものすごく熱心であるのは当然として、
首相をはじめ政府高官たちの出版への関心度が高いのもうなづけます。
経済危機が続く中でも、出版文化の灯火が絶えることのないよう、いずれ方策が打ち出される
ことでしょう。
今も残る杉原千畝の功績
リトアニアを始めて訪問してみて一番印象的だったのは、虐げられた時代を経てまだ 18 年し
か経っていない国にもかかわらず、市民の表情がすごく明るいことでした。時期的にあまり太陽
が出ていなくて幾分か薄ぼんやりとした感じでしたが、街中を歩いている人たちの顔が活き活き
としていて、誇り高い国民という感じを受けました。ビリニュスの街はユネスコの世界遺産にも
なっていて、旧市街にはたくさんの教会や袋小路があったりして、とても魅力的でした。そして
国全体が文化に取り組む姿勢を肌で感じました。
リトアニアはヨーロッパの臍に位置しています。現在の人口 340 万人中、84%がリトアニア
人で占められています。長年にわたり常に大国の狭間で思惑に動かされ、さまざまな民族や宗教
の接点として発展しながら文化の中心地となった国です。民族意識とカトリック教の信奉を柱に
独立を勝ち取った誇りをもって生き抜きいています。ドイツからもロシアからも攻められ、抑圧
された辛い経験をされているリトアニア人。
市民の皆さんも暗い影を残しているのかと思いきや、
とても明るく、大学にも行きましたが、学生さんたちも自由な雰囲気で勉強され、学生生活を謳
歌しているように見えたのはちょっと意外な思いがしました。
「命のビザ」で知られる杉原千畝さんゆかりのカウナスにある記念館を訪問しました。ビリニュ
スから車で 1 時間半の距離です。日本に対して非常に関心が強いのは、貿易とか在留邦人の少
なさ ( 在留邦人は 50 名ほど ) からすれば日常的な接触度は少ない訳ですが、杉原千畝の存在が
今でもリトアニアの心の中に残されていて、その功績に敬意を払っているからだということをま
ざまざと実感しました。杉原千畝さんを通して、日本に対して愛着と親しみを感じています。誰
に尋ねても知っている、若い女の子でも知っているというのは、すごいことです。世界中のユダ
ヤ人の人たちから、その勇気ある功績に対して感謝の手紙が、今でもその子孫から送られて来て
いると館長から説明を受けました。
リトアニア 77
杉原記念館は昔の日本領事館の跡にありますが、日本語教室があって、日本学、日本語を教え
ています。授業の最中に飛び込みで見学をさせていただきました。
「日本人は外見には硬そうに見えますが、内は柔軟性のある国民です。日常の生活では金曜日
の夜になるとサラリーマンたちは街に出て遅くまで飲んで帰ります」といった内容の授業をして
いました。授業をされていたのは人気のある先生で、100 人ぐらいの受講生がいて、3クラス
に別けて教えているとのこと。ビデオを放映している最中にその先生がわれわれのところに挨拶
に来られたので、
「先生、今はですね、日本のサラリーマンは金曜は家庭サービスのために早く
家に帰ります。今は花木(はなもく)といって、木曜日に飲む機会が多いんです。以前とはだい
ぶ違って来ていますよ」
と話すと、
「そうですか。次からはそのように教えなければいけませんね」
と恐縮されていました。
人気のある日本語教師でさえ円高なので日本に来れない。日本から送られてきた出版物なり資
料だけを頼りに教えざるを得ないのが現状です。それだけに、今回ビリニュス国際ブックフェア
に出展した多彩な展示図書は、日本語を学ぶ人にとってはもちろんのこと、日本に対して関心を
寄せる方たちにとってもすばらしいプレゼントになったと確信します。ご協力をいただいた日本
の出版社に改めて御礼を申し上げます。
終わりに
今回のビリニュス国際ブックフェアへの日本の参加は、在リトアニア日本大使館からの熱心な
参加要請が発端となっていますが、PACE の呼びかけに応じてくださった出版社のご協力、また
限られた予算の中から追加措置を英断してくださった国際交流基金、そして在日リトアニア大使
館のガビヤ・ズカウスキエネさんたちのご支援があってこそ実現したものです。
主催者からは、日本には今後もぜひ継続して参加して欲しいと切望されました。アジアからの
参加は今のところ日本だけです。100 を超える世界の各都市で国際ブックフェアが開かれる中、
経済的な面では確かに厳しいものがあります。日本単独ではなく、アジアの文化を伝えるという
広い観点から、例えば日中韓が交代で 3 年に 1 回参加するような方法も考えられます。今年 5
月に開催されるソウル国際ブックフェアは「日本年」です。東アジアの出版界の連携を提案する
絶好のチャンスになるかも知れません。
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世界の国際ブックフェア 現場からの報告 No.17, 2008 年度
2009 年 4 月発行
本体価格 2,000 円
発行者:江草忠敬
発行所:社団法人出版文化国際交流会
〒 101-0064 東京都千代田区猿楽町 1-2-1
Tel. 03-3291-5685
Fax. 03-3233-3645
http://www.pace.or.jp
表紙デザイン:京尾ひろみ[HIROHAUS]
©2009 社団法人出版文化国際交流会
ISSN1883-8553 Printed in Japan