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近代日本の教科書の歩み 地理

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地 理 教 科 書
1 明治期地理教育の3つの立場と教科書
戦前の地理教科書の変遷について、小学校6ヵ年の地理教育を中心に内容を検討する。
明治期の地理教育は、1904(明治37)年の小学校教科書の国定化実施以前に3つの立場があ
り、それぞれの立場にもとづく教科書が作成・刊行された。3つの立場とは、第1に開化啓蒙
主義の地理教育で、世界文明の動きに目を開かせる文明地理の立場であり、第2に、日常生活
に必要とされる実用的知識の習得を目的とする地理教育の立場であり、第3に、国家富強とい
う国策のもとに国民意識の統一を図るための国家主義的な地理教育の立場であった。
(1) 明治初期―開化啓蒙主義の地理教育
明治初年は、第一の立場から小学校の地理教育が重視され、とりわけ世界の地理的知識=万
国地理の教授に力点がおかれた。小学校低学年(現在の2年生後半)から「地学読方」を設け、
「地学輪講」を現在の3年生後半から置き、下等小学はもちろん、上等小学の4年間の全期に
わたり、地理教育がなされるようにしている。1872(明治5)年の「学制」の示した地理教育
の方針であり、翌年に「地理読方」および「地理輪講」と名称が改められた。
まつやまとうあん
ち がくこと はじめ
ここで指示された教科書は、福沢諭吉『世界国尽』1869(明治2)年、松山棟菴『地学事 始』
よ
ち
しりゃく
う りゅうとら
1870(明治3)年、内田正雄『輿地誌略』1870(明治3)年、瓜 生 寅『日本国尽』1872(明治
5)年などである。福沢の一般国民向けの啓蒙書『世界国尽』が、小学校の世界地理の教科書
として採用された。『世界国尽』は七五調の名文で書かれ、1869(明治2)年8月に刊行され
ア
ジ
ア
ア
フ
リ
カ
ヨーロッパ
ていて、当時のベストセラー本であった。内容は、「発端、亜細亜州、阿非利加州、欧羅巴州、
きた ア
メ
リ
カ
みなみア
メ
リ
カ
たいようしゅう
北亜米利加州、南亜米利加州、大洋 州、地理学の総論」から成っている。各州の概観の後に、
イ ギ リ ス
主要な国別の地誌を説いているが、「英吉利」の項の一部をみてみよう。
英吉利は世界第一 商売繁昌の国なれば 諸国の船の出入して 港の賑しきは いふま
でもなく 国中の往来も 甚だ便利なり。近来 蒸気船は珍らしからざれども 日本人の
いまだ見ぬ 蒸気車といふものあり これは馬も牛も用ひず 唯蒸気の仕掛にて 走る車
はや
なり 其疾きこと 実に人の目を驚かす 大抵一時に 二十里も走るゆへ 東海道五十三
― 50 ―
第Ⅰ部 明治期から昭和戦前期の変遷
駅などは 一昼夜にて往返すべし
福沢や内田など幕末の海外渡航の経験者による世界文明の紹介や世界各国の風俗・文物の知
識が、読物として小学生に教えられた。この時期に、師範学校編で文部省発行の地理教科書の
三部作が出ている。『地理初歩』1873(明治6)年、『日本地誌略』1874(明治7)年(図1)、
『万国地誌略』は全くの翻訳教科
『万国地誌略』1874(明治7)年(図2)である。このうち、
書であり、コルネル(アメリカ)及びミッチェル(アメリカ)とG. スミス(イギリス)の地
理学書からの翻訳であった。
『地理初歩』は、地球―経緯度―大陸大洋などの地理学の一般的基礎概念の教科書であっ
た。
『日本地誌略』は、文字どおりの日本地誌の教科書であるが、内容の構成は「畿内、東海道、
図1 『日本地誌略』1874(明治7)年
図2 『万国地誌略』1874(明治7)年
― 51 ―
東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道、北海道」となっており、
「畿内八道84カ国」の
地域区分による地誌的扱いである。こうした地誌記述の方式は、国定以前の小学校の日本地理
の地域区分の基本となった。文部省本がこのスタイルをとったことによって、以後の日本地理教科
書の内容が決定された。国別地誌の記述内容は、国の境界、位置、郡名、山と河川、他の自然
条件(海湾、岬、島、湖等)、主要な街市、産物名をあげていく形であった。
(2) 明治中期―生活実用主義の地理教育
明治10年代後半から復古主義の動きが強まるとともに、文明の地理に代わって、第二の立場
である生活実用のための地理教育が主流となっていく。小学校の地理教育から文明開化の地理
教育が姿を消し、地理学の入門的教科書も使用されなくなる。明治10年代後半から20年代にか
けて、地理教育の中心は、郷土地誌(地方誌)
、日本地誌の地誌的知識に力点がおかれた。
まず
1881(明治14)年の「小学校教則綱領」は、次のように地理科の内容を規定をした。「先学
きんぼう
校近傍ノ地形即生徒ノ親ク目撃シ得ル所ノ山谷河海等ヨリ説キ起シ 漸ク地球ノ有様ヲ想像セ
シメ 次ニ日本及世界地理ノ総論五畿八道ノ地理外国地理ノ大要ヲ授ケル」と。学校近傍ノ地
形云々の条文は、教育現場へ地方誌教育を推進する政策と受けとめられ、以後郷土地理を扱っ
た地方誌教科書の刊行と普及が各地で展開されていった。
しかしながら、地理教育の目的に関して、1891(明治24)年の「小学校教則大綱」では、
「日本地理及外国地理ハ……人民ノ生活ニ関スル重要ナル事項ヲ理会セシメ兼ネテ愛国ノ精神
ヲ養フヲ以テ要旨トス」とされた。人民の生活の理解と共に、愛国の精神を養うことが前面に
出されたのである。
ただし、1890年代はまだ「処世ノ資スル」地理に力点がおかれており、尋常小学校の地理教
育においては「郷土ノ地形方位等児童ノ日常目撃セル事物ニ就キテ端緒ヲ開キ」、その後に
「本邦ノ地形、気候、著名ノ都会、人民ノ生業等ノ概略」を授けるとした。さらに、地形の形
状、水陸の別、その他の重要な事象で児童に理解しやすい事項を学ばせるとしている。この時
期の教科書は、開化的な文明地理の要素は姿を消していくが、自然と人間の関わりで「人民ノ
生活」の仕方や生業などをとらえるという点はまだ残っていた。
(3) 明治後期―国家主義的な地理教育
1900(明治33)年に「小学校令」が改正公布され、「小学校令施行規則」が定められた。地
理科は、歴史科とともに尋常小学校(1∼4年)では授けられず、高等小学校の必修科目にな
った。地理と歴史が高学年の教科目に定着したのは、この改正以後である(当時の義務教育は
4年制)
。
地理科の教科の目的も大きく変化して、「地理ハ地球ノ表面及人類生活ノ状態ニ関スル知識
― 52 ―
第Ⅰ部 明治期から昭和戦前期の変遷
ノ一班ヲ得シメ又本邦国勢ノ大要ヲ理会セシメ兼テ愛国心ノ養成ニ資スルヲ以テ要旨トス」と
なった。さきの1891年の「小学校教則大綱」の「人民ノ生活」の理解に代わって、「本邦国勢
ノ大要」の理解が登場し、
「愛国心養成」にいっそう重点がかけられるようになった。
高等小学校第1・2学年は日本地理、さらに第3・4学年では外国地理の大要が授けられるこ
とになった。日本地理の内容は「本邦ノ地勢、気候、区画、都会、産物、交通等並ニ地球ノ形
状、運動等ノ大要」であり、外国地理は「各大州ノ地勢、気候、区画、交通等ノ概略ヨリ進ミテ
本邦トノ関係ニ於テ重要ナル諸国ノ都会・産物等ヲ知ラシメ且本邦ノ政治経済上ノ状態並ニ外
国ニ対スル地位等ノ大要ヲ授クヘシ」である。このように国家本位の目的・内容の規定が強く
打ち出されており、以前の「郷土ノ地形方位等」や「人民ノ生活」は全く背景に追いやられた。
1900年以後、検定期の地理教科書には国家主義的傾向のものが多くなる。1890年代の主流で
あった府県地誌中心の地方誌教科書が発行されなくなり、個人の生活のための地理から国家本
位の立場の地理教科書が増えて、それらが採択されていくようになる。小学生にとって、身近
な観察しやすい郷土地誌を扱うことなく、いきなり日本全体の地勢、気候、区画、産物、交通
等の断片的・羅列的知識を教えられることになった。
2 戦前の小学校地理教科書の変遷
小学校の国定地理教科書は、戦前7期と戦後1期をあわせて、8期にわたって発行された。
戦後直後の1946(昭和21)年発行本は、折りたたみ、八ツ折の「暫定教科書」である。戦前の
国定地理教科書史の研究は、中村紀久二「国定教科書の歴史」
(
『複刻国定教科書(国民学校期)
解説』ほるぷ出版 1982年)の研究成果によって、大いに前進した。唐澤富太郎など従来の研
究書では、第4期の1925(大正14)年本を独立した時期区分の国定教科書として扱ってこなか
ったという指摘であったが、ここでは中村論文に従って、戦前を7期とみる見解をとる(表1)。
(1) 最初の国定地理教科書 『小学地理』
第1期
1903(明治36)年発行の『小学地理』は、最初の国定地理教科書である。『小学地理』は、
高等小学校の4年間、各学年1冊ずつの計4冊から成っている。第1・2学年用の1、2は日
本地理、第3学年の3が外国地理、第4学年の4は日本地理と外国地理の補習用であった。当
時多くの生徒は高等小学校2年までで就学を終えるのが通例であったので、外国地理は学ぶこ
とができなかった。小学校上学年では日本地理だけしか学べなかったのである。
第1期の国定地理教科書は、1904(明治37)年より使用されたが、次の3点の特色があげら
れる。
(1)
地域区分として、八地方区分を採用したこと―関東地方から始まる「地方・府県」
による地域区分が使われた。
― 53 ―
表1 国定地理教科書の変遷(初等教育6カ年)
期
教科書名
発行日(文部省原本)
総 頁
小学地理 一
1903(明36)年10月13日
二
1903(明36)年10月30日
80頁 〃 2
高等小学校用
二
尋常小学地理 巻一
1910(明43)年1月13日
68頁
巻頭に「大日本帝国」あり
児童用 巻二
1910(明43)年11月24日
65頁
巻二 外地・植民地と外国地誌
府県別地誌を廃して、地方地誌を採用
三
四
五
六
七
八
62頁附録4頁
備 考
一
尋常小学地理書 巻一
1918(大7)年2月5日
89頁附録3
児童用 巻二
1919(大8)年2月14日
110頁 〃3
畿内八道方式より、八地方区分方式へ
尋常小学地理書 巻一
1925(大14)年1月24日
153頁附録4
口語体をとる。本文・さし絵、図の分
児童用 巻二
1925(大14)年12月10日
182頁〃 1
量を増加
尋常小学地理書 巻一
1929(昭4)年3月20日
144頁附録5
巻二に「我が南洋委任統治地」を加える
巻二
1930(昭5)年3月29日
189頁〃 1
尋常小学地理書 巻一
1938(昭13)年3月25日
122頁附録5
巻二
1939(昭14)年3月17日
180 〃 1
初等科地理 上
1943(昭18)年2月24日
156頁附録4
下
1943(昭18)年2月27日
147頁
初等科地理 上
1946(昭21)年5月25日
13頁 2段組2 ※暫定教科書(八ツ折、折りたたみ)
1946(昭21)年8月10日
6頁
上―日本地誌
1946(昭21)年5月20日
13頁
下―外国地誌
1946(昭21)年8月5日
39頁
下
巻二に「我が南洋群島」と改める
「大東亜地理」の教科書
下は「大東亜共栄圏」の地誌
(
『復刻国定教科書(国民学校用)解説』ほるぷ出版 1982年を一部修正補筆)
(2)
教材編集の基本として、軍港、師団司令部など軍備についての国防・軍事教材が大
きく位置づけられたこと―愛国心育成のため、国防の知識を増大させたり、国家の機
関・施設を優先的にとりあげている。
(3) 教科書に地図を掲げたこと―各地方の地誌の略述の際、その地方の地図を加え、府県
についても全ての府県地図を加えている。府県地図は、境界、鉄道、都会、河川、著名な山
岳、鉱山などを明らかにし、その他は白色であり、土地の高低は示していない。
最初の国定地理教科書は、
「畿道別」区分から「地方別」区分に地域区分を変えた点で画期的で
あった。これまでの畿内から始まる日本地誌を、関東地方から始めていく方式へと転換させたのは、
き
だ ていきち
文部省図書審査官喜田貞吉であった。旧来の国別(例:近江国)の扱いから府県別(例:滋賀県)
の扱いへの転換も同時になされ、第1期本は、府県名の下に旧国名を記している。
(2) 第2期国定地理教科書―国家主義的地理教育の強化 『尋常小学地理児童用』 第2期
1907(明治40)年より義務教育年限が延長され、従前の4年制から6年制となった。尋常小
学校が6年となり、高等小学校は2年又は3年となった。尋常科第5・6学年の教科として地
理科は再編され、5年で日本地理の大要、6年では前学年の続き及び韓国、満州などの日本外
地と外国地理の大要を授けることにした。
― 54 ―
第Ⅰ部 明治期から昭和戦前期の変遷
図3 『小学地理』二 1905(明治37)年 右:目次 左:滋賀県
1910(明治43)年の第2期国定教科書は、日露戦争後の国際情勢の変化を受けた改訂である。
この改訂では、「外地と外国地理を概観する教材」が6年の終わりに加えられた。巻1では、
「大日本帝国」が第1章に書かれ、「我が大日本帝国は亜細亜州の東部に位し、東北より西南に
おおむ
連れる日本列島と大陸の東岸に突出せる朝鮮半島とより成る。…………住民は概ね大和民族に
いただ
して其の数凡そ6800万あり。上に万世一系の天皇を戴き奉り、忠君愛国の心に富めり」と述べ
ている。
関東地方より各地方地誌を扱い、巻2では台湾地方、樺太地方、朝鮮地方、関東州附満州と
日露戦争以後における外地すべてを加えて、日本地理とした。巻末の4章で日本との関係深い
外国地理が略述され、最終章に「帝国地理概説」が配されている。「かくて国威日に揚り、国
力月に進みて、今や世界強国の列に加るに至れり。国民たるもの奮励努力以て益々邦家の隆昌
を期せざるべからず」とした。
(3) 第1次世界大戦後の小学校国定教科書 『尋常小学地理書児童用』・『尋常小学地理書』第3期∼第6期
第3期の国定教科書以降、第6期までは、『尋常小学地理書』巻1・2と教科書名は同一で
あり、第3期・第4期には「児童用」が付いている。内容上も基本的な構成は大きく変化して
いない。第1次世界大戦後の国際情勢を踏まえて、世界各国の情勢の変化と日本国内の変化を
もとにして、第3期以降の修正が加えられていった。
第3期の『尋常小学地理書児童用』は、巻1が1918(大正7)年、巻2が1919(大正8)年に
発行されている。第2期までとくらべて、巻1・2とも頁数が大幅増となっているのは、地理
の授業時間数の増加によるものである。地理と日本歴史と合わせて週3時間であったのが、地
理と日本歴史とも週2時間で合計4時間となった。第3期以降、1925(大正14)年の第4期本、
― 55 ―
1929∼30(昭和4∼5)年の第5期本、1938∼39(昭和13∼14)年の第6期本と3度の改訂が
行われた。第5期・第6期は『尋常小学地理書』となり「児童用」がタイトルから消えた。そ
こでの教科書の構成や内容上の主要を特色は、次の3点にまとめられる。1935∼36(昭和10∼
11)年の修正本もあるが、第5期本の修正版ととらえられる。
b 尋常小学校においても、世界地理の知識が重視されてきた。外国地誌の分量は、第2期では
わずかに17頁であったが、第3期本で43頁に、第4期本では82頁に増えている。
明治期の日本地理中心から世界に目を向ける地理への再転換のようではあるが、内容を
みると必ずしもそうではない。外国地理で重視されているのは、「我ガ国ノ世界的地位ニ
マトマ
カンヨウ
ツキテ一層適切ニシテ纏リタル観念ヲ修得セシメ併セテ一層深刻ニ国民精神ヲ涵養センコ
トヲ期セリ」
(編纂趣旨書)との考えにもとづき、
「我ガ国卜特別ニ重要ナル関係ヲ有スル」
アジア・ヨーロッパ・北アメリカの各州であった。外国地理の教育は、個々の国々や地域
の多様性理解のためではなく、日本の世界的地位の理解や国民精神の涵養のためであった。
それゆえ、アジアのなかでも「支那、シベリア、印度、東南アジア」は重視されるが、
西アジア、中央アジアは全く無視された。日本の資源、市場として関係深い「後進」地域
と、帝国主義国家たる「先進」資本主義国とが、外国地理の主要な対象とされた。
c
日本地理において、府県別の地誌記述をやめて、各地方ごとに、区分(域)、地勢、産
業、交通、都邑の小節をたてて記述するようになった。時代が下るにつれて「産業」の項
が次第に分量を増しているのは、資本主義経済の発展の結果であった。
しかし、各地方の独自性や多様性ある地域を学ばせるより、日本の国勢の一部として学
ばせる形で日本地誌が構成されるようになっていく。
d カリキュラム構成として、日本や世界を全体として概観して扱う部分が増えて、各地方
や各地域の個別の地誌的叙述をそのなかにはさみこむ形をとるようになった。第3期本で
は、a「大日本帝国」
(4頁)、b日本及その植民地の地誌(130頁)、C「大日本帝国総説」
(10頁)、d世界の州別地誌(43頁)e「世界と日本」(3頁)、f「地球の表面」(5頁)
となっている。
「大日本帝国」の章では、「国民の大多数は大和民族にして、其の数5400万人に及ぶ。其の
他、朝鮮には約1600万人の朝鮮人あり。台湾には10余万人の土人と支那より移り住める300余
万人の支那民族とあり。又北海道にはアイヌ、樺太にはアイヌ其の他の土人あり。民族は相異
なれども、ひとしく忠良なる帝国臣民たり」と記述している。
第5期本より「我が南洋委任統治地」が加えられた。内容は「赤道から北の旧ドイツ領の全
部、即ちカロリン群島・マーシャル群島の全部とマリヤナ群島の大部分とで、世界大戦の結果、
我が国が統治するやうになった処である」と書かれた。
― 56 ―
第Ⅰ部 明治期から昭和戦前期の変遷
図4 『尋常小学地理書』巻1 1929(昭和4)年 「大日本帝国」
(4) 「大東亜共栄圏」思想注入の地理教科書―国定第7期の『初等料地理』
1941(昭和16)年4月、小学校は国民学校と名称を改め、「国民科」という新教科が発足し
た。「国民学校令施行規則」によれば、国民科とは「我ガ国ノ道徳、言語、歴史、国土国勢等
ニ付テ習得セシメ 特ニ国体ノ精華ヲ明ニシテ国民精神ヲ涵養シ皇国ノ使命ヲ自覚セシムルヲ
以テ要旨トス 皇国ニ生レタル喜ヲ感ゼシメ敬神奉公ノ真義ヲ体得セシムベシ」と規定される
教科であった。従来の修身、国語、歴史、地理を統合したもので、「国民科歴史」、「国民科地
理」などと呼称されることになった。
『初等科地理』上・下は、1943(昭和18)年に発行された、国民科地理の第5・6学年用教
科書である。戦争と軍国主義に奉仕する目的を徹底して追究した教科書といってよく、これま
での地理教科書を大幅に転換させた。
「国民科」は第4学年の「郷土の観察」から始められ、「国民科地理」は第5・6学年にお
いて「わが国土国勢及び諸外国の情勢の大要」を学ばせることにより、「国土愛の精神を養い、
東亜及び世界における皇国の使命を自覚せしむる」教科として位置づけられた。『初等科地理』
は、第6期までの国定教科書の修正というよりも、この目的に即して新しく書き下した特別な
戦時教科書であったといってよい。
『初等科地理』上巻では、従来のような地方別地域区分にもとづく地方誌の章立てを廃して、
「帝都のある関東平野」「東京から神戸まで」あるいは「中央高地」「東京から青森まで」「北海
道と樺太」という題名で章立てしている。朝鮮、関東州、台湾、南洋諸島など植民地全部を上
巻で扱っている。
下巻では、「大東亜」から始まる「大東亜共栄圏」の地理であり、「昭南島とマライ半島」
もうきょう
「東インドの島々」「フィリピンの島々」「満州」「蒙 彊」「支那」「インド支那」「インドとイン
― 57 ―
ド洋」「西アジヤと中アジヤ」
「シベリヤ」
「太平洋とその島々」いう構成をとっている。
まさに、当時の 「大東亜共栄圏」の全地域からもれなく教材をとったもので、日本を盟主
とした「大東亜地理書」であった。下巻をみると、アメリカやヨーロッパなどは全くとりあげ
られていない。「大東亜」地域の産業や資源が詳細に記述され、日本軍の活動や「聖戦」のよ
うすがことさら強調されており、とても外国地理とはいえない内容となっている。
「大東亜」の章の一部を抜き書きしてみよう。
日出づる国日本の東海岸に打ち寄せる波は、そのまま続いてはてしもない太平洋を越え、
はるかにアメリカの辺を洗つてゐます。同じ波が北は霧のアリューシャンに連なり、南は
熱帯の海を越えて南極に達し、更にインド洋の荒波にもつながつてゐるのです。(中略)
もともとわが国は神のお生みになつた尊い神国で、遠い昔から開けて来たばかりでなく、
今日もこののちも天地とともにきはまりなく栄えて行く国がらであります。(中略)
世界にためしのないりつぱな国がらであり、すぐれた国の姿をもつたわが国は、アジヤ
大陸と太平洋のくさびとなり、大東亜を導きまもつて行くのに、最もふさはしいことが考
へられるのであります。大東亜の諸地方は、このやうにわが国の力と指導によつて、新し
く立ちあがろうとしてゐます。これら地方のすべての人々を、大東亜民族としてよみがへ
らせておのおのそのところを得させることこそ、日本の使命なのであります。
図5 『初等科地理』下
1943(昭和18)年 「大東亜」
小学生の地理教科書として、この文学的で神がかり的な『初等科地理』が使用されたのであ
った。日中15年戦争からアジア太平洋戦争へと続く戦時体制下で、軍国主義とファシズムの政
策遂行に最も忠実な教科書であった。それはまた、明治以降の国家主義的な地理教育の一つの
到達点でもあった。
(木全 清博)
― 58 ―
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