満洲国演義6 大地の牙

満洲国演義6 大地の牙
年代
時期
主人公
身分
舞台
天麩羅屋・官
兵衛
1938
1月10日 四郎
庸報記者
1938
1月16日 太郎
国務院外務局政務処長 政務処長室
1938
2月中旬 次郎
大陸浪人
1938
3月27日 太郎
国務院外務局政務処長 自宅
北京・翡翠飯
店
登場人物
香月信彦(同盟通信
社記者)
木暮志麻子(新民
会)
安西高志(新民会)
谷津是之(政務処主
任)
瀬古勝久(上海総領
事館参事官)
外岡靖春(東北帝大
教授)
勝本章治(参謀本部
支那課大尉)
堂本誠二(満洲建国
大学教員)
桂子
三郎
1938
4月7日
四郎
庸報記者
盧鈁純邸→第
26号路
盧鈁純(天津大学経
済学部教授)
尾身由伸(領事館警
察署長)
清家敏久(天津特務
機関少佐)
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
1938
5月
次郎
大陸浪人
徐州・九里
香月信彦(同盟通信
社記者)
三郎
通化駅→通化
関東軍新京憲兵隊大尉 駐屯地中隊長
室
1938
6月3日
1938
1938
1938
1938
6月8日
設楽草吉(新京憲兵
隊准尉)
諏訪牧彦(通化警察
公署警尉補)
岡地豊和(通化駐屯
地歩兵第49連隊中隊
長少佐)
・三郎は設楽草吉と通化へ向かう 徐州会戦と
政府人事について
・諏訪牧彦に迎えられ通化駐屯地へ向かう
・岡地豊和から東北抗日聯軍による満鉄撫順炭
鉱掘削技師・木内良隆誘拐事件への協力要請を
受ける
四郎
庸報記者
東興楼→天津
ダイヤモンド
ホテル
尾身由伸(領事館警
察署長)
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
・四郎は殺人事件の報を受け東興楼へ向かう
被害者は木暮志麻子だった
・間垣徳蔵が木暮志麻子殺しは盧青芳だと教え
る 木暮志麻子が父の盧鈁純を殺させたことを
知ったから 新民会が東亜連盟に取り込まれる
ことを恐れたため 安西高志が殺したことを示
唆する
・四郎は安西高志が泊まっている天津ダイヤモ
ンドホテルに向かう 安西高志も盧青芳に殺さ
れた 盧青芳は自殺 隣室のアメリカ人に四郎
が殺人犯だと間違われる
三郎
憲兵隊通化分
関東軍新京憲兵隊大尉 屯地宿営→麗
鈴亭
設楽草吉(新京憲兵
隊准尉)
諏訪牧彦(通化警察
公署警尉補)
項麗鈴(麗鈴亭)
樋口吉三郎(樋口写
真館)
・三郎は設楽草吉と麗鈴亭へ向かう 樋口吉三
郎と出会う 木内良隆について 麗鈴と諏訪牧
彦の結婚について
・諏訪牧彦が東北抗日聯軍から要求があったこ
とを報告 条件は警察公署に拘束されている東
北抗日聯軍3人の釈放
四郎
青島大港→天
津
清家敏久(天津特務
機関少佐)
・四郎は青島大港で輸送船から降ろされる第110
師団を取材している
・清家敏久がやって来て盧青芳の件について話
す 間垣徳蔵がすべて仕組んだ 清家敏久は間
垣徳蔵に対して憤っている 天津へ一緒に戻る
・間垣徳蔵との会話を報告するように要請され
る
鄭州城→盛美
飯店→赤坂カ
フェ
香月信彦(同盟通信
社記者)
勝本章治(参謀本部
支那課大尉)
・次郎は香月信彦とルノー車で泥濘の中を鄭州
城に向かって進んでいる 黄河堤防決壊の影響
・鄭州城内に辿り着き赤坂カフェへ 吉本興業
の笑わし隊の戦地慰問
・勝本章治が次郎に声をかける 黄河堤防決壊
について 第10師団は水中に孤立している
6月12日 次郎
庸報記者
大陸浪人
6月中旬 三郎
関東軍新京憲兵隊大尉
通化警察公署
→水洞→小紫
雲江→辺区司
令部
木内良隆(掘削技
師)
設楽草吉(新京憲兵
隊准尉)
諏訪牧彦(通化警察
公署警尉補)
田村敬一郎(田村商
会)
藤里多助(東北抗日
聯軍兵士)
1938
6月28日 太郎
ハルビン→
昂々渓→静山
国務院外務局政務処長
館→嫩江訓練
所
落合章介(ハルビン
特務機関中佐)
二村良明(富国徴兵
保険主任)
佐川恒彦(補導教
官)
1938
三郎
関東軍新京憲兵隊大尉
設楽草吉宅→
関東憲兵隊本
部→通化警察
公署
調所公彦(通化分屯
地憲兵隊中尉)
奈津
諏訪牧彦(通化警察
公署警尉補)
1938
6月30日 四郎
庸報記者
天津ヤマトホ
テル→庸報本
社→鰻屋・瓢
簞亭
ジョセフ・フリーマ
ン(上海ウィーク
リー・ニュース)
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
1938
ストーリー
・四郎は香月信彦と食事 今後の支那事変は泥
沼化する 世論に阿るファシズムについて 日
露戦争のとき世論は戦争継続を望んでいた
・岡田嘉子について
・杉本良吉について スターリンの粛清による
暴虐について 杉本は殺されるだろう
・木暮志麻子と安西高志がやって来た 中華民
国臨時政府が機能していない件について
・谷津是之が太郎に国家総動員法の素案を渡す
3月頃に可決予定
・谷津是之が外務省からの通信文書を報告 近
衛文麿首相がトラウトマン工作放棄の政府声明
発表
・太郎は瀬古勝久に電話 政府声明について
狙いは梁鴻志(りょうこうし)を行政院長にした中
華民国維新政府の樹立 最終的には汪兆銘政権
の樹立
・次郎は翡翠飯店に入る 無聊をかこつことに飽
きてきている
・外岡教授と出会う 救出についてのお礼 北
支の河川の状況調査に来た 勝本章治を紹介さ
れる
・勝本章治と話す 重慶政府を追い込むには武
漢三鎮を陥落させる必要がある 徐州占領のた
めに黄河の堤防を決壊させて渡河する計画があ
る そのために外岡教授を利用している 陸軍
中野学校が出来上がる スパイの実践指導を依
頼される
・堂本誠二が太郎宅を訪ねる 満鉄を辞め満洲
建国大学の教員になる
・太郎は石原莞爾の現状を話す 甘粕正彦総務
部長は評判が上がっている
・三郎が合流 維新政府と汪兆銘について 国
共合作は支那事変が解決するまで終わらない
・盧鈁純殺害の報を受けて四郎は盧鈁純邸へ向
かう
・尾身由伸と話す 犯人は共産主義者の可能性
・清家敏久と間垣徳蔵と出会う 盧鈁純殺しに
ついて新民会の内情と石原莞爾の東亜連盟構想
真犯人について
・北支那方面軍は鉄道・隴海線(ろうかいせん)確
保のための台児荘攻略に失敗した
・徐州作戦の命令が下る
・次郎は徐州城爆撃の様子を見ている
・香月信彦が次郎に声をかける 徐州会戦の意
義について
・李宗仁について 黄河堤防決壊工作について
火野葦平について
・次郎は無聊に耐えられなくなったことを香月
に話す
・木内良隆は満人3人と引き換えに釈放された
三郎は拘束中の様子を聴取する 釈放された付
近の水洞を偵察に設楽草吉と向かう
・水洞で田村敬一郎に馬を用意してもらう 紫
雲山手前の農家で道を尋ねる 東北抗日聯軍の
協力者の村だった
・設楽草吉から支那への兵力傾注と満ソ国境防
衛との矛盾に疑問を投げかけられる
・設楽草吉が東北抗日聯軍から突然射殺され三
郎も左肩を撃たれた 村人に通報されていた
辺区司令部に連行される
・死を覚悟した三郎を独立守備隊時代に脱柵し
た藤里多助が逃す 東北抗日聯軍に参加してい
た
・太郎はハルビンで落合章介と二村良明と合流
し昂々渓へ列車で向かう
・落合章介は二村良明を陸軍中野学校でスパイ
として養成する予定
・昂々渓からチチハルに車で向かう
・静山館で1泊する 三郎の容態について
・2人は嫩江訓練所を視察する 太郎は農業移
民を国際的に説明するための外交交渉材料集め
に来た 落合章介は武装移民が戦力になるかを
確かめに来た
・三郎は通化から運ばれ新京の満鉄医院で手術
を受けた 紫雲山掃討は戦果なし
・設楽草吉宅に線香をあげに訪問する
・調所公彦から連絡 死体が見つかった 通化
警察公署に駆けつける
・藤里多助の死体と対面する 諏訪牧彦に脱走
の経緯を話す 諏訪牧彦に紫雲山辺区の司令の
調査を依頼する
・四郎は天津ヤマトホテルでジョセフ・フリー
マンと会う ヒットラーがユダヤ人撲滅に取り
掛かる
・日産コンツェルンの鮎川義介に外資導入説得
を試みる
・間垣徳蔵に呼び出され瓢簞亭へ 清家敏久に
報告しろと言われていることを知っていた 木
暮志麻子と安西高志の件は特務機関の縄張り争
いか問いただす 間垣徳蔵は路線の違いだと謎
かけをする
歴史的事項
参照
岡田嘉子
スターリンの大粛清
・東條英機参謀長と石原莞爾参謀副長の仲は最
悪の状態。甘粕総務部長、片倉衷少佐の心も石
原莞爾から離れ満洲に居場所を失いつつある。
・臨時政府が設立されてから北平は北京に名前
が戻された。
・3月に国家総動員法が
・陸軍中野学校は7月に開校する。
秋草駿中佐と陸軍中野学校
・南京に梁鴻志の中華民国維新政府を樹立し
た。
満洲建国大学
・北支那方面軍第2軍第10師団は国民革命軍を
追走し、台児荘の城壁の塹壕から一斉砲撃によ
り大打撃を喰らった。
・中支那派遣軍司令官の畑俊六大将と北支那方
面軍司令官の寺内寿一大将はそりが合わない。
中支那派遣軍と北支那方面軍
のいがみ合い
・徐州会戦は台児荘戦で惨敗した第2軍第10師
団に中支那派遣軍が合流。李宗仁指揮の国民革
命軍は50個師団、兵力50万で構成されている。 火野葦平
・北支那方面軍の参謀長は山下奉文(ともゆき)中
将、中支那派遣軍の参謀副長は武藤章大佐。
・5月19日に徐州城は陥落した。蒋介石は1週
間前に徐州放棄を指示していた。日本側は死者
2千名超、負傷者8千名超。
・近衛文麿内閣の改造で陸軍大臣・杉山元大将
→第5師団長だった板垣征四郎中将、外務大臣
廣田弘毅→宇垣一成大将、大蔵大臣賀屋興宣→
池田成彬。東條関東軍参謀長は陸軍次官に。
秩父宮雍仁親王と石原莞爾の
窮状
吉本興業と軍部
・国民革命軍は北支那方面軍の進撃を止めるた
めに隴海線中牟の黄河堤防3ヶ所を決壊させ
た。
・吉本興業は関西の芸人を月給制で囲い込み、
肥大した分、国家と結び付きを強め戦地慰問団
笑わし隊を送り込んでいる。
・鄭州を抑えているのは第14師団長土肥原賢二
中将。
・東條英機陸軍次官人事は前陸相の杉山元大将
と前陸軍次官の梅津美治郎中将が反石原感情か
ら板垣征四郎の陸相就任に条件をつけたもの。
・関東軍参謀長には第10師団から磯谷廉介が転
任する。石原莞爾参謀副長は留任。
・五相会議で支那事変指導方針が決定される。
・石原莞爾は極東ソ連軍に備えるため支那戦争
への深入りを避けるように主張しているが、陸
軍全体はますます支那に深入りしている。
・満蒙開拓20カ年計画は上手く進んでいない。
支那事変による徴兵激増、軍需産業の労働需要
増で余剰人口減少が原因。若年層を満洲に送り
出し満洲青少年義勇軍構想が強化されている。
富国徴兵保険
・鮎川義介は日産コンツェルンをすべて満洲に
移し、外国資本を導入する構想を近衛文麿内閣
に了承させたが、世論の批判が沸騰し頓挫して
いる。
満洲重工業確立要綱
鮎川義介の構想と石原莞爾の
思想
年代
時期
主人公
身分
舞台
登場人物
1938
7月12日 太郎
国務院外務局政務処長
満洲建国大学
→政務処長室
堂本誠二(満洲建国
大学教授)
谷津是之(政務処主
任)
宮内康光(関東軍第
四課大尉)
三郎
1938
7月末
大陸浪人
九江・銀水酒
家→長流飯店
鯨岡富吉(特殊慰安
所経営)
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
香月信彦(同盟通信
社記者)
葛城源吉(満鉄調査
部)
ジョセフ・フリーマ
ン(上海ウィーク
リー・ニュース)
諏訪牧彦(通化警察
公署警尉補)
次郎
1938
8月上旬 太郎
新京ヤマトホ
国務院外務局政務処長 テル→政務処
長室
1938
8月中旬 三郎
関東軍新京憲兵隊大尉 通化大賓館
1938
1938
1938
8月29日 四郎
8月末
庸報記者
庸報本社→東
興楼
越路里志(編集局
長)
本橋拓郎(大阪毎日
新聞社上海支局)
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
三郎
関東軍新京憲兵隊大尉 紫雲山
諏訪牧彦(通化警察
公署警尉補)
鬼頭直純(通化警察
公署署長)
長倉常幸(満洲国
軍)
太郎
国務院外務局政務処長 政務処長室
香月信彦(同盟通信
社記者)
河辺慎一(外務省東
亜局調査部)
谷津是之(政務司主
任)
諏訪牧彦(通化警察
公署警尉補)
鬼頭直純(通化警察
公署署長)
長倉常幸(満洲国
軍)
呂広哲(辺区司令)
1938
9月上旬 三郎
関東軍新京憲兵隊大尉 紫雲山
1938
10月12日 次郎
大陸浪人
1938
11月初旬 太郎
国務院外務局政務処長 政務処長室
瀬古勝久(上海総領
事館参事官)
谷津是之(政務処主
任)
寺脇友樹(不動産斡
旋業者)
関東軍新京憲兵隊大尉 自宅
鹿取忠治(新京憲兵
隊曹長)
熊谷誠六(満洲国軍
顧問少佐)
1938
11月下旬 三郎
バイアス湾・
霞涌→香港
鳴門豪人(太平洋交
易社長)
瀬古勝久(上海総領
事館参事官)
谷津是之(政務処主
任)
寺脇友樹(不動産斡
旋業者)
1938
12月20日 太郎
別邸→政務処
国務院外務局政務処長
長室
1939
1月初旬 四郎
奉天特務機関嘱託
漢口・璇宮飯
店→菜館・安
希閣→積慶里
直嶋博之(第3師団
軍医中尉)
鯨岡富吉(特殊慰安
所経営)
1939
1月上旬 太郎
国務院外務局政務処長
自宅→葛城源
吉宅
桂子
丁路看
葛城源吉(満鉄調査
部)
1939
3月下旬 四郎
奉天特務機関嘱託
漢口・軍医診
療室→蕎麦
屋・千曲川
直嶋博之(第3師団
軍医中尉)
松原草胤(従軍僧)
鯨岡富吉(特殊慰安
所経営)
ストーリー
・太郎は建国大学を訪問し堂本誠二に案内をし
てもらう
・満人たちは黄河決壊事件で蒋介石に憎悪を抱
いている
・政務処長室に戻る 谷津是之からオリンピッ
ク返上の報告 親ドイツ・イタリア派の台頭を
危惧している 自身は親英米派
・桂子は東條英機が満洲を去ってから国防婦人
会に興味を失った
・宮内康光から電話 張鼓峰事件勃発
・三郎に電話 張鼓峰事件について 関東軍は
静観の構え
・銀水酒家には中支那派遣軍第10師団が来てい
る 一人の男が話しかける 特殊慰安所を経営
する鯨岡富吉だった
・長流飯店に戻るとルノー車のそばに間垣徳蔵
が待っていた 張鼓峰事件と特殊慰安所につい
て
・太郎は訪欧使節団を見送った
・新京ヤマトホテルで香月信彦と食事 張鼓峰
事件について 拡大すると武漢攻略を断念せざ
るを得なくなる 張鼓峰まで行って取材する
・葛城源吉とジョセフ・フリーマンが太郎のも
とを訪れる 河豚計画について ヨーロッパで
迫害されるユダヤ人を満洲へ受け入れ 投資も
受け入れる計画 鮎川義介と満鉄総裁松岡洋右
が協力を約束 太郎にも協力要請
・三郎は諏訪牧彦から東北抗日聯軍康東平の寝
返りにより辺区司令の名前が呂広哲と判明した
との報告を受けて通化へ向かう
・ソ連軍の南下の心配がなくなったので大本営
が武漢攻略発令する日も近い 三郎は辺区掃討
に取り掛かる
・本橋拓郎から四郎に電話 清家敏久に「諒解
した」とだけ伝えるように伝言
・間垣徳蔵から電話で呼び出され東興楼へ向か
う 本橋拓郎からの電話の内容を伝える 間垣
徳蔵の推測では清家敏久がヒットラーやムッソ
リーニ批判を止めるように脅した 四郎に片棒
を担がせようとしている
・海軍もドイツ・イタリアと組むべきだという
勢力が台頭している 間垣徳蔵は資源確保の観
点から同盟は危険と判断 清家敏久は親独派
・三郎は満洲国軍国警21人を率いて紫雲山を1
週間索敵
・捕虜の康東平が東北抗日聯軍を売ったのは集
団部落と保甲制が功を奏し食料供給が途絶えが
ちになったから
・苛立つ長倉常幸が鬼頭直純に銃を向ける 諏
訪牧彦が仲裁
・張鼓峰での取材を終えて香月信彦が太郎を訪
れた 張鼓峰では日本側の敗北 南下を開始し
なかったのはヒットラーを畏れて
・谷津是之が河辺慎一からの調査書類を届ける
訪欧使節団がシンガポールに停泊したときに甘
粕正彦が下船しなかった理由について
・資料によると英国が査証を発給しなかった
大杉栄殺害が理由
・英米が日独伊の関係に対する警告を発してい
るのではないかと推測
・東北抗日聯軍の紫雲山辺区の露営地を索敵開
始から12日目でついに見つけ出す 掘立小屋を
包囲銃撃
・呂広哲からは何も聞き出すことができずに死
亡
・康東平には1万円を渡して釈放する 長倉常
幸が殺害を提案するが採用しない
・次郎はバイアス湾で日本陸軍の上陸の様子を
鳴門豪人(かつひと)とともに観察している 広東
作戦が開始された 反撃もなく上陸する
・ルノー車で香港へ戻る 鳴門豪人は元軍人で
将校から軍事機密を聞けるパイプがある ブラ
ジルの珈琲豆を売り捌く会社を立ち上げた
・三国軍事同盟の成立を危惧している アメリ
カは日本が戦争できる相手ではない
・太郎は瀬古勝久に電話をかける 汪兆銘工作
について 特に情報はない
・谷津是之が太郎に近衛文麿首相の声明東亜新
秩序について報告 興亜院について
・丁路看と不倫をするための物件を寺脇友樹に
探してもらった
・三郎は新しくコンビを組むことになった鹿取
忠治に送ってもらい自宅へ
・熊谷誠六が訪れる 内地出張から帰満 内地
の節約とピリピリした様子について
・石原莞爾の予備役願について 周囲を現実主
義者に囲まれ理想主義の石原莞爾が敗れ去った
五族協和の夢は水泡に帰した
歴史的事項
・黄河決壊事件での被害は黄河流域八百万平方
km、罹災民70万人、死者10万人以上。
・嘉納治五郎はオリンピック委員会に出席して
国際社会に東京開催を主張していたが、カイロ
からの帰途の氷川丸内で急性肺炎により死去。
・張鼓峰山頂で極東ソ連軍が陣地を構築しそれ
を阻止しようとした朝鮮軍第19師団との間で戦
闘開始。
建国大学教授陣
朝鮮軍の現状
張鼓峰事件
・4月末にジャコモ・パウリッチ侯爵を団長と
するファシスト親善使節団16名が来満してい
た。協和会が中心となり対応した。
ファシスト親善使節団
訪欧使節団
・宇垣一成外相の指示で重光葵駐モスクワ大使
が停戦協定をまとめ、8月11日に現地停戦協定書
張鼓峰事件顛末と長勇大佐
が交わされた。長勇陸軍大佐がシュテルン極東
方面軍参謀長との現地停戦協定に臨んだ。
・大本営陸軍部から武漢攻略命令が中支那派遣
軍司令官畑俊六と北支那方面軍司令官寺内寿一
に発令された。
・文壇の巨匠たちが内閣情報部によって漢口に
動員された。
・読売新聞は戦争記事で20万部の東京地方紙か
ら100万部の全国紙になった。
・国民革命軍は各地から武漢に兵を集めてい
る。南支はがら空きになる。
内閣情報部の文学動員
・コミンテルンはポーランド共産党の活動を停
止し、スペイン共和国政府への援助も打ち切
る。ファシズムは勢いづいている。
欧州情勢
・南支最大の都市・広州攻略のため広東作戦を
展開する。及川支隊と第18師団が上陸。
・広東作戦では、10月21日に広州を占領し、28
日には武漢三鎮を陥落させた。
・ヒットラーがポーランドにダンツィヒ返還と
ポーランド回廊建設要求。
新聞と従軍文士
興亜院
・石原莞爾少将は8月に予備役願を提出し、満
洲を去った。石原莞爾は本当に体調を崩してお
り、舞鶴要塞司令官という閑職へ。東條英機中
将は関東軍時代の振る舞いを根に持ち予備役編
入を叫んだ。
・関東軍参謀長磯谷廉介中将は現実主義者。
・興亜院がすんなりと設立された。対支政策を
一元的に統制するため首相が総裁を務める。
・満洲国訪欧使節団の甘粕正彦はムッソリー
ニ、ヒットラー、フランコと会見。
・満洲里にユダヤ難民の第一陣が到着。有田八
郎外相がユダヤ人対策綱領を発表した。ユダヤ
人は一般外国人として取り扱い積極的に招致し
ないという態度。
・近衛文麿首相は東亜新秩序建設、新東亜外交
の基本という声明を発表した。
・滇緬(てんめん)公路は援蒋ルートと俗に呼ば
れ、ビルマから雲南省昆明に通じる道路。
・四郎は間垣徳蔵の命令で璇宮(しきょう)飯店に ・国民党内で徹底抗戦を叫ぶ蒋介石と宋子文に
軍医の直嶋博之を訪ねる 直嶋博之の指示で動 対し、新東亜外交の基本についての声明に基づ
く
き対日和平交渉をすべきとした汪兆銘、何応欽
・武漢攻略にあたって軍は略奪放火強姦を禁じ との対立は深刻になっていた。幹部が次々に蒋
た 直嶋博之は第3師団に配属され兵站司令部 介石に辞表を提出し、汪兆銘はハノイに逃れ
から特殊慰安所の特殊診療所での検黴を命じら た。
れた 民間の朝鮮人慰安婦も対象
・1月4日に近衛文麿内閣は総辞職、次期首相
・特殊慰安所の建設地積慶里へ向かう 慰安婦 は平沼騏一郎。
は京都長崎朝鮮からやってくる
・国民革命軍は撤退にあたり、漢口の日本租界
・鯨岡富吉は四郎が軽蔑したとして突っかかる を徹底的に破壊し尽くした。犠牲者はゼロ。
・ルーズベルトは教書演説で中立法廃止、軍備
拡大、半全体主義国家、ニューディール政策緩
・太郎は自宅で丁路看を馘首にする演技をした
和をうち出した。日独伊防共協定を念頭に置い
・葛城源吉宅で飲み 平沼騏一郎首相について
ている。
右翼結社・国本社の主催者 満鉄調査部への締
・平沼騏一郎内閣は国民精神総動員強化方針と
め付けを強めるだろう
して金属回収と物価調整のために隣組制度強化
・関東軍が満鉄調査部への弾圧をしないように
を決定した。
三郎に頼めないか打診 太郎は無理だと断る
・中野正剛の東方会と社会大衆党が合同し、全
体主義新党結成を宣言。
・四郎は軍医診療室で慰安婦の性病検査を手
伝っている 直嶋博之と汪兆銘の側近が蒋介石
の刺客に射殺された事件について話す
・蕎麦屋で松原草胤と話す 松原草胤は特殊慰
・兵士の給料は8円50銭。慰安所は1円。
安所に通い詰めている
・憲兵が来て草胤に報告 慰安婦の金清淑が森
戸久平二等兵と脱走した 2人の死体が発見さ
れた 心中を図った
・鯨岡富吉は自分の用意した慰安婦の死に激怒
・太郎は丁路看と不倫するための洋館のリ
フォームの状況を確認した
・谷津是之が太郎に汪兆銘が重慶から脱出した
との報告を受ける
・瀬古勝久に電話 汪兆銘の件については何も
掴んでいない 参謀本部謀略課長影佐禎昭(かげ
ささだあき) 大佐の汪兆銘工作が成功したという説
と海外派遣説がある
参照
ユダヤ人対策要綱
滇緬公路
武漢三鎮進入要領
東方会と社会大衆党の合同
支那抗戦力調査報告
年代
時期
主人公
身分
舞台
登場人物
4月初旬 三郎
関東軍新京憲兵隊大尉
ハルビン駅→
平房・関東軍
防疫給水部本
部
落合章介(ハルビン
特務機関中佐)
今江房雄(防疫給水
部本部薬剤中尉)
1939
5月初旬 太郎
別邸→新京ヤ
国務院外務局政務処長 マトホテル→
豊満ダム
河辺慎一(興亜院資
料室長)
梶谷夏彦(豊満ダム
建設技師)
塩野清作(豊満神社
社司)
1939
6月15日 四郎
奉天特務機関嘱託
1939
1939
7月1日
1939
7月初旬 次郎
1939
三郎
7月13日 三郎
漢口・揚子江
の河原
次郎
長白山の裾野
関東軍新京憲兵隊大尉 →憲兵隊通化
駐屯地
鹿取忠治(新京憲兵
隊曹長)
諏訪牧彦(通化警察
公署警尉補)
調所公彦(憲兵隊通
化分屯地中尉)
・寝返った呉立果の案内で三郎は国軍と国警を
率いて楊靖宇を探索 迎撃され呉立果とともに
軍警5人が殺された
・通化に戻ると調所公彦から通化駐屯地に呼び
出される ノモンハン事件勃発の報
小料理屋・於
雪
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
・次郎は於雪に間垣徳蔵を呼び出す 銃で脅し
四郎を満映に入れることと付きまとわないこと
を約束させた 上海に向かう
大陸浪人
関東軍新京憲兵隊大尉
ハイラル→将
軍廟
鹿取忠治(新京憲兵
隊曹長)
床波敬司(徳化特務
機関中尉)
7月中旬 太郎
政務処長室→
国務院外務局政務処長 新京ヤマトホ
テル
谷津是之(政務処主
任)
鷹野正人(モスクワ
大使館一等書記官)
1939
7月下旬 三郎
バルシャガル
関東軍新京憲兵隊大尉
高地
鹿取忠治(新京憲兵
隊曹長)
床波敬司(徳化特務
機関中尉)
1939
8月中旬 四郎
浪人
奉天・清華大
旅荘→奉天駅
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
1939
8月20日 三郎
バルシャガル
関東軍新京憲兵隊大尉
高地
鹿取忠治(新京憲兵
隊曹長)
床波敬司(徳化特務
機関中尉)
1939
8月21日 四郎
満映事務所→
満洲映画協会映画製作
白鳥茶房→企
部企画課脚本班
画課長室
石毛敏雄(満映総務
課主任)
松平映子(満映企画
課演出班記録担当)
灘尾浩巳(満映企画
課長)
1939
8月21日 三郎
バルシャガル
高地→将軍廟
関東軍新京憲兵隊大尉
→ロブスン
ジャブ宅
鹿取忠治(新京憲兵
隊曹長)
床波敬司(徳化特務
機関中尉)
ロブスンジャブ
本多豊吉(ハイラル
特務機関大尉)
1939
8月下旬 次郎
大陸浪人
上海キャセ
イ・ホテル→
亜州友誼洋行
公司
鳴門豪人(太平洋交
易社長)
パラス・ジャフル
(亜州友誼洋行公司
経営)
1939
8月28日 太郎
国務院外務局政務処長 政務処長室
瀬古勝久(上海総領
事館参事官)
谷津是之(政務処主
任)
河辺慎一(興亜院資
料室長)
1939
9月1日
三郎
ハイラル駅→
ハルビン駅→
関東軍新京憲兵隊大尉 モデルン・ホ
テル→串揚
げ・淀川
鹿取忠治(新京憲兵
隊曹長)
落合章介(ハルビン
特務機関中佐)
淀川兵衛(予備役特
務曹長)
9月上旬 四郎
満洲映画協会映画製作 太郎宅→満映
部企画課脚本班
本社
桂子
松平映子(満映企画
課演出班記録担当)
1939
1939
ストーリー
・三郎は落合章介と関東軍防疫給水部本部に向
かう 汪兆銘離脱で蒋介石の権威失墜 八路軍
や新四軍の影響力が増大する
・スターリンは毛沢東が力をつけることを恐れ
ている 野坂参三が延安に向かい毛沢東を監視
する
・今江房雄が研究について説明 人体実験用の
人間を捕獲することを要請された
・太郎は河辺慎一と新京ヤマトホテルで落ち合
う 天津海関長射殺問題について 反英感情が
高まる懸念
・河辺慎一とともに豊満ダムへ向かう 支那抗
戦力調査報告について 甘粕正彦について 李
香蘭について
・豊満ダムについて梶谷夏彦から説明を受ける
・太郎は塩野清作に声をかけられる フォード
車が壊れ一晩豊満神社に泊めてもらうことに
なった
・野犬が人骨を噛み砕く音 支那人苦力の死体
を食べている
・四郎は20年ぶりに揚子江の河原で次郎と出
会った すべての過去を話す 次郎は武漢を離
れ奉天の清華大旅荘で待つように1千円を渡す
間垣徳蔵に償いをさせると約束
・次郎は再び拳銃を買うことにした
・三郎は鹿取忠治とハイラルから将軍廟へ向か
う 戦闘は泥沼化しつつある
・床波敬司が現れる ソ連はヒットラーとの密
約が成立したのでノモンハンで徹底的に戦うは
ず 関東軍は陸軍中央の意思を無視 辻政信少
佐が石原莞爾を真似して暴走している 作戦主
任参謀服部卓四郎中佐も同罪 植田謙吉関東軍
司令官も鎧袖一触論に騙されている
・関東軍は苦戦しながらもハルハ河を渡河し外
蒙古騎兵連隊を撃破 戦車戦で苦戦も歩兵の火
炎瓶で対抗 一進一退の攻防
・谷津是之が日本大使館からの通電報告 極東
ソ連軍司令部をチタに新設 ノモンハンの各部
隊は第一集団軍に改編
・新京ヤマトホテルで鷹野正人と食事 陸軍内
は三国同盟でまとまり各政党は三国同盟を望む
天皇と海軍と外務省は反対
・ノモンハン事件は平沼首相の無能さが招いた
ヒットラーが平沼を見限りソ連との対決姿勢を
緩めた スターリンは状況を読み切りノモンハ
ンでの交戦を決意した
・天津イギリス租界封鎖は反米活動とも受け取
られる ルーズベルトは景気回復のために軍事
産業の全面展開する日本との戦争を望んでいる
・三郎たちはバルシャガル高地で築城中の兵の
動きを見ている
・床波敬司がやって来て日米通商条約が破棄さ
れたことを伝える 極東ソ連軍が8月中旬に大
攻勢をかけるとの情報が特務機関に入っている
辻政信参謀の分析では大兵力投入はない
・第2飛行集団と極東ソ連軍航空隊の航空戦が
始まる 極東ソ連軍は新型機を投入し急降下爆
撃を繰り返した
・四郎は清華大旅荘で連絡を待っていた 間垣
徳蔵が現れ満映に入社するために新京に出発す
るように言われる 奉天駅に向かう
・床波敬司がバルシャガル高地にやってくる
第6軍設立によって関東軍の統帥は支離滅裂に
なっている
・辻政信参謀と服部卓四郎作戦主任参謀は無責
任な態度をとっている 特務機関から極東ソ連
軍の戦力増強の情報に第6軍司令部の反応は鈍
かった
・極東ソ連軍の戦車の大群が塹壕へ 航空機に
よる重機関銃などを破壊 火炎瓶は新型戦車に
効き目がなく小松原兵団は蹂躙された
・四郎は満映を訪れる 石毛敏雄と面談
・11月に本社ビルが完成し理事長も甘粕正彦に
交代する
・四郎は松平映子と再会した 5年前に離婚し
2年前から満映で働いている
・灘尾浩巳は木本繁雄を知っていた 自殺した
ことを知らされる
・三郎は鹿取忠治と床波敬司とホロンバイル高
原の悲惨な状況を確かめ将軍廟へ 翌朝ロブス
ンジャブ宅で食事
・本多豊吉からノロ高地やクイ高地周辺の戦闘
状況について バルシャガル高地も同様 参謀
本部と関東軍参謀部が対立して戦車2個連隊を
原駐地に戻したせい 小松原兵団長や荻洲立平
司令官はまだ断乎迎撃を叫んでいる
・次郎はキャセイ・ホテルで鳴門豪人と出会う
独ソ不可侵条約について ドイツはイギリスと
の戦争を始める 極東ソ連軍の増強は不可侵条
約が水面下で進んでいたから ノモンハン事件
について
・ポーランド分割の密約の可能性 ポーランド
南部には石炭や鉱物資源が豊富 南東部に油田
がある
・亜州友誼洋行公司にパラス・ジャフルを訪ね
る 独英戦について 次郎は仕事を貰いに来た
・上海は小商いが増えて好景気になり阿片が売
れる インド産阿片売買の手伝いを頼まれる
・太郎は瀬古勝久と独ソ不可侵条約及びポーラ
ンド分割の秘密付帯条項について話す ノモン
ハン事件について
・谷津是之が太郎に平沼騏一郎内閣の総辞職を
報告
・河辺慎一に電話 次期首相の見通しについて
阿部信行大将 陸相畑俊六 外相野村吉三郎
・ノモンハンの状況がつかめていない
・三郎と鹿取忠治はホロンバイル高原を離れハ
ルビンへ向かう 翌朝到着し落合章介がモデル
ン・ホテルへ案内する
・鹿取忠治をホテルへ降ろし落合章介と三郎だ
けで傅家甸へ 淀川で食事
・ホロンバイル高原の攻防について 特務機関
の情報は司令官に無視された 突然の停戦の事
情について
・スパイを拘束 ポーランド分割密約とソ連の
フィンランド侵攻の情報を吐かせた 独ソ戦は
避けられない
・ハルビン特務機関から落合章介にドイツが
ポーランドに侵攻開始の連絡
・四郎は国務院官舎の太郎宅を訪ね桂子に挨拶
する
・松平映子と満映事務所で出会う 開拓民の花
嫁募集のための宣伝映画を撮っていた
歴史的事項
参照
・生物兵器開発研究組織は満洲第731部隊と呼ば
れている。関東軍軍獣防疫廠と関東軍化学戦部
野坂参三
隊が統合されてできた。
・防疫給水部長は石井四郎大佐。
・甘粕正彦は訪欧から帰満直後に協和会総務部
長を辞任した。武藤富男、岸信介産業部次長を
中心に満映理事長にしようと画策している。
・豊満ダム建設に河北省から集められた苦力
は、最初は通州事件の捕虜が多かった。万人坑
に埋葬された。発疹チフスが蔓延し多くの支那
人苦力が死んだ。
天津海関長射殺問題
李香蘭
・5月下旬にドイツとイタリアが鋼鉄条約を締
結。天津海関長射殺問題に端を発した日英関係
の悪化はさらに深刻になった。
天津租界封鎖
ノモンハン事件勃発
・5月からハルハ河東岸にソ蒙軍が現れ、歩兵
と飛行集団によってソ蒙野戦陣地を攻撃し大半
を撃退した。東八百蔵中佐戦死。
・第23師団(師団長小松原道太郎中将)に第1
戦車団、歩兵第26連隊を補強して小松原兵団と
呼んだ。儀峨徹二中将指揮の第2飛行集団も投
入。
・ソ蒙軍は戦車2個旅団、装甲1個旅団、狙撃
2個連隊、外蒙古騎兵2個師団。司令官は
ジューコフ。
・大本営は専守防衛を指示した。
・徐州会戦までは軍需物資輸送は輓馬や駄馬
だったが、車両が使われるようになっている。
第一次ノモンハン事件
満ソ国境紛争処理要綱と辻政
信
関東軍の暴走
ノモンハン戦闘状況1
・イギリス租界封鎖から反英感情が盛り上が
り、有田八郎外相とクレーギー駐日大使が会
談。反英市民同盟のデモ行進。
・陸軍、海軍ともに親独派は増加の一途で、板
垣征四郎陸相は三国同盟のために軍事参議官寺
内寿一大将をドイツ、イタリアに派遣。
・ドイツの仮想敵国はソ連と英国。三国同盟は
自動的に第三国を交戦国とするドイツ外相リッ
ベントロップ案で紛糾している。
・ノモンハンをめぐり東郷茂徳特命全権大使が
モロトフ外務人民委員と折衝。
反英運動の盛り上がり
三国同盟への動き
平沼騏一郎とノモンハン事件
・7月16日にフラルキ鉄橋が爆破され、ノモン
ハンへの兵站は完全に停止する。
・第23師団前線司令部、関東軍司令部、大本営
陸軍参謀本部の意思に齟齬があり、戦闘は膠着
状態に入った。
・アメリカが日米通商条約を破棄。反英運動と
重慶爆撃が理由。
ノモンハン戦闘状況2
・参謀本部第1部は小松原兵団の上に第6軍を
設立し、荻洲立平(おぎすりっぺい) 中将が司令官に
第6軍設立
就任。
極東ソ連軍との戦力差
・機関銃、火砲、対戦車砲は日本軍の倍、戦車
ノモンハン戦闘状況3
と装甲車は840輛に対して第6軍は解体されて何
もない。航空機は515機に対して113機。
・満映の理事長は川島芳子の実兄金壁東から甘
粕正彦に交代する。
・第23師団は1日で全滅状態になった。
・バルシャガル高地の第7師団第26連隊も壊
滅。
ノモンハン戦闘状況4
・8月23日、独ソ不可侵条約を調印し即時発
効。
・汪兆銘離脱で蒋介石の将来が不透明になり、
法幣が信頼を失った。銀と煙膏が信用される。
・独ソ不可侵条約を受けて、イギリス議会は緊
急国防全権法を可決し、フランス議会も戦時緊
急措置法を成立させた。
平沼騏一郎辞職
野村吉三郎
・8月24日の反撃も虚しく一蹴され、極東ソ連
軍は残敵掃討に取り掛かった。戦闘は8月いっ
ぱいでほぼ終息した。
・第6軍に拡充しても司令部は兵站を拡大せ
ず、前線は飢えと乾きに苦しんだ。
ノモンハン戦闘状況5
突然の停戦
帝国陸軍の矛盾
年代
1939
1939
時期
主人公
身分
舞台
登場人物
9月17日 太郎
国務院外務局政務処長 政務処長室
三郎
谷津是之(政務処主
任)
9月28日 次郎
蘇州河→ブ
ロードウェ
亜州友誼洋行公司嘱託 イ・マンショ
ン→ブルー
バード
パラス・ジャフル
(亜州友誼洋行公司
経営)
鳴門豪人(太平洋交
易社長)
ジョセフ・フリーマ
ン(上海ウィーク
リー・ニュース)
1939
11月初旬 太郎
国務院外務局政務処長 自宅
葛城源吉(満鉄調査
部)
葛城京子
1939
11月中旬 四郎
満洲映画協会娯民映画
満映社宅
制作部企画課脚本班
松平映子(啓民映画
企画課演出班記録担
当)
11月30日 次郎
アメリカ聖公
会教堂→サッ
スーン煙膏倉
亜州友誼洋行公司嘱託
庫→ジェス
フィールド路
76号
パラス・ジャフル
(亜州友誼洋行公司
経営)
康敬生(CC団汪兆銘
派)
間垣徳蔵(奉天特務
機関中佐)
天城征成(上海特務
機関中尉)
別邸→政務処
長室
丁路看
金承良(運転手)
谷津是之(政務処主
任)
河辺慎一(興亜院資
料室長)
通化駅→割烹
澤の井
鹿取忠治(新京憲兵
隊曹長)
諏訪牧彦(通化警察
公署警尉)
岡地豊和(第1師団
歩兵第49連隊長少
佐)
足尾道貞(満洲国軍
上校)
浅井常長(国警通化
公署警正)
長山清志(飛行集団
第12航空連隊少佐)
1939
1939
1940
1940
12月26日 太郎
1月下旬 三郎
1940
1940
1940
関東軍新京憲兵隊大尉
満洲映画協会娯民映画 満映本社→珈
制作部企画課脚本班
琲・燭光
沢井富士夫(満映総
務部経理課)
龍泉鎮→道教
寺院
鹿取忠治(新京憲兵
隊曹長)
岡地豊和(歩兵第49
連隊長少佐)
唐章生(龍泉鎮副鎮
長)
川上正一(通化駐屯
地中尉)
2月初旬 次郎
ブロードウェ
イ・マンショ
亜州友誼洋行公司嘱託
ン→ブルー
バード
パラス・ジャフル
(亜州友誼洋行公司
経営)
ジョセフ・フリーマ
ン(上海ウィーク
リー・ニュース)
天城征成(上海特務
機関中尉)
2月23日 三郎
蒙江街・国警
蒙江分署→近
関東軍新京憲兵隊大尉
藤旅館→国警
蒙江分署
鹿取忠治(新京憲兵
隊曹長)
岡地豊和(歩兵第49
連隊長少佐)
川上正一(通化駐屯
地中尉)
諏訪牧彦(通化警察
公署警尉)
3月初旬 次郎
ブロードウェ
イ・マンショ
ンBM→バー・
ドルフィン→
亜州友誼洋行公司嘱託
メトロポー
ル・ホテルMH
→金剛餐庁→
BM→MH
天城征成(上海特務
機関中尉)
国務院外務局政務処長 政務処長室
香月信彦(同盟通信
社記者)
谷津是之(政務処主
任)
1月下旬 四郎
1940
1940
国務院外務局政務処長
三郎
関東軍新京憲兵隊大尉
3月12日 太郎
太郎
次郎
三郎
四郎
16
11
18
14
ストーリー
・太郎は資料に目を通すのに忙しい 三郎が訪
ねて来た 四郎について ノモンハン事件の損
害と責任について
・ポーランド分割とソ連のフィンランド侵攻に
ついて
・谷津是之は太郎にソ連軍がポーランドに侵攻
したことを報告
・次郎はパラス・ジャフルに依頼され煙膏を積
んだ戎克(じゃんく)を焼き払った 青幇系の阿片
流通の妨害をしている
・ナイトクラブ・ブルーバードへ 鳴門豪人と
ジョセフ・フリーマンが現れた ワルシャワ陥
落とユダヤ人の救出について
・太郎は葛城夫妻を自宅へ招く 葛城夫妻の東
京旅行について 内地は沈鬱ではなく浮かれ気
分が漂っていた
・満鉄総裁が松岡洋右から大村卓一に交代→予
算増→拡張路線→マルクス主義からの転向者採
用→憲兵隊が目をつける 葛城源吉は三郎から
憲兵隊への口利きを頼む 太郎は断る
・四郎は満映社宅に引っ越した 松平映子が四
郎の部屋に突然押しかける 四郎は娯民映画担
当になった
・二人でお酒を飲み 男女の関係になる
・次郎はCC団とともにサッスーン財閥の煙膏倉
庫を襲撃する 警告射撃のみ
・ジェスフィールド路76号でパラス・ジャフル
と話す 財源は日本が出している 鄭蘋茹(てい
ひんにょ) が藍衣社からジェスフィールド路76号に
入ってきた スパイの可能性あり
・間垣徳蔵がジェスフィールド路76号にやって
来た 汪兆銘政権がなぜできないのかについて
鄭蘋茹について
・鳴門豪人の息子天城征成を紹介 同僚の妻と
の姦通で生まれた このスキャンダルで退役し
た
・日本は英米との戦争に備え北守南進する 石
油を確保するため 援蒋ルートの破壊が目的と
なる 次郎に上海特務機関への助力を依頼
歴史的事項
・ドイツはイギリス、フランスと戦闘開始。ア
メリカは国家非常事態宣言、イギリス連邦諸国
はドイツに宣戦布告。
・15日にノモンハン事件の停戦協定。植田謙吉
関東軍司令官は解任で予備役編入、後任は梅津
美治郎中将。参謀次長中島鉄蔵中将、第一部長
橋本郡少将、磯谷蓮介関東軍参謀長も予備役編
入。
・ノモンハンには関東軍5万9千弱出動し、死
者不明者8741名、戦傷8664名、戦病2263名。
・汪兆銘はハノイ→上海→王子別邸と移動し新
政府樹立交渉。上海に戻り、藍衣社に対抗する
ために反蒋介石派を集めてジェスフィールド路
76号に常駐させた。藍衣社、青幇との激しい抗
争。
・汪兆銘政権のために影佐禎昭大佐と参謀本部
支那課春気慶胤少佐は梅華堂を設立。
参照
ドイツの侵攻開始
ノモンハン顛末
汪兆銘政権とジェスフィール
ド路76号
マヌエラ
・支那派遣軍総司令部が設置された。総司令官
は西尾寿造大将、総参謀長には板垣征四郎中
将。
甘粕正彦が満映理事長就任
・ソ連がフィンランドに侵攻した。
・上海特務機関長は竹下義晴少将。
ジェスフィールド路76号と大
日本帝国陸軍
汪兆銘政権樹立の困難
・太郎は丁路看からコリー犬をねだられる
・金承良と創氏改名について話す
・谷津是之が太郎に桂林で鹿地亘が日本人民反
戦同盟を設立したことを報告
・阿部信行内閣不信任決議案採択の報 太郎は
河辺慎一に電話する 不信任決議の理由と次期
内閣について
・ソ連が国際連盟を脱退。スウェーデンがフィ
ンランドに義勇軍を送る。
・ラプラタ沖海戦でシュペー号がイギリス艦隊
に追われモンテビデオに入港し、最後は自沈。
・野村吉三郎外相は仏領インドシナからの重慶
支援中止と軍事監視団ハノイ派遣を要請するも
フランス大使から回答はなし。
・蒋介石は再び剿共戦に本格的に取り組み始め
た。第二次国共合作は完全に破綻した。
・阿部信行内閣不信任決議はインフレに対する
不満に乗じた。
第二次国共合作の崩壊
阿部信行内閣不信任決議の理
由
・楊靖宇が東北抗日聯軍第1軍を率いて濛江県
龍泉鎮を占領したとの報を受けて三郎は通化へ
向かう
・鹿取忠治と対外施策方針要綱について話す
満ソ国境紛争は外交手段で解決する方針
・諏訪牧彦が通化駅から割烹澤の井へ案内 岡
地豊和と足尾道貞と浅井常長と長山清志が待っ
ていた 楊靖宇の行動理由分析 ノモンハンで
の損害と蒋介石の剿共戦への警告のため
・航空機から伝単を撒き楊靖宇について密告さ
せる
・米内光政海軍大将に大命が下った。吉田茂厚
生相。全体に英米との対決姿勢を弱めた。
・国内では国家総動員法がらみの動き。米の1
人1日3合制、ネオンや広告塔の電力使用禁
止、18%の電力制限。
・ルーズベルト大統領は一般教書演説で中立維
持を声明するも軍備増強。150隻の軍艦建造を決
定。
・松平映子は映画支那の夜の撮影で上海に向か
う
・元燭光座の沢井富士夫が四郎に声をかけた
食事へ 5年前に満洲に渡ってきた 満映には
半年前からいる
・甘粕正彦理事長の評価 厳格だが面倒見がい
い
・大東公司は大東協会に発展解消された
・三郎は風雪の中を一個中隊とともに楊靖宇の
いる龍泉鎮へ向かう 住人からすでにいないと
報告
・道教寺院を宿舎にする 東北抗日聯軍からの
脱走者3名の情報 食料不足で司令官に対する
不満が蔓延している 逃走した5方向のうち3
方向を知っていた
・岡地豊和は通化駐屯地に偵察機と爆撃機を依
頼 軍警を龍泉鎮に向かわせる
・パラス・ジャフルは次郎に児玉誉士夫(よしお)
が汪兆銘警護のために集めた軽機関銃をインド
へ運ぶことを要請する
・ブルーバードでジョセフ・フリーマンと待ち
合わせ ゲルマン民族絶対優越論者のドイツ人
ギュンター・ユルゲンの暗殺を依頼される
・天城征成が現れる 次郎に寄居雄児の暗殺を
依頼 鹿地亘と毛沢東を結びつけ中支那派遣軍
に秘かに浸透している
・三郎たちは小隊で索敵している 蒙江街に辿
り着き蒙江分署へ
・国警に潜り込んだ共産党員スパイ謝厚源を鹿
取忠治が射殺 協力者江大永を殺そうとした
東北抗日聯軍に情報を流していたのが露見する
ことを恐れた
・軍警部隊が楊靖宇を射殺したとの情報 頭部
が切断され運ばれてきた
・国務院治安部保安局警務処長からの指示でさ
らし首は中止 新京に送る
・天城征成が次郎に寄居雄児(偽名ロバート・
ナカムラ)の写真を渡す
・鄭蘋茹のスパイ事件について
・次郎はバードルフィンから電話を架けてギュ
ンター・ユルゲンを呼び出す 土砂降りの中メ
トロポール・ホテル玄関前で射殺 ジョセフ・
フリーマンに報告してブロードウェイ・マン
ションへ戻る
・再びメトロポール・ホテルで寄居雄児の部屋
に押し入り射殺
・香月信彦が太郎を訪ねる 楊靖宇の死体解剖
結果と三郎の様子について
・谷津是之が太郎に汪兆銘の和平建国宣言の草
案を手渡す
・香月信彦は汪兆銘政権の閣僚名簿に丁黙邨の
名前があることを批判
・蒋介石の重慶政府はアメリカから資金調達を
拡大している 太郎はアメリカの景気回復のた
めの戦争希求→反英感情と三国同盟→イタリア
の宣戦布告の流れを恐れる
・満映は大同大街から洪煕街へ移転した。
浅間丸事件
満映と甘粕正彦
・チャンドラ・ボースがインド独立に向けて動
いている。ベンガル州委員会はインド独立最後
通牒をイギリスに突きつけた。
インド独立の動き
・西谷喜代人警佐指揮の軍警が三道蔵子河にて
楊靖宇を射殺。
楊靖宇の最期
・鄭蘋茹が藍衣社のスパイであったことが判明
した。丁黙邨(ていもくそん) 暗殺に失敗しジェス
フィールド路76号に処刑された
・汪兆銘政権は王克敏の臨時政府と梁鴻志の維
新政府を統合する。
・閣僚名簿、工商部長に梅思平、社会部長に丁
黙邨。
・3月7日、重慶政府は錫を担保に米国から2
千万ドルを借款、さらに浙江財閥の宋子文を
ルーズベルトのもとに送り込みタングステンで
2千5百万ドル、銅と鉄で5千万ドルを調達予
定。
楊靖宇の死体解剖結果
汪兆銘政権草案