講義メモ 2012.6.20 田中浩朗 科学の社会史(科学技術史 A) 第11回 戦争と科学 科学者と 軍事 ・ 19 世紀半ば: 前3世紀:アルキメデス(投石器) 16世紀:数学者タルターリャ(弾道学、築城術) 17世紀:ロンドン王立協会会員(軍事技術) 18世紀:化学者ラヴワジエ(火薬製造技術) ・・・緩やかな、散発的な結びつき ・19 世紀後半 : 米:国家科学アカデミー(1863 年)南北戦争 英:陸軍省に科学者(化学者)1870 年代∼ 仏:科学者の委員会が軍事技術に助言 普仏戦争後 ・・・組織的な結びつき 第一次世界大戦 指導的科学者は、科学技術の動員、科学の制度化 を政府に働きかける。 →科学者共同体が、軍事技術と緊密に結びつく形 で組織化される。 各国で の動き (1) ・フランス 1914 年8月、科学アカデミーが政府と科学者をつ なぐパイプ役に ・イギリス 1915 年秋、枢密院の下に諮問委員会(王立協会 会員からなる)→1916 年、科学・産業研究庁(DSIR) ・アメリカ 1916 年9月、国家研究評議会(NRC)が政府・大 学・産業界を結びつける 各国で の動き (2) ・ドイツ プロイセン陸軍省に戦時原材料局、カイザー・ヴィ ルヘルム研究所の拡充 ・日本 1914 年、化学工業調査会→1917 年、理化学研究所 ビデオ NHK スペシャル「映像の世紀 第2集 大量殺戮の 完成」(NHK 総合、1995.4) ・第一次世界大戦での新兵器 化学戦の始まり ・塹壕戦対策として、英・仏・独が毒ガス(催涙ガス) を研究・生産・備蓄。 ・1914 年 12 月、化学者 F.ハーバーが化学兵器開発 の最高責任者に。 ・1915 年4月、ベルギー領イープルでドイツ軍が塩 素ガスを放射。化学戦の始まり。 ・各国で、毒ガス・防毒面等の研究開発・使用。 化学戦の結果 ・化学戦に動員された科学者: 独 2000 人、米 1900 人、英 1500 人、 仏 100(学士以上)+α人 ・毒ガスによる死傷者: 兵士約 53 万人 非戦闘員を含めると 100 万人近く 第一次大戦後の科学者 ・ハーバー 毒ガス使用を正当化。 ・アメリカの化学界 毒ガス使用を禁じるジュネーブ議定書(1925 年)批 准に反対。化学戦部の存続。←化学者・産業界の 利益のため。 ・戦時にできた動員機関は平時も存続: 英:科学・産業研究庁(DSIR) 米:国家研究評議会(NRC) マン ハッタン 計画 1938 年 12 月、ドイツでウランの核分裂を発見。 →核エネルギーによる兵器の可能性 1939 年8月、亡命中のアインシュタインがルーズベ ルト米大統領に手紙。 →1939 年 10 月、ウラン諮問委員会発足 1939 年9月、ドイツ軍のポーランド侵攻。 1941 年夏、英モード委員会の報告が米国に伝わる 1941 年 10 月、米大統領、原子力利用の中心を原爆に 1941 年 12 月、日本軍の真珠湾攻撃。 1942 年8月、マンハッタン計画開始。 1943 年、ロスアラモスに研究所。所長はオッペンハ イマー。 ビデオ 知ってるつもり?!「ロバート・オッペンハイマー」(日 本テレビ、1997.7.20) ・1942 年∼、マンハッタン計画 ビデオ ニュースステーション「二号研究 日本の原爆開 発計画 」(テレビ朝日,1995 年) ・日本の原爆研究 理化学研究所:二号研究(仁科芳雄) ←陸軍 京都大学: F研究(荒勝文策) ←海軍 科学と 軍事 ・第二次大戦後の冷戦時代 巨額の軍事費をもとに,科学研究へ投資された ただし,日本は防衛費が少なかったため,科学研 究への投資は民間主導で進められた ・冷戦後の現在 軍事費からの研究投資は相対的に減りつつある 主要 国等 の研究費の政府負担割合の推移(グラフ) ・『平成 22 年版 科学技術白書』 http://www.mext.go.jp/component/b_menu/ other/__icsFiles/afieldfile/2010/08/18/ 1294970_005.pdf ・『科学技術要覧 平成 23 年版』 http://www.mext.go.jp/component/b_menu/ other/__icsFiles/afieldfile/2011/07/12/ 1307510_1.pdf まと め: 戦争と 科学 ・19 世紀半ばまで:緩やかで散発的な関係 ・19 世紀半ば以降:組織的な関係 ・第1次大戦:科学者の組織的な動員(例:毒ガス) ・第2次大戦:さらに大規模な動員(例:原爆) ・冷戦時代: 科学研究予算における軍事費の割合高まる (日本を除く) ・冷戦後:軍事費の割合が下がる
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