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PRESSRELEASE
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藤野華怜
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企画趣旨
かつてオリンピックにはスポーツ競技とともに芸術競技がありました。
近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵の強い意志により、1912 年のストックホル
ム大会から 1948 年のロンドン大会まで7回にわたり絵画、彫刻、建築、音楽、文学の分野
で各国の作家がオリンピック期間中に作品を展示しメダルを競いました。
『オリンピック憲章』には「オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質
を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである」と謳われ、
「スポーツを文化と教育と融合させることで、オリンピズムが求めるものは(中略)生き
方の創造」であり、オリンピックを、スポーツのみならず文化や教育などを含めた広範な
人間形成をめざすものとしているのです。
本展覧会はそうしたクーベルタン男爵の思いから生まれた1点の絵画に焦点を当てます。
オーストリアの画家ルドルフ=ヘルマン・アイゼンメンガーの作品『ゴールするランナー
たち』です。1936 年のベルリン大会の芸術競技に出品され絵画部門の最優秀作品として銀
メダルに輝きました。(金メダルは該当者なし)
この作品は 1940 年の東京オリンピックの参考にするため東京にもたらされましたが 1939
年に展示された他は公開の記録がありません。この度本作品を洗浄・修復し 77 年ぶりに公
開します。
2020 年の東京オリンピック・パラリンピックに際して文化芸術イベントの開催が予定さ
れています。オリンピックと芸術の歴史に光を当てることでオリンピック・パラリンピッ
クそしてオリンピズムへの理解を深めていただければ幸いです。
また本展覧会はスポーツアーカイブズの構築に向けた共同研究の一環として開催される
ものであり、スポーツアーカイブズ、スポーツミュージアムへの関心を喚起することも目
指しています。
また日本は 1932 年のロサンゼルス大会から芸術競技に参加しています。本展覧会では
1936 年のベルリン大会に参加した畑正吉のブロンズ彫刻『スタート』を展示します。
2016 年 9 月
学習院女子大学
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企画概要
企画名:ゴールするランナーたち オリンピックと芸術
主催:学習院女子大学
独立行政法人日本スポーツ振興センター秩父宮記念スポーツ博物館
後援:公益財団法人日本オリンピック委員会
特定非営利活動法人日本オリンピック・アカデミー
特定非営利活動法人日本スポーツ芸術協会
助成:科学研究費助成事業
協賛:三井不動産株式会社
会期:2016 年 10 月 18 日(火)〜11 月 23 日(祝)
開場時間:午前 9 時〜午後 5 時
休館日:毎週月曜日
入場料:無料
会場:学習院女子大学 2 号館 1 階 文化交流ギャラリー
(〒162-8650東京都新宿区戸山 3-20-1)
*正門または北門の守衛所で入構証を受け取ってご入場ください。
企画:清水敏男(学習院女子大学教授)
荒井啓子(学習院女子大学教授、日本オリンピック・アカデミー専務理事)
新名佐知子(秩父宮記念スポーツ博物館学芸員)
井上裕太(秩父宮記念スポーツ博物館学芸員)
作品洗浄・修復:小谷野匡子(絵画保存研究所)
*本展覧会はスポーツアーカイブズの保存についての提案としてスポーツをテーマとし
た絵画作品を洗浄・修復し公開するというプロセスを示すことも目的としています。
グラフィックデザイン:浅葉克己
制作・運営:学習院女子大学博物館実習受講生
出品作家、出品作品:
1)ルドルフ=ヘルマン・アイゼンメンガー RudolfHermannEisenmenger(1902-1994)
出品作品:
『ゴールするランナーたち』 油彩、1936 年、秩父宮記念スポーツ博物館蔵
2)畑正吉 HataShokichi(1882-1966)
出品作品:『スタート』 ブロンズ、1934 年、秩父宮記念スポーツ博物館蔵
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会場アクセス:〒162-8650 新宿区戸山 3-20-1 学習院女子大学 東京メトロ副都心線「西早稲田」駅下車、徒歩 1 分
東京メトロ東西線「早稲田」駅下車、徒歩 10 分
JR 山手線・西武新宿線「高田馬場」駅下車、徒歩 15 分
問い合わせ先:学習院女子大学 担当教授 清水敏男
電話 03-3203-1906(代表) mail:[email protected]
*作品写真が必要な方は藤野までご連絡ください。
*写真を掲載の場合は、下記クレジットを明記してください。
ルドルフ=ヘルマン・アイゼンメンガー作『ゴールするランナーたち』1936
C RudolfHermannEisenmenger
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【関連イベント】
有森裕子氏トークショー『走る』
元マラソン選手有森裕子氏が「走る」をテーマにお話します。
日時:2016 年 11 月 23 日(祝)午後 3 時〜4 時(開場午後2時半)
会場:学習院女子大学 2 号館 222 教室
定員:200 名 聴講無料
申し込み方法:
下記メールアドレスに「有森裕子氏トークショー聴講希望」と件名に明記し、聴講希望
者全員の氏名を記して事前にお申し込みください。定員に達し次第締め切ります。空席
がある場合、当日正午まで申し込み可能です。
メールアドレス [email protected]
有森裕子氏略歴:
1966年岡山県生まれ。就実高校、日本体育大学を卒業して、(株)リクルート入社。バ
ルセロナオリンピック、アトランタオリンピックの女子マラソンでは銀メダル、銅メダ
ルを獲得。
2007年2月18日、日本初の大規模市民マラソン『東京マラソン2007』でプロマラソンラ
ンナーを引退。
1998年NPO法人「ハート・オブ・ゴールド」設立、代表理事就任。2002年4月アスリー
トのマネジメント会社「ライツ」(現株式会社RIGHTS.)設立、取締役就任。国際オリ
ンピック委員会(IOC)スポーツと活動的社会委員会委員。スペシャルオリンピックス日
本理事長、日本プロサッカーリーグ理事。他これまで、国際陸連(IAAF)女性委員会委
員、日本陸上競技連盟理事、国連人口基金親善大使、笹川スポーツ財団評議員、社会貢
献支援財団評議員等の要職歴任。
2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受
賞。同12月、カンボジア王国ノロドム・シハモニ国王陛下より、ロイヤル・モニサラポ
ン勲章大十字を受章。
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本展覧会の目指すもの
本展覧会の目的として下記の点が挙げられます。
1)オリンピック憲章に明記されている「オリンピズムの根本原則」を教育の現場で活か
すこと、さらに一般の人々に知ってもらうことを目指します。
2)芸術競技は 1948 年のロンドン大会を最後に実施されなくなりましたが、その後も文化
芸術のイベントがオリンピック・パラリンピックと同時に行われています。その歴史
的経緯を再認識しオリンピック・パラリンピック東京大会に向けて意識を高めること
を目指します。
3)スポーツに関するアーカイブズについて認識を深め、アーカイブズ構築を推進するこ
とを目指します。
77 年ぶりの公開
1936 年のオリンピック・ベルリン大会芸術競技に出品され絵画部門の最優秀作品(*1)
として銀メダルに輝いた絵画作品《ゴールするランナーたち》はその後 1940 年の東京大会
の参考に資するために日本にもたらされました。しかし東京大会は戦争のために中止され、
本作品は 1939 年に展示された記録*があるだけで、秩父宮記念スポーツ博物館の収蔵庫に
収蔵されていました。(*2)その作品を洗浄・修復し、ベルリン大会から 80 年ぶり、日本
では 1939 年の展示以来 77 年ぶりに公開します。
(*1)1936 年のベルリン・オリンピック芸術競技絵画部門では金メダルは該当作品がな
く銀メダルが最優秀賞でした。
(*2)日本での公開は 1939 年 10 月の「子供の健康展覧会」に出品された記録がありま
す。この展覧会では、ベルリン・オリンピック芸術競技出陳の洋画、日本画、彫
塑が出品されたほか、子供の体育、衛生、健康に関する展示が行われました。
(*3)この作品は、ベルリン大会への出品を管轄した大日本体育芸術協会の会長・森村
市左衛門氏が購入しました。1937 年 2 月に日本での税関手続きが完了後、美術教
育資料として東京美術大学(現・東京芸術大学)に寄付される予定でしたが、戦
後は日本体育協会で管理され、1958 年に秩父宮記念スポーツ博物館へ収蔵されま
した。以来、一度も展示することなく収蔵庫に保管されてきました。来歴の詳細
については分かっていません。
オリンピック芸術競技とは
近年、オリンピック・パラリンピックではスポーツ競技のみならず大規模な文化芸術イ
ベントが開催されるようになりました。2014 年のロンドン・オリンピックでは「カルチュ
ラル・オリンピアード(CulturalOlympiad)」として 4 年間で 4,340 万人の観衆を集め大
成功しました。
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近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵の強い意志のもと 1912 年のストックホルム
大会から 1948 年のロンドン大会まで7回にわたり「芸術競技」が開催されました。これは
スポーツ競技と同時に絵画、彫刻、建築、音楽、文学というメディアでスポーツを題材と
した作品によるコンペティションを行うというものでした。日本は 1932 年のロサンゼル大
会と 1936 年のベルリン大会に参加しました。ロサンゼル大会では長永治良の版画『虫相撲』
が佳作となり、ベルリン大会では藤田隆治の絵画『アイスホッケー』と鈴木朱雀の日本画
(水彩部問出品)『古典的競馬』が銅メダルを獲得しました。東京オリンピック・パラリ
ンピックでもこれからの4年間、多くの文化芸術イベントが実施される見込みです。現在
の文化芸術イベントはオリンピック芸術競技の歴史が背景にあります。
「オリンピズムの根本原則」
近代オリンピックの精神を示す『オリンピック憲章』に記された「オリンピズムの根本
原則」の第 1 章には、「オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高め
て融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化と教
育と融合させることで、オリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、
よい手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づい
た生き方の創造である」と謳われています。オリンピックを、スポーツのみならず文化や
教育などを含めた広範な人間形成をめざすものとしているのです。
2020 年のオリンピック・パラリンピック東京大会に際して文化芸術のイベントを開催す
る「文化オリンピアード」の開催が予定されています。
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出品作家略歴
ルドルフ=ヘルマン・アイゼンメンガー
ルドルフ=ヘルマン・アイゼンメンガーは、1902 年 8 月 7 日にハンガリーのピスキテ
レップ(現在のルーマニア、シメリア)に医師の子として生まれ、ジーベンビュルゲン
のヘルマンシュタット(現在のルーマニア、トランシルヴァニアのシビウ)で育った。
1918 年から 1919 年にかけてのハンガリー・ルーマニア戦争の影響が父親(初期の「鉄の
肺」の発明者)の療養所にも及び 1921 年には両親と共にウィーンへ亡命した。ウィーン
ではウィーン美術アカデミーで学んだ。
美術アカデミーの学生時代すでにアイゼンメンガーは数多くの賞を受賞し頭角を現し
た。
1930 年アイゼンメンガーはウィーン芸術家会館の最年少会員に迎えられ 1936 年にはヴ
ェネチア・ビエンナーレに招待されている。
伝統的な古典主義やロマン主義の要素を特徴とする自らのスタイルをすでに確立させ
ていたアイゼンメンガーは、1936 年にはオリンピックのオーストリア代表に選出された。
出品作品『ゴールするランナーたち』(LäufervordemZiel)は銀メダルを獲得し、そ
の功績が認められてオーストリア勲一等科学・芸術十字勲章およびウィーン市より賞を
受賞した。
1938 年 12 月にはウィーン芸術家会館の臨時館長に就任した。ナチス政権により外部か
ら政治活動に積極的な館長が送り込まれるのを防ぐため同僚の芸術家たちが当時最も著
名であったアイゼンメンガーに指導権を握るように迫ったのである。二度にわたり就任
を断った彼も、1939 年 6 月 1 日には同意したのだった。
戦後の復興期で最も重要な作品はウィーン国立歌劇場の再建に際して制作された『魔
笛』をモチーフとしたタペストリーシリーズである。同じく国立歌劇場の幕の装飾画コ
ンペで優勝し『オルフェウスとエウリデュケ』の抒情的なシーンを描いた。
その後絵画制作に打ち込むと同時に大学で後進の指導にあたり数多くの賞を受賞した。
1971 年には失明の危機を乗り越え再び創作を開始したが 1994 年 11 月 3 日、ウィーンで
亡くなった。享年 92 歳であった。(http://rhe.eisenmenger.at/leben/bio.htm から要約)
畑正吉
明治 15 年(1882 年)2 月 12 日富山県高岡市生まれ。明治 39 年(1906 年)東京美術学校彫
刻科を卒業、翌年から農商務省海外練習生として 3 年間ヨーロッパに留学した。明治 44
年(1911 年)第 5 回文展に『歳三十』が入選し、第7回文展では『某人肖像』で褒状をう
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け、帝展の初期まで毎回入選した。大正 2 年(1913 年)東京美術学校教授となった。大正
9 年(1920 年)から 1 年間再度欧米に留学した。帰国後の大正 11 年(1922 年)、東京高等
工芸学校(千葉大学工芸学部の前身)教授に転任、以来昭和 16 年(1941 年)退職後も同校
の教育に携わった。昭和 11 年(1936 年)のオリンピック・ベルリン大会芸術競技彫刻部門
に『スタート』を出品した。造幣局賞勲局の嘱託として昭和 20 年(1945 年)辞任するまで
多くの記念メダル彫刻の製作にたずさわった。昭和 6 年(1931 年)には帝国美術院の推薦
となった。日本彫刻家連盟、能美会会員を経て、戦後は日本彫塑会会員として同展及び
日展に出品した。特に晩年は能彫刻に力を注ぎ、昭和 28 年(1953 年)、30 年(1955 年)に
は能彫個展を開くなど能彫会の有力な会員でもあった。学校教授時代の門下生に本郷新
がいる。1966 年 6 月 24 日三鷹市の自宅で病没した。享年 84 才。
(『日本美術年鑑』昭和 42 年版(144 頁)から要約、補筆)
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