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洛西育ちの大阪人 - 京都工芸繊維大学同窓会

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■寄
稿
衣笠禄栄会
平 清盛の京を歩く例会
洛西育ちの大阪人
森
下
(紡織科
昭
福
三
昭和24年卒)
大将軍で育ち、父は京友禅千總の図案家でし
た。1949年旧制繊維専門学校紡織科を卒業後即
大日本紡績㈱へ入社、綿紡績の前紡主任から係
長時代は合繊紡に専念、1966年小寺(新)部長時
代に国産合繊第1号プラント輸出として、ビニ
ロントウ紡績をフィリピン UMC 社で新工場を
建設しました。1972年以後産業構造変化の影響
が出始める中、台湾、中東、東欧に及ぶ海外事
業に従事する傍ら、1976年に技術士資格を取得
しました。社名が2度変わりニチボー時代は貝
塚で紡織の超近代路線を手掛け、日本のテキス
タイル産業の進路を探索し続けてユニチカ㈱を
定年退職。その後はサービス業界の社長経験を
経て、北浦理事長体制の JTCC 入りしました。
コンサルタント事業を根気よく続け、やる気の
ある中堅企業を支援し続けて84才の今日も、強
気の経営者とドラッカー思想をベースに革新を
語り、戦略計画の支援を実践しています。
趣味は、学生時代はバスケット漬け、中年以
後ゴルフに転じ、ホームコースは枚方 CC。ス
ポーツ観戦は野球とラグビーで阪神タイガース
と早稲田の熱狂ファンです。カメラいじりが好
井
(養蚕科
忠
勝
昭和26年卒)
24年度禄栄会は NHK 大河ドラマ平清盛が保
元・平治の乱を終結させ、武士の王となって一
門の繁栄を極めた頃の京都を訪ねることとした。
午前10時半全国から12名の者が新幹線京都駅改
札口に集合した後、市バスの岡崎法勝寺前で下
車、目の前にある料亭「白河院」で昔を偲びな
がら昼食懇親の宴を催した。白河院は藤原一族
の別荘地として創建されたが後に白河天皇に献
上、現在は名庭のある私立学校振興共済事業団
の宿泊所となっている。院内の庭園は平安神宮
神苑・無鄰菴や円山公園などを手がけた庭師・
小川治兵衛の作庭で小川流の山水・池泉回遊式
の本格的な庭として名高い。当日は晩秋の好天
に恵まれ最上席の部屋「平安の間」に陽光が降
りそそぎガラス戸を開けさせる暖かさにビール
の追加も加わって大いに会話がはずみ、お互い
一年ぶりに元気な姿で再会できたことを喜び
合った。2時間余りの宴会に別れを告げ平清盛
の足跡をたずねるため全員貸切りバスの人と
なった。最初に向かった所は父・忠盛が自軍を
駐留、拠点とした「六波羅蜜寺」へ詣でた。清
盛・重盛当時には5,200もの一門の邸宅が建ち
並んだが現在は清盛塚の供養塔と坐像(重文)が
残るのみであった。次いで一行は清盛が後白河
法皇の院御所として創建した蓮華王院(三十三
間堂)を拝観した。堂内陣の柱間の数が33ある
ことから俗に三十三間堂と呼ばれるようになっ
たことを知った。京都では比類なき権力を手に
した清盛もその栄華は長くは続かなかったが市
内には新熊野神社・法住寺・正林寺・六道珍皇
寺・蓮光寺など関係の旧跡も数多くあるが総べ
てを見て廻ることは出来ず、来年度の例会を大
阪・神戸組にバトンタッチし午後4時京都駅で
散会した。(平成24年11月7日記)
きで36.3メガピクセルを駆って風景と祇園祭を
撮りつづけています。
京∼大阪の接点八幡市に住んで、双方の文化
の心象を更に享受しようと齢を忘れて動き回っ
ています。
KIT 同窓会の三好新体制に大いに期待をかけ
応援しています、年配の OB 諸氏も支部及び
部活動へ奮って御参加下さい。
白河院庭先にて
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