平城遷都 1300 年祭 アジアの歴史都市と奈良の住まいとくらし「伝統的住まいパネル展」 ⑫フエ(ベトナム) 「フエ城・ベトナムの古都 1802-1945」 1枚目 図左上 図中段 1843年の要塞 グエン王朝時代の要塞(左)と1968年の要塞(右) フエの歴史と文化遺産 ベトナム最後の王朝国家、グエン王朝が置かれた都フエは、その緑の景観そして緑の王墓、緑の王 宮 、また特に王朝時代の庭園屋敷などその緑によって形成された景観のために、田園都市として知ら れている。 多くの既存の遺跡群や建造物とともに、フエは 1993 年にユネスコにより、世界文化遺産と して登録された。 城塞の構成 国の統一後の1802年、グエン・フク・アイン(Nguyen Anh 在位 1802-1820)はグエン王朝の要塞とし てフエの地を選んだ。この要塞は、グエン・アインとフランスの建築家、数人の官吏の都市計画と風水理 論によって建設された。 要塞の建設は、風水とヴォーバン様式、そしてそれまでの宮殿に基づき、ザーロン帝(在位 1805- 1820)によって始められ、ミンマン帝(在位 1820-1841)により続けられた。 要塞は、百以上の王家の建物を囲む3つの壁から成る。フエの要塞として知られる、一つ目の壁は、 周囲がおよそ10000mあり、法廷活動の保護のために建てられた。二つ目の壁は周囲の長さがおよそ 2400mあり、君主や位の高い役人たちが日々働く仕事場としての建物が点在している。三つ目の壁は 周囲がおよそ1200mあり、王や王の家族が暮らす場所であった。 要塞の現在 1945 年のグエン王朝崩壊の後、要塞は北ベトナムのハノイへと移された。1993 年にユネスコによって 世界遺産登録をされた後、要塞や、王宮、王墓のような文化遺産は、政府のフエ遺跡保護センターや他 の組織によって保存された。今、これらはベトナムの観光客のメインの観光場所として成長しつつある。 図左下 図右下 現在の要塞と伝統的な庭園屋敷の位置 風水の影響(左)と要塞における保護地域(右) 2枚目 フエの伝統的ガーデンハウス 図左上 レイアウト(左)と庭園屋敷の平面図 図右上 部屋の数と差掛け小屋の数による庭園屋敷の基本分類 図中央 フィールド調査に基づいた物理的、社会的、歴史的な庭園屋敷のデータ フエに古くからある庭園屋敷の文化的な価値 フエの伝統的な庭園屋敷は、フエの人々の生活や人生に欠くことのできない要素である。これらは、優 美で人の目を引き、田園都市と呼ばれるフエの隠れた魅力である。しかし近年、庭園屋敷の多くは、急 な都市化や人口増加、経済の発展、また土地投機により、激しく破壊され、様々な形状に変化した。 1802 年~1945 年に栄えたグエン王朝の時代には 1000 以上あった庭園屋敷は、1998 年には 331 に 減り、2004 年には 318 となった。その数は今もなお減り続けている。 規制と方針 トゥアティエン=フエ省の委員会では、2006~2010 の間に、150 の庭園屋敷を守るという計画を、フエ 文化のために重要なルールとして具体化し、進めていくことに決めた。 図下段 図左下 庭園屋敷の外部と内部の写真 “Ngoc Son Princess”と名づけられたフエにある有名な庭園屋敷 パネル作成協力:Nguyen Ngoc Tung 京都大学大学院大学総合環境建築学専攻 翻訳協力: 池淵菜美 (社)奈良まちづくりセンター 社団法人 奈良まちづくりセンター
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