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「市民科学」第 1 号(2007 年 1 月)
第 10 回市民科学講座 講義録
2006 年 5 月 2006 年 5 月 27 日(土)東京都文京区「アカデミー茗台」学習室にて
途上開発国発、持続可能な社会に向けた世界のうねり
講師:吉田太郎(長野県農政部農政課)
司会(上田昌文):ここに集まりの方々は、農業の持続可能性や有機農業に関心をお持ちだ
と思います。日本では、例えば自然食品店で無農薬の野菜などを買おうとすると、高いな
とかこれをずっと買っていけるかなとか、実際に農業に取り組んでおられる方でも、「完全
に無農薬の有機農業で全国を養うことができるのだろうか?」と、そういう疑問を当然持
っていらっしゃると思います。
それは、私たちが4年ほど前に「土と水の連続講座」をやった時に議論になったのです。
有機農業は確かに良いのだけれど、それを日本全部に拡めていくわけにはいかないのでは
ないかと。そうなると、農薬の使用も容認していかなければいけないしという議論をした
ことがあります。実はその5年ほど前に此処にいらっしゃる吉田さんをお呼びして、キュ
ーバの農業を見てこられたご本もあるのでお話を聞きしたことがあったのです。キューバ
で出来るのは政治の仕組みが違うからという話になったのですが、最近吉田さんが出され
た翻訳書をみると、世界の特に開発途上国と言われる国で実に色々な試みがなされていて、
日本に居てぼんやりしているとそういう情報が入ってこないと、この本から突きつけられ
たことがあります。吉田さんは長野県の農政課にいらっしゃいまして、農業の現場を見る
機会も多いと思うのです。その日本の現状と世界の状況の報告も含めて、日本の農業がこ
れからどうしていくのか、もっと広く言えば、持続可能性な社会を作るためには今の社会
や技術のあり方を、どんな風に考え直していったら良いかをまで話が及ぶのではないかと
思います。では、よろしくお願いします。
五月の連休にキューバに行って来たあたりの話をできればと思います。カストロ首相で
す。日本ではカストロ首相は独裁者だと思われているのですが、そうではないというあた
りの話をしたいと思います。
■世界テロの背景にある貧困と環境破壊
今日は、日本と一見無縁に思える海外の話を見ていきたいと思います。皆さん、シュワ
ルツ・ネッガー主演のコラテラル・ダメージという映画をご覧になったことがあるでしょ
うか。コラテラル・ダメージとは「目的のための犠牲」という意味です。この映画は、シ
ュワルツ・ネッガー演じる消防士の奥さんと子どもが、ワシントンでの爆弾テロ事件で、
殺されることからはじまります。復讐するためにシュワルツ・ネッガーは、犯人を追って
コロンビアまでに行くのですが、そこで眼にしたのは、テロ根絶の目的で、CIAがヘリ
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「市民科学」第 1 号(2007 年 1 月)
コプターからのべつまくなく、コロンビアの農民たちを撃ち殺す様でした。驚くべき報復
で、一体誰が本当に悪いのだろうかと、深刻な思いにかられる映画です。実はこの映画が
封切られる寸前に9・11事件がニューヨークで起こり、あまりの内容の酷似ぶりに、封
切りが半年遅れたという曰く付きの映画です。
この映画が作り話でありながらも、ある種のリアリティがある背景には、コロンビアの
悲惨な状況があります。ゲリラと国防軍との内乱が続き、
「ゲリラ支援者と疑わしき者はこ
とごとく排除すべし」との戦略のもと、無関係の市民を含め、毎年十万人当たり 90 人ほど
が殺され、過去 10 年で 3 万人以上が死んでいます。結果として、1985 年以来、人口の 2.
5%に相当する約百万人が難民になっています。
この内乱の背景には、貧困があります。麻薬生産以外には金銭を手にするすべがなく、
麻酔が、ゲリラや民兵組織の収入源となり、さらに闘争を激化させていく。いま、世界中
でテロ対策が問題となっていますが、それは農村の貧困や環境破壊をどうやって解決した
らよいのかという問題と深くかかわっているのです。
■つながりを失いひたすら病む日本農業
では、日本の農業の現状はどうでしょうか。輸入中国野菜からの残留農薬検出、偽装表
示問題、遺伝子組み換え農産物、鳥インフルエンザ、狂牛病など、農業といってまず話題
にされるのは「食の安全・安心」です。最近では、「ロハス」や「スローフード」「スローラ
イフ」という言葉も耳にされるようになってきています。しかし、そもそもなぜ、安全性
が問われるほど食べ物がおかしくなったのか、本質的な理由はあまり議論されていません。
例えば、消費者の不安を背景に有機農産物のビジネス化が進んでいますし、世界的にも有
機農業の栽培面積は年々増えているのですが、ただ海外から有機農産物を輸入するだけで
よいのでしょうか。
小泉改革により景気は回復したと言われていますが、日本はいつまでも海外から農産物
を買い続けられるのでしょうか。
ひとつは、財政危機です。累積財政赤字は国と地方を含めて現在GDPの 1.3 倍で返済不
可能な領域に突入しています。藤井厳喜氏が書いた一連の著作を見ると「国家破綻」が目
の前まで差し迫っていることがわかります。
第二は、高度成長時代以来の加工貿易による工業成長モデルの限界です。戦後日本は、
DVDに象徴されるように、科学技術を利用し、海外から資源を輸入して、これを加工し
て高付加価値化して輸出するやり方をずっととってきました。ところが工業製品は、どこ
の国であれ技術さえマスターすれば製造できます。人件費が安い中国とまともに戦ったら
絶対に勝てません。自明の事実ですが、はたしていつまで工業立国でやっていけるのかも
ほとんど論じられていません。
第三は、石油資源がピーク・オイルを迎え、これから枯渇に向かうという現実です。こ
れも、海外では盛んに論じられていますが、日本ではさほど議論されていないのです。以
上のことから、食料問題は工業とも一体となった課題だということがわかります。
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■緑の革命で荒廃した戦後の世界農業と日本農業
さて、「食の安全・安心」や「ピーク・オイル」が、農業になぜ関係してくるのかという
と、20 世紀に農業で「緑の革命」が起こったからです。
「緑」や「革命」というと耳ざわり
の良い言葉ですが、緑の革命とは、端的に言えば、灌漑と化学肥料・農薬の多投、機械化
の推進です。世界人口が急増したにもかかわらず、人類がなんとかしのげたのは、食料が
大量生産できたおかげではないかと評価されてきましたが、無理な灌漑による塩害、砂漠
化、土壌流出や土地の疲弊など、緑の革命が実は大きな問題を引き起こしたのではないか、
と最近は批判されてきています。
よく経済や政治学では、ソ連圏崩壊で資本主義が社会主義に勝利したと簡単に割り切ら
れることがあります。ところが、こと緑の革命という点では、ソ連圏も資本主義先進国も、
発展途上国も同じでした。例えば、キューバや北朝鮮が社会主義圏内で推進してきたのも
緑の革命でした。つまり、政治や経済的な枠組みを越え、世界中が一斉に挑戦したという
意味で、緑の革命はとても象徴的な出来事であり、かつ、20 世紀を象徴する科学の誤りだ
ったのです。
■緑の革命とはなんだったのか、二つのノーベル賞
大量の食料を作るという近代農業のパラダイムを作り
出したキーパーソンは二人います。一人は、フリッツ・ハ
ーバーです。昔化学の勉強をした人は、圧力を掛けると窒
素からアンモニアへと変わる化学方程式を覚えているか
も知れませんが、ハーバー・ボッシュ法という化学平衡を
利用し、アンモニアの合成に成功した化学者です。
なぜ、アンモニアが重要かというと、私たちが吸ってい
る大気中の空気の8割はチッソガスですが、これは非常に
エネルギーがないと酸素と結合しません。そこで、それま
での農業は、化学農業といっても、チッソ・リン酸・カリ
という肥料の三要素を全部海外から輸入していました。有
名なのが、降雨・湿度の少ない乾燥質地帯に形成されるチ
リの「窒素質グアノ鉱床」です。このチリ硝石が大量に採
掘されてヨーロッパに輸出されていました。この硝石は火
薬の原料にもなります。ダイナマイトは、ニトログリセリ
ンというチッソ化合物です。つまり、火薬原料も輸入され
フ リ ッ ツ ・ ハ ー バ ー (Fritz
Haber・1868~1934) 。1918 年
のノーベル化学賞を受賞。1912
年に平衡論を利用しアンモニア
の合成法を実用化(ハーバー・ボ
ッシュ法)
第一次世界大戦中は毒ガス開発
に従事した
ていました。そこで、第一次大戦が始まると、輸入原料がなくなれば、それ以上砲弾を作
れなくなり負けるだろうということで、ドイルは経済封鎖を受けます。ところがなぜか、
ドイツはいつまでも戦い続けることができました。ハーバーの発明により、大気中のチッ
ソからアンモニアを合成することに成功したからです。第一次大戦後、荒廃した農業の復
興に化学肥料が使われたことから、ハーバーは、ノーベル賞を受賞します。加えて、ハー
バーは愛国者でしたから、毒ガス製造にも手をつけます。これが化学農薬の元になります。
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つまり、農薬も化学肥料も、もとをたどれば、第一次世界大戦と関係してくるのです。
■石油に依存する緑の革命
もう一人のキーパーソンは、米国のノーマン・ボーロ
ーグです。野菜でも穀物でも、大量に施肥をすると背丈
が伸び、雨が降ったり風が吹いたりすると倒伏し、結果
としてさほど収量があがりません。しかし、いくら施肥
してもさほど背丈が伸びない品種を使えば、収穫をあげ
られます。このシンプルな原理のもとに全世界中の作物
収量を何倍にも増やした人物です。ボーローグも緑の革
命に貢献した理由から 1970 年代にノーベル賞を受賞し
ていますが、結果として大量に化学肥料を使うことで、
地球環境の破壊につながってしまいました。二十世紀の
科学は、戦争と深く関係していることがわかります。ち
なみに、緑の革命は日本も関係があるのです。それは、
ノーマン・ボーローグ(Norman
Borlaug・1914~)。1970 年にノ
ーベル賞受賞。1945 年~ロック
フェラー財団とメキシコの国際
トウモロコシ・小麦改善センター
(CIMMYT) が高収量品種を開発
した
ボーローグが用いた背丈が大きくならない小麦を開発したのが日本だからです。農林61
号と言う小麦品種を米国の進駐軍が「何かの役に立つかもしれない」と本国に持ち帰り、
それが、緑の革命に使われたというわけです。
ところが、農業では「収量逓減の法則」というのがあり、一定のところまで行くと肥料
をいくらやってもそれ以上収量が上がらなくなってきます。そろそろ緑の革命も限界にき
ているのです。また、ハーバー・ブッシュ法で化学肥料を作る際には、大量の天燃ガスを
使います。生産すればするほど二酸化炭素が出ますから、地球温暖化につながる。同時に
天然ガスが枯渇したら駄目になるという問題を抱えています。
しかも、作物にはチッソ・リン酸・カリの三要素が必要ですが、チッソは空気中から固
定するとしても、リンとカリはどうするのかという問題があります。現在のリン肥料は、
昔の鳥の糞が堆積したグアノ鉱床から生産していますが、堀り尽くすといずれ無くなって
しまいます。これを象徴するのが、南太平洋のナウル共和国という島です。この島は大量
にこのリン鉱石を持ち、それを輸出することで外貨を稼ぎ、外国へ行くときも政府が補助
金を出し、医療から教育から全部タダということをやっていたのですが、今では資源を掘
り尽くして崩壊してしまっています。つまりリン鉱石も後二十年三十年で無くなってしま
うので、そろそろカウントダウンに来ているのですが、これについてどうするかという代
替え案もきちんと議論されていないのです。加えて、石油もすでにピーク・オイルを迎え
たと議論されています。
すなわち、実は食料や農業問題は、資源やエネルギー問題なのです。現在の稲作のエネ
ルギー収支は 40%くらいです。農業は太陽の恵みで営まれる自然な産業のイメージがあり
ますが、実は石油で成り立っている産業なのです。化学肥料は天然ガスで作りますし、農
薬も石油で作ります。コンバインとかの農業機械もすべて石油で動くのです。
昔は潅漑も重力を利用し自然流下で使っていましたが、今は大量にポンプ・アップして
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灌漑するなど、かなり無理をしています。結果として、江戸時代の農業は、エネルギーを
1投入すると太陽エネルギーによって 2.5 倍の見返りがありました。
当然持続可能でした。
ところが、現在の農業は 100 のエネルギーを投入しても 38%のエネルギーしか得られませ
ん。農業は太陽の恵みで成り立つ産業のように見えて、実は 60%は石油で作られているの
です。こうした農業は石油がなくなれば成り立ちません。
「旬産旬消」といって、旬を大切
にすることも言われていますが、例えば、いま、キュウリもトマトもナスも夏の作物です
が、その旬がわからなくなっています。旬の季節にあることはあたり前で儲かりませんか
ら、ハウスを重油で暖めて、時期はずれにも作っています。こうした農業は、石油価格が
高騰すれば成り立たなくなってしまう農業です。
このように、近代農業には様々な問題があります。そこで、これを持続可能な農業にし
ていかなくてはいけないのですが、では、実際にどうしたらいいのかというと皆目わから
ないのです。
■発展途上国で進展する持続可能農業
安全な農産物を、なおかつ環境を破壊しないで、食料危機を招か
ないような形で十分な量を作るにはどうしたらよいのでしょうか。
さて、私は、2006 年 2 月に、イギリスのエセックス大学のジュール
ス・プレテイ(Jules Pretty)教授が書かれた「アグリカルチャー」
という本を翻訳出版しましたが、この翻訳作業を通じて、とても世
界観がかわりました。というのは、日本では、有機農業や持続可能
な農業というとヨーロッパが先進国とされ、米国のCSA(コミュ
ニテイ・サポーティド・アグリカルチャー)が優良事例として取り
上げられるくらいです。ところが、プレティ教授はアジアやアフリ
カ等、世界 52 カ国で 200 以上のプロジェクトを調査した結果、すでに約一千万人もの農家
が3千万ヘクタールというかなり広い面積で持続可能な農業に挑戦しており、しかも、そ
の 98%がここ十年間ではじまったもので、かつ、小規模な農家ほど成功していることを明
らかにしたのです。
プレティ教授は、まず、農業問題を捉えるにあたり、古代ローマや少数民族や先住民族
の世界観、中国やインドの自然観、日本の里山まで例にあげ、世界全体の自然保護思想を
のもとに自然と人間との関係を明らかにしています。そこで、キーワードになってくるの
が、ギャレット・ハーデンが提唱した「コモンズの悲劇」です。
■コモンズの悲劇
コモンズの悲劇とは、かいつまんで言えば、キセルのことです。一人ぐらいが自分だけ
は大丈夫と無銭乗車をする。そして、「よし、あいつがやるならば俺も」と全員が無賃乗車
をすると、JRがつぶれてしまう。コモンズが壊れ、皆が困ってしまうというわけです。
もう一つ言うと、100 円ショップで、安ければよいと奥さんが買っていたら、知らない間に
ご主人がリストラされてしまった。これもコモンズの悲劇です。
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「市民科学」第 1 号(2007 年 1 月)
もともと、ハーディンがコモンズの悲劇として例にあげたのは、共有地の自然環境のこ
とでした。丘陵地で羊が草を食んでいるとして、ある一人の人間が、もっと牧草地に羊を
入れ儲けてやろうと羊の数を増やすと、「奴だけが儲けるのは許せないから俺も入れよう」
と誰も彼もが羊を飼い始めたら、ある日、全部の草が羊に食い尽くされ、結局、羊が全部
死んでしまうことになります。そこで、ハーディンは、この悲劇を回避するため、民営化
と国営化を提唱しました。そして、この二つが世界の自然保護の大きな流れになっていき
ます。しかし、実際には、人類は長い歴史の中で、コミュニティを通じて、コモンズの悲
劇を回避し、自然を守ってきたのです。
例えば、自然保護思想として有名な人物にヘンリー・デービット・ソロー(Henry David
Thoreau・1817~1862)とジョン・ミューアー(John Muir・1838~1914)がいます。ソロー
は原生自然を賞賛し、ミューアーもシエラネバダ山脈を羊飼いとともに歩き、自然の素晴
らしさを称えます。ところが、実際はミューアーが賞賛した自然は、ネーティブ・アメリ
カン、アファニチ族等が焼き畑農業などをやりながら作りあげた二次自然だったことがわ
かってきました。つまり、人類は長い間、コモンズの悲劇を招くことなく、自然と共生し
てきました。プレティ教授の著作には、日本ではまず聞かれることがないバラシ族、サミ
族、ケチャ族と多くの少数先住民族の世界観が紹介されています。
人類学者、ダレル・ポージー(Darrell Posey・1947~2001)も、日本ではほどんど知られ
ていませんが、アマゾンの熱帯林の原住民と暮らす中で、アマゾンの原生林すら人工的に
作られたものだという主張をしています。要するに、先住民族の暮らしも詳細に調べてみ
ると、まさに毎日が日曜日で、さほど苦労もせず、暮らしていたことがわかってきている
のです。
■インドの伝統から生まれた有機農業
西洋がルーツとされる有機農業思想もアジアの伝統的な農業の影響を受けて誕生してい
ます。有機農業運動は、1946 年にイギリスで創設された「土壌協会(Soil Association)」
から始まりましたが、その初代会長がレデイ・イヴとして知られるイブ・バルファー 夫人
(Lady Evelyn Barbara Balfour・1899~1990)です。イブも日本ではほとんど紹介されてい
ませんが、女性ながらも実際に農業を行い、本当に有機農業が良いのか近代農業が良いの
かを、33 年にわたる試験を行い、有機農業の方が確かに牛も健康になり、収量も高いこと
を実証した人物です。このイブが影響を受けたのが、同じイギリスのアルバート・ハワー
ド卿(Sir Albert Howard・1873~1947) が提唱した有機農業思想でした。
そして、卿が「最良の師」としたのは数世紀に及ぶインドの伝統的農業やその背景にあ
る東洋輪廻の思想でした。当時インドはイギリスの植民地でしたから、卿は農業研究セン
ターの所長として、1905~1931 年にインドに赴任します。当初は、遅れたインドの農業を
品種改良を通じて生産性を高めてやろうと目指しますが、実際には、現地のインドの農民
たちは堆肥を作り、循環農業を実践していました。これはイギリスにはない発想でしたか
ら、ショックを受けた卿は有機農業に目覚め、堆肥づくりに科学的な光をあて、効果的な
堆肥づくりの方法を開発。これを「インドール方式」と名づけて普及するのです。
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ちなみに、デイープ・エコロジーという思想を提唱したアルネ・ネス(Arne naess・1912
~)もこの思想を形成するにあたり、インドの「バガヴァッド・ギータ」の影響を受けたと
述べています。ギータは、戦いに出向く戦士アルジュナにクリシュナ神が人生の生き方を
説いたことで知られるインドのヒンズー教の古典で、マハトマ・ガンジーも愛読していま
す。
■有機農業に力を入れたナチ・ドイツ
さて、有機農業のルーツとしてはルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner・1861~1925)
も有名です。シュタイナーのバイオダイナミックの思想の影響を受け、今から 60 年も前に
国をあげて有機農業推進に力をあげた国家があります。当時は、米国式の近代農業が広ま
り始め、農業の大規模化が進み、大地が荒廃し自然も病みはじめました。ならば、農薬も
禁止し、国民誰もが有機農業できちんとした物を食べ、健康になるべきだと主張したので
す。すばらしい国ですね。その国家の名前は、第三帝国ナチスドイツです。ナチスが台頭
した背景には、農業の近代化でドイツの小規模農家が疲弊していたころから、この主張か
らドイツ農家の支持を得た部分もあるのです。ところが、そこから論理が飛躍して、ドイ
ツの自然環境を守るためには人間の数が多すぎるのではないか。ならば、劣等な人間から
数を間引きして減らしたほうが地球環境のためになると、ユダヤ人の虐殺にまでいってし
まうのです。SS長官であったハインリッヒ・ヒムラーは、強制収容所で囚人たちに有機
野菜を栽培させていました。牛を麻酔も打たずに殺すのは可哀想だと動物福祉に配慮する
一方で、劣等民族はガス室で殺しても良いという非常にアンバランスな国家でした。有機
農業も一歩間違えるとそういう危険性があるということです。
■持続可能な農業を発展させる三つの手段
では、持続可能な農業を発展させるためにはどうしたらよいのでしょうか。私なりに、
プレティ教授の言わんとすることを噛み砕いてみますと、大きく三つに分類できると思い
ます。第一は、トップダウンでの政策転換です。これについては、現在、親環境農業を目
指している韓国、国をあげて有機農業に取り組むキューバ、そして、GDPに代わる指標
としてGNP(グロス・ナショナル・ハピネス)、すなわち、幸せを重視するブータンが参
考になる感じがします。第二は、科学技術です。日本では知られていませんが、環境を破
壊せずに収量を高める新しい農法が発展途上国で登場してきています。そして、第三は、
コミュニテイです。いくら政府の健全な政策や優れた技術があっても、それを実際に地域
に定着させていくには、コミュニテイが一つのキーワードになります。
■欧州の環境保全型農業
国家的な政策転換としては、ヨーロッパ農政の動向も参考になります。ヨーロッパでは
1999 年に「環境直接支払い」を義務化しました。クロス・コンプライアンスと呼び、環境
にとって健全な農業には奨励金を支払うが、環境に悪影響を及ぼす農業には支払わないと
いう原則をきちんと政策化しています。このモデルになったのがスイスです。スイスは、
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山国ですから、他国と農業で勝負をしたら経済的に負けてしまいます。そこで、山村の景
色やコミュニティを守るために、1960 年代から農家に対して補助金を払ってきました。そ
して、他国に先んじて、1998 年の新農業法制定で、直接支払いを受けるには、
「生態系保全
実践証明」を受けることを必須化します。
その結果、農業政策 2002 の展開で、2000 年では慣行栽培にとどまる農場は 3%、総合的
生産ガイドラインをクリアーする農場は 90%、有機ガイドラインをクリアーする農場は 7%
となり、この 10 年間で農薬の使用量は三分の一まで低下し、リン酸塩の使用は 60%、窒素
使用は半分まで減りました。一方、半自然の生息地は、この十年で、平野部では 1~6%ま
で、山岳地域では 7~23%まで拡大しています。しかも、スイスが面白いのは、直接民主主
義の国ですから、この農政転換の是非を国民投票に問いかけます。その結果、9割近い支
持が得られたことから、憲法にも環境保全型農業を位置づけるのです。
生態系保全実践証明を受けるための条件
●化学肥料のバランスの取れた使用(肥料養分収支)
●農地の一部(3~5%)を生物多様性の環境保全地区に
●規則正しい輪作と適切な土壌保全
●適切な総合的病害虫管理
●動物に配慮した家畜飼育
■親環境農業を進める韓国
韓国も、金成勲(キム・ソンフン)農林部長(日本の農業大臣に相当)のもと環境保全型農
業に向けて大きく政策転換の舵取りを行いました。これもあまり知られてはいませんが、
有機農業政策や環境農業政策では日本よりも韓国の方が進んでいるのです。1996 年には中
長期計画「21 世紀に向けての環境農業政策」を制定し、1997 年 12 月には「環境農業育成
法」を制定。この法律をもとに、環境農産物の基準づくりや直接支払い制度を創設してい
ます。金部長は自ら「虫食いだらけだれども安全です」と言うキャッチフレーズを作り、
全国行脚して有機農業の普及に努めました。ちなみに、2003 年の 5 月には第5回有機農業
国際会議がキューバで開催されていますが、この国際会議には、金部長は団長として 10 人
にも及ぶ農業関係者を引き連れ、参加しています。
質問:稲作のエネルギー消費について、もう少し説明してください。
吉田:農林水産省の宇田川正俊氏が行った、投入エネルギーの研究では、1950 年では燃料、
肥料、機械に 38 のエネルギー投入に対して、玄米という形で 49 のエネルギーが得られて
います。ところが、1974 年では、約 200 の投入に際して 74 しか返ってきていません。つま
りエネルギー効率は 40%でマイナスだということです。
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エネルギー収支から見ると、米国農業も驚くほど非効率です。ピメンテルらのトウモロ
コシ生産の分析を見てみると、1970 年の米国の生産量はグアテマラの 4.8 倍ですが、エネ
ルギー投入量は 25.4 倍もあります。ことエネルギー効率で見てみると、米国農業は、グア
テマラ農業の 5 分の 1 以下でしかないのです。では、なぜ、グアテマラの農業が評価され
ないのかというと、今の経済学はどれだけお金が動いたかということがベースになってい
て、エネルギーがどれだけ効率的に使われたかとか、ブータン国王が提唱するGNHの概
念のように、それによって人々がどれだけ幸せになったかがカウントされないからなので
す。
雑談になりますが、1930 年にパプアニューギニアの高地で、それまで文明と一切接触し
たことのなかったシアネ族が「発見」されます。発見時にシアネ族はいまだに磨製石器を
使っていました。石器時代社会に鉄という新テクノロジーがもたらされるとどうなるか。
ヨーロッパの人たちは興味津々で観察しました。今でいえばパソコンやDVDといった超
近代的なハイテクノロジーが入ったのです。木を切るにしても杭を打つにしても、今まで
の3倍もの効率でできるようになったのです。生産効率がアップするわけですから、生産
規模が拡大され、低コストで大量生産することで、利益をあげようとするはずです。とこ
ろが、シアネ族の場合は資本主義の常識とは異なり、奇妙なことが生じました。生じたと
いうよりも、より正確に言えば、何も起こらなかったのです。畑は依然として同じ面積の
まま、シアネ族は、労働量を減らす道を選びました。必要とされる以上はムダなモノを作
ろうとはせず、余った自由時間を、おしゃべり、お祭り、昼寝に向けたのです。
「何て愚かな連中だ」と西洋人たちは驚きましたが、エネルギー効率や人間の幸せという
観点からするとシアネ族はとても賢かったといえます。
質問:投入エネルギーが1950年から増えている理由は何ですか。
吉田:一言で言えば石油です。農業の経済的効率化を目指して、堆肥の代わりに化学肥料
を使ったり、機械化を使うことで規模を拡大することで、近代農業は石油に大きく依存す
るようになったのです。農業は進歩しているように見えて、エネルギー効率の面から見る
と、実は進歩していないのです。
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■アジアで広まる田んぼの学校
日本では「田んぼの学校」は、福岡県の宇根豊氏が有名ですが、実はアジアでもほぼ同様
の運動が、かつ、さらに大規模に進んでいます。
ファーマー・フィールド・スクールというのが正確な名前ですが、例えば、インドネシア
では、こうした現場の青空教室が5万ほど作られ、すでに100万人以上の農民が学んでいま
す。結果として、ベトナムでは200万戸の農家が農薬の散布回数を3分の1にするなど、ア
ジア全域を中心に、ラテンアメリカやアフリカなど、30ヶ国以上に拡まり、新たな動きを起
こしています。
例えば、西ジャワのある市ではすでに2万人以上の農家が参加
し、300人以上が農業指導員となり、自分たちで実験場を作り、
バイオ農薬や堆肥を製造販売しています。それにより、日本で
いう農協の農薬販売店がどんどん潰れている。とはいえ、アジ
アで広まる田んぼの学校の仕組みそのものは、コロンブスの卵
のようなもので、聞けば馬鹿ばかしいほど単純です。要は、25
人程度で1グループを作り、5人づつのチームにわかれ、全員が
田んぼに、どういう虫がいて、どれだけ天敵が害虫を食べている
かを調べるのです。「昆虫動物園」という大それた名前がついたツールもあります。植木鉢
に稲を植え、シートをかぶせて、その中で何匹天敵が害虫を食べているのかを観察します。
小学生の理科の実験のようですね。しかし、このことにより、農家の自然観察力は高まり、
無農薬農業に転換出来る自信もついてきます。
これをプリテイ教授はエコリテラシイ、エコロジカルな認識力と言っているのですが、次
のようなことが分かってきました。
では、なぜ、インドネシアはこうしたことに取り組み始めたのでしょうか。その背景には、
やらざるを得なかった理由があります。インドネシアは中国、インドについで、世界で三番
目に重要な米の生産国・消費国です。
そこで、1960年から、緑の革命による稲作の近代化に着手しました。そして、ようやく1984
年に念願の米の自給を達成するのですが、その後は収量が減り、再び輸入国に転落していま
す。理由は、農薬でした。例えば、ニカメイチュウという米の害虫がいますが、農薬を散布
すると薬への耐性がつき、さらに強力な農薬を撒かなくてはいけない、という鼬ごっこが始
まります。1984年には60年と比べ、農薬が14倍、化学肥料が20倍と大量に使用していました。
しかも、1985年までは農薬経費の8割を政府が補
助していたのです。つまり1000円の農薬が180円で買えるので、農家は必要以上に使ってし
まったのです。
そこで、インドネシアは、きちんと生態系を観察しながら環境を守った農業への転換に大
きく舵を切ります。その結果、2002年までに100万の農家が田んぼの学校でトレーニングを
受け、10年後には農薬散布量が90%減り、なおかつ収量も反当たり600から740kgと上がり、
農家のやる気も高まり、自立にも繋がりました。
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話は変わりますが、今、行政では政策評価が盛んに言われています。税金を使った以上ど
れだけのアウトプットがあったのかをきちんと政策評価しなさいと、膨大な時間と資金をか
けて、評価が行われています。ところが、スリランカでは、この田んぼの学校の運動と関連
して、農家自身が政策評価を行う動きが始まっています。
役人が行う評価では、農家経営がこれだけ向上したとか、定量的なことしかなかなか出て
きません。GNPには換算されない幸せの尺度もわかりません。しかし、スリランカでは、
「このプロジェクトを実施する以前と後とでは、どのように暮らしが変わったか、感じるこ
とを自分で写真に撮り、文書で書いてください」と農家にたずねたわけです。すると、「今
までは近所の人とあまり話さなかったけれども良く話すようになった」とか、「子どもたち
がよく笑うようになった」とか、定性的な事業成果も見えてきました。
また、田んぼの学校は成人を対象としてスタートしたものですが、タイではこれが子供たち
の環境教育にも役立つことから、「学校ほ場の学校」といって、学校の理科や国語、算数の
授業に田んぼを使っています。もともと算数は農業をやるためにエジプトのナイル川の水位
を測ることから誕生したわけですから、これは原点回帰のような意味があります。その結果、
子供たちが「なぜそんなに薬を散布しなければならないの」と父兄を「環境教育」するよう
な逆効果もでてきています。
このように、アジアの田んぼの学校は、様々な方面に影響を及ぼしているのですが、実は
これとほぼ同様の動きがラテンアメリカでも始まっています。
■ラテンアメリカと中米で広まる農民参加型の村おこし運動
カンペシーノ・ア・カンペシーノ。スペイン語で、「農民から農民へ」という意味の運動
があります。もともと、ロランド・ブンチという、世界的に著名農学者がグアテマラで始め
たプロジェクトです。ブンチは、貧困問題を解決するため、土が痩せた山の急斜面に日本で
は「八升豆」とよばれる豆を植えることでまず土作りに取り組みました。すると、地力が回
復し、それによってトウモロコシの収量が500kgから2000kgへと4倍にもなったのです。八
升豆は「奇跡の豆」と呼ばれ、農民たちが自分たちで土作りをしていく運動が広まり始めま
した。ところが、米国のCIAが後押しし、「こうした農業を行うのは共産主義的である」
との理由から、グアテマラ軍が200人以上の農民を虐殺する事件が起こったりします。そこ
で、ニカラグアとか他の国にこの難を逃げていくことで、カンペシーノ・ア・カンペシーノ
運動はラテンアメリカ全体に拡がることになったのです。皮肉なことですが、米国のCIA
はそういう意味で素晴らしい国際貢献をしたといえます。
ラテンアメリカでは、日本ではこれもほとんど紹介されていませんが、CIAL
(Comites・de・Invastigacion・Agroicola・Local)、スペイン語を日本語に訳せば、「地元
農業委員会委員会」という運動も爆発的に拡がっています。コロンビアにある熱帯国際研究
所の研究者、ジャックリーン・アシュビーさんが、1980年代から90年代にかけて提唱した運
動ですが、要するに、現地の農家が研究者たちが開発した技術を使わないのはトップダウン
型の普及を進めてきたためで、農家が自分たちで考え、物事を管理する参加型の開発を行う
べきだとか、地元の資源を利用するとか、農家のニーズに応じた研究を試験場が農家と連携
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して行うべきだとか、ごくあたり前のことですが、これは、まさに日本でも今求められてい
ることです。
例えば、コロンビアのカウカ州には、土地が悪く、食料が数カ月間もない本当に貧しい山
村集落があったのですが、農民グループが自分たちで様々な試験を行い、地元条件に適した
トウモロコシ品種を開発することに成功して、土壌浸食を防ぐために植林したり、総合的な
地域開発に取り組み始めました。女性グループがパンを焼いて、牛乳を加工したりして、経
済状況も良くなってきています。
そして、CIAL運動は、途中からカンペシーノ・ア・カンペシーノ運動と連携してきま
す。また、先ほど紹介したアジアの農民田んぼの学校は、田んぼを観察するところから発展
してきてきましたし、CIALは山の中の畑作物栽培から始まっています。このよう1984 年
からワル・ワルス再生プロジェクト(PIWA)がスタートに、両者は全く別のところからスター
トしましたし、やり方もやや違うのですが、互いのメリットとデメリットを補完しあいなが
ら、世界的な情報交換も始まっているのです。
さらに、カンプシーノ・ア・カンプシーノ運動やCIALの成果を実証する象徴的な事件
が起こります。1998年にミッチ・ハリケーンが中米を通過し、ほとんどの村の半分以上
が流されるという大被害が起き、中米の農民たちの豆は全部自家採種で、このほとんどを流
亡してしまいますから、翌年には豆を栽培するための種子がなく、何万人という飢餓が発生
する非常事態に直面していました。前出のロランド・ブンチ氏は「報道陣はハリケーンがあ
った直後は現地の惨状を撮影して、その後には帰ってしまうが、実は長期的な影響の方が大
きいのです」と警告を発しています。実際、種が入手できなければ、何万人の餓死者が出る
おそれがありました。しかし、幸いなことに、この危機は、科学の力とコミュニテイの力と
がうまく連携することによって防がれます。
人工衛星を使って航空写真を撮影し、それをコンピューターでマッピング化するGISと
いう技術を利用し、一番被害を受けた村がどこかを把握し、その村に集中的に種を供給する
「希望の種プロジェクト」という援助活動が進められたのです。そして、CIALを通じて
自分たちで種を栽培するトレーニングを受けていたグループが、このプロジェクトに種を供
給する事に成功したのです。
しかも、その後、世界各地のNGOがハリケーンによる被災状況を詳細に調査した結果、
モノカルチャーでトウモロコシだけを栽培している農場に比べ、多品目を栽培している有機
農業や持続可能農業の方が格段に被害が少ないことも実証されました。それまでは有機農業
といっても、とかく経済的には効率が悪いと言われていたのが、災害や防災管理という面か
らもとても重要であることがわかってきたわけです。
■今甦る2500 年前の古代プレインカ農法
インカのペルーのマチュピチュとか、ナスカの地上絵というとすぐ宇宙人文明とかハンコ
ックの失われた古代超文明に結びついて、オカルトじみてくるのですが、あのような山の中
に何故あのような巨石文化があったのかというと不思議です。昔巨大隕石が落下して、山の
中に逃げた人々をビラコチャという伝説の白人が救ったとかいろいろな説がありますが、チ
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チカカ湖周辺は海抜が富士山より高いわけですから、とても寒く冷え込みます。
ところが、ここに奇妙な土手状の遺跡があることが知られていました。そして、1980年代
に米国の人類学者が、を純粋に人類学や考古学への関心から古代遺跡の復活を試みます。す
ると、2500年前の農法なのに、収量が3倍以上も採れたのです。
ペルー政府も本気になって調べたのですが、化学肥料を使っ
ても良くて1ヘクタール当たり100kgしか取れない場所で、無
農薬・無化学肥料で1400kgもの収量があがったのです。これに
はちゃんとした科学的な理由があります。このワルワルスと呼
ばれる古代農法は、周囲に水を張った土手の中で作物を栽培し
ます。いくら標高3800mだといって夜間に冷え込んでも、昼間は
強い日差しが照りつけます。水の比熱は大きいので、夜間にな
っても冷え込まず、霜害を受けません。また、豪雨時にも周囲に水が溜まるので洪水の被害
を受けませんし、逆に雨が降らないときも周囲に水があるおかげで旱魃の被害を受けません。
さらに、この水の中に藻類が繁殖して、その藻が肥料分になります。この古代農法に取り組
んだ地元の住民は「古代技術は私たちの先祖のことを想起させます。ご先祖様は実に素晴ら
しいアイデアを持っていました」と言っていますが、国連も貴重な在来農法として再評価し
ています。
つまり、数千年も前にあのような高地で古代文明が誕生したのは、別に宇宙人のサポート
があったのではなく、地元の資源をうまく活用する農法があったからなのです。今、遺伝子
組み替えで、冷塊水域に生息する魚の遺伝子を遺伝子組み換えで組み込むことで霜に負けな
い苺を作る研究がされていますが、それよりも、古代農法の方が格段に合理的かも知れませ
ん。なぜならば、一度廃れはしたものの、少なくとも2500年間はリスクがないことが繰り返
し実証されているからです。一方、遺伝子組み換え技術の方は安全とされても、どんな未知
のリスクがあるかどうかわかりません。
■マダガスカルで生まれた超多収稲作技術
マダガスカルにも面白い技術があります。マダガスカルは、アフリカ大陸から切り離され
ているため、キツネザル等の固有種がいる生物多様性に富んだ島だったのですが、以前は国
土の約9割あった森林が現在では1割を切っているのです。なぜ、これほど急激に森林が破
壊されたのかというと、その原因は焼き畑農業です。米が
主食ですが、10アールあたり200kgほどの収量しかあがり
ません。そこで、アンリ・デ・ロラニエさんというフラン
ス人の神父は、米収量を向上させることがマダガスカルの
自然保護には不可欠であると考え、長年苦心を重ねた末、
SRIと称される独自の稲作農法を完成させました。ど
ういう農法かというと、一本だけの稚苗を30センチもの
間隔をあけて植え、かつ、ギリギリまで水をやらない農
法です。そんな農法は近代的な農学の常識では否定されています。ところが、この農法によ
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り、ヘクタールあたり1500kg、日本の反収の3倍という驚異的な収量が得られました。しか
も、無農薬・無肥料ですから、世界のNGOも着目しています。ロラニエ神父がこの農法開
発のヒントにしたのは、島内各地の伝統的な農法でした。一本だけしか苗を植えないところ
ではよく稲が分蕨していたり、旱魃で十分な灌漑ができない水田では意外に稲が良く育って
いる等、現地の実践を目のあたりに学ぶ中からこうした農法を開発していったのです。これ
はまさに科学的な態度といえます。ところが、トーマス・クーンがパラダイム論を提唱した
ように、科学の世界でも一度常識が確立されてしまうと新しいイノーベーションが起こった
時には「そんな馬鹿なことがあるはずがない」と、否定されがちです。SRIもそうでした。
ロラニエはすでに農法を19844年に開発していたのですが、政府はほとんど無視し、一部の
熱烈に農法を信じるものだけが取り組んでいたのです。ところが、90年代に入ってから、マ
ダガスカルの自然環境を守るための国際プロジェクトとして、米国のーネル大学からノーマ
ン・アプホッフ教授が訪れます。教授は200kgの米収量を300から400kg程度にあげられれば、
自然破壊がある程度食い止められると判断し、そのために有機農業を紹介したりします。と
ころが、首都アンタナナリボで2000kgもの収量をあげているグループがあることを耳にし、
最初は疑いつつも現場を訪れます。そして、地元と実証試験を行うのですが、かなりの収量
があがりました。これにより、SRIは国際的なお墨付きを受けたのです。
アップホッフ教授の話を聞いて、まず取り組み始めたのがインドネシアです。インドネシ
アでは、農民田んぼの学校、ファーマー・フィールド・スクールという減農薬稲作運動がと
ても盛んな国だと述べましたが、いま、田んぼの学校ではSRI農法を学ぶることができる
ことがひとつの売りになっています。
では、なぜ、SRIは無化学肥料でこれほどの収量があがるのでしょうか。マダガスカル
のアンタナナリボ大学で調べたところ、水をさほどやらないSRIでは稲の根に好気性の窒
素固定菌が、異常繁殖していることがわかってきました。つまり、マメと同じく稲もチッソ
固定しているのかもしれないのです。
ちなみに、稲は水中でも生きることができるというだけで、もともと水中が好きな作物で
はありません。稲は生きるために水中の根に酸素を供給していますが、水がなければ、こう
した無駄なエネルギーを費やさなくてもすみます。なぜ日本で田んぼに水を張るかというと、
それは除草をするためなのです。SRIでは除草剤を使いませんから、草がいっぱい生えて
きます。しかし、発展途上国の場合は人件費が安いので、田押し車を使って尽力で除草して
も、その手間よりは収量が多く採れるメリットの方が格段に大きいし、水資源が枯渇しつつ
ある中、潅漑水量を多く要さない稲作はとても魅力的なのです。
そして、ベトナム、ラオス、ネパール等、どちらかというと辺境の地で普及しています。
本当は、こうした農法はきちんと国の総力を挙げて普及・研究しなければなりませんが、科
学誌「ネイチャー」では科学的に多収量の原因が説明できないとの批判論文が掲載され、普
通の科学界からまだ眉唾農業といわれています。
■バイオ農薬でエネルギー効率の良い防除に取り組むキューバ
しかし、キューバは国家としてSRIを研究・推進しています。キューバも緑の革命によ
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る化学肥料や農薬を大量に使う農業をやってきました。ソ連から大規模な農業機械を導入し、
水田では3万ha もある大規模な農業を進めてきました。ところが、ソ連崩壊と米国の経済
封鎖によって石油と農薬と化学肥料が手に入らなくなり
ました。そこで、バイオテクノロジーを活用した有機農
業やSRI稲作の研究に国をあげて取り組むのです。イン
ドネシアで普及している田んぼの学校は、いわゆる総合的
有害生物管理〔IPM〕に該当しますが、キューバではス
ペイン語でMIP(Manejo Integrad de Plagas)になり
ます。そして、タマゴヤドリコバチ等の天敵を人工的に培
養し、微生物農薬を活用することで、化学合成農薬に依存しなくてもすむ農法を作り出した
のです。
例えば、それを象徴しているのが、キューバの全農村に分散的に設けられたバイオテクノ
ロジーセンターです。ここで開発されたバイオ農薬のひとつにボーベリア菌があります。使
い方は驚くほどシンプルです。畑の中に棒を立て、そこにフェロモンをしみ込ませたスポン
ジを置いて、その近くにボーバリア菌を置いておく。するとフェロモンに誘われ、害虫がや
ってくる。化学農薬の場合は一瞬にして死んでしまいますが、ボーベリア菌の場合は、1週
間くらいじわじわと虫を殺すのです。その間に罹病した虫はあちらこちらに動きまわります
から、この間に他の虫にも感染を広げていく。虫にしたらたまったものではありませんが、
これはエネルギー効率から言えばもの凄く効率が良いのです。こういうしたバイオ農薬は製
品として外貨獲得にも貢献しています。
エネルギー効率の良さは、天敵にも言えます。キューバの
基幹作物はサトウキビで、これにはサトウキビシンクイムシと
いう害虫がいます。この被害を防ぐために空から農薬を散布す
るのと、バイオテクノロジーをうまく活用するのと、どちらが
効率が良いのでしょうか。バイオ農薬センターでは、人工的に
天敵ヤドリバエの幼虫を大量に増殖して羽化させ、これを畑で
放します。すると、ある研究者に聞いたところ、ヤドリバエは、
シンクイムシの糞の匂いをかぎつけて、50メートルくらい先
のサトウキビの茎まで一直線に飛んで行って、シンクイムシに
卵を生みつけるそうです。そこで、ヤドリバエの卵はシンクイ
ムシの身体の中で育ってこれを殺してしまう。いわば、超コン
ピュータ付伝導ミサイルみたいなものです。飛行機を飛ばして空中から農薬を散布するのと
虫が飛んでいくのとどちらがエネルギー効率が良い農法かというと、明らかに後者ですね。
ところが、キューバではこのヤドリバエを若い農村女性たちが手作業で育てている。
実はこのバイオセンターには、私は日本の病害虫の研究者と一緒に視察したことがあるの
ですが、この様子を目にして、「何故機械化をしないのか」という質問がでました。もちろ
ん、キューバは貧しいために機械化できないわけですが、ここでキューバ側の研究者の言い
分がある意味ではすごいなと関心したのは、「キューバはドルを稼いで外貨を得て海外から
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農薬を買わなくてはならないが、それよりも地域資源を利用して、かつローテクであっても
自前で製造する方が経済的である。さらに、環境や経済の他に社会の事も考えなければなら
ない。つまり、我々はこの仕事を通じて、農村部でこの若い女性たちに雇用を創出している
のだ」と言ったのです。しかも、キューバは、教育を通じてやっている作業の意義や目的も
知らしめている。単純作業ではあっても自覚を持っているのです。そういう事を考えると、
コンビニエントストアのレジで売り子をやっている日本の若者とどちらが幸せなのか。私は
深刻に悩んでしまいました。
■SRI農法に総力をあげて取り組むキューバ
有機農業は稲作でも試みられ、減農薬栽培や有機農業で減少していたトキが復活していま
すが、米の自給率が60%しかない中、キューバは人民稲作〔カルティボ・ポプラール〕と言
われる小規模稲作運動に取り組みます。そして、これとセットで前に紹介したSRIの導入
も進めるのです。
2006 年の5 月には、カミロ・シエンフェゴス協働組合
農場を訪ねましたが、近代農業でやっていた時は反収300kg
くらいしか採れなかったのが、有機農業により650kgと日本
と同じくらいになり、さらにSRIを導入したところ初年
度で950kg、翌年度は1120kg採れたとのことです。機械が
無いから手作業でやっているのですが、キューバの収量は、
全国的に大きく向上しています。
■自分たちで水質を管理する市民たち
また、科学技術が何に役立つのかという一例として紹介したいのが、キューバの水浄化です。
今、全世界では安全な水が飲める人が少なくなっています。キューバも熱帯ですから、経済
危機以前は塩素殺菌により、伝染病に感染することを防いできました。ところが、経済危機
で塩素が得られなくなると子どもの下痢病がたちまち増えます。そこで、キューバが取り組
んだのは、シンプルな砂濾過装置を作って水を浄化することでした。ごく簡単な技術ですが、
こうしたことを国家システムとして日本の厚生労働省に相当する衛生研究所が力を注いで
やっている。サンティアゴ・デ・クーバ市の現場を視察させてもらいましたが、各戸の中に
浄化槽があり、住民たちが自分で管理している。これを可能としているのが、キューバの教
育です。トレーニングを受けているので、ごく普通のおばさんにたずねてみても、聞いたこ
とのないような病原菌名がずらずらと出てくる。そして、「自分達でチェックしているから
安全だ」と言うのです。これはある意味では凄いことだなと感心しました。皆さんは何か水
道にトラブルが生じた時にどうされますか。おそらく、東京都の水道局に苦情の電話をいれ
るしか方法がないと思うのです。ところが、キューバの住民たちは訓練されているので、自
分達で科学的な安全性を確認した上で水を飲んでいるのです。これこそ、今一番求められて
いる科学教育、市民のための暮らしに生きる科学の一つなのではないでしょうか。
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■ローカルコモンズによる資源管理という解決策
冒頭で「コモンズの悲劇」の話をしましたが、東京大学でコモンズ論を研究している社会
学者、井上真教授によれば、コモンズにはいくつか種類があります。まず、グローバルなコ
モンズとローカルなコモンズがあり、ローカルなコモンズは、「タイトなコモンズ」と「ル
ーズなコモンズ」の二つがあると定義をしています。そして、ローカルなコモンズの場合は
この悲劇がないとしています。たとえば、昔の日本の里山では、皆で決めた日以外はキノコ
を採るために山に入ってはダメであるとか、家一軒で鎌一個しか持参してはいけないとか、
様々な地元管理ルールを定め、それによって資源が枯渇するのを防いできました。これはロ
ーカルコモンズのタイトな管理の一例です。資源管理は山だけではなく、海でもあり、地先
権というルールが作られてきました。サザエやアワビを全員で獲ってしまうと、水産資源が
枯渇するため、集落間の入り江を延長した所に竿を立てて、そこから先は公有の海ですが、
その内側は共有管理をするというルールを江戸時代から作ってきたのです。
このローカルコモンズが今後の持続可能な発展の鍵になります。すべての資源を政府や行
政が管理しようとしても、きめ細かい管理はできませんし、膨大な税金もかかり限界があり
ます。一方、では、民営化して私有財産化すれば良いではないかという主張もありますが、
この場合は、市場原理ばかりが優先されてしまうので、やはり資源管理ができません。です
から、資源管理の面からは、私有財産化でも公共管理でもなく、ローカルな管理力をどう高
めていくかがこれからは求められるのではないかと思われるのです。
実はこの結論ともオーバーラップしてきますが、全く構図で見ていくと、今、中央集権か
地方分権か、社会主義か市場原理かという議論があります。以前のキューバや日本は、とに
かく中央集権でやっても社会福祉は堅持するという「大きな政府」でした。しかし、これが
財政破綻でうまく立ち行かなくなってきている。そこで、片方では「小さな政府」「夜警国
家」という考え方がでてきます。これを突き詰めると、一切政府に依存しない古き良きアメ
リカのアナーキズムとか、リバータリアンの思想になるのです。しかし、キューバがやった
のは、このどちらでもなく、皆でルールは遵守するが、権限はコミュニテイに委ねることで、
ローカルでそれぞれが自立していくという道でした。最後にご紹介した水管理の事例もそれ
にあたります。以前は政府が中央集権型で衛生から何から何まで管理していた。しかし、経
済危機でこれができなくなった。しかし、住民をそのまま放置はしない。政府は教育を通じ
て、自分たちで水を管理できる能力を高めながら、社会的なセーフティ・ネットを維持して
いくわけです。
とかく、冷戦が終結して資本主義は社会主義に勝利したといわれます。しかし、ボリビア
とかで再び社会主義政権が誕生しているのは、水道をすべて民営化しようとか、市場原理万
能主義の弊害がでてきているからなのです。本当の対立軸は、ここにあるのではないかとい
うのが私の見方なのです。
■変わりつつある世界
最後に、プレティ教授の著作には出てきませんが、いま、とても興味深い動きがベネズエ
ラで起きているので紹介したいと思います。ベネズエラでは、ウーゴ・チャベスが大統領に
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選出されて以来、ボリバール革命が進められています。シモン・ボリバールとは、はるか以
前にラテンアメリカをスペインから解放するために戦ったベネズエラの将軍です。
このボリバールがベネズエラの人たちに対して、「逃げるな、振り返ってもう一度敵に向
かえ」と投げかけたのが、スペイン語で「ヴエルヴァン・カラス」という言葉でした。チャ
ベスは、当時のスローガンを復活させます。そこで、この5月に訪れたキューバの農場にも
国際会議の関係で、ベネズエラの青年が来ており、その帽子にはヴェルヴァン・カラスと書
かれていました。
死せるゲバラ生けるブッシュを走らす,というようなことが本当に起こっているのです。
では、チャベスは今、何をしようとしているのか。ひとつの象徴がベネズエラの首都カラカ
スの高層ビル街のど真ん中で始まった都市農業です。キューバは食料自給率が40%しかない
中で食料危機に直面しましたが、ベネズエラはそれ以上に深刻で20%しか自給率がありませ
ん。その理由はベネズエラは世界第5位の大産油国で、ふんだんな食料が輸入できる富裕国
だったからです。しかし、石油からもたらされる富は国民の8割にはいかずに2割の特権階
級に独占され、貧富の格差にはすさまじいものがありました。そこで、チャベス大統領は、
民主化を進めながらも、内発的な発展やソーシャル・エコノミー、社会経済を提唱し、地域
コミュニテイに根差しながら環境や社会のことも配慮した持続可能な経済発展を進めてい
ます。もちろん、このモデルとなっているのは、キューバの改革で、都市農業もキューバの
技術者が援助しています。貧しいために文盲である人々を対象にすでに150万人に識字教育
を行っていますが、このプログラムもキューバの識字運動がモデルとなり、キューバが教科
書を作成しました。また、各地でキューバが無料の医療援助を行っている。さらに、チャベ
スは、憲法の中で、遺伝子組み換えを禁止し、2004年に脱遺伝子組み換え宣言を行い、ラテ
ンアメリカ・アグロエコロジー大学という有機農業大学を作ると宣言しました。カンペシー
ノ・ア・カンペシーノ運動やCIALでも、在来品種を守ることが大切にされていますが、
チャベスも国家戦略としてラテンアメリカのために反遺伝子組み換えで種を守る宣言をし
たのです。これにはモンサントがとても腹を立て、カストロの後を継ぐ独裁者としてCIA
がなんとかチャベスを打倒しようと試みているのですが、クーデターや暗殺はみな失敗に終
わっています。
内政のみならず、対外政策の面でもチャベスは、WTOやピーク・オイルなどグローバル
な世界を考える上で欠かせないラジカルな政策を打ち出しています。例えば、日本も関係し
ますが、農業を問題を考える上ではWTOによる自由化はとても問題になっています。米国
は米州自由貿易圏(FTTA)を推進することで、利益を独占しようとしていますが、これ
はスペイン語の頭文字ではALCAになります。それに対してチャベスは、洒落っ気を込め
て、ALCAではなく、ALBAで行こうと提案しました。ALBAとは、シモン・ボリバ
ールに由来する「米州ボリバル代替構想」(Alternativa Bolivariana para as Americas」
の略です。また、石油と関連しても、事実上有名無実化していたOPECを再構築し、さら
に、南米諸国とはペトロ・スル、カリブ海諸国とはペトロ・カリベを取り結び、枯渇する石
油資源を開発途上国の発展のために有効活用しようと提案しています。今、中南米では米国
一辺倒のこれまでの世界を揺るがす大きな地殻変動が起きています。2005年には、アルゼン
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チンで開催されている米州首脳会議に抗議し、ゲバラの看板を掲げた反グローバリゼーショ
ンのデモが起こり、ブッシュはほうほうのていで逃げ出すしかありませんでした。まさに「死
せる孔明、生ける仲達を走らす」ではありませんが、「死せるゲバラ、生けるブッシュを走
らす」ですね。ゲバラは、ボリビアでCIAの援助を受けた軍により殺されましたが、この
ボリビアも天然ガス資源が豊富にあることから、親米政府が
米国に利益を独占しようとしていましたが、これに反対しガ
スの国有化を掲げるエヴォ・モラレスという新大統領が誕生
しました。モラレスは在来民族出身の大統領ですが、チャべ
スも土着民族の血をひく末裔です。そして、この4月末に二
人はキューバを訪れ、カストロと三国同盟を結びました。驚
くべき事ですがキューバの2006年の経済成長率は11%です。
なぜ、経済危機の中でこれほどの成長が可能かというと、ベ
ネズエラに対する医療援助が外貨獲得源になっているからで
す。キューバは無償の医療制度を作ってきたので医師は多少
デフレ状態なのですが、国内の医師の2割をベネズエラに派
遣することで医療活動させる。それによりベネズエラはキューバに石油を供給するという良
い関係が結ばれています。この三国同盟の中で、今年はベネズエラに10万人、来年はボリビ
アに10万人、キューバの人口は1100万人でありますから、人口比で日本に換算すれば200万
人にあたる人材を輸出する契約が取り結ばれたわけです。
私が以前に世話になった、キューバ農林技術協会のエフィディオ・パエス氏も2カ年の任
期でベネズエラでの都市農業運動を支援していますし、キューバで都市農業を始めたモイセ
ス・ショーオン将軍もベネズエラで都市農業の指導をしました。たまたま一日違いだったの
ですが、私がこの5月にモイセス氏の農場を訪ねた前日にはベネズエラの視察団が訪れ、将
軍と再会し、大歓声があがったとのことです。つまり、チャベスもキューバの援助を通じて、
とても高い支持を受けているわけです。
社会主義は崩壊し、米国流の資本主義一色になったように思える此の頃ですが、実はいま
ラテンアメリカでは従来のソ連型の国家社会主義ではなく、住民参加型の新たな社会主義が
芽生えつつある。少なくとも3ヶ国で新たな社会主義圏がこの4月に誕生したという意味で
は、歴史的な瞬間に立ち会えたと感じています。■
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