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1.京都環境文化学術フォーラム「スペシャルセッション」
(1)概要
地球という限りあるシステムの中で、世界各国の人々が自然の恵みを分け合いながら持続可能な社
会づくりを進めていくために、価値観や制度のあり方をどのように転換させていけばよいのか。
世界の地域と日本の京都を結び、地域の自然と文化を基軸とした発展のあり方を探るため、「京都環
境文化学術フォーラム」を平成23年2月12日(土)~13日(日)に、国立京都国際会館におい
て開催しました。
13日の国際シンポジウムに先立ち、12日には、ゴヴィダン・パライル国連大学高等研究所所長を
お招きし、京都大学、総合地球環境学研究所、京都府立大学によるスペシャルセッションを開催しま
した。
(2)開催内容
平成 23 年 2 月 12 日(土) 13:00~17:00 開催
●基調報告
ゴヴィンダン・パライル氏(国連大学高等研究所所長)
「グローバルサスティナビリティに向けて」-COP10とCOP16の結果を踏まえて●セッション
松下和夫氏(京都大学大学院教授)
「持続可能な発展に向けた政策統合」
窪田順平氏(総合地球環境学研究所准教授)
「中国の環境ガバナンスの可能性」
佐野亘氏(京都府立大学准教授)
「これからの環境政策は何を目指すべきか?」-幸福?ケイパビリティ?あるいは・・・?コーディネーター:阿部健一総合地球環境学研究所教授
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(3)議事概要
●基調報告
ゴヴィンダン・パライル氏(国連大学高等研究所所長)
「グローバルサスティナビリティに向けて」-COP10とCOP16の結果を踏まえて京都府立大学竹葉先生、総合地球環境学研究所の立本先生及び皆様、そしてご来賓の皆様、ご参加の
皆様、こんにちは。国連大学高等研究所を代表いたしまして、今京都環境文化学術フォーラムの皆様に
基調講演としてお迎えいただいたことに、謝意を表したいと思います。
今日、お話をする内容でありますが、COP の現状がどうなのかというものです。昨年 10 月に名古屋
において生物多様性条約の第 10 回締約国会議が COP10 という名で開催されました。また、そのあと、
気候変動条約の第 16 回締約国会議である COP16 というのがメキシコのカンクン市で開催されました。
2 週間前のことになりますが、デリーの持続可能のサミット会議に参加しました。これは世界最大規
模のフォーラムで、持続可能な開発、特に気候変動絡みで開かれた会議です。大統領、首相、外相、そ
れから環境大臣、また学会の人たち、あるいは産業界の人たち、NGO の皆さんが参加をしました。き
わめて高レベルのフォーラムであり、インドの首相が招集者となっております。Dr.マハン・シンがこ
の会議を招集しました。この会議のテーマは、リーダーが気候変動、生物多様性について、グローバル
な弾みの中にあってどのようなローカルなアクションをとっていくことができるのかということでし
た。
それでは、先ほど申し上げました COP10、生物多様性条約の第 10 回締約国会議について尐しご紹介
いたしましょう。
この生物多様性条約でうたっているのは、生物学的多様性の保全、また持続可能な利用と、遺伝子利
用のアクセスと利益配分です。これを略して ABS と呼んでいます。日本政府のリーダーシップのもと
で開かれたこの COP10 は多くの意味において成功でありました。非常に前向きな COP であったと言
えるでしょう。というのは、代表団がそこにおいて保全の領域を現在の陸地の 17%、それから海域の
10%に広げていこうとしたからです。
この COP でとても重要なのは ABS に関する名古屋議定書ができたということです。生物学資源がア
フリカ、アジア、ラテンアメリカの多くの熱帯にある貧困国にあり、資源に関する権利を認め、他者が
その資源を使った場合には、その利益をもともと資源があったところに配分すべきであるという意味か
ら、すべての国々が来年までに名古屋議定書を採択し、発行することが望まれます。そして、自然はタ
ダではなく、何兆ドルという自然資本というものがある。当然のこととして自然を資本として使うこと
はできないのかという考え方から TEEB と呼んでいる生態学の生物多様性の経済学の報告書が提出さ
れ、受け入れられました。つまり、自然資源について、特に開発業界、それから思想家が考える必要が
あることを強調したのです。またさらに現状の開発の考え方、つまり生物多様性の価値を無視したよう
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な考え方では、ビジネスは今後失敗するということが述べられました。しかし具体的なアクションはま
だとられてはいません。
それでは COP16 についてこれから説明します。これは昨年 12 月にカンクンで開かれた気候変動枠組
み条約の締約国会議です。多くの人たちがカンクンでの会議をどのように見ているのかについて、イン
ドの環境大臣のジャイラム・ラメシュ大臣は次のように言っています。カンクンでの合意によって二ヵ
国主義を生存させた、しかし、同意はあるけれども、殆どの代表団にとって環境は第一義的な優先課題
ではなかった。卖に話し合っただけだというのです。
また、炭素の排出に関する拘束力のある合意もありません。この京都の名を持つ京都議定書が端に追
いやられてしまいました。京都議定書は 5 年後に更新されるべきなのですけれども、今後どうなるのか
ということがわかりません。しかし、自主的な適用については合意がありました。自主的な地元での適
用を行っていく、いかに低炭素社会へ向かっていくのかという点において、技術の開発を行っていこう
というテーマでした。
技術開発のメカニズムがあるべきという提案が 2007 年にインドネシアおいて開催されたバリ会議で
出されました。そして、後発途上国とそれをシェアしていくべきであるという提案が出されました。ま
た、技術適応基金がメキシコで創設され、後発途上国を支援していこうということが語られました。
それでは、今後グローバルな持続可能性はどうなるのでしょうか。このトピックについての有名な出
版物として『我々の共通の未来 Our Common Future』というのが 1987 年に出ました。国連の委員
会が国連によって設立されて、当時のノルウェーの首相、グロ・ハーレム・ブルントラント氏が主導し
ました。1992 年に地球サミットが開かれ、アジェンダ 21 ができ、どのようにそのサミットのアイディ
アを実施するかということが書かれていました。持続可能がとてもポピュラーになったのですが、依然
として明確な考え方は出ていません。グローバルな持続可能性を達成するために具体的なアクションを
どうするのかについて、より多くの語り手やレトリックが出てきましたが、ただアクションがそれにつ
いていっていないのです。
こういった失意があったために、最近の COP のあと、潘基文国連事務総長はハイレベルの持続可能
性に関するパネルを作りました。单アフリカ、フィンランドの大統領が共同議長を務めています。グロ・
ハーレム・ブルントラント氏、インドのジャイラム・ラメシュ環境大臣、オーストラリアの元首相のケ
ビン・ラッド現外務大臣といったメンバーがこの 21 パネルのメンバーになっています。このパネルの
課題というのは、開発パラダイムを低炭素社会においてどういうものであるかということを再考すると
いうことです。そしてその結果、報告書を今年末、2011 年 12 月までに提出するというものです。
ですから、規模としては数か月しか残っていませんので、時間的なゆとりはありませんが、具体的な
報告が出ることが望まれます。この活動が国から起こって行かなければなりません。しかし、国家が経
済成長政策に焦点を当てる際には、真の持続可能な開発というものは決して起こりません。これは、政
治において、
『the Climate Fix』という本を書いたロジャー・ピエルク Jr.は次のようなことを言ってい
ます。
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「政策が経済成長に焦点を当てた場合、そして同時に CO2 排出の削減に直面した際には、経済成長
政策が最終的には勝つ」ということを言っています。これは鉄の法則と言われています。経済成長がい
つも環境に勝つ。これは気候変動でも、文化的権利でも、生物多様性でも同じであります。
例えば、国民総生産、GDP といったような指標、あるいは一人あたりの所得・富、たとえば兆とい
う形で計られるインディケーターといったものを開発や進歩の速度としていたのであれば、人間の福祉
であるとか、社会の進展・安定を図ることはできません。しかし、現在の政策立案者の間では、まだこ
ういったことが言われているわけです。だからこそ、Gross National Happiness 、GNH という考え方
が出てくるわけです。環境政策というのは、環境省の問題だとお考えかもしれませんが、それは国全体
のフォーカスとなるべきであり、財務省、あるいは産業省、大統領、こういった人たちがすべて、環境
を語るべきでしょう。ですからこれは、開発の焦点、人間の開発と呼ぶべきでしょう。新しい素地や指
標を採択し、人間の開発や福祉を図っていかなければ我々は持続可能な開発を主流にすることはできな
いのです。ブータンの幸福を達成するという提案、幸福を 9 番目のミレニアム開発目標とするのは、良
い提案ではないかと思います。
国連のミレニアム開発ターゲットは 2000 年に採択されたもので、
2000 年末から 2001 年頭にかけて、
ほとんどの国の元首がニューヨークに集まり内容については合意していります。つまり、GNH を 9 番
目のミレニアム開発目標にするというに至ったと思います。ただまだ国連では採択されていないので、
今回のこのようなフォーラムで世界に対して幸福度を見るように働きかけていただきたいと思います。
持続可能な開発に対する公正な権利を考えなければいけません。公正な経済的な開発、これは福祉的
なものでありますが、多くの人たちの人生の基礎的な自由は満たされていません。そういった意味にお
いて、我々が当然視している物資的な豊かさを与えられなければいけません。これは基礎的な権利でし
ょう。それから、環境保護、気候や生物多様性そして保護ということについては、共通に有しているが
差異のある責任として捉えられなければいけません。
これはどういう意味でしょうか。国は気候変動に対する適応、緩和の措置を、すべての市民に平等に
配分するのではありません。つまり、それは共通の責任はあるのだけれども、そのアクションは差異化
していかなければいけないのです。より富んだ国々は貧しい国よりも多く活動しなければいけないし、
社会的な高生産ということも考えていかなければなりません。人々の社会的なモビリティ、中央にいる
方がもっとモビリティをとるように、民主主義や権利など、支援に関するアクセスをとれるようにして
いくことです。
それから人と幸福度と非物質的な福祉の在り方についてです。一人一人の所得というのは持続不可能
な開発の尺度だと思うのです。一人当たりの所得を一人当たりの炭素の消費と考える必要があるでしょ
う。そうなりますと、国家が豊かであると考えられていても、実際にはかなり多くの化石燃料を使って
富を使っているのであれば、それは決して真なる富ではないといえるでしょう。こういった観点から申
し上げたいのは、どのように我々がグリーン経済へと移行していけるのか、あるいは低炭素社会へと移
行できるのか、グリーンな声を拡大し、機会、公正さ、福祉を高めていくのかということです。これが
わたくしの今日の講演の焦点であります。
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私たちが住んでいる世界、それは顕著に豊かであり、かつ息をくじくほど貧しいともいえます。イン
ドの有名な経済学者であり哲学者であり、ノーベル賞受賞者でもあるアマルティア・センさんは次のよ
うに言っています。
「現在比類のない豊かさは世界にあるが、しかし、多くの子どもたちが栄養に不足
し、また衣服にも失調し、深刻な病気に罹って、貧しい待遇を受けている」。今回、わたしは子どもに
ついてはあまり述べていませんが、子どもたちをどのようにケアするのか、これも持続可能性のよい尺
度でしょう。
子どもの個々の可能性は、どこで生まれたのか、世界の豊かな国で生まれたのか、あるいはどの階級、
どの家庭で生まれたのかをベースに決まってくるです。こうした子どもを含めて約 30 億人が極貧の世
界に生活しています。これを私の方から繰り返して言う必要はないでしょうが、いろいろな点で世界は
進展しておりましたが、まだ人類の半分のニーズも満たされておりません。飢餓からの解放というのは、
まだ達成されていない基本的な人権であります。ですから、持続的な開発というのはまだうつろな概念
でしかないのです。
果たして私たちは科学技術を使って持続可能な未来を作り上げていくことができるのでしょうか。今
から後半は、科学技術をどのように使って、この持続可能性という問題に対応していくのかということ、
貧困から解放し、よりよい社会を作っていけるのかについてご紹介しましょう。
科学は我々の自然に対する理解を改善することができます。科学により、我々は危険について学び、
新しい措置をとることができます。科学が進歩することによって、問題や我々の限界について知ること
ができます。例えば気候については、科学によって、過大な消費によって出てくる危険に対する問題が
示されています。そして、今日の我々の限界を意識した社会を作り上げてくれるのです。そういった科
学のメソッドによって寛容で、民主的で、長期的な社会を作ることができます。コロンビア大学の教授
をかつて務めていたロバート・マートンは、科学には 4 つの規範、があると言っています。
最初は、科学は普遍的なものであるということです。これは卖に特定の国の科学、国民の科学ではな
く、すべての人類の知識であるということです。知識は伝統的な知識など地元によってバリエーション
がありますが、すべての知識はすべての人間のものであるということです。2 番目にいえることは、科
学というのはある特定の個人、国が持つものではない、すべての人類が所有しているものであるという
ことです。
ですから、2 番目の規範として公有性というのがあります。科学、知識は合同で集団として所有する
ものです。3 番目に利害が関わらないということです。4番目に懐疑主義があります。科学を 100%と
みるのではなく、あるいは確実視するというのではなく、エビデンス、証拠をベースに見ていくのです。
いつでも新しい理論が出てくると私たちは懐疑的になるのです。ですからエビデンスベースに考えると
いうことです。これは気候変動であれ、何でもそうです。気候変動において、どういったアクションに
よってどういったイベントが出るのか、そして何をすべきかにおいて様々な証拠、エビデンスが出てい
ます。
また、科学が進むことによって、技術の進展も望むことができます。正しい種類の技術と正しい開発
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政策が一体となって基本的ニーズを満たし、生活の質を改善することができるのです。科学、技術が一
体となって総合的なグローバルなチャレンジの評価の基盤となります。気候変動もその一つです。それ
によって行動と助言の基盤となるわけです。生物多様性、そして気候変動を融合できるか、サイエンス
はそういった知識をわれわれに与えてくれるのです。
そこから尐し変わって、サイエンスとテクノロジーを我々の同盟としてどのように問題解決に進むの
でしょうか。富める国のいろいろな知識、テクノロジーを貧困国に適応することによって、貧困や困窮
した状態から救済することができます。なぜ、その機会が貧困国の人たちにはないのでしょうか。利益
がなくなるから、あるいはその他の利益を失ってしまうからという考え方により、富める国の人たちは
なかなか技術を共有したくないと思っています。いろいろな行動、いろいろな障害が作られて、自由に
知識が流れることができません。
例えば、知財権、著作権といった形のいろいろな障害が作り出されてきました。科学というものはグ
ローバルなものであり、誰にでも開放されているはずのものです。しかし、実際にはそうではありませ
ん。
例えば、貧困者によって気候変動が起きたわけではありません。あるいは生物多様性についてもそう
です。こういった国々の森林地がなくなっていくのは、より富める人たちが森林を伐採してきており、
公正な開発でなかったためです。貧困国の人たちはむしろ犠牲者であって、そうした犠牲者をいかに支
援して、救助していけるのでしょうか。こういった人たちをどのように助けることができるのかという
ことについてですが、知識や技術を彼らと共有することが重要なわけであります。
科学技術の実りというものを共有する必要がありますそこで、どのようにグローバル化し、革新を普
及させることができるか、世界で共有することができるかということについて考えなければいけません。
これは科学技術の平等性ということであります。研究、開発の平等性ということについては、特によく
語られております。さまざまな産業や、企業が科学技術によって生まれてはいるのですが、それが適切
な形で普及していないということであります。メリットや、利益、ナショナリズムなど、その国々のプ
レステージということを生み出すもの以上のグローバル化が必要であるということであります。
そして、まず科学技術というものが歴史的にどのように発展してきたのかということを理解する必要
があります。どういった社会、文化、地域、国、どこではじまったということにかかわらず、その科学
技術というものは人の遺産であるわけです。
これは人類の文化の一部であります。たくさんのアイディアが何千年と続いているわけです。したが
って、知的な関係というものが科学技術としてどのように発展してきたか、そして世界の国々を結び付
けてきたかということを考えなければなりません。科学技術のグローバル化というものは歴史的に行わ
れてきたものです。何らの制約もなく発展してきたものです。しかしながら、最近になってこれが先進
国と途上国という形で二分化してきたわけです。植民地主義や帝国主義によって二分化してきたのです
が、それは残念なことであります。しかし、これを乗り越えていかなければなりません。
尐し時間をかけて、知財権の解釈についてお話をさせていただきたいと思います。あるインドのエイ
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ズを治療するための薬剤の出荷、輸出がありました。これはインドで発明されたものでしたが、この薬
はインドではパテントを取得していませんでした。そしてその薬がブラジルに輸出されました。ロッテ
ルダムでしたか、そういったヨーロッパを通じて輸出されたわけでありますけれども、この薬がヨーロ
ッパでの知財権を持っていたために、オランダの当局によってヨーロッパの知財権の侵害だということ
がいわれたわけです。
したがいまして、ブラジルの貧しい人たちに対して、この薬剤が届かないという状況になりました。
これは非常に大きな国際的な事件になりました。インドも、官僚や政府が知財権に対して大きな重要性
を見出したために、大きく抗議しました。その法的な生産権をもっている、しかしながら他の国々はこ
れは知財権によって保護されている内容であるため、勝手に生産してはいけない、輸出してはいけない
と主張したわけです。このように今でもこうした知財権をめぐった対立というものがあるということで
す。
そしてもう一つ、文化、人々を通じましていろいろなアイディアの動きというものが過去 4000 年と
いう間に行われてきたわけであります。例えば、インドで 10 進法というものが開発されたわけであり
ますけれども、それがヨーロッパ、そしてアラビアへと進んでいったわけであります。インドから始ま
って、ヨーロッパでの科学的な発展、そして世界での科学的な発展へとつながったわけであります。も
う一つは印刷技術です。これは中国で発明されました。そして、その仏教の技術者や学者、インド、中
国、韓国、日本の学者によってさらに完璧なものにされ、そしてヨーロッパに伝わったわけであります。
しかしながら、その当時、インド、中国、韓国、日本で特許を取得したわけではなく、自由に流れて
いったわけであります。このように中国、インド、アラブ、ペルシャの痕跡というものがヨーロッパで
の科学革命ですとか啓蒙運動というものに繋がり、そしてやがて産業革命へと繋がったわけであります。
それが人類の文明化に繋がったわけであります。
実際はこのようにさまざまなヨーロッパ以外のところで発明されたものをヨーロッパ人が取り入れ
て、それをベースに自分たちの考えを導き出し、自分たちの発展を遂げていったわけであります。最も
偉大な科学者でありますニュートンの言葉を思い出したいと思います。たくさんのさまざまな理論です
とか、近代的な考えの背後にありますニュートンですけれども、彼いわく、科学というものはもっと謙
虚でないといけないということです。私たちが作っているアイディアというものはすべて自分たちのも
のであると考えるのは傲慢であるということです。自分たちがどこで習ったのか、学んだのかというこ
とを考えることによってもっと先のことをみることができると彼は言っています。ヨーロッパ人、アメ
リカ人、日本人、そしてその後の中国人というものは、さまざまなところから自由に、あるいは無料で
さまざまな考え方というものを借りてきたわけであります。
したがいまして、その発展途上国におけます科学技術のコラボレーションというものはこの歴史的に
大きなキャンバスのもとで見ていかなければいけません。豊かな国というのは、化石燃料を燃やして、
そしてそれを共通の大気に流しだしてきたわけであります。これは 2 世紀続きました。イギリスの産業
革命から始まって、ヨーロッパ、世界各地にこれが続いたわけであります。したがいまして、現在富め
る国が持っていますクリーンテクノロジーというものは、もともと地球を汚染してきたことのない途上
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国と分かち合う必要があると思います。それを阻んではいけないと思います。利益を求めた規制でもっ
て、途上国に対して知的所有権というものを供与しないということは間違った考え方だと思います。そ
して、我々は化石燃料ベースの経済ということで間違った技術をずっと主張してきたわけでありますけ
れども、これをけして繰り返してはいけないと思います。
日本は科学技術において最も進んでおります。そしてクリーンテクノロジーにおいても素晴らしく発
展しています。もっと日本政府はモデルとなっていただきまして、クリーンテクノロジーというものを
世界に普及させていただきたいと思います。しかし、残念ながらあまりそういった熱意が感じられませ
ん。日本では、それほど完全でクリーンなエネルギーというものを推進しておりません。というのも、
石油を輸入した方が安いからであります。石油を富裕に持っている国々から輸入した方が、クリーンテ
クノロジー、クリーンエネルギーに移行するよりも安いということがあります。
したがいまして、このような問題はありますけれども、日本政府にぜひお願いしたいのは、世界各地
の中でクリーンテクノロジーのモデルとなっていただきたいのです。その能力を持っていますぜひリー
ダーシップをとっていただきたいと思います。クリーンテクノロジーは途上国において非常に重要であ
ります。自分たちの発展していく権利のもとで、これが重要であるわけであります。どの国も発展する
権利は持っているわけであります。発展してはいけないなんて言われてはなりません。公害、汚染につ
ながるから発展してはいけないということは、その発展途上国の生存にかかわることです。彼らもそう
いった発展する権利を持っているわけであります。したがいまして、よりクリーンな、グリーンなエコ
ノミーを推進することによりまして、持続可能な開発につなげていく必要があるわけであります。
何十億人という人々は、木材や枯葉、動物のフンを用いまして調理用燃料として使っています。世界
の多くの国々、アフリカやインドの单部の諸国ではこういったものを使いまして、食の調理燃料として
いるわけであります。しかしながら、簡卖な煙のないオーブンを使うことによりまして、何億人という
人々の生活の質を豊かにし、生命を守ることができます。
また、女性などが特に木材やその他の燃料を集めるのに尽力しなければならないということで、ジェ
ンダーの問題解決にもつながるという風にも考えます。貧しい人々の中で簡卖な煙のないオーブンを導
入するということだけでも、大きな貢献をすることができるわけであります。ほかにも、クリーンで信
頼性の高いエネルギーがあります。すべてについて述べることはできませんけれども、これも非常に重
要です。
そして、よりきれいなトイレであります。できれば水の必要ないきれいなトイレがよいです。技術的
にはこれは可能であります。そして浄水技術。非常に安価にこれを提供することができれば、多くの生
命を守ることができます。農村の用水ポンプもその例であります。そして太陽電池、LED などもそう
です。日本は LED におきましてはパイオニアであります。そしてエネルギー効率の良い電灯を開発し
ています。
また、Dr.パタリンの機関でも、テリープロジェクトという何十億の人々の生活を明るくするという
プロジェクトが行われており、ぜひそのプロジェクトでも貢献していただきたいと思います。太陽電池
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の電灯を提供するというのが、テリープロジェクトなのですが、そのテリープロジェクトのもとで何十
億という人々の生活が明るくなっているということであります。そして、農業の革新というものもあり
ます。こういった様々な技術、携帯電話やさまざまな通信技術も含めて多くの人々の生活を改善してい
るわけであります。
ということで、国々は持続開発の梯子というものを上っていかなければなりません。そしてより新し
く、よりクリーンにしていかなければならないわけです。よりクリーンな技術の導入を進めていかなけ
れば、所得水準を上げながら環境保護を進めていくことはできないのであります。いろいろなエネルギ
ー効率の措置も始まっております。そしてバイオマスベースのバイオ燃料、そして水素や燃料電池です
とか、あるいは太陽熱エネルギー、太陽電池ですとか太陽熱エネルギーの新フィルムといった技術がど
んどんと安価に提供可能になっています。政府が十分に投資すれば、市場をどんどんと拡大し、安価に
こういった技術を提供することが可能になってまいります。
そしてバイオ燃料でありますけれども、食べ物をバイオ燃料にするのではなくて、これは一々多くの
暴動を起こしたり、食糧不足を見出すことになりましたけれども、食糧を使わないバイオ燃料の開発と
いうのも非常に重要になります。これが合成生物学の開発であります。そして風力ですとか波力もクリ
ーンエネルギーであります。これはインドネシアですとか多くの国々のモデルとなりますアイスランド
はこの分野におきまして、大きく先進しております。我々大学の高等研究機関におきましても、大きな
プロジェクトがあります。そして地熱ですとか、小型のモジュール型の攪拌農機ですとかも新しい技術
として大きなソリューションを提供することができるものであります。
ここで、最後になりますけれども、ここで申し上げたいのは、科学技術、イノベーションというのは、
すべての人類に恩恵をもたらすものであるということ、そして科学技術を共有することですべての人類
に恩恵を提供することができるということであります。しかも、利益ですとか、競争力を失うことなく
ということです。そうした具体例をお話しすることができます。そして適切な技術と適切でない技術と
いうものがありますが、適切な技術が持続可能な未来につながるということです。
ただ条件といたしまして、我々の知識というものを開放しなければいけないということであります。
一つの大学、一つの国、一つの産業、一人の個人によって、占用されるものではなく、その知識という
ものを開放する必要があるということです。そして持続可能なイノベーションでできるだけあるべく努
力していかなければならないというとこであります。すべての人たちに恩恵をもたらすものにしなけれ
ばならないということです。独占してはいけません。ある特定の開発をある機関が独占するという考え
方というのは全く異なった歴史の流れの中で生まれた考え方であります。非常に賢明なエコノミストが
それを考えたわけでありますけれども、それに代わるコンセプトというものを我々は考えていかないと
いけないという風に思います。
したがいまして、国連大学におきましては、いろいろなパートナーシップをいろいろな国連機関と結
びたいと考えております。そして、京都大学などさまざまな大学ともパートナーシップを組み、あるい
はさまざまな企業ですとか、学会、そして市民社会と手を組むことによりまして、グローバルな包括的
な知識社会の協定を結びたいと考えています。そして持続可能なコミュニティというものを構築するこ
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とができると考えております。こういった今回の会議というものは、そういった意味で非常に有意義だ
と思います。グローバルなコモンというものを生み出すうえで非常に重要な会議だと思います。
いつも見せるスライドなのですけれども、最後の二つのスライドを紹介したいと思います。これが持
続可能な社会であります。無限の資源を持った地球がありました。しかしながら、この何百年という間
に資源が限られたものになってしまいました。したがいまして、資源というものは有限である、限られ
ているという風に考えるようになったわけであります。これは枯渇というものを考えているわけであり
ます。価値というものは、枯渇をベースに考えられております。これは経済学的な考え方でありますけ
れども、しかしながら世界の仕組みを考えた場合、物理的な法則というものがここでは侵害されている
わけであります。こういった問題故に侵害されているわけであります。
次のスライドですが、このように人口が尐なかったために、一時は無限の資源を持っていました。し
かし今は人口が増えてきて資源が有限になってきたわけです。そこで、どのようにその問題を解決する
のか。科学技術だけがソリューションを生み出すかといえば、そうではありません。もっと楽観的に持
続可能性というものを考えてみましょう。世界には限られたアイディアしかなかった。しかしながら、
今度は無限のアイディアを持っているという考え方であります。人間、人類というものは、非常にクリ
エイティブな生き物であります。意志、その気持ちさえあればということです。その国の格というもの
を切り捨てて協力する。中国であれ、インドであれ、アメリカであれ、協力をするということでありま
す。知識をグローバルに共有するということであれば、我々学問をやっている学術界の人たちはいつも
やっていることでありますけれども、政治家、国にもそういうことをぜひやってもらいたいと思ってい
ます。そして意志さえあれば、我々が話してきたことを実行することができると思っております。
わたくしからの話は以上であります。どうもありがとうございました。
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●セッション
松下和夫氏(京都大学大学院教授)
「持続可能な発展に向けた政策統合」
みなさんこんにちは、ご紹介いただきました京都大学の松下でございます。まず、パライルさん、大
変素晴らしいスピーチありがとうございました。非常に示唆に富んだご講演だったと思います。パライ
ルさんの講演はクリーンでグリーンな技術を世界的に共有することによってサステイナブルで公平な
社会をつくっていこうという趣旨であったと理解できます。私はそれを受けまして、特に気候変動の問
題、それから先進国の取り組みに焦点を当てて、環境問題と経済やエネルギーの関係について考えてみ
たいと思います。
タイトルは「グローバル・サスティナビリティと環境政策統合」としております。まず、現在の世界
をどう考えるかということであります。いまから二年半程前にいわゆるリーマンショックという世界的
金融危機が起こりました。その結果、100 年に一度といわれる経済危機ということで、世界的な金融危
機に加えて同時にエネルギーの危機、いわゆる石油ショックやレアメタルなどを中心とした資源の枯渇、
それから、地球温暖化の危機が浮上したわけであります。
世界的な経済危機に対する当面の対応はある程度進んでいますが、3 つの危機の基本的構造は依然と
して残っています。世界各国はそれに対して金融を緩和し新しい需要を起こそうとしております。それ
がさらに、石油や穀物やあるいは資源の枯渇や高騰を招き、長期停滞と地球全体の持続性の危機を呼ん
でいるという風にみることができると思います。
それに対して現在求められているのは、新しい国際経済、国際金融のルールでありますし、グローバ
ルな経済システムの活性化のためよりクリーンでより効率のよい環境やエネルギー、そういったものに
対して積極的に投資をして経済の構造自体を変えていくということが必要です。
以上から、次によりよい環境政策はよい経済政策であるということを説明したいと思います。気候変
動の問題は国際的にも非常に議論がされ、また国内でも取り組みが議論されています。ごく大雑把に整
理すると、科学者が気候変動を色々と研究して、その成果を社会に出しています。それらの科学的知見
に基づくと、気候変動を国際社会が受け入れ可能なレベルに抑えるためには世界全体として相当程度の
温室効果ガスの排出削減が必要です。
大変難しいことは、削減が必要であることは分かっているけれどもそれをどのように公平に各国に配
分するか、各国に負担を分担してもらうかということです。グローバルコンパクト、世界的な合意と約
束が必要であるということをパライルさんも言われました。なぜ各国が合意できないかというと、これ
は現在の考え方では気候変動対策、すなわち CO2 などを減らすことは各国の経済発展を制約すること
だ、エネルギーの消費を減らすことは経済成長あるいは人々の生活にとってマイナスだという考え方が
根底にあるからです。
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したがってできるだけ自分の国の努力を減らして他の国にやってもらいたい、たとえば日本は大分や
っているからアメリカや中国がもっと頑張ってほしい、というように考えるわけであります。このよう
な考え方をどうやって突破するか。その方法としては、経済の構造自体を変えてグリーンな経済を目指
す。あるいはグリーン・ニューディールといわれるアプローチがあります。
現実に EU などの諸国の動きを見ると、気候変動対策をきっかけとして新しいグリーンな経済、より
クリーンで持続ができる経済にし、それをきっかけとして新しい雇用を呼んで国際協力、将来市場が拡
大する環境市場、あるいは再生可能エネルギーの市場、そういった市場でより優位な立場をとって国際
競争力をつけていこうという問題として捉えていると理解ができます。
しかしながら低炭素社会、すなわち CO2 や化石燃料を使わずに成長できる、あるいは人々の生活が
向上できる社会の構築が本当に可能かどうか。そういった方向にむけた成功例を積み上げていく必要が
ありますし、それが途上国にとっても発展の制約でないということを示すことが必要になってきます。
これを、環境政策という観点から考えるとその一つの有力な考え方が環境政策統合という考え方です。
実は政策統合という言葉は新しい言葉ではなくて以前からあります。異なる政策分野、例えば経済成
長や産業政策や土地利用、あるいは医療や保険など、異なる政策目的とそれを達成する手段とを、政策
を作る最初の段階からきちんと計画的に統合することによって矛盾をとり除いて、より効果をあげると
いう考え方です。
振り返ってみると、戦後の日本の高度経済成長期は高度経済成長という国民と国全体の目標に向けて
あらゆる政策を統合していました。その過程では、例えば環境や人権といったことも一部配慮が足りな
いということも出てきたわけです。今日紹介する環境政策統合は政策統合一般ではなくて、持続可能な
開発を実現することを上位目的とした政策統合です。
環境政策統合は、有限な地球、すなわち環境容量が限定されている地球の中でどうやって人々と社会
が持続できるかということを考えて、最初から経済政策、交通政策、農業政策などに、環境に対する目
的と配慮を最初から統合していくことです。従来の環境問題や環境対策が他の分野での色々な開発なり
事業のあとで、すなわち問題が起こった後に後追い的に取り組んできたということに対する反省をし、
環境問題や持続可能な発展政策を主流化して最初からきちんと埋め込んでおくという考え方でありま
す。
以上の観点から先ほどのグリーン・ニューディールを考えてみると、これは経済と環境を統合する一
つの手段として考えることが出来ます。ニューディール自体は 1929 年のアメリカから起こった世界恐
慌に対して当時のルーズベルト大統領が公共投資を大々的に展開して、経済を復興させようとしたとい
うことが起源になっていますが、現在のグリーン・ニューディールは先ほど言いました 3 つの危機に対
して、グリーンエネルギーなどに対する大規模投資などによって世界経済を再建しようという提案です。
象徴的な言い方としては、
「強欲資本主義(グリードキャピタリズム)
」から「緑の資本主義(グリーン
キャピタリズム)
」への転換と言われています。
11
すでに各国それぞれ動きがでております。アメリカの場合はオバマ大統領が政権公約で環境エネルギ
ー政策を公約しています。ただし現状では公約で目指したことが必ずしも議会の状況や産業界の反対も
あってまだ十分には進んでおりません。
しかし政権公約で述べた考え方は、温室効果ガスに対して高い目標を設定し、キャップアンドトレー
ドという形で排出量取引制度を導入し、再生可能エネルギーを増やし燃費を改善し住宅を断熱化する、
スマート・グリッドを導入するといったことを通じて、全体として環境を改善し、エネルギーを効率化
し雇用や新しい産業を興し地域の振興を目指すという非常に統合された政策パッケージとなっている
ところに特徴があります。
EU では、もっとより進んだ形での長期的な目標、中期的な目標、それから排出量取引制度、環境税、
自然エネルギー拡大政策ということを Policy Mix という形で政策を組み合わせて進めています。ドイツ
が一番よくとりあげられます。ドイツの場合は 1990 年代ごろから、市場経済を前提としながらもそこ
から発生したる環境問題に対処するために、環境分野に対して戦略的に投資をし、あるいは外部不経済
を是正する方法として税制を改正し環境税を導入し、規制を導入することによって技術革新を進め、雇
用を作っていくという政策を導入してきました。特に現在評価されているのが、再生可能エネルギーに
対して固定価格買取制を導入することによって風力や太陽光が爆発的に普及したということです。さら
に税制を改革してエネルギーに対する税金を上げて、その分を企業の社会保険料、労働者を雇用するコ
ストを下げるということで環境対策と社会保障、あるいは雇用対策等を統合するという政策を推進して
きました。ドイツはその間に政権構成が変わりましたが、以上の流れは基本的には維持されてきました。
イギリスにおいても、特にブレア首相の時代に「スターン・レビュー」という報告書が元世界銀行の
副総裁であったニコラス・スターン卿によってとりまとめられ、「気候変動の経済学」という本が出版
されました。この本は、気候変動対策をしないことによる不経済、すなわち対策を取らないことが経済
に大変大きな悪影響を及ぼすということを、伝統的な経済分析手法に則って明らかにしております。
また、イギリスの産業界自体が低炭素社会という高い目標を掲げて、温暖化対策に取り組むことがむ
しろビジネスチャンスであるという見方をしています。さらにイギリスではエネルギーと気候変動を統
合して取り組む新しい組織として気候変動省という役所も新設されています。これも環境政策統合の具
体的な仕組みです。
次に 2020 年、2050 年の温室効果ガス削減目標について。日本の目標(2020 年に 25%削減、2050
年に 80%削減)は非常に厳しいとされていますが、イギリスの場合は 2020 年に 34~42%削減、2050
年には 80%削減という高い目標を掲げて、それを法律で担保する仕組みを作っています。
それでは日本はどうするか。中期目標については 2020 年に 1990 年比 25%削減という数字が出され
ています。長期目標については 2050 年に 80%削減、これは日本の各政党、自民党、民主党、公明党、
社民党その他全ての政党が一致している目標です。
2020 年目標をひとまず置いておくと、長期的な 2050
年に先進国は 80%の削減との目標は、G8 サミットでも合意されています。
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以上のように、いずれ低炭素社会、低炭素経済へ移行しなければならないことは必然です。このこと
は産業界も市民も意識していく必要があります。いずれにしろ世界全体として温室効果ガスを減らすこ
とがさらに求められてくる。また、先進国はより大きな責任を担う責務があります。このようななかで、
どのようにして日本でより安定したより豊かな社会を作っていけるかということを考えてみたい。そう
すると、やはり先ほどパライルさんが評価された日本の優れた環境技術や環境システムといったものが
有効であるというになります。環境関連の技術や社会システムをさらにより進んだものとすることによ
って、国として先行者利益あるいは創業者利益を継続的に生み出し続けていくことが考えられます。も
ちろんこの分野では他の国も頑張っていますから、手を抜くとすぐ追い越されてしまいます。したがっ
て常時次の新しい技術、新しい社会システムを作っていくことが必要です。
そのためには今後成長戦略と環境戦略を統合して、日本の状況に適した新たなグリーン・ニューディ
ールを作っていく必要があります。残念ながら現実的には、政府が提出している地球温暖化対策基本法
という法案が昨年 4 月に衆議院において可決されましたが、その後参議院では国会が選挙に入ったこと
で廃案になり、その後国会に再度提案されていますが、審議の見通しも立っていない状況です。一方で、
環境税については導入方針は決まっていますが、ごく小さい規模になっています。自然エネルギーの固
定価格買取制度についても現在議論がされています。これは現在世界的にも自然エネルギーの拡大に効
果が実証されている制度なので早急に整備していくことが必要です。
また、地域からの取り組みが重要です。同時に日本が今後どういった世界を目指すかということ、す
なわち将来に対するビジョン、インスピレーション、想像力が求められています。
次にドイツの例を紹介します。去年の秋にドイツに行ってまいりました。結論的には、当たり前のこ
とを当たり前にやっている。民主的なプロセスとして、民主的な議論を経て目標を作る、目標達成のた
めに必要な法的枠組み、国民に努力や自主的取組だけでなく、それをきちんと法的にルール化するとい
うこと。それから法律・条例を作って、実施状況を見て必要に応じて改正する。目標を作りそれを評価
して次のステップへ進むという形の参加型環境ガバナンスのプロセスがいろいろなレベルで作られて
います。それを支えているのが自治体での取り組みと市民の意識です。すなわち市民が直接参加しなが
らガバナンスを進めているのです。
この写真(1)はハノーバー市へ出かけたときのハイブリッドバスです。ハノーバー市の交通局が運転し
始めたハイブリッドバスに初めて乗せてもらいました。路面電車も非常に発達しています。この写真(2)
はハノーバー市の大学の生協食堂屋上に設置されている太陽光パネルです。これは学生たちが自主的に
クラブを作って、資金は市民が尐額ずつだして、出資した人に対しては定期預金並の利息が払われます。
さらに大学の教員と学生たちが労力やノウハウを提供し、地元企業も協力するという形で運営されてい
ます。
この写真(3)はベルリンの電車です。電車に子どもたちが自転車ごと乗っています。それから右側には
車椅子の方も乗っています。こういった形で、自転車に乗って電車で移動してまた自転車に乗る、ある
いは体の不自由な方も乗れるという環境と福祉の統合された事例であります。この写真(4)はレンタバイ
クです。このような気のきいたレンタバイク、自転車がいたるところに置いてあります。
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この写真(5)は風力発電です。これもやはり農協や市民が出資したものが多く、固定価格買取制ですか
ら、一度投資した費用をきちんと回収することができることになっています。地球全体でのグローバル
コンパクト(国際条約や議定書など)が必要であると同時に国ごとの取り組み、そして地域からの取り
組みも重要です。現代の社会は、情報と技術はグローバル化していますが、わたしたちの生活はあくま
で大地と共に生きていくことが基本です。そのため地域の自然や環境や文化を生かした地域社会を再生
していくことが必要です。低炭素社会は知識や技術を共有して分かち合うという社会であるといえます。
環境に関する意思決定は来る限り現場に近いところ、すなわち自治体や地域コミュニティで実施して
いくということが重要です。そして市民と行政の協働を通じた地域の経済再生が必要です。これらを支
えるものがエコロジカルな市民です。従来、市民は国や自治体に中における役割だけを考えてきました
が、グローバル化・国際化し、相互依存が進んでいる現代の社会では、自分が住んでいる外の世界や将
来の世代、あるいは長期の課題についても目を向けて考えていくことが必要です。環境に関し、自分が
身近からできることに取り組みということは大事ですが、それを超えて、社会の仕組みをより持続可能
なものに変えていく、そのために政策形成に能動的に関与していく、ということも重要となっています。
最後にパラダイムの転換(シフト)です。今後の持続可能な社会の形成には、以上述べたように環境
政策と経済政策を統合していく取り組みが必要です。そして整合性のある財政支出と構造改革を推進で
きる賢い政府を国民が作っていく。さらに低炭素社会に向けたイノベーションを展開できる企業の挑戦
と革新が必要です。またこのような動きを支える能動的かつエコロジカルな市民の取り組みが必要とさ
れているのです。ご清聴ありがとうございました。
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窪田順平氏(総合地球環境学研究所准教授)
「中国の環境ガバナンスの可能性」
総合地球環境学研究所の窪田と申します。今、パライルさんからは世界が目指すべき方向、それから
松下先生からは政策としてどういう方向性をもって今後やるべきなのか、という話があった訳ですけれ
ども、私は実際に具体的にどう政策を実行していくのか、そのときに何が必要なのかというのを、中国
という国を題材にガバナンスという視点から見てみたいと思います。
それで、皆さんもよくご存じの通り、中国というのは政治・経済的に大変台頭しつつあります。世界
的に見ても経済的な豊かさ、という意味ではそれを一番実現しつつある国かもしれません。一方で、様々
な環境問題を抱えていると言われています。ただし私たちは、この大きな中国をなかなかしっかりとつ
かむことができず、どうも過剰に語られている部分もあるように思います。その辺をもう尐ししっかり
と見ながら、私たちは環境問題と経済の持続的な発展をどのように両立させていけばよいのか、という
ことを考えてみたいと思います。
環境ガバナンスについては今松下さんのほうからいろいろとご説明がありました。簡卖に終わらせた
いと思います。従来からのトップダウン型の統治ではなくて、住民も含めたボトムアップ型の統治の、
あるいは協治という言い方が良いのかもしれませんけれども、仕組みが必要である、というのが最近の
考え方です。こういう考え方は一見、中国という国にはなかなか馴染まないと思われがちな訳ですけれ
ども、その辺がどうなっているのか、というのを見てゆきます。
一般には中国の環境問題は非常に深刻化していると言われますが、必ずしもそうではない側面もあり
ます。先ほど政策統合という言い方が出ましたが、中国では最近、持続的な成長ということが目標に取
り上げられて、特に市場メカニズム、あるいは経済的なインセンティブを活用した環境対策が非常に進
みつつあります。たとえば中国は石炭を主要なエネルギー源として使っています。その結果として、硫
黄酸化物が多量に排出される訳ですけれども、2000 年代の前半はその削減には完全に失敗しました。
ところが後半になって、中国が独自に技術を開発して、脱硫装置が急激に普及したという事実がありま
す。
また太陽光発電、これは日本の得意技術のように思われていますが、現在の生産量は中国、あとドイ
ツとちょっと入れ替わったりするのですけれども、ほぼ世界第一位を維持していると言われています。
そういう意味では、経済的なインセンティブと同時に働く環境への取り組みというのが極めて進んでい
るというふうに考えてもいいかと思います。一方で、それだけではなくて、たとえば NGO の台頭であ
るとか、先程中国には馴染まないと申しました参加型ガバナンスといった新たな政策展開も見られるよ
うになりつつあります。では中国の環境問題、一体どこに実は原因があったのかというのをまず簡卖に
おさらいをしたいと思います。
中国はよく中央集権的な国家だと言われる訳ですけれども、実はそれは必ずしも正しい理解とは言え
ません。確かに政治的には人事を中心にした、中央集権が行われている訳ですけれども、中国の改革開
放というのは地方に財政及び権限を移譲することによって、豊かになれるところから豊かになろうとい
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うかたちで始まりました。経済開発のインセンティブを地方に与えた訳です。
それがこの中国の現在の経済成長をつくり出したということになります。しかしながら環境という面
からみると、環境に関わる法律、環境法そのものは日本にも务らない、ある部分では日本よりも優れて
いる法律があるのですが、実効性がありません。これは最後のところで、どういうかたちで、たとえば
水質とか水質基準とかを守らせるというところが地方に完全に任されているため、地方が経済成長を求
める一方で、経済成長とトレードオフの関係にある環境を優先するという考え方が成立しないという事
実があります。人事システム自体が、経済開発が優先されておりますので、そこではなかなか環境を保
護するというかたちには進まない訳です。
言ってみれば、やはり中国の現在の経済成長を目指した構造というのが環境問題そのものを生みだし
ているのです。それは地方への権限の移譲という部分に原因がある訳です。逆に言うと、地方政府の役
割が非常に大きくなっています。また、経済的な発展と環境対策がかみ合うところというのは先程説明
した通り、非常にうまくいっている訳ですけれども、そのなかでよく言われているように都市と農村、
あるいは東と西といった大きな経済格差があります。財政的に豊かな東では、実は意外に環境政策が非
常に先進的な試みが行われている一方、貧しい地域、西と言ってしまってもいいかもしれませんが、そ
ういうところではなかなかうまくいかないところも多い。そのあたりを具体的な環境政策を取り上げて
見ていきたいと思います。
私自身は川の水の量や水循環がどうなっているかといったことを研究しているものですから、ここで
は水の話を二つ取り上げたいと思います。甘粛省には敦煌などで有名なシルクロードが通っていますが、
その途中に黒河とよばれる大きな川があります。そこでの節水政策、ここは水の尐ないところですから、
どうやって水を節約して、環境とうまくやっていくかということが大きな問題な訳ですが、これを取り
上げます。一方で、江蘇省太湖流域、2007 年にアオコが大発生して非常に有名になりましたけれども、
日本人にとっても馴染み深い地域である訳ですけれども、非常に経済的に進んだ地域で、環境政策その
ものも非常に積極的で先進的な試みが行われています。この二つ、いろんな対比がこの二つには込めら
れている訳ですけれども、説明していきたいと思います。
まず西のほうの砂漠地域の黒河というところでございます。これは面積で日本の約三分の一もあるよ
うな非常に大きな河川です。青海省、甘粛省、内モンゴル自治区という三つの省をまたがる河川、中国
では跨省河川という言い方をしますけれども、先程申しましたように中国の場合には省、地方がそれぞ
れに強い権限を持っていますので、省をまたがるということは国際河川のような意味合いを持っていま
す。この地域は乾燥地でございまして、古くからオアシス農業が盛んだったのですが、やはり水資源を
めぐった争いの歴史を持っている地域であります。
この地域、1990 年代に入って非常に水不足に見舞われました。琵琶湖の約半分、300 平方キロメート
ルぐらいの湖が川の末端にある訳ですけれども、この湖が 10 年足らずのうちにほぼ干上がってしまい
ました。そこにある植生も枯れてしまい、最終的には砂漠化が起きた訳ですけれども、その砂漠化した
土地を起源とするダストストームが北京を襲うという事態になりました。原因としては、上流での水の
過剰利用、あるいはこの辺では遊牧、牧畜が盛んですが、それが過剰ではないかということが言われた
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訳です。
実際にこの黒河という川を流れている水の量のうちの 83%を上流の農業地帯が利用していました。さ
らに、そのほとんどは人間の工業用水あるいは生活用水ではなくて、ほぼ完全に農業が使っています。
ですからこの農業での水をどううまくやりくりして、下流の地域に流して湖を復活させるのか。それを
農業の発展を阻害することなくやり遂げようというのが、この国家的なモデル事業、政策の目玉でした。
当然この時代には経済的な東西格差というのはすでに大きな問題になっていましたので、農民の利益と
いう部分を無視して政策を進める訳にはいかなかったのです。そのために何をしたのか、一番下に書い
てある二つの対策が大きな目玉です。
用水戸協会といいますけれども、これは農民の水利組織です。農民による自主的な管理によって節水
を実現させよう。それからさらには水利権を売買可能とする。要するに尐なく水を使えばその分をお金
にできるというふうなかたちで経済的なインセンティブをつけるということが目玉になっていて、これ
は中国でも話題になりました。この用水戸協会と水利権売買は、用水戸協会のほうは日本にもあります
けれども、水利権売買というのは日本ではやっていませんけれども、世界的にも注目されている、先進
的と言っていいのかどうか分かりませんけれども、斬新な試みでした。中国の水利報には、これは中国
の水利部というところが発行する機関誌ですけれども、非常にうまくいったというような記述がござい
ます。これを見た日本の方たちが、それをそのままうまくいったケースだとよく報道している。最近で
もそういう書き方をした本が出ていたりするのですけれども、私たちが調べた限りでは、必ずしもそれ
はそうではなかったように思っています。
この図は、毎年どのくらいの量の水を黒河という川から水を取るのか、その取水量の変化を示してい
ます。確かに川からとる水の量はだんだん減っていきます。ですからその分、下流に水が行くようにな
る訳ですけれども、実は全体として使う水の量を減らさずに地下水をくみ上げることによって不足分を
補うという手法が政策的にとられた、ということが分かります。やはり農業の成長を止めずに節水を実
現するというのは現実的にはなかなか難しいのです。ですから河川水を地下水で代替するという措置を
地方政府としてはとらざるを得なかったということになります。結果的には地下水位が急激に低下を始
めまして、その規制条例を追加せざるを得ない事態に至りました。
それからもう一つ。下流で過放牧が起きるということで、どうしたかというと、遊牧をしている人た
ちを強制的に移住させて遊牧をやめさせるという対策がとられました。これは補助金をかなり多量につ
ぎ込んで、貧困を解消するための方策としても機能している訳ですけれども、確かに放牧をやめるとそ
の草原は回復します。ところがその実際そこに住んでいた人たちを動かしてしまう訳ですから、住んで
きた土地、あるいは文化を失うといったようなデメリットもあったように思います。
こういうかたちで草原が復活し、湖が復活しました。ただしこの水がどこから来たかと考えると実は、
地下水をくみ上げて復活させたのだとも言えるのではないかと思います。黒河の事例から見えてくるも
のは、用水戸協会の設立や水利権売買といった斬新な方策はなかなかうまくはいかなかったということ
です。地方政府は、ある意味ではうまくいかないことを前提として、実効的な方策を別に用意していた
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ということなのかもしれません。ですから、仕組みの斬新さだけではなくて、本当にどうやって政策の
実効性を確保するのかが、非常に重要なところなのです。それからやはり文化の問題。そして卖に補助
金で解決するといった形の政策というのはなかなかうまくいかない。ある意味では地方政府主導型、ト
ップダウン型のガバナンスの限界かもしれません。
一方江蘇省の太湖流域です。2007 年に、申し上げました通り、大量のアオコが発生して大きな問題
になりました。ただしこの江蘇省というところ、以前から当然経済的に先進地域であった訳ですけれど
も、環境保護政策というのを指導理念として強く打ち出しています。「和諧社会」という言葉を中国で
はよく使いますが、この地域では「小康社会」
、経済的にはほどほどでいいので環境保護とかそういう
のをちゃんとやろうよということを打ち出している地域でもあります。
そうした指導理念に従って、中国では非常に珍しい環境対策情報の公開制度や、COD、つまり汚染物
質の排出権取引のパイロットプロジェクトが行われるといった、経済的な部分を強く意識したかたちで
の先進的な政策が打ち出されています。すべてが必ずしもうまくいっている訳ではないですが、そうい
う意味では優れていると思います。特に注目されるのは、中国ではなかなか実現しないと私自身も考え
ていた政府、企業、住民による円卓会議、環境政策をめぐる円卓会議も実現しつつあります。
これは单京大学と日本のアジア経済研究所の共同プロジェクトで、世界銀行が資金的にバックアップ
しているというかたちで進められています。中国という国の中で考えると、こういう円卓会議が行われ
ること自体が非常に画期的なことです。ですからこういう会議を通して、卖にその国家あるいはその地
方、地域が総体として豊かになるというだけではなくて、そこに住む人、住民をはじめさまざまなステ
ークホルダーがいる訳ですが、その中でどうやって合意をとりながら公益、皆が豊かになることを実現
するかとを、話し合いをしながら進めていこうということで、中国もそういう意味では気づき始めたと
いうことになるのかもしれません。
さて、そろそろ時間が参りました。私の話をまとめていきたいと思います。中国の環境ガバナンスあ
るいは環境問題ですが、日本で一般に思われていることと多尐違ったものが実態ではないかと私自身も
思っています。特に市場メカニズムを利用した経済的な部分と、ある意味では政策統合と言っていいの
かもしれませんけれども、そうした部分は日本よりも進んでいます。
これは経済が成長しているからという言い方もできるかもしれません。ただし農業あるいは牧畜とい
ったような、必ずしも経済的にあまり成長していないところでは逆にそのガバナンス自体もうまくいっ
ていない、あるいは環境問題がむしろ深刻化するという事態があるように思います。進んでいるところ
では、すでに中国でも参加型のガバナンスが出てきている。このプロジェクトを進めておられるアジア
経済研究所の大塚さんは、
「環境民主」というかなりセンセーショナルな言い方をしておられますけれ
ども、こういうものも中国でもすでに出始まりつつあると見ることができます。ただし、そうした参加
型のガバナンスを全国に広めるためには、制度的な枠組みというのがまだまだ十分ではないだろうと思
います。
特に中国の場合、住民から様々な問題があったときにどうやってそれを行政、政府に訴えるのかとい
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う司法制度の仕組みが十分ではありません。伝統的な信訪制度という、時々ニュースになりますけれど
も、北京に直接行って役所に訴えるという仕組みは残っていたりする訳ですが、実際にはそれしかござ
いません。司法の役割や言論の自由が、そういう意味では極めて大きな問題な訳ですけれども、今後そ
の辺も中国はどうにかしていくだろうと実は思っています。
こうやって見たときに、日本はどのようにこの中国と環境に関して付き合っていったらいいのか。先
程申し上げたように、ここにも書いてありますけれども、技術的な革新等々は、ある部分では経済的な
成長をバックに日本よりも進みつつあります。特に脱硫装置に関しては日本が技術供与できる一番大き
な部分だと言われていた訳ですけれども、中国が実際にはコストダウンを果たすことによって日本の出
る幕はほとんどなくなってしまいました。そういう局面が実は出つつあります。
これはかつての日本とアメリカの関係とよく似ているのかもしれませんけれども、日本の役割という
のは必ずしもそういうものではないだろうと思っています。むしろガバナンスのあり方、特に参加型の
ガバナンスといったあり方など、制度的な面で日本が培ってきたものを、卖に与えるということではな
くて、たとえば研究者レベルでもいいと思いますけれども、議論していくというふうなかたちで中国と
付き合う。それをさらには東アジアというレベルがいいのだろうと思いますけれども、リージョナルな
レベルでやっていけばいいのではないかというふうに思います。
最後に、今まで見てきた通り、参加型ガバナンスということでさえも中国でもある意味では理解が定
着しつつあります。ただしガバナンスは様々な主体が、ある一つの公益に向かって進むというふうに定
義しましたけれども、その「公益」とは何なのか。公益あるいは福祉、well-being と言い換えてもいい
のかもしれませんけれども、それが一体何なのだろうかということが実は一番問題なのだろうと思いま
す。中国を見ていてやはり感じざるを得ないのは、この「豊かさ」というのはある意味では卖なる GDP
であったり個人所得であったりすると見える局面が多くあります。
日本でも実は、というか世界中が実はそうなのかもしれませんけれども、私たちはその辺をやはりも
う尐し考えなくてはいけないのではないかと思います。最近出た論文の中で非常におもしろいものがあ
ったのですけれども、ガバナンスの良さ、それと環境問題の解決に対するパフォーマンス、それから
GDP の関係というのを数値で見ると、先程の中国でもそうですけれども、経済的に豊かなところに一
見よいガバナンスがあって、なおかつその環境問題に対するパフォーマンスもよいという正の相関関係
が出てきています。そうすると、中国のように経済的にまず豊かになることで最終的に環境改善に繋が
るということになってしまう訳ですけれども、必ずしもそうした道筋だけではないのではないかという
ことを後ほどのディスカッション等で議論させていただければと思っております。以上でございます。
どうもありがとうございました。
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佐野亘氏(京都府立大学准教授)
「これからの環境政策は何を目指すべきか?」-幸福?ケイパビリティ?あるいは・・・?京都府立大学の佐野と申します。本日はこのようにたくさんお集まりいただき、また、パウエル先生、
松下先生、窪田先生、それぞれ、大変興味深いお話ありがとうございました。
私の方からは今までの話に比べて非常に抽象的な漠然とした理論的なお話をさせていただきます。窪
田さんが最後に私のこれからのプレゼンテーションに非常につながりのよいお話をされました。そもそ
も私たちはどこに向かって進んでいけばよいのか。環境政策というのは昔のイメージで言うと公害対策
や自然保護地域をつくるといったことでしたが、これからの環境政策はそれだけではすまなくなってき
ています。明日のブータンの GNH の話もそうですが、環境政策とは卖にきれいな水やきれいな空気を
実現することではありませんし、卖に希尐な生物を守るということでもありません。そうすると、では、
私たちはどこに向かって進んでいけばいいのか、というようなことを今からお話したいと思います。
今日の話の構成は、最初に問題意識を述べさせていただいて、次になぜ特に幸福ということが言われ
ているのか、それから、本当に幸福だけでいいのか、あるいは幸福以外の別の価値基準、あるいは理念
のようなものはないのかということを考えて、最後に一応のここでの結論を述べたいと思います。
最初に読んでいただきたいのは、ある文章からの引用です。「かつてない自由と経済的豊かさは、こ
れまでの物質文明や近代合理主義の下でともすれば見過ごされがちであった人間の精神的・文化的側面
への反省を促し、より高度な人間的欲求を目覚めさせるに至った。今や人々は物質的・経済的豊かさに
留まらず、さらに生活の質の向上・人間と自然との調和・人と人との心のふれあい・生きがいなど精神
的・文化的な豊かさを強く求めるようになった」これは、大変立派な理念・考え方かと思いますが、こ
れは 1980 年に大平内閣の研究会で出された報告書の一部です。
なぜこれを持ち出したかというと、この種の議論というのは昔からずっとあったということです。今
から 30 年ほど前にも今言われていることとほとんど同じことが言われているわけです。そうすると、
では私たちが今議論しようとしていることは 30 年前議論したことと同じなのかということをここで振
り返って考えたいと思います。皆さんよくご承知かと思いますが、尐なくともヨーロッパでは 19 世紀
の頃から、経済成長主義、物質文明主義に対する反発や批判が長らくありました。
有名なところでは、例えばラスキンとかウィリアム・モリスのような初期キリスト教社会主義者の人
たちは近代文明や当時の産業発展に対して非常に批判的でした。有名な例ですが、イギリスの北の方、
湖沼地域に鉄道を通すということに対して非常に反発して、反対運動を繰り広げるというようなことが
ありました。今で言うと高速道路を作るのに反対するような感覚でしょうか。「田園都市」や「スモー
ル・イズ・ビューティフル」など、19 世紀から 20 世紀にかけて、経済発展に対する反発というのはヨ
ーロッパでは長らくあったわけです。
日本でも遅くとも 1970 年ごろから同じような議論が提出されるようになります。たとえば、1970 年
に朝日新聞が「くたばれ GNP」という特集を組んで、それが流行ったというようなことがあります。
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この頃から GNP 批判が一般的にマスコミにも取り上げられるようになりました。そこから、NMW や
PLI、GPI というような指標がたくさん作られるようになったわけです。
他方で、実際には今の日本も非常に景気が悪いということもあり、松下先生からのお話もありました
が、基本的には経済成長重視でやってきたわけです。しかし、ここにきて、経済成長だけでは不十分で
はないかということで、特に幸福に注目が集まってきました。これは経済政策についてだけではなく、
環境政策についても幸福という観点が非常に重視されるようになってきたということです。
というわけで、これから何をお話しするかというと、一つ目はなぜ特に幸福ということが最近あらた
めて言われているのか、それから従来の経済成長に対する批判とは何が違うのか、あるいは同じなのか、
また、そういうことを議論することにどういう意味があるのか、ということです。もうひとつ最後に大
きなことは、幸福だけなのか、ということです。ここで先にお断りしておきますが、幸福という言葉は
様々な意味で使われますが、今日の報告の中では主観的幸福と呼ばれるような、本人が幸福と感じてい
るかどうかということを意味する言葉として、幸福という言葉を使います。客観的幸福を言う人もいて、
本人がどう感じているかとは別に幸福というのは客観的に定義できるという議論があるのですが、ここ
ではそう言う意味では使っておりません。
ではまず、なぜ幸福が問題になるのか。なぜ今あらためて幸福について議論しているのか。背景とし
てはおそらく 2 つあります。1 つは、特に環境政策の文脈では環境政策というのは究極的には人々の幸
福を目指すものであるということです。それから、もう 1 つは経済成長主義に対する反省です。
では、環境政策の目標として幸福を掲げるとはどういうことか説明します。環境政策ですから、例え
ば自然と共生するとか自然を守るとか、きれいな水と空気を維持するとか、あるいは持続可能な発展と
いうことでいいはずですが、なぜあえてわざわざ幸福と言わなければならないのかということです。そ
れは環境問題が複雑化するとともにより上位の価値基準が必要になっているからです。
例えば、ある A という環境をよくしようとすると別の B という環境が悪くなるとか、水をきれいに
しようと思うと景観が悪くなるとか、ある魚がどうしても減ってしまうとか、常にいろんな環境が同時
にプラスになるわけではなく、ある環境をよくしようとすると別の環境が悪化するということが起きま
す。それから、ある環境をよくすると、別の価値、先ほど窪田さんからお話があったように文化を破壊
してしまったり、権利を制限しなくてはならなくなったりします。そういった環境同士のトレードオフ
の問題や環境とは別の利害や価値とのトレードオフの問題がでてきて、その調整のための 1 つの基準と
して、幸福という基準がもしかしたら使えるのかもしれないということです。
もうひとつは有名な議論ですが、一人当たりの GDP がいくら増えても幸福度が高まらないというこ
とが、これも 30 年ほど前から言われています。経済成長すれば、豊かになってみんな幸福になるかも
しれませんが、実際にはその裏では環境破壊が起こっており、「経済成長=幸福」ということが本当に
成り立つのか疑われるようになったわけです。
では、幸福だけでいいのかあらためて考えると、他の価値もありそうです。では、幸福以外の価値と
21
してどういうものが考えられるかというと、いろいろあるわけですが、ここでは特にケイパビリティに
注目してみたいと思います。
ケイパビリティとは何かというと、なかなか難しいですが、ケイパブルというのは「何かができる」
ということです。なぜこのような分かりにくい言葉を使うかというと、例えば、障害のある人と障害の
ない健常者がいるとします。そして、同じように、月 20 万円所得があるとします。障害がある人にと
っての 20 万円と障害のない人にとっての 20 万円というのは同じ 20 万円でも全く意味が異なります。
あるいは障害のある人が二人いるとして、二人とも毎月所得が 20 万円あるとします。しかし、A さん
の住んでいる地域はバリアフリーが進んでいて、駅にもエレベーターがついている。ところが、もう一
人の B さんが住んでいる地域にはエレベーターもないし、バリアフリーも進んでいない。ということに
なると、同じようにお金をもらっていてもいろいろな条件によってできることにもずいぶん差があると
いうことを問題にしたいがためにケイパビリティという概念が出てきました。
これは先ほど名前が出てきましたが、アマルティア・センとかヌスバウムという人たちが議論をして
いることです。そして、これはヒューマン・ディベロップメント・インデックス、HDI の議論にもつな
がっていくものです。これは非常に重要な概念として、近年注目されていますが、では幸福ということ
とケイパビリティにはどういった関係があるのか、両方同時に常にプラスであるということであれば、
どちらか一方でいいわけですが、常に両方同時にプラスになるわけではないとしたら、どう考えればい
いのでしょうか。
ケイパビリティとの関係ということで尐しお話します。幸福とケイパビリティの共通点は、とにかく
GDP を増やして所得を増やせばいいという考えに対する批判という点です。それから、お金をとにか
くあげればいいということではなく、ケイパビリティを支持する論者であれば、実際何ができるかとい
うことを重視しますし、幸福を重視する人たちはお金ではなく、本人がどれだけ幸せに感じているかが
大事なのだというふうに言うわけです。では、違いがないのかというと、これは理論的には難しいこと
になるので軽くしか触れませんが、幸福は主観的で、本人がどう感じているかということですし、ケイ
パビリティは実際何ができるかということなので、客観主義というふうに言われます。
ではこの2つ価値基準をどう考えればよいのでしょうか。どんどんケイパビリティの範囲が広がって
いけば、どんどん幸福になって、しかもそれが環境負荷を下げながらできれば、これが一番いいわけで
す。ところが、実際には常にそうならないかもしれません。では、どちらが優れているかということで
すが、ケイパビリティの考え方のよい点というのは、自由主義的であるとか、私たちの共有している価
値観によくあっているとか、非常に分かりやすいとか、何かができるかどうかというのは外から見て分
かることなので、客観的に認識ができるとか、そういったことが指摘されています。また、適応的選好
ということもあります。有名なのは「満足した奴隷」の例ですが、奴隷なのに本人は喜んでいる、とい
うようなことを適応的選好といいます。
この問題をケイパビリティは回避できるということが一般に言われます。では、ケイパビリティの議
論に全く問題がないのかというと、これまた、様々なことが指摘されています。
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例えば、ケイパビリティというのは、英語ではちゃんとケイパビリティーズと複数形になっています
が、様々なこと、例えば、移動ができるとかきれいな空気が吸えるとか、ちゃんと学校に通うことがで
きるとか、複数のできることがたくさん並んでいるというイメージです。そうすると、どこに特に注目
して、どれに優先順位をつけるのかということがよく分からないと指摘されています。
それから、ケイパビリティがどんどん増えていけば、みんなどんどん幸福になるかというとそれは必
ずしもそうではありません。実は GDP について指摘されているのと同じ問題が発生する可能性があり
ます。先ほど申し上げたように、一人当たりの GDP が増えても人々の幸福度は必ずしも増えません。
大体年間 GDP 一人当たり 1 万ドルを超すと幸福度は増えないということがよく知られています。ケイ
パビリティについても同じことが言えるかもしれません。
それから、ケイパビリティの増大が環境の負荷につながる可能性もあります。もちろんつながらない
ようなかたちでケイパビリティを増やすことはある程度は可能でしょうが、しかし、常に可能かという
とそれは分かりません。では、幸福はどうなのかというと、ケイパビリティとは違って、本人がどれく
らい幸福かということ、一元的な価値、ものさしですから、様々なものに対して、優先順位をつけるこ
とができます。
それから、本人がどう感じているかということですから、間接的でもなく、直感的にも分かりやすい。
しかも実感にも近い。そして、環境負荷を高めずに幸福を増やすことは、ケイパビリティと比べれば、
簡卖そうです。では、幸福ということについて、問題はないかというと、先ほど申し上げた、適応的選
好の問題や、それから、非常に曖昧であることがあげられます。
例えば、あなたは今幸福ですかと尋ねて、10 点満点で点数をつけてくださいとか、あるいは、あなた
はどれくらい幸福ですか、とても幸福、まあまあ幸福、あまり幸福でない、不幸だといった選択肢から
選ぶといったものが主流です。非常に曖昧な聞き方であるため、本当にそれで幸福がはっきり分かるの
かという疑問があります。
それから、幸福なら何でもいいのかという問題です。非常に環境負荷の高いライフスタイルに幸福を
感じる人もいます。毎日、コーラを飲んで、ピザを食べて、牛肉を食べて、大きな車で毎日ハイウェイ
を走ることが楽しいという人もいるわけです。とにかく幸福ならいいかというと、環境の観点からして
もそうは言えません。それから、もちろん他の価値との整合性も問題になります。そして、幸福とケイ
パビリティのどちらが大事かとか、どちらが優れているかというのはなかなか難しい問題です。そこで、
他にはないのかということで、ここでは 1 つの示唆として「よき生」あるいは卓越主義に触れて、終わ
りたいと思います。
ブータンの GNH というのは「幸福」といっていますが、実は卖に幸福を増やすということを言って
いるわけではなく、こういう生き方をするとみんな幸福になれますよという議論です。卖に幸福になれ
ばいいということであれば、特にブータンのように貧しい国では、おそらく所得を引き上げれば、簡卖
に幸福度を上げることができるかもしれません。
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しかし、そういうことではなく、例えば、人と人のつながりを重視するとか、コミュニティを重視す
るとか、学校にただで通えるとか、仏教や自然を大事にして暮らすとか、そういったある特定の生き方
を推奨ないし、場合によっては強制することによって人々の幸福度を増すというものになっています。
ブータンの議論に限らず、最近ずっと議論されている幸福研究というのは、徐々に特に最近研究が進
むにつれて、どういう生き方をしている人がより幸福かを示すものになりつつあります。有名な例です
が、結婚している人としていない人では、している人のほうが幸福度は高いとか、孤独を感じている人
とそうでない人では孤独を感じていない人のほうが当然幸福度は高いとか、あるいは信仰がある人の方
が幸福度は高いとか、そういったことが実証的に議論されています。
そうすると、ブータンの議論も、最近の幸福研究も実は、卖に幸福かどうかということを問題にして
いるのではなく、ある生き方がよりよい幸福な生き方であると、そういうものを推奨しようという議論
になりつつあるのではないかということです。そうすると、かつての、PLI とか GPI とか様々な指標が
ありますが、それと比べても、自分たちはこういう暮らしがしたい、こういう生き方に憧れる、こうい
う生き方をしたい、それが結果的に環境にとってもプラスである、そういう生き方を提示することに特
にブータンの GNH はなっているのではないでしょうか。
ある特定の生き方を推奨したり強制したりすることは当然批判も多くあります。差別であるとか、排
除であるとか、押し付けであるとか、そもそもそんなことを議論できるのかとか、多くの批判がありま
す。しかし、ここではそれについては触れず、とりあえずの結論だけ簡卖に述べます。
1 つは卖に幸福が大事だということではなく、どんな幸福が大事かということを問題にするのであれ
ば、「よい生」とは何かという問いを避けることはできないということです。それから、ケイパビリテ
ィはもちろん重要なのですが、できることがとにかく増えていけばいいというような発想ではないとす
れば、どのケイパビリティを重視するかということを考えなければなりません。
それから 3 つ目に HDI や PLI、GPI というのはある特定の価値観に基づいた指標の選択や重み付け
をしているとすれば、実は暗黙のうちにどういったライフスタイルが好ましいかを前提にしているよう
に思います。そうすると、それはちゃんと正面から議論すべきです。
それから、最後に、これは非常に重要な論点ですが、ある生き方を推奨したからといって、それは必
ずしも「押し付け」にならないかもしれないということです。ただし、それには、十分なプロセス、適
切な手続きによって、合意を得るということが重要になります。したがって、当然地域や国ごとによき
生の中身は変わってくるだろうということです。
以上で私からの報告は終わります。ありがとうございました。
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●パネルディスカッション
それではみなさま最後のパネルディスカッションを始めさせて頂きます。コーディネーターの阿部健
一さん、よろしくお願いします。
(阿部)
総合地球環境学研究所の阿部でございます。よろしくお願いします。皆さんいかがでしたでしょうか。
パライルさんの基調報告に始まって三人の方にそれぞれご自身の研究を元にパライルさんの基調報告
に呼応するような形で発表して頂きました。私自身の感想を先に申し上げさせて頂くと、すごく豊かな
話、深い話、それをこの本当に短い間で聞かせていただいたなとそのような気が致します。
本当に来て良かったという感じなのですが、このパネルディスカッションの司会者としては非常に頭
の痛いことでありまして、いかにこの残された時間、50 分の間にパネルディスカッションという形で、
ある種まとめをしていくということになれば甚だ心もとないという気になっております。
どのような感じかというと、あまりに豊かな食材を前にして一体どれを使ってどのような料理をすれ
ばよいのか、本当に困ってしまっている料理人という感じになっています。本来ならこうすべきではな
いのですが、というのはそれぞれの発表をされた方には極めて分かりやすく重要なメッセージを伝えて
頂きました。それを改めて整理するというのは、本来やるべきではないのでしょうが、みなさんもこれ
だけ濃い話を聞いたのです。もう一回リマインドとそのようなことが必要かなという気がします。
それをしていくうちに、皆様が休憩時間にお書き頂いた質問票の整理がつくと思いますので私があえ
て整理をした上で、みなさんがその質問を軸に、限られた時間ではありますが、もっと深く色んな話を、
三人の方々、パライルさんからお聴きできれば、とそのように考えております。
パライルさん、これも要するに先進国と途上国との間にある格差、これを一体どうするのかというこ
とだろうと思います。ここで、パライルさんは一つの考えを定義しています。それは何かというと、我々
には知識と技術があるではないか、この知識と技術を共有することによって両方とも豊かになれるはず
だと、ごく簡卖ですがそのようにおっしゃられていたと私は思いました。
これは極めて大事なことです。明日。KYOTO 地球環境の殿堂第二回の殿堂が授与さられますが、そ
の中のお一人コモンズの研究で有名なオストロム教授、彼女がまさに言っていることは、資源を共有し
ようということであります。もしかしたらその資源というものの中に、我々は今知識と技術というもの
も入れておきゃなきゃならないのだ、ということを痛感致しました。先進国だけで、技術革新、いろん
な技術が集積されている、それを世界で人々と共有することによってどちらも豊かになれるのだという、
そういったことをお話いただきました。
最後に示された図というのが非常に印象的でした。持続可能発展というとどこかで制約がかけられて
いるようですが、実は我々は制限なしのものを一つ持っている、それはなにかというと、我々の知識、
アイデア、そして技術だということです。そういった意味で将来に向けて期待がもてる、あるいは我々
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の大きな方向性を示していただいたものだと思います。
引き続きまして松下さんのお話、これはその中で先進国を事例にしてみましょうということでした。
ドイツ、そしてイギリスの例もあげて、その上で我々日本としては何をしなければいけないのか、環境
政策統合というもので、これもパライルさんの基調報告を受けてのことであります。最後の方で松下さ
んもやはり技術、知識それを共有するということが第一だ、人間の絆、知識を分かち与えるということ
をおっしゃられておられたと思います。これもやはり重要なことであります。
特に松下さんが強調されていたことは、日本を例にとった時に地域の重要性というものを何度も強調
していたように承りました。地域社会が自律的でまさに地に足を着けた活動をしていくことが大事なの
だ、とそして確かに情報、これは知識と言い換えてもいいかもしれません、そういったものはグローバ
ルでどんどん共有していけばよい、でも我々はやはり地域に根ざしているのです。そしてそういった地
域社会を支えるコミュニティ、人々の集まり、それが先生のお言葉を借りるとエコロジカルシティズン
ということでしょうか、こういったことなのだというお話です。
これについてももう尐し詳しくお聞きした上で、できればせっかく今日お集まりの方、京都府、京都
市の方が多く、京都市民として、あるいは京都府民として、我々がこれから一体なにをしていかなけれ
ばならないのか、そういったことを議論できればと思っております。
続きまして、窪田さんの方ですが、窪田さんの場合は一転して中国を事例にとりました。今どんどん
経済発展をすすめているところであります。環境と開発、あるいは経済発展というのは非常にしばしば
トレードオフの関係にあるように思われている、パライルさんの話でも従来はそうであったということ
をおっしゃられました。松下先生の場合はその二つをきちんと結びつけて政策としてやらなくてはいけ
ないということをお話していただきました。
さあ、中国とはいったいどのようなところなのか。めざましい経済発展の中でも環境については色々
新たな試みがされているということであります。ここでもはたして中国においてエコロジカルシティズ
ンシップ、そういった社会が可能なのかどうか、これはまた窪田さんに問いかけとして投げかけてもい
いかなと、あるいはそこであげられた公益ということも、尐し誤解を受けるかもしれません。
カッコつきで公益と書いてありました。公益のためにはそうした一人ひとりの生活の豊かさ、あるい
は幸福というものを犠牲にされてもいいのか、そういったところも尐し考えなければいけないかなと思
います。中国に関しては、まさに明日殿堂入りをなされます原田正純先生、水俣病を 50 年以上にわた
って研究された方ですが、1 月の末、日本で開催された国連環境計画が主導する、有機水銀の規制に関
する国際取り決めの会議の中でも頻繁に指摘されていたのは、水俣病類似の有機水銀による公害病とい
うのが実はインドや中国ではまだ潜在的に発生する可能性があるのだと、いやもしかしたらもう発生し
ているのかということも報告されています。そういったことを考える上で中国、この大きな、我々にと
っては巨大な隣人国とどのように付き合っていくか、どのような形での協働ができるのか、それを考え
ていければと思います。
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最後には、佐野さんが非常に形而上学的な歴史的なところも含めて見事な整理をしてくださいました。
やはりもう一人の殿堂入り者、ブータンの前国王が提唱された国民総幸福度、そういった話にもつなが
りますが幸福はなんなのだろうと。明日、パネリストの一人であります西水さんが指摘されています。
それで佐野さんも指摘されていますが決して尺度を作ることではないんだということです。つねに幸福
はとは何かと我々は考えていかなければいけない、それは地域によって、時代によって違うであろうこ
とも考えていかなければならないということです。
佐野さんの方には、そうしたらということで一つお考えいただきたいのは、我々が幸福であるという
そのためには、我々の隣人、あるいは世界の別の地域に住んでいる人、その人々の幸福も考えなければ
いけないのだということ、佐野さんの言葉をお借りしますと、より良い生き方、よい生ということです
が我々がよい生を送るためには世界の別の地域の人々もよい生を送らなければいけない、そういった理
論、考え方ということ、それが果たしてどのような形でできるのか、またそれに向けてどのような実現
のやり方があるのか、そういったことを尐しお考えいただければと思います。
丁度、みなさんの質問の整理がついたようです。松下さんは最初のパネリストとして発表されました
ので、質問の口火をきるような形でお尋ねいただければと思います。よろしくお願いします。
(松下)
はいそうですね、一つはパライルさんが言われた知識、技術を共有して、先進国も途上国も両方とも
豊かな社会が築けるかというテーマです。それでフロアからの質問を尐し先取りしてしまうと、そこに
出てくる問題として、知的所有権という問題があります。新しい技術なり知識なりを開発するためには、
企業であれば研究投資をしますし、研究者は時間をかけて努力をする、といった研究に対するインセン
ティブや投資に対する報酬ということが保障されないと、新しい研究や技術の開発が進まない、とそう
いった議論があります。
このような議論があって現在の社会では一定の知的所有権に対する保護だとか報酬とういものが確
立されているということが現状だと思います。しかし、環境に関する技術であるとかあるいは医療や保
健に関する技術はそれが一種の国際的な公共財である側面があるわけです。例えば、エイズに対する特
効薬であるとかマラリアの特効薬であるとか、そういったものの値段が非常に高いと多くの人が利用で
きない、そういったことに対してある程度の例外措置を設けるとかあるいは何らかの形で、公共的な資
金でそれを必要とする人に提供する仕組みを作るということが例えば医療の世界でなされているわけ
です。
そうするとそれと同じ様に、例えば、環境に関する技術、省エネルギー型の技術であるとか、あるい
は再生可能エネルギーであるとかそういったことに関する進んだ技術がもし開発されたとすれば、もち
ろんそういうことを開発した企業とか研究者には評価がされるべきであるし、報酬が支払われるべきで
あると思いますが、それを利用しようとする多くの人々に対してはできるだけ安価で入手しやすい形で
提供される仕組みを作る必要があると思います。そうするとそこには当然、何らかの資金的なメカニズ
ムが必要となってきましてそれは別途で検討する必要があります。
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実は色んな形で制度化されているものもありますし、検討されているものもあります。例えば国内で
考えられる方法としては環境に負荷を与える活動にたいして一定の税金をかける環境税や、国際的に言
うと、今議論されている国際連帯税という考え方があります。もともとはイエール大学のノーベル経済
学賞を受賞したジェームス・トービン教授が提唱した考え方で、例えば国際的な通貨取引に対して非常
に低い税金をかけることによって、本当に必要な資金の移動は妨げられなくて、投機的な資金に対して
は抑制的効果がかけられて結果的に国際景気変動を縮小しながらなおかつ公共的な資金を生み出す。
それから最近実際に導入されている例としてはフランスのシラク大統領時代に導入されたシラク税
という税金があります。これは国際的なフランスを経由する飛行機にを対象として乗客に対して、一定
の航空運賃に上乗せ課税をして、それを国際援助や人道支援に使うという仕組みです。これを国際的に
広げようという動きが、日本政府も検討プロセスに入っていますが、国際的に広がっています。
ですから、国際的に必要なグリーンな技術に対しては一定程度国際的に基金を作って、それによって
必要な国や地域に提供するという仕組みを考えることが必要かと考えます。これはパライルさんに対す
るコメントであります。それから佐野さんに対するコメントで、非常にわかりやすいお話で、幸福をど
のように考えたらよいのかということがある意味で枠組みが広がったと思いますが、一つ今日の議論で
出てきたことは幸福と GDP、GNP は必ずしも比例しない。ある一定のレベルまでは一人当たり所得が
増えると幸福度は上がるわけですが 1 万ドルとかを超えてしまうとほとんど比例関係はない、これはス
ウェーデンでもアメリカでも日本でも統計的に証明されています。
もう一つは、今度は GDP と気候変動の原因となる CO2 は一般的には GDP が増えると CO2 が増え
るという比例関係できたわけですが、最近では国によって違ってきていまして GDP が増えても CO2 が
減っている国が幾つか出てきました。具体的に言うと、スウェーデンやデンマーク、ドイツであります。
あるいは、アメリカでもカルフォルニア州では GDP は過去 10 年間で 40%くらい増えているのですが
CO2 は 10%減ったり 20%減ったりしています。
ところが、アメリカや日本は GDP が増えるとともに CO2 も増えている、特に日本では GDP の伸び
は小さいけれど CO2 はもっと増えている。そういったことになっていて、これはいろんな原因がある
と思いますが、一つはやはり国の政策的な違いによって起きてきているということが指摘できると思い
ます。それから、もう一つ佐野さんの議論でケイパビリティアプローチと主観的幸福のアプローチがあ
りましたが、印象としていずれもやはり個人が幸福であるか、個人の状態が外形的な基準から見て満た
されているかどうかということで議論されているわけです。最後の方でもご指摘ありましたが、地域が
個々人に対してどのように教育、医療、人間の絆を作っていくか、そういったあたりが非常に重要だと
いう印象を受けました。
それから、窪田さんについては、日本だとまさに中国は人口が増えて経済成長をして大変だ、日本に
も色々影響がきて、世界の環境問題の鍵、原因という考え方がある理由ですが、やはり中国も自らの問
題として取り組んでいる実態があるわけで、それを教えて頂きました。それから日本としてはこれから
どういった形で国境を越えた環境問題だとか、地球的な環境問題に対してどう取り組んでいくかを一緒
に考えていく非常に良い機会になったと思います。
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(阿部)
はい、ありがとうございましたパライルさんが技術と知識のサーキュレーション、あるいはその開放
性、みんなが使ったらどうだということをおっしゃいました。それに対して、パライルさんご自身がち
ょっと言いかけていたのですが知的財産権ということをここでまたおっしゃられていました。これを、
先ほど松下さんが指摘した上で、それを何とかしようという制度に関しても今、松下さんがかなり挙げ
られておりますがパライルさんの方でもう尐しお話があればぜひともお伺いしておきたいなと思いま
す。
(パライル)
阿部先生、ありがとうございます。財産の管理についての指摘を歓迎し、プラスのコメントをさせて
いただきます。オーストロムズ先生の研究が有名になる前に、私は大学院で先生の研究を何年か勉強し
たことがありました。コモンズの考え方、Garrett Hardin という先生をご存知でしょうか。この先生
は、有名な生物化学者なのですが、1960 年代に「コモンズの悲劇」という論文をかかれました。その
当時、公害であれ、過剰な消費であれ、グローバルな破壊を崩壊するためには劇的な措置が必要だと考
えられていました。
例えば、救助船があっても、救助船で救える数は限られています。全部救おうとすれば沈んでしまう
ということが言われていました。これに対しては、では我々はどうすれば共通の問題を解決できるのか、
という否定的な解釈を生んだのですが、ただ彼が言おうとしたことはコモンズ、つまり共有財産を民営
化し、その管理も民営化して、参入を制限することです。そして、私有財産として、バリアをしき、囲
い込む。つまり、限られた人しかその中に入れないようにします。自分たちでの、このコモンのマネー
ジメントは可能ではないということです。
しかし、オーストロムズ先生は共有財産をコミュニティーで管理をしていくことは可能であると言い
ました。外部からの干渉が地域社会にもたらされるということは、例えば、人々が入ってきて、あまり
よく考えもしないで、その資源を搾取してしまうことに繋がります。その中でも、先生が例に挙げてい
るのは、牧草地ですが、否定的なインセンティブで放牧をすることによる弊害は考えられます。ただ、
オーストロムズ先生はコミュニティーにおいて、自分で資源を管理できるのだということ、そしてそれ
が今、実際に行われていることを述べています。それが、先生の素晴らしい研究です。
ハーリングさんとは民営化に対して違う考え方を持っていました。世界では様々な民営化の措置が導
入されました。それによって悲劇が実際に起こったこともありました。例えば、水の管理を民営化した
場合などです。いずれにせよ、知識も同じようにこの共通の資源と同じように管理できるでしょうか。
松下先生がおっしゃったようにインセンティブを与えることが重要です。相手を信頼して、インセンテ
ィブを与えなければいけません。でなければ、発見をするインセンティブがないわけです。
例えば、産業界において研究開発に投資をします。科学技術においては公的な知識ですから、国も投
資を行います。産業界においては投資に対する見返りが期待されます。ある一定期間でないと独占など、
様々な問題が出てきますから、無制限に利用できる権利というような形であってはならないでしょう。
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しかし、それとはまた違ったインセンティブも必要になってくるのではないでしょうか。
松下先生も提案なさっておりましたが、トービン税というものがあります。ノーベル経済賞を受け取
ったトービン先生のトービン税ですが、通貨の何十億ドルに対して、税をかけるものです。同じような
アプローチを発明についても適用できるのではないでしょうか。全ての人に税金をかけて、その税収を
発明者に渡して、共通の基金をつくるというようなものです。ですから、このイノベーションのための
インセンティブというのもとても重要だと思います。これでお答えになっておりますか。
(阿部)
会場の方からもこの点に関しては質問が来ております。具体的にはではどうしたらよいのかと。知的
財産権というのも一方にある、その一方で知識と技術を共有化していく具体的な方策はどうなのだと、
そういった質問がいくつもきております。お答えになったのではないか、あるいはこれから努力をして
いかなければならないということがお分かりになったのではないかと思います。その他に質問をいくつ
かあげますと、企業益、国益をどのようなプロセスで乗り越えて、人類益、地球益を実現できるのでし
ょうか、そういったものもきておりました。まさにこれが課題です。制度的に我々がどのようにしてい
かなければならないのか、それが課題になっていきます。その上で、コモンズのことを話されたオスト
ロムさんの存在も大きくなると思います。
続きまして、松下さんから佐野さんへ質問というよりはコメントでしたが、よい生き方、あるいは幸
福というのが、個人に属するのか、それとも共同体、コミュニティ、そういった場合における幸福を考
えてはいけないのか、それが先ほど私が冒頭に佐野さんに質問しました、私だけがよければいいのか、
あるいは他の人がよい生き方をすることが私のよい生き方につながるのか、そういったことにもなって
くると思いますが、お考えをお示しいただければと思います。
(佐野)
ありがとうございました。大変難しい質問で、どのようにお答えしていいかというのを今ずっと考え
ていたのですけれども、2つ思いついたことがあるので、それについてお話をします。
1つは、実際にどうかということです。これも様々な研究があるので確定的というわけではないです
が、お金持ちと貧しい人の格差が大きい社会では、貧しい人の幸福度が低いのは誰でも予想がつくので
すが、実はお金持ちの人の幸福度もあまり高くないという議論があります。それは、実はその格差が大
きいということは、お金持ちにとってもあまりハッピーではない可能性があるのです。
それはただ、そういう研究があるということだけで、そこに本当にどれぐらい期待していいのかは分
かりませんが、実際人々はそれほど自分のことだけ考えている訳ではない可能性があります。ただ、と
はいえ先ほどの松下先生からのコメントとも関係するかもしれませんが、例えば、利他主義をどの程度
重視するかということだろうと思います。例えば、環境問題を考えるときに自分たちの地域の環境さえ
守られればよい、たとえば、美しい景観、美しい水、美しい空気、さらに緑が豊かで、自然も豊かであ
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る、ただ、実際その生活はどういう風に成り立っているかというと、別の場所で大量の廃棄物が出ると
か、あるいは、非常に大きなエネルギーを使っている、そういうことであれば、自分たちの住んでいる
地域だけが、環境の面から言っても素晴らしいし、本人たちも非常に幸せであるということではいけな
いわけです。
そして、そこの自分たち、あるいは自分あるいは自分たちだけではなく、外に対するイマジネーショ
ンであるとか、外の人に対する影響をどういう風に自分の中に織り込むかということは、もちろん非常
に重要なのですが、そこを、これからの環境政策を考える上で、その問題にどうしても取り組まなけれ
ばならないのかということ自体、非常に重要な課題だろうと思います。つまり、ここに揃っている人は
みな、これからもっと環境政策がよくなって、持続可能な発展が実現すればよいと考えているわけです
が、では、持続可能な発展が実現するためには、人々はもっと利他的にならなければならないのか、と
いうことです。
今以上に人々はもっと利他的にならないと、サステイナブルディベロップメントは実現しないという
ことであれば、ではどうやって人々の利他主義を強化するかという話になりますし、そうではなく、先
ほどの松下先生の環境政策統合でありますとか、パライル先生の科学技術の共有化でありますとか、そ
ういうことをすると、必ずしも人々は利他的にならなくとも、サステイナブルディベロップメントは実
現できるということであれば、そのような利他的な考えはなくてすむわけです。そこが非常に重要な論
点で、私の考えでは、難しいなとしか申し上げようがありませんが、そこは大きな重要な問題かなとい
うのが一応ここでのご返答になります。
(阿部)
ありがとうございました。他の方、コメントございますか。おそらく、今佐野さんがおっしゃったよ
うにまさに難しい問題を佐野さんだけに振ってしまっているのですが、環境問題というのはまさに利他
的な行動を喚起する1つの契機になりました。どういうことかというと、例えば我々が、最初に地球環
境問題、あるいはグローバルな環境に関する問題と呼んでいたのは、オゾン層の破壊でした。我々先進
国で使用したフロンガスはオゾン層を破壊して、地球の反対側の人の健康にまで影響を及ぼします。
この全く逆のこともありえます。例えば酸性雨がそうです。中国でのそういった工業活動の結果とし
ての酸性雨が我々の健康、あるいは植生まで影響を及ぼす。つまり、改めて、地球は1つなのだと、我々
の行動というのが他の人の健康、あるいはよりよき生活に影響し、それのまた逆のことがあるというこ
とで、改めて地球は1つであると認識させたのが地球環境問題です。
そういったところから、何か経済においては早い者勝ちで、どちらかが豊かになるといった競争の面
が強調されるかもしれませんが、環境というのはむしろ逆の方向のベクトルが働いている、そのような
感じがします。だからこそ、松下さんがおっしゃられた、環境、あるいはパライルさんも強調されてい
ます、環境と経済、これをきちっと統合させた政策、これを考えていくことがきわめて重要になってく
るのだろうと思っております。
31
では、話題を中国の方に移します。中国は我々の隣で、我々が思っているより実は制度がきちっと整
えられてきているのだということですが、一方で、窪田さんは実行力を伴わないのだと、2つの例を出
されました。比較的うまくいっている例と、表面的にしかうまくいかなかった例があるのだということ
をご紹介いただきました。その中で、ご本人も疑問符をつけて、話をされていましたが、こうやって中
国を見ていると経済的に豊かなところは環境問題に対する制度、政策とあわせて、実際の活動がうまく
いっているようです。そうなると、経済的に豊かにならないと、我々の分かりやすい例で言うと、衣食
足りて礼節を知るといったことになるのかとそういった疑問をご自身も出されていましたけど、このこ
とを尐し詳しく話をしていただけますか。その上で、この経済発展と環境負荷をどうやって経験するか
という、これはまたパネリストの方に一人ひとりお聞きしていこうかなと思います。それでは窪田さん、
よろしくお願いします。
(窪田)
このことは今回の発表を考えながら改めて気付かされた部分なわけですが、環境政策と経済統合とい
うときに、工業の部分というのは、商業もそうですけれども、うまく組み合わせれば利潤が上がりやす
いものについては、うまく工夫すればそれが回るというのは、既に示されています。実現可能性という
意味では非常に有効性が高いであろう思っています。
ところが、やはり日本でもそうですが、どこの国でもそうなのではないかと思いますが、農業とか、
そういう部分は必ずしも、それ自体が今、産業として、直ちに簡卖に利益を生み出しません。ですから、
なかなか経済的な統合というのが、一様にはなかなかうまくいかないという部分があります。そしてや
はり、特に今日、松下さんの議論を聞いていて改めて思うわけですが、私も申し上げました、参加型の
ガバナンス、市民社会に基づいた考え方、そういうある種西洋的な成熟した市民社会という考え方自体
が中国という国でできるのかというと、それは難しいということです。
特に農村というもので、そういうもの自体が成り立つ状況にあるかといわれると、なかなかそうでは
ないのではないかと思います。文化的なものが、近代化の中で破壊されるという言い方を私はしました
が、それを当事者たちが本当にそう思っているかどうかというのも怪しく、非常に複雑な部分もありま
す。したがって、ある意味では西洋的な市民社会なるものを基礎とした、調和的にボトムアップのガバ
ナンスが本当に働くのかどうか。そして、それが全て解決できるのかどうか。そういったあたりは、な
かなか実態としては難しいと思いました。ちょっとうまく回答になっているかわかりませんが、中国に
ついては常々、そういうことを考えさせられます。
(阿部)
ありがとうございました。私の方が意図したのは全然違うことだったのですが、非常に大事な視点を
提示されたと思います。松下さんが手を挙げておりますので、お願いします。
(松下)
今の中国の事例研究によると、経済的に成長している地域は、環境対策、あるいは環境ガバナンスも
比較的うまくいっているというご報告があったわけです。これは世界的に観ても歴史的な研究を見ると、
いわゆる環境グズネッツ曲線ということが提示されています。これは日本でも、途上国でもそうですが、
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ある経済の発展の段階で、最初に工業汚染、環境、産業公害が起こって、硫黄酸化物による汚染だと、
水質汚濁とかが起こったあと、ある程度一人当たりの GDP が増えた段階になってくると、それに対す
る対策が進んで、環境が改善されるという事例が報告されています。これは比較的広く見られているわ
けです。しかし、これが全ての問題に当てはまるかというとそうではなく、工業的な活動に起因する汚
染、それから、ローカル、大気汚染とか水質汚濁とか、それは経済発展の過程で生まれた利益によって、
その利益の一部を環境対策にまわすといった仕組みができることによって、対策が進んでいるわけです。
ところが、今言われた、農業から起こってくる問題や、あるいは、グローバルな問題で、温暖化、CO2
などであると、必ずしも、一人当たりの GDP が増えれば、対策が進むということになっていないとい
った問題があると思います。それから、中国の参加型ガバナンスですが、やはり、1番欠けている部分
は言論の自由や報道の自由、そういったマスメディアによる正確な報道などが私の知る限りでは、かな
り不十分ではないかという風に思います。
(阿部)
ありがとうございました。今、松下さんの方から、環境グズネッツ曲線ということで、経済発展する
と解決の方向に行くのは一部の公害型の環境問題であり、確かに豊かになれば、技術投資もできるよう
になり、インフラも進んでということになるのですが、もう尐しグローバルな環境問題に対しては必ず
しも当てはまらないのだというご指摘がありました。また、市民社会についても、窪田さんのお話は中
国では、括弧つきで、市民社会というのがまだまだ不十分なんだと、そこに問題があるのだとご指摘も
ありました。一方で、いただいた質問の中にも、確かに先進国ではそういった民主主義的な環境政策、
環境統合政策に向かって、ボトムアップでやる風土、コミュニティーがあるが歴史的にもあるのですが、
果たして日本ではどうなのであろうというものもありました。
ここで市民社会の話を、具体的に我々が何をやっていかなければいけないのか、そういった話に移ら
してもらいます。最初はどなたからでも発言いただければいいのですが、窪田さんどうですか。中国と
日本、どちらもご研究されていて、特に中国の今後のことも考えながら、西洋型の市民社会といいまし
たけれども、もしかしたら、違うモデルもあり得るかもしれないということ、そういったこともあるか
と思います。お考えをお聞かせください。
(窪田)
今実は中国には、要するに西洋型の民主主義を前提とした成長ではなくて、賢く適切な指導が上から
働くことによって市場を調整して成長するという中国モデルがあり、これが持続的な成長を促している
のだという、極めて中国肯定的な意見ですけれども、これが出つつあります。私は、それが中国の歴史
的にずっとたどってきた道でもあるような気がしますし、中国という社会の中で、巨大な社会の中で、
ボトムアップの民主主義が本当に成立するのか、そのまえに壊れてしまうのではないかと思ったりもす
る訳です。公益というところに括弧をつけて出したものと関わるのですけれども、誰のための幸せを目
指すのか。やはり、国としての幸せを目指すということが国家としての正しい姿では必ずしもないだろ
う。人それぞれのところから積み上がる必要がある。そのために必要な手続きがやはり大事ではないか
というふうに私自身は思います。
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松下さんのご指摘の通り、言論の自由の問題というのはかなりございます。今日私が申し上げたよう
なことも中国で率直に申し上げるとちょっと差し障りが出たりするような部分もあります。参加型ガバ
ナンス自体、私が大塚さんと話をしたときに「よくやりましたね」というふうに私は一言言ったのです
けれども、反社会主義・反政府的というふうにとられかねない部分でもあるというのも事実です。しか
しながら中国という国といえども、今やはり下からの声を取り入れてやらない限りはやっていけないと
いうは事実です。それは共産党の指導部も強く感じているのではないかと思います。ただ、おそらく一
気に民主的にするということはせずに、尐しずついろんなところを開放していくというやり方をおそら
く中国はとるだろうと私自身は思っています。ですからそれは時間のかかることだと思いますし、すぐ
に解決することではないだろうと。しかしやはり、改めて繰り返しでちょっと歯切れの悪い発言で申し
訳ありませんが、トップダウン型に比べて効率は悪いんですが、ボトムアップで意見の調整なり合意を
とるということがやはり一番大事なことではないだろうかと私自身は思っております。
(阿部)
はい。これもまた難しい質問だったのですがありがとうございました。、パライルさん please。
(パライル)
ありがとうございます。二つの課題についてお話したいと思います。佐野さんのお話、そして窪田先
生のお話に関してでありますけれども、幸せと能力の結びつきのアプローチについては賛成です。特に
アマルティア・センの功績、資源があってもその資源を享受する能力がなければ資源を持っていても仕
方がないという考え方であります。ですから資源があってそして能力もなければいけないということで
あります。さもなければ幸福度というものを測ることはできないということであります。
一方で幸福というのは主観的なものであります。ユニバーサルな要因として我々が使うものがありま
す。善は何であるかだとか、自然についてどのような好意的な気持ちを持つことができるかとか、社会
に住む、コミュニティに住むことの好意的な感情ということというのがあるわけでありますけれども、
何かやはり幸福度というものを測ることのできる尺度というものを見出す必要があると思うし、それは
可能だと思います。
もう一つ、理解できなかったことですけれども、宗教的な人のほうが幸福になり得る、宗教を持たな
い人のほうが幸福になる確率が低いというようなお話がありましたけれども、そういったことも言える
のかもしれませんけれども、その幸福の基本は何なのか、ベースは何なのかということであります。啓
蒙なのか知識的に自然の仕組みを理解するということなのか、もし幸福というものが間違った知識をベ
ースにしたものであるならば、そしてその幸福度が社会の中の他者に危害を与えるものなのであれば、
それに対して挑戦しなければなりません。だから科学の重要性ということを私は強調している訳であり
ます。危害、害というものが起こり得る訳であります。ある宗教的なことを信ずるが故に文化的な差異
を生み、そして信望するものの差異というものを生み、そして社会に、他者に危害を与えるということ
があり得ると思う訳であります。従いまして、宗教との幸福観との関係については尐し疑問があります。
そして窪田さんの中国と市民社会についてのお話ですけれども、市民社会あるいは民主主義というの
は特定の社会においてはうまくいくけれども、他者はそれを待たなければいけないというような考え方
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はよくないと思います。私たちの国でも、ユニバーサルな、普遍的な価値観というものがあると思いま
す。言論の自由ですとか考え方の自由には普遍性があると思います。それに対しての例外となる国は無
いと思います。従いまして中国においてもやはり中国国民は言論の自由を与えられるべきでありますし、
そしてその信じることの自由を与えられるべきであると思います。
このように長い歴史をもつ社会でありますから、人々は愚かではないと思います。その大きな社会に
ついて考えないというような国民ではないと思います。制度的に規制があるのだと思います。何らかの
行動がとられていてそれを阻んでいるのかもしれません。従いまして、どの地域におきましてもその民
主主義でなくても自由は与えられると思います。
(阿部)
このまま聞きたいなという感じもしますけれども、もう尐し時間もありますし、佐野さん、今のパラ
イルさんのコメントに対してどうですか。そして窪田さんももしもあればコメントをまたお願いします。
(佐野)
はい。ありがとうございました。パライルさんのコメントに対するご返答をする前に、先程エコロジ
カル・シチズンシップであるとか、市民社会の話が出ましたので、それにも尐し触れたいのですけれど
も、時間がないのですみません。エコロジカル・シチズンシップという言い方をするかどうかは別とし
て、先程申し上げたことの繰り返しになるかもしれないのですけれども、市民社会そのものを支える市
民の徳、virtue と英語では言いますが、市民の徳のようなものが必要かどうかということもさっきの話
とまた同じような話の繰り返しですけれども、そういうものが必要かどうかというのは非常に重要な問
題になるだろうと思います。
民主主義の社会をきちんと健全なものとして支えるというのは結構大変なことですし、エネルギーも
要りますし、手間もかかりますし、面倒ですね、時間もかかりますし。それに耐えるだけの人々の意識
や公共心が無ければ市民社会にしろ民主主義にしろ健全に機能しないとすれば、さっきの利他主義の話
と同じようなことになりますが、ではそういうものをどうやって育成するかということになるのではな
いかと思います。逆に、そういうものがないところで民主主義を導入することの危険というのは当然あ
って、そこをどう考えるかというのが先程の中国の話との関係であるのかなあと思いました。
それから今パライルさんに指摘していただいたことで、一つは尺度の問題です。尺度の問題はもちろ
ん非常に重要で、測らないより測るべきだと私も思います。ただ、何を測っているかというのは実は非
常に難しい問題です。実は、当たり前ですが、たとえば今皆さんが幸福ですかと訊かれてどういうふう
に答えるかというのは人によって全く違うものを思い浮かべて答えている可能性があります。周りの人
から見ると気の毒な状態で、本人も非常につらいと思っているけれども、自分の人生はまあまあ良い人
生だったというふうに思って「私は幸せだ」というふうに答える人もいれば、毎日楽しくて仕方がない、
だから「私は幸福だ」というふうに答える人もいて、それらをアンケート調査だと同じように扱ってし
まうので、そのこと自体がどうなのかという問題があります。ただ、そうは言っても、全く測らないよ
りは測るべきですし、測ることによって何らかのことが分かり、それが政策立案にとって重要な基礎情
報になるということは当然そうだろうと思います。
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これは幸福研究の中でも議論されているのですけれども、たとえば IQ というものがあります。IQ と
いうものは何を測っているのかという議論があり、知的能力を一応測っていると言っているのですけれ
ども、IQ テストで測っている何か、なんですね。あれで本当に知能が測れているかというのは本当の
ところ言うとよく分からなくて、IQ テストはたぶん多くの方が受けられたと思いますが、クイズみた
いなものに答えたりとか図形の向こう側に何があるかというのを答えたりする訳ですが、それで本当に
知能が測れているのかという問題があります。ただ、では IQ テストに意味がないかというとそれなり
に意味がある訳です。同じように幸福についてアンケートで測るというのは、もちろん歪みもあります
し、文化的な偏りもありますし、問題は多いのですが、パライルさんの言われる通り、私も測るべきだ
と考えます。
それからもう一つ。幸福にも良い幸福と悪い幸福があるのではないかということだったと思います。
それも私も賛成です。今日の報告の一つのポイントはそういうことだったということです。以上です。
(阿部)
はい。まだまだ話足りないことがありそうですけれど、もう時間のほうが実は来てしまいます。最後
に松下さんが手を上げておりますので、そうしたらどうしましょうね。まずパライルさんから one
minute only your message、1 分で、そして窪田さん佐野さんそして松下さんというこの順番で 1 分。
本当に短くて申し訳ないですけれども、メッセージをいただければと思います。
(パライル)
ありがとうございます。私が申し上げなければいけないのは、私の知識を共有できたということを非
常に嬉しく思います。
(窪田)
中国だけ見てやっている訳ではないのですけれども、改めてさまざまな考え方を教えていただきまし
て本当にありがとうございました。特にガバナンスの目的は、その公益、社会の豊かさにあるのですけ
れども、そこをどう考えていったらいいのかということについて今日は大変示唆的な意見をいただきま
した。どうも本当にありがとうございました。
(阿部)
はい、佐野さん。
(佐野)
ありがとうございました。本当はフロアからのご質問も二つあってお答えしたかったのですが、もう
時間もありませんので、もしお時間があればこの後に直接お尋ねして下さい。今日の私の話は非常に抽
象的で漠然とした話で、本来私は政治学者でありまして、どちらかと言うと窪田さんが話をされたよう
な環境ガバナンスとか民主主義とかそういうことのほうが近い話なのですが、今日はこういう話をさせ
ていただきました。パライル先生、それからお二人の報告者も私の報告に refer していただいて非常に
感謝しております。どうもありがとうございました。今後も議論を続けられればと思っております。
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(阿部)
はい、そしたら松下さん。
(松下)
はい。どうもありがとうございます。他のパネリストが時間を節約してくれたので尐し補足したいと
思います。二つありまして、一つは先程佐野さんが言われた、持続可能な社会をつくるために市民の徳
が必要かどうか、環境意識が高い市民が必要かどうかという議論です。私は自分の発表でドイツの例を
良い例として紹介していた訳ですが、私は必ずしもドイツの人たち個々の市民が日本の個々の人よりも
環境意識が高いとは全く思っていません。どうして違ってきたかと言うと、社会の仕組みが過去 10 年
から 20 年かけてどんどん変わってしまったのですね。
たとえば環境やエネルギーを使うとそれに対して税金がたくさんかかるとか、自分の家の屋根に再生
可能なエネルギーを導入する装置を付けると経済的メリットがあるとか、あるいは自転車を使うことが
非常に便利で安全だとか、そういう社会の仕組みを作っていって環境に良いことをする人が便利だった
り利益があったりという意識をつくってきたのですね。そういう政策的な努力があって変わってきた訳
ですから、これはニワトリが先か卵が先かという話になりますが、社会の仕組みと人々の意識がいわば
両輪になって進んでいくべきものだというふうに思います。それが一つです。
それからもう一つは、フロアから質問があった中で一つ気になったのが、鳩山前首相が 2020 年の温
室効果ガス削減 25%目標を掲げたときのことです。質問された方によると、それを実施すると日本人の
一人当たりの所得は 50%下がるという報告を読んだというふうに言われています。私は読んでいないの
で直接コメントできません。ただ私自身は実は環境庁が出来た翌年(1972 年)から環境庁(省)で長
く働いてきました。その経験を振り返るとこのような議論は環境対策をやろうとすると毎回出てきます。
たとえば自動車排気ガス規制をやろうとしたときには、日本の自動車産業は崩壊してしまう、との反対
キャンペーンが展開されました。あるいは大気汚染対策をすると、日本の工業が破壊され崩壊しますと
言われました。その根拠として色々な経済モデルによる計算が使われてきましたが、だいたい結果は逆
になってきています。
1070 年代末に、当時世界でも最も厳しいと言われた自動車排気ガス規制を導入したことによって、
日本の自動車産業は燃費を効率化させる技術を開発して結果として世界的にも目覚ましい発展をとげ
ました。また現在のドイツやスウェーデンの例を見ても、環境対策をやることによって新しい雇用が生
まれて産業が生まれてきています。もちろんいろんなシミュレーションがあります。政府のシミュレー
ションによると、25%対策をやってもそれによって結果として雇用は増え経済成長にマイナスの影響は
出ないとなっています。それに対する異論もあります。今後きちんとしたデータに基づいてオープンな
議論をすることが大事だと思います。
(阿部)
パライルさん、you have one more message, OK.
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(パライル)
時間を超えたということは分かるのですが、一つ指摘したいことがあります。国連事務総長のグロー
バルな持続可能なハイレベルパネルでありますが、鳩山元首相もこのパネルのメンバーでしたというこ
とをちょっと指摘したかっただけです。すみません。以上です。
(阿部)
パライルさん、そして三人のパネリストの方の話を聞いて、私自身もちょっといろいろ言いたいこと
がありますが、何といっても時間がありません。私が言わなければいけないのは、せっかく質問をいた
だいていたにもかかわらず全部紹介できませんでした。いくつかはご紹介したし質疑応答の中で答えも
出てきたと思います。これは松下先生にお渡しして、明日の国際シンポの中でもおそらく使えるような
ものがあると思いますのでそこでまた議論していただこうということにします。
それから、佐野さんの話の中にありましたけれども、資本主義的な発展に関する批判というのは古く
からある。実はブータンの国王が国民幸福を提唱しましたのは 1976 年だったと思います。そんな昔に
それを言われて、確かにずっと前から言われているにもかかわらず今日現在再びそれが注目を浴びてい
るというのはおそらくこの時代にいろいろ真剣に考えなければいけないものがもっと多くなったんだ
ろうなと思います。その中の一つにおそらく環境というのが必ず入ってくるのだろうと思います。それ
をまた引き続き議論できればと思います。
実は京都議定書というのは環境問題においてよく知られた議定書でありますが、これが名前は無くな
るかもしれませんが、我々京都市民として京都府民として地道な活動を続けながら、それを環境政策と
結びつけていくというような、まさに民主主義的なプロセスを大事にしていってより良きものを目指す
といった活動を、一朝一夕にはできませんので、引き続きやっていきたいなと、そのように思いました。
本日は本当に長い間お聞きいただきありがとうございました。基調報告されたパライルさん、そして
三人のパネリストの方、本当に貴重なお話ありがとうございました。どうも本当にありがとうございま
した。
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