環境改善技術の導入による競争条件の変化に関する理論的分析 ―ピグー税と排出権取引の比較― 藤岡明房(立正大学) 1. はじめに 公害や環境破壊のような現象は経済学的には「外部不経済効果」とみなすことができる.外部不経済効果は価 格が付けられていないため,市場機構では解決できない問題である.そのため市場の失敗として扱われる.外部 不経済効果を解決するためには,経済学的には課税や課徴金のような手段が用いられる.法的には規制的手段が 用いられ,倫理的には説得という手段が用いられる.しかしながら,政府を登場させないで民間だけで解決する 手段もある.それが「コースの定理」と呼ばれる手段である.コースの定理では,外部不経済効果を発生させて いる企業と被害を受けている住民とが直接当事者間交渉によって解決を図ることになる.このコースの定理の延 長上に位置づけられるのが「排出権取引」である.排出権取引とは,政府が従来の手段だけでは効率的な資源配 分が達成できないとき,従来の手段を補う形で新に設けられる手段である.排出権取引が認められるならば,あ る資源配分の状況が与えられたとき,当事者間交渉によってより良い状態が達成される可能性がでてくる.そこ で,はじめに排出権取引に関する理論的検討を行うことにする. 本報告では,企業が発生させた外部不経済効果により環境が悪化しているとき,政府が社会的な厚生を最大化 する目的でピグー税を賦課しているという状況を想定する.これによって資源配分の最適化が実現できるが,こ れはあくまでも第一段階の問題である.課税によって生産量が減少し,利益が削減された企業は,利益を回復さ せるために設備投資や新しい技術を導入するであろう.これが第二段階の調整である.ここでもし排出権取引が 認められており,当事者間交渉が行われるならば,経済的な資源配分状況がさらに改善されるであろうか?これ が第三段階の問題である. 本論文では,第二段階と第三段階について詳しく検討し,技術進歩が行われるとき,排出権取引が認められて いるならばどのような調整が行われるのかについて明らかにする. 2. 排出権取引 2-1.排出権取引とは何か 排出権取引(emissions trading)とは,外部不経済効果をもたらす特定の環境負荷物質に関し,国や国際機関 によって排出量が排出枠(キャップ)としてあらかじめ割当てられたとき,実際の排出量がその排出枠より小さ かった場合,排出枠を下回った分を取引(トレード)できる制度のことを指す.キャップ・アンド・トレードと も呼ばれる.取引量制度については,ピグー税としての炭素税のような別の制度と併設されることもある. このような排出権取引のアイデアはハンレー・ショグレン・ホワイト[2]によれば Crocker(1966)と Dales (1968)によるものである. 2-2.排出権取引の前提 排出権取引が行われるための前提として,企業間に差がなければならない.差がなければ排出権取引を行う誘 因が存在しないからである. 今回は外部不経済効果の内部化を問題にしているので,外部不経済効果によってもたらされる住民に与える損 害額が異なっているものとする.また,外部不経済効果を発生させる企業の生産のための費用構造が異なってい るものとする.そこで,生産のための費用構造は同じであるが損害額が異なるケース(異なる損害額)と損害額 は同じであるが費用構造が異なるケース(異なる生産費用) ,そして損害額が異なり,生産のための費用構造も異 なるケース(異なる損害額,異なる生産費用)の3つのケースを取り上げ,それらにおける排出権取引を調べて みる. 2-3.生産のための費用構造は同じであるが損害額が異なるケース はじめに,生産のための費用構造は同じであるが住民に与える損害額が異なるケース(異なる損害額)を取り 上げる.それを示したのが図1である. 図1.限界損害関数が異なるケース 図1で MAC は限界削減費用,MDC は限 MACa+b 界損害費用を表す.aは企業aを,bは MDCb MDCa 企業bを表す.taは企業aが個別市場で MDCa+b 賦課される最適課税で,tbは企業bが個 別市場で賦課される最適課税である.E tb * t ta は市場均衡点である.t*は市場で決まる E 最適課税である. MACa=MACb 0 x2 x1 2x2 2x1 図1では企業aの限界損害額 MDCaは企業bの限界損害額 MDCbよりも小さくなっている.社会全体の限界 損害額は MDCa+bであり,市場均衡は点 E である. 図1のケースでは,外部不経済効果としての損害額を内部化するために企業aと企業bに共通の課税率tが環 境税として賦課されるならば,最適税率は限界損害関数 MDCa+bと限界削減費用 MACa+bとが交わる点 E を実 現する税額t*である.この時排出権取引が認められているならば,企業aは税率t*に等しい額で排出権を売る であろう.そして,企業aは限界削減費用が税率t*に等しくなるまで生産量を削減する.その結果,企業aは 排出権販売の収入のほうが排出量削減の費用の増加額より多くなる.逆に,企業bは排出権を購入し生産量を増 加させたならば,購入費用よりも限界削減費用の削減額のほうが多くなる.したがって,排出権取引によって企 業aも企業bも利益を得ることになるので,排出権取引は行われることになる. 2-4.生産のための費用構造は異なるが損害額が同じケース 次に,住民に与える損害額は同じであるが,供給曲線が異なるケースを取り上げる.それが図2である.供給 曲線が異なるので限界削減費用 MAC が企業aと企業bとで異なる. 限界削減費用=需要-供給 =需要-私的限界費用 (3)は2本の限界削減費用に限界損害費用を追加した図である.ここで,企業aと企業bの限界損害費用は同 じである.もし個別に環境税の税率が設定されたならば,企業aの税率はtaになり,企業 b の環境税の税率は (4)は,市場での限界削減費用と限界損害額が示されている.両者が一致するときの共通の税率が tbになる. t*である. 図2.供給が異なるケース (1)需要と供給 A 需要 (3)限界損害費用と限界削減費用 A MACb 供給b MDC 供給 a ta MACa tb 0 0 (2)限界削減費用 MACb x1b x1a (4)共通課税率 MACb A A MACa MDC 2MDC ta t* tb MAC a 0 x1b x1a 0 x1b x1a MACa+b x1b+x1a この図2のケースでは排出権取引が行われるであろうか?共通の税率がt*なので,企業aは生産を削減し排 出権を販売したならば,限界削減費用の増加額のほうが販売収入より大きくなるので損をする.反対に,企業a は生産を増加させその分の排出権を購入したならば,限界削減費用の減少額より購入のための支払い額のほうが 多くなるので損をする.これは企業bについても同じである.したがって,図2のケースでは排出権取引は行わ れない.なお,ケース(異なる損害額,異なる生産費用)はスペースの関係で省略する. 3. 企業の設備投資と技術進歩 3-1.副産物としての外部不経済効果 企業は,生産物として主産物(main-product )と副産物(by-product )を結合生産(joint product )して いる場合,比率が一定なら,副産物の生産は,e=αxと定式化できる.ここで,e=副産物,ⅹ=主産物, α =固定係数,である. 主産物を生産すれば,副産物は追加的費用なしに生産できるものとする.企業は,主産物と副産物を生産し, 主産物を市場に供給することによって収入を得ている.主産物の価格をpとすると,収入RはR=pxとなる. 生産のための費用は,主産物についてのみ生じる.主産物の生産に対し費用は逓増的に増加するものとする. 企業から排出された副産物eは外部不経済効果Zをもたらす.その外部不経済効果は副産物の関数である損害 関数Z(e)として定式化できる.この損害関数は,副産物に関する逓増型の関数とする.したがって,次のよ うな性質を持つことになる.dZ/de=Z′>0,d2Z/(de)2=Z″≧0,Z(0)=0. 副産物の損害関数を示したものが,図3の第3象限である.この損害関数から限界損害関数を導き出したもの が,図3の第2象限である.限界損害関数を第1象限で示す場合,主産物の生産量xに依存するように変換する 必要がある.そのために,損害関数を主産物の量xで微分してみると,dZ/dx=(dZ/de) ・ (de/d x)=αZ′となる.したがって,外部不経済効果としての限界損害額はαZ′であり,私的限界費用に限界損 害額を加えたものが社会的限界費用になる. 3-2.限界削減費用関数の導出 需要関数と供給関数(=私的限界費用関数)から限界削減費用を導き出し,限界損害費用(=限界外部費用関 数)と交わった点を求めると,その点が社会的余剰を最大化する点になる.それが図3の点Fである.この点を 実現するためにt*の税率の環境税が賦課される. 限界削減費用は,需要から私的限界費用を引いたものである.すなわち,限界削減費用=需要-私的限界費用 =限界死重損失である.このことは重要である.限界削減費用とは限界死重損失のことであり,副産物から発生 する損害額を減少させるために主産物の生産量を削減することによってもたらされたものである.しかし,死重 損失が費用になるというのは通常の費用の概念と異なっている.この場合の費用の概念は,市場がゆがめられた ことによって生じた効率性の低下のことである.すなわち,住民に与える限界損害額を減らすために,主産物の 生産を減らすことによって発生した資源配分上のゆがみを費用と呼んでいるのである. この限界削減費用を示したのが図3の第1象限である.限界損害曲線と限界削減費用曲線が交わった点Fが社 会的最適点である.この点を実現する課税率はt*(=Fx2)になる. 3-3.エンド・オブ・パイプ型の技術 ,Z′ エンド・オブ・パイプ型の技術を導入した場合の損害関数をZ*(e)と表すと,Z(e)>Z*(e) (e)>Z*′(e)となるものとする . なお,Z*は,dZ*/de=Z*′>0,d2Z*/(de)2=Z*″ ≧0となる. 図3.限界損害関数 A Z´(e) 限界損害費用 t* αZ´ F 限界削減費用 e Z(e) E e1 45° 0 α x2 x1 x e1 Z(e) e e=αx 企業は汚染物質の排出量を削減するために煙突にフィルターを付けるなどのエンド・オブ・パイプ型の技術を 導入すると,図4の第3象限の損害関数は下に移動することになる.その結果,第2象限の限界損害関数も下に 移動する.そのことを反映して第1象限の限界損害費用も下に移動する.ただし,フィルターの費用は固定費用 とすると,限界費用関数に基づく供給関数は変わらない.したがって,限界削減費用は変化しない. エンド・オブ・パイプ型技術を導入する前の限界損害曲線αZ'と導入した後の限界損害曲線αZ*'とを用い て表したのが図4の第1象限である.新しい技術を導入したことによって社会的余剰は△A0Fから△A0Gに 増加したので,社会的余剰の純増は△F0Gになる.このとき,課税額はFx2からGx3に減少する. 図4.損害を削減する技術 A 限界削減費用 限界損害費用(前)αZ' Z´(e) 限界損害費用(後) C Z*´(e) e e3 D G H I e2 Z αZ*' F 0 x2 x3 E x1 ⅹ, e2 Z(e) e3 Z*(e) e 4. 排出権取引の役割 4-1.エンド・オブ・パイプ型技術進歩の有り無し 企業 a はエンド・オブ・パイプ型の技術を導入したのに対し,企業bはその技術を導入せず古いタイプの技術 を利用している場合,限界損害費用の形は異なってくる.この時図1の限界損害費用が異なるケースと同じ状況 になる.したがって,エンド・オブ・パイプ型技術を導入した企業 a とその技術を導入しなかった企業bは,政 府によってそれぞれの限界削減費用と限損害費用とに基づいて共通のピグー税が賦課されることになる.排出権 取引が認められている場合,企業 a は排出権を販売して生産量を減少させると得られた販売収入のほうが生産量 を削減したことによる限界削減費用の増加額より大きくなる.逆に,企業bは排出権を購入することによって生 産量を増加させるならば,排出権購入のための支払額よりも生産の増加による限界削減費用の減少額のほうが多 いので利益を得られる.したがって,共通のピグー税が賦課されているとき,排出権取引が行われることによっ て,企業 a も企業bも利益を増加させることができることになる. 4-2.生産工程変更型技術の導入と限界損害費用の変更 企業 a が生産工程変更型の技術を導入したならば,住民に与える限界損害額は削減されるが,限界生産費用が 増加するので限界削減費用は内側に移動する.ここで,生産工程変更型の技術を導入した企業 a と導入しなかっ た企業bに対し,政府は限界損害額を調整するために共通のピグー税を賦課するものとする.その最適税率はt * になる.排出権取引が認められている場合,企業 a と企業bとの間で排出権が取引されるケースと取引されな いケースとに分かれる.図5の状況の時には,tb>t*>taとなるので,企業 a と企業bは排出権の取引を行 う.しかし,tb<t*<taとなるときは,企業 a と企業bは排出権の取引を行わない. 図5.限界削減費用と限界損害費用 A MDCb MDCa tb t* MDCa+b a t MACa 0 x1b x1a MACb x3* MACa+b 生産量 まとめ 企業間に生産のための費用構造に差があるか,企業が発生させる損害に差がある場合,外部不経済効果の内部 化のための共通の課税率t*が設定される場合,排出権取引が認められるときでも,排出権取引が行われる場合 と行われない場合があることが明らかになった.技術革新のタイプによっても排出権取引が行われるかそうでな いかが決まることも明らかになった. 参考文献 1.S. Baumgärtner, Ambivalent Joint Production and the Natural Environment, A Springer-Verlag Company. 2000. 2.N. Hanley, J. F. Shogren, and B.White, Environmental Economics in Theory and Practice, Macmillan Press, 1997 ( (財)政策科学研究所環境経済学研究会訳 , 『環境経済学―理論と実践―』勁草書房,2005 年) 3.藤岡明房 「技術の導入による外部不経済効果の削減と社会厚生の変化」 ,立正大学経済学季報,第60巻第 3・4号,2011.
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