クリフトン吊り橋

ビクトリア時代の技術者:ブルネル父子
(第 3 報 クリフトン吊り橋)
Victorian Engineers: I K Brunel and his father
(Part Ⅲ,
正
佐
Clifton Suspension Bridge)
藤
建
吉
(千葉大)
Kenkichi SATO, Chiba University, 1-33 Yayoi-cho, Inage-ku, Chiba
In this report the Clifton Suspension Bridge, designed by Isambard Kingdom Brunel, has been introduced. The
bridge is across the Avon Gorge at Bristol, U.K. He submitted four designs for bridges at four sites along the
gorge to the bridge design competition in 1830, and one of them was selected. In 1836 the foundation stones
were laid but serious financial problems had occurred. Unfortunately, Brunel died in 1859. In 1860 the
construction had been undertaken again for completing a monument to Brunel and removing a slur upon the
Engineering talent of U.K. The bridge had been constructed using ironworks of other suspension bridge,
designed by Brunel, and opened in 1864. The bridge has been utilized safely up to the present.
Key Words : History of engineering, Bridge, Clifton suspension bridge, I K Brunel, Engineering
1
緒言
既報 1、2)において、イギリスのビクトリア女王の時代に活
躍したエンジニア、父 Sir Marc Isambard(1769 年〜1849
年)と子 Isambard Kingdom Brunel(1806 年〜1859 年)
の人となり、足跡、さらに大事業のテムズ河の川底トンネル
を取り上げ、機械エンジニアの台頭、時代背景・技術開発の
状況等について述べた。本報 3)では、子 Isambard が実力を
遺憾なく発揮したブリストルの Clifton Suspension Bridge
に焦点を置き述べる。
2
Isambard Kingdom Brunel の略歴
Isambard Kingdom Brunel は、1806 年 4 月 9 日にイギ
リスのポーツマスに生まれ、幼年にして図学と数学に才能を
示した。フランスのカレッジで数学を学び、1822 年にロンド
ンに帰国し、父の事務所で働いた。テムズトンネル建設に参
画し、1826 年には主任エンジニアとなったが、トンネル内で
の出水事故で重傷を負い、ブリストルで療養した。1830 年、
Clifton 吊橋の設計コンペに優勝し、その名声により 26 歳の
とき、設立された Great Western 鉄道のエンジニアとなった。
彼はアイルランド、イタリアなどで 1200 マイル以上の鉄道
を建設し、また駅舎、鉄道橋などを設計した。さらに大型船
Great Western, Great Britain, Great Eastern を設計し、
Victoria 時代の偉大なエンジニアと称された。1859 年 9 月
15 日に他界した。
Clifton Suspension Bridge の概要と背景
Clifton 吊り橋(図 1)は、ブリストル市の西部を流れる Avon
川の河口付近にあり、高さ 70m を超える峡谷をつないでいる
(図 2)。 Avon 川の東側・Clifton と西側・Leigh Woods に
はブリストルの富裕階級が住んでいたので、何らかの橋が望
まれていた。当時、産業革命により鉄鋼の技術の展開もあり、
Iron Bridge が Severn 川に製鉄業の Derby の設計で、1777
年に着手し 1781 年に開通した。これは、鋳鉄製のアーチ橋
である。英国の初代土木学会会長の Telford も、1819 年から
1826 年に吊橋を設計・建設している。
3
Fig.1 The Clifton Bridge across the Avon Gorge.
Fig.2
A view of the River Avon from the bridge.
Fig.3
A view of the bridge from the near river bank.
ブリストルのワイン商だった William Vick は商業組合に、
遺産のうち 1,000 ポンドを元金にして、複利で貯蓄し 10,000
ポンドになったら橋を造るようにとの遺言を 1753 年に残し
た。彼の死後 75 年が経ち、橋を造る技術と資金 8,000 ポンド
が形成されたので、委員会が組織され吊り橋の設計のコンペ
が行われることになった。
Brunel は若干 24 歳であったが、このコンペにスパンが
760ft(232m)から 900ft(274m)までの 4 つの設計案を提出
した。全部で 22 の設計案が提出されたが、委員長を務めた権
威者 Telford は全部が不適当とした。Telford は、Brunel の
案は芸術的でよいのだが、自分が考える最大スパンの 600ft
(183m)をはるかに超えており、不適当と判断した。 そこで、
委員会は Telford 自身に設計案を出すように依頼した。提出
された Telford の案は、川の土手からゴシック調の柱を建て
てスパンを短くしたもので、基本的には Brunel の案に酷似
していた。しかも建設費が 52,000 ポンドと高価であった。そ
こで、委員会はもう一度コンペをやり直すことにした。
2 度目のコンペでは 12 の案が提出されたが、Brunel、
Telford、Rendle、Hawk、それに Brown の 5 つ案が選考の
対象にされた。そのうち、Brunel と Telford の2案が最終選
考に残った。Brunel の案は、全体のスパンが 704ft(215m)
で、吊り橋の部分は 630ft(192m)であった。 Telford の案は
第 1 回目と同じであったので、結局、Brunel の案が選ばれた
のだった。
Clifton Suspension Bridge の工事と技術
1831 年に起工式が取り行なわれた。基礎石の据付けは
1836 年 8 月に多くの観衆の中で盛大に行われた。しかし、す
ぐに資金不足に陥り、工事は 1837 年までゆっくりと行われ
たが、1843 年には両岸の橋台が完成した。その後、鉄鋼仕事
が主になったが、予め準備された資材は、資金不足に陥り、
Brunel が別に建設中の Saltash 橋に流用されることなどがあ
った。そして、建設期限の 1853 年 5 月となり、工事は休止
された。両岸を結んだケーブルに取り付けられたゴンドラは、
休止中に資金集めに市民に公開された。
4
(b)
(a)
(b)
(a)
Fig.5 The pier of the bridge.
資金獲得に Brunel は奔走したが、1859 年に他界した。そ
こで、吊り橋の工事は、英国のエンジニアリングに汚名を残
さないように、さらに Brunel の偉業を称えるようにと、新
組織で 1860 年に再開された。
Brunel の設計では、吊り橋のスパンは 630ft(192 m)で、
断面積は 470in2 (30 万 mm2)、橋の自重は 1966tf(19.2kN)
であり、4.2tf/in2(63.8MPa) の応力になると計算している。
この応力値は、コンペで選考対象になった 5 案で最も低いも
のでもあった。橋の全幅は 24ft(7.3m)であった。
Brunel は 1841 年にロンドンに Hungerford Suspension
Foot Bridge を設計していたが、これが取り替えられること
になった。この橋は3スパンからなっていたが、中央スパン
は 676ft(206m)、幅 14ft(4.3m)あり、しかも入手価格も
5,000 ポンドであるというので、Clifton Suspension Bridge
にはわずかの設計変更で流用可能であった。また、鋼の材質
も良好であった。そこで、200tf の鎖と 300tf の桁、そのほか
1,000tf の鋼部品がロンドンから移送された。
これに、4ft(1.2m)の歩道を両側につけて図 4、 5 のよう
な吊り橋に仕上げられた。両岸から鎖を渡し、橋桁をすべり
だして連結されたのは 1864 年 7 月であった。図 4(a)は、吊
り橋の懸垂線であり、鎖として帯板 10 枚束ねてボルト締めし、
これを 3 重にした構造になっている。鎖と桁は鋼棒でボルト
締めにされている(拡大図(b))。12 月 8 日に盛大に開通式が
取り行なわれた。この吊り橋は、現在でも供用されている。
5
結言
独創と理論的設計により従来の権威と立ち向かい、Brunel
の成功を導いた現在も使われている Clifton Suspension
Bridge について紹介した。
−次報に続く−。
文献
1) 佐藤,日本機械学会講演論文集(No.99-64),87-88. 2) 佐
藤,日本機械学会講演論文集(No.99-64),87-88. 3) G.W.
Barnes and Thomas Stevens, ‘The History of Clifton
Suspension Bridge’, The Clifton Suspension Trust (1928).
Fig.4
(a) Suspension rods and (b) their detail.