命の光に招くキリスト

2014 年 クリスマス号
命の光に招くキリスト
●緑キリスト教会牧師●
河 野 勇 一
イエスは再び言われた。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、
命の光を持つ。
」
(聖書 ヨハネによる福音書8章12節)
今年のノーベル物理学賞に青色発光ダイオ
が知っている生活経験を用いて命の比喩とし
ード(LED)の研究開発をした 3 人の日本人
たのです。
が選ばれたことは、暗い世相に明るい光をもた
イエス・キリストは、彼を信じてついていく
らしました。そのとき、「光の三原色」などが
者は、「命の光」すなわち「命という光」を
解説されて、あらためて小学校の理科の授業を
持つようになると約束してくださいました。
思い出した方も多かったのではないかと思い
ここでの「命」には、他の動物や植物とともに
ます。このおかげで数年前から、冬の寒い季節
持っている「生物的命(ビオス=ギリシャ語)
」
に多くの場所で美しい光のページェントを
とは区別された「永遠の命(ゾーエー=ギリシ
フルカラーで楽しむことが可能になりました。
ャ語)」という聖書独特の言葉が使われていま
ところで、光とは電磁波の一部であり、波長
す。それは、神が神の似姿に造った人間にだけ
400~800 ナノメートルのものが人間の目に見
与えてくださる命のことです。そしてキリスト
える可視光線、いわゆる光と呼ばれるものです。
こそはこの「永遠の命」の源であり、人にその
もっと波長の長いものとしては電波や電子レ
命を与える神なのです。
ンジのマイクロ波があり、光よりも波長の短い
すると暗闇とは、地上の命(ビオス)は持っ
ものにはX(エックス)線やγ(ガンマ)線、
ていても、本来の人間が持つべき「永遠の命」
いわゆる放射線があります。
を持たない人生のことを意味していることに
イエスは冒頭に掲げたように「わたしは世の
なります。
光である。」と言われました。同じヨハネに
クリスマスは、そのように暗闇を歩いている
よる福音書1章4節には「言(キリスト)の内
私たちを「命という光」を持つ人生に招き入れ
に命があった。命は人間を照らす光であった。
」
るために、イエス・キリストがこの世界に来て
とも書かれています。もちろん、2000 年前のこ
くださったことを感謝する祭です。ですから
とですので、現代科学にもとづいた発言や 記
私たちは、光を灯してクリスマスをお祝いする
述ではありませんが、暗闇と光という、だれも
のです。
-1-
大名 黒田官兵衛 最後
朝倉 千枝
左記 黒田如水 官兵衛
十字架 中心
官兵衛 最後
示 続
如水 水 如
読
字印章
彫
印章 使 自分
福岡市博物館蔵
説
語
聖書 中 出
重要 人物
説
洗礼名
好評を博している NHK 大河ドラマ「軍師 官兵
しかし、長政は父とは違い、権力者である秀吉
衛」も終盤に差し掛かってきました。テレビで
や家康の顔色を常に伺わずにはいられない弱
は官兵衛が洗礼を受けた場面以降、キリシタン
さがありました。20歳の時に洗礼を受けてい
としての姿はほとんど描かれていません。 し
ましたが、キリシタン禁教令(1604年)が
かし、官兵衛は、1604年(慶長9年)
伏
出た後、棄教しています。そして世間体を慮っ
見の藩邸で59歳の生涯を終えるまで、その信
て官兵衛のキリスト教式葬儀の後、2,3週間
仰を貫きました。臨終の際に神父を呼ぶように、
してから、もう一度仏式で葬儀を行っています。
また祈祷書とロザリオを持ってくるようにと
そして官兵衛の墓所としては大宰府の崇福寺
頼み、自分はキリシタンとして死にたいと言い
を博多に移して、そこに官兵衛の遺体を安置し
ながら、それを胸の上に置いたと言う事です。
黒田家の菩提寺にしました。
葬儀は、博多の教会でかなり盛大にキリスト教
しかし黒田家に伝わる唯一の陣羽織には背中
式で行われました。彼の弟で立派なキリシタン
にはっきりと黒い十字架が刺繍されています。
の黒田直之が十字架を掲げ、長男の長政はじめ
(姫路城官兵衛資料館)
神父たちが付き添ったと、記録にあります。
官兵衛の死後10年、1614年に高山右近ら、
それは、博多の郊外にあったキリシタン墓地に
およそ400人のキリシタンの指導者や宣教
隣接している松林のやや高い所でした。
師らがマニラとマカオへと追放されました。
官兵衛の死後、長政は父の遺言どおり多大の
マニラでは大歓迎で迎えられたとのことです。
寄付をし、博多に新しい教会堂建設の許可を与
しかしその翌年、右近は「わが主を仰ぎ見行か
え、1606年、官兵衛の「追悼記念聖堂」が
ん」とのことばを残し死去しました。
完成し、建堂式と追悼ミサが盛大に行われまし
官兵衛と右近、その生き方は違いましたが、
た。それほど官兵衛の存在が当時の日本のキリ
共に最後まで立派にキリシタンとして生き
スト教会にとって大きな存在であったのです。
切ったのでした。
-2-
武士がいるのがわかり、キリシタンは互いに神
日本初 教会堂
の愛で結ばれていることを異教徒に示そうと、
正確にはわかっていませんが、1552 年(天文2
大広間を借りて聖夜に一同が参集したと、イエ
1年)現在の山口県でクリスマスのミサが行わ
ズス会宣教師ルイス・フロイスが次のように記
れた、とイエズス会の公文書「日本通信」に記
録しています。
「・・・あたかも同一の国王の
されています。
家臣であるかのように互いに大いなる愛情と
礼節をもって応接し・・・デウス(ラテン語で
戦国時代
神のこと)のことについて良き会話を交えたり
休戦
歌を歌ってその日の午後を過ごした」
しかしその後、秀吉や江戸幕府によるキリスト
教弾圧があり、幕末の開国まで、公にはクリス
1568年(永禄16年)、織田信長と大和国の
マスを祝うことはできませんでした。
戦国大名松永久秀との戦いでの出来事です。
敵対する2つの軍勢の中に多くのキリシタン
* 参考資料:
「完訳フロイス日本史 ② 信長とフロイス ー 織田信長篇Ⅱ」
「キリシタン黒田官兵衛 上下」雜賀信行著、
雜賀編集工房発行
「天を想う生涯-キリシタン黒田官兵衛と高山右近―」守部喜雅著
いのちのことば社フォレストブック発行
「百万人の福音 12月号」
いのちのことば社発行
「クリスチャン新聞2014年10月5日」 いのちのことば社発行
「クリスチャン新聞2014年10月26日」いのちのことば社発行
豆知識
降誕祭とも言われ、神と断絶してしまった人間を救うために神が御子イエス・キリストを遣わし
てくださった偉大な愛を覚え、
感謝し祝う日です。
フランス語では「ノエル」といいます。Christmas
は、Christ(キリスト)の mass(ミサ)という意味です。 「Xmas」と書く場合、Xは「キリス
ト」をギリシャ語で書いたときの頭文字で、X‘masは間違いです。
待降節とも言います。クリスマスの日の4週間前の日曜日から始まる待望の期間のことです。
意味
「リース」
・・・丸い輪は途切れることのない神の永遠の愛の象徴
「ろうそく」
・・キリストが世の光として来られた喜びの象徴
「クリスマスカラー」
・・緑:永遠の命
赤:キリストが十字架で流された血
金,銀:王としてのキリストの高貴さ
白:キリストの聖さ
現在放映中のニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝と妻リタをモデルにした朝のNHK連続テレビ
小説「マッサン」、リタはクリスチャンです。そして政孝も晩年、洗礼を受け、クリスチャンと
なりました。
-3-
「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に
光が輝いた。あなた(神)は、深い喜びと大きな楽しみをお与えになり、
人々は御前に喜び祝った」
聖書 イザヤ書 9 章1-2節
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*当教会は、正統的なプロテスタント教会です。エホバの証人、統一教会、モルモン
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