受難曲の歴史 - シュナイト・バッハ合唱団

シュナイトバッハ合唱団
受難曲の歴史
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http://www.britannica.com/bcom/eb/article/1/0,5716,60131+1+58664,00.html?query=passion
受難曲とは聖書または詩的創作物に基づくキリストの受難と磔刑を音楽的に表現したもの。
4世紀以降に生まれ、伴奏の無い単純な歌あるいは、ソロ、合唱及びオーケストラの為の曲として
創作された。
中世の受難曲では、助祭が全テキストを歌った。11音程が3部に分けられ、最下部の4音程がキ
リスト、中間の3音程がエヴァンゲリスト、それ以上の4音程が、他の全ての人を含む群集(Turba)
にあてられた。
15世紀以降上記3部が三つの助祭のグループに歌われるようになった。その結果、テキストの劇
的要素が明らかになり、その他のグループもドラマをうまく表現し得るようになった。13世紀に
は、受難曲は音楽劇として作曲された。かの有名なドイツのカルミナ・ブラーナ写本(注1)には
二つの版が見つかっている。
受難曲の作曲はその後増加し、ますます曲が長く、かつ複雑なものになった。15世紀の 初期には、
裕福な階級が群集パートを歌う少人数の合唱隊を持っていた。受難曲をポリフォニーとして作曲し
た最初の作曲家の一人は、バーガンディー(フラン ス)のジル・バンショワ(1438)だった。単純
な歌とポリフォニックな曲を交互に使うタイプの受難曲は当時欧州中で作曲された。
宗教改革時代初期のドイツでは、ラテン語とドイツ語のテキストが使われた。ルター派の作曲家ヨ
ハン・ヴァルター(注2)は 「マタイ受難曲」を作曲し、1806 年に至るまで好まれた曲だった。
他のドイツの受難曲は、モテット風の受難曲で、全テキストをポリフォニックに扱った。 16 世紀の
フランスの作曲家アントワヌ・デゥ・ロンガヴァルは、技巧的なポリフォニーを創ることよりも、
テキストをはっきりと伝えることのほうを重要と考 えたので、もっぱら単純な歌による構成をと
った。ドイツ人作曲家の間では、ヤコブ・ハンドゥルおよびレオンハルト・レヒナーがこういう趣
向の曲を創った。
ロンガヴァルの作曲に触発された、16 世紀のフランスーフレミッシ地方の作曲家はむし ろモテッ
ト風受難曲を生み出した。一方ドレスデンで働いていたイタリア人のアントニオ・スキャンデルロ
は、ドイツ語のハイブリッドの「ヨハネ受難曲」を作 曲した。つまり彼は二つのタイプを以下のよ
うに融合した。5声の群集(Turba)と単声のエヴァンゲリスト、3部によるペトロ、ピラト及び他
の登場人物 を対比させ、一方イエスの言葉は4部の和声で表現した。
ソロと多声部の合唱からなるイタリア・バロック音楽はドイツの音楽に強い影響を及ぼした。トー
マス・セレ(1599-1663)による「マタイ受難曲」は2重合唱を広範囲に使い、一方「ヨハネ受難
曲」では楽器と遠くから聞こえる合唱(distant choir)を組み合わせている。対話者たちは、ある楽
器またはグループを特定の人物の役割をもたせることで区別されている。コラール(注 3)または賛
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美歌をドイツの受難曲にとりいれたのは、ヨハン・タイレとヨハン・クーナウだった。高名な作曲
家のシュッツは、より厳格な作風にもどった。
受難曲の作曲は17世紀イタリー、フランスでは稀であった。聖週間には技巧的な音楽は好まれな
かったためである。アレサンドロ・スカルラッティの「ヨハネ受難曲」は、テキストを極めて正確
に表現しかつ過度の技巧を抑えた、厳密な礼拝用の曲である。
フランスでは、マルクーアントワヌ・シャルパンティエールの受難曲は激しい感情の動きと音色の
対比を表している。
ハンブルグでは聖書のテキストを意訳した台本に基づく受難曲のオペラを作曲しようとい う試み
がなされた。その詩とセンチメンタルな説明はドイツの聴衆には受け入れられたが、聖職者たちは、
かならずしもすべて受け入れたわけではなかった。こ うした傾向に反応して、ヘンデルは 1704 年
にクリスチャン・ハインリッヒ・ポステルによる台本の「ヨハネ受難曲」を作曲し、続いてJ.S
バッハによる 「ヨハネ受難曲」および「マタイ受難曲」が現れた。バッハの受難曲では、テキスト
が重要かつ厳粛で、それに彼の非凡な情熱が結合し、コラールとソロの声部 と楽器群の相互作用
によりドラマチックな要素が高まった。
エマニュエル・バッハは二つの受難曲を書いたが、一般の評価はドイツ外でも有名になっ たカー
ル・ハインリッヒ・グラウンの「イエスの死」(Der Tod Jesu)のほうに凱歌があがった。古典主
義、ロマン主義時代を通じて、受難曲は、大きなオーケストラと合唱を使うオラトリオとして作曲
されることが一般 的だった。ハイドンとベートーベンがこの受難曲オラトリオの先鞭をつけた。イ
ギリス人の作曲家サー・ジョン・スタイナーの「磔刑」(The Crucifixion - 1887)は非常に好評で
あった。20 世紀の受難曲には、ポーランドの作曲家クルシストフ・ペンデレッキのオラトリオ「ル
カ受難曲」、チャールス・ウッド (英)、ロレンツォ・ペロジ(イタリー)及びクルト・トーマ
ス(ドイツ)による「マルコ受難曲」、アーサー・サマーヴィル(英)による「キリストの受難」
がある。
注1)
「カルミナ・ブラーナ」
原本は歌と宗教劇との部分に分かれ、歌の一部の詩をマール・
オルフがカンタータに作曲している。ここで言われているのは宗教劇の部分で本来は6つの劇があ
ったが、今はそのうち二つが残っている。
注2)
「ヨハン・ヴァルター」
1684 -1748
ドイツ人オルガニスト、作曲家
最初の音楽字典
編纂者の一人、1702 年エアフルトのトーマス教会オルガニスト、1707 年ワイマールのオル ガニス
ト、1721年からワイマール宮廷音楽家、1708−1714 いとこのヨハン・セバスチャン・バッハと
親交を結んだ。当時高く評価された彼の曲には オルガンのためのコラール練習曲・変奏曲、Tomaso
Giovanni Albinoni, Giuseppe Torelli, 他イタリア人作曲家による協奏曲をオルガン用に編曲し
たものなどがある。1732 年に完成した Musicalishces Lexikon は音楽家の伝記、図書目録、音楽用語
についての最初の百科事典で、バロック音楽の研究には貴重なものである。
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注3)
「コラール」は通常の英語の使いかたでは、ドイツのルター派教会で歌われる韻をふんだ
テキストによる賛美歌をいう。宗教改革の初期からコラールはプロテスタントの礼拝の間に会衆に
より歌われた。
改革派教会ではドイツでも他の国でもユニゾンで歌うことになっていた。初期のポリフォニックな
コラールは、合唱隊はメロディーのみを歌い、全体はオルガンが演奏した可能性がある。のちのポリ
フォニックな編曲では、徐々にメロディーが高音部のテナーに移った。
ルター派のコラールの歌詞はラテン語の簡単な賛美歌テキストが自国語に翻訳されたもの が多か
った。そのメロディは世俗音楽から借りることが多く、したがってメロディーもその構造もきわめ
て単純であった。マルティン・ルーターによる曲は、後 によく歌われた洗練された曲に比べて不規
則なものが多かった。
そのようなメロディーの最も初期の大きなコレクションはルターが序文を書き、ヨハン・ヴァルタ
ーが編集した Geystliches Gesangk-Buchleyn (1524 年)であった。それいらいコラールを書くテク
ニックが発達し沢山のコレクションが発表された。
ルターの自身の作曲には、Ein feste Burg(A Mighty Fortress) や Vom Himmel Hoch (From Heaven
High) などがあり、ルター自身が歌詞を書き、メロディーもほとんど間違いなく彼自身が書いたか
あるいは他の曲をあてはめたものである。
16 世紀のコラールの発展史で有名なのはミヒャエル・ヴァイス、大変好評を博した Wachet
auf !(Wake, Awake)
の作曲者のフィリップ・ニコライ、それにメルシオール・ヴルピウスだった。
17 世紀に活躍したのは、ヨハン・ハーマン・シャイン、ヨハン・クリュカーだった。クリュカーは 1644
年に発刊されたコラール集 Praxis Pietatis Melica の初版の編集を行った。
もっと複雑な形式のコラールはヨハン・エッカート、ミヒャエル・プレトリウスにより作曲された。
エッカートの作曲したコラールは事実上短いモテットで、プレトリウスは古くからある賛美歌
(Musae Sionaie 1610)の形式をきちんと整えてポリフォニックに編曲した最初の編曲家の一人だ
った。
ヨハン・セバスチャン・バッハのコラールは、豊かなハーモニーをともなう賛美歌で、会衆は合唱隊
に参加することが期待されている。バッハのコラールは良く知られた賛美歌の旋律を技巧的な和声
で飾った厳密な意味でのコラール編曲で、彼自身のオリジナルの作曲は一曲も無い。
現代ではコラールはよく知られた宗教的テキストを、通常はポリフォニックに作曲したも のと考
えられている。メロディーは賛美歌のような良く知られた旋律であるか、またはそのテキストのた
めにとくに作曲されたものである。あるいは良く知られたテキストを良く知られた旋律に当てはめ
たものもある。
(翻訳:秦泉寺忠興)
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