アメリカのベストセラーから学ぶ

渡辺由佳里のひとり井戸端会議 Essay Blog から
トランプの強い支持層である白人労働者階級「ヒルビリー」を鮮やかに描くメモワール Hillbilly Elegy
著者:J.D.Vance
出版社: Harper (2016/6/28)
無名の作家が書いたメモワール『Hillbilly Elegy』が、静かにアメリカのベストセラーになっている。
著者の J.D. ヴァンスは、由緒あるイェール大学ロースクールを修了し、サンフランシスコのテクノロジー専門
ベンチャー企業のプリンシパルとして働いている。よく見かけるタイプのエリートの半生記がなぜこれだけ注目
されるのかというと、ヴァンスの生い立ちが普通ではないからだ。
ヴァンスの故郷ミドルタウンは、AK スチールという鉄鋼メーカーの本拠地として知られるオハイオ州南部の
地方都市である。かつて有力鉄鋼メーカーだったアームコ社の苦難を、川崎製鉄が資本提携という形で救ったの
が AK スチールだが、グローバル時代のアメリカでは、ほかの製造業と同様に急速に衰退していった。失業、貧
困、離婚、家庭内暴力、ドラッグが蔓延するヴァンスの故郷の高校は州で最低の教育レベルで、しかも2割は卒
業できない。大学に進学するのは少数で、トップの成績でもほかの州の大学に行くという発想などはない。大き
な夢の限界はオハイオ州立大学だ。
ヴァンスは、そのミドルタウンの中でも貧しく厳しい家庭環境で育った。両親は物心ついたときから離婚して
おり、看護師の母親は新しい恋人を作っては別れ、そのたびに鬱やドラッグ依存症を繰り返す。そして、ドラッ
グの抜き打ち尿検査で困ると、当然の権利のように息子に尿を要求する。それで拒否されたら、泣き落としや罪
悪感に訴えかける。母親代わりの祖母がヴァンスの唯一のよりどころだったが、十代で妊娠してケンタッキーか
ら駆け落ちしてきた彼女も、貧困、家庭内暴力、アルコール依存症といった環境しか知らない。小説ではないか
と思うほど波乱に満ちた家族のストーリーだ。
こんな環境で高校をドロップアウトしかけていたヴァンスが、イェール大学のロースクールに行き、全米のト
ップ1%の裕福な層にたどり着いたのだ。この奇跡的な人生にも興味があるが、ベストセラーになった理由はそ
こではない。
ヴァンスが「Hillbilly(ヒルビリー)
」と呼ぶ故郷の人々は、トランプのもっとも強い支持基盤と重なるからだ。
多くの知識人が誤解してきた「アメリカの労働者階級の白人」を、これほど鮮やかに説明する本は他にはないと
言われる。
タイトルになっている「ヒルビリー」とは田舎者の蔑称だが、ここでは特に、アイルランドのアルスター地方
から、おもにアパラチアン山脈周辺のケンタッキー州やウエスト・ヴァージニア州に住み着いた「スコットアイ
リッシュ(アメリカ独自の表現)
」のことである。
ヴァンスは彼らのことをこう説明する。
「貧困は家族の伝統だ。祖先は南部の奴隷経済時代には(オーナーではなく)日雇い労働者で、次世代は小作人、
その後は炭鉱夫、機械工、工場作業人になった。アメリカ人は彼らのことを、ヒルビリー(田舎者)
、レッドネッ
ク(無学の白人労働者)
、ホワイトトラッシュ(白いごみ)と呼ぶ。でも、私にとって、彼らは隣人であり、友だ
ちであり、家族である」
つまり、彼らは「アメリカの繁栄から取り残された白人」なのだ。
「アメリカ人の中で、労働者階級の白人ほど悲観的なグループはない」とヴァンスは言う。黒人、ヒスパニッ
ク、大卒の白人、すべてのグループにおいて、過半数が「自分の子どもは自分より経済的に成功する」と次世代
に期待している。ところが、労働者階級の白人では44%でしかない。
「親の世代より経済的に成功していない」
と答えたのが42%だから、将来への悲観も理解できる。
悲観的なヒルビリーらは、高等教育を得たエリートたちに敵意と懐疑心を持っている。ヴァンスの父親は、息
子がイェール大学ロースクールへの合格を知らせると、
「
(願書で)黒人かリベラルのふりをしたのか?」と尋ね
た。彼らにとっては、リベラルの民主党が「ディバーシティ(多様性)
」という言葉で守り、優遇しているのは、
黒人や移民だけなのだ。彼らは自分たちを「白いゴミ」としてばかにする鼻持ちならぬ気取り屋であり、自分た
ちが受けている福祉を守ってくれていても、それを受け入れるつもりも、支持するつもりもない。
ヒルビリーたちは、
「職さえあれば、ほかの状況も向上する。仕事がないのが悪い」と言い訳する。悪いのは、
それを与えない社会であり、政府だ。
そんなヒルビリーたちに、声とプライドを与えたのがトランプなのだ。
トランプの集会に行くと、アジア系の私が恐怖感を覚えるほど白人ばかりだ。だが、列に並んでいると、意外
なことに気づく。
みな、楽しそうなのだ。
トランプの T シャツ、帽子、バッジやスカーフを身に着けておしゃべりしながら待つ支援者の列は、ロックコ
ンサートやスポーツ観戦の列とよく似ている。
彼らは、
「トランプのおかげで、初めて政治に興味をいだいた」という人たちだ。
「これまで自分たちだけが損
をしているような気がしていたし、アメリカ社会にもやもやした不満をいだいてきたけれど、それをうまく言葉
にできなかった」という感覚を共有している。
「政治家の言うことは難しすぎてわからない」
「プロの政治家は、難しい言葉を使って自分たちを騙している」
「ばかにしているのではないか?」……。
そんなもやもやした気持ちを抱いているときに、トランプがやってきて、自分たちにわかる言葉でアメリカの問
題を説明してくれた。そして、
「悪いのは君たちではない。イスラム教徒、移民、黒人らがアメリカを悪くしてい
る。彼らを贔屓して、本当のアメリカ人をないがしろにし、不正なシステムを作ったプロの政治家やメディアが
悪い」と堂々と真実を語ってくれたのだ。
トランプの「言いたいことを隠さずに語る」ラリーに参加した人は、大音響のロックコンサートを周囲の観客
とシェアするときのような昂揚感を覚える。ここで同じ趣味を持つ仲間もできる。しかも、このロックコンサー
トは無料なのだ。
「トランプの支持者は暴力的」というイメージがあるが、それは外部の人間に向けての攻撃性であり、お互い
同士は、とてもフレンドリーだ。
この雰囲気は、スポーツ観戦とも似ている。特に「チーム贔屓」の心境が。レッドソックスのファンは、自分の
チームをとことん愛し、ニューヨーク・ヤンキースとそのファンに強い敵意を抱く。この感情に理屈はない。
トランプの支持者と直接接触したことがあるので、ヴァンスの本を読んでいて、
「まったく同じ人々だ」と思っ
た。ヴァンスが説明するアパラチアン山脈のヒルビリーに限らず、白人が多い田舎町では同じようなトランプ現
象が起こっている。
ヴァンスは家族や隣人として彼らを愛している。だが、
「職さえあれば、ほかの状況も向上する。仕事がないのが
悪い」という彼らの言い訳を否定する。社会や政府の責任にするムーブメントにも批判的だ。
困難に直面したときのヒルビリーの典型的な対応は、怒る、大声で怒鳴る、他人のせいにする、困難から逃避
する、というものだ。自分も同じような対応をしてきたヴァンスが根こそぎ変わったのは、海兵隊に入隊してか
らだった。そこで、ハードワークと最後までやり抜くことを学び、それを達成することで自尊心を培った。そし
て、ロースクールでの資金を得るためにアルバイトしているときに、職を与えられても努力しない白人労働者の
現実も知った。遅刻と欠勤を繰り返し、解雇されたら怒鳴り込む。隣人たちは、教育でも医療でも政府の援助を
受けずには自立できないのに、それを与える者たちに牙をむく。そして、ドラッグのための金を得るためなら、
家族や隣人から平気で盗む。
そうなってしまったのは、子供のころから努力の仕方を教えてくれる人物が家庭にいないからだ。
ヴァンスはこう言う。
「僕のような子供が直面するのが暗い将来だというのは統計が示している。幸運であれば
福祉の世話になるのを避けられるが、不運ならアメリカの多くの田舎町で起こっているように、ヘロインの過剰
摂取で死ぬ」と。彼がアイビーリーグのロースクールに行って弁護士になれたのは、ずば抜けた天才だったから
ではない。幸運にも、宿題を強要する母代りの祖母や、支え合う人間関係について身をもって教えたロースクー
ルのガールフレンドなど、愛情を持って支えてくれた人たちがいたからだ。ヴァンスのように幸運でなかった者
は、
「努力はしないが、バカにはされたくない」という歪んだプライドを、無教養、貧困とともに親から受け継ぐ。
この問題を、どう解決すればいいのか?
ヴァンスは、ヒルビリーの子供たちに、行き場や自分のようなチャンスを与えるべきだと考える。そして、悪
循環を断ち切ることだ。だが、その方法については「僕にも答えはわからない」と言う。
「だが、まずオバマやブッシュ、顔のない企業のせいにするのをやめなければならない。そして、どうすれば改
善するのか、自問するところから始めるべきだ」
これは、ヒルビリーだけではない。私たちもそうしなければならないだろう。