「正教について」 至愛の兄弟よ、正教勝利の主日の説教 を始めるにあたり、「正教とは何か」と 問うことがきわめて自然である。 も、同じようにこの上なく貴重なもので ある。 我々のためにこの聘質を守るため、聖 正教とは、真に神を知り、真に神を崇 なる教会は、今日、サタナによって生ま めることである。正教とは、神゜ と真とを れた教えの数々を公然と数え上げる。そ 以て神を拝することである。正教とは、 れらの教えは、神への敵対を表現したも 真に神を知り、真に神を拝することによ のであり、我々の救いを妨げ、我々から って、神をたたえることである。正教と 救いを奪うものである。獰猛な狼として、 は、真に神に仕える人が、至聖なる神゜ の 毒蛇として、盗人と人殺しとして、教会 恩寵を賜わることによって、神をたたえ はそれらの教えを弾劾する。教会は、我々 ることである。神゜ は、ハリスティアニン をそれらから守り、それらによって惑わ の光栄である(イオアン7:39)。神゜ された人々を滅びから救い上げるために、 がないところには、正教はない。 それらの教えと、それを頑固に信奉する 人の教えや空理空論には、正教はない。 者に対し、「アナフェマ」を宣告する。 それらを司るのは、陥罪の結果である、 「アナフェマ」とは、「破門」、「排 偽称の知恵である。正教は、神が救いの 斥」を意味する言葉である。教会が何か ために人々に与えた、聖神゜ の教えである。 の教えにアナフェマを宣告することは、 正教がないところには、救いはない。「救 その教えが聖神゜ を冒涜するものであり、 いを得たい人は、何よりも先ず正教の信 救いのため、排斥されるべきであること 仰を持っていなければならない。人はも を意味する。人に対してアナフェマを宣 し正教の信仰を疵なく守らなければ、間 告することは、その人が神を冒涜する教 違いなく世々に滅びることとなるであろ えを度し難く信奉し、その教えを他の人 う」(アレクサンドリアの総主教聖大ア に伝え、それを伝染させた隣人と己から ファナシイの信条)。 救いの可能性を奪うことを意味する。人 聖神゜ の教えは、何と貴重な宝であろう は、神を冒涜する教えを捨て、正教会が か。その教えは、聖書と、正教会の聖伝 信奉する教えを受け入れようと思い立っ によって、授けられている。聖神゜ の教え た場合、正教会の規則では、今まで信奉 は、何と貴重な宝であろうか。その教え していた偽教を排斥し、それに対しアナ へいし には、我々の救いの聘質がある。永世に フェマを宣告しなければならない。神か あって福楽を受け継ぐことは、我々ひと ら離れ、神に敵対し、聖神゜ を冒涜し、サ りひとりにとって、この上なく貴重な、 タナと交わる状態に人をつなぎとめてい かけがえのない、他に類のないことであ た偽教は、その人を滅ぼすものだったか る。我々の福楽の聘質である聖神゜ の教え らである。 アナフェマは、教会の属神゜ の薬という 通し(シリアの聖エフレム伝)、エウテ 意味を持っている。その薬は、永遠の死 ィヒイは金銭欲の奴隷となり(フレリー をもたらす、人の神゜ (精神)の病を癒す 著の教会史、第2巻)、アリイは信じら ものである。人に永遠の死をもたらすの れないほど淫乱に耽った。ニケヤの第一 は、神によって啓示された教えに己の空 全地公会では、アリイが作った讃歌「タ 理空論を導入する、あらゆる人の教えで リヤ」が読み上げられると、公会の師父 ある。その空理空論の源は、悪霊と人々 たちは、敬虔な人には思い浮かびようの の共通の財産である、偽称の知恵と肉の ない、卑猥な言葉を聞くことを拒んで、 思いである。ハリストス教の教えに導入 耳をふさいだ。「タリヤ」は、焼かれた。 された人の空理空論は異端と呼ばれ、そ ハリストス教にとって幸いなことに、そ の教えに従うことは邪信と呼ばれる(「階 のコピーは全部処分された。我々のため 梯」第 1 章)。 に残ったのは、その作品が強烈な淫らさ 聖使徒は、肉の行いの一つとして、異 に貫かれていたという、歴史的な事実だ 端をも挙げている(ガラティヤ書5:2 けである(フレリー著の教会史、第1巻)。 0)。異端は、その源が肉の思いである 最新の異端の教祖があらわす著書の多く から、肉の行いの一つである。その「肉 は、「タリヤ」に似ている。つまり、そ おも あだ の念いは死なり、神に対して仇なり、神 あた の中には、恐ろしい涜神と、極まりない の律法に服せず、且つ服する能わざれば 淫らさと冒涜の表現とが、一緒になって なり」(ロマ書8:6、7)。さらに、 いるのである。地獄の産物であるそれら 異端は、それが招く結果の故に、肉の行 の著書を読んだことがない者は、 福 いで いの一つとして挙げられる。サタナの最 ある。それらを読んでみると、異端の教 たる罪が涜神であるが、異端者はサタナ 祖の精神がサタナの精神と合一している に倣って涜神の罪を犯すが故に、異端者 ことが明らかとなる。 さいわ の精神が神から離れ、サタナの精神に合 肉の行いであり、肉の思いの結果であ 一する。 神が離れてしまい、堕落した己 る異端は、堕天使によって発明された。 の本性に委ねられた異端者は、結果とし 「神を畏れぬ異端を避けよ。それは、悪 て、諸慾の支配に隷属させられる。真の の始祖となった彼の蛇、悪魔が発明した 神の知識から遠ざかった智者について、 ものだからである」と捧神者聖イグナテ か くら 聖使徒は言う。「その無智の心は昧み、 ィイは言う(グラリヤ人への書簡)。こ 彼等は自ら智者と称えて、愚者と為り、 のことを驚いてはならない。堕天使は、 か こ 神の真実を易えて、偽りと為せり。此れ よ に 縁りて神は彼等をその心の慾に於て けがれ 汚穢に付せり」(ロマ書1:21、22、 けがれ 25、26)と。「汚穢」とは、様々な 淫慾のことである。異端の教祖の行いは、 淫らなものであった。アポリナリイは姦 属神゜ の品位の高さを失い、人よりもひど く、肉の思いに落ちてしまった。人は、 肉の思いを捨て、属神゜ の思いを手に入れ ることが可能である。堕天使は、そうし た可能性さえない。肉の思いが人に及ぼ す影響は、それほど強くない。なぜなら、 如く為らんと。今、爾は地獄と地下に降 人の生来の善は、堕天使のように、堕落 り、死者の如く山中に落とされん」(イ によって亡くされてはいないからである。 サイヤ書14:12―15、19) 人の内の善は悪と混じり合い、故に不当 なものとなっている。堕天使の内には、 教会は告げる。「己の知恵を神の啓示 悪のみが働き、支配する。堕天使たちに に服従させ、そのために闘った者をたた あって、肉の思いは、これ以上ないほど、 え、真実に逆らう者を破門し、アナフェ 頂点に達している。その最たる罪は、す マを宣言する」 さまじい、神への憎しみである。その憎 「神が存在することを否定する者、こ しみは、恐ろしい、絶え間ない、神への の世界がひとりでにでき、神の摂理がな 冒涜によって表現される。彼らは傲慢に く、すべてが偶然によって行われると主 なり、己を神より高く認めた。被造物に 張する者は、アナフェマたるべし」 とって自然な態度である、神への従順の 「神が霊ではなく、物質であると言い、 代わりに、彼らは神を不倶戴天の敵とし、 神が義・仁慈・叡智・全知であることを 絶えず神に敵対する態度をとった。その 認めず、それに類した冒涜を言う者は、 ため、彼らの堕落は深く、彼らが負った アナフェマたるべし」 永遠の死の傷は癒し難い。彼らの主要な 「神の子と聖神゜ が父と一体ではなく、 慾は、傲慢である。彼らは、醜い、愚か 父と同等ではないと敢えて主張し、父と な虚栄心に支配され、ありとあらゆる種 子と聖神゜ が一体の神であることを受け 類の罪を楽しみとし、一つの罪から他の 認めない者は、アナフェマたるべし」 罪に移って、絶え間なく罪の中を這い回 「我々が救いを得、罪を清められるた りつづける。彼らは、金銭欲をも、大食 めには、神の子が肉体をもって世に降臨 をも、淫行をも、這い回っている(捧神 し、甘んじて苦しみと死を受け、復活す 者聖イグナティイ、フィリッピ人への書 ることが必要ではないと敢えて主張する 簡)。彼らは、身体によって肉体の罪を 者は、アナフェマたるべし」 犯すことができず、夢想と感覚によって 「我々が神の前に義とせられる唯一の それを犯す。肉体を持たない、無形の存 手立てとして、福音が伝える恩寵の贖い 在である彼らは、肉体に特有の悪徳を身 を受け入れない者は、アナフェマたるべ につけた。 し」 「至潔なる童貞女マリヤが産の前も、 彼らは、彼らにとって不自然な、それ らの悪徳を己の内に増長させた。 産の時も、産の後も処女であったことを 敢えて否定する者は、アナフェマたるべ し」 「明けの明星は天より堕ち、地上に砕け 「聖神゜ が諸預言者・使徒に知恵を与え、 り。爾は心の中に謂えり、天に昇り、天 彼等を通して救いへの真の道を我々に告 の星より高く我が王座を置き、至上者の げ、奇蹟によってそれを証し、今も忠実 にして真のハリスティアニンの心に宿り、 彼等を凡その真実に導いていることを信 じない者は、アナフェマたるべし」 「霊魂の不死、世の終末、来るべき審 判と、徳を行なった人が天上にその永遠 の報いを受け、罪を行なった人が定罪さ れることを否定する者は、アナフェマた るべし」 「聖なるハリストスの教会の諸機密を 否定する者は、アナフェマたるべし」 「聖師父の諸公会と、正教会が敬虔に 保つ、神の啓示に適った聖伝を否定する 者は、アナフェマたるべし」 神聖なる真実が人となったのは、死を もたらす偽りを受け入れて滅びた我々を、 ご自分によって救うためである。「爾等 若し恒に我が言に居らば(つまり、我が 教えを受け入れ、常にそれに忠実であり 続けるならば)、誠に我が門徒たるなり。 爾等真実を識らん、真実は爾等を自由の 者と為さん」(イオアン8:31―32) と、真実は言う。常にハリストスの教え に忠実であることができるのは、
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