「懸命に生きるアジアの子ども達」

自分の心に問いかけてみよう・・・
その 1
「懸命に生きるアジアの子ども達」
参考(池間哲郎主催 「アジアチャイルドサポート
伝伝虫通信」
)
ヒマラヤ山脈にある村を訪れた時、一人の少女に「家では、ちゃんとお母さんのお手伝いをして
いますか」と池間さんは尋ねたそうです。するとその少女は、キョトンとした顔で「何を言ってい
るのか解からない」と答えました。その村の少女たちは、朝の 4 時におきて顔を洗って歯を磨き、
農作業を始め、6 時頃に家に戻って朝食を作り学校に行く。4 時頃に学校が終わると、それからま
た農作業、水汲み、洗濯、そして料理。夕飯を済ますのが 7 時頃。それから勉強をして眠るのが
10 時だそうです。1 日中働いている少女には、「お手伝い」の意味が解からなかったそうです。
どの国でも子ども達は働いています。お父さん、お母さんは子どもが5歳ぐらい
になったら、「責任を持った仕事」を不えます。だから子ども達には「お手伝い」
という意味の言葉は存在しないのです。少女たちは「私の仕事」とはっきり言いま
す。少女たちにとっては、親の手伝いではなく「自分に不えられた仕事」であり、
家族の生活を支えていくための責任なのです。
最近の日本では、子ども達がお母さんの手伝いをしなくなったと言われます。勉強、部活、遊び
が子どもの生活だと思っています。しかしこれは世界的に見ればとてもとてもおかしいことなので
す。子どもにも仕事や家事の役割を不えるのが世界の常識です。だからその少女達から、「日本の
子ども達は学校が終わって家に帰ると、どんな仕事をしていますか。」と質問された池間さんは、
何も答えられなかったそうです。
例えば、フィリピンをはじめ、貧困を抱えた多くの途上国にあるゴミ捨て場では、たくさんの子
どもやその家族が生活しています。そこしか生活できる場がないからです。子供たちは、ごみ山の
中から、ペットボトルやアルミ缶、鉄くずなどを分別しながら集めます。そして、近く
の業者まで持って行って、それをお金に換えて、家庭の生計を助けます。
3歳くらいから小学生くらいまでの貧しい子供たちが、朝から晩まで 10 時間以上劣
悪な環境で働いているのです。ゴミ捨て場は、異臭がすごく、金属やガラスの破片で怪
我をして、破傷風などの感染症にかかって命を落とす子供たちが続出しているのが現状
です。しかしそうしなければ生きていくことができないのです。
ゴ ミ を 拾い お 金に 換 えて 生 き てい る 少女 に「あ な た の夢 は 何で す か? 」と 聞い た ら「 私
の夢は大人になるまで生きることです」と答えました。3歳ぐらいの少年が真っ黒にな
り ゴ ミ を拾 っ てい た 。手 を 見 ると 爪 が裂 け 血を 流 し てい る 。そん な姿 を 見 て 、最 初 は「か
わいそうだな」と思っていたのですが、しばらくすると「この子たちは、どんなに辛く
ても一生懸命に生きている」と言う思いが湧き上がり、そしてその思いは尊敬に変わっ
て い き まし た 。
また、タイの山岳民族の子供達もとても悲しい運命にありました。タイ北部の山岳民族は、農耕
で生計を立てています。毎年、豊作ならなんとか暮らしていけるのですが、数年に一度は丌作にな
ります。すると、山岳民族たちは生きていくことができません。丌作になると、食べるものがなく
なり、みんな餓死してしまいます。
世界中の親たちの子供を愛する気持ちは同じです。でも、村に子供たちを置いておいては餓死し
てしまいます。では、どうするか?悲しいことに、男の子は僧侶になるため幼いころから親元を離
れお寺に預けられます。そして、彼らの多くは、二度と両親と再会することがないまま一生を終え
るそうです。女の子は売られてしまい、自分の人格を殺して生きていくのです。そういった子ども
たちの多くは、一生親に会うことも許されずに、孤独の中で命を落としていくのです。
モンゴルには、マンホールの中に住む子供たちがいます。モンゴルは、冬になると極寒の地です。
今の時期ですと、マイナス30~40℃にもなります。極寒の地ですので、家もない貧しい子供た
ちは、下水のマンホールの中に住みます。マンホールの中は、火力発電で発生したお湯が通ってい
るので真冬でも温かいのです。でも、そこにはネズミやゴキブリがうじゃうじゃいて、衛生的には
劣悪な環境です。池間さんが率いる、アジアチャイルドサポートの支援で、現在はほとんどいなく
なったそうですが、つい最近まで、たくさんの子供たちが住んでいたのです。
すさまじい環境で生きている子供たちが、アジアだけでもまだまだたくさんいます。池間さん達
は、そんなアジアの貧しい子供たちの現状をたくさんの日本人に伝え、支援活動をしているです。
今までに50以上の国と地域を訪れました。アジアも行きました。アフリカも行きました。南米も
行きました。たくさんの貧しい国々、貧しい人々を目の当たりにしてきました。でも、私は、何も
することができなかったです。
初めに受けた衝撃は、日を追うごとに麻痺していき、そして、見て見ぬふりをしてきました。で
も、いつか何かをしてあげたいと思っていました。
貧しいアジアの子供たちは、すごく家族思いだそうです。彼らは、学校にも行けず、幼いころか
ら仕事をします。でも彼らは、それを当たり前と思っているそうです。決して親を恨んだり、自分
の運命を呪ったりしていないそうです。彼らは、現実を見つめ、そして、懸命に生きようとしてい
ます。
どんなに苦しい生活が続いても、彼らは決して自殺をしません。それどころか、残飯をあさって
でも、物乞いをしてでも生きようとします。この違いって、一体何なんでしょう…。私も子を持つ
親です。愛情とは厳しさを伴うものだと認識しています。アジアの子どもたちに負けないように、
我が子が、立派な大人になるように育てることが、私にとっての最大の責任だと思っています。
感じたこと、思ったこと、考えたことを伝えよう
年
組
番 名前