2007年11月20日 公開 2007年11月21日 改訂 シェラーの式 Scherrer's equation の 使われ方にみられる混乱について 名古屋工業大学 セラミックス基盤工学研究センター 井田 隆 1.はじめに シェラーの式 (Scherrer, 1918) を使えば,粉末X線回折ピークの線幅から結晶の大き さを評価できることが知られています。やや時代遅れの方法のようにも思えるのですが, まだ実際に使われることも多いようです。 シェラーの式は, Kλ B= Dcosθ あるいは, Kλ D= B cosθ € の形で表されます。ここで,B は結晶粒が有限であることによる回折線幅のひろがりで, 実測の回折線幅 Bobs ,装置による線幅の広がり b との間に Bobs = B + b (1) € という関係があるという関係も使われます。また,D は結晶の大きさ,λ はX線の波長, € θ はブラッグ角(回折角 2θ の半分)です。定数 K はシェラーの定数 Scherrer constant €と呼ばれ,強度をどのような近似で求めるか,また実測されるどのような量でひろがり B を定義するかによって異なる値を持ちます(斉藤, 1975)。そして,もちろん結晶の大き さをどのように定義するかによっても異なる値をとります。伝統的にピークの線幅として は「半値全幅」 full-width at half maximum (FWHM) が使われることが多いのですが, 半値全幅で回折線のひろがりを表現した場合,式 (1) が成立するのは,実測の回折ピーク 形状も「装置によるぼやけ」もローレンツ型関数で表される場合に限られます。 結晶粒径に分布を持った微結晶の集合体では線幅の広がりがローレンツ型 Lorentzian (コーシー Cauchy 分布型)関数に近い関数で表されることも多いので,ローレンツ型 関数で回折ピーク形状が表されるということは,必ずしも現実離れした仮定ではありませ ん。このときシェラーの定数としては (i) 球形結晶粒の体積加重平均直径で大きさを定義 する場合 K = 8 3π = 0.84882L , (ii) 球形結晶粒の面積加重平均直径で大きさを定義する場 合 K = 3 2π = 0.47746L , (iii) 体積加重平均厚さで大きさを定義する場合 K = 2 π = 0.63661L , (iv) 面積加重平均厚さで大きさを定義する場合 K = 1 π = 0.31830L な € どの値を使うべきと思われます。 € € € ところが,実際にシェラーの式が使われている例を見ると,式 (1) の関係と同時に, K = 0.94 または K = 0.89 , K = 0.9 などの値を使っているものも多いようです。 また,直径 D の球形結晶粒について理論的に予測される回折線幅のひろがりを「積分 幅」(積分強度とピーク値の比)で定義すれば K = 4 3 = 1.33333L となることは 1950 年 € € 代には知られていましたし,球形結晶粒からの回折線幅を「半値全幅 W」で定義した場 合の厳密解 K = 1.10665L も容易に導くことができます。 € D = D4 D 3 であるような球形結 直径の体積加重平均(4乗平均と3乗平均の商)が € 晶粒の集合体について,線幅の広がりを「積分幅」で表すと K = 4 3 = 1.33333L となるこ € とがわかっています(Ida et al., 2003)。このときに線幅を「半値全幅」で表すと K = 8 3π = 0.84882L の値をとるということも容易に導かれます。 € € 古い論文で使われていた K = 0.94 , K = 0.89 などの値は,本来は,結晶が立方晶系に属 し,結晶粒の外形も立方体形状であり,しかも指数が {h00} で表されるような回折ピー クの場合に適用できるものです。「かりに ... と仮定すれば ... という値が見積もられ € € る」という言い方をすれば間違っているという訳ではないのですが,少なくとも式 (1) の 関係は使えません。そのことを知らずに使ってしまっている人が少なくないのではないか と思います。 € 2.20世紀初期の研究 20世紀初期の古い論文で使われた K = 0.94 , K = 0.89 などの値がどのような考え方で 導かれるかは,柿木の解説 (1973) から知ることができます。この二つの値を,それぞれ Scherrer の定数,Bragg の定数と呼ぶことにします。いずれの値の導出にも,結晶の形 € € 状が立方体で一辺の長さが D であるとし,回折ベクトルが面の法線方向を向いているこ とが仮定されます。この場合,理論的に予測される回折ピーク形状はラウエ Laue 関数 sin 2 (πk / B) f Laue (k;B) = π 2k 2 / B k = (Δ2θ ) cosθ λ で表されます。ここで B は積分幅で,立方体の辺の長さ D に対して B =1 D € € の関係があります。 (Δ2θ ) は回折角のピーク位置からのずれを表します。 € 以下に Scherrer の定数,Bragg の定数が具体的にどのように導出されるかを示しま € す。 € 2−1 Scherrer の定数, K = 0.94 Scherrer (1918) はラウエ関数を,これと積分幅の等しいガウス型 Gaussian 関数 πk 2 1 f Gauss (k;B) = exp − 2 B B で近似する考え方を使っています。図1に示すように,積分幅の等しいラウエ関数とガウ ス型関数は,確かにかなり近い形状を示します。 € 1.0 0.8 Laue Gauss 0.6 0.4 0.2 0.0 -3 -2 -1 0 1 2 3 図1 ラウエ関数とガウス型関数 ガウス型関数では積分幅 B と半値全幅 W の間に ln 2 B π の関係があるので, Kλ W = Dcosθ € ln2 K =2 = 0.939437L π € の関係が導かれます。つまり,シェラー定数として K = 0.94 を用いるという考え方は, 「結晶が一辺の長さ D の立方体形状で回折ベクトルが面法線方向を向いているとして, W =2 € ラウエ関数がガウス型関数で近似できる」と仮定していることを意味しています。このよ € うに書くとほとんど無意味な仮定のようにも見えますが,線幅のひろがりを特徴づける値 € として半値全幅を使い,シェラー定数として K = 0.94 という値を使って見積もられたサ イズは,「線幅の広がりがガウス型関数で表されると仮定した場合の回折ベクトルの方向 に沿った体積加重平均厚さ」という意味を持つと解釈することができるかもしれません。 € しかし,この場合,式 (1) の関係を用いるとすると矛盾が生じます(3−4節)。 2−2 Bragg の定数,K = 0.89 Bragg (1921a, 1921b)は Laue 関数の半値全幅 B と半値全幅 W の間に sin(πW 2B) W 1 = 0.885892L = ⇔ πW 2B B 2 の関係があることを数値計算によって導き, Kλ € W = Dcosθ € € K = 0.885892L ~ 0.89 としたようです。したがって,シェラー定数として K = 0.89 を用いる場合には,やはり € € € 「結晶が一辺の長さ D の立方体形状で回折ベクトルが面法線方向を向いている」と仮 定していますが,「ラウエ関数をガウス型関数で近似できる」とは仮定していないので, まだましかもしれません。線幅の広がりを特徴づける値として半値全幅を使い,シェラー € 定数として K = 0.89 という値を使って見積もられたサイズは,「線幅の広がりがラウエ 関数で表されると仮定した場合の回折ベクトルの方向に沿った体積加重平均厚さ」という 意味を持つと解釈することはできるかもしれません。 € しかし,この場合にも式 (1) の関係を使うことには矛盾が生じます(3−4節)。 3.20世紀中期の研究 3−1 結晶の粒度分布に関する初期の研究 結晶の粒度分布に関する初期の研究についても斉藤(1975)により解説されていま す。試料に大小の粒子を含むときは当然回折線幅に影響があり,この場合の取り扱いにつ いては Patterson (1928) と Jones (1938) により調べられているそうです。 容易に導かれる関係ですが,線幅のひろがりを「積分幅」として扱えば,粒度分布がど のような確率分布に従うかに関わらず,体積加重平均粒径に比例する粒径が見積もられる ことがこの時点で既に知られていました。 3−2 Stokes-Wilson の理論 20 世紀前半には既に Stokes と Wilson (1942) によって,球形を含む任意の形状の結 晶粒に対して,回折ベクトルが任意の方向を向いている(任意の反射指数 hkl を持つ)場 合の理論回折ピーク形状を導く方法(Stokes-Wilson の理論)が発表されています。 たとえば,直径 D の球形結晶粒からの理論回折ピーク形状は, 4 2sin s 4 sin 2 ( s / 2) + 2 1− [ k ≠ 0] Bs s s2 f S ( k;B) = 1 [ k = 0] B 8πk s= 3B 4 D= € 3B と表され,図2に示すような形状をとります。 € € 1.0 0.8 0.6 0.4 0.2 0.0 -3 -2 -1 0 1 2 3 図2 球形結晶粒からの理論回折ピーク形状 Langford と Wilson (1978) は,立方体,球形,正四面体,正八面体形状の場合に,任 意の反射指数に対する Scherrer 定数の具体的な値を導いています。表1に積分幅に対す る Scherrer 定数 K β とフーリエ幅に対する Scherrer 定数 K k の例を示します。ただし, この表では結晶のサイズが結晶粒体積の立方根で定義されています。 € € 表1 種々の形状に対する積分幅シェラー定数 ( K β ) とフーリエ幅シェラー定数 ( K k )。指 数 h, k, l は h , k , l と解釈され, h ≥ k ≥ l の順に並べるとする。また, H = h + k + l , 結晶粒の € € € 形状 € h ≥ € k+l 球 € 立方体 € β € h≥k+l h≤k+l 1/3 € 4 π = 1.0747 36 € 3 6h 1/2 2 N [6h − 2(k + l)h + kl] € € H 1/3 1/2 3 N 2H 3 61/3 N 1/2 [H 2 + ( k + l)H + 2kl] € € 2H 3 61/3 N 1/2 (2H 2 − N ) € € €K k h≤k+l 1/3 € 9π = 1.2090 16 € H N 1/2 2h 1/3 1/2 3 N 正四面体 正八面体 N = h 2 + k 2 + l 2 とする。 K € 3h 3 N 1/2 € 3h 1/3 1/2 6 N € 1/3 3H 2 ⋅ 31/3 N 1/2 3H 2 ⋅ 61/3 N 1/2 3−3 体積加重平均粒径と面積加重平均粒径 € € € € 「積分幅」から体積加重平均粒径が見積もられることは知られていましたが,結晶のサ イズが統計的な分布を持っている場合に,「フーリエ幅」(回折ピーク形状のフーリエ Fourier 変換の原点での傾きの逆数)からは面積加重平均粒径が得られることが Warren と Averbach (1950) により指摘されています。 つまり,結晶粒の形状やサイズの分布によらず,線幅の広がりとして積分幅を用いた場 合に,シェラー定数 K = 1 として見積もられたサイズは「回折ベクトルの方向に沿った体 積加重平均厚さ」という意味を持ち,線幅の広がりとしてフーリエ幅を用いた場合に K = 1 として見積もられたサイズは「回折ベクトルの方向に沿った面積加重平均厚さ」と € いう意味を持ちます。 € € 3−4 畳み込みの考え方 実測の回折線幅は「結晶サイズによるひろがり」だけでなく「装置によるぼやけ」や 「構造欠陥によるひろがり」の影響を受けています。これらの効果は数学的には畳み込み convolution として表現されます。Stokes (1948) はフーリエ変換を使った逆畳み込み計 算 deconvolution により「装置によるぼやけ」を除去する方法を提案しています。 畳み込みによって線幅がどのように変化するかはピーク形状に依存しますが,ローレン ツ型関数どうし,ガウス型関数どうしの畳み込みの場合には単純です。 線幅が B1, B2 の二つのローレンツ型関数の畳み込みは,線幅が B = B1 + B2 のローレン ツ型関数になり,線幅が B1, B2 の二つのガウス型関数の畳み込みは,線幅が B = B12 + B22 のガウス型関数になります。2−1節で導かれた Scherrer 定数 K = 0.94 € € € はガウス型関数で表されるようなひろがりを仮定していたのですが,この時点で式 (1) と € € は矛盾した結果になることがわかります。もし歪みによる広がりが無視できて装置による € ぼやけがガウス型関数で表されるならば,式 (1) の代わりに 2 Bobs = B2 + b2 (2) の関係を使わなければつじつまが合いません。2−2節で考察したラウエ関数について は,幅を「フーリエ幅」で定義することにすれば式 (1) が成立するのですが,「積分幅」 €や「半値全幅」に関しては式 (1) は成立しないはずであり,Bragg 定数 K = 0.89 を使う と,やはりつじつまが合わなくなります。 「積分幅」や「半値全幅」について式 (1) が成立するのは,「サイズによる広がり」も € 「装置によるぼやけ」もローレンツ型関数で表される場合だけです。このとき,「積分 幅」と「体積加重平均厚さ」の組み合わせではシェラー定数として K = 1 を使い,「半値 全幅」と「体積加重平均厚さ」の組み合わせではシェラー定数 K = 2 π = 0.63661L を使う のでなければつじつまが合いません。 € € 4.20世紀末∼21世紀の結晶粒径評価 結晶粒の集合体において,結晶粒サイズは統計的な分布を持っていることを前提とする べきであることは認められてきたようです。また,結晶粒の形状として楕円体形状でモデ ル化するのが現実的であるように思われます。楕円体形状結晶粒の理論回折ピーク形状は 球形のものと同じであり,方向によって幅が変化するだけです。楕円体形状を仮定すれば 特定の方向に成長しやすい結晶の異方的な形状をある程度まではモデルに取り入れられま す。結晶の形状の細かい違いよりも,大きさがどのような分布をとるかの方が現実的には 重要な場合が多いでしょう。また,結晶粒の統計的な分布として対数正規分布とよばれる 確率分布モデルを仮定するのが現在の主流です。楕円体形状でサイズの分布が対数正規分 布に従う結晶粒集合体からの理論回折ピーク形状を正確に計算する方法は 2003 年に見い だされました(Ida et al. 2003)。 また,サイズ分布を持つ結晶粒の集合体からの理論回折ピーク形状がローレンツ型関数 に近い形状になることも明らかになりました。 現在は線幅のひろがりを求めるために,変形可能なピーク形状モデル関数を「実測の回 折ピーク形状」あるいは逆畳み込みにより求められた「線幅のひろがりの形状」にあては める方法がとられるのが一般的です。 線幅の広がりとして積分幅を用い,シェラー定数 K = 4 3 = 1.33333L として得られるサ イズは「回折ベクトルの方向に沿った体積加重有効直径」という意味を持ち,線幅の広が りとしてフーリエ幅を用い,シェラー定数 K = 3 2 = 1.5 として得られるサイズは「回折ベ € クトルの方向に沿った面積加重有効直径」という意味を持ちます。 現在は,積分幅とフーリエ幅が既知であるようなピーク形状モデル関数を実験データに € 直接あてはめて,最適化されたピーク形状から結晶サイズの統計的な分布を評価すること が試みられています(Langford et al., 2000; 小中ら 2007)。この方法では必ずしも Scherrer 定数を意識する必要はありませんが,シェラーの式を使う方法よりも理論的な 基盤が明確であるだけでなく,コンピュータを使って自動的に解析することができるの で,むしろ実際には粒径の評価が容易になると思われます。 [参考文献] Bragg, W. L., James, R. W. & Bosanquet, C. H. (1921a). Phil. Mag., 41, 309. Bragg, W. L., James, R. W. & Bosanquet, C. H. (1921b). Phil. Mag., 42, 1. Guinier, A. (1963). X-ray Diffraction. San Francisco: Freeman. Ida, T., Shimazaki, S., Hibino, H. & Toraya H. (2003). J. Appl. Cryst., 36, 1107-1115. Jones, F. W. (1938). Proc. Roy. Soc., A 166, 16. Langford, J. I., Louër, D. & Scadi, P. (2000). J. Appl. Cryst., 33, 964-974. Langford, J. I. & Wilson, A. J. C. (1978). J. Appl. Cryst., 11, 102-113. Patterson, A. L. (1928). Z. Krist., 66, 637. Scherrer, P. (1918). Nachr. Ges. Wiss. Göttingen, 26 September, p. 98-100. Stokes, A. R. (1948). Proc. Phys. Soc., 61, 382-391. Stokes, A. R. & Wilson, A. J. C. (1942). Proc. Cambridge Philos. Soc., 38, 313-322. Warre, B. E. & Averbach, B. L. (1950). J. Appl. Phys., 21, 595-599. 斉藤喜彦, (1975). 仁田勇監修「X線結晶学 下」第5版,IV-2 章, 丸善. 柿木二郎, (1973). 仁田勇監修「X線結晶学 上」第5版,pp. 140-142, 丸善. 小中尚,佐々木明登,稲葉克彦,井田隆,羽賀浩一,宍戸統悦 ( (1973). J. Flux Growth, 2, 41-44 (2007).
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