J. Plasma Fusion Res. Vol.90, No.4 (2014)2 49‐251 小特集 イオンエンジン耐久性評価のためのイオンビームおよびスパッタリングのシミュレーション 4.壁面衝突(スパッタリング) のモデル化(分子動力学(MD) シミュレーション) と実験評価 4. MD Study on Differential Sputtering Yield of Carbon by Low-Energy Xe Ion Bombardment 村本哲也 MURAMOTO Tetsuya 岡山理科大学 (原稿受付:2 0 1 3年1 1月2 5日) イオンエンジンの加速グリッド損耗評価で必要とされる微分スパッタ収量のデータベースを提供するた め,低エネルギー Xe 原子による炭素材料のスパッタリングについて MD シミュレーションを行った.垂直入射の 場合,スパッタ収量の MD 計算結果は実験結果と大体一致した.MD 計算結果と実験結果の違いは,炭素材料の 表面粗さによる入射速度情報の喪失という観点から説明できる. Keywords: molecular dynamics simulation, low-energy sputtering, sputtering deposition 4. 1 はじめに ポテンシャル[5]を用いた.多体ポテンシャルの対斥力項 や LJ ポテンシャルは3次補間関数で Moliere ポテンシャル 現在,開発が進められているイオンエンジンのグリッド 耐久認定用数値解析ツールにおいて,グリッドの損耗や変 と滑らかに接続された. 形をもたらす低エネルギー範囲でのスパッタリング・再付 イオンエンジンのグリッドに使用される炭素複合材は隙間 着現象に関する情報が必要とされている [1].分子動力学 の多いグラファイト構造をもち,その密度は 1.7∼1.9 g/cm3 (MD)法は,スパッタリングにおける数 100 eV の Xe イオ である.しかし,当面の低エネルギー Xe イオンによるス ンとグリッド表面の炭素原子との衝突や C-C 結合の破壊に パッタリングのシミュレーションでは取り扱いの容易さか よる表面からのスパッタ粒子放出,再付着における表面下 らダイヤモンド構造の微結晶(密度 3.5 g/cm3)を採用し 注入や C-C 結合形成といった広いエネルギー範囲の現象を た.なお結晶性の効果を除外するため,結晶格子にランダ 理論的に取り扱うことができる. ムな回転・並進操作を行い平坦な表面を持つ微結晶を形成 本章では,低エネルギー Xe イオンによる炭素材料のス した.これは微視的にはダイヤモンド構造の多結晶と同等 パッタリングに関するデータベース整備のために試みた である.微結晶の直径はスパッタリングに直接影響する表 MD シミュレーションの成果を述べる. 面近傍の原子衝突カスケードを含ませることができる最小 限の大きさ(25∼36Å)とした. 4. 2 MD シミュレーションモデル 境界条件については,微結晶の外縁部に Langevin MD MD 法は Newton の運動方程式を数値計算で解き,多粒 法[6]を適用し,温度 300 K の熱浴と結合させた.またその 子系の運動を追跡する方法で,減速過程・多体衝突・熱的 部分には Dumped Boundary [7]を適用し,微結晶外縁の変 過程など広いエネルギー範囲の相互作用を扱うことができ 位を補正するための応力を考慮した.これらの境界条件に るため,原子の運動に関する諸現象(スパッタリングや吸 より微結晶がもっと大きな表面の一部である様子を再現し 着・拡散など)の理論的研究を行う上で有力なシミュレー た. ション手法である [2].MD 法で最も重要な要素は原子間 4. 3 結果と議論 相互作用力の計算で,少数原子系に対しては量子力学的手 法により計算可能であるが,大規模な原子系に対しては計 従来,スパッタリング現象の解析には2体衝突近似法に 算速度の観点から半経験的多体ポテンシャルが用いられ 基づき原子衝突を追跡する MC シミュレーション・コード る.今回の MD 計算では平衡距離で C-C 相互作用に解析的 (例:ACAT [8],TRIM.SP[9])が利用されてきた.イオ ボンドオーダー型多体ポテンシャル[3],Xe-C 相互作用に ンの入射エネルギーが数keV以上の高エネルギー範囲にお Lennard-Jones(LJ)ポテンシャル [4] ,近接距離で Moliere いてこれらの MC コードはスパッタ収量やスパッタ粒子の Okayama University of Science, OKAYAMA 700-0005, Japan author’s e-mail: [email protected] 249 !2014 The Japan Society of Plasma Science and Nuclear Fusion Research Journal of Plasma and Fusion Research Vol.90, No.4 April 2014 放出角度・エネルギー分布をよく再現するが,多体衝突が 法線方向を感じる.これは粗い表面に対しては入射角度の 重要となる低エネルギー範囲には2体衝突近似が適さない ランダム化と等価で,結果としてスパッタ収量の入射角依 ため,MC コードの信頼性も低下する.図1に Xe 垂直入射 存性を減少させる.即ち,実験の弱い入射角依存性は表面 の場合における炭素スパッタ収量の計算結果を入射エネル 粗さによってもたらされた可能性がある. ギーの関数として示す.垂直入射についてはTRIM.SPによ このような表面粗さは μm スケール以上であると考えら る計算[10]や,多くの実験報告[11‐16]がなされており,比 れるため,この表面形状を MD 計算で直接扱うことは計算 較のためプロットした.ACAT 計算は 200 eV で実験結果 機性能上の限界から困難である.しかし図3に示すよう を2桁近く過小評価する.この原因として多体衝突により に,そのような表面をÅスケールで平坦とみなし,局所表 エネルギー付与密度が増加し,スパッタ収量を増加させる 面でのスパッタリングを損耗の素過程としたモンテカルロ ことが考えられる[17].これより,低エネルギー範囲では 計算で表面形状の変化を追跡することは可能である.その 多体衝突の取り扱いがスパッタ収量に大きく影響し,その 素過程のデータベースを構築するために MD 計算を活用で 評価に MD 法が有効であるといえる.一方,3章で述べら きる. れたように,実験において炭素標的中に Xe 原子が残留す スパッタ粒子の表面再付着を解析するためには,粒子の ることでスパッタ収量の増加をもたらす可能性も検討され 運動方向とエネルギーの情報が必要で,そのためには微分 ている[18].どちらの効果が支配的か判断するには,実験 スパッタ収量のデータベースを構築することが望ましい. による Xe 残留量の検証が必要である. MD 計算で得られたスパッタ粒子の情報から,次式のよう スパッタリング解析において表面の情報は最も重要な要 に全方向に対する微分スパッタ収量が定義された. 素の1つである.斜め入射ではイオンが表面と相互作用す #" !!! ## # $ ! %# !"&%&"$" " . #" る時間が長くなるため,表面形状・表面密度の効果が現れ やすい事が予想される.図2に 200 eV Xe 入射の場合にお (1) ける炭素スパッタ収量の計算結果を入射角度の関数として ここで "&%&"$は全スパッタ収量(atom/ion),!!は Xe イオ 示す.MD 計算は実験結果[16]と比べて斜め入射で最大1 ンの入射エネルギー,#は入射角度,#" $ ! %#は規格化され 桁程度スパッタ収量を過大評価する.これはシミュレー た微分スパッタ収量(1/sr),$は放出角,%は放出方位角 ションで用いたダイヤモンド微結晶の密度が実験で用いら を表す(図4). れた炭素複合材の密度よりも大きいことが原因と考えられ 図5に 200 eV Xe→C の場合について #" $ ! %#の等高線図 る.より現実に即したシミュレーションを行うためには を示す.動径方向は $!0∼90°,円周方向は %!0∼360°, Xe 照射によって変性した炭素材料表面の原子・分子ス ケールでの実験的解析を行い,その結果を取り入れる必要 がある. また実験結果はシミュレーション結果に比べて弱い入射 角依存性をもつ.低エネルギー範囲では入射原子が表面の 局所的な原子集団と多体衝突することで,その局所表面の 図2 図1 垂直入射 Xe による炭素スパッタ収量. 図3 250 200 eV Xe 入射による炭素スパッタ収量. 粗い表面でのスパッタリングの模式図. Special Topic Article 4. MD Study on Differential Sputtering Yield of Carbon by Low-Energy Xe Ion Bombardment T. Muramoto 4. 4 まとめ 低エネルギー Xe イオンによる炭素材料のスパッタリン グについて MD シミュレーションを行った.垂直入射の場 合,MD 計算結果は実験結果と大体一致した.ただし MD 計算結果に比べて実験結果の入射角依存性は弱い.これは 実験で用いられた炭素材料の表面粗さが原因と予想され る.これらの結果は現在,開発が進められているイオンエ 図4 ンジンのグリッド耐久認定用数値解析ツールにおいて,グ 入射角と放出角の関係. リッドの損耗や変形をもたらす低エネルギー範囲でのス パッタリング・再付着現象に関する情報として組み込まれ ている. 参考文献 図5 [1]M. Nakano et al., JAXA Research and Development Report JAXA-RR-09-004, 1 (2009). [2]S. Roger, Atomic and Ion Collisions in Solids and at Surfaces: Theory, Simulation and Applications (Cambridge University Press, 1997). [3]N. Juslin et al., J. Appl. Phys. 98, 123520.1 (2005). [4]J.E. Lennard and I. Jones, Proc. R. Soc. London A106, 441 (1924). [5]G. Moliere, Z. Naturforsch A2, 133 (1947). [6]H.J.C. Berendsen et al., J. Chem. Phys. 81, 3684 (1984). [7]J.R. Beeler Jr., Defects in Solids 13 (North-Holland, Amsterdam, 1983). [8]W. Takeuchi and Y. Yamamura, Radiat. Eff. 71, 53 (1983). [9]J.P. Biersack, and W. Eckstein, Appl. Phys. A34, 73 (1984). [1 0]W. 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Space Transportation Symposium STEP-2010-29 (2011). 微分スパッタ収量:200 eV Xe→C. 薄灰色∼濃灰色の曲線は最大値の10,20,30,40,5 0,60, 70,80,90%の等高線を示す.計算結果は垂直入射("!0°) ではハート型の放出角分布となる傾向が強く,斜め入射 ("!60°)では入射方向に沿った放出角に強いピークが現 れる.いずれも低エネルギーで衝突カスケードが十分発達 しないことにより,入射方向の記憶を保持したスパッタ粒 子が放出されていることを示す. 放出角分布の方位角依存性について言及している実験や 半経験公式は少ない.公式化に際しては,多数回衝突・少 数回衝突による放出など複数のスパッタリング過程に基づ く理論的な裏付けのある関数形を採用するのが望ましい が,当面は球面調和解析で得られた展開係数を" !!! "#の関 数として補間する数値データベースを提供した[19, 20]. 251
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