Festival Addressing the Sicknesses we suffer from in today`s world

国際交流基金 The Japan Foundation
Performing Arts Network Japan
Presenter Interview
2016.5.9
プレゼンター・インタビュー
SICK! Festival
Addressing the Sicknesses we suffer from in today’s world
現代社会に潜む病理に迫る
SICK! フェスティバル
ヘレン・メドランド Helen Medland
現代社会に潜む病理やタブーに対して芸術的にアプローチすることを目的に 2013年
に創設された「SICK! フェスティバル」。隔年で開催され、医療関係者、社会学者、
心理学者など専門家のアドバイザリー・グループと連携し、“SICK!” をテーマにした
演劇、ダンス、映画、インスタレーション、ディベートなど多彩な催しを展開してい
る。創設者は、実験的アート空間として過去20年以上にわたり重要な役割を果たし
てきたブライトンの「The Basement」を立ち上げたヘレン・メドランド
(SICK! フェ
スティバル芸術監督)とティム・ハリソン(同企画開発ディレクター)の二人だ。2016
年3月に開催された「SICK! LAB」
(フェスティバルが開催されない偶数年に開かれ
ている実験的な催し)を取材するとともに、フェスティバルを立ち上げた思いについ
ティム・ハリソン Tim Harrison
て二人にインタビューした。
聞き手:岩城京子[ジャーナリスト]
SICK! フェスティバル
■
http://www.sickfestival.com
─取材を始めるにあたり、おふたりの主な職務について教えてください。
ヘレン・メドランド(以下、HM)
:雑務からプログラミングに至るまで、フェスティバ
ルのあらゆることを私とティムと、もうひとりのシオバン・ハーウッドという若い女性
で回しています。なので、職務配分はあってないようなものです、ただざっくりとした
配分はあって、演劇、ダンス、ビジュアル・アート、ライブ・パフォーマンスなどの作
品を世界各地で見て、芸術関連プログラムを決定するのは私の責任。ディスカッショ
ンやディベート、レクチャーなど、よりアカデミックな人たちに関わるイベントはティ
ムが担当しています。
ティム・ハリソン(以下、TH)
:ヘレンとは 7年ほどの付きあいになります。頭のつくり
が全く違うけれど、互いに足りないところをうまく補完しあえているように思えます。
また同じような作品を好む傾向があるので、うまくやっていけるのだと思います。
HM:私はノーフォークの小さな海辺の町に生まれて、14歳で家を追い出されて、教
育システムから落ちこぼれた。看護婦や清掃員としても働いたこともあって、ティムと
は育ちが違う。
TH:私は穏やかで快適であたたかな中流階級の家庭で育ち、その後、芸術史の勉強
のために大学に入学しました。19世紀の芸術、宗教、科学分野にまたがる博士号を
取得しました。恵まれた環境で育ったことは自覚していますし、感謝しています。
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─ SICK! フェスティバルを立ち上げるまえから、お二人は共に仕事をされてきまし
た。02年には、ブライトンにザ・ベースメントという劇場施設を共同創設されています。
ここは当初はフリンジ作品を紹介する小規模な地元組織として運営されていましたが、
急速に発展し、国内のみならず国際的にも評価を得るクリエイション・センターとして
の地位を確立しました。
HM:ザ・ベースメントでやりたかったことはただひとつ。ブライトンに高品質な実演
芸術を提供する空間をつくりたかった。初志貫徹して、9年にわたり、私たちは国内
外の作家を招聘し、地元作家たちを40人ほど支援することに成功しました。後者に関
しては、ザ・ベースメントに事務所スペースを提供し、作品制作から上演に至るまで、
創作に必要なあらゆる工程をバックアップしました。建物の150年間の借用権を獲得
したので、こうした支援ができる施設を長期間にわたって物理的に確保することはで
きましたが、欠点がひとつあって、施設がとても小さかったんです。かつて地元新聞
の印刷所として利用されていた廃屋ビルの地下を改装してつくったので、天井高が 2.5
メートルしかなくて、収容人数も100人ほどだった。それでも私たちのプログラミング
はとても野心的でした。
年々、私たちはより規模の大きな演目を上演したいと思うようになっていたものの、
限られたスペースであらゆることを賄っていました。2010年頃から、SICK! のもとに
なるようなプログラミングをはじめてもいました。また 2011年頃からは、ザ・ベース
メント以外にも空間を借りてプログラミングを始めるようになりました。ちなみに私た
ちは空間の狭さとともに、客層の狭さにも窮屈さを感じるようになっていました。ザ・
ベースメントに来てくれるお客さんの多くは、中流階級の教育された人たち。どのイベ
ントにも同じ知り合いがいる。私たちは社会を構成する他の層の人びととも対話したい
と思うようになっていきました。
TH:ザ・ベースメントを通して素晴らしいネットワークを築けたことは事実です。でも
私たちは小さなアート業界よりも大きな世界で生きているはずです! 作品的にも、
かなり自分本意なものが多いことに私たちは気づいていました。芸術界で生きていく
ために必要な本は全部読みました、という作品が多かった。でもそのような作品は、
現実問題に切り込んでいくことができなかった。
HM:これはブライトンだけにとどまる問題ではありません。たとえば横浜のTPAM に
も参加しましたが、そこでも同じ現象を目にしました。ものすごい閉鎖社会。
「他の人
たちはどこにいるの?」
「なぜ私が育ってきたような環境で暮らす人たちはいないの?」
と。どこでも同じような性質の人ばかりに会うことに、私は本当に息苦しくなっていき
ました。私たちを心底ワクワクさせてくれたのは、この世界で本当に大事な、逼迫し
た事態について迫る作品群なんです。
─ それで 2013年にブライトンで SICK!フェスティバルのパイロット版を始めたので
すね。
HM:そうです。私のなかではもはや芸術界から身を引くか、この閉鎖社会の突破口に
なるような何かを始めるか、二者択一の問題だった。ですからフェスティバル設立の
動機は、とても個人的なものであると同時にとても切迫したものでした。
その頃、私がプライベートで経験したできごとも、キャリア選択に大きな影響を及
ぼしたと思います。2010年から14年にかけて、とても多くの死を目の当たりにしまし
た。まず母が亡くなり、それによって家族にまつわる隠された事実が明らかになった。
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加えて自分と同年代の近しい男友達が立て続けに 4人も自殺した。その頃ずっと、ティ
ムと「なんでアートではこういうことが話される機会が少ないの」
「生き死にの問題につ
いて、もっとアートは踏み込むべきじゃないの」と話していました。
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SICK! フェスティバル
TH:そうした辛い体験を何も味わわずに生きてける人なんていない。程度の差こそ
あれ、誰しもそういう経験はある。そのためか、たったの予算2万5,000 ポンド(約
400万円)で 2013年に立ち上げたザ・ベースメントでの小規模なパイロット版フェス
ティバルでは観客が爆発的に増えました。
「コンテンポラリーダンスをやります」、
「現
代演劇を上演します」ではなく、
「こうした問題や、ああした社会事象について語りま
す」と宣伝した途端、信じられないほど多くの様々な背景の人びとが、私たちがやって
いることに興味を持ってくれた。その変化はポスト・パフォーマンストークに顕著に表
れていました。かなりの人が個人的なコメントや質問を携えてディスカッションに参加
してくれた。
HM:例えば、一昨日、
「SICK! ラボ 」
(2016年よりフェスティバルの開催されない偶
数年に開催されている、より小規模な 4日間のイベント)の一環として上演されたブラ
イオニー・キミングスによる鬱病にまつわるパフォーマンス『Fake it Till You Make
It』の後には、7割を超える観客が残ってくれて、しかもそのうちの7割は男性だった。
かなり熱心に、1時間以上、出演者であるブライオニー・キミングスとティム・グレイバー
ン、そしてサセックス大学の上級講師ベン・フィンチャムと共にトークに参加してくれ
ました。
TH:しかも SICK! のポスト・パフォーマンス・トークは、アーティストが一方的にしゃ
べるだけじゃない。全員対等にトークに参加し、観客の体験談をみんなで分かちあっ
ているんです。
HM:そうです。だから涙ながらに話す人もいるし、励ましの言葉があちこちで交わさ
れる。私自身、“生存者(サバイバー)” だからわかりますが……。サバイバーという言
葉は日本でも使いますか?
─意味は伝わりますが、“経験者”“体験者”という言葉の方を使う方が多いかもしれ
ません。
HM:こういう言葉は、その国の皮膚感覚によって表現が違うので繊細に扱うべきかも
しれませんが、いずれにせよ、私自身がサバイバーだから、同じようなことをくぐり抜
けてきた人の話を聞くことがどれだけ心の支えになるかよくわかっている。
「私は普通
なんだ 」と思うことができる。同じようなことをくぐり抜けて、私を理解し、サポートし
てくれる人がいるということを実感できるんです。
TH:2013年のパイロット版フェスティバルを開催したとき、特に印象に残っているの
は、トーク終了後に劇場のバーにまで降りてきて、私たちに話しかけてきてくれる人が
多かったこと。それに、観客同士も熱心に話し合っていて、お互いに泣いたり、ハグし
たりしていました。間違いなく、そこにはある種の “ コミュニティ(共同体)” が誕生し
ていました。
─昨夜、私が見たリア・ハーリー作・演出による『アンタッチャブル』というワーク・
イン・プログレスでも、同じような共同体が誕生していたように思います。家庭内暴力
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を受けたことがありますか、性的暴力を受けたことがありますか、アルコール中毒者
が家族にいたことはありますか、薬物中毒者が身近にいたことはありますか、という
言葉を舞台上の彼女が淡々と放つ。そして一つひとつの言葉の後、間を置いて、彼女
が手を挙げる。そうすると、別に観客に対して挙手を促しているわけではないのに、
客席にいる人たちが率先して手を挙げていった。相当、人前で表明するのが難しい内
容であるにもかかわらず、ほとんどの人が臆さずに参加していたことに驚かされました。
HM:まさにあれが SICK! の共同体感覚です。リアの言葉に、観客が率先して応える。
一人、また一人と手を挙げていくことで、その場でなんらかの “絆” が生まれていく。
全員がそこにいる全員に対して「あなたは大丈夫だから!」と、励ましの言葉をかけて
いる感覚が生まれるんです。
─ロンドンや東京のいわゆる商業劇場では、あまり体験できない感覚でした。普通
の演劇の客層とは違う人たちが、あそこには集っていたように思えました。
HM:ええ。SICK!の客層は、他の多くの芸術フェスティバルとはかなり違うと思います。
アンケート調査によると、観客の半分はアートへの興味から、もう半分は健康福祉へ
の興味から集まってきています。また、このフェスティバルに参加する人たちは、皆な
にがしかの個人的体験を携えて劇場に足を運んでくれています。私たちが掲げるフェ
スティバルの主題に、何らかのかたちで共鳴できる人たちが来てくれる。そうすると、
面白いことにアーティストも観客も対等な関係になるんです。全員、そこにいる誰かを
支えたい、助けたい、と思って参加しているからです。
例えば、一昨日行われた「SICK! Couch(ソファ)」という自由参加型のトークイベン
トでは、ある鬱病の娘を抱えたお母さんが、その悩みについて話されていました。そ
れに対して、話しを聞いていた人たちが自分たちの知識や経験をシェアしてくれた。学
者や医療関係者などの専門家だけでなく
「私にも同じような娘がいる」という一般の人
まで、話し合いに積極的に参加してくれた。こういう対話って本当にいいな、と思いま
したね。商業劇場ではあまり体験できない共同体がそこにはありました。
TH:過去数年の SICK! を介して、どれだけ多くの「専門家」と呼ばれる人たちが、かつ
ては病気の当事者だったかということを知りました。専門家はこっち側にいて、被験者
や患者はあっち側というように単純な線引きはできないんです。
─ SICK! フェスティバルの予算について教えてください。
HM:2013年のパイロット版フェスティバルの予算は、先ほどもお伝えしたようにたっ
た 2万5,000 ポンドでした。その成功を踏まえて、翌年度の予算額は桁が一つ増えて、
22万ポンド
(約3,400万円)になりました。2015年度にはマンチェスターにフェスティ
バルが拡大したこともあり、さらに予算が増えて40万ポンド(約6,400万円)を確保し
ました。あくまでも一例ですが、2015年度の総予算はウェルカム・トラスト、英国アー
ツ・カウンシル、ブライトン&ホヴ市議会、ブライトン大学CUPP(コミュニティ大学
パートナーシップ・プログラム )、マンチェスター大学、ロディック・ファンデーション、
フィルム・ハブ・サウスイースト、から助成金を得ました。ちなみにこの予算額の上昇
線に比例するように、当初2,200人だった観客動員も、2015年度には 3万2,000人
にまで拡大しました。
─昨晩の「SICK! ラボ 」では、植物状態の患者の死を「いつ、いかに認定すべきか」
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という議題について、演劇作家であり、マンチェスター大学中央病院NHS センターで
終末医療に携わるトゥヒーン・フダがディスカッションしていました。普通に劇場運営
しているだけでは、ターミナル・ケアの医師や学者、医療関係者、慈善団体関係者に
接する機会はほぼありません。フェスティバル設立当初、どのようにしてこのような専
門家と知り合っていったのでしょうか。
TH:まずは膨大な量のリサ―チをしました。そのリサーチをもとに、フェスティバル
のテーマに関与すると思えるスペシャリストにコンタクトをとり、そこから徐々にネット
ワークが広がっていきました。あらゆるグループの人びとに、私たちは紹介されました。
また自分たちが扱う主題が広がるに連れて、人脈も自ずと広がっていきました。医療
から始まり、心理学者、社会学者、遺伝学というように……。
HM:今ではマンチェスター大学メディア・カルチュラルスタディーズ学部教授ジャッ
キー・ステーシーと、ブライトン&サッセックス・メディカル・スクール臨床生物医療
倫理学教授ボビー・ファーサイズが、フェスティバルに関わってくれるようになりまし
た。彼女たちはすばらしい学者であり、講演者であり、膨大な知識によって私たちを
支えてくれています。
TH:2013年度のテーマは「思春期、心の病、老い、死」でした。そのとき私たちは、
全トピックをカバーできる学者をまずひとり探しました。論点が分散しないという意味
で、これはこれで良かったのですが、最終的にはそのひとりの学者の友人、知人によっ
て参加者が固められることになり、少しばかり議論が多様性に欠けた。
そこで「セックス & セクシャリティ、暴力、自殺」というテーマを掲げた 2015年度で
は、性医療関係者、元性産業労働者、そして心理学、ジェンダー・スタディーズ、社
会学など異なる分野の学者からなるアドバイザリー・グループを編成しました。異なる
観点からテーマに切り込んでいくことができて、この試みは成功しました。そこからネッ
トワークがどんどん広がっていきました。また 2015年にはフェスティバルがブライト
ンとマンチェスターの 2拠点に発展したこともあり、さらに人脈が広がりました。です
から今では、法学、心理学、社会学などの教授から、生物学医療関係者まで、有り
難いことにあらゆる必要な専門家と交流が持てています。
─ それほど多彩な背景を持つ専門家が、ひとつのテーブルを囲むという議論は、学
会でもあまり見られません。
HM:ええ、ですから何が面白かったって、アドバイザリー・グループの十数名が初め
て集まった日、大学教授からアーティストに至るまで誰もが平等にワクワクしていると
同時に不安を感じていたこと
(笑)。いつも自分が付きあう業界にはいない、全く異な
るフィールドの人間と話さなければいけないわけですから。全員、とても緊張していま
した。
TH:同時に、誰もが謙虚に、寛容に他者に対してふるまっていました。たいがいの学
会では「この分野の権威は私です」という人が中心に鎮座していて、他の人はあまり自
由に発言できない事態に陥ってしまうことが多い。でも、SICK! では、昨年のクリス
マス頃、2017年度のフェスティバルに向けたミーティングを開きましたが、そこに参
加した社会学者、人類学者、哲学者、遺伝学者、精神分析医、アーティストなどは誰
もが平等に意見し、民主的に他者の意見に耳を傾けていました。その自由な話し合い
の場から、次第にトピックがまとまり、2017年度のフェスティバルはアイデンティティ
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とトラウマにフォーカスする「私を私にするのは、何か?」というテーマで開催すること
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HM:こうした専門家が集まる場で、私は常にあるひとつのルールを遵守するようにし
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が決定しました。
ています。そのルールとは “ ひらたい言葉で喋ること”。確かにアドバイザリー・グルー
プに参加する人たちは、各々の専門性によってその場に呼ばれています。けれど、私
たちは学者ではありません。私たちが知りたいのは専門的知識だけじゃないし、個人
的体験談も聞きたい。そこで、そこにいる人が誰も「除け者にされている」と感じない
で済むよう、
「これ以上ないくらい、簡素な言葉でしゃべってください」とお願いしま
した。私のようにアカデミズムの蚊帳の外にいる人間からすると、学者の話すことは、
大抵ちんぷんかんぷん。
「ぎゃー、何を言ってるの!」と叫びたくなる
(笑)。でもこのルー
ルを適応した途端、誰もが平等な立場で話し合いに参加できるようになります。
─身体的、心理的、社会的な病についてのフェスティバルを開催する際、付随して
浮上してくる「倫理問題」についても伺いたいと思います。例えばレイプについてのパ
フォーマンスやトークを行うとき、その表現がある種の倫理基準を満たしていないと、
被害者にセカンド・レイプのような体験をさせてしまう恐れがあります。こうしたかな
りデリケートな対応を要する問題については、専門家の意見を仰いだりするのでしょう
か。
TH:ええ、もちろんです。あらゆる専門家と話し合い、どのように観客をサポートで
きるかを考えます。アドバイザリー・グループの話し合いは、テーマを深く追求するた
めだけでなく、そのようなデリケートな問題をすべてクリアにしておくためにも行われ
ているのです。
HM:例えば「自殺」について話すと決めたなら、自殺専門のアドバイザリー・グループ
を組み、どのような言葉遣いをするべきかという問題から取り組んでいきます。また
イベント当日には、自殺にまつわる慈善団体の人たちにも協力を仰ぎ、不安に感じた
参加者がいつでもその慈善団体のTシャツを着た人たちに話しかけられるようにしまし
た。フラッシュバックするような事態になっても、きちんとサポートできる人が常に会
場にいるようにしたんです。ただ、ひとつ断っておく必要がありますが、実際のプログ
ラミングには彼ら専門家は関与していません。どのようなアーティストを呼び、ディス
カッションを行うかということに関しては、私とティムが部屋に缶詰になり、ふたりで
決めています。
─年度ごとのテーマは、どのように決定されるのでしょうか。
TH:すでにテーマを決めた上で、人に会いに行ったり、フェスティバルの視察に向かっ
たりするわけではありません。いろいろ見て回ってる間になんらかのテーマが浮き彫り
になってくるという感じです。
HM:あと、旅先で出逢う人たちと交わす会話も大切です。例えば、このあいだ日本に
行って、初めて自殺率が非常に高いことを知りました。そうしたことは、日々のニュー
スから知ることはできない。実際に現地に赴いて、いろいろな人と話すうちにわかって
くること。芸術関係者だけではなく、タクシーの運転手さんであったり、飲食店で働
く人だったり。そういう“生身の人間の声” をすくい上げて、フェスティバルのテーマを
決めることが、私のような生い立ちの人間にとっては大切なんです。
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─冒頭で、お二人の育ちはずいぶん異なるというお話がありました。SICK!フェスティ
バルの設立契機とも深く関わっていると思うので、それぞれの生い立ちについて、も
う少し詳しくお話しいただけますでしょうか。
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HM:難題ですねえ……。なるべく簡単に私の半生について説明すると、すべては私が
11カ月のときに両親が離婚したことから始まります。父は、母の大親友と駆け落ちし
たんです。その後、看護婦だった母は、幾人かのパートナーを経て、私と4人の姉妹
の父親となる男性と再婚しました。後にわかることですが、義父はアルコール中毒で、
日常的に母と私に暴力をふるっていました。その後、最初に話したように、私は14歳
のときに家から追い出された。それで薬物に手を出してしまったんです。その頃、6人
の友達をヘロインの過剰摂取と乱用で亡くしました。それで、19歳頃だと思いますが、
看護の仕事を始めました。特別な理由はありません。母も姉妹もみんな看護師だった
からです。ただ働きはじめてわかったのは、当時の私は人の世話をする仕事が全く向
いていなかったということ。私自身、いろいろと心の病を抱えていたこともあるでしょ
う。とにかく、看護師は私にとっての良いキャリアパスではなかった。
どんな仕事であれ、好きでなければ上手くならない、というのは誰でも知っている
事実です。そこで約2年半後、看護の仕事を辞めて、私の人生で最も美しい存在であ
る娘を授かりました。彼女の父親との関係は長続きしませんでしたね。母から受け継
いだ遺伝でしょうか。それで…… 5 ~ 6年前に、長年、認知症と鬱病を患っていた母
が亡くなりました。母の葬儀で親族と話すうち、義父は性的虐待を私だけではなく母
にも繰り返していたことが判明した。以後、私も鬱病に悩まされるようになりました。
また、これはそれまでの人生で全くなかったことですが、自殺を考えるようになりまし
た。その頃、友人が何人も自殺したことも関わっていると思います。ただ私は素晴ら
しいカウンセラーに出会ったことで救われた。今でも苦しんではいますが、鬱病との
付き合い方を学んだ。昼間、こうして仕事をしているときは、隅っこの小さな箱のなか
にいなさい。夜になったら、飛び出してきて私を食いちぎっていいから
(笑)、ってコン
トロールできるようになった。
そんな人生のなかで、私は音楽業界にも携わるようになっていました。無政 府主
義インディー・パンクっていうんですか。
「何か叫びたいことがある」人たちが集まるレ
コーディング・スタジオで仕事を始めました。70年代のイギリスですから、誰もがな
にかに怒っていた
(笑)。特に音楽に興味があったか、と聞かれると正直わかりません。
ただ、私は子供の頃からいつも政治に興味を持っていて、いつも社会で起こることに
ついて問い続けていた。自分の人生で起こった様々な苦難が、私をアートに向かわせ
たのだと思います。次はティムの番ね。私とは全然違う、アカデミックな生い立ちだか
ら面白いわよ。
TH:確かに自分の人生は、ヘレンとは全然違う。まず二十代前半のとき、大学院で
19世紀の宗教、芸術、科学を科学と人文学の双方から分析する博士号を取得しました。
その頃、僕も心を患い 4年間カウンセラーなどに通っていましたが、ヘレンがくぐり抜
けてきたこととは比べものにならない(笑)。意志薄弱なせいで酒浸りになり、うまく
いかない人間関係に悩んでいたわけですから、全部、自分のせいです。確かに人は誰
しも大なり小なり心の病を抱えています。心の病のグラデーションのどこかに位置づけ
られて生きている。でもヘレンの話を聞く度に、とてつもなく巨大な悲劇に見舞われ
た人間については、全く別問題として考えるべきだと思います。
その後、当時付き合っていた女性の影響でパフォーミングアートに興味を持つよう
になり、卒業後、その関係の仕事に就きます。05年から 08年までは、ブリストル
で当時かなり実験的なプログラムを組んでいたアーノルフィーニという施設でライブ・
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アート&ダンス・コーディネーターとして働きました。08年から 09年まではアーツ・
カウンシルで、ライブ・アート&ダンス・オフィサーとして働いたりもしていました。そ
して 2009年にヘレンと出逢いザ・ベースメントに参加しました。ヘレンと僕は、確か
に違います。ただ好きなものは一緒。表現の仕方が違うだけです。
─ そんなお二人がプログラムを組む際に、採用している評価基準があったら教えて
ジェローム・ベル Jérôme Bel
ください。
1964 年フランス生まれ。先鋭的な作品で知
られるコンテンポラリーダンスの振付家。フラ
ンス国立現代舞踊センター・アンジェ
(CNDC)
で学んだ後、ダンサーとして活躍。94 年か
ら振付作品を発表。代表作は、ノン・ダンス
として物議をかもした『The show must go
on』
(2001 年 )。 ま た、2012 年 に は 知 的
障 害をもつ 俳 優 たちが出 演 する『Disabled
Theater』を発表。
HM:まず、質が高いこと。そして素晴らしい作品ならではの深度があること。
TH:フェスティバルが掲げるテーマを取り除いて考えても、作品が芸術的に国際基準
を満たしていること。この国では、いわゆる「セラピー・アート」と呼ばれる芸術表現
が盛んです。でもこれらの表現は基本的に芸術性よりも行為そのものの意義に重きが
置かれる。それは素晴らしい試みだと思いますが、私たちは少し違うスタンスを取って
います。つまり幅広い観客が納得できる一流芸術作品を選んでいるのです。
ミロ・ラウ Milo Rau
1977 年スイス生まれ。演出家、劇作家、ジャー
ナリスト、研究者、コンセプチュアル・アー
ティスト、映画制作者として多彩な才能を発
揮。2007 年にさまざまなアートの手法を介
して歴 史 的 事 件 を再 現する「International
Institute of Political Murder(IIPM)」 を
設立。作品に、1994 年のルワンダ虐殺の一
翼を担ったラジオ局の内部を詳細に再現した
『Hate Radio』、中東やアフリカから地中海
ルートでヨーロッパに移動する多くの難民達
が命を落としている現状を検証した『Mitleid.
Die Geschichte des Maschinengewehrs
(同情─マシンガンの話)』など。
HM:例えば、
「私を私にするのは、何か?」という主題で開催される 2017年のフェス
ティバルには、ジェローム・ベル、ミロ・ラウ、イ・ヨンジンが参加することが決まっ
ています。
─ 2014 年にはベルリンを拠 点に活 動 する Gob Squad の『Before Your Very
Eyes』を招聘しました。ここでは 8歳から14歳の子供たちがマジックミラーで四方を
仕切られた舞台空間に上がり、早回しで老人になっていくさまを描きます。なぜこの
作品を「Sick(病)」に特化したフェスティバルで取り上げようと思ったのでしょうか。
TH:あの作品を招聘するかどうかでは、かなりヘレンと議論になりました。最終的に、
ヘレンの強い思いに私も同意しました。
HM:あの作品は、老い、社会、思春期といった問題について語っています。つっけん
どんな社会派演劇としてではなく、芸術的な質を保ったままで。だから絶対に呼ぶべ
きだと思いました。
TH:あの作品以後、私たちの考える SICK!フェスティバルの概念は、間違いなく拡張
されました。
─ 最後の質問です。ショッピングから政治まで、あらゆることが「病的である」と表
現することができる現代で、どのように「Sick(病)」の概念を規定しているのでしょう
か。
TH:私たちは「Sick」という単語の曖昧さが気に入っています。ただ、一つ言えるのは、
あらゆる病は個人と社会との関連性で生まれてくるということ。二つの領域は不可分で
す。例えば家庭内暴力によって引き起こされる心の病は、貧困という社会的な病と明
らかに繋がっています。また「Sick」という単語は、ある意味、社会の道徳観念も規定
します。少し前までこの国では同性愛は病だと見なされていました。つまり私たちが
病だと規定するものの多くは、自分たちが健全な社会から排除したいものなんです。
HM:私たちは意図的に、私たちが社会から排除しよう、見ないでいよう、話さない
でいようとするものをプログラムに選びます。怖がらないで自分たちで「問題の舵を取
りましょう」と提案している。現代人は、あらゆることを怖がって生きています。環境、
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病気、食べものが怖い……人工甘味料が施されたピーナッツを食べたら死ぬんじゃな
いか、と本気で怖がっている
(笑)。でもその怖いと思って排除しているものの根幹を
見つめて、愛してみたら、少しは人生が楽になるかもしれない。
現代社会に潜む病理に迫る
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TH:フェスティバルには、悦びに満ちたハレの日という意味がありますよね。そんな
言葉に私たちは「病」という単語をくっつけた。つまり「SICK! フェスティバル」という
概念自体がパラドックス
(矛盾)なんです(笑)。
HM:そう。そして矛盾しているからこそ、面白いんです。
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