これは多摩美術大学が管理する修了生の論文および

これは多摩美術大学が管理する修了生の論文および
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多摩美術大学大学院
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平成 16 年度 多摩美術大学大学院美術研究科 修士論文
2005,Master Thesis,Graduate School of Art and Design,Tama A
rt University
妖怪イラストレーション
宿谷 卓司
( グラフィックデザイン学科 30330092 博士前期 ( 修士 ) 課程、デザイン
専攻、G-6, イラストレーション /「Yo-kai Illustration」 Takuji Shukutani 3
0330092 Tama Art University Grphic design Illustration)
目次
はじめに ( 研究の動機・目的 )
1. 妖怪とは
1.1 妖怪考 ....................................................................................... 2
2. 妖怪表現の歴史 ( 娯楽としての広がり )
2.1 妖怪表現の歴史 ........................................................................... 4
2.2 妖怪表現の歴史 ( 表図 ).................................................................. 5
2.3 地獄絵・絵巻物 ........................................................................... 6
2.4 錦絵・武者絵・黄表紙・挿絵 ......................................................... 9
2.5 漫画・アニメ・ゲーム・小説・映画 ................................................ 15
3. 妖怪の魅力
3.1「気持ち悪い」という親しみやすさ ................................................ 21
3.2
形なきものに形を与える趣向 ......................................................... 22
3.3 特異な造形性 ( デフォルマシヨン ) ................................................ 23
3.4 民族学との繋がり ........................................................................ 25
3.5 考察 .......................................................................................... 26
4. 実制作における分析、解説
4.1 妖怪辞典 .................................................................................... 28
4.2 妖怪漫画 .................................................................................... 29
4.2̶1 個性的なキャラクター ......................................................... 29
4.2̶2 不条理なストーリー ............................................................ 29
4.2̶3 ナンセンス・ユーモア ......................................................... 30
4.2̶4 描き込みのリアリティー ...................................................... 30
4.3 娯楽としての可能性 ..................................................................... 31
* 参考文献
はじめに ( 研究の動機・目的 )
私は、
「妖怪イラストレーション」を大学院で二年間研究してきました。
妖怪を描き始めた動機は、水木しげるの妖怪辞典の影響で、妖怪の奇妙な造形と異質な世界観が「現実世界では
見れないものを描きたい」という自分の思想と一致していたからです。
妖怪の歴史は地獄絵にルーツを辿り、その後仏教などの宗教普及の為、伝説・伝承に登場し、江戸時代より娯楽
として開化しました。娯楽として広まった理由は、妖しげな魅力が人々に不思議な笑いを誘い、その「妖しさ」が
他のキャラクターにはない、独自の娯楽の領域を見い出したからでしょう。
私が、妖怪イラストレーションを描く目的は、妖怪たちが持つ「妖しい」という可笑しさを、娯楽として多くの
人に楽しんでもらう為です。イラストレーションや漫画といった媒体を中心に妖怪イラストレーションを深め、さ
らなる娯楽への展開を模索していければと考えています。
1.1 妖怪考
民族学者・柳田国男は、
「妖怪の多くは、信仰が失われて零落した神々の姿である」と定義した。つまり、神と妖
怪はウラオモテ、ともに霊的存在でありながら、メジャーかマイナーかで区別されてきたというのだ。このことを
具体的に説明するには、やはり神を説明しなければならないだろう。ここでいう神とは、「姿を隠す」という意味
の ( かくれみ ) からきている。日本の神は、本来見えざるものだった。どこに隠れたのか。海や山、森や湖沼 ... つ
まり、自然と融合してその姿を消すのだ。だから日本人にとって自然が神だった。人が死んだときに「帰幽」とい
うのも同じ発想にほかならない。
しかし、そこで姿を消したままでいられず、飛び出してくる者がいる。それが妖怪なのである。彼らは、ただ零
落しただけの存在でなく、人びとを驚かせ、怖がらせ、独特のユーモアをもって愛されもする。しかもじっとして
いるわけではなく、動きをなす。ある種の不思議なエネルギーに満ちた存在なのだ。
妖怪という字を見てみよう。妖の字の ( 夭 ) はなまめかしく、人をまどわすという意。いわば ( 夭いの女 )。
そして ( 心もまた土にある ) あやしくいぶかしい生物だから怪と書く。この夭と怪が合体して「超自然的なもの、
そのころの科学的知識では原因のはっきりしないもの、そういう生態をもったもの」( 藤澤衛彦 ) を指すという。
つけ加えれば、土に還るべき魂が鎮められずに飛び出してくるもの、それが妖怪だということもできる。
昔の人は、
「朝はニワトリ、昼はキジ、夜はヌエが鳴く」といった。闇夜に鳴くものの正体は見えない。人は見え
ない存在を怖がり、むりやりに説明し、描こうとする。その想像力が、ヌエを「頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は
虎」の妖怪に仕立てた。闇夜に身体をひゅっと切るものがいれば、それは妖怪カマイタチだと考えた。ひとたび異
形なる容姿を ( 目撃 ) すれば、それもまた妖怪の仲間入りである。
これ程想像性に富んだものをかつての絵師たちが見逃すわけはない。得てして妖怪は時代を超え妖怪画として人々
の心の中に繁殖していくのである。
妖怪画の歴史
妖怪は、奈良時代から描かれ、その時代の文化を取り入れ先端のメディアを利用して変化してきた。
例えば、土佐光信の「百鬼夜行絵巻」に代表される絵巻物という形から、鳥山石燕の「百鬼夜行図」における妖
怪の図解化。妖怪一匹一匹が詳しく図解化され、シチュエーションを持ったことで、絵を見て楽しんでいたものが、
生活の中に入り込み想像する楽しみが膨らんだ。
江戸後期の歌川国芳を代表する劇画では、現代でいう「モンスター」のような形で大衆に受け入れられた。
昭和に入ると水木しげるが登場し、妖怪を漫画、テレビを通して全国に広め、「モンスター」よりも親しみの持て
る「キャラクター」という形で妖怪を大衆化したのである。
このように、妖怪画と一言に言っても様々なスタイルのものがあり、時代性や絵師の妖怪の捉え方によって数多
くのバリエーションが生まれたのである。その中で妖怪が最も繁栄したのは江戸時代といわれ、それは、鎖国をし
たために日本独自の文化が深まったことや、江戸の文化文政期が大衆のエネルギーに充電され、活気にあふ
れていたからであろう。
ここでは、奈良時代から現代までに残された妖怪表現と、その作家たちをジャンル別、年代順に紹介していこ
う。
(1216) 清少納言
鎌倉時代
(1192 ∼ 1337)*「地獄絵」*「鳥獣人物戯画」
「今昔物語集」
「大鏡」
「枕草子」
「帝都」
「読史百話」
「法隆寺論功」
「湯島詣」
「高野聖」
「照葉狂言」
「歌行灯」
「婦系図」
「妖怪談義」
「遠野物語」
「石神問答」
「山島民譚集」
「河童」
「鼻」
「羅生門」
「地獄変」
「歯車」
「蜘蛛の糸」喜田貞吉
泉鏡花
柳田國男
芥川龍之介 (1871 ∼ 1939)
(1873 ∼ 1939)
(1875 ∼ 1962)
(1892 ∼ 1927) 大正時代
(1912 ∼
1925)(1922 ∼ )
(1947 )
(1960 ∼ )
(1961 ∼ )
(1963 ∼ )(1831 ∼ 1889)
(1839 ∼ 1893)
(1850 ∼ 1904)
(1858 ∼ 1919)
(1867 ∼ 1941)(1712 ∼ 1788)
(1716 ∼ )
(1734 ∼ 1809)
(1797 ∼ 1861)
(1760 ∼ 1849)
(1767 ∼ 1824)
(1767 ∼ 1848)
(1775 ∼ 1850)
(1776 ∼ 1843)(? ∼ ?) 年代奈良時代
(710 ∼
793) 時代「宇治拾遺物語」
*「六道絵」
*「地獄草紙・餓鬼草紙」*「ゲゲゲの鬼太郎」
「悪魔くん」「河童の三平」「水木し
げるの妖怪辞典」
「図説日本妖怪大全」
「妖鬼化」
「帝都物語」
「世界大博物学図鑑」
「新編別世界通信」
「火車」
「読書日記」
「永遠の仔」
「龍は眠る」
「暁斎妖怪百景」
「怪奇鳥獣図巻」
「怪生物」
「妖怪かるた」
「姑獲鳥の夏」
「魍魎の厘」
「嗤う伊右衛門」
「鉄鼠の檻」* 水木しげる
荒又宏
宮部みゆき
多田克己
京極夏彦 *「水虎之図」
*「稲生物怪禄絵巻」
*「化物婚姻絵巻」
*「百鬼夜行 」
「続百鬼」
「百鬼拾遺」
「画図百鬼徒然袋」
*「蕪村妖怪絵巻」
「峨嵋露頂図巻」
「夜色楼台図」
「雨月物語」
「春雨物語」
「癇癖談」
「胆大小心録」
*「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」
*「椿説弓張月」
「百物語」( 挿絵 )
*「異形賀茂祭図巻」
「古今著聞集図屏風」
「椿説弓張月」
「南総里見八犬伝」
「近世説美少年録」
*「絵本百物語ー桃山人夜話」
「山境異聞」
「勝五郎再生記聞」
「霊能真柱」
「古史徴」* 河鍋暁斎
* 月岡芳年
小泉八雲
井上円了
南方熊楠 * 鳥山石燕
* 与謝蕪村
上田秋成
* 歌川国芳
* 葛飾北斎
* 田中訥言
滝沢馬琴
* 竹原春泉
平田篤胤 *「暁斎百鬼画談 」
「百鬼夜行図」
*「新形三十六怪撰」
「和漢百物語」
「風俗三十ニ相」
「心」
「霊の日本」
「骨董」
「怪談」
「影」
「天の川縁起」
「仏教活論」
「妖怪学講義」
「妖怪百談」
「南方閑話」
「十二支考」
「南方随筆」* 土佐光信
* 大和絵正系
に近い画家 *「百鬼夜行絵巻 ( 真珠庵 )」
*「付喪神絵巻 ( 非情成仏絵 )」
*「大江山絵巻」
*「土蜘蛛草紙」絵師・著者絵画・書物平安時代
(794 ∼
1191) 昭和時代
(1926 ∼
1988) 明治時代
(1868 ∼
1911) 江戸時代
(1603 ∼
1867) 室町・南北
朝時代
(1338 ∼
1573) 妖怪表現の歴史 ( 表図 )... 絵師・絵画には * 印
2.2 地獄絵・絵巻物
地獄絵 ( じごくえ )
奈良・平安・鎌倉時代∼
古代末期、律令体制の崩壊にともなう社会不安、源平の合戦以来、あいつぐ戦乱と、大火、旱魃、飢饉、疫病な
どの天災地変に人々はおののき、生きながらの地獄を体感した。現代人の視点ではリアリティーのない地獄絵も、
この時代の人々には認めざるを得ないものだったろう。人々は現世の地獄と死後の地獄の間で仏に救済を求めたの
である。
地獄とは六道輪廻の思想から生まれ、六道は、天道、人間道、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄の六つの世界で成り立っ
ている。現世で罪を犯した人間は、その罪の大きさによってあの世に行く道が決まる。天国は穏やかで退屈なとこ
ろだが、地獄は一転して凄惨を極める。地獄絵の中でも平安時代に描かれた餓鬼草紙と地獄草紙はその時代の世相
を表したものとしてよく知られている。
餓鬼草紙の餓鬼達は死ぬことも出来ずにこの世をさまよっている。その姿は人間には見えず、まるでハイエナの
ように人間の様子を伺い、死骸にしゃぶりつく。痩せて腹の異様に出た醜態で永遠に生きなければならない。
地獄草紙では地獄の鬼達に食われ無惨に殺される人間の姿が生々しい。灼熱地獄では火あぶりにされ、針山地獄
では串刺しになる。一度バラバラになった体はふっと風が吹くと再び再生し、永遠に苦しみを味わうのである。
地獄絵は妖怪画の源流であり、現実社会に対するシビアな視線は特筆するに値する。現世の人間の戒めとして描
かれたものだが、そこには不条理な社会の中で苦しむ人間の姿と、そのはかなさが見事に描かれている。
「百鬼夜行絵巻」( ひゃっきやぎょうえまき )
室町時代後期
作者は土佐光信と言われるが、
確証はない。夜の暗闇のなかを大小さまざまな妖怪変化たちが跳梁 ( ちょうりょう )・
行進していく姿が描かれている。この京都の真珠庵に伝来した「百鬼夜行絵巻」は、同時期、それ以後に描かれた「百
鬼夜行絵巻の中でも最も優れてい、本絵巻もこれと同じ系統である。実にさまざまな妖怪変化が登場するが、基本
的には古くなって捨てられた器物の妖怪が基本である。妖怪たちは神を祭るための祭礼行列をし、朝日が昇るころ
になると慌てて闇の中へと逃げ帰っていく。
百鬼夜行絵巻の妖怪はユーモアに富んでいる。虎だとか、狐だとか、猿のような動物によって表されたものもあり、
そうかと思うと、器物に手足のはえた化け物によって表されたものもある。器物には、
「鎧、兜、弓、太刀、鐙といっ
た武器のたぐい、琵琶、琴、笛、太鼓、笙といったような楽器のたぐい、鏡、灯台、火鉢といったような家具置物
のたぐい、いろいろな仏具のたぐい」がある。
中世は、古代では貴族など一部の者にしか所有できなっかったものが、商工業の発達によってたくさんつくられ、
庶民の生活のなかに浸透していった時代であった。煤払いのさい、古道具たちが、無造作に路傍にほうりだされる
ということは、長年使われ続けたかれらにとっては、妖怪に化け人間に仕返しをしなければ気のすまないことだっ
たろう。
百鬼夜行絵巻は、新しく人々の前に現れた道具、器物に対して当時の人々がそれらとどのような関係をとり結ん
でいたのか、あるいはまた、ものと人間とのコミュニケーションが断ち切られる以前の日本人のものとの関係が、
どのようなものであったかを生き生きと伝えているといってよいのではないだろうか。
このように現実に押し流される「もの」の孤愁を知ると、ユーモラスな印象を与える付喪神に、いっそう親しみ
を感じるのである。
「酒呑童子絵巻 ( 大江山絵巻 )」( しゅてんどうじえまき・おおえやまえまき )
室町時代
作者未詳。大江山に住む鬼童・酒呑童子を源頼光と四天王が退治する物語。酒呑童子は大酒呑みの童子と解釈さ
れるが、その原義は「捨て童子」だという説もある。
「捨て童子」とは誕生の不思議さゆえに子供が捨てられ、山の動物によって育てられるという山中異常成育譚のひ
とつである。酒呑童子退治の物語は、童子の棲家を丹波大江山とするものと、近江伊吹山とするもののニ系統に大
別される。
「付喪神絵巻」( つくもがみえまき )
室町時代
内題は「非情成仏絵」
、
「非情草木成仏絵」とも記される。器物という生命のない物であっても百年がたつと魂が
宿るというアニミズム的な俗信を背景として成立した伝承説話。話は、煤払いによって捨てられた古器物が一同に
参集して捨てられた恨みをはらそうと誓い、妖怪に変じて貴賤をおびやかすことに成功したが、護法童子に鎮圧さ
れて過去を悔い発心修行してついに成仏するというものである。絵は室町時代に盛行する「小絵」と呼ばれる小型
の絵巻に描かれ、詞書の他、画中にも詞が加えられる。
「化物婚姻絵巻」( ばけものこんいんえまき )
江戸後期
作者、制作年は不明。熊本藩八代城主の松井家に秘蔵されてきた妖怪世界の婚礼を描いたもの。絵巻の内容は、
若い妖怪娘に興味をもった妖怪聟が媒酌人を通して婚礼を申し出て、見合い、結納、婚礼、婚礼行列、お産、産祝
いと続け、朝となったところで慌てて逃げ去るというもの。人間の生活風習の中で妖怪がユーモラスに擬人化され
ているところが特徴的である。
「稲生物怪録絵巻」( いのうもののけろくえまき )
(1748 年∼ 1751 年頃 )
写本が多く、作者は稲生武太夫本人とも言われるが定かではない。備前の国 ( 現・広島県 ) 三次市の藩士、稲生家
に出没した 30 匹の妖怪と稲生平太郎少年との遭遇譚。平太郎 ( 後に武太夫 ) が比叡山にて仲間と口論になり、勇
気を試すため、百物語で勝負する。それからしばらくして稲生家に色々な怪異が起こる。化物が現れたり、部屋が
水びたしになったり、砂が天井から降ってきたりなど。が、平太郎はいっこうに驚かず、やがて 30 日たつと妖怪
も降参し山本五郎左衛門という男が現れる。五郎左衛門は平太郎を褒めたたえ、異界へ帰っていく。
2.3 錦絵・武者絵・黄表紙・挿絵
江戸時代中期以降、さまざまな娯楽の中に妖怪が登場するようになる。これは、とりわけ都市の人々にとって、
妖怪がリアリティを失っていった結果であったといえよう。代わって、妖怪たちは擬似的な恐怖や笑いをひき起こ
すための便利な道具立てとして用いられ、フィクションとして楽しまれるようになっていった。現代のホラーブー
ムや妖怪ブームも、その延長戦上にあるといえるだろう。
鳥山石燕 ( とりやま せきえん )
江戸時代 (1712 年∼ 1788 年 )
鳥山石燕は経歴が謎に包まれた江戸随一の妖怪絵師である。石燕は、かの美人画の名手喜多川歌磨の師匠として
一般には知られているが、美人画の遺品のみならず、錦絵関係の作品もほとんどない。それは妖怪絵本にことのほ
か力を注ぎ、民衆にアピールしていたからである。
彼は従来の絵巻系の妖怪を研究して再現したばかりではなく、「和漢三才図会」のような図彙類をも参照し、さら
に先行する而慍斎 ( 山岡元隣 ) の「百物語評判」などにみられる民間伝承による妖怪の諸国分布の傾向をも発展大
成させた。こうして発表された「百鬼夜行」
「続百鬼」「百鬼拾遺」「画図百鬼徒然袋」などは、刊行直後から大き
な反響をもって迎えられたらしい。
石燕の妖怪画は、本来「名づけえぬもの」
「形の定かならぬもの」であった妖怪に、明確な名前と形態を与えて系
統・分類しようとする近世における一潮流 ( 明治の井上円了や江馬務らへとつながってゆく「妖怪学」の萌芽 ) か
ら生まれた最高の達成のひとつだった。史上初の「妖怪百科」ともいうべき同書の影響の大きさは、近世・近代の
妖怪画のみならず、水木しげるの妖怪漫画や京極夏彦の妖怪小説にまで及んでいることからも明らかだろう。
与謝蕪村 ( よさ ぶそん )
江戸時代 (1716 年∼ 1783 年 )
江戸時代中期の俳人であり、画家でもある。本姓は谷口氏。摂津国東成群毛馬村 ( 現・大阪市 ) に生まれる。四五
歳から与謝氏と称す。生存中には俳人としてよりも画家として知られていた。絵は主に独学で、沈南蘋の画風や浙
派の張路など、中国の明代、清代の画法を取り入れて独自の画風を築きあげた。そして、晩年期には南宗画法を独
自に解釈消化し、池大雅と並び日本南画の大成者といわれている。代表作には「蝦蟇露頂図巻」「夜色楼台図」
、大
雅との合作「十便十宣画冊」など。妖怪表現では、この「蕪村妖怪絵巻」が知られている。
葛飾北斎 ( かつしか ほくさい )
江戸時代 (1760 年∼ 1849 年 )
北斎は江戸本所割下水に生まれ、錦絵、絵手本、狂歌本、読本などに才覚を発揮した。画号を春朗、宗理、北斎、
画狂人、戴斗、為一、卍、と幾度も変えたことは生涯に九十三回も引っ越したという転居癖とともに奇癖の双璧と
して有名な話である。九十歳で亡くなるまでに豊富すぎるほどの作品を残した。
北斎とその作品は、すこぶる眩惑的な存在である。親しみやすく明快率直といいきるにしては、その絵は多くの
場合、あまりにもぎくしゃくと屈折しており、晩年のものになると、むしろ晦渋で謎めいてさえいる。
北斎の怪奇色の濃い作品といえば、
読本
「椿説弓張月」で、計 23 冊が文化 8 年までにあいついで刊行された。これは、
馬琴の文才と北斎の画才があい競った読本芸術の代表作である。同じく「百物語」もよく知られている。
( こはだ小平次 )( 笑ひはんにゃ )( しうねん )( お岩さん )( さらやしき ) が有名で、読本「椿説弓張月」とともに世
界怪奇画史上特筆される作品である。本図のほか ( さらやしき ) などはとくに迫力がある。
北斎の妖怪画に見られる特筆は、描画の美しさと構成力、そして絵全体から漂うぞっとするような雰囲気だろう。
無駄な要素がなく、
無気味さだけが抽出されて我々に迫ってくる。対象物の真実を読み取ることに生涯を費やした、
北斎ならではの傑作である。北斎の生き方、画狂精神は後の河鍋暁斎らに大きく影響を与えていく。
竹原春泉 ( たけはら しゅんせん )
江戸時代 (1775 年∼ 1850 年 )
竹原春泉は、竹原春朝斎の息子として大阪に生まれた。
生没年は不詳で、春泉、春泉斎、春水と号し、画を父に学んで風俗人物画を描き、また版刻の密画に長じたという。
「桃山人夜話」は、
「国書総目録」( 岩波書店刊 ) に「絵本百物語」( 天保一二〈一八四一〉年刊 ) として掲載されて
いるものだが、その内容は、諸国に伝わる怪奇譚を紹介し、話の主人公を挿絵で示すもので、妖怪図鑑というより
も、諸国の伝承説話を集めた色彩が強い。
中には、
「寝ぶとり」のように、睡眠中にどんどん太ってしまう女という、どこかユーモラスな話まで含まれていて、
妖怪だけが登場するのではないようだ。
妖怪らしきものをを 1 つ 1 つ描き起こしていく画風から、又鳥山石燕が亡くなる少し前に生まれていることから
も、石燕の仕事を継いだと捉えても差し支えないだろう。画風は類似しているが、若干の彩色が見られるところが
違うところである。春泉は北斎のように西洋的な遠近法を採用しなかったものの、彼の画面は空間的奥行きを感じ
させ、歌川国芳にはおよばないまでも、ある種の臨場感を漂わせてもいる。
春泉が「絵本百物語」を描いたのは、およそ彼が六十∼七十歳頃の老年期に相当し、しかもこれ以外の彼の描い
た妖怪画は見つかっていない。そんな彼が突然「絵本百物語」なる、妖怪画集を描いたのはいかなる理由からであ
ろうか。今だ謎の多い絵師である。
歌川国芳 ( うたがわ くによし )
江戸時代 (1797 年∼ 1861 年 )
歌川国芳は寛政 ( 一七九七 ) 年江戸日本橋で生まれた。
一五歳の時、初代歌川豊国に入門し本格的に浮世絵を学び始めた。文政末年に、当時の水滸伝ブームに便乗して版
行した「通俗水滸伝豪傑百八之一個」のシリーズが大当りして国芳の名があがり、武者絵のジャンルに新しい境地
を開拓していった。また、天保初年には、従来の歌川派にはみられない光と影を国芳流に駆使した洋風表現による
「東都名所」などの風景版画を発表し始め、北斎や広重とも一味異なった作風を展開した。
天保一四 ( 一八四三 ) 年には「源頼光公館土蜘蛛作妖怪図」を描き、天保の改革に苦しむ庶民の怒りを代弁したと
して大好評を博したが、幕府は幕政を批判したものとして発売禁止とした。国芳は、劇画のジャンルにも新生面を
開き、人の姿をいくつも組み合わせてひとりの人間に仕立てた「みかけはこわいがとんだいい人だ」「人をばかに
した人だ」などの機智的作品も発表している。
国芳の真骨頂はなんといっても「宮本武蔵鯨を刺す」のように、三枚続の横長画面一杯にあふれんばかりの大鯨
を描く、奇抜な構図をもつ豪快な作品にあるだろう。
また「八犬伝・芳流閣」にみる縦長画面に思い切った仰角視点を採用した作品も忘れがたい。国芳は武者を悪政に
走る幕府、妖怪を悪政に腹を立てたヒーローと見立て、妖怪画に政治風刺、民衆の声を反映させその価値を高めた
のである。その反骨精神は、弟子である月岡芳年や河鍋暁斎などに影響を与えていった。
河鍋暁斎 ( かわなべ きょうさい )
明治時代 (1831 年∼ 1889 年 )
河鍋暁斎は天保二 ( 一八三一 ) 年、
下総国西葛飾郡古河に生まれ、七歳の時、浮世絵師歌川国芳に入門した。しかし、
間もなく狩野派の門に入り、一一歳の時駿河台狩野家の洞白門人となり、一九歳で修行を終える。二八歳で河鍋氏
を称す。文久年間 ( 一八六一∼六四年 ) あたりから万亭応賀や浮世絵師と組んで様々な錦絵や挿絵を描き、狂画の
世界に奔放な構想力を発揮した。明治三年、上野の書画会で酔った上に狂画を描き、ついに投獄されてしまう。翌
年放免されてから悔い改め、それまでの画号の狂斎を暁斎と改めた。これ以後、暁斎は狩野派の正道をゆこうとす
る。暁斎は国芳から反骨と批判、ユーモアと奇想を学び、少年時代に憧れた北斎からは、貪欲な画狂精神と奇行癖
を受け継いだのであろう。
「暁斎百鬼画談」は彼の没後に刊行されたもの。真珠庵本系の「百鬼夜行絵巻」を祖本として、暁斎一流の味付け
を処々に施しているもので、暁斎得意の動的表現にあふれる作品である。「百鬼夜行図屏風」も「百鬼夜行絵巻」
を祖本として暁斎流に誇張して描いたものである。
「地獄の極楽」を描こうとした暁斎らしい妖しくも痛快な作品である。暁斎の妖怪には漢画の基本を体した筋金入
りのリアリズムと動勢把握の迫力があって、いくら眺めていても見飽きない面白さがある。これらのユーモアとパ
ロディーに溢れた妖怪画は、現代の漫画のルーツとなっている。
月岡芳年 ( つきおか よしとし )
明治時代 (1839 年∼ 1893 年 )
月岡芳年は天保一〇 ( 一八三九 ) に生まれ、嘉永三 ( 一八五〇 ) 年歌川国芳に入門した。月岡芳年は幕末・明治の
浮世絵界に活躍、幾多の名作を遣し、最後の浮世絵師と謳われた。幕末期には武者絵、役者絵、美人画の他、
「英
名ニ十八衆句」( 一八六六∼六七年 ) などの残酷趣味の絵を描く。怪奇物の代表作「新形三十六怪撰」( 明治ニニ
∼ニ五年 ) なども、この頃の作品である。その他の代表作には「和漢百物語」、「美勇水滸伝」、「風俗三十ニ相」ほ
かがある。晩年精神異常となり、五四歳の生涯を閉じた。
芳年は菊池容斉の画風に傾倒し、さらに洋風表現を加味した独自の作風で、歴史上の事実に取材した作品を数多
く制作した。
維新戦争のまっただ中では、殺し、殺されていく者の壮絶な死にざまをスケッチしてまわったという。そんな経
験が彼の作品に反映し、殺しの刹那、死に直面する苦悶の姿、血みどろの残虐、グロッタの世界が展開した。彼は
戦争の悲惨、狂った社会を反逆精神で描いているのである。彼自身も、生涯たびたび発狂し、意識朦朧の中で絵を
描き続けたという。芳年狂気の世界が彼の人生とオーバーラップして、鬼気として迫ってくる。
芳年の浮世絵、妖怪画における「死と殺戮」
「血と残虐」という特異な画風は、悪を礼賛し、死を賛美するかのよ
うで、ときには耽美的でもあり、見る者を困惑させる。しかし、それが芳年芸術の魅力である。系譜は、鏑木清方
から伊東深水へと受け継がれ、現在まで続いている。
「水虎之図」( すいこのず )
江戸時代
水の精霊である河童はもっぱら川や沼を住処とし、土地人に畏怖をもたらす存在であった。河童という呼び名は
今日広く知られているが以前はまちまちで、
今でも地域性を色濃く残している。江戸時代の聞き書き集「河童聞合」
は、豊後日田地方で河童と遭遇した人たちの体験談を記録したものだが、そこに描かれている河童はやせ細り人と
も猿ともつかぬ姿である。
「河童之図」をはじめ、近世の文献などに登場する多彩な河童の姿には、猿・亀・スッ
ポン・カワウソなど動物的要素が投影しているといわれている。
「怪奇鳥獣図巻」( かいきちょうじゅうずかん )
江戸時代
江戸の無名の絵師によって描かれた絵巻物。七十六種の不可思議な鳥獣、異様異体の鬼神たちが次々に登場する。
中国古代の奇怪な博物誌「山海経」からの引用を中心としつつ、来歴不明の妖怪たちも顔を見せる。「山海経」は
古代中国に著わされた一種の地理誌であるが、その中に各地の山川に棲む怪異な姿の神や妖怪たちが記録されてい
る。また、
「山海経」には「山海図」という妖怪類の図もある。「山海経」の作者は郭璞。日本には奈良時代頃には
伝わり、それを元に、この「怪奇鳥獣図巻」ができたと見える。つまり「怪奇鳥獣図巻」とは古代中国と江戸期日
本のイマジネーションが交差した妖怪絵巻である。
「出没した妖怪」
江戸・明治時代
江戸時代後期に最盛期を迎えた妖怪画だったが、その中には実際に出没した妖怪を描いたという絵も残っている。
主に河童などは有名だが、その他にも豊年亀や件、雷獣など、一般庶民が目撃した妖怪は数知れない。妖怪は何か
を予言して消えるものが多い。その妖怪の言った通りにすると災難から逃れ、大豊作になると信じられた。これは、
大規模な飢饉や一揆の起った、その時代の庶民の不安な心理をついたものだろう。
2.4 漫画・アニメ・ゲーム・小説・映画
現代の妖怪表現 ( 昭和・平成時代 )
第二次世界大戦以降、妖怪は殆ど人々の記憶から忘れ去られていた。しかし終戦後、日本は高度経済成長を迎え、
その勢いと共に娯楽も急速な発展を見せる。漫画の世界も同様で、漫画家・水木しげるの登場で妖怪人気は一気に
火がつき、
「ゲゲゲの鬼太郎」
「悪魔くん」で妖怪ブームを巻き起こした。。紙芝居、貸本などの頒布性や利益率の
低いメディアに比べ、漫画、アニメという伝達能力の優れたメディアにのったことで、妖怪は過去のどの時代にも
増して大衆化することに成功した。又、妖怪をキャラクター化し、子供に親しみやすいものにしたことで、より一
層娯楽として昇華したのである。水木しげるの影響を受け、手塚治や永井豪など同時代の漫画家も妖怪をテーマに
作品を発表、それ以降の漫画家も独自の妖怪漫画を展開するようになる。
水木しげる ( みずき しげる )
昭和時代 (1922 年∼ )
水木しげるは鳥取県境港市に生まれる。幼い頃、近所にいた「のんのんばあ」と呼ばれる媼によって妖怪学の初
等教育を受けたという。郷里である鳥取県の境港には、河童や小豆とぎの棲む河川や、狐狸が人を化かす山野があっ
た。戦時中、出兵したラバウルでは爆弾によって片腕を失い、死の恐怖を目の当たりにした。ラバウルでは戦争で
人が死んでいく中でのんびりと生活した原住民と出会い、その生き方はこの世の天国のように映ったという。この
「生きる」ことへの問いかけが、その後の水木の妖怪観を深めていった。
戦後、東京で紙芝居や貸本漫画を描きはじめ、「悪魔くん」「ゲゲゲの鬼太郎」で妖怪ブームを巻き起こす。
水木の妖怪画における功績は、妖怪を漫画化し、その魅力を大衆に広めたことであろう。妖怪は我々と同じように
感情を持ち、言葉を喋ってコミュニケーションするものとして描かれている。
表現媒体は漫画だけにとどまらず、テレビや映画にも進出する。現在では全国の妖怪を網羅した妖怪図巻や立体
模型、ゲームソフトや妖怪の存在を感じる CD にまで媒体を広げている。本人が自らを ( 一・冒険家、ニ・妖怪研
究家、三・漫画家 ) というように、世界中を旅して資料を集め、その膨大な知識の中から描かれる妖怪画は絶対で
ある。
水木は鳥山石燕や河鍋暁斎の衣鉢を継ぐ現代の妖怪絵師として、そして戦後日本における妖怪復興の精神的支柱
として今日もエネルギッシュに活動している。
清水崑 ( しみず こん )
(1912 年∼ 1974 年 )
長崎市生まれ、
本名幸雄。1930 年、
長崎市立商業学校卒業後上京し、生活のため街頭似顔絵描きとなる。1932 年、
横山隆一、杉浦幸雄、近藤日出造らの新漫画集団に参加。1933 年、「オール読物」に挿絵を執筆、岡本一平に認
められて漫画家になる。文芸春秋誌などに挿絵を描く。戦後朝日新聞に政治漫画を連載。1949 年、早川書房から
出版された、
火野葦平の短編小説集「河童」の装丁と挿絵を担当したことから、
「清水かっぱ」がはじまる。1951 年、
「小学生朝日新聞」の創刊に際し「かっぱ川太郎」を連載。1953 年、週刊朝日に昭和 33 年まで「かっぱ天国」
を独特の毛筆で連載し、新しいカッパ像を創り出し、 かっぱの崑 の名声を上げる。1955 年、
「黄桜酒造」のカッ
パを描く。( 昭和 49 年からは、小島功氏が引き継ぐ )
小島功 ( こじま こう )
(1928 年∼ )
東京生まれ。昭和 22 年 独立漫画派結成。昭和 34 年同派解散。日本漫画協会常務理事に就任。昭和 43 年文春
漫画賞受賞。昭和 59 年 画業 35 周年展開催。平成 2 年 紫綬褒章受賞。平成 4 年 日本漫画家協会理事長に就任。
代表作に『仙人部落』
『うちのヨメはん』
『ヒゲとボイン』などがある。「黄桜酒造」の CM やテレビや雑誌などに
登場するかっぱ絵でおなじみ。
「どろろ」
・手塚治虫 ( てづか おさむ )
(1926 年∼ 1989 年 )
手塚治虫 本名・手塚治。46 年「マァちゃんの日記帳」でデビュー。トキワ荘ができてすぐに 14 号室に住むが、
翌年藤子に受け渡して並木ハウスにうつる。漫画を語るときにははずせない人物。作品の質はもとより量もすさま
じく、あらゆる分野で巨匠である。受賞も多い。代表作「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「ブラック・ジャック」
など、多数。
梅図かずお ( うめず かずお )
(1936 年∼ )
和歌山県高野山に生まれ、奈良県五条市で育つ。1955 年、プロデビューを果たした楳図は、以後精力的に貸本
向けの単行本を描く。1962 年には『ロマンスの薬』を発表。 ラブコメ というジャンルの開拓者となった。そ
の一方で、
『口が耳までさける時』
『へび少女』などを発表し、恐怖路線で脚光を浴びた。また、1972 年からは『漂
流教室』を連載。荒廃した未来の世界で生き抜く子どもたちの姿をリアルに描き、1975 年には小学館漫画賞を受
賞した。一方、1976 年からは『まことちゃん』を発表。下品でシュールなギャグが大ブレイクした。他にも『猫
目小僧』
『おろち』
『イアラ』
『神の左手悪魔の右手』『14 歳』など多数の作品があり、映像化されたものも多い。
楳図の感性は、漫画という分野にとどまらず様々な場面で注目されてきたが、それらのすべてが真に独創的である
ことが、楳図を稀有な存在たらしめている。
「うしろの百太郎」
・つのだじろう
講談社刊・週刊少年マガジンに連載され、心霊ブームを巻き起こした影響力の高い心霊作品。原作者のつのだじ
ろう自身による、調査や体験に基づいた内容で、不思議な霊の世界に導く。
「デビルマン」
・永井豪 ( ながい ごう )
(1945 年∼ )
漫画家。石川県出身。本名は、
永井 潔 ( きよし )。代表作に『デビルマン』
『マジンガー Z』など。石ノ森章太郎 ( 当
時、
「石森章太郎」) のアシスタントからはじめ、ギャグマンガ『目明しポリ吉』でデビュー。
デビルマン ... ある日「不動明」の前に現れた親友「飛鳥了」。明は了から太古の昔、地球上に君臨した悪魔の一族、
デーモンが復活し、人類から地球を奪い返そうとしている事をしらされる。当初信じない明も、デーモンの歴史書
やデーモンの襲撃に会い、信じざるを得ない状態に。そして明は了の父親、飛鳥教授の残した恐怖の遺産、唯一デー
モンと戦う方法である「自らがデーモンとなる事」を決意する。
「妖怪人間べム」
(1968 年∼ )
第一動画制作のホラーアニメ。かつて、とある科学者が正義と犠牲の精神を持った生命体を作るため、人造生命
体の研究に没頭した。やがて科学者は息絶え、未完成の細胞が浮かぶ培養液の中から 3 つの生命体が誕生した。
彼らは異形の妖怪人間である。だがその内には、かつて彼らの創造者が望んだ、正義の血が隠されていた。3 人の
妖怪人間̶ベム、ベラ、ベロは、放浪の旅を続け、人間の弱い心に取入った悪い妖怪と戦っていく。正義の為に生
きることで、いつか人間に生まれ変われると信じて。
スタジオジブリ
日本アニメ界の代表的存在。代表作に「風の谷のナウシカ」「天空の城のラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の
宅急便」
「もののけ姫」
「千と千尋の神隠し」がある。第 52 回ベルリン国際映画祭 (2002 年 2 月 ) で ,「千と千尋
の神隠し」は、アニメ作品として初めてコンペティション部門の最高賞である金熊賞に輝き、ジブリの魅力を世界
中にアピールした。宮崎作品では、
「人と自然が共存するかたち」をテーマにしたものが多く、それだけに神や森
の精霊といった妖怪的なキャラクターたちも頻繁に登場する。
京極夏彦 ( きょうごく なつひこ )
(1963 年∼ )
北海道小樽市出身。桑沢デザイン研究所を経て、広告代理店に勤務の後、制作プロダクションを設立。現実と異
界の間を巧みに描く妖怪小説で知られている。現在、世界妖怪協会・世界妖怪会議評議員、関東水木会会員。
94 年「姑獲鳥の夏」で衝撃的なデビュ­。96 年「魍魎の厘」で第 49 回日本推理作家協会賞長編部門、97 年「嗤
う伊右衛門」で第 25 回泉鏡花賞、03 年「覘き小平次」で第 16 回山本周五郎賞を受賞。04 年「後巷説百物語」
で第 130 回直木賞受賞。
宮部みゆき ( みやべ みゆき )
(1960 年∼ )
東京都江東区生まれ。小説家。SF、ミステリ、時代小説、社会批判、ジュブナイルの分野で活躍している。大沢
在昌の主宰する事務所に所属。山村正夫に師事。
デビュー作といえるのは 1987 年オール讀物推理小説新人賞を受賞した短編「我らが隣人の犯罪」だが、1989 年
に出版された「パーフェクトブルー」が最初に出版された書籍である。代表作に「火車」
「蒲生邸事件」
「理由」
「模
倣犯」
「R.P.G」など。怪奇ものでは吉川英治文学新人賞をとった「本所深川ふしぎ草紙」が有名。
「犬夜叉」
・高橋留美子 ( たかはし るみこ )
(1957 年∼ )
新潟県新潟市出身の漫画家。劇画村塾で小池一夫に師事。代表作はうる星やつら、めぞん一刻、らんま 1/2、犬
夜叉など。
犬夜叉 ... 中学 3 年生の女の子・日暮かごめは、ある日突然戦国時代にタイムスリップする。そして 50 年前に、
巫女・
桔梗によって封印された半妖の少年・犬夜叉と四魂の玉をめぐった冒険を展開する。
3. 妖怪の魅力
3.1「気持ち悪い」という親しみやすさ
妖怪の魅力は、
「気持ち悪い」ところにある。本来、気持ち悪いといえば嫌がられるものだが、妖怪についてはこ
れが人を引き付ける要素になっている。硬直した空気の中でも、お化けや幽霊の話を持ち出すだけで、その場の空
気が急に高揚したりもする。
では、何故「気持ち悪いもの」は人を引き付け、楽しませてくれるのだろうか。それは、「気持ち悪いもの」が、
非日常の世界に誘ってくれるものだからであ
る。常識で拘束された日常の中で、当たり前から解放し、好奇心を刺激してくれるものとして非日常の世界は必要
なのである。日本で言えば、それが「妖怪、幽霊」となり、アウトローでありながらも、「恐いもの見たさ」とい
う人間の本質的な欲求に支えられている為、ここまで生き続けてきたのである。
例えば、肝試しがいい例である。わざわざ行かなくてもいい墓場などに行って、男女交えて「ワ­、キャー」言い
ながら楽しむのも本来の恐い、気持ち悪いという感情から考えれば理屈にかなっていない。これも「恐いもの見た
さ」という感情が気持ちを高揚させ、人と人とを繋いでいるのである。つまり、常識世界には壁があるが、非日常
の世界には壁がない為、何の偏見もなしに素直に人と人との距離がなくなるのであろう。だからこそ、気持ち悪い
が、親しみやすくもあるのである。つまり、妖怪とは「気持ち悪いが、親しみやすい」という稀有なキャラクター
なのである。
3.2
形なきものに形を与える趣向
日本の妖怪が、海外の怪物や妖精と違うところは人々の生活と密着しているところである。ただ、怖い、気持ち
悪いというだけでなく、生活の中の不可思議な出来事が妖怪として具現化され、人々の生活の中に張りを与えてき
た。例えば、天井についたシミを見つけると昔の人は天井なめ」という妖怪が天井を舐めてできたシミであろうと
考えた。又、山の中で急な空腹感に襲われ、全く一歩も歩けなくなってしまうことがある。それは「ひだる神」と
いう妖怪が憑いたせいで、もし手元に米粒が一粒れば、それを口にすると嘘のように疲労感が無くなり、歩けるよ
うになるという。これは、おそらく科学的に分析すれば解明される現象なのだろうが、このように妖怪の仕業であ
ると考えることによって、人々の想像力を刺激し、なにげないシーンを違った様相に演出してくれるのである。
海外では「ポルターガイスト現象」という、何もしていないのに勝手に部屋の中のものが動く現象がある。これ
と似た現象が日本で起ると、
「家鳴り」という妖怪が誕生する。身の丈 10cm 程の小さな鬼たちが家の軒下に集っ
て、下から柱を揺さり、家を振動させるのである。海外では幽霊の仕業と考えられ、恐れられたりする「ポルター
ガイスト現象」も、日本ではその現象を逆に楽しむかのように妖怪として造形化しているのである。
「家鳴り」は鬼なのだが、鬼といえば昔は病気になると鬼に憑かれたなどと妖怪の仕業と考えるのが普通であった。
「病草紙」には頭痛になって寝込んでいる男の枕元で小さな鬼たちがジャンジャンとうるさく楽器を鳴らしている
絵も残っている。その鬼たちのおかげで何より儲かったのは、祈祷師や陰陽師の類いである。居もしない妖怪に呪
文などを唱え、相当な金額をせしめていた。
そういったことも踏まえると、妖怪とは庶民の間から陰陽師まで、日本のあらゆる身分の人々から生み出されたも
のであり、そこには昔の人々の想像力のたくましさが凝縮されているのである。つまり、形なきものに形を与えて
出来た妖怪とは、大昔の人々の想像力の結晶であり、妖怪そのものが一つのアイデアとしての魅力に溢れているの
である。
3.3 特異な造形性 ( デフォルマシヨン )
妖怪は他のキャラクターと違って、一目見たら忘れられないようなインパクトのあるものが多い。それは、造形
のデフォルメの仕方に色々と工夫がされているからだ。
沢山ある法則を部分で使ったり、大胆にそれだで組み立てたり、又それらを組み合わせて、複雑に作られているも
のもある。ここでは、そのデフォルメの法則をおおまかに 20 通りに分類してみた。
1. 増殖 ... 数を増やす法則。....................................................................................
( 九尾の狐・百目・目目連・毛羽毛現 )
2. 省略 ... 部分を省く法則。............................................................
( のっぺらぼう・一つ目小僧・一本ダタラ・ニ本の足 ・お歯黒べったり )
3. 拡大・縮小 ... 部分を拡大・縮小する法則。...............................................................
( 見越し入道・がしゃどくろ・猪口暮露・豆狸・小豆 計り・ぬらりひょん )
4. 伸縮 ... 部分を長くしたり、短くしたりする法則。........................
( ろくろ首・足長手長・舌長婆・塗仏 )
5. 分離 ... 切り離した部分だけで造形を独立させる法則。................................................
( 釣瓶落とし・大首・海坊主・足洗邸 )
6. 配置転換 ... 一つのパーツを別の場所につける法則。.....................
( 二口女・手の目・尻目 )
7. 統一 ... 一つの物だけで造形を成り立たせる法則。......................................................
( ぬっぺっぽう・一反木綿・塗壁・桂男 )
8. 変色 ... 体を気味の悪い色に塗り替える法則。.................................
( 雪女・黒かみきり・べとべとさん )
9. 融合 ( 人­人 )... 人と人を合体させる法則。............................................................
( どうもこうも・舞首・人面瘡 )
10. 融合 ( 人­物 )... 人と物を合体させる法則。............................................................
( 傘化け・鳴り釜・化け草履・輪入道・朧車・釣瓶火 ・煙々羅 )
11. 融合 ( 人­動物 )... 人と動物を合体させる法則。..............................
( 河童・天狗・濡れ女・鉄鼠・犬神・件 )
12. 融合 ( 人­植物 )... 人と植物を合体させる法則。
( 木霊・タンコロリン・樹木子 )
......................................................
13. 融合 ( 人­魚 )... 人と魚を合体させる法則。....................................
( 人魚・海女房 )
14. 融合 ( 人­昆虫 )... 人と昆虫を合体させる法則。......................................................
( 女郎蜘蛛 )
15. 融合 ( 物­動物 )... 物と動物を合体させる法則。..............................
( 文福茶釜 )
16. 融合 ( 動物­動物 )... 動物と動物を合体させる法則。................................................
(鵺)
17. 融合 ( 動物­昆虫 )... 動物と昆虫を合体させる法則。........................
( 牛鬼・土蜘蛛 )
18. 雰囲気 ( 人 )... 人の雰囲気を微妙に妖しくかえる法則。.............................................
( 座敷童子・産女・海座頭・子泣き爺・垢嘗め )
19. 雰囲気 ( 動物 )... 動物の雰囲気を微妙に妖しくかえる法則。...............
怪猫・赤舌・獏・網切・蟹坊主・すねこすり )
20. 動作 ... 特徴を表わす仕種をあからさまに奇妙なものにする法則。.................................
( 天井下・天井嘗め・小豆洗い )
3.4 民族学との繋がり
妖怪とは、生活の中のあらゆる局面に登場するキャラクターとして認識されているが、元は地獄草紙や餓鬼草紙、
病草紙などに鬼などとして登場しているように、誕生の裏には時代背景や人々の暮らしぶりを垣間見ることができ
る。
誰もが知っている河童も、今ではすっかりキャラクター化し、お酒の CM などに登場して愛されている。しかし、
その歴史を辿ると、江戸時代の身分階級がはっきりしていた頃、河原に棲んでいた身分の低いものを化け物と見間
違え、河童が創造されたという説もあります。又、豊臣秀吉が政権を握っていた頃、キリシタンを厳しく取り締まっ
ていたため、宣教師は出来るだけ人目につかないように隠れて暮らしていました。その宣教師が河原で行水をして
いるところを目撃され、河童が誕生したとも言われています。頭の皿も、その宣教師からのイメージであり、皿の
中に水が入っているのは、宣教師が洗礼をする際に頭に水をつけるところからきている。
大江山の酒呑童子も有名な伝説である。源頼光率いる四天王が、都から女をさらい、大江山に立てこもった鬼を
退治する伝説である。この話は、源頼光ら一同がヒーローとして描かれ、酒呑童子は、ただの仇役としか描かれて
いない。しかし、これも、真相に迫っていくと、平安時代に都を占拠した貴族や武士が源頼光一同であり、そこか
ら追い出された先住民が酒呑童子として描かれているのである。つまり、非征服民の怨みが酒呑童子という妖怪を
誕生させたのである。又、ここで大江山に酒呑童子が棲んでいると占ったのは、陰陽師の安倍晴明であり、この話
を通して、いかに陰陽師が力を持っているかを世間に誇示しようともしている。それは、地獄絵をうまく利用しな
がら仏教が広く普及していったことと同じやり方である。このように、強力な妖力を持った妖怪の裏には、必ずそ
の時代の宗教の影が見え隠れしている。
民族学の開祖、柳田国夫が、
「妖怪学を掘り下げていくと、そこには民族学上の貴重な資料が詰まっている」と言
うように、河童や酒呑童子を探るだけでも、その時代に何が起り、人々がどのような状況で暮らしていたのかが解
る。これ以外の妖怪を探っても、同じように、知られざる妖怪の表情に出会うことができる。それが、現代のキャ
ラクター化した妖怪とは違う、もう一つの妖怪の魅力、楽しみ方と言えるであろう。
3.5 考察
妖怪といっても、一人の絵師がその全ての造形を生み出したのではない。前項で述べたように、何百年という歳
月を重ね、一般庶民から絵師まで、様々な人々の想像力と表現の推考を重ねて出来上がったものなのである。
それだけに、宗教的歴史を抱えているものや、生活の中の不可解なシーンから誕生したもの、実際に、その姿を目
撃したというもの、
崇徳上皇のように実在する人物から誕生したものなど、生み出される形には様々なバリエーショ
ンを持っている。その形も、デフォルメを重ね、より洗練され、時には気持ち悪く、時には可愛く、色々に表情を
変え我々を楽しませてくれるようにまでなった。
そして、それだけの物理的距離 ( 日本全土 ) と時間的距離 ( 奈良時代∼現代 ) を持ったものが、時間をかけ「妖怪」
として一つにまとめられ、今だに多くの人に親しまれていることが、何よりも感慨深いのである。
4. 実制作における分析、解説
4.1 妖怪辞典
私は大学院の一年間で妖怪辞典を作りました。60 匹全て自分のオリジナルで、一つ一つの妖怪に自分のフィクショ
ンで伝説を付けてあります。水木しげるの妖怪辞典のようなものを、自分でも一冊の本にしたいという考えから作
りました。全ページ、モノクロで統一し、一匹一匹の妖怪が似たようなものにならないように工夫しました。
例えば、図 1 の「赤子もどき」は、顔などのスッキリ見せたい部分には手を入れず、それ以外の所に手数を入れ
て絵としての見やすさ意識しています。逆に図 2 の「家象」は、できるだけ描き込み、前項で述べたデフォル
メの法則同様、乳や目の数を増やして、よりインパクトを出そうとしています。
個人的には図 3 の「ねじれ魚」や図 4 の「味噌なめ」が妖怪の特徴と、造形のアイデアと、ネーミングが一つに
なっていて、よいのではと感じています。
4.2 妖怪漫画
大学院ニ年になってから、前年に作った妖怪辞典にストーリーを加え、漫画を描き始めました。絵コンテから始め、
まずは現代の漫画の流れに乗った、ストーリーに凝ったものにチャレンジしました。しかし、キャラクターが自由
に動き回れるような柔軟性に欠けていたため、後期になってから、キャラクターを中心に進めていけるような漫画
作りを考えていきました。
4.2̶1 個性的なキャラクター
妖怪とは、
「日本の文化・風俗から誕生した気持ちの悪いキャラクター」と言いかえることもできます。つまり、
気持ち悪さを売りとするキャラクターであり、キャラクターだからこそ、そのオリジナリティーが娯楽として受け
入れられるかどうかの重要な要素になってきます。オリジナリティーとは二種類あり、それは「アイデアのオリジ
ナリティー」と「仕事に慣れて生じるオリジナリティー」です。勿論、仕事に慣れるオリジナリティーとは、どち
らにも言えることですが、私は出来るだけアイデアでオリジナリティーを出したいと考えています。従来の妖怪の
造形も参考にしながら、色々なところからアイデアを取り、斬新な妖怪を作っていければと思います。
4.2̶2 不条理なストーリー
水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」では、個々の妖怪の伝説や特徴を生かして、その中に現代社会に対する問題提
起をしています。例えば高度経済成長における消費文化や、せわしない日々の生活に問う幸福論などあります。
私は妖怪漫画において、ストーリーを組み立て過ぎるのは逆に理屈にかない過ぎてつまらないのではないか考え
ています。妖怪とは、そもそも得体の知れない気持ちの悪いものであって、それが筋道のハッキリしたストーリー
の中にいるより、若干それをはぐらかすかのように不条理にした方が面白いのではないでしょうか。しかし、あま
りにも解らないと面白くもないので、ストーリーをアイデアと位置付け、その中で展開を不条理に進めていくこと
を考えています。
4.2̶3 ナンセンス・ユーモア
前項で述べた不条理なストーリーだけでは、ただ気持ち悪く不可解なもので終わってしまいます。そこで社会を
諷刺したナンセンスなユーモアを含ませるだけで、なんだか得体がしれないけれど、逆にその気持ち悪さが社会を
皮肉っていて、滑稽である形を作ろうと考えました。
例えば、出てくる妖怪たちが、全て言葉にならない言葉を喋っていたり、又、時にはタイミングのズレたところで
奇声を発してみたり。出てくる人間も同様に、何を喋っているのかわからなければ、もっと奇異で面白いかもしれ
ません。それでも全体の流れと仕種、表情などで何を言わんとしているのか、ストーリーがどう進んでいるのかを
感じ取り、楽しむことができるのです。女性のお尻を触った妖怪がひっぱたかれ、「ふにゃふにゃ」という言葉を
発してひれ伏したり、機嫌の悪そうな親父が「ぐじゃぐじゃぐじゃ」という言葉で愚痴を言ったりなど、諷刺を効
かせながらも妖怪の気持ちの悪さをより面白可笑しく増長させてくれるでしょう。
4.2̶4 描き込みのリアリティー
水木しげるは「手跡を残す」ことで作品の美術的価値を上げ、「内容を楽しむ漫画」から「絵を楽しむ漫画」に初
めて成功した漫画家と言えるでしょう。つまり、漫画に対する考え方を根本的に変えているところに価値があるの
です。
水木は、背景を徹底的に描き込み、妖怪を描き込まないことで逆妖怪を絵の中で浮かび上がらせています。そう
することで、絵を見やすく整理し、作品の世界観もぐっと深みを増しているのです。また彩色では、描き込んだタッ
チを殺さないように日本画の画材を使って上から薄く重ね塗りし、その色もモチーフの色でそのまま塗るのでなく、
月明かりの入る部屋の中を緑色で塗り、より妖しさを強めてみたり、藁葺き屋根をピンク色に塗って、妖怪だから
といって全体的に渋い印象にならないようにしているのです。私の漫画も既製の漫画と違い、描き込むことに重点
を置いています。私のイラストも、同様のテクニックを模倣しつつ、より短時間で描き込んだように見えるよう工
夫しています。何より描き込むことの魅力は、妖怪などの奇怪なものが、いかにも出そうな臨場感を強めてくれる
ところにあるでしょう。
4.3 娯楽としての可能性
私は、大学院ニ年になってからイラストから漫画へと、表現の幅を広げてきました。それは、既に、水木しげる
が漫画やアニメ、ゲームなどへ表現を展開しているからで、既に描き尽された妖怪を一点一点描くよりも、水木が
作った土台の上に乗って表現を進めた方が合理的だと感じたからです。勿論、漫画を描きながらもイラストに対し
ての力量は変えず、イラストと漫画の中で、自分の妖怪表現はどうあるべきかを多方向から考えられればと思って
います。つまり、イラストとストーリーをワンセットで考えることが、表現の幅を生み、メディアを交互に行き来
することで、新しい発想を生むと考えています。これからは、イラストを深めながら、もっと妖怪が登場していな
い媒体に、娯楽として展開できればと思います。
* 参考文献
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編 増田秀光 Books Esoterica・第 24 号「妖怪の本」株式会社学習研究社・224 頁・1990 年 3 月 16 日初版発
行
監修 谷川健一 編 高橋洋ニ 別冊太陽 57 号「日本の妖怪」株式会社平凡社・150 頁・1987 年 4 月 20 日発行
編 国立歴史民族博物館「異界万華鏡」財団法人歴史民族博物館振興会・207 頁・2001 年 7 月 17 日発行
渋澤龍彦 小松和彦「図説 百鬼夜行絵巻をよむ」河出書房新社・110 頁・1999 年 6 月 15 日初版発行
中右瑛「魅魍魎魍の世界」株式会社里文出版・130 頁・1887 年 8 月 10 日発行
著者 渋澤龍彦 宮次男「図説 地獄絵をよむ」河出書房新社・127 頁・1999 年 5 月 15 日初版発行
編 多田克己「竹原春泉 絵本百物̶桃山人夜話」株式会社国書刊行会・186 頁・1997 年 6 月 24 日初版発行
編 浅野秀剛 吉田伸之 浮世絵を読む 6「国芳」朝日新聞社・98 頁・1997 年 11 月 20 日初版発行
著者 辻惟雄 「北斎」小学館・175 頁・1982 年 6 月 10 日初版発行
柳田国男「妖怪談義」株式会社講談社・226 頁・1977 年 4 月 10 日初版発行
編 志村有弘「水木しげるの魅力」勉誠出版・213 頁・2002 年 7 月 15 日発行
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千葉幹夫「妖怪ふしぎ物語」株式会社ローカス・230 頁・2000 年 1 月 1 日・初版発行
小松和彦「日本妖怪異聞録」小学館ライブラリー・247 頁・1995 年 8 月 20 日初版発行
エドワード・リア作 柳瀬尚紀訳 岩波文庫・231 頁・2003 年 5 月 16 日初版発行