第3回法務研究財団フォーラム

 平成12年5月24日
第3回法務研究財団フォーラム
■第三回フォーラム委員
委 員
上原 敏夫
一橋大学
委 員
梅本 吉彦
専修大学
委 員
浦部 法穂
神戸大学
委 員
遠藤 直哉
第二東京弁護士会
委 員
小幡 純子
上智大学
委 員
加賀山 茂
名古屋大学
委 員
加藤 新太郎
委 員
加藤 哲夫
早稲田大学
委 員
加藤 久雄
慶應義塾大学
委 員
菅野 正二朗
委 員
合田 隆史
文部省 (代理出席)
委 員
小林 昭彦
法務省
委 員
齋藤 隆夫
司法書士
☆ 委 員
高橋 宏志
東京大学
委 員
奈良 道博
第一東京弁護士会 *
委 員
萩原 金美
神奈川大学
委 員
松田 政行
第二東京弁護士会
委 員
丸山 秀平
中央大学
委 員
三成 賢次
大阪大学
委 員
宮澤 節生
学者
委 員
向井 惣太郎
第二東京弁護士会
委 員
森山 文昭
名古屋弁護士会
委 員
柳田 幸男
東京弁護士会
委 員
山本 克己
京都大学 *
委 員
由岐 和広
東京弁護士会
委 員
吉原 省三
東京弁護士会
委 員
吉村 良一
立命館大学
委 員
新堂 幸司
法務研究財団
委 員
葉山 水樹
法務研究財団
☆ 委 員
馬橋 隆紀
法務研究財団
*
裁判官
*
第一東京弁護士会
*
☆は座長 *は欠席委員 敬称略
【小山】 貴重なお時間でございますので、そろそろと始めさせていただきたいと存じま
す。それでは、座長の馬橋先生にお願いします。
【馬橋】 馬橋でございます。どうも今日はご苦労さまでございます。お忙しいところ、
ありがとうございます。1回、2回とやってまいりまして、今回は3回目ということでござ
います。皆様のお手元には、3回目の資料というのがいっていると思います。それから、遠
藤先生のほうからお手元に送られた資料もあると思います。また、今日、萩原先生からいた
だいた資料もお手元にお配りしております。
なお、きょうは、まず最初の30分程度を、前回に引き続き、大学における法曹教育の問題
を多少議論したいなと考えております。その後は、司法研修所における教育の問題点につい
て議論をしたいと考えております。なお、司法研修所につきましては、松田委員から資料が
提出されておりまして、それは実は資料の2というのに出ております。きょう、2というの
をお持ちでない方、いらっしゃいましたら、言っていただければこちらでお貸しいたします。
それでは、本論に入ってまいります。大学教育について、先だってはいろいろな議論があ
りまして、ある面においては、議論がかみ合っていない部分もあったかと思います。その後、
いろいろな反論が出ております。まず、どういたしましょう、それでは、高橋先生から。
【高橋(宏)】 前回、十分議論が尽くせなかったという方に補充をお願いいたしました
ところ、第3回資料の中につづられておりますように、小幡先生、加賀山先生、加藤久雄先
生及び私高橋から意見の提出がありました。それから、吉原先生のものも、前回の議論に関
連するところを含んでおります。
そこで簡単に、補充の再反論をお願い致します。30分以内でさせていただければと思いま
す。
まず、上智大学の小幡先生のが最初につづられておりますが。
【小幡】 それでは、私のほうから、一番初めにとじられておりますので。ほとんど時間
はとりません。ごく簡単に、前回、時間の関係上申し上げられなかったことを追加させてい
ただきました。前回、大学教育と司法試験予備校の教育を比較するという議論が展開されて
おりました。そうなりますと、ちょっと土俵の設定が違うのではないかということが気にな
りましたので、それを追加させていただきたいと思います。
というのは、現在行われている司法試験ということを前提に考えたときに、より効率的に、
その司法試験に受かるための教育をどちらがやっているかというのを論ずることがどれほど
意味があるかということでございます。私は、この「次世代法曹教育フォーラム」では、そ
ういうことを論じ合っても意味がないのであって、今の司法試験で本当に次世代を担う「あ
るべき法曹」が選択され得るかという、その原点から始めなければいけないと思います。現
状の下で、何人司法試験に合格させるかということがメインになっている予備校教育と、そ
うではない、そのこと自身を目的としていない大学教育とでは、おのずから違うのは当たり
前でございます。ですから、そこら辺の土俵の設定をきちんとしておかなければいけないの
ではないかと。つまり、今の司法試験のあり方自身を考える必要があるのではないかという
意味で、追加をさせていただきました。
【高橋(宏)】 前回もその種の論点は出ていたように思います。予備校でこそ体系的法
学教育が行われている、そして現在の司法試験教育もできないような大学が、次世代の法曹
教育をできるのかという切り口の批判だったと思うのですが。小幡先生からのステレオタイ
プ的な反論では、前回の議論に対する反論になっていないと思いますが。
【小幡】 いや、そもそもその批判が的を射ていないということを申し上げているのです。
現在の司法試験のやり方、すなわち限定された試験科目について短い試験時間で一発勝負的
なテストをする。しかも大多数から少数を選ばなければならない。この様な試験制度の下で
予備校はより効率的に短期間で司法試験に合格させるスキルを提供しているのは、事実だと
思います。前回、それを皆さん、認めていらっしゃったのではないかと思います。
【高橋(宏)】 司法試験に合格するような学生は、大学の成績もいいのか、悪いのかと
いう質問が大学人以外から出ておりましたが、小幡先生の印象はどうでしょうか。
【小幡】 それは合格者を沢山出していらっしゃる大学についての高橋先生のぺーパーで
よくお答えが出されていると思いますが。
【高橋(宏)】 自分の頭で考え、自分の言葉で答えて下さいませんか。
【小幡】 それでは私自身の印象でよろしいですか。大学によって若干差があるかと思い
ます。我が上智大学だけに限定して考えますと、確かに優秀な学生が司法試験に合格してい
ると思います。私どもは、一応司法試験合格者のベスト10のほうには入っておりますが、た
だ、人数的にいいますと、やはり二十数人という程度でございますので、母数としてはどう
かなとは思います。
【高橋(宏)】 そうすると、司法試験合格者は大学の成績も端的に言って、いいんでし
ょうか、悪いんでしょうか。
【小幡】 私の大学に限っていえば、まあ優秀な部類に属するといってよろしいかと思い
ます。
【高橋(宏)】 そうすると、予備校教育によって大学教育に弊害は生じていないという
ことに……。
【小幡】 ただ、もう一つ付け加えますと、上智大学の場合、4年生で、或いは1年留年
くらいで受かるという数がそれほど多くはありません。むしろ大学でもよく授業に出て成績
も良く、優秀な学生が何年かかかって受かるというパターンが多いのです。
【高橋(宏)】 それはそうかもしれません。しかし、予備校に行ったからといって大学
教育がスポイルされるという事実はないということですね。
【小幡】 多分、全員についてそういうことは、おそらくないと思います。私の大学に関
しては、今の段階ではそれほどまだ顕著には現れていないのではないかと思います。
【高橋(宏)】 そうすると、前回の論調と少しずれてきませんか。
【小幡】 いえ、最近の傾向としてはそう言ってもいられない状況が生じてきています。
司法試験合格者の枠が増え、上智大学でも本気で司法試験をやろうとする学生が増えてきま
す。以前は我々教員に対し、予備校のようなものに行った方が良いでしょうかと聞いてくる
学生が多かったのですが、最近は司法試験に早く合格するには「何をするのが早道か」が情
報としていわば確立していて、予備校に専心する学生も出てきているようです。私は、大学
の授業をきちんと聞いてしっかり自分の頭で考え、自分で勉強してほしい、それこそが将来
法曹になって役立つことだと学生達に言いますが、他方で、司法試験予備校に通って司法試
験を受けてくる学生が圧倒的多数だという現実、そこで一定の受験スキルが要領よく教えら
れているという実態に背を向けることはできないのです。司法試験を受ける受験生がほとん
ど皆予備校に行く、予備校へ行っていた人が合格者の圧倒的シェアを占めるという現状の下
では、できるだけ早く受かりたいという学生にとって、大学よりも予備校へという効率性重
視の行動が選択されやすくなります。それが法曹教育として本当に相応しい姿かといいます
と、司法試験予備校は司法試験に合格させることのみを目的としていて、贅肉を省いた効率
的な試験対応教育をするところですので、大学における教育の本質とは大きく異なります。
少なくともこの様な試験対応のための教育だけでは本来の法曹教育としては不十分であるこ
とは自明ではないかと思いますが。
【高橋(宏)】 自明だと大学人が言うのに対して、前回、反発が強かったんじゃないで
すか。
【小幡】 そうでしょうか。
【高橋(宏)】 私はそう理解しているんですが。自明だというだけで、それ以上の論証
からは逃げていたように思います。
【小幡】 いや、私が思いますのは、やはり土俵がずれているのではないかということで
す。今の司法試験という試験のみに着目して考えるならば、大学の教育と予備校の教育とで
どちらが役に立つか、効率的かと言われれば、勝負はもうついていると思うのです。言い方
はちょっときついかもしれませんが、司法試験の論文式の採点などをなさっている方々の意
見をお伺いすると、今の試験は非常に予備校の教育のやりやすい状況になっている。つまり、
予備校で教育することによって、非常に効果が出やすいような試験の体質になっているので
はないかという気が致します。司法試験科目を少なくする先頃の改革は、ますますこの傾向
に拍車をかけることになるのは多くの方々の指摘するところです。本来法曹の素養としては、
訴訟法の知識だけではなく、法の基礎となる理念、多様な社会の仕組み、国際化は当然のこ
と、環境・福祉など様々な方面に関する的確な理解が必要とされるのです。そのためには今
の司法試験の科目では不十分ですし、例えば大学での単位の認定などとリンクさせる必要が
あるのではないでしょうか。
勿論、もう一方で、その今の司法試験をどうにか改革することによって、それを変えられ
るという話が出るのであれば、また前提は変わるわけですね。ですから、前回申し上げたの
は、本来はその議論をしておくことも必要かなということです。前回司法試験改革について
法務省の方に私がお伺いしたのは、そういう趣旨です。
【高橋(宏)】 また、ついつい身が入ってしまいますが、もう時間もございませんので。
ほかの方々、加藤久雄先生、加賀山先生、あるいは吉原先生、何か追加するようなことがご
ざいましたら。では、加藤先生、ひとつ簡単にお願いいたします。
【加藤(久)】 簡単に言いますので。20ページに書いてあることが、私が一番言いたい
ことです。この資料は、皆さん方に対する嫌味でも何でもなく、松田先生の方から大学の法
律学は何をやっているのだという問題提起にお答えするつもりで、大学の研究者は、自分の
研究テーマについてこだわり30年、40年、あるいはライフワークとして一生やっていく人種
なんです。そういうタイプの研究者と、目の前の法的紛争に関して早急に結論を求められて
いる法曹実務家とは全く違う仕事をしているのです。従って、この両者を同じレベルで論じ
ること自体がおかしいわけです。
先ほどから、予備校教育という言葉が出ていますけれども、私はここであえて予備校の受
験指導というふうに表現したいと思います。「法学」教育というのは、もっと幅も深さもあ
るので、それをつかさどる者というのは、言ってみれば、その全人間性をかけてやっている
んです。例えば、ゼミの学生などが、そういう深い研究に興味を持てば持つほど、あるいは、
そういう学問を享受すればするほど、合格から遠ざかっていく、そこがやはり問題ではない
かと。だから、それを我々は考えていかなければいけないと思うわけです。
【高橋(宏)】 対立点をはっきりさせるためにするあえて議論をするのですが、そうす
ると、研究者は法曹養成にかかわることは本来的に無理だということになるんですか。
【加藤(久)】 現行の「司法試験制度」が改善されない限り、そうだと思います。とに
かく現状を前提とすれば、我々が全人間性をかけて研究してきた成果を、学生に教えたもの
が、例えば試験のやり方とか、問題の出し方とか、法曹人になっていく採用のされ方などの
改善とか、あるいは、これから出ますけれども、研修所での教育と大学教育の連携の問題と
か、できるだけ大学でやった基礎的法学教育が法曹人になる者に反映していくシステム作り
が必要ではないかと申し上げているのです。現在はその連携プレーが分断されてしまってい
る。そこがやはり問題です。
【高橋(宏)】 もう一点余計なことを申し上げますが、ここにいらっしゃる大学の先生
方のご印象はいかがでしょうか。私個人で申しますと、大した研究をしていないからかもし
れませんが、研究の成果をぶつけると、むしろ学生は喜んで聞いてくれるという印象を持っ
ておりますが。
【加藤(久)】 そのとおりですよ。私は、自分で言うのもおかしいですけれども、毎年、
例えば医事法にしても、刑事法の講義にしても、 500名を下らない学生が受講登録をしてい
まして、常に 300名以上は聴いています。
【高橋(宏)】 そういう人たちが必ずしも司法試験に合格しないという印象も、また私
自身は持っていないんですが。
【加藤(久)】 もちろん、だからこそ、ちょっと不遜な言い方かもしれませんけれども、
少なくとも私の講義を聞いた学生は、当然、司法試験にも多く受かっていると思います。今
われわれが問題にしているのは、個々の大学の講義を聴いたか聴かないかではなく、大学の
講義だけ聴いていては合格しないシステムになっているところなのです。それで、合格者の
中で慶応が 100名なら 100名ということになると、果たして私の講義を聞いた者の何%がそ
この中に入っているか。あるいは、慶応の法学教育のみを受けて合格した者が何%いるか。
この間も、法政大学のシンポに高橋さんも出て聴いておられたと思いますが、ドイツの連邦
憲法裁判所の判事が言っていましたけれども、向こうでも99%の法学部学生は予備校に通っ
ているわけです。
私が言いたいのは、大学の法学教育の成果を、とにかく司法試験に反映させるためには、
ドイツの大学がやっているように、例えば講義やゼミの担当者のサインが要るとか、証明書
が要るとか、大学でとった単位が何か受験の条件になるとか。そういう形で、とにかく大学
で話を実質的に聴いたという条件を課していけば、何か反映できるのではないかと。それは
また、4回目、5回目のテーマだと思いますけれども。いずれにしても、そういった、私が
今回言いたいところは、大学で深く広く教えれば教えるほど、問題意識を持たせれば持たせ
るほど、司法試験から遠ざかっていくという現実と矛盾をどう解決していくべきかについて
だったのです。ドイツのロー・スクール・システムには同様の悩みがあるようです。
【高橋(宏)】 ちょっとそこには、異論があるんですが。吉原先生、何か。
【吉原】 私は基本的に予備校を否定しているわけではないのです。ただ、問題なのは、
司法試験に受かりたかったら大学に行くなと先輩から言われた。そのかわりに予備校に行け
と。それがおかしいと言っているのです。
そういうふうになった理由は何かというと、要するに、司法試験希望者が多いということ
なんですが、大学にも一端の責任があるだろうと思います。それは、司法試験に受かりさえ
すればいいのだというので、一回も大学の授業に出ない、試験のときしか大学に行かないと
いう学生を卒業させるからおかしいのです。これは、うそかほんとうか、本人が言うのです
から分かりませんが、自分の勉強した司法試験科目以外は、私は司法試験に受かりましたと
言えば、合格させて、卒業させてくれるというのです。それはどう見ても、おかしいといえ
ます。
今も 何人合格したというお話がありましたけれども、司法試験の合格者数で大学の法学部
のステータスをはかっている面があるのではないでしょうか。新設大学で何年以内に司法試
験合格者を出す予定だということもいっている。それから、教養学科の履修を4年生の卒業
の最後にとっていいというところもあるように聞いています。
だから、結局、大学自体も一端の責任はある。大学できちんと勉強して、その上で予備校
に行く。それは試験ですから、そういう準備機関があっても悪くはないと思うのですけれど
も。大学の授業をきちんと受けるということが前提ではなかろうかと考えるわけです。それ
が全部、研修所に、そして法曹にしわ寄せが来ているということなのではないでしょうか。
【高橋(宏)】 大学の先生のほうからいかがでしょうか。司法試験合格と書けば卒業さ
せてくれるという話は本当ですか。では、吉村先生。
【吉村】 前回、授業の関係で欠席いたしました。大学における教育のあり方が問われて
いる状況ですから、簡単に休講というわけにもいきませんので。
したがって、ちょっとピント外れのことを申すかもしれませんが、予備校の教育と大学教
育という議論をするときに、まず我々、大学人としては、今の大学教育が本当に今のままで
いいのかということについては、もっとリアルに自己反省、自己批判しなければならないと
思います。こういった態度がないと、ロースクールの問題も含めて新しい法曹養成のあり方
に大学教育が積極的に関わっていくためのほんとうの議論はできないと思っているんです。
ただ、若干誤解があるような気もしています。大学の教育は自分の研究や関心に引きつけ
た授業しかやっていなくて、例えば民法総則でいうと、法律行為しかやらない授業があると
いったことがよく言われる。先ほどの吉原先生のそれが実態かどうかわからないんですが、
その種のたぐいのこともいろいろ話には聞くんですが、私は少なくとも大部分、大学におい
てそういう状況というのはもはや過去の話だと思います。自分のやっていることしかしゃべ
らないで、例えば憲法だったら何条しかしゃべらないという授業は、おそらくあったとして
もごく例外だし、かつ、それは淘汰されていくだろうと思います。学生も授業評価アンケー
トなどもとって、大学教育のあり方について意見を言う時代ですので。ですから、その点は、
まず誤解はないように正確に実態を認識していただく必要があるのですが、その上で、やっ
ぱり我々として、学生にどれだけ教えられているのかということについての真摯な自己批判
が要ることは事実です。
その点で、前回は欠席したので代わりにメールでは書いたんですけれども、私自身がそう
いう目で大学における法学教育をみずから振り返って見て、一番何が困難かと言いますと、
教育目標を明確にし切れないということです。例えば立命館の場合に、十数名ぐらい司法試
験に合格するという状況なので余計そうなのかもしれませんが……。つまり、十数名ぐらい
というのは、多くもなく、しかしゼロでもないという意味なんですが。要するに大学教育と
して、司法試験、あるいは公務員試験や民間企業といった多様な進路を目指す学生がいる中
で、どこにどう焦点を絞って何を教えるかというのは、はっきり言えば定まらない。このこ
とが今の大学教育における法学教育の困難の、少なくとも1つの大きな原因だろうと思いま
す。したがって、制度改革の議論をするときにはこの問題をしっかり整理しなければならな
いのではないでしょうか。 私は、そういう点でロースクールの議論というのは、教育目標
についての整理の非常に大きな切り口になると思っており、その意味でも我が国のロースク
ールだけでなく、学部教育も含めた法学教育の新しい局面を切り開くものと位置づけて積極
的に議論をしようと思っているんです。つまりこれまでの事情を申しますと、とりわけ司法
試験科目になっている分野の場合、司法試験の存在やその動向を意識しない授業というのは
できません。立命の場合には、4回生、5回生あたりで合格している学生は、学内の成績も
非常に優秀です。GPAでとると、ほぼとトップです。その層の学生達が合格しています。
その意味では、大学教育離れを発していないわけですが、そういう学生達を含めて、司法試
験を受けようとする学生達を、授業ではどこかでやっぱり意識しなければならない。
しかし、それに徹した授業をやると、他方でついて来れない学生が多数いる。ただ注意す
る必要があるのは、「ついてこれない」というのは問題関心としてそこについて来れないと
いう意味で、学力の高い低いとはまた別の問題だということです。いずれにしても、授業の
中でどこに焦点を置くのかというのは、とりわけ私などのやっている民法のような実定法科
目では非常に悩ましい問題です。
だから、法学教育のあり方を考えるためにはその点をきっちり整理をして、何のためにや
るのかということを整理する必要があります。その点でいえば、予備校教育というのは、あ
る意味で目標がはっきりしているわけです。したがって、ちょうど中学、高校までの段階で
塾のほうがやりやすい、公教育のほうがやりにくいのと似たような状況があるのではないか
と思います。そういう点を押さえながら、予備校とどちらがいいかどうかということではな
くて、大学人としては、今のやっている教育のどこに問題があるのかということについては、
もっとリアルに見た議論をする必要があると私は思っています。
そしてその点でいえば、なお、いろいろな批判を受けるような状況というのが大学教育に
あることは事実です。ただその批判のうち、先ほど言ったように、授業では教員の好きなと
ころをほんの少ししかやらない授業が大部分だという批判、これは全く的外れだというふう
に私は思います。
【高橋(宏)】 ほかの大学の関係の方はいかがでしょう。
【小幡】 私も同じでございます。昔はそういうふうに言われたこともあったかと思いま
すが、最近の大学は、特に実定法にかかわるような科目については、教員はそれほど自由に
やっているわけではなくて、みんなそれなりの自覚を持って講義しているのが普通です。司
法試験を受かった人にほかの科目が合格とか、そういう話は全く聞いたことがない話でござ
います。
それから、今吉村先生がおっしゃったように、どこに焦点を置くかというのは、確かに非
常に難しいのです。これは、私立大学はおそらくみんな直面している課題ではないかと思い
ます。今の段階では、その中間ぐらいを大体念頭に置いて──これは、上智大学ぐらいです
と少人数ですから、比較的やりやすいんですが──司法試験を一応目指しながら、難易度に
ついて工夫しながら、多くの学生にとっても飽きさせないような授業をできるだけ心がけて
いるという状況ではないかと思います。
もしもロースクールができるということになりますと、そこの切り分けが、大学人として
は容易になると思います。教育すべき内容について、学部での教育と、大学院レベルでの、
つまりロースクールでの教育が切り分けやすい、目標を明確に持ちやすいということになり
ます。
【高橋(宏)】 私もぺーパーを出しておりますので、簡単に申しますと、予備校に比べ
て大学は、少なくとも導入部においては大変不親切であって、そこが予備校に学生が流れる
原因をつくったという点は、大いに反省しなければいけない、と考えております。
しかし、導入部は失敗しているんですが、その後の教育については、反省が足りないのか
もしれませんが、それほどひどい状況にあるとは思っていないのです。現に、多数派ではあ
りませんが、一部の学生は大学に戻ってきてくれているということを第2回の資料に書きま
した。第3回の、今回の資料では、直接的に松田先生のご意見に対する反論のようなものを
書かせていただきました。先ほど出ました、司法試験科目以外はどうやって卒業できるのか
という疑問ですが、これは確かにそのとおりです。私どもの大学で申しますと、優、良、可、
不可とありますが、可というのは、教師から見ますと実質不可でございます。不可を半分も
つけるわけにはいきませんので、可で卒業させているという実態はないわけではありません。
しかし、これは最近反省してまいりまして、第3回の資料に書きましたが、私ども大学の
今年の3月の卒業生、六百何人卒業希望者のうちの1割以上が不合格、卒業できないという
事態が起きております。多分、司法試験には受かったけれども、大学を卒業することはでき
なかったという学生もいるはずです。こういう微力ではございますが、少しずつ変化は大学
の中にもあるのではないかと思っております。
それでは、梅本先生……。どうぞ。
【梅本】 大学教育における問題は数多くの委員の方がご指摘ですから、重複を避ける意
味で言及することはいたしません。むしろ大学教員の姿勢には、一部ではあるにしろ、私は
強い疑念を持っております。と申しますのは、総論において司法試験予備校の教育を批判し
ながら、遠方から、あるいは地元において、少なからざる大学教授が予備校の講習の講師を
務め、あるいは模擬試験の出題を務め、大学人としての私どもの通常感覚から見れば破格の
報酬を得ている。ところが、そういう方が司法試験委員になると、予備校のパターン化した
教育の弊害を答案に見て、今後の法曹のあり方に強い疑問を生ずるという見解を堂々と表明
しておいでです。さらに司法試験委員を退任すると、「元司法試験委員」という肩書きをセ
ールスポイントにして予備校の講師に復帰しております。大学人としてこういう姿勢は、根
本的に反省をしなければいけないと思います。
それだけの時間の猶予があれば、国公私立問わず、なぜ自分の本務校の学生のために汗を
流そうという気にならないのか。そういう方が司法試験委員になり、今申し上げたような大
学教授として著しく倫理性に欠けた、かつ矛盾した行動を重ねている。私は、これが一番広
く法曹界、あるいは社会から、そして根本的には、ほかならぬ学生諸君から最も信頼を失う
1つの要因だろうと思います。今、大学教育のあり方が問われているというよりも、むしろ
大学教授の資質が問われていることを自戒すべきです。それなくしてロースクール構想を批
判し、自説を展開しても、社会は、とりわけ学生は見守っているだけではないでしょうか。
【高橋(宏)】 メールでも書かせていただきましたが、ある憲法の司法試験委員の本に
つき全司法試験受験生必携の書という宣伝が出ておりました。今年初めて司法試験委員にな
ったということが、ある出版社の宣伝文に使われておりました。これも大学人のモラルの低
下をしめすものでしょう。
では、松田先生、何かございましたら。
【松田】 一言だけ。私、今まで発言してまいりましたのは、決してロースクール構想が、
法曹養成として適当でないと言っているわけではありません。私も、現在の予備校に頼った
養成や、司法試験がこのままでいいと言っているわけではないのです。むしろ、変えたいと
は思っています。
しかし、先生方がかなり頑張らないと、それができませんよということを言っているので
す。そこで、前回の議事録33ぺージに書かれているところですが、これを引用しておきたい
と思います。「予備校がいけない、現在の司法試験に対応する勉強は、法学教育としていか
がなものかという議論は結構ですけれども、少なくとも予備校と同じ程度の理解と知識を付
与してくださいと言っているのです。これまでの大学側からの発言では、予備校による論点
ごとの暗記型メソッドをとらなければ、大学・ロースクールで十分できるのだ。司法試験は8
0%合格の制度に変えれば、これができるのだという意見しか出されておりません。(中略し
ます)これまで、大学は、この合格レベルの体系的理解すら付与させるノウハウを持たず、
大学の教授たるは、自分の研究の興味に近い講義を重ねていった結果、学生はわからないと
いうことになって、予備校に走ったのです。これは、まず事実として率直に受けとめてもら
いたいと思います。学部も、ロースクールも、どちらでもいいですから、少なくとも現在の
司法試験合格レベルの法曹基礎教育を行うノウハウを示してください。教授たる多大の時間
をこれに費やす覚悟をしてもらいたいと思います。研究と法曹教育とは別だとはっきり認識
して、大学内の制度をつくって下さい」。
これから新しい制度をつくるのならば、こういう気持ちでやって下さいと言ってエールを
送っているのです。先生方は、法哲学、倫理、法制史等、ないしは教養まで含めて、高い法
曹養成がロースクールならできるのだというのであれば、それはそれで大変に結構なことだ
と思います。しかし、少なくとも、実体法と手続法の基礎的な理解を、今の司法試験で受か
ってくる人たちのレベルぐらいのものはつけてもらっておかないと、80%合格しちゃうので
すから、そこのところはもう先生方の時間とノウハウの工夫によってでしかできないんです
よと言いたいのです。私はお願いしたいと思っています。それだけです。
【高橋(宏)】 私だけしゃべって申しわけありませんが。『法律時報』の増刊シリーズ
で『シリーズ司法改革Ⅰ』という本が出ました。これが、現物です。これに伊藤真司法試験
塾の塾長の伊藤真さんの議論が出ております。私は、これを読んで感動いたしました。伊藤
真さんが言っておられることと、少なくとも私が目指している方向は、一致すると思ってい
ます。ただ、私自身は、資料で書きましたが、伊藤真さん自身が書かれた本には大変疑問を
持っております。前回もちょっと出ましたが、研究に裏打ちされていない教育をなさってい
るんだろうという懸念は持っております。
伊藤真さんが、言われていること自体は、今の大学の状況を大変的確に把握され、言葉ど
おりだとすれば、伊藤さんはそれに対する矯正、直すための努力をされているんだろうと思
います。では、きょうのメーンのテーマであります研修所のほうに移ります。
【馬橋】 それでは、研修所教育の問題点についての議論ということです。まず、研修所
が実際にいかなる方針で、どういう形でこれまでやってきているのかというところを、まず
総論的な部分を加藤新太郎委員、そして松田先生が、ある科目をこのようにしてやってきて
いるんだというのを、資料2の中でお示しですので、その順番でお話を聞いていきたいと思
います。
まず、加藤新太郎委員さんに、研修所で受ける教育について、10分以内程度でお願いいた
します。
【加藤(新)】 本日の資料集の中にぺーパーを出しておきましたので、それに沿う形で
お話ししたいと思います。
【馬橋】 5ぺージからですね。
【加藤(新)】 最初に申し上げますと、我々教官OBも現教官も司法研修所教育はもう
完全で、変えるところは全然ないと思っているわけではないということです。常にあるべき
形、どのように教育・訓練したらいいかということを反省して、相当程度カリキュラムの中
身についても点検して入れかえ、スクラップ・アンド・ビルドをしているということを強調
しておきたいと思います。
このぺーパーに沿っていきますと、法科大学院はプロセス志向の教育だと言われ、マジッ
クワードの趣を感じますが、今の法曹教育も、まさにプロセスなのです。すなわち、大学に
おける法学教育を受けた上で、学生は司法試験の受験勉強をするわけです。予備校を利用す
る、法職課程のある大学の学生は、そういうところを利用する。さらに司法修習の課程を経
て、オン・ザ・ジョブ・トレーニング、継続教育という形でずっとプロセスとして教育を受
け、あるいは自己啓発をしていくということになるわけです。
前回、山本克己先生との間のやりとりで、法学部の授業に出てこないので大学の成績が悪
い学生でも司法試験に受かる人が少なからずいるということがわかりました。学生に授業に
出てもらわなければ、大学における法学教育をこのように変えましたと言っても、その効果
としては難しいものがあるわけです。問題の一つは、そのために、どんな授業をしたらいい
のかというところがあるのだろうと思います。
次に、司法修習の与件ですけれども、これは三つ挙げてあります。一番肝心なものは、司
法修習生が基本的法律知識を備えて司法研修所に来ているということです。この前提が、果
たして大丈夫なのかというところが、今問われているところだろうと思います。これは、大
学で授業をきちんと受けているかどうかということとのかかわりもあり、小幡先生が指摘さ
れたように、司法試験で何をどのように評価して選抜しているかという点ともかかわるとこ
ろだろうと思います。いずれにしても、修習生が基本的法律知識を備えて研修所に来ている
ということが前提です。
第二に、教える側、教官、指導官、指導弁護士は、全部現職の法律実務家であります。そ
もそもプロフェッションは、後進の育成を自らがしていくことが特色であるといわれていま
す。牧師、あるいは医師もそうだということで、リーガル・プロフェッションたる法律家も
先輩が後進を指導していくという形をとっているわけです。
もう一つは職業教育だということです。職業教育ということの意味を二つの観点からみま
すと、今まで、学生、受験生は規範の学、解釈論を勉強していたわけですけれども、それだ
けでは済まない事実認定をしなければいけない世界に入ってきます。したがって事実認定ス
キルをきちんと身につけるということを、司法修習の課程で徹底的にやらなければいけない
ということになります。もう一つは、実務に関する基本的情報を付与するということです。
この点をとらえて、宮澤先生は、きょう来ておられませんが「狭い、浅い、古めかしい」
と、カリキュラムを見るからにそうだと言われました。こういうものは言った者勝ちですか
ら、言われちゃったなと思います(笑い)。ただ、職業教育ですから、そういうふうに思わ
れるところがあるのはある意味ではやむを得ないわけですけれども、ここで言いたいのは、
「狭く浅い基礎教育に深遠さを感じる透徹したセンス」が必要であり、「古い革袋にちゃん
と新しいお酒があふれているという認識」をしてほしいというわけです。
最近の司法修習における問題状況としては、養成数を増やしてきていますから、質を落と
さないできちんとした教育をしていくことに迫られているわけです。そのためにどういうこ
とをしているかについては、後に説明します。
もう一つは、近時は、担保法関係など判例がどんどん変わりますが、それの例一つをとっ
てみても明らかなように、付与すべき法律情報が大変増えてきています。したがって、前に
勉強した知識がすぐ陳腐化し、教えなければいけない量が多いものですから消化不良に陥り
やすい。かつ、既存の知識だけでは頼りないという時代に、入っております。これらをどの
ように克服するかという問題に当面しています。
もう一つは、最近の修習生の特色である予備校における論点中心の勉強に見られる問題
点・限界についてどう対応していくか、という問題がありま。。
この点に関連して、新堂先生が商事法務研究会の35周年記念のシンポジウムで「融通がき
かず、頭のかたい、国際的センスのない者が司法試験を受験する」と発言されたことがあり
ます。新堂先生は偉いなと思ったのは、「私がゼミ生を見る限り」はという前提をつけられ
たことです。あえて反駁することはないのですけれども、私はまさしく自分のことを言われ
ているように思いました。ただ、これも、言いかえれば「原理原則に忠実な、比較的伝統的
な価値意識に立脚した安定した判断を下すことができる者」であるとも言えるのではないか
という気もします(笑い)。しかし、どうも負け惜しみで、これは、法曹の思考の柔軟性と
国際性を問いているものであると思います。
司法修習をどのような構成でやっているかというと、集合研修では、正規カリキュラムが
基本です。これは、後で松田先生に説明してもらいますけれども、起案中心です。課題を与
えて、起案をさせ、添削して、それを講評するという手法です。かなり時間をかけて記録を
つくりますし、どのように説明するか、どのような情報を付与するかということも、教官で
相寄って合議して、時間をかけて、決めているわけです。
それから、セミナー科目は補充を目的とするものと応用を目的とするものがあります。こ
れまでは民訴、刑訴、片方の受験でよかったわけですから、非選択の訴訟法を補充しなけれ
ばなりませんでした。両訴必須になりますから、今度は行政法とか労働法など法律選択科目
であったものもやりなさいと言われているので、そういうことをします。それから、応用的
なものとしては、先端、特殊分野にかかわる環境法、独禁法、知財など、そういうものはセ
ミナーでやっていくということです。
全体の流れとしては、前期で実務への導入、実務修習で実践、後期が調整と仕上げをする
という組み立て方をしています。実務修習はその中核で、生きた事件をマンツーマンで指導
し、さらに、法曹三者全部の体験をします。そして、実務知識とスキル、さらに法曹が執務
へ取り組む姿勢そのものも間近で勉強してもらいます。遠藤先生は、ロースクールのリーガ
ル・クリニックでいくらでも実務修習に代替できるという論を展開されますけれども、それ
は難しいように思います。
最近は、先ほど申し上げた課題に対応して、付与すべき情報量が増えてきている。かつ、
人数も増えてきているということで、より効果的な法律情報の付与の仕方を考えています。
事件類型別の要件事実の教材を作成したり、起案の前に一般的なインフォメーションを与え
るということをしたり、それから視聴覚教材を用意するということもしています。
また、方法についても、参加型プログラムとして、ディスカッション、ディベートをさせ
るということもしていますし、模擬法廷教室もつくって、実際に演じさせてもいます。
さらに、共通カリキュラム、民事系統の共通カリキュラム、刑事系統の共通カリキュラム
というものをつくり、刑事であれば、検察、刑事弁護教官、刑事裁判教官、三人がそろって、
例えば情状弁論をテーマにして、それぞれの立場から解説を加えるということもしています。
こういうことで、多様な視点と総合的な視点というものも植えつけるようにしているのです。
カリキュラムの系統化も意識的にしていまして、レジュメの後ろにフローチャートがつい
ています。これは民事科目の前期についてのものですけれども、こんなふうに民事弁護、民
事裁判が連携しながらやっております。
そして、社会修習と称して、社会の実相を学ばせる、あるいは公共的精神を学ばせるとい
うことも、最近はしております。
遠藤先生から、どうして不法行為を扱わないのかという質問が出されていますけれども、
不法行為をやった時期もあるのです。民事裁判科目で、交通事故訴訟について判決起案させ
たということもあるのですが、不法行為は要件事実的には比較的簡単なので、一般的な契約
紛争類型を素材にしたほうがいいだろうということになりました。これは専ら一定の時間の
中で何を教えるべきかという優先順位の関係で、そのように考えられたものです。
研究者の成果をどのように取り扱っているかについては、例えば、高橋先生の『重点講義
民訴法』になる前の法学教室の連載などは、勉強している教官なら、講評の中に折り込むと
いうことは十分しています。また、訴訟目的論の棚上げ論については、高橋先生に修習生相
手に講演もしてもらったこともありますし、同じく、上原先生にも講演をお願いしたことも
あります。決して、新しい動向について意識的に目をつぶっているということはありません。
どういう方向に行くべきかということですけれども、1つは、知識だけではもうもたなく
なっているので、スキルをきちんと養成したい。応用できる汎用的な技能を意識的に養成し
ていきたいと思っています。これには、事実認定技能から交渉力までたくさんあるので、何
かうまいぐあいに一言で言えるタームはないかなと思っていまして、リーガル・マインドで
は新設の法学部でも言っていますから避けたい。野村先生は、法曹はオール・プロブレム・
ソルバーたるべしという言い方をされています。でも、オールというのは、ちょっとオーバ
ーではないかと言われかねないように思います。そこで、例えば、リーガル・リテラシーと
いう言い方をすると分かりやすいのではかと考えているところです。
次に、単に「事件を学ぶ」のではなくて、「事件を通して学ぶ」ということです。事件を
通して、法律実務家としてのマインド、見識とスキルを学ぶ。こういうことで意識的に再編
成していく必要を感じています。さらに、法律実務家の職域が広がっていますから、先端的
な分野に進むためのインセンティブを与えることも、従来以上に必要になってくると考えて
います。
以上が養成教育で、資格が取得後については、裁判官は10年間は階層別の義務的なプログ
ラムがあり、1年目、3年目、6年目など節目ごとに参加を義務づけて研修を行っています
し、その後は、民事、刑事、家事、少年、担当分野別のプログラムで継続教育をやっている
わけです。
そういうことで、大学の法学部教育との有機的関連の必要性も十分感じておりまして、限
られた時間ですけれども、修習生への関係でも、大学の先生に研修所に来ていただいて、講
演、セミナーの講師として修習生に情報を提供していただいています。実務修習においても、
そういった機会はありまして、これらも有機的な関連の1つの具体的な形と言ってよいと思
います。
そのようなことで、大学の法学教育との有機的関連も必要ですし、役割分担もしていかな
ければいけないと思っているわけです。役割分担のイメージとしては、理論教育を大学、あ
るいは大学院でしていただく、実務教育は司法研修所でしていくということが最もよろしい
のではないかと思います。大学は、ここへ来て法曹養成をしていくと言われていますけれど
も、今まで一度も、法曹に限らず、どんな職業教育も文科系の学部ではしたことはないので
はないでしょうか。職業教育をする力はないとは言いませんけれども、できるところからし
ていただくことが現実的であり、理論教育を深化するというところを徹底的にやっていただ
くことが、先ほど述べました法曹養成教育の与件の前提として、大変ありがたいと思います。
ちょっと長くなりましたけれども、以上です。
【馬橋】 研修教育の問題点としては、いわゆる要件事実の部分がございますね。それに
ついては、加藤委員はどういうふうに考えていらっしゃるのか。
【加藤(新)】 要件事実は、民事裁判における基本的な実務知識であるわけですが、こ
れも、汎用的スキルに組みかえていく必要を感じています。どういうことかというと、社会
の中で雑多に起こるもろもろの事実の中から法的に有意義なものをすくい上げて、それを一
定の法的構成にしていくというスキルとしても有用なものにしていくということが必要だろ
うと思うのです。それはむしろ、民事弁護の問題なのです。そこの場面とリンクする形で、
さらにそれが訴訟における主張として出たときの組み立て方、あるいは判断の仕方の問題で、
従前やっていた要件事実教育とリンクしていくというのが、これからの方向ではないかと思
います。
【馬橋】 わかりました。いろいろご議論はあると思いますけれども、次、松田先生が研
修所の教材ができて、実際、起案がされて、添削して、講評するまでの流れを、資料2でお
述べになっていますので、その点を簡単に説明していただきたいと思うんですが。
松田先生、これは私の手元に先生が起案に使われた記録があるんですが、これを参考とし
てお見せすることでよろしいでしょうか。
【松田】 結構です。
【馬橋】 では、そういうふうにいたしますので、参考として2冊ございますので。ご参
考までにお回しします。
【松田】 教材の事実をご説明して、どんな講義をやるかというのは、ここで話す時間は
ありませんから、概括的にお話し申し上げます。民事弁護が考えている、起案科目のコンセ
プトとでも言いましょうか。限られた時間の中で実務家として最低限必要なことをどうして
も教えたいというのが、私どもの気持ちの中にあります。
そうなりますと、どういう記録を扱うかということは、かなり議論をしてあります。
【馬橋】 2の 111ページです。
【松田】 教官でなくても、何人か弁護士が集まって、限られた時間の範囲内で、どうい
う事案を教えたらいいかにつき議論をしたら、実務上最も多いケース、基本的なケース、類
型的にできるだけ理解ができるケースになるのではないかと思います。いきなり弁論に行っ
ても、そうめちゃくちゃなことを言わないですむ弁護士をつくるためには、特異なケースを
やらせて、高度な議論を準備書面で書かせるというよりは、どこの裁判所に行っても出くわ
すような事件を、最低限体験してもらいたいと考えるのです。
そうなりますと、売買契約、消費貸借契約、賃貸借契約、保証契約、いろいろな原因によ
る登記請求権に関する事案が必須ではないかと思います。それから、遠藤委員が言うように
不法行為についても勉強しておかなければならないケースであることは承知しております。
しかし、今私が6つほど挙げました中で、私の教官中に主な争点として不法行為の事案は扱
っておりませんでした。入れておりません。どうしてかといいますと、不法行為はそれぞれ
の事案ごとに証拠の収集、立証方法、損失の主張が千差万別でありまして、修習起案に向く
ものがないのです。事案ごとに初めてのケースにならざるをえないのです。例えば、薬害事
故とかいうふうに類別すれば別論でしょうが、これは研修所の集合教育になじみません。不
法行為の1事案を徹底的に勉強させたら効果が上がるかというと、それほど効果が上がらな
いのではないかと、私は考えています。
効果が上がって、なおかつ実務上必要な順番で修習をさせることにしますと、残念ながら、
不法行為の起案が漏れてしまうんです。あと2回ぐらい起案科目を増やせれば、不法行為の
記録もつくる意欲が出てくるかもしれません。今言った前5者ぐらいのもの、売買に絡まる
問題、消費貸借、賃貸借、これに保証が絡まり、それと登記請求権、これだけは少なくとも
研修所を出ていく限りにおいては、一通りのことは勉強させてから出したいと思っています。
私が資料として作りましたものは、借家の契約の事案に関する起案とその講評科目に関す
るものであります。この事案について、大学の先生方に提供するようなものではありません
ので。むしろ、これは民事弁護としてはどういう手順でこの記録をつくり、どういう手順で
講義をし、評価をしているかを記載しただけであります。
これは私が書いたものではありますけれども、教官室からもこれを出すことについては、
承諾を得ております。これを見た先生方で、こういうのでは具合が悪いのではないかなどの
ご意見をお持ちの方から質問等を出していただいて、私の方からお答えしていくほうがいい
のではないかと思いますが。済みませんが、司会をそのように進めていただけませんでしょ
うか。
【馬橋】 はい、承知しました。この記録自体は、卒業するための試験、2回試験のとき
の試験の題材でございます。実は、私の時代にそれをつくったものでございますので、あそ
こにいる玉井弁護士は、それを受けた出たはずです。
いかがでしょうか、こういうふうな方針で行われているというのは、一応は読んでいただ
いた方にはわかるようには書いてありますけれども。何かご質問等がございましたら。
【松田】 できるだけ実務家として、法律的な議論だけではなくて、いろいろこの記録の
見方、注意の払い方というものを勉強させようと思っております。
私の資料の 122ページですが、これは、実際に私がこの講評をやりましたときの「進行予
定」です。レジュメであります。幾つか教官室があらかじめ講評すべき点を設定しておりま
す。しかし、これを見ていただければわかりますように、まず、事案をどのようにつかむか。
それから、起案を見て、民法と借家法の関係がわからないで起案をしている者がいましたか
ら、ボトムアップのためにその講義を加えております。3番目が、訴訟物と攻撃防御方法と
書いてありますけれども、この程度の要件事実しかやっていないというふうに考えてくださ
って結構であります。
なぜ、民弁起案において要件事実が若干は必要かといいますと、訴状と答弁書を書く段階
(主に前期)では、少なくとも要件事実を教えます。訴状と答弁書の要件を欠くようなもの
になっては困るからです。当たり前のことであります。ただ、要件事実の骨組みだけで、実
際上の事案が裁判官の頭に浮かんでこないようなものでは困りますので、もちろん、要件事
実以外のものを、個性ある事実としてどう書くかということを教えます。訴状、答弁書の段
階では、特に要件を外さないように書けと他の教官も言います。
最終準備書面を書くような場合においても、記録上要件としては出ているけれども、裁判
官が整理をする段階の前でありますから、それに合うようにもう一度論証するということを
指導します。言ってみれば、裁判官にどういう事実として主張を理解してもらうかという戦
略でありますから、実務家としては当然であります。決して要件事実で細かいことはやりま
せん。資料の進行予定に記載した程度のことをやって、主張項目を整理する一例を示すよう
なことをします。
4番目は、本件の契約の終了原因のいろいろな事実のつかみ方を、幾つか論点を分けまし
て書いてありますが、これは法律論でありますので省略させていただきます。
その次の3は、小問の答えです。そのほか、ここでさらに加えたところは、判例上の立退
料の判例の解説や、
正当事由をどのように起案するかという技術的なことを勉強させました。
これが7であります。
それから、本件の記録の中から、原告代理人と被告代理人の立証として足らない点をピッ
クアップしています。9は、全く新しい法律の解説も若干は加えます。定期借家権が新法で
入れられましたから、正当事由がいつも必要だなんて思って実務に出てもらっては困ります
ので、こういう新しい情報も提供して、講義には加えました。
本件が和解になった場合にはどういう条項が必要なのか、これは実務家として当然のこと
でありますが、議論します。
その他、11番の問題点がありますが、これを通して、弁護士倫理についても議論はしてお
ります。代理人として、どういう準備をすることが必要なのかということも含め、広い意味
の弁護士倫理でありますが、
そういうことも勉強させる材料にはしているつもりであります。
1件の記録で、できるだけ情報を多面的に見て、実務家としては、単に要件事実だけ充足し
ていればいいという教育は決してしておりません。
【馬橋】 これを 200分でございますか、講評は。
【松田】 はい。講評は 200分です。
【馬橋】 200分の講評ですね。例えば、これに保全処分を申立てることはどうか。それ
はできるんだろうけれども、この事案において保全処分をする上ではどんな点を考えるべき
かという点も、我々の時代は問題にしたこともあったように思いますが。1つの記録で、こ
ういう形でやってくるということでございますか。
【松田】 そうです。まさに訴訟記録ではありますけれども、受任して、最後の執行をす
るまで、どういう段階でどういう手続が必要なのか。ないしは、受任するときの弁護士の注
意義務、最後に報酬をもらうときはどうなのか。こういう点まで全部注意を喚起するように
はしております。ある事実を与えられたときに、受任から保全、執行までを含めて、場合に
よっては報酬のもらい方まで含めて勉強するのが、民事弁護の起案科目の重要な役割だろう
と考えています。
【馬橋】 ありがとうございました。この事案、講評等のやり方について、何かご質問と
かご意見がございましたら、どうぞおっしゃってください。
【松田】 丸山先生は、この講義に出ていてくださったので、感想があれば。
【丸山】 実は、私は修習生として出ていたわけではございませんけれども。本務校でロ
ースクール問題の委員をやっておりました関係で、やはりロースクール教育と研修所の教育
というものが、どういうふうに接続できるのか、あるいはできないのかということについて、
もちろん大学の先生の中には実務の研修を経てきた方もいらっしゃると思いますけれども、
私はそういうことについては全く知識がないものですから、勉強のために委員の1人として
研習所に、ちょっと遠いんですけれども行ってまいりました。それでたまたまセッティング
していただいた授業が、松田先生の授業だったわけです。
多分、資料と同じようなことでしたね。聴講させていただいたんですが。はっきり言って、
私の大学でやっている授業とはかなり違うなという感じがありました。これは民事弁護の授
業ということもあったのかもしれませんけれども、やはり松田先生がさっきおっしゃってい
たように、弁護士としてどういうふうに説得するんだと。どういうことを言いたいんだとい
うことを、修習生に対して問いかけをしておりました。
我々の授業の場合は、これもあるよ、あれもあるよというところを、まず全部やってしま
うんですけれども、そこは省いておられる。それで、各修習生から出されたドラフトを前提
にして、よくできた方と、よくできなかった方とを比較するような形で、お話しをされてお
られました。
ですから、やっぱり大学の授業と研修所の授業との、ある程度役割分担みたいなところが
あるのではないかという印象を受けました。それで、研習所の授業については、ほかの教官
の方の授業はまだ聴講していないから、松田先生のところだけの感想になってしまうと思い
ますけれども、かなり目的意識がはっきりした形で教官の方が授業をされているということ。
それから、これは私の反省点なんですけれども、授業の方法論について、かなり時間をかけ
て準備をされておられるということがありました。個別の授業について相当な準備をされて
おられるということです。
その点で、例えば我々がロースクールで何か授業をやらなければいけないということにな
ると、ロースクールの授業だけで、自分の研究をやる時間はなくなってしまうのではないか
という感じも受けたんです。ですから、授業ないし教育に集中するという点では、大学の授
業との質的なそして方法論的な違いというものがあるのではないかということです。
それから、大学の授業の中では、法曹倫理についてどうのこうのということは特にやって
おりません。これからどうなるかということはまた議論になってくると思いますけれども。
この点についても、研習所ではどの程度それをやっておられるかということについて、松田
先生の授業の中ではかなり強調されていたこともあると思います。その点、私も今後、問題
として考えさせていただきたいと思います。
授業に関して、基礎的な力がどうも欠けているのではないかという問題点を最初にお出し
になりましたけれども、それは確かにその通りだと思います。もう一つ、いわゆる先端的と
いうか、より専門的な法律問題についての授業を研習所でやるということについては、困難
性があるのではないでしょうか。もちろん、研習所の中で、お話を伺ったところでは、その
問題について専門家である大学の先生方の特別講義や、セミナーみたいなことをやっていら
っしゃるようですけれども、これについても本来の修習のスケジュールとの関係で限界があ
るので、そのあたりのところはむしろロースクールができたら、ロースクールのほうでやっ
たほうがいいのではないかという感じも受けました。
私は、生徒の立場として、もし松田先生の授業を受けたら結構厳しいなという感想を持ち
ました。以上でございます。
【馬橋】 ありがとうございました。ほかにご意見等、ございますでしょうか。向井先生
どうぞ。
【向井】 刑事弁護、刑事の立場で紹介をさせていただきます。4月14日付で、私の「現
行法曹養成制度の問題点」という2枚ばかりのぺーパーを出しております。私は、4月まで
刑事弁護の教官をしておりまして、これは3年間でした。その前は民事弁護の所付きを4年
間、約10年ぐらい前にしております。その前後にわたって、母校の中央大学で司法演習のゼ
ミをやっておりました。そういう意味では、最近の大学生の状況とか、司法修習生のものの
考え方などは、直に接してわかっているつもりであります。
今、松田先生のほうから民事弁護、民事科目についての紹介がありました。刑事弁護につ
いては、詳しいカリキュラム等はここには出してはおりません。そこで、口頭で刑事科目に
ついて簡単に説明します。ご承知のとおり、刑事裁判と検察と刑事弁護と3科目が刑事系統
としてあります。それぞれの教官室がカリキュラムに関しては全く独自の方針でやっており
ます。先ほど、共通化ということで加藤委員のほうからご説明がありましたように、共通科
目も最近増やしております。情状弁護とか、模擬裁判、交互尋問等は三科共通で行っており、
この他刑裁と刑弁で、過失犯について、その理論的構造、裁判の運営、弁護の仕方等を共通
で行っております。
刑事3科目、特に検察と刑弁というのは、どうしても共通に講義することは難しいという
面があります。刑事弁護は、三者の立場の違いをまずよく理解してもらうということを基本
に据えて、弁護人の役割、憲法、刑事訴訟法、人権B規約、適正手続を守るというような、
刑事弁護人として基本的に何が必要なのかということを、弁護士になる人には勿論、裁判官
になる人や検察官になる人にも十分理解してもらうことを第一の目標にしております。
国際人権B規約に基づき、規約人権委員会は、日本政府に対し法曹に人権教育をすべきで
あるということを勧告しておりまして、これに対する政府の報告書では、司法研修所におい
て人権教育を行っているとなっているようです。このようなこともあり、刑事弁護では、国
際人権B規約等についての話も相当時間をとってやっているということであります。
修習生は何も刑事裁判について知らないところに、研修所の前期で、刑裁は刑裁、検察は
検察、刑事弁護は刑事弁護で、それぞれの立場からいろいろなことを言われるような状況に
なるということだと思います。
授業の進め方は民事科目と大体同じであります。起案、演習、講義、模擬裁判、セミナー
と、こんなことろです。起案は弁論要旨、保釈請求書、準抗告の申立書、控訴趣意書、こう
いうものを修習記録やプリントに基づいて書いてもらいます。刑事弁護では、それを1通ず
つ添削して、総評を書き入れ、講評の際に修習生に返します。これが68∼71・2通あり
ますので、起案の添削のために土日は全部つぶれるという状況です。1通見るのに30分か
ら1時間弱かかります。そこの中では、説得力とか、文章の構成力、文章の表現とか、そう
いう点についてまで赤ペンを入れて添削し、一人一人について直して、励ましたり、あるい
は注意したりということを行い、かつ、講義においても行っております。
内容については一々全部は申し上げませんけれども、一般的な刑事事件を中心にして、少
年事件とか、外国事件とかを扱い、現行の刑事訴訟実務が、どうも憲法や人権規約上おかし
いじゃないかということを特に強調しながら、刑事弁護ではやっているということでありま
す。
特に私が言いたかったのは、これは現場で教えた経験に基づいているんですけれども、教
官というのは3年ぐらいやると、疲れて目いっぱいだと思うんです。4年というと、もうで
きないんじゃないかと。そういう意味では、教育というのは教育者のほうのやり方によって、
効果というのは多分全然違ってくる。研修所の教育で私が一番よかったなと思う点は、各教
官室の各教官が、いずれも後輩を育てるというプロフェッショナルの使命感に燃えてやって
いる、対価を得るとか、そういうことではなしに、とにかくこの3年間は自分のことは全部
ほうっておいても、この3年間は全部やり通すんだという使命感に燃えてやっているという
ことです。そして、そのことが修習生に直に響く。一人一人顔が見られる授業ですので。で
すから、教育というのは、そういう意味ではけんかみたいなもので、相当こっちが本気にな
ってやればそれなりのことはあるし、そうでないとだめなのかなと。教官の仕事は本気にな
ってやると、弁護士は特にそうだし、裁判官も検察官の出身の教官もおっしゃっていますけ
れども、3年とか4年で、もう結構ですよというぐらい疲れるものではないかなと思います。
もし法科大学院ができた場合、そこでどういう教育の仕方をされるのかわかりませんが、
教える側も相当本腰を入れないと全く効果が上がらないのではないかと思います。最近の大
学生を見ていますと、独学で勉強するということが多分できなくて、手取り足取りというこ
とだと思うんです。これは大学によって相当差はあるんじゃないかと思いますが。私が学部
にいたころは、教授は話しをしていますけれども、学生は知的な刺激をそこで受けて、それ
から自分で勉強するということでやってきたんじゃないかと思うんです。ところが、最近の
大学生を見ていますと、ほとんどの人が大学に進学するような状況になって、能力が多分低
下したということもあるかもしれませんが、手取り足取り教えないと何もしない、講義でち
ょっと刺激されても、おまえ、勉強してこいよと言っても、独学ではなかなか勉強してこな
いのかなと思われます。
ですから、それはそれでもうやむを得ないと切り捨てれば別なんですが、もし今の予備校、
ちょっと話が戻って恐縮なんですけれども、予備校がやっているような程度まで知識をつけ
てもらいたいということになれば、予備校的なメソッドをある程度しないと、現実問題とし
てだめなんじゃないのかなと。これは学部においても、法科大学院においても。そんなこと
を感想的に考えたということです。以上です。
【馬橋】 今、刑事弁護教官のほうからのお話ですけれども。何かご意見、ございますか。
加藤久雄先生。
【加藤(久)】 今までのお話は、ほとんどが、もちろん現代社会の法律事情がそうなん
でしょうけれども、民事法関係で、刑事法を専門にしている私といたしまして、刑事法のお
話が、きょう初めて具体的に専門家の先生のほうから出していただきまして、非常にありが
たく思った次第です。
私は、2回目の資料で、司法試験科目から刑事政策はなくなったということに関連してど
ぎつい表現で意見を述べておりますけれども。刑事法領域の教育においては、民事法以上に、
もっと問題の本質といいますか、実定法の刑法と手続法の刑訴法とを刑事政策的視点が総合
的に理解していくことが要求されている分野なのです。例えば少年法の問題にしてもそうで
すけれども、厳罰主義と保護主義の関係とバランスの問題などは刑事政策的視点や問題意識
がなかったら解決できないのです。刑事政策を大学で学ばずに少年審判や刑事裁判に携わっ
ているケースも多いが信じられない事です。それは大学教育でやらなければいけないところ
なんですけれども、それが予備校に行ってしまってどうしようもないわけです。
ということで、刑事法の基本的な問題を、そういう刑事弁護の教育の中で、具体的にどう
やっておられるのかというところを、ちょっとお伺いしたいんですけれども。
【向井】 お答えになるかどうかわかりませんけれども、私がよく授業で、それこそソク
ラテス的に修習生に当てて答えさせるのは、時事問題というか、例えば和歌山のカレー事件
とか、あるいはオウム事件。新聞の論調は、例えば被害者の人権はどうなるんだと言われて
いるけれども、それに対して君は弁護人としてどう答えるのかとか。あるいは、例えば 100
万人といえども、社会に非難されればされる人ほど弁護しなければならんという考えがある
けれども、それはなぜかと思うかとか。そんなようなこと修習生に問いかけ、自分の考えの
押しつけにもある程度なるのかもしれませんが、具体的な事件を通して、そういうところを
話をしています。あとは、どうしても事実の見方、あるいは事実認定の仕方、経験則などに
ついては特に力を入れて話をしています。また、何もいい情状のない人について、じゃ、ど
ういう弁護をすべきなのかということは、相当根幹的なことになっていきます。このような、
刑事弁護の本質・基本に関わることに特段教材があるとか、本があるとかというものではな
いんですが、毎回の授業で必ず触れていますし、修習生も非常に興味を持ってくいついてく
ると思います。教室でも議論が沸騰したりします。
【加藤(久)】 ちょっと追加的なんですけれども。民事法関係の先生方にもお伺いした
いんですけれども。私は8年間、刑事政策の司法試験委員をやっていました。そのときに実
務家委員の方からよく聞いたことは、これは法学教育を担っている者として反省しなければ
いけないなということも含めまして、例えば刑事政策とか、刑事訴訟法を聞かずに検察官に
なれりるということです。言ってみれば、大学の刑事訴訟法を、あるいは刑事政策を変に聴
いてこないほうが、むしろ修習のときに白紙の状態の方が、刑事実務のテクニックを教えや
すい的なことを、何人かの実務家委員から聞きました。
現に、検察官の方で試験科目として刑事政策や刑事訴訟法を選択せずになっておられる方
がたくさんおられると聞いているんですけれども、これは大学の法学教育というのは抽象的
な基礎理論等を中心に講義されているので実践的応用判断力を要求される実務には役立たな
いという痛烈な批判があると思います。
それで、今度、刑事政策が排除されたわけですから、刑事司法の実務家になるための最低
限の基礎知識、犯罪原因論・政策論、犯罪者処遇論、少年法等々に関してもしっかりと系統
的に教えるカリキュラムを用意なさっているのかということをお尋ねしたいわけです。
【馬橋】 だから、それは先ほどの答えで大体重なるわけでしょう。
【向井】 そうですね。民訴選択者というのは、今年からはそういうことはなくなりまし
たけれども、今までは刑訴をとっていない、学部でも単位をとっていなくて司法試験合格と
いう人もいたわけです。
【馬橋】 上原先生は、研修所にいらしたこともありますね。実際、修習生生活をお送り
になったこともあって、今学者の立場でいらっしゃって、研修所教育というものについて、
どんなお考えなのかをお聞かせ下さい。
【上原】 初めて出席させていただきましたけれども。私が研修所教育を受けたのは、29
期ですから、25年近く前の話でございまして、大分事情も変わっていると存じます。先ほど
松田先生から、こんなに時間をかけて準備をされて教育をしているというお話を聞いて、び
っくりしたんです。私が修習生として受けた当時は、そんなに準備していないのではないか
という講義も、実際にはあったように記憶しています。もっとも準備がどういう形で実際の
講義に反映されるかはわかりませんが。
私もそういう意味では、大半の教育というのは、こういうふうに準備してやれば成果が上
がるということは、大変よくわかります。今、次世代法曹教育ということで考えているわけ
ですが、大学側に対していろいろ厳しい意見がこのところいろいろな方から出ているわけで
す。しかし、やはり、研修所というのは教育をするインセンティブが、教官側にしろ、修習
生側にしろ非常に強いところであります。同じ様なことが多様な人が集まっている大学の場
でできるかというと、それはなかなか難しいのではないかという気がしてならないんです。
もう一つは、先ほど来何人かの方から、教官を3年なり、4年なりやれば、もうへとへと
で、しばらく勘弁してもらいたいということのようですが、研修所という組織はそういう形
でも継続していくわけでしょうけれども、大学院の教官が果たして教育を3年、4年やって、
もうおしまいです、ほかに行きますとか、あるいは場合によって(そんなうまい話があるの
かどうか知りませんが)、研究に数年間専念していいですよと、そういう形で大学院全体が
うまく機能するのだろうかという気もするわけです。
そこが、今後ロースクールなり何なり、いずれにせよ新しい教育を考えていく場合に、一
番重要なポイントでもあるし、非常にネックになるところではないかという気がします。
【馬橋】 由岐先生どうぞ。
【由岐】 間違っていたら、加藤判事のほうから意見をもらいたいんですけれども、カリ
キュラムを見ていまして、訴訟技術教育というものに非常に偏っていないかと。判事の説明
の中にマックレート・レポートがありますね。マックレートレポートで法曹養成に必要とさ
れる10項目を指摘したり、4つの基本的価値を指摘していますね。先生はこれを認める方向
だと。私もこれでいいと思っているんですけれども。
そのと比較すると、研修所教育というのは技術教育に余りにも偏っていないかと思うんで
すが。
【加藤(新)】 具体的に、どこが偏っているという御指摘ですか。
【由岐】 例えば、要件事実教育というのが、まず大前提に来る。要件事実への当てはめ
教育は1つの内容ではあるけれども、そのために何時間とるのか。それと、例えば検察で、
不起訴裁定書をつくるために何時間とっているか。例えば、弁護も批判しますから、弁護の
ほうも形式的な要件の習得に何時間を要しているのか。つまり、そんなことよりも、ほかに
やることがあるんじゃないですかということが……。
【加藤(新)】 例えば。
【由岐】 例えば、この中に挙がっている問題解決能力、あるいは訴訟外の交渉能力、交
渉技術、契約書の作成、あるいはコミュニケーション技術と挙がっていますから、それを研
修所ではおやりになっていますでしょうか。
【加藤(新)】 やっています。
【由岐】 どういう教育ですか。
【加藤(新)】 例えば、契約のドラフトは民事弁護でやっています。ディベートの関係
は、民事弁護でも、民事裁判でもやっています、模擬和解も今やっています。由岐先生が思
いつかれるようなことは、全部やっています。
【由岐】 ほんとうですか。
【加藤(新)】 そして、やってはみたけれども、司法研修所でやってもあまり効果があ
がらないなということはあるのです。それはもう一、二回でやめるということの繰り返しで
よ。そこのところをきちんと認識していただきたいのです。そして、司法研修所教育はスキ
ルの教育です。何も、司法修習生に対するマインド・コントロールなどはしません。スキル
教育なので、多様な思想の人が研修所に入ってきても、みんなきちんと、これはやらなきゃ
いけないなと受け止め、起案をこなして、力をつけて出ていくんですよ。そこが一番のポイ
ントだと思います。
【由岐】 言葉の争いをしてもしょうがないんですよ。スキル教育に徹底した場でいいの
かという議論なんですよ。だから、皆さんで議論していただきたいのは、そこなんです。
【加藤(新)】 むしろ、知識付与からスキル養成に行くべきではないかと思っているぐ
らいです。法律知識は、司法研修所に入るまでのところでやっておいて欲しいと言いたい。
だから、大学が専門的な法学教育を再編成してくれるというのは、我々は反対ではありませ
ん。
【由岐】 だから、そうではなくて、スキル教育をそこまで研修所でやるのか、それとも
ほかにやることがあるんじゃないですかと言っているだけです。
【加藤(新)】 それは、何なのでしょう。
【由岐】 例えば、法哲学や法社会学について、我々は研修所ではやりませんね。さっき
言ったように、大学は焦点が定まらないと先ほど先生から出ているし、司法試験は知識教育。
それで、スキル教育、これだけで法曹としていいんでしょうかという議論をしなければいけ
ない。では、きょうは司法研修所の問題点だから、スキル教育に偏っていないという判断で
すか。
【加藤(新)】 その偏るという言葉を使われる前提として、バランスをとらなければい
けないということでしょう。そのバランスは、何と何とのどういうバランスなのでしょうか。
それをきちっと示した上で、だから偏っているという議論しないと、それこそ、それは言葉
だけの……。
【由岐】 議論になってしまうと。そうすると、どういう教育をしているのですか。
【加藤(新)】 例えば、司法研修所では憲法をやっていないではないかという批判があ
るわけです。しかし、憲法は大学でやってくることであり、司法試験でマスターし終わって
いるはずであるというのがもともとの立場なんです。
【由岐】 研修所のね。
【加藤(新)】 だけれども、憲法訴訟論については、やはり研修所でやるべきであろう
と思います。実務家としては、ただ憲法を知っていますというだけでは、すぐ実務には使え
ません。だから、憲法訴訟論はやりましょうということで、やっているわけです。
【由岐】 今はやっているんですか。
【加藤(新)】 やっています。
【由岐】 そうすると、加藤裁判官の認識では、もうスキル教育に徹底しているものでは
ないと。
【加藤(新)】 現状では、実務知識の付与にとどまらず、大学でしておくべき法律知識
の補充もしています。しかし、我々が言いたいのは、例えば訴訟法の補充を研修所でセミナ
ーでやるのは、いかがなものかということです。行政法、労働法などを司法試験科目から落
ちたから、研修所で代替すべきであると言われていまして、やっているわけですが、それは
大学で行政法、労働法の単位として想定している程度の時間はかけることは困難です。しか
し、修習生が、そうしたものも勉強しなければいけないと思ってもらう程度にはやりますけ
れども。
【由岐】 要するに、司法研修所の役割というものが、私の印象だったら申しわけないん
ですけれども、技術教育というものに偏り過ぎていないですかと。それで、何ですかという
質問ですから、今は訴訟技術の習得ということで、実務に則した実務能力という名で、実は
技術教育だけをやっているのではないかというところなんですよ。
【加藤(新)】 これも言葉の問題だということになるかも知れないけれども、技術を通
して見識を、倫理を教えているのですよ。ただ、弁護科目でこういう起案をしたらいいとい
う技術だけを教えているのではないですよ。こういう起案をすることで、どういうメッセー
ジを込め、何を訴えるべきという見識を教育しているのです。例えば、刑事弁護科目でやっ
ていることは、向井先生、この先についてお願いします。
【向井】 そのとおりです。刑事弁護であれば、スキルもその奥にあるものも、たまたま
一致するんです。それが刑事弁護のスキルなんですよ。
【加藤(新)】 そうですね。
【馬橋】 吉原先生どうぞ。
【吉原】 私は研修所教育を支持する立場であって、加藤先生のおっしゃのはそのとおり
だと思うのです。研修所の門標にはトレーニング・センターと書いてある。つまり、法曹養
成の長いいろいろな段階の中で、研修所はどう位置づけられるのか。そして、それが今後の
新しい制度の中で必要かどうかということの関連で考えるとき、研修所は従来、法律知識を
いわば平たいものとして大学で習ってきたのに対し、それを立体的なものとしてとらえ、そ
れを解決することをトレーニングするところなのです。
教育、教育と言うけれども、教育というと、教え導くという感じがしますね。だけれども、
本来、enziehen とか education ものは、引き出すという意味ですね。私は修習生に学校と
違うところは、学校は授業料を払うけれども、ここは給与をくれる。学校は先生が教えるけ
れども、ここは自分で勉強するところだと言っています。研修所は学校と違うのです。です
から、法哲学とかそういうものは自分でやればいいので、まず限られた1年半、以前は2年
ですけれども、その限られた期間の中で何をやるかということなのです。
そうすると、交渉術とか、そういうのはなかなかに難しい。それは人によってやり方が違
うからです。そこで、先ほど松田先生が言われたように、基本的に必要なことをやることに
なります。つまり、紛争を解決するためにどうすればいいかということを考える。先ほど慶
応大学の加藤先生が、心構えというか、基本的立場とおっしゃいました。それは民事訴訟で
も、民事裁判について、真実なんてないんだ。立証に勝ったほうが真実なんだという考え方
と、いや、真実はあるんだ。そこに迫るために、どういう主張をし、どういう立証をしてい
けば、真実に近づくことができるのだという2つの立場があると思います。
私は後者の立場をとるべきだと思いますけれども、それは決して押しつけはしません。そ
ういう対立した基本的な考え方がある、けれども、それは君らが選ぶことだと言います。そ
れは、おそらくすべての教官の基本的な立場だと思います。だから、どのような立場をとる
者も修習を受けられるのです。
さらに、もう一つ修習生で、今弁護士登録していない人が私の事務所に遊びに来て言うの
ですけれども、研修所は金太郎あめみたいだ、みんな同じ法曹になる教育すると言うのです。
考えてみますと、我が国の法律というものがあるわけですが、和解金にしても、あるいは着
手金を幾らもらうかにしても、自分が修習したところで、自分の経験に基づいてみんな判断
しているんです。刑事でいえば量刑もそうだと思います。それから、交通事故だって、朝と
夕方しかバスが走らないようなところで、酒気帯び運転で人をはねたというのと、東京都内
で酔っぱらって人をひいたというのでは、随分評価が違うと思うのです。
果たしてそれが正しいのか、正しくないのかということも、自分らで考える必要がありま
す。同じ法律が適用されている日本の中で、差があってはいけないという考え方があります。
けれども、また、一方では差があって当然だという考え方もあります。私はいろいろな人に
聞いたんですけれども、差があっていいのではないかという人が、研修所の教官の中にも随
分いるのです。けれども、差があってはおかしいという人もいます。そういう違いがあるの
だということを、1つのところでみんなで話し合って、ならしていく。それでも、自分は不
起訴だとか、自分は懲役8年だと考えて、それはそれで構わない。しかし、それが正しいと
思われては、困るわけで、一般的な感覚を知ってもらう必要がある。
そういう意味で、各高裁管内で法曹を育てるということには、そういう問題があるのでは
ないかと思います。現に東京と大阪では、交通事故の損害額の額の計算の仕方が違っていた
のを同じにしたということですが、裁判所によって損害額とか、量刑が違っていてはおかし
いとも言えます。つまり全国で同じような司法サービスが受けられるようにする、少なくと
も、そういうことを考えさせる機会を設けるという意味が研修にはあると思うんです。
【上原】 確かに弁護士さんの、ある一部か、かなりの部分かは知りませんが、要件事実
教育に対するご不満が随分いろいろな形であらわれていて、このロースクール問題にもいろ
いろな形で反映されていると思うんですけれども。私の経験した限り、随分とこの要件事実
教育も昔から比べますと変わってきているように思います。私が研修所に行く前に、あると
ころで研修所出身で大学の助教授になった方から、こんなことをやっているんですというふ
うにゼミで指導を受けたことがあって、これは変な教育だなと思ったことがありました。
しかし、研修所に実際に行ってみますと、それほどのことでもないのではないかと。むし
ろ常識的な内容であろうと思いました。さらに、先ほどの松田先生のような形で、要件事実
を基本にして間接事実をうまく使って弁護活動をやるという教育をかなりしているというふ
うにもお伺いしますと、いくらスキルばかりの技術教育はいけないといっても、これは、む
しろ最低限の技術教育をやっているのではないかという気がするんです。要件事実のなんた
るかも知らないのではやっぱり実務家として、あるいは専門家として素人ではないというあ
かしにならないのではないかと思っております。
他方で、確かに法律学者の中にも、要件事実の発想自体がいかんのだという意見もあるか
と思います。いろいろな問題を、法律問題としてだけ処理していたのでは解決できないよと、
そういうことはあるかと思います。しかし、法律家に基本的に要請されるのは、法律問題と
して解決することであって、オール・パーパス・プロブレム・ソルバーということも言います
けれども、それはかなり上級の法律家の到達点であって、しかも特定の事件について非常に
うまく解決できたきわめて稀な場合のことでありましょう。基本的には、並の法律家を目指
して教育をするという法曹養成の立場では、やはり要件事実というものは基本にならざるを
得ないと考えます。それすら身に付いていない法律家では、紛争をただ引っかき回すような
ことになりかねないと思います。
そういう意味で、私はこの要件事実教育というのは、基本的に支持されるべきであるし、
また、集合教育として研修所がやるべきことで、大学では多少総論みたいなのは、確かに加
藤さんがさっき言われたようにできるかもしれませんけれども、実際の事件に則してやるこ
とは、大学ではおよそ不可能なことと。そういう意味では、これは今後とも研修所の基本に
なるべき教育ではないかと思っております。
【三成】 先ほど加藤委員が、また松田委員もおっしゃいましたけれども、大学では修習
所での教育の前提となるいろいろな基礎的なことは勉強してきてもらい、修習所ではスキル
を教えるということですね。そこで質問なのですが、その前提となる教育というのは、大学
で教えられようと、予備校で教えられようと、それはどちらでも構わないのでしょうか。法
律の基礎的な知識を持っていれば、あとは修習所教官がスキルで鍛えるから、それで構わな
いのだということなのでしょうか、そうではなくて、やはり大学というところで教えられて
きた何かプラスアルファがそこでは期待されているということなのでしょうか。
例えばアメリカ、イギリス、フランスなどの法曹養成に関して話を聞くと、大学教育を受
けてきたことが基本的にプラスに評価されています。実務教育に携わっている人もそのよう
におしゃっています。それはなぜかというと、大学で教えられてきたことが、つまり、思想
や哲学そして歴史など、いろいろなことを学んできたという前提のもとに、スキルが教えら
れているのであり、そうでないと、スキルを教えても意味がないということなのです。
先生方がおっしゃっているような、総合的な学生に期待するのであれば、やはり、予備校
だけでは問題があり、大学でしっかり勉強してきてほしいということになるのではないでし
ょうか。それとも、もう大学はいいよということなのでしょうか。
もう一つは、21世紀の新しい法曹を養成するというときに、スキルを養成するのはよくわ
かりますが、21世紀を目指した法曹のスキルとは何かということ、その点はいかがでしょう
か。その2つの点をお聞きできればと思います。
【加藤(新)】 最初の点ですが、これは私は大学に大いに期待しているのです。大学で
の授業をなおざりにして、予備校だけで受かりましたという修習生は、基本的なところで気
おくれもするし、伸びるだけの素地も乏しいということが少なからずあります。
もう一つ、この間も、山本克己先生も話しておられた点に関連しますが、体系的、系統的
な知識を持っていてもらったほうがいいわけです。民事裁判の起案をさせますと、3つ論点
があって、ABCの論点がそれぞれ関連し合っているところを、予備校では自分の答案の書
きやすい説で書いたらいいと教えられている修習生が、受験生時代と同じにして書くと、一
貫しない起案を書き、おかしいと気づかないということが、現実の問題として出てきます。
それは困るわけです。そういう意味で、法学部で系統的な、体系的な講義を聞き、基本書を
読み、ゼミで議論して、勉強して、受かってくるだけの力をつけてほしいというのが、我々
の気持ちです。
21世紀のスキルについては、松田先生にお願いします。
【松田】 20世紀に置いていくものばかりで申しわけないんですが。最初の点は、私も加
藤委員と同じで、大学に期待しております。それは、やっぱり予備校の先生の実力と大学の
先生の実力というのは、お世辞で言うわけではないけれども、それは絶対違いますよ。一生
懸命やってくれたら、学生は伸びますよ。
それから、21世紀的な教育にどうつなげるかということですけれども。今ぐらい法律につ
いても変革が要求されているような時代は、そうないのではないかなと、見ております。た
またま私は知財の仕事をしておりますから、ずっと新しい法律ができるのを見てきたわけで
すけれども。そのときに、どういう力が民事弁護士として必要なんだろうかと振り返って見
ますと、司法試験的な勉強と実務家としての能力の違いというのは何かというのにつながる
と思います。今言われたように、司法試験であれば、論点を上手く書ければ合格するんだろ
うと思います。それも大変だろうと思いますけれども。
この論点ごとの説得力に加えて、類似の事案との整合性に思いを至らしめなければなりま
せん。また、他の手続段階との整合性を検討する力が求められます。これが実務家に求めら
れていると思っています。訴訟において準備書面を書くときに、妥当性はあるけれども、保
全のときにはどういうふうに主文を取っておくのか。それから、執行異議のときには、これ
らがどう関わるのかということを見ながら、その中で手続きと主張を選択するのが実務家だ
と思います。
さらに言うと、民事の実力者というのは、訴訟等の結論が当事者等の経済・社会活動とど
う関連してくるのかを見定められる者ではないかと思います。特に財産法を研究する人たち
にとっては大切なことだと考えています。21世紀で弁護士として活躍できる人には必要なん
だろうと思います。
そういう視点を持ちながら、今現象として起きてきている訴訟をどういうふうに解決する
のかを検討することができる弁護士が求められてるのではないでしょうか。これは、訴訟の
場面だけに求められる能力ではないと思います。今、経済の枠組みが変革しつつあるときに、
いろいろな利益の対立が生まれてきて、法律の改正が重ねられ、判例が出てくる。一定の結
論が出ると、当事者間で新しい境界をつくって利益の配分を始める。言ってみれば、自分た
ちでルールをつくり出すことも行われている。こういう全体を見ると、手続の中でどういう
論理の完結性を求めるかということだけではなくて、弁護士の活動が社会にどういう影響を
与えて、どういう欠陥を持っているだろうかということの判断ができるということが要求さ
れているように思います。21世紀の弁護士には益々この力が求められるように思っており
ます。雑駁ですけれども。
【馬橋】 ちょっとお待ちください。遠藤先生、先ほど発言を求めていらっしゃいますの
で。
【遠藤】 先ほど上原先生からもお話がありましたけれども、要件事実教育は、大学の先
生方もおそらくかなりばかばかしいと思っていて、大学ではやりたくないと、私はそう考え
ているのではないかと思っているんです。なぜかと申しますと、二、三日前にお送りしまし
たけれども、この論文「証拠優越準則に基づく訴訟と司法の改革の指針−司法研修所教育か
ら法科大学院教育への改革の必要性」は、結論的に言えば極めて簡単なことなんですが、証
明度については司法研修所では全く教育してこなかったので、このくらい長く書かないと説
得力がないと思って書いたんです。
まず、要件事実教育の主張責任というのは、条文にある主要事実を主張するということで
あって、当然、権利根拠事実は原告が言うし、それ以外は被告が言うという、極めて簡単な
ことなんです。問題は、主張責任とは別の立証責任の方です。証拠をどう集めるか、証拠が
どちらにあるか。それをどう出させるか、立証の程度はどこまでか、というのが重要なので
あって、現場の弁護士は、少なくともすべてそれを苦労しているわけです。それから裁判官
もそうです。しかし、司法研修所では教育の対象にしていない。
私の持論は、若い弁護士をもう十何人育ててきましたから、その中から申し上げているん
です。技術教育というのは当然必要ですが、良い技術教育というのは、正しい手続きと結果
に結びつくようなもの、良い技術を持って問題を公正・妥当に解決していくものです。悪い
技術教育になると、全く役に立たない技術もあるし、それが弊害をもたらす技術もあるわけ
です。それは、きょうのレジュメ「司法研修所への疑問」の3に書きました。この要件事実
教育の弊害というのは、主張立証責任を一致させ、かつ証明度を高めているから、主張立証
責任を負担しない者は、立証責任、証拠提出責任を負わないから、何もしないでいていいわ
けです。
例えば公害や消費者被害の訴訟で被害者や代理人がどれほどの苦労をしてきたか。こちら
が原告(被害者)で企業が相手だったら、相手は何もしないで勝つわけです。極端に言えば、
最後まで何もしないで。そういう事態が発生するので、裁判所も事案解明のために強制力が
ないまま、しょうがないから少しずつ説得しながらやっていくわけです、最後の結審まで。
それ故、結審するまで審理が長引いてもやむを得ない面があって、そういう良心的な裁判官
がかなりいるわけです。悪い裁判官だと、ばっと結審して原告を負かせてしまいます。
ですから、私が書いたのは、立証責任は証拠があるほうに課していく、そして証明度を下
げるということを組み合わせていけば、ドイツともアメリカとも違う日本型のいい裁判がで
きる。実際に加藤判事とか、今日もいらっしゃっている西口判事なんかは、こういうことを
やっているんです。私はこれを理論化しただけです、そういう意味では。非常に良心的とい
いますか、現場で苦労されて、記録を一生懸命読んでいる裁判官は証拠を出せと釈明する。
但し、どちらに証拠があるかというのは、相手方に対して持っている証拠を出せと言わない
と裁判官もわかりませんから、弁護士がそれをやるわけです。証拠提出命令等をかけるわけ
です。
ですから、研修所教育で一番悪いのは、文書提出命令とか証拠保全の教育をあまりやって
いないことです。若い弁護士が来たときに、私は全部、商法の35条でしたか、文書提出命
令、あれすら知りませんね。重要なのは主張責任ではないんです、今の技術教育で問題なの
は。立証をどうするかということです。それで現場の裁判官になったときに苦労する。不法
行為はなぜ重要かというのは、それは当然ですね。主張責任は全部原告、故意、過失、違法
性、全部あるわけです。証拠はほとんどが被告側にあるわけです。それを研修所で取り上げ
れば、一遍にこの要件事実教育の技術教育の問題点が明らかになり、どう改善するかという
のが出てくるわけです。
ですから、それを避けているというのは、意識的に触れないということです。しかし大き
な弊害がある。現場の良心的な裁判官が一生懸命苦労していても、私は論文に書きましたけ
れども、最高裁が裁判官に自由な議論をさせていないのではないかというのは、元裁判官の
西野教授が言っている。元裁判官の並木教授によると研修の教官室もそうです。もし自由な
議論をすれば、必ずやこういう前向きないろいろな議論が出てくる。そこで、私が高橋宏志
先生の「重点構成民事訴訟法」を使用すべしというのは、論点がすべてあそこに入っている
からです。今の現行実務ばかりでなく高度の理論も入っている。そういうのを取り上げて議
論すべきだ。教室でも議論して、教官室でも議論すれば、必ずや毎年毎年実務というのは変
わっていくだろうと期待できる。
研修所で私はできないことはないと思います。最高裁も研修所の教官も考え方を変えれば。
研修所でできないことはないけれども、なぜか30年間できなかった。結局証明度を上げ、要
件事実教育をしてきたのは大企業、行政等を保護するためのイデオロギーであった。それ故、
今後も無理じゃないかなと私は思っている。
【吉原】 ちょっとよくわからないのですけれども、それは研修所教育が悪いからそうな
るというのでしょうか。つまり、それは民事訴訟法に従って、実務はこうだという技術教育
をやっているのであって、研修所教育を変えれば、立証責任とか証拠開示とかいうものが変
わってくるというものではないと考えています。
それから、民事訴訟法のもとで民事弁護における立証活動というのは、たしか私どもが教
官のときに改訂して、その後も改訂を重ねて今は立派な冊子になっているはずです。立証活
動というカリキュラムも設けてやっておりましたし、決して立証活動をおろそかにはしませ
ん。
先生のようなお立場は確かにあると思うんですけれども、それは、研修所教育というより
は、民事訴訟のやり方そのものについての反省というか、批判ではないかと思うのです。
それから、銀行相手に損害賠償の訴訟をやって、悪い裁判官は云々とおっしゃいましたけ
れども、それは負けたから、つまり自分の立場と異なる判決だったから悪いとおっしゃって
いるのではないでしょうか。私は銀行の代理人としてそういう事件もやりましたけれども、
証拠もきちんと出しておりますし、みんな、勝ち負けにかかわらず、裁判官はまじめにやっ
ていたと思うのです。両当事者が悪いと言ったときに、初めて悪い裁判官なのであって、片
方が悪い裁判官だと言えば、相手方はダニエル様の再来だなどと言って褒めるのではないか
と思うのです。
確かにおかしな裁判官もいますけれども、大部分は自分に不利な判決をしたか、あるいは
法律自体が社会の実情からずれてしまっている場合です。それを研修教育の責任だとおっし
ゃるのは、少し違うのではないかと思うのですが。
【高橋(宏)】 大学のほうの事情を申し上げますと、第2回の資料にも書いたと思いま
すが、要件事実を毛嫌いする民法学者というのは、確かに昔存在したことは事実です。しか
し、私の周りにいる同僚に限定されてしまうんでしょうけれども、このごろは要件事実に関
心を持って積極的に取り入れるという民法学者は確実に増えているというか、むしろ常識に
なっているだろうと思います。
例えば、同僚というか、先輩ですが、平井宜雄先生の「債権総論」の教科書は、要件事実
を意識して書かれています。若手の教員は、民法、民訴の垣根を超えて議論することがむし
ろ好きですから、民訴のことは知らんという昔流の民法学者は確実に減っているというのが、
私の印象です。
【浦部】 私は研修所に行ったこともないし、のぞいたこともないので、きょうは黙って
いるつもりでいたんですが。今、お話を伺っていますと、ふと研修所のあり方ということに
関しては、少なくとも今研修所教育に携わっておられる方々の認識としては、今のままでい
いと。何も改める必要はないということなんでしょうか。ちょっとお話を伺ってきて、そん
なように感じたものですから。問題点というのを感じておられないのかどうか、その辺をお
伺いしたいと思います。
【加藤(新)】 初めからご説明しているように、カリキュラムの内容については、その
時期の要請に応じて変えなければいけないところはあると思っています。しかし、現にそれ
は常に先取りして取り込んでやっているのです。また、手法については、意識的に効果のあ
がるものを工夫して再編成してこういう方向で考えています。
だから、ある時点を捉えて、研修所教育はこうだと批判されるのですけれども、ほんとう
に常に変わっているのです。吉原先生のころの研修と今の研修は全然違いますよ。
【吉原】 私は資料の 166ぺージの中で、研修所は、大まかに分けると4つの時代に分け
ることができるとしましたけれども、もっと細かく分かれるでしょう。研修所も時代と共に
どんどん変わっていっているのであって、どの時代をイメージして批判していられるかです
ね。
【加藤(新)】 それから、遠藤さんの言われたことについては、実は重要なところを含
むとは思うのです。どういうことかというと、例えば、民事の新様式判決が出できたときに、
民事裁判教官室がどうしたかというと、実務がしばらくどのようになるかというのを見るこ
とにし、情報は付与するが、直ちに、書き方を教えることは控えました。民事裁判は実務の
現状を教えるのであるおいう理由からです。新しい動向が出てきたときに、まだどうなるか
もわからないものについては、謙抑的なのです。それは、別に最高裁がそうせよと言ってい
るからしているのではなくて、基礎実務教育として、どうあるべきかという教官室の考え方
でそのようにしているのです。
そして、要件事実教育においては、主張立証責任は一致していると教えていますが、それ
は最後に、判決を書くときに真偽不明になったときに、どちらに軍配を上げるかを決めるた
めのものだということを教えているわけで、主張立証活動の中で、要件事実について、立証
責任がない側は、証拠を出さなくてもいいとは、教育していません。特に、新しい民事訴訟
法になり、民訴2条がありますから、そこら辺のところは実務も意識的に変わってきており、
それに従って教育が従前以上にされているように思います。
ですから、遠藤先生が心配されているようなところは、ここに関してはない。新しい実務
動向を逸早く取り込むことは、教官室としては民事弁護でも、民事裁判でも、刑事の教官室
でもケースバイケースで対応していると思います。例えば、刑事弁護でいえば、日弁連の刑
弁センターが出している冊子を全部修習生に配ってほしいというのが刑弁センターの要望な
のですが、刑事弁護教官室は、教育目的からセレクトして、自分らが修習生に与えてよいと
考えるものだけしか配布しないのが実情です。
これは、刑事弁護教官室が自主的に、自分らが後進を教育するスタンスとしてどうあるべ
きかを考えて、そういう姿勢をとっておられるわけです。このように教官室というのは、か
なりその教官室固有の考え方に基づく自由な立場で教育に当たっているというところもわか
ってほしいのです。官が運営しているから教官室もコントロールしているだろうと思う向き
もあるかもしれませんが、全然そんなことはありません。
【吉原】 反省すべき点がないのかというご質問については、司法試験レベルと実務家と
の間に何かの機関があって、法曹養成をしなければいけないし、そのために努力していると
いう点は変わっていないと思います。しかし、その内容は時に応じて変わってくるし、カリ
キュラムの内容も、指導の仕方もどんどん変わっています。ですから、直すべき点はないか
と言われると困るのですけれども、もっと情報を開示して外からの批判を仰ぐべきかなとも
思います。
【萩原】 要件事実論については私も言いたいことがないわけではないんですが、それは
差し置きまして、先ほど吉原先生と立ち話をしたときに、ご指摘のようなことでご意見が違
うようでしたので、そこをコメントしておきたいと思います。私はご承知のように『判例タ
イムズ』の論文で、高裁単位の司法修習を言っているわけですが、確かに吉原先生がおっし
ゃるように、日本全国一律に法律の適用、裁判がなされるのがいいという考え方もあるでし
ょう。
しかし、日本の場合は、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」で、ほうっておいたら必ず
これは全国一律になると思うんです。ですから、むしろそういった均質的、統一的な法適用、
裁判基準の適用ということの弊害に配慮して、意識的に中坊さんではありませんけれども、
地域志向の司法ということを私は強調したほうがいいと思うんです。言葉についても、日本
では標準語が余りに普及してしまって、方言がどんどん失われている。でも最近、専門外の
ことを言ってあれですが、方言の持っている価値が再認識されつつありますね。同じような
ことを私は、やはり司法や法曹養成教育でも考えるべきではないかという気がするわけです。
先ほど加藤久雄先生のほうから刑事政策の話がございました。それに関連して、うろ覚え
で間違っていたらご指摘いただきたいんですが、昔読んだある刑事政策の本で、たしかドイ
ツの例だったと思いますけれども、都市部では暴力犯が非常に厳しく罰せられて、財産犯は
軽い、農村部ではその逆で、暴力犯は非常に軽くて、財産犯は重い。それは、農村では財産
というものを得るには大変苦しい重労働をしなくてはいけないが、都市部では身体を酷使し
なくても比較的簡単に財産を得られるからだ、というようなことが書かれていたと記憶しま
す。
そういうことで、私は時代や場所によって刑罰、量刑が違うのは当たり前だろうと思うん
です。もし、私の昔のうろ覚えの知識が間違っていないとすれば、そういうことを大学では、
例えば刑事政策で教えて、研修所か法曹養成の場では、実際の事件を通してその知識を確認
し、さらにそれを深めていく関係になるのではなかろうかという気がするんです。そうする
と、例えばあるところの検察官が起訴、不起訴の決定をする、その裁定書を書く、あるいは
量刑について求刑をするという場合でも、私はおのずから地域ごとに違ってくる面もあるだ
ろうと考えます。
私は、これも論文に書いたんですけれども、東京の弁護士の方と話していると、相当よく
できる、立派な方でも、何となく非常に東京中心の思考が強いんです。だから、均質的な司
法のことを言うときに、その前提として無意識的に東京の弁護士のあり方、東京の実務とい
うものが中心になっているような感じがしてならないんです。これは私のバイアスかもしれ
ない。私は裁判官のころに地方回りが多くて、地方に行くたびにその地方で教えられること
が多かったものですから、そういうバイアスが入っているかもしれませんけれども。
吉原先生のご意見に関連して、私はそんなことを考えたから、ああいう高裁単位の法曹教
育を言っているんだということを申し上げるわけです。
【加藤(久)】 紙上参加で恐縮ですが、先程萩原先生の方からドイツの量刑のお話が出
ましたので、一言コメントをさせて下さい。
ご案内のように、ドイツの刑事司法の運用は各州(16州)の財政状況に任されており、
その点で現在でも、量刑事情も、刑罰の執行状況もその州の財政に応じているので大きな違
いがあります。大学も私立大学はなく全てが州立大学です。
【馬橋】 研修所の今、教官等からいろいろな意見も出て、研修教育についての議論に戻
していきたいんですけれども。各地の弁護士会からも何人か出ていらっしゃいますけれども、
ご意見がございましたら、どうぞ。菅野先生ですね。
【菅野】 私は、研修所を出て10年ぐらいなんですけれども、先ほど松田先生の研修所の
教育の話をお聞きして、私たちのころ以上に、教官の先生方はかなり頑張っていらっしゃる
と思いました。まず研修所の印象ですが、私のイメージでは研修所というのは非常に寺子屋
に近いなという感じがするんです。教官が研究材料を一生懸命考えて作りその教材で教育指
導していくという古いアメリカのロースクールのような形だと思うのです。それはともかく、
根本的な問題として、現在の研修所がもちろん問題がある、ない、それは大事でありますけ
れども、より重要なのは今後の21世紀の法曹養成システムの中において、研修所をどうして
いくかという問題だと思うのです。きょうはそれだと思って来ていたんです。
【高橋(宏)】 それは次回。今は、どこに問題があるかを確かめる作業をしております。
【馬橋】 現状認識がお互いにないからということでね。
【菅野】 そうすると、それとも多少連動するんですけれども、今の研修所というのは、
基本的には今の司法試験の合格者で今は 1,000人近くなっていると思いますが、その1,000
人を東京1カ所の研修所に集めて教育し、また今は全部で1年半ですけれども、研修所は各
実務修習と連動している。すなわち研修所教育とは、東京の研修所の教育と実務修習の両輪
で成り立っているはずです。そして、その2つを統一的にコントロールできるというシステ
ムの上に成り立っているものだと思うんです。
その形が崩れたときに、今の研修所は果たして成り立つのかが疑問なのです。だから、今
の研修所がいい、悪いという議論をしても、例えば合格者が何千人とかになったときに、今
の研修所システムというのが根本から否定されてしまったら、きょうの議論をしてもあまり
意味がないのではないかなと考えています。
そこで、研修所教官である松田先生に私がお聞きしたいのは、修習生の数が飛躍的に増え
ても、研修所の数をたくさんつくればいいじゃないかという意見もあるんですけれども、今
の研修所システムというのは 1,000人体制で統一的に選任された教官全員が顔を合わせて指
導方法を含めて統一的にできるというものだから成り立つものなのか。いや、数が増えて、
場合によっては東京と大阪、あるいは北海道等の全国各地域に分かれても、研修所教育はス
キル・トレーニングだからそれでもできるとお考えなのか、その点を私はお聞きしたいと思
ったんですけれども。
【松田】 教官のなり手があれば、できるのではないでしょうか。3年間ぐらい何とか後
輩教育のために頑張れよと言われれば、まだやる弁護士はいると思います。
2倍ぐらいは何とかなると思いますが。私は非常に法曹教育には重要なことだと思ってい
るのですが、先輩が後輩を教える──職人みたいですけれども、教えるというのは、結論的
に言うと、結局これは法の支配に通づると思っています。
【馬橋】 そのほかの先生もご意見を。
【高橋(司)】 私、菅野先生がおっしゃったことと大体同じような見識を持っています。
大阪で議論しても、研修所教育についてはそれぞれがいろいろな考えを持っており、よい点、
悪い点というのが出てきます。私の個人的な感想としては、10年以上前の体験に基づいての
感想にすぎませんが、研修所はなかなかよい議論ができるところだったなと思っています。
講義でいろいろなことを教えてもらったことで役に立ったこともありますけれども、それぞ
れが自分の考えで起案をしてきて、研修所で議論をすること、事実認定にしても、法律論に
ついても議論をするということは、それ以前の大学でしてきた議論とまた違った、よい議論
ができたと思っています。法曹教育で重要なのは議論であるということが言われることがあ
りますが、その意味で研修所というのは、よい議論の場であると私は認識しています。大学
もそういう場であってほしいと思いますけれども、決して研修所が議論のできない場である
とは思いません。科目によっては、最後に「教官室の意見」が出てきてしゃんしゃんと終わ
ってしまうことがないわけではないですけれども。そういう議論の場というよさは生かして
いける点と思います。それが私が最もプラス評価をする点です。
マイナス面は、今菅野先生がおっしゃった点にも関係しますし、これからどうなっていく
のかということにも関係することとして、うまく言えないんですが、研修所における各修習
生に対する評価の不透明さといったことです。今まで研修所を終わっていれば、みんな大体
できていると何となく思っていたのが、これから人数が増えていく先々それでよいのかも問
題になるように思います。人数が増えていって、いろいろな人がまじってくるのに、その評
価も評価基準も明らかにされないまま、何となく卒業していくということでよいのか。その
他、人数が増えていくことで、今まで機能していたことがこれから先も本当に機能していく
のかなという問題点を、漠然と感じます。ロースクールについても言われていることですが、
成績評価を客観的にする、厳しくするといったことを考えなければならないし、今はなされ
ていない本人への成績の告知もするべきだと思います。その成績が、弁護士の場合もキャリ
アとか就職に影響するということが議論される必要もあるのではないかと思うのです。
ちょっとうまいこと言えませんでしたけれども、また次回ぐらいまでにまとめてこようと
思います。
【馬橋】 いかがでしょうか。
【松田】 今日の議論、問題点、出ていないのではないでしょうか。はっきり言いますけ
れども、今の研修所の教育がどのレベルで行われているとか、職業教育として科目や方法が
適当かとか、要件事実教育の適否とかではないでしょう、本当のことを議論しなければなら
ないのは。問題提起されているのは、司法研修所が学の独立がなくて、官による運営だから、
議論が十分できていなくて、民事で言うなら、固定的な要件事実の教育だけを行って、批判
的な判例を書いたり、それに対する挑戦をするような教育がなされていないのではないか。
その根本は、学の独立や自由な議論がないからだというのが出てこなきゃいけないんじゃな
いですか。その議論を何もしていないじゃないですか。
その挑戦もしないで、こんな現象的なところをいいか、悪いかなんて言ってみても始まり
ませんよ。それをどうして皆さん、提起してくれないんですか、それを私は待っているのに。
【馬橋】 今の部分について、そこを論点にしたいと、皆さんはお思いですか。
【松田】 論点にしたくない人ばかりならいいんですけれども、論点にしたい、少なくと
も二弁の提言を書いた人がいるにもかかわらず、なぜ発言しないのかと言っているんです。
【高橋(宏)】 どうやら、いつも問題を起こすのは松田先生と私のようです。今松田先
生がおっしゃらなかったら、私がそれを言おうと思っていたんです。弁護士会からの意見、
批判は、要するに最高裁の統制下にあって、裁判官のリクルートの機能が強い。それをどう
考えるか。だから、法曹三者主体にするとか、弁護士が主体にするとか議論はいろいろあり
ますが、そういう問題が常に見え隠れするわけです。やはりそこを私も議論していただきた
いと思ってまいりまして、後半、まだ30分ぐらいありますので、そこに持っていこうと思っ
ておりました。
ただ、皆さんがそうしたくないというのなら、私も別にそれに固執は致しません。じゃ、
萩原先生。
【萩原】 私は実はよくわからないんですけれども、松田さんの問題提起というのは、極
めて的確だと思うんです。ただ、裁判官の任用の問題と、研修所の教育内容という問題は別
な問題ではないんでしょうか。ここで問題として、まず取り上げなくてはいけないのは、研
修所の教育内容と学の独立なんかの関係で、最高裁で判事補のリクルートをどういうふうに
しているか、これはまた別の問題でしょう。いずれにせよ、少なくとも、松田さんの問題提
起を受けて議論しなくてはいけないのは、その前の段階のところ、研修所の教育内容そのも
のが学の独立の点で問題があるかないかとか、そういうことだろうと思います。
【遠藤】 意見というより、では、整理をしますけれども。第一に、確かに積極的な意味
で今の実務を押しつけるような、悪しき実務教育の面がある。例えば、刑事のほうの検察と
刑事裁判なんて、全くそうですね。だって、まさに現場でやっている実務はすごく古い、古
くさい日本の刑事裁判、検察をそのまま話すだけなんだから。私は、そういうもっと積極的
な意味での悪い教育だなとも思っていたんですが、今の先生の提起からいえば、第二に、研
修所は極端に言えばリクルートするだけの機能であって、もう教育なんて考えていないと。
要件事実教育だって、40年間同じようなことをやって、もう弊害があろうがなかろうが関係
ないと。ただ、簡単に前期、後期をやって点数をつけるだけという、リクルートだけだった
ら、悪く言えばそうですよ。という2面があると思います。積極面と消極面。リクルート重
視となると前向きの法曹教育なんて何も考えていないと思われてもやむをえませんね。
【加藤(新)】 それは事実として述べておられるのか、信念の吐露として述べられてお
られるのでしょうか。
【遠藤】 整理しただけですよ、今。
【松田】 30年間、要件事実を固定化しているなんていうことはありません。要件事実と
いうのは、毎年改訂しております。それは民裁がやっていますけれども、民弁もかかわって
いることはご承知おき下さい。基本的な、先ほど言いました民事事案でありますけれども、
徹底的に民裁と民弁と議論して、今までの要件事実が違っていたというものを、どんどんメ
モにしてためています。
そういうものが何年かたち、場合によっては10年ぐらいかかるのかもしれませんが、それ
がやっと修習生に見られるような刷り物になる。そしてもっと議論した後、類型別等の形で
出すのです。こういうことを積み重ねているわけですから、30年間議論していないなんてい
うことはいささかもない。これは事実に反する。事実に反した上で議論されることは、本来
法律家の議論ではない。誘導と言うか政策的な戦略と言うにすぎません。
【吉原】 その点、資料の 168ページの私のメモの3の①で、研修所に対する批判の一つ
として、リクルートの場ということが書いてあるのですけれども、どの世代の研修所を頭に
置いているかによって大分違うと思うのです。どの時代を念頭に置いているのかですが、遠
藤先生のおっしゃる批判は、現在の修習生の中にもそういう批判があるのでしょうか。
【遠藤】 「紛争類型別の要件事実」を私は読みました。主張責任の分配は簡単なことで、
わざと難しく見せることは不必要であり、このような教育方法は全く理解できない。
【松田】 それは、遠藤委員が理解できないだけじゃないですか。
【遠藤】 主張責任の分配だけなら1時間教えればよい。他方、立証責任(証拠提出責任)
の分配、証明度の教育が重要である。
【吉原】 現在の新人もそういうふうに思っているのでしょうか。
【遠藤】 そういう意見があるというだけで、私は断定はしませんけれども。
【吉原】 裁判教官や検察教官が、任官しそうな修習生に対して任官をすすめ、勧誘する
ということは、確かに行なわれています。しかしそれは当然といえば当然のことであって、
問題は「リクルートの場」になっているかどうかです。この点、修習生が自分たちで行って
いるアンケートに自由に書く欄がありますが、リクルートについての批判は、私の在任中は
みられないのです。
また、58年の札幌シンポで配布された21期から35期までのアンケート集計結果によ
ると、講評で任官者と区別があったという回答は30期までは零で、それ以降の期から出て
いるとされています。そして、修習生の批判はもっぱら任官拒否に向けられています。
リクルートの問題は、人の需給関係によっても違いますし、時代によっても違うと思うの
です。ですから、リクルートによって研修所教育がゆがめられたとしたら、それは何時頃の
時期かということが重要なわけです。
【遠藤】 私はあまり政治向きの話は好きじゃないから、そういうリクルートの話もある
という前提で、今申し上げただけです。私の個人的意見ではないです。
【吉原】 現在もそういう意見はありますか?
【遠藤】 そういう意見はありますよ、現に。
【吉原】 人員が増えてから随分違うようです。弁護士事務所でも、私らが教官をやって
いたところは、弁護士事務所のほうが求人、求人と言っていたんだけれども、今は逆転して
います。任官志望者の数も今はかなり事情が違うでしょう。
【松田】 だけれども、それについては、私、違う事情があると思います。これは、私が
研修所で反省しなければならない点の最大のものだと思いますけれども、民事弁護も刑事弁
護も教官はリクルートに対して全然興味を持ちません。当たり前です。ところが、裁判所と
検察庁が自分の役所にとるための仕事があると思って見ています。その善し悪しを議論すべ
きと思います。検察も裁判も、自分たちの役所にとるためにどういう人がいいかというのは、
やはりかなり注意をして見ていると、私は思っています。
弁護に対する就職解禁をいつにするかということがあるのですから、検察も裁判もその解
禁を守るべきだと、私は思っています。
【馬橋】 私は、日弁連の修習委員会の副委員長もやっておりますけれども、そこではよ
く委員の中から、修習生からそういう話を聞くという意見が出てくることは事実です。委員
からは、「自分のような検事志望から外れている者には、検察教官の起案の添削が非常に冷
たいとか、あまり詳しく添削してくれなかったとか言っている修習生がいるんだけれども、
どう考えるんだ」という質問が出ることがあることは事実です。
【加藤(久)】 これは次回のテーマかもしれませんが、私、この4月、ドイツに行って
検察官と裁判官の任官後の研修制度の実態(但し、ドイツには日本型の司法研修所教育制度
はない)を調べてきたんですけれども。今お話にありましたように、司法修習が終わった後、
例えば弁護士に登録した場合にどういう実務研修システムになっていて、実際携わせるに、
どういう実務家研修をやっておられるかという点について、お尋ねしたい。
裁判所のほうでは、判事補になられてからどういう研修教育がなされているか。それから、
検察官のほうはどうなのか。それと、現行の研修所教育と実務家研修システムが、どういう
ふうにドッキングをしているのか。と申しますのも、研修所教育システムと実務家になって
からの専門研修システムが制度として確立し、今後もその体制に大きな変更がないというこ
とですと、われわれがロースクールを構想するときに、大学の法学教育は基礎理論とリーガ
ルマインドの修得を目的とするといった役割分担がはっきりしてくるからです。
ドイツでは、新任・中堅の判事・検察官への実務研修として年間16州ある州で合わせて
18の現代的テーマ、例えば、「刑事和解制度運用の諸問題」等で2∼3泊の合宿研修会が
開催されている。弁護士については、各州の弁護士会がそれぞれ責任をもって研修を行って
いる。そういう研修を経た者だけが弁護士活動ができるというシステムになっている。そう
いうことも含めまして、とくにわが国の弁護士研修システムについて何かビジョンがあれば
お聞かせ願いたい。
【馬橋】 日弁連でも、またそれは今後のテーマになると思います。例えば、事後研修制
度等も考えておりまして、この10月から発足するという状況になっています。
ただ、私は今までの議論を聞いていて、私自身でちょっと申し上げたいのは、実は教官の
方が一生懸命やっていらっしゃることはよくおわかりになったと思うんです。また、ああい
う手づくりでやっていく教育も、法曹養成には必要だろうというお考えになっていると思う
んです。実は、私はこの問題で2回試験をやった試験官なんです。なぜそこが違うかという
と、松田先生のは後でやっていますから、あるいは修習生は情報を知っているかもしれない。
いろいろなある程度の知識があるかもしれない。だけれども、私がやったときは、全くどう
いう問題が出るかもわからない試験としてやったんです。
その結果がどうかといいますと、それははっきり言って、愕然とするような部分が結構あ
るんです。例えば正当事由で、有利な事情をなぜ引き出せないのか。こんな事情ですら引き
出せないのか。2年間、我々は何を教えてきたんだろうかというものも、ひしひしと感じる
ような例があるんです。また、原告の立場で準備書面を書けと言ったのに、被告の立場で書
いたのが5人程いるんです。このうち3人は、慌てて教官のうちへ電話をかけてきたんです。
しかし、あとの2人は今もなお電話をかけてこないところを見ると、知らないまま出て、自
分はよくできたなと思っているはずなんです。
これが、いわゆる法曹教育、いろいろなやり方を今は議論しているんですけれども、これ
だけ一生懸命2年間やったけれども、こんな結果も出るのかというのが感想です。この明渡
し事案を見て、皆さんだったら、常識でも書ける部分もあると思うんです。それができない
ような人もいるんだというのは……。だから、私はむしろ研修所を出るときに、あなたはこ
のくらいで出たんだよというのを教えてやったほうが、将来の本人のためにいいんじゃない
かということすら感じたことがあります。
【柳田】 今、馬橋先生がご指摘の点は、私もずばり問題点だと思います。司法試験と大
学の法学教育との間に大きなギャップがあり、このギャップがある限り、ご指摘の問題は解
決しないと思います。
これは、次回のテーマかもしれませんけれども、現在、司法研修所が抱えている問題があ
るとすれば、そこに問題の根源があると思います。つまり、司法試験は専門レベルの能力を
試すのに対し、大学では専門的な教育もあるにしても、基本的には法的素養を備えた高度の
教養人を育てるということが法学部教育の目的になっているわけです。大学にも司法試験を
受け法曹になりたいという学生もいる。しかし、法学部での教育はこういう学生の期待に応
えるものになっていない。
そうすると、司法試験を受けたい人はどうするか。このギャップを埋めるために予備校へ
行くしかない。昔は自分でギャップをうめる勉強をしたけれども、今はみんな予備校へ行く。
予備校では、ひたすら模範答案を覚えるとか、試験に出そうな部分しか勉強しないで、体系
的・理論的な勉強をしない。予備校の教育には体系的な、あるいは長きにわたって使えるよ
うな、根本的なものを身につける教育というのはないと思うのです。
更に言うと予備校のカリキュラムに従って司法試験を目指すような学生は1、2年生のう
ちから大学の授業をおろそかにして司法試験の受験勉強をする。そうすると、一般教養教育、
リベラル・アーツ教育が欠落してしまう。そのために今日では漢字が書けない人がたくさん
いる。漢字もろくに書けないから、文章も書けない。あるいは、その他もろもろのひずみが
出てきているわけです。大学入試の勉強が終わって法学部へ入った。司法試験があるという
のがわかった。それで、すぐにまた予備校へ行って受験勉強をする。そして、司法試験に合
格して司法研修所に入る。
司法研修所も困り果てると思うのです。それでも司法研修所は、修習生を裁判官、検察官、
弁護士として世の中へ送り出さなければいけないから、必死になってやっている。松田先生
のレジュメを見ても、よくよくここまでやれたと思います。3年間も務めたら、くたばってしま
うというのはほんとうだと思います。それぐらいよくやっておられる。即ち、①リベラル・
アーツの教育を受けていないこと。②大学の法学部においては、司法試験レベルの法学専門
教育が行われていないこと。この2つのひずみを、司法研修所で少しでも補正しようと思っ
て一生懸命やっておられる。
例えば、社会教育というものをやっておられる。これはリベラル・アーツの教育の不足を
埋めるためだと理解しております。しかし、普通の人が聞いたら唖然とすることだと思うの
です。大学を卒業したいい大人に対してこんな教育をやる必要があるのか。法曹は人間を扱
う、人間の心を扱う仕事ですが、法曹の卵、2年後には法曹になろうという人達に、このよ
うな教育をしなければいけないという状況は非常にゆがんだものだと思うのです。
司法研修所は非常に努力しておられるわけですが、そのためにそこでの教育がゆがめられ
ているのではないかと思うのです。従って、現在の司法研修所に問題があるとしたら、現象
的なことをとらえていてもしょうがないというのは同感です。もっと根本的に、司法試験と
大学の法学教育とのギャップをどうやって埋めるのか。これが埋められれば司法研修所のあ
り方も変わっていくだろう。司法研修所の教育が本来の姿に戻って、すばらしい部分がもっ
ともっと光るような司法研修所になっていくのではないかという感じがするのです。
【高橋(宏)】 萩原先生から次元が違うとおっしゃられて、私も理論的にはそのとおり
だと思います。しかし、現に第2東京弁護士会がそういう主張をされておりますし、大阪弁
護士会の、あれはまだ委員会ですか、東京大学という固有名詞を挙げて、かなり強烈な批判
をいただいております。そういう意見が強いわけです。
私どもは今、次世代法曹教育を討議しておりますが、これは次世代の法律家全体がどうな
るかの問題の一部分であるわけです。例えば、法曹一元の問題を議論しなくて、司法制度改
革問題は語れないし、大学の方々にもお聞きしたいんですが、法科大学院をつくるときに、
司法研修所をどうするのだというのは、かなり大きなウエートを占める問題のはずです。
これは、先日二弁の川端先生から、東京大学が司法研修所を残すという案を出して以来、
みんな右へ倣えになった、一番悪いのは東京大学だとおしかりを受けましたが、私どもも意
外に思っています。つまり、私どもは残すという案を出しましたが、残さなくていいという
大学が、ほとんどない。みんなそこを論じないんです。
第2回資料に書きましたが、私個人は、司法研修所で現在そういうゆがみがあると思いま
す。私のゼミ出身の修習生の話を聞いておりますと、任官志望者がシュリンクしているとい
う現像はあると思います。のはおりますから。ただ、私はそれは病理現象であって、だから
研修所が要らないというのは、短絡的であって、角をためて牛を殺すんだと第2回に書いて
おります。
【萩原】 ちょっと補足してよろしいでしょうか。
【馬橋】 じゃ、補足を簡単にお願いします。
【萩原】 裁判所がいい判事補をとりたいとか、法務省がいい検察官をとりたいというこ
とは、向こうの立場からすると、研修所は国費で運営されている、ある意味では裁判・検察
官僚の養成所という面も率直に見れば否定できないでしょう。弁護士側では、弁護士は当然、
給料をもらって修習できるんだというお考えがあるようですが、私は、これは一般の市民か
ら見たらかなりおかしいものだと思うんです。2年間、月給をもらって勉強して、終わった
ら職業選択の自由で弁護士としてどんな分野の仕事もできるわけでしょう。弁護士の仕事は
何でもパブリック・サービスに関わると言えばそれきりですけれども、とにかく、一般の人
から見れば非常にうまみのある仕事についても、それが当然の自分の権利だというような考
え方は、私は必ずしも一般の国民の納得を得られないと思うんです。
ですから、法曹としての出発点における法曹一元的な理念があって、ある意味での矛盾を
抱えて、現在の司法修習制度というのは存続してきたわけですね。そこのところを、自分の
ほうの利益の正当化だけに引きつけて議論するというのでは、なかなか議論が進まないでし
ょう。 少なくとも、議論できそしてすべきなのは、まさに成績評価の可視化、透明化とい
う問題です。これは、修習生自身にとっても自己情報の入手ということで、合理的な意味が
あると思うんです。それをやることによって、ある程度さまざまな問題についての客観的な
議論ができるようになるのではないかという気がします。以上です。
【向井】 私は二弁の会員ですので、高橋先生のご要望に従って意見を申し上げますけれ
ども。高橋先生のお話で、司法研修所の教育について否定的な意見が、弁護士会で強いとい
うふうなことをおっしゃたかと思うんですが、私は、これはちょっと違うと思うんです。
むしろ、弁護士会はずっと統一、公正、平等の司法研修所を堅持するということを、3年
前ぐらいまではずっと言い続けてきて、いわゆる分離修習に反対してきたと思うんです。で
すから、今回のロースクール問題で二弁がああいう意見書を出しましたけれども、よく読ん
でいただくとおわかりになると思うんですが、法曹一元が実現した場合には、研修所は廃止
されるだろうということと、それから、あくまでもたたき台として出すのであると。この2
つの大前提のもとにあの意見が最初に出たものです。反対も相当あったが、たたき台なので
あえて両論併記にはしなかった、とされていたと思います。それが、研修所教育否定論のと
ころだけ一人歩きをしてしまって、各界に二弁の弁護士の大多数がそう考えているとの誤解
を与えているようで、この点は大変残念だと思っています。したがって、研修所教育を否定
したうえでロースクールを創設するという部分については、二弁には2,100人の会員がいます
けれども、起案者は5、6人の意見であり、無条件賛成者はせいぜい50人位ではないかな
というふうには私は思っています。一人一人アンケートをとってみたいと思うんです、もし
異議がある場合は。
【高橋(宏)】 今のご発言は大問題じゃないですか。
【向井】 僕はそう思いますよ。
【高橋(宏)】 会の正式文書が五、六人の考えだというのは、先生、それは弁護士会の
見識を問われますよ。
【向井】 常議委員会を通った経過をずっと説明すれば、多分わかると思いますけれども。
あれは 2,100人の意見では、私は決してないと思います。
【高橋(宏)】 あれは、二弁の意見です、組織として。
【向井】 二弁のたたき台として書いてあるので、こういう誤解を与えたこと自体が、私
は非常に問題だと思うんです。外に出れば、二弁 2,100人の、東京の3分の1の弁護士があ
あいうことを言っているんだということで、ロースクール構想に拍車をかけたようなことが
ありますので、その責任は問われても仕方ないんじゃないかと思います。しかし、私の認識
としては、ああいう意見を 2,100人、あるいは二弁の大多数が持っていて、研修所の教育に
は否定的だということは、間違いであると思います。
それから、最初の松田先生と高橋先生の問題提起で、研修所教育に否定的であるという点
の事実認識がどうもおかしいということは、大体このフォーラム参加者の中で一致したんじ
ゃないかと思うんです。遠藤先生が多分あの起案にかかわっておられるので、間違った認識
のもとに書かれたと、私はむしろ安心した面もあるんですけれども、逆に言えば。そういう
意味では、そこから出発されちゃうと、えっということになるので、二弁の一会員としては、
そういう感想を持っています。もっとも、いや、それはたたき台だからいいんじゃないのと、
ドラスティックな意見をまずぶち上げるのが我々の会の使命であるということまで言う人も
います、私が言っているわけではありませんが。
【高橋(宏)】 松田先生、確認したいんですが、リクルート機能はあるという認識です
ね。
【松田】 私は、両官ともあると思っています。
【高橋(宏)】 いい、悪いは別としてとおっしゃいましたけれども、あるということで
すね。
【加藤(新)】 資料でつけていただきました「法実践と法学部における民事法教育」の
中に出ていますが、私が民事裁判教官として開講のときに、修習生は修習期間中に3つやる
ことがあるという話の3つ目が、「自分が生涯にかけるに値する適職を選択すること」なの
です。「適職選択が、あなた方のすることなのですよ、何になりたいか、どういう仕事が向
いているのか相談したければ、いつでも来なさい」という話をしていました。司法研修所の
修習生と教官の関係というのは、私は修習生だけ経験をしたときにはわからなかったのです
けれども、教官になってみますと、同じ職業を志した先輩、後輩ということで、独特の人間
関係が形成されるわけです。そのスタンスのとり方は、甘えもするし、近親憎悪的な反発も
するといった具合にいろいろです。
そして一方、検察官とか裁判官の仕事の実態は知られていませんので、行儀がよくておと
なしい人は皆裁判官向きだと修習生は仲間内で思っています。ですから、例えばコンパをや
ってみんなが楽しく盛り上がっているときに、1人ぽつんと離れてウーロン茶をすすってい
るような修習生がいますと、クラスの仲間が気をきかせて、「教官、彼(彼女)は裁判官志
望ですから、声をかけてやってください」と言って来たりするわけです。いくら何でも、彼
(彼女)は裁判官には不向きではないかというようなこともあります。
それからまた、「教官、私、裁判官になりたいんですけれども、何点とったらなれるでし
ょうか」と聞いて来る修習生がいます。「何点とるという話ではないのですよ。司法試験の
短答式とは違うからね」と言って帰しますと、今度は要件事実の第1巻を持ってきて、「教
官、どこを覚えたら裁判官になれるでしょうか」と。「どこを覚えたらなれるという問題で
はないよ」と応待しなければならないような修習生もいるわけです。
しかし、そういう人でも検察官になりたい、裁判官になりたいと強く思っていることがあ
りまして、かつ、なれないということはあるわけです。教官としては、「向いていない」と、
どこかで相談されれば言わないといけないということです。そういう人たちは、「本当はな
りたかったのにな」という気持ちがあるものですから、わだかまりが残るだろうと思います
ね。残るけれども、それは、向いていない人が任官すれば、本人も苦労するし、周囲も苦労
するし、みんなが苦労して、結局本人もハッピーになれないわけですから、そこは、教官と
して心を鬼にして助言するということであろうと思います。
そういう人が弁護士に向いているかといったら、多分向いていないのだと思います。およ
そ法律家には向いていないけれど、たまたま頭がよかったか、運がよかったので司法試験に
受かってしまった。だから、法曹としては何にも向いていないという人もいるのです。
だから、進路選択の問題というのは、そういうことで傷ついている人たちがどのように言
うかというところもあり、また、他から見てどのように見えるかというところもありますけ
れども、実態は、以上のようなものです。少し違うかもしれないけれども、学者として、大
学院にしたいが迷っている人が、教授のところに相談に来たら、「あなた、残ったらどうか」
とか、「やめたほうがどうか」という助言を与えるのと似たようなものだと、私は思います
けれども。
【高橋(宏)】 ごめんなさい。私も大学で、今、加藤先生が言われたよりもっとえげつ
ないリクルートをしておりますので、大学は司法研修所のリクルートを批判する適格はない
と思っておりますので。一言だけ。
【高橋(司)】 一言だけ。結局、今日研修所のことを議論していても、研修所のことを
プラスに言うのも、マイナスに言うのも実務家ばかりです。私は、大学の先生方から研修所
への批判というのを聞きたいように思います。
今回のロースクールの議論は多分、田中成明先生にしても、それから柳田先生にしても、
遠藤先生にしても、あるいは、今日来ていらっしゃいませんが宮澤先生にしても、研修所に
対する不満から出発されたように思います。それが、こういう言い方が良いかどうかわかり
ませんけれども、東京大学の案が出たころくらいから、研修所が残る案になってしまった。
僕はそれに反対はしませんけれども、
以後の議論において、
研修所に対する実務家以外の方々
からの批判が出てこない気がするんです。
今日、それを聞きたかったんですけれども。研究者の方々からは、研修所でどんなことを
しているのかをお尋ねになるばかりで、批判がなかなか聞こえないんです。それをぜひとも
今後聞きたいと思っています。
【馬橋】 実態を知らなかったという面が1つはあると思いますから。
【高橋(司)】 そうですね。
【馬橋】 どうでしょう、また次回にきっと出てくるとは思うんですけれども。どうぞ。
【柳田】 私も、先ほど加藤裁判官に投げかけたのは、大学関係者から研修所に対してそ
ういう批判が出ていいだろうという考えからです。
要するに、大学側から研修所は実務家だけで技術教育をやっていて、大学関係者には理解
できない。そういうことではなくて、自分達にも関与させろという議論が出て当然だと思っ
たのです。
【高橋(宏)】 大学から、何かあれば。
【馬橋】 そうですね。大学の方はご遠慮がちで、次回までにきっとまたこの前と同じよ
うに、誰々意見批判なんていうのがたくさん出てくるのではないかということを期待したい
と思うんですけれども。そうすると、もう一回やらなきゃならなくなってしまうので。
【高橋(宏)】 私ばかり発言して申し訳ありませんが、大学の人間ですので、大学の悪
口は平気で言えるということで言わせていただきます。司法研修所のことは知りません、で
もロースクールはつくりますと大学人が言うのだとすれば、これは大変な暴言だと思います。
そんなことを言っているようでは、もうロースクールをつくる資格はないんだと思っていま
す。
先ほどの議論に対して言えば、私は、研修所に対して大きな不満はありません。東京大学
がどう考えているか、それはわかりませんが、私の周りの雰囲気はそういうものです。むし
ろ、先ほどの議論に関連させますと、スキル教育に徹底していただきたいと思っております。
理論は、こちらがやると言うとまた暴言にまりますけれども、そういう気概で、役割分担で
いくべきだと考えております。
そして、第1回目に口頭で申しましたが、研修所は裁判に特化したスキル教育をやってい
ただきたい。私どもロースクールの案では、裁判以外の、法廷外の実務教育は担当する用意
がある。しかし、裁判に特化したスキル教育は、これは効率性の問題になりますが、現在の
司法研修所でやっているものと同じものができるかというと、多分できない。これは、残念
ながらできない。これは、上原先生の第1回目の資料にきちんと出ているとおりです。です
から、そこは研修所にお任せするということです。
私の周囲からは、研修所に対する批判はあまり聞きません。研修所に行って教えようとい
う教師がいるとも聞きません。
【遠藤】 一言。今のは大問題があります。スキル教育というのは、権限を与えて現場で
やらせなきゃならないわけです。それは、弁護士修習 は研修弁護士でやらせるのがよい。
しかし、検察と裁判は権力作用だから、これは基本的に日本ではできないという問題がある
んです。
だから、研修弁護士とか弁護士修習でそういう権限付与が重要です。アメリカでは学生に
やらせています。スキル教育の内、米国の「シミュレーション」という今の研修所でやって
いるのは、あれはアメリカのロースクールで2年目にやっているわけです。3年目に権限付
与をする。それを真剣に考えない限り、日本ではスキル教育が充実することはできないんで
す。私はそれをさんざん言っている。裁判修習とか検察修習で、正式に権限なんかつけられ
ますか、日本で。できませんよ。それは弁護士修習だけですよ。
裁判所は権限付与を認めるかということです。弁護士会がそういう運動をできるのか、大
学のほうはどう考えられるのか、スキル教育とはどういうふうにやるのか。アメリカのよう
にやるのか、ドイツのようにやるのか、フランスのようにやるのか、そこを考えない限りは、
これは解決しないと思います。
【加藤(新)】 歴史的に見れば、戦前は、司法官試補についての一定の権限を与えて養
成していたわけだから、いくらでも手当できるわけです。むしろ、遠藤先生に問いたいのは、
現在の検察修習ですら、取り調べ修習に根拠がないと批判する方々がいるわけですが、それ
は、遠藤先生のスキル教育をどのような方法でするかということと、全然相反することを言
っているように思いますけれども。
【遠藤】 そうですよ。だから、私の意見は昔から少数説です。しかし、検察の実務が悪
いから批判しているのであって、権限がないからと取り調べ修習を批判する、権限がないか
らやらないというのは、あれは誤った運動論である。権限は付与すべきなんです。スキル教
育をする以上は。
しかし、悪い実務なり、自分が批判している取り調べなんかをもっと改善すべきだと、科
学的捜査をすべきだと言う修習生がいたら、別にそういう取り調べ修習はやらなくてもいい
と思います。選択の自由です。本人の意思でやればいいんだから。
【小幡】 一言。大学から司法研修所への批判の声がなかったという話ですが。これは確
かに大学人は研修所の実態はわかりませんからなかなか批判しにくいところがあります。と
いうのは、今までほとんどそこは切り離されていて、日本の大学の法学部というのは、司法
試験の試験委員になる程度で、要するに直接の法曹教育に対するリンクがほとんどなかった
というふうに言ってもいいと思います。一部もちろん、先ほどお話がございましたように、
司法研修所へ大学教員が行政法・労働法などの講義に行くという程度のことはあるようにな
ったと聞きますが、ほとんどリンクがない状態では、うわさにいろいろ聞きますが、現実の
ものとしての批判はしにくい状態にあるというのが、今回大学側からの批判がなかった理由
ではないかと思いますが。
それから、今後あるべき方向に関してですが、我が上智大学も含めて、司法研修所を残す
という方向にほとんどの大学が賛同しているようです。
これまでの司法研修所と全く同じに、
ということではなく、ロースクールとの役割分担を新たにすることになると思いますが、や
はり実務そのものとも言えるスキル教育がなされているという話は聞いておりますし、弁護
士の方々が先輩後輩の関係で熱心に教育をしてくださっているという話も伺っておりますの
で、それはそれで1つ大事ではないかという認識をしております。
1つ、今の限界として申し上げたいのは、私は行政法が専門でございますので、いろいろ
な法分野から発言したほうがいいと思いますので。例えば、行政法について加藤裁判官もお
っしゃいましたように、司法研修所でやるといっても時間的にも、もう今でも結局非常に難
しいわけです。現状の人数でも、基礎的なスキルをやることで、おそらく手いっぱいではな
いかと。そうすると、ほかの行政法であるとか、そういうものまで研修所で詰め込めといっ
ても難しい、ほとんど無理に近い。そうすると、今の試験科目にない法分野のものをどこか
で学んできてくれないと困るのではないかというのが、これからの大学・ロースクールとの
役割分担の話につながるのではないかと思っております。
【馬橋】 ありがとうございました。
【上原】 各大学のロースクール構想が、東大が研修所を残す案を出したので、みんなそ
れに倣ったという見方が弁護士の方から出されていますが、これこそすべて東大が中心だと
いう権威主義的な発想に基づいた見方であると感じざるを得ません。
少なくとも我が一橋大学は、研修所教育を受けた教官が、私を含めて多い大学でありまし
て、その内容について、最近のことは知らないにしても、自分の経験でかなりよく知ってお
りますから、それを前提として議論した上で、自覚的にああいう提案をしたわけで、けっし
て東大に安易に倣ったわけではありません。
また、それと同時に、弁護士さんのほうはすぐ実務教育だけを考えて、それがいろいろ問
題があるからロースクールへというような発想だと思うんですけれども。大学としては我々
がはっきり申し上げましたように、大学で実務教育に重点を置くことには適当でない面もか
なりあるということです。さらに言えば、このロースクールの議論は、特に予備校等の教育
の問題点、あるいは今現在の学生の実力ということから考えて、むしろ理論教育をもっとき
ちんとしなければいけないのではないのかと。それをやる場として、やはりロースクールの
ような仕組みがいいのではないかと、そういう提案だと、私は理解しているわけです。かな
り多くの大学の方は、そういう枠組みでロースクール構想を考えたために、研修所は残すと
いうことになったのではないかと、こういうふうに思います。
【馬橋】 ありがとうございました。次回が6月の22日の木曜日の6時からということ
でございます。テーマについては、きょうの議論を踏まえて。ちょっと、ある程度調整をし
ながら考えたいと思いますので、皆さんのほうでも、ご意見等がありましたら出していただ
くと。また、大学の方々は、研修所の実態をある程度ごらんになったと思いますので、ご意
見、ご批判等があればお出して下さい。
なお、大変恐縮でございますが、資料はまた早目に出していただくことと、あと議事録を
なるべく早く出したいのでこちらの申し上げた日までにお送りいただければと考えておりま
す。
本日は、どうも。
【吉原】 次回に何をやるかをもう一度お願いします。
【馬橋】 それは、きちっとしたもので出します。後ほどお送りします。
【高橋(宏)】 まだ固まっておりませんが、例えばというので申しますと、そもそもの
この問題の発端は、柳田先生の提起の教養問題、リベラル・アーツがどうなるのか、そこが
あります。大学の学部が専門教育をどうするのか。それでロースクールがどうなるのか。研
修所を残すのか、残さないのか。新しい司法試験がどんなものなのか。そんなのが議論の対
象となりましょう。
そして、きょうは、実は継続教育もやりたかったんですが、これはあまり議論がないとい
うことのようですので省略します。
【馬橋】 よろしゅうございましょうか。それから、資料をこちらでお貸しした方は、そ
の机の上に置いていってください。
なお、こちらに日弁連が主催する国際会議「日本における司法への市民の参加」案内が来
ております。これを出るときにお配りしますので、ぜひご協力をお願いいたします。
では、よろしいでしょうか。
【小山】 どうもご苦労さまでございました。来月は6時ですが、7月は5時に始めまし
て、打ち上げをやりますので、少し時間の余裕をおとりいただきたいと。
7月は14日でしょう。7月は14日で、繰り返しますが、打ち上げをやります。よろしくお
願いいたします。どうもありがとうございました。
── 了 ──
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