<ホストファミリー紹介> 2年1組 大西 佳奈 日本大好き Howells 家 屋に誘ってくれて、ダンスゲームをしたり、テレ ビを見たり、お絵かき対決をしたり、音楽に合わ せて動画を作ったりと、たくさんのことをして遊 びました。最後の夕食には、ミートスパゲッティ を作ってくれました。 犬のリリー(Lilly)は、プードルとマルチーズ の雑種で、とても可愛かったです。いつもボール 【私、ジュリー 私、ジュリーさん ジュリーさん、ターニャ さん、ターニャ】 、ターニャ】 私がお世話になったホストファミリーは、ハウ をくわえて、遊んでと言わんばかりに寄ってきま した。 ェルズさん一家です。初めて会った時、 「こんに また、自立して家にはいなかったけどお姉さん ちは」 「はじめまして」と日本語で話しかけられ、 のアラナ(Allana)さんは、大分の立命館アジア とてもびっくりしたのを今でも覚えています。 大学に通っていたそうで、日本語がとても上手で お父さんのザック(Zac)さんは海洋調査会社 した。 の社長。笑顔がとても素敵でした。仕事柄、世界 そんなハウェルズさん一家は「超」がつく程の 中を飛び回っていて、行った場所でその国の絵を 親日家です。いつも日本の話をしてくれました。 買うのが好きなのだそうです。家のあちこちに、 今までに何回も日本を訪れていて、今年中に東京 たくさんの絵が飾ってありました。また、今まで へ行く計画を立てているそうです。私の知らない に行った国の写真を見せてくれました。テレビな 地名もたくさん知っていて驚きました。私が英語 どで見たことがある有名な風景の写真がたくさ のパンフレットを渡 んありました。パスポートも見せてくれました。 すと、 今治へ来てしま 数えきれない程のスタンプが押されていました。 なみ海道を自転車で お母さんのジュリー(Julie)さんは、とても気 渡りたいと言ってい さくな方で、いつも話しかけてくれました。また、 ました。そして、家の とても料理が上手でした。毎日の食事を楽しめる いたる所に日本のも ようにと考えてくれて、大きなピザを買ってきて のがあり、 何だか心が くれたり、カンガルーの肉に挑戦させてくれたり 落ち着きました。 しました。ちなみに、カンガルーの肉は独特な匂 いはありましたが、とてもおいしかったです。 【廊下。いつも日本にいるような感覚】 みんなとても優しくて、私が英語を聴き取れな 娘のターニャ(Tanja)は身長が高くて、細く かった時は、簡単な単語を探して、ゆっくり話し て、色白で大人っぽかったです。14 歳になりたて てくれました。そのおかげで、本当に充実した5 だと言われた時、衝撃を受けました。私達が研修 日間が過ごせました。一緒にテレビを見たり、リ で行った高校に通っていて、校内で何回か会いま ビングで話したり、テラスでお菓子を食べたり、 した。ターニャは踊ることが大好きで、初日には 買い物に行ったり…すべてのことが私にとって ソーラン節を踊ってくれました。そのおかげで、 忘れられない思い出になりました。たくさんの経 仲良くなれました。絵画教室に通っていて、彼女 験をさせてくれたハウェルズさん一家に、感謝の の描いた作品もたくさん飾られていました。食べ 気持ちでいっぱいです。将来、もっと英語を話せ 物はうどん、動物はオオカミが一番好きなのだそ るようになって、また会いに行きたいです。 うです。また、いつも夕食を食べた後に彼女の部 2年3組 松木 亜美 MY HOST FAMILY 「一期一会」 。私は、オーストラリアで沢山の 日本の伝統的な衣服、甚平をとても喜んでくれま 人と出会いました。その中で、最も印象的だった した。最初のほうは緊張してしまって、思うよう のがホストファミリーです。私がお世話になった にコミュニケーションをとることができず、落ち ファミリーは3人家族。私の家族と同じです。 込んでいた私に嫌な顔ひとつせず、優しく声をか けてくれました。印象に残っているのは、毎日の 【SHEAGOLDファミリー】 夕食です。チーズパスタや、チキンカレー、スナ ックフィッシュなど。心のこもった手料理を出し てくれ、元気に過ごすことができたのです。また、 最終日には家族でお出かけ。大きな熱帯雨林の植 物がたくさんある植物園や、ラグーンプールの廻 りで開かれていたフリーマーケット、市内にある 美術館に連れて行ってもらいました。私が気にな っていた物事には、詳しく説明をしてくれたり、 ジョークで笑わせてくれました。子どものことを 第一に考える愛情や、互いに思いやる夫婦の姿を 見ることができ、この人たちに出会えてよかった 右から、お父さんの Martyn、一人娘の Kamryn、 と心から思えました。 お母さんの Arndria です。研修に行ったメンバー 少しずつ慣れてきた頃には、もう帰国の日が迫 のホストファミリーの中では一番若い夫婦でし っていました。お手伝いもろくにできませんでし た。お父さんの Martyn は、ケアンズ市内の大学 たが、自分なりにイラストを描いたり、日本のお で働いています。ラグビーのチームに所属してい 土産をあげたりして感謝を伝えました。ホテルの て、滞在中にナイター練習にお母さんが連れて行 ロビーでは笑顔でハグしてお別れです。また会い ってくれました。非常に家族を愛し、心優しく頼 に来てね、と Arndria。 もしい父親です。次に一人娘の Kamryn。4歳で ありながら、しっかりしており無邪気な女の子で かけがえのない出会いに感謝のホームステイ でした。 す。初対面の時は、あまり喋ってくれませんでし たが、一緒に過ごす時間が長くなるにつれ私のと ころに寄ってきてくれるようになり、とても可愛 かったです。彼女とはもうすっかり友達になれま した。最後に、お母さんの Arndria です。ケアン ズの中心部の旅行会社で働く働き者の Arndria。 常に笑顔で、健康志向です。私のことをいつも気 にかけてくれて、私が喋っているたどたどしい英 語を一生懸命わかろうとしてくれました。何度か 彼女の職場を訪れたのですが、働いている姿はと てもかっこよく私の理想の女性像となりました。 そんな家族と過ごす毎日。かなり密度の濃いも のとなりました。私が日本から持ってきていた、 Love forever・・・♡ 笑顔あふれる家族 2年4組 成内 秀作 【ポップ(Popp ポップ(Popp)家 Popp)家】 )家】 【お父さん自撮り】 初めて会った時から笑顔で優しく接してくれ お父さんのピーターは本当に面白くて初めて た私のホストファミリーは、Popp ファミリーで 会った時からさまざまなジョークを言って私を す。お父さんのピーター(Peter)さん、お母さ 笑わせてくれたり自撮りをしたりしていました。 んのスー(Sue)さん、前もってもらった資料には しかし、家族みんなと写真が撮れなかったことが 子供はいないと書かれていたのですが実際聞い 唯一悔やまれることです。 (笑)毎日毎日ピータ てみると 20 歳を超えた二人の子供さんがいると ーは、私にさまざまな経験をさせてくれました。 いうことがわかりました。娘さんは、私がオース 最初の日は、ココナッツを割らせてくれました。 トラリアに行く一か月前に結婚してブリスベン しかし、ピーターのようにムキムキではない私は に住んでいると言っていました。写真では見るこ 全く割れなくて、軟弱な私を見て大爆笑していま とができたのですが実際に会ってみたかったで した。次の日は、ディジュリドゥというオースト す。息子さんのブレントン(Brenton)は初めて ラリアの先住民のアボリジニの伝統的な楽器を 会った時からいろいろ話してくれて本当に嬉し 吹かせてくれました。音を出すのは本当に難しく かったです。また、ブレントンはシドニーオリン 全く吹けませんでした。また、筋トレマシーンを ピックの聖火ランナーも務めたそうです。Popp 使わせてくれたりもしました。きつすぎて倒れそ 家の人達は、みんな楽しくて優しくて一日一日が うでした。私が動物に対してビビリな所がツボに 本当に楽しかったです。出会った日から日本のこ 入ったのか最終日はさまざまな動物がいるとこ とをいろいろ聞いてくれたり、私の英語力が足り ろに連れて行ってくれて私が動物と接している ないせいでホストファミリーの言っていること ところを動画に撮って爆笑していました。ピータ が理解できない時は、わかりやすい言い方やジェ ーと話すことが本当に楽しくて、今思い返してみ スチャーを使っていろいろな話をしてくれたり るとまず思い出すのは、ピーターの顔です。 しました。 笑顔で接することがどんなに大切であるかと スーは、毎日の送り迎えやスーパーに買い物に いうことを私は Popp 家から学んだと思います。 連れて行ってもらう車の中でたくさんの話をし 別れる時にこのことを伝えられなかったので、い ました。特に slang(俗語)を使って話すときは、 つかもっと英語を上達させてこのことを伝えに ニコニコしてくれて嬉しかったです。また、私は 行きたいです。本当にたくさんの貴重な経験をさ スーに甲高い Thank you と言われた時に本当に せてくれた笑顔いっぱいの Popp 家にもう一度、 喜びを感じました。 Thank you と伝えたいです。 2年4組 汐崎 里菜 ホームスティの家族紹介❤ ホームスティの家族紹介 ❤ 私は、SORENSEN 家にホームスティをした。 家にホームスティをした ホ ストマザーは、チャーリーと呼び 1948 年 6 月 7 日 が誕生日の 65 才だ。今は仕事を退職されているが 才だ。今は仕事を退職 ぎっしり並んでいてびっくりした。テレビもとても 大きかった。 ホームスティ最後の夜に、パーティーを開いてく 以前は食堂をしていたらしい。ホストファーザーは、 ホストファ れた。家にどんどんチャーリーの友達や親戚の人が ハンスと呼び 1946 年7月9日が誕生日の 日が誕生日の 67 才だ。 来て、少し怖いくらいだった。歌を歌ったり、踊っ 今は仕事を退職されているが、以前は長い間、サッ 、以前は長い間、サッ たりしてみんなとても盛り上がっていた。 りしてみんなとても盛り上がっていた。夜中の1 カーのコーチをしていたと教えてくれた。部屋の壁 部 時まであって眠かったけど、 、こういう機会はめった に優勝した時のメダルや賞状、写真などがたくさん にないので頑張って一緒に盛り上がっていた。ベッ 飾られていた。サッカースタジアムも連れていって サッカースタジアムも連れていっ ドに入るとすぐに爆睡した。 くれて私に見せてくれた。孫のアンジェリーと呼ぶ 中学3年生の女の子も毎日遊びに来ていた。毎朝学 校まで一緒にホストファーザーの車 校まで一緒にホストファーザーの車に乗っていき、 歌を歌ったり話をしたりしてとても楽しかった。 歌ったり話をしたりしてとても楽しかった。私 はダンスをしているので、いろいろ洋楽も知ってい たから一緒に歌えた。 【SORENSON 家にて】 【ハンスの勲章メダル】 孫のアンジェリーは、かわいくて、人なつっこく てすぐに仲良くなれた。初めて会った時も、私に優 しく笑顔で話しかけてくれてうれしかった。英語だ けだったけど結構会話が盛り上がっていろん けだったけど結構会話が盛り上がっていろんな話 ができた。アンジェリーは、日本食では ができた。アンジェリーは、日本食ではお寿司が大 【BIGパンケーキ BIGパンケーキとホストファミリー とホストファミリー】 BIGパンケーキとホストファミリー】 好きで、ホストマザーと3人でにぎり寿司を一緒に 人でにぎり寿司を一緒に チャーリーは、料理、ドライブ、ショッピング、 作ったりもした。学校では、ネットボールが得意で 小物作りが得意だ。毎日私のために手の込んだ料理 ために手の込んだ料理 音楽の授業の歌を歌うのも得意と言っていた。 得意と言っていた。私と をたくさん作ってくれた。どれも全部おいしかった。 どれも全部おい も一緒にいっぱい歌を歌った。 毎回品数がとても多くて食べきれないほどだった。 私は今回、海外旅行もホームスティも初めてで、 毎食「I am full !」って言ってたよう って言ってたような(笑) 学 しかも家族と8日間も離れて他の家族と生活 日間も離れて他の家族と生活する 校に持っていく lunch も毎日作ってくれてとても のも初めてだった。少し緊張していたけれど、ホス おいしかった。 しかった。毎日の学校の送迎中のドライブでも、 トファミリーと会った瞬間に と会った瞬間に2人の笑顔で緊張が 音楽を一緒に聞いたり歌ったりとても楽しかった。 ほぐれた。私に毎日、親切に笑顔で接してくれてと ホームスティ最後の休日に、チャーリーと一緒にシ てもとても楽しかった。 ョッピングに行った。2時間くらい別行動をしたけ くらい別行動をしたけ このようなすばらしい経験はあまりできないの れど、待ち合わせ場所でお互いにたくさん買い物を お互いにたくさん買い物を で、私の一生の思い出になった。お別れの時にホス していて笑いあった。お昼は、チャーリーが私にケ った。お昼は、チャーリーが私にケ トファーザーに「Good student tudent !」と言われてと ! ンタッキーをおごってくれてとても楽しい時間を おごってくれてとても楽しい時間を てもうれしかった。そして、大学生になって成長し 過ごせた。 た私をまた SORENSEN 家にホームスティさせて ハンスは、サッカーの試合や映画を見たり、友人 を呼んでパーティーを開いて盛り上げるのが趣味 だ。ハンスは毎晩、私に映画を見せてくれた。ハン ハンスは毎晩、私に映画を見せてくれた。ハン スの部屋にはアニメから様々な種類の映画が棚に もらうように約束して別れた。 ハンス&チャーリー&アンジェリー ー&アンジェリー are my family members! I LOVE SORENSON FAMIL FAMILY❤ 私のホストファミリー 2年4組 羽籐 理子 く冗談を言ったりしていて、なんだかお父さんの ような感覚だった。クリスのほかに、デビーの家 にはタクシー運転手とその娘のコリヤが泊まる 部屋があった。コリヤはとてもシャイで可愛い3 歳の女の子で、初めて会った日は恥ずかしがって 一言も話してくれなかったが、次の日の朝に「ハ ロー」と、とても可愛らしく言ってくれて朝から 幸せな気分になった。 デビーは、夜や休日にはレストランやショッピ 【デビーと】 彼女が私のホストファミリーのデビー。1人で ングに連れていってくれて、私の家族へのお土産 を一緒に選んでくれたり、寿司を一緒に食べたり、 暮らしていて、私の母と同い年だったので親近感 デビーの洋服選びを手伝ったりしてとても楽し があり、一緒に過ごしていてとても楽しく、安心 くコミュニケーションをとることができた。また、 して5日間を過ごすことができた。 デビーが作ってくれる料理はとても美味しかっ 対面後の車の中で、私は人見知りでなかなか話 た。オーストラリアに来る前は、肉ばかり出ると 題を切り出せなかったが、デビーは私にたくさん か量が多いと聞いていたが、1日目に少し量が多 質問したり、自分の話もしてくれた。最初のうち いと言うと、私に合わせて減らしてくれたりして、 は緊張して上手く英語が話せなかったが、家に着 少し申し訳なかったが優しいなぁと感じた。 くころにはこれからの生活が本当に楽しみだと 思った。 デビーと私は毎晩、家族のこと、学校のこと、 仕事のこと、日本のこと、オーストラリアのこと などたくさん話をした。1日目は、日本からのお 土産を渡したり、自分の家族や今治のことについ て紹介した。がまぐちをあげると、とても気に入 ってくれてすぐにコインを入れてくれたことが すごく嬉しかった。また、私たちは2人ともテレ ビを見ることが大好きなので、8時頃から 10 時 まではオーストラリアの人気ドラマやバラエテ 【家の中】 ィ番組を見て過ごしていた。デビーはおもしろい 毎日会話をしていると、たった5日間の滞在で 番組が好きなようで、すごく笑っていたが、私は も自分が言いたいことを英語に訳して話す、とい 英語がわからなかったので何が何だかわからず、 うスピードが速くなったと感じた。また、デビー 少し悔しかった。 が言っていることもだんだん聴き取れるように また、デビーは友達がたくさんいて、毎晩のよ なり、前よりもすらすらと会話を進めることがで うに人が訪ねてきた。なかでも、クリスというデ きるようになった。これはデビーが私とたくさん ビーと同じくらいの歳の男性は、来なかった日が 会話をしてくれたおかげである。温かい人に巡り ないくらいデビーと仲良しで、私にも気さくに話 あえたことに本当に感謝している。 しかけてくれた。クリスはとても陽気な人で、よ 2年4組 森田 友里奈 私のホストファミリー☆ 私のホストファミリーは Anita と鳥の Crazy たです。 と Tweedles です。初めは一人暮らしの家にいく Anita の家はとても広く、プールもあり、ガー のは心配でしたが Anita はとても優しく、おもし デニングもしていました。どれも Anita の趣味で ろくて、楽しい日々でした。 楽しそうに話してくれました。また一つ一つの部 Anita は多趣味で水泳やバーベキュー 、 ショッ 屋の色も違っていて驚きました。それぞれの部屋 ピングが大好きです。ショッピングにはたくさん にファンがあることにも驚きました。家の外には 連れていってもらいとても楽しかったです。 日本にはないほどの長さの木があり、南国みたい Anita の趣味はまだまだありそのうちの一つであ でした。 るモザイク作りを私も体験しました。タイルの上 ホームステイ中にAnitaがサプライズをしてく にボンドのようなものでばらばらに砕いたタイ れたことがありました。それは車のいすが新しく ルを合わせて私の名前の頭文字 Y を書きました。 なっていて、いすの上にチョコレートを置いてく 結構時間はかかりましたが、完成した時はとても れていました。気付いた時はとても驚いたし、嬉 嬉しかったです。今は家に飾っていて、それを見 しかったです。 るたびに Anita のことを思い出し、とても気に入 っています。 Anita との1番の思い出は夜一緒にチョコドリ ンクを飲みながら話したことです。私がホームス また Anita は一人で縫製をし、ネット販売をす テイしている間寒い日が続いたので温かいチョ る仕事をしています。枕カバーやタオルケットな コドリンクを飲みながら、他愛もない話をしまし どさまざまなものを作っています。 た。今思い返しても自然と笑顔になり、心がほっ とする思い出です。チョコドリンクをレンジで温 めている時コップからもれていたのにAnitaに伝 えなくて、笑いながら怒られたことがありました。 それもいい思い出です。 Anita はいつも私を気にかけてくれ、とても優 しく、おもしろく、ときどきクールで、すばらし い思い出を作ってくれました。短い間でしたが Anita と過ごせて本当によかったです。私の自慢 のホストファミリーです。 【作成中の作品を持った Anita】 Anita】 Crazy は Rainbow Lorikeet という種類の色が カラフルな鳥でした。いつも鳴いていてうるさく なると Anita が「Crazy」としかっていました。 Crazy はおもちゃで遊ぶのが大好きで、活発的で した。 Tweedles は Peaceful Dove という種類の小さ な鳥でした。いつも木の上に乗っていました。私 が近づくと木を渡って近寄ってきてかわいかっ 【Anita とツーショット】 2年5 2年5組 野口 純 ホストファミリーの紹介 今回自分がお世話になったのは WALSH 家で ある。まずは、父から紹介していこう。Kevin は 57 歳で、自営業である。とても立派なオフィスを 構え、customs forwarding という仕事をしてい る。これは、貿易関係の仕事だそうだ。趣味はゴ ルフで、スコアは・・・忘れてしまった。オックス フォード大学を卒業していることもあり博学な のはさることながら、夜になるとテレビゲームや 【ホストファミリーの家】 ポーカーなどをして自分たちと一緒に遊んでく ホームステイ先でのルールとしては、お風呂に れた。お酒を飲むことが好きで、いろんな種類の 5分以上かけないこと。これがまず初めに言われ それをそろえていた。 た約束事だ。知っての通りオーストラリアは水が 貴重で水道代がとにかく高い。乾燥地帯の上、雨 量も少ないから深刻な水不足になってしまう。そ のため、これは絶対に守らなくてはいけなかった。 しかし、オーストラリアの水は硬水で泡が立ちに くい上に、水とお湯の割合で温度を決めるシャワ ーだったため5分という制限は容易ではなかっ た。もう一つは、絶対に英語しか使わないことで 【WALSH 家のお父さん:Kevin のお父さん:Kevin】 Kevin】 ある。オーストラリアには驚くほど日本人が多く、 次に母 Ann について紹介しよう。60 歳で専業 現地の人でも日本語を話せる人が多い。そんな中 主婦の彼女はとても気を遣ってくれた。毎日衣服 で日本語に逃げてしまわないよう Ann がルール を洗濯してくれ、アイロンも欠かさずかけてくれ を作ってくれた。しかし、お土産を買うときにど る。彼女の作る料理はどれも絶品で、肉主体にな うしても日本語で聞きたくなる時がある。そうし らず、パスタからカレーライスまで幅広いジャン て日本語を話していると決まって Ann が注意し ルから用意してくれた。更に、毎朝必ず1時間ド てくれた。また、家族の一員としてテーブルマナ ライブをして、ケアンズの街を細かく説明してく ーを教えてもらったり、自由にミネラルウォータ れた。以前にもホームステイを経験したことがあ ーを飲むことを許可してくれたりもした。 るのか尋ねたところ、なんと自分で 12 人目だと このような素晴らしい家族と、素敵な家に巡り 言う。そんなベテランだからこそたくさん配慮し 会えたわけなのだが、自分がホストファミリーが てくれたのだろう。 どんな人か気になっていたように、向こうとして 家は周りの家と比べると少し大きい方だと思 もホームステイに来る人がどんな人物なのか心 う。全面白塗りで上品な家は、築6年と一見新築 配な面もあると思う。そんな一種の賭けであるホ に見えるほどだ。ガレージもリモコン操作のハイ ームステイを快く受諾してくれた WALSH 家に テクぶりで、そこに停まる2台の車も rich 感満載 は本当に感謝したい。それと同時に、いつでも帰 だった。部屋は来客用が3部屋、トレーニングル れる家がもう一つできたことはとても幸せなこ ーム、私用の部屋がそれぞれ1部屋、計5部屋の とだと思う。 平屋である。バスルーム、トイレは来客用、私用 の2つがあり、どちらにもバスタブがついていた。 私のホストファミリー 2年8組 秋山 琴音 私がお世話になったホストファミリーは また、私が英語がわからないときは簡単な英語に McCARTHY ファミリーで、 お父さんのBernie、 してくれてとてもわかりやすかったです。外食を お母さんの Wendy、息子の Bryn、娘の Kate の したときもメニューの説明をしてくれてとても 4人家族です。 やさしくしてくれました。 お母さんの Wendy はいつも明るく話しかけて くれて、私はその日あった出来事を Wendy に帰 りの車の中や家に帰って話すのが毎日楽しみで した。また、お弁当や食事の量を気にかけてくれ て滞在中快適に過ごすことができました。 娘の Kate はとても活発な9歳の女の子です。 彼女はたくさんの習い事をしています。ネットボ ールにホッケー、アクティングスクールです。ま た、とても日本語が上手で数字の1から 10、基本 的な挨拶(こんにちはやこんばんはなど)を日本 語で言うことができます。それに Kate はとても 折り紙が好きです。特にコップとハート、しゅり お父さんの Bernie は少しシャイな方ですがと けんが気に入ったみたいで、自分の部屋にたくさ ても優しい人でした。最初は私が緊張していたこ ん貼ってくれました。私が帰る頃には折り紙が写 ともあり、あまり話すことができませんでした。 真の倍の量くらいになっていました。気に入って でも、娘の Kate のネットボールのゲーム観戦に くれたみたいでとてもうれしかったです。また、 行ったときに、 Bernie が一緒にキャッチボールを Kate はとても読書が好きです。だから、彼女は しようと言ってくれて一緒にキャッチボールを たくさんの本を紹介してくれました。驚いたこと しました。キャッチボールをしている間は十分な に彼女が紹介してくれた本の中に私がちょうど 英語を話すことはできませんでしたが、心が通じ Kate と同じ頃読んでいた本がありました。その 合っているような気がしてとても楽しかったで ため、その日はその本の話でとても盛り上がりま す。キャッチボールをしてからは Bernie といろ した。また、彼女はホームステイ2日目の夜に突 いろな話をするようになりました。また、ゲーム 然わたしの部屋にきて「これと一緒に寝たら?よ 観戦後、歩いて家に帰るときにいろいろな場所を く寝られると思うよ。 」と言ってくまの人形を貸 紹介してくれました。それに、会話のところどこ してくれました。このくまのおかげでぐっすり眠 ろで冗談を言ったりするのでとてもおもしろか れたような気がします。 ったです。 Bryn はとても物知りな 12 歳の男の子です。私 初めてホームステイをした6日間。私はいつも McCARTHY ファミリーの優しさの渦の中にい がオーストラリアのテレビ番組やスポーツに詳 ました。 Bryn も Kate も日本に来てみたいと言っ しくなったのは彼のおかげです。ホームステイ中 ていました。今度は私の家にホームステイ、そん は彼が家のことをたくさん教えてくれました。 なことが実現できたらいいなと思います。 おわりに 教諭 東山 康司 1985 年7月 30 日。私にとって生涯忘れられな 感性が失われてきたからではないかと考えます。 い日です。中学2年生の私は地元が主催する中学 28 年前を振り返ってみて記憶に残っているのは、 生海外派遣団の一員としてアメリカへと旅立ち 見たい、知りたいという好奇心に満ちあふれ、失 ました。思わず息を呑むよう自然の美しさ、個を 敗を恐れず何事にも挑戦していた自分、世の中に 尊重しながらも他人に対する思いやりにあふれ は自分の知らないことや自分たちの価値観が通 た陽気な人々、おしゃれな街並み。見るもの聞く 用しない場面があり、もっと世界に目を向けて視 ことのすべてにただただ驚き、感動する毎日でし 野を広げなければならないと気付いた自分です。 た。2 週間のホームスティと 1 週間の寮生活を通 14 歳の私は、感じたことのすべてをまっすぐ受け して見たアメリカは、14 歳の私には強烈でした。 入れることができました。アメリカを訪れたのが それまで日本から出ることもなく、 「世界」や 20 代又は 30 代のときであったら、これほどまで 「異文化」などというものを意識して生活するこ に心を動かされることはなかったでしょう。 ともなかった私にとっては、 「日本」が世界の中 14 歳という若くて多感な時期の外国訪問は私 心で、 「日本人の価値観」で物事を判断するのが の中に予期せぬ大きな変化をもたらしてくれま 当たり前でした。それがたった 23 日間の滞在で した。よって、若い人たちには人生のできるだけ 見事に打ち崩され、自分のちっぽけさを嫌という 早い段階で外国を訪れて「世界」を知ると同時に、 ほど思い知らされることになりました。そしても 「日本」や「自分」を見直してほしいと思います。 っと外国やそこで暮らしている人々、彼らの文化 瑞々しい感性を持った若者の異文化体験・交流は、 や考え方について学ばなければならないと考え その後の人生に大きな影響をもたらすと確信し るようになりました。世界で最も広く使われてい ます。今回研修に参加した8名の中にも、早くも る言語である英語を学ぶことでその可能性は無 現地滞在中から小さな変化が見られました。例え 限に広がると考えた私は、英語を深く勉強しよう ば”Yes.”と”No.”の意思表示を明確にするように と決意しました。そして高等学校卒業後は外国語 なったこと、英語をツールとして積極的にコミュ 大学に進学し、現在に至ります。今の私があるの ニケーションを図ろうとする姿勢ができたこと はまさにあのときの体験のおかげです。 などです。これらは些細なことかもしれませんが、 ところで、その後、大学時代そして社会人にな 現地に到着した直後にはなかなかできなかった ってから何度かいろいろな国を訪れる機会があ ことであり、日本人が苦手とすることです。彼ら りましたが、なぜかあのときほどの感動や驚きが の中には確かなものが芽生え初めています。それ ありませんでした。訪れた国が退屈であったとか、 らが今後どのような花を咲かせ、実を結ばせるの つらい目にあったというわけではなく、美しい景 か。楽しみに見守っていきたいと思います。 色や街に癒され、人々との交流を楽しむというこ 最後になりますが、生徒たちにこのような貴重 とに何ら変わりはありません。それなのにあのと な体験の場を与えていただいた見藤妙子先生、こ きほどのわくわく感がないのです。それはなぜで の研修の運営を支えてくださった皆様に感謝申 しょう。私は年齢を負うごとに自分の中で純粋な し上げます。本当にありがとうございました。 第1回 愛媛県立今治北高等学校 リーダー養成短期海外研修事業 報告書 発行日 平成25年9月吉日 発 愛媛県今治市宮下町2丁目2番14号 行 愛媛県立今治北高等学校
© Copyright 2024 Paperzz