安全文化規定因を用いた組織事故対応の分析

安全文化規定因を用いた組織事故対応の分析
C1031570
武田博之
き破っていくことによってエラーや損害が発生す
1.はじめに
日本でも会社絡みの事故、すなわち組織事故が
多く報道されるようになってきている。医療事故、
る。エラーが起きると、どうして防護が破られた
のかということに関心がいく。
原発事故、航空機事故、建設偽造など事件は多種
では、事故を防ぐために、安全のために防護を
多様だ。そしてこれらのことについてエラーが発
設置すれば事故は起きないかというと、必ずしも
生すると、直接的に人命に関わってくる可能性が
そうとは限らない。安全軽視行動を取れば、簡単
非常に大きい。
に防護に穴が開いてしまうし、最悪の場合防護の
ではこうした事態になってしまったとき、我々
壁事態を取り除かれてしまうのである。組織事故
もしくは組織はいったいどのようにあるべきなの
が発生するための必要条件は、何層にも重なった
だろうか。エラーは予防できても完全に防ぎきる
階層構造を持つ防護に穴が開き、それが偶然重な
ことはできない。
り合うことである。それによって人間や資産に損
そこで本研究の目的は、組織においてエラーが
害をもたらすことになる。
起きたときに最悪の事態を回避するためにはどの
もし万が一、組織事故が起きてしまった場合、
ように行動するべきなのか。また、エラーによっ
事故の分析をどこで打ち切るかが大変重要になっ
て回避しきれず事故が起きてしまったときに、ど
てくる。
のような対応をすればよいのかということに焦点
事故調査の目的は、
「どのような経緯で事故が起
こったのか」と、
「似たような事故を将来起こさな
を当てて分析していく。
いようにするにはどうすべきか」を明らかにする
ことである。そのため、事故の当事者や設備の管
2.組織事故の捉え方
組織事故を予防するためには事故がどのように
理者がどのように行動し、関与すべきであったか
して発生し、広がっていくのかを理解する必要が
を調べれば十分であると考えられる。加えて、事
ある。
象そのものから遠ざかれば遠ざかるほど情報の量
が急速に減少し、信頼性も低下することは明白で
防 護
あるため、事故の原因調査は事故を引き起こした
危
険
潜在的な危険
エラー
エラー
組織が管理できる範囲にとどめておくべきである。
図 4 は、組織事故発生に至る重要な段階を示し
たものである。この図が表しているのは、事故の
図 1 潜在的な危険性、防護と損害の相互関係
進展過程が、三角形の底辺から頂点に向かってい
くということである。組織を動かすのは、経営層
図1は、
「潜在的な危険性」
「防護」
「損害(エラー)」
による予算配分、人員配置、計画、スケジュール、
の 3 つの関係を示している。身の回りに潜んでい
管理、監査などの普通の組織活動である。ここで
る潜在的な危険が、人間や資産などにダメージを
問題があると、作業現場で不安全行為を助長する
与えないように守っているバリアや安全措置を突
要因となる場合がある。
風土が創り上げられているかどうかにかかってい
防 護
て、それが会社の安全文化として根付いているか
危 険
損 害
害
損
潜在的な危険
どうか。つまり、会社に安全文化の考え方がある
かないかにかかっているのではないかと思われる。
国際原子力安全諮問委員会(INSAG)の会議で提
不安全行動
不安全行動
唱された安全文化の定義は、
『安全文化とは、原子
力施設の安全性の問題が、すべてに優先するもの
局所的な作業現場要因
局所的な作業現場要因
組織要因
組織要因
として、その重要性にふさわしい注意が払われる
ことが実現されている組織・個人における姿勢・
特性(ありよう)を集約したもの』としており、これ
図 4 組織事故の進展および調査の過程
は安全文化そのものが個人や企業の行動を決定付
けているといっても過言ではなく、安全文化はあ
不安全行為を助長する要因は、過度のタイムプ
レッシャー、訓練不足、人手不足、役に立たない
る個人、または組織の根底に位置されなければな
らないものだと考えられるだろう。
あいまいな手順書などがある。このような不安全
要因が個人、あるいはチームにエラーや違反を起
こさせ、組織事故に発展していくのである。
事故の分析や調査においては、流れはこの逆に
4.安全文化の醸成のために
安全文化を成り立たせるためには、安全文化を
構成している要素を知る必要がある。
なる。調査は何が起きたかを明らかにすることか
表 1 が安全文化の醸成のために必要な7つのポ
ら始まり、防護がいつ、どのように破壊されたの
イントである。これらの要素が作用しあって、安
かに進む。破壊された防護に対して、どのような
全文化を形作っていくのである。
即発的エラーと潜在的原因が関与していたかを明
らかにする必要がある。しかし、不安全行動を明
5.過去の事故、事件から安全文化を考える
らかにするだけでは、組織事故分析としては不十
過去に実際に起きた三件の事故を対象に、朝日
分である。不安全行為が起きるということは、そ
新聞の関連する記事をすべてまとめた。その上で
れを誘発する作業現場要因があるわけであり、ま
安全文化の視点で分析をした。まずはそれぞれの
た、作業現場要因を誘発する組織要因があると考
事故の概要を述べる。
えなければならない。つまり、組織事故を分析す
るときには組織要因までさかのぼる必要がある。
5-ⅰ.シンドラーエレベーター事故
2006 年 6 月 3 日、東京都港区にある 23 階建て
3.安全な文化
の住宅「シティハイツ竹芝」に設置されたシンド
事故を起こす企業と起こさない企業の違いは何
ラー製のエレベーターに自転車に乗ったまま高校
か。無事故企業として有名なオーストラリアのカ
生が乗ろうとしたところ、扉が開いたまま突然上
ンタス空港を見てみると、カンタス空港では何を
昇し、かごと建物の天井に挟まれ死亡したという
するにもまず「安全第一」を大前提に行動してお
事件。その後の調べで、全国のシンドラーエレベ
り、そして安全の意識が全従業員に深く浸透して
ーターで不備が発見された。シンドラー側もはじ
おり、安全の大原則を会社の全ての人々が勇気を
めはミスを認めない、謝罪しないなどの対応の悪
持って守っているようである。事故を起こすか起
さが見受けられた。事故後も何件かシンドラーエ
こさないかの違いは、その会社にそのような精神
レベーターによる事故が発生している。
表1 安全文化を醸成する7因子
(1) リ ー ダ ー シ
経営者は常に安全を最優先に考えなければならない。経営状態に関わらず安全性を最大にするという目標を持ち、
ップ
安全に関するポリシーを確立すること。単なる美辞麗句を並べるだけでなく、社会に対する倫理を踏まえ、確固
(2) 恐 れ を 忘 れ
組織およびリーダーは、安全を脅かす様々な要因に対して継続して注意を向け続ける必要がある。
たる安全哲学を明示して率直的に行動に示すことが必要である。
ない態度
(3) 情 報 に 立 脚
した文化
悪い結果、すなわち重大事故が発生していない状態でデータを集めることが、知的で望ましい警戒状態を継続
していくのにもっとも最良な手段である。つまりこれは安全情報システムを構築することであり、これにより事
故やニアミスから得られる情報を収集、分析することができる。安全を構築するためにはこのような事故やニア
ミス等の情報が必要不可欠であり、安全な文化はこれらの情報の元に成り立つといえる。このことから、情報に
立脚した文化は安全文化の一つの形態をとっているといえる。
(4) 報 告 す る 文
化
安全と危険の紙一重の状況で仕事を行うのは、企業の経営者ではなく働きアリ的な存在である作業員である。
作業員のエラー、もしくはニアミスを放置することで、作業員の、あるいは組織の生死を脅かす危険要因になり
える。そのため、自らのエラーやニアミスを報告しようという組織の雰囲気を作り上げることが重要である。日
本ではエラーは恥と考えられる傾向にあり、責任問題に直結する社会風土があるが、ほんの少しのエラーの報告
が予防安全のためには必要不可欠なのである。
(5)正義の文化
報告する文化をより効果的に行うためには、組織が非難や処罰をどのように扱うかにかかっている。エラー、あ
るいは不安全行動を起こしたときには厳しい制裁を行う必要がある。全ての不安全行動を盲目的に許すようにな
れば作業員の信頼を欠く事になるだろう。たとえ自分の上官がエラーを起こしたとしても、間違いは間違いだと
言える正義感が必要である。しかし、許される行動と許されない行動の境界線がどこにあるかを明確に理解しな
ければならない。正義を貫く上で大事なのは、安全を基盤にした価値観を間違ってはならないということである。
(6)柔軟な文化
万が一エラーが起こってしまったときには、その報告を素直に受け入れ、それを元に予防安全、危険対策に活か
す組織の姿勢が必要だ。エラーを起こすと、それはエラーを起こした人の個人的問題として見られることがある。
しかし、エラーが起きるという事は、個人だけの問題ではなく組織側にもエラーを引き起こすような要因が存在
していたと考えられる。組織は、エラーを不安全行為や不安全状態の初期症状として捉え、真剣に再発防止に取
り組まなければならない。つまりは、危険な状態に置かれたときに組織を再構成する能力が大事なのである。
(7) 学 習 す る 文
必要性が示唆されたときには安全情報システムから正しい結論を導き出す意思と能力が必要である。そして大き
化
な変革を実施する意思を持たなければならない。
5-ⅱ.パロマ湯沸かし器死亡事故
パロマ工業が 1980 年から 1989 年にかけて製造
これら三社が安全文化規定因を成しているかを
下表に示す。
した屋内設置型のFF式瞬間湯沸器について、同
排気ファンの動作不良を原因とする一酸化炭素事
表 2.安全文化規定因と各企業の達成度
故が 1985 年から 20 年間で全国で 28 件発生した。
シンド
パロマもわが社の製品に不備はないと発言したり、
ラー
謝罪を行わないといった行動が見られた。
5-ⅲ.ミートホープ牛肉ミンチ品質表示偽装事件
2007 年 6 月 20 日、
北海道加ト吉が製造した COOP
牛肉コロッケから豚肉が検出されたことが報道さ
パロマ
ミート
ホープ
リーダーシップ
×
×
×
恐れを忘れない態度
×
×
×
情報に立脚した文化
×
×
×
報告する文化
×
△
×
正義の文化
×
×
×
柔軟な文化
×→△
×→△
×
×
×
×
学習する文化
れる。これを皮切りにミートホープ社の不正が
次々に明らかになる。具体的には賞味期限の改ざ
それぞれの企業についてみていくと、シンドラ
ん、牛挽肉に豚肉を混ぜる、色の悪い肉に血液を
ー社は利用客からエレベーターの調子が悪いと以
混ぜて色を変えたりなどを行っており、これらが
前から苦情が何件も届いていたにもかかわらず、
当たり前のように日常的に行われていた。
それを放置し続けていたことにまず問題がある。
苦情があるということは、そのエレベーターに何
ていない。企業の事故対応としてはあまりにも間
らかの問題(エラー)があるということは明白であ
違いだらけで不適切なものである。
る。結果的に、自社の製品は大丈夫という盲目的
私が考える企業が取るべき理想的な行動は、ま
な過信が防護を無力化し、事故に至ったわけであ
ずエラーが発生し、事故が起こりそうな要因を発
る。エラーがあると報告を受けた段階で、最悪の
見したときには速やかに報告し(報告の文化)、事
事態(事故)を防ぐために、報告を受けたエレベー
故を起こさないために対策を打つこと。報告する
ターを調査する等の安全行動が成されるべきだっ
ことで会社をクビになってしまう恐れがあるとし
たのではないかと思われる。
ても、それを恐れずに悪いことは悪いといえる正
事故が起きてからの対応を見てみても、適切な
義感(正義の文化)を持つことが必要だ。そして万
対応が取られていたとは考えられないのではない
が一事故が起こってしまった場合には、証拠を隠
だろうか。事故が起きたということは明らかにそ
したり、責任逃れなどせずに素直に過ちを認め(柔
の製品に欠陥があったということであり、それを
軟な文化)、消費者との信頼関係を回復することに
『乗り方が悪いせいだ』とか、
『委託している保守
努めるべきである。そして、起こした事故から同
管理会社が悪いのだ』などと責任逃れをすること
じ事故を二度と起こさないようにするにはどうし
は、安全に対する責任の放棄である。
たらよいかを学び(学習の文化)、それを元に新た
パロマについても同じである。事故が起きた段
階で詳細がわかっていながら、社長にも報告がい
な安全情報システムを構築していくことが重要
(情報に立脚した文化)なのではないかと思う。
っているにもかかわらず、それを放置したことが
問題だ。エラーを発見した時点で、リコール等の
無料修理等を行えば、何人もの命が奪われること
はなかったはずである。
6.組織はどのようにあるべきか
企業は競争社会の中で戦っているのは承知して
いるし、良い製品を安く私たちに提供し、企業の
事故後の対応もシンドラー社と同じで、
『わが社
売り上げを伸ばすことも大事なことだと思うが、
の製品に責任はない』などと弁明しており、消費
よい企業というものは常に安全について注意を向
者に対する誠意が感じられない。
け続けている企業だと私は考える。
ミートホープ社に至っては、利益を上げること
今組織に求められているのは、安全文化の醸成
だけに重点を置かれ、安全面をまったく無視して
であると思われる。組織が安全文化を理解し、実
エラーを起こし、会社ぐるみで隠蔽を行っていた
現に向けて努力することは、組織にとっての目標
ようである。社長のワンマン体制もあいまって、
であり、使命であるといっても過言ではない。安
社長自らエラーを促す社風にあり、エラーを起こ
全文化を理解し実践していくことで、組織事故は
すことが日常的にさえなってしまっている。この
完全になくなるとはいかないものの、徐々に、し
ような状態ではエラーによる大事故を未然に防ご
かし確実に減っていくことは間違いないだろう。
うとする行動自体が存在しないと思われる。
三社に共通して言えることがある。事故が起こ
参考文献
る予兆(エラー)が見えていたにもかかわらず、そ
ジェームズ・リーズン著 組織事故 日科技連
れを放置したこと。事故が発生してからの事故責
黒田勲著
任はわが社にはないと責任逃れをすること。事故
中央労働災害防
止協会
の詳細が明らかになってくるにつれ、手のひらを
朝日新聞
返したように謝罪をすることの三点である。これ
事故関連記事
らの行動は、消費者の安全のことをまったく考え
安全文化の創造へ
シンドラー、パロマ、ミートホープ