論文 インターナル・アウトソーシングと内部市場戦略~キリンビジネス

Japan Marketing Academy
★
論文
インターナル・アウトソーシングと内部市場戦略
∼キリンビジネスシステムのケース∼
笊 ――― はじめに
笆 ――― 先行研究
笳 ――― 事例分析
笘 ――― 結論およびインプリケーション
吉田 満梨
の関心の高さもさることながら,企業グルー
● 神戸大学大学院 経営学研究科 博士課程
プ全体の統治の一環として,シェアード・サ
依田 祐一
ービスと呼ばれる,グループ組織内での各事
● 神戸大学大学院 経営学研究科 博士課程
業の統合化や合理化政策も注目を集めつつあ
南 知惠子
る。シェアード・サービスとは,人事や経理,
● 神戸大学大学院 経営学研究科 教授
あるいは情報システムの開発・運用といった
共通する業務を企業グループ内で一ヶ所に集
約して提供することを指す。間接部門が,本
笊――― はじめに
社に集中したセンターとして組織化されるか,
あるいは分社化される形態となり,グループ
グローバル競争環境下で,経営形態を持ち
内の企業からアウトソーシングの形で業務を
株会社(ホールディングス)へと転換する企
受託し,サービス提供をすることとなる。持
業の数は年々増加している。純粋持ち株会社
ち株会社の経営形態では,戦略立案組織とし
設立は,1997 年の独占禁止法の改正により解
て純粋持ち株会社があり,その傘下に事業会
禁となったが,この会社制度は,持ち株会社
社が存在する中で,事業会社に共通する業務
自らは事業を行わず,グループ傘下企業に対
領域を統合し,効率化を図ることが要請され
して,株式保有により経営を行うという企業
ている。このため,間接部門が統合化され,
統治によって特徴づけられる。持ち株会社の
集中化されたサービスとして提供されること
経営形態は,M&A(合併買収)や事業再編
が戦略上の整合性を持つ。
における意思決定の迅速化,あるいは敵対的
積極的な M&A の推進は,多岐にわたる事
買収の回避という意味において,経営環境が
業の買収と,その結果として多様な市場への
厳しさを増す中で,より戦略性の高い経営を
対応が要請されることになるが,各事業会社
実現できるという意味で注目を集めていると
の共通する業務を統合化していくことは,企
いえる。
業においてコスト削減と合理化策として重要
純粋持ち株会社による戦略立案と実行性へ
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性を持つ。とりわけ近年では,経営改革に伴
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インターナル・アウトソーシングと内部市場戦略
う事業プロセスの改編を支援する役割として
笆――― 先行研究
IT(情報技術)化推進が不可欠となってきて
おり,情報システムの開発・運用がシェアー
1.情報システムと戦略的調達
ド・サービスとして提供されることが,企業
グループの経営戦略上,重要性を増している
近年では,様々な経営課題を IT の推進化抜
ことが指摘される。また,グループ内の企業
きに実行することが難しい状況になりつつあ
が個々に推進してきた IT 政策に関していかに
る。例えば,人事や経理の管理に際し,情報
組織全体として最適な統合を図れるかについ
システムを導入して管理することは広く行わ
ても関心が高まっている。
れており,生産計画やサプライチェーンの管
本稿では,企業グループ内でシェアード・
理において,情報とモノの流れを管理するた
サービスを提供する組織に注目し,グループ
めの IT 化自体は避けられない状況となってい
内企業や組織という内部市場に対するアプロ
る。
ーチの有効性と課題について,事例研究を通
システムの老朽化に伴い,新たな情報化投
じて検討する。事例研究の対象として,キリ
資を行う場合に,当該企業が自ら IT 推進のた
ンビジネスシステム株式会社を研究対象とす
めの開発案を策定したり,自前で IT 技術者を
る。同社は,麒麟麦酒(キリンビール)株式
養成したりすることには多大なコストを伴う
会社が 2007 年 7 月にキリンホールディングス
ため,情報システムをどう調達するかは重要
として,キリングループの純粋持ち株会社体
な意思決定問題となっている。企業が情報シ
制へ移行したのに伴い,IT 戦略推進を担う機
ステムを導入する場合,IT による業務改善の
能分担会社として位置づけられた。IT 戦略に
識別や IT 化する要件定義に始まり,システム
関する機能分担会社が事業会社に対して提供
の設計・開発の段階を経て,運用・保守へと
するシェアード・サービスは,グループ組織
一連の業務が遂行される。情報システム自体
内の「インターナル・アウトソーシング」と
の開発に関する立案や施行を企業内の情報シ
して捉えられ,他のグループ会社(主に事業
ステム部門が担当するが,IT ベンダーと呼ば
会社)を内部顧客として持つ。本稿では,ま
れる情報システム導入の専業企業にアウトソ
ず IT のソーシング(調達)に関して,アウト
ーシングすることは 1990 年代以降,行われる
ソーシング(外部調達)を含めた戦略的調達
ようになってきており,また情報システム部
の観点から既存研究を整理し,キリンビジネ
門を子会社化する,あるいは情報システム部
スシステム株式会社の内部顧客へのアプロー
門と IT ベンダーとの合弁企業を設立すること
チの事例について分析,検討を行う。比較的
も増加してきている。
アウトソーシングとは,外部調達すなわち,
新しい経営形態の中で,企業が直面する経営
統治と内部市場の問題について,事例を通じ
業務を当該企業から別企業や組織に委託する
て課題と有効性を識別することにより当該分
ことを指す。中核的な業務に集中するために,
野の研究の契機を開くことを本稿の目的とす
他業務を別企業にアウトソーシングすること
る。
の有効性が 1990 年代に主張されてきた(例え
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ば,Quinn 1992,49 ページ)。この背景には,
情報システムのアウトソーシングに関する
Prahalad and Hamel (1990)の「コア・コン
説明理論として,近年,取引コスト理論等の
ピタンス」議論,すなわち競争環境下におい
経済学的理論にとどまらず,多岐にわたる理
て企業の中核資産を識別することが戦略的優
論的なアプローチが見られるようになり,資
位性につながるという主張があったことが指
源ベース理論と取引コスト理論との両者の統
摘される。
合 的 な ア プ ロ ー チ ( Watjatrakul 2005,
とりわけ情報システムの職能がアウトソー
McIvor 2009)や,あるいは信頼やコミット
シングの対象となる傾向にあったことが,
メントといった社会心理学的な概念を用いた
King and Malhotra (2000)により指摘され
アプローチ(Goo and Huang 2008,Hiska-
ている。彼らはその理由として,コスト削減
nen, Newman, and Elkin 2008)も行われてき
要因,IT を内部調達することの非効率性ある
ている。
いは技術的な能力の欠如を挙げている一方で,
Goo and Huang (2008)の実証研究や,
このコスト要因とサービス能力要因に対する
Hiskanen et al.(2008)の事例研究が,信頼
懐疑や IT アウトソーシングへの反動も指摘し
やコミットメント,パワーといった概念を用
ている。コスト削減のために IT がアウトソー
いて,IT のアウトソーシングにおけるクライ
シング対象とされる傾向に対して,IT をアウ
アントとベンダーとの関係管理やガバナンス
トソーシングすることのリスク(Earl 1996)
についてアプローチしているのに対し,資源
や,選択的にソーシングすることの価値
ベース理論と取引コスト理論の両者を比較上
(Lacity その他 1996)も提言されてきている。
論じる立場では,研究上の関心が,情報シス
Gonzalez, Gasco, and Llopis (2006)は,
テムのソーシングの選択に関する意思決定問
情報システムのアウトソーシングを対象とす
題にあることが指摘される。
る研究について,研究雑誌に掲載された論文
アウトソーシングか内部調達かという選択
のメタ分析を行い,1995 年以前,1996 年から
肢は,取引コスト理論による,市場調達より
2000 年の間,2001 年以降の研究動向の特徴に
内製においてコストが低い場合に選択される
ついて整理している。彼らの研究成果により,
という説明と,資源ベース理論による,戦略
研究トピックとして多いのは,アウトソーシ
的に重要な資源は内製されるという,異なる
ングのクライアント側(委託側)視点による
説明理論があり,時として相反する意思決定
アウトソーシングの理由やリスクと成功要因
へと導くことから統合的な議論の必要性が主
等を対象とする研究であること,近年,ベン
張されてきた(Watjatrakul 2005,McIvor
ダー側(受託側)視点の研究や両者の関係的
2009)。Watjatrakul (2005)は,両理論の統
視点からアウトソーシングを扱った研究が増
合的なアプローチとして,取引コスト理論に
加していること,さらにエージェンシー理論
おける取引特定的資産概念と資源ベース理論
や取引コスト理論など経済学的な理論面によ
における戦略的資源概念との 2 軸を用いてマ
るアプローチもされてきていることが明らか
トリクス型の意思決定の分類枠組みを提示し,
にされた。
事例研究において情報システムのアウトソー
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シングの意思決定に関する指針を示している。
組織内ユニットやグループ外企業との取引を
IT のアウトソーシングへの関心は,業務を
自律的に行うことを指す。内部市場の概念は,
委託することによるコスト削減要請の中で,と
内部組織が市場ベースの競争条件で業務を行
りわけオフショア取引と呼ばれる,インドや中
うこと,プロフィットセンターとして業務遂
国といった,他の先進国よりも労働力の安い国
行すること,競争的な協働活動を行うこと,
へのアウトソーシングが近年頻繁に見られるよ
自組織とともに他の組織に対しても付加価値
うになったが,オフショア取引を含めたアウト
を与えることによって特徴づけられる。内部
ソーシングの選択的あるいはコンティンジェン
組織は外の市場で形成される競争的な価格で
トな意思決定問題が近年論じられるようになっ
業務を行うことにより,自らのパフォーマン
てきている
(例えば,Varadarajan 2008,Metters
スを向上し続けることが要請されることや,
2008)
。
モニタリングが必要なく,成果主義の業績評
一方で,オフショアに代表される他国や,
価ができること,学習効果など,想定される
他企業へのアウトソーシングのみならず,企
メリットについて仮説的に論じ,実証研究の
業グループ内のアウトソーシングについても
必要性を主張している。
研究が行われ始めている。Barthelemy and
2.インターナル・アウトソーシングとして
Geyer (2005)は,情報システム部門の分社
のシェアード・サービスと内部市場
化や子会社化を,擬似的なアウトソーシング
(quasi outsourcing)として取り上げ,取引特
情報システムの調達に関し,近年関心が高
定的な資産や部門の規模といった組織の内部
まっているのがシェアード・サービスの形態
的要因と,制度的もしくは業界的な環境要因
によるサービス供与である。シェアード・サ
が擬似的アウトソーシングの規定因になって
ービスとは,ここでは Aksin and Masini
いることをフランスとドイツの企業を対象に
(2008)の定義にしたがい,組織内の共通する
機能やプロセスを,効率化及び全体としての
実証している。
我が国でも IT に関して完全に他企業にアウ
収益性向上のために標準化,合理化,統合化
トソースするのではなく,情報システム部門
するということと定義する。事業会社や純粋
を独立させ,子会社化することが行われてき
持ち株会社が本来業務やより付加価値の高い
ているが,どの組織形態がどのような場合に
業務に専念できるように,シェアード・サー
有効性を持つのかについてはまだ研究蓄積が
ビス組織は機能特化することが求められるこ
十分でない状況であるといえる。
とになる。シェアード・サービスとは企業グ
King and Malhotra (2000) は,情報シス
ループ内の組織からの調達という意味で,イ
テムをアウトソーシングすることの代替案と
ンターナル・アウトソーシングとして捉えら
して,「内部市場」概念によるアプローチを提
れる。
我が国ではシェアード・サービスは間接部
唱している。内部市場概念とは,IT サービス
を完全にアウトソーシングするのではなく,
門を効率化するマネジメント手法として,主
組織内で自治権を持った組織を設立し,他の
に管理会計分野においてアプローチされ,企
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業が導入を始めた 2001 年頃より注目を集めて
づけられる。結論として,シェアード・サービ
きた。例えば園田(2004)は,シェアード・
ス組織を業務の規模,市場への関心,管理状況
サービス組織を,1)本社の一部門に業務を集
の軸によって分類化できることを導いている。
中する形態,2)子会社に業務を集中する形態,
すなわち,シェアード・サービスにおいて
3)企業グループが異なる数社が業務を集中す
は,その管理問題や戦略性における視点は,
る形態,の 3 つに分類し,それぞれの企業グ
シェアード・サービス組織が企業グループ内
ループ内における管理会計上の位置づけ,プ
でプロフィットセンターと位置づけられてい
ロフィット責任の有無の特徴から管理形態に
るか,コストセンターと位置づけられている
ついて論じている。
かにより,求められる役割が異なり,行動や
Aksin and Masini( 2008) は , シ ェ ア ー
サービス水準も異なるということになる。こ
ド・サービス組織に関して,その戦略や組織構
こで SLA というサービス提供水準を確約する
造,経営管理プロセスの相違が看過されてきた
公式的な契約関係を結ぶかどうかも,シェア
ことを指摘し,環境及び企業の特徴と経営上の
ード・サービスとクライアント側との関係性
意思決定との適合性が業績へと影響を与えると
や統治という問題について分析するために重
いう概念モデルを構築し,実証研究を行ってい
要な点であることが指摘される。
る。彼らはまずシェアード・サービス組織を持
笳――― 事例分析
つ企業群のうち,シェアード・サービスへのニ
ーズと能力の観点から分類軸となる変数を用い
1.概要
て,4 つのタイプのシェアード・サービス組織
をクラスター分析により弁別している。それら
事例に取り上げる「キリンビジネスシステ
は,1)ビジネス志向の最適化実行者
ム株式会社」(以下,KBS)は,2007 年 7 月
(business-minded optimizers),2)コスト監
のキリングループの持ち株会社制に移行の時
視 者 ( cost watchers), 3) 特 化 型 採 用 者
に,機能分担会社として再スタートした。そ
(focused adopters),4)未成熟なサービス提
もそも KBS は,IT を活用・推進しキリング
供者(immature service providers)であり,
ループ各社のビジネスの発展に寄与すること
1)のタイプは,シェアード・サービスへの投
を目的に,1988 年に麒麟麦酒株式会社が資本
資額も大きく,独立事業として外販も行うが,
金 5000 万円の 50%を出資して情報システム子
2)のタイプは,対照的に内部のコストセンタ
会社として設立された経緯があり,設立当時
ーとして位置づけられる。1)は SLA(Service
は,レジスター機能とパソコン機能が一体と
Level Agreement :サービス提供水準に関す
なった酒販店向けの「ミスターお酒屋さん」
る契約)による品質管理を内部的には必要とし
(1985 年開発)や特約店向けのコンピュータ
ないが,2)はむしろ SLA により品質管理がな
ーシステム「KIC ネット」(1987 年開発)等
される。3),4)のタイプは比較的小規模の組
の流通企業への販売・サービスが中心業務で
織であるが,3)が比較的投資額が少ないのに
あった 1)。
この背景には,取扱製品の多品種化に伴う
対し,4)は積極的投資と外販志向により特徴
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1990 年代後半には,ビール市場では各社が
効率化への要請があった。1977 年にはビール,
清涼飲料合わせて 16 品種であったのが,1987
品質や鮮度を競う熾烈な競争を繰り広げるよ
年には約 170 品種に増え,ギフト時期にはさ
うになる 4)。その結果,適切な在庫管理やロ
らに 80 品種がこれに加わった。他社も競って
ジスティクスの構築が重要な課題として認識
多品種化を進めたため,酒販店での 1 品種当
されるようになり,それを実現するための情
たりの在庫量は減少し,結果的に酒販店から
報システムが経営戦略といっそう不可分なも
特約店への注文は小刻みになり,工場からの
のとみなされるようになった。キリンビール
出荷もこれに即応しなければならなくなった。
は,鮮度管理を徹底化した上で,全社的需給
しかし,当時の工場物流では,出荷可能在庫,
統合システムの構築に取り組んでいく中で,
支社販売予定,販売実績,工場間転送予定等
需要予測システム「Beer Das」を 1998 年に
の情報が共有されておらず,データベース化
構築し 5),大幅な物流コスト削減に成功した 6)。
による一元管理が求められた。特約店システ
全社的な需給統合システムの実現は,元々支
ム,酒販店システムは,こうした状況のもと
社が担っていた需給計画の本社物流部門への
で,特約店・酒販店の業務効率化と,販売実
移行,ロジスティクスの一元的管理を促し,
績データの収集を目的として開発されたもの
物流部門の構造改革においては,1999 年にキ
である。この時点では,社内情報システムの
リンビールの工場,支社の物流部門の整理・
開発・運用はキリンビールの情報システム部
統合,2000 年には,物流子会社 7 社の統合と
門が担っており,特約店・酒販店システムを
現業部門の分社化が行われ,現業部門を持た
販売することが,設立当初の KBS に期待され
ず企画・管理,営業を行う全国会社と,輸送,
ていた主要な業務であった。しかしながら,
荷役作業,流通加工などの現業部門だけを担
1988 年からキリンビールの業務推進部が情報
当する地域会社の役割が明確化された 7)。
調達においても,2000 年に受け払いシステ
化を核とした新しい物流システム構築に着手
し,販売計画から出荷可能在庫数を予測し,
ム「Beer Mate」を稼働し 8),国内全 11 工場
仕込み計画にまで遡って反映させるとともに
と資材メーカー計 35 社とをネットで結び,発
全社的に情報の共有化が図られ,KBS にはそ
注業務を標準化し,受注,生産量に応じて各
のための開発と運用を担う組織としての役割
種資材を共通様式で毎日発注する体制を構築
も期待された 。KBS は,1989 年にキリンビ
した。これら情報システムの開発に関しては,
ールの情報システム部門と共同で,「需給シミ
キリンビールの情報システム部門が担い,
ュレーションシステム」,「新受注出荷システ
KBS は,親会社であるキリンビールとの契約
ム」,「在庫管理システム」を開発,稼働させ,
関係によりシステムの開発・運用を行ってい
支社の営業情報や,「特約店システム」等の対
た。このような経営改革に伴う,情報システ
外ネットワークから収集できるデータを参考
ム化の全社的な推進の動きの中で,1998 年 9),
に,「販売計画策定システム」でシミュレーシ
2003 年にキリンビールから KBS に対して,
ョンを行い,販売計画の精度向上,計画策定
システム開発・運用機能が移管された 10)。
2)
の迅速化に携わってきた 3)。
そして 2007 年にキリングループが持ち株会
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社制に移行した際に,キリングループを支え
情報システム部門が各事業部門との連携を通
る情報システムの戦略立案及び企画の機能を,
じて,情報システム開発案件の優先順位付け
機能分担会社として KBS が担うことになった
と予算配分を行っていた。キリンビールの子
のである 。
会社であった KBS では,キリンビールとの契
11)
本稿では,内部顧客としてのキリングルー
約関係によりシステムの開発・運用をおこな
プ各社に対してシェアード・サービスを提供
う立場にあった。また,開発した情報システ
する KBS の取り組みを分析することで,グル
ムの外部企業への販売も行われていた。
ープ全体としての情報システム及び情報シス
しかし持ち株会社体制への組織改編により,
テム部門の最適化における課題,グループ内
KBS の位置づけが大きく変化する。キリンビ
の機能分担会社のインターナル・アウトソー
ールは 2007 年 4 月,キリンビバレッジでは
シングの有効性について検討したい。
2008 年 4 月に,情報システムの企画や戦略立
案の機能を KBS へと移管し,情報システム部
2.キリングループの機能分担会社としての
門を廃止した。またメルシャンなど他の事業
KBS
会社の情報システム部門も,KBS へ集約する
(1)組織改編
方向にあり 12),今後も M&A 等による組織変
2007 年 7 月 1 日,長期ビジョン「キリン・
革の流れの中,グループ全体の情報システム
グループ・ビジョン 2015」の一環として,
の関連機能が KBS に集約されていく見込みで
「ビール至上主義」とも言える組織から脱却し,
ある。
資源配分をより適切に行うことを目的に,キ
一方で個別の開発に関する起案や予算配分
リンビールは持ち株会社体制に移行した。キ
は,事業会社が自社の損益をふまえながら予
リンビールを中核とする事業持ち株会社制を
算化を図っていく体制へと変更した 13)。現在
改め,純粋持ち株会社であるキリンホールデ
キリングループ全体の IT 予算の配分は,新規
ィングスの傘下に,ビール,飲料,医薬など
投資が約 3 割,保守運用とインフラを合わせ
の各事業会社と機能分担会社が並置される組
て約 7 割程度であるが,KBS はシステム整備
織形態へと変更された。
の一元的な窓口として機能し 14),グループ全
体の最適化を志向する唯一の情報システム会
純粋持ち株会社体制への移行に際しては,
社として,明確な位置づけが与えられている。
グループ従業員約 2 万 8000 人に対して,持ち
株会社の社員数は約 250 人と,
「小さな親会社」
(2)コストセンターとしての KBS
の位置づけが明確に追求されることになった。
ホールディングスの機能を,グループ全体の
2007 年 7 月の組織改編以前の KBS は,シス
戦略に特化し,従来キリンビールが親会社と
テムを利用するキリンビールとは親会社と子
して担っていたスタッフ機能は KBS などの 3
会社の関係ではあったが,情報システムの外
つの機能分担会社へ移管したのである。
販も行っていたため,事業会社の情報システ
ムの調達において外部の IT ベンダーと比較さ
従来は事業会社を支える情報システムの開
れることもあった。
発に関しては,親会社であるキリンビールの
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対して現在の KBS はコストセンターの位置
ービス機能」,「戦略企画機能」の 3 つを区別
づけであり,開発したシステムの外販も一切
した上で,それらを各機能分担会社にどのよ
行っていない。システム開発において売上や
うに配分していくのか,についての検討が行
利益等の目標は設定せず,開発にかかった費
われた 18)。通常,コストセンターと呼ばれる
用はグループ会社に対してオープンにされ,
組織では,このうちオペレーション機能を専
同社の評価はあくまでシステムの品質とコス
ら担うことが多いが,小さな本社を志向して
トに基づいてなされている。グループ会社と
組織設計を行ったため,例えば新入社員の採
KBS との関係は,かつての親会社と子会社の
用のような,より高度なスキルが必要とされる
「プロフェッショナルサービス機能」も,機能
関係ではなく,対等で両者一体となった関係
へと変化しているのである。その分,より大
分担会社へ移管する判断がなされたという 19)。
きな責任を負うことにもなったため,KBS の
したがって,機能分担会社は,標準化された
社員のモチベーションも向上していると言う 。
業務や情報システム以上の,業務プロセスに
組織改編の結果として,KBS にとって,外
関する知識やノウハウを含んだより幅広い且
部の IT ベンダーを競合企業として意識するこ
つ付加価値の高い機能を提供していると言え
とはなくなったという。KBS のコア・コンピ
る。
15)
タンスは,外部の IT ベンダーのそれとは明確
また情報セキュリティやパソコンの OS,統
に区別されており,グループのビジネスに関
計ソフト等,グループ全体で共通化しなけれ
する業務知識や企画提案力に強みを持ち,IT
ば全体最適を実現できない基盤部分について,
によってグループ全体の業務の最適化を実現
KBS が一切を提供することによってシステム
することであると認識されている。
の統制を図り,標準化によるコスト削減に貢
献している。KBS は,グループの情報システ
(3)プロフェッショナルサービス機能
ムの開発・運用のサービスを内部市場に供給
KBS の第一の機能は,内部顧客であるグル
し,さらにグループ会社で使用されるシステ
ープ会社へ情報システムを開発しシェアー
ムに横串を通し,グループの情報システムの
ド・サービスとして提供する役割である。グ
最適化を支える存在として,重要な機能を果
ループ会社で共通的に使用されるアプリケー
たしているのである。
ションや IT のインフラは,KBS が起案・整
備し,その費用は,使用状況に応じてグルー
(4)戦略企画機能
プ会社がシステム使用料として負担する形を
組織改編の際に,標準的なシステムはシェ
採用している 16)。キリングループでは,経理
アード・サービスとして,KBS が集約してグ
関係,人事給与関係,調達関係などの共通の
ループ会社に提供しているのに対し,以前は
アプリケーションの整備
が進んでいる。
親会社であるキリンビールの情報システム部
17)
キリングループでは,経営体制を変更した
門により決定され管理されていた各事業会社
際,機能分担会社のミッションを定義し,「オ
に固有の情報システムに関しては,起案や予
ペレーション機能」,「プロフェッショナルサ
算配分の権限が事業会社に配分され,各事業
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会社が自社の損益をふまえながら予算化を図
のグループ全体で提示された情報戦略を環境
っていく体制へと変更されることになった 。
変化に合わせて翻訳し,実際にどのようなイ
同時に KBS へ「オペレーション機能」,「プロ
ンフラを構築し,いつ,何を,どのように開
フェッショナルサービス機能」だけでなく,
発するかについて,事業レベルの戦略策定を
従前にキリンビールの情報システム部門が担
事業会社と共同で取り組むことである。
20)
っていた「戦略企画機能」も移管した。その
最初にグループ全体としての基盤を固める
結果 KBS は,キリングループ全体の IT に関
ことで,グループ全体としての情報システム
わるシェアード・サービスの提供という役割
の整備の方向性と,事業会社が求める情報シ
に加えて,各グループ会社の情報システムを
ステムの開発計画とのすり合わせを行い,整
グループ全体として最適化するための,戦略
合性を図る役割を KBS が担っているのである。
立案や企画,あるいはシステム改善提案とい
った役割が期待される存在となった。
(5)事業会社固有の情報システムの起案への
具体的には KBS は,グループ会社のニーズ
関与
を取り込みながらグループ全体の情報戦略を
グループ全体で標準化することが困難な各
策定する機能を担っている。またグループ全
事業会社に固有の情報システムの開発では,
体レベルの情報戦略が策定された後,各事業
事業会社側自らが開発の意思決定を行うが,
会社でも,全体の方向性を踏まえた情報戦略
KBS はその過程でも専門的立場から助言とい
の策定がなされるが,ここでも KBS の担当者
う形で起案に参画している 22)。KBS が関わる
が参画している。第一に,グループ全体の情
のは起案の 2 つの段階である。
報戦略の策定では,KBS が 3 年ごとに中期情
まずシステム開発を意思決定する段階で,
報戦略を作成し,IT 予算と技術方針を示す役
KBS は「コンサルテーション」と呼ばれる,
割を果たす。大きな環境変化や M & A のよ
技術的な観点からの助言という形で参画する。
うなケースを別として,グループ全体の IT 予
意思決定は予算と事業収益の責任を有する各
算配分は,基本的にこの中期情報戦略で概算
事業会社が行うが,情報システムの構築を担
が検討され,以後その範囲で投資が行われる
当する KBS にも,技術的な実現性やスケジュ
ことになる。また中期情報戦略の中では,IT
ール,費用などに関するコミットメントが要
によって実現可能な基盤・業務,アプリケー
求されるため,KBS にも必ず決裁申請書が回
ションとして提供可能な技術,IT の一般動向
される。コンサルテーションで開発に問題が
などが提示され,その後のグループの取り組
ないと判断された場合にはじめて,事業会社
みの基本的な方向性 21)が明確化される。KBS
側の意思決定者がシステム開発の承諾・決裁
が策定したこの方針は,キリンホールディン
を行う,というプロセスをふむ。
グスの最高意思決定機関である経営戦略会議
コンサルテーションに当たっては,A3 一枚
に付議・承認された後,この方針をふまえた
にまとめられた「スコープ計画書」という書
うえで,グループ会社のシステム化計画が具
式が用いられる。公式の意思決定プロセス以
体的に検討される。KBS の第二の役割は,こ
外でも,日頃から KBS の担当者と事業会社側
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マーケティングジャーナル Vol.28 No.4(2009)
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インターナル・アウトソーシングと内部市場戦略
の担当者は密にコミュニケーションを取って
おり,事業会社がスコープ計画書を作成する
(1)費用対効果の意識の高まり
最初の段階から,KBS が検討に加わる。スコ
まず予算管理の方法として,従来のキリン
ープ計画書には,実現手段,期待効果,費用,
ビールの情報システム部門が一括して予算管
戦略との整合性や既存のアプリケーション間
理をする方法から,シェアード・サービスの
の整合性,技術的問題,プロジェクトリスク
内部顧客である事業会社が情報システム予算
などの項目が盛り込まれており,事業会社は
を個別計上する方法へと変更されたことで,
それらの問題を KBS と共に検討し,計画書を
事業会社側により費用対効果を意識したシス
作成するのである。こうして,システム開発
テム投資の意識が高まったことである。2007
の計画書の作成と,意思決定プロセスの中で
年 7 月以降は,例えば社員が使用するパソコ
の公式的な手続きという 2 つの段階で,KBS
ンのようなインフラなどシェアード・サービ
は個別アプリケーションの起案に関わること
スとして提供される機能に関しても,使用料
になる。現時点でスコープ計画書は全事業会
として事業会社に請求されるため,本当に必
社に適用されているわけではないが,今後
要な情報システムは何かをより厳密に考えて
KBS に対して機能を移管した会社では,同様
投資する意識の変化が起こっている。
のしくみを展開する予定である。
このように,スコープ計画書の作成段階及
(2)事業会社とのコミュニケーションの活性化
び意思決定過程に KBS が介在することは,キ
情報システムの開発について,KBS が技術
リングループのシステム設計における,全体
的な助言を行い,事業会社側が意思決定を行
のデザインやアーキテクチャの管理 23)という
う関係へと変化したことは,ユーザーとして
点でも非常に重要と考えられる。
の事業会社の現場における知識やノウハウ,
業務プロセスをより反映したシステム開発を
3.成果
可能にしていると考えられる。実際に,KBS
これまでグループの機能分担会社として,
と事業会社は日常的にコミュニケーションを
IT に関するいわゆるシェアード・サービスと
とっており,特に最大の事業会社であるキリ
グループ全体の情報システムの戦略企画の役
ンビールに対しては,KBS がキリンビールの
割を担う,KBS の取り組みを確認してきた。
企画部門との窓口専任の担当者を置き,以前
KBS では,標準的なシステムをシェアード・
同じ社内の情報システム部門が情報システム
サービスとして提供し,個別仕様のシステム
の戦略・企画機能を担っていた時よりも,コ
に関しては経営戦略との一貫性を維持する取
ミュニケーションがより頻繁で密になってい
り組みを行っている。2007 年 7 月以降の経営
る側面があるという 24)。
体制の変更による,コスト削減や競争優位性
(3)パフォーマンス向上への取り組み
の獲得といった成果が明確になるのはまだ先
また以前より事業会社の情報システム投資
のことだと考えられるが,いくつかの好まし
に対する費用対効果の要求がより厳しくなっ
い変化が確認できている。
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ていることに対応し,KBS 自身もパフォーマ
ス機能」,及びグループ内の情報システムに横
ンスの向上に力を入れている。KBS ではコス
串を通す「戦略企画機能」の提供を通じて,
トセンターでありながら,独自に戦略マップ
グループ全体としての最適化に貢献すること
の策定と成果指標の設定を行っており,内部
が期待されている。
顧客である事業会社から自社に期待される機
実際に KBS は,現在キリンビールをはじめ
能を十分に発揮できているのかを評価する取
とするグループ全体の,組織,取引先,社員,
り組みを徹底している。さらに KBS 社員の賞
商品等のマスタデータの統合を 2009 年までの
与もそれら業績評価に連動している。
計画で進めており,今後シェアード・サービ
例えば同社が運用するサービスへのユーザ
スとして提供される間接業務システムや SCM
ー満足度に関しては,各事業会社との間で
改革の基盤として利用される予定である 25)。
SLA と呼ばれる,サービス水準に関する約束
これらのグループ会社や部門に散在していた
を結んでおり,目標達成度とユーザーからの
膨大なデータベースを,コード体系の定義や
定性的評価で成果を測定している。SLA の内
標準化を行うことで統合し,また設計・登
容は,例えば対象アプリケーションやサービ
録・運用に関するルールを新たに定め,マス
ス時間帯,障害件数,障害が発生した場合の
タデータの管理体制を整備することは,グル
復旧時間などに関する一般的な項目であるが,
ープの全体最適を行っている証左である。
KBS では 2008 年から別途目標を掲げ,サー
またキリングループでは,グループ全体で
ビスレベルを向上させるための目標管理の指
SCM を最適化する取り組みも進められており,
標として利用している。具体的には,前年よ
新たな業務プロセス実現には当然情報システ
り大規模障害件数をより低く抑えることや,
ムの構築が前提となるため,KBS も SCM 再
運用に要する工数の削減等を,今年の目標と
編に初期段階から参画し,検討を行っている。
して設定し,その達成水準を一つの成果指標
従来は特に SCM や物流システムに関しては,
とすることを試みている。また開発プロジェ
業界におけるベストプラクティスと想定する
クトに関しては「SI 満足度調査」として,主
ものを複数企業に横展開することが外部の IT
に品質,納期,生産性の 3 つを中心に,ユー
ベンダーの強みと考えられてきた。しかし
ザー側から見た開発プロジェクトにおける
KBS では,より具体的な現場レベルの情報の
KBS のパフォーマンス評価を,ウェブアンケ
活用までを実践する際には,やはり外部の IT
ートやヒアリングを通じて定期的に実施して
ベンダーには困難な部分があり,そこが機能
いる。
分担会社としての強みでなければならない,
と考えている 26)。
(3)全体最適の実現
4.課題と取組み
これまで確認してきたように,キリングル
ープの機能分担会社となった KBS には,効率
KBS では,ユーザーの業務プロセスやニー
的な「オペレーション機能」の提供だけでな
ズを KBS が理解し,またユーザーに IT の理
く,より高度な「プロフェッショナルサービ
解やリテラシーを高めてもらうこと,すなわ
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ち IT による業務改善を推進するための人材育
しては,外部ベンダーにアウトソーシングす
成が,自社の持続的な強みの発揮に関連する
るか,自社情報システム部門が担うかという
重要な課題であると認識している。そのため
外注か内製かの二者択一の段階を経て,自社
KBS の採用では,グループ内の各業務を理解
情報システム部門を子会社することにより擬
し,プロジェクトをマネジメントする能力や
似的なアウトソーシングを行うという選択肢
提案力などが,IT スキル以上に重視されてい
が加わり,多様化してきている。
る。また事業会社との人的交流も活発に実施
本稿の発見物は,まず,KBS の事例が,IT
され,事業会社にある程度 IT リテラシーの高
を企業グループ内でのシェアード・サービス
い人材が配置されているほか ,IT あるいは
化させることにより,グループとしての経営
業務知識を身につけるために,双方の社員が
上の資源展開の最適化を図ることにおける,
出向して研修を行っている 28)。
効率化及びパフォーマンスの向上という両方
27)
同時に,現場の抱える問題を掘り起こし,
の成果を同時に上げつつあるということがあ
IT による業務改善のアイディアを提案する能
る。さらに事業会社という内部顧客に対して,
力も求められるようになったことを受け,
KBS がコストセンターという位置づけであり
KBS では,個人の提案スキル向上のための
ながら,IT に関連する計画策定に積極的に関
「提案力強化研修」や,優れた提案事例を共有
与することにより,戦略提案を行っているこ
するチームサイトの作成,半年ごとの「提案
とである。
コンテスト」も実施している。キリングルー
シェアード・サービスは組織としての全体
プ全体が取り組むバランスドスコアカードに
最適の中で出てきた概念であり,実際に導入
よる目標管理においても,KBS の 1 つの KPI
されてきているが,情報システムがシェアー
(Key Performance Indicator)として提案数
ド・サービスとして提供される場合,情報シ
を採用している。
ステムとしての最適化と組織としての最適化
の整合性という問題が生じることになる。
笘――― 結論およびインプリケーション
KBS では,経営戦略をふまえつつ,グルー
プ会社に共通する情報戦略と IT のサービス提
キリングループは,純粋持ち株会社制への
供を一元的に担うことで,機能分担会社とし
移行をきっかけとして,事業会社の戦略企画
ての役割を果たしている。グループの組織の
を含む情報システムに関する機能を,機能分
あり方としての全体最適が図られていると同
担会社である KBS へと集約し,シェアード・
時に,IT の方針を示しつつグループ会社の情
サービスとして各社に提供する体制へと大き
報システムに標準化と統合を実現し,また各
く変化した。本稿では,KBS の事例に焦点を
社のシステム化計画に積極的に関与すること
当てることにより,情報システムの調達にお
でシステムの整備に関する時期的な整合を図
ける戦略性について,シェアード・サービス
り,情報システムの全体最適を実現している
という調達の態様に注目し,その有効性と課
ことが示された。
題について検討を行った。企業の IT 調達に関
経営戦略上,企業グループが組織としての
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全体最適化をめざす場合に,同時に経営行動
されている組織形態は現在のところ稀である。
を支援する IT も整合的な最適化を目指さねば
思い切った機能分担会社への情報システムの
ならないことになり,また情報システムの最
機能の集約化は,グループ全体の経営戦略や
適化自体と組織上の最適化との一致が図られ
グループ会社の個別戦略との乖離の問題が発
ねばならない。Feeny and Willcocks(1998)
生するという懸念が通常生じる。ところが,
は,CIO 及び情報システム部門の中心となる
本事例では,ホールディングス側やグループ
能力として,ビジネスと IT のビジョンの整合
会社との密なコミュニケーションへの傾注努
性をとること,IT アーキテクチャの設計によ
力により,むしろグループ全体且つ各グルー
る技術基盤の方向性決定,情報システムのサ
プ会社における戦略との整合性を増す好結果
ービスの向上という 3 つを示した。
につながっている。システム化の計画と IT の
本事例におけるキリングループにおいては,
サービスの提供を集約的に担うことで,まず
これらの 3 つの能力について機能分担会社化
IT のインフラや基幹システムの統合が加速す
された KBS を通じて遂行している。1 つ目の
るという効果を生む。さらに,情報システム
ビジネスと IT のビジョンの整合性について,
に従事する社員の責任感が増すことからモチ
KBS の戦略企画機能によりグループ全体の中
ベーションも上がり,積極的な内部顧客への
期計画をふまえたグループにおける IT の方向
提案につながる,という好循環を生む可能性
性を示しつつ,各グループ内企業の戦略策定
が示されたと考えられる。
に関与しながら,全体の整合性をとっている。
IT の技術的な最適化と経営戦略における組
2 つ目の IT アーキテクチャについては,KBS
織の全体最適化とは不可分であり,企業グル
が主導的にグループ内の IT のインフラや情報
ープの経営戦略と整合的な情報システムの展
システムに関する将来の技術潮流を見据えた
開を全体最適の視点から戦略的に実行する組
IT アーキテクチャの設計を担う。3 つ目の IT
織の役割設定が重要性を持つことが指摘され
のサービス向上について,グループ会社向け
る。ここで,情報システム部門をシェアー
のコンサルティング活動により,IT の技術的
ド・サービス化するに際し,どのような役割
な担保を前提とした事業ニーズに合わせた情
を期待した位置づけとするかが,経営戦略上
報システムの継続的な改善,スコープ計画書
の課題となる。つまり,位置づけを,コスト
にみるグループ会社との情報システムの変更
センターとするのか,プロフィットセンター
や新規の開発計画の策定支援を行い,情報シ
とするのかが重要性を持つ。
ステムのサービスの向上を積極的に実行して
KBS では,システム開発における売上や利
いる。
益といったプロフィット責任を示す量的な目
一般的に,これらの 3 つの能力は,本社の
標は設定されていない。キリンビールの情報
情報企画部門,グループ会社の情報システム
システム子会社という位置づけであった時代
部門,情報システム子会社により分散されて
には,プロフィットセンターとしてシステム
保持されている企業が多く,機能分担会社に
の外販も行っていたが,2007 年 7 月以降は売
戦略企画機能や IT サービス提供を含めて集約
上や利益の目標は廃止され,ユーザー部門と
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SLA を締結しサービス品質の管理が行われて
つの有効な組織のあり方を示していると考え
いる。プロフィットセンターとして位置づけ,
られる。
外販することにより競合ベンダーと同程度の
価格設定やパフォーマンスを維持させるとい
謝辞
う選択肢もあるが,本事例では,あえてコス
本稿の執筆にあたり,キリンビジネスシス
トセンター化することにより,パフォーマン
テム株式会社の代表取締役社長 長谷川 慎
ス上の効果を生み出していることが確認され
氏,取締役 経営企画部長の小原 覚氏より,
た。KBS がプロフィットセンターではなくグ
インタビューおよび問い合わせを通じて情報
ループ全体のコストセンターとして位置付け
提供にご協力を頂いた。心よりお礼申し上げ
られることになった背景には,情報システム
たい。
に関する業務を一元的に担う機能分担会社と
本研究は,神戸大学大学院経営学研究科専
して,KBS にオペレーション機能以上の戦略
門職大学院修了者および博士課程在籍者らに
的な役割が期待されていることが指摘できる。
より構成される「N & A 研究会」の活動成果
まず,業務プロセスに関する知識やノウハウ
の一部である。
を含んだ,プロフェッショナルサービス機能
注
1)「キリンビール,情報産業に本格参入―電算機シ
ステム会社設立」,『日経産業新聞』,1988 年 6 月 1
日,15 ページ。
2)キリンビール株式会社広報部社史編纂室編(1999)
『キリンビールの歴史〔新戦後編〕』,キリンビール
株式会社,pp.224-225.
3)キリンビール株式会社広報部社史編纂室編(1999)
『キリンビールの歴史〔新戦後編〕』,キリンビール
株式会社,pp.224-225.
4)「第 1 部流通が変わる(4)ビール各社,鮮度・品
質保持競う(動きだす戦略物流)」
,
『日経流通新聞』,
1998 年 5 月 7 日,2 ページ。
5)「抜本的な効率化が環境を守る∼キリンビール∼」
,
@IT 情報マネジメント,2008 年 3 月 21 日
(http://www.atmarkit.co.jp/im/cits/serial/greeninter/01/01.html)
6)「
【WPC Expo】キリンビールのサプライチェーン
による企業戦略を佐室常務が講演」
,Nikkei BP net,
1999 年 9 月 10 日
(http://www.nikkeibp.co.jp/archives/081/81653.html)
7)「ビール各社の物流子会社合併構想(動きだす戦
略物流)」,『日経流通新聞』,1999 年 3 月 11 日,2
ページ。
8)「第 5 部工場外に利益の源泉(4)一次産品も電子
調達(ITsIT 製造業)終」,『日経産業新聞』,2000
年 6 月 16 日,28 ページ。
の提供が期待されている。KBS には,単なる
既製のパッケージシステムの効率的な導入に
留まらず,現場の業務プロセスを理解し,企
業戦略や既存のビジネスモデルへの適合性を
考慮した取り組みが求められる。加えて,グ
ループ全体及び各事業会社の情報戦略の策定,
業務プロセスの標準化によるグループ全体の
最適化の実現を含んだ,戦略企画機能の提供
も,KBS に期待される役割なのである。つま
り,内部顧客に対して,提供価値をいかにし
て高め,グループ内での存在意義を高めてい
くかという緊張感を保持できることが,KBS
の,グループ内のインターナル・アウトソー
シングの成功要因と考えられる。
グループ会社や組織という内部市場に対す
る,戦略企画の機能を含めた新たな形態の IT
のシェアード・サービスは,従来の技術や情
報システムの標準化によるコスト効率化の要
請と,事業の現場の知識を取り込んだ効果的
な情報システムの開発の要請を調整する,一
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9)「プロマネへの道 塚田雅一さん ㈱キリンビジ
ネスシステム」,ザ・プロジェクトマネージャーズ
(http://www.promane.jp/career/2006/12/000531.h
tml)
10)
「キリンビール/荒井克一氏 経営と緊密に連携
した IT 戦略が,新たな付加価値を持つ商品を生む」
,
『CIO マガジン』,2004 年 2 月号。
11)キリンビジネスシステム株式会社,取締役経営企
画部長 小原覚氏インタビュー,2008 年 3 月 6 日。
12)
「人材に求められる新たな役割情シス子会社の人
材育成,もう教育だけではだめ」
,@IT,2008 年 9
月5日
(http://www.atmarkit.co.jp/news/200809/05/juas.
html)
13)キリンビジネスシステム株式会社,取締役経営企
画部長 小原覚氏インタビュー,2007 年 7 月 9 日。
14)キリンビジネスシステム株式会社,取締役経営企
画部長 小原覚氏インタビュー,2007 年 7 月 9 日。
15)キリンビジネスシステム株式会社,取締役経営企
画部長 小原覚氏インタビュー,2008 年 3 月 6 日。
16)キリンビジネスシステム株式会社,取締役経営企
画部長 小原覚氏インタビュー,2007 年 7 月 9 日。
17)例えば,人事給与関係などの共通業務のシェアー
ド・サービスは,別の機能分担会社である「キリ
ンビジネスエキスパート」によって展開されてい
るため,システム費用は,KBS からキリンビジネ
スエキスパートに一括請求され,キリンビジネス
エキスパートは自社の人件費等とあわせてシステ
ム費用を内部顧客である事業会社に請求する,と
いう二段階で提供されている。
18)キリンビジネスシステム株式会社,取締役経営企
画部長 小原覚氏インタビュー,2008 年 3 月 6 日。
19)キリンビジネスシステム株式会社,取締役経営企
画部長 小原覚氏インタビュー,2008 年 3 月 6 日。
20)キリンビジネスシステム株式会社,取締役経営企
画部長 小原覚氏インタビュー,2007 年 7 月 9 日。
21)例えば,2010 年から開始される中期計画の情報戦
略では,共通ルール,共通インフラ,個別アプリ
ケーションなど,それぞれのテーマに関して KBS
が方向性を示している。
22)キリンビジネスシステム株式会社,取締役経営企
画部長 小原覚氏インタビュー,2007 年 7 月 9 日。
23)実際に KBS の組織には,標準化を推進するための
サブグループがあり,インフラ関係では,「インフ
ラ技術管理グループ」,「PMO(Project Management Office)グループ」が情報システムの開発プ
ロジェクト管理の標準化の役割を担っている。こ
のような標準化の取り組みは,従来キリンビール
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という会社単位の範囲内でなされていたものでは
あるが,2007 年 7 月の組織改編を機に,その対象
がグループ全体へと拡張されたのである。
24)キリンビジネスシステム株式会社,取締役経営企
画部長 小原覚氏インタビュー,2008 年 3 月 6 日。
25)
「HOT NEWS キリン,グループ全体のマスター
統合に着手」,『日経コンピュータ』,2007 年 9 月 17
日,15 ページ。
26)キリンビジネスシステム株式会社,取締役経営企
画部長 小原覚氏インタビュー,2008 年 3 月 6 日。
27)キリンビジネスシステム株式会社,取締役経営企
画部長 小原覚氏インタビュー,2008 年 3 月 6 日。
28)キリンビジネスシステム株式会社,取締役経営企
画部長 小原覚氏インタビュー,2008 年 3 月 6 日。
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1988 年米国ミシガン州立大学大学院,コミュニケー
ション研究科修士課程修了。
1993 年神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課
程退学
横浜市立大学商学部専任講師,助教授,神戸大学大
学院経営学研究科助教授を経て,2004 年より現職。
吉田 満梨(よしだ まり)
神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程 在
学中。
1980 年 岩手県生まれ
2003 年 立命館大学 国際関係学部卒業
2006 年 神戸大学大学院経営学研究科博士課程前期
課程修了 修士(商学)
依田 祐一(よだ ゆういち)
神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程/株
式会社 情報通信総合研究所 主任研究員。
1971 年東京都生まれ。1996 年 日本電信電話株式会
社(NTT)に入社後,ソフトウェアの研究開発部門,
事業会社のソリューションサービス部門を経て現職。
2006 年 神戸大学大学院経営学研究科博士課程前期
課程修了 修士(経営学)
。
南 知惠子(みなみ ちえこ)
神戸大学大学院経営学研究科 教授。博士(商学)
19
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