報道関係各位 プレスリリース 2015年 9月11日 株式会社日本香堂 尾木ママ×日本香堂、シルバーウィークを前に共同検証 墓参り・仏壇参りで 子どもの「やさしさ」に有意差! ~『子ども達の「供養経験」と「やさしさ」の関係性』調査~ 薫香トップメーカーの株式会社日本香堂(本社:東京都中央区、代表取締役社長:小仲正克)では、シル バーウィークにより例年以上に多くの帰省・墓参が見込まれる2015年秋のお彼岸を前に、このたび全国の 中学・高校生1,236名を対象に『子ども達の「供養経験」と「やさしさ」の関係性』調査を実施。その結果概要 を発表しました。 本調査は、尾木ママこと教育評論家・尾木直樹氏が、長年にわたる〈いじめ問題〉の調査研究の中から得 た洞察、すなわち『供養行為に対する子ども達の経験頻度と彼等のやさしさの度合には強い関係性がある はず』との仮説を聞きつけ、当社が共同検証を申し入れたことに始まり、尾木氏の指導・監修の下、設計・ 実施が進められたものです。 調査の結果に対して、尾木氏からは、『教科書や口頭だけの「徳目」的な道徳教育の強調よりも、具体的 に祈る「行為」の力の方が、確実に子どもたちのなかにコンパッション(やさしさ・思いやり)を醸成し、高める ことを暗示している』とのコメントが寄せられています。 【調査概要】 ■ 調査対象 : 全国 中学1年生~高校3年生(12~18歳)の男女生徒 1,236名 ■ 調査時期 : 2015年8月 ■ 調査方法 : インターネット調査 ※保護者・本人双方の同意および保護者の影響が入らない本人単独による回答環境の担保を 条件に徴募・実施。 1 【調査結果サマリー】 《供養行為の実態》 ①中高生の墓参り頻度…3 中高生の墓参り頻度…3人に …3人に2 人に2人は 『年1回』以上と習慣化 ●『年に2回以上』30%、『年に1回』35%と、少なくとも年1回は墓参りに行くのを習慣としている中高生は、 3人に2人(65%)と大勢を占める。【図1】 ②仏壇に接してのお参りは… ②仏壇に接してのお参りは…『毎回』 毎回』が4割、『 割、『時々』 時々』が4割弱 ●自宅に仏壇のある層の「ほぼ毎日」と非保有層の「(祖父母・親類宅へ)行くたびに必ず」の仏壇参りを 括った『毎回』群は全体の41%を占め、『時々』の37%、『しない』の21%を押さえての多数派に。 【図2】 《他者へのコンパッション(やさしさ・思いやり)自己評価》 ③他人のトラブルから距離を置く… 他人のトラブルから距離を置く…冷淡な自分を否めない多くの中高生 冷淡な自分を否めない多くの中高生 ●〈他者への冷淡さ〉に関する中高生の自己評価では、過半数が他人のトラブルから距離をおき、身を 遠ざけようとする自分のクールな内面を否定しきれず。 【図3】 ④同伴者・相談者までは踏み込めない… ④同伴者・相談者までは踏み込めない…行為乏しき中高生の“やさしさ” 行為乏しき中高生の“やさしさ” ●〈他者への理解・共感〉に関する中高生の自己評価では、「弱者への寄り添い」や「親身な相談」等、 積極的な援助行動には大多数の中高生が尻込みの観。 【図4】 《供養頻度とコンパッション(やさしさ・思いやり)の関係性》 ⑤墓参り「年 ⑤墓参り「年1 「年1回以上」か、それ未満か… 回以上」か、それ未満か…両群間で 両群間で〈他者へのコンパッション〉 他者へのコンパッション〉に統計学的有意差 に統計学的有意差 ●墓参頻度別の2群間で比較した〈他者への冷淡さ〉否定率と〈他者への理解・共感〉肯定率に統計学 的有意とされる多くの差を確認。 【図5・6】 ⑥仏壇参り「毎回」か、それ未満か ⑥仏壇参り「毎回」か、それ未満か… 参り「毎回」か、それ未満か…両者間でも 両者間でも〈 でも〈他者へのコンパッション〉 他者へのコンパッション〉に統計学的有意差 に統計学的有意差 ●仏壇と接する機会あるたび習慣的に合掌・礼拝する『毎回』群とその他2群との間で比較した〈他者へ の冷淡さ〉否定率と〈他者への理解・共感〉肯定率に、統計学的有意とされる多くの差を確認。【図7・8】 ⑦習慣的な行為を通じて意識化・内面化される「供養の理由」 ⑦習慣的な行為を通じて意識化・内面化される「供養の理由」…子ども達のコンパッション醸成 子ども達のコンパッション醸成 つながる可能性 可能性も につながる 可能性 も ●墓参「年1回以上」と仏壇礼拝「毎回」の群はいずれも他群に比べ、多項目にわたり「供養の理由」を より肯定的に捉える傾向に。【図9・10】 コンパッション (Compassion) とは… 近年、神経科学や心理学、心理セラピー等の分野において注目を集めつつある概念であり、 日本語でいう「やさしさ」や「思いやり」に該当し、学術的には「自己そして他者の苦しみを取り 除こうとする深い慈しみを伴った感受性」と定義される。 《本件に関するお問い合わせ先》 株式会社 日本香堂 マーケティング部 (担当 : 吉野 / 澤谷) 〒104-8135 東京都中央区4-9-1 TEL : 03-3541‐3473 . FAX : 03-3541‐3579 E-MAIL : [email protected] (吉野) [email protected] (澤谷) 2 ■ 中高生の墓参り頻度…3人に2人は 『年1回』以上と習慣化 家中みんな揃っての墓参り ―― かつては日本中どこでも見かけた家族行事の眺めですが、当世の中 高生ではどのくらいが墓参りに行っているのでしょう? 彼等に墓参の頻度を尋ねたところ、『最近は行って いない』23%、『今まで行った覚えがない』10%に対し、『年に2回以上』30%、『年に1回』35%と、少なくとも年に 1回は墓参りに行くのを習慣としている子ども達が3人に2人(65%)と大勢を占めていました【図1】。 【図1】 お墓参りに行く頻度 (全体ベース:n=1,236) 不明 2.3 行った 覚えが ない 年に2回 以上 10.4 最近は 行って いない 30.3 年1回以上の 習慣的墓参は 65%と大勢 22.6 年に1回 34.5 男女別にみると、『年に2回以上』の墓参率では男子が女子をやや上回っており(男:33%>女:28%)、掃 除・草取り・水汲み等、力仕事の役割を買って出て(あるいは見込まれて)のことと推察されます。また中学 生より高校生の方が『年に1回』以上の墓参率が高い(中:62%<高:68%)のは、祖父母との死別というライ フステージ要因とも考えられます【表1】。 【表1】 お墓参りに行く頻度 (性別・学校別) 全体ベース (n=1,236) 年に2回 以上 年に1回 最近は 行った覚え 行っていない がない 不明 n数 2. 3 合計 1 ,23 6 30.3 34.5 22.6 10.4 2.6 男子 618 32.5 31.7 22.3 10.8 性別 1.9 女子 618 28.0 37.2 22.8 10.0 2.8 中学生 618 高校生 618 27.5 34.1 25.7 9.9 学校 1.8 33.0 34.8 19.4 11.0 3 ■ 仏壇に接してのお参りは…『毎回』が4割、『時々』が4割弱 次に、仏壇への合掌・挨拶といった「仏壇参り」について、中高生に実践頻度を訊いてみました。彼等のう ち自宅に仏壇があるのは25%と極めて限られた層になることから、残りの非所有層には祖父母・親類宅の 訪問時の仏壇参りについて回答を求め、保有層-非保有層の両者を統合し、仏壇に接する機会に際して の礼拝頻度を集計いたしました。 保有層の「ほぼ毎日」と非保有層の「行くたびに必ず」を括った『毎回』群は全体の41%を占め、『時々』の 37%、『しない』の21%を押さえての多数派となっています【図2】。 【図2】 仏壇に挨拶・合掌する頻度 (全体ベース:n=1,236) 不明 2.3 しない 毎回 20.5 40.6 仏壇に接する たび「毎回」の 習慣的礼拝は 41%と多数派 時々 36.7 男女別にみると、『毎回』の礼拝率では女子が男子より優勢を見せており(男:37%<女:44%)、その背景 には女性の役割とされてきた〈家のおつとめ〉の長い歴史があると考えられます。一方、中学—高校間には それほど大きな差は認められませんでした【表2】。 【表2】 仏壇に挨拶・合掌する頻度 (性別・学校別) 全体ベース (n=1,236) 毎回 時々 しない 不明 n数 2. 3 合計 1 ,23 6 男子 618 40.6 36.7 20.5 2.3 37.2 39.3 21.2 性別 2.3 女子 618 中学生 618 44.0 34.0 19.7 2.4 41.9 34.6 21.0 38.7 19.9 2.1 学校 高校生 618 39.3 4 ■ 他人のトラブルから距離を置く…冷淡な自分を否めない多くの中高生 近年、神経科学や心理学、心理セラピー等の分野において、「コンパッション」という概念が注目を集めつ つあります。コンパッションは、日本語でいう「やさしさ」や「思いやり」に該当し、学術的には「自己そして他 者の苦しみを取り除こうとする深い慈しみを伴った感受性」と定義されるものです。本調査では、子ども達 の「やさしさの度合」を測定する方法に、この概念をテーマとする先行研究で開発された「中学生用 他者へ のコンパッション尺度(※1)」の援用を試みています。具体的には、〈他者への冷淡さ〉と〈他者への理解・共 感〉を表現した各8項目ずつ計16項目の文言それぞれについて、自分の考えや態度がどの程度あてはまる か、5段階での自己評価を求めました。 〈他者への冷淡さ〉に関する中高生の自己評価を示したものが【図3】です。他者の悩み事に対し「そんな の知らないよ」と突き放すような冷淡さを自らに認めることは、辛うじて半数(51%)が“否”と回答しています が、それ以外の項目では過半数が他人のトラブルから距離をおき、身を遠ざけようとする自分のクールな内 面を否定しきれずにいます。 【図3】 「他者への冷淡さ」に関する自己評価 (全体ベース:n=1,236/5段階SD法) 「冷淡さ」否定 全体ベース (n=1,236) 「冷淡さ」肯定 どちらかと どちらで そうではない いえば、 もない (そう思わない) そうではない (わからない) (そう思わない) どちらかと いえば、 そうである (そう思う) そうである (そう思う) 2.3 誰かがその人の悩みについて話す時、 「そんなの知らないよ」と感じる 14.0 36.7 33.3 13.8 2.3 誰かが私にトラブルについて話す時、 私はたいてい聞き流している 9.0 35.7 40.2 12.9 1.7 私はたくさんつらい経験をしている 人を避けようとする 9.9 28.7 私は他人が抱える問題に興味がない 7.4 52.8 28.6 47.6 6.9 3.6 12.8 2.0 誰かが落ち込んでいるのを見た時、私はその人に 6.1 手をさしのべることはできないと感じる 28.5 48.5 14.8 2.2 打ちのめされたような人に対して、 私は冷たいことがある 7.6 25.6 51.5 13.1 1.4 誰かが困っている時、その人たちと心から 5.2 気持ちのつながりを感じられない 他の人の心配事についてあまり考えない 4.3 24.7 22.1 59.6 49.6 9.1 19.8 4.2 いじめ問題の頻繁化・長期化を招く要因のひとつに「傍観者」の増加が問題視されていますが、その土壌 を垣間見せる、彼等のコンパッションの実状といえそうです。 ※1 仲嶺実甫子・甲田宗良・伊藤義徳・佐藤寛 (2015). 中学生用他社へのコンパッション尺度の作成と信頼性・妥当性の検討 第2号, 2015. pp15-23 関西大学『社会学部紀要』 第46巻 5 ■ 同伴者・相談者までは踏み込めない…行為乏しき中高生の“やさしさ” さらに〈他者への理解・共感〉に関する彼等の自己評価を【図4】に示します。「誰しも時には落ち込む」 「完璧な人などいない」といった人間の弱さに対する理解、「人の話に耳を傾ける」「辛い人を気に懸ける」 の対人的配慮については過半数が自らに認めるところですが、「弱者への寄り添い」や「親身な相談」等、よ り積極的な援助行動には彼等の多くが尻込みしている様子が窺えます。 【図4】 「他者への理解・共感」に関する自己評価 (全体ベース:n=1,236/5段階SD法) 「共感性」肯定 全体ベース (n=1,236) そうである (そう思う) 「共感性」否定 どちらかと いえば、 そうである (そう思う) どちらかと どちらで いえば、 そうではない もない そうではない (そう思わない) (わからない) (そう思わない) 1.5 誰しも時には落ち込む。それは 人間であることの一部だ 22.8 5.5 31.6 38.6 2.0 誰かが私に話かけてきたら、 しっかり耳を傾ける 13.0 27.4 47.2 10.3 1.3 誰もが弱さを抱えていて完璧な人などいない、 ということを認めることは大切なことだ 38.0 18.6 6.2 35.8 2.5 もし誰かが辛い時を過ごしていたら、 私はその人を気にかけておこうとする 10.4 34.3 43.1 9.6 1.4 誰かが悲しみを感じている時、 私はその人を慰めようとする 45.1 36.7 8.7 8.2 1.3 私には他の人と違うところがたくさんあるが、誰でも 私と同じように苦しみを感じることを知っている 33.5 9.3 47.2 8.7 2.4 誰かが困っている時、私はその人 のためにそばにいたい 8.3 31.6 46.9 10.7 2.3 困り事の相談にのる時、私は 5.5 粘り強く話を聞く方だ 23.9 51.0 17.3 誰からも救いの手が差し伸べられない孤独感がいじめ被害者をさらに追いつめる構図を想像しますに、今 の中高生のコンパッション水準は事態をさらに深刻化させる温床との懸念も持たれます。 6 ■ 墓参り「年1回以上」か、それ未満か… 両群間で〈他者へのコンパッション〉に統計学的有意差あり 続いて、本調査のテーマである『子ども達の「供養経験」と「やさしさ」の関係性』仮説を検証すべく、まず 墓参頻度で『年に1回』以上か、それ未満かの2群に分け、〈他者への冷淡さ〉の否定率および〈他者への理 解・共感〉の肯定率についてクロス集計を行ったところ、【図5・6】に示す通り、両群間で〈他者へのコンパッ ション〉に大きな差が確認される結果となりました。 〈他者への冷淡さ〉を測る全8項目において、年1回以上の“習慣的墓参”群とそれに満たない群との間で、 自己の冷淡さを否認する率に6~10pt.の差が生じ、うち7項目では統計学的有意が認められました。 【図5】 墓参頻度別にみる「他者への冷淡さ」否定の割合 (墓参「年1回以上」:n=800 / 「年1回未満」:n=408) 0 誰かがその人の悩みについて話す時、 「そんなの知らないよ」と感じる 10 20 30 40 50 60 70 54.1 「そうではない」+「どちらかと いえば、そうではない」の割合 ** 44.6 47.4 誰かが私にトラブルについて話す時、 私はたいてい聞き流している 40.0 * 41.3 私はたくさんつらい経験をしている 人を避けようとする 33.8 * 38.5 私は他人が抱える問題に興味がない 31.9 * 年1回未満 37.9 誰かが落ち込んでいるのを見た時、私はその人に 手をさしのべることはできないと感じる 年1回以上 ** 29.2 35.4 打ちのめされたような人に対して、 私は冷たいことがある 29.4 * 31.9 誰かが困っている時、その人たちと心から 気持ちのつながりを感じられない 26.5 28.4 他の人の心配事についてあまり考えない 22.3 * ※比率の差の検定(両側)により、「*」は危険率5%水準、「**」は1%水準 で 統計学的有意差が確認された項目。 7 また〈他者への理解・共感〉を測る全8項目においても、墓参頻度別の2群間で肯定率に3~8pt.の差が生 まれ、うち4項目が統計学的有意差とされました。 【図6】 墓参頻度別にみる「他者への理解・共感」肯定の割合 (墓参「年1回以上」:n=800 / 「年1回未満」:n=408) 0 誰しも時には落ち込む。それは 人間であることの一部だ 10 20 30 40 50 60 70 64.1 「そうである」 「そうである」+「どちらかと である」+「どちらかと いえば、そうである」 いえば、そうである」の割合 である」の割合 * 57.6 62.3 誰かが私に話かけてきたら、 しっかり耳を傾ける 57.4 58.1 誰もが弱さを抱えていて完璧な人などいない、 ということを認めることは大切なことだ 54.7 54.8 もし誰かが辛い時を過ごしていたら、 私はその人を気にかけておこうとする 51.7 48.0 誰かが悲しみを感じている時、 私はその人を慰めようとする * 40.7 年1回以上 45.6 私には他の人と違うところがたくさんあるが、誰でも 私と同じように苦しみを感じることを知っている 37.3 ** 年1回未満 42.3 誰かが困っている時、私はその人 のためにそばにいたい 35.8 * 31.3 困り事の相談にのる時、私は 粘り強く話を聞く方だ 26.2 ※比率の差の検定(両側)により、「*」は危険率5%水準、「**」は1%水準 で 統計学的有意差が確認された項目。 8 ■ 仏壇参り「毎回」か、それ未満の「時々」「しない」か… 両者間でも〈他者へのコンパッション〉に統計学的有意差 さらに仏壇参りについても礼拝頻度を『毎回』 『時々』 『しない』の3群に分け、〈他者へのコンパッション〉 の群間比較を行った結果、機会あるたび習慣的に手を合わせる『毎回』群とその他2群との間には統計学的 有意とされる多くの差が確認できました【図7・8】。 【図7】 仏壇礼拝の頻度別にみる「他者への冷淡さ」否定の割合 (仏壇礼拝「毎回」:n=502 / 「時々」:n=453 / 「しない」:n=253) 0 10 20 30 40 50 60 70 56.6 誰かがその人の悩みについて話す時、 「そんなの知らないよ」と感じる 「そうではない」+「どちらかと いえば、そうではない」の割合 48.8 * ** 43.9 48.8 誰かが私にトラブルについて話す時、 私はたいてい聞き流している 43.3 40.7 * 41.0 38.0 35.2 私はたくさんつらい経験をしている 人を避けようとする 41.0 ** * 32.7 32.8 私は他人が抱える問題に興味がない 38.6 誰かが落ち込んでいるのを見た時、私はその人に 手をさしのべることはできないと感じる 32.9 30.4 毎回 時々 * しない 36.3 打ちのめされたような人に対して、 私は冷たいことがある 31.3 31.2 31.1 29.8 28.1 誰かが困っている時、その人たちと心から 気持ちのつながりを感じられない 31.9 他の人の心配事についてあまり考えない 22.3 24.1 ** * ※比率の差の検定(両側)により、「*」は危険率5%水準、「**」は1%水準 で 統計学的有意差が確認された項目。 9 【図8】 仏壇礼拝の頻度別にみる「他者への理解・共感」肯定の割合 (仏壇礼拝「毎回」:n=502 / 「時々」:n=453 / 「しない」:n=253) 0 誰しも時には落ち込む。それは 人間であることの一部だ 10 20 30 40 50 60 70 64.7 60.0 60.9 「そうである」 「そうである」+「どちらかと である」+「どちらかと いえば、そうである」 いえば、そうである」の割合 である」の割合 64.1 誰かが私に話かけてきたら、 しっかり耳を傾ける 59.2 57.3 59.2 57.0 53.4 誰もが弱さを抱えていて完璧な人などいない、 ということを認めることは大切なことだ 57.2 もし誰かが辛い時を過ごしていたら、 私はその人を気にかけておこうとする 52.1 51.4 49.8 誰かが悲しみを感じている時、 私はその人を慰めようとする * 43.3 42.7 46.6 私には他の人と違うところがたくさんあるが、誰でも 私と同じように苦しみを感じることを知っている 41.5 毎回 * 37.5 時々 45.6 誰かが困っている時、私はその人 のためにそばにいたい 38.0 33.2 * ** しない 34.7 困り事の相談にのる時、私は 粘り強く話を聞く方だ 25.8 26.5 ** * ※比率の差の検定(両側)により、「*」は危険率5%水準、「**」は1%水準 で 統計学的有意差が確認された項目。 以上のことから、尾木氏が提起した『供養行為に対する子ども達の経験頻度と彼等のやさしさの度合には 強い関係性があるはず』との仮説は、本調査結果をもって支持されたと確信いたす次第です。 10 ■習慣的な行為を通じて意識化・内面化される「供養の理由」 …子ども達のコンパッション醸成につながる可能性も より頻繁な墓参り・仏壇参りが、子ども達の〈他者へのコンパッション〉向上に関係するとは、一体どのよ うな力学が働いてのことでしょう? 本調査では、彼等に「供養行為の理由」についても訊いており、その回 答を墓参り・仏壇参りそれぞれの頻度別に比較検討を行いました【図9・10】。 その結果、墓参「年1回以上」と仏壇礼拝「毎回」の群はいずれも他群に比べ、多項目にわたり「供養の理 由」をより肯定的に捉えている傾向が確認されました。特に墓参頻度の比較においては「先祖への感謝」 「毎日の無事を祈る」等で、仏壇礼拝の場合は「自分にとっての習慣」で顕著な差を示しています。 【図9】 墓参頻度別にみる「供養行為の理由」 (「墓参」あるいは「仏壇礼拝」実践者ベース、「無答」を除く / n=1,132) 50 ** 年1回以上 40 年1回未満 ** 30 20 ** ** ** ** ** 10 ** ** ** ** 0 っ 仏 様 に お 参 り す る た め な自 分 てに いと る たて め習 慣 に 毎 日 の 無 事 を 祈 る た め お 願 い 事 を す る た め 当生 然き のて 義い 務る で人 あと る し たて め 1 ,1 3 2 42.1 38.7 27.8 16.6 13.4 10.6 10.0 8.5 800 43.3 41.9 29.8 17.5 15.8 12.5 11.3 10.1 332 39.5 31.0 23.2 14.5 7.8 6.0 6.9 ** ** ** ** ** ** [比率の 全体 + 10ポイント 全体 + 5ポイント 全体 - 10ポイン 気 が す る た め よそ く れ なを いし こ な と い が と 起 き る 落自 ち分 着の く 気 た持 めち が 安 ら ぎ 打悩 ちみ 明事 けが るあ たる め時 持自 つ分 たを め振 り 返 る 時 間 を 6.3 5.7 2.7 2.6 7.5 6.9 3.3 3.0 4.5 3.3 3.0 1.5 1.5 ** ** ** ** ** 、 こ う とれ が し あい る時 たや め報 告 し た い 、 全体 - 5ポイント っ 表先 す祖 たに め感 謝 の 気 持 ち を 、 言父 わ母 れ た祖 た父 め母 か ら n=30以上の場合 n数 墓参 年1回以上 頻度 年1回未満 検定結果 ※比率の差の検定(両側)により、「*」は危険率5%水準、「**」は1%水準で 統計学的有意差が確認された項目。 11 【図10】 仏壇礼拝の頻度別にみる「供養行為の理由」 (「墓参」あるいは「仏壇礼拝」実践者ベース、「無答」を除く / n=1,137) 50 * ** ** 毎回 40 ** 時々 * 30 ** ** しない 20 ** ** ** ** ** * * 10 * * ** 0 っ 毎 日 の 無 事 を 祈 る た め お 願 い 事 を す る た め 当生 然き のて 義い 務る で人 あと る し たて め 1 ,1 3 7 42.0 38.9 27.7 16.7 13.5 10.5 10.0 8.4 502 43.2 45.4 30.3 28.7 18.1 12.4 13.9 11.8 453 44.2 37.5 27.4 8.6 11.0 9.9 7.9 182 33.5 24.2 21.4 3.8 7.1 6.6 * * * ** ** * ** ** * ** ** * [比率の 全体 + 10ポイント 全体 + 5ポイント 全体 - 5ポイント 全体 - 10ポイン こ う とれ が し あい る時 たや め報 告 し た い 気 が す る た め よそ く れ なを いし こ な と い が と 起 き る 落自 ち分 着の く 気 た持 めち が 安 ら ぎ 打悩 ちみ 明事 けが るあ たる め時 持自 つ分 たを め振 り 返 る 時 間 を 6.2 5.9 2.8 2.6 7.8 7.4 4.8 2.8 6.0 5.1 5.7 1.1 2.9 4.4 5.5 4.9 2.2 1.6 1.6 ** ** ** * 、 な自 分 てに いと る たて め習 慣 に 、 仏 様 に お 参 り す る た め っ 表先 す祖 たに め感 謝 の 気 持 ち を 、 言父 わ母 れ た祖 た父 め母 か ら n=30以上の場合 n数 毎回 仏壇 礼拝 時々 頻度 しない 検 定 結 果 毎回-時々 毎回-しない 時々-しない ** * ※比率の差の検定(両側)により、「*」は危険率5%水準、「**」は1%水準で 統計学的有意差が確認された項目。 以上の結果を踏まえた考察から、子ども達の中で、「先祖」をはじめとする目に見えない対象への感謝や 畏敬の念が、墓参り・仏壇参りといった習慣的な行為を通して意識化され、内面化され、それが〈他者へのコ ンパッション〉の涵養にもつながっているとの可能性が浮かび上がり、我が国の家庭文化として、長きにわ たり個人の人格形成や精神的成熟に寄与してきた「供養」の役割に対する再認識・再評価を現代社会に迫 る、今回の仮説検証であり得たと思料するものです。 * * * 本調査の指導・監修をつとめた尾木直樹氏からは、今回の結果分析に関して、次のコメントが寄せられて います。 12 「コンパッションを醸成する祈りの力」 法政大学教職課程センター長・教授、教育評論家 尾木直樹(尾木ママ) 近年の「終活」ブームで、葬儀やお墓、仏壇の存在意義や意味づけが大きく変化してきている。2013年の調 査(株式会社インブルームス調べ)でも、仏壇がない家は60.8%にも上るという。 本調査は、お墓参りや仏壇に手を合わせるといった経験や習慣のある子どもは、他者に対するやさしさや思 いやりがより深いのではないか、という仮説の検証を目的としている。 長年に亘るいじめ問題の調査研究を進めるなかで、子どもたちの「コンパッション」1 (自他へのやさしさ・思い やり)を醸成し高めるためには、日常の各家庭に根付いている“習慣・文化”の中に何かヒントがあるのではな いかと感じており、今回は株式会社日本香堂と共同で、お墓参りや仏壇に手を合わせるといった「行為」に着 目。中高生を対象に調査を実施した。 1.調査結果考察 調査結果から大きく二点に注目したい。 第一には、お墓参りや仏壇に手を合わせる頻度によって、「他者へのやさしさ」に対する自己評価にかなりの 差が認められる点である。 「誰かがその人の悩みについて話す時、『そんなの知らないよ』と感じる」という項目において、お墓参りを 年1回以上すると答えた子の54.1%が「そうではない」「どちらかといえば、そうではない」と回答。お墓参りを年 1回もしない子は、44.6%なので9.5ポイントの差がついた。同項目では、自宅もしくは祖父母・親類宅で仏壇 に接した時、「毎回手を合わせる」子と「手を合わせない」子でも比較したところ、12.7ポイントの差がついてい る。 年に1回以上お墓参りに行き、仏壇にも毎回手を合わせるという子どもは、友だちなどから悩み事を聞いた 時に「他人事とは思えない」と思わず親身になって耳を傾けている様子が窺える。 また、「誰かが困っている時、私はその人のためにそばにいたい」という質問では、毎回仏壇に手を合わせる 子では45.6%が「そうである」「どちらかといえば、そうである」と回答。他方、仏壇に手を合わせない子は 33.2%に止まり、12.4ポイントの差がついた。仏壇に手を合わせるという「行為」を通じて、他者への理解・共感 が内面化されている可能性が高いと言えよう。 第二には、スピリチュアルなものに対する眼差しの違いである。 本調査結果では、年に1回以上お墓参りに行く子は、「先祖に感謝の気持ちを表すため」(41.9%)や「毎日 の無事を祈るため」(15.8%)にお墓参りに行くと回答している。“デジタルネイティブ”と呼ばれる現代の子ども たちが、「先祖」という目にみえない対象に対して、感謝の気持ちを持って手を合わせているというのは、不思 議な気もする。「父母や祖父母から言われたため」(43.3%)という理由だけでは、説得力に欠ける。特に反抗 期只中の中高生にあってはお墓参りに行かない、仏壇に手を合わせない、という選択肢も当然ありうるだろ 13 しかしながら、本調査では、3人に2人は年に1回以上お墓参りに行き、自宅もしくは祖父母・親類宅で仏壇に 接した時、約4割の子が毎回仏壇に手を合わせていることが明らかになった。 おそらく、そこには毎日仏壇に手をあわせ、折々に墓参りをする両親や祖父母らの存在があるのではないだ ろうか。本調査でも、半数を超える子が父母を「尊敬」し、4割強の子が父母を「生き方の手本」と回答してい る。そのことからも、子が親を生き方のモデル、いわば“教師”として日々の「行為」を模倣し自分の心に内面化 していることは明らかである。そして、先祖といった目に見えないスピリチュアルなものに対する畏敬の念が、家 庭の中に文化として息づいていることが推察される。 2.調査結果分析 「祈る」とは国語辞典によれば「自分の力ではどうしようも無い時に」神仏の力にすがって、よい事が起こるよ うに、願う」こと、「他人の上によい事が起こるように、心から望む」こととされている。脳科学者の中野信子によ れば、「祈りは『未来をよい方向に変えようとする営み』であり(中野2011、p45)」、「大切な誰かを思うとき、心が その人への愛情にあふれるとき、脳内にはオキシトシンが多量に分泌されてい」ると述べている(中野2011、 p34)。 また、私たちの脳は「他者との共生ということを大きく志向して」おり、「人を愛し、人のために尽くすことに大 きな喜びと幸福を感じ」るのだという(中野2011、p.6)。つまり、「祈る」という行為は単なる宗教行為として捉え られがちだが、脳の活性化や免疫力向上などにつながる有益で理にかなった科学的行為でもあり、祈ること でコンパッションを醸成し、高めることは脳科学的にみても間違いなさそうである。 仲嶺実甫子らの研究によれば、「自他への思いやりや慈しみの態度を示す概念」にコンパッションがあり、 「コンパッションの向上を目的とした介入を学校現場に応用する取り組みが試みられて」いるという。本調査で は仲嶺らの開発した中学生のコンパッションを測定する尺度を用いて、祈りの行為とコンパッションの関係を 考察した。統計学的にみて、お墓参りや仏壇に手を合わせる行為の頻度と、コンパッションの高低には有意差 があることが確認できた。さらに、中野の脳科学的な見解とあわせてみた時、本調査結果が指し示すように、 日常的な祈りの行為は「脳と心にもさまざまなプラスの影響を及ぼすこと」、またこれらの知見は教科書や口頭 だけの「徳目」的な道徳教育の強調よりも、具体的に祈る「行為」の力の方が、確実に子どもたちのなかにコン パッションを醸成し、高めることを暗示しているのではないか。 近年、家制度が薄れ、少子高齢化が進展するなかで、お墓参りや仏壇に手を合わせるなどの行為そのもの が疎かになりつつある。本調査では、そうした社会状況にあってもなお、お墓参りに行き、折に触れ仏壇に手 を合わせる子どもたちが少なからずいること、そしてその行為が頻繁で日常化されていればいるほど、他者へ のやさしさや思いやり、換言すれば、コンパッションが高くなる傾向にあることが示された。 しかしながら、子どものコンパッションを醸成し高めるためにお墓参りに行く、というのでは本末転倒であろ う。「祈る」という行為の根底にある豊かな家族関係や、各家庭に根付いている習慣・文化は一朝一夕にでき ることではないが、日々の生活の中で意識的に「祈る」ことで脳に「プラスの刺激を日々与えつづけ」ると(中野 2011、p56)、コンパッションが高まり、幸福感が高まっていくことは確かなようである。 まずは、家にお仏壇があるなら、家族一緒に、毎日手を合わせて「祈る」ことから始めてみるのはどうだろう か。 14 【引用・参考文献等】 1)一条真也(2010)『ご先祖さまとのつきあい方』双葉新書 2)ロバート・コールズ(1998)『モラル・インテリジェンス』(常田景子訳)朝日新聞社 3)中野信子(2011)『脳科学からみた「祈り」』潮出版社 4)クリスティーン・ネフ(2014)『セルフ・コンパッション』(石村郁夫・樫村正美訳)金剛出版 5)有光興記(2014)「セルフ・コンパッション尺度日本語版の作成と信頼性、妥当性の検討」『心理学研究』第85巻第1号 pp.50-59 6)仲嶺実甫子・甲田宗良・伊藤義徳・佐藤寛(2015)「中学生用他者へのコンパッション尺度の作成と信頼性、妥当性の 検討」関西大学『社会学部紀要』第46巻第2号 pp.15-23 7)株式会社インブルームス(2013)「仏壇に関する意識調査」 〈http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000010.000003074.html〉(最終アクセス2015年9月11日) 1 「自他への思いやりや慈しみの態度を示す概念」であり、本稿では「自他へのやさしさ、思いやり」の意味で使用する 【調査監修者プロフィール】 尾木 直樹(おぎ・なおき) 法政大学教職課程センター長・教授。教育評論家、臨床教育研究所「虹」所長。1947年滋賀県生まれ。 早稲田大学卒業後、私立海城高校、東京都公立中学校教師として、22年間子どもを主役としたユニーク で創造的な教育実践を展開、その後大学教員に転身。それらの成果は今日まで200冊を超える著書(監 修含む)、ビデオソフト、映画類にまとめられている。 【会社概要】 ■ 会 社 名 : 株式会社 日本香堂 ■本 社 : 東京都中央区銀座4-9-1 ■創 業 : 天正年間 ■設 立 : 1942年 ■ 事業内容: お線香・お香・香関連商品(インテリアフレグランス)を中心とした香り商品の製造・販売。 ■ U R L : http://www.nipponkodo.co.jp/ 15
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