マダガスカル ピックボビー登頂ツアー報告 マダガスカル島はアフリカ大陸の東側のインド洋上に浮かぶ米粒の形のように見える島 である。形は米粒でも大地は大きい。世界で 4 番目に大きな島で日本の 1.6 倍の広さがあ る。近隣の洋上にはモーリシャスやセーシェルといった魅力的なリゾートが散りばめられ ている。 人口は 2 千万程度といわれるが住民登録のない国民が多く正確には分からない。住みや すい中央高地にはマレー系の人々が住み付き、主として南の海岸帯にはアフリカ系黒人が 多く住む。世界地図の印象ではアフリカの一部のようなイメージがあるが、むしろアジア 色が強い。言語も文化もアジアの色合いで中央高地には見事な棚田が形成され、主食であ る米を賄っている。棚田で腰を折って田植えをしている女性たちを見ていると東南アジア にいるような錯覚を覚える。 マダガスカルといえば、誰しも横っ飛びをするなど珍妙な猿や逆さまに植わっているよ うなバオバブの並木をイメージするだろう。太古の時代に大陸移動が起こり、諸大陸が形 成される過程でマダガスカル島もアフリカ大陸から分離したと言われており、そのため動 植物に固有なものが多く残った。南部のトゥリアーラで訪れたアンツカイ植物園では 80% がマダガスカル固有種であるとの説明があった。今回ツアーをしてみて、このような大地 の成り立ちがマダガスカルの魅力の源であり、島大陸と呼ばれるような独特な魅力を示し ているのだと思った。 今回のツアーでは、猿やバオバブを見物するだけでなくマダガスカル第 2 の高峰ピッグ ボビー峰(2658m)に登って、そのトレッキングでマダガスカルの大自然に迫ろうという 狙いであったが、見事な棚田の集落の奥にビッシリと岩峰群が密集しており、標高はさし たることはないものの実に独特な山であった。登山したエリアにも多種のキツネザルが棲 息するのだが見ることは絶対にできないとのことであった。猿を見たのは国立公園や動物 園など管理されたエリアや宿舎の庭のみであり、何らかの人の手がかかっている(餌付け など)のである。 登山を組み込んだことで実に味わい深いツアーになったものと思う。この登山エリアは 国立公園になっておりフランス人などがよく登山に訪れるようであるが、地元ガイドの話 では、日本人は初めてではないかとのことであった。ひょっとしたら日本人初登頂?と皆 で快哉をあげた。 日程 2012 年 10 月 2 日(火)~13 日(土) 参加人数 17 名(女性 10 名、男性7名) 12 日間 上村紀子、小林佳子、石山賀代子、佐藤登代子、倉井登代、前美智子、 長百合子、田中恵美子、辻橋明子、市川正、古市進、山下秀一、高場正明、 (集会委員)三井吉代江、高橋聡、山田茂則、高橋努 1. 10/2 アンタナナリブ(タナと略す)~ 10/4 アンパラヴァウまで 空路はバンコク経由で 16 時間半、さすがに遠い。深夜に島の中心部にある首都タナに 到着。マダガスカルの第一歩を踏む。 タナは標高 1400mの中央高地にある。インドネシアなどから移住した人々や一時占 領していたフランス人はマラリア蚊を恐れ、蚊がいなくて快適な中央高地に住み付い たという。出発前にガイドから「マダガスカルはアフリカに近く熱帯のイメージがあ るが現地は高地で涼しい。乾季の終わりで言わば春先なのでむしろ寒いくらいである。 まして山中は 5 度~6 度になる。防寒対策はくれぐれも怠らず」と注意を受けていた通 り涼しくて快適である。実は後日の登山では猛暑に苦しむことになるのだが。 翌日から長躯 900 キロのバス旅が始まる。タナから島の中央部を縦断するサザンク ロス街道をひたすら走る旅だ。この幹線道路は全舗装でスピードも上がる。町を抜け てしまうと後は右も左もどこまでも農村地帯が続く。急峻な山もないのだが平野でも ない。緩やかな斜面を実にしっかりと棚田が築かれている。この時期は、まだ一面の 枯野状態であるが、一部では、はしりの田植えが始まり、ジャカランタも開花時期を 迎えている。日本だと 3 月~4 月といったところか。四季の日本では想像しにくいが、 雨季、乾季の 2 シーズン制の国なので雨+緑と晴+枯野と際立っているのである。 街道筋には手工芸品の露店や、なぜかハイネケンやコカコーラの空缶を利用したミ ニカーの露店もある。手先が器用なのだろう。この国はもともと無人島だったので歴 史が浅く、いわゆる名所旧跡の類が極めて少ない。見所はほとんど自然景観である。 従ってバスも止まることが少ない。やや背の高い草薮を見つけてはトイレ休憩となる。 女性たちにはご苦労だが、さすが日本山岳会女性軍団はたくましい。 この国は、マレー系のメリナ王朝が長く統治し、一時フランス領にあったものの 1960 年 6 月 26 日に独立宣言を成し遂げた。その間、東海岸地域で流血もあったようだが壮 絶な独立戦争を経たわけでもないようである。共和国として自立の道を歩んできたよ うであるが、経済レベルは低く、輸出品はバニラ、カカオ、海産物程度で多くは輸入 に頼る状況で貧富の差も激しい。今は暫定大統領で、上手くいけば来春に大統領選挙 が行われるかもしれないとのこと、政情も不安で展望も明るいとは言えない。しかし、 人々は明るく陽気でフレンドリーである。貧困からの脱却を心から願いながら、この 国の人々がどのような国を望んでいるのかに思いを馳せたものである。 途中の町でワイナリーを訪れた。驚いたのは樽がコンクリート製である。どうも熟 成させるという考えはないようで、4 年もの以上はない。お世辞にも旨くはないが、お 値段は1瓶 200 円ほどだから文句も言えない。フランス人が文化を伝承した国なので 食べ物やワインは旨いかと期待していたが、フランスパン以外は期待はずれであった。 通貨はアリアリ(Ar)であるが、1000Arで 40 円程度。だいたい 1 万Ar札を使 う。買物をするとすぐ何十万Arになってパニックになってしまう。 バスで 2 日間で 500 キロ強を走り登山口の町アンパラヴァウに到着した。 2. 10/5 アンパラヴァウ~ ピックボビー峰登頂~ 10/8 ラヌヒラまで まずはランドクルーザー7 台に分乗してアンパラヴァウの町を抜けて山に分け入っ て行く。凹凸の激しいダートな道をゆっくりと進んでいくと岩山が迫ってきてワイル ドな世界になっていく。何だかワクワクしてくる。国立公園に入り登山口に到着。ラ ンチの後、ゆるやかな道を登って行く。前方にはピックボビーの岩峰群が連なってい る。3 時間余りの登行で予定のBC手前のキャンプ場でキャンプ設営。さすがに夜は冷 え込んだ。 ピックボビー峰アタックの日は快晴。BC予定キャンプ場を過ぎて本格的な登りに 入ると強烈な日差しの洗礼を浴びる。きつい登りに猛烈な暑さで気持ちも萎える。ひ たすら我慢で一歩づつ前へ、上へ。大きな岸壁の下までが勝負でその後は傾斜もゆる くなり風も通るようになり一同元気を取り戻す。累々とした岩の塊を登り詰めると大 きなケルンのある山頂(2658m)である。熟年者には少々厳しい登山だったが 10 名が 山頂に立った。 翌日のトレッキングは下り基調なのだが結構長く、また暑い。最後の車道歩きでヘ ロヘロになり宿泊先のバンガローに到着。水よりは冷たいビールで乾ききった喉を癒 した。3 日間のキャンプによる登山であったが、こんな場所でなければ大勢のクライマ ーがチャレンジするのではないかと思うような立派な岸壁を見上げながらなかなかチ ャレンジングな登山であった。マダガスカルという多様性のある自然環境を満喫する ことができた。バスでイサロ国立公園のラヌヒラまで走る。 3. 10/9 ラヌヒラ滞在~ トゥリアーラ~ 10/10 空路タナまで イサル国立公園はマダガスカルのグランドキャニオンと呼ばれるそうだが、スケー ルはともかくとして岩山や赤茶けた草原、深い森など多彩な自然のエリアである。こ のエリアに多種のキツネザルが棲息し、珍しい植物がある。森に入っていくとさっそ くキツネザルに遭遇。樹上で食事中か。遠くの高木で盛んに木を飛び移っている奴も いる。マダガスカルの野性を垣間見ることができた。 トゥリアーラはマダガスカル島の南端に近い海岸の町である。ラヌヒラからトゥリ アーラへ向かっていくと自然環境が厳しくなる。荒れた草地が続き、バオバブの姿が 見られる。この辺りには田畑はない。当然、生活は貧しい。かなり貧しい。どんどん 高度を下げていくと海が見えてくる。トゥリアーラは海の化石といわれるシーラカン スの町でもある。昔は平気でシーラカンスを食していたようである。国内航空でタナ へ戻る。 4. 10/11 タナ滞在~ 10/13 帰国まで タナに戻るとさすがに活気が違う。新興の中華街なども凄い人出だ。郊外の植物園 やカメレオンパーク、キツネザルパークなどを訪れ、マダガスカル特有の動植物を堪 能した。カメレオンが舌で餌を取るスピードは、どうやってもデジカメのシャッター スピードでは間に合わなかった。 最後の晩餐ならぬ最後のランチは高級なクレオール料理に舌鼓を打って旅の仕上げ とした。今回のツアーを通してガイドしてくれたジョゼさんの挨拶があったが、大変 流暢な日本語でマダガスカルのPRを兼ねて立派な挨拶であった。彼は、大学で経済 を学んだが就職先がなく、語学をマスターしてガイド業を営んでいる。博覧会の通訳 で日本にも行ったし、政府の通訳として日本から石油買付に来る商社マンとも仕事を するとのこと。さらに、動植物の研究者のガイドも多いため学習に励んでいて「これ は夾竹桃の仲間です」なんてことを次々と繰り出す。こんな高齢者集団が遠路はるば る登山に来る(しかも猛暑の中、登頂してしまう)ことにどんな思いでいるのだろう。 キツネザルやバオバブも興味深いが、やはりそこに生きている人々に最も深く興味を 感じるのは私だけではないだろう。 帰路、バンコク経由で成田に降り立ち、一気に時計の針が進むのを感じた。 集会委員会 高橋 努 記
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