20100616 桜美林大学国際学研究所 狩猟民プナン、アニミズム、多自然主義 奥野克巳 1.プナン、ザ・ハンター ・マレーシア・サラワク州のブラガ川流域に半定住する、狩猟を主生業とする約 500 人のプナン(Penan)における フィールドワーク ・2006 年度学外研修、2007 年以降年 2 回計 6 回の補充調査(春・夏) 2.動物と人間の関係の民族誌 ・プナンにとって、食の禁忌はない。 イノシシ、シカ、マメジカ、ブタオザル、カニクイザル、リーフモンキー、 テナガザル、サイチョウ、ヘビ・・・ ・「雷複合(thunder complex)」(東南アジア島嶼部に広がる観念と実践) フォース:「その複合の中心には、禁止事項、とりわけ、動物の扱い方を含む禁止事項 が、嵐を招き、その結果として、洪水や稲妻によって、ときには、石化によって罰を与えられる という考えがある」 ・動物に対する人間の間違った振舞いが、雷雨や大雨、洪水などを引き起こすと考えられている。人間の間違っ た振舞いに怒った動物の魂が天空へと駆け上がり、 雷神にその怒りを届け、 雷神の怒りが雷鳴となって鳴り響き、 雷雨や大水を引き起こすと考えられている。そうした天候激変に対しては、それが起きた時点でそれを鎮めるた めに祈願の言葉が唱えられ、また、動物に対して間違った振舞いをしないために、禁忌が実践され、人間と動物 の間の近接が禁止されてきた(「動物をあざ笑うべからず、さいなむべからず」) ・【ある禁忌】:buang(マレーグマ)→pengah、kuyat(カニクイザル)→lurau、bangat(リーフモンキー)→nyakit、 kelavet(テナガザル)→itak、medok(ブタオザル)→umeng、payau(シカ)→lenge、telauu(オオマメジカ)→penyan、 pelano(マメジカ)→bilun、kuai(セイラン)→ juit mekeu(座る鳥)・・・のように、しとめられ獲物は、別名で呼 ばれなければならない。動物の別名になぜ言及するのかと彼らに問うと、そうしなければ名前を呼ばれた動物の 魂が怒って、天空高く雷神のもとを訪れ、それに呼応して、雷神は、雷雨や大水などの天候の激変を引き起こす からなのだという。 ・【プナンにとっての動物】;動物とヒトは見かけが違っていても、それほど違いはない。解体してその内部を 覗いてみるならば、動物も人間も同じように心臓 、脳、肝臓 をもっている。それゆえにクネップ=心をもって いる。→ 動物は、人間と同じように再帰的な主体なのではないか? 3.アニミズム、多自然主義から西洋思考を再考する ・上に述べたプナンの動物と人間について考えるための手がかり: ①アニミズム:×タイラー流の人間の自然への投影/○デスコーラらのアニミズム論 ②パースペクティヴィズム(観点主義):アニミズムのより深いヴァージョン ③多自然主義:自然と社会(物質と精神)という西洋の二元論を乗り越えるため ・デスコーラは、(世界に関する情報をもたない仮説的な)主体が、自身と世界のなかの対象との間の差異と類 似を発見する仕組みを「同定化の様式」と呼んで、人類にとって普遍的な、身体性(physicality)と内面性(interiority) に拠りながら、4 つの同定化の様式による思考実験を行っている。非人間の対象との関係が身体性+/内面性+ であるとき<トーテミズム>。<アニミズム>とは、神や祖霊などの霊現象が想定されている場合、そうした非 人間的存在は、人間と内面性を共有していると見ることができるような様式のことで、身体性-/内面性+。< 自然主義>とは、人が非人間の対象をマテーリア(物質)であると捉えて、それに内面性を認めないよう様式の ことで、身体性+/内面性-。<類推主義>とは、想定されている非人間が、身体性-/内面性-。 ・プナンにとって、人間と動物はともに魂をもち、内面的に類似。そこでは、魂をもつことにより、人間と非人 間が同じ主体的存在、一つの主体として立ち現われる。その主原則が崩れることがないように動物をめぐる禁忌 が行われ、人間と動物の近接が禁止されていた。そうした考え方は部分的に、「単一の文化、多数の自然」から成 る「多自然主義(multinaturalism)」の考え方に近い。 ・アメリンディアンのパースペクティヴィズム(perspectivism)=身体性-/内面性+のアニミズムの極 Whilst our constructionist epistemology can be summed up in the Saussurean formula: the point of view creates the object -the subject being the original, fixed condition whence the point of view emanates – Amerindian ontological perspectivism proceeds along the lines that the point of view creates the subject: what is activated or “agented” by the point of view will be a subject. 見ることが主体を生み出す=人間だけでなく、動物、精霊もまた主体 ・多自然主義とは、人間と非人間が等しく主体=文化であることをベースにして、「単一の自然、多数の文化」 から成る「多文化主義(multiculturalism)」という知の枠組みの組み換えに開かれている。多文化主義とは、自然と いう共有世界を想定し、文化は多様だとする、欧米近代に主流の考え方である。「西洋の多文化主義が公共政策 としての相対主義なら、アメリカ先住民の観点主義者のシャーマニズムは、宇宙論的なポリティクスとしての多 自然主義である」。多文化主義では、それぞれの文化の主体である人間同士が交渉し、一方、多自然主義では、 人間、動物、精霊などがそれぞれ主体的存在として社会宇宙を構成し、交渉にあたる。 ・自然と社会(物質と精神)の二元論は、単一の自然を想定し、社会を構成する人間主体だけに精神を与えてき た。これまでのところ、人間だけに精神を与えるような考え方を批判的に乗り越えるために、人間と非人間を同 位のアクターとして位置づける理論が提起されてきている[ラトゥール 2008]。そうした理論的課題の検討状況を 見やりながら、人類学者はこれまで、多文化主義から出発することで、そのバイアスによって、人間と非人間が、 同じように主体であるような多自然主義的な状況について語りうる方法をもち合わせてこなかったのではないだ ろうか。 ・人間と非人間(動物、精霊、無生物・・・)を同列に扱って、人間中心主義(anthropocentrism)を乗り越える道はあ るのか?=Quiet revolution in anthropology 【参考文献】 Forth, Gregory 1989 “Animals, Witches and Wind: Eastern Indonesian as the Thunder Complex”, Anthropos 24:89-106. Descola, Philippe 2006 “Beyond Nature and Culture”, Proceedings of the British Academy 139: 137-155. ラトゥール、ブルーノ 2008 『虚構の「近代」:科学人類学は警告する』、川村久美子訳、新評論。 レヴィ=ストロース、クロード 奥野克巳 1972 『構造人類学』荒川幾男訳、みすず書房。 2010 「ボルネオ島プナンの『雷複合』の民族誌:動物と人間の近接の禁止とその関係性」、中野麻 衣子+深田淳太郎共編『人=間の人類学:内的な関心の発展と誤読』はる書房。 Viveiros de Castro, Eduardo 1998 “Cosmological Deixis and Amerindian Perspectivism” , Journal of the Royal Anthropological Institute, n.s. 4(3): 469-88.
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