2006/8/4(Fri) MOTION BLUE YOKOHAMA JOE ZAWINUL & THE ZAWINUL SYNDICATE Joe Zawinul(syn) Aziz Sahmaoui(vo.per) Alegre Correa(g.vo) Linley Marthe(b) Nathaniel Townsley(ds) Jorge Bezerra(per) 今年は雨が多くて、暑い日も少ないなあ、などと思っていたら、やはり8月ともなると暑いですね。筆者 は8月の4日から夏休みに入りました。もともとここから取ろうと思っていたわけではないのですが、周り の予定とのバランスを考えていくと、どうもここで取るのが無難であろうということでそうしたものの、4 日のモーションブルーは珍しく1ヶ月くらい前から予約していて、当然そのときは会社帰りに寄るつもりで いたからセカンドで入れたのでありました。休むんだったらファーストでもよかったなあなどと思いつつ、 また家人の白い眼に見送られつつ、休暇の初日の午後5時過ぎには家を出て、現地に向かったのでありまし た。ちょっと寄り道して6時半過ぎに整理券をもらったら28番でありました。その後は8時半頃まで床屋 に行ったり本を読んで時間を潰し、入店したのでありました。しかし外は暑かった。 さて、ザビヌルといえば、何と言ってもウェザー・リポート(以下「WR」)でありましょう。WRの音 楽については、簡単に片づけられるものではないのだが、70年代から始まるフュージョンの時代に最も創 造的な演奏を繰り広げたバンドであった、といえるのではないかと思う。初期のアルバムは、マイルスの「イ ン・ア・サイレントウェイ」の延長的な印象を受ける(もっともこのアルバムはマイルス名義とはいえ、ザ ビヌルのアルバムと言ってもよいくらいである)が、ベースのミロスラフ・ヴィトウスが抜けたあたり(ザ ビヌルがファンキーな音楽をやりたくてヴィトウスを追い出した、とも言える)からファンク色が前面に出 てくる。WRのベーシストはその後アルフォンソ・ジョンソンを経てあのジャコ・パストリアスになる。ジ ャコが在籍当時のWRが出したアルバムはどれも素晴らしい。このバンドの音楽はいわゆるフュージョンと して分類されるのだが、フュージョンと言うには重すぎるくらいの重厚で広がりのある音がつまっている。 ジャコが脱退後、4枚ほどのアルバムを出して解散に至るのだが、ジャコ脱退後のアルバムだって相当の高 レベルである。筆者は1984年のWR来日公演を名古屋の愛知厚生年金ホールで見た。ちょうど、「ドミ ノ・セオリー」が出たときのツアーだったのであるが、メンバーは、ザビヌル、ウェイン・ショーター(s ax)のほか、オマー・ハキム(ds)、ビクター・ベイリー(b)、ミノ・シネル(per)という5人 であった。恥ずかしながら筆者は、ここで初めてWRの生音を聴くまで、このバンドはスタジオでの多重録 音でアルバムを作りこんでいるものだとばかり思っていた。「ヘビー・ウェザー」「ブラック・マーケット」 「ウェーザー・リポート」といったアルバムは何度も聴いていたが、どうも作られた音楽のように思えてな らなかったのである。ところが、その誤解は生音を聴いて一発で氷解した。いったいこれは本当に5人だけ で演奏しているのかい?オーケストラみたいじゃないか、と思ったものだ。ジャコがいるWRじゃなきゃね え、などと思っていた自分を恥じたものである。そんなわけで筆者はジャコが抜けた後のアルバムもかなり 好きである。アルバムについては後段でまた触れることにしよう。 この日のセカンドはいつもの9時半から15分ほど遅れてのスタートとなった。観客は若い人もそこそこ いたが、筆者よりも上と思われるそれなりのトシの人が多い。おそらくはWRを現在進行形で聴いてきた人 が多いのであろうと推察する。 ザビヌル以外のメンバーについては筆者は予備知識なしであったが、ザビヌル・シンジケートのアルバム は数枚所有しており、だいたいどんな音が出てくるのかは予測はできた。しかして出てきた音はそれはもう アルバム以上に圧倒的で躍動的なものであった。とにかくリズムの洪水だ。ドラムとパーカッションが作り 出すビートをベースが下支えし、その上にシンセサイザーがあのザビヌル独特のフレーズを乗っけていく。 WRだったらここにさらにショーターのサックスがあるのだが、その代わり(?)にボーカルを多用してい た。ボーカルといっても、歌詞を強調したものではなく、楽器として声を使っている、という感じだ。ちょ うどパット・メセニーが使うように。 曲は聴いたことのないものがほとんどだったが、WRの「プロセッション」に入っている「two lin es」をやった。ベースが実にタイトでかっこよかった。それと、何かの曲の中で「black marke t」のメロディが出てきた。あと、「ドミノ・セオリー」に入っていたような感じの曲もあったが、いずれ もおそらくはザビヌルの曲なのだろうから、曲想が似ていても不思議ではない。しかし、このバンドが何と いう曲を演奏したか、ということを話すのはほとんど無意味ではないかと感じる。このバンドにとって曲は あくまで演奏の材料にすぎないであろう。勿論曲があるから演奏形態も決まるわけで、演奏のためのルール なしでこんな演奏はできっこないだろうが、曲という枠組み(ルール)の中で自由に各人がソロをとってい るかのようで、しかしそれでも統一感がある、という感じはまさにWRと同じではないかと思った。演奏を 見ていて印象的だったのは、メンバー全員が皆演奏中ザビヌルの方を見ている、ということだ。次はどんな フレーズが繰り出されるのか、ということを注視しているであろうことは勿論だろうが、いつどこから誰が ソロをとるのか、ということをその場その場でザビヌルが指示しているのである。ソロをとらせようとした メンバーがステージ袖に降りていて大声で呼び戻される場面もあった。そういうことがあると演奏に間が開 いてしまうものだが、このバンドの場合はリズムだけ聴いていても十分濃密なので、1コーラスくらい間が 開いても全然気にならないのである。とにかくリズムが凄まじい。聴いている方も自然とリズムを取りはじ めてしまう。これはもうダンス・ミュージックではないか。 メンバーについては、有名人はいない、といってよいであろう。筆者は以前はスイング・ジャーナル、ジ ャズ・ライフ、ジャズ批評といったジャズ誌をくまなく読んでいたのだが、社会人になってから、特にこの 10年くらいは全く読んでいないから、新しいミュージシャンの情報には疎くなってしまってはいるが、そ れでもそれなりに知っているつもりである。しかし、この日のメンバーで知っている名前はいなかった。で もメンバーの技量は相当なものだ。こういう若い才能を見つけてくるのもザビヌルの才能であろう。どうい う出身の人たちなのかはよく知らないが、あの尋常ではないリズムの躍動と独特のボーカルはおそらくはア フリカのものだと思われる。 まずベース。このバンドにはあのリチャード・ボナもいたくらいである。それにザビヌルはジャコだとか ビクター・ベイリーといったベーシストとやってきた人である。その人が適当なベースで満足するわけがな い。予想通りかなり「やばい」べーシストだ。この人はそのうちあっちこっちから声がかかってくるのでは ないか(もうそうなのかもしれないが)と思う。ベースラインはタイトで低音。かなりかっこよかった。 この日のMVPは、といえば、右奥にいたパーカッションであろう。歌って、踊れて、芸達者な人だった。 何故か黄色のヘルメットをかぶっている姿は、道路の夜間工事で働いている外国人労働者のように見えるの だが、いったいこの人はいくつの道具を用意しているのだろうと思わせるほどの多種類の楽器で、どんな音 でも出しまっせ、という感じ。ビートをたたき出すだけではない、鳥の声だとか、風の音みたいな音を次々 と出してくる。人込みの雑踏の中にいるみたいな感じや森の中にいるみたいな雰囲気も音で表現しているよ うに思えた。それにしてもよく働く。サッカーで言えば90分間労を惜しまずフルに走り続けるボランチみ たいな感じ。ギターとのかけあいでは、タンバリンを右肩から首の後ろを通して左肩をすぎたところまでこ ろがしてポーンと上へあげて手に取る、というパフォーマンスまでやってのけた。大道芸人としても十分通 用するだろう。 ドラムはパーカッションの影に隠れるような感じではあったが、ソロ的な演奏のようにも聴けてしまうほ ど多彩な音を出すパーカッションの後ろでベースとともにリズムを支えていた。派手さはあまりないが堅実 な感じ。 もう一人のパーカッションは、パーカッションというよりはボーカルとして買われているのだろう。アフ リカンテイスト(と感じたが、南米かな?)たっぷりのボーカルを聴かせてくれた。 ギターは演奏よりも顔が印象に残った。筆者が勤務する会社に、かつていたおっかない役員に顔に似てい る、と思った。2曲ほどでソロをとり、なかなかかっこよかったのだが、やはり顔の方が印象的だ。 そしてザビヌル。シンセサイザーから繰り出されるフレーズは、まさにこの人だけのものだ。WRで出し ていた音と同じだ。少しは落ち着いたのかと思ったが、74才にしてこの元気。恐れ入りました。時折聴衆 に向かって両手を広げる姿は「どうだい、オレのバンドは。すげえだろ」とでも言いたいように見えた。そ れと嬉々としてメンバー紹介する姿はちょっと意外だった。84年のWRのときは、ボゴーダーを通して「ド ラムス、オマーハキム~」とかいう感じで全然愛想もへったくれもなかった。こういうところは年をとって 少し柔らかくなったのかもしれない。 演奏はちょうど90分。11時15分に終わった。筆者はミュージシャンが引き揚げてくる通路際の席だ ったので、ザビヌルと握手することができた。大きな手だった。 この日の演奏を聴いて筆者が改めて感じたのは、ザビヌルという人のどう表現してよいか分からない一種 の特異性である。この人の音楽はいったいどこから来たのだろう。「○○のような」という○○が思い付か ない独特な音楽だ。リズムはアフリカ色が濃いが多国籍軍のような感じだし、そこに乗る彼の音には、ジャ ズというよりも時にクラシック的であったり、急に中近東みたいなサウンドになったり、ん?これインド? みたいだったり、と実に多様な表情を見せる。だいたいこの人はオーストリアのウィーンの出身だ。それが ウィンナー・ワルツではなくて「ブギウギ・ワルツ」(アルバム「スウィート・ナイター」に収録)やら「D フラット・ワルツ」(アルバム「ドミノセオリー」に収録)である。フリードリヒ・グルダと2人でピアノ コンサートをやるくらいだからクラシックで生きても十分食っていけたのであろうに、わざわざアメリカに 渡って、ダイナ・ワシンントン、キャノンボール・アダレイ、マイルス・デイビスといったバンドでピアノ・ キーボードを弾き、やがてWRでジャズ界のトップを極め、今尚最前線で若いメンバーとこういう音楽をや ってしまう。ジャズというカテゴリーには止まらないとてつもなく大きさのある音楽だ。ワールド・ミュー ジックなんていうコーナーがあるCD屋もあるが、世界の民族や言語を意識しているような音楽のように思 う。カテゴリーがどうだ、という分類が困難な「ザビヌル・ミュージック」としかいいようのないサウンド だ。ただ、WRのときからそうなのだが、この人が静かな曲でとるソロは、なんだか壮大な交響詩みたいで ちょっと鼻につく。この日もそういうのがあった。それもまたザビヌルなんだけどね。 それにしても素晴らしく活きのいいバンドだった。ザビヌル・シンジケートのアルバムでは、ウィーンで のライブ盤が最近出ているが、まだ購入していないので、聴いてみようと思う。ああ、強烈なリズムが耳か ら離れない、と思いつつ帰宅したのでありました。 さて、ザビヌル関連のアルバムを書き上げてみよう。 まず、キャノンボール・アダレイのバンド時代では「マーシー・マーシー・マーシー」が有名だ。ザビヌ ルとキャノンボールというのも意外な組み合わせのように思えるのだが、この時代、白人なのに黒人よりも ファンキーなオーストリア人と言われていたらしい。タイトル曲はザビヌルの手によるもの。 続いては、マイルスのアルバム。60年代後半になって、マイルスはロックビートを取り入れた電化サウ ンドに取り組むが、登場するキーボード奏者が、ハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレ ットそしてザビヌルといったそうそうたる面々だ。最もザビヌル色が出ているのは「イン・ア・サイレント ウェイ」だろう。タイトル曲はザビヌルの曲だ。そしてフュージョンの夜明けを告げる「ビッチェス・ブリ ュー」にもザビヌルは参加している。ここから、チックのリターン・トゥ・フォーエバー、ハービーのヘッ ド・ハンターズ、そしてWRが派生したと言われている。この2枚にはウェイン・ショーターも参加してい る。ジャズ史上でも重要作と言われる作品だが、どちらもとっつきやすいアルバムではない。筆者は特に「ビ ッチェス・ブリュー」は未だに理解できないでいる。 WRに行く前に、ザビヌル名義のアルバムを1枚。その名も「ザビヌル」。ジャケットはザビヌルの顔の どアップで、趣味がいいとはいえない。音は「イン・ア・サイレントウェイ」的で、同曲も入っている。こ のアルバムもとっつきやすいアルバムではないが、これを聴くと、当時のマイルスにこの人がかなり影響を 及ぼしていたらしいことがうかがえるし、WRのアイデアはやはりこの人のものであったこともわかる。 WRのアルバムはすべて聴いても損はないと思うが、やはりジャコが入っていた時期がベストであろう。 まず、「ヘヴィー・ウェザー」。「バード・ランド」「お前のしるし」「十代の町」と続くすべての曲が素 晴らしい奇跡のようなアルバムだ。それから、ライブアルバムである「8:30(エイト・サーティ)」も 素晴らしい。1曲目の「ブラック・マーケット」でのジャコのベースラインの物凄さ、ピーター・アースキ ンのドラムだけをバックにしたショーターのソロのスリリングなこと、このバンドがライブバンドであるこ とを見せつけるアルバムである。それから「ウェザー・リポート(1stアルバムではありません)」の「ヴ ォルケイノ・フォー・ハイヤー」という曲。これぞザビヌルという旋律だ。このアルバムを最後にジャコは 脱退することになる。その後出された「プロセッション」「ドミノ・セオリー」「スポーティン・ライフ」 はいずれもジャコ後ということでWRのアルバムの中ではあまり評価されていないように思うが、筆者はど れも好きである。「プロセッション」の中の「トゥー・ラインズ」はこの日も演奏されたが、ベースライン とシンセがそれぞれソロをとっているような錯覚に陥る不思議な曲だ。また「ホエア・ザ・ムーン・ゴーズ」 ではマンハッタン・トランスファーがボーカル参加していることで話題になった。この曲にはブエノスアイ レス、シンガポール、ボゴタといった世界の都市名が歌詞に出てくるが、何と名古屋も登場します。「ドミ ノ・セオリー」の中では何と言っても「Dフラット・ワルツ」のかっこいいこと。これは大阪でのライブ録 音だ。「スポーティン・ライフ」はWRのアルバムの中ではほとんど話題にもならないアルバムだが、ここ で聴けるサウンドは現在のザビヌル・シンジケートに通じるものがあると思う。晩年のWRはショーターの 影が薄くなって、ザビヌル色が前面に出ているが、これこそが今につながるザビヌル・ミュージックかと思 えるのである。「スポーティン・ライフ」の後「ジス・イズ・ジス」というアルバムを最後にWRは消滅す るが、この最後のアルバムは実は筆者は聴いたことがない。出た当時、ジャーナリズムの評価は、これはも はやWRではない、というようなものだったから聴こうとは思わなかったのだが、おそらくはその後にザビ ヌルが自己名義で出す「ダイアレクツ」に繋がる音なのではないかという気がする。CD屋でも最近は見か けないのであるが、WRではジャコ参加前の「ライブ・イン・トーキョー」とこの「ジス・イズ・ジス」だ けは所有していない。中古屋で捜すかなあ。 ザビヌル・シンジケートのアルバムでは「マイ・ピープル」を比較的よく聴く。アルバムには参加ミュー ジシャンの出身国が書かれていて、それを見るとアフリカ・南米・カリブ・インドなどなど、実に多彩なの である。音からは世界の民族・街の雑踏の雰囲気みたいなものを筆者は感じた。このアルバムでもアフリカ のボーカリストがフィーチャーされており、ザビヌルのアフリカへの傾倒ぶりがうかがえる。そう言えば、 WRのアルバム・ジャケットの中で「ブラック・マーケット」と「プロセッション」はどこかの国(アフリ カっぽい)の街の雑踏という風情だ。ザビヌルが考えていた音楽はWRの頃から変っていないのかもしれな い。 さて、ザビヌル関係ということで、ついで(2人とも、ついでに、というのも失礼な大物ではありますが) にウェイン・ショーターとジャコ・パストリアスについても(WRでのアルバム以外で)触れてみたい。 まず、ショーター。この人のキャリアは、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャースにマイルスバ ンドにWRであるから、とにかく凄い。ブルー・ノートにも名盤と言われるアルバムを残しており、疑いな く巨人の一人である。だが、どうも筆者はこの人名義のアルバムは面白くないのである。これはあくまで筆 者の主観だが、この人は誰かのバンドのサックス奏者としてソロをとるときにはとてつもない輝きを放つの だが、自己名義のアルバムではそういうものを感じないのである。と、いうわけでこの人名義のアルバムは 紹介しないが、サイドメンとして参加したアルバムを紹介してみる。いきなりジャズから離れるが、まずは スティーリー・ダンの「エイジャ」。このタイトル曲でのサックス・ソロはショーターである。このアルバ ムには他にも名うてのジャズ・ミュージシャンが参加しており、ジャズ好きなら聴かなくては損である。次 に、ハービー・ハンコックの「サウンド・システム」。このアルバムは「ロック・イット」が大ヒットした 「フューチャー・ショック」の二番煎じみたいなアルバムなので、今ではあまり話題にもならないが、「カ ラバリ」という曲でのハービーとショーターのソロは実に美しい。ソプラノの音をこれだけ美しく響かせる ことができるのはショーターだけではないかと思う。 ちなみにこの二人、 いずれも熱心な創価学会員である。 ときどき、この二人が日本で単発のコンサートをやることがあるが、これは学会の大会で来日したときにつ いでにやっているらしいのである。 ショーターの純正ジャズを聴くなら、メッセンジャースとマイルスだろう。ただ、ショーター入りのマイ ルスは決して聴き手にやさしい音楽ではない。ショーターを聴くためのアルバムではないだろうが、ショー ター入りのアルバムでは、筆者はウィントン・ケリーの「ケリー・グレイト」が好きである。フロントがシ ョーターとリー・モーガンで、ケリーのピアノも弾けている。 次にジャコだ。この人は早死にしたこともあって、破滅型天才べーシストとしてもてはやされているが、 WR脱退後の晩年は惨めなものだった。自らのビッグ・バンドで活動したものの、短期間に終わり、その後 は荒れた生活だったらしい。べーシストとしては天才だったが、バンドリーダーとしての資質は欠いていた のだろうと推察する。近年、生前のテープ発見などといってはアルバムが乱発されているように思うが、ジ ャコを聴くのであれば、自己名義のものなら「ジャコ・パストリアス」「ワード・オブ・マウス」「ツイン ズ」といったところではないかと思う。あとはジャズから離れるが、ジョニ・ミッチェルのアルバムでジャ コらしいベースが聴ける。特に「シャドウス・アンド・ライト」はジャコのほか、マイケル・ブレッカー、 パット・メセニー、ライル・メイズ、ドン・アライアスという信じられないメンバーだ。こんなメンバーを 集めてしまうジョニという人も凄い。ちなみにパットとジャコは学生時代からの知り合いらしい。パットの ECMデビュー作(「ブライト・サイズ・ライフ」)には、べーシストとしてジャコが参加している。 ザビヌルについては「ザビヌル~ウェザー・リポートを創った男」(音楽之友社)という本が出ており、 興味深く読んだ。これを読むとこの人がかなり「激しい」気性の人であることがわかる。個人的にはWRで のジャコとのことが印象に残った。日本ツアーで、ジャコの勝手な振る舞いに怒ったザビヌルが、渡辺香津 美に電話して「誰かベースはいないか」と聞いたというのである。本当にジャコを外したりしたら客が怒る のは目に見えているが、そのとき渡辺香津美はいったい誰の名をあげたのか、興味深いところだ。本当にザ ビヌルがそんな電話をしたのかどうかも分からないけれど。 ※夏休みということでだらだらと色々書き立ててしまいました。自由研究のようになってしまったが、たし かにザビヌルの音楽は現代音楽として研究する価値があるかもしれない。でもそれは楽理がわかる人の仕 事ですねえ。素人はこうしてうんちくを傾けてCDでも聴きながら楽しむことといたしましょう、という ことで、今はザビヌル・シンジケートの「ワールド・ツアー」を聴いております。(おわり)
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