北方山草 8 (1989) 北海道における植物分布の新知見 ( I I ) iI別市外山雅寛 昨年にひき続き、これまで知り得ること のできた数種の植物について、新知見を紹 介したいと思います。 ( 1 ) キリガミネアキノキリンソウ S o l i d a g ov i r g a u r e aL .s u b s p .! e i o c a q 】a (Bentham)H u l t e nf o r m .p a ! u d o s a (Honda)Kitamura 石狩郡新篠津村、新篠津湿原に分布が礁 j r 1;ではヤチアキノキリン 認されました。)j . ソウの名でよばれるこの植物は、胆振.J 川・十勝・釧路・根室からリストアップさ れていますが、石狩からは記録がありませ ん 。 〈特徴〉湿原に自生するキク科植物で、丈 はごく低〈、茎も納い。茎は分岐すること ま線状披針形をなし なく常に l本立ち、葉 l て先端部が鋭くとがっています。葉のつき 方はまばらです。石狩地方では新篠津のみ に分布。 図ー 1 キリ Yゲミネアキノキリンソウ (S. 5 7 .9 .l 2 t J 最 影 ) 一→ 4 2 北方山草 8 (1989) ( 2 ) いわれています。 ヒンジモ 水生植物の中では珍積に属するもので、 Lemnap a u c i c o s t a t aHegelm これまで北海道分布としては釧路湿原のみ アオウキクサ属の水生梢物で、母種はタ が知られていました。 イリクヒンジモとされ欧州・アジア・アフ リカ・オーストラリア・北米に分布すると Lemnap a u c i c o s t a t aHegelm・ Toyokorocho, 分ア 図= 布 一 新 一 L。 の一 a ジ一印 モ アk ン 一M e 味件一 ヒ一 a 嘘 一m ザ 図 -3 佐 藤j 問平著 C j 前州水草凶譜」に示されたタ イリクヒンジモ 日正 Toyama, 1 9 S S, 8 . 1 0 3MY 二ン 図 モ Nakagawa-gun, Tokachi, Hokkaido ,c o l 道産のものとの区別点 ※太滝未明!宇同 0 1本水位植物凶鑑)を基にして、三官 昔採集地内十勝管内型崩町育京1 1 1 mを追加した。 なし。 -43 北方山草 8 (1989) この植物は数年以米、怠識的に探し求め ていた植物でありましたが、 1 9 8 8年ト勝地 方のタヌキモ類の調賓の折ついに新分布と して記録することができたものであります。 ( 3 ) ニシキミヤコグサ L o t u s c o r n i c u l a t u s L inn 目 forma v e r s i c o l o rMakino ユシキミヤコグサはミヤコグサの 1品種 自生場所は十勝管内製頃町の I池i 唐 育素 で7 メ科の植物です。花はミヤコグサより 岡沼で与す。アオウキクサ属の中では非常に も大型で、黄色の花が後に緋紅色に変化す 変わった型をしていて、その型が「品」の る美しい品種です。石狩地方からの記録を 字に似ているのでヒンジモ(品字言葉)と名 聞きませんが、新篠津村の石狩川沿岸に分 づけられたものです。 布が認められ、写真に収めました。撮影年 しかし、母稜のタイリクヒンジモと北海 月日は I I B和 57年 8月 1 5f jです。こうした植 道産のヒンジモとは解説や凶版で見る限り 物が今凶まで見逃された原因は、足止らくこ ではあえて反別すべき点は全く見られない れまでの多くの i l J草愛好者逮が高山に珍穏 のです。恐らく将来は同一種とみなされる ばかりを求めたためなのではないて山しょう 時代がくるものと思われてなりません。 か 。 ヒンジモの世界的な分布として現在まで これからの山京家は名もごくありふれた に知られた範囲は、国内では本州・問問・ 普通の植物達に目をむけて、それ等のもつ 北海道。国外ではアジアー械、ヨーロッパ、 美しさを再認識すべきではないでしょうか。 アメリカ、オーストラリアです。 小生の精力的な道 I "Jでの踏査地で明らか に分布を認め得なかった範同は石狩、空知、 ! 但 振 、 H高、宗谷地方で、恐らくは北海道 では道東部太平洋沿岸部のみに分布が偏在 しているものと推定されます。北海道近接 地域では樺太カムチャッカにも分布するこ とが知られているようです。コマ口フ著 r i 拘 i 十 I 1 版物誌J 第 2巻 ( 1 1 百 平 日 2年 、 i 荷鉄訳本) 荷洲で採取された標本・・石頭旬 に原著者がi 子 、 1 8 9 6 .V l l .1 4、担丹江沿岸ファン村間 近…があげられています。また、 7 キシモ ヴイッチ氏は黒龍江沿岸のカヤツリグサ科 植物が生育する沼沢地(標本採集せず)で、 7 ーク氏は松阿察i 可沿岸で、コノレジンスキ ー氏は、ギリチン村、タムボフカ村附近の 湿地て幹線本を採集しています。 一4 4 北方山草 8 (1989) ニシキミヤコグサ あまり注目きれないミヤコグサの仲間も 石狩郡新篠津村石狩川河岸にて撤彩、花 よく見ると高 1 1 1の珍樋よりもはるかに美し 後赤変するのが観察されました。(標本採取 〈見えてくるものです。 予定) 図 -4 ニシキミヤコタサ 石狩郡新篠津村石狩川河岸にて撮影、花後着、変するのが観察されました。 ( t 栗本採取予定) 4 5 北方山草 8 (1989) 博士が京都大学の学生時代(19 2 5年)森町 ( 4 ) ウスゲノエゾザクラ P r i m u l aj e s o a n ava . rpubercens 婆々 j 召で採集の記録 実に半世紀も以前の ( T a k e d a ) ものであり、その後ナガレヒメタヌキモの Takedae tH a r af o r m .n u d i u s c u l a( N a k a i e tK i t a g a w a )Hara 北海道における分布の追跡調査は全くなさ れぬままになっていたのです。 波島以外からの筆者採集によるものを示 サクラソウ科植物の Iつで、石狩地方の 分布はリストアップされていない植物。 すと下記の通りで、すべて標本によって実 ところが、実際には浜益の全河川沿いに 証しであります。五日号 NDC H本歯科大 ごく普通に、しかも大群生をなして見られ 学験禁標本庫を表しています。番号は標本 るものです。花茎の毛の生え方にはイ! t J i 事変 登録番号。 U t r i c l l l a r i aminorし f o r m .n a . 異が多く認められます。 t a n sKomiya:S h i n s k i n o t sl I. moor,S h i n 土 s h i n o t sl IV .,I s h i k a r i . g l l , 1 l ToyamaNDC ( 5 ) 北海道の食虫槌物 =その分布= 3 4 9 4-3 5 0 1( 1 9 8 5 ) c l Il t . by Toyama ・ 本道の植物のうち、最も実態がはっきり ( o r i g .d o . )NDC.3419( 1 9 8 4 ), o r i g .d o .To としなかった分野は食虫植物の分布や生態 yamaNDC.3439( 1 9 8 5 . 6 . 1 5 ) ;S h i zl Ik a r i . です。そこで筆者は分布については池猪ご Moor,Osyamal 1b eT .,co. lToyama,1 9 8 6 . と、各湿原ごとに全道に及ぶ調査を進めて 8. 15NDC.3568,Kashiwabara.moor,To. いるところです。これまで調査してきたも makomaiC, c ol .Toyama,1 9 8 6 . 9 . 6NDC のについてはその詳細を「食虫植物研究会々 3 5 7 0,c l Il t .byToyama( o r i g .S h i zl Ik a r i . 誌」に記録してきましたが、この会誌が一 moor),1 9 8 4 . 1 2 . 1 1NDC.3420,U r Y l l 'l 1 l 1ma. 般の人々の目にふれることがなく、実態が moor,u r y l l . g l l , 1 lH okkaido.c ol .Toyama, 全く知られていないので改めて記録するこ 1 9 8 7 . 8. 19NDC・3 7 4 2 . 3 7 4 5 とにしました。 このほかに、関萌市在住の食虫植物研究 会会員勝俣員伊氏がサロベ、ソ湿原よりナガ A . ナガレヒメデヌキモ U t r i c u l a r i aminorL .f o r m .n a t a n s レヒメタヌキモを採集されているところで あります。 雨竜 i 召からはナガレヒメタヌキモととも Ko ロuya ヒメタヌキモの 1つの f ormaで、これま での知見では渡島地方が日1 . の産地とされ に信J .場所からヒメタヌキモの基本積も採 集されました。 ていました。「北海道高等植物 B録 J N、合 弁花植物(昭和 6 2年刊行) -伊藤浩司・日 北海道産ナガレヒメタヌキモの新分布図 野間彰共編にはi 度烏が記録されているのみ 筆者等の調査によって襟本をもって実証 です。 実はこの渡島の記録は、かつて故三木茂 された i EliIl1な分布肉を示すと次の図のよう になりますが、ナガレヒメタヌキモは恐ら 46- 北方山草 8 (1989) く 、 ト勝地方を除く、北海道全域に分布す は Utriculariaの住め ノレト・ブルーのこの初l るものと推定されます。日高沿岸に面する るところではありません。恐らくは日高地 泥炭地はかつてはナガレヒメタヌキモが分 方にもナガレヒメタヌキモは分布すること 布したのかも勾l れませんが現在は荒廃した はないでしょう。釧路・根室地方にはその 泥炭地が残っているのみで、タヌキモ科続 分布が期待できそうです。釧路湿原では温 物の分布を認めることはできません。 1987 根I 人]、舌辛が有力と思われ、後者「舌辛」 年 7月アポイ岳登山の折 H高沿岸部を調資、 はかつてムラサキミミカキグサの分布の記 さらに「笠似樹J J も踏査しましたが、コパ 録も伐されております。 図 -5 ( ' 函 -6 ナガレヒメタヌキモ Utricularia minor f.natans KOMIYA: Uryunuma mo0 r, Hokkaid0 1 Co1,' l 'oyama NDC(/9S ア.S‘19) ← 47 北方山草 8 (1989) B . フサタヌキモ されます。参考までに十勝産のタヌキモを Ut r i c u l a r i ad i m o r p h a n t h aMakino 示しておきます(同一沼のもの)。 道内で刊行のいくつかの文献でフサタヌ キモの分布が記録されています。知1り得る 範開でその文献をあげると次の通りです。 〈フサデヌキモの道内分布告示した文献〉 ①横山春男:十勝植物誌(帯広常林局、 1 9 5 1年 ) 1 0 7真に池田町分布②問中瑞穂・土 J I ' i 青:郷土の重対直物 1 9 5 9年版(弟子原町教 9 6 0 年 4月)1 1 9Pに音別付近の 育研究所、 1 沼地に分布③田中球i 穂、:釧路の植物y r< 1 )1路 9 6 3 年)86Pに卦1路湿原 叢書 5> (釧路市、 1 に分布④合同勇太郎:主I I I W 各地方の続物総説 (自費出版物)に音別付近に分布の記録が 収められています。その分布記録が、 卜勝 ・釧路の東北海道に集中しているのですが、 いずれも標本による実証を欠いています。 結論から申しますと、この植物は北海道 には分布できない暖地性の植物で、小生が 実験によって分布できないことを実証し、 さらに十勝での現地調査によって分布しな いことを明らかにしたところです。 道東部に入るやいなや無抑虫のう t y p eの タヌキモが分布することが判明し、それが フサタヌキモに酷似することから、これま で記録されたフサタヌキモは無捕虫のう t y p e のタヌキモとの誤同定にちがいないのです。 その詳細については、小生の著作 r 北海道 十勝産タヌキモ雑記 J(食虫植物研究会会誌、 vol .3 9,Nu4 1 9 8 8 ) にすでに報告ずみで すが、今後も検銭によらない場合はフサタ ヌキモと告書締虫のう t y p eのタヌキモが陪似 ヒメツキミソウ するために誤同定は起こり得るものと推定 4 8 事 士 北方山草 8 (1989) A、B、Cいずれも I n l -沼産のタヌキモ UtriculariaaustralisC%に縮小〕 ' 0 ) . . s f ' 。 フサタヌキモ U t r i c u l a r i a dimorphanthaの分布(日 本商科大紀: ; ' t N o .9による) (外山雅克:北海道十勝産タヌキモ雑誌己〈食虫植物研究会会話;vo. l39. N o .4 1988>よりヲ│用) 49 北方山草 8 (1989) C. ミミカキグサ類 釧路にもホザキノミミカキグサが分布す 北海道康のミミカキグサ類として、分布 るという話もありますが、確実な記録はあ が明らかにされているものは、ムラサキミ りません。北海道のミミカキグサ類につい t r i c u l a r i au l i g i n o s a及びホザキ ミカキグサ U ては誤解が多く、生態すら正確につかまえ t r i c u l a r i a c a e r u l e aの 2種 ノミミカキグサ U られておりませんでした。ムラサキミミカ 類です。 キグサとホザキノミミカキグサは北海道に シロパナミミカキグサは、ムラサキミミ 自生することさえ異例な熱帯性の食虫椀物 カキグサの内花品種で、苫小牧に分布 であり、多年草としては北海道に分布でき <Utriculariauliginosaformaalbiflora ない植物であります。これらの植物が多年 Komiya:Kashiwabara.moor,Tomako. 草であると記している書物は、本外│文献か maic . , Yuhutsu.gun,coLToyama1 9 8 6 . らの引き写しであって、北海道では種子に 9 . 6 .NDC.357 7 -3 5 7 8>していますが、これ よってのみ越冬できる植物 つまり l年生 は北海道での最初の登録された実証標本で herophyten)であることが筆者 型草本(T す 。 の追求で明らかになっております。しかも、 もう一種ホザキノミミカキグサは、かつ それが i 邸内な偶産種ではなく土着種であ て新篠津湿原に北海道での最後の姿をとど ることが、長年の戸外における実験陪養の めて分布していましたが、現在では絶滅し、 結果から明らかであり、植物界の驚異とも 小生の子計に時養品が残されています。本 いうべきものであります。熱帯性のもので 積の臼花品として、シロパナホザキノミミ ありながら北海道の寒地に土着し得た秘密 t r i c u l a r i ac a e r u l e af o r w al e u カキグサ U は種子の高生産力と驚くべき種子の強耐寒 canthaKomiyaが知られ、国内での記録は 音養ムラサキミミ 性に基づくもので、小生I 下記の通りですが、北海道からはいまだそ カキグサは六度目の冬を雪と氷にとざされ の分布が実証されたことはありません。 た戸外で生き抜こうとしているのです。 U t r i c u l a r i ac a e r u l e aformal e u c a n t h a Komiya Hara,Numazuc . , Shizuoka 針l 路地方ではさらに厳しい自然条件の下 で吐:きぬいているのです。 Pre , . fOba( Y a s u i1 9 5 1 ) ;Mt .Sanageyama, ムラサキミミカキグサは産地によっても Komiyama NDC.2807 ( 19 7 3 ) ;Hiraiwa, かなり花色が異なり、樺戸郡月形町・石狩 H i y a s h iT . , GihuPre , . fKomiyaNDC.2808 郡新篠津村(現在は絶種)のものは青紫色 ( 1 9 7 6 ) Oike,Yo k k a i c h ic . , Mie P r e f で多くは仮面部にたですじがあり、苫小牧 Y a s u iTNS.86764,NDC.2277( 1 9 5 1 )… … 及び道南部長万部町静狩産のものは赤紫色 ( S a d a s h iKOMIYAandC h i a l 口S h i b a t a ないしピンクに近いものが見られます(現 ( 1 9 7 9 ):D i s t r i b u t i o no ft h eL e n t i b u l a r i a . 在自生地が失われた旧東野腕湿原のものも c e a ei nj a p a nによった) 同様Lそれ等のほかに淡紫色の個体を見る ことができます。 ~50 北方山草 8 (1989) 釧路に分布のうわさのあるホザキノミミ 司定されたわけです。小宮先生 タヌキモと i カキグサは恐らくムラサキミミカキグサの がフトヒメタヌキモという新分類を発表さ 少し色の変わった側体にちがいないものと 9 7 2 年で、新分類の中には、その れたのは 1 推定されます。その理由は、読録された'支 .minorf .n a t a n s ほかにナ方レヒメタヌキモ U 詰襟本を基礎にしてまとめられた正確な文 Komiyaも含まれていました。 東北海道の植物、釧路市 &1I月らかになったフトヒメタヌキモ その f f . (総合調査報告書等)に 立博物館・釧路湿 I の分布を標本によって示すと下記のように ムラサキミミカキグサの記録しか見出たら 新篠津湿原の分布を示すことができます。 ないからであります。 U t r i c u l a r i a minor f .s t r i c t a Komiya 献(滝田謙譲著 S h i n s h i n o t s u . m o o r,I s h i k a r i . g u n,co. lTo. 主 ただ、ホザキノミミカキグサの種子力勺l 烏によって偶然i E原内に、しかも、ミミカ yama1 9 8 5 . 9 . 2 9N D C . 3 5 0 7 . 3 5 0 9 キグサ類の自生できる場所に運搬された場 寒性からみて確実に土者で 合は、種 fの市I ( 6 ) ブラックベリーの分布拡大 きるでしょう o しかし、そのような機会は 道内にはたくさんの種類のキイチゴ類が 分布することが知られています。 非常に少ないものと思われ、野鳥の~城主時 払H 日野にもその穂子がj 軍搬された形跡はな それらのキイチゴ類は普通は 2つのグル 0 ・・種子が述ばれ いようです(数千年間 ) ープに大別されます。その Iつのグループ たことカずもしあったとすれば、そこにはホ はラズベリーで、他のグノレーフ。はフFラック ザキノミミカキグサが土着ーしていなければ ベリーの仲間になります。そのグループを ならないからです。 知る最も正確で簡単な方法は、果実を採取 侍のはずれ方を銃器宅することで事足り した i 0,フトヒメタヌキモ U t r i c u l a r i am i n o r るのです。 f .s t r i c t aKomiya ①果実が花托といっしょにとれるクルー ヒメタヌキモ U t r i c u l a r i aminorL.の寓 プ ブラックベリーのなかま。 栄養型がフトヒメタヌキモといわれるもの ② 花托が残って果実のみがキヤソプ状に ですが、北海道て。記録が残されていたもの はずれてくるグループ。 ラズベリーのな , は道南部産のもので、 OnumaKameda.gun かま、ク 7 イチゴやナワシロイチコはこ YamazakiTI( 1 9 5 ); Hakodatec . , Yama のグループに属します。 motoT、 A I . 1 4 2( 1 9 2 2 )のみでした D i s t rト ※特殊なものとして果実が果柄からがくや b u t i o no ft h eL e n t i b u l a r i a c e a ei nj a p a n" 花托といっしょにはずれてくるものもあ による。標本が採集された当時はそのよう りますロ すらなく、ヒメタヌキモとして処理 な分知l 北海道だけでなく、今日、 H本各地に帰 されていましたローそれらが東京在住の小 化し、大繁殖をしているのは①のブラック 宮定志先生によって再検定され、フトヒメ ペリーのなかまです。 5 1 北方山草 8 (1989) このブラックベリーのなかまが、日本に 一氏が札幌で採取し、 Rubusischyracan 入ってきたのは明治に入ってからで、わが thusCardと同定されたブラックベリーのな 国最古の記録は 1888年(明治 22年)フォリ かまの積です。 Rubus ischyracanthus Card. s t .I l o v n .(Subgen.'U ι伽 I 川 I d a l 川 s e c t . F r u t e xr a m i sl 1n g u l o s i s, p a r c ep U o s i sy e l5 u b g l a b r i s,a c u l e i s¥ ' a l i d i s, 。 ∞ cmpr 同 e s 臼5 1 惜 s 剖s iv l 1l d edi 1 : 1 . ' 山 3 1 “ 出 I S問 r eGλ 川 町 u 1 汀r 川v 引川 刊 u l i sl 1口 r n 川 t e tb a p e r 悶s i sF o l i at e r n: lt a, J o n g ep e t i o l a t a, cump c t i o l ov a l i d o, s u p r a¥ ' : Il d ecJ. ~aliculato, p u b e s c e n t c, p a n : ea c u l e a t o q-18 C r . l . I O l l , g 1 of o l i o l i sI : H Co v . i l i s,b a s ir o l u n d a t i s, 3 .p i c C5 a ta b r u p t c: lc umin: Hi s¥ ' e 1$ u b " :: 1u d a t i s,m a r g i n cp r O f U l 山 s c di n町 u a l i t c r s e r r a t i s, u t r i n oリep i l o s u l ω e tv i r h l i b u s,s u b t u sp : ll l i d i o r i b l l S, : I u e r; tl i b u s 'b r e ¥ ' i t e r p 目i o l u l a t i s, G ' 9CIl1.l o n g i s, 3 6cm.l a t i s, t e r ' m i n a l im中 , ,臥‘ 此叩叩ニ 目 l u l 3 1 0j { o l i as u p! ir i o r a・ }6 ,minora: unifoliolata,brc¥'iter petiolata. Stipub:: e p e t i o l ib a s io r t a, i In e a r卜 h l Oc e o l a l , ! r :p¥ i o s u l a .F l o 司 5p l c r u m q u e3i or a m u l i sa x i lb . r i b u s, 5 7c m .1 0ロg i s, : lc u l c a t i s, a u ta p h y l l i sa u ts u p e r n e UDO vdd u o b u sr o l i i s p '刊 凶 I s i m p l i c i b u s, l a n c c o ! : n i si n s t r u . . : t i s, c tm a g i sn u m c r o s ip : l Oiculamcorymbiformem旧 a p i c eramorume [ f o r m l n t e sivd, s im a v i s, f l o r c si np a o i c u l a me I 引1 9 a . 回 目 , compositam,foliosamd i s p o s i t i, c a l y c c出 p n n s oc i r c a1 5m m . l n t Iib r a c t c 同 l . : ln c e o l剖 a, i D t c g r a, p i l o s xjp c d u n c u l is t r i c t I, c r: ls s I u s . . ; u l i, h i日 u t ie ts a p es t i p i t a t o g l aロd u l o s I, l O I Sm m,l o n g i . C a l y認 u Sl J . uef e r ea db~sim f i s s u s, s e p a l i sp o s ta o t h e . ! 1m 同 日 目i s, O ¥ ' l t o -vdt r i叩 g u l : u I l aロ岨 o h u I s, m u c r o o a t i s,e : < . t e r I u sp i l o割引Int u s g r i s e o -tome副 o s i s .P e t a l aa d s u n t ,s e dt l n t u mf m g m e n t i sn o t a, S t: lm i n a muha, p l u r i s e r b t a,f i l a m e n t og r l c i l i, s u b u l a , O l glabro,3nthera rotundatagbbra,S t y l i b r e v i日 rf i l i( or r n e s,g l a b r i, s t i g m a t ev i : < .d i l a t a t o .C a r p e l l a5 3 tn u r n e r O S l,g l a b r l, m a C U r au tv i d e t u rp a刊 mS U C C O S , 1 :s i c c i t a t ef o v e o l a t , l !d o r s oc a r i n a t: 1 . JAPON:p l a i n edeSapporo[ F a u r i e,1888, n ' 2914] Cette espece nouvelle a p p a r t i e n t a un groupe qui n ' e t a i t pas c e l u idesA f r o i d a i ,etquine encore.representeen Extreme-Orient, comptaitmeme qu'un s e u l representant en Asie, l eR .P e t i t i i l l l l l S A.Rich., espece d'Abyssinie ,retrouvee par Deflers enArabie; ce ec a l i c ead i v i s i o n sa t t e i g n a n tpresquel a groupee s tc a r a c t e r i s ep訂 l , b a s e .L'especenouvellee s tv o i s i n e duR . Pt i t i s l J J ls , m.ise l l es ' e n o u premierabord pars e sr al 1 le auxanguleux, non tomendisdngue. t e u 月 seulementunp~u p ubescents oumeme presqueg l a b r e s, a i n s i , par l e sa i g u i l l o n s des rameaux principau plus 司ue l e sp e t i o l e s, robustes, parl e sf l e u r smoinsnombreusese tpourl aplupartp o r t e c s, aunombredet r o i s, al'extremitedep e t i t srameauxa x i l l a i r e s, e n f i n p"rl e sf e u i l l e ssuperieuresdes axesprimairesu n i f o l i o l e e s . F a l l i e氏が 1888年(明治 2 2 ) 札幌より記録したブラックベリ-R .ischyracanthus(Cardot .Syst .3:313(1917) i nNot 5 2 北方山草 8 (1989) 現在、道央部にかなり分布を拡大してい そして、開拓使で栽域の植物については次 るブラックベリーは凶外からの輸入によっ 刊がありまし 第に北海道に移そうという計 l たのが現在の大繁殖を見るに到ったのです。 f こ 。 そこで、フォリ一氏が日本で最初に札幌 二つめの重要な膝史的事実は、 F西洋果樹 産として記録にとどめたフラソクベリーの 栽培法 J (開拓使蔵版、明治 6年 f l ] ) に'自国 s c h y r a c a n t h u sCardが 、 な か ま -Rubusi 栽植の果樹の種類が記録されていて、その いつ、どこから入ったものかを数年前より、 . . . . .・前興住…・・黒幕(クロイチゴ) ・ 中に、 r 文献上から探索できないものかと調査を続 i 亘l ブラーケベレ(ブラックペリーのこと) 行し、省干の ~jl 兄を得たので記録に残して 5積 …右各種菓粒大ナルモノハ直径六 おきたいと思います。明治以前にブラック 七分斗一食シテ昧美ナノレアリ成ノ、調理ニ供ス べリーが道内に入った記録は令〈見つかり ヘキアリ J という記事が見えます。 この記事によって、オフリーが採集した ません。 つ ブラソクペリーのノレーツは黒伺清隆がフラ まり、当時開拓イ史の開拓次官であった黒田 ンスから輸入した 5積のうちの 1種にちが 清降が明治 4年、フランスへ西洋果樹の買 いないという結論にたどりつくことができ 付けのために出張しているという事実があ ました。 先つひとつの重要な事実があります ります(当時開拓使は、まだ東京にあった)。 程目当 官 方 黒Z ナ 方 持t ア レ忠義,ふ リ 1 ; I; テ種 、 季 ち 某 時 , タ 二三 r ~ 圭 唖 主草 7 ' Y ナ P ア y . . オ 栽 封 ! ~ T 吠ノ 、 , 、 , 吋 ν 調車.A 理佳王室 、 ー ー ム J 棋 k ^ マ、 A へ生 洋 某 司 ' ナ大 西 I t . I;~ Jヒ 、 ノ 4 、 雲 ! ユ エ 1 . - I~ ~ 1 0 1 味 具 ' ミl フランスより輸入のブラックペリーが五種あったことを示す 明治初期の木版本(開拓使 I J ' 一筆者所蔵本) 明治六年 T 5 3 北方山草 8 (1989) 人類文化によって市直物の分布が撹乱され 日本の近隣地域朝鮮から放中井猛之進博 ることは世界中でおきていることでありま 士がBla ckb白 r yの 1種 Rubusgensanicus すが、ヨーロッパ産のブラックベリーが日 Nakai (新樋)を記録 ( r東京帝国大学瑚科 本に輸入された頃は、分布が点に過ぎなか 大学紀要 J- F l o r aKoreana.Parss e c u n d a . ったにちがいありません。それから A 1 1 1 ト 紀 を経た今日では分布は点から面へと拡大さ 1 9 11 .)しましたが北海道に産するものとよ く似ています。 しかし、その後 Rubusg e n s a n i c u sNa れているのです。 小生の観察によると現住で l 土台別個j ・ 月 ! 日 1 -朝鮮産ーは発表後研究された人なく、 形I I I T '新篠津村でかなり分布を拡大してい 最近の朝鮮フロラからは姿をi} i 'しているそ ることを認めました。果実は,鳥の餌ともな うです。正体不明の帰化柄物であるための りますから、今後も分布は拡大するでしょ ようです。 クロイチコについても北海道に占くから 70 1 9 8 7年 9月には広島町にまたがる野幌国 自よ主していたクロイチゴ Rubuso c c i d e n t a . 有林内にブラックベリ - 1株を確認するこ .var .i a p o n i c u sMiyabeの他に、明治 l i sL とができましたが、当別などで兄られるも 4年開拓使次官黒出 i 青除がフランスより買 のと同ーのものでした。想像以トーにその分 付けたクロイチゴ(学名ィ、詳)の栽培逸 布が広がっているのかもしれませんが、詳 品が北海道のどこかに自生しているかもし 細な実態についてはこれからの;凋資にまた れません。 m なければなりません。 北海道に帰化しているブラックベリーは、 鳴橋直弘先生(寓 1 1 1大学瑚学部)に問い合 わせたところ、正体はほとんど特定するこ とはできないて"しようということでした。 その理巾は、アメリカに 700 積ほど、イギリ スに 400 種、オランダにが) 08 0 得、フランスに 数百種、 ドイツに多数あり正体不 1 月のもの もあるようです。ブラックペリーの帰化品 は南半球にも分布しているようで、前:{#-品操 i 普「槌物の分1 1 IJ ( in f出書房、 H 日 平U23>H リ ) によると「ニュージーランドにも、均、って Rubu8f / c n s a n i c l l 1 3 NAKAI . 1 9 1 1年故中井猛之進1 専上 が朝鮮より新種と 移行J 止が祖国の l 床忘れ難〈、食用のため輸 φ 入したアメリカクロイチゴ(B lackb e r r y) して記録したブラックペリー(東京大学理 科大学紀要より音; 1 分凶のみを引別) F l o r a が、今では到る所に繁茂して駆除に困難な滋 CoreanaP a r ss e c u n d a 木の一つになっている叫と記しております。 5 4 北方山草 8 (1989) ( 7 ) フイリミヤマスミレ 北海道千歳市シコツ湖附近にフイリミヤ マスミレの産地があります。 フイリミヤ 7 スミレは北海道て伯はごくあ りふれた種類でちっとも珍しくはないので すが、シコツ湖鮒近の桜く限られた場所に 自生(保護地区になっている)するものは 普通に見ることのできるフイリミヤ 7 スミ レとは、ちょっと迷うのです。 これまで北海道各地でこの植物を見てき ましたが、葉の大きさは大同小異ていありま した。ところが、シコツ湖周辺の一部にあ るものは、葉の大きさがたいへんパラエテ ィに富んでいるのです。特に興味が引かれ るのは巨大・化した葉を持った倒体が多数見 られたことです。最大の葉では、たて 1 0 c m m 1 ' すいのものまで兄られたのです。 はば 7c 吾数体 (n= 1 2を基 恐らくは、そこではf 本とした)がかなりあるのではと推定され ます。小生フイリミヤマスミレの体細胞は 2n =24と記憶しておりますが、この種に 倍数体があるのかどうかは知っておりませ ん。残念ながら花期!のものは見ておりませ んが、いずれにしても葉の大きさがたいへ んバラエティーに富んでいることは珍しい と思います。詳細は未調査のままです。 今回は、北海道ではほとんど実態の知ら れていない食虫植物について特にくわしく 書いてみましたが、今後とも精力的な調査 を進めたいと思います。 オオノミナノエンレイソウ 5 5ー
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