北海道における植物分布の新知見 (II)

北方山草 8 (1989)
北海道における植物分布の新知見 (
I
I
)
iI別市外山雅寛
昨年にひき続き、これまで知り得ること
のできた数種の植物について、新知見を紹
介したいと思います。
(
1
) キリガミネアキノキリンソウ
S
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(Bentham)H
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d
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(Honda)Kitamura
石狩郡新篠津村、新篠津湿原に分布が礁
j
r
1;ではヤチアキノキリン
認されました。)j
.
ソウの名でよばれるこの植物は、胆振.J
川・十勝・釧路・根室からリストアップさ
れていますが、石狩からは記録がありませ
ん
。
〈特徴〉湿原に自生するキク科植物で、丈
はごく低〈、茎も納い。茎は分岐すること
ま線状披針形をなし
なく常に l本立ち、葉 l
て先端部が鋭くとがっています。葉のつき
方はまばらです。石狩地方では新篠津のみ
に分布。
図ー 1 キリ Yゲミネアキノキリンソウ
(S. 5
7
.9
.l
2
t
J
最
影
)
一→
4
2
北方山草 8 (1989)
(
2
)
いわれています。
ヒンジモ
水生植物の中では珍積に属するもので、
Lemnap
a
u
c
i
c
o
s
t
a
t
aHegelm
これまで北海道分布としては釧路湿原のみ
アオウキクサ属の水生梢物で、母種はタ
が知られていました。
イリクヒンジモとされ欧州・アジア・アフ
リカ・オーストラリア・北米に分布すると
Lemnap
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aHegelm・
Toyokorocho,
分ア
図=
布
一
新
一 L。
の一 a
ジ一印
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味件一
ヒ一 a
嘘
一m
ザ
図 -3
佐 藤j
問平著 C
j
前州水草凶譜」に示されたタ
イリクヒンジモ
日正
Toyama,
1
9
S
S, 8
.
1
0
3MY
二ン
図
モ
Nakagawa-gun,
Tokachi,
Hokkaido
,c
o
l
道産のものとの区別点
※太滝未明!宇同 0
1本水位植物凶鑑)を基にして、三官
昔採集地内十勝管内型崩町育京1
1
1
mを追加した。
なし。
-43
北方山草 8 (1989)
この植物は数年以米、怠識的に探し求め
ていた植物でありましたが、 1
9
8
8年ト勝地
方のタヌキモ類の調賓の折ついに新分布と
して記録することができたものであります。
(
3
) ニシキミヤコグサ
L
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L
inn
目
forma
v
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l
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rMakino
ユシキミヤコグサはミヤコグサの 1品種
自生場所は十勝管内製頃町の I池i
唐 育素
で7 メ科の植物です。花はミヤコグサより
岡沼で与す。アオウキクサ属の中では非常に
も大型で、黄色の花が後に緋紅色に変化す
変わった型をしていて、その型が「品」の
る美しい品種です。石狩地方からの記録を
字に似ているのでヒンジモ(品字言葉)と名
聞きませんが、新篠津村の石狩川沿岸に分
づけられたものです。
布が認められ、写真に収めました。撮影年
しかし、母稜のタイリクヒンジモと北海
月日は I
I
B和 57年 8月 1
5f
jです。こうした植
道産のヒンジモとは解説や凶版で見る限り
物が今凶まで見逃された原因は、足止らくこ
ではあえて反別すべき点は全く見られない
れまでの多くの i
l
J草愛好者逮が高山に珍穏
のです。恐らく将来は同一種とみなされる
ばかりを求めたためなのではないて山しょう
時代がくるものと思われてなりません。
か
。
ヒンジモの世界的な分布として現在まで
これからの山京家は名もごくありふれた
に知られた範囲は、国内では本州・問問・
普通の植物達に目をむけて、それ等のもつ
北海道。国外ではアジアー械、ヨーロッパ、
美しさを再認識すべきではないでしょうか。
アメリカ、オーストラリアです。
小生の精力的な道 I
"Jでの踏査地で明らか
に分布を認め得なかった範同は石狩、空知、
!
但
振
、 H高、宗谷地方で、恐らくは北海道
では道東部太平洋沿岸部のみに分布が偏在
しているものと推定されます。北海道近接
地域では樺太カムチャッカにも分布するこ
とが知られているようです。コマ口フ著 r
i
拘
i
十
I
1
版物誌J 第 2巻 (
1
1
百
平
日 2年
、 i
荷鉄訳本)
荷洲で採取された標本・・石頭旬
に原著者がi
子
、 1
8
9
6
.V
l
l
.1
4、担丹江沿岸ファン村間
近…があげられています。また、
7
キシモ
ヴイッチ氏は黒龍江沿岸のカヤツリグサ科
植物が生育する沼沢地(標本採集せず)で、
7
ーク氏は松阿察i
可沿岸で、コノレジンスキ
ー氏は、ギリチン村、タムボフカ村附近の
湿地て幹線本を採集しています。
一4
4
北方山草 8 (1989)
ニシキミヤコグサ
あまり注目きれないミヤコグサの仲間も
石狩郡新篠津村石狩川河岸にて撤彩、花
よく見ると高 1
1
1の珍樋よりもはるかに美し
後赤変するのが観察されました。(標本採取
〈見えてくるものです。
予定)
図 -4 ニシキミヤコタサ
石狩郡新篠津村石狩川河岸にて撮影、花後着、変するのが観察されました。
(
t
栗本採取予定)
4
5
北方山草 8 (1989)
博士が京都大学の学生時代(19
2
5年)森町
(
4
) ウスゲノエゾザクラ
P
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ava
.
rpubercens
婆々 j
召で採集の記録 実に半世紀も以前の
(
T
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)
ものであり、その後ナガレヒメタヌキモの
Takedae
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N
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tK
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)Hara
北海道における分布の追跡調査は全くなさ
れぬままになっていたのです。
波島以外からの筆者採集によるものを示
サクラソウ科植物の Iつで、石狩地方の
分布はリストアップされていない植物。
すと下記の通りで、すべて標本によって実
ところが、実際には浜益の全河川沿いに
証しであります。五日号 NDC H本歯科大
ごく普通に、しかも大群生をなして見られ
学験禁標本庫を表しています。番号は標本
るものです。花茎の毛の生え方にはイ!
t
J
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事変
登録番号。 U
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aminorし f
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異が多く認められます。
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sKomiya:S
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IV
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,
1
l ToyamaNDC
(
5
) 北海道の食虫槌物
=その分布=
3
4
9
4-3
5
0
1(
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9
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) c
l
Il
t
. by Toyama
・
本道の植物のうち、最も実態がはっきり
(
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.
)NDC.3419(
1
9
8
4
),
o
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.To
としなかった分野は食虫植物の分布や生態
yamaNDC.3439(
1
9
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5
.
6
.
1
5
) ;S
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Ik
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.
です。そこで筆者は分布については池猪ご
Moor,Osyamal
1b
eT
.,co.
lToyama,1
9
8
6
.
と、各湿原ごとに全道に及ぶ調査を進めて
8.
15NDC.3568,Kashiwabara.moor,To.
いるところです。これまで調査してきたも
makomaiC,
c
ol
.Toyama,1
9
8
6
.
9
.
6NDC
のについてはその詳細を「食虫植物研究会々
3
5
7
0,c
l
Il
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.byToyama(
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Ik
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.
誌」に記録してきましたが、この会誌が一
moor),1
9
8
4
.
1
2
.
1
1NDC.3420,U
r
Y
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1
l
1ma.
般の人々の目にふれることがなく、実態が
moor,u
r
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.
g
l
l
,
1
lH
okkaido.c
ol
.Toyama,
全く知られていないので改めて記録するこ
1
9
8
7
.
8.
19NDC・3
7
4
2
.
3
7
4
5
とにしました。
このほかに、関萌市在住の食虫植物研究
会会員勝俣員伊氏がサロベ、ソ湿原よりナガ
A
. ナガレヒメデヌキモ
U
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aminorL
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s
レヒメタヌキモを採集されているところで
あります。
雨竜 i
召からはナガレヒメタヌキモととも
Ko
ロuya
ヒメタヌキモの 1つの f
ormaで、これま
での知見では渡島地方が日1
. の産地とされ
に信J
.場所からヒメタヌキモの基本積も採
集されました。
ていました。「北海道高等植物 B録 J N、合
弁花植物(昭和 6
2年刊行) -伊藤浩司・日
北海道産ナガレヒメタヌキモの新分布図
野間彰共編にはi
度烏が記録されているのみ
筆者等の調査によって襟本をもって実証
です。
実はこの渡島の記録は、かつて故三木茂
された i
EliIl1な分布肉を示すと次の図のよう
になりますが、ナガレヒメタヌキモは恐ら
46-
北方山草 8 (1989)
く
、
ト勝地方を除く、北海道全域に分布す
は Utriculariaの住め
ノレト・ブルーのこの初l
るものと推定されます。日高沿岸に面する
るところではありません。恐らくは日高地
泥炭地はかつてはナガレヒメタヌキモが分
方にもナガレヒメタヌキモは分布すること
布したのかも勾l
れませんが現在は荒廃した
はないでしょう。釧路・根室地方にはその
泥炭地が残っているのみで、タヌキモ科続
分布が期待できそうです。釧路湿原では温
物の分布を認めることはできません。 1987
根I
人]、舌辛が有力と思われ、後者「舌辛」
年 7月アポイ岳登山の折 H高沿岸部を調資、
はかつてムラサキミミカキグサの分布の記
さらに「笠似樹J
J も踏査しましたが、コパ
録も伐されております。
図 -5
(
'
函 -6
ナガレヒメタヌキモ
Utricularia minor f.natans
KOMIYA: Uryunuma mo0 r,
Hokkaid0 1
Co1,'
l
'oyama NDC(/9S
ア.S‘19)
←
47
北方山草 8 (1989)
B
. フサタヌキモ
されます。参考までに十勝産のタヌキモを
Ut
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n
t
h
aMakino
示しておきます(同一沼のもの)。
道内で刊行のいくつかの文献でフサタヌ
キモの分布が記録されています。知1り得る
範開でその文献をあげると次の通りです。
〈フサデヌキモの道内分布告示した文献〉
①横山春男:十勝植物誌(帯広常林局、
1
9
5
1年 )
1
0
7真に池田町分布②問中瑞穂・土
J
I
'
i
青:郷土の重対直物 1
9
5
9年版(弟子原町教
9
6
0
年 4月)1
1
9Pに音別付近の
育研究所、 1
沼地に分布③田中球i
穂、:釧路の植物y
r<
1
)1路
9
6
3
年)86Pに卦1路湿原
叢書 5> (釧路市、 1
に分布④合同勇太郎:主I
I
I
W
各地方の続物総説
(自費出版物)に音別付近に分布の記録が
収められています。その分布記録が、
卜勝
・釧路の東北海道に集中しているのですが、
いずれも標本による実証を欠いています。
結論から申しますと、この植物は北海道
には分布できない暖地性の植物で、小生が
実験によって分布できないことを実証し、
さらに十勝での現地調査によって分布しな
いことを明らかにしたところです。
道東部に入るやいなや無抑虫のう t
y
p
eの
タヌキモが分布することが判明し、それが
フサタヌキモに酷似することから、これま
で記録されたフサタヌキモは無捕虫のう t
y
p
e
のタヌキモとの誤同定にちがいないのです。
その詳細については、小生の著作 r
北海道
十勝産タヌキモ雑記 J(食虫植物研究会会誌、
vol
.3
9,Nu4 1
9
8
8
) にすでに報告ずみで
すが、今後も検銭によらない場合はフサタ
ヌキモと告書締虫のう t
y
p
eのタヌキモが陪似
ヒメツキミソウ
するために誤同定は起こり得るものと推定
4
8
事
士
北方山草 8 (1989)
A、B、Cいずれも I
n
l -沼産のタヌキモ UtriculariaaustralisC%に縮小〕
'
0
)
.
.
s
f
'
。
フサタヌキモ U
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dimorphanthaの分布(日
本商科大紀:
;
'
t
N
o
.9による)
(外山雅克:北海道十勝産タヌキモ雑誌己〈食虫植物研究会会話;vo.
l39.
N
o
.4 1988>よりヲ│用)
49
北方山草 8 (1989)
C. ミミカキグサ類
釧路にもホザキノミミカキグサが分布す
北海道康のミミカキグサ類として、分布
るという話もありますが、確実な記録はあ
が明らかにされているものは、ムラサキミ
りません。北海道のミミカキグサ類につい
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o
s
a及びホザキ
ミカキグサ U
ては誤解が多く、生態すら正確につかまえ
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c
a
e
r
u
l
e
aの 2種
ノミミカキグサ U
られておりませんでした。ムラサキミミカ
類です。
キグサとホザキノミミカキグサは北海道に
シロパナミミカキグサは、ムラサキミミ
自生することさえ異例な熱帯性の食虫椀物
カキグサの内花品種で、苫小牧に分布
であり、多年草としては北海道に分布でき
<Utriculariauliginosaformaalbiflora
ない植物であります。これらの植物が多年
Komiya:Kashiwabara.moor,Tomako.
草であると記している書物は、本外│文献か
maic
.
, Yuhutsu.gun,coLToyama1
9
8
6
.
らの引き写しであって、北海道では種子に
9
.
6
.NDC.357
7
-3
5
7
8>していますが、これ
よってのみ越冬できる植物 つまり l年生
は北海道での最初の登録された実証標本で
herophyten)であることが筆者
型草本(T
す
。
の追求で明らかになっております。しかも、
もう一種ホザキノミミカキグサは、かつ
それが
i
邸内な偶産種ではなく土着種であ
て新篠津湿原に北海道での最後の姿をとど
ることが、長年の戸外における実験陪養の
めて分布していましたが、現在では絶滅し、
結果から明らかであり、植物界の驚異とも
小生の子計に時養品が残されています。本
いうべきものであります。熱帯性のもので
積の臼花品として、シロパナホザキノミミ
ありながら北海道の寒地に土着し得た秘密
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カキグサ U
は種子の高生産力と驚くべき種子の強耐寒
canthaKomiyaが知られ、国内での記録は
音養ムラサキミミ
性に基づくもので、小生I
下記の通りですが、北海道からはいまだそ
カキグサは六度目の冬を雪と氷にとざされ
の分布が実証されたことはありません。
た戸外で生き抜こうとしているのです。
U
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Komiya Hara,Numazuc
.
, Shizuoka
針l
路地方ではさらに厳しい自然条件の下
で吐:きぬいているのです。
Pre
,
.
fOba(
Y
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i1
9
5
1
)
;Mt
.Sanageyama,
ムラサキミミカキグサは産地によっても
Komiyama NDC.2807 (
19
7
3
) ;Hiraiwa,
かなり花色が異なり、樺戸郡月形町・石狩
H
i
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h
iT
.
, GihuPre
,
.
fKomiyaNDC.2808
郡新篠津村(現在は絶種)のものは青紫色
(
1
9
7
6
) Oike,Yo
k
k
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c
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ic
.
, Mie P
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f
で多くは仮面部にたですじがあり、苫小牧
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a
s
u
iTNS.86764,NDC.2277(
1
9
5
1
)…
…
及び道南部長万部町静狩産のものは赤紫色
(
S
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d
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s
h
iKOMIYAandC
h
i
a
l
口S
h
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b
a
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ないしピンクに近いものが見られます(現
(
1
9
7
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):D
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o
no
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.
在自生地が失われた旧東野腕湿原のものも
c
e
a
ei
nj
a
p
a
nによった)
同様Lそれ等のほかに淡紫色の個体を見る
ことができます。
~50
北方山草 8 (1989)
釧路に分布のうわさのあるホザキノミミ
司定されたわけです。小宮先生
タヌキモと i
カキグサは恐らくムラサキミミカキグサの
がフトヒメタヌキモという新分類を発表さ
少し色の変わった側体にちがいないものと
9
7
2
年で、新分類の中には、その
れたのは 1
推定されます。その理由は、読録された'支
.minorf
.n
a
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a
n
s
ほかにナ方レヒメタヌキモ U
詰襟本を基礎にしてまとめられた正確な文
Komiyaも含まれていました。
東北海道の植物、釧路市
&1I月らかになったフトヒメタヌキモ
その f
f
.
(総合調査報告書等)に
立博物館・釧路湿 I
の分布を標本によって示すと下記のように
ムラサキミミカキグサの記録しか見出たら
新篠津湿原の分布を示すことができます。
ないからであります。
U
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a minor f
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a Komiya
献(滝田謙譲著
S
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n,co.
lTo.
主
ただ、ホザキノミミカキグサの種子力勺l
烏によって偶然i
E原内に、しかも、ミミカ
yama1
9
8
5
.
9
.
2
9N
D
C
.
3
5
0
7
.
3
5
0
9
キグサ類の自生できる場所に運搬された場
寒性からみて確実に土者で
合は、種 fの市I
(
6
) ブラックベリーの分布拡大
きるでしょう o しかし、そのような機会は
道内にはたくさんの種類のキイチゴ類が
分布することが知られています。
非常に少ないものと思われ、野鳥の~城主時
払H
日野にもその穂子がj
軍搬された形跡はな
それらのキイチゴ類は普通は 2つのグル
0 ・・種子が述ばれ
いようです(数千年間 )
ープに大別されます。その Iつのグループ
たことカずもしあったとすれば、そこにはホ
はラズベリーで、他のグノレーフ。はフFラック
ザキノミミカキグサが土着ーしていなければ
ベリーの仲間になります。そのグループを
ならないからです。
知る最も正確で簡単な方法は、果実を採取
侍のはずれ方を銃器宅することで事足り
した i
0,フトヒメタヌキモ U
t
r
i
c
u
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i
am
i
n
o
r
るのです。
f
.s
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aKomiya
①果実が花托といっしょにとれるクルー
ヒメタヌキモ U
t
r
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r
i
aminorL.の寓
プ ブラックベリーのなかま。
栄養型がフトヒメタヌキモといわれるもの
②
花托が残って果実のみがキヤソプ状に
ですが、北海道て。記録が残されていたもの
はずれてくるグループ。 ラズベリーのな
,
は道南部産のもので、 OnumaKameda.gun
かま、ク 7 イチゴやナワシロイチコはこ
YamazakiTI(
1
9
5
);
Hakodatec
.
, Yama
のグループに属します。
motoT、
A
I
.
1
4
2(
1
9
2
2
)のみでした
D
i
s
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rト
※特殊なものとして果実が果柄からがくや
b
u
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i
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no
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ei
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p
a
n"
花托といっしょにはずれてくるものもあ
による。標本が採集された当時はそのよう
りますロ
すらなく、ヒメタヌキモとして処理
な分知l
北海道だけでなく、今日、 H本各地に帰
されていましたローそれらが東京在住の小
化し、大繁殖をしているのは①のブラック
宮定志先生によって再検定され、フトヒメ
ペリーのなかまです。
5
1
北方山草 8 (1989)
このブラックベリーのなかまが、日本に
一氏が札幌で採取し、
Rubusischyracan
入ってきたのは明治に入ってからで、わが
thusCardと同定されたブラックベリーのな
国最古の記録は 1888年(明治 22年)フォリ
かまの積です。
Rubus ischyracanthus Card. s
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2
北方山草 8 (1989)
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そして、開拓使で栽域の植物については次
るブラックベリーは凶外からの輸入によっ
刊がありまし
第に北海道に移そうという計 l
たのが現在の大繁殖を見るに到ったのです。
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こ
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そこで、フォリ一氏が日本で最初に札幌
二つめの重要な膝史的事実は、 F西洋果樹
産として記録にとどめたフラソクベリーの
栽培法 J (開拓使蔵版、明治 6年 f
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いつ、どこから入ったものかを数年前より、
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.・前興住…・・黒幕(クロイチゴ) ・
中に、 r
文献上から探索できないものかと調査を続
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亘l
ブラーケベレ(ブラックペリーのこと)
行し、省干の ~jl 兄を得たので記録に残して
5積
…右各種菓粒大ナルモノハ直径六
おきたいと思います。明治以前にブラック
七分斗一食シテ昧美ナノレアリ成ノ、調理ニ供ス
べリーが道内に入った記録は令〈見つかり
ヘキアリ
J
という記事が見えます。
この記事によって、オフリーが採集した
ません。
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ブラソクペリーのノレーツは黒伺清隆がフラ
まり、当時開拓イ史の開拓次官であった黒田
ンスから輸入した 5積のうちの 1種にちが
清降が明治 4年、フランスへ西洋果樹の買
いないという結論にたどりつくことができ
付けのために出張しているという事実があ
ました。
先つひとつの重要な事実があります
ります(当時開拓使は、まだ東京にあった)。
程目当
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フランスより輸入のブラックペリーが五種あったことを示す
明治初期の木版本(開拓使
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一筆者所蔵本)
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5
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北方山草 8 (1989)
人類文化によって市直物の分布が撹乱され
日本の近隣地域朝鮮から放中井猛之進博
ることは世界中でおきていることでありま
士がBla
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yの 1種 Rubusgensanicus
すが、ヨーロッパ産のブラックベリーが日
Nakai (新樋)を記録 (
r東京帝国大学瑚科
本に輸入された頃は、分布が点に過ぎなか
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aKoreana.Parss
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を経た今日では分布は点から面へと拡大さ
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.)しましたが北海道に産するものとよ
く似ています。
しかし、その後 Rubusg
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れているのです。
小生の観察によると現住で l
土台別個j ・
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形I
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'新篠津村でかなり分布を拡大してい
最近の朝鮮フロラからは姿をi}
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'しているそ
ることを認めました。果実は,鳥の餌ともな
うです。正体不明の帰化柄物であるための
りますから、今後も分布は拡大するでしょ
ようです。
クロイチコについても北海道に占くから
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1
9
8
7年 9月には広島町にまたがる野幌国
自よ主していたクロイチゴ Rubuso
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有林内にブラックベリ - 1株を確認するこ
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とができましたが、当別などで兄られるも
4年開拓使次官黒出 i
青除がフランスより買
のと同ーのものでした。想像以トーにその分
付けたクロイチゴ(学名ィ、詳)の栽培逸
布が広がっているのかもしれませんが、詳
品が北海道のどこかに自生しているかもし
細な実態についてはこれからの;凋資にまた
れません。
m
なければなりません。
北海道に帰化しているブラックベリーは、
鳴橋直弘先生(寓 1
1
1大学瑚学部)に問い合
わせたところ、正体はほとんど特定するこ
とはできないて"しようということでした。
その理巾は、アメリカに 700
積ほど、イギリ
スに 400
種、オランダにが)
08
0
得、フランスに
数百種、 ドイツに多数あり正体不 1
月のもの
もあるようです。ブラックペリーの帰化品
は南半球にも分布しているようで、前:{#-品操
i
普「槌物の分1
1
IJ (
in
f出書房、
H
日
平U23>H
リ
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によると「ニュージーランドにも、均、って
Rubu8f
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3 NAKAI
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1年故中井猛之進1
専上 が朝鮮より新種と
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床忘れ難〈、食用のため輸
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入したアメリカクロイチゴ(B
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して記録したブラックペリー(東京大学理
科大学紀要より音;
1
分凶のみを引別) F
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が、今では到る所に繁茂して駆除に困難な滋
CoreanaP
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木の一つになっている叫と記しております。
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4
北方山草 8 (1989)
(
7
) フイリミヤマスミレ
北海道千歳市シコツ湖附近にフイリミヤ
マスミレの産地があります。
フイリミヤ 7 スミレは北海道て伯はごくあ
りふれた種類でちっとも珍しくはないので
すが、シコツ湖鮒近の桜く限られた場所に
自生(保護地区になっている)するものは
普通に見ることのできるフイリミヤ 7 スミ
レとは、ちょっと迷うのです。
これまで北海道各地でこの植物を見てき
ましたが、葉の大きさは大同小異ていありま
した。ところが、シコツ湖周辺の一部にあ
るものは、葉の大きさがたいへんパラエテ
ィに富んでいるのです。特に興味が引かれ
るのは巨大・化した葉を持った倒体が多数見
られたことです。最大の葉では、たて 1
0
c
m
m
1
'
すいのものまで兄られたのです。
はば 7c
吾数体 (n= 1
2を基
恐らくは、そこではf
本とした)がかなりあるのではと推定され
ます。小生フイリミヤマスミレの体細胞は
2n =24と記憶しておりますが、この種に
倍数体があるのかどうかは知っておりませ
ん。残念ながら花期!のものは見ておりませ
んが、いずれにしても葉の大きさがたいへ
んバラエティーに富んでいることは珍しい
と思います。詳細は未調査のままです。
今回は、北海道ではほとんど実態の知ら
れていない食虫植物について特にくわしく
書いてみましたが、今後とも精力的な調査
を進めたいと思います。
オオノミナノエンレイソウ
5
5ー