2016.04.24 「わたしにとどまっていなさい」

メモリアルデー 召天者記念礼拝
2016/04/24「わたしとどまりなさい」
〇 講壇の前にには、懐かしい方々のお写真が飾られています。そして、今日、ご遺族の
方々をお迎えしています。
さて、新会堂になり、教会の周りには実のなる木が、植えられています。ブルーベリー、
ジューンベリーも時がくると実がなり、教会学校の子供たちと収穫して、子供たちのおや
つになるかもしれません。
私たちの人生に置き換えましたら、実りが多く、収穫が多いことを望むことでしょう。
この写真に映っている皆さんが、子供たちの嬉しそうな姿をみたら、きっと微笑まれる
でしょう。
多くの実を結ぶ人生という題でお話をします。とくに、
「ついている、とどまりなさい」
という言葉に心を向けて行きたいと思います。
〇
昨年の 9 月に新会堂が完成しました。それまでの間、牧師館はここから10分ぐらいの
ところにある古民家をかりておりました。
なかなか味のある古民家でした。
かつて礼拝で、そこに投函された一枚のチラシのことをお話をしました。再びお話しし
ますがお許しください。
ある昼下がり、ピンポンとインターホンが鳴りました。
受話器でお話をしました。
「はい、野田です」
「こんにちは。今就活セミナーをしているんです。その就活セミナーのご案内にあがり
ました。就活に興味ありませんか」
丁度息子が就職したばかりです、「今は、関心がありませんが」
「今度の友引の〇日に就活セミナーがありますから、いらっしゃいませんか」
「いえ、関心がありませんから・・・」
「あの、ポストにチラシをいれさせてもらいますので、是非ご覧下さい」
何で、就活セミナーの案内で家に来たんだろう。それに、友引にセミナーをするんだろ
う。変なの?
そう思って、しばらくしてから、そうだ、ポストに何か入れたって言ってたけど、何だ
ろう?そう思ってポストにあるチラシをみて、鈍い私は初めて分かったのです。
しゅうかつ は就職の就活ではなく、
人生を締めくくる準備の
終活の案内だったの
です。葬儀屋さんからの案内だったので、セレモニーホールが空いている友引に、終活セ
ミナーを開催するという案内だったのです。
一人で、就活でなくて終活かと笑いながら、チラシを見ました。
皆さんどんなことが書かれてあったと思いますか。
遺産相続には専門の弁護士がいます。遺産整理、遺言の書き方、そして、最後に葬儀に
ついて書かれてありました。
表も裏も見たのですが、どれも大切なことですが、2つの大切なことが抜けているよう
-1-
におもいました。
1,今の人生は実り多いものですか。実り多い人生にするにはどうしたらいいでしょう?
2,永遠のいのちをお持ちですか?たとえ全世界を得ても、永遠のいのちを損じたら
なんになるでしょう?
この二つの質問はとても大切なことだと思いませんか。
この質問に答えることのできるキーワードが「ついている」ということです。
イエス・キリストにつながるということです。
さて、イスラエルにはぶどうの畑があちこちに見られたようです。その葡萄の枝はぶど
うの木に「ついている」(4 節)います。それは「とどまっている」(4 節)ということで
す。*1 ですから実を結ぶことができます。
皆さん葡萄狩りにいったことがありますか。私は教会のかたと、新座の葡萄狩りにいっ
たことがあります。少し高いところにぶどうの棚があって、その葡萄は1つ1つ丁寧に袋
に入っていました。ちょっとすぐれものの袋で片方の紙が少し開くようになっていて、中
は透明のフィルム。そう、中に入っている葡萄がどんなものが分かるようになっていたの
です。確か『巨峰』だったと思います。それはそれはとってもおいしかったですよ。
イスラエルの葡萄の木は、あのブドウ狩りのような木ではなくて、一本一本が、低い低
木のような木です。
*1 ヨハネ 15:4 の
わたしに「とどまり」なさい。と
の「ついている」の二つの動詞は
する、メノ
ぶどうの木についていなければ、
remain, abide(ある状態に留まる,住む、残る)を意味
というギリシャ語です。
-2-
一枚の写真をお見せしますね、これはボルドーの葡萄の木です。
日本の葡萄の木と、違いますね。
イスラエルの葡萄の木もこのような木だと考えてください。
さて、今日お読みしたところ葡萄の木は一つのたとえです。
どんなたとえかというと、私たちの人生そのものです。
豊かな実を結ぶ人生を送るには何が必要かをイエス様はたとえで話しておられます。
最初に
農夫がでてきます。
ブドウの木
イエス様のことです。
枝
私たちのことです。
1、農夫
父なる神様のことです。
何をするか
刈り込み・・・・なぜ、 多くの実を結ぶため
選定が必要、
伯父、柿の選定が上手、えっ、そんな切ってもいいの?というと、ターボー、大
丈夫だに。といって選定してくれていまいました。そして、やがてたくさんの柿
の実がなっていました。伯父さんってすごいな、と尊敬していました。
農夫は刈り込むのです。聖書には二つの方法が書かれています。
1、枝を取り除く
to raise up elevate, lift up
アイロー
あの写真でほら、垂れ下がっている枝があるでしょ。
この枝がそのままですと、土に接した葉っぱは枯れてしまいますし、
実がついてもこのままでは困ってしまいますね。
農夫はこれを引き上げて、ちゃんとよいように支えてくれるのです。
→わたしたちも、折角いいものをもっていても、方向性が違って、
倒れてしまいそうになる、そんな私たちのを引き上げて、いわえて支え
て下さる方です。
・・・教会附属附属のある幼稚園
やさしい天のお父様・・・
やさしい天のお父様は弱ったものを引き揚げて下さる。
2、刈り込む
イエス様のことです。
カサリオー
(汚れをきよめる、剪定するの意味)
これは剪定という意味ときよめるという意味があります。
・剪定
これは分かりやすいですね。多くの実を結ぶためには剪定が必要
です。しかも、この農夫は間違った剪定はしません。
・きよめる ごちゃごちゃ枝があって、風がふくと枝と枝が刷れて傷にな
り腐ってしまわないように、葉っぱばかりで実を実が隠れてしまっても
-3-
いけませんでしょう。ちゃんと整理してくださる。本来あるべき状態に
して下さる。それがきよめるという意味です。
→平安がおとずれるように、不要なものをとってくださる。
人間にとって不要なもの、それは罪です。
罪とは何か、神さまが喜ばれないことを思ったり、言ったり、行って
利すること。その時には心には平安がありません。
罪の習慣、傾向性があれば、それをとってくださる。
痛い経験かもしれませんが、それが取り除かれることによって、魂に
平安が訪れます。
2,ぶどうの木
先程の写真を思い出してください。一本一本、立派な木ですね。
そこから枝が伸びています。
ぶどうの木はイエス様。
ぶどうの木にはいのちがあります。
イエス様はまことのぶどうの木
わたしたちにいのちを与えてくださる。
永遠のいのち
私たちにいのちを与えるために
世に来られ、
友の為にいのちを捨てて下さった
人が友の為にいのちを捨てるという
これよりも大きな愛はありません。
自分を犠牲にしてでも、誰かを助け
たいという思い。良い親は子供のことを大切にします。熱がでていれば、夜何度もタオル
をかえてくれるでしょう。熊本でボランティアに駆けつけておられる方々、貴いこと、自
分の時間、富み、体力を犠牲にしてでも、与えておられる。この親もボランティアのかた
も自分が犠牲を払っているとは思っておられないでしょう。なんとかしたい、助けたい、
そんな純粋な思いをもっておらると思います。
子供の頃、私は夜熱を出しました。2階の部屋で私は寝ています。すると、トントント
ンと静かな足跡、そっと襖が開いて、父は私の額においてあったタオルをとって、そばに
あった水が張られている洗面器にそのタオルをいれて、冷やし、しぼって私の額の上に。
また、すばらくするとトントントン。今でもそのことを有り難く思っています。
主イエス様はわたしたちに永遠のいのち、いきいきとしたいのちを与えるためにこの世
にこられ、私たちの罪の為に十字架にかかってくださったのです。
イエス様はまことのぶどうの木です。
3)枝
私たちのことです。
どんなに立派なぶどうの木があっても、枝が木からはなれていたら生長することは
できません。なぜなら、栄養はぶどうの木から来るのですから。ぶどうの実が生長するた
めには、ぶどうの木からの水分、栄養が運ばれることが必要です。そして、その栄養で葉
-4-
っぱは生き生きとして、光合成をして栄養作られ、水分の中に入ってぶどうの実の中に栄
養が入ってきますね。でも、つながっていなければ、なにもすることはできないのです。
では、わたしにつながるとは どういうことでしょうか。
つながるために・・・・・とどまりなさい
イエス様を信じる、信じつづける
イエス様が本当の神様で、あなたの罪のために十字架にかかって下さり、三日目に
よみがえって下さった。Ⅰコリント15章で
最も大切なことといっていることで
す。
多くの実を結ぶ
愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、柔和、自制 御霊の実、
(ガラテヤ5:21)
その中でもっとも大きいものは愛です。
〇
4月15日に熊本地震。多くの方が亡くなり、また何万という人が避難所生活、テント
や、車での生活をしておられます。
インマヌエル熊本教会は震源地から車で15分ぐらいの所なのだそうですが、教会は本
とか落ちて、大変ななかですが、守られていて、教会には十数人の方が避難してきておら
れます。近所の方も教会に来ておられるそうです。
その中に益城町にいらしたご夫妻がいらっしゃるとのことです。
地震があったときに、ご夫妻がこたつの中に入ったあと、1階にいたので、1階部分が
崩れたそうです。2階にいた息子さんが助けを求めに行って、後両親は救助されました。
奥様は手を骨折されていましたが、お二人とも命が守られました。
しかし、隣の一人のご親戚は倒壊のために亡くなられたそうです。
地震を通して、改めて、人生ってなんだろうか、生きている目的、あとどのくらい生き
られるのか、終活ではありませんが、いろいろ、考えさせられることと思います。
イエス様は、この地上で多くの実を結ぶように、またやがての日には天国に導くために
この世にきてくださいました。
わたしは道であり、いのちであり、真理なのです。
この道に定冠詞の THE がついています。あっちこっちの道ではなく、これこそ天国の
道という道。ですからイエス様をとおして天国に行くことができます。
突然のことで人生を考えた人がいました。
先週の礼拝でもお話をした、広岡浅子、本名は広岡浅、先月まで、NHK の朝の連ドラ
「あさが来る」の主人公です。
連ドラでは出てこなかったのですが、とても大切なことがありました。
それはあさが60才を過ぎてからクリスチャンになったということです。
60才のときに、乳がんになって、手術をうけ,意識がもうろうとなっているときに、
何とも言えないような圧倒的な力、平安を感じたそうです。手術は守られました。あさは、
あの圧倒的な力をもう一度知りたい、あの力を与える方が「神」と呼ばれる方かもしれな
いと、大阪の教会に行き始めます。ある朝、基督教の本を読んでいるときに、イエス・キ
リストが自分のために死んでくださり、愛していてくださるということをふと知ることが
できて、涙が止まらなかったそうです。そして後に62歳のときに洗礼を受けたのです。
あさの生涯は満69歳でした。クリスチャンになるまでのあさも他者のために、お家の
-5-
ために尽くした人でしょうが、クリスチャンになってから、そうキリストにつながってか
ら、多くの実を結ぶ生涯を送られたのです。
メモリアルデーの関係者の皆様へのプレゼントとして一冊の小冊子「あさが来る。広岡
浅子のびっくりポンの生涯」もと思って用意させていただきました。ドラマには出てこな
かった沢山の事が記されています。
わたしにつながっていなさい。 イエス様は私たちに今日も語りかけて下さっています。
〇
先程、終活のことをお話をしました。私たちの人生は一回限りです。ヘブル書12章1
節にはこういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いてい
るのですから、わたしたちもいっさいのおもにとまとわりつく罪とを捨てて、私たちのま
えに置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。と書かれています。
多くの証人が雲のように私たちをとりまいている・・・まるで大きなスタジアムににいる
大観衆が走っているアスリートを応援しているような感じです。とすると、わたしたちは、
先に逝かれた方々にも、そして神様からも期待されていることがあります。それは、罪を
捨て、まことの神さ様であり、わたしたちのぶどうの木あるイエス様につながって、多く
の実を結んで欲しい。そして互いにイエス様が愛してくださったように、愛しあってほし
いということです。
私たちの齢は 70 年、健やかであっても 80 年
(詩篇 90:10)と聖書にあります。
私たちのいのちは神様によって与えられています。
この地上の大切な歩み、イエス様につながって、多くの実を結んで行きませんか。
1)聖書を読みましょう
2)心の内をイエス様に話しましょう
祈り
慈しみ深き友なるイエスは
・・・
心の嘆きを包まず述べて
などかわおろさぬ
負える重荷を
3)礼拝にお越し下さい・・・毎週のメッセージがホームページに
「富士見台教会」で検索するとインマヌエル富士見台キ
リスト教会がでてきます。
教会から毎週メッセージをお送りすることもできます。
神様はそのメッセージを通しても語りかけてくださる。
T さんたちは、敗戦後中国から帰ってこられました。
敗戦と同時に
日本人に対する反日感情が爆発して、日本人の家は襲い始めるひとも
いました。その中、T さんたちご家族はより安全な場所をもとめて真夜中に移動していっ
たのです。途中、お父様の同僚だった除集川(じょしゅうぜん)さんに、神様は会わせて
くださって、彼の家の屋根裏に息をひそめて寒さをしのいだときもあったそうです。
御母様は、遅れそうになる子供をはげまし、あるときは、手をつないで道を進まれた
でしょう。T さんのご長男は 7 才の時です。
神様はわたしたちに手を差し伸べてくださっています。さあ、わたしにつながりなさ
い。わたしたちが「はい、神様、お願いします」といって手を差しのばして,応答すると
-6-
きに、神様はわたしたちのてをしっかり握るようにして救ってくださいます。
優しい天の神様は私たちを皆さんを招いてくださっています。今日の聖書のおことば
「わ
たしにとどまっていなさい」
お祈りします。
天の父なる神様、御名を讃美します。今日はメモリアルデーです。先に逝かれた方々を
思いながら、イエス様は「わたしにつながりなさい、とどまりなさい」と私たちに優しく
語ってくださっています。この地上では私たちは、いろいろなことがあります。突然の地
震に遭遇することもあります。いろいろな試練に直面することもあります。しかし、イエ
ス様につながっているとをその人は、神様からの多くの実を結ぶことができます。私たち
の後の人が、あの人は神様の愛に溢れる人だった、そんなことを言って頂けたき、神様の
御名が崇められたら幸いです。キリストにつながっていくことができますように。特にご
遺族の方々に神様の見守りと慰め、導きをお与え下さい。そして一人ひとりがキリストに
つながって、沢山の実を結ぶ生涯を送ることができますようにお守りください。主イエス
様の御名によってお祈りします。アーメン。
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