安楽死の立法化について (三)

安楽死の立法化について(宮野)
五
安楽死の立法化について
︵三︶
は
き
一
ヨー冒ツパ大陸諸国の立法化の事情
安楽死の立法化運動と英米安楽死法草案︵以上五巻一号︶
が
二
し
三
G・ウイリアムズの立法上の提案
彬
︵1×2︶
国=︶の審議は︑立法問題の将来を占う意味において︑まず最初の重大な関門といえるものであった︒安楽死問題関係者
一29一
四 英米安楽死法案に対する一般的批判
① 総体的批判ークサビ理論による反対
③ 個別的批判−安全保障のための条件︵以上前号︶
ω
Y・カ︑・・ザーの批判
G・ウイリアムズ対Y・カミザーの論争
③
G・ウイリアムズの反論︵以上本号︶
五
③
G・ウイリアムズ対Y・カミザーの論争
① G・ウイリアムズの立法上の提案
野
一九三六年一二月一日のイギリス上院における任意的安楽死︵立法化︶法︵<o一茸欝嵩国暮訂b霧㌶︵ピお巴一駕こ9︶
宮
は︑多大の関心をもって︑その成行きを見守った︒しかし︑結果は︑立法化にはかなり厚い壁のあることを知らしめると
へ
レ
いうおまけをつけて︑法案の採択を否決する方向でヶリがつけられた︒英米安楽死法案に対する批判のあらましは︑既に
紹介したとおりであ る ︒
審議の過程において︑当時の医学界の権威者であったぎこU鋤誤象亀寄鷺とぎ箆国oこRの発言は︑医師の
立場を代表するものとして︑特に注目を浴びた︒ともに︑立法化には批判的であったが︑法案の趣旨にはかなり好意的な
態度を示していた︒医師は安楽死をどのようにみ︑またいかなる処置までを許されると解しているかが一般の人々には判
然としていなかったために︑その発言は多大の興昧をもたれた︒■o巳U齢≦の自亀評導の発言内容から︑次のような
事実が明らかとなった︒安楽死といえる事実が現実に存在するとともに︑意識的にせよ無意識的にせよ︑実際に医師によ
ってそのようなことが行われているという事実の承認についてである︒医療上は︑すべての事柄を医師の自由裁量に一任
︵4︶
する︵o︿①蔓跨一お厨ざ津8普o象8冨江9亀90α099︶のがもっとも良い方法であるという点で一致をみた︒
しかし︑このような自由放任主義的解決方法︵一巴︒・器Nも巴器8一昌一§︶は︑万一︑医師が起訴されたときには︑法律上
︵5︶
なんらの抗弁事由を見い出せず︑依然として医師を無保護のまま置くことには変りはない︒つまり︑起訴されれば職業上
の破滅を招き︑かりに不起訴でもゆすられる可能性は残る︒さらに︑医師により現実におこなわれる安楽死が︑法律上許
︵6︶へ7︶
容されるか否かの問題が未解決のままおかれているだけでなく︑生命を絶つ行為と臨終の状態に終止符を打つ行為との
区別が︑医学的にも︑法律的にもはっきりせず︑依然として曖昧なままになっている点で︑前記の医学の権威者の結論
は︑医師に責任と危険を免れさせることはできない︒訴追のおそれは極めて少ないといっても︑その可能性のある状態の
へ8︶
下で安楽死の決断を下さなければならないというのは︑医師にも患者にも妥当でないというのが︑自由放任主義的解決方
法に対する批判であった︒
かような批判の中にあって︑イギリスの刑法学者︑G・ウイリアムズは︑上院での審議の経過に鑑み︑医療の実際にで
一30一
説
論
安楽死の立法化について(宮野)
きるだけ合致するような規定を設けるのがもっとも好ましいと考え︑それには煩わしい保護条件を附するのを止めて︑医
ハ
ロ
師に広い自由裁量権︵三牙象零需鉱8︶を与え︑そのものの良識︵讐&︒・窪器︶を信頼する方向で立法化を検討すベ
きであるとの提唱をおこなうに至った︒ウイリアムズの考え方にそう立法上の先例がないわけではない︒イギリスでは︑
生存の可能性をもつ子供の生命を殿滅することは︑嬰児殺を構成するが︑これには︑一つの重大な例外事由が附されてい
る︒一九二九年の嬰児生命︵保護︶法︵円箒騨霊日虻密︵ギ9簿黄江自︶︾9二旨り︶は︑母親の生命を保持する目的
ハリロ
で善意をもって行為がなされたときには︑たとえ子供の生命が殿滅せられたとしても有罪とはみなされないと規定する︒
この規定には︑保護条件はない︒また︑特別の医学上の意見も要求されていない︒医師のみならず何人をも保護する建前
になっている︒悪意の存在を立証する責任は︑国側にある︒もともと︑法案の真髄は簡易な点にあると解していたG・ウ
イリアムズは︑右の嬰児殺の規定を参考にして︑次のような一つの法式を安楽死につき編み出した︒
﹁重い病気に罹っている患者の死を故意に速めるためになした行為につき︑もしも︑行為が︑患者の同意を得て︑善意
に︑そして不治で致命的な性格を有するものと信じられた病気において︑患者をひどい苦痛から救済する目的でなされな
ハロレ
いことが証明されなければ︑いかなる医師も︑犯罪行為をなしたとして有罪とはされない﹂
この規定の下では︑患者が重大な病気に罹っていることの挙証責任は医師側にあり︑また︑訴追側は︑行為が法律によ
︵ 12︶
って医師に許された人道主義的動機︵雪ヨ§坤巽一目ヨo江ぎ︶以外の動機からなされたことを証明する義務を負わされ
る︒
ウイリアムズ法の目的は︑患者の救済の際に伴なう法律上の脅威から医師を解放することにある︒その特徴点を列挙す
ると︑次のようになろう︒O︑なんら形式ばっていないこと︒⇔︑医師の自由裁量に任せるべきであるとの■oこU薗≦ψ8
の見解にそうものであること︒㊧︑医師に自由裁量権を認めることの可否が法律上争われるが︑しかし︑医師に対し処罰
の脅威を免れさせる働きをもつ︒㈲︑医学の権威者により承認せられた安楽死の実際を単に合法化するに過ぎず︑なんら
一31一
の危険も伴なわない︒㈲︑安楽死法案の下では︑医師の個人的判断でなし得るのは︑せいぜい苦痛を緩和するに必要な最
後の服用量の投与ぐらいであるが︑この限度までは︑法律に規定しても単に宣言的な効果を有するに過ぎない︒ウイリア
ムズ法では︑医師に︑その良心にもとづき︑患者の同意を得て︑そのものの生命を終らすとの直接的な意図の下に薬を投
驚︶
︵尋
与することにより病気の最後的で苦痛の多い段階を早めるのを許すようになる︒の︑倫理的には︑安楽死法案において
は︑その正当性が直接問われるが︑ウイリアムズ法では︑合法性ないし犯罪性の有無が直接間題となる︒㈲︑良心問題
︵曉霧甑3亀8霧9窪9︶として︑個人的自由︵鷺駿魯巴一ぎ窪蔓︶を復活させ︑大多数の医師の倫理感情とその実
﹃σq巴一昌︶よりも親族内における緊張感を少くする作用をもたらす︒e
匂︑同意の間題に
際的な事情の一致したものを法律の中に持ち込むことにより防御を容易にする︒¢
9︑形式ばらない規定は︑安楽死法案の
ような厳格な遵法主義︵ユ讐α
ついては︑安楽死法案では︑患者が安楽死につき堅い決心を有しているか否かを確かめるために︑時間的間隔をおくとい
う慎重な配慮を定めている︒ウイリアムズ法では︑保護条件は存在しないので︑医師が個人的責任において︑書面あるい
は口頭により︑同意の有無を確かめなければならない︒患者の精神状態が不安定なときに安楽死を実施すれば︑当然に処
罰を受ける可能性が出てくる︒患者の同意のないことの挙証責任は訴追側にあるが︑一方︑同意があることを証明する責任
は医師側に負わされる︒結局︑G.ウイリアムズは︑O︑④︑ナルコチカの投与が︑副作用として生命の短縮をもたらす
事例と︑㈲︑不作為による安楽死および ⇔︑積極的に生命の短縮をはかる︑いわゆる安楽死の事例とに間題を整理し︑
へめり
Oはいうに及ばず︑⇔も法律上責任を負わさるべぎではないとして︑次のような結論を下している︒
O︑医師が︑重い病気に罹っている患者に対し︑次のことをなすのは合法的であると宣せられる︒
④︑患者を︑苦痛に対し無感覚ならしめあるいは睡眠状態ないし無意識状態を惹起せしめる等の目的の下で︑合法的に
ような薬の分量を増加すること︒
作られまたは売られた薬を患者に投与することおよび患者に忍耐力をつけさせるために補充を必要とする程度にまでその
一32一
説
論
安楽死の立法化について(宮野)
⑬︑医療処置によって患老の生命を長引かせるような方法をとるのを止めること︒
右の二つの事例の場合に︑不治で致命的な性格を帯びていると信じられた病気において︑患者をひどい苦痛から救済す
る目的で︑善意をもって︑行為がなされずまたは不作為がなされないことが証明されなければである︒
⇔︑医師が︑他の医師と協議した後に︑重い病気に罹っている患者の死を何等かの慈悲的な方法で早めることは︑合法
的であろう︒
ただし︑この場合︑不治で致命的な性格を帯びていると信じられた病気において︑患者をひどい苦痛から救済する目的
で︑患者の同意を得て︑善意で行為がなされないことが証明されなければである︒
なお︑この他に︑医療実務との関連において︑免許を受けたあるいは登録済みのものとして︑医師に関する定義につい
ての一項目を設ける必要を説く︒この点︑安楽死法案では︑安楽死に対する人間的権利︵ビ菖きN蒔ま︶と呼び得るも
のを規定するが︑ウイリアムズ法では︑すべて医師の自由裁量に任せる建前をとるので︑患者は医師に安楽死に対する権
利を有しない︒しかし︑ウイリアムズにいわせると︑これは︑両者の実質的な相違というよりは︑単に表面的な差異に過
ぎず︑安楽死法案の下でも︑医師は︑その良心に反するような行為をなす積極的義務を負担するものとして予期されてい
ず︑要は︑実際上︑安楽死の実施を快く引き受けてくれる医師を探し出すことにあるという︒患者が︑医師を自由に選択
し得ることが重要で︑安楽死のような問題では︑個人の自由︵嵩ぼ旨嘱9浮︒ぎ象<一身巴︶がもっとも重要であると力
説する︒
︵1︶頃銭薮器①旨舞畷UΦび90ω︵国o島09いoaωy<〇一﹂︒ωu8一玉の甲8の︵ごφ8毯げRごおω①︶
︵2︶審議は︑まず︑Hoab88呂楼9ωげ巳酵①号が発言の口火を切り︑つづいて︑ピoaU9目目︸≦ω8ロ暮霊冒巴§9UΨ
鴇名Φ旨︸ピo箆U斡名ω80地勺9目︸↓冨ピo践︾吋魯び一菩80協O毬8昏畦ざビo置団o議Φさ↓ぎ崔母信Φωωo団9Φ類ρ↓冨
ピo鼠匹昌8亀2a&oダ↓ぎ国舞一9=ω8報魯↓冨団胃一90量罰ま置い≦零8旨O譜oの順で︑それぞれ︑安楽死立法
一33一
の是非につき所信を表明していった︒
︒曾いo注寓o&Rの発言内容は︑一寓ρ堕ぎぎお曾
︵3︶ゼ〇三U妙名の89℃Φ導の発言内容は︑一び箆●一ぎ一二︒曾8一︒畠︒ム︒
oo一・斜c
o㊤−お轟●
ぎご
a曾
8だ畠①ムc︒曾後者につぎ︑勺弩一¢目9鼠量U魯讐窃︵qo畠09
︵4︶一九三六年の上院での審議に際してのカソタベリーの大司教の見解および一九五〇年の上院での討議に際してのヨークの大司教
の見解を参照されたい︒前者につき︑冒箆ξ
8儀の︶b<o一●一8り8一●誘甲誘oo●
︵5︶職業上の破滅︵胃o富器一8巴讐置︶とは︑名声の喪失︵一〇器9お冒鼠江8︶と自由の喪失︵δ器9一まR蔓︶をいう︒
︵6︶Ho鼠国o鼠Rは︑ ﹁立派な医師は︑生命を引ぎ延ばすことと臨終の状態を引ぎ延ばすことの相違を良くわぎまえている﹂
︵日富ひ⇔o&39qお㊤名践09浮Φ象津R98び9名oob實巳8αq一轟謀Φ程儀鷺o一〇諾一凝跨Φ帥99q風護︶と述べている
が︑患者が死に瀕している際に︑多量のナルコチカの投与が︑右のいずれの範疇に属するとみるべきかについては︑判断に困難な
点が多く伴なう︒しかし︑それにもかかわらず︑ぎ&揖o箆Rの暁9目Egoは︑正統派の医学界では︑一つの決まり文句︵o︾o獄︶
になっているといわれている︒
の状態に陥っている病室内のモラルとして︑立派な医師は︑生命を引ぎ延ばすことと臨終の状態を不必要に引き延ばすことをきち
︵7︶イギリスの上院における第二回目の討議を批評した折りに︑イギリスの医学雑誌は︑次のように記述していた︒﹁患者が︑臨終
んと区別して行動するであろうということが︑確かに︑一般的に信じられている﹂
︵8︶英米安楽死法案に反対を唱えながらも︑安楽死の必要性を説き︑また︑その合法化を訴える人は多い︒類毅昌幻oびo醤ωは︑法
国ロ導§器貯曽幽o浮R器唱9宏息洋①磐q儀8島︵ピoβ戯8と89
案は︑保護条件のために適用範囲が狭くなって妥当でなく︑問題の解決には︑自殺を合法化するのがもっとも良い方法であると主
張する︒国賀昌幻o冨旨ωい国9ザ目器昼き儀ω民︒箆ρ一b
﹁U50
d践ぎβのよ
唇二禦弍︒戸︾●ω胃8pは︑一九四七年五月一二日に任意的安楽死立法化協会に対し︑ある状況の下における安楽死を是認す
る旨の講演をおこなった︒その翌目︑あるスポークスマンは︑イギリス医師会に対し︑次のように述べている︒
一34一
ピ
説
論
安楽死の立法化について(宮野)
うに︑かなり多くの医師は︑安楽死を合法化しなければならないと感じとっているようにおもえる﹂かような傾向は︑単にイギリ
ヨお㎝さ唱●ωω㊤︐合●
スの医師のみならず︑アメリカの医師の中にもみられる︒留ρ甘器9固9昌R一冨9巴の毬α竃o臼息9︵勺注営90誉2●トい︶
お㎝轟矯℃b●8甲9
︵9︶9胃琶一〇≦筥貯目ω︸国旨﹃目器餌言 臼箒ω目9一受o=馨§α浮ΦR巨筥四=
一江ω胃oく8浮讐浮08貯妻三畠8畠&昌①α$島o団夢Φ畠ま名器ロgα︒8冨αq︒oq憩島︷g浮o冒なoω︒︒β首o︷
0
︵
1︶規定内容は︑つぎのとおり︒寄黛箆鑑跨9宕冨話8の富=ぎま9似αqq一一な9聾o砕88琶儀R夢尻器9一8毒8器
︶英文では︑つぎのように表現される︒騨名〇三儀胃o£魯夢9ぎ窮a皆包胃毬葺δ奮目呂o巳q富σq鼠一蔓9器o欺魯8
鷺Φωo黛旨oq爵Φ一岸①o厩島o旨o夢R●
︵
置お眉Φgo剛目帥g山o器一旨①旨一〇量一帯8弩8一①量8淳Φ儀$爵9帥b蝕Φ旨毒ぎ一ωω︒ユoロω蔓一F毯一①ωの客一ω胃o<Φq
凶H同O口擁即鳳︾一〇
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一
〇ケ餌穐効O槽①聴︒
浮讐酔①帥g零器boけ血08宣oqoo儀壁一夢&浮爵Φ8bωo暮o団爵Φb讐一〇旨醤α団g尋Φ冒愚oω①o出ω鋤く言oqゲ冒坤o目
ωΦ<Φ同Φ り曽一β 一Hμ m日 一一一口①ωω びO一一Φ<O儀 けO びΦ O出 軸且P
︵⑫︶ウイリアムズは︑個人的には︑英米の両安楽死法案に賛成していない︒その理由は︑安楽死の適用を受けるものを成年者に限っ
に一任するのが︑もっともよいという︒
ているからである︒かれは︑ひろく︑未成年者にも安楽死の恩恵を与えるべぎであると考えている︒つまり︑子供の希望や両親の
希望を斜酌しつつ︑医師の良識︵αqo&器器09浮Φ39R︶
︵侶︶質問内容は︑Uo矯28胃o︿①良①9げ磐器貯ゆまたは︑零箒爵R①暮ゲ目器母駐匡αq辟となる︒
39a昌8崔富℃g一昏8臣自毬目一昆馨R貯αQ①ロ魯−
o<窪浮o轟げぎ導言寄ゲ一の9
︒g8びoお号瞠&冨浮o目︒ω廿ωo一〇目β含蔓o凶獣ω胃o富甲
︵餌︶質間内容は︑Uo︾8爵甘闘窪爵§器壁80一〇胃な≦3認爵讐
曾器壁8臼幽ぎbo一①ωω冨一
ω一8やまたは︑零冨浮R跨Φ&98魯8固富℃貸涜ゲO儀となる︒
即置げR①び矯儀8一弩鑑轡富け津呂巴一びΦ富名協艮Ho擁薗bげ協憲壁胡どωo冨寓魯紳一ωω①ユo霧な葭1
︵得︶つぎのように表現されている︒
一●
一35一
︵麟︶8包且艮ω一R8昏Φ冨鼠曇母轟ω冨註三百目鑑①窪αのo置︷8島oづ畦づo器o団竃ε冨oq冨帯暮の冨ω①霧鎧話8
窟冒aoコ呂8置αq巴8℃9毒8参905器ωのい毬α8冒RΦ拐o夢①血oのΦのo賄ω8﹃9轟ω8爵①o箆Φ9諾8ω鍔昌8
8目bgω90団g島①oω貫ぴ一一路目Φ暮o剛跨①冨江①導︑ωε一R目8夢RΦo隔嚇§α
︵び︶一〇3守母p坤o目鼠獣昌oq馨8ωε胃o一8αQさ①冨什一Φ暮︑ω一罵Φ身目Φ臼8一目①§ω嚇
一疑O殴口ω①︿O聴O
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題ロ 一一一βΦωω びΦ一一〇︿O幽 一〇びO O隔 曽ロ 一けO口塘鋤び一①
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ー巨一①器ぎ①一浮R8ωΦ一け一ω胃o<aさ8跨Φ四9≦器βoけ儀8ρo帰魯oo目一のω一8名器ぎ一誉包9言αqo&団巴簿
出O㎏ 一ゲ① bG隔℃OのΦ O︷ ω鱒<一βαq 一げO bg
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岸ωげ巴一びoご項甘一馬R薗もげ︾段o一聾︾鋤坤g8けω三け鶏一〇昌名一島.§o浮段℃げ矯ω一〇貯P8題8一忠緯Φぴ団鋤昌矯目Ro罵巳
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鴎●
巨Φ曽ω島Φq$導o協頸冨飢Φ濤≦ぎ置のRご蕊蔓∈︸毒一Φのの一江ω胃o<&9鶏浮Φ零瞥名拐琴叶血8①旨σqo&暁鉱浮
項一跨浮Φ8房①導9爵Φ冨葺①暮磐幽胤o殊島Φり畦眉oωΦo一ω碧貯αq罠目ヰo目ωΦ︿臼Φ冨3日磐窪器ωωび⑦一一Φ︿88びΦ
Y・カミザーの批判
o庸90β貯窪3獣①頼昌q貯欝一〇げ霧鋤9窪●
②
法律による脅威の点からみると︑英米刑法は︑安楽死に対し極めて非妥協的で厳格な態度を示す︒安楽死︵目窪ミ・江−
︵t︶︵2︶
一=お︶は謀殺︵ヨ霞似窪︶であり︑理論的には︑動機のすぐれていることも被害者の承諾の存在も︑ともに犯罪の成否に
は関係がない︒かような意味において︑安楽死に対する現行法の態度は︑行為者にとって好ましい状況にあるとはいえな
︵3︶
へ4︶
︵5︶
い︒しかし︑現実の裁判例においては︑行為者が法を破らざるを得ないような止むに止まれない立場にたたされたときに
︵6︶
は︑法の厳格さをかなり緩和するような処置がとられている︒不起訴処分︑釈放︑執行猶予つぎ有罪判決︑死刑執行の猶
予などは︑その代表的な例である︒もっとも︑この際でも︑たとえば︑行為者は常に必らず感傷的釈放︵︒・窪瓢菖︒糞巴
︵7︶
8咤葺巴︶を受ける資格があるものと考えることはでぎない︒英米における裁判例の一般的な状況をみると︑法の適用
一36一
説
論
安楽死の立法化について(宮野)
の面で平等の理念が貫ぬかれているとはいえず︑概していえば︑融通性︵巴帥.一伊︒伊け楼︶あるいは伸縮自在性︵コ︒図ぎ葺蔓︶
︵8︶
などによって特徴づけられているといっても過言ではなかろう︒それ故に︑従来のいわゆる安楽死事件と称されるものの
処理の仕方をみても︑この例に洩れるものではない︒そこで︑かような現行法の不備は︑ウイリアムズのような提言をも
ってしても治癒されそうにもないし︑もしもかれの見解を取り入れるとするならば︑それは不備をなくすどころか︑かえ
ってもっと多くの困難な問題を附加させることになろうとの懸念を生ずるに至っている︒右の懸念にもかかわらず︑ウイ
リアムズの立法上の提案が︑安楽死に対する現行法の不備を補なうだけの効果を有するか否かにつき︑改めて仔細に検討
する必要はあろう︒
⊃霜99一讐8螺鳶曽宝N︵お&︶⁝鼠筐Φき9一臼宮巴ピ鋤霜創・一認︵お巽︶
︵1︶次の文献 を 参 照 さ れ た い ︒ P ω 箕 建 o 〆 ピ 9
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o・い・幻①<・ω呂︵お禦︶嚇寄一〇血旨毬︶ω巳o箆ρ国q魯§器猷讐瓢筥Φピの声o︒㎝竃a・緯海oω
Q日︵お賃y
①Q
おお︐しnω︶は︑安楽死︵旨段昌
賦岳轟ω︶は︑必ずしも刑罰を軽減しうる可能性を有するものではないとの態度を維持していた︒即o春一〇〇旨目冨姓880昌一蜜一
︵2︶イギリスの死刑に関する王立委員会︵臼8菊昌鎮9目旨箭露曾80昌即巴娼仁艮路白目
︒ゆωド普唱弩僧一お︵お器y
頃β法ゆげ巨①導㌧ 80響堕Oぢα●裂oO
09●ω︸おω︒︒りPω命8一●ω・精神病医は︑被告人は︑殺害行
︵3︶川費昌ρ冒ビω窪事件を挙げることができよう︒被告人は︑ガソに罹って苦しんでいる妻の矢の催促をききいれて︑彼女を
窒息せしめた︒2︒ド§目①909●Pおω︒︒一戸ご8一Dω
為時には︑一時的な精神錯乱︵8彗づ9胃一ξ冒の鴛φ︶状態に陥っていたが︑現在は正常︵ω露o︶な状態に戻っていると報告した︒
一37一
論説
2・ざ§臼①ω・09ニドおω・︒・Pω98一・避
囲週問後︑2器の碧Oo琶なの讐聾α一畦︸は︑被告人を不起訴処分にする決
定を下した︒26団●良目①ω︸09二Pおωo︒︾や轟98だゴ
︸巴oq算︸ω蚕§鑑o陳の各事件が︑挙げられよう︒ω目qR事件につき︑2●戸↓巨Φの㌧閏oダ撃矯お㎝9ダご
一⑩㎝O︸
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︵5︶園88ヨ①事件を参照されたい︒2・戸↓巨Φω堕09二轟︾お︒︒曾P曇8一●ド嚇7戸↓百ΦPO9●る矯お8︸P謡鴇
8一︒N㍉2︒嘱●目目Φω Uoo●9お斜ごPω合8一●ド
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︵6︶劇8名β窯=とピo躍の両事件を参照されたい︒ω3名b匡=事件につき︑↓富
8一.ド⁝乞●ざ↓言ΦρU①o●Pおωヂ℃●酌98一●ごUΦ︒●舎おωトPび8どω●⁝臼訂目BΦの︵ピo呂8︶矯UΦo●曾
おω斜Pコ︑8一.避⁝↓ぽ↓冒oω︵ぎ鼠8︶一u①ρ合おω企P下8一●ド⁝日ぎ臼首Φω︵■8q8y崔胃島ヂおω9P
Oユ目貯巴ピ勢名目儀勺隔8a畦①ω①戸N︵#浮a︒︶お賃. ピ8αq事件につぎ︑..Oo且薯ρ.︑目BρUΦρN一坦9
;8一●ω㌔霞o島R竃昌︑ω国oま帥ざ↓巨ρ霞9︒鴎魯一ごおω伊P虫●⁝2.ド↓首①p竃胃9ω℃おω曾℃●ω︶8一●ド恥
類霧bρ
お斜9PN︸8一●P
唱﹄ド ↓富臼首①ω︵ピo且︒け︶︸乞o<﹄ω二鴇9Pド8一●N㌔2︒<﹄㊤ユ宝9℃●ド8一︒が顎2●属●臼冒¢の︶20<﹄P
︵7︶R.O︒譲一一嵩即目ρ国暮庶5器芦8.息一●一P認︒ Q︒
一38一
安楽死の立法化について(宮野)
︵8︶同じような事実でも︑訴訟上の駆引きを異にすると法の適用に不平等を生ずるのは明らかであるといわれている︒従来︑折りに
ふれて判決の不平等さが指摘されているが︑その真の原因については︑解明の努力が怠られている実情にあるといえよう︒瓜①一窪
ω一一証畠は︑不平等の適例として︑国弩o匡竃o穿事件を挙げる︒被告人は︑目くらでガソに罹って苦しんでいる兄弟を射殺したか
どで︑三年以上六年以下の不定期刑の言渡しを受けたが︑この事件では︑被害者の繰返しての明白な死の嘱託があったにもかかわ
らず有罪とは割り切れないというのがその理由で︑被害者の嘱託ないし同意があるとぎには︑他の安楽死事件では︑ほとんど釈放
︒望目血ぎ8ま●なお︑ω8●国80二98器冒2●磯︒良目Φρ︾胃昌企お㎝9
れているという︒国●腔等酵ゆq︑oP9営︑P︒
距ピ畠巴<一〇零一︾ω一Z●図●d●ピ・男o<.一認GQい蔦o︒㎝
ダ①98!ム﹂︾鷺臨︒︒二︒㎝9Pn98一●¢餌胃監二いお8℃PN98一●q●この他︑R●P名竃壁営辞両暮げ§鋤の鞘oP
o騨●鴇℃●認c︒し缶9畦︾国巴くΦP︾ωboo一巴Oo彗Ro断9<一一黒びo昌一Φω
bO器N︵一8①︶︒
アメリカ︑ミネソタ大学のY・カミザーは︑・ーマ・カトリック教徒︵因oヨき○碧ぎ一8︶ではなしに︑自由主義者
︵9︶
︵崔ぴ窪巴︶としての立場から安楽死立法についてのウイリアムズの提言に対し学問的で真面目な批判を試みた︒かれは
論争点を︑e︑任意的安楽死の必要性︵浮︒需aま村ε一き欝蔓︒g夢§器壁︶対誤認︵目碧爵・︶と濫用の及ぶ範囲と
0︶
いう対立関係︑および口︑任意的安楽死の必要性対当初は自らを厄介視しているものを殺すように計画した法律上の機構
︵1
が︑やがて後に他人にとり厄介な存在となっているものを巻き込んでしまうかもしれない危険性という対立関係の中に求
めた︒これらの対立関係は︑相互に密接な関係を有する︒しかし︑前記のウイリアムズ法の性格から︑Y・カミザ!の努
力にもかかわらず︑ここでは︑後者の対立関係には触れないことにする︒ウイリアムズも強制的安楽死についてはとくに深
い関心を示していない︒したがって︑論争点のO︑つまり︑任意的安楽死の立法化の見込みに批判の焦点を合わせてみよう︒
苦痛にさいなまれ︑回復の望みをまったく絶ってしまったガン患者︵島︒短ぎ・篤畠&ぎ℃巴︒邑嘱汐o葭呂げB蓉窪
≦︒こ導︶より安楽死を懇請されたとした場合︑カミザー自身︑かなり患者の境遇に同情する考え方を示しており︑実際
一39一
さ
に︑患者が︑①不治の病気に罹っており︑②平均余命以内にもたらされる一時的中止という救済の範囲を越えての苦痛に
鉱oP鳶9一馨①のo雷ピ鋤巧兇Φ丘Φ妻
悩み︑③耐えることの困難な︑㈲軽減の見込みのまったくない苦痛と死についての︑⑤確固とした︑⑥理性的な願望を有
︵ ︶
するならば︑それでも安楽死に反対するという議論には不快を感ずるであろうと述べている︒しかし︑だからといって︑
8肖〇一芭o誘丘Φ壌の謎曽ぎω一質88a.︑目Rq−匠一一ぎαq.︑一①αq一巴
この種の状態を法律で公認するというやり方には直ちに結びつかないであろう︒
8㊤−お台︵お㎝o︒︶●
︵9︶鴫巴Φ渓鋤旨一の無︸ωo舅Φ
︶嶋︒凶餌跨一ω讐りo℃●o罫●一P④酬︒
︒9お9︵おωN︶●
︵0
1︶R●ρ凶●Oぎの8昌oPOo魯程器猷聾呂ピ仁鼠⑦ぴc︒︾跨︒幻φ︿︒恥︒
︵
カミザーの批判が︑まず︑ウイリアムズ法の中核概念たる自由裁量︵象8需鉱9︶良識︵磐&器漢①︶良心︵8漠9・
窪︒︒︶なかんづく個人的自由︵需器2巴 =ぴ窪昌︶に向けられたことは︑けだし︑当然といえよう︒これらは︑哲学的
命題としても深遠な内容を有し︑その正確な実体を把握するのはむずかしい︒法の世界でこの種の抽象的な概念が用いら
れる場合︑具体的事実との関連において︑効果的な判断基準たり得るか︑かなり疑問ではなかろうか︒良識・良心などの
内容は︑一見理解し得るようでいてその実︑かなり曖昧で漢然としている︑また︑自由といっても無制約なものではあり
えないし︑そこには当然に責任を伴ない︑誤りゃ濫用は厳に戒められる︒安楽死の必要のないものを巻き添えにする危険
性はないであろうか︒優生学的安楽死への道に踏み込むおそれはないと断言し得るであろうか︒医師の良識・良心は︑個
人的生命を否定する権限を与えるに足るほど信頼のおけるものであらうか︒法律上の概念としては︑無限定すぎるように
おもえるし︑また︑解釈に際しては︑かなりの論議を呼ぶこととおもわれる︒カミザ!は︑理念的には︑ウイリアムズの
︵辺V
考え方に同調しながらも︑立法過程に組み込ませるについては︑極めて消極的な態度を示している︒
一40一
説
論
安楽死の立法化について(宮野)
英米安楽死法案では︑保護条件の煩雑さに非難が集中し︑賛成論者を落胆せしめた︒時間がかかり過ぎる︵8象國ミ⇔
︵13︶
︵14﹀
o舞︶︑複雑である︵$8旨豆露︶形式主義的である︿︒・03円導巴︶︑飽き飽きさせる︵・・08象o霧︶等が︑不評の理
ぬ
レ
由である︒病院を役所に変えてしまうのがこの種の煩わしい手続であるといわれた︒平和裡に患者を死なせるとの建前が
ルヤ
没却され︑慈悲という動機に本来的に調和せず︑苦痛を耐え忍ぶという基本的な考え方と遙かに掛け離れてしまっている
︵貰︶
との批判は︑結局︑法案の下では︑患者は︑慰安をうけられるどころかかえって苦しみを増すだけであるとの印象を強
くした︒右のような悪評をかわす意味において︑ウイリアムズは︑処置の迅速性を基礎に︑患老に安楽な死を施す方法と
パのレ
して︑既に述べたような提案をなしたのである︒ところで︑まず現実的な間題としては︑医師が︑ウイリアムズが与える
責任を快く受け入れるか否かが懸念される︒しかし︑この点は︑事実上の問題であるので︑その実態を把握することは困
難であろう︒そこで︑ウイリアムズの立法上の提案の基本理念につき︑その妥当性を検討してみることにしよう︒
︵1
2︶図・民 誉一ω霧︾o℃.o騨︑︑P箋さ
︵宿︶顧・国斡跨冨舞りoP良ダ随P⑩N⑩●
﹁平和裡に死なせるというすべての人に受けいれられる考え方とはまったく無縁な︑適切でない雰囲気を
︵1
4︶9●一獣q=aω田●ゼ●UΦび●︵ω昌ω窪●︶8一●鼻o︒亭c︒㎝︵68︶●
︵1
5︶鏡●びΦ呂Φ国§冨は︑
もたらすであろう﹂と述ぺている︒>●ピΦ毘ΦしO毬譲隔魁9ぴ程器芦↓2勺量9庄8⇔縁おい叫量︵お畠y
蕎まヤ甫Pゆ︵お誘︶.
︵裕︶R●一.勺ぼ一一なの牢魯営き・<Φ箆凝得o建Φ旨ω言8器昌の一〇竃Φ島o砂Φりト勺ξの一息90昌︑の<一Φヨ︒︒叫2●ざρ朗囲Φ<︒
︵官︶O捨国●幻oびφ昌鉾o唱●o詳;℃.ミ●
︵掲︶O抄照●国9首一器ぴoPo坤ζP⑩co斜.
へぬロ
Y・カ︑ミザ︑は︑最初に︑患者の同意の聞題に目を向けた︒任意性︵きξ三鋤蔓︶は︑法案の本質をなす︒そこで︑い
一41一
0︶
かなる場合に患者の任意の同意があったといえるかが間題となる︒牢魯導きは︑任意的プランは︑被害者が正常な精神
︵2
の持主であって︑ただ苦痛によって気が狂わされている場合にのみ遂行されるべきであるという︒激痛に対処する方法と
して︑最も普遍的なのが︑麻酔剤による救済であろう︒鎮痛の効果がある間は︑安楽死の問題は起らないといえよう︒し
ハカレ
かし︑本来の病気の悪化に加えて︑麻酔剤による中毒症状があらわれてくる場合もある︒精神的ないし心理的損傷を受け
ないとは断言できない︒そうなると︑寄9目昌の見解を卒直に受け入れることは困難になる︒実際問題として︑患者は
通例どれ位の期間︑麻酔剤の投与を受けるのであろうか︒いつ安楽死の選択をなすようになるのであろうか︒守ど帥目ぎ
︵22︶
霞三窪の経験によると︑重症の患者は︑病気の最悪状態のときには︑判断力が歪められ︑また︑苦痛︑中毒症状ないし
外科手術のひどい反作用状態は︑理性的で勇気ある考えをなす能力に変化をもたらすという︒かように︑理性的判断能力
を欠く状態があり得るのであって︑安楽死を希望する重症の患者が常に正常な精神の持主であるとはいえない︒ただ︑現
へ難︶
実にはその識別が非常に困難であるといわれている︒
次に考慮を要するのは︑患者の精神状態が変りやすく︑気紛れであるという点である︒つまり︑正常な精神状態と異常
ハハゾ
な精神状態が交錯する現象がみられる︒その実際については︑上院での討議の際に︑ピo鉱閏o置窪が︑いみじくも指摘
︵25︶
している︒カミザーは︑病気の退化的状況と患者のこのような不安定な精神状態に鑑みて︑いつをもって明瞭にして法律
上争う余地のない任意の同意があるといえるかにつき︑深刻な疑問を抱くに至った︒
︵26︶
︵四︶
ウイリアムズは︑患者の苦痛を受ける前における安楽死への願望が苦痛下に再び是認されるならば︑任意の同意がある
ものと解してよいと主張する︒しかし︑これに対しては︑カ︑・・ザーは︑より多角的な方面から疑問をぶつける︒苦痛を受
けた状態のまま撤回と承認を交互に繰り返した場合はどうなるのか︒撤回のみなされたときに︑医師は︑以前の希望が理
性的で現在の意思表示が非理性的・不合理なものと判断して安楽死をなす自由があるだろうか︒あるいは︑逆に︑患者の
方で︑看護のため疲労している親族の身体的・精神的緊張を速やかに緩和し︑また︑経済的困窮状態を免れさせようとの
一42一
説
論
安楽死の立法化について(宮野)
配慮から安楽死に同意することはないであろうか︒さらに︑カミザーは︑患者を中心とする愛情︑献身︑感謝等々の事柄
︵綿︶
が︑病状の悪化とともに変化をきたし︑親族の精神状態が常に良好であるとはいえなくなると考える一方において︑医師
︵29︶
は世評に神経をくばるところから︑親族の反対を押し切ってまでも安楽死の処置に出ることはないのではないかとみる︒
o§儀巽事件を引き合いに出して︑医師は︑安楽死の決断をなすときには疲労から﹁良識﹂そのものが疑
なお︑かれは︑o
︵30︶
われる状態になるのではないかという︒要するに︑カミザーは︑患者の任意による同意そのものの価値に疑間をもつとと
もに︑これを︑すべて医師の個人的判断︵自由裁量︶で処理してよいかどうかにつき不安の念を抱き︑医師に全幅の信頼
をおく考え方にかなり批判的な態度を示している︒
︵四︶ウイリアムズは︑安楽死の対象者を禾成年者にまで拡大するので︑任意性の問題は︑英米安楽死法案とは異った取扱いが必要と
︸℃菖ω陶︒一鴛.ω<一︒ヨω一2.耳q︒い勧①<・螢9喬ゆN︵奮①y
されよう︒O炉9ミ筐鑓睡即国9腎琶器貯㌧OP良⇔こ℃●象9昌900︒㌔磯●国帥臼一器き8●O一fP器9き$お●
︵0
2︶寄畠旨B<①邑畠霞︒ぴ一ΦBω日閏︒3富一︒鼠Φ爵ぼ①
類o匡㌧国霧身§αO︒a①Fω葺象⑦¢§霊一互蜜8ω畦Φ旨窪けo賄島︒段富g︒団竃︒昌三・
客磐農①目Φ暮O団勺臥昌置O軸β8き℃●爲●︵ω魯崖ユ昌Φ幽;お8︶二W◎島8︑↓富霞弩謎Φ旨Φ暮o︷O弩8賊評一p9
︵餌︶麻酔剤等の患者の精神に及ぼす撹乱症状につぎ︑次の文献を参照されたい︒ω魯窪ユ昌讐q98碧の誘一〇B暮ぎ餌欝蒔Φ江oρ
貯
男;2︒︿=㊤罫pω伊マω⑩●
まいOa①ぼΦ磐山o昌RO風讐oω8浮o︸籔け↓年oωぎ鼠聾q9︒ ︾壁一器凶ωo協讐oぼ幻Φ一彗一88浮o︾勉ぢ国砦①臨窪8二㊤
匂︒19貯一〇巴言く$江σq●①㎝ρ①望︵一鴇O︶嚇男o一の冒o身Φびピ9器管餌普山閃oΦo富きU讐09−冒儀q8血ピo&Oげ帥昌oqΦω宣竃弩㌧窃N臣・
ゼぼ留目弩琶qΩ畦F竃o黛鵠8識o霧冒国σqoω貯旨o葺器毬儀勺Rの8巴一昌 幻80亨
勘8のq鼠R浮o冒津器b80翫魯①卑胤Φgのo一u讐oqの二︒c・︾β一・評閤獣拶霞矯㎝①ご㎝①①︵一︒胃とN胃一置oq一勺の署ぎ一〇〇q一︒巴
崔●︾︒トコお㌧コ一9一コ㊤︵お留︶
︾磐Φgのo賄評置冒↓R昌旨巴蜜箋管碧9Φω﹂互ピ磐鋤αqΦBo導o︷評置ぼO磐︒Rn8︵ω︒霞団窪8q●一ゑ①︶⁝Ω胃ぎ
g●箪;寄①嵩旨日帥藁○びωo讐讐一舅ωOb匡①旨巴U駐g芒程8ωOo2旨ぼα9日勺鋤瓜Φ筥ωd且Rθ冨量竈薯一浮Oo旨一のo器
一43一
︸幻o<一①毒O団国巻一目曾o昌缶巻gゲΦのoρo︒轟竃8●お︵お密︶
臣ωのoo§a譲一魯Ooユ一ω8①醤q︾O↓国↓冨3bざNお2●国畠﹂・竃①似︒ミc︒二c︒N︵一㊤器︶ O障斜昌opg●巴こ窯⑦筥笹
§血︾o↓餌D合2.曽αq●ト竃&﹄︒αい空㎝︵一⑩認ご9畦ドo営鋤一●噂閃弩浮ROぴωR養江8ωOp置①馨巴u一ω霊昏毬8ω
豆ω霊昌目8の︾ωω8昼8α詣一魯卜O↓国卜且Oo昌一の8①
痛覚欠如の状態が止んだ後の苦痛に対する過敏症につき︑Oo&臣目き儀9巨聾い↓冨︸げ舞目斡8一〇ひ9一〇巴ω器冨9日冨壁冨5
一8鵠q︵薗且a●ユ㊤緕︶脚ωΦo<Rω鋤且譲o庄Φき委ω轡&団o協浮Φ卜轟一αq⑦の鮮ω昌UΦ︒牙Φu︒鷲Φのの一8磐儀国愚げ鼠鋤キ︒︑
&6亀薯崔o嬉び置Φい国Ro宣pU譜鎧&鳥壁qO&①嘗①冒↓冨2g臼包国q目§ω昌霊gり9ト︵b富殊目.節南巷角●↓ぎ−
弩R曽且<◎磯92胃8−
養Pお9蕊ド一︒︒N︵おω①︶麻酔剤の精神的な側面からの効果が︑鎮痛状態を長く保つことにある点につき︑ω冨巷ρ寓①島8鑓8
>ω卜日ぼ①讐↓o↓①ω寅巨Φ彗胃﹃088一昌矯ω㎝昇ρい・即①︿●︒︒︒︒9ω㊤N︵お日︶なお︑ωΦρ竃
鉱8露似2胃8識o︾段算一8N︒−ω一︵おαお︶
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一︾吋O餌αO帥ω一Φ聴
ピ︒U①び︵伊魯ωR・︶㎝ωごα8︵お8︶甲のβ目bΦ昌︾閏篶ω①銀段oど笥︒弓プ①2讐一8︒︒︒︵お8︶ ↓密お流一〇︒二〇島o︷
︵4
2︶一び置ξおω国9いbo戸︵α跨ωΦ繋︶&9お甲綿︵お8︶なお︑この他︑ωoo●Uo箆類o鼠角︑の馨89置些Φお9号富け詔︸
図●
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6ゲゆ
︵器︶
︵26︶O.嵩筥㌶営ω㌧8●9ごり●ω食●
︵27︶磯●民鈴琶一器き8.含ε℃●89
︵28︶鴫●国帥B一の芦o℃●魯;づ●︒雲●9●↓げ︒①塁旨β畳89の罵国胃o鼠ω8欝Oo旨且ωの一8霧9℃o一一89浮Φ鼠Φヰ8−
o一一ω薯島o幻o旨一〇〇巨且ωω一︒βopO8搾鑑胃且警目Φヌピ置g︒ωo鴎国く置g8璽︵Og●Nりおお︶
︵29︶ざ国帥鼠ω舞8●︒一ε署●8︒6一●ω︒⑦●9ω蓄F卜ω畦・q①8︑の臣8αq算の8蜜巴℃量︒試︒ρω︒↓晋巨Φピ●ρω雲
︵蓉N︶︵亀Bb︒の誉目︶嚇を帥︒ぎ課5鋤&ω巷壁︒ダ↓冨寄臼︒一◎︒q一のけ壁q零︒寡ω一8巴鋸⑦象8H仁ぎ罠受︸ω︒↓書巨︒
一44一
説
論
安楽死の立法化について(宮野)
ピ●ρ●ooOco㌧ω8︵お賃︶
︵0
3 ︶嗜●国餌目一紹ぴo℃●o一戸℃℃●
O㊤ω●
Y・カミザーは︑次の批判のほこさきを︑O︑医師の診断の誤り︵誤診・巽8層言象お昌8諺︶と⇔︑新しい治療法
ないし救済法への期待︵冥8需9亀扁≦8=亀o層︒99︶に向けた︒ウイリアムズ自身︑この双方の見地よりする
へおロ
致命的な病気に苦しんでいるものの生命を奪ってはならないとの標準的議論に心を留めている︒一方︑これらの可能性の
極めて少ないと考えられる事例︑すなわち︑先天的欠陥者︵8お︒巳欝=矯量臣什︶先天性白痴︵8躍︒巳寅=象o富︶
︵32︶
ないし老衰の精神錯乱者︵器巳寄号目①糞壁︶を安楽死させる方が︑激痛に苦悩する不治の患者の生命を絶つよりは好
ましいとする閏o巽角区窪需身や︸馴甕︒顕鼻ωのような見解もある︒しかし︑ここでは︑このような強制的安楽
へ33︶
死の問題は除外することにしょう︒安楽死運動の最も熱心な支持者の一人である︾ぼ鈴鼠旨ダ≦oま舘警は︑不治を決断
することの難しさ︵&霧言巳なぎεオaぎ浮︒α9蓉8霧8ぎo霞昏韓身︶を身をもって感じていた︒かれは︑
︵訓︶
また︑医師が誤りを犯す事実のあることを卒直に認めるとともに︑治療法の見込みのついた好ましい事例においては︑安
楽死を一様に考える べ き で は な い と い う ︒
︵35︶
まず︑誤診の点から考察してみよう︒守三鋤菖汐霞三霧は︑経験豊富な︑現代の最大の診察医の一人といわれる︑も
っとも優秀な医師︑肉ぎ富aO呂9ですら診断を誤る場合のある事実を指摘する︒かような指摘が︑通常の医師の診断
の不確かさあるいは誤りやすさを説くための有力な説得理由として用いられるのはオーソドックスな批判の仕方であると
︵36︶
いえよう︒カミザーもこの点を鋭く衝き︑熟練度と判断能力の極めて劣る医師に生命を終らすについての責任を負わす訳
にはゆかないという︒安楽死の実施に関しては︑特別の知識と熟練を身につけた︑特殊の免許を受けた医師にのみ認める
か否かにつき見解が分れる︒ウイリアムズ法の下では︑患者を安楽死させる仕事は︑日課の一部に組み込まれるために︑
へ留︶
医師の特殊化は間題にならないQしかし︑ρ〆一∈畠ζ三帥置は︑特別に任命せられた医師の制度を提唱する︒なお︑
一45一
8︶
︵3
かれは︑病気の不治性の認定は︑経験︵露鷺置讐8︶を土台にした評価以外のものでは有り得ないと説く︒経験のなさ
あるいは経験の少なさが︑誤診の危険を招く一因であることが︑医師によって示唆されている︒この他に︑誤診のケース
︵39︶
は︑医療設備の整った大きな医療センターにおいても起り得るので︑設備の貧弱な病院では︑実際上は︑かなりの数にの
ぼるのではないかという懸念も医師の口から語られている︒
︵31︶O●巧一一一㌶目ω㌧◎やo搾︸℃●ω一〇〇●
↓o国0929↓o団900臣oおい冒帥圃MPおω㊤bマ一9Pαo︒●
器窟冒$q置Oo島RP︾胃鵠Nド
0け犀ρ国葺爵5器一斜一2 ℃鴎毬江江o昌窪
客●属●臼一60ωり勾oび●一ヂおω㊤℃り●ド8一︒①●一︾.ピΦω一凶Φ国9
箆o目●℃同ロ島目器鑓
︵3
2︶国︒ω8厩寄目Φ身︸↓冨謹︒宮︒目o団ω&巴08霞︒一︒馬浮oo8σqo艮巴u9Φ︒牙ρ⑩㊤︾旨﹂●評旨注9昌一ω二轟︵歪N︶
おびお①︵一宝oo︶
お㎝9り●お℃や望.
︵33︶トぴ量富目ピ●≦o一び舞ωぴピ①αq﹄8窪浮弩琶£宝↓富両︒旨Bωω9ω︒︒N︵一⑩ωq︶なお︑ω①ρ置①βや臼ぎ∪︒9︒域
ピooq巴欝①国鐸けぴ巽口鋤ω宣70昏
↓ぴ①悶o殊q導ωω9ωωマωωN︵おωω︶
ピoo犀の暮国ロ9曽b器一斜云⑩蜜o島o巴幻①oR儀ω竃︵おω㊤︶
︵訓︶︾︒い●ミo誉斡粧ω
男Φαq§矯Uogo橋翠α頃暮凶o導醤q
︵35︶団8冨鼠b憲一一︒ひミ冨HO署o器竃Rq国養鵠伊名o目聾.の国§①O§唱程一8矯旨9①おα9b︒ωP
0き8●o一戸り℃●80㌔ωoρω国Φ一一押ピaΦ讐臼臨巴の駿ω嬉6器︵お匁︶
︵36︶戸民鋤目一の9
爵Φピ帥幾鳩bPミふP︵冑画oρ婚お㎝①︶
↓冨O器o閏o聴国5ザ露器貫お①悶o昌艮αq算一矧悶Φξo罰N︒ごコN︵おω日︶なお︑O持=良母9一︒ω
類.ピ・UΦダ轟①?①刈︵おω①︶・
︵37︶ρ器臣島崔筐胃
臣蜀ぽ器一息目δ<酌Φヨω一2・鴫●q●ピ●国o︿●蒔窃℃蔦志︵お8︶
︵38︶ρ田藻魯運一鑓昏↓富O器Φぎ聴国9げ毬琶9︒ 8.鼻︒︸竈●N︒悼少嚇等9目貴く霞貯αq淳︒び一①募営笥︒8量︒
窯o臼oぎo
︵39︶鼠覧︒程q9①9R㌧蜜①§巴寄︒嘗Φ塁冒醤︒崔き鋤αq⑦§暮O隔O毬8び︒︒N竃︒ρ9芦2.鋭︒︒①P・︒お︵頸ω︶
一46一
論説
安楽死の立法化について(宮野)
つぎに︑完全な治療法とまではゆかないにしても︑何等かの救済方法が︑患者の平均余命内にもたらされるかもしれな
︵0
4︶
いという︑医療の進歩の可能性の問題に触れてみよう︒カミザーは︑医学論文を豊富に引用して︑ウイリアムズを攻撃す
ハれロ
る︒この分野では︑様々な見解がみられる︒まず︑何年か後には死は不治の患者にとって唯一の希望ではなくなるかもし
︵ρ︶
れないという︑漢然とした慰め論がある︒しかし︑カミザーは︑そのような結果に至ることを現実に確実に知り得る方法
がないという理由で一蹴する︒次に︑ ﹁明日﹂発見されるかもしれないガンに対する治療法は︑﹁今日﹂安楽死を必要と
︵姶︶
するほどに病状の重くなったガン患者には何の値打もないであろうという立論がなされる︒これは尤もといえよう︒そこ
で︑どのような内容の治療法が﹁明目﹂発見されるだろうかにつき︑﹁今日﹂予測してみる必要が起る︒同時にまた︑かりに
﹁明日﹂の救済が予測される状況にあったとしても︑それを待ち得なくなってしまった程に病状が悪化してしまった事例
︵44︶
についても︑正しい 認 識 を も つ 必 要 が あ ろ う ︒
国碧窪国菖窪ω9は︑どのような病気が︑﹁明日﹂不治になるかを﹁今日﹂述べることは不可能であるし︑医療が進
歩を止めて役立たなくなるまで病気の致命的で不治であることあるいは永久に回復の見込みのないものであることを何人
︵45︶
も予言し得ないであろうという︒さらにかれは︑正確を期するならば︑﹁不治﹂という言葉に代えて︑﹁慢性病﹂︵畠8巳o
崖詫器︶という表現に置き換えた方がよいと主張する︒これまで︑バンチング式食餌療法︵浮旨営σQ︶と最良のインシ
ュリンが発見されるまでは︑糖尿病患者の多くは︑その運命が定められ︑≦窪℃覧?ζぎ9・ζξ℃ξの肝臓療法が︑相
︵46︶
対的に疾患を少なくするまでは︑悪性の貧血症患者の多くは︑回復の希望なしとの烙印をおされ︑また︑スルフォンアミ
ドの効用が明らかになる前までは︑連鎖状細菌性の血毒をもった患者は︑不治を宣告せられた人間であった︒しかしなが
ら︑今日では︑難治の疾病といわれているガンですらも︑その原因を突き止め得るのではないかといわれる位になった︒
へ ︶
医療における改良の成果あるいは進歩のアトについては︑各方面から数多くの力強い研究報告がなされている︒たとえ一
一47一
時的な救済方法であっても︑安楽死の考えを阻止し得る効果を有するならば︑それなりの意義を汲み取ることはできよ
う︒カ︑︑・ザーは︑医療における着実な研究成果を例証することによって敗北主義からの脱却に務めている︒
︵40︶カ︑︑︑ザーは︑論文作成にあたり︑ミネソタ大学法学部の国R5Φ導〇三りU碧δの積極的な批評を受けるとともに︑同大学医学
部の同僚国q鴨ま団9器審買の有益な援助を得ている︒
︵42︶緒9凶餌塁一ω鷺︾8︒段紳.︾づ.⑩8︒
︵41︶霞︒節O︒荘ωぎ一一を︒■①σq巴一器︑.蜜R2困一ぎαq..曽幻Φ銭ゆ瑳9磯婁り2︒ぐ︒一︒ω︒︒り℃・穽唱︒ωP
お髭Φ臼o巴知Φ8&o︒匁いω緕︵おω㊤︶
︵43︶旨聾①ω︑箇暮び鴇琶叩閑蒔算︒増薄魯σqや隔曽暑20旨嘗一P寓睾お斜︒︒もP窒ムω㌔婁︒一冨透い臣①U︒︒8騰い8冨讐
ロg浮曽器昼
︵44︶霞讐鋤箆埴臼冨9ωo句8国甦爵讐9︒の芦お①勾Rぢ赫げ昌幻oξΦ亀刈お︵む§︶
︵
4︶頃箋9国唇Rω貫薯ぎ冨冒窪欝建馬︾2①な聾・男8ぎ7月↓巨Φω℃o︒甘﹄ド一︒ωωuゆc︒埴ダ伊8一﹄︒
5
︵46︶炉さ一一Φひ≦冨HO電80ピR昌困篤髭9類o愚琶δ国o臼ΦOo臼づ聾一〇詳甘8お㎝9P︒ ︒の●
08筍醤儀蜜窪oσq魯寒易鼠鼠↓冨嘆巷ざ沁認乞●浮αq●y竃亀●&N℃ホ︒︒一.ミ9轟鳶−N曾ミ㎝
︵47︶医療上の成果に関しては︑次の文献を参照されたい︒薯旨壁目P竃8篶導ざ↓帯勺包︸鑓謡8露伽国Φ臼胱霞890程o段
叢魯oo営び言亀Oo議8の
︵お留︶嚇⇒$目Φ馨g︾響馨ooαO毬8さ時認2︒国誌︒S寒亀の8ω︵お韻︶る雪ざダ国暮げ§器賦§儀評筥置O旨?
2㊤O艮oH馨R量§富一お08霞餌o聲︒渥讐ωωびω︒︒︒︵奮ωご韻轟︒9募9
・鼠ω8芦虫一9Φ泣︾身9§︒8目︾甘キ︒ω︑
§答o慧8流Ω民8一悔8言8の欝儀浮貯践団穿︒曇§︒胤爲図g︒ω霞︒募碧画罐霞︒︒q⑦b二鵠卜目蟄◎騰ωロお︒蔓↓︒ω一
︵おδごミゆの戸︒漕餌ど↓冨国剛︷︒g︒幡国糞Φ邑︾母目巴︒g§鴇9828営馨一︒g︒9Φ器︒ぎピ鐸㎝o§8ユ︒8ムN
︵↓⑩認ごo︒びp.q.幻8鼠ω<§鼠畠o<魯088さ蟹琶8琶置竃o§一髭厚まg9卜讐出み蔭︒︒惚p声8一●ど
距ぢφユo弩O毬8嘱ωooδ昌りお㎝o︒O慧oR男9
φo毎賠伽国誌痔Φのく●勤Uき賠魁矧轟oq貯のり竃9霧鼠㌶oO壁8隔o暁導o園話頸警
一48一
説
論
安楽死の立法化について(宮野)
国ΦgΦ身︸日ぎ零oω①旨ω鼠εω9類R目8Φ
⇒①§自身︾魯︒畠一Φ︒8旨嘱二①㎝︾●呂●セ﹃●一おωユN8︵一㊤竃と凶ΦB①身矯零8g毬α勺Φ旨︒p︑国唱8冨ω①g︒目嘱
冒︾分毬8山田$ωけO霧8び謡㎝7国諺●一●髭&●やご①9一ヨ︵お8︶
臼冨穐碧鴫営︾身目8q田8馨O程8さ8寄臼︒一︒oq矯ωω9ωωω−︒︒ム︵まN︶贈冒ヰ目αO一才Φ︒嫡8辞田巻8身の︒g︒巨矯H昌
崔目 国怨①ぼ魯8ω置蜜Φ貫の鼠膏o程8鴇o協浮Φ犀8ω計︒Qo目oR鵠スお㎝切︶⁝勺Φ胃のopΦ戸帥一ミ団看09器Φgo目唄筥
⇒8爵Φ讐︒協臣響き︒ao醤8詳炉冒●︾﹂●く︵お8と7因●↓冒Φρ卜胃一二二綿︒︒ P博98一為⁝霞9Φ碧︒一一ω
ピo旨ざαq↓二び毯①︑︾胃自トお㎝︒︒bP≦8一.㎝●⁝Ooゲ戸団量ぽO§o窪ω畦鵬Φ8ωミ罠qωΦ簿o目一〇勾①鶉90び置一9︐
︒︒嚇霞匿①碧o一一の
Φ昌&ω崔︒殊罠畠臼ユび巨ρ竃弩9ω9ま︒︒bb.ご8一︒ご2︒K.臼巨・ω矯︾鷺一嵩二⑩㎝︒︒矯PωGQり8一●︒
ピ︒聴艮罐⇒一どpρ委胃一一P翰︒・矯P︒・︸8一●q●二2短●↓巨①9切⑦び●P曾お㎝c︒︸P①P8だ斜● O畠P↓冨嘱9<Φ覆びω
8田αq騨UΦq闘Φ目貯︸ピ宣昌o曽bo嵩ω冒o彗冒ひqθはびq昌o㌧竃胃oサP9お㎝○︒い℃●ご8一●誉
ウイリアムズは︑医師に全面的な自由裁量権を認め︑特別な考慮としては︑他の医師の意見をきく余地を残すのみで︑
英米安楽死法案のような諸手続を一切省略する︒誤診間題とは別に︑このような状態での安楽死の決断に新たな誤認の問
題を生じないであろうか︒カミザーは︑安楽死の必要のないものに処置を施す︑安楽死に伴なう誤判の問題を取り上げ
︵如︶
る︒この点︑ウイリアムズは︑誤りを犯す可能性のある事実を認めながらも︑これは︑行為を思い止まらせる効果を有せ
﹁無実の一人が苦しむよりも有罪の十人がのがれるほうがよい﹂と
ず︑医師はベストを尽せばよいとの考えを示す︒誤判の問題は︑法律ことに裁判の場では重要な意味を有する︒無実の者
︵狙︶
︵冒身窪o冥o諾o︶などの格言や法諺が生れる︒
が罰せられることのないように慎重な配慮がなされ︑
か﹁疑わしきは︑被告人の利益に﹂
︵50︶
安楽死の問題は︑死刑の間題と対比される︒ウイリアムズはじめ安楽死賛成論者が︑この両者の関係に注目するのは当
1︶
然といえよう︒誤判のおそれにもかかわらず︑死刑には威嚇的効果がある︑社会防衛のために必要︑社会生活上多大の利
︵5
益をもたらす等の理由から︑従来︑死刑存置論が主張されてきたが︑安楽死賛成論者は︑死刑と同様に︑安楽死にも類似
一49一
︵52︶
の存在価値を見い出して弁護論を展開する︒しかし︑カミザーは︑死刑のような使い古した︑あてにならない実際に訴え
3︶
てもなんらの説得力はないと非難する︒むしろ︑間題は︑誤判のおそれがあるにもかかわらず︑安楽死を認めざるをえな
︵5
い必要理由は何か︑また︑刑法上の禁制をとかせる止むに止まれない理由は何かを探究するにあるという︒そこで︑かれ
ハ ロ
は︑これらの必要理由を︑質と量の両側面から検討することを試みる︒質的必要性︵β巴一蜜江く︒蓉a︶は︑安楽死に
対する法律上の許容性の有無である︒法律上は︑一定の事由があるとぎには︑法規上あるいは解釈上生命の侵害を許す︒
あロ
正当防衛や緊急避難などでは緊急事情に意味を認めて行為の違法性を法規上排除する︒一方︑治療行為は︑その目的に鑑
みて正当行為と解されている︒死の危険の高い手術である心臓外科手術なども社会的効用の見地から許される︒ところ
︵56︶
で︑これらの場合に︑錯誤が介入して死を発生せしめたとしたらいかに取扱われるであろうか︒誤想防衛ヤ誤想避難で
ξも8魯︒3︶とみられ許さ
は︑行為の状況から責任の軽減が考慮される︒また︑危険な外科手術の場合︑診断の誤りに基づく手術の失敗による患者
︵57︶
の死亡に対しては︑生命の救済というより高い見地から死は避け難い副産物︵ぎ︒≦鼠菖︒
れている︒結局︑いかなる誤認が許されるかについては︑行為の目的から判断して︑合理的な誤り︵冨霧o轟三︒跨裂・
ハおり
醇︒︶であれば︑大目にみるという態度が貫かれているといえよう︒然らば︑安楽死にこの種の合理性が含まれているだ
ハのロ
ろうか︒カ︑・・ザーは︑安楽死には苦痛緩和の利益しかないので必要理由は見当らないという︒つぎに︑量的必要性︵呈讐
艮坤碧ぞ︒誇&︶とは︑医療の実際から安楽死を必要とする患者の実態を知ることである︒カミザ1は︑真実安楽死を必
︵60︶
要とする患者の数は極めて少ないのではないかと疑う︒簡単に安楽死を唱える考え方に批判の目を向け︑次のような間い
を発する︒O︑激痛に苦悩する患者の実数はどれ位であろうか︒⇔︑苦痛またはガンの末期的症状に対する医療的処置は︑
従来殆んどなおざりにされてきたのではないか︒㊧︑敗北主義や治療上の怠慢に対しては大いに非難すべきではないか︒
㈲︑麻酔剤の過度の投与による中毒的苦痛もかなりあるのではないか︒㈲︑苦痛に精神療法︵峻畠o§︒寅逗︶は殆んど
用いられていないのではないか︒丙︑麻酔剤以外の効果的な鎮痛方法にもっと目を向けるべきではないか︒この点︑安楽
一50一
説
論
安楽死の立法化について(宮野)
死賛成論者は資料不足のようにもおもえる︒㈲︑患者は︑真実安楽死を望んでいるのであろうか︒以上の諸点を指摘した
︵引︶
後︑カミザーは︑実際には安楽死以外の医療上の処置により救済さるべき患者がかなりいるのではないかとみる︒また︑
ウイリアムズが︑誤判の可能性があってもベストを尽せばよいとすることに対し︑その真実性を認めながらも︑誤判の影
︵㏄︶
響が非常に大きく取り返しのつかないような場合には︑そのようにはいえないのではないかと反論する︒そして︑カ︑・・ザ
ーは︑重大な犯罪を犯したとおもえるものを保護する方法を研究しようとする態度を︑不治の病気に罹っているとおもえ
︵63げ
るものにまで推し拡げることは︑期待し得ない事柄ではないであろうから︑ウイリアムズの立法上の提案は︑このような
目的にはるかに及ばないものといえようという︒
︵48︶O●巧⁝貯筥ω堕oPo芦り℃●ω一〇Q●
蕊ごお隼霧︵お㎝ム︶嚇家一一鼠吋脅↓ケ①O器Φ国臼
︵49︶ωΦρbo旨冨鼠︑08<§宣oq夢oH導80旨︵一㊤認︶嚇浮目置き儀写帥ロF290色な︵一︒瑠︶
︵50︶ウイリァムズのほかに︑ω①ρρα9こ田①8げΦびピo残巴目qピΦ臼o貯P
国5げ目琶鋤ユω①司︒善暮昌幻Φ︿一霜N︒日℃ミ︐︵おω一とぎ幕ぴ富①9ω①寓国蕊げ目琶辞国Φ&①鴇︑ωω︒8pさ鴫
おミ㌧Pコご℃●コω●
毒oo冨一〇ぴ9一昆髭一ピ鋤名︾旨q一記︾儀鼠罠ω霞讐一〇pNω㎝6N︵お合︶嚇淵い●︸国貧
竃畦α窪︾且↓箒題言︒巨oO協
︒︵おお6ω︶鴨冒一魯器一きq
︵罰︶ω①⑦●国o鴇一〇〇目温ωω一80昌O碧騨巴り巨一筈琶Φ旨矯国80旨矯O目q●2ρ︒︒⑩ωP冨量の●㎝?①c
津巨ωげ旨o昌 国罐一程q︾且↓ゲΦd艮幹①qω§Φω︸駕2●薯●戸ピ●困o<︒お︒︒℃壼9台q︵一⑩㎝Nとb︾ρ9域欝一型目一ω−
o巴儀霜①岸ミ冴一の島Φuo讐げug巴な寄邑器αりPc︒轟委目鶏ω︾β︾︒鑑●℃o一●卸ω8●ω︒一︒轟㎝︒︵一㊤認︶
ゴB8江昌島oご島一&ω鼠8のω一︵蚤ω︶嚇の胃αぽR℃O昌一鼠一頃§一ωげ巨Φ馨器鋤Ug①旨︒筥 ︾且鼻Φ︾一什Φ旨豊くΦド認
︵頸①︶
上院の討議の際における︑≦ω8巨一聾●U薯置のの見解につき︑H獣ρ・窃︒缶●戸U①戸︵㎝島ωR●︶誤ご紹一︵お8︶
︵52︶嘱.国騨目一ω胃矯8●9酔●矯℃●一〇8㍉ω8●切矯ρO昌騨巴︸q昆ωゲ目o旨冒浮Φq巳器儀ω鼠富の︵おお︶脚O巴くRρO昌皆巴
一51一
回岡
O
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勺§協跨目Φ暮冒↓冨臼嵩Φ旨一〇浮OΦ旨畦矯︵暮げa.おω︒と写聾爵讐儀牢毬F 2gの鼠一な§c︒︵一⑩瑠︶
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ρu3●︵㎝浮ωR・︶謡㎝98㎝ド窃誤︵おα①ご国● ピ●︸国畦び8●簿●矯℃・
磯●国 B一器び8●9け●︸℃・一8N︒
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︵53︶
網●国鋤目一器き8︒o一8℃●一︒︒Nり℃●一8QQ●
︒㎝︵おα︒Q︶
国Φ<︒ω︒
︵54︶
嶋9ω︒
︒ω︵O●ρ卸U㌔9
︒=︒︒ムN︶鴨寄αq簡髭く︒∪鼠一昌節鶴Φ嘗g辞
ピ6
︵55︶
悶巳團Φき↓ぎO器Φo団§Φ
ωΦρq艮け&ω鼠8の<.国〇一甘①ω堕8国①儀●9ω●2ρ
ρod・O●ミω︵一︒︒︒︒ム︶
Φ8●9達oNp薯訂けピΦ黛oぎ⑦O毬Uo悶︒聴ピ鋤ヨ
208炉づ●お一︵一︒
Q望y8℃ユ暮a冒N↓富竃一ω8一一聾①o疹零o蒔ω
三
︵56︶
R●鵠餌8三①ざZoけ①ω8窪Φ日象mB勺Φ量一〇鼠ρ
固g畠Φぴ竃o轟一の程q寓8一︒ぽ①お︒︒︵一㊤望ご国暮富gω一薗ω8一Φな
罫名§血鉱榊R緯畦Φコω︵おω唱︶
︵57︶
い︒鼠鍔帥8三畠N認︵田ぴ一一〇9一一Φ8●︶なお︑ωΦρ
言
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︵58︶R.
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6︶O仲 戸国斡睡一ω9ぴoP息f唇●誉︒・
︒ムω●この分野に関係ある参考文献として︑団o艮8程儀 国曽鼻唇りOo旨8一〇軌O磐84
︾包P 匁2≦●竃8●悼ド穽窃曽︵強㎝︶⁝﹈Wo臣8㌧↓幕冒胃甜・目①暮o団O目oo鴨男蝕pO●
頃曽一一凶四一一〇昌
zR︿Φ国8富 司a℃四言日窯巴一αq昌毬身︶矯
m只FqOび③同口幽O簿同
堕ω9⇒帥震︵ω弩σq一8一頴︒8含8ω冒O︒導8一〇協評ぽぎ︾身目8山o帖日8塊︶ §儀09
a繕Φ&震︵男鑑一讐一8
︵客Φ畦︒の畦σq一8一宏需gωg評酵竃目謁Φ旨Φ暮y弓昌一︒擁きαω︒岳穿ぽ︵缶信旨︒量一
去ムω● 嚇ω︒露穿冒毬α9︒ωω︵琢ω8旨9一︒ぎ巴︒QΦ酔一8︶矯ω&︒︿Φ磐q国巴︒︒q9︵
o暦
ωロαqg
崔﹄管9︒昌2︶
一52一
説
善ム
安楽死の立法化について(宮野)
自①量電日臼富殉︒H一︒賄o団男9置冒竃聾管目けgω$ωΦ︶い一亘臣︒鼠§9αq︒目①暮︒賄評宣ぎo目8吋︵ω︒昆筐β︒辞
︵脳︶
お9︶脚罫絶︒鴛α9①暑①斜竃①昏包ギ︒玄Φ島ぎ↓げ︒ま毬勢αq︒馨旨○軌o磐8ぴωN冨勉●Ω巨8g昇︾●c︒①曾︒︒創
︵一8ω︶旧勺88①象罐ωりω︾B℃oωビ旨8国風o嵩讐オΦO讐o一〇〇q嘱8㎝︒︒︵09﹄ω南斜℃お凹︶
︵61︶網●国帥日簡ω霧︸oPo詳=Pお一悼
︵62︶O艶網︒国鋤営一器びo℃●o詳O℃●一〇一ωり
︵63︶図●国鋤目一ω霧℃ob●o芦矯b●おる・
カミザーの批判の最後の論拠は︑クサビ理論︵日冨爵ぎa鵯亀浮︒≦︒凝︒︶に求められた︒しかし︑これに関して
は︑既に一般的な論評を加えてあるので︑ここでは取り上げないことにする︒
︵64︶ω①ρド国曽鼠ω胃︸8●息ε唱︒§桑ωP
⑤ G・ウイリアムズの反論
Y・カミザーの真摯で学問的な批判に対し︑G・ウイリアムズは︑早速︑島ζぎ扉︒・o登蜀≦因︒<ざ巽ズ一3︒︶に
︵1︶
..冨R禽顔ヨ陣お︑︑隔ピ︒σQ邑碧ご亭>菊εoぎαRと題する反論文を寄稿した︒悲惨さをなくしたいという要求︵爵︒8・
ω一おε礪薯︒葺o暑巴蔓︶および医師と患者の双方を解放すること︵瀞︒=び窪蔓亀ぎ爵3︒什9きα℃碧8ゑ︶は
刑法上の制裁から安楽死を解き放すことによってもたされる社会秩序に対する予想される有害な結果よりも遙かにまさる
ものであるというのがその結論である︒以下︑ウイリアムズの反論の詳細をきくことにしよう︒
かれは︑基本理念として︑安楽死賛成論は︑元来素朴な内容のものであり︑ひろく認められている二つの評価の応用で
あるとみる︒それは︑O︑悲惨さの防止︵冥窪o糞一8亀o旨︒一蔓︶と⇔︑自由についての評価︵く巴壽9一ま留q︶
一53一
の二つを指す︒O暑2受につき︑つぎのように説く︒倫理的評価の点では意見を異にするが︑悲惨さが悪︵①<嵩︶であ
る点については見解の一致をみている︒もっとも︑意見を異にするのは︑その実体に対する理解の仕方にある︒第一に考
えられる悲惨さは︑患者のそれであるが︑その他に︑見るに忍びない状況の中で最愛のものを見守らなければならない親
族のものの悲惨さをも察するようにすべきである︒この点︑反対論者は︑シニカルな見方をし勝ちであるが妥当とはいえ
ない︒ただ︑法律上はこれらのものに満足を与える規定が見当らないので︑結局は当該の個人の事情如何によるであろ
う︒b一ぼ旨噸に関しては︑まず︑次のような疑問を発する︒O︑患者の死を早める行為を阻止するのにどれほどの社会的
・09鉱一葺窪︒馨︶があろうか︒O︑患者の生命は︑依然として社会に留めておくだけの積極的な価値︵℃8三お
利益︵︒
く巴ま︶があるものだろうか︒そして︑自由を︑患者の自由︵一ぎ︒旨琉亀短鼠︒旨︶と医師の自由︵一ま︒旨噸亀&9自︶
に分け︑さらに︑医師の責任︵号9身.ω需ぞo霧一びま身︶を︑O︑骨折りがいのある生命を長引かせるために最善の努
力を尽すことと︑⇔︑最後の方法として患者の死を安楽ならしめることにあると説く︒また︑医師が苦痛に苦悩する患者
に対し果しうる最善の奉仕が安楽死についての患者の願いに応ずることにあると真実信ぜられるならば︑法がかような行
為を禁止するのは由由しい事柄であり︑このことを︑直ちに功利主義的理由︵葺⁝欝ユきσq3§身︶から非難するのは
当らないという︒
ウイリアムズは︑カミザーの個別批判に答える前に︑まず︑前置的論評を試みる︒その一は︑イギリス上院での■o巳
U鋤誤目の見解のように︑医学の権威者が︑慣習的な安楽死の存在を認めながらも立法化の必要を否定して行為を依然と
して謀殺であると解する態度を奇異に感ずるとし︑保守派︵8霧段蚕訟く・の︶の態度がまさにこれで︑医師のみならず法
律家の中にもみられ︑また︑法律の概念の中に新しい倫理︵需︵日oる=蔓︶を移す処置をしようともしていないと非難
をなし︑法律の足並みを乱すのは良いことである一方︑あまり情を与えないようにするために︑法が一つの
する︒次に︑裁判の実際に目を向ける︒苦痛の救済の点からみれば︑ある事件において陪審が慈悲深い放免︵5窪︒罵巳
8呈三舘︶
一54一
説
論
安楽死の立法化について(宮野)
嚇しの役割を演ずる6もまた良いことであるとの見解を示す︒しかし︑道義︵目9巴冥一9ぎ8︶が︑このような相反す
る感情の共存を倫理的に持続させなければならないとするならば︑それは理解しえない事柄であるという︒そして︑ヵ︑︑︑
ザーが︑医師が安楽死をなすのを許したり︑また︑陪審が医師を放免するのを是認したりする態度を評して︑かれは︑誤
診や将来における医学知識の進歩向上が安楽死に対する打ち勝ちがたい反対事由であるという事実をどのように維持して
ゆくのであろうかと反間する︒保護条件は︑英米安楽死法案の中でも︑もっとも論争された点の一つである︒ウイリアム
ズは︑法案の定めた条件に従わなかったけれども︑反対論者の態度に不満の意をあらわしていた︒反対論者は︑病室の中
に馬鹿げている程の︑耐えられない位の︑かたくるしい手続を持ち込むからと異論を唱える一方において︑なんらの手続
規定を設けないのは極めて危険であるといって反対もしていた︒カミザーは︑この種の議論を容認するのであるが︑ウイ
リアムズは︑かような態度を非難して︑かれは︑同時に二頭の馬を乗りまわす用意があるようにおもえると皮肉ってい
る︒
︵1︶9§<崖Φ譲貰㌶目辞.︑罵Rq−屡毎罐.︑ピΦσq一ω一9一8出菊①一〇冒8ぴお崔一馨︒ダ菊象=−お︵お器︶以下︑引用個所の指
摘は省略する︒
さて︑個別批判に対するウイリアムズの考え方を逐一明らかにしてゆこう︒
第一は︑苦痛の多い致命的病気に罹っているとぎに︑真に任意的安楽死といえるような事例が有り得るかという︑同意
の間題についてである︒カミザーは︑陳腐なジレンマにのっとって安楽死賛成論者を突き刺そうとしていると牽制したあ
と︑その解決を読者にまかせると述べながらも︑患者の同意を確信しうるようなケースが存在すると断言する︒ただ︑ヵ
ミザーの指摘する︑看護を厄介がる親族の苦悩を軽減するために︑患者が同意を与えるかもしれないというおそれについ
ては︑意見を同じくするようにおもえる︒また︑様々な困難な事情が伴なうが︑しかし︑その解決には︑ただ現行法の立
一55一
場を守ってゆくだけでは十分でないともいう︒同意が︑患者自身の肉体的苦痛の故に︑あるいは心身ともに疲労状態にお
ち入っている親族の苦境を救うためになされようと︑とにかく︑これは不名誉な問題︵ヨ碧3円亀島8冨象酔︶であると
はいえないと論ずる︒
第二は︑誤診のおそれについてである︒この危険をなぜ正確に測り得ないかについては︑多くの理由が考えられるが︑
その一つに︑提案された安楽死法が実際にどの程度利用されるのか確かなことが分らないというのがある︒ウイリアムズ
は︑安楽死を決意する前に誤診の危険性を考慮すべきであるとのカ︑・・ザーの見解に賛成する︒そして︑ウイリアムズ法の
下では︑かれの提唱する二人の医師が意見を出し合うとぎに︑もっとも適切なものになろうという︒ただ︑医療上の諸問
題は︑法律上の討議をなす際に︑真に適当なものといえようかと反問する︒批判の根拠を明らかにするために︑カミザー
が医学上の文献を渉猟し︑また︑医師の意見を多く引用することに敬意を表しながらも︑要は︑法律家を訓練することで
あり︑われわれ自身に問うてみることであり︑また︑われわれの専門は法律であって医学ではないと突つ擬ねる︒医療実
じ鉾塞8が苦痛よりの救済は医療における正当の目的であると指摘
務の利・不利を評価するために法律家はどうして医学文献を調べる必要があろうかと疑問を投げかける︒安楽死の目的は
苦痛よりの救済にあるが︑ウイリアムズは︑ぎこ
した点を評価しながらも︑安楽死が苦痛や苦悩に対して掛値なしの救済をもたらすか否かの間題は︑それを試みることに
よって最後的に解決される問題であろうとみる︒実行されるまでは確実にその結果を知り得ないという理由にもとづいて
このような試みを禁止しようとするのは︑反啓蒙主義者︵○び8仁寅日一・・一︶の態度であって︑進歩を妨げるもの以外のなに
ものでもないと非難 す る ︒
第三は︑ドラマチックな医療上の発見の可能性︵医療の進歩向上︶についてである︒たしかに︑一時的鎮静の効果や治癒
の機会をもたらす新らしい医療上の発見により安楽死を考える必要がなくなる事例も多いことであろう︒しかし︑そのよ
うな発見でも手に負えない位に病状が悪化してしまったような事例には︑この種の議論は通用しないであろうとウイリア
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説
論
安楽死の立法化について(宮野)
ムズはいう︒また︑医療上の発見が︑警告期間︵ミ鴛巳お究二&︶を設けさせる働きをもち︑それが利用される段階に
至れば︑誤認の問題の起り得ない点についてはウイリアムズも意見を同じくする︒なお︑カ︑︑︑ザーの唱える安楽死に対す
る量的必要性の問題︑とくにかれの安楽死の恩恵を望む患者は多くないであろうという議論は︑現実に安楽死を必要とす
る患者がいる限り︑感動を与えるものではないという︒これとの関連において︑苦痛を鎮める薬剤の開発により安楽死の
必要性は大きくなくなるであろうとの議論に対しては︑現実には︑必ずしも患者の不自然で不安定でたそがれ的な存在を
医療は救っていない と し て そ の 実 例 を あ げ る ︒
第四に︑自殺との関係につき触れておこう︒安楽死は許されないので自殺を公認するようにすればよいとの議論があ
る︒もっとも︑カミザーは︑自殺を是認するといい切っている訳ではなく︑ただ自由放任主義的︵蚕望雷ら巴冨︶アプ
ローチの仕方をすればよいと主張するだけである︒ウイリアムズは︑実際には患者は病気の最後の段階では︑自殺する力
もなくなるであろうし︑また︑現実に自殺が可能であるときには︑他人によって阻止せられるであろうと切り返す︒
最後に︑ ﹁クサビ﹂理論について︒この古い理論は︑伝統主義者︵貫銭三〇轟冴け︶の切り札的存在として絶大な力を
有する︒今までのところ︑改革のためのいかなる提言も︑この理論による攻撃をかわすことはできなかったし︑また︑今
完︶
後もかわし得ないであろうと評されている︒したがって︑改革に賛成する議論が強ければ強いほど︑反対派がこの理論に
しがみつくことは充分にうなずけるとウイリアムズはいう︒
︵未
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