兵弁総23発第463号 2012年(平成24年)2月23日 法 務 小 大 臣 川 敏 夫 殿 喜 郎 殿 光 史 殿 大阪矯正管区長 矢 野 加古川刑務所長 平 田 兵庫県弁護士会 会 長 笹 野 哲 郎 同人権擁護委員会 委員長 勧 告 白 承 豪 書 当会は,申立人●●●●(以下「申立人」という)にかかる人権救済申立に つき,調査の結果,貴省らに対し,以下のとおり勧告します。 第1 勧告の趣旨 性同一性障がいにより女性としての性自認を有し,かつ性別適合手術を 受けたことにより女性としての身体的特徴を備えた被収容者については, 戸籍に登載された性別に関わらず,女性の被収容者を対象とする刑事収容 施設に移送するよう,勧告する。 1 第2 勧告の理由 1 申立人の性自認及び身体的状況 申立人は,小学校の高学年のころから,自分は女であるという意識を持 ち,中学卒業後は女性としてスナックで手伝いをし,18歳のころからは, クラブでホステスとして働くようになった。 そして,18歳から19歳ころまでの間に,豊胸手術,ホルモン注射及 び睾丸の摘出手術を受けた(陰嚢は残存)。さらにその約1,2年後,シン ガポールの形成外科において性別適合手術(男性性器の除去と女性性器の 形成)を受けた。 以上の通り,申立人は,心理的に女性であるとの持続的な確信を持ち, かつ自己を身体的及び社会的に女性に適合させようとする意思を有する者 であって(性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(以下「戸 籍特例法」という。)第2条参照),前記手術を受けたことにより,身体的 にも女性としての特徴を有するに至った者である。 ただし申立人は,戸籍特例法第3条,第4条に定める「性別の取扱いの 変更」の審判手続は経ておらず,戸籍に登載された性別は男性のままであ る。 2 加古川刑務所における申立人に対する処遇状況 性同一性障がいを有する申立人に対し,1カ月に1回,女性ホルモンの 注射を受けさせ,女性の看守を配置する等,一定の配慮を行っているもの の,基本的には戸籍に登載された性別である男性としての処遇を行い,女 性用の衣類を支給せず,申立人が求めた女性用の下着の使用を認めず,調 髪は男性としての基準に基づいた髪型とし,入浴時の監視は男性刑務官が 行うなど,性同一性障がいを有する申立人の性自認に反した処遇をしてい る。 2 3 性自認に沿った取扱いを求める権利の位置づけと法律解釈 (1)憲法上の位置づけ 性同一性障がいを有する者が性自認に沿った取扱いを求める権利は, 「全 て国民は,個人として尊重される」とする憲法第13条の個人の尊厳から 導かれる人権として認められるべきである。 なぜなら,性同一性障がいとは,自らが持って生まれた性別やそれに付 随する性役割に対する不快感や嫌悪感を持ち,別の性別への帰属を強く持 続的に求め,そのあるべき性別に従った性役割を果たしたいと考える状態 を言うとされ,その性自認は自己の意思において変更不能なものである。 このような者にとって,自らの性自認に反する取り扱いは,自らが嫌悪し た性役割を強いられることになり,多大な精神的苦痛をもたらすことにな り,憲法13条に反することが明らかだからである。 従って,刑事収容施設においても,具体的な処遇の場面において,性同 一性障がいを有する者の性自認は最大限尊重されるべきであり,他の被収 容者の権利の保障や拘禁目的との関係で一定の制約がありうるとしても, 憲法上の権利を侵害することのないよう,その制約は最小限度のものに限 られると言うべきである。 (2)日本弁護士連合会の意見書のスタンス 2009年9月17日付「黒羽刑務所及び法務省に対する勧告」は,性 別適合手術を受ける前の被収容者について,処遇の原則は性自認に基づい たものとすることを指摘し,衣類・調髪・入浴や検診時の立ち会い職員の 性別・処遇にあたる職員の性別について,性自認を基準とした処遇とすべ きことを勧告した。また法務省に対しては,性自認を尊重した処遇のガイ ドラインの策定,各施設への教育等を勧告した。 さらに2010年10月19日付「静岡刑務所及び東京拘置所に対する 3 勧告」は,前記同様性別適合手術を受ける前の被収容者について,必要な 医療的対応(被収容者が求めていたのはホルモン療法)をすべきこと,被 収容者の治療状況を勘案しカウンセリング治療等の機会を保障すべきこと を勧告した。 いずれの勧告も,性別適合手術を受ける前の被収容者についてのもので あるが,当事者の苦痛はその性自認に反する取り扱いによって生じること に鑑み,性自認が個人のアイデンティティの中核であり,その尊重が極め て重要であるとの理解に基づいている。 (3)法律解釈 ところで被収容者の性自認に配慮した処遇として求められる最も基本的 なものは,男性の被収容者を対象とする刑事収容施設に収容するか,それ とも女性の被収容者を対象とする刑事収容施設に収容するか,の判断であ る。 この点,刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(以下「刑事 被収容者処遇法」という。)第4条第1項第1号は,被収容者を「性別」に 従い分離するとしているが,この「性別」の判断基準は必ずしも明確では なく,戸籍に登載された性別によって判断されているのが現状である。 しかし,性同一性障がいを有する者にとって,戸籍の訂正までには大き なハードルがあり,性同一性障がいを有する者の誰もが戸籍を訂正してい る訳ではない。そもそも性同一性障がいを有する者は,性自認が戸籍上の 性別と不一致であるために,必要に応じて事後的・手続的に戸籍の訂正を 求めるのであり,戸籍が変わったことによって性自認の一致が生じるとい うものではない。 性自認が,当事者の意思によっては変更不能で,かつ実質的な基準であ ることに対し,戸籍に登載された性別は,法律に定める手続(戸籍特例法 4 による「性別の取扱いの変更」の審判手続)を経ることにより変更されう る相対的・形式的な基準にすぎない。 従って,戸籍に登載された性別によって被収容者の処遇を区別すること は,形式的な判断基準としては優れているとしても,性自認に適った取扱 いを求める権利が憲法上も保障された重大な人権であることに鑑みれば, 判断要素としては優位に解するべきではない。 よって,刑事被収容者処遇法の解釈としては,後記のとおり,戸籍に登 載された性別によってのみ「性別」を判断すべきではなく,究極的には, 当事者の身体的性差を基準として判断すべきである。 4 女性としての性自認を有し,かつ性別適合手術を受けた申立人の場合 申立人の場合,第2の1記載のとおり,女性としての性自認を有してい るだけでなく,性別適合手術を受けたことにより,外形的にも女性として の身体的特徴を備えている。 このような申立人の場合,性自認及び身体的特徴に反して男性として処 遇することは,「個人の尊重」等を定めた憲法第13条の趣旨に違背するも のであり,申立人の人権を侵害する。 加古川刑務所においては,1カ月に1回,女性ホルモンの注射を受けさ せ,女性の看守を配置する等,必要な医療的対応を行い,一定の配慮を行 っており,この点は評価できる。しかし一方で,女性用の衣類を支給せず, 女性用の下着の使用を認めず,調髪は男性としての基準に基づいた髪型と し,入浴時の監視は男性刑務官が行うなど,申立人の性自認に反した処遇 によって申立人に精神的苦痛を生じさせている事実は,申立人の人権保障 の観点から放置することは出来ない。 さらに,女性としての性自認を有するのみならず,性別適合手術によっ て外形上も女性としての身体的特徴を有している申立人の場合,現状のよ 5 うに男性収容者を対象とする刑事施設に収容する限り,いかに一定の配慮 を行ったとしても,男性被収容者や男性職員との接触を強制されることに よる申立人の精神的苦痛を排除することは不可能であり,男性からの性的 虐待の対象となりうる危険を完全に除去することも不可能である。 この点,国連被拘禁者処遇最低基準規則第8(a)は,「男子と女子は, できる限り,分離した施設で拘禁しなければならない」とし,同第53(3) において,「女性の被拘禁者は,女性職員によってのみ観護監督されなけれ ばならない。ただし,男性の職員,特に医師及び教師が,女性の施設また は女区において専門的な職務を行う場合は,このかぎりではない」として おり,このことからすると,刑事施設において男女を分離しているのは, 主として,異性,特に男性による女性に対する性的虐待による身体的直接 的な侵害を防止するとともに,女性被収容者が男性被収容者との接触を強 制されず,また,男性被収容者や男性職員からプライバシー侵害を受けな いなど,広く女性被収容者の性的尊厳を守るためと考えられる。 そこで刑事被収容者処遇法の解釈としても,分離の要件となる男女の区 別は,広く女性被収容者の性的尊厳を守るという観点からは,女性である という性自認に反して男性被収容者や男性職員との接触を強制されること による精神的苦痛を考慮して,性自認を基準とすべきであるが,男女の分 離の主たる目的である性的虐待の防止の観点からは,究極的には身体的性 差を基準とすべきである。 従って,申立人のように,女性としての性自認を有し,かつ女性として の身体的特徴を有する被収容者について人権保障を全うするためには,戸 籍に登載された性別が男性であっても,女性としての性自認及び女性とし ての身体的特徴に適う処遇を行うべきであり,そのための手段としては, 女性被収容者を収容する刑事施設に移送することが妥当である。 6 仮に,申立人を女性の被収容者を収容する刑務所に収容した場合でも, 申立人の性自認及び身体的特徴を前提とする限り,他の女性被収容者に対 する性的虐待,その他の弊害をもたらすおそれはないものと考えられる。 5 結論 申立人については,現在,収容状況は更に改善しているとのことであり, 強い措置を望んでいないと言う事情がある。 しかしながら,今後,申立人のように,性同一性障がいにより女性とし ての性自認を有し,かつ性別適合手術を受けたことにより女性としての身 体的特徴を有する被収容者については,戸籍に登載された性別に関わらず, 女性として処遇を行うべきであり,女性の被収容者を対象とする刑事収容 施設に移送するのが相当であると思料する。 以 7 上
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