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河西精機製作所

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長野県諏訪市
河西精機製作所
米国の都市防災システムに採用された技術
「難削材(なんさくざい)」加工のスペシャリスト
河西精機製作所が得意とするのは、削るのが難しい金属の切削加工。い
わば、「難削材(なんさくざい)」加工のスペシャリストだ。製造された部品は
米国を経由し、世界中の都市防災システムに組み込まれている。
きっかけは、1997年。世界的な大手通信機メーカーからの依頼だった。
「何社かに依頼したと思われますが、引き受けたのはわが社だけでした」。
削りにくい金属に複雑な加工を施す。さらに人命に関わる装置に使われるこ
とから、高い精度が要求される特殊部品。引き受けたは良いが、カンタンに
作れる代物ではなかった。
突破口は、地域との連携と社内のノウハウだった。70歳以上の熟練工と、
20代の若い力がかみ合った「三世代住宅」的人員構成により、3年がかり
で、ついに量産化に成功した。
ものづくりに性別
ものづくりに 性別・
性別・年齢・
年齢・国籍は
国籍は関係ない
関係ない
深くかぶった作業帽の横から、短く刈り揃えられた白髪が見える。ひとつひとつに人生そのものも刻み込ま
れたかのうような深いしわ。歳は70前後だろうか。しかし、背筋は伸び、眼光は鋭く、何より作業する手つき
は職人そのものだ。
そんな熟練技能者の横には、髪を肩まで届くほどに伸ばした若者の姿。20代前半と思われる長身の彼は
時折白い歯を見せながら、熟練工からひと言、ふた言アドバイスを受けると、持ち場の工作機械の前に
戻っていった。
「ものづくりに性別・年齢・国籍は関係ありません」。断言するのは、河西克司社長50歳。
社長の言葉どおり、旋盤や切削マシンを扱う現場では、祖父と孫ほども歳が離れた技能者たちが、ともに
ひとつの課題に向かって作業を進めている。検査部門を担当する女性の中には、カタカナのネームプレー
トを付けた外国人スタッフも多い。
諏訪市中洲の工業団地内にある河西精機の社内では、幅広い年齢層の従業員が、性別・国籍のわけ隔
てなく、社長の言葉を借りるなら「わきあいあい」と働く姿が印象的だった。社長は「三世代住宅みたいなも
のです」と、笑った。
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世界の防災システムに採用された部品とは?
河西精機が「ものづくりの三世代住宅」化を実現した背景には、「そうしなければならない必然性があった」からだと、河西社長は
言う。
熟練工と若手が融合する職場。その「必然性」は1997年、米国大手通信機器メーカーからの依頼がきっかけだった。
「この部品です」。河西社長が取り出したのは、5cmほどのコマ型の部品。鈍い鉛色の金属を手の平に載せると、大きさのわり
にはずっしりとした重みを感じる。上部は3段、下部は2段に段差があり、中心部にねじ切りがされている。横穴から内部を覗くと、
複雑な形状が見て取れる。
「詳しい用途は言えませんが、防災システムに組み込まれる通信機のコネクター(接続部品)です」。諏訪で作られた部品が組
み込まれた通信機は、現在世界の主要都市で使われているという。
社内から
社内から「
から「出来ない
出来ない」
ない」の声
小さな部品は、河西精機の技術力の結晶だった。
「大企業ですから、世界中のめぼしいメーカーに依頼
を出したはず。しかし、見積りを返したのはウチしかな
かった」。
依頼を受けた特殊コネクターは、それまでいくつかの
部品を組み合わせて作っていた。さらに材料は「ステン
レス440」という、非常に削りにくい金属。時間とコストが
かかる研磨が一般的だった。しかしオーダーは「ひとつ
の金属塊から、切削(削りだし)で作ること」。
「請けてしまったのはいいが、社内からは『こんなの出
来っこない』と、怒られまして...」と社長は笑ったが、それ
でも「『できる』という勝算は、6割」。当時を振り返る。
㈱河西精機製作所2 / 6 ページ
社内の
社内の壁を乗り越えろ!
えろ!
可能性は60パーセント。「問題は、内部にあった」と、社長はい
う。
「未知のものに対しての拒否反応があった」。当時の従業員の
平均年齢は50を超えており、こうした職人集団は、経営管理畑
を歩んできた2代目社長の案件に、難色を示したのだ。
焼入れを行ったステンレスに、100分の1mmの精度で加工を
行う。複雑な形状を削りだすために、30以上の刃物を必要とす
る。ひとつ部品をつくれば、刃物はダメになってしまう。「追い詰
められ、辞めてしまう人もいた」というほど、開発は困難を極め
た。
突破口は、社長の新しい考え方だった。「諏訪は昔から製造
業が盛んな地域。見回すと技術や知識を持った人がいた」。地
域の力や地元大学などの協力を得ながらの試行錯誤が3年間
続いた。
こうした中、内部にも変化が現れた。「開発が成功したのは、
長年勤めている方々の経験があったから」と、社長はいう。外部
の力だけでなく、社内に蓄積された経験を生かすことにより、受
注から3年後の2000年にようやく完成した。
工業団地に
工業団地に4社のみ
1956年創業の河西精機は、7年後の1963年には現
在の諏訪市中洲の工業団地に本社工場を移転、以
後半世紀にわたってものづくりを続けている。
「この工業団地ができてから、約50年ですが、当初
から残っているのは4社しかありません」。感慨深げ
に社長が話すのも無理はない。精密機械が盛んな
諏訪でも老舗(しにせ)の部類に入る中州の工業団
地には、かつて世界に誇るカメラメーカーやレンズ
メーカーなども軒を連ねていた。しかし、かつての名
門を含めた25社のうち、今なお残るのは河西精機を
含め4社しかないのだ。
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「不足」
不足」と「問題解決」
問題解決」の歴史
部品メーカーにとって「半世紀」という歴史は、重要な意味を持
つ。
「30年企業寿命説」を超えて操業を続ける背景には、顧客を
変え、商品を変え、会社のあり方を変えてきたからこそ現在が
ある。
河西精機も部品づくりを核にしながら、時代に即した技術や
商品を取り入れ、業態を変化させることで時代の荒波を乗り越
えてきたものづくり企業だ。
1950年代は創業者・河西善治会長が個人でオルゴールの部
品を製造、1965年に通信機器接続部品(コネクター)製造を始
めたことで業績を拡大し、最盛期の1980年代には、現在の2倍
近い60人もの従業員を抱えるまでに成長した。
「当時は作れば売れる時代。納期に間に合うように生産する
ことが課題だった」。「予算もの」と呼ばれる、官庁や通信・放送
に関わる仕事をこなす事で大きな成長を遂げた。
転機は、1985年のNTT民営化と1989年のベルリンの壁崩壊だった。「部品ひとつでもコストが
重視され、海外製品が主流となっていった」。現在の地に本社を移転してから奇しくも30年後、
河西精機は大きな舵取りを迫られる。
1995年に経営を任された河西社長は「わが社の歴史は、『不足』と『問題解決』の歴史。私の
代になってからはとくに大変」と、続けた。
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教科書がない
教科書がない新素材加工
がない新素材加工
新社長の方針は「量から質へ」「日本から世界
へ」。その一つが、米国企業の依頼を受けた、
前述の特殊コネクターだったのだ。
また、現在の主力商品は「コンタクトプロー
ブ」と呼ばれる半導体の検査針で、売上げの5
割を占める。検査装置の心臓部となるだけ
に、高い精度が要求される。
さらに2年前からはクルマのディーゼルエン
ジンの部品製造も手がけ、以来700万個もの
部品を出荷してきたが「不良品は一つもない」
と、河西社長も自信を示す。
量から質へ、取り組みはより加工が難しい金
属へシフトする。
特殊コネクターに使われた「ステンレス440」
のほかにも、非常に硬い金属「タングステン」
の切削加工も得意とする。「新素材の加工に
は、教科書がありません」という社長が注力し
たのが、若い力の積極的活用だった。
若手育成の
若手育成の「15分会議
15分会議」
分会議」
「不況といわれる今こそ好機です」。
1994年から15年間、毎年新規採用を続ける河西精
機。90年代前半は、バブル崩壊後の「就職氷河期」
と呼ばれる時代だ。
加工のほとんどは自動化された機械で行われると
はいえ、立ったままの作業も多く、油にまみれる現場
での作業は、忍耐力も必要とする。しかし、河西精機
で働く多くの若者たちからは、嬉々としてものづくりに
打ち込んでいる印象を受けた。
若手育成の取り組みの一つが「15分会議」だ。問
題が発生すると、現場のスタッフがホワイトボードの
前に集まり、問題点と改善策を出し合う。否定的な
意見は出さないのがルール。ストップウォッチが必需
品で、15分後には必ず終了する。
「熟練工が持つ技術は、いわば『暗黙知』。言葉や
文章にはならない技術を伝えるためには『対話』が
必要」。河西社長が重要視する「わきあいあい」は、
社内ノウハウの伝承の手段でもある。
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新たな一歩
たな 一歩を
一歩を踏み出す「株式会社」
株式会社」
河西精機製作所の会社案内のページをめくると、見開き
でニューヨーク・マンハッタンの写真が掲載されている。
この写真には2つの意味がある。
ひとつは、米国で経営修士号を取得した河西社長が学
生時代に慣れ親しんだ風景であり、もうひとつは「日本
から海外へ」展開する同社の象徴だ。
「あらゆるボーダーがない」という職場では、性別・年
齢・国籍を問わず従業員が汗を流し、つくられた製品
は、国内に限定されることなく世界へと発信される。
今年6月、有限会社から株式会社に変更した河西精機
は、諏訪から世界へ、更なる新しい歴史を歩もうとしてい
る。
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