家族研究の理論史を整理する

家族研究の理論史を整理する
倉橋
(1)
忠
さまざまな家族論
戦後 、家族問題がマスコミによって大きく取り上げられ、社会問題化するとともにさまざまな専
門研究領域からの家族論が提出されてきた 。すなわち 、家族現象を直接の研究対象にしている学問
領域として 、家族社会学 、家族精神医学 、精神分析学 、家政学などをあげることができる 。また 、
人類学 、歴史人類学 、文化人類学 、人口史学 、歴史社会学、法制史学、家族法学なども家族現象と
その周辺を研究対象としている。
さらに 、家族を研究対象としていない人々の間からも多様な「家族論 」が 、マスコミを舞台に過
1)
去展開されてきた 。家族が危機にあるという認識に立つ中でも、一方の極は、家族は危機にあ
るが必要なものであるという認識から復古的な性別分業を強調するもの、
あるいは性別分業を肯定
しつつ家族を解体すべきだとするもの、他方の極は 、性別分業を否定し今日の家族は解体して新た
なシステムを構成するべきであるとするもの 、
さらに性別分業を否定し家族を依然擁護すべきであ
2)
るとするもの。いわば、4極構造の対立がある 。
しかし 、これらに対して、家族は健全であり 、危機とか崩壊に向かっているというのは、マスコ
ミが触れ回っているだけであるという認識もある。
このように多様な領域からのアプローチと家族論が生じていることについて、家族に関していえ
ば誰しもが家族を体験しており、
家族についての何がしかの論を形成することは誰にも可能である
3)
故の現象である ともいえる。しかしながら、これらの理論状況は、むしろ今日の家族の多様性
とその問題の深刻さを示すものである。
このように社会一般に提示される「家族論」の内容は複雑多岐にわたり、家族問題および家族論
の全容を理解することは極めて困難となっている 。そこで次に、具体的に学説の対立を一瞥して、
課題の設定を試みる。
たとえば 、湯沢雍彦は、国勢調査、各種の社会意識調査などの統計上に現れた結果から、わが国
の現代家族は病んでいないという。離婚 、少年非行など病理現象が生じているが 、それは一部の家
族に生じている現象であって 、全体としてわが国の家族は健全であり危機的状況にはない 。家族が
危機に瀕しているかのようなマスコミの報道量が多いのであり 、
家族問題が深刻なレベルにあるの
ではない 。したがって、欧米の家族崩壊現象をもって、わが国の家族も崩壊に向かっているとする
1 ) たとえば、石垣綾子「主婦という第二職業論」『婦人公論』1955年2月号を契機に展開されたいわゆる「主婦論争」では、関連論文まで含め
ると100点を超える論文が発表されている。
2 ) 上野千鶴子「主婦論争を解読する」同編『主婦論争を読むⅡ全記録』勁草書房 1982.12.10 pp.248-250
3 ) 正岡寛司「現代家族へのアプローチ」正岡寛司・望月嵩編『現代家族論』有斐閣 1988.7.10 pp.14-15
- 1 -
のは誤りであるという 1 )。この立場は、全体としての家族制度は危機にないから、個々の家族の
危機的状況に支援し得る施策が必要であると主張する。
その一方で、現代の家族は危機に瀕していると認識する立場がある 。家族精神医学者の小此木啓
2)
3)
吾は、現代家族は「ホテル家族」 化しており、
「山アラシ・ジレンマ」 の中に人々は陥ってい
て 、もはや家庭は幻想に過ぎず、人の意識は家族よりも外に向かっていて「家庭のない家族の時代 」
に入っている。マイホーム主義はその幻想家族の頂点にあると主張する 。小此木は 、その原因を高
度経済成長期以後のわが国の「核家族化 」との関連で述べる。彼のあげる主要な原因は、①拡大家
族と核家族の「容れ物(コンテナー)
」としての違いがあること(容れ物としての弾力性や包容力
が縮小し、低下した )
、②家族が仕事集団でなくなり、感情集団化したこと、③家族の中でのルー
4)
ルと抑圧がなくなったこと、である 。この立場は 、
「核家族」を理想とする現在の家族制度その
ものを見直し、家族制度の再構成の必要性を訴える。
この両者の対立は 、家族を、国家制度ないし社会全体の基礎的集団としてとらえるか 、個人の存
在を支える集団としてとらえるかの基本的なアプローチの違いからくるものである 。このように、
その視点をどこにすえるかで 、わが国の現代家族は健全だという結論に到達することも 、現代家族
をして危機的状況にあるととらえることも可能である。
したがって、現代家族現象を理解するに先だって 、これまでの研究がどのようなパラダイムでア
プローチしてきたのかをまず検討しておく必要がある。
(2)
制度的アプローチから個人へ
家族社会学は社会学の中でも比較的古い研究であり、ほぼ1世紀の歴史をもつ。
家族現象を理解するための理論的な枠組みは 、
家族社会学の中でもさまざまなレベルのものが学
説として提唱されてきている 。ここで、このような家族社会学の研究理論がどのような経過をたど
ってきたのか、またそれぞれの理論はどのような家族像を典型モデルとして提出してきたのか 、正
岡寛司の整理 5 )を参考にしてそれらの変遷を一瞥する。
正岡によれば、家族現象を理論的に説明する視点を6つの水準に分類することができる 。これま
での家族社会学研究がすべての水準を踏まえてなされてきたものではなく、
いずれかの水準の一つ
ないし二つを焦点に絞ってなされてきた 。さらに 、社会学的家族研究は水準Ⅴから水準0に向かっ
1 ) 前掲 湯沢『新しい家族学』pp.71-72,pp.155-156,pp.205-211
2 ) 「ホテル家族とは、家庭を何でも思うようなサービスを受けることのできる高級ホテルとみなし、自分たちはみんなお客さまと思い込んで
いる家族である。」小此木啓吾『家庭のない家族の時代』ABC出版1983.2.15
p.36
3 ) 「山アラシ・ジレンマとは、人と人の間のお互いの心理的距離が近くなればなるほど、お互いの傷つけ合いが深刻になるという、人間関係
のジレンマをいう」。米国の精神分析医ベラックの命名による。由来はドイツの哲学者ショーペンハウエルにまでさかのぼり、精神分析学ではフ
ロイトが最初に発表している(1921年)。
前掲
小此木『家庭のない家族の時代』p.40
4 ) 前掲 小此木『家庭のない家族の時代』pp.28-29
5 ) 前掲 正岡「現代家族へのアプローチ」p.4
- 2 -
て下降する傾向にある 1 )。
家族社会学研 究の水準
水準Ⅴは、19世紀における家
水準
社会の深さ
Ⅴ
社会体制
Ⅳ
社会制度
秩序 と条件付け
社会学的パラダイム
族研究の主流であり、家族の歴
史変動過程にアプローチするも
体制価値 ・イデオロギー
「社会的事実」
のである。社会体制と家族・親
社会 的規範
Ⅲ
組織・集団
関に焦点をあて、社会体制の変
Ⅱ
社会関係
動と家族・親族集団の類型的変
Ⅰ
族集団との構造および機能的連
共 同目標
「状況規定」
役割
個人の志向・行為
個 人的欲求
「行動主義」
動との歴史過程を明らかにしよ
0
深層心理
うとするものである。
正 岡 寛 司 「 現 代 家 族 へ の ア プ ロ ー チ 」 p.4 よ り 引 用
次に、19世紀後半から、家族
集団の普遍的な性格を把握しよ
[図1-1]
うとする動きが生じた 。その流れの中から水準Ⅳと水準Ⅲが展開され 、20世紀の研究へと引き継が
れる。
水準Ⅳは 、制度的なアプローチであり「家族のフォーマルで規範的な外部的側面を強調し、また
家族システムの制度的機能 の配分や家族と他の社会システムとの間の機能的関連」
を照準とする。
水準Ⅲは 、家族現象を集団的アプローチから説明しようとする 。第2次世界大戦後のアメリカで
は 、家族研究は制度的アプローチからこの集団的アプローチへ急速に転換した。
「家族の内部構造 、
夫婦関係、親子関係、成人子と老親の世代間関係などに関する定量的方法による研究」2 )が主と
して対象とされた。
そして 、今日では 、水準Ⅱと、精神分析学や家族精神医学と手を結ぶ水準Ⅰでの研究が最も多く
3)
展開されるに至るのである 。水準Ⅱは、役割関係に注目する視点であり、今日の家族社会学を
代表する水準である 。この水準Ⅱで研究されている「特定の状況において期待される行動の型とし
ての役割の概念」は 、現代社会学の共有概念である 。しかし 、基本語としての役割の概念について
は、共通の理解が定着しておらず多義的である 4 )。この水準でのアプローチが成立することによ
って、性別分業の問題性が意識され始めたといえる。
このように歴史的 、
制度的アプローチから次第に関心が個人へと向かってきているのが歴史的な
1 ) 森岡清美も家族社会学の理論的な枠組みを6つのアプローチに整理しているが、正岡のそれとは若干異なるものである。森岡は①制度アプ
ローチ、②構造−機能アプローチ、③相互作用アプローチ、④状況アプローチ、⑤発達アプローチ、⑥形態アプローチに区分している(森岡
『家族周期論』培風館
1973.10.30
pp.3-4)。
だいたいにおいて正岡のそれと同様であるが、それぞれの枠組みの垂直的な流れを説明する正岡の整理が筆者の作業には説得力があるように
思う。いわば森岡の整理はそれぞれのアプローチを水平的に説明し、並列的である。教育目標の変遷を後づける視点および教育目標の階層を
指向する視点からも、正岡の整理が有効であると判断する。
2 ) 前掲 正岡「現代家族へのアプローチ」p.6
3 ) 前掲 正岡「現代家族へのアプローチ」p.13
4 ) 前掲 正岡「現代家族へのアプローチ」pp.5-6
- 3 -
大枠である 1 )([図1-1]参照)。
そこで、水準Ⅴから水準Ⅳ・Ⅲへの理論の精緻化と実証的アプローチへの変遷を要約 2 )すると
次のようになる。
社会学の方法を自然科学の方法に近づけようとする科学主義の要求が、
この社会学の動向に大き
な力を与えた。19世紀の進化論的家族論はその攻撃対象となり、数々の野外調査が蓄積され、19世
紀のそれは批判にさらされた 。その中で 、家族現象の実態の多様性が確認されるようになり、家族
のさまざまな存在形態を記述する研究と 、
より普遍的な家族の構造を追究する研究の二方向が出現
した 。
後者の研究は分析的に家族をとらえるようになり 、
家族の理論的説明を飛躍的に向上させた 。
それは 、家族を同居集団としての世帯から分離し 、生活集団からも分離し親族集団へと微分的に分
析していったのである 。しかし 、分析が進展すると、家族の全体像を見失うことになってしまうと
いうリスクも同時に負ってしまったのである 。そこで再び、家族とは何かが議論の対象になり始め
ることになる。
また 、次第に進行する産業化の波が新中産階層を生み出したのも 、この時代(19世紀後半)の大き
な特徴であった。新中産階層が社会の中で重要な地位を占め始めることによって、研究対象は彼ら
(新中産階層)=ホワイトカラーに集中するようになっていく 。
その流れの中にあるのがT.パーソン
ズの研究である。
一方 、
他の学問領域の発展は社会学にも影響が及び 、
20世紀に入ると次第に社会学の家族認識は 、
より個別性から普遍性へと進展することになる。
やがて 、水準Ⅴでの家族研究は、人類学、民族学によって没歴史的な比較文化論的に 、歴史学 、
法制史学 、人口史学によって「近代化前 」と「近代化後」の2分法による研究が展開されるに至る。
水準Ⅳは法学、政治学、家政学、労働経済学、社会保障論によって専門的に追究されている。
このような中で、社会学的家族研究は、水準Ⅲ 、水準Ⅱへと移行し 、水準Ⅱと、水準Ⅰが今日の
研究舞台の大勢を占める。
(3)
①
家族研究理論水準と教育目標の設定
家族研究理論水準の変遷と今日的意義
家族社会学における家族現象を追究する水準は 、以上のように下降化する傾向にある。しかし、
今日においても水準ⅤやⅣが 、家族社会学上で学問的に意義をもたないのではない 。前述したよう
に 、家族現象のアプローチする側面によって視点の置き方は変わるものである 。そのために、いず
れかの水準が優先されて、研究方法を規定しているということができるのである。
たとえば、水準Ⅳの制度論的アプローチは 、
「家族内部の具体的な人間関係をとらえることには
1 ) この水準の下降化傾向は、次のような特徴をもっている。「①家族の歴史的変動の把握から同時代把握への推移、②長期的変動の展望から現
実的課題への対応、③制度間の関連から行動間の関連へ、④理念型理論から分析理論へ、⑤構造把握から過程把握へ、⑥家族研究の専門的分業
化(家族社会学の成立)、そして⑦家族の私化」である。
(前掲
正岡「現代家族へのアプローチ」p.9)
2 ) 前掲 正岡「現代家族へのアプローチ」pp.11-13
- 4 -
なじみにくい」1 )という欠点をもつが、家族の歴史的な変遷を大きくとらえるときには、他のど
の水準のアプローチよりも明確に示すことができるものである 。さらに 、家族生活に関する規範・
行為パターンにも、全社会的規模のものから、
個々の具体的家族にのみ通用するものまで存在する 。
そのように規範・行為パターンをとらえるときには、この制度的アプローチも「一般化の試みや個
2)
別的な人間関係把握の試みにいちがいになじみがたいわけではない」 。
さらに 、水準Ⅲの集団論的アプローチは今日においてもなお、十分に意義を有するものである。
この水準は 、家族規模、家族構成、子どもの出生などに関しての家族の基礎的な情報を提供するこ
とができる 。
「国勢調査などを利用する大量観察になじむのも 、このアプローチの強みである 」3 ) 。
②
家族研究理論の水準と教育目標
さて、実際の授業で教育目標の対象となるべき水準はどのようにして選ぶべきであろうか。
水準Ⅱの役割に注目するアプローチは 、今日の家族社会学理論の典型である 。したがって、基本
的にはこの水準が教育目標の骨格部分を形成する。
なぜならば、教育目標は「教育的価値の世界を、言語を媒介にして対象化した」4 )ものであり、
「目標または内容をなすものは 、わかちつたえることのできる文化(人間発達の『外化された 』遺
伝情報ともいうべき文化 )であり 、普通教育のばあいにはその基礎的なもの、つまり基本的な科学
的法則や芸術上の典型的なテーマや知識・技能など」5 )であるということができるからである。
学習指導要領も「社会生活における個人の役割とその在り方について考えさせる」6 ) として、家
族内での個人の役割を中心とした家族(機能)を教育目標としている。
それでは水準Ⅱのどのテーマを選択するのか 。ここでは 、現在の家族関係の規範的知識は、日本
国憲法第24条の「個人の尊厳と両性の本質的平等 」に基づいていることを理解するという教育目標
と、学習指導要領の「高齢化の進展とのかかわりで自己の生涯を通した生き方」
7)
を考えるとい
う教育目標との関連でとらえる必要がある。
一方 、
家族一般に関する知識理解が不必要なわけではない 。
今日の家族が絶対的な存在ではなく 、
歴史的相対的存在であり 、歴史上においても現代においても多様な家族が存在することを知り 、子
どもたちが自分の家族も歴史的、社会的、相対的存在であることを理解できるようになることも授
業の大切な教育目標である。
保障しなければならない基礎学力は、今日の家族社会学の典型的アプローチによるだけでは無理
がある 。なぜならば 、家族社会学の理論史をみてきたように 、今日の理論レベルに到達するために 、
1 ) 森岡清美「家族のとらえ方」『テキストブック社会学(2) 家族』有斐閣1977.12.20 p.8
2 ) 前掲 森岡「家族のとらえ方」p.8
3 ) 前掲 森岡「家族のとらえ方」p.10
4 ) 前掲 中内『新版 教材と教具の理論』p.11
5 ) 前掲 中内『新版 教材と教具の理論』p.26
6 ) 文部省『学習指導要領』平成元(1989)年版 公民的分野「目標」p.31
7 ) 前掲 文部省『学習指導要領』「内容の取扱い」p.34
- 5 -
家族社会学は実に多くの知恵と時間が必要であったのである 。かつまた 、今日の学問研究が過去の
研究の成果を継承して成立していることを知るならば、典型問題を支える知識として 、複雑になら
ない程度に 、他の水準のアプローチの成果に子どもたちを触れさせる必要がある 。換言すれば、教
育目標に到達するための到達目標=中間目標の設定が、
重要な意味をもつ 。
その中間目標の設定に 、
科学研究の方法論的歴史および理論史は、重要なヒントを与えてくれる。
そのような意味において 、制度的なアプローチと 、集団論的なアプローチについての理解が必要
である 。なお 、学習指導要領の教育目標の中核は 、日本国憲法第24条の精神の理解であるから、こ
れは純然たる法制度であり、その意味においても制度的アプローチが必要である。
それらの知識理解をふまえて、子どもたちのつくる家族 、すなわち近未来の家族について、子ど
もたちが自分で考え 、
子どもたちが主体的に生涯をどう生きるかの価値判断を迫る場面を提供して
くれる典型的テーマは何か。
それは「女子差別撤廃条約」が要求し、政府をはじめ多くの研究者の目標とする 、社会的な家族
目標「性別分業主義の克服」を視野に納めた 、実質的な家族内における男女平等と 、家族内におけ
る個人の尊厳が教育目標となる。その典型的な教材として 、第1に「夫婦共働き家族 」を指摘する
ことができる。第2に「高齢化社会と現代家族」をあげることができる。
(4)
わが国の家族論に影響を与えた家族研究理論
次に 、家族に関する客観的な知識を理解するために 、わが国の家族理論の共通資産となっている
家族に関する科学的研究の成果を概括しておく。
わが国では、第2次世界大戦前から形態的側面にアプローチが行われていた。一般的には概して
思弁的な記述による集団的アプローチが多かった。
①
戸田貞三の研究
そのような中にあって、戸田貞三の研究は定量的なアプローチに挑んだ数少ないものである。
戸田は国勢調査等を基礎資料として、研究にとっては最悪と思われる条件下で、家族の集団的特
質やその結合契機に迫った。
1937年 、戸田は 、夫婦と未婚の子どもだけの家族(マードックのいう核家族)が 、都市圏だけでな
く、東北の農村においても70%近くを占めること 1 )、 及び白川村の大家族の調査から直系大家族は
残存しないことを実証した 2 )。
戸田は家族を集団であるとして、家族の集団的性質について6つの性質をあげた。
「(1)家族は夫婦、親子およびそれらの近親者よりなる集団である。
(2)家族はこれらの成員の感情的融合にもとづく共同社会である。
1 ) 戸田貞三『家族構成』初出 弘文堂 1937.11 復刻版 新泉社 1982.7.16 p.242
2 ) 前掲 戸田『家族構成』p.263
- 6 -
(3)家族的共同をなす人々の間には自然的に存する従属関係がある。
(4)家族はその成員の精神的ならびに物質的要求に応じてそれらの人々の生活の安定を保障し経
済的には共産的関係をなしている。
(5) 家族は種族保存の機能を実現する人的結合である。
1)
(6)家族は此世の子孫が彼世の祖先と融合することにおいて成立する宗教的共同社会である 。 」
この戸田が主張した家族の特質は、(3)(5)と(6)を除けば、今日の家族社会学においてもなお支
持されている 2 )。家族社会学の多数説は、この戸田の定義にしたがっているといってよい 3 )。
②
森岡清美の家族周期論
1955年以降に入ると 、
「核家族化」傾向と種々の家族問題が顕在化し、集団的アプローチの研究
4)
が飛躍的に質量ともに増大した 。この水準における 、わが国の代表的な研究に 、森岡清美の『家
族周期論』(1973年発表)がある。
森岡の『家族周期論』5 )は、家族にも発達段階があり、発達課題をクリアーできるかどうかで
家族の状態が決定されるという仮説にもとづいて家族現象をとらえようとする理論である 。
他の研
究領域の理論ないし他のアプローチの概念を借用するが、家族を「半・閉鎖体系 」としてとらえつ
つ 、人間発達については死ぬまで続く動的な過程であるととらえ 、家族過程に迫ろうとするところ
に特徴がある。森岡自身はこれを発達アプローチと呼んでいる 6 )。
③
バージェスとロックの「友愛家族」
第2次世界大戦後のアメリカでは、家族研究は制度的アプローチから集団的アプローチへと急速
に転換した。アメリカの集団的アプローチ研究には、
「集団論的パースペクティブに基づく家族研
7 )
究の1つの金字塔」 とされるバージェスとロックの共著『家族 −制度から伴侶性へ』(Burgess,
E.W.& Locke,H.J.,1945年発表)および、G.P.マードック(Murdock,G.P.)の『社会構造』8 )(1949年
発表)を代表としてあげることができる。
バージェスとロックは 、近代家族の理念型の家族像として「友愛家族 」を提唱した 。この「友愛
家族」は「制度的家族像」でも現実に存在する家族でもない「理念型の家族像」である。
1 ) 前掲 戸田『家族構成』p.37
2 ) 総合研究開発機構編『現代アメリカの家族問題』出光書店 1984.1.25 pp.3-4
3 ) 正岡寛司『家族 −その社会史と将来−』第2版 学文社 1984.3.30 p.15
4 ) 家族変動の研究史を中心に時代区分すると1960年ごろということになる。1960年ごろ以前の家族研究は、改正民法の運用や教育機関の啓蒙
が実際の家族生活にどのような影響を及ぼしているかを対象としていた。具体的には「家族主義、封建遺制、伝統的規範の崩壊」などが扱われ
た。しかし、1960年ごろ以降は、「家族構成の変化、子どものしつけの変化、婦人や老人の家族的地位の変化」などが具体的な対象となり、
「産
業化と家族の変動」に家族研究の関心は移った(森岡清美「家族の変動」森岡編『家族社会学』 東京大学出版会 1972.11.25 p.208)。
5 ) 森岡清美『家族周期論』培風館 1973.10.30
6 ) 前掲 森岡『家族周期論』pp.10-11
7 ) 前掲 正岡「現代家族へのアプローチ」p.11
8 ) George Peter Murdock,1949, Social Structure. 内藤莞爾ほか訳 『社会構造』新泉社 1978.8.1
- 7 -
彼らのいう「友愛家族」の特徴は次のようなものである。「友愛としての家族は、もはや制度家
族のように 、慣習や世間の圧力や法律によって統制されるのではなく 、成員相互の愛情と意見の一
致を根拠として成り立っている。それは 、平等の原理となった民主的家族であること 、義務や伝統
に従うことよりも個人の幸福の追求を第一義としていること 、結婚は当事者がきめ 、恋愛や性格の
一致などが配偶者選択の条件であること 、
生産・教育・娯楽・健康・防禦・宗教などの諸機能の大
部分を家族外に移譲してしまっている」1 )ことを特徴とする家族である。
しかし、ここで注意しておくべきことは、夫婦の平等を説く彼らもまた、
「性別分業の見直し、
あるいは性役割の文化的不平等性の問題には 、まったくといってよいほど足を踏み入れていない」
2)
ことである。このバージェスらの「友愛家族」像が、戦後の憲法・民法改正時に紹介され、憲
法の家族像に大きな影響を与えた。
④
マードックの「核家族説」
一方 、マードックの提出した「核家族(nuclear famiiy)」概念と「核家族説」は今日に至るまで、
家族研究に強い影響を与えている。彼は、250余りの民族の家族実態調査を実施して、核家族が普
遍的に存在する形態であることを主張した 。彼によると「家族は 、居住の共同、経済的な協働 、そ
れから生殖によって特徴づけられる社会集団である。それは両性からなる大人と、一人またはそれ
以上の子どもとを含んでいる 。そして大人のうち少なくとも二人は 、社会的に承認された性関係を
維持しており、また子どもは、この性的共住を行っている大人の実子、もしくは養子である」3 )
と定義することができる。そのうち、
「核家族」は家族の基本単位であり、普遍的な家族形態であ
り、また核家族は強い機能をもつ集団であるという。
4)
彼のいう「核家族」とは 、
「一組の夫婦とその子どもたちからなる」家族である 。
なお 、性別分業(マードックは「性的分業」と表現する)について 、彼は調査の結果から、普遍
的に認められる分業形態であるとする。また彼は「性的分業 」を意図的に選択された分業であると
しながらも、その根拠を生理学的な性差に求めている 5 )(以下、マードックの認める性による分
業を「性的分業」といい、今日的意味におけるそれを、単に性別分業と表現する )
。
⑤
T.パーソンズの「夫婦家族」
わが国が 、戦後の混乱期から抜け出し 、高度経済成長期へ歩み始めた頃に、T.パーソンズの「夫
婦家族」理論が紹介され、わが国の家族論に大きな影響を与えた。
1 ) 松原治郎「制度から友愛へ」塩原勉・松原治郎・大橋幸編『社会学の基礎知識』有斐閣 1978.1.30 p.123
2 ) 前掲 正岡「家族のライフスタイル化」p.69
3 ) 前掲 Murdock,G.P.(内藤莞爾 ほか訳)『社会構造』p.23
4 ) 前掲 Murdock,G.P.(内藤莞爾 ほか訳)『社会構造』pp.24-25
5 ) 前掲 Murdock,G.P.(内藤莞爾 ほか訳)『社会構造』pp.29-30
- 8 -
T.パーソンズ(Parsons,T.)の研究(1959年発表)1 )は、制度的なアプローチであり 、
「家族のフォ
ーマルで規範的な外部的側面を強調し、また家族システムの制度的機能の配分や家族と他の社会シ
ステムとの間の機能的関連」を照準とする。
パーソンズは、フロイトの精神分析学的仮説を巧みに活用しながら 、統計資料を駆使する方法を
とり 、パーソナリティの成長過程を社会構造および家族との関連で分析する手法をとる 。典型的な
家族モデルとしてマードックの核家族説を支持し ながら、夫婦家族を研究の対象としている。
彼は 、産業化に伴う、社会システムと家族システムとの間の明瞭な構造的分化を指摘し 、産業化
によって家族機能が縮小した後にも、家族には重
核 家族 の基 礎的役 割構 造
道具 的優 先性
要な機能が存在すると指摘した。
「人間のパーソナ
リティは『生まれる』ものではなくて、社会化過
程を経て『つくられ』なければならない 」
。それを
つくるのが家族という『工場』であり、家族の重
要な機能はまず第1に 、
「子どもの社会化」にある
表出 的優 先性
優
道 具的 優位
表出 的優 位
位
父( 夫)
母 (妻 )
劣
道 具的 劣位
力
位
息子 (兄 弟)
表 出的 劣位
娘 (姉 妹)
橋 爪 ほ か 訳 『 家 族 』 p .77
と彼は主張する 2 )。
第2に 、
「家族の男女成人メンバーのパーソナリ
[図1-2]
ティの均衡調整」機能を指摘する 。彼は 、夫の手段的役割(道具的・職業的役割とも表現している)
と、妻の専門化された育児・家族の情緒安定の働きを表出的役割としてあげる([図1-2]参照)。こ
こで手段的役割(insturumental role)とは 、直接的満足以外の、目標のために他人と結ぶ関係にお
ける役割をいい、表出的役割(expressive role)とは、即座の直接的満足を目的として他人と結ぶ
関係における役割をいう。
彼はこうして、夫婦の手段的そして表出的役割の線にそった、性別分業に基づく夫婦家族の意義
3)
を強調する 。この「夫婦家族」は、当時のアメリカの中産階級の典型的な家族でもあった。こ
の典型とされた「夫婦家族」が、
「わが国において近代家族として概念化され、あるいはあるべき
家族として求められてきたと見做してよい」4 )。
ここで、夫婦家族の文化的側面をみておこう。夫婦家族は 、
「夫婦関係を基盤にして、彼らの間
に生まれた子どもたちの養育に夫婦が共同して当たり、
成長した子どもたちは次々に彼らのもとを
離れて自立していくような家族である」。この家族像は、家族は所属するものではなく創るもので
あるという信念と期待から成り立っている文化的所産である 5 )といわれる。
1 ) Talcott Parsons and Robert F. Bales 1959 FAMILY:Socialization and Interaction Process (橋爪貞雄ほか訳『家族』黎明書房 合本
初版 1981.9.1)
2 ) 前掲 T.パーソンズ『家族』橋爪ほか訳 pp.34-36
3 ) 前掲 T.パーソンズ『家族』橋爪ほか訳 pp.43-49
4 ) 前掲 正岡「家族と社会変動」p.33
5 ) 前掲 正岡「現代社会と家族」p.46
- 9 -
すなわち 、夫婦家族は定位家族 1 )としてあるのではなく 、生殖家族 2 )を創ることからはじまる 。
それは配偶者選択から始まって、
子どもの養育と子どもの離巣をもって責任と義務が完了する家族
であり、子どもの巣立ちは夫婦の解放を意味するものである。この夫婦家族の夫婦にとって、
「子
どもの養育は、自らの冒険行為に伴う責任遂行でしかないから、子どもたちに長期にわたって負担
3 )
の大きな返礼を期待しないし、またできない」 ことを信念と期待をもって成り立つ家族像であ
る。このような特徴から、正岡は夫婦家族を「業績的世界」の家族だという 4 ) 。
これに対して、わが国の「家」は創るものではなく、生まれるものであり、
「帰属的世界」の家族
である。それは「入家」するもので、
「嫁入り」や「養子」によって典型的に示される。しかも、
この家族(「家」)への所属は 、現世のみではなく来世にまで及ぶと観念されている。この「帰属的
世界 」の家族では個人の自立や創造は危機を呼ぶ行為でしかない 。既婚の子ども夫婦が両親と同居
し扶養するのは当然のことと考えられ、期待される。
この両者の違いは 、家族の定位家族としての側面と 、生殖家族としての側面とのどちらを強調す
るかである。このように文化的に期待される家族像はおよそ異なるものである。
⑥
家族社会学研究史の概括
戸田の戦前の研究成果により、庶民の生活はすでに昭和初期において核家族が大半であること
が 、すでに明らかにされていた。換言すれば 、憲法改正時においてすでに、大部分の家族の家族構
成は核家族(存在)が実態であり、
「友愛家族」(理念)を受け入れる条件は形成されていた。
しかし 、戦後 、
「家 」意識から人々が解放されるかどうかの問題が存在した 。「家」制度とは180度
異なる文化的期待を背負った 、バージェスの「友愛家族」を 、戦後のわが国は理想の家族像として
憲法に規定したが、それが定着するにはかなりの時間を要することになる。
また 、マードックの「核家族説」は 、核家族が普遍的に存在すると実証し 、以後「核家族説 」は 、
家族社会学の基礎理論となった。
さらに 、高度経済成長期に入った段階で 、単に理念型の家族像としてではなく 、パーソンズの「夫
婦家族」は、バージェスの「友愛家族」が存在する家族事象として論証したのである。
1 ) 人が生み落とされ子どもという地位で所属する家族。
2 ) 人が結婚し夫・妻および父・母という地位で所属する家族。
3 ) 前掲 正岡「現代社会と家族」pp.46-47
4 ) この夫婦家族は、民主的核家族とも表現される。1950年代、すでに米国の家族精神医学の権威Th.リッズ(イェール大学教授)が、この核家
族の基準をあげている。①「父母の連合」、②「世代境界の確立」、③「男性・女性としての役割の明確化」の3つの基準がそれである。
小此木啓吾『家庭のない家族の時代』ABC出版
1983.2.15
p.110
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