正常と異常 - 日本医師会

特集 精神鑑定
正常と異常
―精神鑑定の経験から―
秋元波留夫*
キーワード
心神喪失者
心神耗弱者
人格障害
空想虚言
障害」のある者,すなわち精神障害者であるか
はじめに
ら,精神鑑定の見地からは,
「精神状態の異常」
裁判所,起訴前鑑定では検察官から精神鑑定
が精神障害を意味することは明らかである.し
を委嘱された鑑定人(その多くは精神医学を専
かし,一般論では,精神の異常は必ずしも精神
門とする医師であるが)が問われるのは,被告
障害を意味しない.異常とは正常からの逸脱で
人,
時には被疑者の犯行当時あるいは自白当時,
あり,体重や身長を例にとれば,それらの統計
「精神状態に異常があったかどうか,
もし異常が
的平均値よりも低い者と同様に,高い者も異常
あればその程度」と「現在の精神状態」である
である.この場合,統計的平均値を示すものが
のが通例である.なぜ,裁判あるいは検察で,
正常とされる.正常とは「当たり前」
「普通」
,
,
被告人あるいは被疑者の精神の異常が問題にな
「並」のことであり,異常とは「並外れ」を意味
るかというと,わが国の刑法(明治 41 年施行)
する.知能指数の並外れて高い
「秀才」
,創造力
は,その第 39 条(心神喪失,
心神耗弱)で,
「1.
の並外れて優れた「天才」は,正常から逸脱し
心神喪失者ノ行為ハ之ヲ罰セス,2.心神耗弱
た異常者である.
者ノ行為ハ其刑ヲ減軽ス」と定めているからで
精神鑑定で問われるのは,このような日常的
ある.心神喪失者・心神耗弱者は法律上の概念
な意味での正常と異常ではなく,精神障害の有
であるけれども,その実態は大審院判例(昭和
無とその程度である.精神鑑定の見地からは,
6 年 12 月 3 日)が示したように,
「精神障害の態
異常とはもっぱら精神障害の存在であり,正常
様」
であり,心神喪失者は
「精神の障害により,
とは精神障害の欠如を意味する.
是非を弁別する能力のない者,または是非の弁
このことを前提として,正常と異常について
別にしたがって行動する能力のない者」
,
心神耗
の若干の問題を,私自身の精神鑑定の経験から
弱者は「前項の能力が著しく低い者」
(改正刑法
少し考察してみたい.
草案第 16 条)のことである.
心神喪失者・心神耗弱者はいずれも「精神の
あきもと・はるお:社会福祉法人
きょうされん理事長.昭和4年東
京帝国大学医学部卒業.昭和33
年東京大学教授(精神神経学)
.昭
和41年国立武蔵療養所所長.昭和
54年東京都立松沢病院院長.昭和
60年現職.主研究領域/精神医
学.
I.心神喪失者・心神耗弱者の判断は
だれがするのか
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法律学と精神医学の間でしばしば論争になる
のは,心神喪失者・心神耗弱者の判定は法律家
と精神医学専門家のいずれが行うのか,という
問題である.一部の法律家は心神喪失・心神耗
弱は責任能力を意味するから,その判断は法律
家の任務であり,精神鑑定(精神障害の診断,
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臨床,検査所見など)はこの判断の参考にすぎ
という法律によって心神喪失者・心神耗弱者と
ないと主張する.鑑定主文で,心神喪失・心神
呼ばれるのである.心神喪失者・心神耗弱者と
耗弱の判断を下した私の鑑定に抗議する検察官
は違法行為を犯したときの精神状態を表す法律
が少なくなかった.しかし,どう考えてもこの
用語で,
「責任無能力者」
「限定責任能力者」
,
と同
抗議には納得できなかった.その理由は,心神
義語である.刑法学者・団藤重光東京大学名誉
喪失・心神耗弱は法律用語ではあっても,その
教授が説かれるように,心神喪失者(責任無能
実態は大審院判例,改正刑法草案第 16 条が示
力者)
・心神耗弱者(限定責任能力者)は違法行
しているように,精神障害そのものであるから
為を行った精神障害者の人格の評語ではなく,
である.心神喪失・心神耗弱の判断は実は精神
その行為時の精神状態の表現である.
障害を診断することなのである.精神障害の診
次に殺人の例を挙げよう.酩酊して上司と妻
断はだれの任務かおのずから明らかだろう.法
にガソリンをかけて火を付け,上司に火傷を負
律家がいうところの心神喪失・心神耗弱,すな
わせ,妻を焼死させた工員の事例である.私の
わち「精神障害の態様」の診断,治療およびリ
鑑定書に詳しく論述されているが,私はこの事
ハビリテーションを任務とする医学が精神医学
件の前後の行動について,本人と目撃者の供述
である.それだからこそ司法は精神医学専門家
を詳しく検討して,この行為が病的酩酊の所産
の精神鑑定に期待することができる.心神喪
であり,是非の弁別,および是非の弁別に従っ
失・心神耗弱を判断しうるのは精神医学専門家
て行動することのできない状態で行われたこと
であり,この判断(精神鑑定)を採用するか否
を論証した.病的酩酊は飲酒の結果で自ら招い
かが法律家である裁判官の権限なのである.
た精神障害,すなわち「原因において自由な行
それゆえ,精神障害に関する医学の専門家で
為」ではあるが,裁判長は私の鑑定を採用し,
ある精神科医の関与なしでは,刑法第 39 条の
無罪を言い渡した.この工員はその後復職し,
運用は不可能といってよい.極端な言い方をす
飲酒を慎み,平穏な生活を送っている.福島
ると,もし,精神科医が精神鑑定を拒否したと
章上智大学名誉教授はこの鑑定例の解説で「殺
したら,心神喪失・心神耗弱の判断はできない
人という犯罪もアルコールのための一時的な病
ことになり,その結果は治療の対象であるはず
的精神状態の結果であって,決して本人の人格
の精神障害をもつ被告人,
被疑者が有罪となり,
傾向に基づいた行為でなかったことを考えれ
まかり間違えば死刑の宣告を受ける羽目となり
ば,このことは当然といってよいであろう」と
かねない.
述べている.彼は病的酩酊で殺人を犯したとき
II.心神喪失者・心神耗弱者と精神障害者
今,心神喪失者・心神耗弱者の実態は精神障
こそ心神喪失者(責任無能力者)であったけれ
ども,それから醒めたあとは正常で,責任能力
を具えた市民である.
害者であると述べたが,重要なことは,心神喪
これまでに考察したように,精神障害者の違
失者・心神耗弱者が精神障害者の別名ではない
法行為が免責となるのは,その行為が彼の精神
ということである.心神喪失者・心神耗弱者と
障害と因果関係があることが明白である場合で
は「違法行為を行った精神障害者」の違法行為
あり,精神障害者の行為がすべて免責となるの
に対する責任を免除する者・軽減する者という
ではない.さらに重要なことは,精神医学の見
意味である.つまり,違法行為が精神障害の結
地に立つとき,精神障害者の免責はその違法行
果(医学的には症状)であることが精神鑑定に
為が精神障害の所産であり,その行為に対して
よって証明されたとき,その精神障害者は刑法
責任を負わせられないからであり,彼がもとも
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と責任能力のない人間であるからではない.精
ように,精神障害者の
「社会経済活動への参加」
神医学の臨床は病的酩酊,てんかんの自動症発
が可能な時代を迎えたのである.社会経済活動
作,寝呆けなどの一過性意識障害が犯罪行為の
に参加してその代償として賃金を得,税金を納
原因となる場合があることを教えているが,こ
める市民である精神障害者は,市民として,働
れらの場合の責任能力は症状の持続する間だけ
く者として,社会の一員として責任を果たして
に限って問題となるのであり,責任能力を個々
いるのであり,
「責任無能力者」でないことは明
の行為に限定する刑法学の学説は精神医学の見
らかである.それだけではない.精神障害者の
地からも支持される.分裂病,躁うつ病,知的
社会復帰に必要な医療施設内リハビリテーショ
障害,人格障害などの持続的精神障害について
ン,あるいは地域の福祉施設での作業が効果的
も同様に,これらの障害をもつ人の責任能力は
に行われるための前提は,精神障害者を責任能
個々の行為について問われることになる.それ
力のある一人前の人間,同僚,仲間として遇す
ゆえ,精神鑑定に関与する精神科医の主要な任
ることである.これは,精神障害者を鉄鎖から
務は,精神障害者の違法行為が精神障害の所産
解放したフィリッ プ・ピ ネ ル(Philippe Pinel,
であるか否かを精神医学の学理と臨床経験に基
1745∼1826)にはじまる「人道療法(moral treat-
づいて的確に論証することである.
ment)
」
の伝統であり,精神科リハビリテーショ
III.精神障害者は責任無能力者か
ンの原則である.
しかし,精神障害者に責任能力を認める立場
司法精神医学の専門家・中田修東京医科歯科
から,精神障害者が違法行為に陥ったとき,そ
大学名誉教授が「精神病者は原則として責任無
れが精神障害の所産であることが証明された場
能力であるという立場はドイツでは 1860 年代
合,この行為に対する責任を免除することを非
に確立された」と述べているように,精神障害
難 す る ア メ リ カ の 精 神 科 医 ト ー マ ス・サ ズ
者をおしなべて責任無能力とみなす時代があっ
(Thomas S Szasz)の主張は誤りであ る.彼 は
たし,そのような見方は現代でもなお根強く
「マクノートン法も,ダーラム法も,アメリカ法
残っている.精神病者監護法の
「監護義務者」
に
曹協会規約も人道的ではない.なぜなら,それ
はじまり,精神衛生法の
「保護義務者」
,現行の
らは個人の責任を減少させ,人としての尊厳を
精神保健福祉法の「保護者」に続く一連の制度
損なうからである」として精神障害を理由とす
はそのような考え方の見本である.しかし,今
る刑の減免を拒否した.この拒否を私が支持で
は昔と違って,精神障害者の生きざまは大きく
きないのは,彼が精神障害者の責任能力と,違
変わり,
多くの精神障害者が医療施設から出て,
法行為に対する責任能力を混同しているからで
地域の共同作業所,授産施設,福祉工場で働き,
ある.すでに明らかにしたように,問われるの
援護寮,グループホームで暮らしている.
は個々の行為に対する責任である.精神障害者
精神保健福祉法がその目的として「この法律
には責任能力があるから,違法行為についても
は精神障害者等の医療及び保護を行い,その社
責任があるとして刑罰を容認し,精神鑑定無用
会復帰の促進及びその自立と社会経済活動への
論を唱える彼の主張は,はたして精神障害者の
参加の促進のために必要な援助を行い,並びに
尊厳を尊重するということができるだろうか.
その発生の予防その他国民の精神的健康の保持
その反証として私の臨床例を挙げよう.
及び増進に努めることによって,精神障害者等
某市の議会の議員として活躍していた女性が
の福祉の増進及び国民の精神保健の向上を図る
デパートで買物をしているとき,品物をハンド
ことを目的とする」
(同法第 1 条)と謳っている
バッグに入れたところを店員に見付かり,万引
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き現行犯として警察に留置された.取り調べで
範に対する異議申し立て者を追放するための
当時のことをよく覚えていないことが分かり,
レッテルであるとして,このレッテルを乱用す
医師の診察が行われた.その結果,脳波で左側
る精神鑑定を非難する意見があることも事実で
頭葉に蕀波が確認され,彼女の「万引き」は側
ある.確かに,人格障害の現在の診断基準,分
頭葉てんかんの自動症発作の所産であることが
類はこの非難を覆すだけの説得力をもっていな
判明し,罪を問われることなく釈放された.そ
い.たとえば,DSM-IV の診断基準は「A.その
の後 6 年になるが,抗てんかん薬の服用を続
人の認知,感情,対人関係,衝動の制御などの
け,発作はなく経過は順調で,議員は辞職した
体験および行動様式が,その人の属する文化か
が,今,地域の障害者福祉運動のリーダーとし
ら期待されるものから著しく偏っている.B.
て活躍している.
この偏った行動様式には柔軟性がなく,個人的
サズの主張に従うならば,彼女は万引き犯人
および社会的状況の幅広い範囲に広がってい
として処罰されなければならないはずである.
る.C.
その偏りが本人,もしくは社会を悩ます
精神鑑定が裁判官の判決に役立ち,無罪となっ
原因となっている.D.その偏りのはじまりは
た触法精神障害者が有能な市民生活に復帰する
青年期または成人期早期までさかのぼることが
事例は少なくない.精神鑑定は無用どころか精
でき,長期間持続する.E.
その偏りは精神疾患
神障害のゆえに違法行為を行った人にとって有
の現れ,結果ではない.F.
その偏りは物質(乱
用な手段である.精神科医は精神障害者擁護の
用薬物,投与された薬物など)または身体疾患
立場から精神鑑定に積極的に関与すべきであ
(頭部外傷など)によるものではない」というも
のであるし,分類は
「A 群:妄想性人格障害,分
る.
IV.人格障害と精神鑑定
人格障害は従来,精神病質と呼ばれていたも
裂病質人格障害,分裂病型人格障害,B 群:反社
会性人格障害,境界性人格障害,演技性人格障
害,自己愛性人格障害,C 群:回避性人格障害,
のとほぼ同義である.精神病質に代えてこの言
依存性人格障害,強迫性人格障害」の 3 群であ
葉が用いられるようになったのは,精神病質の
る.
語義が不明確で,対象を正しく表現していない
この診断基準では,人格障害は精神疾患,物
ためである.昔は精神病質,今は人格障害と呼
質乱用,あるいは身体疾患の現れ,結果ではな
ばれているのは,その人の生き方が周りの人た
いとされているが,分類では 3 群のいずれにも
ちとあまりにも著しく,
際立って変わっていて,
特定の精神疾患との関連が認められる.すなわ
そのために本人,もしくは社会が悩むことにな
ち,A 群は分裂病および関連障害,B 群は身体表
る状態のことである.このような生き方の偏り
現性障害,解離性障害(従来のヒステリー),C
が生まれつきで,精神疾患,脳疾患,脳外傷な
群は神経症性障害との関連である.特に分裂病
どの後天的原因によらないことも人格障害の特
型人格障害は分裂病との鑑別が困難である.こ
徴である.後天的原因によるものは人格変化で
のように人格障害は精神疾患にかぎりなく近い
あり,人格障害ではない.
状態である.将来,構造的・機能的脳画像など
人格障害の成因はまだ分かっておらず,その
の神経科学の進歩により,いわゆる人格障害の
治療も十分開発されたとはいえない.
そのうえ,
生物学的・身体的基盤が解明されるにちがいな
診断の基準も確立されていないから,人格障害
い.そして人格障害は社会的規範に対する異議
なるものの存在について異論の余地が残されて
申し立て者を追放するためのレッテルではない
いる.人格障害,あるいは精神病質は社会的規
ことが明らかになるだろう.人格障害の人たち
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の多くは普通の暮らしをしており,進んで医療
ことは,正常のなかに異常があり,異常のなか
を求めることはまずない.たまたまその人が違
に正常があるということである.100% の正常
法行為を犯して,
精神鑑定に付されるとき,
はじ
が存在しないように,100% の異常も存在しな
めて精神医学的な考察の対象となる.したがっ
い.このことを私は精神鑑定で知り合った精神
て,人格障害の知見の進歩は精神鑑定によると
障害の人たちから教えられた.このことは,正
ころが大きい.私が人格障害の 1 型として重視
常か異常かが問題となるとき,考慮しなければ
する
「空想虚言
(Pseudologia phantastica)
」
(デル
ならない大事な視点だと思う.
ブリュック;A. Delbruck)の知見も精神鑑定の
産物である1).
おわりに
文
献
1)秋元波留夫:空想虚言者に蹂躙された日本. 創造出版,
1996.
この稿を終わるに当たって一言付け加えたい
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