少年非行と精神鑑定

特集 精神鑑定
少年非行と精神鑑定
福島
キーワード
精神鑑定
少年犯罪
章*
バスジャック
解離性障害
この 3 つの事件では,いずれも精神鑑定が行
I.17 歳の殺人
われた.一般に少年事件では,心理学の素養を
1.3 つの事件
もった少年鑑別所技官や家庭裁判所調査官が鑑
2000 年 5 月のゴールデンウイーク,続発した
別や調査に当たり,問題がある場合には鑑別所
「17 歳の殺人」に日本中が揺れた.
の精神科医の診断も受けられるところから,こ
ま ず 5 月 1 日,愛 知 県 豊 川 市 の 私 立 高 校 3
とさら専門医に精神鑑定が命じられることはま
年生が,
「人を殺すという経験をしてみたかっ
れである.私もこれまで 400 件ほどの司法精神
た」という動機で,下校途中に見知らぬ民家に
鑑定(本鑑定)の経験をもつが,そのなかで少
入り込み,65 歳の女性を刺殺し,その夫(67
年事件の鑑定は 10% にも満たない.
歳)にも傷害を加えて逃走したが,翌 2 日に自
それだけに,この 3 件は,事案が重大なだけ
でなく,いずれも被害者と少年とが無関係な無
首した.
翌 3 日,
「引きこもり」などのため精神病院に
入院中の少年が,その外泊中に,佐賀市から福
差別殺人であり,動機の了解が困難で異常だと
いう印象を与えたのであろう.
岡市に向かう高速バスに牛刀を持って乗り込
まず,豊川事件では,捜査段階で検察官が司
み,高速道路上を走行中のバスを乗っ取った.
法精神医学のベテランの OS 教授らに鑑定を依
車中で 62 歳の女性を刺殺したほか,2 人の女性
頼し,2 か月後に「分裂病質人格障害」で「刑事
にも重傷を負わせ,バスを広島県内まで走行さ
責任能力はある」という診断結果を得た.OS
せて,翌 4 日未明に逮補された.
鑑定人は,カミュやドストエフスキーなどを引
5 月 12 日,神奈川県大船駅付近を走っていた
用しつつ,この事件は「殺人のための殺人」で
JR 根岸線電車内で,保健室の常連であった高校
あり,
「純粋殺人」
「観念殺人」と呼ぶべきもので
2 年生が「夢のお告げに従って」
,ハンマーで
あるが病気ではない,と分析した.
「だれでもよい」
と,一乗客の頭を強打する殺人
未遂事件を起こした.
少年は,
「刑事処分(逆送)相当」との意見を
付して検察庁から家庭裁判所(以下,家裁)に
送致されたが,
OS 鑑定に強い不満を抱いた付添
ふくしま・あきら:上智大学名誉
教授.昭和38年東京大学医学部卒
業.昭和39年東京大学附属病院医
師
(精神科)
.昭和44年東京医科歯
科大学助手.昭和49年同大学助教
授.昭和54年上智大学文学部教授
(心理学科)
.平成13年同大学名誉
教授.主研究領域/司法精神医学,
精神鑑定,病跡学(天才研究)
,子
どものパーソナリティーの時代に
よる変化.
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年5月1日
人(弁護士)らの請求に基づき,家裁は児童精
神科医ら 4 名の鑑定人に再鑑定を命じた.再鑑
定の診断結果は
「アスペルガー症状群」
であり,
犯行の動機はこの障害に特有の「病的なこだわ
り」によるものと解釈された.名古屋家裁はこ
の鑑定に基づき,少年を医療少年院に送致する
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決定を下した.
佐賀のバスジャック少年は,国立肥前療養所
入所中は「心因反応」と診断されていた.しか
が優勢であり,さらに司法や行政に透明性を求
め,情報公開によって事件から
「教訓を得よう」
という主張もある.
し後に,担当医は「家庭限局性行為障害(ICD-
情報を求めるこのようなメディアの要請に対
10)
」
だったと報告し,家裁でもそう証言した.
して,当事者たちから情報が大幅かつ迅速に流
一方,捜査段階で検察庁の嘱託を受けて簡易鑑
出してしまうことが多々ある.豊川事件では,
定をした OT 医師は,
「本人が言っていることが
弁護人の意に添わぬ OS 鑑定の内容は,彼らの
でなければ,精神分裂病としか考えられない」
と診断した.
記者会見において堂々と公表された.佐賀事件
でも,裁判所や鑑別所が滑稽なくらい細心・綿
検察官は,事案の重大性から「刑事処分(逆
密な注意を払い,鑑定人もその儀式的なまでの
送)相当」という意見を付けて広島家裁に送致
配慮に協力していたのに,鑑定書が裁判所に到
し,広島家裁は少年を出身地の佐賀家裁に移送
着してから数時間後には責任能力の有無が全国
した.佐賀では綿密な調査・鑑別が行われ,鑑
紙の 1 つに報道され,翌日の地方紙朝刊には診
別所の精神科医の診断は「人格障害」であった
断の全容が,多くの誤報を交えて報道された.
というが,家裁は筆者に精神鑑定を命じた.
この時点で,
鑑定人としては,
守秘義務に従っ
この経過については次章に述べるが,筆者の
て沈黙を守るべきか,それとも誤った報道を訂
診断は「解離性障害」で,
「精神分裂病の前駆期
正することが公共の利益に叶うのか,大いに
にある可能性もある」
とした.処遇意見として,
迷った.結局,筆者は誤報を訂正する義務を優
鑑定人は医療少年院送致を推したが,少年鑑別
先しようと決意し,地方紙が報道した範囲にお
所長と家裁調査官の意見は検察官逆送を適当と
いてだが,鑑定内容を記者たちに伝えた.
した.佐賀家裁は 9 月 29 日,この少年に医療少
年院送致の決定を下した.
この論考の後半もまた,守秘義務やプライバ
シーにかかわる問題を含むものであるから,そ
第 3 の根岸線事件の経過について,筆者は正
の記述は限定的にならざるをえない.本誌の読
確な情報をもっていない.この事件でも精神鑑
者は,守秘義務について理解のある医師たちで
定が行われ,横浜家裁によって医療少年院送致
あることは分かっているが,医師以外の人々
となったと報道されているが,鑑定人名や診断
が図書館などでこの記事を読まないとも限らな
などについては公表されていない.
いからである.
2.少年事件と秘密
同じことは鑑定書自体についてもいえる.こ
そもそも少年事件については,罪を犯した少
れまでにも,少年保護事件の鑑定書が,鑑定人
年の今後の更生・保護・健全育成のために,厳
に無断で部内誌である『家裁月報』などに掲載
格な秘密が守られるべきことが少年法に定めら
されたことがある.そして,国会図書館に収納
れている.さらに,少年に限らず,精神鑑定で
されたその雑誌を,一般のルポライターが読ん
は鑑定人に,準公務員や医師としての守秘義務
で週刊誌の記事にしたという前例もある.
が法律的・倫理的に課せられている.だから,
そこで私は,佐賀の少年事件の鑑定において
豊川や佐賀の事件のように,鑑定内容の詳細が
も,家族のプライバシーにかかわる家族歴は,
新聞やテレビで報道されることのほうが問題と
すでに死亡した人を除いて,1 行も 記 載 し な
もいえる.
かった.また本人の生活史も,家族のプライバ
しかしマスメディアでは,加害者である少年
シーにかかわる点が多いし,調査官の「少年調
の秘密だけを守るのは不公平であるという論理
査記録」にも詳しく書かれているので,骨格だ
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けを簡潔に書くにとどめた.少年自身は重大犯
が悪く,幼児期には不器用,多動性などをうか
罪を起こした「公人」ともいえるから,多少の
がわせるエピソードが多かった.これらの所見
ことが公になるのはやむをえない.しかし,家
から,少年の精神状態の基底には微細脳器質性
族は犯罪者ではない.私人であるから(罪九族
格変化症状群(MiBOCCS,福島2))があることが
に及ばず)
,
そのプライバシーを暴くことは医師
疑われた.
としての倫理にもとる,と考えたのである.
II.バスジャック少年の精神鑑定
心理検査は,入院していた国立療養所でも少
年鑑別所でも多種類が実施されていたが,その
実施方法や分析などに疑問点があったことか
1.鑑定の手続き
ら,重要なテスト 4 種類は鑑定人自身が再検査
少年保護事件でも,裁判所が鑑定人を選んで
した.ロールシャッハ・テストでは反応数 55
鑑定を命令する.筆者は,
「鑑定人召喚状」の指
と異常に多かったが基礎ロールシャッハ得点
定した日時に家裁に赴き,判事,調査官 3 名,
(BRS)は−1 と低くなく,また主題統覚テスト
少年,その両親,付添人 5 名などが出席する法
(TAT)では性倒錯の心理の投影が全く欠如して
廷で宣誓のうえ,鑑定を受託した.
少年の精神鑑定でも,少年との面接,神経学
いる(真の快楽殺人者とは考えられない)こと
などが分かった.
的検査を中心とする医学検査,病院での臨床検
また,少年の診断に必要な日本版解離性体験
査,家族面接,捜査記録を含む裁判記録約 20
尺度(J-DES)や大学版人格目録(UPI)などは
冊の精読などが中心となることは,成人の鑑定
鑑定人が独自に実施した.前者については全く
1)
と変わらない .佐賀の鑑定では「少年をマス
経験がなかったので,その日本版を作成した研
コミの目から守るため,少年を鑑定人の居住地
究者3)に教えを乞い,テスト用紙とその使用許
近くの鑑別所に移送し鑑定留置することはでき
可を得た.
な い」と 言 わ れ た.そ こ で,筆 者 が 佐 賀 に 6
成人の精神鑑定と少年のそれとが大いに違う
回通い,合計 10 回,通算 25 時間ほどの面接を
のは,家裁の調査官が鑑定人と同時に,本人面
した.面接は鑑別所の面接室で,机を挟んで 1
接,家族面接,社会調査,心理テストを,少年
対 1 の対面で行った.少年の許可を得たうえで
鑑別所技官が面接,心理テスト,行動観察など
対話を録音し,後に第三者にその一部のテープ
を実施していることである.私は,佐賀へ飛ぶ
起こしを依頼して鑑定書に添付した.
たびに,家裁も訪問して担当調査官(5 名)と懇
家族面接は 3 回(両親同席で 2 回,母親単独
談の機会をもち,情報を交換し,診断の指針に
で 1 回)行った.鑑定人は母親のパーソ ナ リ
ついても議論した.これは双方にとって大いに
ティに強い関心を抱き,数種の心理テストも試
利益になった.しかし残念なことに,少年鑑別
行したが,その内容は,上記のような理由で鑑
所の管理者や専門官とは,その強い官僚主義の
定書には記載しなかった.
ためか,十分なコミュニケーションが得られな
神経学的検査では,上下肢ともに左側の腱反
かった.
射が著しく亢進しており,右前頭葉の機能低下
2.少年の診断
が疑われた.そこで,本人と両親の同意を得て
少年事件の精神鑑定が大人の精神鑑定と違う
MRI と脳波の検査を佐賀県内の病院にお願いし
点は,まず,精神発達の途上にある青年を診断
た.その結果,MRI には異常が見られなかった
することの難しさにある.特に,DSM-IV
(
『精神
ものの,脳波では 6 ヘルツの陽性棘波が認めら
疾患の診断・統計マニュアル』
第 IV 版)
では青年
れた.また,指指検査,指鼻検査などでも成績
期までの精神障害の診断が十分に洗練されてい
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全型と見なされる分裂病質または分裂病型人格
るとはいえない.
たとえば,少年鑑別所に送られるような非行
障害と診断すべきであったろうか.しかし,ま
少年の過半は,その非行のゆえに
「行為障害」
と
だ 18 歳未満の少年でもあり,拡大解釈すれば
診断することが可能だが,この診断は,疾病学
診断基準を満たすというだけで,そう診断した
的にはほとんど意味のない
からといって,臨床的に何らかの利益が得られ
年の将来の予後を予測するものではない.この
るわけではない.豊川の少年の場合のように,
少年では,バスジャック以前にも多少の家族内
分裂病質人格障害と診断することが,アスペル
暴力と器物損壊はあったものの,DSM-IV で
「行
ガー症候群という真の疾病の存在を隠
為障害」の診断基準を満たすのは,この事件で
割を果たしてしまう危険すらある.
籠診断で,その少
刃物を使って残虐な殺傷事件を起こした以後で
ある.
する役
そのうえこの少年は,解離性障害という第 I
軸診断からも推測されるように,上記のクラス
また,この少年は広義の「解離性障害」と診
ター A 人格障害ほどその診断基準の多数を満
断されたが,そのサブタイプを同定しようとす
たしそうにないものの,将来はクラスター B
ると,
「頭の中のもう一人のすごい奴とその声」
人格障害
(演技性・自己愛性・反社会性など)
に
という症状はあるものの,人格変換を伴うよう
発展する可能性のほうが高いように見えた.し
な完全な多重人格障害(解離性同一性障害)に
たがって,分裂病質人格障害という診断は,ま
成熟しているわけではない.解離性健忘や離人
すます不適切と考えられた.
性障害とはいえるものの,全体像としては「特
この考察のように,少年事件では,病気の本
定不能の解離性障害(DDNOS)」
と診断せざるを
態や予後まで考えることが要請される.なぜな
えなかった.
ら,成人犯罪の鑑定では,現在の精神状態や犯
精神分裂病の診断も同様の困難を伴った.感
行時の刑事責任能力だけを答えればよいが,非
情荒廃,意欲低下などの陰性症状は認められる
行少年の鑑定では,非行の原因や,精神医学の
が,連想弛緩や奇異な妄想などはなく,DSM-IV
立場からみた,処遇に対する意見を求められる
の診断基準は満たさなかった.伝統的診断なら
ことが多いからである.
Hecker の「類破瓜型」
(Heboid)とか Kretschmer
の「思春期危機」,Erikson の「自我同一性拡散
症状群」などという診断ができるが,本物の分
裂病になるかどうかは今後数年の経過を見なけ
れば分からない.そこで,あくまで謙抑的に
「精
神分裂病の前駆期が疑われるので,精神科医に
よる経過観察が必要である」と書くしかなかっ
た.
文
献
1)福島 章:精神鑑定とは何か.ブルーバックス,講談社,
東京,1995.
2)福島 章:犯罪者の脳所見について.精神医学レビュー
1996 ; 19 : 28―34.
3)Umesue M, Matsuo T, et al : Dissociative Disorders in Japan ; Pilot Study with Dissociative Experience Scale and
Semi-structured Interview. Dissociation 1996 ; 9(3):
182―189.
それでは,DSM-IV において精神分裂病の不
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