Copyright (c) 2014 Makoto Minagawa All Rights Reserved ほ そ き こえ Small Voice 細き聲 聖書研究 大いなる強き風山を裂き岩石を砕きしが風の中にはエホバ在さざりき、風の後に地震ありしが地震の中にはエホバ在さざりき。 又地震の後に火ありしが、火の中にはエホバ在さざりき、火の後に静なる細微き声ありき。 列王記略上19:11、12 明治元訳聖書 日本学生宣教会 マタイによる福音書 4章4節 本節は申命8:3よりの引用である。 † 日本語訳聖書 【漢訳聖書】 Matt. 4:4 答曰、錄有云、人不獨以餅而生、乃以神口凡所出之言。 【明治元訳】 Matt. 4:4 イエス答(こたへ)けるは人はパンのみにて生(いく)るものに非(あら)ず唯(ただ)神の口(くち)より出(い づ)る凡(すべて)の言(ことば)に因(よる)と錄(しる)されたり 【大正文語訳】 Matt. 4:4 答へて言ひ給ふ『 「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る」と録 されたり』 【ラゲ訳】 Matt. 4:4 イエズス答へて曰ひけるは、録して「人の活けるは麪のみによるに非ず、又神の口より出る総ての言 に由る」とあり、と。 【口語訳】 Matt. 4:4 イエスは答えて言われた、 「 『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生 きるものである』と書いてある」 。 【新改訳改訂3】 Matt. 4:4 イエスは答えて言われた。 「 『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばに よる』と書いてある。 」 【新共同訳】 Matt. 4:4 イエスはお答えになった。 「 『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で 生きる』/と書いてある。 」 【バルバロ訳】 Matt. 4:4 イエズスは言い返した、「<人はパンだけで生きるのではない。神の口から出るすべてのことばによ って生きる>と書かれてある」 。 【フランシスコ会訳】 Matt. 4:4 イエズスは答えて、 「『人はパンだけで生きるのではない。神の口から出るすべてのことばによって生 きる』と書き記されている」と仰せになった。 【日本正教会訳】 Matt. 4:4 彼答へて曰へり、錄(しる)せるあり、人は唯餅(ぱん)のみを以(も)て生くべきに非ず、乃(す なわち)凡(およ)そ神の口より出づる言を以てすと。 Copyright (c) 2014 Makoto Minagawa All Rights Reserved 【塚本虎二訳】 Matt. 4:4 しかし答えられた「“パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉 のひとつびとつで(パンを造って、 )人を生かしてくださる”と(聖書に)書いてある。 」 【前田護郎訳】 Matt. 4:4 答えていわれた、 「聖書にいわく、 『パンだけで人は生きるのではなく、神の口から出るすべてのこと ばによる』と」 。 【永井直治訳】 Matt. 4:4 然るに彼答へて曰へり、人[たる者]はパンのみにて生くべからず、されど神の口より出で往くすべて の詞(ことば)にて[生くべし] 、と録(しる)されたり。 【詳訳聖書】 Matt. 4:4 しかし彼は答えられた、 「 『人はただパンだけで生きる<保たれる<ささえられる>のではなく、神の み口から出るすべてのことばによって[生きる]』と書かれてある」 。 † ギリシャ語聖書 Interlinear Matt. 4:4 o` de. avpokriqei.j ei=pen( Ge,graptai( Ouvk evpV a;rtw| mo,nw| zh,setai o` a;nqrwpoj( avllV evpi. panti. r`h,mati evkporeuome,nw| dia. sto,matoj qeou/Å o` he avllV but † de. avpokriqei.j But answering evpi. on panti. every ei=pen( said, r`h,mati word Ge,graptai( Ouvk evpV It has been written, Not on evkporeuome,nw| proceeding dia. through a;rtw| bread sto,matoj [the] mouth mo,nw| only zh,setai shall live o` a;nqrwpoj( man, qeou/Å of God. 私訳(詳訳) 【私訳】「そして、(イエスは)答えて言われた。『「人はただ(一つの)パンで生きるのではない。むしろ、 神の口から出る(発せられる)すべての(あらゆる、どれでも、何であれ)言葉によって[生きる]」と書き 送られている』」 † 新約聖書ギリシャ語語句研究 【また】 de. de, デ de {deh} (ch 接続詞・完等) 1)ところで、しかし 2)そしてまた、 さて 3)次に、さらに 【お答えになって】 avpokriqei.j avpokri,nomai アポクリノマイ apokrinomai {ap-ok-ree‘-nom-ahee} (vpaonm-s 分詞・1アオ能欠主男単) < avpo, + kri,nw 審く、分ける 1)分離する、分ける、区別する 2)答える、返答する、答弁する、弁明する、言葉を続ける 3)選 ぶ、選び出す 【言われた】 ei=pen ei=pon エイポン eipon {i‘-pon} (viaa--3s 動詞・直・2アオ・能・3) 1) 言う、話す、語る、告げる、言いあらわす 2)命じる、願う、尋ねる 2)~と呼ぶ、称する 【人は】 a;nqrwpoj a;nqrwpoj アントローポス anthrōpos {anth‘-ro-pos} 1)人間、人、人類 2)男、夫 3)ある人、或る者、この人 (n-nm-s 名詞・主男) Copyright (c) 2014 Makoto Minagawa All Rights Reserved 【パンのみにて】 evpV a;rtw| mo,nw| 「ただ一つパンで」 【パン】 a;rtw| a;rtoj アルトス artos {ar‘-tos} (n-dm-s 名詞・与男単) 1)パン、厚さ2センチくらいの円形のパン 2)食物 【のみ】 mo,nw| mo,noj モノス monos {mon‘-os} (a--dm-s 形容詞・与男単) 1)ひとりの 2)唯一の 3)だけ、一つだけの、一つしかない、単独の 4)~だけで、ただ単に (「mo,noj モノス」は「単独で生きる人」、「修道士 monk monaco,j」の語源) 日本正教会訳「人はただ餅(パン)のみを以て生くべきに非ず」 ラゲ訳「人の活けるは麺(パン)のみによるに非ず」 【にて】 evpi. evpi, エピ epi{ep-ee‘} (pd 前置詞・与) 1) の上に 2)よって 3)に向かって 4)に 5)を 【生きる】 zh,setai za,w ザオー zaō {dzah‘-o } (vifm--3s 動詞・直・未来・中・3単) 1)沸き立つ、煮えたぎる、泡立つ、発酵する 2)生きる、生命のある(内に生命エネルギーが活動し ていること) 3)生活する 【ものではない】 Ouvk ouv オウ ou {oo} (qn 不変詞・否定) 1)~ない 【むしろ】 avllV avlla, アルラ alla {al-lah‘} (ch 接続詞・完) 1)けれども 2)しかし 3)かえって 4)むしろ 5)以外に 【神の】 qeou/ qeo,j テオス theos {theh‘-os} (n-gm-s 名詞・属男単) 1)神 2)神性 qeo,j の語源は次の二語に求められる 1 teqeice,nai 万物を自らの基の上に置く 2 qe,ein 駆ける 【口】 sto,matoj sto,ma ストマ stoma {stom‘-a} (n-gn-s 名詞・属中単) 1)口 2)先端 【から】 dia. dia, ディア dia {dee-ah‘} (pg 前置詞・属) 1)~を通って 2)~の故に 3)~のために 4)~の間で 5)~の中へと 【出る】 evkporeuome,nw| evkporeu,omai エクポレウオマイ ekporeuomai {ek-por-yoo‘-om-ahee} (vppndn-s 分詞・現能欠与中単) < evk から外へ + poreu,omai 進む 1)出て行く、出かける 2)立ち去る、去る、往く 3)旅する、旅して外に出る 4)発する、流れ出 す 【一つ一つの】 panti. pa/j パース pas {pas} (a--dn-s 形容詞・与) 1)どれでも、何であれ、何でも、あらゆる 2)、~全部の、あらんかぎりの、1つも欠けが無い、ひと り残らず 3)混じりものがなく、純粋な 【ことば】 r`h,mati r`h/ma レーマ rhēma {hray‘-mah} (n-dn-s 名詞・与中単) 1)語られる言葉、言葉、語、語句 2)話 3)出来事 「ロゴス」の具体的表現、「ロゴス」の実質 【に】 evpi. evpi, エピ epi{ep-ee‘} (pd 前置詞・与) 1) の上に 2)よって 3)に向かって 4)に 5)を 【と書いてある】 Ge,graptai gra,fw グラフォー graphō {graf‘-o} (virp--3s 3単) 1)引っ掻く、刻み込む 2)字を刻む、書き記す、記録する、銘記する † 英語訳聖書 Latin Vulgate 動詞・直・完了・受・ Copyright (c) 2014 Makoto Minagawa All Rights Reserved 4:4 qui respondens dixit scriptum est non in pane solo vivet homo sed in omni verbo quod procedit de ore Dei King James Version 4:4 But he answered and said, It is written, Man shall not live by bread alone, but by every word that proceedeth out of the mouth of God. American Standard Version 4:4 But he answered and said, It is written, Man shall not live by bread alone, but by every word that proceedeth out of the mouth of God. New International Version 4:4 Jesus answered, "It is written: `Man does not live on bread alone, but on every word that comes from the mouth of God.' " Bible in Basic English 4:4 But he made answer and said, It is in the Writings, Bread is not man's only need, but every word which comes out of the mouth of God. Darby's English Translation 4:4 But he answering said, It is written, Man shall not live by bread alone, but by every word which goes out through God's mouth. Douay Rheims 4:4 Who answered and said: It is written, Not in bread alone doth man live, but in every word that proceedeth from the mouth of God. Noah Webster Bible 4:4 But he answered and said, It is written, Man shall not live by bread alone, but by every word that proceedeth out of the mouth of God. Weymouth New Testament 4:4 'It is written,' replied Jesus, ''It is not on bread alone that a man shall live, but on whatsoever God shall appoint.'' World English Bible 4:4 But he answered, 'It is written, 'Man shall not live by bread alone, but by every word that proceeds out of the mouth of God.'' Young's Literal Translation 4:4 But he answering said, 'It hath been written, Not upon bread alone doth man live, but upon every word coming forth from the mouth of God.' †細き聲 聖書研究ノート <霊の剣> イエスは悪魔の問いに申命記8:3をもって応答される。神のことばは「霊の剣」「魂の武器」である。(エペ ソ6:17) 戦うことのできる「言葉」は魂の武器である。 <人> ギリシャ語「a;nqrwpoj アントローポス anthrōpos {anth‘-ro-pos}」は「a;nh,r 人 + w;y 顔」で「上に顔を 上げる」の意味がある。ギリシャ人にとって人間は「神に向けて顔を上げる(向上する)者」であった。聖書に おいて、「a;nqrwpoj アントローポス 人間」は「神に顔を向けて生きる(礼拝)者」である。 Copyright (c) 2014 Makoto Minagawa All Rights Reserved <パン> 「パン」はいのちを支える。しかし、「いのち」は「パン」の為にあるのではない。いのちは「パン」を必要と する。いのちが求めるだけの「パン」があればそれでよい。 <ことば> 「神の口から出る evkporeu,omai エクポレウオマイ」は「旅に出る」という言葉。「ことば」は神の口から旅立ち、 仕事をする。ことばは成し遂げるまでは、むなしく神の元に戻ることはない。(イザヤ55:11) <生きる> 「生きる za,w ザオー」は「沸き立つ、煮えたぎる、泡立つ、発酵する」の意味がある。「生きる、生命がある」 ということは、ブドー酒が発酵して泡立つように、いのちが「沸き立つ、煮えたぎる、泡立つ」ことである。神 のことばは私のいのちを「沸き立たせ、煮えたぎらせ、泡立たせ」る。言葉は創造である。すべてを生み、育て、 完成する。 <「パン」の援助> パンのない人々に「パン」をあげようとするのは崇高な行為である。だが、今日それは新たな悲劇を生み出すこ とにもなる。「パン」は必要な人に届く前にその大半が「富める人」の「パン」になり、その間にも「貧しい人」 はますますパンに餓えていく。 <パンの援助> 「パン」は「神の口からでる一つ一つのことば」と共に扱われる必要がある。パンの援助は「人間とは何か」と いう問いへの応答としてなされるとき、はじめて人間の行為となる。 † 心のデボーション 「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る」 書 マタイ4:4 大正文語訳聖 人はパンを必要とする。しかし、必要なのは「石からつくられたパン」ではない。パンからつくられたガソリン を使うまい。それは貧しい人々からパンを取り上げることだから。しかし、それが「パンでつくられたガソリン」 であると、どうしたら分かるのだろうか。 † 心のデボーション 「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る」 書 マタイ4:4 大正文語訳聖 「一つ一つの言葉」マタイ4:4 新共同訳 はギリシャ語「pa/j パース pas {pas}」で「すべて、どれで も」である。神の口からでることばは、すべて(例外なく)聞かなければならない。 「あの言葉」を聞き、 「この 言葉」に耳を閉ざすような聞き方をすべきではない。 Copyright (c) 2014 Makoto Minagawa All Rights Reserved † 心のデボーション 「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る」 書 マタイ4:4 大正文語訳聖 「神の口から出る」は、神の口から「ことば」が出て、目的地に向かって旅をすること。イザヤ55:11「そ のように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むこ とを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす」 イザヤ55:11 新共同訳聖書 「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊がくる とき」 ヨハネ15:26 新共同訳聖書 「御霊」は神から人に遣わされ「evkporeue,tai エクポレウエタイ (目的に向かって旅する、派遣される)」。 † 細き聲 説教 荒野の試み 聖書マタイ4:1~4 荒野の試みで悪魔がイエスに問うのは「イエスが神の子であるか否か」ではない。悪魔はイエスを神と認めてい る。 悪魔が問うのは「神」についてではなく「神の創造したもう人間」である。三つの試みには「人間とは何か」と いう問いが隠れている。悪魔は「人間の意味」について神と争い、「創造の破綻」を試みるのである。 第一の試み 「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」 悪魔のことばの背後には、「人間はパンによって生き、パンの為に生きる存在にすぎない」とする人間観がある。 悪魔はイエスに言う。「人間の事実をよく見よ。彼らの存在に特別な意味はなく、目的もなく、ただいのちとし て生き、生存しているにすぎないではないか。彼らが必要とするのはパンだ。パンを多く所有する者にはあらゆ るものが約束される。所有は力であり、人のすべてだ。これが神の御創りになった人間の事実ではないか」 この悪魔の人間観は現代にいたるまで、そのままに人間の歴史を刻んでおり、人間世界を形成している。 現代、私たちは深刻な「パンの問題」に直面している。世界の各地で、多くの人々が貧困と飢餓にさらされてい る。地上にはパンを決定的に欠く人々がいる。パンがないのではない。貧しい人々のパンからガソリンをつくろ うとしているのである。貧しい人々のトウモロコシは牛に飼料として与えられ、霜降り肉となって富める人々の 食卓にのぼる。 パンから造られたガソリンは、石からつくられたパンである。トウモロコシで育てられた牛は、石からつくられ た肉である。神のことばは富める人々にも貧しい人々にも届かなくなった。この世界では人間とは強者のことで あり、弱者は人間ではない。人間はついに人間であることをやめようとしている。 悪魔は「イエスよ、もしあなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じて、人間の要求を充たしてや るがよい。そうすれば、人間はイエスを救い主と崇めるだろう」とイエスに働きかける。 イエスは悪魔の問いに聖書から応答される。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つ の言葉で生きる』と書いてある」 (申命記8:3) 悪魔の「人間とは何か」という問いに、イエスは聖書の 「人間観」をもって答えられる。 神は人間を創造し、「アダム(人間)」と呼ばれた。人は生まれる前から、神の内に「アダム(人間)」として 存在し、この世で「アダム(人間)」と呼びかけられる者であり、神の呼びかけに応答することにおいて「人間」 である。「人間」への呼びかけが神にある限り、「人間とは何か」という問いは、如何なる状況においても人の Copyright (c) 2014 Makoto Minagawa All Rights Reserved 魂からなくなることはなく、神への応答への促しが心から取り消されることもない。人間は意味なき存在ではな い。意味を問い、意味に呼応する者である。強者という人間はなく、弱者という人間もない。貧しき者という人 間もなく、富める者という人間もない。人はひとしく「神によって創られ、故に神ではなく、故に尊い」存在で ある。 イエスは悪魔の「パンのみに生きる人間」に対して、「神のことばに生きる人間」を鋭く対立させられる。 「人間」についての第一の問いは、現在もなお人間世界で激しく続いている。すべての人がこの問いに試みられ る。 悪魔の「人間」は現代社会に深く浸透し、その論理によって世界は動いている。しかし、イエスはすべての人間 の前に立ちはだかり挑戦して止まない。人が人間としての「私」に至ることが、神の子イエスが人にもたらす「救 い」である。(皆川誠)
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