1976-06-05【太陽系の天使達】 (於:岩手県盛岡市 東北研修会) お早ようございます。今、皆様にあげました“心行”は昭和四十三年十一月二十二日に完成い たしました。 そして二十三日の夜、午前一時、天上界で初めて“物質と生命”という講演をやりました。そ の時の司会がモーゼです。その前にミカエルが講演をやりまして、約一時間半、二十三日午前二 時三十分はこの地球上に震度三の地震がありました。私は禅定のまま天上界にいったものですか ら、そばに寝ていた家内が、「今、お父さんの講演を聞いていました」ということでした。そし て、過日、やはり天上界に於て、色々と七十年前のこの地上界に出てくる時の模様。“心行”と いうものの成り立ちをいろいろと本になって現代は、ミカエル大天使が持っていますが、その中 をめくってみますと、自分で驚いてしまいました。 “我、見聞し正法に帰依することを得たり”という最初の出だしが、“我、正道に目覚め、正 法流布のために一命を投げ出す”という書き出しから最後が“禅定三昧の境涯に到達せん”、全 く同じです。そして書いてあるものは地球的に書いて、私のはありましたが、天上界のものは宇 宙的でした。これを見てホンのわずかしか違っていなかった。ですからやはり書かせられていた と言うことですね。 現代もミカエルといわれる大天使が、丁度この位い厚い(二~三十センチ四角位の立方形の本 の形を手で示されている)本にして、私自身が出てくる前の計画一切、現在も書かれている本、 将来も出す本、それに記録されてあります。 実はそれは私ばかりではなく、皆さん自身の心というものをヒモ解いていけば、恐らく計画書 があるはずです。それに気が付かないだけです。それに我々は色々な人生の苦しみを通して忘れ てしまったんです。その為には、先づ自分の心の中で思っている事や、毎日生活していること、 これの正しい物差し、フィルター、このようなものをしっかり持つ、これが正法です。このフィ ルターを思ったり行ったりすることについて、一つ一つ、そのフィルターにかけて、正しいもの だけを自分のものにしていく、それがわかって来た時に、皆さんは本当の自分を知ることができ ます。 人生は一度だけではありません。皆さんがこの地上界に出て来て、親が教えなくとも、生まれ たばかりの赤ちゃんが、お母さんのお乳を吸いはじめます。人はこれを称して本能だと言ってい ますが、これは前に生きていた証拠です。 そして赤ちゃんは、わずか、二週間や三週間位で赤ちゃんは一人で笑っています。ところが私 達が心の眼で見ますと、赤ちゃんの魂の兄弟や或いは又、守護霊や指導霊達が「よかったね。し っかりやるんだよ。今度生まれた所は、君にとって厳しいかもしらないよ。大丈夫かい」、『ま かしといて下さいよ。約束通りちゃんとやるよ』と、笑っているのです。 そして成長するにしたがって環境や思想や習慣の中から、そんなことは、もうとっくに忘れて しまうんですね。それを今度、天上の世界から見ている魂の兄弟や指導霊や守護霊は一体どう思 うでしょうか。皆さんは、あたかも自分一人の意思で生活しているが如く錯覚しているだけです。 すべて天上の世界からコントロールされているのです。 コントロールされているにもかかわらず、肉体を持ったその個性は、ある程度、勝手なことを やります。あやつり人形です。天上の世界であやつっているのが、あ、うまくやっているな、と 最初のうちは。その内に、自分の意思が働き出すと、アーまた、またパチンコ屋にはいったな。 また、三十六番、出ないとわめいているな。アーまた、おかしな所へ行き出したゾ。それで悩む わけですね。 天上の世界の悩みは、地上界へ出ている魂の兄弟や、或いは友達、こういう人達、先づ、五歳、 六歳のうちは、そんなに心配しません。もの心つき、十歳、十五歳、特に、中学時代から大学、 それから一部分の人は、社会に出てから、おかしいことをやり出すわけです。毒を喰い始める訳 です。それまでに一杯、喰っちまうのもいるんですけれども。最近は、早ければ、小学校の三年 か、四年の内に、もうおかしくなり始めるのがいます。鍵っ子ちゅうのですね。親子の対話がな くなってしまう。 そして自分自身は、親との対話がないから、自分なりの、ものの判断で生活をしだす。ノイロ ーゼです。そうなりますと、そういうお子さんにも、そばに不調和な霊が来ております。そのも のの意識に支配されるから、生きている人と話しするのもいやになっちゃう。対人恐怖症になる。 段々、心の丸い豊かな心が小さくなる、暗くなる、そうして孤独になっていきます。 その頃から親は、どうも家の子供はおかしいな。最近、親の言うことを聞かない。またガチッ とやるわけですね。子供は段々また、小さくなる。こんな子供に誰がしたなんてね。子供自身は 自分でつくって、自分で苦しんでいながら、他人のせいにする。親不孝するようになって行くわ けです。 勿論、その家庭において反抗期という、人間の一つの成長する過程における性格的変化があり ますけれども、それが、憑依現象として現われてくる場合が多いわけです。心の暗い人々は、そ の心の暗い分野に、その暗さに比例した悪霊。 この地球上というのは丁度、ピラミッドと逆ピラミッドの中間にあるんです。即ち、天上の世 界と、地獄の世界の丁度中間的な世界が物質の世界です。それだけに非常に敏感です。ところが、 皆さん自身が肉体を持ってしまうと鈍感になります。わかんなくなります。 皆さんの、この眼の見える世界なんていうものは、ほんの小さいもの。七色の虹の世界、四〇 〇〇オングストロームから七〇〇〇オングストロームの周波数の位置しか皆さんは見ることはで きない。現に、虹の両極端は紫色と赤色です。赤色からは赤外線にはいっていきますね。赤外線 からは電波にはいっていきます。これも見えない。それから紫色からは紫外線にはいっていきま す。紫外線から熱線にはいっていく。これも見えない。ですから人間の眼が、どんなに、いいと いったところで、ほんのわずかな世界しか見ることが出来ないわけです。いわんや、嗅覚にして も同じです。聴覚にしても、たいしたことはありません。 しかし、私は、聴えます。あの世のことまで見えます。心の耳、心の眼、心の鼻、心の本当の ものを持っていればそのように自由自在、観自在、ということになるのです。ひとごとではない。 皆さんも、その力をもっているんだが、ただ、ちょっとだけ鈍感になっているだけなのです。そ の鈍感の理由というのは、日常生活の中で、人を恨んだり、妬んだり、そしったり、またグチを 言ったり、自分と言うものの心の中は、まろやかでない。そしてイライラしている。それが、み んなスモッグになってしまうわけです。 夕べは、だいぶ風を吹かせました。なるべくならば、今日は雨が降って欲しくないものですか ら。そのようにスモッグを払うにはそれなりの作用を起さなければなりません。皆さんの場合は 反省ですね。反省ということは、まず正しいフィルターをもって、自分の思ったこと行ったこと を一つ一つ、振り返って見る。人間なるが故に間違いも犯す。又、間違いも自分自身の心を豊か にする、一つの菩提であるということに。たとえ間違えたからといって、自分はだめなんだとい って自分を小さくしてはいけない。 皆さんの今ある環境は、皆さんの魂をより豊かにする一つの学習の場であるとしたならば、小 さなことにこだわる必要はないのです。失敗も又、成功のもとです。“改むるにはばかることな かれ”という諺があります。まことに、その通りです。そして、それを土台にして、より自分を 豊かなものにし、同じ間違いを犯さないというようにしていくことが大事です。そうして今、皆 さんは、こうやって原子肉体を持っているけれども、そこに、こちらから2番目の絵があります。 (表示の図を示され) 皆さんは、もう一つの肉体を持っております。誰もです。この中で後光の出ている人もいます。 頭の毛がなくて、電気によって光っている人もいます。 これ誤解の方です。本来は頭の毛があろうと、なかろうと心がきれいで太陽のように美しい丸 やかな心で慈悲深い、そして自分というものを常に、自分だけではない、相手もいるんだ、常に 調和ということに心掛けて正法の生活をしている人には、きれいな後光が出ております。この後 光が、あの世に還るための皆さんの肉体なのです。今、ちょっとヘタな絵ですが書いてみましょ う。 こうやって今、禅定している人のことを考えますね。そういたしますと、皆さんの心は丁度、 胸のあたりにあります。胸のあたりに、きれいに丸くなっている人とハート型になっている人と、 歪みをつくっている人とあります。 そして、このように丸くなっている人達の心の中には、この心の絵がありますね。智性と本能 と感情と理性と想念、これを大きく分けますと、このようになっております。丁度、風船玉のよ うになっております。そして心の中の機能というものはピシッとなっている訳ですね。これはも う一人一人あります。 或いは、こうやって見ますと、前の方には、きれいなピンク色の光の出ている人は、何かとい うと、もっか恋愛中ということです。それと一定の年頃を過ぎても、ピンク色になっている人が いますが、こういうのは困りますね。そこで今度は、心が丸くなっている人達というのは、身体 からもきれいな後光が出ております。このように光がでております。ダルマさんのような、きれ いな光が出ております。こういうような光が出ております。やわらかい金色の光です。 この光の出ている人達は、まず心は百パーセントきれいで、夜、寝ても地獄へ行かない人です。 夜、寝てから、追い駆けられたり、怖い所へ行ったり、もう、おどおどしているのは、まず、そ の前の日、寝る前に、あんまり良いことをしていない人達です。ですから、心がこうやって、丸 く、感情も智性も理性も想念もみんな丸く豊かであると、そういう地獄の世界に行かないわけで すね。ですから、夕べ夢を見て、どうも怖かったという人は、あんまり心が丸くなかったという 証拠です。何か心配事がある。何か、何かある場合ですね。更に又、この心というものは、今ま では形がないんだなんて思っていたけれども、とんでもないことですね。 私、ある講演をした時に、九州の方でした。心なんかあるものか。人間は、すべて頭で判断す るんだというわけですね。確かに頭で判断するんです。だから心は頭にあるんだというわけです ね。一流大学の有名な一流のお医者さんで精神学会で日本で一番という人ですよ。その先生が「頭 がおかしくなったんですよ。それを治す為には、大脳をこのようにしなけりゃいかんよ」という ことを僕の前でとうとうと言ったわけです。 そこで、「先生、心というものは、どこにあるんですか」と聞いたら「そりゃ君、頭にあるん だよ」、ハハァーと思ったんです。その時にそれを説明したわけです。 「それでは先生は、嬉しい時、悲しい時に、こみあがってくるのは頭からこみ上って来ますか」 『そりゃ君、ここだよ』 「じゃ、こっちから、こみ上ってくるものは何ですか」ったら 『それがわかりゃノーベル賞だ』 もうそこまできたら、もう話しにならないんですね。そうして、(黒板に図で示し)光の方の 肉体、こちらの方の見えないところの神の光によって満たされているために、心にスモッグがな いから後光が出て来て、実はこれが本当の肉体なんです。皆さんの、あの世に還る舟なんです。 そしてそちらにも、ちゃんと大脳も全部あるんです。ですから今、皆さんの脳細胞は受信と送信 をする一つの機能にしか過ぎないのです。 耳で聞きます。聞いた聴覚神経は皆さんの脳細胞の聴覚の、一つの物を聞く機能、その信号を 違う次元の方に送る装置にしか過ぎないのです。ですから、今、物を見ますね。“赤”って見た ものは視覚神経の“赤”しか見られないのです。その“赤”自身を判読しているものは英語であ ろうが、ドイツ語であろうが、フランス語であろうが、日本語であろうが、言葉が違うだけで、 “赤”には変わらない。“赤”はレッドと言えばレッドなんです。 脳細胞は二百五十億あります。この二百五十億の中にそれぞれの一つの分野が神経繊維の一つ は一方通行です。それでそれが記憶している訳です。ですから世界各国、“赤”は赤なのです。 ただ言葉が違うだけです。ですから、本当に記憶しているのは光の方の肉体が記憶しているので す。 ですから皆さんが夜寝て、夢を見ている時に、自分の肉体を自分が見ていることがあるでしょ う。どうでしょう。自分の肉体は、今、寝ているんです。そして寝ている肉体の又、もう一つの 肉体が活動しているのを、自分が又見ていますね。そういう経験のある人、手をあげて下さい。 それは皆さんの光子体の本当の舟頭さん、その舟頭さんが見ているのです。それが皆さんの真 の真我な自分です。ですから、私達の今のこの肉体というものは、本当に皆さん、この世を去っ ていく時によくもまあ、こんな舟に乗っていたものだと思います。 なにしろ私達は天上界でよく会議があります。肉体を持っているのは私だけですから、まず醜 いですよ。そして僕が一番、年寄りなんです。自分は若いつもりでいるのだけれども、相手側の 方は皆、二十六、七歳、ミカエルが二十八、九から三十位、イエス様が三十六、七から四十歳位 ですから、それですから膚の色が違うんです。握手したならば、こちらは石のようなもので、相 手の方はロイヤルゼリーか何か、なんともいえない、もう違うんです。 女性の方は、菩薩界におられる方は、何かミス・ユニバースみたいで、皆、美人です。目を覚 してがっかりしちゃうわけです。ですからこの地上界の皆さん、少し位顔がまずいからといって ガッカリすることはありません。いずれ天上界へ還れば、皆、美人だってことですから。我々の ように、ニキビの噴火した跡なんか一つもありませんから。これは光子体の方の肉体、皆、美人 ですね。もう、女の方なんか、本当に、ほとんど美人です。 地獄界は別ですよ。地獄界へいったら例えば、魔王の近辺におるのなんかは、美人のような顔 をしているけれども、心が、ころっと変わった瞬間に、もう口はサケてしまって、そりゃ、もう、 まともには見られませんよ。鬼ババアなんて可愛い方です。おっそろしい顔です。骸骨のような 姿になってしまうしね、地獄界は又、別の世界です。こりゃ、ミスブスなんてもんじゃない。表 面がきれいだからと思ったら、とんでもない話しです。 過日、私の家を訪問してきましたアステリアという魔王・サタンの姪が来ました。それは私の 持っている法輪をパーンと投げましたら、そこに引っかかって来たのを、皆んなの前に見せて、 この通りだよと言って、手の中に踊っていたものですから、ポンと投げて、そのまま寝ちゃった ら、夜寝ている最中に、成長しちゃいましてね。私のフトンの中にはいって来たんです。 アレ、こんな女の人が、なんで、僕のフトンの中に、はいってくるの。そして、しかし丁度ア ンマさんにかかっていたものですから“なんで、お前は、こんな所にはいってくるか、出なさい!” と言った訳です。ところが按摩さんは見えないですからね。メクラだしね。“私は何もしてませ ん”と言う。それはそうでしょうね。本人はビックリしちやうわけです。こっちの方は見えちゃ うし、向うは見えないんですから。 “いや、あんたじゃなくて、今、外人のものすごい美人の女の人が、私の隣りへ、お見舞いに 来たといって、お見舞いに来たのに何でフトンの中に、はいるのか、出れ!”と言ったんだと言 ったんです。“ハアそうですか、私はそんな積りではなくて、私は何か悪い気がしました”“い やそれは違うんだ”と、そんなことがありました。それはもう外国の映画女優の、ものすごくき れいな女の人に似ていますね。それでも、一旦、彼女が心をガラッと変えたら、もう悪党、鬼婆 です。口許は切れるは、まともには見られません。それが地獄界の実体ですね。 天上界はそんなことはありません。怒りもありません。そして又、天上の世界の、今度は、心 の調和されているエル・ランティという方になりますと、ここにパワートロンというものを持っ ています。(以下図を書きながら説明)頭にちゃんとパワートロンというのをつけています。パ ワートロンといいます。 神の光をストレートで受けている光ですね。このパワートロンから、光がピューッとこうやっ て出ているわけです。ですから見ておりますと、頭からも、身体からも光が出てきておりますか ら、光の化身だと思えばいいですね。そうして、このパワートロンと、その人の、エル・ランテ ィの心のところと、全く同じ位置、だいたい八十センチから七十センチのところに玉があります。 このようになっております。これがドームです。そして、このドームからも光が出ています。や わらかい金色の光です。こういう光が出ております。 大きな光ですね。そして、このパワートロンの光が、このように発射していると同時に、ここ に今度は魂の分霊ですね。光の分霊である、イエス様、モーゼ様、カンターレ、この意識がはい っております。これから七十センチ位ですね。 この頭の上から、そして例えば、私が、イエス様の当時の話をしますと、例えば、これがイエ ス様だとすると、今度、これがクルクルッと廻りまして、こちらの人の、私の身体の中にはいっ てくるから、今度、イエス様の顔になっちゃうわけですね。お釈迦様のこんど、話をしますと、 こちらが出て、今度、お釈迦様の意識がはいって、その当時の意識が身体の中にはいってくるか ら、今度、お釈迦様の顔になっちゃうわけです。ですから、普通、私が講演を全国して歩いとっ て“あの方は、お釈迦様の生まれ変わりだ”という人が出てくるわけですね。見えちゃうから。 インドの時、耳たぼなんかこんなに小さいのに、こうなってくるわけですね。眼の方が、ずー っと、こうやって細くなってきちゃう。見とって、皆んなビックリしてしまうわけです。そうす ると、その人達にとって、お釈迦様に見えちゃうわけです。これは光の分霊っていうわけです。 エル・ランティの光の分霊、この光の分霊というのが、個性を持っておりますから、そうやっ て出て来ますね。 ところがいつのまにか、お釈迦様や、モーゼや、イエス様や、或いは又、もっと下の方の段階 におるところの回教、こういうのをメシヤというわけですね。このメシヤを拝むようになっちゃ った。メシヤ信仰になってしまった。これは大きな間違いですね。メシヤの説くのは神の心であ る法を説きに来ているのです。人間はこのようにしなければいけないんだ。メシヤ信仰ではなく、 メシヤを信じることです。メシヤの言葉を信ずることです。そうして、その言葉が法なのです。 その法を行ずることです。これが本当の信仰なのですね。ですから本来はメシヤ信仰であっては ならない。仏教では、お釈迦様は絶対ですね。だからいつのまにか”オシャカ”なんて言葉が出 来ちゃうわけです。 それは困りますね。お釈迦様の説かれた法、その法を生活の中に生かすことです。そうして、 自分自身が、説かれた、その悟られたメシヤのような豊かな心になるということ。 イエス・キリストを拝んじまって、何んでもイエス様、イエス様、迷惑ですね。イエス様は一 人しかいないんだから、世界中の人が、イエス様を呼んだらどういうことになるでしょう。そこ でエル・ランティーであるところのヤハベーは“汝ら、みだりにヤハベーの名前を呼ぶことなか れ”といっていますね。それなんです。一人なんですから、呼ばれたって仕様がないんです。皆 さんだってそうでしょう。仕事をしておって、仕事の途中で何回も呼ばれると、“うるせえなあ” ということになりますね。これは同じです。 我々は、ややもすると、次元の違う世界を呼べば、何んでもやってくれると思っているが、と んでもない事です。一番大事なことは、メシヤの説く、法というものを実行するということ、こ れが大事です。そして、このエル・ランティは、光そのものです。天上の世界へ行くと光そのも のです。光の化身です。 といって、神ではありません。神は、又、こちらにあるわけです。いまだかつて地球上に神だ なんて言って出て来た人は百%嘘です。どんなものだって、神様になんかにはなれないんです。 神は一つです。宇宙には神は一つです。こういう、エル・ランティと同じような人達が、宇宙に、 真のメシヤという人達がおります。遂に、過日はM37という星があります。 M37に出ているメシヤが悟りました。そのM37のメシヤはついに、自分自身を悟ったとい うのは、太陽系の中の、軌道修正コントロールセンターというのがあります。太陽系の軌道を修 正するコントロールセンターというのが次元の違った、あの世にあります。その中心の心臓部に 伝達があるわけです。宇宙的ですね。 そして、真のメシヤが、それぞれの惑星の地上界に出て、皆んな互いに連絡がとれるようにな って、真の調和が完成されたとき、そのメシヤが神になるのです。大変なことですね。M26、 この太陽系それぞれに出て来ておりますね。今、出て来ているのは、太陽系で、一人、悟ってお ります。M37で悟っております。M27、M26、出ております。このMというのはメシヤと いう意味で、つけたようですね。 我々の出て来たところのベーター星というのも、調和されている世界、ユートピアです。その、 皆さんも出て来た所ですね。ところが、今、我々が住んでいるのは、自分の住んでいる地球だけ だと思っているだけなのですね。 かつて皆さんは、三億六千数百年前には、そのベーター星という所から、移住民族として、地 球上へ来たわけです。そして、その間に何回も転生輪廻して、まあほとんど皆さんは地獄へは行 かなかったと思いますけれども、まあ、今、いるわけですね。そして、自分というものを知るよ うになっていくわけです。で、それは、何んのために、現象の世界に出て来るかというと、この 色心不二といいまして、皆さんが肉体と魂を持っているように、神の身体も、また、物質と心か ら成り立っているわけです。神の身体の地球という細胞を、神の子である人々と心と心の調和に よって、はじめて、地球は円満に調和されていくんです。 それが神の子である地球の中の細胞の一部分が、互いに争い、闘争を繰返される。即ち、皆さ んのツバキ、ダ液のようなもの、皆さんは、地球の消化する、ダ液のようなもの、そのダ液の中 にバイ菌がはいったら、どういうことになるでしょう。消化不良を起こしちゃいますね。同じで す。ですから地球に住んでいる人達の心の丸くない人達が多ければ、即ち不調和な人達、法を間 違えた人達が多ければ、その分野に天変地変が起こるんです。神の光をその分野が失ってしまう からです。 地獄が多くなれば、そのような現象が起りますね。だから恐ろしいことです。ですから、心が きれいな人達が集まれば、その集まっただけ、その環境は調和されて、光明に満たされるわけで す。それは事業だって同じですよ。家庭だって同じです。ですから、家の中が、どうも不幸が続 いているっていう人が、こん中にも、何人か来ておりますねえ。自動車事故で亡くなっちゃった とか、私は一生懸命に拝んでいるのに、何んで、何んで不幸なんだろう。 というのは、何か原因があるんですね。思っていること、行ってる性格を通して、何か原因が あるんですね。夫婦の関係、子供の関係、その原因は、それを除かない限りは、そっからは、光 明は満たされないわけです。その原因はどういうところにあるのか、それをどのように除けばい いのか、ということを私達は教えているわけです。 ところが、普通、宗教は、そうじゃなくて、不幸があると、お前さんとこの先祖が浮かばれな いんだよ。一生懸命、お経をあげれば、なおるんだよと、馬鹿なことを言っている。又、それを 信ずる。溺れる者、ワラをも掴みますからね。その原因はどこにあるかということ、その原因の 根を、どのように取り除くかということに努力しなさい。出た結果に翻弄されちまってね。増々、 深まりにはいって行く。 だから神様、拝めば拝むほど、不幸になっていくわけです。ですから、宗教家、お坊さんとか、 或いは神主さんとか、宣教師とかいう人達ね、神様を扱っている人達、偶像を拝んでいる人達の 家庭をご覧になって下さい。混乱してますよ。あんなに信仰深い人が、なんでだろう、と、こう 思うんですね。そういうのは本当の信仰ではないんです。皆んなは兄弟が、円満で仲良く、お互 いに助け合っているのが本当の信仰なんです。 ですから家の中で色々、まずい問題が起ったりするのは、俺達の考え方、生活のあり方に何か 間違っているんだと、正しい法則を踏みはずしているんだ。先祖がどうではないんだよ。苦しん でいるのは自分達です。それを、その根っ子を考えることです。そうして、それをなおすことで すね。そうすると、なおっていきますね。ここにも、そういう人が何人も来ています。ですから、 その時は、拝むんじゃなくて、私達の考え方、生活の在り方、物の考え方、これらのものの修正、 そのチャンスを与えているわけですね。それで、その根っ子は、どこにあるのか、その原因はど こにあるのか。その悪い面を取り除かない限り、だめ。それをただ、先祖のせいにして、先祖を 拝めば、なおるんだと、それじゃ、先祖に、いい戒名をあげようじゃないかといってね。そこに パックリ待っているのが、パックリ屋ですよ。 戒名のいいのをあげれば救われるなんて、馬鹿みたい。先づ、皆さんね、戒名をどんないいも のをあげたって地獄は地獄ですよ。〇〇院殿〇〇大居士というのが何年か前に死にましてね。そ の方が、東急の社長をやっておりまして、私の親分出してくれって、言うもんだから、すっかり ゴトウ・ケイタだと思ったんです。そうしたら違うんですね。元総理ですよ。「ワシじゃ」って 出て来ましてね。ノドから声が出ないわけですよね。ガンで切って死んだ総理ですから。それが 地獄にいるんだから、どうしようもならないじゃないですか。 名前みたら、院殿大居士ですよ。そしたら、「ワシャ、そんな名前は勝手につけたんだから、 俺には関係ねえ」って「高野山へ行って聞いてくれ」って。そういうものなのです。皆さん名前 じゃない。“冥途の沙汰も金しだい”なんてナンセンス。一銭の金がなくたって天上界へ行ける よ。そういうことを知って下さい。絶対に戒名なんか、どんなにいいのつけたって、地獄へ落ち るものは、地獄へ落ちるんです。 名前なんか、どうでもいいんです。地獄へ行って、戒名なんか名乗っているのなんか、一人も いないから。これは日本人の、色々都合が御座居まして。戒名っていうのは本来はね、生きてい る内につけるんです。昔の坊さん達はね、自分の寺子屋みたいな所へ連れてきてね、正法をよく 教え、仏教を教えて、 「ア、あなたは、大分よく勉強し、生活も変わって来ましたな、じゃ、このあたりで、今まで の名前をかえて、じゃ、居士という名前を与えましょう」 『ありがとう御座居ます。お蔭げ様で、私も、心がなごみました』 そうしてなったものですね。それが、そうじゃなくて、日本は、死んで、しばらく経ってから ね、お金持って行ってから戒名つけるんですよね。死んでいる人がわかる訳ねえじゃないですか。 “あなた、どなた?”ったら、自分の本名を言うんです。〇〇院殿〇〇大居士なんて知らねえよ、 なんて。同じですね、だから冥途の沙汰は金次第じゃないんですよ。 それは都合の悪い人が、そう言ったんでね、だから皆さんは戒名なんて本当はいらないんです。 生きているうちに、自分の心と行いをなおして“よっしゃ”と今までの名前を捨てて、新たに、 生まれ変わった積りで、人生をやり直すんだと言って、名前を変えるんだったら大いにやりなさ い。死んでから貰うんだったら、そんなのはいらないんです。生きている内に自分の心を改造し てね、生活を改めて名前を貰う、これが本当のものです。 戒名とはインドの当時、ブッダの弟子に、シャーリー・プトラという男がおります。彼はウパ テッサという名前でね、どうもウパテッサというんじや、うだつがあがらねえんじゃないかと言 うんでね。(笑)お前はよくやるから、お母さんの名前のね、シャーリーというお母さんの名前 のね、お母さん、なかなか陰徳のある方で、一つその名前を貰ったらどうだ、心を改めて心身を 改めてシャーリープトラという名前にしたらいいといって戒名を変えていったのですね。 或いは又、コリーターという名前がありまして、何度もコリても困るから(笑)、なんとしろ、 お前の名前を一つ、この際、心もきれいになったことだから、モンガラナーということにしよう、 と言って、マーハー・モンガラナーという名前に変わりました。これは大目連ですね。それ生き ている内です。死んでから、いくら、どんないいの貰ったって、どうにもしようがないじゃない ですか。 最近、日本人、そういうのが好きになりましてね、死んでから、一パイ貰うのがいいんじゃな いか、と。最近は結婚にまで影響しましてね、お墓行って、戒名見て、この家の先祖は、余りい いのじゃないからダメだなんてね。馬鹿みたいなこと言って、院殿大居士がねえから、結婚の対 象にならんよなんて、そこまで来たらもう、悪霊ですね。ですから皆さんは、そんなもんじゃな いんです。 その点はクリスチャンの皆さんの場合は、生きている内に、自分の心を入れ換えて、マリヤに 近い、マリヤ様のような気持ちになりたい、とマリヤとつけてみたり、色々と人の名前をつけて いる人もいますね。クリスチャンの方は、はるかに御立派です。生きている内に変えるんだから、 ものの考え方を。ところが仏教は死んでから変えるんですからね。死んでから変わる訳、ないじ ゃないですか。だから、そんなものに皆さんは心、うばわれてはいけません。 だからG・L・Aのお坊さんはそんなことしませんよ。“院殿下さい”と来ても“まあ院でい いじゃないですか”なんてね(笑)、そんなことでやってますね。ですから商売繁盛しちゃうわ けです。仕事が忙しくなっちゃうわけです。あそこ行きゃ、天上界へ行けるっていうわけで、葬 式多くなっちゃう。 本当は、お坊さん、葬式専門じゃ困るんですよ。生きている人を救うことでね。死んだ人はも うしようがないんだ、これは。ところが日本はお坊さんイコール、生きている人には関係がない んだな。だから、お寺さんが入院している患者さんをお見舞いに行きますと、縁起が悪いや、な んてね。 そうじゃなく、病院に入院して、今、死ぬか、生きるかという人に“お前さん、あの世がある んだよと、いつまでも執着を持っているな、みな捨てちまえ。子供達にみな分けてあげなさい” と教えてやりゃあいいんだよね、本当は。ところが、お坊さんが行ったら、縁起が悪いや、あい つは死ぬんじゃねえか、なんてね。 僕が丁度、この間、坊主になって船に乗っとったら、 “坊主と一緒じゃ魚一匹つれねえや” (笑) なんてね。だから坊さんは縁起が悪いことになっちゃってんだ。私も一応、心を改めて、自分の 頭の毛を、一つ形の方からやってみようと思いまして、色々検討の結果、頭を三分刈りにしてみ た訳です。そうしたところが、“坊主と一緒じゃ、魚も釣れねえや”なんてね。こりゃ不思議な ものです。 ですから本来は、坊さんは、生きている人を救うんです。インドの、本当のお釈迦様のお教え はね。お弟子さん達、ブッダが亡くなる時にね、アナンという方に、アナンがブッダが亡くなっ たら、どうしたらいいでしょうか、私達はよんどころがありませんと、彼はブッダの枕辺で泣き ました。その時、ブッダが、何を言うかと、ワシが説いた四十五年間の法は、お前達の心にあろ う、お前達は、その法をたよりとして、人々を救うことなんだと教えているんだね。それが、何 か、死んだ人を教えるように坊さん、変わったんだなあ、こりゃ。本当は、もうだめです。その 坊さんが、“見えて、聞えて、話せ”たらなお、いいんだけど、“見えて聞えて話せない”のが (付記、見えず、聞えず、話せないのが…の意)引導を渡すというから、どうしようもならない。 どういうわけですか、私達は、死んだら“ああ、こいつ地獄へ行くゾ、こら、お前ちょっと待 て”と。こないだ、ある人が亡くなりましてね、ショック喰いました。私、行って見たら、無意 識界にいるわけですね。事業やっとるもんですから。ソレーッちゅうわけで、すぐ行きまして、 “あなた、どうしたんですか”っちゅったら、“私しゃ便所でこんなことになっちゃって”、便 所におったままステンと逝っちゃったわけですね。 予告なしですよ。大抵の場合なら、報告があって何日頃死にますと、あるんですがね。元気な もんだから、こっちは元気だと思っていた。朝になったら、電話来まして、亡くなったっちゅう から、“エエーッ”って。私が、パーッと、もう行きましたところが、無意識界、自分の肉体か ら離れて、自分で意識ないわけですね。 『あなた、どうしました』 「私は便所にいる間は、わかったけれども、後はわかんなくなっちゃった」と。 『しっかりして下さいよ』、と。『あなたはこんなに早く、いくなんて思わなかった』 それでイエス様、イエス・キリスト、“イエス様、すぐ行って協力してくれ”って、すぐ魂を ゆさぶりましてね。今、修養所におります。 労働組合につるし上げられ、家庭の中から反発されてね。精神的よんどころなく、心悩んでい る時に、そういう一つの死を迎えたわけです。だから恐ろしいですね。ですから無常です。人間 はいつ、この世を去るかわからないんです。ですから、皆さんの場合も、自分の心は、いつでも 準備体制は整えておかねばいけない。これが私が言う“一日一生”ですね。 明日、生きとったら又、一生懸命やろう。今、若いからって、わからないんだから。それで又、 なんというと、しめっぽくなるから、まあまあ、明日生きていることにして頑張るわけです。そ うして希望を持ちながらね。そうして、死んだ、生きたって区別つけられる人は少いですよ。ア ー俺は、今、死ぬんだなんてね。そういう人は御立派ですよ。でもGLAの人達の一部の人は死 ぬことがわかってりゃ、親孝行する人もいます。 或る人は二日前に、もうわかりましてね。“ワシャもう、あと二日だよ。皆さん、どうも永い 間、本当にスマンかったね。本当は、もっともっと、生きたいんだけれども、どうも、もうだめ なんだよ。あと二日のちには、この世をかえるけど、ま、一つ、よろしく頼んまっさ。せっかく 家も作ったから、GLAで、ぜひ使って下さい。家内も、さみしいようですし、今度、又、生ま れて来た時は、正しく自分を知って行きます。しかし、今生は、本当に楽しくありました。あり がとう御座居ました”ってかえっていった人、一杯いますよ。硬直なんか、全然しません。生き ている時よか、もっときれいになっていくわね。これが本当の成仏ですよ。 もう、こうやって硬くなるのは、皆んなダメ。ですから、皆さん、死んだとき見てね、亡くな った人、見て硬くなったら、こりゃ、地獄だなって思って下さい。その時は、“ちょっと、あな た、ここにおりなさい”と。“あなたは今、この地上界を去るんです。執着を捨てなさい。今、 あなたの肉体は滅びるのです。あなたは今、新しい肉体を持つのです。いつまでも、そんなこと をやっとったら、あなたは地獄です” 死というのは大変な行事なんですよ。地獄霊が皆、来ますからね。モーゼの時など、モーゼの 肉体をサタンが欲しくてね。そして引き取りに来たのです。その時にミカエルを中心とした七大 天使が、モーゼの死体をかわしましてね。その死体を渡さなかった。その死体を渡しちゃったら、 モーゼが生き返って、サタンになっちゃうんです。それで、皆さん死んだあと、よく魔よけって いって、刀をあげるでしょう。あれは、そういう習わしなんですよ。 復活されちゃうから、おかしくね、悪霊がおれば。だから、そのように教えて、それが本当の 引導ですね。 ところが、最近のお坊さんなんか、“なんで、あの世なんかあるものか”ってね。現に、僕ん とこに言って来ている大僧正ちゅうのがいるからね。そいで檀家を何百軒も、何百人も持ってい て、“あの世なんか、あるもんか。GLAでいっているのなんか、ありゃ気違いだ”なんてね。 その内に、お灸すえに行こうと思ってるんですがね。(笑) GLAのお坊さんとこ大分、いじめているからね。皆んなの前でやっつけられるもんですから ね。毎日新聞にもだいぶ出ました。あの世なんかなくてね、引導渡しとったら、詐欺じゃないで すか。あの世なんかなかったらねえ、お経なんか、あげるこたあ、ねえじゃないですか。だけど、 ま、こりゃ商売だからって、言っているっていうから、ま、その内にお灸すえに行きます。 あの世があることを教えにね。又、その檀家からも、GLAへだいぶ来ているわけです。不思 議なもんですね、これは。それも、ま、なかなか悪党坊主ですよ。でも、私が出たら、一番恐ろ しいんじゃないでしょうかね。そういうもので、皆さん、心が大事なのです。肉体からサーッと 離れると、地獄へなんか、行きませんしね。そこで、又、ここで、こんど地獄の話になりました から。神様が出てくる人がおりますから。 「ちょっと出て来て下さい」 (以下省略)
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