イヌパルボウイルス(CPV-2)のネコ科動物における変異 (宿主・寄生体系

イヌパルボウイルス(CPV-2)のネコ科動物における変異
(宿主・寄生体系におけるウイルスの進化)
高橋 英司
はじめに
1940 年代の半ばまでネコパルボウイルスは、猫汎白血球減少症ウイルス(FPLV)のみが確認さ
れていた。1940 年代の後半にカナダで 80%以上の致死率を示すミンク腸炎の発生があり、FPLV
と抗原的に類似したウイルス(MEV)が分離され、その後世界各地で発生が報告された。1970 年
代の終わりになり、米国とオーストラリアでイヌに激しい下痢と腸炎を起こす疾病が発生し、FPLV
類似のウイルスが分離された。その翌年にはわが国をはじめ世界各国で発生が確認された。このウ
イルスはイヌに強い病原性をもつ新しいウイルスで、これまで存在していた非病原性のイヌパルボ
ウイルスと異なることから、イヌパルボウイルス 2 型(CPV-2)と命名された。CPV-2 はその後イ
ヌ間において病原性と抗原性状の異なる変異株を出現させ、イヌ間での感染を繰り返す過程で進化
していることが報告されてきている。
近年演者らのグループは CPV-2 がネコにおいても存在することを確認し、新たな変異株の出現を
示唆する調査成績を得た。イヌパルボウイルスの変異に関するこれまでの知見を紹介し、ウイルス・
宿主間におけるウイルスの進化について考察する。
1.
CPV-2 の起源
CPV-2 に対する抗体はヨーロッパのイヌでは 1975 年前後で確認されているが、米国、日本とオ
ーストラリアのイヌでは 1978 年のイヌで初めて検出されている。CPV-2 の起源については多くの
仮説が立てられているが、広く受け入れられている推測は、FPLV あるいはミンク、キツネなどの
食肉動物に分布する FPLV 類似ウイルスの変異株であるという説である。特にヨーロッパのキツネ
(blue fox, red fox)から分離されたウイルスが FPLV と CPV-2 の中間的な抗原構造を有している
という報告があり、キツネ由来のウイルスが CPV-2 の祖先であるという説が有力である。
2. 新たな変異株(CPV-2a、CPV-2b)の出現
1978 年の最初の発生からまもなくして、
2 つの新しい変異株の出現が確認され、
それぞれ CPV-2a
および CPV-2b と命名された。 オリジナルの CPV-2 はまもなく消失し、この 2 つの型のウイルス
がその後のイヌパルボウイルス感染の野外流行株として存在している。
3. FPLV と CPV の宿主における臨床症状
FPLV のネコにおける感染は、胎児あるいは子ネコでは小脳性運動失調を起こし、成ネコでは食
欲の減退、下痢、および白血球減少症を示す。一方 CPV 感染では若齢の子犬では高い致死率を示
す急性心筋炎を呈し、月齢の進んだ子犬では出血性の腸炎を起こす。
4. FPLV および CPV の宿主域
両ウイルスの in vitro での宿主域に関する報告が多くなされている。
一般的に CPV はネコおよび
イヌ由来株化細胞で、よく増殖するが、FPLV および FPLV 類似ウイルスはネコ由来株化細胞での
み増殖することが知られている。
生体内での両ウイルスの増殖様式はやや複雑である。FPLV はリンパ節、甲状腺、脾臓あるいは
腸管粘膜などのネコの組織で増殖し、大量のウイルスを糞便中に排泄する。一方、イヌにおいては
FPLV は甲状腺と骨髄でのみ増殖し、腸管あるいは腸間膜リンパ節では増殖しない。従って糞便中
へのウイルスの排泄はみられない。ウイルスの進化という点で考えると、CPV の祖先はウイルスの
排泄とイヌの集団への伝播するために腸管に感染する能力を獲得したことが想定される。
5.
CPV のネコにおける分布
1987 年に日本で臨床上健康なネコから CPV-2a 型のウイルスが初めて分離された。続いて米国と
ドイツで CPV-2a と CPV-2b の分離報告がされた。またわが国で近年、FPLV ワクチンを接種して
いないネコの集団から CPV-2a および CPV-2b 類似ウイルスが高率に分離される報告がなされた。
このように食肉動物のパルボウイルスはワクチン接種率の低い環境下のネコやイヌの間で容易に伝
播する可能性が高いために、CPV-2a および 2b 型ウイルスは FPLV ワクチン接種率の高い国におい
ても FPLV に代わるネコの病原因子となる可能性を示唆している。
6. ネコにおける CPV 新変異株(CPV-2c)の出現
CPV2a と CPV-2b は家庭飼育ネコだけでなく野生のネコ科動物からも検出されている。米国では
チーターから CPV-2b、ドイツでは動物園のシベリアタイガーからの CPV-2a の糞便からの DNA
検出の報告がなされている。
演者らは 1996 年から 1997 年にかけてベトナムと台湾に生息する小型の野生ネコ、ベンガルヤマ
ネコからのウイルス分離を試みた。その結果、6 株の CPV2a、CPV-2b 類似ウイルスが分離された。
そのうち 3 株は CPV-2a および CPV-2b に同定されたが、
他の 3 株は VP2 遺伝子のアミノ酸の置換
が認められる新たな変異株であることが確認され、Leopard cat parvovirus (LCPV)と命名された。
そして変異株の血清型として CPV-2c が提唱された。 CPV-2c はベンガルヤマネコのみから分離さ
れ、家庭飼育ネコからはまだ分離されていない。CPV-2a および CPV-2b が野生ネコに感染・順化
して、遺伝子構造の変化をもたらしたものと考えられている。
7. ネコにおける CPV の持続感染
FPLV に感染したネコは、回復後高い中和抗体を産生し、ウイルスの排泄がみられなくなること
が一般的に知られている。一方、CPV はネコの糞便中から分離されるだけではなく、中和抗体陽性
を示すネコの末梢血からも分離される。このことは CPV が中和抗体陽性ネコに持続感染する可能
性を示している。
8. 結論と考察
ネコにおける FPLV とイヌにおける CPV の進化の様式は異なっている。FPLV はネコの世界で
長い歴史の中で進化学的に安定であり、遺伝的な変異の割合は低い。一方 CPV はイヌの世界で短
期間の間にウイルスカプシドタンパクの VP2 における遺伝的選択が行われ、進化を遂げてきたこと
が推測される。CPV のネコにおける進化はまだ明確ではない部分が残されているが、CPV-2a およ
び 2b がネコにおける新しい寄生体として出現していることから、ネコにおける特異的な選択が
CPV 進化を進める新たな手段として働く可能性がある。ベンガルヤマネコにおける CPV-2c の出現
は、新しい宿主における CPV の進化を示す良い例である。同様に、大型ネコ科動物、野生ネコ、
ジャコウネコ、かわうそ、クマなどの広い範囲の野生動物に CPV に対する特異的な抗体が検出さ
れている。このような種間の伝播によって新たな宿主における選択が行われる結果、CPV の新しい
抗原型出現が起こりうることが想定される。